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日本も徴兵制を実施すべきか否か?

1 :ちょっと待て名無しが今何か言った:2005/04/07(木) 07:12:14 ID:3Y87zjIX.net ?
とりあえずヒッキーは減る(゚д゚)ウマー

51 :◆Kveoxyl9RE :2005/04/10(日) 15:08:00 ID:Vo//WKzj.net ?#
>>50をまとめまーす。
「現代日本は第三次産業に適応した人間が必要で、現行の教育法はそれを阻害しているので良くない」
ってことでしょうか。
長文は結構なんですが、こういう風にまとめをできれば書いてほしかったですな。

>それを言い出したのはウヨク。
>明治時代が実は一番ひどかったりする。
>実際は20年前に中学生が自殺しだしてから。
?? 自分の言っている事とどう違うのかよくわからんです。
明治時代が一番ひどかったかどうかは、まあいいとして、実際は20年前に〜これは自分が言っている事とどう違うのですか?

>現代の学校は富国強兵の為の機能集団であり第二次産業に対しては
かなり有効なシステム
多分自分が言いたかった事と同じ。

>子供たちの試行錯誤できる空間・居場所
これは当然必要だろうし、そういうものを考えた上での教育は良いでしょう。
しかし、これはあくまでも基礎的な論理を学んだ上で生かされる分野じゃないでしょうかな。
工作をしていて、ナイフを手にとったらどう扱ってよいか。授業を受ける時はどういう態度で授業に臨めばいいのか。
これは家庭のような狭い範囲の空間だけでは教わらない性質のものですね。

自分たちの頃は「サラリーマンになりなさい」と一生懸命教えられて育ちました。
最近はどうやらそうでもないらしくて、「お店やりたい」とか「商売をはじめたい」と起業を考えるような子供たちが増えてきているようです。
企業側も、いわゆる単純労働を強いる無機的な人間を増産するのをやめ、ゆるやかに社員一人一人の能力性を生かすような指導体制を研究・実践していたりと。、
過去のそれとは大分違った形態が講じられるようにもなってきたといえます。
(逆にそういう対策を講じない企業・分野は徐々に斜陽化もしているとも。。?)

第二次産業社会でも第三次社会でも、一定の基準の人間を育成することは必要ということですな。

52 :ちょっと待て名無しが今何か言った:2005/04/10(日) 22:56:53 ID:2hV15TOb.net ?#
議論の為の議論って奴を久しぶりに見た。

53 :えICBM:2005/04/11(月) 01:59:04 ID:808M1T6o.net ?#
長いレスの応酬も久しぶりに見た。

54 :RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/04/11(月) 22:17:18 ID:djU6DHI1.net ?##
>>51
いや・・・
時間がなかったので以前暇つぶしでまとめた教育の歴史をそのまま張らせてもらったんだけど・・・・
基本的に・・・・・・・
>>むしろ逆では?そういうのをだめだめ言い出した頃からいじめ問題・学級崩壊が多く報じられるようになったと感じてますが。
これに対する答えなんでそういうまとめ方をされても・・・・まあ・・・こちらが悪いか(w

えー軍隊と言う所は全ての人間が一つの目標に対して取り組み、連帯が維持される事が第一とされる訳だし
兵隊も国家や国民に貢献するという一つの役割意識を持っている訳だから全員を一元化して捕らえ
上官の言う事を聞き規律を守り任務を遂行する事を第一として教育する事は当然だしそれで成り立つ。
途上国の子供達も家庭環境、流行、欲求とだいたい一元化していたんで両親が仕事に追われ不在でも
近所の大人たちが世話をやき、近隣の原っぱには子供なりの社会があった。
教師は個人個人を一元化して捕らえ教育する事が可能だったし軍隊式の管理教育でもなんとかなった。
でも現代の子供は家庭環境、流行、欲求なんてバラバラで捕らえ様が無いし
それを満員電車の様な教室に詰め込んでみんな規律を守って仲良くしましょうなんて無理でしょ?
教師の自己満足的にされた評価が子どもを計る唯一無二の物差となってしまい
学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスが推奨されるどころか、
むしろ徹底的に抑圧され、尊厳を貶められる様になった結果
子供達ののストレスは過剰になり教室で異質な存在であると言うだけでいじめが激烈化し自殺者が後を絶えなくなる。

で少人数制、共同学習制という『ゆとり教育』は単純に学童数が減っている訳ではなく
中曽根総理の臨時教育審議会で20年前から考案されていたのが
文部官僚が愚図ってなかなか実行に移されなかっただけの話だったりする。
この流れは世界的にも同じだったんだけど数年前の世界の学力調査で最初に改革を達成したフィンランドが一位となり
日本でも急激に改革が進行しただけの話。

55 :◆Kveoxyl9RE :2005/04/11(月) 23:35:59 ID:Y8HZVKhk.net ?#
>>54申し訳ないけど余りにも煩雑な文章の為、まとめるといっても完全にはまとめきれなかったわけで。
意に沿わない形になったのはすいませんが、大体はこんなとこじゃないかと。
懲りずに再びまとめてみようか。

途上国の子供たちを取り巻く環境は比較的一元的なものなので、軍隊式の管理教育でもなんとかなった。
しかし国が発展し、先進国となった社会に生きる子供たちを取り巻く環境は多元化しており、軍隊式(一元式)管理教育では
ケアが行き届かない。その為、歪みが生じ自殺者が増えるなど問題が多く出てくるので不利益だ。

こういう事かなぁ。
何度も言っているが自分は、
・満員電車のような教室に詰め込んで〜
・教師の自己満足的にされた評価〜
こういう事を推奨してはいないし、現代社会にはおそらく合わないと思っている。
それにこれは「強制」ってやつでしょ。自分が言っていたのは「矯正」ですよ。意味合いが異なります。
子供たちに多種多様な価値観があることは認めてあげる事も大事ですが、物事には程度やバランスがあります。
そのバランス感覚を養う機会を与えられずに社会に出てきてしまった。もしくは、そこまで到達できずに死んでしまうか、NEET・パラサイト化してしまった。
この負の連鎖が社会を病ましている原因ではないんでしょうか。

自分が言っているのは、「過去の教育法にもう一度日を照らし、有用性が考えられるものは抽出し、現代社会で再現できる形に変換して再生してみるのはどうか?」
という事ですな。けして過去に戻るんじゃないんですよ。

なお、>54再下段部のゆとり教育のところの返信は今回は割愛します。
教育論になってしまったな。。
まあ、「徴兵制」の考え方を自分なりに変換して近い形にまとめたものということで>>1さんには御理解をして頂けたら、、だめ?

56 :ちょっと待て名無しが今何か言った:2005/04/11(月) 23:58:55 ID:wuM3qlaR.net ?#
>>47 市民社会から隔絶された空間に長期間押し込めるのに反対。

ピストルを持たない交番警察官として、一年間(最初3ヶ月訓練)
勤めるとかなら賛成。

57 :RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/04/12(火) 01:12:13 ID:GQCAYNw+.net ?##
>>55
>「過去の教育法にもう一度日を照らし、有用性が考えられるものは抽出し、現代社会で再現できる形に変換して再生してみるのはどうか?」
ごもっともです。
だから20年前に中曽根総理の臨時教育審議会で軍隊式の近代教育を見直し個別指導の武士の教育が見直されたのでしょう。

中村春作「辻本雅史著『「学び」の復権−模倣と習熟』を読んで」
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4254/shibun/shohyo/93-nakamura.html

近代学校教育には二つのモデルがあり、それが軍隊と監獄です。
 例えば準備体操をするときに、整列、気をつけ、前へ倣えとやります。
スイミングクラブで同じように準備体操がありますが、こういうことは一切ありません。
つまり、これは準備体操にとって必要なのではありません。
号令一下、規律正しく集合的に身体を動かしてもらうためにこのような軍隊的な規律が採用されています。
現に、体育の実技の科目の九割以上は軍事教練から借り出したものです。
 同じように、学校教育のスタイル、先生が高い壇上に立って、すべての子供を見渡せる場所に立ちながら教育をするようなメカニズム、
これもそれ以前の教育のシステムにはなかったものであります。
これも、十九世紀のベンサムというイギリスの功利主義者が考えた効率的な監獄監視システム、
つまり、いつ見られているかわからないというふうに思うので囚人たちがびしっとするというシステムの
基本的な応用編であるというふうに考えられています。
 軍隊は、戦いに勝つためにこういう規律が必要です。
監獄あるいは刑務所は、社会的更生のためにこういう規律が必要です。
何度も言いますが、なぜ近代学校教育で軍隊と監獄のメカニズムが採用されたのかと言えば
それは工場労働者を養成するためです。
つまり、近代以降の教育法にもう一度日を照らし有用性が考えられるものは抽出すると
軍隊的な要素は消えると言う事です。

58 :◆Kveoxyl9RE :2005/04/12(火) 20:04:58 ID:D4g3CG5k.net ?#
>>57中曽根さんの提言によるものからきているのかわかりませんが、ちょうど自分らの頃も
数学が簡単になったり、土曜休暇が段階的に実施になったり、風紀指導が緩和されたりしてた境目の時期ですね。
自分が>>37で言ってた事と余り変わらない気がするんですが。
達成したい目的は同じのようですが、その方法が軍隊教育の位置から発信するのか、更にその前から脈々と通じている教育法の位置から発信するのかの違いということでしょうね。
自分が軍隊教育の中から有用性のあるものを抽出すると言ったのは、おそらく紹介先の
中村春作「辻本雅史著『「学び」の復権−模倣と習熟』を読んで」
などで語られている事と同義だと思います。

>近代学校教育で軍隊と監獄のメカニズムが採用された〜
それは、自分も言っていますが、その通りです。だが、これ自体に総じて不要論を投げかけるのは懐疑を感じざるを得ないし、
乱暴な考えだと思います。

>学校での水泳の授業の整列、気をつけ、倣え
やってないところはやってないような気もしますが、自分とこはやってましたな。
学校はスイミングスクールではないと思います。やるときにはやると言う考え方を学ぶ場だと思いますので。
>37の上段で言っている事は軍隊的な要素を持っています。これは必要だからです。
(ここで言う軍隊的とは上段の意味を酌んだ上でのご理解を願います)

自分は色々な仕事を経験していて、今現在はその工場労働者です。
毎朝のチームミーティングでは、皆別に並ぶわけでもなく、適当に円陣を組み比較的フランクな態度で臨んでいます。
タバコを吸っている場合もあります。特に咎める必要が無いからです。
しかし、たまにある全体集会では、ヘルメットをかぶらず帽子をかぶり、社服を着てきれいに並んで臨みます。
こういう風に物事を区別して考えて、判断をしているわけです。
軍隊的要素を持った教育が一切必要無いのであれば、こういう判断をすることの学習ができなくはないですか?
ここではやってよい、ここではこうした方が良い、またはだめというバランス感覚ですよ。

まあその、工場労働者が一切必要なければ、そういう教育もまた不要になりますが、
そういうわけにもいきませんからね。彼らが存在するからこそ、資本家は生かされているわけです。
今後不要なのは、こういったバランス感覚の無い、盲目的に仕事に従事する労働者であると思います。
自発的な行動能力を持った労働者は今後も欠かせない存在じゃないでしょうか。

「日本人全体が企業家になるような教育を施すべき」というような事を言われてましたが、
どちらかというと、「社会がどのように成り立っているか」を偏る事なく、教える方向に転換していくのが順当であると思いますね。

59 :RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/04/13(水) 03:04:44 ID:oiaNfQDG.net ?##
>>58
>しかし、たまにある全体集会では、ヘルメットをかぶらず帽子をかぶり、社服を着てきれいに並んで臨みます。

>今後不要なのは、こういったバランス感覚の無い、盲目的に仕事に従事する労働者であると思います。

全体集会自体がバランス感覚の無い、盲目的に仕事に従事する体質を維持する目的で行われるんですけど・・・
工場なんかによくあるんだけど個人を日常的な感受性から切り離して会社に従事する歯車に仕立てようとします。
これがうまくいっている会社の社員の既婚率は非常に低かったりします。
会社に従事する歯車である事に疑問を感じないのは「まわりの事、ひいては集団全体の事を考えて行動する」という事が
日本の学校で学ぶ初歩の学習にもなっているからだと思います。
本来の初歩の学習とは自分の言いたい事をハッキリ言える、誰とでも自由にコミュニケーションがとれる様にする事です。
これはが中村春作「辻本雅史著『「学び」の復権‐模倣と習熟』を読んで」で語られている事であって
軍鯛的な教育とは相容れない物です。
江戸時代における手習塾(寺子屋)や学問塾や藩校の師匠との関係は
制度としてではなく一種の人格的関係としての教える者教えられる者の関係で軍隊的な物とは相容れません。
それ故手習塾における学習法は、個別の学習と指導、そして自学自習である。
また師匠は手本を示すだけで、言葉で教えるのではなく学ぶ者がそれを模倣し習熟する。
個人の試行錯誤が 学力を高める最高の糧となるのである。
つまり、教師は上官であると言う考えを捨て学習する事をサポートしていくのだという考えです。

60 :RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/04/13(水) 03:14:34 ID:oiaNfQDG.net ?##
「セサミストリート」では子供に、君は何がしたいのと聞きます。
僕はこれがしたいんだと答えます。それがしたいんだったらみんなに言わなきゃ。
言わなきゃ周りに伝わらないぞ。
つまり、周りが何を言っていてもしていても、自分がしたいことを必ずちゃんと言えること、
これが一番重要なことだというふうにどこの国でも教えられます。
日本では教えられません。

 そして、そうか、君はそれがしたいのか。でも、ひとりじゃできないぞ。
だれかに助けてもらわなきゃ。そのためには友達をつくらなきゃいけないな。
友達をつくるには、君、魅力的じゃなきゃだめだぞ。
さらに、友達がしてほしいことをしてあげれば、友達は君がしてほしいことをしてくれるぞ。
言いかえれば、これが相互扶助であり、貢献、コントリビューションです。
社会あるいは社会性を媒介しないと本当は自分がしたいことさえできない、
自分の幸せさえやってこないということを学んでもらう。
これが二番目に重要な事になります。

軍隊式だと二番目のみになる。
工場労働者にしても人生を棒に振ってまで会社に従事する人間を育てる様な教育は(ry

私達は言葉を用いて物事をかんがえます。
物事を分析し、論理的文章を書き、他人と建設的に論じあえる力。
具体的には自分の考えを提示し論証したり、大量の情報の要点を整理したり
情報をわかりやすく伝達する技術はあらゆる言葉を使う上で普遍的な技術ですが
自分が言いたい事を相手にはっきりと伝えられると言う教育すらされていない所に
軍隊式の教育の問題点があります。

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