【反骨の】 魏延 【相】
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 17:21:36 ID:z3Bx58R40.net
-
とりあえずwiki
「魏延」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BB%B6
この人も演義の被害者の一人だね
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 18:08:42 ID:eyJeOiKb0.net
- 2
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 18:09:33 ID:eyJeOiKb0.net
- 謀反人として生涯を終えたことと、演義において諸葛亮との関係で貶められたこともあって、
魏延は中国では尋常でないほど嫌われており(楊尚昆を参照)、
彼の廟があった所に鉄道を開通させた際には、移築されずに取り壊された。
カワイソス
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 18:37:20 ID:g20uSHX60.net
- 反骨大臣に読めるよな。人相じゃなくて。
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 21:12:45 ID:GZeW0/dG0.net
- 出世スピードは凄い
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 03:01:09 ID:rYck1hHGO.net
- しかし、いきなり反骨の相はないだろう。そんなんでは蜀に帰参したり投降する将はいなくなる。
演義だとしてもつじつまが合わない、というか、無理矢理な伏線を感じるな。
実際は政争に負けた、気質の強い優秀な軍人だったんだろう。
当世一般の高いプライドや義理感覚は持っていたとしても、それだけで批判できるものじゃない。
ソース未提示。
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 04:39:03 ID:G8tRg0hA0.net
- 劉備には相当気に入られていたみたいだね。
- 8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 10:03:15 ID:UOKKH/xY0.net
- だから名前(ry
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 11:05:24 ID:hCobHu6h0.net
- >>6
それを言うなら、劉備にすぐさま「斬れ」と言われた刑道栄の方が(ry
- 10 : ◆ktkr9Xi27I :2007/04/14(土) 14:14:27 ID:pJDsr2LE0.net
- 正史ではどのくらい活躍してるの?
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 21:58:32 ID:cTVNZI4UO.net
- 大活躍
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:35:09 ID:G8tRg0hA0.net
- 演義の主人公とも言うべき諸葛亮と敵対したのがこの人の不幸
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 22:57:17 ID:m6ZS4eDy0.net
- この人はかなり低い身分の出身のようだけど、
学問の方はどうだったのかな?
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 01:07:25 ID:/0ygBN86O.net
- >>13
太守をやっているくらいだから水準以上は当然くらいに考えてもいいのでは?
中身としては、は実際の頭のよさ、つまり頭の回転は早いと思う。兵法は一般並に通じ、それを実用できるって感じ。
でも、優れた典籍を修めるようなずば抜けて「学がある」っていうのじゃないだろう。
むしろ、そういう白面の書生の重要性を認めつつ、かつ自分はそういうタイプじゃないし、また、生理的にソリが合わない。でも、けして憎んでるわけじゃない。
それが俺の「魏延さん」だな。
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 09:14:13 ID:35zlBDEx0.net
- ていうか、後期になるといきなり猛将扱いされるけど、実際どの程度だったんだろう
周泰ぐらい?
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:27:08 ID:0nlyQ7GH0.net
- >>14
耳学問だけでも、かなりの学を身につけた人物ってかなりいるからな。
侮れない。
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:07:04 ID:DWM6F6Os0.net
- 魏延って朱温と似ている気がする。
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 21:59:39 ID:3OqL28KY0.net
- むしろ朱才と似ているような気がする
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:27:57 ID:ouhgef9Z0.net
- 孔明って意外と心が狭そうだな。
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 01:15:54 ID:/TzRZ2twO.net
- >>19
むしろ、後世でスーパーマンにしすぎただけじゃないかな。
あれもこれもやらなければならなかった、至って優秀な文官だったと思う。
でも人間なんだよ。
孔明スキーを越え過ぎちゃった人たちはなぜそれがわからん!
魏延さんも孔明も、腹も立てばクソもしたんだぜ?
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 04:51:19 ID:VyLlPps0O.net
- つうか演義の孔明はかなり性格が酷い
正史の孔明のほうが人格者だよな
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 23:11:01 ID:2KYesel50.net
- 演義での孔明がひどいと思ったときは、魏延と初対面でいきなり反骨の相があるとかいいだすときと
南蛮遠征で孟獲を捕まえてきた部族長たちを元の陣に戻れといったシーンだね
心服してない孟獲が自陣に戻ってきたら彼らは真っ先に殺されるなんてのはすぐにわかるだろうに。
あえて見殺しにしたような感がある
- 23 :下総国諜報員:2007/04/30(月) 19:30:22 ID:eWRVAqWl0.net
- 晩年の魏延は相当な豪傑だったんでないの?
関羽だって、劉備に出会った時と荊州王気取ってた時とじゃ違うでしょう。
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 19:48:05 ID:JQGrZif5O.net
- この中にわしを殺せるものがあるか
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 17:56:46 ID:+EWl+tZV0.net
- >15
張郃ぐらい。
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 23:26:15 ID:B/sbqid20.net
- >>23
人は成長するからね。
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 23:40:22 ID:H46Xvi6f0.net
- >>24
ここにはいない
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:47:52 ID:wpgDuemV0.net
- 孔明に逆らって死後殺された馬鹿。
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 17:02:36 ID:fwauW8+Y0.net
- 名前で損してる人だね
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 16:09:59 ID:HLa/fWdh0.net
- 三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 04:50:10 ID:8Gmwm2w80.net
- >25 それってかなり凄いじゃねえか。
まあ王平にしてやられてるって所が共通してんのか?
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 14:50:12 ID:c0mYe7Q+0.net
- >31
魏延は単に兵卒を叱咤激励し戦場での駆け引きに賭ける将ではない。
張飛を抑えて漢中太守に任命された時の話から
どのような戦争になるのか
それにどうのように対応するか
平時からどのように準備すべきか
これらを考え遂行できる人材であることがわかる。
つまり平時から敵情偵察、密偵による情報収集、必然的に諜報戦にも理解があり
地形の精密な測量を積み重ね、また兵站について膨大な書類を決裁できる。
聡明な頭脳と煩雑で単調な事務作業に耐えられる忍耐力を兼ね備えているだろう。
単に武のみの人材ではないのは明らかだ。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 10:29:15 ID:VIBZv2xz0.net
- >>32
軍の司令官として、地方を一つ任せても安心できる人材ってこと?
劉備配下だった人物で、そこまでの能力のあった人って
他にいるんだろうか。
関羽は違う気がするし(最古参&顔、文斬った勇名で荊州任された印象)。
張飛は部下の把握が下手だから問題外だし。
教委もアレだからなぁ…
すごい出世スピードだったのは、劉備の配下にそういう人材が本当に
いなかったのも関係してるのかな?
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:39:02 ID:cCVKdtPX0.net
- 総合的な能力でかなり秀でていたってことは、
蜀における諸葛亮の立場を脅かす可能性もありそうだった?
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 05:26:55 ID:tK5xemM40.net
- >33 関羽は文醜を倒していない。 それは曹操の軍勢の手柄。
最重要地の荊州を任せられる人材は、
能力だけでなく人物の格というか扱いについても絶妙の判断が求められただろうが
劉備の下の人物では やはり関羽が至善とは言わずとも次善だっただろうな。
曹操や孫権にも武勇だけでなく、知略に優れた人物だと買われているし
だからこそ実際に将軍位を与えたり侯に封じたり婚姻を結ぼうとしたという事もあるのだろう
(能力だけで上記の扱いを受けたとも思わないけど)
張飛も下っ端には厳しかったが士大夫層に憧れていたようで そのために学問も修めたようだし
実際に施政も悪くなかったと聞く。 最期で評価がだだ下がりしたのだろうな。
関羽も張飛も、補佐する人物がいたらもう少し変わってきたかも
姜維は出自はともかく、蜀ではガチガチの武官だからな。 前任者ほどの才気は無かった
(まあ費イに匹敵する人材は中々いないわな)
>34 いやあそれは・・・ 諸葛亮は言い方は悪いが独裁に近い立場を固めていたし、
諸葛亮に気に入られていたのだからわざわざ脅かす必要性も薄いだろう。
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 12:03:10 ID:rl99u8LR0.net
- 反骨の相八百長説はどこかで見た。
おまえらこれから裏切るなよという芝居だったと。
寧ろ孔明に信用されていた証拠。
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 14:23:20 ID:QK4j5sIG0.net
- というか単に演義を書く上での後だしジャンケンにも思うんだが。
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 15:17:07 ID:D3mP+05G0.net
- 演義で一番割を食ったのは魏延より陳式だ。
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 18:40:41 ID:NrHngCRi0.net
- 魏延って劉備の事は何て呼んでたんだろ?
劉備が帝位に就いてからは当然変わったんだろうけど
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 11:44:55 ID:bo1/0wiO0.net
- >>32
俺も魏延は司令官の器だったと思っているんだが、
そこまで買い被る理由をkwsk
某トンデモゲームではないけれど、魏延は劉備のこと慕ってたんじゃないかな。
長安急襲の拙作や孔明死後もいたずらに戦争を続けようとした事など、
魏を倒し(まではいかなくても長安・洛陽を陥し)て漢朝の正当な後継者になるという劉備の遺志に固執しすぎてるように取れる。
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 14:17:05 ID:oy0t4b+4O.net
- \(~o~)/
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 15:38:20 ID:xV7sehJV0.net
- そして其の手柄で禅譲、蜀の新皇帝となる、と。
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 00:05:50 ID:SgPqzkSd0.net
- そりゃ劉備の事は慕うだろ。 取り立てられているわけだから
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 03:30:48 ID:lCj14VJG0.net
- 正直なところ諸葛亮時代の魏延は劉備を慕う云々よりも
自分の自尊心への固執と言った方が適切な気がする。
例えば長安急襲案は魏略を参考にするならば「俺を見れば敵は逃げるよ」
っていう自分を趙過大評価した部分に基づく部分が大きいし
それ以後も韓信の故事に習いたいと別働隊を要請し続けた事や
それを却下されると自分の才能を使いこなせないと諸葛亮を「臆病者」って批判したり
仲が悪いとは言え楊儀に刀を向けたり
諸葛亮死後には「丞相が亡くなられても自分がいる」「楊儀ごときの指揮を受けれるか」
と言ったりと自分に自信が在り過ぎるのが問題かと
また蜀将スレでも書いたけど、あんまり大将の器って感じじゃないね
なんにせよ諸葛亮死後の撤退で、味方の退路を断つのはやり過ぎ
下手すれば全滅の可能性もあったろうに
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 10:23:15 ID:0vav5VMc0.net
- 同意だね。
良くも悪くも一軍の将というしかないな。
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:25:51 ID:TeLC108z0.net
- 魏延「わしを○せる者があるか!」
馬岱「ここにいるぞ」
魏延「なにっ」
○に入る文字を答えよ(5点)
1.倒
2.殺
3.愛
4.犯
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 10:03:32 ID:vqhwd94+0.net
- 4
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 02:51:42 ID:GCbkuqv20.net
- 外征のセンスがあったの?
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 11:11:15 ID:5YZjLQHH0.net
- 魏延はきっとパフォーマンスの上手い、
つまりは自身のアピールに長けた武将だったと思うよ。
実際の戦い続けていれば、どっかで転んだ予感。
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 04:15:13 ID:25QeUFCpO.net
- 現場の人間として、明らかに戦争知らないようなバカが間違った指揮取りゃ反論もするし反抗もするわな。
長安急襲にしても、圧倒的国力差がある相手に正攻法で攻めるとか愚の極みな戦略よりかだいぶマシだろ。
と言うか魏に勝つには奇策に次ぐ奇策を成功させていかなければまず勝てない国力差があるのは事実なんだから。
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 13:23:37 ID:W5vyZ9BP0.net
- 北伐は示威行為で本当に魏を討つつもりは無かったのかもな
魏延はやる気だったかもしれんが
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:20:03 ID:6gjDXT+D0.net
- 示威行為ですらない。あれはただの運動会
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:22:13 ID:duEWzvT30.net
- >>52
運動会ワロス
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:25:25 ID:6gjDXT+D0.net
- 夢も希望も無い民衆に生きている意味と愛国心を与える為に
オリンピックやワールドカップを現代は行っているだろ。
つまりそういうことだ。
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 14:44:17 ID:xHS1BQn+O.net
- とりあえず実力としては、少なくとも劉備の目から見ると
関>魏>張
だったわけだ
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 15:08:40 ID:le33eMWe0.net
- 魏延 ・・・・・・ 岳飛
諸葛亮 ・・・・・・ 秦檜
さすがに無理あるかw
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 21:31:15 ID:MAjq6VOzO.net
- つまり魏延さんは出師の表を間に受けてたんだね・・・
溢れんばかりの孔明への愛だな。
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:58:01 ID:xRy6bexu0.net
- もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189212296/
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 23:30:01 ID:4oBLl8o+0.net
- 魏延って意外とまじめな人物だったんじゃないのか。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 13:06:27 ID:XaZ9ES1f0.net
- 揚
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 17:42:32 ID:Tj5GD83M0.net
- 孔明の出師は心底やる気でしょ孔明に能力がなかっただけで
チャンスがあったのは最初の北伐くらい
あの時は蜀をなめきって魏は何の対策もしてなかったし
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 20:03:52 ID:RQYDBujKO.net
- 魏延は小人匹夫だと思う
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 00:15:20 ID:ecSdJ8qXO.net
- >>61
蜀漢は北伐(反魏活動)しなくちゃいけないから
嫌々やったんじゃないか?
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:49:49 ID:vV7gbmgoO.net
- h
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:09:04 ID:Ml4kTD3FO.net
- >>63
そんな気がする。
孔明本人としては蜀の防備と政治体制を固めて
地方に割拠したいだけだったのかもね。
特に劉備死後は前線で戦える将軍もおらず
攻勢に出る危険を熟知していたと思う。
でも遺詔だしなぁ…てな感じ。
- 66 :党国精英西門慶:2008/02/29(金) 22:42:00 ID:/3asWitp0.net
- 易中天:魏延謀反疑案(1/3)
http://www.6rooms.com/w/trqFA4ZYYLQY9xeurlbnqA
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 15:08:44 ID:msO594ZGO.net
- >>65
北伐や、漢の再興をうたい文句にしないと、求心力を保てない政権で、
戦争したくありませんなんて、どんだけバカな政治家だよw
だったら端っから劉備を担ぎ出さなきゃ良かっただけの話し。
可能、不可能を問わず目標をたて、一致団結する。
内心の不平不満は、この際おいておき、一心不乱に国政に打ち込む。
余所から来た流民集団と、地元の集団との連合政権を維持させる手段がなかった。
北伐以外に、どうやるんだ?
それぞれの利害関係や、派閥の問題をどう解決するんだ?
北伐は手段であって、目的じゃない。
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 10:37:50 ID:SYFjguds0.net
- >158 :名無し曰く、:2006/12/29(金) 22:40:19 ID:K3p8KBsB
>魏延はプチ関羽みたいな所があるよね、傲慢でプライドが高くて、でも言うだけの
>力はあって。さぞ扱いにくいタイプだったとは思うよ。劉備にしか心服しない、劉備に
>しか使いこなせない爆弾だったんじゃないか。 魏延の能力は惜しい、でもあまり
>力を持たせすぎると自分の死後こいつは抑えを失って絶対に暴走する、孔明は
>そう考えたのかもしれん。馬謖を抜擢したのも姜維を重用したのも、魏延に対抗できる
>重石たる人材が欲しかったのかも。
この意見、ちょっと納得。
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 21:58:28 ID:HwVb1IwN0.net
- >>68
馬謖は自分の派閥の若手を抜擢して勢力拡大したかっただけ
姜維は、・・・諸葛亮に重用されたっけ?
諸葛亮が魏延を嫌っていた、という話が無い以上、諸葛亮が魏延を排除したという話は妄想という他無い
・・・諸葛亮は魏延を後継者と考えていた、と同じくらいにはな
こういうことを想像するのは楽しいが、ちと現実味がないんでね?
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 09:24:17 ID:+Cx9uXet0.net
- 北伐は上手く行かず、人材登用でも馬謖や李厳、楊儀などミスの多かった諸葛亮を引き立てる為に
武功も多く、劉備の新任も厚かった魏延を悪者扱いしてるような気がする
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 09:36:17 ID:7ftDL8g8O.net
- 李厳なんて劉備時代からの重臣中の重臣だろ。
諸葛亮の登用の責任とかいう話じゃない。
>>67
ほぼ同意だが、蜀漢政権の中に益州人と荊州人の綱引きがあった、みたいな話だけは疑問。
そもそも劉二牧自体が益州外から来た人間である上、
益州の土豪たちとの紛争の記述もある。
そして、配下にしても雍州出身者(法正)、荊州出身者(李厳)などマチマチだった。
また劉備の臣下となった益州人にも荊州への留学組も多く、益州人とはいえ色々な立場があることが窺える。
孫呉だって華北出身者が多い。
曹魏にも荊州出身者がいる。
なんか蜀だけ内部対立の火種を抱えていた、まとめあげる求心力が必要だったみたいな考え方にはピンとこない。
(国内をまとめあげるためだけの北伐だった、みたいなよくある意見には特に同意出来ない)
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 09:41:28 ID:BLEsVbW4O.net
- http://www9.uploader.jp/user/nikoman/images/nikoman_uljp00045.jpg
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 23:01:42 ID:b3W9FoUpO.net
- 魏延は陳寿を始め色々な方面から庇ってもらえているが、ただでさえいい
ところのない夏侯ボウの評価を更に下げているのは魏延だよな。
誰も文句言わないが、中々罪深い男だよ。
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 19:59:54 ID:BP+Zc6Zo0.net
- 反骨っての自体が眉唾だろう
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 01:11:06 ID:36JpoJHL0.net
- そもそも反骨は小説のみで、
かつ、諸葛亮が他にも裏切り者がいるのに魏延にだけ文句つけた時にでた言葉だ
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 10:45:05 ID:p4BNrBErO.net
- >>71
魏呉はどちらも現地出身者がトップ〜重臣に多い政権
蜀はトップ、中期までの功臣がほぼ外来出身者による政権
この差は小さくはないのでは
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 06:28:02 ID:rXvnxo580.net
- 魏延さんと高順は男の中の男。
異論は認めない事もない。
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 08:46:39 ID:FLcsD3Wg0.net
- >>76
そうなんだよな、蜀は蜀で独自性ってあったしそれを荊州から劉備が
乗っ取ったみたいな感じになったわけだし、人材統制は難しそうだよね
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 20:48:23 ID:t/sdLm7L0.net
- 結局、元々の益州の人間は一度劉備に降伏してるから
魏が攻めて来ても
(また降伏すりゃ良いんじゃね?)
って思ってる節があったんでは。
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 13:21:14 ID:vTGkHzoK0.net
- 処女じゃないからレイプされてもいいや
みたいな発想ですね
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 17:21:44 ID:b5uf6xIR0.net
-
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/male/1207390699/
(↑424を見てください↑)
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- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:42:48 ID:/aVY2AKM0.net
- tp://bear.seesaa.net/category/475865-1.html
孔明死後の本性を剥き出した魏延の元でその謀反の矛先を魏に降ることから
蜀へ乗り込むことに変え成都で以ってこれを斬る密約を果たすわけです。
tp://nekoryohu.michikusa.jp/dabun/sy11.htm
諸葛亮は自分の死後に魏延が反乱を起こすと確信していた。
そのため魏延が反乱を起こしたら魏延を斬れと馬岱に命令を出していた。
諸葛亮の死後、魏延は予想通り反旗を翻した。
馬岱は諸葛亮の遺言に従い、魏延を斬り反乱を防いだ。
tp://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3b4e5dd90302ffc15d2d44facc9c9364
魏延はかねがね諸葛孔明の戦略に逆恨みを抱いていたが、
やがて孔明が五丈原で病没するや、たちまち反旗をひるがえして、斬殺された。
孔明に先見の明があったことになる。
tp://www001.upp.so-net.ne.jp/eiyutan-3594/karuta/efudassa.htm
魏に投降しようという魏延に対し
tp://kanshigyoku.client.jp/jin-syoku7.htm
案の定諸葛亮死後反乱を起こした魏延
tp://unkar.jp/read/game13.2ch.net/gamehis/1142384998#122
それを「やっちゃう」人間なんだ、魏延は。
tp://www.geocities.co.jp/Playtown-Part/4396/kingdom/kingdom1-8.htm
三国志中、最も評判の悪い裏切りを働いた極悪人。
tp://www.geocities.co.jp/Playtown-Part/4396/kingdom/kingdom2-8.htm
叛骨の士。劉備の侵攻時に裏切って韓玄を殺害。劉備に寝返る。
諸葛亮の死後、丞相にならんとたくらんで乱を企てるも失敗し、敗死。
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 19:41:52 ID:rnQ2rWDS0.net
- 正史では諸葛亮は善く魏延と楊儀を使いこなしている
これ以上無く魏延を重用している
諸葛亮は讒言を聞いても魏延を庇う
魏延は文句を言いつつも命令を守っている
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 21:08:54 ID:QKOEZgXs0.net
- 魏延将軍は神だと思っている。
1780年ほど前の正月休みに両親と義陽郡の魏延実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり魏延将軍が
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わない叛骨な相で。
魏延が「俺を殺せる者があるか〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた兵卒集団が「魏延さん!」「魏延さんかっけー!」などと
騒ぎ出し、魏延が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
兵卒達が魏延の主君劉玄徳の大ファンだとわかった魏延は
いい笑顔で会話を交わしていた。
そして魏延は「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は魏延の気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 22:17:50 ID:rnQ2rWDS0.net
- >カズ妹
惜しい
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 23:18:34 ID:87PbcGRt0.net
- 職人は"あえて"そこを改変しないのだよ
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 11:10:18 ID:5FdWEwtL0.net
- tp://oekaki1.basso.to/user45/goikkou/index3.html
案の定裏切りの体を見せ、しかも状況が悪くなり命惜しさに保身の為に
魏に投降しようかと言い出す卑怯者魏延をどうにかこうにか宥め透かし
おだて上げ慢心させる苦労人馬岱。
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 19:25:50 ID:XKzv4LOO0.net
- 正史読んだけど、かえって魏延の印象悪くなったな。
楊儀に口で勝てないからって刃物突きつけたり、
撤退命令に背くのみならず、命令通り動いてる連中の邪魔したり、
部下に愛想尽かされて逃げられたり。
むしろ魏延を順調に出世させたり、魏延を馬鹿にした奴を厳しく問い詰めた
孔明の印象が良くなった。
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 00:08:18 ID:sobMg7ze0.net
- 魏延 文長
劣化呂布(裏切り&独立しやすい武力馬鹿&魅力が低いで「裏切者」の代名詞)
毛沢東が政敵楊尚昆を名指しして「貴様は魏延だ」と述べたのは有名な話
横山三国志で「蜀を自分の物にする」とか抜かしやがったが
呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく自業自得で無様な最期を遂げる
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 20:06:49 ID:s0Jq76D+0.net
- それは横山を怨めよ
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/14(金) 20:45:17 ID:nFBD/jGQ0.net
- たいていの魏延オタは正史に載ってる>>88の事を見て見ぬ振りするよな。
大好きな魏延様が悪く書かれて、大嫌いな孔明が良く書かれているからなんだろうけど。
魏延も小物なら、そいつを好きになる奴も小物ってわけか。
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 20:29:22 ID:QbDH3q8v0.net
- なんか……頑張ってたんだね
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 20:29:25 ID:53e7YB5u0.net
- >>92
華キンとかは正史と演義で人物像が180度違うが
魏延は正史でも演義でも両方小物だよな
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 22:14:46 ID:F3oHaE7V0.net
- >>93
カキンは史書でも皇后をむりやり引っ張り出したり馬車に気を取られたりしてるから180度ほどじゃないよ
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 23:35:35 ID:uEwIyKwv0.net
- 魏延が嫌いというより、魏延オタクが嫌いなんだよな。
どいつもこいつも判で押したように「魏延は悲劇の英雄。孔明の陰謀の被害者。」
みたいな事ぬかしやがって、演義だけのエピソードの反骨の相や魏延焼殺計画を
鬼の首取ったように振りかざして孔明を貶める。
演義だけで判断してるって意味では「周瑜や魯粛は孔明のピエロ」って言ってんのと同じだよな。
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 18:42:58 ID:C65WBHzb0.net
- オレ的に 魏延…亀田史郎
孔明…協栄ジムの会長
トラブルばっかり起こしてるけど、いないと困るから御機嫌取らなきゃいけない。
利用価値がなくなればトカゲの尻尾切り。
もっとも魏延が勝手に撤退命令に従わなかっただけで、
孔明が魏延を見捨てたわけではないのだが。
楊儀に剣を突きつける魏延、アナウンサーを恫喝する亀田史郎、
明らかに自分より弱い相手にチンピラみたいな威嚇をする行為が
どうしても似通って見えるんだよ。
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 20:35:27 ID:auDn6GPk0.net
- それは無茶苦茶だ
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:39:13 ID:tv7aJHHY0.net
- 魏延の存在は重宝したと思うが、彼自身を高く評価するのも難しいな。
人材的に豊富とは言えなかった蜀軍では、少々の人格的問題はあっても
活躍の場があった。
だが、その問題が最終的に自分の首を絞めた。
あの関張も(特に張飛か?)人間関係で失敗してるから、難しい所だ。
仲違いしながらも合肥を守った三将に対して、蜀の将は公私のケジメが
着いていなかったのか・・・・・とも言えないか・・・・・
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 22:53:59 ID:SEMA629y0.net
- 諸葛亮が長生きして魏延が先に死んでればな・・
魏延の名声も子孫も残っただろうに
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 01:43:11 ID:d+zInLNm0.net
- 実質最大の後見人である諸葛亮に対して、命令に従いつつも反発したり
幕僚との軋轢が強かったり、明らかに政局における立ち回りが下手だよな
政敵である楊儀の指揮下に入ったら(状況的に楊儀が諸葛亮の後継と見るに十分だろう)
不仲だった自分が殺されるかも、と考えたのか、それとも諸葛亮の遺言そのものを捏造と疑ったのか、
どちらにせよ、これに逆らった時点で魏延の命運は定まった
橋を焼いたのはやりすぎだし、楊儀反逆の上表も正しい内容とは言えない
むしろ、楊儀の方が諸葛亮の遺言に従ってるわけで、後に魏延が兵に見捨てられたのも仕方ない
ただ、これに前後して諸葛亮幕僚陣の動きがあまりにもシンクロしてるのが、違和感がなくはない
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