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秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:17:02 ID:3MqG1Y870.net
秀吉が大明国に攻め入った時、
その兵の人数はヌルハチが明を倒した時の10倍。
軍事力では朝鮮には楽勝して明だって倒せるレベル。
実際に陸では連戦連勝。

でも海が駄目だった。秀吉が海賊禁止令なんて出すから
船の技術の進歩が遅れていたんだ。
海戦で負けて補給路を断たれた。それで現地の兵は
篭城とか苦しい戦いを強いられたんだ。

でも負けて良かったかもね。日本が中国征服したら
中国が勢力回復した時に日本も吸収されただろう。
実際に満州民族は明を滅ぼし清を立てたが
清王朝が滅亡した時、満州もいつの間にか
中国のものになっていた。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:31:02 ID:4eCPVGmN0.net
日本は海に囲まれて外敵から守られてきたけど、
逆に攻めて行くのも大変だね。



147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:18:57 ID:DJNAKqCo0.net
>>145
いや、当時は海外貿易が盛んだったから情報や技術の最先端が日本にあった
はず


148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:36:38 ID:kUQs2Tdn0.net
少なくとも、明国内の状況に対する知識という点において、
でも豊臣秀吉とか、主立った大名連中の知識はかなり乏しかったはず。

異民族を統治することがどれだけ大変か、実感として分かっていなかっただろう。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:13:29 ID:17GBGVst0.net
>>137
この当時の日本の人口は、推計によってまちまちだけど、
千数百万人ぐらい?

人口差は、大雑把に1:10ぐらいの差かな?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:38:57 ID:qlgOQugU0.net
万暦年間の明軍の総兵力の実数は、大幅に定員を割り込んでいて、
50万人ぐらいだったらしいね。
それで、文録・慶長の役で、朝鮮半島に送り込んだ兵力が恐らく最大で10万人ぐらい。
江南に直接攻め込んだ場合でも、直接対峙する兵力は20万人以下じゃないかな。
辺境に張り付かせた兵力を全て一点に集中させることは不可能だし。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 09:19:59 ID:6WKUj2yV0.net
万暦の三征ってほぼ同時期に起きてるんだね。
うまく連携が取れてれば…とも思うけど、難しいか。

距離も離れすぎてるし。

やっぱり女真族だよな〜

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 14:50:30 ID:4+a9Ykwc0.net
寧夏やら貴州やらでは、連携を取るのは無理だろうね。
しかも乱を起こした両者は、明朝と繋がりのあった人物だし、
一時的に日本と手を組んでも、すぐに裏切りそう。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 16:14:17 ID:tu5YB08B0.net
明の軍隊は、将兵共に、一般的にはかなり質が低いけど、
たまに優秀な指揮官が現れると、見違えるほど強い軍隊になったりすることがある。


154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 22:35:01 ID:+QmC2J4c0.net
ただ中央の文官が保護してくれなきゃ誅殺!

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:27:11 ID:gvAZl7lL0.net
あまり功績を上げすぎると、妬まれたり、
あるいは危険視されたりする。

中央の上司に理解のある人がいるといいんだけど。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:40:22 ID:z2Cr7Hb00.net
岳飛・・・・・・

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 23:29:30 ID:ARwXX2Z70.net
>>153
と言うか、明朝の場合、皇帝の座に、ものすごく有能な人物がついたら、
一気に国として強くなるように思う。


158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 23:54:39 ID:qs15dPtQ0.net
皇帝の身に独裁権力が集中しているからね。

万暦帝が永楽帝みたいな皇帝だったら、張居正が建て直した財政をそのまま維持し、
場合によっては親征、日本への逆侵攻も考えたかも。

ま、日本を攻めるってのは容易なことじゃないけど。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 13:47:02 ID:DZp+vL+i0.net
つくづく日本は海に囲まれてよかったと思う。
今でも、海に囲まれていることが、
国防上、ものすごく有利に働いているし。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:56:39 ID:lFZrPZFlO.net
本当は過去に一度ぐらい痛い目にあった方が寧ろ日本の為になったのに・・・

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:23:12 ID:9+//72510.net
>>160
まぁ第2次大戦で痛い目にあって、それを肥やしにできたから結果オーライじゃね?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:25:16 ID:3dm/VTCV0.net
頑張れば行けたんじゃね?頑張ればな。
だが出来なかった、だからこの話はこれで終わり。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:41:19 ID:bAr99ni90.net
結局、中国を統治するのに、一番効果的なのは、
既存の行政システムを取り入れること。

ただ、それは漢化を意味するわけでもある。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 02:08:55 ID:KkwY9sLx0.net
>>162
だから、どう頑張れば良かったのかを検証するスレだろw

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:07:29 ID:iy2w6cIIO.net
>>161
それじゃ遅すぎだ、蒙古に蹂躙されてた方がこの国の為になってたと思われ・・・

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:56:39 ID:eqnoPpCV0.net
>>152
他の民族と連携を取るのは大変なので、まずは、
日本単独で攻めることを考えよう。

まず史実通りに朝鮮半島へ侵攻するか、海路で明本土への侵攻を画するか。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 21:45:26 ID:HMFhqzWJ0.net
日中戦争でも日本軍は戦闘を優位に進めたけど
広大な領土を占領することはできなかった。
結局負けるし。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:19:04 ID:bfRcKxn80.net
戦術的な勝利を積み重ねても戦争に勝てるとは限らないんだよね。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:23:22 ID:KkwY9sLx0.net
朝鮮と琉球押さえて、有利な条件での講和がベストじゃなかったか。
で機を見て(必要なら)台湾や江南へGOみたいな。

満州はさすがに無理そう。
ヌルハチ手強そうだし。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 22:24:52 ID:KfX1Bpce0.net
家康に留守をつかれて糸冬じゃない?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 23:22:32 ID:8L1XOCrm0.net
秀吉の存命中の家康の反抗は難しいんじゃないかな。
関ヶ原の戦いだって、豊臣家臣団を分裂させて戦わせたわけだし、
秀吉がいたら、豊臣家臣団は団結するだろうし、
家康がいくつかの有力大名を味方に引き込んでも、
戦うのは難しそう。

史実のように朝鮮半島南部を主戦場としつつも、
少数の遊撃部隊を編成して、倭寇のように江南沿岸を荒らし回らせて、
明朝を揺さぶる。
その上、明朝と直接交渉して、日明間の交易と、朝鮮南部の割譲を勝ち取るぐらいが、
一番いいと思う。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 15:05:02 ID:/dny6RAj0.net
朝鮮の頭越しに明と交渉し、慶尚道と全羅道の割譲を勝ち取る。
朝鮮は、宗主国が決めたことなら、逆らうことはできない。



173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 23:45:24 ID:Ov2VhAAJ0.net
慶尚道と全羅道出身の両班、官僚たちはわや

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:55:07 ID:Ft7VjdJs0.net
それを実際にやってご破算になった

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:37:12 ID:3Bb/3em00.net
やっぱり海を隔てていると、侵攻するのは大変だな。
逆に守りやすくもあるけど。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:13:37 ID:KaYo1cIt0.net
李舜臣が官僚の支持があって全軍を指揮したら日本は危なかったな
きっと九州の当たりは朝鮮領土になっていた
とても残念だ

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:47:25 ID:jlqAqn7WO.net
>>176
日本→朝鮮ルートが難しいように、朝鮮→日本ルートも難しいんだぞ

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 14:54:27 ID:uyW5DGbW0.net
>>176
ただでさえ渡海作戦は難しいのに、当時の朝鮮軍じゃ、
いくら神のような指揮官がいたとしても、九州の占領なんて無理でしょう。

元寇にしたって、たとえ神風がなくても、博多周辺などを一時的に占領することができたとしても、
やがて撤退せざるを得なくなったと思われる。

対馬や壱岐の占領でもかなり難しい。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 19:11:42 ID:HxGDlvhZ0.net
秀吉は北条氏を攻める際に22万の兵力を動員しているよね。
それ以前、九州を攻める段階でも同じくらいの動員をしているよね。
それを考えれば、島津、北条、その他の領土を併呑して更に大きくなった
段階ではもっともっと大兵力を持っていたんじゃないかな。
朝鮮には最大で15万8千しか送っていないけどこれは輸送船団がやられて
新兵力を送る余裕がなかったからでないの?
名護屋城には30万の兵力が集まったんじゃなかったっけ。東日本にも兵力
を出させておけば朝鮮駐留に10万位あてても北京に雪崩れ込む力はあった
のではないか?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 19:51:32 ID:4iYX7Aso0.net
大量の兵を海の向こうに輸送するってのは大変なんだぞ
今みたいにGPSやらなんやらあるわけじゃないし

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 20:01:20 ID:FQU7HU7l0.net
>>176
李と朝鮮の手持ちの船では技術的な問題があって渡海は難しいらしい
どのみち日本も明朝鮮側も補給と兵站の問題が至難の技みたいね

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 23:18:47 ID:eGqDZe1f0.net
>>179
兵を数だけ送り込んでも、補給もきちんと確保しないと、
どうしようもないよ。

それに30万人動員と言っても、全てが戦闘員というわけでもないしね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 11:24:45 ID:mf1+J/i80.net
でも相手より多数をそろえながら、兵器も先進、士気も高く、
武将も有能ぞろい。












で敗北した。清軍にも日本ボロまけしたんじゃね、といわれてるし
日本軍弱すぎ。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:38:05 ID:e7feaU810.net
そもそも敵地で戦うのは根本的に不利だからな。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 23:00:11 ID:nXIpBtS10.net
中国の歴代政権を苦しめ続けた北方の遊牧民だって、
別に兵の数が多かったわけじゃないからな。

やっぱ機動力、ゲリラ的な戦いで挑んだ方がいいだろう。
正面から大軍同士でぶつかったって、損耗も激しいし。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 15:00:47 ID:iVR/8hUV0.net
ゲリラは地域住民に紛れこんで背後から襲うわけで外人には無理
うまいこと現地の言葉を覚えて侵入したとしてもゲリラ戦なんてやったら現地住民みなごろし戦法をとられる
こええぜ

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 16:23:57 ID:+kfwlWsh0.net
>185
ゲリラ戦と機動戦は違うんだぞ。
ついでに言えば遊牧民がああいう戦い方をしたのは
基本的に交易を有利にするための恫喝や略奪のため戦で
土地を取って長期的に支配するつもりが無いから。

逆に遊牧民といえど中原支配を目指した場合は
大軍同士の会戦や攻城戦などを行ってる。
どんなに勝率がよく損耗率の低い戦い方があっても
「何のために戦争をするのか」って目的を度外視しちゃだめだろ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 17:42:16 ID:lHE16nw/0.net
>>187
秀吉の目的は服属させること?
それとも日本の新しい領土として、支配すること?

それによって変わってくるね。





189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 18:07:48 ID:etJ/v/sxO.net
>>188
日本で関白にしかなれなかった秀吉は自身の地位向上の為に
明の一部を天皇に献上、自身が明の残りを支配。
その場合、日本は明の一部に過ぎないから秀吉の地位が一番上になる。
そんなことを本気で考えいたらしい。


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 21:25:16 ID:1F69KVbM0.net
日本は苦労して補給物資をわざわざ九州から取り寄せた

一方、明は朝鮮から奪った

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:21:30 ID:dbFG1Tvc0.net
そらま攻め込んできた軍と応援で来て頂いた軍を一緒にしちゃいかんよ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 23:06:23 ID:1ZpCS/pH0.net
明軍は、ごろつきの集まりみたいな軍隊だからな。
軍隊は、社会の爪弾き者を集めたような場所だったし。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 01:47:53 ID:T2VT8CPz0.net
>>189
中華皇帝の地位に就くことによって、天皇を超えようとしたらしいな。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 23:31:35 ID:UuLzHOlr0.net
実は信長より秀吉や家康の方が朝廷に介入しているね。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 03:00:49 ID:DEgs2M5bO.net
>>194
征夷大将軍になる為に義昭の養子にしてくれと頼んだがあっさり断られた、
そして秀吉は平姓を名乗ってたが、
それじゃ関白になれないんで五摂家の養子になり関白になろうとした。
(どの家かはわすれたが)
しかし朝廷側の思惑としては秀吉を排除したいので新たな姓として豊臣の姓を与えた。
それを踏まえた家康は新田の子孫と系譜を改竄、
新田の子孫を手厚く保護して文句が出ない様にしている。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 03:26:40 ID:8IXy9T0C0.net
征夷大将軍になるために足利に容姿に〜って俗説じゃなかったか?
秀吉は征夷大将軍になれなかったんじゃなくて、ならなかったんだというのが正しい見方の筈

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 03:51:42 ID:DEgs2M5bO.net
いや義昭にあっさり断られたから、負け惜しみ言ってるだけじゃないの?
武家の棟梁にならなきゃ不利なのは事実なんだし。
日本の歴史学者って資料第一主義なんだし、鵜呑みにしてんじゃねえ?


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 05:17:18 ID:8IXy9T0C0.net
このスレでそれから辺は散々論破されてる
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/

征夷大将軍なんてものは別に武家の棟梁でも何でもなく
鎌倉時代においては北条氏の傀儡で、室町時代においては集権力が無く
戦国時代においては失墜してる権威なのを、わざわざなる必要性が無い訳で
その上、信長が征夷大将軍を断ってるのを秀吉は見たわけで

関白にねじ込んだ菊亭晴季の着眼点と、征夷大将軍なんてもんをあそこまで神格化させた家康の手腕
は多いに見るべきものがあるけれど

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 10:22:49 ID:DEgs2M5bO.net
>>198
スレ落ちてるけど・・・
できれはどう言う結論に落ち着いたのか教えて。
征夷大将軍にたとえ権威が無くてもならなきゃ不利では?
信長が蹴ったのは朝廷の下に付くのを嫌がっただけじゃないの?
右大臣はいやいや受けた訳だし・・・(だからすぐ辞職してる)

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 12:12:17 ID:mOf68k++0.net
秀吉が北京入りしたらどうなっていたか?数十年、あるいは数百年で
一族郎党抹殺されてほかの王朝が始まる。

で、近代になってからは、秀吉が支配していたことが大陸侵略正当化の
理論となって、場合によっては侵略する。

また、逆の理論で秀吉は中国人だから、日本は中国のものだという理論が
幅を利かせて、日本侵略の理論となって、場合によっては侵略される。

それだけ。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 14:15:29 ID:xaGbAMT10.net
>>199
あまりはっきりとは覚えていないけど、
秀吉が征夷大将軍になるために義昭に養子にしてくれるように頼んだという逸話は、
はっきりとした証拠となる資料がなく、当時の状況から見て不自然な部分も多いことから、
後世の作り話でほぼ間違いない、というようなことになっていたと思う。

源氏でなければ征夷大将軍になれないという俗説も、江戸時代になってから広まったもののようで、
現実には、源氏でないどころか、武家ですらないものも将軍となっている。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 14:19:45 ID:xaGbAMT10.net
それと、征夷大将軍の条件は、源氏云々ではなく、東国を平定していることだったという説もあって、
当時の秀吉はまだ家康や関東の北条氏を従わせていなかったために、
征夷大将軍になれなかったという説もある。

ただ当時、征夷大将軍であった足利氏の権威が地に堕ちているのを秀吉は目の当たりにしていたわけで、
将軍職に魅力を感じなかったという説もありえる。
現に秀吉は、征夷大将軍より上位で、よりなるのが難しい関白になっているわけで、
仮に征夷大将軍になりたいなら、資格に問題があったところで、
朝廷に強く要求すれば、強要することもできなくはなかっただろうし。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 14:50:22 ID:mgfN0Wf2Q.net
秀吉も大軍率いれる地位についてからの戦い方でそのまま遠征させちゃった感じだからなぁ
初心にもどって調略から地道にやれば可能性あったかも

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 16:54:36 ID:y6MJnKMjO.net
 ネコパ〜ンチ★ http://society5.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1145305314/
 __.∧ ∧
(ttt)≧Д≦)っ
  ヽ  (
   \  )〜
    γノつ
    し ~

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 18:03:03 ID:DEgs2M5bO.net
>>201-202 サンクス
確かに色々な説があるみたいだね。
俺が述べた意見は井沢元彦氏の逆説の日本史という本に載っていたんだよ。
よかったら一度読んで見てはいかがかな?

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 18:49:31 ID:DEgs2M5bO.net
>>205
スマン少し訂正。
源氏で無ければ征夷大将軍になれないはと不利云々は俺の意見。
あと坂上に田村麻呂や親王が征夷大将軍になってるのは知ってるよ。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 20:49:09 ID:gmMOfOjTO.net
逆説の日本史ってオイ……

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:37:23 ID:x1RbvUlz0.net
中国に王朝立てるとして、
モンゴルの大ハーンが皇帝を称したように、
日本の関白が皇帝を称するのか?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 23:52:44 ID:MqGkT5ux0.net
天皇の下に皇帝というのもまずいでしょ。
モンゴルみたいに帝国をいくつかの国に分けて統治する形を目指すのかな。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 02:13:26 ID:+L5sOoa60.net
半島〜遼東ルートを採用した場合、北京に行くには山海関を抜けなきゃいけないの?

なんか無理っぽくない?

背後からヌルハチに攻められて、挟み撃ちにあいそう…


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 08:16:57 ID:uOw3Xu9i0.net
ヌルハチが手出しを控えてくれても、
補給の確立をどうするかだな。
実際、朝鮮半島でも北部へ進むと補給が破綻して、撤退に追い込まれたわけだし。
遼東辺りへ進んだら、何もない荒野ばかりで、
掠奪補給もできないし。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 20:36:52 ID:7yYDTzlf0.net
やっぱヌルハチとの共闘ありきだね。
話はそれからだ。

もし何らかの理由で日本軍と女真族がぶつかっていたら、
共倒れになって清の建国に影響があったかもね。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 21:35:05 ID:KcawhCdF0.net
なぜ秀吉は失敗しヌルハチは成功したのか
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165686433/

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 13:38:23 ID:Cd4K1Z6d0.net
ふと疑問に思ったんだけど水は大丈夫なの?
硬水と軟水の違いがあると思うんだけど。
日中戦争のときとかどうしてたんだろ?
身体が慣れるまでは下痢しながらひたすらガマン?

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 13:47:18 ID:IZtifpwf0.net
中国は硬水だけど、
とりあえず加熱したら大丈夫みたいだよ。
お茶かお湯で飲めばいい。


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 13:54:18 ID:Cd4K1Z6d0.net
そうか。その手があったか。
でもそれだと手間もかかるし、できないこともあったろうに。
水での下痢は強烈だからなぁ・・・orz

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 17:41:51 ID:kt3A+xPYO.net
>>208-209
秀吉は東亜皇帝と名乗り、中国を支配して長となり
後陽成天皇に中国国土の一部を献上、
良仁親王を日本の天皇とし秀次を関白に任命して治めさせるつもりだったらしい。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 21:45:49 ID:fotQPHjs0.net
>>217 前から気になってたんだが。
中国を支配したら国号はどうする積もりだったんかなー。「東亜」なん?
倭は字が良くないから「和」とか、「豊」とか。それとも「日」?
和に「大」付けたら「大和」なんで丁度イイと思うんだけど (笑)

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 22:25:51 ID:kt3A+xPYO.net
国号は調べてみなきゃわからんが、東亜皇帝って仮の尊号だったらしい。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 04:00:04 ID:ieIK4P1H0.net
清の偉かったとこは、
明の最後の皇帝の葬儀を行ったりして
明の支配システムを継承したこと。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 08:47:02 ID:q9252H230.net
「東亜」の「亜」て、アジアの意味?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 09:08:52 ID:tNOATL3Z0.net
東?あ〜ん?の略

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 10:17:20 ID:iWGZLpbW0.net
漢民族は他民族にレイプされながらもレイプした民族を吸収して勢力を拡大していった民族

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 12:33:07 ID:h8+xsO/m0.net
>>220
李自成に滅ぼされた崇禎帝の仇を、明の遺臣に代わって討ったって形にしたものね。
こうすると、明の旧臣たちも帰順しやすかっただろうし。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 16:32:28 ID:XILg3lo00.net
東亜皇帝秀吉の命によって
朝鮮国王はモンゴルか蝦夷の一部を与えられ転封
石高は7万石ニダ

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 17:42:51 ID:2GiNh5YL0.net
日本に逆らったのだから、朝鮮国王は逆さ磔で公開処刑。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 23:54:21 ID:0qadWPfZ0.net
朝鮮の宣祖王も、漢城で籠城でもしてくれれば、
靖康の変みたいにできたかも知れないな。


228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 23:50:12 ID:GkjDKC4p0.net
国王の身柄を押さえて人質にし、朝鮮の朝廷を統制下に置く。
でも朝鮮の場合、国王を人質にってどれぐらい有効だったんだろう。
廃された王も2人いるし。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 00:20:48 ID:JkcyT+fV0.net
徳川家康を朝鮮に転封するってのはどうかな

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 13:08:19 ID:ru5o6rh90.net
いくら徳川家康でも素直に従うかな?
まだ関東は、東海の隣だからよかっただろうけど。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 23:48:11 ID:+L+nj30P0.net
秀吉にしたら、徳川家康を外征の主力とした場合、

大陸征服が上手くいった時に、広大な領土を与えねばならず、ますます力をつけさせてしまいかねないので、

外征には子飼いの武将たちを主力とした。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 13:43:44 ID:mURHs0600.net
しかしそれが、裏目に出て、

秀吉死後、戦力を温存した家康(直属軍4万)が謀反を起こし、

えらいことになった。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 14:39:10 ID:alk4mmfL0.net
「いずれは明も朝鮮も敵にまわる。関白秀吉なる倭国の王はやがて兵を退こう」
「倭は押しておりますが・・・」
「大義なき戦は続かぬ」

浅田次郎『中原の虹』、ヌルハチとダイシャン(だったと思う)の会話。うろ覚え。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 15:40:44 ID:3XMnymf40.net
>>232
明確な謀反とは言いがたいな。
家康は一応は豊臣家の権威を盾に動いたわけだし、
賊軍扱いはできない。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 16:37:52 ID:4rWAbux40.net
しかし、中国に日本による政権を作ることが出来ても、
どっちみち、反乱を抑えきることが出来ず滅亡、
たとえ、維持できても、日本国内の政治に掛けなければならないエネルギーを
大陸での政権維持に取られて疲弊化し、
その後、本格的になったヨーロッパの帝国主義の攻勢に耐えられず、
日本も植民地にされた・・・という可能性はないかね?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 16:39:38 ID:4rWAbux40.net
>>223
考えりゃ…
中国史って太陽政策の歴史なんだよなw

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 16:57:26 ID:DSPHlkDY0.net
植民地化?鎖国してなかったら銃火器の開発が進んだだろうから
その点の危うさは大したことないだろう、大陸に領土を持てば
造船技術も発達しただろうし
半ば中国人化というのが一番怖い

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 19:35:27 ID:ryO+9Y7t0.net
王朝作っても300年もたてば滅ぶよ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 21:49:22 ID:4rWAbux40.net
>>237
ああ、そうだな。
大陸に領土を持てば、日本国内のみはともかくも
東アジア全体としては生産性が上がったかもしれないな。

でも、その場合、戦国時代が終わって国内の安定や生産性を高めなければ
ならない時期に、人材やその他を大陸経営にとられて日本国内は衰退、
中国化した日系中国政権に日本が吸収され・・・なんて事になったかも・・・

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 21:46:08 ID:jsbEd3lc0.net
どっちにしろヌルハチに全滅されたのがオチ。
日本軍は後金軍よりはるかに軍は弱くて
その兵も弱兵である。
と、明の司令官自らが腹立たしげに認めているし
後金自体が日本軍を弱し、と軽んじていたぐらいだからな。
清の強さを考えれば、清の騎兵軍の前にあっさり全滅し
日本の武士も北方騎馬民族の軍の前には弱いことをさらけだしただけだろ。
数分の一の清の軍隊の前に敗れ去る可能性があったから
徳川日本も清に恐怖していたし朝鮮や台湾に結局援軍を送らなかったわけだから。


241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 18:58:42 ID:UdlAjfQz0.net
>>240
やたら清が強いように書いてるけど、モンゴルの時代とは武器が違ってるんだ。
明が火器を使用して女真には明と戦うことは乾坤一擲の大勝負だったんだよ。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 23:00:31 ID:CIqXsYga0.net
いっそのこと、明と結んで朝鮮と女真を討つのは?
大陸に足掛かりを作れるしいいんじゃね?

無理だよな、やっぱ…


243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 04:31:10 ID:E5R1yrpr0.net
>>242
無理も糞も、前提からして滅茶苦茶。
明が朝鮮を攻める道理もメリットも無い。
んな、紅巾党の時代じゃあるまいし。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 05:56:40 ID:c2l595MR0.net
>>242
頭おかしいんじゃないの?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 13:17:38 ID:33ShAuPe0.net
既に東アジア世界で冊封体制を確立している明が、
日本と手を組んでそんなことする必要がないからねえ。

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