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秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:35:54 ID:9a07bTvi0.net
日本側が大敗したと言われるヘキテイカンの戦いも
小西行長らがろくに諜報活動せず間近に大軍が来て初めて気付いたとか
信じられないチョンボを数多くしたらしいね。
明軍の川を隔てて行軍してるわけだから、きちんと諜報活動してれば
渡河の最中を襲うなり、そこに防衛線を敷くなり、いくらでも戦い方はあったろう。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 16:42:02 ID:9a07bTvi0.net
すまん。全然ヘキテイカンじゃなかった。逆にそこでは日本軍が勝ってたんだ。
戦の名を忘れた。逝きますね

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 21:35:59 ID:D9qsMii70.net
島津義弘は7000人の兵で
37000〜80000ぐらいの明兵をぬっ殺したとか

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 01:51:58 ID:TLYtJBwx0.net
>>425
碧蹄館の戦いは、最初に平壌にいた小西行長が明と和睦交渉をしているつもりで、
油断をしていたところを襲われて慌てて退却。

が、明軍も相手が退却したので調子に乗って攻めかかったら、
碧蹄館の戦いで痛い目に遭わされた感じ。

どっちも間抜けに見えるけど、現実の戦いなんてそんなものなのかもね。

>>427
泗川の戦いは島津軍が劣勢にもかかわらず大勝したのは事実だろうけど、
明の大軍二十万とか、八万人を討ったとかになるとさすがに誇張だと思う。

八万人戦死は明側の報告らしいけど、まじめに実数を報告する武官なんているわけないだろうし。







429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 02:58:58 ID:fLzWDm5u0.net
でも自軍の戦死者数をわざわざ多く報告するもんだろうかね

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 03:57:52 ID:jpaNTth80.net
兵士を連れてく時は兵士数を多目に報告して糧食や軍費を余分に受け取り
逆に負けた時は少な目に報告するのは常識。
(赤城山に立てこもる楠木正成を幕府軍100万の軍勢が攻めたというのは
各地から集まった武将が連れてった兵士を幕府に多目に報告した事から起きた。
実数は1/10以下の8万人か、それ以下ではないかとも言われている)

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:47:48 ID:ymrZPxlR0.net
明って戦で大敗すると責任者が処刑される場合もあるらしいからな。そりゃ捏造が横行もするよな

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 16:35:19 ID:TLYtJBwx0.net
>>429
基本的には負けた場合は、被害を少な目に報告する。
だけど、例えば戦死者に慰労金が出る場合や、
敵を強大だと言い立てて、援軍を引き出そうという意図があったり、
退却の許可を得たり、などの場合は違って来る。

この泗川の戦いの場合、明軍は戦闘に敗北はしているけど、
日本側は撤退途中だったわけで、結果的には日本軍を撃退したという格好になった。

だから、強大な敵に苦戦し、大きな損害を出したが、
頑張って撃退することに成功したと取り繕えば、過失を功績に転じることができる。

その上で、戦死した将兵に慰労金を、という話に持っていったかも知れない。


433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 21:58:53 ID:zagu1lti0.net
日清戦争では清の将軍(葉子長だっけ?)が戦場で死んだ兵士に与えられるはずだった給金や
軍糧をネコババして自分のモノにし、なおかつ上司や軍監への莫大なワイロとして散財し
北京の皇帝(西大后だから皇帝ではないか)に粉飾した報告を上げてたんだよね。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 22:43:36 ID:8N+94JMl0.net
明代は、武官冷遇がよく言われる宋代以上に、
武官を蔑視する社会的風潮が強かったみたいだからね。
官位こそ高くても、文人からは、
まともな人間がなるものじゃないと見なされていた。
それで、世襲で武官の職を継げても、それを放り出して、
科挙を受けようとする者がたくさんいた。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 09:53:58 ID:ZUbS1wSPO.net
戦争に勝つのなら、科挙に登用されるような一定以上の知識を持った人間の方が良い戦略を練れるだろう。
この時代の単純な戦術的勝利の蓄積は軍閥連の軋轢を生み、戦略的な勝利、ひいては戦争の勝利からは遠退いてしまう。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 19:06:39 ID:72qzKMzF0.net
>>435
戦争に勝つ事より軍閥割拠の方が恐ろしいんだろ
異民族侵入をかろうじて防ぎとめる最小限の武装をして
できれば軍人には余分な戦力や権力を持たせたくないというのが本音だろうと思う。
朝鮮征伐でも明は日本に勝とうが負けようがさほど関心なんかなく
最初から講和・和平を主張し続け、逆に朝鮮王宣祖は執拗に和平反対及び日本への復讐及び侵攻を
主張し続けていた。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 19:06:59 ID:fGQvcm1Z0.net
>>435
そうでないだろ。
科挙官僚の軍事の才能はたいしたことないだろ。
軍事の才能は天賦のもので知的水準とは関係ないだろ。
いい例は英仏100年戦争の時のフランスの将軍、デゥ・ゲクランだろう。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:07:19 ID:QXYmkP8U0.net
たまに科挙官僚出身で、軍事の才能も持ち合わせている奴が現れるところが、
また面白い。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:22:52 ID:fGQvcm1Z0.net
>>438
軍事の才能とは戦略のこと?それとも戦術のこと?
曽国藩とか李鴻章が思いつくな。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:37:17 ID:mHymVhMP0.net
袁崇煥は文官出身だよな

まあ、科挙に受かることと、軍事的な才能に相関はあまり無さそうだが
知将型のイメージはある。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 00:17:52 ID:9NbCrVoR0.net
日本に科挙があっても絶対に信長や秀吉は受からなかったろうな。
三成とかは受かったかもしれんが。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 11:08:48 ID:Wnq8eFn20.net
>>437
>>軍事の才能は天賦のもので知的水準とは関係ないだろ
才能があっても発揮できないし、教育で才能に磨きをかけなきゃ

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 15:36:38 ID:ssJZ0g/V0.net
岳飛は、まじめに科挙受験したら、受かったかな?

武官にしてはかなり教養あったようだけど、
それで他の同僚武官を見下したから、
嫌われてもいたようだけど。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:38:38 ID:6VTN0UrqP.net
中国取るより、北海道、樺太、沿海州に進出すれば良かったのにな
欧州人はズル賢いから、強い王朝がある国には戦争仕掛けず、弱い地域を植民地にしていった

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 02:13:37 ID:i1ivpXCo0.net
>435>442
そもそも科挙に受かるための勉強は
教養とか知性に磨きをかけるような物じゃねぇから。

既に学問的な名声を確立してるような大学者・詩人が
「字がきたねぇ」とか「文章表現が独特すぎて様式に当て嵌まってない」とか
そんな理由で落されるような、そういう受験なんだぜ。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 03:30:16 ID:RAeCupnf0.net
>>444
ズルは余計だよ

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 14:55:13 ID:+HIjuS7e0.net
>>444
北海道とか台湾を押さえればよかったと思うけど、地理的にややこしいんだよね。
台湾の場合は、島津、琉球経由になるし、
北海道は奥羽諸大名の北、
中央の豊臣家から見ると遠方に隔離された直轄地になる。



448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 17:47:32 ID:6HY2kPz70.net
やろうと思えばいくらでも北に版図を広げられる蠣崎が松前付近から
ほとんど広げなかった点からみると当時は蝦夷地や樺太は領有しても
経済的メリットは無かったんでしょ。

台湾に関しては鄭成功からの派兵依頼に徳川家綱(酒井忠清ら)が応じて
積極介入してれば台湾を琉球のような外藩に置けた可能性は大きいと思われる。
また朱子学を信奉し親朝鮮派だった徳川綱吉が自主的に鬱陵島を朝鮮に献上したが
もし、他の将軍だったら彼の地も日本領土(天領)となっていたことだろう。



449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:21:24 ID:n473Ex1U0.net
台湾は無理だと思うけど。。。
管理運営するには遠すぎる

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:29:22 ID:6HY2kPz70.net
管理運営まではむずくても
台湾を清に属さない独立勢力としておく事自体に意味があると思う。
中国・台湾が対立する状況の方が日本も清に対して外交戦術を使いやすい。
仮に朝鮮半島と揉め事が起きても台湾問題をはさんでれば一方的に日本叩きをしづらくなる。
また南蛮貿易でも薩摩が琉球を中継地として貿易路を確保してたが
それが台湾(親日国、庇護国として)まで伸びれば欧州の海洋国や東南アジアとの貿易でも日本が有利になる。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:06:28 ID:xtnIw74H0.net
>>448
北海道は明治からの開拓でもあれだけ大変だったからね。
米も基本的には取れなかったし、
領有しようという意欲が湧かなかったんだろうな。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:17:04 ID:RESuYdZ/0.net
海産物を押さえるだけでも莫大な利益が出そうだけどな。北方は
領土拡張よりも貿易メインで世界進出を図るべきだったと思うよ

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:26:33 ID:Axm1JnBb0.net
当時の海産物は保存もきかないし高級すぎて需要が見込めなかったんだと思う
少なくとも不毛で瘴癘な地に乗り込むほどの魅力はないだろう

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:30:20 ID:6VTN0UrqP.net
北方はメリット無し、って事は無いだろう
少し後にロシア人が東征始めて、アラスカまで行ってるんだから
18世紀の江戸時代の学者で、カムチャッカを領有して遷都すべきだ、とか主張してた人がいたんだよね

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:35:28 ID:6VTN0UrqP.net
ロシア人は原住民から動物の毛皮を買ったりして、儲けてたんだよ

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 23:37:59 ID:xtnIw74H0.net
毛皮とか、海産物とか、当時の秀吉らの感覚からすれば、
かなり未知の商品だっただろうね。

それに進出しても、数年ではものにならないし、
数十年かけてじっくり開拓しなければならない。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 00:16:15 ID:N6DWaiMG0.net
ロシアは国として東征を断行したわけじゃなく
コサックを上手く利用だけだから。
ロシアは農奴制の国で貴族と農民の差が天地の差だったけど
コサックという本来は奴隷のような奴等に皇帝に忠誠を尽くせば
士族の資格を与え(武装する資格を与えられる)土地を与えるよと釣り餌を与え
コサックは競ってロシア人が行った事もない前人未踏の地へ命知らずの探検してまで
「皇帝陛下!新しい土地を見つけて参りました!」と自主的に国土を広げた。
(そのまま皇帝直属の兵士という名誉と勲章を与えられ屯田兵として国境警備と狩猟・耕作・交易にあたった。)

日本で真似するならば「えた、ひにん、水呑百姓」に
「お前等が誰も足を踏み入れた事にない土地へ行って国土を広げれば
旗本・御家人の資格を与えるぞ!」と征夷大将軍が御触れを出すようなものだ。

実際に徳川歴代将軍の誰かがそういう英断をしてれば
貧農たちが御家人になるために蝦夷、樺太、千島、シベリア、アラスカまで進出して
将軍に新国土として進呈した事は想像に難くない。
(しかし実際は国内の開拓に力を尽くし
土地を持たない百姓に未耕地を耕せば一定期間年貢免除という特約で加速的に耕作地を増やした)

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 07:39:35 ID:8MFyL7O+0.net
鎖国してる徳川家には無理があるな

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 12:25:25 ID:XIRCMroKP.net
江戸時代に幕府の何とかって人が、「罪人を何十人かくれれば、北方を開拓してみせる」って主張してたらしい
その人は豪傑として知られた武士だったそうだよ

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:10:15 ID:gf0DZXEi0.net
>>457
日本の場合は、浪人を使うことになるかな?
開拓した土地は領土してあげる、というような政策で。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 14:59:40 ID:i6tFyh3Y0.net
なんか平安時代にそんな感じの政策あったなw

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:46:55 ID:5FiscKUM0.net
どんなに領土を広げても結局は近衛や東條のようなリーダーが出て
領土は没収されてたよ。

それが歴史の大きな流れ

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:55:21 ID:5FiscKUM0.net
明治維新の元勲は賢かったが伊藤博文死後はろくな奴等が残ってなかったもんな
黒田?山縣?なんじゃそれwって感じだし。
凄い先が見えた政治力が卓越した人間が、その後の宰相になってれば
朝鮮北半分を緩衝地帯として英仏に売却して遼東半島の独、北チョンの英仏と満州のロシアが対立するよう仕向けただろうな。
イギリスとしてはロシア憎しの感情が強かったから喜んで、その干渉地帯に壕やトーチカを作って要塞化したと思うぜ。
同時に日本は、それ以上領土を広げられないが日本海の制海権だけをしっかり守り
国土保全をするのは可能だったと思う(タイ王国が自らの国土を英仏の緩衝地帯にしたのを真似たような策だけどw)

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:57:30 ID:4JBHCL850.net
まあ後世に高みから見ればいろいろ言えるだろうけど、
当時の人たちには分からないだろう。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:09:10 ID:5mX4/7yM0.net
>>463
その場合、日本のプレステージもここまで振るわなかったと思われる。
白:黄:黒とすると8:2:0くらいの配分だろうか。
少しでも非白人の取り分を増やすには、拙速でも行動あるのみだった。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:39:37 ID:KHkFKNBfP.net
日本がタイみたいな国になって、それは成功なのかね?
帝国主義戦争する側に回った事で、イギリスやドイツと同じ土俵に立てる国になったわけだし

第2次大戦の時はスペインみたいに、中立の立場を取りたかったね
それなら朝鮮、満州は独立するにしても、台湾、千島、樺太、南洋諸島は残ったはず

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:48:11 ID:l/7e7W9i0.net
スレタイ嫁
ていうか板名嫁

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:10:21 ID:CfPLqFgF0.net
秀吉の言動として伝わっているものから窺う限りでは、
大陸を征服できたら、やっぱり大名制を敷くつもりだったみたいだな。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 12:19:59 ID:CDgNtBQm0.net
日本、中国、朝鮮にそれぞれ天皇や関白を置くようなことを口走っていたようだけど、
連合国家みたいな構想?

まあ、そこまで深く考えていたかは分からないけど。

寧波に拠点を置こうってのは、当時の日本人からしたら、
大陸の海の玄関みたいな感覚だったんだろうな。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:27:38 ID:Q5K633G60.net
当時の日本人からしたら中国大陸の大きさなんて想像できなかったのかも
せいぜい日本の2倍ぐらいだろとか思ってたんじゃねーの

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:46:42 ID:FT5M1d7O0.net
秀吉は朝鮮の事を宗氏に服属する弱小半島程度にしか考えてなかったそうだし。


472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 11:45:58 ID:kBtHh3xr0.net
明を征服したら、国をいくつ領土してやる、
と言ってる場合の“国”ってのは州のことを指していたんだろうな。

中国大陸の場合、華北なんかでは米の取れない地域も多いけど、
そういうところを領土として与えられたら大名たちもかなり戸惑うかな?

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:28:30 ID:dZZwXXND0.net
人事圧力のはけ口として秀吉は対明戦争をせざるを得なかったと
堺屋太一らは言ってるけど、それはどうなんだろうね。
大名の過半数や親族まで全員が「明を征伐すべきだ!」と主張して
圧倒的な世論に抵抗できず秀吉が渋々戦争を仕掛けたというなら説得力があるが
実際は逆だしな・・・

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 11:16:24 ID:P7UdItUx0.net
>>471
実際朝鮮一国だけならあっさり占領できてたろうしな。
明軍登場までは鎧袖一触だったし

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 11:35:10 ID:5GGHnLrh0.net
時代の機運として外征を望む声はそこそこあったみたいだよ。
大きかったのは、領地を失ってしまった浪人たちとか、
戦乱の終結で商売が挫折した鉄砲製造などの軍需産業の商人とか、
そのあたりから要望が強かったんじゃないかな。


476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 13:40:34 ID:M/YVbN+70.net
徳川の時代になってから失業した兵たちが仕事を求めて海外に流出した数は
10万人以上になると聞いたことがあるな

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:55:03 ID:+a9J+nqn0.net
中国人も色々な理由で海外で華僑作り上げて世界中で今ではチャイナタウンつくりまくりなのにその日本人たちの子孫はほとんど現地人化したよな」
日本人が同化しすぎなのか中国人が同化しなすぎなのか

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:18:17 ID:dZZwXXND0.net
>>476
yamada nagamasa

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:51:29 ID:0REUi8dH0.net
>>477
鎖国で本国との繋がりが断たれてしまったのが大きいんじゃないかな?
新たに人間が供給されることもなくなったわけだし。

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 03:06:47 ID:5gyTrLjB0.net
海外流出した人間の多くが浪人なのか
それとも商人なのかは興味深いね。
俺は海外貿易などをしてた商人の方が多いと勝手に思ってる
戦うだけしか能の無い人間が東南アジア各国の日本人町で立派に生計をたてて
仕事に勤しんでたとは思いづらいからだ。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 05:11:44 ID:j7znD+TY0.net
傭兵として雇われた浪人は結構多いっぽいね。

鄭成功の下にも日本人傭兵はいたっぽいし。
傭兵のスカウト業者みたいなのがいたりしたんだろうか?

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 08:52:17 ID:5gyTrLjB0.net
商人だけだと海賊に遭遇したケースではお手上げだし
現地で日本人町を開くにも一定の自治能力としての武力は絶対必要だから
ある程度、浪人も雇われただろうね(自衛隊&警察官&用心棒?)

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:19:31 ID:j7znD+TY0.net
ヨーロッパの貿易船も、日本人傭兵を使っていたらしいしね。
やり方次第では、あの時代は、傭兵の輸出でも結構稼げたかもw

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:52:50 ID:oFXeSC450.net
倭寇をしていた連中は、文禄慶長の役にはどれぐらい参加したんだろう?

倭寇には中国人がかなりの数含まれていたはずだけど、
日本側として参加した者はいたのかな?

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 15:40:44 ID:h+kNeEkO0.net
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:58:10 ID:yUsqo25Z0.net
【海賊?】 倭寇 【貿易商?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182917529/

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 01:19:17 ID:vvWxCsQG0.net
鬼石蔓子

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 00:56:49 ID:YaNQz+lG0.net
>>1
そもそも明倒したのって李自成だよね・・

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 10:40:26 ID:v3cbkpwt0.net
明朝の本体を直接倒したのは李自成だな。
でも、それまでに散々圧迫を加え、更に残党を掃討したのは清朝。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 15:30:19 ID:Bdtke26y0.net
間接的という点では、秀吉もそこそこ影響は与えている明朝滅亡に。

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:54:50 ID:leP3WCmX0.net
明朝滅亡に加え、ヌルハチの勢力拡大にもある程度は寄与しているよ。
遼東にいた明軍は、朝鮮の役への対応に忙殺されて、
女真族への監視が甘くなったのだから。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 04:05:53 ID:J4dXNOWm0.net
ヌルハチが朝鮮に攻め入った時、日本を来させるぞと言われて
朝鮮半島の占領をやめたらしい

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 10:01:02 ID:CTSWVj2V0.net
朝鮮が徳川幕府との関係改善に積極的だったのは、
満州族の脅威に対して、日本を後ろ盾にして対抗したかったからみたいだね。

見事に失敗しているけどw

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:14:11 ID:DapCznq+0.net
仮にうわべだけ同盟結んでも日本は助けにいかないだろうな
申し訳程度に九州の小大名の軍が数千送って三方ヶ原の佐久間状態になるだけだろう

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 23:48:42 ID:eijs2mmA0.net
その出兵を命じられた九州の大名も、嫌々の出兵だろうから、
元を取るために掠奪とかしそうだしなw

つか朝鮮側も、清に対してそう見せかけたいだけど、
実際に日本軍に来てもらおうなんて全然思っていないだろうし。

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 01:15:45 ID:/KmwzQDk0.net
>>492-495
250年前倒しの日清戦争かw

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 13:41:44 ID:nOqB6/yK0.net
>>493-495
つーか、援軍に呼んでおきながら、
途中で朝鮮が寝返りそうな予感

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 23:55:57 ID:v4I35wwv0.net
朝鮮人は日本を裏切ることに対しては良心の呵責を覚えないだろうからなw

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 09:08:35 ID:t4rqCBy60.net
>>478
山田長政の事跡ってどこまで本当なんだろうね。
伝説的な人物だけど。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 23:52:57 ID:7ezAxZSh0.net
山田長政の伝説はかなり創作も入って過大評価だと思うけど、
そのわりに日本では扱いが地味で、かえって過小評価な気も。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:24:00 ID:+G2+kOeU0.net
>>487
鬼石曼子の威名って、実際のところ、
明の本国にはどれぐらい浸透したんだろうね?

どうも日本側で過大評価している気がするけど・・・・・・

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:48:27 ID:8T3PfqpW0.net
明朝万暦朝鮮之役之所以戦勝的原因
http://zhidao.baidu.com/question/18028420.html

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:40:20 ID:EtYbw49i0.net
>>501
鬼はゾンビや幽靈だと言うから、そもそも威名でないのは今日周知の事実だし、
それが明帝国に浸透していたとしても水滸伝の太閤とやらと同レベルの卑称であったろう。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:38:31 ID:0bFkGv3P0.net
秀吉みたいな貧農の成り上がりが天下を取ってしまったから、
足るということを知らずに余分な欲望に駆られたんだな。
シナとは付かず離れずの付き合いするのが聖徳太子以来の日本の一種の国是なのに、
そういう教養がないから無理をする。
昭和になって陸海軍の学校が農民の次男三男坊の出世コースになって以降、
皇道派などアホな過激派が力をもってしまって軍隊の道の誤りと堕落に繋がったのと同じ。



505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:57:38 ID:+s/LhBt80.net
>>504
>貧農の成り上がりが天下を取ってしまったか

明を建国したあのお方の耳に入ったら……

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:49:00 ID:wDCZh0k30.net
>>504
3行目は今の日本の政治家や財界人たちにぜひ言ってやってくれ

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:12:03 ID:wLAgJofu0.net
ぶっちゃけ秀吉の外征は、領土獲得への欲望と言うより、
国内問題に対処するための必要な政策という側面が強かったと思う。

内戦終結で大量の浪人が生じ、軍需産業は停滞、
余剰な軍事力があるという状況に直面したわけだから。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 15:48:31 ID:uoqNb0FK0.net
清太宗と豊臣秀吉の差異は豊臣秀吉は朝鮮を攻撃したが
清太宗は明を滅亡させた. 朝鮮が宗主国にする明を滅亡させると
朝鮮も屈服する. また戦略的に見る時サポート勢力が消えるから
朝鮮は自然易しく征腹することができる.
豊臣秀吉は利点が分からなかったのだ.
朝鮮を征伐する前に先に明を滅亡させたら
彼は中国の皇帝になっていたはずだ. これは歴史的教訓だ.










509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 19:01:53 ID:avuqzd380.net
>>508
妄想乙wwwwwww

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 21:23:49 ID:WWSjTwqK0.net
>>508
だから、その明を征服するのが、
実際実行するとなると難しいって話しているんじゃないかw

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:25:07 ID:oMRHELWu0.net
>>508
清(後金)は入関前に朝鮮を屈服させてるんだが。

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 02:04:10 ID:X4zekjAX0.net
 |
 J

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 13:50:10 ID:95QC9W6T0.net
>>511
清が朝鮮を屈服させることができたのは、何より進撃速度の速さじゃないかと思う。
国境を突破してから数日で漢城まで攻め寄せ、国王に江華島へ逃げる間を与えなかった。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 14:58:16 ID:tuOkLu8y0.net
文禄・慶長の役の時も、朝鮮王が北へ逃げずに江華島に籠っていたら、
どうなっただろう?

国王が捕虜になったら、朝鮮側は別に新たな王を立てる?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 03:04:21 ID:QZCjmwvl0.net
その前に秀吉軍は清(後金)とまともに戦えたのか?
日本人が大陸で騎馬民族軍を相手にしたのってないだろ。

明の凡将ですら、日本の名将せいぞろいが実質負けたわけだぞ。
その明を降した騎馬民族を、日本が相手できたとおも思えない、

彼らをなんとかしないと、明を降すなんて夢だろう。

明の絶頂期でも清の絶頂期でも、まともに相手すれば日本なんて負けた可能性がある。

なのに日本の絶頂期でも出来たばかりの北方の国とまともに相手できないんだぞ。

どうやって明を降して王朝立てることが出来るのよ。
家光だって清にはびびっていたから再三の援軍要求にも関わらず鎖国してこもったわけだろ。

まずは清(後金)の前に全滅しないことを考えようよ。加藤だってヌルハチにびびって
逃げ帰ったんだから。明なんて無理だろ

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 03:09:20 ID:QZCjmwvl0.net
>>513
日本もそれとさほど変わりない速さで首都陥落。

なのにゲリラ戦頻発。清の場合は国民ごとあっさり降伏。

なんでこの差がついた考えないとね。
清相手に元や日本のように全力で戦おうとしなかったわけを。

でも清相手に日本の徳川軍が朝鮮で激突。果たしてドルゴンが勝つか
家光が勝つか。
勝てないとすぐ上で書いているけど、結構面白い結果になったんだろうな

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 19:03:23 ID:hJitttdz0.net
戦う場所によるんじゃね
日本が大陸に攻め込んだらまず大陸側が勝つし反対なら元寇のように日本が負ける

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:05:19 ID:Pku3JUQP0.net
>>515
無駄無駄無駄
当時の日本と女真が正面衝突したら、
チャルディラーンの戦いよろしく、
女真がサーファーヴィー朝の二の舞を演じ、
ヌルハチがイスマーイール一世のように飲んだくれになるだけさ(ヌルハチは酒を嗜まなかったらしいが)
女真は、騎馬民族といっても、家付き、土地付きの狩猟、農耕の連中なんだから、
草原の遊牧民と違い、
形勢が有利ならば進み、不利ならば退き、決戦を避け、相手の戦線が延びきったところで反撃する、
っていう戦略をとれないから、決戦を避けることは出来ないしな
まっ、そもそも太閤が出兵した時点では女真は統一されてないし、鎧袖一触というものだろう

それと、
宣教師も、
日本人をキリスト教に改宗させ、自分らの船で兵士として大陸に送り込めば、
容易に大陸を征服できるだろう、
って言ってんだから、
明征服は別に荒唐無稽な話でもなんでもねーよ
万里の長城なんていうネズミのクソほどの役にもたたねーもんを必死こいてこしらえていたような、
愚劣極まりない明ごときを過大評価しすぎだっつーの、ここの連中は

結論は、
やり方がまずかっただけ、海軍力が足りなかっただけ、明征服は十分可能、
それ以上でも、それ以下でもない

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:23:50 ID:QZCjmwvl0.net
>>518
しかし以前の朝鮮出兵スレでは明も清も
清の兵一人をもって日本軍30人にあたる、と書きこのされたくらい
勇猛だったそうだが。

実際明も日本軍そのものの兵力は過大に見ても、
日本軍そのものが明より明らかに強かったなんて記述があるのか。

清も日本のことを見くびっていたようだぞ。
実際、他国の侵略というよりは、倭寇の拡大と見なしていたようだしな


520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:44:54 ID:rDfF/AfI0.net
>>518
ここのスレ全体としての流れとしては、
戦闘そのものでは、明軍に勝つことは十分にあり得る。
ただ、戦闘に勝つこと=征服には、必ずしも繋がらない、
という意見が多いと思う。

一時的に土地を荒らし回るぐらいならともかく、
征服と言う場合は、領土化して支配すると言うことだろうし、
一筋縄ではいかない。


521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:55:50 ID:ketb9J/s0.net
Battleには勝ててもそれがWarの勝利に繋がるとは限らないからね。


522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 23:56:38 ID:XTclBA8A0.net
明は絶頂期ではなかったね。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 00:39:41 ID:j1QIES5M0.net
まあ、国力において絶頂期の明に、永楽帝のような歴戦の皇帝がいても、
日本を征服することは無理。

同じように、日本が明を征服することは無理。

渡海作戦による征服はそれだけ難しい。

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 14:46:00 ID:YvVnMLzZ0.net
阿片戦争のような限定戦争の形ならどう?

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:53:40 ID:diUSvlkd0.net
19世紀と違って、16世紀の時点では、双方の軍事技術の差が、
そこまで隔絶したものになっているとは思えない。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:24:11 ID:hIQykCx/0.net
明朝側の“やる気”も大いに関係してくるよね。

何しろ、この当時の明の皇帝は、あの万暦帝なわけだし。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 23:25:59 ID:tyyK9ZPf0.net
万暦帝はかなりケチだったらしいから、
本音では、莫大な戦費を食う援軍なんて派遣したくなかっただろう。

何らかの形で、日本の狙いが朝鮮半島限定だと分かれば、
平気で朝鮮を見捨てそう。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 00:05:35 ID:3vyMPadw0.net
まあ秀吉の狙いは明征服だけどね

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 12:04:47 ID:nRRwybXw0.net
明には、日本の大軍百万人が、朝鮮半島と江南から攻め込んでくる、
なんて伝わっていたらしい。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 23:06:05 ID:wxUACtp40.net
朝鮮以外に、琉球も明にいろいろ通報していたらしいからな

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 13:41:43 ID:BnizUKz90.net
嘉靖年間の倭寇騒動程度の規模を想定していたんじゃないの、明朝は

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 10:16:16 ID:lrkQIVgS0.net
倭寇という問題は朝鮮の戦争と全然違う。
朝鮮で戦っていた明軍の戦闘力は東南地方の軍隊より強いね。
また、明朝の倭寇は大分中国人である。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 15:10:11 ID:3C2QTr2H0.net
>>531
朝鮮の王も、そういう今までの倭寇のようなものを連想して、
報告があった初日は何の対処もしなかったらしいしな。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 23:32:42 ID:ZXOGPdRg0.net
忠州に北方で女真族との交戦経験もある精鋭部隊を集結させて、
ここで絶対に防ぎ止めるぞ、って覚悟だったらしいけど、
数時間の戦闘であっさり壊滅しちゃったらしい。


535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 16:57:36 ID:Ok/5R5GQ0.net
斥候さえ出さなかったらしいからな、朝鮮軍は

待ち構えていた日本軍に出会いがしらで開戦したらしいしw

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 23:44:51 ID:z8cUmOUy0.net
女真族と日本軍では戦法が全然違うだろうに

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 11:16:47 ID:jpVML16i0.net
明・朝鮮側は日本軍との戦闘を通して、
鉄砲戦術を真似して取り入れたようだけど、
日本軍側は、大陸側の騎兵戦術とかは真似してみたのかな。

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 12:07:34 ID:5PPeSTLQ0.net
>>536
まあ実戦経験があるだけまし、っていうことでしょ
>>537
馬匹の体格はいかんともしがたいんじゃないかな

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 23:35:49 ID:1oZEHPdT0.net
>>538
戦国期日本の馬と、蒙古あたりの馬は、体格的にはそう変わらかったようだよ。

大型の馬が飼われていたのは主に西方世界。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 13:19:58 ID:RYYDn8oN0.net
そもそも大陸の騎兵戦術とかの前提にある
会戦に適した平野が日本には無い・・・・・・。

541 :台灣:2007/11/08(木) 16:29:19 ID:paCmC8as0.net
古代中國的發明
(運河、スパゲッティ、ロケット、サッカー、チェス、傘、犂、地動儀、紙、
指南針、印刷、造紙、造船、等等)
http://hk.youtube.com/watch?v=Z9sbV924Z6I
http://hk.youtube.com/watch?v=eqBEmmLgRsQ
http://hk.youtube.com/watch?v=KEQliKrEYYs
http://hk.youtube.com/watch?v=k-derIFLQfk
http://hk.youtube.com/watch?v=_Cwd_nG1ArQ

古代中國的科技(ロケット、小銃、大砲、手榴弾、地雷、照明彈、等等)
http://hk.youtube.com/watch?v=0bpOzW7gihw
http://hk.youtube.com/watch?v=H8QIFvW4d60
http://hk.youtube.com/watch?v=eZTJrs3_0b4
http://hk.youtube.com/watch?v=ZvK6Yb3MGVk
http://hk.youtube.com/watch?v=OS50_Cd9vog


542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 17:03:53 ID:W1RZHXor0.net
朝鮮の役で日本軍が戦った相手って、実質的には遼東の李氏軍閥だよな。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 23:59:42 ID:1YfAgDns0.net
http://upup.s13.dxbeat.com/up/up2544.jpg

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 22:15:03 ID:Xa5SCx7B0.net
>>542
前半はおおむねそうだと思うけど、
後半もそうだったのかな。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:35:05 ID:uRzvPDWr0.net
『壬辰の乱-東アジア三国戦争』:チョン・ドフィ・イ・ギョンスン編、ヒューマニスト、460ページ、2万8000ウォン

[新東亜]壬辰の乱(文禄・慶長の役、1592〜1598)と言う国際戦争に責任のある一人をあげれば、豊臣
秀吉を真っ先に指折るだろう。しかし、壬辰の乱以後、実際に東アジア秩序の主導権を握ったのは清
朝を建設したヌルハチだった。この二人は16世紀末、東アジア世界の既存秩序を転覆しようと野心を
燃やす挑戦者という点で同じだが、このように結果は大いに異なった。どうして豊臣秀吉は失敗し、
ヌルハチは成功したのだろうか。キョ・スンボムの文はその差をとてもおもしろく説明する。

筆者はヌルハチや秀吉が自分たちの野望を実現するためにまず明の分身のように思われていた朝鮮に
向い合わなければならなかったが、その対応方法が対照的だ。ヌルハチは外交を通じて朝鮮と明との
結束を遮断した後、中原を狙う慎重な歩みを見せた一方、秀吉は朝鮮を侵攻してむしろ朝鮮と明の軍
事同盟を強化させ、結局それによって失敗してしまったというのだ。

それでも秀吉の誤判断が個人的問題に起因したとは思わない。WJボートもこの本の他の論文で秀吉は
決して戦争狂ではなかったし、合理的で理性的な人物だったと指摘した。キョ・スンボムは秀吉の選
択が東アジア世界で日本が持つ歴史的位置と関連することを想起する。秀吉の日本は、明が主導する
東アジア世界の中に入った経験がないから、冊封-朝貢制度の明確な意味が分からず、ただ自分が得意
な戦争のやり方によっただけ、というのだ。一方システムの内部でその長短所を正確に理解したヌル
ハチは、新しい世界を建設することができた。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:35:37 ID:uRzvPDWr0.net
東アジア史に対する無理解

ヌルハチと秀吉の比較は朝鮮と日本の関係の中で侵略とレジスタンスの話として壬辰の乱を理解して
来た私たちに新しい視点を開いてくれる。先に東アジア史の観点で壬辰の乱を理解する必要性を提案
する。東アジア史の観点とは朝鮮と日本、中国と遼東などを含む他者との関係分析と同時に冊封-朝貢
関係に基礎を置いた東アジア秩序の性格に対する細心な理解を要求する。その上で壬辰の乱が論議さ
れる時、私たちは秀吉の軍事的冒険に対する歴史的評価が初めて可能であることを理解できる。

次に壬辰の乱がどのように記憶されるかについて。この本に載せられたタカギヒロシの文は明治維新
以後、日本が秀吉を顕彰して記念する過程とその現実的背景を詳しく紹介している。特に韓日強制合
邦以後、朝鮮侵略の先駆者として、ひいては大東亜建設の雄志を抱いた先覚者として秀吉のイメージ
が拡大再生産されていることをよく見せてくれる。このような操作された記憶が通用する土壌は一次
的に東アジア歴史に対する集団的な忘却と無理解にあるだろう。

西欧史学の流入で歴史の理解が国家単位に割れることで東アジア史に対する総合的理解は不可能にな
った。このような状況で東アジア史研究を推進することは現在の国家記憶が抱えている問題点を理性
的に示すことで、この地域に和解と共存の礎石を押し堅める作業になるだろう。

以上の議論は「壬辰の乱-東アジア三国戦争」における問題意識のキーポイントと言える。この本は1、
2日の努力で書かれたのではない。西江大チョン・ドヒ教授主導の下、2003年から基礎研究と資料の
調査、そして国際学術会議を経て本が出るまで5年の時間が必要となった。その結果、韓国と日本、ア
メリカ、オランダなど多様な地域の専門家が著者として参加して十分な時間を持って論文を作成した。
にわか造りの研究成果が珍しくない現実で、このような努力は高く評価を受けなければならない。

豊臣秀吉の欠陥を指摘することは韓国人の民族的情緒に符合する面があって読者に別に拒否感を起こ
さないだろう。しかし、実際この本は不都合な真実にもっと多くの章を割いている。戦争記憶の操作
は韓国人にも親しいことだったからだ。この本の前半部に載っているいくつかの文はそういう問題を
正面から扱う。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 14:35:59 ID:uRzvPDWr0.net
暗い過去を直視する勇気

チョン・ジヨンは驚くべきことに論介(ノンゲ)が倭将を抱えて死んだという話は立証できない、と主
張する。にもかかわらず今日、ノンゲが歴史中の人物と記憶されているのは、6・25戦争(朝鮮戦争)
以後、国家的危機を突破するイデオロギー装置としてノンゲの忠節が活用された結果だ。この話の中
でノンゲは芸者として本来堕落した存在だが、国家に忠誠を捧げれば純潔になることができると設定
された。ノンゲを民族の名前で顕彰するが、実は女性と疏外階層性を排除する位階論理が民族談の中
に働いていることを鋭く指摘する。

ヨネタニの文は壬辰の乱の時の日本で捕らえられていった人々の運命を追跡した。その数およそ数万
に達し、終戦後六千人以上が帰還したと推定されるが、意外にも帰還捕虜らが大部分罪人の烙印を押
される不幸な運命を受け入れなければならなかったことを淡々と叙述する。これまで日本の大規模な
人身掠奪を責める声が高かったが、実際に帰還捕虜たちを朝鮮でどのようにもてなしたのかについて
は関心がなかったことは事実だ。

ハ・ヤンヒの文は、紅衣将軍、郭再祐(クァク・チェウ)が丁酉災乱(慶長の役)の時、昌寧の火旺
山城で日本軍を打ち破った、という話が後代に操作されたことを実証する。英祖(ヨンジョ)代の老
論(訳注:李氏朝鮮の党派の一つ)の精神的支えである趙憲と七百の銃を顕彰すると、彼に対抗して
南人(訳注:同じく党派の一つ)集団が「同苦禄」を出版して火旺山城の話を作り出したというのだ。

以上の文等は壬辰の乱に対する韓国人の民族的記憶が実際には信頼できない、という戸惑う事実を悟
らせてくれる。

一方ジョン・B・ドンコンは歴史では、記憶が国家や特定の集団によって操作されるだけではないこと
を幅広い視点で見せてくれる。彼は壬辰の乱以後民間に流布した「壬辰録」に現われた日本と中国に
対する敵対感を指摘した後、開港以前にすでに朝鮮の非エリート層の間に自分たちが住む郷村社会を
飛び越えた一体感が存在したと評価する。壬辰の乱という戦争経験は漸進的に韓国社会に‘民族’が
形成される基盤を提供したわけだ。

李舜臣の記憶に対する系譜を追跡したチョン・ドヒは、さらに記憶研究の当為性を強調する。彼は李
舜臣に対する近代的記憶を検討した結果、シン・チェホを除けば、みな李舜臣が当面した朝鮮の現実
を話さなかったと指摘する。李舜臣は恐ろしい現実をしばらく忘れるための逃避先(229ページ)だった
わけだ。チョン・ドヒは韓国でも日本でも自分たちの暗い過去を直視する勇気がなければならないし、
そうするためには李舜臣と壬辰の乱に対する記憶の歴史を歴史的に暴く努力が必要だと力説する。

キム・ソグ郡山大講師・史学
naver/新東亜(韓国語)‘壬辰の乱-東アジア三国戦争’ 新東亜
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=262&aid=0000000958

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 23:58:41 ID:KJgoZMxC0.net
■対馬島(テマド)を征伐した李氏朝鮮は、どうして領土編入しなかったのか
  〜 『朝鮮、平和を片思いする』:張学根(チャン・ハックン)著

著者は李氏朝鮮時代に起こった戦争を大きく四種類に分ける。朝鮮初期、他民族の侵入に
積極対処した領土開拓戦争、朝鮮・中国・日本が参戦した東アジア国際戦争、外交の失敗
が呼んだ戦争、19世紀末の帝国主義列強との戦争だ。

海軍兵学校教授と海軍兵学校博物館長を務めた著者はこのように戦争史のレンズで朝鮮
の歴史全体を分析する。

世宗時代の対馬島征伐(訳注:日本側の呼称は「応永の外寇」。西暦1419年)と北進政策
は、領土開拓戦争に属する。著者は、国家体制が未整備だった頃に朝鮮を苦しめた倭寇を
征伐した対馬島征伐は朝鮮最初の軍事行動であり、新生国家朝鮮の軍事力を誇示する機
会だったする。

しかし、軍事戦略面から見れば成功しなかった戦争だ。当時朝鮮は、対馬島を朝鮮領土に
編入してくれれば朝鮮の臣民となるという降伏申し出を対馬島征伐後に受けたにもかかわ
らず、対馬島の戦略的価値と経済的価値を予想できずに対馬島を朝鮮領土に帰属させる
ことができなかったためだ。

仁祖時代に起きた丁卯胡乱と丙子胡乱は、当時の東アジアの力学構図が明から清に移動
しているにもかかわらず明に頼る政策を展開して手酷い試練にさらされた痛恨の経験だ。
著者は、国際関係に疎い朝鮮が外交的妥協の可能な問題を敢えて無視したためだと指摘
する。

▽東亜日報(韓国語)(2008.02.16 02:57)
http://www.donga.com/fbin/output?n=200802160058

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 23:59:13 ID:KJgoZMxC0.net
■李氏朝鮮はどうして幾多の侵略にあったのか

倭乱と胡乱、そして日本に国を丸ごと明け渡した庚戌国恥まで。李氏朝鮮はどうしてこんな
に多くの外侵を受け、ただの一度も勝利をおさめることができなかったのだろうか。そして、
そうした中でいかに500年間も存在を失わないで国を守ったのだろうか。

これについて答を出す本が出版された。軍事史専門家である張学根(チャン・ハックン)氏の著書
『朝鮮、平和を片思いする』がそれだ。

著者はまず、朝鮮時代に起きた戦争を大きく四種類に分ける。朝鮮初期の女真・倭寇討伐
戦争、倭乱と胡乱、そして朝鮮末期の帝国主義列強との戦争に区分する。そして、これらの
戦争がどのように進行し、何が問題で、今日の我々にどのような意味を持つのかを一つ一つ
説明する。

朝鮮が唯一、先に他国領土に入って行った女真・倭寇討伐戦争。著者はこの戦争を、初期
朝鮮を苦しめた勢力に対して朝鮮が積極的に対処した証拠だとして高く評価する。

壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)について著者は「兵法論理を飛び越えた戦争」だ
とする。あまりにも多くの被害を被った戦争だったが、李舜臣という超人的な指揮官の活躍
のおかげで侵略を阻止できたということ。しかし同時に、「この戦争を朝鮮の勝利と見ること
はできない」という点を明確に述べる。<後略>

▽ソース:毎日経済(韓国語)(2008.02.15 18:09)
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000023&year=2008&no=85453&sID=300

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 23:59:46 ID:KJgoZMxC0.net
↑は、頑張れば対馬を領土化できたって、ってところかw

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 01:53:28 ID:ur+KvBgJ0.net
資源に乏しい朝鮮が、自給自足できない対馬なんて取っても
余計なお荷物が増えるだけだしな…。
そこを足掛かりに外征なんて国力もなかったし。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 01:26:00 ID:hu5jl6FO0.net
ちなみに大陸の城と戦国末期の日本の城では、日本の城の方が圧倒的に合理的。
朝鮮出兵でも倭城の方が堅固で、それを朝鮮側も認めてる
まあ、市民を守ることを考えてる都城と、純粋に戦闘力を追求した倭城では比較できないんだが

さらに秀吉は。糧秣のほとんど本国から送っている。
現地調達が基本な時代にこれほど補給を重視した戦い方は、後のナポレオンを待たなければならない。
また、戦争を通じて海上補給が破綻したことはない。

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 10:24:23 ID:z5f9vKMd0.net
日本の戦国時代の城、主に山城だけど、
合戦時には、領内の住民も収容して籠城することが多かったみたいだね。

毛利元就が尼子晴久に攻められた吉田郡山城の戦いがいい例だけど。

これは領民を守るというよりは、
同じ地域の仲間的な意識が強かったのかな。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 22:30:54 ID:NncHrDb60.net
>>553
だけど、落城した時は、みんな一緒に捕虜となって、
人買いに売り飛ばされてしまう。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 00:36:31 ID:qFv4TGh10.net
>>552
>また、戦争を通じて海上補給が破綻したことはない。

朝鮮出兵ででしょ? 無茶苦茶破綻してなかったか!?
兵糧を欠いて苦しむ蔚山城だかに、博多あたりの米商人が現れて
ボッタクリ価格を吹っ掛けて来たりとか(考えてみりゃスゲェ話だ)。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 21:42:55 ID:kplE09B60.net
少なくとも敵の妨害によって、破綻ということはなかったんじゃないか。

あまり戦線を北に伸ばすと、物理的に補給線の構築が難しくなるだろうけど。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 23:46:41 ID:85mCFXjH0.net
豊臣秀吉、小田原の陣の時は、船で兵糧を駿河に集めたんだったよね。
たしか、二十万石分。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 00:46:58 ID:MknQwfpA0.net
スレ違いだけど・・・
今は、1850年代の幕末の明治維新前と同じ。このまま行けば、日本は、
政治経済上は中国の植民地。軍事は、アメリカの植民地、エネルギーは、
ロシアの植民地になる。

今こそ、平成の、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、勝海舟、
吉田松陰、伊藤博文・・・ら、英傑が現れない限り、中国、アメリカ、ロシア
によって、日本は、確実に分割統治されるだろう。

それを避けるには、憲法を改正して、核保有し、核抑止力を持つ以外に道は、無い。
核反対、スパイ防止法反対、という連中は、中国が侵略してきたら、真っ先に
外国に逃げるに違いない。

 核を持ちたくなければ、中国に第二の毛沢東を登場させ、内戦を起こさせ
7つくらいの国に、独立させるしかない。本当はそちらのほうが、
中国の一般民衆は教育水準も生活水準も向上し、民主主義の中で生きられ、
幸せであるに違いない


559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 13:33:54 ID:uxkYhAWw0.net
スレ違いと思うなら書き込むなw

とりあえず豊臣秀吉が、海上輸送による補給の思想を持っていたのは確かだろうな。
朝鮮の役の場合は、単純に戦線を広げすぎて、距離が大きくなりすぎたことが失敗の原因だろう。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 15:50:36 ID:D9at/Cdm0.net
>スレ違いと思うなら書き込むなw

おまいなぞに言われとうない。

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 20:54:17 ID:X41PgThV0.net
秀吉があと10歳若かったら戦略も変わったのかな。
朝鮮はともかく、北京城を当時の日本軍の装備で力攻めで落すのは、
いくら十数万の軍勢がいても無理だろう。
当時の日本では大城の本郭ぐらいでしか使ってないような
高石垣並みの高さをもつ城壁が壮大に街を囲んでいる様と、
城門一つだけで当時の一般的な城の本丸クラスの防御力をもってそうな
北京城を見ただけで並みの大名は途方に暮れるんじゃないか。
もし秀吉が直接全軍の指揮をとって北京を攻めるとしたら、
小田原城攻めのような戦略をとるのかな?
気付いた時には逆に取り囲まれてそうな気もするが・・・。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 20:18:55 ID:1B7prlVi0.net
この時期に中国目指さずに、沖縄→台湾と、マリアナ方面、あと、北海道から樺太・沿海州・千島からアリューシャンあたりを押さえてればなぁ・・・。350年後に役に立ったのに

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 21:20:59 ID:vpS4gExG0.net
国力無いのにいたずらに拡張したって列強相手に維持できるとも思えんけどな。

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 15:28:30 ID:+tVQ7asK0.net
>>562
樺太、カムチャツカあたりはそう思うな。
オーストラリアも領土にしておけばとは思う。

つーか、遠くから来た西洋人に取られるなんて
アジア人なにやってんのよって感じ。

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 15:30:24 ID:ksQePW6m0.net
>>561
当時の大阪城は面積にして世界最大の城郭、北京城よりでかい
国内でそういう城作ってて、実際家康は落したわけだから途方にくれるということはないだろう

まあその大阪城も正攻法では落ちなかったわけだけど
大砲で石垣崩しても意味がないから(中の土塁が露出するだけ)精神攻撃以上の意味を持たなかったし

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 15:40:47 ID:ksQePW6m0.net
あと北京城の縄張りは非常にシンプルで戦国末期の織豊系城郭に比べると心許ない
目的が違うんだから都城と純粋な防御施設を比べる方がおかしいけど


567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:04:11 ID:3drIqdp10.net
>>565
>当時の大阪城は面積にして世界最大の城郭、北京城よりでかい
「紫禁城よりでかい」の間違いじゃない?

城塞都市(都城≒惣構)の規模としては、
豊臣期大坂城<江戸城(1636年以降)<北京城ですが何か?
ついでに言えば、例え純粋な防御施設から発展してきた日本の城とはいえ、
豊臣が活躍した戦国末期以降にもなれば政庁としての機能も重視されるようになってきており、
城の中に城下町を取り込んだ惣構構造を持つ城に到っては外郭を取り囲む
堀や土塁、石垣の持つ意味は都城の城壁と変わらず、
もはや「純粋な(武士階級の為だけの)防御施設」とは言い難い。

豊臣大坂城
(構造)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png
(航空写真/現在)
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E7%9A%87%E5%B1%85%E6%9D%B1%E5%BE%A1%E8%8B%91&ie=UTF8&t=k&om=1&ll=34.682064,135.517731&spn=0.104741,0.169945&z=12&iwloc=addr

江戸城総構
(構造…現在の千代田区とほぼ同じ範囲)
http://www.viva-edo.com/edojoukaku.html
(航空写真/現在)
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E7%9A%87%E5%B1%85%E6%9D%B1%E5%BE%A1%E8%8B%91&ie=UTF8&t=k&om=1&ll=35.681562,139.724121&spn=0.120472,0.211143&z=12&iwloc=addr

北京城
(構造)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:%E7%9A%87%E5%9F%8E1.jpg
(航空写真/現在)
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&t=k&om=1&ll=39.916945,116.390963&spn=0.113754,0.2108&z=12

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:17:28 ID:3drIqdp10.net
まあ補足だけど、大陸の城塞都市の場合、
外郭の防御能力の方が内郭の防御能力より高いのは、
日本の城の惣構構造の城とは確かに「目的」の違う点だわな。
http://china168.web.infoseek.co.jp/pekin.htm
http://dsr.nii.ac.jp/toyobunko/III-2-C-a-149/V-1/caption/
http://ykym.sakura.ne.jp/top/images/toshikeikaku070915_02s.jpg

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:57:36 ID:rELJpX1Z0.net
全然関係ないけど大陸の城で近代戦に耐えた城ってあるの?
日本は熊本城があるけど

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 15:37:19 ID:zu2QWaXN0.net
つーか、デカ過ぎ&外郭の防衛に特化した北京城は、守るのも困難そうだな。
近代戦での北京城の例「義和団の乱」
ttp://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-hokusin.html


571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 18:49:19 ID:j6pwdyVR0.net
方形の城郭は一点を突破されたらおしまいだしなあ

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:56:09 ID:zu2QWaXN0.net
脱線し過ぎ。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 01:42:47 ID:uI3WVRkiO.net
まあヒデキチ君でもイエヤシ君でもいんだけど、鎖国なんかせず貿易とか技術開発バンバンやって、
伊達とか島津抱きこみながら屯田兵&貿易商で蝦夷樺太千島とか沖縄台湾ルソンとかガッツリ押さえて、
サイパングアムハワイまで朝貢させる海洋国家に発展を遂げつつ、満を持して
長江や黒龍江の河口を拠点に四川やバイカル湖ウラル山脈までジワジワ遡って、
半島や中原なんか華麗にスルーつうか、漢韓以外の北東南を全部押さえる方向でよかったろ
そうすりゃ浪人問題とか華麗にクリアだし、中原や半島なんか外濠埋められた大坂城みてーな内陸ヒッキー国家に成り下がり、
あとはボタッと落ちるのを待つもよし。いやむしろ
実はあまり役にも立たない無駄に厄介なエリアとして、包囲し無力化したまま放置みたいな?
余剰兵力や軍需産業のエサ場として生かさず殺さず、時々攻めては占領もせずに恩賞用の物質や土地少し強奪して終わりみたいな?
信長ならそんなビジョンが持てたかどうか知らないが、まあ今に及ぶ鎖国による日本弱体化はなかったろうな

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 23:52:28 ID:XfgT0w0Q0.net
鎖国は鎖国で、それなりに明治維新につながるものがあったけどね。

575 :名無しの権瓶:2008/04/27(日) 01:44:17 ID:PTMlQ83n0.net
鎖国、キリスト禁止令は西洋から、自国を守るための手段であって、
弱体化といっても、インドみたいに植民地になってたら、弱体ではすまないし。

俺の中学の先生もそうだったんだけど、生々しい虐殺のあったキリスト禁止令はわかるけど、
自国防衛の鎖国を、間違いのようにしか言ってなかった。

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 09:37:12 ID:1P/dHKIL0.net
現在の中華人民共和国と混同してないか?
あくまで相手は漢民族。
漢民族居住地はそんな広く無い、制海権さえ抑えれたら
充分倒して支配下に入れれたよ。
でなきゃ女真族は漢民族を支配下には置けなかったろう。

南部に明を追いやって南明とでもなってもらって、北部に傀儡政権樹立が妥当だろうな。

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 05:04:02 ID:MvbWnEli0.net
落ちてない

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 08:44:10 ID:rTTxiGeG0.net
そもそも戦国日本軍は、根本的に長距離遠征能力がないからな。

小田原の陣も、補給ではかなりギリギリな局面があったみたいだし、
朝鮮の役も、一旦北部まで制圧しながらも南部に徹底したのは、
根本原因に、補給を続けるのは南部が限界だったからだろう。

中国大陸まで補給を続けられるようになるには、
まずは朝鮮半島で練習を続けるしかないね。

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 17:59:34 ID:xbWDbUuy0.net
済州島を取っとけばよかたのに

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 06:54:41 ID:tF7w4m2U0.net
なんで?

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 23:32:36 ID:tgOprXaR0.net
豊臣秀吉は寧波を首都とした東アジア帝国のようなものを構想していたらしいけど、
恐らくはあまり事情を知らずに日明貿易で知名度の高かった寧波を念頭に置いただけのこととは思うけど、
実際に、東シナ海を囲むような形で、日本・中国の連合帝国が実現した場合、
どのような形態の国家になるんだろうか?

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 08:32:45 ID:TdbD6WKMO.net
王朝名は
禿・鼠・猿・申のいずれか

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 22:22:18 ID:snleCeJe0.net
寧波は中国を支配する拠点としては、辺境すぎるね
運河は杭州までしか伸びていないから、交通の便があまりよくない
日明貿易の窓口とはいえ、経済力で絹織物産業のある蘇州や、塩取引の中心揚州に遠く及ばない



584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 01:54:25 ID:93mA7DvtO.net
日本史専門だからわからないんだけど、
明が朝鮮に援軍を送る義理なんてどこにあるの?

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 08:20:17 ID:Wz7ZCXS/0.net
宗主国だからじゃないの?

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 23:43:04 ID:Is/FSibC0.net
明の朝廷は、日本の動向については、属国の朝鮮や琉球、
あるいは日本との間を往来していた福建の商人なんかから情報を得ていたわけだけど、
結構いい加減で、秀吉は二百万の大軍を動員して明に攻め込む、なんて報告になっていたようだからね
それなりの危機感があったんだろう

明にしてみれば、属国の朝鮮が滅びようがどうなろうが、本音ではどうでもいいこと。
だけど、秀吉の目的が明の制服にあると伝わっていたから、
朝鮮が占領されれば次は遼東に攻め込まれ、遼東を突破されれば北京が狙われると認識があったはず。
だから予防的に、朝鮮で日本軍の侵攻を食い止めようという意識が強かったと思うよ
宗主国として属国を助けるという大義名分もあることだしね

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 11:32:23 ID:L/uR0qBm0.net
琉球経由の情報だと、朝鮮が日本軍の先導役になるという報告で、
朝鮮にそれを問いただしたら、
「宗主国様、それは誤解ニダ」と必至に弁明したらしいしw

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 08:37:39 ID:r1RXBK4u0.net
>>564
地図を見たら、オーストラリアって、ジャワ島あたりから島伝いでいけそうな気もするんだがなあ
まあ、いけなかったところを見ると、海流かなんかの関係で難しかったんだろうね

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/06(月) 09:29:03 ID:VksWfmmO0.net
オーストラリアとかシベリアとかの話持ち出して脱線する奴は世界史板に行け
池沼仲間がたくさんいるぞ、思う存分語って来ればいい

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/09(木) 06:56:46 ID:XhleyYsgO.net
まあ仮にできたとして、
1000年王国など築けるはずもなく、
10年、遅くても100年で体制は滅び
今頃日本は中国の一部だったろうね

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 22:45:10 ID:fQlgEzog0.net
まだあるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

592 :電脳プリオン:2011/12/04(日) 21:28:23.78 ID:BiqKy9OU0.net ?2BP(1960)

     ∧_∧ ll
    ( ・∀・)lllll  ガッ
    (   つ||||| 从 ∧__Λ∩
     / /`ヽ(_<  >`Д´)/ ←>>3
    (_)     W     /

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 16:06:20.94 ID:EkXAhkTh0.net




ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?









594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/22(水) 22:33:58.21 ID:BRAveZ8I0.net
秀吉が遠征して明治政府が半島を植民地にした
徳川時代に国力が低下したのでドーショモナイ
織田信長が生き延びていれば植民地がはやく広くできていたと思う
逆らう者は皆殺しにするから効果的に支配できただろう。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 16:30:23.20 ID:InaxL8cK0.net
秀吉の朝鮮出兵はなぜ失敗したのか
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/bunroku_keicho.html

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 16:31:47.79 ID:InaxL8cK0.net
織田信長(1534年生まれ)を同時代のイギリスの絶対君主、エリザベス1世(1533年生まれ)と比べてみると、面白い共通点に気が付く。
当時のイギリスは、弱小な島国で、これに対してフェリペ2世が君臨するスペイン・ハプスブルク朝は、ポルトガルとその植民地を併合して、
世界最強の帝国、所謂「太陽の没することのない国」となっていた。
イギリスは、スペイン領のネーデルランドで起きたオランダ独立戦争で、新教側を支援したために、スペインと対立することになるのだが、
イギリスがスペインのヘゲモニーに挑戦するということは、東アジアのヘゲモニー帝国である中国に、弱小な島国・日本が挑戦するのと同様に、リスクの大きい冒険だった。

エリザベス1世は、宿敵スペインに打撃を加えるために、海賊に私掠特許状を与え、スペインの商船を襲わせた。
イギリスの海賊のなかでも、ドレイクとホーキンズは有名で、彼らは、後にイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を破るアルマダの海戦で活躍する。
織田信長も、伊勢・志摩を拠点とする海賊だった九鬼嘉隆を織田水軍の総司令官に抜擢し、大安宅船(鉄板を張り、強力な大砲を搭載した当時最強の軍艦)を建造させ、
第二次木津河口の海戦で毛利水軍を破ることに成功している。

ところが、豊臣秀吉は、明との戦争で、海賊の力を活用することはなかった。むしろ逆に「海賊法度」を出して、海賊の活動を禁止してしまった。
当時、明が倭寇対策に苦心していたことを思うと、敵に塩を送るような愚策なのだが、秀吉がこの「海賊法度」を出した動機は、
同時に出した「刀狩令」の場合と同じで、国内における兵農分離と階級制度の固定であった。
信長が行った兵農分離とは異なって、秀吉が行った兵農分離は、下克上の世を終わらせるためのものだった。
近代的な分業による機能分化と前近代的な身分の固定化は似て非なる政策である。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/bunroku_keicho.html

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 16:33:34.05 ID:InaxL8cK0.net
信長が、旧体制の権威と秩序を無視して、有能で功績のある人材をいくらでも取り立てようとしたのに対して、秀吉は、旧体制の権威と秩序を尊重し、身分の固定化を図った。
『川角太閤記』にこんなエピソードがある。賤ヶ嶽の合戦で、柴田勝家側について戦った佐久間盛政は、恩賞目当ての百姓に捕らえられた。
すると、秀吉は、盛政を斬るとともに、「百姓には似合はざる事を仕出したるものかな。見せしめのため、褒美のため、はた物にあげよ」と言って、その百姓12人を磔にした。
秀吉自身、小作農の子であったが、いったん権力を握ってしまうと、自分たちの既得権益を守るために、身分の壁の越境を認めなくなったわけだ。

信長と秀吉の間にあるこの格差をイギリスとスペインの間にも見つけることができる。エリザベス朝時代のイギリスにも、もちろん、身分制度の壁はあった。
しかし、ドレイクがそうであったように、農民の子として生まれても、功績があれば、貴族としての称号が得られたし、逆に貴族の子孫であっても、
功績がなければ、称号と土地を失い、平民の身分に没落した。
これに対して、スペインの階級制度は厳格で、いくら才能と経験があっても、平民が軍の指導者となることはなかった。

この違いが、アルマダの海戦の勝敗につながった。無敵艦隊に乗り込んだスペインの貴族たちは、陸上戦の経験は豊富だったが、
海上戦の経験は少なかったが、だからと言って航海経験のある平民を指導者にすることはできなかった。
ドレイクは、海戦における大砲の重要性を認知していたが、スペインの戦士である貴族たちは、大砲を平民の武器として軽蔑し、
重歩兵隊を組織して、敵船の甲板に乗り移り、矛槍で肉弾戦をしようとした、つまり海上戦を陸上戦にしようとしたのだ。
しかし、イギリス船の大砲の射程距離は長く、スペイン船は、イギリス船に近づく前に、撃破された。こうして、アルマダの海戦は、スペインの完敗に終わった。

秀吉の朝鮮出兵は、アルマダの海戦の4年後に行われた。日本軍は、陸上戦では連戦連勝であったにもかかわらず、
海上戦では李舜臣が率いる朝鮮水軍に連敗し、このため補給路が断たれ、明まで攻めることはできなかった。
では、なぜ日本の水軍は、連敗したのか。朝鮮の亀甲船が優秀だったからか。そうではない。
李舜臣が一時失脚した時、日本の水軍によって亀甲船の艦隊が全滅している。
日本水軍が制海権を失ったのは、李舜臣に匹敵する、あるいはドレイクに匹敵する海戦のエキスパートがいなかったからだ。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/bunroku_keicho.html

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 16:42:25.85 ID:InaxL8cK0.net
信長なら、たぶん、朝鮮・中国の沿岸に詳しい倭寇を活用していたであろう。しかし、秀吉はそうしなかった。
すでに大名になっていた九鬼嘉隆は、日本国内の海賊の出身だったから、朝鮮沿岸の事情は詳しくなかった。
これに対し、李舜臣は、潮の流れの逆転を利用するなど、地元である利点を利用して、少数の亀甲船で日本の大軍を破った。

私は、当時の日本に中国と戦う必要性があったとは思わない。だが、ここでは戦争それ自体の是非を論じることはやめよう。
私が問題にしたいのは、戦争のやり方である。もし、日本がエリザベス1世と同じ方法を用いていたらどうなっていたかをシミュレーションしよう。
当時の倭寇には、もちろん日本人もいたが、その多くは、明に不満を持つ中国人で、いわば反体制ゲリラ組織だった。
もし、日本が倭寇を背後から支援したら、明は、たぶん李氏朝鮮とともに艦隊を率いて日本を征伐しようとしたであろう。
信長は、敵を誘き寄せて叩く戦法をよく採ったが、この方法なら、元寇の時と同様、日本が地の利を生かして、勝てただろう。
そして、敵の水軍力を削いでからであれば、明に対する侵略戦争は成功したかもしれない。

秀吉は信長のプロジェクトを「猿真似」したが、信長の精神を受け継がなかった。秀吉の朝鮮出兵が失敗したのは、ひとえに秀吉の頭が古かったからである。
かくして、日本は海外侵略に失敗し、国レベルでの対外進出を断念し、鎖国への道を歩む。
他方、スペインを破ったイギリスは、新たなヘゲモニー国として、対外積極策に出る。
こうして、ユーラシア大陸をはさむ二つの島国は、その後、対照的な運命をたどることになる。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/bunroku_keicho.html

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/22(木) 11:55:25.62 ID:XOCaogR70.net






今まで2ちゃんねるをご愛用いただきありがとうございました




また会うのを楽しみにしてます

その日まで  さようなら











600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/27(金) 17:48:27.19 ID:kqlHdGpH0.net
>>1
まず高山国に原田孫七郎を派遣しトキジクの実を取って来させて
信長を不老不死にする、そして陰陽師達に未来予知させて光秀を
呼びつけ「お前これどういう事だよ?!」と詰問し罵倒しストレス性
の胃癌にした上で蟄居させる。
それから、ポルトガルかオランダに接近し裏でスペインと同盟を
結び倭寇とも裏で同盟結んで更に大陸に使者を送りヌルハチと
同盟を結んで台湾に移民送り込んで日本町形成し当然オランダは動揺
するが戦は避ける、仕掛けて来たら計画発動。
スペインと倭寇が台湾東インド会社攻撃し領有権はスペイン、同時に
島津に琉球も攻略させる、普通に考えればこの時点でオランダが敵に
回るが全ては計算の内、オランダと山田長政としヌルハチが明を挟撃し
更に朝鮮にもヌルハチが侵攻する、そして、徳川・毛利連合軍を率いた
明智光秀を強引に援軍として朝鮮に派遣しヌルハチの別働隊を攻撃し
撤退させる。
結果山田・オランダ・ヌルハチ・倭寇の超連合軍が明・スペイン軍を破り
明軍は北京へと撤退。
そこえ朝鮮&光秀連合軍が明へ侵攻し日和見をしていたポルトガル軍が
そこに加勢して大名を大陸に渡らせて明討伐ユーラシアヨーロッパ大連合軍
を結成しアユタヤの六昆(ナコーンシータマラート郡)を首都そして
大朝鮮皇国を建国宣言し天皇を派遣してイ・スンシンを摂政とし日本・
スペイン・オランダ・ポルトガル・アユタヤ・満州・朝鮮の連合藩国と
する。その後は知らんWW

まあ、結論から言えば秀吉には無理。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/27(金) 18:01:26.19 ID:kqlHdGpH0.net
最終的には東南アジアは山田長政ヨーロッパはスペイン中央アジアは
ヌルハチ中国大陸は朝鮮、朝鮮半島は日本の人類史上初の大世界帝国
が誕生し産業革命がカラコルムで起こる!
明と大英帝国が同盟してアメリカからもぬけの殻になった日本列島を
占領して冷戦が勃発すると思う、勝てるかどうかは知らん。

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 20:42:23.73 ID:O9rTStwPO.net
真面目に読んで損した。

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/18(日) 08:56:42.64 ID:/6FSG3T1O.net
秀吉は頑張れば高齢で朝立できた

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 16:03:54.56 ID:F34nscgh0.net
>>403
文禄初期-交渉期-慶長の役を通じて、秀吉方に味方してる朝鮮人は多い。

朝鮮出兵で秀吉軍勢力地に、どんどん逃げ込む朝鮮人民衆が当時の朝鮮の記録に記されている。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcerk3c2n

そして朝鮮人と左翼が「日本軍の残虐性」ばかりを強調する慶長の役にも
日本軍に味方する村々や人物がいたと朝鮮の記録に記されている↓
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcgggz3w9

更におまけに↓
宣祖実録の記録と、小西行長とその将兵から聞き取りしたフロイスの記録に残る、
日本人に成りすまして、略奪暴行する朝鮮人の記録↓(今も昔も変わらないね)

唐武陣 文禄・慶長の役の偏り2 民衆の騒乱
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcvk4n5gd

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 03:55:05.78 ID:rmElghgi0.net
まあ味方作ってもそれ以上に敵作ってたら勝てんわな

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 16:48:39.26 ID:fLdLxggc0.net
>>605
つか、そもそも負けてない。

慶長の役で、明史や李朝実録に記されているように、
明朝両国は日本に勝てる見込みはなかった。

実際、慶長の役は、戦略・戦術ともに秀吉軍の企図通りに進んで、
さらに明鮮軍の攻撃も悉く撃退している。

そんな状態で1599年には、秀吉軍の一大攻勢も予定されていた。

完全に日本軍主導で、戦争が進んでた状態で、
秀吉が死去したので、日本軍は帰国した。

これが慶長の役の顛末。

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 17:38:40.31 ID:McOyjjkR0.net
ただ自分の思うがままに出兵し自分の都合のみで帰る
近隣からすると災厄そのものだな

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 18:25:06.70 ID:fLdLxggc0.net
>>607
知っていましたか、朝鮮のほうが日本を侵略した回数が、
多い事実を。

新羅の入寇は、124年間にわたって執拗に攻められて、
官舎は焼かれ、民は殺され、さらわれ、
家畜食料は奪われたりしていた。
対馬、北九州が標的だったが、ひどい時は九州全域が
攻撃されていた。

↓下記も。

0997年 長徳の入寇(高麗)
1001年 高麗の賊が攻めてきている。
1019年 刀伊の入寇(高麗・女真)
1274年 蒙古襲来・文永(東路軍の44%が高麗人【朝鮮人】 )
1281年 蒙古襲来・弘安(東路軍の67%が高麗人【朝鮮人】 )
1389年 康応の外寇(高麗・朝鮮)
1396年 李氏朝鮮による対馬攻撃)
1419年 応永の外寇(李氏朝鮮 )

初期の倭寇も高麗の記録や、中国の記録にも
元寇に対する復讐戦と書かれてるよな。

もっと詳しく言うと、百済は各種記録、出土する古墳、装飾品、
遺伝子調査、言語的、民族的から現朝鮮人とは連続性は無く、
むしろ和系と明らかになっています。
新羅(現朝鮮)そんな日本の任那や和系百済の領地も侵略したよな。

文禄・慶長の役で、左翼と朝鮮人が反日的に大騒ぎするけど、
上記を見る限り、そこまで被害者面できないよね。

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/01(火) 10:36:10.31 ID:A1Rw4oXI0.net
>>597
そもそも、朝鮮水軍が補給路を断ったという説自体がうそ。
日、明、朝の記録には一切存在しないにも関わらず、
朝鮮水軍が日本軍の補給線を分断して、苦しめたとの嘘が流布されている。

李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(文禄の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(慶長の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_9643.html

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 13:03:20.30 ID:kZ+BJdTA0.net
【政治】安倍首相、消費税8%正式表明★16




http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1380682779/

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/10(木) 09:33:30.71 ID:9zer5wqO0.net
視野が狭い嫌韓厨が来ちゃったよ

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 14:23:55.76 ID:2PtNVBZ40.net
>>611
どのレスのことを言ってるのかわからんけど、
李舜臣ひとつをとっても、日、明、朝鮮、宣教師の記録を読んでも朝鮮水軍のせいで、
補給が切れたってどこにも書かれてないからなぁ。

北方に突出した部隊への遅延と、冬季到来で名護屋-対馬-釜山間の
船の航行ができなくなったことと、これも冬季で部隊間の移動が
困難になったことだし。

で1593の春には、フルに船を動員して釜山には1年半以上
持ちこたえられるほどの物資があると記録されてる。

>>608のこともニホンノシンリャクガー、「朝鮮は侵されたことはあるが、
侵されたことは無い キリッ」って韓国人や在日朝鮮人、反日日本人が
ほざいてることだけど、嘘っぱちってわかるよな。

歴史的事実を載せることが、視野が狭いってどういこと?

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 15:21:19.38 ID:pJRXvOtn0.net
とりあえず自分の書き込みを見直してみるんだ。
明らかにおかしい個所がある。

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 17:58:28.02 ID:Y55AicSK0.net
ホント韓国を叩きたいだけの奴が来るとスレが終わるな

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 18:33:01.74 ID:2PtNVBZ40.net
>>613
たとえばどこ? 君らっていつも具体的に指摘しないで曖昧なんだよね。

コピペするけどこういうのもおかしいことなのかい?↓ だた単に事実が記載されているだけなんだが。
604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 16:03:54.56 ID:F34nscgh0>>403
文禄初期-交渉期-慶長の役を通じて、秀吉方に味方してる朝鮮人は多い。

朝鮮出兵で秀吉軍勢力地に、どんどん逃げ込む朝鮮人民衆が当時の朝鮮の記録に記されている。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcerk3c2n

そして朝鮮人と左翼が「日本軍の残虐性」ばかりを強調する慶長の役にも
日本軍に味方する村々や人物がいたと朝鮮の記録に記されている↓
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcgggz3w9

更におまけに↓
宣祖実録の記録と、小西行長とその将兵から聞き取りしたフロイスの記録に残る、
日本人に成りすまして、略奪暴行する朝鮮人の記録↓(今も昔も変わらないね)

唐武陣 文禄・慶長の役の偏り2 民衆の騒乱
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcvk4n5gd

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 18:46:23.61 ID:pJRXvOtn0.net
「朝鮮は侵されたことはあるが、
侵されたことは無い キリッ」

日本語が矛盾している。他の人のことを非難する前に、まず自分の文章をおちついて見直そうね。
書き込みを見直そうと言ったのに、見直さないで新しい争点を持ってくるあたり冷静でない証拠。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 18:49:39.78 ID:2PtNVBZ40.net
>>616
歴史に歴史問題を持ち出して、現在までネチネチと金品を
たかるのは韓国と在日朝鮮人と反日日本人だろ?
それに対する皮肉だよ、 ひ・に・く

>>608のこれ↓を見ると朝鮮人と、左翼がほざいてることが出鱈目ってこと
知っていましたか、朝鮮のほうが日本を侵略した回数が、
多い事実を。

新羅の入寇は、124年間にわたって執拗に攻められて、
官舎は焼かれ、民は殺され、さらわれ、
家畜食料は奪われたりしていた。
対馬、北九州が標的だったが、ひどい時は九州全域が
攻撃されていた。

↓下記も。

0997年 長徳の入寇(高麗)
1001年 高麗の賊が攻めてきている。
1019年 刀伊の入寇(高麗・女真)
1274年 蒙古襲来・文永(東路軍の44%が高麗人【朝鮮人】 )
1281年 蒙古襲来・弘安(東路軍の67%が高麗人【朝鮮人】 )
1389年 康応の外寇(高麗・朝鮮)
1396年 李氏朝鮮による対馬攻撃)
1419年 応永の外寇(李氏朝鮮 )

初期の倭寇も高麗の記録や、中国の記録にも
元寇に対する復讐戦と書かれてるよな。

もっと詳しく言うと、百済は各種記録、出土する古墳、装飾品、
遺伝子調査、言語的、民族的から現朝鮮人とは連続性は無く、
むしろ和系と明らかになっています。
新羅(現朝鮮)そんな日本の任那や和系百済の領地も侵略したよな。

文禄・慶長の役で、左翼と朝鮮人が反日的に大騒ぎするけど、
上記を見る限り、そこまで被害者面できないよね。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 18:59:53.89 ID:pJRXvOtn0.net
「朝鮮は侵されたことはあるが、
侵したことはない」じゃないの?

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 01:14:09.30 ID:+9nqQngt0.net
>>615
第二次出兵でも、日本軍につく朝鮮人がいたんだな
はじめて知った。

とくにこれが朝鮮人らしいなw

「従軍して敵軍の首一級を斬った者には、科挙及第を許可することになり、
 人々はこれを斬首及第と称した。
 それからというものは、飢餓にさいなまれていた百姓らに、もう一つの災難がふりかかり、
 いつどこで首を掻き取られるか分からぬ厄介な時世となった。
 同胞を殺して剃髪し敵軍の首と偽ってさし出す者あれば、敵軍兵の首であっても、
 他人から買い入れて提出する者もあり、時には売買のかけ値が問題となって訴訟に
 及ぶこともあった。ともあれ、こうして二三品の昇叙にありつくというしまつであった」

春坡堂日月録巻九

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 20:35:33.43 ID:HLISjkuc0.net
朝鮮についてのみ語りたいならどっかいけよ

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 23:59:50.81 ID:kJ+zoReK0.net
義兵。

宣祖実録巻36宣祖二十六年三月三十日己亥条 によると。

同福県監奇孝曽は、むやみに義兵将を自称し、討賊の実績も無しに、
よぎる村々であますところなく暴飲暴食と横柄を働き、
百姓らのもてなしが気に食わぬと直ちに、
拷問にかけて虐げるばかりでなく勝手に官倉を開き軍器と
軍量をほしいままに持ち去る暴挙を平然としてのけたが守令らは
手出しもせずに見ぬふりをしていたので、
たまりかねた土民らは、奇孝曽の名を聞くだけで身の毛がよだつ思いで逃げかくれた。



竜蛇日記壬辰十二月初四日条 では、

所謂、義兵という者は、尽忠報国の誠を以て討賊する者多けれど、
義兵の名にかこつけて私利を図る者もすくなくはなく、進展を意のままにし統制も受けずに、
ただその郷里を守っているにすぎない

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 21:45:36.38 ID:ZHfAW/bp0.net
>補給路が断たれた

太平洋戦争でも同じようなミスしてんだよな

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 20:15:37.70 ID:ZeABhKUK0.net
>>622
別に秀吉軍だけでなく、補給が切れて苦労した話は
東西関係なくあるわけで・・・そこでww2の話に飛ぶのもどうかと・・

一例として30年戦争にも、皇帝軍や諸侯軍にも
補給不足や寒気に苦しんだ事例は多くあるのだが。

で本題の、秀吉軍だが補給で苦労したのは1592年の7月-1593年の3月くらいまでで、

しかも、文禄2年3月3日の書状にも4月11日まで食料はあると記されており、
釜山にも食料があると書かれてる。 同書状には食糧輸送の遅延の原因は道が険しいことと、
人手不足のせいだとも。

【釜山海之御兵糧も、山坂に而御座候間、五日路六日路、道中届かぬ可申候哉、
川に付て船にてのほせ申儀も、今のつなきの御人数にては、難届候由申候】

文禄2年の春には船をフルに活用して、釜山やその周辺に補給が再開されて、
半島南部の秀吉軍を、一年半以上持ちこたえられるほどり物資に
溢れていると記されている。
実質、補給に苦しんだのって8-9ヶ月だよ(ブサヨとか在日はこの戦役全期間の印象操作してるけどね)

文禄の経験を活かした秀吉は、慶長の役では失敗していない。

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/01(土) 22:24:41.16 ID:N7iABpMq0.net
ヌルハチ一代で中国を征服した訳ではないように
秀吉一代では何もできない。
秀吉には寿命が足りない。

どうあれ寿命の問題で無理だと思う。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/01(日) 03:37:53.51 ID:wZWbVXwA0.net
朝鮮出兵は南部に留め
大陸の江南 旧都の臨安を押さえ、華南を兵站拠点で長期戦なら可能性も

家康に裏切られ、浙江省と江蘇省に豊臣政権でも、ヌルハチに潰されるかと

626 :呉品娟:2015/06/14(日) 02:47:07.76 ID:AGHYID/ME
三立学院で勉強しながら立川の風俗マッサージして働いています。福建省福清1985年1月1生まれの30才です。偽装結婚 希望。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 06:22:33.88 ID:4l6WRn4M0.net
まず作戦が長期にわたることを想定し、後継者争いが起きぬよう取り計らって秀吉逝去に備える
次に朝鮮に的を絞って平定し、時間をかけて前衛基地化した後、明征伐を決行する
先行して敵戦力情報をリサーチし、舜臣などは離間工作で自陣に取り込むか排除しておく
戦線も前進させすぎないように味方間の連絡、作戦要諦を周知しておく

朝鮮を平定すれば造船技術も手に入り、明入りもより多くの侵入経路が確保できたろうし、北方と連絡をとる糸口も掴めたかもしれない
満州族と連携すれば明征伐も成し遂げられた可能性はある

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/17(木) 17:43:29.05 ID:EdWru1sQ0.net
あの時代のスペインの貿易商人の記録をみるといろいろと面白いことがわかる。
日本からの輸出品は米と塩漬けの魚がほとんど。
ハムもたくさん輸出していて、何のことかと思ったんだが
穢多が解体した病死牛馬の塩漬け肉のことだと思う。
意外だったのは陶磁器の輸出がほとんどないことで、
漆器も本国であまり人気がないので送ってこなくてもよいと言うお達しが。
美濃焼きや織部焼きのような「数奇」な焼き物は、
南蛮人の目にはがらくたにしか映らなかったのだろう

同時に宣教師は、この国は魅力的な奢侈品が少ないのに兵の数だけは多いので
攻め捕る必要性は乏しいと、本国に報告している。

AKBや秋葉原の文化が世界中で大人気だと思い込んでいる
今の日本の状況と少し似ていると思った。

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/19(土) 01:08:00.32 ID:OkBaMODG0.net
>>627
既に朝鮮出兵の数十年前から南蛮船が来航して世界一周できる艦船に触れている日本が
朝鮮を平定しなければ造船技術が手に入らなかったとは考えにくい

朝鮮出兵は兵站に問題あったのが撤退の一因だと思うが
それは海軍力というよりも現地の土地の貧しさと反抗的堕落的な現地民による
兵站の保持や現地調達能力の乏しさが主因ではと思う
それは現代の朝鮮半島の様々な記事を見て感じた

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/08(水) 14:07:29.73 ID:y8n8ZYYu0.net
朝鮮出兵と同時期に楊応龍の乱、ボハイの乱が起きているが、もっと大きな反乱が明国内で起きていれば。

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 04:44:27.58 ID:ScVKrMmo0.net
三年前の盆休みに大阪へ大学時代の友人の家に
遊びに行ったが、大坂城巡りは楽しかった。
普通語を勉強したことがあったから中国人観光客
がいっぱいいて、じっくり展示物を見ていること
に気が付いた。彼らは秀吉が明に攻め入ろうとし
たことをあまり気にしていないのだろうか?
韓国人にとっては秀吉は大嫌いな日本人の一人だと
言われているが、実際に大坂城や豊国神社を見に来る
人もいるそうだから人の心ってよく分からんな。
日本が負けた戦争だったからよかったのかな?

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/25(日) 08:00:33.48 ID:ycTVcRq7O.net
>>631
明、つまり中国側の視点では単に辺境を荒らしただけに過ぎないからな。

それよりも大坂城巡りと言うのが気になるわ。
大阪城は大坂城跡に建てたのではないのか?

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/31(土) 13:42:18.94 ID:8OyPiiIj0.net
>>631
日本国王号受け取った蛮族に過ぎんよw

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/31(土) 13:44:48.98 ID:8OyPiiIj0.net
>>629
秀吉はコエリョにフスタをくれと言って断られているように造船技術の低さは江戸時代見ても瞭然だぞw

日本の造船技術の向上は幕末に外国人技師雇って横須賀にドック付きの造船所作ってからだぞ

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/31(土) 13:47:01.39 ID:8OyPiiIj0.net
>>623
沿岸部にしか拠点ない時点で補給もクソもないだろうがw

戦略性もなく拠点点在させて善戦とか旧日本軍の大本営発表かw

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/22(火) 17:35:17.19 ID:9Ki0AaQEO.net
猿王朝か

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/27(月) 21:35:31 ID:NLo5nml10.net
https://i.imgur.com/iUqHJhZ.jpg

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/24(月) 09:27:46.32 ID:vS38Bi4Z0.net
>>104
アメリカが人口の一割を動員?
そんな事ありました?

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/24(月) 20:28:42 ID:vS38Bi4Z0.net
南北戦争?

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/24(月) 20:34:39 ID:vS38Bi4Z0.net
>>634
でも伊達はガレオン作ったじゃん

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/01(月) 01:22:00 ID:1B7WsngP0.net
秀吉の朝鮮出兵って、
ナポレオンのロシア遠征とか
と同じでアホな戦争ってだけだよ。
無駄な戦争だってね!

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/01(月) 01:27:33 ID:1B7WsngP0.net
秀吉の朝鮮出兵って、
ナポレオンのロシア遠征とか
と同じでアホな戦争ってだけだよ。
無駄な戦争だってね!

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/08(土) 15:18:31 ID:A0gOY0vg0.net
1599年に予定されていた大攻勢はソウルを攻略し朝鮮半島全土を完全に支配下に
置くことなっていただろう
秀吉は半島南部割譲だけで満足するとは思えない
将来的に明と構えることも考えていただろうからそんな小さな目標では無かっただろう
明は難しいからせめて朝鮮半島だけでも完全支配下に置きたかったと

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/14(月) 11:37:44.60 ID:mznfxBum0.net
このまえハローワークに行ったら、プ-さんのぬいぐるみ置いてあった。それ見てちょっとキレかかったよ

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