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秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:17:02 ID:3MqG1Y870.net
秀吉が大明国に攻め入った時、
その兵の人数はヌルハチが明を倒した時の10倍。
軍事力では朝鮮には楽勝して明だって倒せるレベル。
実際に陸では連戦連勝。

でも海が駄目だった。秀吉が海賊禁止令なんて出すから
船の技術の進歩が遅れていたんだ。
海戦で負けて補給路を断たれた。それで現地の兵は
篭城とか苦しい戦いを強いられたんだ。

でも負けて良かったかもね。日本が中国征服したら
中国が勢力回復した時に日本も吸収されただろう。
実際に満州民族は明を滅ぼし清を立てたが
清王朝が滅亡した時、満州もいつの間にか
中国のものになっていた。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 03:51:37 ID:NNV/+sYP0.net
>>90
解説、ありがとうございます!

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 19:39:00 ID:L53M7Fvk0.net
明治までの日本民族は、家畜なしで水稲稲作一本槍だった(麦作が日本の
風土に合っていないので、麦作を知っている人間が少ない)。
だから北海道に興味をもっていない、征服しようともしていない。
同様に考えると本来は米のできる朝鮮南部と華南しか興味がわかないはず。
朝鮮南部を占領して、収穫できるかもしれないが、いつ攻めてこられるか
分からないし、征服して意味がある土地か微妙。
台湾は攻めれば、江戸時代以降は台湾は日本になっていたと思う。



93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:32:34 ID:P0JO1hrE0.net
稲作が念頭にある日本軍の将兵が、
遼東の荒野を見たら絶望するかもね。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 11:29:05 ID:Q6O7nQuv0.net
明朝の軍制では、禁中護衛の親軍が北京に約12万人、南京に約10万人。
北京の五軍営が約12万人、神枢営が約7万人、神機営も約7万人。
各地の五軍は、左軍都督府約45万人、右軍都督府約72万人、中軍都督府約30万人、前軍都督府約57万人、後軍都督府約64万人。
全体で明軍の総兵力の定数は約316万人とされている。
ただ、実際は極端に定数を割り込んだ状態にあったため、明軍の総兵力の実数は、せいぜい50万人ぐらい、
文禄慶長の役で朝鮮に送り込めた援軍も10万人程度であったと思われる。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 21:52:34 ID:2y/4QeY80.net
人口十億超の某国でさえ、常備軍は三百万人もいないはずだがw

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 22:25:58 ID:ltvVyiAT0.net
というか秀吉が明に勝てると思った根拠はなんなの?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:24:10 ID:WvVZ3I2C0.net
明征服は多分に名目的なものだったと思うよ。
あの外征は、国内問題の処理が背景にあったと思う。
戦乱が途絶えて、大量の浪人が出ていたし、
武器製造等の軍需産業の存在など、いろんな要素が絡んでいた。

>>95
明代の人口が五千万〜一億の範囲とすれば、
名目上の定数としてはそんなに無理のない数字だと思うよ。
実際の配備兵力が定数に達したことは多分一度もないだろうけど。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 12:36:26 ID:O9ejWnWa0.net
まあ、辺境に配備された明軍の兵士も、流刑に処された罪人が多かったから、
かなり質が悪かったんだろうな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 15:41:07 ID:JZsaPP1x0.net
 隆武帝の死後に永暦帝に即位した桂王・朱由榔から「延平郡王」を拝受した鄭成功は、明王朝復興のため南京攻略を志
し、1658年 5月13日、兵11万、大小の艦艇290隻からなる大遠征軍を率いて廈門を発った。しかし、8月9日に杭州湾
に浮かぶ羊山沖で猛烈な暴風雨に遭い、成功の息子3人を含む8000余人の将兵を失う大打撃を受けてしまう。鄭成功は
やむなく温州近くへ引き返して盤石衞を攻略し、その地で養兵訓練と造機造船に従事した。

 翌1659年4月19日、国姓爺軍は再び南京を目指して盤石衞を発ち、5月17日には前年暴風雨に遭った羊山沖を無事
通過する。沿岸部を北上する国姓爺軍は、5月18日に清の総兵・梁化鳳の死守する崇明島に至ったが、鄭成功は日時を
遷延するのを恐れてあえて攻略せずに素通りすることにした。その後、全艦隊は揚子江を溯上しながら瓜州、鎮江で勝利
を重ね、7月7日にはついに南京城外郭門の一つ観音門に到達する。7月12日、嶽廟山に本藩を構えた鄭成功は、獅子
山に前鋒鎮・余新、儀鳳門に左提督・翁天祐、第二大橋に中提督・甘輝、漢西門に右提督・馬信を配置して南京城を完全
に包囲した。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 15:41:47 ID:JZsaPP1x0.net
 一方の南京城側では、城外の建物を焼き払い、十里以内の住民すべてを城内に入れて国姓爺軍の襲来に備えていた。
城将の郎廷佐は、鄭成功に対して開城までの猶予を懇願して時間稼ぎをする一方で、松江総兵の馬進宝と崇明総兵の梁
化鳳、江寧総兵のハハムに再三使者を送り来援を促す。成功の右腕ともいうべき甘輝は速やかな南京攻撃を進言するが、
馬進宝が国姓爺軍に内応するという情報を得ていた鄭成功は南京の降伏を待つ方針を変えなかった。

 しかし、7月22日、崇明島を発った梁化鳳の軍勢が南京救援に到着し、さらに塞がれていた神策門の漆喰を剥がして南
京城兵が打って出ると、成功の誕生日を翌日に控えて軍規が緩んでいた国姓爺軍は不意をつかれて大打撃を受ける。鄭
成功は観音山まで退いて陣形を立て直したが、翌23日の決戦にも部隊間の連絡が不十分だったために大敗を喫してしま
う。甘輝をはじめ、万礼、林勝、陳魁、張英、蘭衍、李泌、藩庚鐘などの将士を失い、長江での溺死者だけで4500以上の
損害を受けた国姓爺軍は南京攻略を諦めて退却した。

 鄭成功は帰路、報復のために崇明島を攻撃したが、梁化鳳の激しい反撃によって多大な損害をうけたため攻略を断念す
る。9月7日に廈門に帰還した鄭成功は永暦帝に使者を派遣し、自らの王爵を剥脱して敗戦の責任をとった。しかし、その
永暦帝もこの年、平西王・呉三桂(1612〜78)率いる清軍に追撃され雲南からビルマへ逃げ込むことを余儀なくされてい
た。南京攻略の失敗によって鄭成功は、清王朝の勢いが強大で中原回復がもはや不可能であることを悟らされた。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 16:13:13 ID:OaG72ROS0.net
明の次はヨーロッパ遠征でつか?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:19:04 ID:EnRQ2Q2h0.net
インドか東南アジアじゃない?。多分。


103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 09:36:06 ID:DkUD2kwJ0.net
その次はアフリカ?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 15:51:46 ID:0E27qDIO0.net
>>95
豊臣秀吉でさえ、最盛期で30〜40万人を動員できる状態にあったんだから、
兵制次第で、300万人はそう難しくないと思うよ。
アメリカも、戦時下では、総人口の10%ぐらいの兵力を実現したことがあるし。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:57:55 ID:q+22XhIk0.net
>>101
なにその本宮ひろ志の「夢幻の如く」

106 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/26(火) 22:01:06 ID:yhou1keK0.net
雷帝の復活は無理ありすぎだよなあ。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:31:42 ID:+iwd1fjN0.net
信長が新しいハーンになって、1000万のモンゴル騎兵を従えてる時点でもう…

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 21:47:49 ID:+iwd1fjN0.net
実際は半島すら抜けられなかったわけだけど、
それは>>1の言うように全て海軍力のせいにしてもいいの?
それとも、そもそも半島を制圧して明に攻め入るなんて無理な話だったの?

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 23:14:14 ID:+6RH/CV20.net
日清戦争の時も、北京方面への展開はほとんど無理だったんだから、
当時の日本軍じゃ、補給とかの問題でほぼ絶望的じゃないかな。
遼東に殴りこみに行くとかなら、できたかも知れないけど。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 01:58:10 ID:WzH4cCGx0.net
明に対して打撃を与えるなら、やっぱり江南を攻めるべし。
塩の集積地でもある揚州を占領して南北の運河の交通を寸断できれば、
明の朝廷も慌てるだろう。

実行するにはいろいろと障害があるけど。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 04:04:05 ID:Jz8i0czs0.net
明「朝鮮救援のせいで予算が尽きた…。」
朝鮮「ウ、ウリの国もう滅茶苦茶、哀号…。」
日本「寒いよ、腹減ったよ、帰りてーよ…。太閤の阿呆ォ!!」


笑うヌルハチ

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 08:37:34 ID:JlepqGSD0.net
実は秀吉は清のスパイだった!!

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 08:58:17 ID:ZckgutbF0.net
じゃあ逆に考えて、
秀吉の朝鮮出兵がなかったら清の建国に大きな影響が出たの?
いっそのこと女真族と共闘すれば道が開けたのかもね。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 15:21:45 ID:XbVMLhSv0.net
 文禄・慶長の役が、ヌルハチの勢力拡大にとって、大いに助けとなったのは事実。本来、
女真族の監視のために置かれていた遼東駐屯の明軍が、朝鮮へ向かったわけだから。その
どさくさに紛れて、敵対していたある部族を滅ぼしたりしている。
 ただ、その前の1589年には既に建州女真の統一に成功しているし、日本の動向に関わら
ず、ヌルハチは快進撃を続けていたわけだから、遅かれ早かれ女真族の統一には成功して
いたと思う。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 15:25:47 ID:XbVMLhSv0.net
 それともう一つ、中華帝国としての清朝誕生の要因となった、明朝の自滅についても、
確かに朝鮮への援軍派遣による軍費の増大が財政を圧迫し、間接的に明朝が滅亡へと繋
がっている。
 ただ、万暦帝の治世を見るに、朝鮮への出兵がなくても、放漫財政によっていずれ明
朝の財政は破綻し、国内の混乱を招いていた可能性が高い。

 ヌルハチによる女真族統一、明朝の内乱、この2つの要素は、文禄・慶長の役によって
早められたことはあっただろうけど、なくても遅かれ早かれ起こっていた可能性が高い。

 清朝による中国支配は、大きな歴史の流れとして、変えられないものだったと思う。

116 :1:2006/12/28(木) 21:58:32 ID:EjZVMlGu0.net
何か適当に立てたスレが知らん間に伸びてる!!!!!

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 22:46:45 ID:NQ+CAsjZ0.net
適当だったのかよw

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:46:28 ID:4Va40V0p0.net
適当でも、テーマがよければ伸びるさ。
以前、三戦板にあった同じ主旨のスレも、
>>1がどうしようもない糞だったが、>>20を過ぎたあたりから、
急にレスの質が向上し、>>200を超す頃には、三戦板屈指の良スレに成長していた。


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 06:42:13 ID:eFPCVhJ80.net
半島ルートは実際に試みて失敗している
東シナ海ルートでは大軍を送り込めない

というわけで、
浪人を傭兵として大量に送り込む
→政情不安に乗じて反乱
→日本人王朝成立
という妄想しか思いつかなかった       

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 08:26:57 ID:X0LJabNn0.net
元王朝の末裔を…とかムリだよねえ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 15:43:42 ID:hcv+uacn0.net
倭寇を大規模にしたような部隊をいくつも編成して、
まるで嫌がらせのように明の江南一帯を荒らし回り続ける。
5年10年と続ければ、明朝も音を上げて、講和を結ぼうとしてくる。
そこで、自由に交易する権利とか、歳幣をおねだりする。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 16:02:30 ID:WS/rDAYn0.net
頑張れば朝鮮と遼東の割譲なんかは可能だったんじゃない?
明制圧とか言わずに、素直に朝鮮を占領しておけば良かったのに。
即効でヌルハチにぶん取られそうだけどw

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 17:39:58 ID:Nf+kE6Rb0.net
明には数度の戦に勝利するがヌルハチ率いる黎明期の清軍にボコボコにされるパターン

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 22:11:26 ID:ONtl2ySk0.net
黎明期の清軍は、末期の明軍と言っても間違いでは無いがw

主力は呉三桂とかだったもんね。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:47:57 ID:bAAdRy9e0.net
ちなみに朝鮮半島をヌルハチの金(清)と奪い合いになった場合、
朝鮮人は、日本人と満州人のどちらの味方をするんだろう?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 00:25:46 ID:sC8khfsi0.net
>>125
当時の朝鮮知識人にとって、野人(オランケ)と倭人(ウェノム)は究極の選択だぞ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 01:57:11 ID:HFqA+cNm0.net
>>125
普通に明に救援を求めて、生き残りの道を探すだろうw

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 23:50:11 ID:kRR1OPEt0.net
>>127
だから、明が内乱とかで、属国の救援どころじゃないというのが前提だろう。
何が何でもどちらかを選ばなければならないという状態。

国王が明に亡命したりするかも知れんけどw

129 :中国人:2006/12/31(日) 11:36:31 ID:D4+BlK4E0.net
  中国人和日本人的共同点:看不起韩国
  日本人和韩国人的共同点:要打压中国
  中国人和韩国人的共同点:反对日本的扩张



130 :始皇帝:2006/12/31(日) 14:54:38 ID:Dki/eEXM0.net
>>115
場合によっては、南明北清の南北朝体制になったかもね。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 17:00:05 ID:VNoPS6uC0.net
>>129
拡張?
日本已経放棄了軍国主義。
如果日本政府採取軍国主義、那是美国政府所不准許的。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:09:43 ID:vNJDLLbh0.net
秀吉の後継者がしっかりした征服ビジョン持ってて満州族や西方南方の異民族と強力しながら水軍で江南に上陸が一番可能性ありそう

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:51:43 ID:cKQ0bVmw0.net
とりあえず、女真族と手を組めてれば半島での戦いは成功してそうだね。
報酬は半島(と台湾や遼東?)をもらうってことで手を打って。

向こうを説得できるかどうかはわからんけど。

というか、秀吉って本来そういう根回しを得意としてた印象があるんだけどね。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 23:01:43 ID:lGIhyCDw0.net
秀吉得意の計略も、異民族相手となるとそう上手くはいかんでしょ。
それまであまり交渉もなかったんだし、相手に対する知識が少なすぎる。

それと女真族は、明の側とも付き合いが長いし、一旦は日本と手を組んでも、
いつ寝返るか分からない部分がある。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 06:31:50 ID:8yu6aUy70.net
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1167044587/

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136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:21:17 ID:O8SaJtfJ0.net
そもそも日本は異民族と接する機会が少なすぎた。
まずは積極的に関わりを持って、数十年付き合ってみて、
相手を知ることが肝要。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:25:44 ID:31iSNPU/0.net
明の人口は1630年の段階で1億9000万人いたらしいよ、その後の混乱
で激減したけど。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:50:04 ID:VMpl3rUYO.net
確かに、下手に中国占領したら満州やチベットみたいに日本も中国の一部にされたかも

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:55:39 ID:UL6CMbhZ0.net
その場合は間にある朝鮮も当然のように吸収される…と。
近代以降の歴史が大幅に塗り変わっちゃうねw

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 10:43:58 ID:sYUT8V1/0.net
満洲族の数十倍の人口があるし、本国は海の彼方だからそれはない。
入植人口も十倍はあるだろうから、カースト制になるだろう。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 10:47:03 ID:sYUT8V1/0.net
その場合本国の年貢を減らして、替わりに継続的な武士の産地にでもするのかな?
大名連はお国替えになるだろうし。本土は丸ごと直轄領になるだろうし。
朝廷はどうするんだか。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 11:08:27 ID:kbVJovyh0.net
ちょんまげとかさせるの?
それとも本土では普通に大司馬とかになるの?

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 11:41:56 ID:LxsRirHD0.net
もし日本の歴史が半世紀ばかり遅れて進行していたら・・・
明vs李自成vs清vs秀吉の四つ巴の戦いが展開されたかな?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:26:39 ID:vx7wTb160.net
明は、夷を以って夷を制す、の策で、
清と日本を噛み合せようと画策するだろうな。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 13:54:39 ID:7BnuuoTj0.net
日本が一番素人っぽくて、はめられそうな気がする。
島国で外国との接触がどうしても少ないから。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:31:02 ID:4eCPVGmN0.net
日本は海に囲まれて外敵から守られてきたけど、
逆に攻めて行くのも大変だね。



147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:18:57 ID:DJNAKqCo0.net
>>145
いや、当時は海外貿易が盛んだったから情報や技術の最先端が日本にあった
はず


148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:36:38 ID:kUQs2Tdn0.net
少なくとも、明国内の状況に対する知識という点において、
でも豊臣秀吉とか、主立った大名連中の知識はかなり乏しかったはず。

異民族を統治することがどれだけ大変か、実感として分かっていなかっただろう。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:13:29 ID:17GBGVst0.net
>>137
この当時の日本の人口は、推計によってまちまちだけど、
千数百万人ぐらい?

人口差は、大雑把に1:10ぐらいの差かな?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:38:57 ID:qlgOQugU0.net
万暦年間の明軍の総兵力の実数は、大幅に定員を割り込んでいて、
50万人ぐらいだったらしいね。
それで、文録・慶長の役で、朝鮮半島に送り込んだ兵力が恐らく最大で10万人ぐらい。
江南に直接攻め込んだ場合でも、直接対峙する兵力は20万人以下じゃないかな。
辺境に張り付かせた兵力を全て一点に集中させることは不可能だし。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 09:19:59 ID:6WKUj2yV0.net
万暦の三征ってほぼ同時期に起きてるんだね。
うまく連携が取れてれば…とも思うけど、難しいか。

距離も離れすぎてるし。

やっぱり女真族だよな〜

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 14:50:30 ID:4+a9Ykwc0.net
寧夏やら貴州やらでは、連携を取るのは無理だろうね。
しかも乱を起こした両者は、明朝と繋がりのあった人物だし、
一時的に日本と手を組んでも、すぐに裏切りそう。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 16:14:17 ID:tu5YB08B0.net
明の軍隊は、将兵共に、一般的にはかなり質が低いけど、
たまに優秀な指揮官が現れると、見違えるほど強い軍隊になったりすることがある。


154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 22:35:01 ID:+QmC2J4c0.net
ただ中央の文官が保護してくれなきゃ誅殺!

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:27:11 ID:gvAZl7lL0.net
あまり功績を上げすぎると、妬まれたり、
あるいは危険視されたりする。

中央の上司に理解のある人がいるといいんだけど。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:40:22 ID:z2Cr7Hb00.net
岳飛・・・・・・

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 23:29:30 ID:ARwXX2Z70.net
>>153
と言うか、明朝の場合、皇帝の座に、ものすごく有能な人物がついたら、
一気に国として強くなるように思う。


158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 23:54:39 ID:qs15dPtQ0.net
皇帝の身に独裁権力が集中しているからね。

万暦帝が永楽帝みたいな皇帝だったら、張居正が建て直した財政をそのまま維持し、
場合によっては親征、日本への逆侵攻も考えたかも。

ま、日本を攻めるってのは容易なことじゃないけど。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 13:47:02 ID:DZp+vL+i0.net
つくづく日本は海に囲まれてよかったと思う。
今でも、海に囲まれていることが、
国防上、ものすごく有利に働いているし。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:56:39 ID:lFZrPZFlO.net
本当は過去に一度ぐらい痛い目にあった方が寧ろ日本の為になったのに・・・

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:23:12 ID:9+//72510.net
>>160
まぁ第2次大戦で痛い目にあって、それを肥やしにできたから結果オーライじゃね?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:25:16 ID:3dm/VTCV0.net
頑張れば行けたんじゃね?頑張ればな。
だが出来なかった、だからこの話はこれで終わり。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:41:19 ID:bAr99ni90.net
結局、中国を統治するのに、一番効果的なのは、
既存の行政システムを取り入れること。

ただ、それは漢化を意味するわけでもある。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 02:08:55 ID:KkwY9sLx0.net
>>162
だから、どう頑張れば良かったのかを検証するスレだろw

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:07:29 ID:iy2w6cIIO.net
>>161
それじゃ遅すぎだ、蒙古に蹂躙されてた方がこの国の為になってたと思われ・・・

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:56:39 ID:eqnoPpCV0.net
>>152
他の民族と連携を取るのは大変なので、まずは、
日本単独で攻めることを考えよう。

まず史実通りに朝鮮半島へ侵攻するか、海路で明本土への侵攻を画するか。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 21:45:26 ID:HMFhqzWJ0.net
日中戦争でも日本軍は戦闘を優位に進めたけど
広大な領土を占領することはできなかった。
結局負けるし。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:19:04 ID:bfRcKxn80.net
戦術的な勝利を積み重ねても戦争に勝てるとは限らないんだよね。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:23:22 ID:KkwY9sLx0.net
朝鮮と琉球押さえて、有利な条件での講和がベストじゃなかったか。
で機を見て(必要なら)台湾や江南へGOみたいな。

満州はさすがに無理そう。
ヌルハチ手強そうだし。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 22:24:52 ID:KfX1Bpce0.net
家康に留守をつかれて糸冬じゃない?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 23:22:32 ID:8L1XOCrm0.net
秀吉の存命中の家康の反抗は難しいんじゃないかな。
関ヶ原の戦いだって、豊臣家臣団を分裂させて戦わせたわけだし、
秀吉がいたら、豊臣家臣団は団結するだろうし、
家康がいくつかの有力大名を味方に引き込んでも、
戦うのは難しそう。

史実のように朝鮮半島南部を主戦場としつつも、
少数の遊撃部隊を編成して、倭寇のように江南沿岸を荒らし回らせて、
明朝を揺さぶる。
その上、明朝と直接交渉して、日明間の交易と、朝鮮南部の割譲を勝ち取るぐらいが、
一番いいと思う。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 15:05:02 ID:/dny6RAj0.net
朝鮮の頭越しに明と交渉し、慶尚道と全羅道の割譲を勝ち取る。
朝鮮は、宗主国が決めたことなら、逆らうことはできない。



173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 23:45:24 ID:Ov2VhAAJ0.net
慶尚道と全羅道出身の両班、官僚たちはわや

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:55:07 ID:Ft7VjdJs0.net
それを実際にやってご破算になった

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:37:12 ID:3Bb/3em00.net
やっぱり海を隔てていると、侵攻するのは大変だな。
逆に守りやすくもあるけど。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:13:37 ID:KaYo1cIt0.net
李舜臣が官僚の支持があって全軍を指揮したら日本は危なかったな
きっと九州の当たりは朝鮮領土になっていた
とても残念だ

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:47:25 ID:jlqAqn7WO.net
>>176
日本→朝鮮ルートが難しいように、朝鮮→日本ルートも難しいんだぞ

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 14:54:27 ID:uyW5DGbW0.net
>>176
ただでさえ渡海作戦は難しいのに、当時の朝鮮軍じゃ、
いくら神のような指揮官がいたとしても、九州の占領なんて無理でしょう。

元寇にしたって、たとえ神風がなくても、博多周辺などを一時的に占領することができたとしても、
やがて撤退せざるを得なくなったと思われる。

対馬や壱岐の占領でもかなり難しい。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 19:11:42 ID:HxGDlvhZ0.net
秀吉は北条氏を攻める際に22万の兵力を動員しているよね。
それ以前、九州を攻める段階でも同じくらいの動員をしているよね。
それを考えれば、島津、北条、その他の領土を併呑して更に大きくなった
段階ではもっともっと大兵力を持っていたんじゃないかな。
朝鮮には最大で15万8千しか送っていないけどこれは輸送船団がやられて
新兵力を送る余裕がなかったからでないの?
名護屋城には30万の兵力が集まったんじゃなかったっけ。東日本にも兵力
を出させておけば朝鮮駐留に10万位あてても北京に雪崩れ込む力はあった
のではないか?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 19:51:32 ID:4iYX7Aso0.net
大量の兵を海の向こうに輸送するってのは大変なんだぞ
今みたいにGPSやらなんやらあるわけじゃないし

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 20:01:20 ID:FQU7HU7l0.net
>>176
李と朝鮮の手持ちの船では技術的な問題があって渡海は難しいらしい
どのみち日本も明朝鮮側も補給と兵站の問題が至難の技みたいね

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 23:18:47 ID:eGqDZe1f0.net
>>179
兵を数だけ送り込んでも、補給もきちんと確保しないと、
どうしようもないよ。

それに30万人動員と言っても、全てが戦闘員というわけでもないしね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 11:24:45 ID:mf1+J/i80.net
でも相手より多数をそろえながら、兵器も先進、士気も高く、
武将も有能ぞろい。












で敗北した。清軍にも日本ボロまけしたんじゃね、といわれてるし
日本軍弱すぎ。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:38:05 ID:e7feaU810.net
そもそも敵地で戦うのは根本的に不利だからな。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 23:00:11 ID:nXIpBtS10.net
中国の歴代政権を苦しめ続けた北方の遊牧民だって、
別に兵の数が多かったわけじゃないからな。

やっぱ機動力、ゲリラ的な戦いで挑んだ方がいいだろう。
正面から大軍同士でぶつかったって、損耗も激しいし。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 15:00:47 ID:iVR/8hUV0.net
ゲリラは地域住民に紛れこんで背後から襲うわけで外人には無理
うまいこと現地の言葉を覚えて侵入したとしてもゲリラ戦なんてやったら現地住民みなごろし戦法をとられる
こええぜ

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 16:23:57 ID:+kfwlWsh0.net
>185
ゲリラ戦と機動戦は違うんだぞ。
ついでに言えば遊牧民がああいう戦い方をしたのは
基本的に交易を有利にするための恫喝や略奪のため戦で
土地を取って長期的に支配するつもりが無いから。

逆に遊牧民といえど中原支配を目指した場合は
大軍同士の会戦や攻城戦などを行ってる。
どんなに勝率がよく損耗率の低い戦い方があっても
「何のために戦争をするのか」って目的を度外視しちゃだめだろ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 17:42:16 ID:lHE16nw/0.net
>>187
秀吉の目的は服属させること?
それとも日本の新しい領土として、支配すること?

それによって変わってくるね。





189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 18:07:48 ID:etJ/v/sxO.net
>>188
日本で関白にしかなれなかった秀吉は自身の地位向上の為に
明の一部を天皇に献上、自身が明の残りを支配。
その場合、日本は明の一部に過ぎないから秀吉の地位が一番上になる。
そんなことを本気で考えいたらしい。


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 21:25:16 ID:1F69KVbM0.net
日本は苦労して補給物資をわざわざ九州から取り寄せた

一方、明は朝鮮から奪った

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