2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ジョージはミカ(16)の胸を弄る

1 :バカは氏んでも名乗らない:2018/07/02(月) 20:51:03.96 ID:AtezEwqP.net
幼妻

10 :バカは氏んでも名乗らない:2018/07/20(金) 03:46:18.51 ID:???.net
age

11 :バカは氏んでも名乗らない:2018/07/24(火) 07:01:36.07 ID:???.net
保守

12 :バカは氏んでも名乗らない:2018/08/04(土) 05:02:59.32 ID:HcCuM6wI.net
http://appnews.lemonblog.co/0803.html

13 :バカは氏んでも名乗らない:2018/08/19(日) 15:18:36.97 ID:???.net
age

14 :バカは氏んでも名乗らない:2018/08/19(日) 18:08:33.46 ID:nPiRWIGP.net
いじる手がない

はい、差別

15 :バカは氏んでも名乗らない:2018/09/11(火) 03:54:23.28 ID:???.net
保守

16 :バカは氏んでも名乗らない:2018/09/11(火) 03:58:42.64 ID:???.net
保守

17 :バカは氏んでも名乗らない:2018/09/14(金) 19:03:08.19 ID:???.net
保守

18 :バカは氏んでも名乗らない:2018/10/03(水) 04:44:42.42 ID:???.net
誰?

19 :バカは氏んでも名乗らない:2018/10/04(木) 20:13:37.38 ID:J2klK9ER.net
>>14
差別反対

20 :バカは氏んでも名乗らない:2018/12/10(月) 20:19:38.77 ID:???.net
age

21 :バカは氏んでも名乗らない:2019/02/04(月) 19:57:57.27 ID:???.net
誰だ?

22 :バカは氏んでも名乗らない:2019/02/28(木) 19:54:04.30 ID:???.net
age

23 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:28:56.93 ID:???.net
age

24 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:31:02.09 ID:???.net
日本ではしばしば謎の健康ブームが到来することは、多くの人々が知るところである。今をさかのぼること
約25年前の1990年、中尾良一氏による著作『奇跡が起きる尿療法』(マキノ出版)が爆発的な大ヒットを記録すると、
すぐさま巷では「尿を飲む」という、なんとも不可思議な健康法が広がった。またそれを受け、テレビで
毎日のように登場する有名タレントまでもが、自身の尿を飲むという行為にあけくれることとなっていく。
同著のヒットよりも前の1984年に発売された同名の書物から、当時は、「朝一杯のおしっこから」という
フレーズが多くのメディアで取り上げられたが、今にして思えばなんとも奇妙奇天烈なキャッチコピーであった。

さて、そんな飲尿療法の話は別として、この国の中には、かつて、「尿を飲む」行為を、医療・健康目的とは
別の形で愛好していた人々がいるという。

「いやいや、今はそんなこと誰もしていないですよ(苦笑)。でも、うちのじいさんが若い頃までは、やっている人もいたって聞いたね」

かつてその地方に存在していたという飲尿の儀式についてそう語るのは、房総半島の東側に位置するとある地域に
今なお住み続けているという山内金也さん(75)。山内さんの話によると、彼の育ったこの地域では、
かつて、性的な意味での“尿”に着目したと思しき、実に奇妙な儀式が存在していたというのだ。

25 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:32:34.86 ID:???.net
「まあ、わかりやすく言いますとね、生娘の尿を飲むという儀式なんですよ。飲んだ人間は、子宝に恵まれるっていう。
だから飲むのは男だって決まっているんです。今にして思えばとんでもない儀式ですけどね、ばあさんの話だと、
みんな当たり前のようにそうしていたそうですよ」
山内さんの話によると、その儀式で尿を提供するのは、
【1】初潮を迎えており、男性との性交経験がない者
【2】陰毛がまばらか薄い体質であり、成長が遅い者
【3】儀式の後も1年間は性交の予定がない者
これら3つが必須項目となっていたそうだ。またそうした性質上、概ねその対象は20歳頃までの女性に限られていたのだという。
そうした少女がいる村は、毎月3のつく日に飲尿の儀式を開催。子宝に恵まれぬ家庭持ちの男たちが村のお堂へと集まり、
近隣の神社から呼ばれた神職が見守る中、少女から排泄される尿を飲みつつ、子宝成就の祈願を行っていたという。
「でもね、まだ尿を飲むだけならばわかるんですよ。いや、そういう目的ではわからないけれども、
まあ、杯なんかに注いだ尿を飲むというなら、まだわかるじゃないですか。けれども、その儀式のときは、
直接口にして飲むんですよ。そう、女の子が股を開いて、そこに男が口をつけて飲むという形式なんだそうです。
今そんなことやったら、それこそ後ろに手が回ってしまうでしょうけれども、当時はみんな子供が欲しくて
必死になってそれをやっていたみたいですよ」

26 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:32:56.89 ID:???.net
話を聞くだけでは、その光景はちょっとマニアックな風俗店のサービスのようにも思えてしまう。
だが無論、それが宗教的な儀式である以上、参加している男性たちは大真面目。山内さんの話によると、
その行為を行うに際に少女の親に払われる報酬は、「今の価値にして50万円くらい」とのこと。
その必死さもどこか頷ける。
「まあ、もしかすると、いつの時代も変態というか、おかしな男はいるでしょうから、子宝祈願なんて
実はどうでもよくて、実際にはそういうことがしたいだけで参加していた連中もいるかもわかりません。
もしかすると昔のそういう人らが、この行為を正当化するために、もっともらしく理由をつけたのかもしれないですけど、
どっちにしたって、今じゃ到底考えられない話です。…え、私? もちろん経験していませんよ、そんなこと(苦笑)」
山口さんが語ったように、そうした「変態プレイ」じみた行為によって、実際にどの程度の効果があったのかは
推して知るべしといったところである。古の世から伝わる儀式というものは、得てしてそうした性質を持つものなのかもしれない。

27 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:35:37.03 ID:???.net
窓の外を流れるその青く透き通った空の下で、けだるそうな面持ちで横たわる小高い山の稜線を横目で眺めながら、
単線を走る車両の揺れに漫然と身をゆだねていると、やがてその勾配からなのか、その景色は少しずつ傾きはじめる。
そのある種、不安定な調和は、独特なまどろみへの誘惑を、乗客たちに与えているようだ。

「五つか六つの頃だったかしらねぇ…ちょうど一番上の姉さんが肺病で亡くなってからすぐのことだから。
その頃の気持ちを考えると、私は今でも胸が苦しくて」

秋田県のとある寒村で暮らす横道タエさん(86)は、今を遡ること約80年前のある日、自宅近くの山の中で、ある不思議な体験をしたことのある人物だ。


「神さんがいるって。あの山には神さんがいるから、近寄ったら駄目だって言われたの。
けれども、子供っていうのは、そういうふうに言われると、興味を持ってしまうものでしょう?だから私、ひとりで山に入ったの」

冬の寒いある日、両親をはじめ、村の大人たちが絶対に近寄らぬように釘を刺していた山に、タエさんは足を踏み入れた。

「本当に寒い日でしてね、かじかんだ手を息でこう温めるようにして、歩いたものでしたよ。歩くてっ言っても、
別にあてがあるわけでもないから、ただふらふらしていたという感じかしら…それで1時間くらいかしらね。
森の中を歩いていると、それはもう、立派な石段があるのを見つけましてね。なんでこんなところにあるんだろう?
っていうことよりも、すごいものを見つけたっていう気持ちのほうが強くて、私はその石段を登ってみたんですよ」

山深い森の中で偶然見つけた石段をタエさんが登りきると、そこには山の中だというのに立派な石灯籠が
いくつも並ぶ参道のようなものが現れた。しかもその灯篭の中には小さな火がともり、奥にある神殿ような建物へと続いていく。

28 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:36:01.96 ID:???.net
「それはもう、びっくりしましたよ。そんなものがあるなんて思いもしなかったですから。でもね、子供だったんでしょうね。
なんだか急に怖くなってしまって、石段を登ったはいいけども、どうしていいのかわからなくなってしまったの。
それであたふたしていたのだけども、そしたら下の方から何人か人がやってくる気配があって。慌てて石灯篭の影に身を隠しましたよ」

参堂脇の灯篭の影に身を隠しながら、息を殺して気配の方を覗き込んでみると、そこには、ナマハゲのような鬼面をつけた人影が、
列をなして奥へと進んでいく姿があった。彼らは口々に呪文のような言葉を呟き、列を乱すことなく、ゆっくりと神殿へと向かっていく。
タエさんは彼らが中に入ったことを確認すると、その好奇心から、ゆっくりとその後を追うようにして神殿へと進み、
格子戸の隙間から中を覗き込む。

「私ね、覗き込んでハッとしましたよ。なにせね、大きな神棚みたいな場所に、一番上の姉さんが、白装束で立っていたのですから。
その前にかしずくように鬼面の人らがいるわけなんですけどもね、そうこうしているうちに姉さんが、その装束を脱ぎ捨てて、裸になってしまったの。
するとね、鬼面たちが一斉に姉さんに群がって…私はね、まだ子供だったから、なんだか怖くなってしまって、
石段を転がるようにして逃げたの。けどね、転んでしまって…そこからしばらくどうなってしまったか今でも思い出せないの」

石段で転び、気を失ってしまったタエさんが気づくと、あろうことか、そこは山から遠く離れた自宅の寝間であった。
薄暗い室内で目を凝らすと、横には寝息をたてる年下の妹たちが、そして柱時計の針は既に丑三つ時を指していた。
彼女は直前まで目の当たりにしていたと思っている光景と、今、自分が置かれている状況との差に、少なからず混乱してしまったという。
無論、彼女自身が言うように、それが夢の中で見たものなのか、はたまた、実際に見たものなのかの判断は難しい。

「あれは本当に不思議でね…今でも夢かどうかわからずにいるの」

続く

29 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:36:42.86 ID:???.net
それから程なくして、山奥の神殿で、不可思議な裸の儀式を行っていたというタエさんの姉は、肺病を患い、
わずか19歳の若さでこの世を去ってしまったという。しかし、その死が訪れるまで、タエさんはあの日見た光景について、
彼女に尋ねることはできなかったそうだ。

ただ、ある郷土史家によると、かつてその集落の近くでは、不作や天候不順などが続くと、村の中から生娘をひとり選び、
神の前で鬼とまぐわうという儀式が存在していたという。仮にタエさんが見たナマハゲ風の鬼面をつけた男衆たちが「鬼」だとするならば、
タエさんの姉は、もしかするとその儀式における生贄のような存在であった可能性も否定できない。

タエさんがあの日垣間見た世界があるという山の稜線を、流れる車窓から眺めていたが、突如として現れた雑木林に遮られる形で、見えなくなってしまった。
ハッと我に返って、深緑の景色が切れるのを待ったものの、思いのほか距離が出てしまったのか、そこにはもう、あのけだるい稜線の姿はない。
外に広がる長閑な田園地帯は、小春日和のゆるやかな日差しに照らされている。

終わり

30 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:38:13.52 ID:???.net
毎年1月になると、御屠蘇気分も抜けないままに、我が国においては振袖・羽織袴の新成人たちが街角を歩くようになるが、
かつてこの国においては、なんとも不可思議な「成人の儀」が存在していた。長野県北部のあるひなびた集落に住む山口利三さん(87)は、
そうした習慣を目の当たりにして育った最後の世代だ。

「今じゃね、成人式っていうと、羽織袴に晴れ着っていうのが相場でしょ。みんなで式典なんかに参加してね。
飲めや歌えやの大騒ぎだ。ホント、別の意味でいい時代になったものだね(笑)」

毎年行われる成人式関連の話題を横目で眺めつつ、山口さんはかつてこの集落に存在していた独自の「成人の儀」について、ゆっくりと語りはじめた。

「もう70年近く前のことなんだけども、その頃まではね、このあたりにも、集落ごとに成人の儀式が決まっていてね、
私なんかもそれをやった口なんだよ。それはね、もう今じゃ考えられないようなものでさ、それこそ今同じことをやったら、
たちどころにテレビや新聞なんかで取り上げられちまう(苦笑)」

山口さんがかつて経験したという「成人の儀」とは、言ってしまえば、その歳に成人する若者たちが全員で参加する夜這いだった。
それが口伝的に伝わるものであるがゆえに、地元の郷土資料館などでも詳しい史料を見つけることはできない。
だが、この集落においては、古くは江戸中期頃からこうした儀式が行われ、少なくともそれは、山口さんが成人を迎えた
昭和10年代後半頃まで続いていたのだという。

「一般的な成人式っていうのは、昔から一月の上旬だろう?けれども、このあたりじゃ、正月の松の内が明けた瞬間に始まるんだよ。
真夜中に日付が変わるだろう?そこから始まって朝の日が昇るまで。それまでに、全部ケリをつけなくちゃなんねえんだ」

31 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:38:44.57 ID:???.net
山口さんの話によると、正月明けの深夜になると、その日、成人を迎える男たちは一斉に家を出、同じく成人を迎える女の家へと一目散に駆け出していく。
そしていわゆる『夜這い』をかける形でセックスし、その想いを遂げるのだという。

その際、女の元へと辿り着いた順に「一番槍」「二番槍」「三番槍」という優先順位が決まり、その順番でしか女と交わることはできない。
つまり、それよりも前に相思相愛の関係にあった男女がいたとしても、誰かが先にたどりついてしまえば、「こと」が終わるまで
指を咥えて待っていなくてはならないというわけだ。しかもこの儀式の間に、ひとりの女も抱けなかった男は、

「不具者扱いされて、そりゃあ、もう村八分状態だよ」(山口さん)

というから、まさに一か八かの儀式であると言える。

「そりゃあもう、気が気じゃねえよ。だって、足が遅かったり、自分の家と相手の家が離れていたら、
他の男に寝取られてしまうわけだからさ。けれども、たとえば別の男と恋仲になっとる女に横恋慕しとる男からすりゃあ、
恋仲になれなくとも一回は確実に抱けるかもしれない一発逆転の大チャンスというわけ。これが本当の横槍だよな(苦笑)」

儀式が行われる晩、見事、「一番槍」を突き立てた男からその想いを伝えられた女は、もしその想いを受け入れる気があるのならば、
その後、結婚を前提とした交際関係を認められるのだという。しかし、女が首を縦に振らなければ、一番槍以降も、二番、三番、四番という具合に、
朝日が昇るまで複数の男たちと枕をともにすることとなるのだ。

「まあ、私の場合はね、ハナから相手を決めてたから、その日は全力で駆けて、もちろん、一番槍を手に入れたよ。
それが今の女房なんだけどもさ、それこそ一歩遅れてたら、他の男にとられてしまったかもしれねえんだ。
運も良かったんだろうな、なにせうちの女房は器量よしだったからさ」

続く

32 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:39:26.23 ID:???.net
こうした儀式が成立した経緯については、不明な点も少なからず存在するが、実はこの手の儀式は世界中の至るところで、
今なお確認することができる。たとえばそれは「歌合せ」のような会であったり、力ずくの誘拐のようなものであったりと実に様々である。
だが、文化や風土の異なる国や地域で、類似点を多く持つ儀式がある点は実に興味深い。

「私もね、詳しいことはよくわからんのだけども、男にとっちゃ死にもの狂いで好いた女を抱きに走るわけだから、
そりゃあ嫁にもらった後だって、大事にするさ。女にしたって、好きでもない男に抱かれる危険を味わいながら、
好いた男を待つわけだから燃えるだろう?携帯電話やなんかで簡単に好きだのへったくれのだって言い合えて、
パソコンだかなんだかで抱ける女探したり、股を開いたりできる時代の子らからすりゃあ、こんなこと、わかりゃしねえかもしれないけどな」

山口さんがその儀式を体験してから、早いもので既に約70年の歳月が流れた。その間に多くの若者たちが新成人となり、
やがてはその子供たちが恭しい表情で式に臨む姿を見送るといった光景が、この国の至るところで展開していたことだろう。
無論、現代の若者にとって過去の不可思議な習慣は、興味すら抱けぬ存在に過ぎないだろうが、そうした歴史の上に今の自分があることを、
心の片隅に留めて頂きたいところである。

終わり

33 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:46:02.76 ID:???.net
その独特な衣装に身を包んだ男たちが「泣く子はいないか」と一軒一軒訪ね歩く秋田のなまはげ。
同様の儀式・風習は全国各地で伝承されているが、そうしたものの中には女性、
それも年端のいかぬ少女たちだけを対象とする、なんとも奇妙なものも含まれている。

「…言われてみれば、女の子だけというのは、たしかに珍しいのかもわかりませんね」

自らが生まれ育った近畿地方の“とある地域”にのみ存在していたというその風習について語り始めたのは、
奈良県橿原市在住の無職・小野澤健一さん(仮名・68)。その詳しい成立時期や、いわれなどについては不明ながらも、
小野澤さんの証言によると、その儀式とは概ね、次のようなものだという。

「一言で言ってしまうと、春の祭りの夜になると、女の子たちを“食う”鬼が現れるんですよ、
あのあたりの村では。もちろん、儀式としての“鬼”であって、中身は村の男たちなんですけどね。
食うってたって、別に煮て焼いて口にするっていうわけじゃないですよ? 要は性行為をするということです」

祭りのある夜、各家の少女たちは、鬼面の男たちが現れるのを自宅にて待つ。その際は予め湯を浴びて身を清め、
白装束に着替えた状態で待機するのだという。すると、どこからともなく、鬼面をつけた2人組の男たちが家へと侵入し、
少女のまだ未成熟な肉体を、一方的に弄んでいく。無論、それが厳かな儀式として位置づけられている以上、
その子の両親は、鬼に対して一切抗うことはなく、少女の肉体が貪られるままに任せて、行為が終わるのを
物陰でひたすらじっと待つのだという。

「要は、『いたずら』ですよね。いい年した男たちが、年端もいかない女の子を“なぶる”わけですから。
だからね、世の中ではどうか知りませんけども、あの辺で生まれ育った女の子たちは、成人する頃までに
何十人という、いろんな男たちに抱かれてるんです。私も思春期にそのことを知って、
ああ女でなくてよかったとホッとしたものですよ」

34 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:46:25.26 ID:???.net
少女たちは下が5歳、上は15歳。無論、そうした行為は、年端も行かぬ少女たちにとって、受け入れ難いものである。
それゆえ、この風習が元で心に深い傷を負い、精神を病んでしまう少女たちも少なくないのだという。

「村はずれに沢がありましてね。そこに身を投げる子も結構いたそうですよ。きっとあのおぞましい体験を思い出して、
それに耐えられなくなって精神を病んでしまったんでしょうね。もっとも、そうしたことですら、今の住民たちは
誰ひとりとして、知らないでしょうけども…」

小野澤さんの話によると、平成の世に入って久しい今は、こうした風習もいつのまにか姿を消し、
当時のことを知らぬ世代によって、集落には平和な時間が流れているという。

しかし今もなお、村はずれの沢の傍らには、心を病んで身を投げた少女たちの、無念の死を悼む碑だけが、ひっそりと佇んでいる。

35 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:51:11.20 ID:???.net
最近ではインターネットという仮想空間を舞台とした「なりすまし」が社会問題と化しているが、こうした行為は、
何も仮想空間だけで起きるものではない。人と人とが実際に直接触れ合う現実社会においても、発生し得るものなのである。
「“なりすまし”って言えばそうなのかもしれないけれども、正しくは、ひとり分の人生をふたりがかりで生きるっていうのかな。そういう風習はありましたよ」
今回、ある「なりすまし」に関する奇習について証言してくれたのは、今なお秋田県のとある寒村地帯に住む
阿部田仙吉さん(仮名・89)。彼の生まれ育った当地においては、かつてなんとも奇妙な風習が存在していたという。
「戦争のときなんかもそうだったけれども、旦那に先立たれたね、後家さんっているでしょう?
そういう人が出るとね、別の男が新しい旦那になるんです。村の人でそういう人を探してね。
けれども、それは別の人としてではなくって、死んだ旦那さんの代わりを演じるんですよ。
そう、だからその日から何食わぬ顔をして、新しい旦那さんと後家さんが暮らすっていう」
要は、若くして寡婦となった女性のために、その集落に住む人々が協力しあい、別の男を用意するという話のようだが、
果たしてそう造作なく、そうした人材が調達できるものなのか。

36 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:51:33.63 ID:???.net
「昔はね、なんだか素性の知れないような流れ者みたいなのが結構いたんですよ。外地から引き上げてきた人だの、復員兵だのって。
あとは他所で事件を起こして逃げているような奴とかね。とにかくそういう人を見つけてきては、亡くなった旦那の後釜に据える。そういう話です」
たしかに、戦地からの引揚者が多かった終戦直後の日本においては、帰るべき家や、再会すべき家族を失い、
路頭に迷った者も少なくなかったという。こうした傾向はその後に訪れた高度経済成長期まで続き、
たとえば全国各地に点在する温泉街などでは、そうした素性知れずの、ある種の「流れ者」が、現地での労働に従事していたものだという。
「もうね、あれから何十年も経ってしまったから、当時の人なんて生きちゃいないだろうけれども、
そういうふうにあつらえた旦那との間に生まれた子供なんかは、まだ生きていると思いますよ。
まあね、今じゃ考えられないだろうけれども、当時はそれで通っちゃったものです」
そうしたある種、牧歌的で「ゆるい」時代とは異なり、平成の世になってから久しい今では、
無論、そうした素性を隠した「正体不明の流れ者」ともいうべき当時の人々は、そう多くは生きてはいないことだろう。
しかし、その一方で、毎年のように数多くの人々が謎の失踪を遂げていることもまた事実。
もしかすると我々の隣で当たり前のように暮らしている人々の中にも、そうした人々は紛れこんでいるのかもしれない。

37 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:53:33.96 ID:???.net
日本から遠く離れたヒマラヤの国・ネパールの山岳地帯では、かつて、年頃の男女のカップリングを目的とした
歌合せの儀式が存在し、今なお同国の寒村地帯の一部では、同様の儀式が行われていると言われている。
またこの日本においても、かつて、歌や踊りを交えつつ、今で言うところの「乱交パーティ」へと雪崩れ込む、
なんとも不思議な儀式が存在していたという。

「私の育った村はね、本当に小さい村でね。それこそ、村人のほとんどが親戚みたいな場所。
だから年に1度開かれる隣村との祭りのときはね、それこそみんなで胸を高鳴らせたものだよ」

その若き日に経験したという「乱交祭り」についてそう語り始めたのは、群馬県の北東部にある山あいの村に暮らす
元農家・柴田善造さん(仮名・93)。柴田さんの話によると、毎年秋の収穫の時期になると、5キロほど離れた
隣村の住民たちと合同で、その「祭り」が開かれていたのだという。

「祭りの日はね、昼間、普通の祭りをやるんだよ。要は収穫祭みたいなの。けれども、日が沈んで暗くなってくるとね、
みんな一度、家に戻って支度するんだよ。それで夜の9時になるとね、隣村とうちの村の境くらいの場所にあるさ、
庚申堂に集まってね。そこからが大人の祭り…」

38 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 19:53:55.31 ID:???.net
秋の収穫祭が行われた日の夜に、村境の庚申堂に集まったふたつの村に住む成人の男女たち。
男は褌1本、女は襦袢1枚を羽織っただけの半裸に近い姿で、またそれぞれが目出し帽のような頭巾被って集まると、
頃合を見計らい、笛や太鼓の音がどこからともなく鳴りはじめる。すると、狐面を被った神職が堂の入り口へと現れて、
この村に古くから遺されている軍配団扇を振りかざし、彼らに合図を出す。それが宴のスタートというわけだ。

「最初はね、なんだろう、若い人風に言うと、ダンスみたいなものかな。みんな、動物の動きを真似した
へんてこな踊りをして奇声を上げるんだよ。そうするとね、酒の勢いもあるのか知らんけど、だんだんムラムラしてきてね。
気づくと、誰からともなく交わりはじめるというわけ。それでしばらく交わってお互いが果てると、
今度は相手を交代してまた交わる。それを丑三つ刻まで続けるっていう祭りなんだよな」

頭巾を被った男と女が、笛や太鼓の音に合わせるように、ただひたすらに交わり続けるという異常な光景。
無論、頭巾を被っているせいで、お互いの素性はわかりはしないが、男女ともに足の踝付近につけた目印で、
お互いの住む村だけを識別し、同じ村の者同士とは交わらないという取り決めになっていたのだという。
「もともとあのあたりはね、昔から人が少なかったから。だから少しでもいろんな血が混ざって、
子供ができるようにっていう狙いがあったんじゃないかな…。詳しいことは今でもわからないのだけどもね」

これまでも何度か紹介しているように、日本全国の寒村では、子宝祈願などの名目で、実に様々な形での乱交行事や、
夫婦交換が行われてきた。このことは、多くの人々の知るところであるが、どうやら群馬県の一部で
昭和初期まで続いていたというこの祭りもまた、そうした儀式のひとつだったと言えそうだ。

39 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:02:17.88 ID:???.net
俗に、長年連れ添った夫婦というのは体の隅々まで、それこそ、黒子の数でさえも、正確に把握しているという。
今回はそんな夫婦の「絆」を確かめるべく、かつて西日本のとある地域で行われていた“一風変わった儀式”について、ご紹介したいと思う。

「そらね、長い間一緒にいれば、お互いのことはよくわかっていますよ。
けどね、それで本当にすべてがわかっているか?って言えば、必ずしもそうとは言えないのが男と女という生き物でしてね…ハハハ」

ミッドナイトブルーのグラデーションがかかったサングラスの奥に見える瞳を輝かせながら、我々の取材に対して
そう語りはじめたのは、現在、神奈川県の湘南エリアにある長女宅に身を寄せているという無職・武藤敬之助さん(仮名・82)。
彼が生まれ育った九州のある地方(※武藤さんの要望で、詳しい場所については明かせないが、ここでは仮に
“福岡県の中心部から50km圏内のとある地域”とさせて頂く)では、かつて“夫婦の絆”を確かめる「ある儀式」が行われていたという。

「まあ、どこからお話すればよいものやら…といった感じではありますがね、私の生まれ育った地域はですね、
今でこそ、ビルなんかも建って、それなりには栄えていますけれども、昔は本当、人家もまばらな、それこそ何もない場所でしてね。
よその地域に住む人なんかからすると、本当、田舎もいいところだったと思うんです。けれども、あの土地で昔から行われていた
風習というんですかね、そういう儀式みたいなものだけは、県内でも割と有名だったんですよ。なにせ、その集落全体でね、
夫婦が相手を変えて夜の営みをするわけですから!」

その頬を紅潮させながら興奮気味に語る武藤さんの話によると、昭和40年代半ば頃まで、その地域では、
各世帯に暮らす夫婦が、お互いを交換してセックスに励む、なんとも変わった風習が存在していたという。

40 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:02:53.10 ID:???.net
建前上、それは「夫婦の絆を確かめるためのもの」(武藤さん)であったというが、その内容たるやにわかに信じがたいものであった。

「たしか隔週の土曜日ごとでしたかね、あれは。どの世帯でもその夜は晩御飯を早めにすませて…
そう、たしか8時頃だったと思うんですが、早めに家の明かりを消して、床につくんです。
ただし、その時は奥さんの方だけ、目隠しをする。すると、どこからともなく、別の家の旦那さんが入ってきて、
その家の奥さんを抱こうとするんです。その晩はどの家でも裏の戸を開けてありますからね。誰でも入れちゃう。
それで、肝心の事が終わると、その旦那さんは別の家へと出かけてしまうんですね。それで抱かれた側の奥さんは、
その場に置き去りにされて、また別の家の旦那さんがやってくるのを待つという。それを朝まで繰り返すんですね」

武藤さんの話をまとめるとこうだ。まず、時間になると、あらかじめ決められたある家のご主人が自分の家を出て、
集落の中にある別の家へと訪れる。すると、それを合図に、その家のご主人もまた、別の家へと向かう。
彼らはそれぞれの家で自分のパートナーとは違う女性とセックスをした後で、また別の家を訪れ、そこでも人妻を抱く。
つまり、玉突き的に男衆だけが各家庭を順に訪れていき、その先々で、よその奥さんを抱き続けるという内容だ。

「…でね、そうやって旦那さんたちが各家の奥さんを抱いては移動して、抱いて…というのを繰り返していくでしょう?
すると、やがては自分の家に戻ってくるんですね。それは途中かもしれないし、最後かもしれないんですけども、
とにかく、また自分の家に戻るときがあるんです。すると、その旦那さんは、あくまで他人のふりをして、
自分の奥さんを抱くんですよ。そして、事が終わると、何食わぬ顔をして出ていってしまう…そういうのを朝まで続けて、
日の出と共に、それぞれの本当の家へと戻っていくんです」

続く

41 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:03:30.25 ID:???.net
そんな不可思議な“セックスラリー”とも言うべき行為を続けた後で、夜明けとともに自宅へと戻った各家のご主人たちは、
自分の奥さんに対して、「自分が何番目に抱いた男か?」という質問をするという。その結果、正解すればそれ以降も夫婦関係は続き、
不正解となった場合は、奥さんに対して三行半が突きつけられるのだそうだ。

つまり、奥さん側からすれば、一晩のうちに自分を抱いた複数の男たちの中から、自分の夫を見極めて当てなくてはならず、
外れれば離縁されるという、なんとも不条理な儀式なのである。

「まあ、なんであんな儀式みたいなものが行われていたのか、私もよくわからないんですけれども、私の知る限り、
不正解で離縁された奥さんはいなかったように思います。やはりですね、女性にとっては、自分の慣れ親しんだ男の味というものは、
たとえ目を塞がれていても、わかるものなのかもしれませんね」

ちなみに、武藤さんの話によると、この「男根テイスティング」とも言うべき奇妙な儀式は、いつの間にか姿を消し、
今ではその地元民の中でさえも、詳しい内容を知る者はほとんど存在しないという。詳細については不明な点も多々あるが、
いずれにしかり、牧歌的な時代ならではの、なんとも変わった夫婦交歓の儀式と言えそうだ。

終わり

42 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:05:16.49 ID:???.net
生別か死別かは別として、夫と離れた後に、女手ひとつで我が子を懸命に育てている女性は、今でも数多く存在している。
そうした女性が、後に別の男性と所帯を持った場合に、女性の連れ子が女児の場合は、継父から性的虐待を受けたりといった
深刻な事態が発生することも少なくない。しかし、かつてこの国においては、そうした継父による性的虐待が、
当たり前のこととして行われて、むしろ推奨にも誓い形で定着していた地域が存在している。

山梨県の甲府盆地から少し北方へと車を走らせたある寒村。周囲に点在する観光地とは裏腹に、ひっそりと静まり返ったその村で、
今なお細々と農業を営む義家敬三さん(仮名・78)は、かつて当地で行われていたその儀式について知る、数少ない生き証人のひとりだ。

「戦争がね、終わりの頃にさしかかってくると、みんな兵隊でとられてしまってね、本当に誰もいなくなってしまったんですよ。
私はまだ子どもだったからよかったけれども、ちょっと上の世代までは、兵隊で行って、戻ってこなかった。本当にいやな時代でしたよ…」

たしかに、太平洋戦争末期となると、日本全国の男たちが戦地へと借り出された。ある者は南方のジャングルで
その白骨を晒し、またある者は遠くシベリアの地に投獄されたまま餓死……、祖国の地を二度と踏むことなく、
最果ての地でひっそりと息絶えた。また、同時にそのことは、国内において、多くの寡婦を生むこととなった。
それは義家さんが住むこの山間の村とて例外ではなく、終戦を迎える頃になると、村からほとんど男衆の姿がなくなってしまったという。

43 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:06:04.90 ID:???.net
「日本が負けて、少しずつだけども、みんなで力を合わせてまた元のような暮らしにしようっていうことになったけれども、
もうその頃は村中が後家さんばかりでね。うちの集落だけじゃないよ、この辺はみんなそうだったんです。
だから村の偉い人がね、後家さんたちを再婚させようとして、一計を案じたっていうわけです」

義家さんの話によると、男手がなくなったことで田畑を耕す手も足りなくなったことから、付近一帯をとりまとめる有力者が手引きする形で、
零細農家の寡婦たちは、一斉に再婚を目指したという。しかし、折りしも当時は日本全国で男手が足りなかった時代。
そうやすやすと再婚相手が見つかるはずもない。そこで考え出されたのが、通称「二婦貰い」と呼ばれる制度なのだという。

「後家さんの年齢は様々だけれども、昔は今よりも子どもが多かったから、どの家にも必ずひとりやふたりくらいは、
女の子がいたものでしてね。要はそういう子らをダシに使って、助平な男たちを集めようっていう腹でした。
今にして思えば酷い話かもわかりませんけどね、当時はみんな生きるので精一杯でしたから。
そのためには田んぼや畑だって耕さなくちゃならない。当の後家さんたちからすりゃあ、無念だったでしょうけども、
迷っている暇なんてあったもんじゃなかったんでしょうね」

44 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:07:31.14 ID:???.net
男というのは心底救いようがないもので、山奥の田畑しか持たぬ寡婦相手には、再婚希望の手を挙げなかったものの、
それがその家に暮らす娘と「セット」ともなれば話は別。邪な欲求に突き動かされた男たちによって、
相次いでこの集落の再婚話はまとまり、終戦の翌年の夏頃までには、ほぼ全世帯が再婚した状態となっていたのだという。

「そりゃあね、“そういう目的”で集まってきた男たちだから、女の子が多い家の方が引く手がありましたよ。
ひとりよりふたり、ふたりより3人っていう具合にね。けども、そういう継父のね、なぐさみものになるのが
よほど耐えられなかったのか、中学を出る頃には、そういう子らはみんな都会へ出ていきましたよ」

無論、現代の常識で考えれば、この「二婦貰い」の制度は、年端もいかぬ娘たちが犠牲になったことを思うと、胸の痛む話でしかない。
しかもそれは彼女たちを生んだ母親、すなわち、夫に先立たれた寡婦たちにとっても、大きな痛みを伴うものであったはずだ。
しかし、そうした苦渋の選択をせねばいられなかったほどに、生活が困窮していたこともまた事実。

いつの世も、戦争における犠牲者というのは、兵士として戦場で命を落とす者だけではないのである。

45 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:46:59.48 ID:???.net
男というのは心底救いようがないもので、山奥の田畑しか持たぬ寡婦相手には、再婚希望の手を挙げなかったものの、
それがその家に暮らす娘と「セット」ともなれば話は別。邪な欲求に突き動かされた男たちによって、
相次いでこの集落の再婚話はまとまり、終戦の翌年の夏頃までには、ほぼ全世帯が再婚した状態となっていたのだという。

「そりゃあね、“そういう目的”で集まってきた男たちだから、女の子が多い家の方が引く手がありましたよ。
ひとりよりふたり、ふたりより3人っていう具合にね。けども、そういう継父のね、なぐさみものになるのが
よほど耐えられなかったのか、中学を出る頃には、そういう子らはみんな都会へ出ていきましたよ」

無論、現代の常識で考えれば、この「二婦貰い」の制度は、年端もいかぬ娘たちが犠牲になったことを思うと、胸の痛む話でしかない。
しかもそれは彼女たちを生んだ母親、すなわち、夫に先立たれた寡婦たちにとっても、大きな痛みを伴うものであったはずだ。
しかし、そうした苦渋の選択をせねばいられなかったほどに、生活が困窮していたこともまた事実。

いつの世も、戦争における犠牲者というのは、兵士として戦場で命を落とす者だけではないのである。

46 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:49:28.04 ID:???.net
「一体、誰があんなことを始めたのかわかりゃしないんですけどね、そういうもんがね、とにかくあのあたりの集落にはあったんですよ」

今回、我々の取材に対してそう語り始めたのは、栃木県の北東部に位置するある農村地帯に住む古老・
新井喜平さん(仮名・89)さん。彼は自身が生まれ育った地域に存在していた、なんとも奇妙な風習が
未だに鮮明に記憶として残っているという。

「どこの家でも、嫁さんが普通の交わりをしないというか……、裸で旦那の顔に跨るというのをひたすら繰り返すんですよ。何時間も」

たしかに世の男女の中には、その性交時、定番となっている体位のほかにも、それこそ四十八手のすべてを試そうとする猛者も
少なからず存在しているだろう。だが、新井さんの話によると、この地域における「顔面騎乗文化」とも言うべきそれは、
そうした個々人の性癖や性衝動によるものとは一線を画している。あくまで「守るべき習慣」として、村人全体に定着しているものなのだという。

「詳しい経緯はよくわからないんですけどもね、昔からあの辺りの村ではそういう形で夜を過ごしていたそうなんです。
何もない地域ですからね、よそから引っ越してくる人もいない。だからみんな何の疑いもなく、“守るべきこと”と信じて、
昔から、ずっと繰り返してきたんだと思います」

47 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/16(土) 21:49:50.63 ID:???.net
とはいえ、こうした「顔面騎乗プレイ」とも言うべき行為ばかりを続けていれば、当然、挿入による男性側の射精や、
それに伴う形で発生する受精の機会も限られてくる。新井さんの話によると、そうした問題を解決するためなのか、
「顔面騎乗のみの営み」とは別に、「挿入・射精のみの営み」も設けられているのだという。

「その跨りの営みとは別にね、挿れるだけの営みというのもあって。
なんで好き勝手にさせずにそんな面倒なことをさせるのか?って、私も思いますけどもね…どうしてなんでしょうかねえ……」

それが村人全員の中に根付いていた以上、もともとは誰かがこの行為に対して正当性を見出し、それを周囲に喧伝することで成立、
後年まで長く続く習慣として定着したと推測される。だが無論、今となっては、一体誰がこのような行為を広めたか、
またそこに本来、どのような意味が込められていたのかを、現代の我々が知る術はない。

栄華を極めた後で、ある日突然、一瞬にして跡形もなく消し飛ぶ古代文明のように、
文化や生活様式というものは、得てしてそうした性質を持つものだと言えそうだ。

48 :バカは氏んでも名乗らない:2019/03/18(月) 23:38:41.24 ID:???.net
ズョーズィ

49 :バカは氏んでも名乗らない:2019/05/26(日) 14:14:23.55 ID:???.net
保守

50 :バカは氏んでも名乗らない:2019/07/14(日) 19:59:50.64 ID:???.net
どこのジョージさん?

51 :バカは氏んでも名乗らない:2019/08/26(月) 18:49:36.05 ID:???.net
しらんがな

52 :バカは氏んでも名乗らない:2019/09/06(金) 17:32:12.31 ID:???.net
37歳男が下半身を露出し歩行、現行犯逮捕 「普通に歩いていただけ」と容疑を否認し怒りの声殺到
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1567568135/

53 :バカは氏んでも名乗らない:2019/10/03(木) 07:12:18.87 ID:???.net
昔遊んだジョージって漫画あったよな

54 :バカは氏んでも名乗らない:2019/10/27(日) 09:27:01 ID:???.net
age

55 :バカは氏んでも名乗らない:2019/11/16(土) 17:06:01 ID:???.net
保守

56 :バカは氏んでも名乗らない:2020/01/14(火) 18:04:07 ID:???.net
保守

57 :バカは氏んでも名乗らない:2020/02/07(金) 18:07:59 ID:???.net
カッとなって旦那の睾丸を握り潰そうとしたら、嘔吐しながら初めて殴られた

58 :バカは氏んでも名乗らない:2020/03/24(火) 15:12:12 ID:???.net
当たり前

59 :バカは氏んでも名乗らない:2020/05/05(火) 11:47:31 ID:???.net
>>57

総レス数 59
38 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★