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諸葛亮の人選

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 03:05:18 ID:B/bOQYFg0.net
かなり手痛いミスを犯す部下がいるね。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 22:58:37 ID:UFabgQR20.net
馬謖の件は有名すぎるからな。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 23:10:06 ID:Q5uMa4zB0.net
軍事では一回のミスが致命傷になる

でも内政のミスはすぐには現れない。
でも10年後に取り返しつかなくなるのは内政だよね

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 00:35:32 ID:e2qogar30.net
物事を長期的なスパンでみれるかどうかやね

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 02:42:42 ID:/W9Bns3f0.net
馬謖は敗走したが原因は明らかになってないからなんとも

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 21:45:15 ID:Rg+BDU/b0.net
過疎ってるね・・・・(´・ω・)

あまり優秀すぎると、人を当てにしなくても生きていけるからな。
三顧の礼で蜀に行くまで、山奥で晴耕雨読の仙人みたいな生活をしていたということは、
自分より頭の回らない人間とチクタクチクタク生活していくのが面倒だったんではないか?
もともと酔狂先生のところで、かなり有能だったのなら、普通はすぐに就職・・・というか
諸侯の誰かに仕官するだろう。
それをせずに、辺鄙なところで暮らしてるってのは、そうとうの変人。
どこかで自惚れがあったのかも知れんな、それで他人を信用しなかったところに、
こういう起用ミスが起きた可能性もあるのでは?と、思ったりしている。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 13:26:21 ID:eauFFYUh0.net
劉備が傭兵時代組のノリの連中を重用したがって
孔明が名士組を重用したがったんで
その軋轢というかひずみで色々出てきたんじゃまいか。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 23:11:16 ID:ZVN+oNr/0.net
それは言える。魏延なんか関羽に近い人格にされてる演義の描写は割と当を得てると思う。
こういう劉備の好むタイプの人間の持つ判断力は戦に強いと。
法治主義的な行政官の諸葛亮は、役割は似てるが調整官的で敵味方の人物評価に長けた荀ケと
真逆の人材だと思う。性格が生硬なせいか、組織の枠をはみ出る人間を使うのは好まなかったんだろうな。
そのため中央集権の強兵の国を作ることが出来たが、「応変の才略」に富んだ人間は出てこなかった。
それでいて諸葛亮自身は妙に戦場のどつき合いに強いから始末が悪いw

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 21:39:08 ID:J390160b0.net
>>25
豊臣政権の、武功派と吏僚派の対立に、
似たような雰囲気がちょっとあったりしたのかな。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 05:52:34 ID:PNMCM4J+O.net
ホウ統の方が好き

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 17:41:39 ID:CCp+pmVd0.net
劉備がもっとも重用した孔明さんが荊州の名士であったことをお忘れなく

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 19:03:46 ID:WFfJrToQO.net
>>24
亀だが、諸葛亮の叔父は諸葛玄。諸葛家は地方官僚の名族。
名のあるところでは魏呉蜀に仕えたのは諸葛家だけじゃまいかな。

まるで海野・真田家みたいだな。

謹も国の重鎮になってるし、案外腹黒一家だったりして。

均は魏の人材の層に圧倒されて活躍出来なかったか。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 10:00:58 ID:UN8qBI3/0.net
>>30
重箱ですまんが、均は亮の弟で、職に仕えたんでなかった?
魏でびみょーだったのは誕じゃまいか。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 10:50:11 ID:2HCc1jqx0.net
よく諸葛亮は魏延を使いこなせてなかった、って言うけどさ。
魏延が不満に思ってたってだけで、使いこなせてないとは違うんじゃね?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 12:07:32 ID:oaFR481UO.net
使いこなせなかったなんて言ってるのはおかしな狂信者だけでしょ
現実には常に第一線で起用されているし、昇進もされてる

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 04:22:01 ID:sEeG0F150.net
孔明は魏延を冷遇してた訳じゃなくむしろ最前線のトップクラスとして
重用してるんだけど魏延が自分の使われ方に不満もってたって感じやね

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 08:13:55 ID:t25sTL/o0.net
今でもよくいるよな、自分はもっといい仕事ができる!って不満を持ってる人。
実際その通りな人もいるし、自己過信に過ぎない人もいる。
魏延はどっちのタイプだったのかね。

ありきたりな妄想としては、劉備がもっと長生きしてれば更に活躍してたんだろうけど。
正史・創作どちらから読んでも、諸葛亮より劉備の方が魏延と相性よさそうだし。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 11:01:21 ID:NnhmOhrC0.net
そりゃ歴戦の名将魏延君が、戦経験浅い机上の理論家孔明を馬鹿にするのは当たり前じゃね?
しかも長安奇襲は退けて馬食起用し大敗するし。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 17:29:38 ID:G0kCIBve0.net
諸葛亮の従軍経験全然浅くないよ。
魏延に近いくらいある。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 10:29:02 ID:GJrC1+Mu0.net
従軍経験はあっても、司令官として戦った経験は少ないんでないか?>諸葛亮

まぁ、魏延も基本的には一部将なんだけどな。
漢中太守の時に、魏の小規模侵攻でもあれば、
魏延が単独で防衛戦を仕切ったんだろうけど。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 13:02:00 ID:/4/OCrPr0.net
諸葛亮は入蜀の際に部隊を指揮した。
功績は特に記されていないが、劉璋と正面決戦の段で
益州の面の制圧が必要なための増援だったのだから、
実戦参加していないという想像の方が不自然だ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 08:27:48 ID:zKI9AmX20.net
益州進出は増援連れてって、後詰として補給路確保しただけ。
前線指揮の作戦参加はしていない。

実戦と言うか、戦闘参加していない。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 09:41:27 ID:8DRNbLAe0.net
どこに後詰と書いてある?
張飛趙雲と同列に語られている箇所しか見付けられないんだけど。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 21:43:59 ID:AUAW/kNu0.net
諸葛がまともに軍隊指揮したの南蛮の時だろ

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 22:10:07 ID:SYNoNP820.net
おー たまたま読んでたら華陽国志にあった。張飛が厳顔を破った後の記述。

趙雲自江州分定江陽、ケン為。飛攻巴西。亮定コ陽。
巴西功曹キョウェ迎飛。璋帳下司馬蜀郡張裔距亮,敗於柏下。裔退還。

南蛮云々ってのは演義の反動から来る諸葛亮書生説が生んだ迷信だが、
功績の具体的な記述があるとは思わなかったな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 22:44:58 ID:SYNoNP820.net
って、張裔って張裔か。
蜀志では柏下で張飛が破ったことになってる人物だな。
点睛とはいかなかったか。残念。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 03:49:55 ID:qrGh/LwP0.net
諸葛亮って漢民族?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 18:36:57 ID:aTn4RK5zO.net
>>30
>名のあるところでは魏呉蜀に仕えたのは諸葛家だけじゃまいかな。
ひねくれた突っ込みをいれると劉氏とかw

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 21:22:50 ID:wN/qyMjqO.net
てかさーたまたま目付き悪かったくらいで“反骨の相”とか言われてもなあ。そりゃあ怒って当たり前だよ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 10:04:23 ID:DrITvnVb0.net
劉備のが人を見る目はありそうだ

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 07:30:07 ID:LiBghFzQ0.net
劉備には慧眼があるよね。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 00:36:04 ID:wa1+aefa0.net
>>48
人を見る目はあるんだけど使い方がヘタな時あるよね。
張飛に留守番させるとか。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/30(木) 23:14:46 ID:k8Zy3gZo0.net
その留守居を失敗したから漢中の守将に魏延を任命したんだろ
劉備の人を見る目は鋭いし、非常にシビア

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/04(火) 19:13:40 ID:D7PfdVEiO.net
>>47
反骨の相というのは絶壁頭のことらしいぞ。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/23(日) 22:34:36 ID:S6E3Aawe0.net
孔明が、ホウトウと並ぶ良才と認めたリョウ立

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 01:21:22 ID:Lf0yq9jP0.net
癖の強い魏延を十全に使いこなすのは蜀漢ではやっぱり癖の強い劉備だけなんかなぁと。

諸葛さんは過不足なく使えるけど癖の強い人材は劉備ほど使えない印象。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 15:46:00 ID:BNYk7Iei0.net
小さな所帯のうちはそれでもいいけど

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 20:25:21.51 ID:iDb5pRaF0.net
>>54
そこは英雄になり得るだけの存在だった劉備と,
どこまで行っても名臣の域を越えられない諸葛亮の差なのかなと。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 15:47:59.41 ID:2CnSP4Bn0.net
蜀には良将といえる人材が少ないんだから仕方ないさ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/03(水) 16:27:48.50 ID:6l3pAlAJ0.net
>>57
関羽、張飛、趙雲、黄忠、魏延、馬超、馬岱、簡擁、糜竺、孫乾
関平、周倉、王甫、伊籍、馬良、張苞、関興、関索、厳顔、李厳
呉懿、呉班、呉蘭、雷銅、向朗、向寵、霍峻、霍弋 、黄権、黄崇
李恢、王平、張翼、馬忠、張嶷、呂凱、蒋エン、費イ、董允、郭攸之、姜維、夏侯覇
ついでに徐庶、ホウ統、陳圭、陳登、田豫

何か?

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/03(水) 19:21:36.12 ID:Oq7l82TiO.net
魏にいたら名前も残ったかどうか
あやしいやつばっかだな

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/04(木) 04:11:36.17 ID:8YqRGAch0.net
蜀は田舎だから人材が物理的に少ないのはしかたない

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/12(金) 10:27:47.94 ID:gTjFjHTO0.net
徐庶なんか、魏に行ってただのボンクラだったことを自ら証明したしなw


62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 12:41:39.40 ID:uPsb+GIM0.net
>>59
武聖関羽
中華武人最高位の称号

魏なんて問題にならんな。
中国の歴史全てでナンバーワンだ。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 16:02:35.10 ID:sNKXkVIF0.net
関羽って諸葛亮に選ばれた人だったか?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 17:13:38.63 ID:GXZwYGZF0.net
徐庶はきちんと魏で出世してるぞ
場末の地方勢力とも呼べないような集団の特に重鎮でもない人物が敵に投降して中郎将にまでなってるんだからむしろ相当実績を積んだんじゃないかと思うんだが

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 20:05:01.13 ID:68/KuqOa0.net
>>61,>>64
つうか単家の出かつ後からの加入で右中郎将や御史中丞のような中央官を歴任できる時点で,
相当優秀だっとしか思えないのだが。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/25(日) 09:10:08.10 ID:eG83o08U0.net
http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211180001/

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/07(月) 12:22:54.58 ID:b7CVW/c/0.net
まぁ諸葛亮的には徐庶なら州刺史くらいよゆーよゆーって評価だからな
いくら中央官とはいえこの程度じゃ徐庶には役不足だと感じるのも無理は無い

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 18:15:53.36 ID:ywvMV5/Z0.net
諸葛亮の軍事の面は、北伐の際に隴西まで攻め込んでいた部分はかなり評価出来る。
登用の面も、馬謖の一件はあるけれども、前コメの通り、蒋琬などの後事を託せる人間を見出している部分は大変評価出来る。
ただ、そもそも、一人の力だけで国を維持するのは大変難しい。
身は一つであるからだ。
その点、曹操、曹丕なんかはほかの人材を上手く使って広範な地域を治めていたのだから、魏の方が上手になるのも仕方ない。
諸葛亮は蒋琬や費禕なんかに色々と託してしまって、もっと長生きして、人材育成に徹した方が良かった。
彼の誤算は色々とあるけど、
関羽が荊州を取られてしまったことと、劉巴が早世してしまったことだろう。
荊州は軍事面でも重要拠点だったけど、太学という学問機関があり、優秀な人材も集まっていた。また、肥沃な土壌でも知られている。
劉巴は激務の尚書令を非常に優秀な能力でこなしていた。彼が早世してしまったことで、相当負担が増えたのは間違いない。
あとは、彼の失敗は派閥を放置していたことだと思う。競争が人を育てると思っていたのか分からないけれども、蜀人が徐州、荊州、益州、それに他国からの投降者の差異を忘れ難くて、チームとして一枚岩でなかったのが、北伐失敗の遠因かもしれない。
そういう人間的な部分に配慮出来なかったのは、諸葛亮の失敗だった。
例えば、楊儀魏延の不仲を諫めたり、和解させようとしたり、そんなことをやっていれば。
あとは、もっと、魏延に配慮して、自分の心中をせめて明かしていればと思う。
忙しかったからなのか、それとも、その優秀さゆえに友人関係……分かり合うことの大きさを得られなかったからなのか。
とはいえ、諸葛亮存命中や、黄コウが実権を握るまでの間、大した問題もなく、蜀漢が安定していたのは、彼の功績が大きい。
蜀漢は、劉備・孔明の人徳の上に成り立ち、漢室復興の上には真に成り立っていなかった。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/18(金) 22:58:24.22 ID:EmioBfUB0.net
まてまて、劉備も張飛を留守番に任命して、手痛い失敗してるだろ。
それ以降二度と独立した場所には置かなくなったし、よっぽど堪えてた思うわ。

失敗は馬謖、李厳
後年は派閥によらず人事を成功させてる
癖のある魏延楊儀の登用
有名どころではケ芝の抜擢や、董允、蒋?、費?の育成と
成功例は多い

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