秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:17:02 ID:3MqG1Y870.net
- 秀吉が大明国に攻め入った時、
その兵の人数はヌルハチが明を倒した時の10倍。
軍事力では朝鮮には楽勝して明だって倒せるレベル。
実際に陸では連戦連勝。
でも海が駄目だった。秀吉が海賊禁止令なんて出すから
船の技術の進歩が遅れていたんだ。
海戦で負けて補給路を断たれた。それで現地の兵は
篭城とか苦しい戦いを強いられたんだ。
でも負けて良かったかもね。日本が中国征服したら
中国が勢力回復した時に日本も吸収されただろう。
実際に満州民族は明を滅ぼし清を立てたが
清王朝が滅亡した時、満州もいつの間にか
中国のものになっていた。
- 415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 14:20:01 ID:l9v7l/8h0.net
- 明軍と言っても均質じゃないからな。
指揮官の能力次第で大きく変わる構造。
- 416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 14:43:56 ID:Pw9ke8L+0.net
- >>414
理由は数多い
日本軍が寄り合い所帯で統一した指揮系統に入ってなかった事が第一
二番目は日本の緒将や兵士の士気がふるってなかった事
三番目は朝鮮王朝と民衆を味方につけれなかった事
四番目は朝鮮対陣の日本軍が諜報活動がおろそかだった事
五番目は兵站に海峡を含んでた事
それらの要素の全てが絡み合って日本がやや劣勢だったわけで
日本軍が明軍より弱かったわけでは全然ない。
- 417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 15:05:34 ID:v9MmH2RC0.net
- >>416
明は軍隊は弱いし、指揮官は科挙官僚がなってるし、指揮統率も一枚岩ではなかったし、
遠征で日本よりも士気が高いとはとても思えないし。。
結局日本は弱かったんだよ。
- 418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:17:12 ID:O4OC7yP/0.net
-
NEWS23「熊本城は、朝鮮人が作った」
1 :マンセー名無しさん:2007/05/29(火) 10:52:30 ID:MNzkCCwF
NEWS23の特集「日韓学生の交流」
韓国の学生が、熊本城を取材。
「韓国では、熊本城は、加藤清正が朝鮮から連れてきた朝鮮人らに作らせたと教わるのに日本人が何も知らないのに腹が立った。」と発言。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1180403550/
熊本城と朝鮮の人々の関わりを日本人は知っていますか?
http://uproda11.2ch-library.com/src/117909.bmp
私は朝鮮から連れて来られた人たちが熊本城を作ったと学びました
だからこのような気持ちになるんでしょう
http://uproda11.2ch-library.com/src/117908.bmp
- 419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:27:51 ID:2S69ERjo0.net
- >>414
まず明軍に完敗した野戦とはどれのこと?kwsk
- 420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 00:49:20 ID:mY+W+9Pu0.net
- 江戸城を作ったのは大工さんとか言ってる厨房ぐらいアホだな
- 421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 02:33:59 ID:igzo+4BO0.net
- 銃を上手く使う日本軍に対して大砲の運用に優れてたのが明軍ってな話は聞いたことがあるな。
- 422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 10:15:28 ID:uLaUdVJq0.net
- >>416
まあそれでも個々の戦は大体勝ってるみたいだけどな。
でも、ただ戦で勝つだけじゃ他民族の国家を支配することはできないもんな
- 423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:05:15 ID:FRwbh1EnO.net
- ゲリラ戦やられたらいくら兵力多くてもきついだろ。
- 424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:32:17 ID:9a07bTvi0.net
- フランスやアメリカがベトナムに負けたり
オランダがインドネシアに負けたり
米軍滞在中のアフガンでオマル率いるタリバンが現在も連戦連勝で勢力伸ばしてたり
イラクにいくら増兵してもゲリラ戦がますます活発化してるのと似てるかもね。
- 425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:35:54 ID:9a07bTvi0.net
- 日本側が大敗したと言われるヘキテイカンの戦いも
小西行長らがろくに諜報活動せず間近に大軍が来て初めて気付いたとか
信じられないチョンボを数多くしたらしいね。
明軍の川を隔てて行軍してるわけだから、きちんと諜報活動してれば
渡河の最中を襲うなり、そこに防衛線を敷くなり、いくらでも戦い方はあったろう。
- 426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:42:02 ID:9a07bTvi0.net
- すまん。全然ヘキテイカンじゃなかった。逆にそこでは日本軍が勝ってたんだ。
戦の名を忘れた。逝きますね
- 427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 21:35:59 ID:D9qsMii70.net
- 島津義弘は7000人の兵で
37000〜80000ぐらいの明兵をぬっ殺したとか
- 428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 01:51:58 ID:TLYtJBwx0.net
- >>425
碧蹄館の戦いは、最初に平壌にいた小西行長が明と和睦交渉をしているつもりで、
油断をしていたところを襲われて慌てて退却。
が、明軍も相手が退却したので調子に乗って攻めかかったら、
碧蹄館の戦いで痛い目に遭わされた感じ。
どっちも間抜けに見えるけど、現実の戦いなんてそんなものなのかもね。
>>427
泗川の戦いは島津軍が劣勢にもかかわらず大勝したのは事実だろうけど、
明の大軍二十万とか、八万人を討ったとかになるとさすがに誇張だと思う。
八万人戦死は明側の報告らしいけど、まじめに実数を報告する武官なんているわけないだろうし。
- 429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 02:58:58 ID:fLzWDm5u0.net
- でも自軍の戦死者数をわざわざ多く報告するもんだろうかね
- 430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 03:57:52 ID:jpaNTth80.net
- 兵士を連れてく時は兵士数を多目に報告して糧食や軍費を余分に受け取り
逆に負けた時は少な目に報告するのは常識。
(赤城山に立てこもる楠木正成を幕府軍100万の軍勢が攻めたというのは
各地から集まった武将が連れてった兵士を幕府に多目に報告した事から起きた。
実数は1/10以下の8万人か、それ以下ではないかとも言われている)
- 431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:47:48 ID:ymrZPxlR0.net
- 明って戦で大敗すると責任者が処刑される場合もあるらしいからな。そりゃ捏造が横行もするよな
- 432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 16:35:19 ID:TLYtJBwx0.net
- >>429
基本的には負けた場合は、被害を少な目に報告する。
だけど、例えば戦死者に慰労金が出る場合や、
敵を強大だと言い立てて、援軍を引き出そうという意図があったり、
退却の許可を得たり、などの場合は違って来る。
この泗川の戦いの場合、明軍は戦闘に敗北はしているけど、
日本側は撤退途中だったわけで、結果的には日本軍を撃退したという格好になった。
だから、強大な敵に苦戦し、大きな損害を出したが、
頑張って撃退することに成功したと取り繕えば、過失を功績に転じることができる。
その上で、戦死した将兵に慰労金を、という話に持っていったかも知れない。
- 433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 21:58:53 ID:zagu1lti0.net
- 日清戦争では清の将軍(葉子長だっけ?)が戦場で死んだ兵士に与えられるはずだった給金や
軍糧をネコババして自分のモノにし、なおかつ上司や軍監への莫大なワイロとして散財し
北京の皇帝(西大后だから皇帝ではないか)に粉飾した報告を上げてたんだよね。
- 434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 22:43:36 ID:8N+94JMl0.net
- 明代は、武官冷遇がよく言われる宋代以上に、
武官を蔑視する社会的風潮が強かったみたいだからね。
官位こそ高くても、文人からは、
まともな人間がなるものじゃないと見なされていた。
それで、世襲で武官の職を継げても、それを放り出して、
科挙を受けようとする者がたくさんいた。
- 435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 09:53:58 ID:ZUbS1wSPO.net
- 戦争に勝つのなら、科挙に登用されるような一定以上の知識を持った人間の方が良い戦略を練れるだろう。
この時代の単純な戦術的勝利の蓄積は軍閥連の軋轢を生み、戦略的な勝利、ひいては戦争の勝利からは遠退いてしまう。
- 436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 19:06:39 ID:72qzKMzF0.net
- >>435
戦争に勝つ事より軍閥割拠の方が恐ろしいんだろ
異民族侵入をかろうじて防ぎとめる最小限の武装をして
できれば軍人には余分な戦力や権力を持たせたくないというのが本音だろうと思う。
朝鮮征伐でも明は日本に勝とうが負けようがさほど関心なんかなく
最初から講和・和平を主張し続け、逆に朝鮮王宣祖は執拗に和平反対及び日本への復讐及び侵攻を
主張し続けていた。
- 437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 19:06:59 ID:fGQvcm1Z0.net
- >>435
そうでないだろ。
科挙官僚の軍事の才能はたいしたことないだろ。
軍事の才能は天賦のもので知的水準とは関係ないだろ。
いい例は英仏100年戦争の時のフランスの将軍、デゥ・ゲクランだろう。
- 438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:07:19 ID:QXYmkP8U0.net
- たまに科挙官僚出身で、軍事の才能も持ち合わせている奴が現れるところが、
また面白い。
- 439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:22:52 ID:fGQvcm1Z0.net
- >>438
軍事の才能とは戦略のこと?それとも戦術のこと?
曽国藩とか李鴻章が思いつくな。
- 440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:37:17 ID:mHymVhMP0.net
- 袁崇煥は文官出身だよな
まあ、科挙に受かることと、軍事的な才能に相関はあまり無さそうだが
知将型のイメージはある。
- 441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 00:17:52 ID:9NbCrVoR0.net
- 日本に科挙があっても絶対に信長や秀吉は受からなかったろうな。
三成とかは受かったかもしれんが。
- 442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 11:08:48 ID:Wnq8eFn20.net
- >>437
>>軍事の才能は天賦のもので知的水準とは関係ないだろ
才能があっても発揮できないし、教育で才能に磨きをかけなきゃ
- 443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 15:36:38 ID:ssJZ0g/V0.net
- 岳飛は、まじめに科挙受験したら、受かったかな?
武官にしてはかなり教養あったようだけど、
それで他の同僚武官を見下したから、
嫌われてもいたようだけど。
- 444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:38:38 ID:6VTN0UrqP.net
- 中国取るより、北海道、樺太、沿海州に進出すれば良かったのにな
欧州人はズル賢いから、強い王朝がある国には戦争仕掛けず、弱い地域を植民地にしていった
- 445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 02:13:37 ID:i1ivpXCo0.net
- >435>442
そもそも科挙に受かるための勉強は
教養とか知性に磨きをかけるような物じゃねぇから。
既に学問的な名声を確立してるような大学者・詩人が
「字がきたねぇ」とか「文章表現が独特すぎて様式に当て嵌まってない」とか
そんな理由で落されるような、そういう受験なんだぜ。
- 446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 03:30:16 ID:RAeCupnf0.net
- >>444
ズルは余計だよ
- 447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 14:55:13 ID:+HIjuS7e0.net
- >>444
北海道とか台湾を押さえればよかったと思うけど、地理的にややこしいんだよね。
台湾の場合は、島津、琉球経由になるし、
北海道は奥羽諸大名の北、
中央の豊臣家から見ると遠方に隔離された直轄地になる。
- 448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 17:47:32 ID:6HY2kPz70.net
- やろうと思えばいくらでも北に版図を広げられる蠣崎が松前付近から
ほとんど広げなかった点からみると当時は蝦夷地や樺太は領有しても
経済的メリットは無かったんでしょ。
台湾に関しては鄭成功からの派兵依頼に徳川家綱(酒井忠清ら)が応じて
積極介入してれば台湾を琉球のような外藩に置けた可能性は大きいと思われる。
また朱子学を信奉し親朝鮮派だった徳川綱吉が自主的に鬱陵島を朝鮮に献上したが
もし、他の将軍だったら彼の地も日本領土(天領)となっていたことだろう。
- 449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:21:24 ID:n473Ex1U0.net
- 台湾は無理だと思うけど。。。
管理運営するには遠すぎる
- 450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:29:22 ID:6HY2kPz70.net
- 管理運営まではむずくても
台湾を清に属さない独立勢力としておく事自体に意味があると思う。
中国・台湾が対立する状況の方が日本も清に対して外交戦術を使いやすい。
仮に朝鮮半島と揉め事が起きても台湾問題をはさんでれば一方的に日本叩きをしづらくなる。
また南蛮貿易でも薩摩が琉球を中継地として貿易路を確保してたが
それが台湾(親日国、庇護国として)まで伸びれば欧州の海洋国や東南アジアとの貿易でも日本が有利になる。
- 451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:06:28 ID:xtnIw74H0.net
- >>448
北海道は明治からの開拓でもあれだけ大変だったからね。
米も基本的には取れなかったし、
領有しようという意欲が湧かなかったんだろうな。
- 452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:17:04 ID:RESuYdZ/0.net
- 海産物を押さえるだけでも莫大な利益が出そうだけどな。北方は
領土拡張よりも貿易メインで世界進出を図るべきだったと思うよ
- 453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:26:33 ID:Axm1JnBb0.net
- 当時の海産物は保存もきかないし高級すぎて需要が見込めなかったんだと思う
少なくとも不毛で瘴癘な地に乗り込むほどの魅力はないだろう
- 454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:30:20 ID:6VTN0UrqP.net
- 北方はメリット無し、って事は無いだろう
少し後にロシア人が東征始めて、アラスカまで行ってるんだから
18世紀の江戸時代の学者で、カムチャッカを領有して遷都すべきだ、とか主張してた人がいたんだよね
- 455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:35:28 ID:6VTN0UrqP.net
- ロシア人は原住民から動物の毛皮を買ったりして、儲けてたんだよ
- 456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:37:59 ID:xtnIw74H0.net
- 毛皮とか、海産物とか、当時の秀吉らの感覚からすれば、
かなり未知の商品だっただろうね。
それに進出しても、数年ではものにならないし、
数十年かけてじっくり開拓しなければならない。
- 457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:16:15 ID:N6DWaiMG0.net
- ロシアは国として東征を断行したわけじゃなく
コサックを上手く利用だけだから。
ロシアは農奴制の国で貴族と農民の差が天地の差だったけど
コサックという本来は奴隷のような奴等に皇帝に忠誠を尽くせば
士族の資格を与え(武装する資格を与えられる)土地を与えるよと釣り餌を与え
コサックは競ってロシア人が行った事もない前人未踏の地へ命知らずの探検してまで
「皇帝陛下!新しい土地を見つけて参りました!」と自主的に国土を広げた。
(そのまま皇帝直属の兵士という名誉と勲章を与えられ屯田兵として国境警備と狩猟・耕作・交易にあたった。)
日本で真似するならば「えた、ひにん、水呑百姓」に
「お前等が誰も足を踏み入れた事にない土地へ行って国土を広げれば
旗本・御家人の資格を与えるぞ!」と征夷大将軍が御触れを出すようなものだ。
実際に徳川歴代将軍の誰かがそういう英断をしてれば
貧農たちが御家人になるために蝦夷、樺太、千島、シベリア、アラスカまで進出して
将軍に新国土として進呈した事は想像に難くない。
(しかし実際は国内の開拓に力を尽くし
土地を持たない百姓に未耕地を耕せば一定期間年貢免除という特約で加速的に耕作地を増やした)
- 458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 07:39:35 ID:8MFyL7O+0.net
- 鎖国してる徳川家には無理があるな
- 459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 12:25:25 ID:XIRCMroKP.net
- 江戸時代に幕府の何とかって人が、「罪人を何十人かくれれば、北方を開拓してみせる」って主張してたらしい
その人は豪傑として知られた武士だったそうだよ
- 460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:10:15 ID:gf0DZXEi0.net
- >>457
日本の場合は、浪人を使うことになるかな?
開拓した土地は領土してあげる、というような政策で。
- 461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:59:40 ID:i6tFyh3Y0.net
- なんか平安時代にそんな感じの政策あったなw
- 462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:46:55 ID:5FiscKUM0.net
- どんなに領土を広げても結局は近衛や東條のようなリーダーが出て
領土は没収されてたよ。
それが歴史の大きな流れ
- 463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:55:21 ID:5FiscKUM0.net
- 明治維新の元勲は賢かったが伊藤博文死後はろくな奴等が残ってなかったもんな
黒田?山縣?なんじゃそれwって感じだし。
凄い先が見えた政治力が卓越した人間が、その後の宰相になってれば
朝鮮北半分を緩衝地帯として英仏に売却して遼東半島の独、北チョンの英仏と満州のロシアが対立するよう仕向けただろうな。
イギリスとしてはロシア憎しの感情が強かったから喜んで、その干渉地帯に壕やトーチカを作って要塞化したと思うぜ。
同時に日本は、それ以上領土を広げられないが日本海の制海権だけをしっかり守り
国土保全をするのは可能だったと思う(タイ王国が自らの国土を英仏の緩衝地帯にしたのを真似たような策だけどw)
- 464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:57:30 ID:4JBHCL850.net
- まあ後世に高みから見ればいろいろ言えるだろうけど、
当時の人たちには分からないだろう。
- 465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:09:10 ID:5mX4/7yM0.net
- >>463
その場合、日本のプレステージもここまで振るわなかったと思われる。
白:黄:黒とすると8:2:0くらいの配分だろうか。
少しでも非白人の取り分を増やすには、拙速でも行動あるのみだった。
- 466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:39:37 ID:KHkFKNBfP.net
- 日本がタイみたいな国になって、それは成功なのかね?
帝国主義戦争する側に回った事で、イギリスやドイツと同じ土俵に立てる国になったわけだし
第2次大戦の時はスペインみたいに、中立の立場を取りたかったね
それなら朝鮮、満州は独立するにしても、台湾、千島、樺太、南洋諸島は残ったはず
- 467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:48:11 ID:l/7e7W9i0.net
- スレタイ嫁
ていうか板名嫁
- 468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:10:21 ID:CfPLqFgF0.net
- 秀吉の言動として伝わっているものから窺う限りでは、
大陸を征服できたら、やっぱり大名制を敷くつもりだったみたいだな。
- 469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 12:19:59 ID:CDgNtBQm0.net
- 日本、中国、朝鮮にそれぞれ天皇や関白を置くようなことを口走っていたようだけど、
連合国家みたいな構想?
まあ、そこまで深く考えていたかは分からないけど。
寧波に拠点を置こうってのは、当時の日本人からしたら、
大陸の海の玄関みたいな感覚だったんだろうな。
- 470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:27:38 ID:Q5K633G60.net
- 当時の日本人からしたら中国大陸の大きさなんて想像できなかったのかも
せいぜい日本の2倍ぐらいだろとか思ってたんじゃねーの
- 471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:46:42 ID:FT5M1d7O0.net
- 秀吉は朝鮮の事を宗氏に服属する弱小半島程度にしか考えてなかったそうだし。
- 472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 11:45:58 ID:kBtHh3xr0.net
- 明を征服したら、国をいくつ領土してやる、
と言ってる場合の“国”ってのは州のことを指していたんだろうな。
中国大陸の場合、華北なんかでは米の取れない地域も多いけど、
そういうところを領土として与えられたら大名たちもかなり戸惑うかな?
- 473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:28:30 ID:dZZwXXND0.net
- 人事圧力のはけ口として秀吉は対明戦争をせざるを得なかったと
堺屋太一らは言ってるけど、それはどうなんだろうね。
大名の過半数や親族まで全員が「明を征伐すべきだ!」と主張して
圧倒的な世論に抵抗できず秀吉が渋々戦争を仕掛けたというなら説得力があるが
実際は逆だしな・・・
- 474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 11:16:24 ID:P7UdItUx0.net
- >>471
実際朝鮮一国だけならあっさり占領できてたろうしな。
明軍登場までは鎧袖一触だったし
- 475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 11:35:10 ID:5GGHnLrh0.net
- 時代の機運として外征を望む声はそこそこあったみたいだよ。
大きかったのは、領地を失ってしまった浪人たちとか、
戦乱の終結で商売が挫折した鉄砲製造などの軍需産業の商人とか、
そのあたりから要望が強かったんじゃないかな。
- 476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 13:40:34 ID:M/YVbN+70.net
- 徳川の時代になってから失業した兵たちが仕事を求めて海外に流出した数は
10万人以上になると聞いたことがあるな
- 477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:55:03 ID:+a9J+nqn0.net
- 中国人も色々な理由で海外で華僑作り上げて世界中で今ではチャイナタウンつくりまくりなのにその日本人たちの子孫はほとんど現地人化したよな」
日本人が同化しすぎなのか中国人が同化しなすぎなのか
- 478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:18:17 ID:dZZwXXND0.net
- >>476
yamada nagamasa
- 479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:51:29 ID:0REUi8dH0.net
- >>477
鎖国で本国との繋がりが断たれてしまったのが大きいんじゃないかな?
新たに人間が供給されることもなくなったわけだし。
- 480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 03:06:47 ID:5gyTrLjB0.net
- 海外流出した人間の多くが浪人なのか
それとも商人なのかは興味深いね。
俺は海外貿易などをしてた商人の方が多いと勝手に思ってる
戦うだけしか能の無い人間が東南アジア各国の日本人町で立派に生計をたてて
仕事に勤しんでたとは思いづらいからだ。
- 481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 05:11:44 ID:j7znD+TY0.net
- 傭兵として雇われた浪人は結構多いっぽいね。
鄭成功の下にも日本人傭兵はいたっぽいし。
傭兵のスカウト業者みたいなのがいたりしたんだろうか?
- 482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 08:52:17 ID:5gyTrLjB0.net
- 商人だけだと海賊に遭遇したケースではお手上げだし
現地で日本人町を開くにも一定の自治能力としての武力は絶対必要だから
ある程度、浪人も雇われただろうね(自衛隊&警察官&用心棒?)
- 483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:19:31 ID:j7znD+TY0.net
- ヨーロッパの貿易船も、日本人傭兵を使っていたらしいしね。
やり方次第では、あの時代は、傭兵の輸出でも結構稼げたかもw
- 484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:52:50 ID:oFXeSC450.net
- 倭寇をしていた連中は、文禄慶長の役にはどれぐらい参加したんだろう?
倭寇には中国人がかなりの数含まれていたはずだけど、
日本側として参加した者はいたのかな?
- 485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 15:40:44 ID:h+kNeEkO0.net
- 【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/
- 486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:58:10 ID:yUsqo25Z0.net
- 【海賊?】 倭寇 【貿易商?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182917529/
- 487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 01:19:17 ID:vvWxCsQG0.net
- 鬼石蔓子
- 488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 00:56:49 ID:YaNQz+lG0.net
- >>1
そもそも明倒したのって李自成だよね・・
- 489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 10:40:26 ID:v3cbkpwt0.net
- 明朝の本体を直接倒したのは李自成だな。
でも、それまでに散々圧迫を加え、更に残党を掃討したのは清朝。
- 490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 15:30:19 ID:Bdtke26y0.net
- 間接的という点では、秀吉もそこそこ影響は与えている明朝滅亡に。
- 491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:54:50 ID:leP3WCmX0.net
- 明朝滅亡に加え、ヌルハチの勢力拡大にもある程度は寄与しているよ。
遼東にいた明軍は、朝鮮の役への対応に忙殺されて、
女真族への監視が甘くなったのだから。
- 492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 04:05:53 ID:J4dXNOWm0.net
- ヌルハチが朝鮮に攻め入った時、日本を来させるぞと言われて
朝鮮半島の占領をやめたらしい
- 493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 10:01:02 ID:CTSWVj2V0.net
- 朝鮮が徳川幕府との関係改善に積極的だったのは、
満州族の脅威に対して、日本を後ろ盾にして対抗したかったからみたいだね。
見事に失敗しているけどw
- 494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:14:11 ID:DapCznq+0.net
- 仮にうわべだけ同盟結んでも日本は助けにいかないだろうな
申し訳程度に九州の小大名の軍が数千送って三方ヶ原の佐久間状態になるだけだろう
- 495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 23:48:42 ID:eijs2mmA0.net
- その出兵を命じられた九州の大名も、嫌々の出兵だろうから、
元を取るために掠奪とかしそうだしなw
つか朝鮮側も、清に対してそう見せかけたいだけど、
実際に日本軍に来てもらおうなんて全然思っていないだろうし。
- 496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 01:15:45 ID:/KmwzQDk0.net
- >>492-495
250年前倒しの日清戦争かw
- 497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 13:41:44 ID:nOqB6/yK0.net
- >>493-495
つーか、援軍に呼んでおきながら、
途中で朝鮮が寝返りそうな予感
- 498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:55:57 ID:v4I35wwv0.net
- 朝鮮人は日本を裏切ることに対しては良心の呵責を覚えないだろうからなw
- 499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 09:08:35 ID:t4rqCBy60.net
- >>478
山田長政の事跡ってどこまで本当なんだろうね。
伝説的な人物だけど。
- 500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 23:52:57 ID:7ezAxZSh0.net
- 山田長政の伝説はかなり創作も入って過大評価だと思うけど、
そのわりに日本では扱いが地味で、かえって過小評価な気も。
- 501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:24:00 ID:+G2+kOeU0.net
- >>487
鬼石曼子の威名って、実際のところ、
明の本国にはどれぐらい浸透したんだろうね?
どうも日本側で過大評価している気がするけど・・・・・・
- 502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:48:27 ID:8T3PfqpW0.net
- 明朝万暦朝鮮之役之所以戦勝的原因
http://zhidao.baidu.com/question/18028420.html
- 503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:40:20 ID:EtYbw49i0.net
- >>501
鬼はゾンビや幽靈だと言うから、そもそも威名でないのは今日周知の事実だし、
それが明帝国に浸透していたとしても水滸伝の太閤とやらと同レベルの卑称であったろう。
- 504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:38:31 ID:0bFkGv3P0.net
- 秀吉みたいな貧農の成り上がりが天下を取ってしまったから、
足るということを知らずに余分な欲望に駆られたんだな。
シナとは付かず離れずの付き合いするのが聖徳太子以来の日本の一種の国是なのに、
そういう教養がないから無理をする。
昭和になって陸海軍の学校が農民の次男三男坊の出世コースになって以降、
皇道派などアホな過激派が力をもってしまって軍隊の道の誤りと堕落に繋がったのと同じ。
- 505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:57:38 ID:+s/LhBt80.net
- >>504
>貧農の成り上がりが天下を取ってしまったか
明を建国したあのお方の耳に入ったら……
- 506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:49:00 ID:wDCZh0k30.net
- >>504
3行目は今の日本の政治家や財界人たちにぜひ言ってやってくれ
- 507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:12:03 ID:wLAgJofu0.net
- ぶっちゃけ秀吉の外征は、領土獲得への欲望と言うより、
国内問題に対処するための必要な政策という側面が強かったと思う。
内戦終結で大量の浪人が生じ、軍需産業は停滞、
余剰な軍事力があるという状況に直面したわけだから。
- 508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 15:48:31 ID:uoqNb0FK0.net
- 清太宗と豊臣秀吉の差異は豊臣秀吉は朝鮮を攻撃したが
清太宗は明を滅亡させた. 朝鮮が宗主国にする明を滅亡させると
朝鮮も屈服する. また戦略的に見る時サポート勢力が消えるから
朝鮮は自然易しく征腹することができる.
豊臣秀吉は利点が分からなかったのだ.
朝鮮を征伐する前に先に明を滅亡させたら
彼は中国の皇帝になっていたはずだ. これは歴史的教訓だ.
- 509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 19:01:53 ID:avuqzd380.net
- >>508
妄想乙wwwwwww
- 510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 21:23:49 ID:WWSjTwqK0.net
- >>508
だから、その明を征服するのが、
実際実行するとなると難しいって話しているんじゃないかw
- 511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:25:07 ID:oMRHELWu0.net
- >>508
清(後金)は入関前に朝鮮を屈服させてるんだが。
- 512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 02:04:10 ID:X4zekjAX0.net
- |
J
- 513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 13:50:10 ID:95QC9W6T0.net
- >>511
清が朝鮮を屈服させることができたのは、何より進撃速度の速さじゃないかと思う。
国境を突破してから数日で漢城まで攻め寄せ、国王に江華島へ逃げる間を与えなかった。
- 514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 14:58:16 ID:tuOkLu8y0.net
- 文禄・慶長の役の時も、朝鮮王が北へ逃げずに江華島に籠っていたら、
どうなっただろう?
国王が捕虜になったら、朝鮮側は別に新たな王を立てる?
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