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【墨攻】墨子を語るスレ

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/24(水) 16:12:22.39 ID:GKXrpqsu0.net
兼愛とは自己と他者とを区別せずに兼ね愛させることである。そこで兼ねる当事者の一方は、
常に自己でなければならない。

したがって、自己が他者Aと他者Bとの間に区別を設けず愛するとの関係は、元々墨子の主張か
ら外れている。よく墨子の兼愛を無差別平等愛とする解説を見かけるが、これは誤解を招きや
すい表現である。この場合、無差別平等愛なる表現が、自己と他者との間に差別を設けず自他
を平等に愛するとの意味で使用されているのであれば問題はない。だがもしそれが、自己から
見て他者であるもの同士を差別せず両者を平等に愛するとの意味であれば、墨子の意図を逸脱
した理解となる。

もっとも、自己と他者Aを同等に愛し、かつ一方で自己と他者Bを同等に愛せば、結果的には
自己が他者Aと他者Bとを差別せずに同等に愛したことになる。ただしこれは、あくまで最終的
な現象としてはそうなるというに留まり、他者Aと他者Bとの間に直接橋は架けられていないか
ら、それ自体が兼愛の本旨にはならない。

孟子は兼愛論を、自分の父と他人の父、または、自国と他国、を同等に愛せと要求してくる
危険思想だと批判する。しかし孟子の批判は兼愛論の真意からすると外れており、孟子の敵意
による誇張を含んでいる。

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