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秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:17:02 ID:3MqG1Y870.net
秀吉が大明国に攻め入った時、
その兵の人数はヌルハチが明を倒した時の10倍。
軍事力では朝鮮には楽勝して明だって倒せるレベル。
実際に陸では連戦連勝。

でも海が駄目だった。秀吉が海賊禁止令なんて出すから
船の技術の進歩が遅れていたんだ。
海戦で負けて補給路を断たれた。それで現地の兵は
篭城とか苦しい戦いを強いられたんだ。

でも負けて良かったかもね。日本が中国征服したら
中国が勢力回復した時に日本も吸収されただろう。
実際に満州民族は明を滅ぼし清を立てたが
清王朝が滅亡した時、満州もいつの間にか
中国のものになっていた。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 23:47:18 ID:Sr3Y8M9J0.net
そもそも当時の日本軍には広大な大陸を駆け回る騎兵戦力がなかったからな。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 05:27:26 ID:wJFw5wM+0.net
>>35
北京は、三国時代の平原や渤海辺り。
襄平はもっと半島の方。
ゲームは地図と都市の位置がかなりズレてるから参考にならない。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 15:32:56 ID:aYO+RyrJO.net
>>35>>37
位置は薊≒北京で良いんじゃなかった?

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:48:32 ID:PgQeIHtT0.net
明の北京は元の大都の跡で、元の大都は金の中都をやや位置をずらしたところに作った。
それで金の中都は、遼の南京析津府そのままかな?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 22:34:13 ID:6nsn16y90.net
それ以前に大砲を持たない日本軍が北京を陥す方法が無い

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:44:40 ID:LTs5+NOs0.net
北京を攻めるとなると、最低でも10万人ぐらいの兵力が欲しいところだけど、
朝鮮半島に展開した兵力が最大で16万人ぐらいだったし、
北直隷にそれだけの兵力を差し向けるのは難しいだろうね。
それ以前に、補給線の確立なんてほとんど不可能だろうし。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 00:45:12 ID:g06q7gMv0.net
中国の名将を甘くみない方がいい
岳飛や項羽みたいなのが来たら勝てる保障はあるのか?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:37:20 ID:/+bVhzwTO.net
>>42
鉄砲の餌食

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:45:59 ID:dinrWSW00.net
平地なら鉄砲でともかく、日本軍て長城なみのでっかい城攻めに慣れてないんじゃないかな?
半島の都市にだって城壁はあるけど、規模も守備兵の数も明じゃ比べ物にならないでしょ。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:53:00 ID:IFiYMXJs0.net
>>43
最初は鉄砲の餌食にできても、一度痛い目に遭ったら、相手だって、
それなりに対策を立てるだろう。
最初の斉射だけで明軍を壊滅させることはできないだろうし。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 00:33:54 ID:zcM4D6vcO.net
後には明は輸入ものの大砲をそろえたりしてたよな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 00:47:02 ID:Fob5OvSl0.net
兵器の力で勝てるんなら官渡で袁紹が勝ってるっつーの

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 03:54:54 ID:lU0w8Bo20.net
倭寇にすら勝てない明

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 10:40:45 ID:hizeoZIeO.net
>>48
献身的な民衆、安全な後背地(聖域)、物資を安定的に供給する支援勢力の三つを持った
不正規戦の武装勢力を根絶するのは難しいわな


50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:20:02 ID:CIdK8T8W0.net
だからゲリラ部隊のようなものを編成して、倭寇の大規模版みたいな感じで、
沿岸部、特に江南一帯をしつこく荒らし回り続ければいい。
と同時に、どうにかして明との交渉ルートを確立し、
有利な講和、明に歳幇を出させるような、の締結を目指す。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:59:07 ID:BeJpTZIs0.net
宋が遼や西夏と結んでいたような関係を結べれば上々。


52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:35:50 ID:KEDMqu3x0.net
明からお小遣いをせびり取る関係

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:56:29 ID:g7i4Pzg90.net
大陸への大規模兵力の展開は、北京、江南のどちらを目標にするにしても、

補給の点において、かなりの困難が伴う。

だから、まあ無理。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 00:57:53 ID:PJTAjYv7O.net
時代が時代だし、大東亜戦争ん時みたいに戦線が延びきった状態で、補給線確保しても駄目だったと思いますよ。
前線での戦力は、作戦指令部から前線への距離の二乗に反比例しますから。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 07:28:41 ID:lSzlI5Yd0.net
まず中国に馴染んだ政治をしなきゃダメだと思う。
モンゴルや五瑚だってそこまで特殊なのはやってなかったんでしょ?
そして、征服者にそこまで器用な事ができるかどうか…

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 07:46:14 ID:tW/rumWw0.net
つか、大名制度をそのまま大陸へ持ち込もうとしていたんでしょ。

新たな統治システムの構築に非常に手間がかかって、効率が悪すぎる。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:54:24 ID:+4RDTDB80.net
実際に中国を征服したモンゴルや清も、創業者一代目で征服は成し遂げていない。
完全征服するには、時間的には数十年の時間が必要だろうけど、
秀吉は後継者に恵まれていないから。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 09:13:37 ID:4xKrRSFv0.net
明朝鮮連合って、野戦だと日本軍のひきつけて鉄砲斉射、その後長槍で突撃って戦術に何度もやられてるんだよな。


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 17:40:49 ID:ZzvgZx4tO.net
>>58
モンゴルや清だって野戦では勝ってたし、問題は攻城戦じゃない?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:54:39 ID:F2rEBQkr0.net
問題は個々の戦いより、補給や機動力といったところだろうね。
朝鮮経由にしても、江南経由にしても。



61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 15:35:47 ID:l0aaeB/B0.net
まずは、倭寇のような戦いを続けながら、20〜30年間明朝と付き合ってみることだね。
まずは相手を知ることが必要。
大陸にスパイを送り込んで、内応者を作ることができたかも知れないし。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 16:03:26 ID:UMqxIxttO.net
いずれにしても、秀吉一代じゃだめだね。信長で瞬間的打撃→秀吉で政治的に混乱→家康で外交的進出と統治の方が現実味がある。
ただそれでも難しいと思うが。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 19:14:02 ID:MO7WkWaE0.net
>>61
でもそれだと相手もこちらの手の内を知ってしまうんじゃない?
突然の侵攻で、電撃戦だったから
そこそこ快進撃ができた部分もあるだろうし。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:00:25 ID:dLVLfmM90.net
海戦弱いから無理

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:29:51 ID:6vbUcOgp0.net
島国だしなあ。
19世紀の覇権国イギリスだって陸軍力でヨーロッパを支配したことはないわけで。
結局みんなが指摘するように補給がうまくいくわけない。

仮に日本が征服したとしても
文化的に中国に取り込まれて
今頃俺たち日本語しゃべっていないかもしれないよ

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:32:54 ID:ElXf7rNg0.net
時期的に王直が頑張ってた頃か鄭成功が頑張ってた頃に
彼らと同盟を結べば良かったんだけど
タイミングは中々合わないもんよね

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:45:02 ID:JEeyU0e40.net
>>65
満州族みたいに漢族風の姓を名乗る羽目になったかもね。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:09:12 ID:bGqK7mtX0.net
>>66
鄭成功のころはもうひっくり返せないだろう。

鄭成功は援軍依頼はしたけど
徳川幕府も検討したけど中止したんじゃなかったかな
賢明な判断だったと思う。




69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 01:04:48 ID:ufKMbYzP0.net
鄭成功の頃はまだいけるだろう
ひっくり返すのは無理だが、南京近くまで割拠できるんじゃないか
浪人対策だから、別に兵力である彼らを日本に戻さなくていいし

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 03:43:23 ID:GAXZgkt+O.net
>54
どういう計算?

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 16:18:30 ID:OXdeiF4b0.net
仮に中国に征服王朝を樹立できたとして、日本本国の扱いがどうなるかだな。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 19:59:36 ID:LdmN89sT0.net
モンゴル帝国みたいになっちゃったりして

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:36:11 ID:1crxYZKJ0.net
秀吉は、日本、朝鮮、明にそれぞれ関白を置くようなこと考えていたみたいだけど。

下手したら、満州みたいに、日本列島に漢民族が流入して、
乗っ取られてしまったりして。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:10:21 ID:LdmN89sT0.net
まあ、拡大=内部崩壊の危険もありうるからね

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 14:56:52 ID:jXc1JKVD0.net
豊臣政権自体、不安定要素が多いからなあ。
阿片戦争みたいな形ができれば、理想だと思う。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 07:33:46 ID:f14BsDvf0.net
満州民族の弁髪みたいにチョン髷を強要?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 09:12:58 ID:QQ4rdsI/0.net
そう考えると中国に服属しながらも、吸収されなかった朝鮮ってすごいのか?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 03:54:26 ID:ENl0hevK0.net
生産力なかったから放置されてたんじゃないっけか。
過激な国民性から、服属→自治が適当とかで。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 07:11:55 ID:xndWOKI50.net
半島南部は本土から遠すぎて、まず直轄統治はしない。
半島北部は北ベトナムと一緒で、余程の拡大主義者な
皇帝でもない限り、まず直轄統治はしない。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 13:17:40 ID:CIHZPdyb0.net
半島との間には、海(渤海及び黄海)と、遼東の荒野があって、
中原とは隔離されている感が強い。


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 16:27:09 ID:BLXwMWB30.net
まとめて読んだけど、中国って天然の焦土戦術状態って事か?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:23:53 ID:sYvBvphZ0.net
要は、大陸は広すぎるってことだね。
征服には騎兵の機動力が欠かせないけど、日本にはそれがない。
戦術的勝利を重ねても、それを征服へと繋げられない。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:16:45 ID:PnKMZmIa0.net
63 :無名武将@お腹せっぷく :2006/09/15(金) 23:43:35
対馬海峡を渡るだけで済んだ朝鮮半島と違って、江南との間には広大な東シナ海が広がっている。
スペイン、ポルトガルの艦隊なんかの全面協力を得ることができたとして、
長崎、平戸辺りから出撃したとしても、江南へ持って行ける兵力は、数万人以下。
三、四万人も上陸させることができれば、上出来なんじゃないかと思う。

最初の上陸地として、真っ先に候補に挙げられるのが寧波。
寧波には市舶司が置かれ、日明間の貿易の指定貿易港となっていたから、
当時の日本人にも比較的馴染みがあったはず。
倭寇として密貿易に携わっている者なら、寧波やその沖の舟山群島の地理に詳しかったはず。

寧波は攻め落とすことはできても、維持するのは難しいかも知れない。
ただ、舟山群島なら島なので、一度占領してしまえば、なかなか奪回されないように思える。
上手くすれば、前線基地として活用できると思う。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 12:45:57 ID:Ph73ZbEd0.net
靖康の変パターンができれば理想なんだけどね。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 16:12:37 ID:pWGXl93O0.net
で、占領したあとどうするわけ?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 23:46:10 ID:to1cje0K0.net
靖康の変で、金軍は、開封の掠奪をほとんど宋の朝廷にやらせている。
欽宗を拘留して、人質とすることで、宋の朝廷をコントロールできた。
これと同じように、北京を攻略して万暦帝を捕虜にできれば、
明の行政機構をある程度コントロールできるかもしれない。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 01:49:13 ID:rZkQtVy90.net
北京は無理でも、漢城だったら

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 11:12:58 ID:IFeoNWQ80.net
朝鮮半島と中原の間に広がる遼東の荒野って、
そんなに厳しいの?

朝鮮出兵の時の軍勢がそのまま明領に攻め入ってたらやばかったってこと?
インパール作戦みたいな感じ?

朝鮮出兵のとき、満州にいた女真族はどんな感じだったの?

厨房なんで、ご存知の方教えてください。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 11:18:41 ID:IVux9sad0.net
>>86
別の皇帝を立てるだけだったりして。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 23:52:01 ID:ITLaVHkw0.net
>>88
遼東にあって、女真族を牽制していた明軍が半島へ移動して監視が緩んだため、
後の清朝の太祖となるヌルハチは勢力を拡張することができた。

遼東は基本的に農地が少ない原っぱのような感じの土地が中心だから、
補給をしたくても食糧の現地調達が難しい。

それに山岳部と違って遮蔽物のない平原だと、日本軍は慣れていないし、
敵に補足されやすいでしょ。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 03:51:37 ID:NNV/+sYP0.net
>>90
解説、ありがとうございます!

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 19:39:00 ID:L53M7Fvk0.net
明治までの日本民族は、家畜なしで水稲稲作一本槍だった(麦作が日本の
風土に合っていないので、麦作を知っている人間が少ない)。
だから北海道に興味をもっていない、征服しようともしていない。
同様に考えると本来は米のできる朝鮮南部と華南しか興味がわかないはず。
朝鮮南部を占領して、収穫できるかもしれないが、いつ攻めてこられるか
分からないし、征服して意味がある土地か微妙。
台湾は攻めれば、江戸時代以降は台湾は日本になっていたと思う。



93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:32:34 ID:P0JO1hrE0.net
稲作が念頭にある日本軍の将兵が、
遼東の荒野を見たら絶望するかもね。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 11:29:05 ID:Q6O7nQuv0.net
明朝の軍制では、禁中護衛の親軍が北京に約12万人、南京に約10万人。
北京の五軍営が約12万人、神枢営が約7万人、神機営も約7万人。
各地の五軍は、左軍都督府約45万人、右軍都督府約72万人、中軍都督府約30万人、前軍都督府約57万人、後軍都督府約64万人。
全体で明軍の総兵力の定数は約316万人とされている。
ただ、実際は極端に定数を割り込んだ状態にあったため、明軍の総兵力の実数は、せいぜい50万人ぐらい、
文禄慶長の役で朝鮮に送り込めた援軍も10万人程度であったと思われる。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 21:52:34 ID:2y/4QeY80.net
人口十億超の某国でさえ、常備軍は三百万人もいないはずだがw

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 22:25:58 ID:ltvVyiAT0.net
というか秀吉が明に勝てると思った根拠はなんなの?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:24:10 ID:WvVZ3I2C0.net
明征服は多分に名目的なものだったと思うよ。
あの外征は、国内問題の処理が背景にあったと思う。
戦乱が途絶えて、大量の浪人が出ていたし、
武器製造等の軍需産業の存在など、いろんな要素が絡んでいた。

>>95
明代の人口が五千万〜一億の範囲とすれば、
名目上の定数としてはそんなに無理のない数字だと思うよ。
実際の配備兵力が定数に達したことは多分一度もないだろうけど。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 12:36:26 ID:O9ejWnWa0.net
まあ、辺境に配備された明軍の兵士も、流刑に処された罪人が多かったから、
かなり質が悪かったんだろうな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 15:41:07 ID:JZsaPP1x0.net
 隆武帝の死後に永暦帝に即位した桂王・朱由榔から「延平郡王」を拝受した鄭成功は、明王朝復興のため南京攻略を志
し、1658年 5月13日、兵11万、大小の艦艇290隻からなる大遠征軍を率いて廈門を発った。しかし、8月9日に杭州湾
に浮かぶ羊山沖で猛烈な暴風雨に遭い、成功の息子3人を含む8000余人の将兵を失う大打撃を受けてしまう。鄭成功は
やむなく温州近くへ引き返して盤石衞を攻略し、その地で養兵訓練と造機造船に従事した。

 翌1659年4月19日、国姓爺軍は再び南京を目指して盤石衞を発ち、5月17日には前年暴風雨に遭った羊山沖を無事
通過する。沿岸部を北上する国姓爺軍は、5月18日に清の総兵・梁化鳳の死守する崇明島に至ったが、鄭成功は日時を
遷延するのを恐れてあえて攻略せずに素通りすることにした。その後、全艦隊は揚子江を溯上しながら瓜州、鎮江で勝利
を重ね、7月7日にはついに南京城外郭門の一つ観音門に到達する。7月12日、嶽廟山に本藩を構えた鄭成功は、獅子
山に前鋒鎮・余新、儀鳳門に左提督・翁天祐、第二大橋に中提督・甘輝、漢西門に右提督・馬信を配置して南京城を完全
に包囲した。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 15:41:47 ID:JZsaPP1x0.net
 一方の南京城側では、城外の建物を焼き払い、十里以内の住民すべてを城内に入れて国姓爺軍の襲来に備えていた。
城将の郎廷佐は、鄭成功に対して開城までの猶予を懇願して時間稼ぎをする一方で、松江総兵の馬進宝と崇明総兵の梁
化鳳、江寧総兵のハハムに再三使者を送り来援を促す。成功の右腕ともいうべき甘輝は速やかな南京攻撃を進言するが、
馬進宝が国姓爺軍に内応するという情報を得ていた鄭成功は南京の降伏を待つ方針を変えなかった。

 しかし、7月22日、崇明島を発った梁化鳳の軍勢が南京救援に到着し、さらに塞がれていた神策門の漆喰を剥がして南
京城兵が打って出ると、成功の誕生日を翌日に控えて軍規が緩んでいた国姓爺軍は不意をつかれて大打撃を受ける。鄭
成功は観音山まで退いて陣形を立て直したが、翌23日の決戦にも部隊間の連絡が不十分だったために大敗を喫してしま
う。甘輝をはじめ、万礼、林勝、陳魁、張英、蘭衍、李泌、藩庚鐘などの将士を失い、長江での溺死者だけで4500以上の
損害を受けた国姓爺軍は南京攻略を諦めて退却した。

 鄭成功は帰路、報復のために崇明島を攻撃したが、梁化鳳の激しい反撃によって多大な損害をうけたため攻略を断念す
る。9月7日に廈門に帰還した鄭成功は永暦帝に使者を派遣し、自らの王爵を剥脱して敗戦の責任をとった。しかし、その
永暦帝もこの年、平西王・呉三桂(1612〜78)率いる清軍に追撃され雲南からビルマへ逃げ込むことを余儀なくされてい
た。南京攻略の失敗によって鄭成功は、清王朝の勢いが強大で中原回復がもはや不可能であることを悟らされた。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 16:13:13 ID:OaG72ROS0.net
明の次はヨーロッパ遠征でつか?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:19:04 ID:EnRQ2Q2h0.net
インドか東南アジアじゃない?。多分。


103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 09:36:06 ID:DkUD2kwJ0.net
その次はアフリカ?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 15:51:46 ID:0E27qDIO0.net
>>95
豊臣秀吉でさえ、最盛期で30〜40万人を動員できる状態にあったんだから、
兵制次第で、300万人はそう難しくないと思うよ。
アメリカも、戦時下では、総人口の10%ぐらいの兵力を実現したことがあるし。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:57:55 ID:q+22XhIk0.net
>>101
なにその本宮ひろ志の「夢幻の如く」

106 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/26(火) 22:01:06 ID:yhou1keK0.net
雷帝の復活は無理ありすぎだよなあ。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:31:42 ID:+iwd1fjN0.net
信長が新しいハーンになって、1000万のモンゴル騎兵を従えてる時点でもう…

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 21:47:49 ID:+iwd1fjN0.net
実際は半島すら抜けられなかったわけだけど、
それは>>1の言うように全て海軍力のせいにしてもいいの?
それとも、そもそも半島を制圧して明に攻め入るなんて無理な話だったの?

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 23:14:14 ID:+6RH/CV20.net
日清戦争の時も、北京方面への展開はほとんど無理だったんだから、
当時の日本軍じゃ、補給とかの問題でほぼ絶望的じゃないかな。
遼東に殴りこみに行くとかなら、できたかも知れないけど。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 01:58:10 ID:WzH4cCGx0.net
明に対して打撃を与えるなら、やっぱり江南を攻めるべし。
塩の集積地でもある揚州を占領して南北の運河の交通を寸断できれば、
明の朝廷も慌てるだろう。

実行するにはいろいろと障害があるけど。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 04:04:05 ID:Jz8i0czs0.net
明「朝鮮救援のせいで予算が尽きた…。」
朝鮮「ウ、ウリの国もう滅茶苦茶、哀号…。」
日本「寒いよ、腹減ったよ、帰りてーよ…。太閤の阿呆ォ!!」


笑うヌルハチ

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 08:37:34 ID:JlepqGSD0.net
実は秀吉は清のスパイだった!!

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 08:58:17 ID:ZckgutbF0.net
じゃあ逆に考えて、
秀吉の朝鮮出兵がなかったら清の建国に大きな影響が出たの?
いっそのこと女真族と共闘すれば道が開けたのかもね。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 15:21:45 ID:XbVMLhSv0.net
 文禄・慶長の役が、ヌルハチの勢力拡大にとって、大いに助けとなったのは事実。本来、
女真族の監視のために置かれていた遼東駐屯の明軍が、朝鮮へ向かったわけだから。その
どさくさに紛れて、敵対していたある部族を滅ぼしたりしている。
 ただ、その前の1589年には既に建州女真の統一に成功しているし、日本の動向に関わら
ず、ヌルハチは快進撃を続けていたわけだから、遅かれ早かれ女真族の統一には成功して
いたと思う。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 15:25:47 ID:XbVMLhSv0.net
 それともう一つ、中華帝国としての清朝誕生の要因となった、明朝の自滅についても、
確かに朝鮮への援軍派遣による軍費の増大が財政を圧迫し、間接的に明朝が滅亡へと繋
がっている。
 ただ、万暦帝の治世を見るに、朝鮮への出兵がなくても、放漫財政によっていずれ明
朝の財政は破綻し、国内の混乱を招いていた可能性が高い。

 ヌルハチによる女真族統一、明朝の内乱、この2つの要素は、文禄・慶長の役によって
早められたことはあっただろうけど、なくても遅かれ早かれ起こっていた可能性が高い。

 清朝による中国支配は、大きな歴史の流れとして、変えられないものだったと思う。

116 :1:2006/12/28(木) 21:58:32 ID:EjZVMlGu0.net
何か適当に立てたスレが知らん間に伸びてる!!!!!

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 22:46:45 ID:NQ+CAsjZ0.net
適当だったのかよw

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:46:28 ID:4Va40V0p0.net
適当でも、テーマがよければ伸びるさ。
以前、三戦板にあった同じ主旨のスレも、
>>1がどうしようもない糞だったが、>>20を過ぎたあたりから、
急にレスの質が向上し、>>200を超す頃には、三戦板屈指の良スレに成長していた。


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 06:42:13 ID:eFPCVhJ80.net
半島ルートは実際に試みて失敗している
東シナ海ルートでは大軍を送り込めない

というわけで、
浪人を傭兵として大量に送り込む
→政情不安に乗じて反乱
→日本人王朝成立
という妄想しか思いつかなかった       

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 08:26:57 ID:X0LJabNn0.net
元王朝の末裔を…とかムリだよねえ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 15:43:42 ID:hcv+uacn0.net
倭寇を大規模にしたような部隊をいくつも編成して、
まるで嫌がらせのように明の江南一帯を荒らし回り続ける。
5年10年と続ければ、明朝も音を上げて、講和を結ぼうとしてくる。
そこで、自由に交易する権利とか、歳幣をおねだりする。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 16:02:30 ID:WS/rDAYn0.net
頑張れば朝鮮と遼東の割譲なんかは可能だったんじゃない?
明制圧とか言わずに、素直に朝鮮を占領しておけば良かったのに。
即効でヌルハチにぶん取られそうだけどw

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 17:39:58 ID:Nf+kE6Rb0.net
明には数度の戦に勝利するがヌルハチ率いる黎明期の清軍にボコボコにされるパターン

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 22:11:26 ID:ONtl2ySk0.net
黎明期の清軍は、末期の明軍と言っても間違いでは無いがw

主力は呉三桂とかだったもんね。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:47:57 ID:bAAdRy9e0.net
ちなみに朝鮮半島をヌルハチの金(清)と奪い合いになった場合、
朝鮮人は、日本人と満州人のどちらの味方をするんだろう?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 00:25:46 ID:sC8khfsi0.net
>>125
当時の朝鮮知識人にとって、野人(オランケ)と倭人(ウェノム)は究極の選択だぞ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 01:57:11 ID:HFqA+cNm0.net
>>125
普通に明に救援を求めて、生き残りの道を探すだろうw

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 23:50:11 ID:kRR1OPEt0.net
>>127
だから、明が内乱とかで、属国の救援どころじゃないというのが前提だろう。
何が何でもどちらかを選ばなければならないという状態。

国王が明に亡命したりするかも知れんけどw

129 :中国人:2006/12/31(日) 11:36:31 ID:D4+BlK4E0.net
  中国人和日本人的共同点:看不起韩国
  日本人和韩国人的共同点:要打压中国
  中国人和韩国人的共同点:反对日本的扩张



130 :始皇帝:2006/12/31(日) 14:54:38 ID:Dki/eEXM0.net
>>115
場合によっては、南明北清の南北朝体制になったかもね。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 17:00:05 ID:VNoPS6uC0.net
>>129
拡張?
日本已経放棄了軍国主義。
如果日本政府採取軍国主義、那是美国政府所不准許的。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:09:43 ID:vNJDLLbh0.net
秀吉の後継者がしっかりした征服ビジョン持ってて満州族や西方南方の異民族と強力しながら水軍で江南に上陸が一番可能性ありそう

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:51:43 ID:cKQ0bVmw0.net
とりあえず、女真族と手を組めてれば半島での戦いは成功してそうだね。
報酬は半島(と台湾や遼東?)をもらうってことで手を打って。

向こうを説得できるかどうかはわからんけど。

というか、秀吉って本来そういう根回しを得意としてた印象があるんだけどね。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 23:01:43 ID:lGIhyCDw0.net
秀吉得意の計略も、異民族相手となるとそう上手くはいかんでしょ。
それまであまり交渉もなかったんだし、相手に対する知識が少なすぎる。

それと女真族は、明の側とも付き合いが長いし、一旦は日本と手を組んでも、
いつ寝返るか分からない部分がある。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 06:31:50 ID:8yu6aUy70.net
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1167044587/

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