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たまゆら 102枚目

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/22(日) 02:48:19.39 ID:Z/4Je/wkJ
こうして清朝の弱体化に乗じてマカオの植民地化を進めたポルトガルだったが、戦後、中国に強力な共産党政権ができるとたちまち立場が逆転してしまう。

ケチの付き始めは1952年に国境で起きた銃撃戦で、中国政府に食糧輸出を止めると脅されてポルトガル側は国境線を7m後退。
続いて55年に「マカオ開港400年祭り」を盛大に開催しようとしたが、『人民日報』に「マカオは中国の領土であり、中国人民は決してマカオを忘れない」という記事が出ると、ビビって中止。
そして66年、小学校の建設をめぐって中国系住民と対立し、最初は徹底的な武力弾圧に乗り出したが、犠牲者が出たことに怒った中国系住民が暴動を起こし、『人民日報』に「マカオのポルトガル当局に厳重に警告する」という記事が出ると、
マカオの総督は9日後にあえなく降伏声明を発表した。

その後のマカオ政庁は中国政府のいいなりとなってしまい、ポルトガルは台湾と国交があったのにマカオ単独で台湾と断交。
74年にポルトガル本国でクーデターが起き、新政権は全ての植民地の放棄を決定したが、マカオについては中国政府に返還のお伺いを立てたところ、中国から「いま植民地を返されたら香港人が動揺するので、しばらくそのまま預かってろ」と言われてやむなく植民地統治を継続。
そして香港返還が決定した後の87年、マカオについても「じゃ、そろそろ返してもらおうか」ということで、99年の返還が決まったのだ。

一方でマカオの経済は、カジノと風俗産業目当てにやって来る香港人に支えられ、かなり情けない状態にある。
マカオ政庁は空港を作り企業誘致にも乗り出してみたが、企業には「法律がみんなポルトガル語じゃね・・・」とソッポを向かれてあえなく頓挫。
ま、中国に返還されてからは中国語版の法律もできたので、少しはマシになるかも知れません。

う〜ん、やっぱポルトガルの植民地ってのはしょーもない運命にありますね。
「ポルトガル風イワシのから揚げ」とか「アフリカ風トリの丸焼き」とか、マカオには珍しい料理がいろいろあるのはいいんだけどね。

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