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三国志・蜀将討議スレッド17

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:24:00 ID:8UoUUUx80.net
蜀における武将、人材に関して総合的に語り合うスレ
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
正史・演義どちらか一方を正統とする発言は極力避ける事。

<前スレ>
蜀将討議スレッド16
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1164728089/
<過去スレ>
蜀将討議スレッド14(実質15)
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1159019664/
蜀将討議スレッド14
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142693255/
蜀将討議スレッド13
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1131372256/
蜀将討議スレッド12
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1115889844/
蜀将討議スレッド11
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1110602773/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:24:56 ID:8UoUUUx80.net
蜀将討議スレッド10
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108629096/
蜀将討議スレッド9
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098807561/
蜀将討議スレッド8
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1091196164/
蜀将討議スレッド7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090156694/
蜀将討議スレッド6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089022105/
蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/
蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/
蜀将討議スレッド3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086376565/
蜀将討議スレッド2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:29:45 ID:A4EuH+9UO.net
中郎将、将軍と昇進した諸葛亮ってあまり蜀将と呼ばれないね
何故?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 23:50:08 ID:Mo3M6hjg0.net
諸葛亮はあまり武将というイメージがないからじゃないかな?

軍人より政治家の色彩が強い人物だし。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 00:11:25 ID:D5kMz0870.net
兵権無しに政治なんか出来ない。
魏晋南北朝時代は軍人皇帝の時代だからな。
孔明は妙に奇術師めいた粉飾をされるが、
実際は正統派の出将入相の系譜にいる。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 00:33:57 ID:jgTPYoxpO.net
中原回復したら諸葛王朝になってたよね

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 01:11:45 ID:bXbaemHS0.net
>>6
当たり前だろ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 21:50:45 ID:uGXktuja0.net
厳顔って実際は老将だったのかね

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 22:07:24 ID:hiHti3sJ0.net
>>3
当初は主に兵站を統轄する後方支援、その後は宰相の人物を将なんて
呼ばない方が普通じゃなかろうか。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 22:25:46 ID:jgTPYoxpO.net
>>9
蜀攻めでは実際に兵も率いてるんだけどね

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 22:41:17 ID:FQkOM1eK0.net
148 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/30(水) 16:47:40
23時男君 マルチはよそうぜ

< 例 >
41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 本日のレス 投稿日:2007/05/30(水) 16:09:18 HLa/fWdh0
三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/


149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/30(水) 16:51:23
おっと昨晩もやってたのね

< 例 >
89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/29(火) 23:53:37 Mo3M6hjg0
三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/


150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/30(水) 17:11:45
三戦に嫌がらせしてるのは23時の男か


156 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/30(水) 22:22:38
以前中英の三国志スレをあちこちに宣伝してたのも23時の男だろうね
最近三戦板の考察系スレを荒らしてんのはほんとに彼かもしれん


157 名前:23時の男 :2007/05/30(水) 22:26:27
さて、それはどうかな? 

ふふふ・・・・・・


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 04:18:16 ID:8Gmwm2w80.net
馬謖は諸葛亮に謀殺されたって説を聞き齧ったんだが
詳しく教えてくれないか。
諸葛亮って意外と謀殺してるよな・・・

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 09:02:44 ID:3m6alLcN0.net
そんな事してるから優秀な人材が少なくなっちゃうんだな

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 09:24:01 ID:eTykPB9i0.net
それは言えるw

15 :魏延:2007/05/31(木) 13:22:10 ID:gAd9b5KrO.net
(´・ω・`)

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 22:01:24 ID:3rp8pylj0.net
関羽も?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 22:17:00 ID:0poBJWsZ0.net
>>12
意外とって?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 23:38:13 ID:DVvRmNn30.net
確実に謀殺したのは劉封と彭ヨウだけで後は推測だろ?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 00:25:53 ID:fgGcJ1rs0.net
馬謖って優秀な人になるのかな
多少の知恵はあるが自分の才をひけらかす小人なんじゃないか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 05:38:51 ID:VjE36zCM0.net
>登山家
諸葛亮の南征〜北伐まで無くてはならない存在だったようだが。
まあ優秀な戦略家が同次元で優秀な戦術家である必然性は全くない。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 12:50:19 ID:XmsSBiZc0.net
劉封は?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 14:46:34 ID:zBzSUFV3O.net
俺の職場に鳥雲って人が居る。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:32:26 ID:idV6eoYVO.net
諸葛亮が李厳を弾劾した時に出てくる李厳の参軍狐忠って馬忠のことか…

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 09:07:28 ID:ZTiT0ZYjO.net
\(~o~)/

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 19:16:57 ID:Qx4uu2P00.net
>23 狐篤とも言ったからな。何平とかみたいなもんだな。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:58:31 ID:qZ5g+RIB0.net
魏延は南蛮っぽいイメージがついてしまった
KOEI め・・・・

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 09:53:19 ID:wi+95yfx0.net
( ;∀;) イイハナシダナー

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 00:02:38 ID:UDSft31X0.net
魏延って南蛮行にも随行してたっけ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 00:31:57 ID:QrNftbhF0.net
関羽って曹操のもとからただ逃げ帰っただけなんか
それにしても記述がそっけなさすぎるな

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 20:24:41 ID:+0nPJvZM0.net
魏延の武勇はさほどでもない

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:02:41 ID:G709+r7V0.net
そりゃ関張あたりと比べればそうだろうが後期蜀じゃN01だろ
漢中まかせられたあたり、武勇より統率よりかもしれんが

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:16:32 ID:7/GY3HqO0.net
武勇って言葉は一対一で闘ったらとかって意味か?
ま、そりゃ出自も小隊を率いていたらしいから弱くは無かっただろうが。

それより魏延が忠義者だったかどうかのが気になるのは俺だけか?


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:07:23 ID:gBU9Q/iR0.net
以下、魏延伝の記述からだが、
陳寿も「王朝への謀反の意思があった訳では無かったのだ」とは述べてるが、それだけ。
それ以上はフォローし切れなかったんだろうな。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:38:11 ID:hZpXJ/CS0.net
王平の「諸葛公が亡くなったばかりの時に 貴様は何をやっている」という発言が重いな。
本当に何やってんだよ 魏延も 楊儀も

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:51:33 ID:7kN69Oxa0.net
楊儀「何って…アホかお前。
   これだから文盲は困る。
   権力闘争と反逆者へのケジメだよ、ケジメ!

とか言い返しそう。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 03:25:52 ID:WtDSbv5t0.net
あれはどう考えても楊儀の方に理があるもんな。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 08:27:30 ID:5Bn/Z+xx0.net
俺は魏延は忠義だったと思うよ。
ただ、その忠義は劉備という個人に対しての忠義であり
蜀という国家に対しての忠義ではなかったと思う。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 01:39:46 ID:KikFbApQO.net
>>19
参謀、謀臣としては素晴らしいが、指揮官とか人の上に立つと本来の力を発揮出来ないタイプの人だと思う。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 02:09:31 ID:KutuDoZp0.net
>>37
婁圭ならこう言うだろうな。
「主君の器量に不満を持つなら、何故自ら取って代わろうとしなかったのか」と。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 22:41:03 ID:96MIvLXi0.net
高翔

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 23:38:24 ID:nbFgda1x0.net
簡雍

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 09:06:57 ID:tIT/Ms/+0.net
蜀の名将を10人あげるとしたら誰をあげる?
5虎将入れると残りは魏延、王平、張ギョク、馬忠、張翼、李厳、李カイあたりかな

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 09:14:13 ID:I2CaKjv/O.net
>>42何故、陳到を入れない?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 17:22:17 ID:0AMsECN00.net
>>42
成都武侯祠のメンバーが参考になるのでは。
そういや陳到は武侯祠に祭られてなかったような…

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:03:25 ID:vKXJj+ay0.net
あれは何か演義基準っぽいもんなあ
いつごろ作られたんだろ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 23:53:26 ID:UhWkePy30.net
>>42
そのメンツは個人的には好きだが神レベルの五虎将とくらべると普通の優秀な人間に過ぎないからチンケに見えるよな
だからこそ俺は好きなんだが

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 23:59:06 ID:kQ+2Gy470.net
姜維・廖化・句扶・馬岱・陳式・呉壱・呉班
このあたりは絶対に外せんだろう。

向朗・ケ芝・高翔・羅憲あたりとお好みで入れ替えてもどうぞ
後はショウエンとヒイと諸葛亮な

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:46:58 ID:+qAYcCNj0.net
>>47
馬岱は削って霍弋に

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 01:21:24 ID:26Ekoc8dO.net
>>47
将としての実績がないショウエンはないわ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 03:10:12 ID:VzWqocDx0.net
旗揚げのときからいる簡雍は、うっかり八兵衛のイメージがある。
劉備様〜!待ってくださいよ〜! 
とか言って無理やり3人の後をついていったようなw

簡雍といい劉琰といい劉備はお伽衆を連れて歩くタイプの人間みたい。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:59:12 ID:sK2XTSfe0.net
五虎将と十名臣みたいな感じでわけたほうがいいな

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 03:40:06 ID:ItiRe4Tp0.net
個人的に魏延は準五虎将なイメージ
というか劉備って蜀獲るまで有能な武将の絶対数が少ないよね…


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 04:57:11 ID:OX+FzEdc0.net
麋竺・簡雍・孫乾ら古株は仲良く将軍位を得ているな。
まあだからと言って軍才があったとは限らないが

麋竺って金持ちだけど 自警団とか指揮してた可能性はあるのかな?
本人は弓矢とか上手かったそうだから、
撃剣も使った魯粛とちょっと被るな。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 06:45:38 ID:/Alo+CvqO.net
張苞や関興だってとりあげられても良いじゃねーかYO!

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 08:27:41 ID:mbXCKMkAO.net
演義厨乙!

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 13:02:47 ID:/Alo+CvqO.net
ぐはあ!

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 13:22:26 ID:dNxvPSIH0.net
傳僉

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 15:05:59 ID:nzTuVUjl0.net
(*´w`)<付箋を貼る傅僉、ナンチテ

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 01:35:36 ID:FY6cKV+aO.net
 _, ,_
( ‘д‘)
⊂彡☆))д´)>>58

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 02:06:14 ID:vnml8PSZ0.net
>>58
川相さん倭国に帰りますよ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 05:46:56 ID:mgujz6C+O.net
放浪時代の劉備についていけなくて脱落した有能な武将がいたよね。
確か陳グウだったかな、その後に曹操に仕えたけど。
他にも放浪についていけなくなった武将とかいそうだな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 06:44:13 ID:tK5xemM40.net
陳羣やろ。彼の子が陳泰なわけだから、そう考えると惜しいわな。
でも荀ケと仲良かったようだから、どちらにせよ曹操の元へ行ったかも知れんが。
劉備が失脚して荀ケに推挙されたのは丁度良い機会だと思ったのかもな

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 08:40:18 ID:cBFwCyfS0.net
法正って性格悪いの?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 09:43:40 ID:oscK9KCG0.net
悪いという事は無いだろうが、恨みは必ず晴らすタイプだったようだ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 09:54:47 ID:nd0chZDS0.net
恩は倍返し恨みは十倍返しというイメージが。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 11:45:04 ID:oscK9KCG0.net
>>65
劉ショウは法正を冷遇したし、同僚の誹謗中傷で出世の道を閉ざされてる。
お上が軽んじてる人間を、周囲はどう扱うか。
これら2点を踏まえれば、法正が恨み骨髄に達してる相手、これが何人か居てもおかしくは無い。かな?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 12:50:35 ID:E1/JRkxb0.net
法正は命がけで売国奴となった。
相方の張松は立伝さえされない、これは死んだからだ。
それは法正のもう一つの末路でもある。
それほど売蜀は危険な行為だった。
その賭けに勝った法正には、張松の分まで彼らを冷遇した仇に鉄槌を下す使命がある。
これは皆仲良くしましょう、とかいう理屈で止められるものではない。
許しが欲しければ乞えば良かったのだ。
復讐心で煮えたぎる法正の門前に、首枷を担いだ廉頗が一人でもいたか?
仕返しをされてしまう程度の人間性で、アウトサイダーを嘲笑してるだけの輩というのは、大抵ろくなのがいない。
端的に言えば法正の積悪は政敵どもの自業自得でもある。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 14:43:23 ID:oscK9KCG0.net
>>67
孔明の人間性から言って、殺されても仕方が無い連中でもなければ基本的に止めるだろうしな。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 14:46:03 ID:PZzkiMyN0.net
>>62
魏の法整備等の内政面での功績を考えると
子の陳泰よりも陳羣の方が得がたい人材だろ。


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 22:58:06 ID:ycuBW3Xk0.net
いや、後年の蜀に陳泰がいればどれだけの有益と敵失になるか

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 01:26:53 ID:YkdcNGxV0.net
>67 諸葛亮も法正も法治論者だしね。 
怨みだけでなく、恩にも報いていたようだし
おそらく復讐ってのもある程度は法に則ったものだったんだろう

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 15:00:04 ID:QwpqjY1i0.net
>>71
私怨の復讐が法に則ったとは?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 13:34:53 ID:gQ9iunaW0.net
>72
叩いて埃の出ないやつはいない。
その埃に拡大解釈された法をもってすれば容易に獄に下すことができる。
現代日本も似たような話は聞くね。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 14:50:33 ID:3txvwYKB0.net
つうか、そもそも、法正って劉ショウの後見人であるホウ義が推挙した人物。
それを軽んじたり、誹謗中傷するって時点で法正の恨みを買った連中は考えなしだよなぁ。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:19:48 ID:kUh6hsY90.net
蜀漢が三国統一を成し遂げていたら?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1181478183/

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 23:16:33 ID:FD6T43x80.net
呉班

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 19:24:58 ID:7FskgSmQ0.net
もし張任が生きて劉備蜀に仕えていたらどうなっただろう

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 21:53:35 ID:iz9yw8pI0.net
王平並に活躍したと妄想

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 08:46:21 ID:fV69YxZw0.net
呉蘭、雷同とかと一緒に討ち死に

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 10:36:26 ID:NrHngCRi0.net
>77 今みたいに忠義者の石碑が立たず、ホウ統を殺した者として疎まれていた

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 23:04:28 ID:6j9Zt43F0.net
ホウ統が実際そこまでの人物だったのか疑問だけどな
しばきのじいさんが言っただけだろ

逆に張任を説得しきれなかった、劉備・孔明がどうなんだろうな
張任の劉しょうに対する忠義は関羽の劉備に対する
それと同じくらい厚いものだったとは思えんし

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 23:20:21 ID:RzaakgU70.net
まあ実績殆ど立ててないからそれだけならホウ統の評価が微妙ってのは分かるけど

張任は地元の益州生まれで、自分で老臣言うぐらいだから
古くから劉焉・劉璋に仕えて世話になっていたんだろう。
家族同然だったと考えても不自然では無さそうだが

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:06:13 ID:c71oXtpp0.net
お前ら、忠義以前にまず家柄や名声が大事なんだぞ
図解雑学三国志くらい読め

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 04:42:09 ID:UnxqRJfp0.net
なぜそこで図解雑学三国志。おれ読んでないよ。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 14:10:03 ID:W4RH7oGh0.net
諡を賜った関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲
魏延、王平、呉壱、馬忠、張ギョクあたりが現場たたき上げ名将かな。


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 14:22:29 ID:W4RH7oGh0.net
>>81

それは言えているかもね。
諸葛亮は寥立あたりと並べて評価していたからな。実際は諸葛亮よりもずっと格下
なんだろ。ただ少ない謀臣を失ったのは痛いよな。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:12:09 ID:jGOdj6vb0.net
どっちかっていうと張任は劉璋に対する忠義より益州に対しての郷土愛が
人1倍強かったんじゃないの
おそらく劉備に対して侵略者みたいなイメージをもってしまい
強い反感を覚えたんだと思うな
まあ妄想にすぎないけど

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:20:48 ID:kr6aF5uF0.net
張任って劉淵についてきた譜代の家来じゃなかったっけ
だから益州に地盤がある名士は劉備についても厚遇されるけど流れ者の張任は厚遇されないだろうから劉章に準じたと

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:52:06 ID:jGOdj6vb0.net
劉備につくか、首を斬られるかの2択を迫られてる人間がそこまで計算するのか

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:01:42 ID:QGlMI5H4O.net
劉ショウに殉じた張任も偉いがそれを讃えた先主も偉いでいいじゃないか

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 03:03:14 ID:zzq9a+rr0.net
そりゃ忠義に殉じた烈士を讃えないわけにはいかないわな。
ってのは冗談だが
ホウ統が名将だったとして、
彼を戦死させてるって事はやはり張任も中々の人物だったんだろうな

そういや卓鷹も同時に戦死してるのって蒼天だけだっけ?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 03:13:26 ID:beZNVKeVO.net
張任がホウ統を射殺したのは演義の話
ホウ統を殺したのを誰の功績かとあえて決めるならラク城を守っていた劉循かな
ホウ統はラク城の城攻めのとき戦死したのだから

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 17:02:26 ID:yc8SRkXn0.net
参謀が戦死するほどの戦闘とはどんな戦闘だったんだろうな?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 18:57:39 ID:0d9Slhy5O.net
ほうとうは確か
蒋に危ないから下がってくださいと忠告されても
下がらなかった為に流れ矢にやられたはず

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:08:51 ID:mcLdLFyq0.net
初陣で興奮しすぎちゃったんだよな。
その程度の将器でしかない。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:18:34 ID:0d9Slhy5O.net
負けたら終わり
そんな状況だったからしかたなかったかもね

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 00:26:59 ID:fUJMercl0.net
>94 中国語で流れ矢ってのは雨のように降り注ぐ矢って意味らしいよ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 00:56:52 ID:p+Y6yMAg0.net
>>96
そんなに逼迫した状況だったとも思えないが。

荊州からの軍によって、成都の包囲とラク城の孤立化が進んでおり、
最悪、ラクは監視するに留めて、成都を先に陥落させても良かった。

ホウ統が死んだ状況は、恐らくは、敵の抵抗の激しさを見て、
自ら率先して敵陣に進む事で部下の将兵の奮起を促した、とかだと思う。
ナポレオンがロディ橋を突破した時の話と、似たような感じじゃないかな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 07:04:58 ID:HGG2PXxg0.net
1年も攻囲戦が続いて、おまけに後方のカボウで数百の手勢しかない霍峻が
万を超える敵に包囲されていれば焦りも生まれるのかもしれんね。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 14:15:20 ID:+xrzLRO8O.net
蜀って二代目に恵まれてないのと、210年辺りの有能文官の早逝がイタイよな。
馬良ホウトウ法正がもっと長生きしてりゃ諸葛亮があと五年は生きてたはずだ。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 16:21:12 ID:7mFE/BXu0.net
>>100
 イリョウの敗戦はなかったかもね
 ホウトウだけならともかく、法正&ホウトウコンビなら互角以上に陸遜に対抗できると思う
 ifはあてにならんけど、もしイリョウで呉撃退してたら荊州支配できて呉はやばかったかもね
 妄想全開

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 16:48:09 ID:TbxZi8Oc0.net
そもそも荊州に諸葛亮が残るから、関羽が敗戦して無いだろう(´A`)

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:50:58 ID:fUJMercl0.net
>99 それで霍峻は勝っちゃうんだもんな。
蜀将は寡兵を持って多数に敵する事も出来る人材が多いのは良いけど、
それって仕方なくやってる事であって ここに蜀の弱みが露呈しているな。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 00:15:42 ID:upkUJfde0.net
個人的に、霍峻が勝つ事ができたのは張飛のお陰もあったと思う。
益州入りした張飛は巴西功曹を破っているので、その時点で向存らの策源は脅かされた状態だった。
恐らく、張飛のロウ中接近で浮き足立った所を、霍峻が攻撃したんだと思う。

まぁ、そうだとしても、単独で1年にわたって守り抜き、
向存らに隙の現れる時まで葭萌を保ったのは、霍峻の士気の賜物だろうけどね。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 00:37:27 ID:EyYPoWDP0.net
冷静に観察すると蜀の敗因は人間どうのじゃなくて国力の差だと思うけどね
俺も蜀ファンだからあの人が生きてたらってのは好きだけど
調べれば調べるほどたとえ生きてても最終的には押し切られれちゃうんじゃないかと

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 02:53:00 ID:otJDaDeJ0.net
>>104
某ブログの人と同じ勘違いがあると思うんだけど、
たぶん張飛はロウ中まで行ってないと思うよ。
当時の巴西郡治は安漢なので、そこから先は行ったかどうか不明。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 13:15:24 ID:huG+LUMP0.net
王累が死んでいなければ・・
法正につぐ参謀になっていたろうに

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 23:57:52 ID:qOGQy2j70.net
>>106
同じ勘違いって言うか、本人なんだけどね。
そういう指摘は、気付いた時点で言ってもらえるとありがたい。
なんにせよ、指摘ありがとう。

で、華陽国志を読み直したら、巴志の所に「治安漢」ってちゃんとあったね。
何処で見落としてたのか?

ただ、巴西郡の郡治が安漢だろうとロウ中だろうと、結論は変わらないと思う。
むしろ、向存らの策源が安漢にあった方が、張飛にとっては都合が良い。
成都の包囲を遅らせないで済むからね。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 09:34:27 ID:QDV02o7R0.net
王累か
この人話題ならないけどなぜ?
記述が少ないと聞いたけど本当?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 09:38:24 ID:G6Ag5xaK0.net
本当も何も、調べてみたら分かるでしょ。
長生きしてたら廖化なみに活躍してたかな?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 09:42:21 ID:H3QGognp0.net
すげー。本人かよw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 10:23:55 ID:cfhxIuom0.net
気付いた時点でとは言われても、なかなか書き込みにくい雰囲気あったからな。
とにかく張飛の軌跡は安漢までしかたどれないので、
左右両翼から挟撃するシナリオはやや弱くなるんだよな。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 12:31:37 ID:MP2YrDRv0.net
>>112
雰囲気かぁ。どうすりゃ改善するんだろ。


ところで、挟撃って何に対しての?

114 :国重高暁:2007/07/08(日) 12:35:32 ID:8nPBq7Ll0.net
>>109-110
正史でも成都の城門に
逆さづりとなってるけど、
そのまんま諫死したか
どうかはわからないんだよな(T_T)

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:35:08 ID:GK7TIJddO.net
>>114
確か正史では
かなり期待された士夫だった
抗議で首切ったんだよな

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:48:06 ID:Rb/wVHBp0.net
>>102

諸葛亮の蜀入りはほう統の戦死とは関係ない軍事行動。
諸葛亮・張飛・趙雲の蜀入りは劉備軍本隊が蜀で孤立状態にならないため
と成都を側面から圧迫し、劉備軍本隊と共に成都を包囲するための軍事行動。

ある意味諸葛亮まで軍隊指揮に投入したところをみると、劉章軍が思いの外
頑強に抵抗したことがうかがえる。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 17:51:25 ID:H3QGognp0.net
元々仲間割れしてる訳でもない敵をまともに攻めるのは大変ということだろう。
相手が自分より格落ちでも、一州切り取る手腕はそれだけで凄い。
袁紹系、劉表系の軍閥がばたばた倒れたのが不自然。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 18:46:39 ID:GK7TIJddO.net
>>117
二人とも優柔不断だからな

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 20:27:44 ID:cfhxIuom0.net
改善が必要ってんじゃなくて、流れ的にね。
だれかが突っこんだあとで、さらに突っこむというのがアレな件。
挟撃という言葉は使ってなかったと思うが、
左右に展開して成都を包囲するみたいなこと書いてなかった?

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:32:24 ID:mqHpTzD90.net
>>119
間違いを指摘される事よりも、間違ったまま放置しておく事の方が恥だから、
自分としては、どんどん指摘して欲しいところだ。

あれは、個人的には成都の包囲とラク城の孤立化が目的だと思ってる。
張飛に関しては、張飛伝に、「成都で先主と合流した」とあるから、
巴西を降した後に成都へ向かった事は間違いないと思うけど。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 16:52:33 ID:EwEHdA6R0.net
ここは日記帳じゃ無(ry

内輪のブログの話とか、ダラダラ馴れ合いするの抜きには語れないの?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 17:17:47 ID:KSag8zfg0.net
嫉妬豚乙。
過疎板で何言ってんのきみは?
しらけさせる発言だけ1000まで書き込むつもりかね?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 17:47:32 ID:OaYpzqAZO.net
煽りイクナイ
でも文句をわめくだけでは豚呼ばわりもやむなしだ

蜀に太尉上官勝っていたっけ?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 19:07:59 ID:1iffFUEk0.net
これ?
新唐書・宰相世系三下 上官氏

漢有右将軍・安陽侯桀,生安,車騎将軍・桑樂侯,以反伏誅。
遺腹子期,裔孫勝,蜀太尉。・・・

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 19:12:58 ID:WUAifsW20.net
上官傑の子孫なのか
あまり名誉な子孫じゃないな・・・
それでも家柄至上主義の世界では誇るべきことなのかな

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 19:13:35 ID:OaYpzqAZO.net
うむ
蜀書に名前出てたかな?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 19:16:38 ID:OaYpzqAZO.net
でも上官桀の子孫は宣帝の太皇太后の一族でもあるからね

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 20:21:02 ID:goRLXX2c0.net
俺は魏延は蜀では関張の次に名前が来てもおかしくない名将だったと思うんだがこのスレ的にはどうなの?
出世スピードの早さや、漢中太守に抜擢されて長年そこを守り続けた事とかを考慮すると、蜀では貴重な独立軍を指揮できる司令官タイプだったんじゃないかと思うんだが。

まぁどう考えても性格には問題有ったとしか思えないけど、それも合わせてミニ関羽みたいな。他人の上に立つ事で器量を発揮するタイプだったと推測してるんだけど

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 20:47:18 ID:DZDCIXD50.net
史料のほとんど無い上官勝がなぜ宰相世系表に突然出てきたのか
宰相世系表じたい結構怪しいけどな

魏延の評価は過去スレで大モメしたんじゃなかったか
ログ持ってないけど

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 20:53:20 ID:DZDCIXD50.net
史料がほとんど無いてか、皆無か
三国職官表は宰相世系見て書いたみたいだし

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 21:15:58 ID:ili9vAbe0.net
>>128

軍人としての能力は関羽よりも上かもね。
関羽は軍事的にはそんなに大きな功績があるわけじゃないんだよね。
流浪時代から劉備に使えて、魏の知識人達に武勇が評判だった。どちらか
というと人気先行タイプ。張合と互角に戦った張飛の方が軍人としての能力は
上かもしれない。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 23:33:01 ID:W0v8ZPlH0.net
>>128
独立軍っていうのがどれ程の規模のものかは分からんが
諸葛亮の指示の下、後方がしっかりしてる状態で軍団を指揮するっていうのはしてたね。
ただそれ以上の、韓信の様な一地方の軍事総督みたいな事ができる器ではないと思う。
それに関羽は好きだし名将だと思うけど、お世辞にも人の上に立つ事で器量を発揮した名将とは
言い難いし、ミニ関羽だったらあんまりそういうタイプの将じゃねーんじゃないの。

>>131
寒門出身であろう関羽が人気先行ってのはちと違うと思うけど。
少なくとも若い頃から劉備を支え続け、そこから評判を得たという事は
それ自体が大きな功績だったのでは?あるいは史料的に残されてないのかもしれんけど。
あと顔良を討ったり、曹操の侵攻の際には別働隊を率いて劉備を回収したり、
荊州平定の際には元勲に応じて襄陽太守・盪寇将軍を与えられたり、
入蜀の際の蜀防備や、北上の際の活躍等、軍事的にも中々のもんだよ。
特に北上は最終的に敗れたから過小評価されてるけど、采配としては一級品だと思う。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 00:17:11 ID:yr3lhIEx0.net
>>132
「入蜀の際の蜀防衛」ってどの事を指してるの?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:04:39 ID:TXCBwdQ20.net
>>133
楽進と青泥にて睨みあってた時、先主伝で劉ショウに「帰らないとヤバイ」
って言ってる部分に書いてある。この時結局帰ってないんで守りきったんだろうね。
それに入蜀時には諸葛亮・関羽を抑えに残したと記述されるように
関羽は荊州を抑える要の一人であり、劉備への援軍の為に諸葛亮・張飛・趙雲といった
残った古参の将達が揃って入蜀した後はより一層防備に不安が出ただろうに
入蜀中に魏に付け込む隙を与えずにいた事は評価に値すると思うよ。

この人材の流れは馬良や楊儀といった例を見るに入蜀後も結構あったぽいし
実際のところ結構な問題だったんじゃないかと。
そういう面を考慮すれば入蜀直後の呉の奇襲に後手後手になったりしたのも
仕方ないところがあるかなとも思うし、荊州失陥の遠因の一つかもね。
まあ中央を固めなきゃいけないのだから仕方ないっちゃあ仕方ないけど。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:05:02 ID:edNcdgVT0.net
>>132
魏延は漢中の駐屯軍を任された上に内政面でも漢中太守も兼任しているから、
漢中地域のほぼ全権を委任されていた、と解釈しているんだけど違うのか?

地図で見ると漢中は蜀の北辺ってだけだけど実際には陸の孤島で蜀の鍋蓋みたいなものだったから、この地域の軍事・内政の権力を任されるというのは蜀将の中では相当大権を手にしていた将軍だったと思っているのだけれど。

他人の上に立つ〜というのは、誰かの風下に立って一部隊を率いるのには性格が向かないという意味で言ってみた。
関羽も魏延も確か「部下を手なずけるのは上手かったけれど、プライドが高くて同格の人間を見下す癖がある」というような意味の記述が正史でされていた記憶が。
こーいう奴はお山の大将であった方が自由に行動できただろうし、実際関羽と魏延は荊州と漢中でそれなりに活躍してはいると思うのだが。
まぁ最後は部下に四散された魏延が本当にきちんと部下を手なずけていたのかは知らんけどw


136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:22:18 ID:edNcdgVT0.net
ごめん追記で。

幾らなんでも魏延を韓信なんかと比較してはいないよ。
ただ軍人は、「一軍を率いるタイプ」と「大軍を率いるタイプ」とに大別出来て、魏延や関羽は後者だと思うって事。
韓信はちょっと格が違いすぎると思うが、後者のタイプだってだけで十分貴重な人材だとは思うんだが。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:25:00 ID:yr3lhIEx0.net
>>134
どうかなぁ。
根拠が劉備の発言だけな上、非常事態と言いつつ、
葭萌での反転から時を移さず諸葛亮らを呼んでおり、
青泥での対陣が実際にあったのかどうかは不明。

個人的には、あったとしても劉備の発言の頃には終息してたと思ってる。
じゃないと、あれだけ真っ先に諸葛亮らを呼べはしないと思う。

この辺の動きに関連するであろう記述は、
楽進伝の、「関羽と蘇非を討ち、劉備の任命した臨沮と旌陽の県長を破った」というものと、
文聘伝の、「楽進と共に関羽を尋口に討った」というものだね。
もし楽進伝の記述が、劉備が入蜀して以降の事であれば、一時的とは言え、
旌陽と言う、江陵近傍まで押し込まれた可能性もある。

ただ、楽進伝の記述は、南郡の諸蛮を楽進が降したという記述も併記されている為、
それとの連動も考えられるので、南郡の諸蛮と連動して関羽が北進したが、
江夏の文聘に側面を突かれた為に撤退し、その過程で、引き連れていた旌陽等の県長が討たれた、
という可能性もあるから、押し込まれたというのは決定的な考え方ではないけどね。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:28:06 ID:TXCBwdQ20.net
>>135
漢中付近の防衛網を整えたのは劉備なので何処まで委任の権限があったのか微妙だし
また魏延は漢中太守として実際に軍権を振るった記述が無いので
この時の魏延から独立軍を率いる資質があるかどうかは「分からない」
としか言えないと思うけど、まあ問題なく治めたとは言えるけど。

魏延はどちらかと言えば劉備&諸葛亮の配下であった頃のほうが光ってるってないかい?
っていうか漢中太守時代の記録が無い事や
実際に自分の考えて率いた時である諸葛亮死後の行動があんまり過ぎる。
特にこの時の文官軽視の態度や、補給や部隊編成といった事務を担当していた
楊儀を敵に回してまで北伐の続行を強行しようとする辺りが独立軍の将器としてどうかと思う。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:36:39 ID:yr3lhIEx0.net
確かに、「丞相の役人は帰って遺体を埋葬しろ、諸軍は自分が率いて敵と当たる」
という台詞は、司令官としての台詞ではないね。
軍の物資を管理していたのは、丞相府の長史であったり、倉曹掾であったりしたんだから、
丞相府の役人を帰すという事は、兵站システムを放棄するという事になりかねない。

一日で終わるような、一会戦の指揮をするだけならそれで良いかもしれないが、
10万の軍勢を統率するべき人物の台詞ではないな。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:42:44 ID:d5v8TM7S0.net
>>139
「皆々様は粛々と撤退なされい。殿軍はそれがしが立派に勤めてご覧にいれよう」

だったら、魏延は二千年の後にも武名を残したろうな(´A`)

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:53:23 ID:yr3lhIEx0.net
>>140
五丈原の時ってのは、諸葛亮も乾坤一擲の勝負に出たのは確かだろうし、
戦いを続けるべきだって姿勢も分からなくはないと思う。
ただ、急遽指揮官が変わった状態で、しかも、それまで兵站を取り仕切っていた丞相府を軽んずる発言をする人物では、
少なくとも戦いを勝利に導く事は、諸葛亮が率いていた時以上に困難になったと思う。

だからまぁ、戦いを続けたいなら、楊儀らとも協調し、諸葛亮の遺体は、
作戦に影響が出ない範囲の役人に移送させるなりする必要があったんじゃないかな、と思う。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:56:18 ID:TXCBwdQ20.net
>>137
曹操の孫権討伐は212年10月に出発で213年1月には帰還してるので
青泥での対陣もそこまで長くは無いでしょう。
劉備自身が孫権の要請を受けて、それを劉ショウに援軍・物資要請を含めた話を通し
実際に物資と兵が届くまでの時間と謀が暴露して劉ショウと戦わざるを得ない状況になった時間
そして劉備が反転し援軍要請が荊州に届くまでの時間を考慮すれば既に対陣が終わってる
or終息が見え始めた時期になっていても不思議は無い。

また楽進はその後に孫権討伐に従軍してから合肥に駐屯してるおり
212年の孫権討伐以後は216年まで曹操自身の遠征はないので
その記述は赤壁前後の記述だろう。
同じく文聘も尋口・漢津という地名から考えれば逃亡時の出来事だと思われる
本当にあの場面で江陵まで進まれてると本当に援軍どころじゃないからまず有り得ない

流れとしては関羽と楽進が対陣し、孫権の要請を受けるも劉ショウとの折衝が上手くいかずグダグダしてる間に
曹操の孫権討伐が終息へ向い、関羽VS楽進も楽進は攻めきれずに曹操撤退と共に後退して合肥へ赴任
その前後に劉備VS劉ショウが勃発して、荊州組は関羽を残して入蜀ってところだと推測。
ただ劉備が葭萌の反転からラク城まで一年もあるんで、諸葛亮らが出発した時期の詳細は不明ってのがネック。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 02:07:48 ID:d5v8TM7S0.net
>>141
諸葛亮は「魏延が命令に従わぬ場合は置きざりにしろ」とだけ言い残した。
しかし楊儀は殺した。

魏延と楊儀は、ああなるべくしてああなってるよな(´A`)

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 02:12:51 ID:yr3lhIEx0.net
>>142
214年に曹操が合肥に駐屯した事は、武帝紀に見えるよ。
恐らく皖城救援の為に合肥に向かったが、着いた頃には落ちていたのでそのまま引き返したんだと思う。
ただ、楽進が任地を揚州に移したのは、自分も212年末の事だと思ってる。

「対陣があったとしても既に終息していた」と言うのは、その辺も勘案しての事。

んで、文聘伝の尋口の戦いは、文聘が「呉と国境を接する事になったので」江夏太守となった後、
つまり、赤壁で負け、江夏が呉との境界であるという事が定まった後の事。
更に言えば、尋口の戦いの後の、荊城で船を焼き、漢津で関羽の輜重を焼いた、と言うのは、
間に昇進を挟んでいるので、少なくとも尋口の戦いとは別に考えるべきで、
恐らくは関羽が樊城に曹仁を包囲した折りの事。

楽進伝の方は、赤壁の戦いから楽進の合肥駐屯までなら、何処に挿入されてもおかしくない記述なので、
これが青泥の対陣と同一かどうかは、判断はできないと思う。
或いは劉備が蜀に入る前、210年頃の事かもしれないしね。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 02:19:46 ID:yr3lhIEx0.net
>>143
最初は、遺言通り魏延を置いて勝手に撤退しただけだから、
楊儀も、諸葛亮の遺命に違えてまで魏延を殺そうとしたわけではないと思う。
魏延を置いてった事が、魏延と楊戯による内紛に繋がったので、
結果的に殺さざるを得なくなったってだけなんじゃないかな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 02:26:33 ID:d5v8TM7S0.net
>>145
魏延が追いかけて道を塞がなければ…か。
本当、殿を見事に勤め上げれば「お美事にございます」で二千年語り継がれたものを(´A`)

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 03:54:49 ID:TXCBwdQ20.net
>>144
確かに214年に孫権征討したとあるね、すまん見落してた。

>「呉と国境を接する事になったので」
というのは「先に荊州を平定した」結果なのだから、赤壁後とは限らない。
またその前に「文聘に兵を授け、曹純とともに長阪で劉備を追討させた」という一文があり
そして北方の兵を預けてる点から考えると赤壁前だと思うが。
漢津の戦いも「又攻羽輜重於漢津」って尋口からの一連の流れで書かれてるから
別の時期と考えるべきではないと思う。

楽進伝の方はやはり南郡の県長や部族まで降伏してる点を考えると
赤壁前が妥当でしょう、それ以後だと劉備等の荊州支配が危うい状況になりながら
何故か入蜀に問題は無く、それどころか援軍を送ってるという妙な事になる
流石に本拠地が危機に晒されているのにそれは有り得ない。
また210年頃は曹操側に大きな動きは無いしね。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 09:08:39 ID:cg2zdIfq0.net
>>147
そうすると文聘は、曹操の襄陽入城から赤壁までの短い間に、
兵を授けられ、曹純と共に劉備を追撃し、更に江夏太守・関内侯となって国境を守備し、
楽進と共に関羽を攻撃し、その功績で将軍位と爵位を加えられ、
更に漢津で関羽の輜重を焼き、荊城で関羽の船を焼いた、と。
そっちの方が不自然じゃないの?

あと、「劉備の」臨沮や旌陽の長を破ったという事は、
劉備が臨沮や旌陽の県長を任命できるようになってからであって、
逃げる事に必死だった赤壁前にそんな事ができるとは思えない。
それに県長を破っただけなので、必ずしも旌陽まで進出して県を降したわけではないし、
仮にそうだとしても、これが蛮族の反乱に伴う突発的な事態だとすれば、
楽進の南下は関羽追撃以上の意味を持たず、十分な準備を伴わないので、
江陵を包囲するほどの兵站準備が無く、早々に撤退したって可能性もある。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 10:34:14 ID:edNcdgVT0.net
>>138
まぁこれはあくまで仮定の話になっちゃうけれど、
漢中時代について特に記述が無い=最前線を危なげなく統治し続けた
と評価できない事もないと思う。
天嶮に囲まれた漢中が成都から半ば孤立してたのは確かだと思うし、
漢中太守に抜擢された際の魏延の台詞からその孤立地域の軍権があったのも十分推測できると思うんだけれど。

晩年の魏延については、むしろ魏延が北伐軍の一人として編成されて好き勝手出来なくなった事による末路だと思ってる。
まぁ他人と折り合わなかったり、後先考えなくなったりと明らかに性格に難があるのは確かだと思うよ。

ここからは作家的妄想になるんだが、長安急襲策(個人的には愚策の部類だと思う)といい>>139の台詞といい、魏延は劉備の遺志を達しようと焦っていたと思うんだが。
活躍する時代や、一緒に仕事するパートナーが違えばもっと別の評価になりえた武将だと思うんだがなぁ……。
たらればで語って申し訳ない

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 20:38:59 ID:/0v5vEnx0.net
劉備時代だったら関羽張飛のような存在だったかもしれんな
実際孔明は関張のようなバカのくせに出世した奴らは嫌いだっただろう

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:45:17 ID:Jp/TlktW0.net
魏延と楊儀が手を組んで費イ、王平、姜維らを従えていたら北伐も
張コウや郭淮や陳泰に良い様にやられはしなかっただろうに・・・

【反骨の】 魏延 【相】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176452496/

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 17:26:00 ID:+Nnxb+t40.net
>>148
>曹純と共に劉備を追撃
>楽進と共に関羽を攻撃し、更に漢津で関羽の輜重を焼き、荊城で関羽の船を焼いた
この2つが同じ時期に起きたと考えればむしろ妥当じゃないかね
荊州降伏した際に応急的に文聘に北方の兵を預け、江夏の太守に任じると共に爵位を授与
漢津や尋口で関羽と戦ってるって事は川を移動してるって事だからちょうど江夏へ移動ルートにもなり
劉備と分隊して川を下って逃亡してる関羽のルートと一致する
つまり江夏への移動を兼ねて劉備軍(関羽)を追撃してたと。

劉備に組したのか、それとも勝手に任命したかは分からんが
劉備は逃亡の際には襄陽に寄って、江陵を目指してた訳だからその道すがらの協力者では?
また県長クラスでは出兵の権限も無いだろうから、これを征討したって事は
その付近まで接近、もっといけば占領に近いことをされてるという状況になる
特に南郡の蛮族は降伏してるのだから、南郡付近が危機に晒されたという事になるのは間違い無い。
これは例え突発的な事態であろうと関羽敗走で南郡付近が危ういとなると劉備の危機には違いないので
これを機に魏が動かないは変だし、劉備側も時期によれば入蜀どころじゃなくなる。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 19:22:25 ID:yrlKvWL60.net
>>152
劉jの降伏から赤壁で敗れるまでは、たった3ヶ月しかないわけで、
その期間に太守と爵位を貰い、更に功績を認められて将軍位も加えられ、
爵位も進められる、なんて事があるかい?

あと、軍隊を出動させるという事を、些か簡単に考えすぎていると思う。
辺境の守備部隊が勝利したからと言って、準備も無いまま大規模な遠征はできない。
突発的な事態であれば、それを中央軍が動くような遠征にまでつなげられないだろう。

それに、後漢の区分で言えば、襄陽辺りまで南郡なので、南郡の蛮族と言っても、
柤中蛮のような、襄陽近傍の蛮族だった可能性もある。
この柤中蛮が曹操らに反乱したのならば、それらを鎮撫する為に臨沮県駐屯部隊を派遣し、
関羽の方は隘路を避け漢水沿いに進み楽進を引き付ける、というような手に出る可能性もある。
臨沮襄陽間は非常に険阻で、途上柤中を通るので、最も対応しやすい臨沮県の部隊のみを送り、
関羽が当陽経由である程度の規模の軍を以って進む、と考えるのも不自然ではない。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 03:18:07 ID:lCj14VJG0.net
>>153
少なくとも赤壁以前に文聘は江夏太守の任命を受けてるし
曹操は人心収攬に腐心してたみたいだから、対呉の重しとして期待してた文聘が
功績を挙げればそれに対して爵位や将軍位を上乗せする事はむしろ好都合だろう。

襄陽は単なる辺境の守備部隊ではないし
襄陽に駐屯してた楽進が臨沮まで進軍してる点はむしろ楽進側が攻勢に出てたって事だろうし
劉備軍の2の関羽を敗走させての進軍だから、劉備側の衝撃はでかいだろうし
これを無視して孫権征討を優先させる事自体が不可解
また楽進に帰服した蛮族は南郡諸県のとあるから何も柤中に限らないし
山間部という事は臨沮までも含めた一帯の部族が楽進に帰服した可能性が高く
これが赤壁以後ならば劉備の南郡支配が揺らぐ事は間違い無いよ

また臨沮と柤中は結構距離がある上に、貴方が言う通り険阻なので
柤中を支援しようと思ったら流石に遠いでしょ、また県長しか劉備側の人間がいないのでは
ハッキリ言って劉備側に蛮族を支援する気があったとは思えない
それから蛮族も帰服したってだけでは曹操に積極的に敵対、あるいは叛乱まで行っていたかは不明だし
俺はやはり時期的には赤壁前後だと思うね、まあこれ以上は完全に水掛け論っぽいけど。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 10:04:12 ID:G1rRldwb0.net
>>154
まず、文聘の江夏太守就任を赤壁前としている点が納得できないし、
仮にそうだとしても、正式な論功行賞も無いまま、文聘だけ昇進させたりするのも不自然。

楽進伝には「襄陽に留まって駐屯した」とあるのに、劉備や関羽の追撃に加わったとするのは不自然なので、
それ以降の記述は、やはり赤壁以降の事と見るべきと思う。
従って、「楽進と共に」関羽を討った尋口の戦いも赤壁以降と見た方が良い。

あと、やはり遠征を簡単にできるものと思っているように見受けられる。
遠征を行うには、遠征中策源となる場所に大量の物資を集積し、
軍隊を集結させ、兵站を構築する為の組織も一緒に動かさなきゃならない。

もし楽進の進出直前に濡須攻撃が企図されていたなら、準備は既にそちらに向いている為、
簡単に荊州方面への攻勢に変える事はできない。

楽進伝と文聘伝の該当箇所全てを赤壁前に押し込めるのは、無理がある。
ただ、これだけ言っても相容れない以上、これ以上の議論は、
貴方の言うとおり無意味なものになるだろう。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 14:02:32 ID:lCj14VJG0.net
>>154
まあ他の部分は既にループしてるので反論しませんが
一応武帝紀には赤壁以前に文聘を江夏太守に任じた事は書いてあるよ

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 17:44:48 ID:EWMMoZia0.net
>>156
ほんとだ。武帝紀に、江陵入城後に文聘を江夏太守任じた事が書いてあるね。
すまなかった、訂正する。

ただ、やはりそうすると、尋口の戦いや荊城での焼討が、
赤壁前の関羽追撃とは関連性が薄いという事を補強する事になると思う。
江陵に入った時点で、劉備一党に対する追撃は、一応集結してるしね。
この件に関しては、これ以上の議論は無用だろうけど。

もともとの話である青泥の戦いに関しては、認識にそれほど食い違いはないし。
関羽と魏延の比較に関しても、魏延の方が関羽より上だとは、自分は考えてないし。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 09:23:39 ID:XvWcBYhH0.net
魏延は魏続と関係あるの?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 11:01:30 ID:NcULZpkG0.net
ないと思うが・・・
どうしてそう思ったのかな?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 19:43:49 ID:kizahvEU0.net
関係なし

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 00:43:03 ID:Y4XY5Ccw0.net
蜀最高のメンバー
お偉いさん=劉備
野菜作り=孔明
考える人=法正
暴れん坊星人=魏延

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 03:17:18 ID:a1EU7J3W0.net
【論説】朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ、切ないまでの政治的願望は、日本ジャーナリズム史に残るだろう
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1184123463/l50

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 03:42:13 ID:lVaKdyld0.net
王平ってどういう性格だったのかな?
業績と、疑い深くて狭量だったといわれる性格が重ならないのだけど
出世するたびに増長したとか そういう事なのだろうか

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 05:42:59 ID:FUtiuaUv0.net
街亭のアレは
>疑い深くて狭量だった
が正の方向に働いてるよねw

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 01:20:32 ID:G7uH2pvb0.net
王平は一流の武将だったと思うなあ
防衛戦させたらね

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 01:36:26 ID:hlYEtCk60.net
小姑のようにネチネチした奴だったんじゃないかな
正しくてもそういう奴ってうざいよな
あと王平は字が読めないんじゃなかったっけ

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 01:48:29 ID:FJBCeytu0.net
規則を守り冗談を言わず一日中きちんと座っていておよそ武人って感じがしない人だったらしい
戦陣で育ったから字が読めず、偏狭で軽はずみな性格だったとか

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 04:26:17 ID:hlYEtCk60.net
冗談をいわないのは上杉景勝に通じるものがあるな
でも武人っぽいような気がするが

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 05:45:25 ID:2SUQRrgt0.net
大村益次郎の弟子の山田も偏狭だったらしい。
大村自身も日本近代陸軍の祖で軍神といわれたが相当変人だから、軍人として優秀な奴は常識からずれてるのが多いんじゃないの。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 12:16:41 ID:xnjilax80.net
規則を守り冗談を言わず一日中きちんと座っていて

偏狭で軽はずみな性格

は矛盾してないか?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 14:19:19 ID:qZc3v5H40.net
偏狭で軽はずみというのは、愚痴がすぐ口に出るとかそういうのじゃない?
部下の面前で上司を実際の戦場ではこうなんですよとか窘めて、面目丸つぶれとか

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 14:22:59 ID:WzU9UIjd0.net
まあ、たたき上げの軍人で知識人には言動が理解できなかったという程度では?
職務以外で交際が希薄で、つき合いがあんまり上手でなかった。仕事は抜群でも
交際上手ではなかったという程度でしょ。漢中防衛戦でも同意見だったのは劉敏
くらいだけだったみたいし。魏の大軍を前線の防衛ラインで2,3万の兵力で援軍
がくるまで持ちこたえようという考えは、はたから見ると軽はずみにもみえるよ。


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 15:06:10 ID:yuZLVhZf0.net
役人の慎重さというのは軍人からすれば臆病にしか見えない。
逆に軍人の果敢さというのは役人からすれば無謀にしか見えない。
両者の一長一短がある。
指導者の仕事は、彼らの一長一短に通じて、
時と場合に応じて双方の良さを引き出し、不味いところを隠すこと。

劉備は関羽の短所を知らなかった訳ではないだろうが、
張飛よりもずっとマシだと思っていたことだろう。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 15:15:48 ID:bks3iirN0.net
「・・・然性狹侵疑,為人自輕,以此為損焉。」

「偏狭で軽はずみ」って、定評のある誰かの訳文か?
「人となり自ら軽んじ、これを以って損をなす」だから
「俺という人間には大した価値はない」と自分を軽んじたせいで
損をした、って事じゃないの?

175 :174:2007/07/15(日) 15:24:29 ID:+RXxjKXd0.net
回線切ってID代わったが続き
「人の為に自ら軽んじ」と読み下したら、自己犠牲で不利益を受けたことになる
どっちにしろ「軽はずみ」とは違うと思うよ

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 15:44:21 ID:WzU9UIjd0.net
素直に解釈したら、偏狭という言葉が出たら言い意味の言葉は続かないだろうな。
取っつきにくい人物で果敢な性格で周囲は危ぶむ時もあったという感じと解釈するが妥当では?


177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 19:47:29 ID:nUl3cqGp0.net
猜疑心が強く疑り深い性格=人付き合いが苦手である 上に、

自らを軽んず=卑屈な性格 であった為に、

損をする=貧乏くじを引く 事が多かった。

と考えると、しっくり来る気がした。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 19:50:17 ID:nUl3cqGp0.net
更に噛み砕くと、

王平は寡黙で何考えてんだか良く分からないが、
優秀で不平不満も言わないので、とりあえず厄介事は押し付けておけ。

手柄はこっちでもらいます。みたいな。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 21:40:14 ID:2GX9yiLP0.net
巴西の生まれだし、郷導みたいな役割だったんかね

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 22:42:30 ID:GCbkuqv20.net
なるほどねえ。 やはり原文に当たらないと分からない事もあるんだな。
王平に関した史跡とか現地にはあるのかな?

魏延より王平のが功績と損失を考えると総合的には蜀への貢献度は上だと思うのだが
どうだろうか。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:43:06 ID:frmTBFC90.net
晩期蜀漢四天王の
ひとりですからね>王平

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:50:30 ID:ysUR1ThZ0.net
>>181
残りの三人は誰?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:53:55 ID:2vOmULGC0.net
>>182
高翔、胡済、閻宇あたり?

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:59:10 ID:frmTBFC90.net
>>182-183
句扶(こうふう)・張翼・廖化。
正史の注に「前に王・句あり、
後ろに張・廖あり」とあります。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 00:03:24 ID:mE91PEc20.net
>>184
それだとちょっと違うような。
張翼と廖化が、王平らの後の世代での活躍になるからね。

どうせなら、北方を守った王平、南方を守った馬忠、東方を守ったケ芝の三人を並べた方が良い。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 00:40:05 ID:tjJ27ins0.net
んじゃ、末期は張翼、廖化、宗預、霍弋かの。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 00:46:07 ID:WtFmafrl0.net
張嶷の武勇は異常

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 01:37:19 ID:KkTp/4fm0.net
廖化の年齢を演義設定で計算すると
80歳・90歳ぐらいまで現役だったことになる、
てどこかに書いてたなあ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 01:44:06 ID:mE91PEc20.net
関羽が曹操の下を脱出する時に「少年」と表現されてるから、
90歳は厳しいんじゃないの?

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 02:28:16 ID:tjJ27ins0.net
>>188
志村〜演義演義〜

とりあえず、正史宗預伝によると、260年頃に70代だったみたいだな。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 02:29:22 ID:tjJ27ins0.net
安価間違えた。>>190>>189へのレス。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 08:51:23 ID:WIadTuwE0.net
>>190
いや、演義の話なんだけど。
三国演義第二十七回「美髯公単機千里を走り…」
の所で、関羽の前に現れた廖化が、「少年」として表現されてる。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 09:30:44 ID:6KGqk/vP0.net
未だに廖化が90才とか100才とかデマ飛ばしてる奴がいてうんざりだよな。
ネタ元の演義にも少年と書いてるのに、
その時点で30才くらいだったとか言ってる奴の気が知れない。
ほんとに演義読んでんのかよw

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 09:39:35 ID:WIadTuwE0.net
単機じゃなくて単騎だな。変換ミスった。

>>193
関羽の五関突破の頃に少年(十数歳?)だから、正史に出てくる廖化よりは年上だろうけどね。
演義の「黄巾錦衣」という記述から、黄巾の乱に参加してるだとかって妄想に発展したんだろうね。

「演義の廖化は80歳程度まで現役だった」程度は言えるとは思う。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 09:47:51 ID:WIadTuwE0.net
よく考えたら、「黄巾錦衣」って載ってる部分には、
ちゃんと「少年」とあるから勘違いしようがないな。

その後の、関羽が劉備の夫人に会った後の、黄巾の残党がどうのって部分か。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 12:23:40 ID:QR8v1uYY0.net
廖化って黄巾賊って設定じゃなかったっけ
184年に起きたこと考えて少なくとも14,5歳じゃないと傘下できないだろうから170年前後の生まれ
そうすると死んだ264年には94歳ってことになる
生きるだけなら可能かもしれんが政治活動は240年ぐらいには無理になるな

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 12:29:37 ID:AK/jhRtY0.net
黄巾の乱以後も黄巾党はいたが…
184年の時点で参加していたと解釈すると無理すぎる。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 14:00:49 ID:6KGqk/vP0.net
黄巾賊は演義だと200年、正史だと207年まで活動してんだよね。
周倉が張宝配下だったんで、こっちと間違えてんじゃないの。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 23:00:43 ID:N0yd5GYo0.net
というか演義の設定に整合性やら求める必要性を感じない

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 02:18:53 ID:vetaGm3y0.net
演義を元ネタにして演義にすら矛盾する主張をしてるのが問題なんだろ。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 02:31:41 ID:rwHZwOwg0.net
蜀の人物にはやたらと長寿な方が多いですが
どこにその秘訣があるのでしょうか?
やはり蜀の塩や生姜維が良いからですか

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 02:49:44 ID:VllPSZlK0.net
逆に考えるんだ。

高齢になっても引退できなかった。と。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 16:53:20 ID:xHeHKi5+0.net
当時の中国は全体的に高齢になっても一線で活躍する人が多かった様に思える

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 17:03:55 ID:/zvOKzgL0.net
つーか長寿でいられるくらいの余裕のある人間じゃなきゃ参政出来なかったってことでは?

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 18:04:00 ID:KixuGAkK0.net
張嶷

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:30:47 ID:XeGNf7w/0.net
基本的に70歳で引退。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 00:10:56 ID:NZDUgaoC0.net
孔明が趙雲が70歳になったとたん年なんだからいい加減引退しろよって言ったんだっけ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:28:09 ID:9OjQgHEL0.net
いい加減演義の話しを混ぜるなよ。
趙雲は正史では何時の生まれたかは不明。


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:31:46 ID:KfTX1tKBO.net
史記で、旗色やデザインは分かりますか?
関羽は緑で、張飛は黒ってマジですか?

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:50:30 ID:UuRkZIsC0.net
史記つうか、正史のことだと思うけど
旗色やデザインとか外見的なことの描写はほとんど無いね
蜀将で描写されてるのは劉備の異形や関羽のヒゲぐらいか

あとは後世に作られたイメージで、それが史実に合致してるかはわからない
張飛の虎ヒゲもホントかどうかわからんし、諸葛亮だって綸巾羽扇じゃなくて
ガッツリと戎装に身を固めて剣を佩いてたかも知れない

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 02:36:33 ID:VGDHC6eh0.net

> 正史・演義どちらか一方を正統とする発言は極力避ける事。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 02:42:54 ID:RwZJQBxd0.net
まあ史記も正史だけどね

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 02:48:01 ID:yrLy39xW0.net
単なるイメージカラーってやつでないかい


214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 03:13:57 ID:79wPVzpaO.net
連れに三国志の質問されたら偉そうに正史と演義の区別を説くけど
正史の曹操のイメージは横光の赤鎧しか出てこない
刷り込みだな

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 07:22:33 ID:KfTX1tKBO.net
では…イメージカラーをアンケートしま〜す!
名前の右に旗色と文字色を書いてね♪国名もだよ♪





劉備
関羽
張飛


曹操
曹丕
徐晃


孫権
孫堅

袁術
袁紹

よろぴく

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 12:36:39 ID:ZT/VaApw0.net
それはやめて。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 19:02:05 ID:oobcBnK00.net
>為人自輕

”軽い”とされるのは曹操の伝記なんか参考にすると
人前で感情をセーブしない事のような気がするんだが。

人前で大笑いしたり怒鳴ったりすると軽いとされるような。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 19:42:09 ID:KfTX1tKBO.net
曹仁だったな

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 19:44:29 ID:NPr+depV0.net
>215 京劇でも参考にしなさい。

>217 なるほど、上官に食って掛かったり
部下に対して激昂する事が多かったという事ですかね

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 20:08:52 ID:bDpIgyST0.net
>>217
曹操のそれって軽佻浮薄だよな。

軽=行動が軽はずみで、佻=落ち着きが無く、浮=興味が移りやすく、薄=言葉に重みが無い

こうじゃなかったか?

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 09:47:13 ID:+6Ah+SkU0.net
うーむ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 12:03:08 ID:V5KQQTpBO.net
つまり、上辺だけの人間って事か?




223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 12:13:17 ID:p5QVwxI40.net
>>222
という事なんだろう。
陳寿は超世の傑であるが、軽佻浮薄と苦言を呈している。
これをどう取るかはまた読み手次第だけど。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 18:48:53 ID:1txA/yVG0.net
梅の実とか小さい枡とかは、むしろ矮小な人間像を伝えているような気がする。
誉めるつもりで書き記したんだろうか?

まあ何であろうと、記述が多いに越した事は無いんだが

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 20:25:06 ID:p5QVwxI40.net
>>224
表現としては軽佻浮薄という言葉が用いられてるけど、
曹操が真実そういった存在なのかどうかはまた別であり、
王平もまたしかり。

実態は記述を総合的に分析して推測するしかなく、記述量が少なければ断定そのものが無理だよね。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:12:11 ID:DapCznq+0.net
王平は将としては優秀だったが人間としては小物だったってことか?
それだと魏延や楊儀もそうだが

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 02:47:54 ID:iin73k4r0.net
>>226
自分はあくまで「軽」の意味を紹介したのみ。
人物として真実小物だったかどうかも他の記述と照らし合わせて考えるべき。
ただ、王平は記述が少ないので、どうしても推測の領域を出ないだろうね。と。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 06:24:12 ID:DWuErX0h0.net
王平伝が収録されている巻は時代に恵まれて活躍した人物という観点。
諸葛亮や蒋苑といった宰相クラスの人物ではない。場合によっては魏延や楊儀
といった人物と変わらないかもしれない。ただ王平はそこそこ上手くやっていた
のだろう。魏延や楊儀みたく厄介者という程でもなかったという感じか。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 19:50:03 ID:uzkLQyGd0.net
ショウエンや費イ以外で宰相の器だったのってそれこそ楊儀とか李厳だったのかも知れないけど。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:03:02 ID:UHUXjDw50.net
楊儀はなくないか?
公平で私欲もなく政務能力がある人ってやっぱ四相以降いないと思う

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:24:21 ID:h0+mPzHu0.net
大将軍張ギョクは見てみたかったなぁ…

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:55:17 ID:tKRSlamV0.net
楊儀は丞相府長史なんだけど、これは諸葛亮にとっての宰相職だよ。
性格があれなんで、失脚しなかったとしても長続きしなかっただろうが。
家柄からいうと張裔も有力候補だけど、なんかこいつアホっぽそうw
武将出身だがもう少し長生きしてればトウ芝が宰相になってたかもね。
あとは諸葛瞻・董厥・樊建だな。詳しい伝が残ってないのが残念。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 07:32:45 ID:U0sS52sb0.net
>>231
タイムスリップできるのか?

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 19:38:36 ID:7gi5MrA00.net
諸葛亮は全く楊儀を後継者とは考えていなかった。
北伐の頃には自分にもしものことがあれば蒋苑に任せるようにと後主に言っている。
楊儀はあくもでも事務屋としての能力が買われただけ。
李厳は一応は諸葛亮に次ぐbQだった。だけど劉備の遺言を重んじたからで、あんまり
好ましい性格ではなかったようだ。劉章をすぐに裏切ったり、諸葛亮をはめようとしたり
と忠義者ではなかったようだ。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 19:50:06 ID:9LA0E9+V0.net
劉備の遺言を重んじたってのは劉備の「劉禅がアホなら君が皇帝になれ」か?
それだったら孔明派閥といえるんじゃないのか?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 01:32:30 ID:MA+TwdgAO.net
あのさぁ…

馬忠ってやった?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 01:34:54 ID:iqT/Tdts0.net
>>234
楊儀を実質ナンバー2として重用しといて後継にはしないで干すなんて諸葛亮黒杉

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 03:18:44 ID:LmFnCq6u0.net
楊儀ってナンバー2か?

本人がそう自負していただけの自称ナンバー2
丞相府長史という職級から考えて、そんなに大した地位にもついていないわけだし、
ナンバー2ってほどでもないでしょ

当時の蜀は、諸葛亮のワンマン政権だから丞相府が中心になっており、
そこの事務方のトップだったというに過ぎない


239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 03:19:08 ID:GaGiwJEk0.net
そりゃ社長と部長では求められる能力は別物だもの

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 06:57:06 ID:FFqX1MHO0.net
丞相府長史ってめちゃくちゃ大した地位じゃねえかよ。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 07:31:57 ID:iqT/Tdts0.net
>>238
実際に諸葛亮の後を継いでトップになったショウエンもほぼ同じ地位だったじゃない。
楊儀がナンバー2を自負したとしても不思議じゃないでしょ。
楊儀が諸葛亮死後の人事に不満だったのも、序列でいえば自分の方が上なのにショウエンが追い越してトップになったから。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 20:17:39 ID:ycPxF/8c0.net
>>241

楊儀自身はそう思っていても諸葛亮は全く後継者には考えていなかった。
蒋苑の次が費偉だから、人事は順送りとは限らないということさ。楊儀の不幸は
諸葛亮の自分への評価がどういうものか把握していなかったこと。単に事務能力
だけが買われていたということが解っていれば、また違った人生もあったと思う。
言葉を変えると、自分自身の実力・才能が宰相を担う程ではないことに気がつか
なかったことだね。


243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 20:27:18 ID:ycPxF/8c0.net
ちなみに魏延も自分の実力を過大評価。
叩き上げの軍人の魏延に蜀の朝廷が諸葛亮に代わって全軍の指揮を任せる
わけがないことを理解していなかったのが不幸。せいぜい漢中の守備隊
の指揮官がいいところ。蜀の大半の軍隊を家臣に全て任せるのは危険。
諸葛亮が絶大な信頼を得ていたから可能だっただけ。蒋苑・費偉ですら
大規模遠征はできなかった。それにはそういう事情があったと考えられる。
まして魏延が遠征軍の総指揮なんて論外だった。姜維はそのへんのことを
考えず大規模遠征。朝廷と溝が出来、宦官の台頭を許してしまう。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 21:03:48 ID:lwubdFEx0.net
>>242の思いえがく「単なる事務能力」ってどんな能力なんだろ…。
自分で言ってて自分でも分かってない希ガス。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 21:19:57 ID:z0itiX1X0.net
官僚と軍人と指導者は違うって事かのう?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 22:52:31 ID:ycPxF/8c0.net
つまりさ兵糧の計算や部隊編成・軍需物資の調達に関する諸々の事務だよね。
だけど諸葛亮は政治家・軍司令官の後継者とは考えていなかった。楊儀伝を読むとよく
わかる。それと、張合なんて司馬忠達よりも戦歴・軍功でも遙かに上なのに、その指揮下に
置かれてしまう。軍もトップは名士出身というのが当時の常識みたい。魏延が軍権を握るな
んて相当難しいのさ。



247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:14:43 ID:iVbpzhDG0.net
>>張合なんて司馬忠達
誰だ?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:38:09 ID:Nip3EixO0.net
魏の張コウと司馬懿だろ

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 05:24:18 ID:FmU8Sk250.net
長史の仕事は兵糧の計算や輸送任務だけじゃないよ。
どこでそんなガセネタ拾ったか知らないけど。
丞相府としての職務を実質的に担ったのが長史。つまり丞相職の実体。
官位はさほど高くないが職責はかなり重く、
長史の蒋エンが諸葛亮の仕事を継いだのも別に大抜擢というわけではない。
蒋エンは諸葛亮の出征中、成都の丞相府を仕切っていたし、
国淵は曹操が韓遂征討に出たとき、許の丞相府を仕切った。
丞相が国家の代理人とすれば、長史は丞相の代理人に相当する。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 12:05:48 ID:RgRzuvh90.net
何かみ合わない議論してんだ?
楊儀は高官だけど、諸葛亮も蜀の朝廷も宰相にする気がなかった。
ただそれだけのことだろ。楊儀本人はそんな事情をしらないから不満タラタラ。
結局は自殺というのが流れ。

一応名目上の地位は魏延の方が楊儀より上なんだろ。
だから撤退のさい楊儀の指示に従うのを拒んだのだろ。
征西大将軍という地位は、遠征軍の中では丞相の諸葛亮に次ぐ地位なのだろう。
諸葛亮が魏延が指示に従わなければ置き去りにしろと指示した背景には、席次
で魏延に命令できる人間がいないから。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 15:44:49 ID:FmU8Sk250.net
噛みあわないのを人のせいにすんなよ。

丞相府長史の職責をあまりに軽く見すぎてるみたいなんで、
その認識は間違っていると指摘してるだけなんだが。
当方は魏延のことにちっとも言及していない。
大丈夫か。落ちつけよ。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 21:37:23 ID:RO2hLFOi0.net
>>249
> 丞相が国家の代理人とすれば、長史は丞相の代理人に相当する。

でたらめ言っちゃいけない。

丞相長史の役割が大きいのは、諸葛亮という丞相のワンマン政権だからこその話。
当時の蜀だけに通用する話に過ぎない。

他の国であれば、丞相がいなくなれば文武官のうちの権力者や実力者があっさり
肩代わりするだけ。

丞相長史なんて官房長官に過ぎず、総理大臣の代理人では決してない。

強力な丞相が存在し、それにより絶大な権力が丞相府に集中した当時の蜀に
あってのみ、丞相長史が権力者たりえるのであって、丞相長史という職に権力が
与えられているのでは決してない。

中国の歴史には、強力な人物がいればその官職の役割・権力が巨大になり、
その周囲にいる人間も本来の官職以上に権力をもつことになるなんて、よくある話。
それを理解せずに、丞相長史がすごい官職であるかのように言っている奴は
中国の歴史をイチから勉強しなおせ。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 06:36:21 ID:dUCQlpI30.net
なに言ってんの?
権力者が増長すればその腹心も力を持つなんてことは当たり前なんであって、
諸葛亮の長史たる楊儀がその立場にいたと言ってるんだが?
要は、府内での地位、職責の重さを言ってるんでつよ。
府外への政治力を普遍的に有したとは誰も言うとらんよ。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 07:57:59 ID:tPWTtHLo0.net
ランクだけ高い閑職よりも、
府中で機密に関わる下っ端の方が、
世代交代で受ける利益は大きいという話だろ。

楊儀は虎の威を借るだけの狐で終わったけどな。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 20:00:12 ID:58bpu7g40.net
五丈原から帰還後、楊儀はすぐに中軍師という閑職にされた。
諸葛亮は自分の死後は要職から外すように上表してたのかもね。
楊儀が政治の実権を握る可能性は皆無だったみたい。


256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 15:34:01 ID:t3aojX/C0.net
実力随一の実戦指揮官とトップの補佐たる丞相長史が
二人揃って全く人望がなかったってのもヒドい話だね。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 17:41:57 ID:EMlEmfJV0.net
人望がなかったというわけじゃないかも…。
将軍にしても長史にしても、
少なくても部下には信頼されてないと話にならない仕事なので、
たぶん部下にはそこそこ信頼されてても、
同僚や上司には警戒心を持たせちゃったんじゃないかな、、と予想。
関羽にしてもそうだけど、傲慢と評される人物は
たいがい部下には人気が高かったりするよね。朱桓とかもそうか。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 12:42:54 ID:jsvqonIj0.net
ほほう

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 16:09:37 ID:VRqnIBqP0.net
楊儀は長史としては優秀だったけど宰相の器でなかった。
魏延は侍大将としては優秀だったけど総司令官の器でなかっただけの話し。
関羽、張飛だって蜀全軍の指揮官には力不足だろ。諸葛亮は馬謖以外は
概ね的を射た人事だったと言えるよ。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 20:58:55 ID:ZczIOH+l0.net
またきみかw

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 21:02:56 ID:As7Ap9+p0.net
楊儀と魏延がフュージョンすればおk

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 17:06:08 ID:LYxDWLVW0.net
魏延は劉備に気に入られたのだろう。
そうでないと、張飛を飛び越えて漢中の司令官にはなれないでしょ。
年功なら張飛が上。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 17:11:11 ID:/biX9Wks0.net
魏延は「部下の面倒をよく見た」とかなんとか書かれてたよね
部下の方からどうだったのかはわからんが……

政争と人徳が失敗にどのくらいの割合で関わって来たのかが気になる
蜀将の傲慢は魏延に限った話じゃないから
劉備死後の体制にぽつんと残ったのが不幸な気がするんだよね
やっぱ魏延贔屓かな?

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 18:48:07 ID:YBj1E2EL0.net
劉備や孔明に大人しく使われてるのが似合いの狗ころ


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 18:55:22 ID:WdmS8/Pf0.net
狗ころに漢中司令官はつとまらんだろ…常考

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 19:17:38 ID:ShNKqNdWO.net
狗ころが漢中司令官やらなきゃならないほど蜀は人材不足していた。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:16:53 ID:LYxDWLVW0.net
趙雲 征南将軍→鎮東将軍

黄忠 征西将軍→後将軍

魏延 鎮北将軍→征西大将軍

姜維 征南将軍→輔漢将軍→鎮西大将軍

どうも蜀の将軍の官位は魏の官位に当てはめると上下関係がイマイチわからない。
どなたか解説してくれませんか?

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:37:52 ID:G4YIQovv0.net
そもそも、魏の官位にあてはめなければいいんじゃない?
なぜ敵国の官制で理解しようとする?
むしろ漢の官制を学べ。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 02:42:08 ID:YjtqB4Dm0.net
>>267
蜀では、前後左右が大将軍、驃騎、車騎、衛将軍に次ぐ将軍位で、征西とかは更に下でしょう。
漢においては将軍位というのはその8つで、他は雑号になるから。

だから、黄忠は完全に昇進で、魏延も鎮北将軍から征西「大」将軍なので昇進。
趙雲はよく分からんが、南征するんで征南にしといて、終わったから鎮東に、とかかな?

姜維の場合ちょっと特殊かもね。
輔漢将軍或いは輔国将軍は、張裔や董允、董厥など、中央にあって宰相を補佐する人間が就いてる将軍位。
恐らく、首府を防衛する為の中軍の指揮官という意味合いが強いんじゃないかと思う。
姜維の輔漢将軍は、蒋琬を軍事面で補佐する為、中軍を指揮する立場に置いたって事だろう。
その後の鎮西大将軍就任は、荊州攻略を止めて涼州攻略に方針を変えた事による処置で、
同時に、漢中を守備する王平が鎮北、南中を統治する馬忠が鎮南になってるので、
姜維を中心に涼州攻略を行いますよ、っていう意味の任官じゃないかと思う。
少なくとも「大」が付いているので、大将軍や車騎将軍など以外の将軍位よりは格上でしょう。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 06:32:31 ID:GUTxILri0.net
趙雲は南征したのかな?
ちくま書房の本では昇進して鎮東将軍となる書いてある。
地位としては当時は魏延と同じくらいの地位となるのだろうか?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 07:42:40 ID:3FAMk4He0.net
>>270
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20070814/p1
ここでむじん氏が、後漢末は鎮>征だったんじゃないか、って言ってる。
もしその指摘が正しくて、蜀が後漢末に則ってるとすると、
征から鎮は昇進なので、趙雲の事も昇進と考えていいかもしれない。

征から鎮への昇進は、例えば張翼なんかが、征西大将軍から鎮南大将軍に昇進してたりもするので、
もしかすると、むじん氏の言うように後漢末や蜀においては鎮の方が格上かもしれない。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 09:12:13 ID:ql768sL60.net
そこでの話と微妙にかぶるけど、蜀の軍師の仕事の中味は
どんなもんだったかという疑問がある
中軍師の劉エン・楊儀は干されてたし、後軍師は費イの腰掛け、
魏延・ケ芝も前軍師として何をしてたかは分からない
(楊儀・費イのが丞相府解体のための人事というのには得心できるが、
それでも具体的な仕事が分からない)

前軍師・魏延に限って言えば、
魏延としては本官たる征西大将軍の仕事に専念したいし、かつそれで十分なはずが
諸葛亮にとっては魏延を自分の指揮命令系統下に入れるために
丞相府属の官職に就いてもらう必要があった
ただ、魏延のプライドを損ねないために軍「師」として招請する形を採った・・・
ということで、魏延の前軍師就任は具体的な職務を伴わないもので、
諸葛亮との妥協の産物だった・・・と想像してみた

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 17:17:51 ID:aZKH1yf60.net
楊儀が干された事や、丞相府解体のための人事という話には異論もあろうが
軍師の職務が軍の監察だとすれば、中軍師・楊儀に仕事が無かったのは
監察の対象となる軍が無かったという事ですか・・・

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 10:41:24 ID:GtvOXVWO0.net
魏の軍師は監軍になったみたいだが
蜀は分からないのでは?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 11:21:27 ID:+yZWb50Q0.net
>>273

諸葛亮の死後、姜維が軍事権を握るまでは大規模な遠征はない。
よって楊儀が得意としてた軍事物資の調達や部隊編成の仕事はほとんどない。
それでいて政治・軍事の実権は蒋苑が握っているのだから、事実上の職務はないことに
なる。いままで激務をこなしていた人が仕事がなくなるとどうなるか。
サラリーマン社会に通じる話だね。

>>271

蜀は漢の後継という建て前だから魏は反逆国家。
逆賊を討伐して国土を鎮めるという意味からも四鎮将軍の方が四征将軍よりも上かも。
四征将軍は蛮族を討伐する将軍という意味合いかもね。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 11:32:58 ID:R9905B2A0.net
>>271

蜀の場合はこんな感じになるのかな?

四征将軍<四鎮将軍<前後左右将軍<四大征将軍<四大鎮将軍

前後左右は中央軍及び名誉職、四征・四鎮・四大征・四大鎮は実戦指揮官かな?
尚朗なんてどうみても軍人じゃないのに右将軍になってるし。実際の権限は四征、
四鎮の方が上かもね。



277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 21:12:44 ID:0i+XVrWQ0.net
どうでもいいよ
四方将軍なんて席が全部埋まるわけじゃないんだし

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 06:27:10 ID:mXg2DiZ40.net
それはどの将軍位も同じでは?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 10:40:20 ID:ZBeWTKQV0.net
夏侯覇は随分と厚遇されてたんだな。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 11:04:17 ID:la3GrQnK0.net
馬超もかたち上は厚遇されてたね。
降伏者を厚遇して寛大さをアピールするのは三国どこもやってた。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 16:09:47 ID:ft2hkzD20.net
馬超に対する厚遇は降伏を促す為のアピールだったのか

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 16:48:54 ID:fOb2lYlg0.net
孟達はやっぱ掘られてんの?

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 14:35:49 ID:Q0yQ7b3d0.net
でも高官の降伏者ってやっぱりあんまいないね。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 16:21:45 ID:Qc0zs9UOO.net
>>282
黄権と一緒に掘られまくりだったそうな

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 20:57:24 ID:0NwE3m6+0.net
黄権がいなくなったのは痛いよな。
正史によりば漢中攻略の計画には黄権の戦略が大きかったみたいだし、
なによりも黄権は諸葛亮を信頼していた。蜀に残っていたら諸葛亮のよき
協力者であり参謀となっただろう。黄権がいれば、李厳を必要以上に持ち上げ
なくでもすんだはず。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 09:30:59 ID:1RDM1LcU0.net
裏切り者の息子でありながら黄崇が官職についてるしな
劉備は直後に死んでるから蜀全体で黄権に同情する雰囲気だったのだろうか
途中で昔のこと持ち出されて追放や処刑されてもおかしくないだろうに

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 16:15:21 ID:WTIhBh700.net
諸葛瞻に献策を却下されたのってそれが原因でなかったっけ?

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 16:53:58 ID:GOrl7IgD0.net
>>287kwsk

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 19:03:15 ID:C//V3rXk0.net
>>286

劉備は黄権に責任はないと断言しているからな。
蜀政権の中では黄権に罪無しという認識だったんだろう。
諸葛瞻に関しては単に軍事的才能が無かっただけの話しだと思う。


290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 15:41:56 ID:ORT4sq+F0.net
もしかしたら黄権本人は亡命したけど黄一族が蜀内で結構力があったんだろうか
先帝が弁護してもやっぱり裏切り行為には違いないし罪を問う声が出てもおかしくないもんだけどね

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 02:01:07 ID:+q5kvhPh0.net
巴西出身だし、元々地元の有力一族でもあったんじゃね?
あとは黄崇の仕事ぶりが立派で何か言うのも下世話だろうとか

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 21:32:53 ID:Fn+ToQ4h0.net
黄権は撤退できなくなって呉はやだから魏に降伏したっていうけどイマイチ状況がわからん
撤退できないってことは蜀への退路がたたれたってこと?
呉が追撃するよりも早く魏の領土に逃げられるような状況だったのか?
どのくらいの軍勢ごと降伏したのか
呉は一時の感情で戦ってる敵だが魏は漢王朝を簒奪した不倶戴天の敵じゃないのか?

黄権はその後魏でどんな役職についたり功績を残してる?
謎なことが多い

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 23:00:48 ID:jcqu0CU20.net
>>292
黄権は夷陵から北上して、夷陵と襄陽とを結ぶ険阻な道に駐屯してた。
具体的には臨沮の辺りだね。
臨沮だと、夷陵城周辺が呉に取り戻された時点で、呉軍を突破するしか逃げる方法が無くなる。
上庸方面にも逃げられるかもしれないが、道が凄い険阻な上、結局魏領だから、
軍を率いて逃げられる道じゃない。

臨沮周辺にいる時点で既に魏領内に入ってるわけだし、呉に降る気がないなら、
少し北へ逃げて魏に降るのも選択肢としては有り得たと思うよ。

夷陵襄陽間の道は、三国時代には精々1,2万の軍勢しか進んだ記述が無いので、
全兵力を考えても、数千って程度じゃないかな?黄権の率いてたのは。

>>291
華陽国志巴志によれば、黄氏は巴西群ロウ中県の五大姓の一つだけど、
群全体、州全体てどれほどの影響力があった氏なのかは、自分には分からん。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 19:19:28 ID:UAEOvfhG0.net
>>293
状況はよくわかったが

呉は一時の感情で戦ってる敵だが魏は漢王朝を簒奪した不倶戴天の敵じゃないのか?

はどうなんだろう

魏を不倶戴天の敵と思ってたのは劉備と一部の腹心だけだったのかな?

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 20:38:04 ID:mspfbHID0.net
魏を仇敵に見据えたのはあくまでも諸葛亮時代からでしょ。
劉備時代は呉とは同盟とは言えない状態だったし。領土争いになれば魏とも呉とも
戦うというスタンスだったんでしょ。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 22:08:51 ID:UAEOvfhG0.net
そうなのかな?
むしろ劉備時代のほうが魏=曹操を仇のごとく思ってたイメージがあるんだが

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 22:33:39 ID:7XM1x1W70.net
劉備自身、魏を仇敵と思っていたかは分からないと思う。
「曹操と逆の行動を採る事で世の声望を集めてきた」とは語ってたけど、
曹操らを憎んでいたとは読み取れない。

対して当時の呉は、関羽を殺し、本拠地を奪い、重臣が東征を諌めても意に介さなかったほど劉備に敵視されていた。
しかも実際に戦端が開かれていたんだから、呉に降るより魏に降るのは普通にある事だと思う。
劉璋に仕えていた頃は劉備を警戒してたけど、劉備に仕えてからは、
劉備と強固な信頼関係を築いていたんだし、目下の仇敵と言える呉には降れないでしょ。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 22:34:14 ID:7XM1x1W70.net
劉備自身、魏を仇敵と思っていたかは分からないと思う。
「曹操と逆の行動を採る事で世の声望を集めてきた」とは語ってたけど、
曹操らを憎んでいたとは読み取れない。

対して当時の呉は、関羽を殺し、本拠地を奪い、重臣が東征を諌めても意に介さなかったほど劉備に敵視されていた。
しかも実際に戦端が開かれていたんだから、呉に降るより魏に降るのは普通にある事だと思う。
劉璋に仕えていた頃は劉備を警戒してたけど、劉備に仕えてからは、
劉備と強固な信頼関係を築いていたんだし、目下の仇敵と言える呉には降れないでしょ。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 22:57:09 ID:dGqPuEzF0.net
劉備は曹操の病死時に魏に弔問の使者を出した。
それを受けた曹ヒは「なにカッコつけてんだ。この逆賊が」という内容のことを小難しい屁理屈で述べて、使者を斬ったとか。
そんな話を聞いたことがある。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 22:59:50 ID:3FiKw21R0.net
>>299
まあまだ魏王朝じゃないんだし、同じ漢の諸侯王で三公の同僚の死を悼んでも不思議じゃない

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 03:07:51 ID:pQ11LliW0.net
なんだかんだで曹操も劉備もお互い死地を潜り抜けて国うちたてた人物だからなにかしら思うところはあったのかも
呉は孫策時代までなら上の両者と通じるとこもあるけど孫権時代からはなんかせこいイメージしかない

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 06:35:17 ID:4GUw57zvO.net
イメージをもつのが悪いというわけじゃないが、安易にイメージで語るなよw

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 14:31:49 ID:ZVa0mP130.net
ちゃんとイメージと断ってるから、いちいち絡むようなことじゃないと思う。

本当に問題なのは、自分のイメージを、さも真実のように語ること。
自分のイメージと事実を、混同・勘違いしてること。
2ちゃん含め、ネット上ではこの手の問題児が多すぎ。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 17:12:11 ID:6/Rzcxz+0.net
曹操、劉備は初代の人物。
人材や領土は自分で獲得していった創業者。
孫権はいちおうは父孫堅・兄孫策の跡を継いだ三代目。
人材も概ね孫堅・孫策時代に集まった人達が中心。
それと年齢的にも孫権は曹操や劉備の息子世代の年齢。
どうしてもある程度出来上がった体制の中でトップになってるから
ドラマ性がないから小説等にあまり取り上げられない。
それと、魏や蜀に比べると官僚の力が弱く、豪族の連合体的な色彩が強い。
だから強力なリーダーシップというよりも豪族間の調整が多かったのでは。
せこいというよりも創業のほうが守成よりもドラマになりやすい。


305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 17:27:41 ID:FdoKKBRI0.net
曹操と劉備の間の感情を探れる文とかある?

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 19:49:01 ID:lyGKxzfI0.net
孫堅と孫策にはどうしようもない断絶があるけどな。
実質初代は孫策だろ。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:44:55 ID:iIZZ0HC00.net
呉の公式見解としては孫権が初代だな。
孫堅や孫策は魏でいうと曹騰とか曹嵩のような位置付け。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 22:21:39 ID:Gy4rJ4hI0.net
いくらなんでもそりゃ無茶だろ
まあ曹騰は宦官で権力を金を握ってたが

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 23:32:12 ID:NXBGCnC50.net
孫権が帝位につくと、孫堅は追諡されて武烈皇帝、孫策は長沙桓王。
なんで孫策は皇帝じゃないんだろう

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 00:22:44 ID:Gnulgp3nO.net
孫策に皇帝号の追謚をしなかったのは…
孫策の息子がまだ存命だったため、
孫権の心境としては
「政治的に(いつか孫策みたいな人物だ」とか皇帝にもちあげられたりすると)やばいし」って感じだったのかも。
ただ陳寿は「この扱いは道義に欠ける」と思ったようだ。
ただし孫晧が「孫策のような…」と比喩され皇帝になったし、(開祖の孫権ではなく孫策にたとえるあたり)
兄の武勲はやはり大きすぎたんだな。
ただ孫策は曹操や劉備と較べると創業に費やせた期間が短くそのため必然的に得た領土も少なかった。
そのため孫権もゼロからの、とはいかないがある程度の創業を迫られた。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 07:49:11 ID:/pO91oa60.net
曹操や劉備にそのようなオヤジやアニキがいればずっと楽だったろうな。
恵まれてる割に大したことはしていないのが孫権がショボいイメージをもたれる一因。
赤壁や夷陵といった危急存亡の戦役を他人に丸投げしちゃうあたりがもう駄目。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 14:30:17 ID:Gnulgp3nO.net
揚州は確かに発展の可能性がありそうな地ではあるが、恵まれている、とはいえまい。
北来の名士や地元の豪族、また孫家を凌ぐ家格の周氏など、君主権を脅かしそうな輩の多いこと多いこと。
そういう連中を司令官に抜擢しないと軍はまとまらんぜ、そりゃ。
しかもたとえそういう連中を抜擢しても古参衆が文句を言う。
てか赤壁はともかく夷陵は劉備の無謀で、
まあ確かに英雄劉備がくるのは恐ろしいっちゃ恐ろしいが危急存亡なんて事態ではない。
諸葛亮の北伐は確かに厄介だったろうがまさか魏帝や魏臣が「この国滅ぶんじゃないか?」なんて思ったわけじゃあるまいし、
日本軍の神風特攻は恐怖にしても「アメリカ負ける!」と思ったアメリカ兵はいないんじゃね?
戦時中、陸遜が孫権へ上奏した文には劉備の用兵は欠点だらけ、とあるし陸遜が終始冷静だったところをみると
開戦前から勝算というか、「負けない」という自身はあったんじゃね?
また赤壁についても江表伝には孫権の「万一の場合退いて私と合流せよ、私が曹操と対決する」という発言もみられるから腰抜けというわけでもない。
そもそも自分より軍事的才能に恵まれた臣下に戦争委任することのどこが気に食わないのさ。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 22:53:53 ID:AVHSY8940.net
実際がどうだったか、という事よりもイメージの問題だからな。
後世でマイナスイメージが持たれたってだけの話だ。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 19:44:28 ID:r4KyBZFK0.net
確か曹操は「子を持つなら孫権のような子が欲しい」といったて話しがあったな。
孫権自体も政治・軍事でも能力があるし、賢能の臣を巧みに用いてものは事実。ただ
晩年は後継者争いを上手く裁くことができず、滅亡の遠因を作ったのも確か。まあ正史
の評の通りだね。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 20:24:28 ID:ILM8UvSp0.net
そろそろ蜀に戻ろうぜ。
黄権の話が宙ぶらりんだな。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 21:24:14 ID:KoqCNGOp0.net
>>312
孫権に前線で会戦を指揮して勝利をぶん取る実力があれば、
豪族の合議的政権から一歩飛躍出来たろうと言ってる。
即亡国ではなくとも土地を奪われる可能性だけで十分脅威。
例え勝算を立てるまでの手配に孫権が大きく貢献したとしても、
実際の戦場における戦果を他人に与えてしまっては「曹操や劉備に勝った○○」という存在を作ってしまう。
後方指揮の総大将が悪いとは思わんが、求心力の微妙な家柄でそれを使うのは国を割りかねない。
そのような指導体制を選択したことには疑問を呈さざるを得ない。
孫氏の主権と権益は孫氏の人間のみに守られるべきだ、とは思う。他の誰によってではなく。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:10:17 ID:ILM8UvSp0.net
そうそう、黄権が孫権と間違えられてるって、どんな話だっけ?

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:42:31 ID:/b99/RjZO.net
ちくま文庫正史三国志だと皇帝曹丕のもとに
孫権と誰だったかもう一人の投降者が出向いた、ってあるらしい。

しかし誰かが
「孫権は自分の息子すら人質に出そうとしなかったのに、
自分から出向くなんてありえないだろう」
と思って調べたら
「ああ、これ多分黄権だわ」と結論づいた。
ちなみに俺がもってる徳間のほうには黄権とある。
ちくまは持っていないが誤植が多いときく。
…が、いくら原文には名しか記されていないといったって
孫権が曹丕のもとにいったというのは無理のある話だろうにw

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 00:47:38 ID:6OQk9HDe0.net
ああ、そういうことか。文帝紀の黄初三年に記載があるね。
蜀の大将黄権が降伏したというところの注釈なんだから、
どこをどうしても黄権以外にありえんよな。
ちくまの訳者はなんでこんなイージーミスしちゃったんだろ。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 01:04:36 ID:7+vzAw8L0.net
文庫化される前の、世界古典文学全集(昭和52年刊)に入ってる奴を借りてるので見る。
・・・孫権が曹丕の車に参乗したらしい

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 02:44:36 ID:GLAiwjYj0.net
原文を見ると
「権及領南郡太守史コウ等〜」
と書かれており、権さんの姓が書かれてないんだよね。
でも、内容的に孫権はありえないし、
注の位置と、権が鎮南将軍に任じられたことを蜀書で参照すれば、
この「権」が黄権を指したものなのは明白。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 11:57:45 ID:6OQk9HDe0.net
てことは、この南郡太守とやらも蜀の人間か。
主立った者だけで百人以上ってすごいな。黄権がそれだけの地位にいたってことか。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 16:46:40 ID:GiS1hU2t0.net
東征に関する劉備の方針に反対するとなんらかの制裁が当時はあったみたいに
感じられる。方針に反対の途端に別働隊にされて逃げ遅れ、趙雲も反対したら国内
に留められている。趙雲が劉備の生きていた時は地位が低かったのは劉備の方針に
反対したのも大きいのでは。長阪で夫人と皇太子を救った功績を考えると地位低す
ぎでしょ。それでいて劉備の死後は征南将軍に、程なく鎮東将軍に短期間で昇進し
ている。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 17:48:52 ID:NAQCKuyMO.net
わざわざ黄権や趙雲を出して推論言わずとも秦フツ(秦ミツだっけ?)投獄が一番顕著でわかりやすいじゃん。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:28:19 ID:3InGbGAcO.net
秦フクだったか失敬

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 19:33:28 ID:26mroLTK0.net
秦宓で合ってる?

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:36:02 ID:bqyVHU3D0.net
■最強は■五虎将軍■誰だ■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1188962254/

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 10:33:55 ID:bQIym4wR0.net
諸葛亮は東征に反対だったのかな?
荊州を奪還すること自体は賛成だったのかもしれないな。
ただ遠征軍の総司令官は大して活躍した記述がない奴だし、知謀の法正亡く、黄権は
別働隊にしてしまうしとない、張飛は遠征前に死亡。
馬超、趙雲、魏延といった名将は参加せず。将校の力量でかなり不安は感じてたかも。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 13:15:29 ID:3ISuHZOo0.net
http://www.nicovideo.jp/watch/sm204631

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:52:13 ID:wDCZh0k30.net
劉備にしてみたらあれは敵討ちの名目でちょいと脅かせば荊州ぐらいは捨てて逃げるかなぐらいの感覚だったのかな
いかに反対が多かったといえど陣容が貧弱すぎるだろ

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:27:57 ID:gbt6yGeg0.net
怒り狂って周りが見えなかったとしかいいようがない
劉邦のスイ水の戦いぐらいみっともない敗戦だと思う

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:49:24 ID:NMFeSnxh0.net
将校の力量とか陣容が貧弱とか何を根拠に…。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 21:57:10 ID:mIsQUBVR0.net
荊州の重要性を考えれば、勝算は少なくても戦いを挑まないわけには、
いかなかったんじゃないかな。

荊州を失えば、中原進出の望みも一気に断たれるし。

334 :テンプレは ナポレオン-獅子の時代-:2007/09/08(土) 05:14:29 ID:J4FTqCi10.net
劉備「よくも余から荊州を奪い兄弟を奪い面子まで潰してくれたものよ。
     おかげで目が覚めたわ」

呉の使者「かっ返します、荊州の城も関羽の首m」

(ズバーッと切り倒される呉の使者)

劉備「返しちゃ駄目だろう。
     劉備は奪うのだ
      返却など
       受け付けんっっ!!」

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 08:27:27 ID:k8d+mS430.net
>>331
孔明の北伐と比べると貧弱に見える
将に関してはあそこで死ななければ名将になれたかもしれないけどな

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:55:13 ID:xRy6bexu0.net
もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189212296/

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 14:37:14 ID:Q6oeraLcO.net
イリョウの戦いで失った人材で特に惜しいのは黄権と馬良だと思うんだが、この二人はイリョウ以後も蜀にいたとしたらどういうポジションにいたのだろうか?
北伐の参謀、孔明北伐の際の内治の要などいろいろ考えられると思うのだが

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 16:39:58 ID:d8eFe5UjO.net
>>328
遠征軍の将帥は劉備。当時では無比の実戦の雄。
その部将は確かに小粒に思えるかも知れないが、どっちにしろ
遠征軍の規模は数万程度なので関張ら都督クラスである必要はない。
どっちにしろ蜀には劉関張以外に大した将器はいないし。

この敗戦は陸遜が防備に徹し、臨機に反撃を仕掛けたため。

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 16:46:20 ID:lOb4+i2K0.net
呉班とか夷陵でも北伐でも活躍してるじゃん

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 04:07:21 ID:Zq8iHzD30.net
>>328>>330
将校の力量が不安、陣容が貧弱なのではなく、
単に中心人物たちの史料がほとんど残ってないだけ。
この時点での具体的な記述の少なさは、魏延だって似たようなものだし。
ただ、この戦いで死んだり、以後の活躍が残ってなかったりで、
他に判断材料が無く、パッとしないように見えるだけ。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 11:03:36 ID:ZddVnL/N0.net
>>338

劉備は実戦経験は豊富だけど戦績はかなり悪いぞ。
漢中戦は法正がいたのと、曹操自体が漢中支配にそれほど熱心でなかったから。
そこら辺を考えるとかなり不安材料だよ。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 11:32:27 ID:xEOFZvSaO.net
>>341
だが、大軍を統轄できる将帥としては蜀で唯一の人物。
劉備の戦歴を見ればわかるが、常に最前線で軍を率いてる。
勝率の悪さは前半生における地盤の弱さも要因となるし、
事実荊州以後はほとんど負けてない。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 11:53:37 ID:ZddVnL/N0.net
それって諸葛亮やほう統、法正が家臣になってからの話しだよ。
諸葛亮は国内、ほう統・法正亡き状態ではやっぱ不安が・・・・・・・・・・・・
おまけに戦略に長ける黄権まで別働隊に追いやっちゃうしね。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 12:21:50 ID:gM1MEcSS0.net
それは諸葛亮ら謀臣に期待しすぎ。
個人的能力なんて実戦においてはほとんど大勢に影響を与えない。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 12:59:53 ID:xEOFZvSaO.net
>>343
ちょい話が噛み合ってない気がする。

要するに劉備は蜀で唯一の「十万人の将」
それに代わる人物がいなかった。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 06:17:02 ID:MmJ0XIQA0.net
うーん?
ただ兵員を出せば戦争できるなんてことはないぞ。
作戦がまずいと大損害になるしね。
事実大敗だったジャン。
つまり個人の力もば主将・幕僚クラスだと影響甚大なんだよ。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 10:12:53 ID:kvOFsREoO.net
統率力とか洞察力とか実行力とか、確かにリーダーとしての資質は必要。
もちろん、劉備にはそれは備わっているし
その意味でも当時では屈指のリーダーだった。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 11:17:37 ID:7FM7M+zW0.net
どんなに優秀でも勝てない戦いが勝てるようになったりはしないってことだよ。
勝てない中で勝てないなりに損害を抑えるのが優秀な人間。
優秀でなければ勝てる戦いでも勝てなくなったりするが、
将帥がポカやっても輔佐がカバーするから個人的資質は結局あんまり関係ない。
夷陵の戦いではそういう個人的な失敗は見られないし、
そもそも開戦の決断を下した時点で勝利の見込みはなく、間違っていた。
で、それでは蜀の首脳はなにを見込んで開戦に踏み切ったかが問題になってくるわけだ。

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 13:57:06 ID:rakN4AYNO.net
とりあえず荊州方面からの侵攻ラインは確保しておきたかったんじゃね?
ぐらいしか分からん
天下三分は荊州・益州の二正面ラインがあって初めて成立して
益州一国じゃ話にならないのは孔明が証明してるし

あのタイミングで動いたのは魏は曹操の後継云々・呉は呂蒙の死で蜀が多少弱っても攻めこむ余裕は無いからか?
結局劉備の最終的な戦略が分からないから推論の域を出ない
結果だけ見るなら、、、馬良の代わりに馬謖が死ねば良かったのに

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 13:59:46 ID:FM1XHNvY0.net
そもそも劉備は政庁を公安に戻すべきだったのでは?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 14:07:09 ID:kvOFsREoO.net
荊州は鼎立戦略のまさに扇の要。
蜀の国是としては親呉だが、それを壊してでも奪回したかったのだろう。

憶測を追加するなら、大器の将帥の不足する蜀にとって
劉備存命中に可能なだけの勢力伸張を図る必要に迫られていたのかも知れない。
事実、劉備の死後、蜀は結局拡大できず滅亡してる。

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 15:44:31 ID:xvmu6Nqn0.net
荊州は、蜀漢政権の上層部の多くを占める、荊州人の故地という点も見逃せないね。
故地荊州の奪還を望む声は、かなり大きかったんじゃないかな。
主力となった、馮習、張南、傅ユウ、輔匡あたりは荊州人だし。
彼等は故地奪還という目標もあり、戦意が高かったんじゃないかな?
逆に、反対した趙雲、秦ミツは非荊州人。
荊州出身者で、反対した記述が残る人って他にいた?

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 18:48:58 ID:hUZtRwyT0.net
逆に荊州組が少なくなった時期に荊州からの侵入を唱えた蒋琬が浮き上がったな。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 20:31:34 ID:7MDIFcyI0.net
荊州人というのは大概がそこの豪族だったりするから荊州が失われれば彼らが
そこから得ていた収入とかも益州だけで補わなきゃならんかったのでは?

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:36:23 ID:jP7YTHjl0.net
孔明は見る限り強く反対も賛成もせずに傍観って感じがするな
蜀将としては作戦としては反対だが荊州人としては奪回してほしい気持ちもあったのかな

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 08:27:56 ID:Lgnz+O8z0.net
ていうかさ、荊州奪還作戦ってそんなに反対するほど勝ち目の薄い作戦だったの?
俺なんかはまだ統治の終わってないうちに取り返す絶好の機会だったと思うんだけど

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 09:21:44 ID:jlmN/MQA0.net
鉄は熱いうちにたたけ

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 09:31:29 ID:fUs+yd0qO.net
どんだけ暗愚ばっかだったってはなし

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 12:27:33 ID:7LzcQhVM0.net
>>356
おれが書いた>>348への指摘だと思うんだけど、蜀の首脳陣はほぼ全員が荊州人で、
荊州の現地民も彼らの帰還を望んでた者は多かったと思う。
だから356のいうように最善の契機であるというのは大賛成なんだが、
現地民が呼応してくれるんじゃないかという淡い願望以外に、
具体的なプランがあったのかというと、劉備の布陣を見ても読み取れないんだよな。
おれは将帥のポカを補佐がカバーすると言ってるが、
この夷陵の布陣に関してだけはそのカバーすら見られなかった。
曹丕の指摘したマズい布陣は遠征軍の総意だったんだと思う。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 16:51:13 ID:krMLp2yr0.net
何のための布陣か分かって言ってるのかwwww

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 20:04:07 ID:d2g+AfgA0.net
>>359

だから将帥の力量が問題だったんだよ。
黄権あたりは気づいたていたんだろうけど、補佐役にするどころが別働隊に左遷だからね。
馮習が総司令だったみたいだけど、正直数万の軍隊を統率したことなんかないのでは?
漢中戦は劉備の補佐役に法正と黄権がいたからね。
その1人は既に亡く、もう1人を左遷だから大敗も仕方がないよ。
後は大した将軍はいないのだから。全体がどうなっているかも把握してなかったのだろう。
勢いに乗ってそれぞれ進撃した結果がおかしな布陣になったのさ。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 22:08:36 ID:7LzcQhVM0.net
大した将軍がいないという点は根拠不足だね。
それに黄権は作戦を俯瞰的にみてかなり責任の重い任務にあたっており、
これを左遷というのは当たってないと思うよ。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 05:10:20 ID:1r5Tr24n0.net
初戦の勝利で江陵貰って和睦しておけば良かった

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 09:00:42 ID:3yCzB4hW0.net
というか将帥の力量って言うけど劉備や将帥達がただただ勝利に酔って危うい布陣も気付かなかったってのはおかしくないか?
陸遜が持久戦に徹した以上劉備側としても補給線の確保は必要だと思うし。
まあ結果として大敗したうえ軍の退路は塞がれて壊滅、将校レベルの人材が相次いで戦死したし
>>359の言うように魏を介入させないほど速く荊州を奪える具体的な計画があったかっていうと疑問だと思う
そうなると>>363の通り和陸が一番良いのかもしれないけどそうすると結局北伐ルートは確保できないし、
国力は減ったまま、荊州閥への影響もあるしそもそも和陸という選択肢は無かったんじゃないかと思う
こうやって考えてみるとやっぱり荊州失落は相当デカかったんだなあ・・・って思う

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 19:24:30 ID:BaC/hOkH0.net
荊州を関羽に任せなければならない時点で人材不足。
本当なら諸葛亮が荊州に残るべきだったんだろうけど、手に入れて数年の
益州を安定させるには諸葛亮の政治能力が必要だったんだろうな。
関羽は単なる勇将だからな。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:25:21 ID:lCIWEHgM0.net
現代歴史を知ってるからそういえるわけで当時を生きてる人間は関羽以外適任はいないと思ってただろう
地方を任せる将になるとどれだけ劉備に尽くしてきたかというのも重要だと思う
関羽>張飛>ビジクら譜代>法正や孔明などの信用されてる新参>その他新参
ぐらいだったんじゃないかな

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:27:06 ID:B6n6tBtq0.net
ただ治めるという事に関しては関羽もしっかりやってたわけで
ただの勇将は言いすぎ

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:38:55 ID:lCIWEHgM0.net
俺はむしろ関羽が越権?して孫権との独自交渉してたほうが責められるべき点だと思うけどね
ビボウシジンへの罰はむしろむしろ甘いほうだろうし
劉備は孫権と関羽のやり取りはしってたのか

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:49:38 ID:E30m/pF50.net
関羽の独断だろう
政治的能力がなさすぎた

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 21:56:29 ID:p2O0+T6/0.net
孫権の方が無茶な交渉持ちかけて関羽は頑としてクビを縦に振らなかっただけやん。
妹と劉備が破談となったから今度は関羽殿の娘とワシの息子を結婚させましょうとか無茶にも程がある。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:21:42 ID:NgzMGvVYO.net
そもそも主君を介さずしてその配下に直接縁談持ち込むのもねぇ…。
諸葛瑾が荊州問題関係の使者として派遣されたとき、
荊州素通りして成都いったことからして
関羽に外交の権限があったとも思えない。
だから関羽としては主君の劉備の裁可なくしては荊州問題に関しては否と言わざるを得ない。
また劉備にしても荊州を返すつもりなど毛頭なかったしね。
そもそも呂蒙や魯粛死後の孫権の対劉備強硬姿勢は、
外交における関羽の態度が気に食わなかった、
というより呉の戦略によるものだったと思う。
荊州失陥にしたって、これはそもそも呂蒙の権謀術数と電撃作戦が神懸かっていた、と呂蒙を評価すべきで
関羽に責任があるとすればどうにも人心掌握仕切れていなかったことくらい(にしたって、「関羽からの兵糧輸送要請」に対する
麋芳や士仁の態度・対応はよろしくなかったと思うが。)

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:39:09 ID:p2O0+T6/0.net
孫権の関羽にたいするやり口というのは、赤壁直前に曹操が孫賁・孫輔を引っ掛けた方法に似ると思う。
相手がた重要人物に高い官職を与えたり、縁談進めて君主との分断工作を図るというやり口。
関羽は良い意味で馬鹿(兄者一筋)なので引っかからなかったけど。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 23:24:42 ID:OcgDBEu70.net
関羽北上って蜀軍として決定事項だったの?
もしもそうなら誰が荊州担当しても結果は同じじゃないかな
孫権は荊州取る気満々なんだからさ

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 06:29:19 ID:90mkb8nT0.net
北上自体よりも油断して後方の守備を手薄にしたこと。
後方支援の人間と不和で裏切りそうな人を増やしたこと、呉の孫権との
友好関係という外交を考えなかったこと。守備が堅く頑強に抵抗したら
呉の手に落ちることはなかぅった思われる。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 06:33:19 ID:Rv4iU1j00.net
少なくとも于禁を倒した時点で引き返していれば取られる事は無かった。
その場合、荊州から北上して天下を伺うのは困難になる。
しかし、涼州を伺う劉備の動きを考えれば、一度退いても良かったのかもしれない。

人事に関しては陳寿の言葉が至言。

呉との外交に関しては端っから罠なのでコレは仕方が無いと思われる。


376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 14:55:41 ID:1VI5KbZs0.net
単に上官と仲が悪いくらいのことで寝返ったりしないよ。一族皆殺しにされるし。
史書には書かれてないが、もっと複雑な事情があるんじゃないか。
たとえば荊州の土着勢力を代弁してたとかさ。
夷陵にしてもそうなんだが、麋芳・士仁・張南・馮習あたりは
他の誰か(劉備とか関羽とか)の過失を全部おっかぶせられてるような気がするね。
その証拠に呉側の記録じゃ潘濬は賢者だし、士仁も好漢のように書かれてる。
輔臣賛じゃめったくそだよな。

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 16:42:50 ID:TbBX8JP90.net
>>376
麋芳・士仁は呉側の記述でも「説得されて降伏した」程度の存在でしかないし、
士仁も涙を流して降伏してるって程度で、そもそも好漢エピソードかどうか疑問だ、
場合によっては内通してたっていう記述もあるし。
潘濬は確かに輔臣賛では言われ過ぎだが、それ以外では記述は無く
特に過失を負わされてる訳じゃ無い。
張南・馮習は呉側でも殆ど記述無く、擁護もされてない。

また蜀書とは反対に、呉で活躍した潘濬は呉書では良く書かれるのは当たり前だし
投降者も多少は良く書かれるだろうに、それでも別に良くは書かれていない訳だから、
>もっと複雑な事情があるんじゃないか。 たとえば荊州の土着勢力を代弁してたとかさ。
とか
>他の誰か(劉備とか関羽とか)の過失を全部おっかぶせられてるような気がするね。
とか言う証拠というのは弱いんじゃない?

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 17:32:57 ID:1VI5KbZs0.net
ああ、「その証拠に」って書いたのが誤解されちゃったみたいだね。
文は前後してるけど、ここで言ってるのは輔臣賛の記述が疑わしいことについて。
輔臣賛は潘濬を極悪非道の裏切り者扱いしているけど、
呉書では進退窮まってやむをえず降服したことになってる。
泣く泣く投降したという点では士仁やカク普も同じだよな。
もちろん呉書の記述も当人を美化していてそのままには受け取れないんだが、
それにしても輔臣賛が物事の一側面しか語ってないことは明らか。
で、輔臣賛では語られなかった、もう一方の側面に、
なにか重要な事実があるんじゃないかと思うわけ。それが何かは分からないけどね。
たとえ話として関羽や劉備の敗戦責任が、彼らに転嫁されている可能性も十分にありうる。
それはともかく、輔臣賛やその注では関羽との不仲で寝返ったことになっていて、
やはり事実の重要な一側面をざっくり切りおとしていることは否定できないよ。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 20:29:03 ID:PJZnE8rr0.net
荊州は馬超が守っていれば絶対大丈夫だったよ!
だって関羽よりずる賢こそうだもん。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 20:41:41 ID:OHCu2wfN0.net
何でも陰謀史観で語る奴って疲れない?
士仁とか言われてる通りの糞だろ
降伏してからまずまず慎ましくやったというだけ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 21:52:27 ID:Rv4iU1j00.net
呉書も輔臣賛も同程度にいかがわしいと思うけどな。
少なくとも並べた時にどちらか一方を正統とできる様な資料じゃないと思う。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 21:59:18 ID:r0sdyN6l0.net
で、重大な側面があったら何なの?魅力上げるの?
涙流そうと裏切りは裏切り。それ以上でも以下でもない

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 22:12:51 ID:loWL8WBZ0.net
賛と史書を同列に扱う奴がいることに驚きを感じる。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 22:17:37 ID:Rv4iU1j00.net
賛にしか載ってない人物すら居るからな。
そもそも資料がすくねぇんですよ。
蜀の人物は。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 23:26:52 ID:loWL8WBZ0.net
>>384
何か勘違いしてるだろ
楊戯の季漢輔臣賛はあくまでも賛でしかなく、
季漢輔臣賛で初めて紹介されている人物についても賛しか著してない。
費観とか王謀らの賛以外の記述は陳寿が著したもの、楊戯の季漢輔臣賛じゃない。
そのことは「戯は延煕四年に季漢輔臣賛を著した〜云々」
と、ちゃんと楊戯伝に説明されてるだろう。
そりゃ陳寿の著した部分と呉書は同程度の価値があると見ていいが、
季漢輔臣賛と呉書が同程度の価値なわけない。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 00:01:08 ID:GlCxD1cT0.net
>>385
そういう意味か。そちらの言い分が正しいです。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 01:28:28 ID:MJ437q/mO.net
糜芳にしても士仁にしても劉備が(少なくとも間接的には)信任した人材。
さほどに駄目な人物ではなかったと思われます。
というより、包囲されてやむなく降伏したというのが真相でしょうね。
荊州人士の意向として「戦乱は回避したい」というものがあって
それを無視できなくなって降伏したとも考えられます。
荊州地内には蜀要人の家族なども在住していたでしょうし
その人々の安全を確保しなければならないなどの事情もあったのでは?
これなら蓋然性もあると考えますがいかがでしょう?

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 10:49:13 ID:yFBMtM/G0.net
劉備が信任した人材だから、さほど駄目じゃないっていうのは?な論理だし
>というより、包囲されてやむなく降伏したというのが真相でしょうね。
というのは飛躍しすぎだと思います、呉書の注釈部分や蜀書はどうなるのかと。
また荊州人士の意向を汲み取ったという〜という部分は想像の範囲内でしかなく、
悪く言えば糜芳や士仁を擁護するための想像の部分が多すぎて、あまり賛成は出来ませんし
さほど蓋然性は無いと思います。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:33:40 ID:qocxl66w0.net
>>380
言われてる通りの糞だという確信はなにを根拠にしてるんでしょ?
史料に書かれた内容を無視することと、史料の真実性に留保することを同列にしてはならんよ。

>>382
裏切りをしていないとは言っていないんだけどね。
おれが言っているのは裏切りの背景に留意すべきだということ。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:20:20 ID:E/RTfcGQ0.net
劉備が糜芳、士仁を信任したなんて、なんてお前のnounaiだな

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 13:12:41 ID:0hAZMOJF0.net
>>390
糜芳は糜竺の実弟だし、士仁も
「傅」士仁と呼ばれるように劉禅の
教育係だったから、劉備の信頼度は
決して低くなかったはず。

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 14:41:42 ID:469AnmtCO.net
ただの衍字からそこまで発想できるとは脱帽するしかないわ

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 17:16:31 ID:LMjgOD7C0.net
>>391

士仁は劉禅の教育係だったけ?


394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 17:21:43 ID:+1ck2GQL0.net


395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 17:23:13 ID:tOmSXNU/O.net
>>392
じゃあお前は信用してない人間に重要な拠点を任せるんだな?

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 19:42:19 ID:Qb6BCcay0.net
劉備は連中をそれなりに信用していた。
連中もそれなりに劉備に信用される理由を持っていた。
ただ劉備は麋芳を好んでいなかったし、彼の起用が実力者を妥当な
配置に置いた、劉備が常にそういう起用が出来ているというわけでもない。
 
二人ともかなり劉備とはかなり付き合いが長い(これが理由か)みたいだが
記録から能力まではわからない。潘濬はともかく。

関羽は呉人を田舎者を侮蔑していたが劉備も似た感覚を呉人にもってたの
かもな。まぁ関羽置いてあとあいつら付き合い長いし大丈夫だろ〜
呉人なんて田舎者、適当にあしらってまた漁夫の利をとかそういうノリ
じゃねーかな。 多少舐めてた感はありそうだ。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 19:54:41 ID:LMjgOD7C0.net
>>376

馮習は「季漢輔臣賛」で敵を軽んじたみたなこと書かれていたな。
諸軍を統率していた立場を考えると、蜀軍全体が呉を侮っていた感じはするな。

それと、麋芳・士仁は単身赴任でなければ、荊州が呉の領土になれば少なくとも
自分の直系の家族は助かる。裏切り者はあんまり親戚のことは考えないよ。呉にして
みれば戦闘することなく降伏してくれたらいい人だよね。呉にとっては。


398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 20:14:17 ID:scPG9XDo0.net
緒戦で勝ってたからおごりが生じたんだよな。
呉側もそれは分かってて、演義のように計画的に引き摺り込んだ訳ではない。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 01:55:47 ID:7cate2id0.net
糜竺は心底劉備に惚れて行動してたけど、麋芳は何となく付いてただけだろ

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 10:40:37 ID:u6Ejoxdl0.net
季漢輔臣賛って人物によっては全然賛えてないよね。
季漢輔臣賛を賛える。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 19:00:05 ID:Xji+c2ck0.net
何となくで死線を掻い潜りながらの諸国放浪はできないだろ。
厨房の家出とは訳が違うんだぞ。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 19:36:46 ID:uW2mVtcr0.net
劉備と諸国放浪した麋芳が簡単に裏切ったのは意味深だよ。
関羽と余程不仲で身の危険を感じていたのか、積年の不満が爆発したのか?
魏の于禁も予想外にあっさり関羽に降伏してるから人間どこでどうなるかはわからない。
人間の行動なんてその時にならないとどうするかは解らないのだろう。


403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 19:44:41 ID:6rCjXYXTO.net
長年つとめた会社をふとしたきっかけで辞めるのと同様で
それが命にかかわる事態なら尚更なんだろうな。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:03:39 ID:bQbLZ4jXO.net
やはり麋芳らは、
徐州の陶謙が魏側の記録では悪人として、
呉蜀側の記録では善人として書かれたのと同様、
政治的な事情で、呉蜀間において扱いが若干違う。
ただ陶謙の場合は、魏呉と関係しないところで言動や行動がみられるから、
そこからある程度人物の「核」となる像は想像出来るけどね。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:35:11 ID:HDgmhSde0.net
麋芳てそんなに評価に違いあるか?

劉備からは疎まれぎみ、関羽とは上手くいかなかった。
武よりの人間だった。
北方では一定の評価は得ていた。
なんやかんやで富貴な生活を捨て劉備最低時代をも見捨てず苦労を
共にした。
呂蒙に降伏した。守備連中は概ね防衛意識が低く下るものが多
く関羽のため援軍の見込みが厳しく勝率は0%であった。
虞翻にゴミ扱いされて自ら恥じた。

虞翻は于禁含め、降伏したヤツは糞扱いなので麋芳だけではない。
基本的に、儒教観念含め降伏して直系の祭祀を残すこと、
無益な戦火を広げることは悪とは見なされない。
篭城てのは援軍の見込みがあって初めて成立する。あの状況だと
文字通り戦火を広げる足掻きにしかならない。

麋芳は糞のような男でもなくごく一般的な一武将だったんだろ。
あの麋芳の状況で降伏は不自然でもなんでもない。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 22:51:56 ID:uvNkcWFTO.net
劉備に疎まれてたってソースは?

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 23:15:04 ID:ipNAe+Sb0.net
>守備連中は概ね防衛意識が低く下るものが多

コレはどうみても麋芳と士仁のことだろ・・・
もしそれが下は兵卒から上は支配階級の官僚・士大夫まで
蔓延していた空気だったのならその責任は守将にあるだろ

うはwwwwww敵が攻めてきたWwwwちょみんなヤル気ねwwwwwおk降伏www

↑こんなのが通るわけがないw
普段から軍規を正して士気を維持するのが将たるものの役目

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 00:10:50 ID:z7iYUPuN0.net
関羽伝を信じるならば自分の個人的感情による職務怠慢で
自分の身を危うくして孫権と通じる訳だから、救いようが無い。
季漢輔臣賛に添えられた陳寿の記述もそんなスタンス。
さらに呉書の注釈を信じるなら南郡での失火とミスを犯して、
そこを責められて逆恨みしてるのだからさらに救いようが無い。
ただ呉書の他の部分のスタンス自体は単に降伏したって程度の記述に留まっており、
別に善人でも悪人でも無い風に書かれてるな、ただ虞翻伝を見ると器は小さそう。

けど実際の麋芳はどうだったんだろうね、個人的な感想を言えば苦労の割には報われてない感じはする。
劉備の親戚としての地位は元々微妙だったのに劉備が呉壱の妹を娶ってるせいでさらに微妙になってるし、
兄の麋竺が劉備の側元で諸葛亮より上の待遇を受けてるのに、麋芳は要衝の太守とはいえ
前線で特に位も与えられず、ソリの合わない関羽の下に配置されてるってのは結構な差だと思う。
故郷と立場を捨て、曹操に与えられた地位さえも省みず
必死に劉備に付いて行ったという苦労を思えば、麋芳は自分の立場に不満だったのかもね。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 09:26:04 ID:lUZxQyDhO.net
>>337
誰も答えないね
自分が思うに黄権は北伐の別動隊の司令官クラスかな
馬良は留守番のトップクラスかと思う

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 09:55:03 ID:tZKOf2IcO.net
>>408
それはあるかもね。
兄をはじめ、孫乾や簡雍など同僚が栄達していく中
自分は荊州で留守番のまま爵位も上がらなかったとすれば
今までの忠勤に虚しさを感じるのも無理ないだろう。
しかも直属の上司とソリが合わないとくれば
現れた呉軍に下って新たな人生を拓こうと考える事もある。

破竹の勢いで拡大していった劉備軍の、組織としては小さな綻びが
大きな波紋を広げるきっかけとなったのだろう。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 11:10:21 ID:3KEbPwNf0.net
直属の上司の関羽は、以前は麋芳にとっての上司ではなかったはずだよね。
正史において、関羽は劉備に兄事したが、外では上下の区別をはっきりつけていた。とあるし。
席次でいえば外戚の麋芳とは同格か、劉備の部下である関羽の方が下だったはず。

そういう状態だった物が、麋夫人が死んだ事で解消され、後に公的にも関羽の下につく事になる。
また穆夫人を迎えた事で、今度は完全に家臣団の一人として組み込まれる。
関羽は関羽で完全に上司風吹かせて、命令不服従を理由に「帰ってきたら殺してやる」と捨て台詞を残して出征。

当時、麋芳がおかれた立ち位置って余りに微妙だよね…

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 12:46:47 ID:QYqUS3RZ0.net
御曹司に生まれながらも、流浪の傭兵軍に加わって敗走の繰り返し、
せっかく得た荊州という新しい基盤で結構な地位に就くも、
やがて古参ヒゲヤクザの台頭とその傲慢により、波乱万丈の人生に栄光と没落の転機が訪れる…
「ビホー&あたふたー」って感じだ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 17:05:36 ID:3KEbPwNf0.net
曹操の誘いを一度は断ってるんで、劉備に傾倒していたはずだけど、
兄貴が財産を放棄したせいで、なし崩し的に劉備軍に加わっていたとするなら、かなり悲惨だなw



414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 21:21:18 ID:BJNdqNMB0.net
( ´w`)<大改造・麋芳アフター、ナンチテ

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 04:49:59 ID:YE3rx7BiO.net
川相さんのザ・ワールド長すぎ

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 09:31:05 ID:VqX89RLV0.net
>>414
さぁ、自首しようか

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 11:56:56 ID:AidprSBk0.net
( ´w`)<横柄な王平、ナンチテ
( ´駄`)<ケ良はケ家の棟梁、ナンチテ
(:;@梵@;:)<羅憲の裏拳、フヒヒ

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:06:10 ID:HfrWbYsPO.net
霍峻は結構凄いと思うんだ

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 22:14:15 ID:1If6xMEw0.net
>>409
黄権はともかく、馬良はそこまで有能かね?
呉への使者や異民族扇動を任された所を見ると、弁舌などは評価されていたようだけど。
劉備の属官として召し出され即位後も侍中と、あくまでも側近を歴任してる所を見ると、
夷陵で生き残っても劉禅の侍中(+何かしらの官位)として補佐する程度で、
北伐時の留守番はやはり蒋エンに一任されるんじゃないかな。

その前に呉との関係修復の使者に選ばれる…か?

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 09:26:58 ID:Jk23793a0.net
>>417
>>417
>>417


421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 18:23:52 ID:jhIZiR/DO.net
>>419
馬良って軍事的才能はどうなんだろうね
それと馬氏五常の長男次男三男はどうなったか誰か知らないか

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 19:23:26 ID:SiGffePk0.net
>>419

若くして侍中になったくらいだから有能では?
軍事的才能は不明だけどね。
文官としては有能だったんじゃないかな。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 20:35:42 ID:w+IwSx+d0.net
有能無能ってより、劉備に気に入られたから左将軍掾として召抱えられ、
劉備の皇帝即位に伴い侍中になったんでしょ。
侍中に任命された後にやった事と言えば職務とは全く無関係の異民族扇動だし。
軍事的才能は全くの未知数だし、政務に関しても詳細不明。
ただ孔明が敬服するだけの文章・弁舌の巧みさはあったようだ。

馬氏の五常の残りカスは詳細不明。
多分、馬謖未満だったんだろう。
司馬八達も司馬朗・司馬懿・司馬孚ぐらいしか知られてないしね。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 00:41:14 ID:36FEcVfl0.net
董允みたいな感じなんじゃねーの

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 10:53:27 ID:32m/sOwP0.net
>>423
現代日本でいうなら石原家みたいなもんか
最近政界進出した三男と絵描きの四男はあまり知名度無いな

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 00:47:01 ID:r89iVYdH0.net
諸葛亮は朱子学で過大評価されている
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1190128235/

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 06:18:10 ID:rc61E3yx0.net
馬良は典型的な官僚だろうね

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 09:39:11 ID:RzAzBL9V0.net
良い馬

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 11:43:29 ID:+WJMRejc0.net
【政治】政府、"お金をつくる"造幣局や印刷局など独立法人20以上を民営化へ−機密性の保持も絡み様々な意見も★


http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1191932873/

【民営化】造幣局・印刷局など、独立行政法人20以上を民営化へ:政府方針 [07/10/07]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1191727281/


政府は6日、現在進めている独立行政法人(独法)の整理合理化に関連し、
101ある独法のうち、予算に占める国からの財政支出の割合(財政依存度)が低い
20法人以上の民営化を目指す方針を固めた。

2007年末に整理合理化計画を策定し、閣議決定する予定だ。
民営化の対象には、造幣局や国立印刷局、日本万国博覧会記念機構などがあがっている。
今後、独法の民営化推進を目指す渡辺行政改革相らの方針に対し、
事業の公共性の高さなどを主張する関係省庁の巻き返しが本格化しそうだ。

貨幣や紙幣を造る造幣局や国立印刷局については、機密性の保持なども絡み、
是非をめぐって様々な意見が出そうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071007-00000002-yom-pol

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 09:32:22 ID:rVxowZJ30.net
ふぅぅぅぅぅむ・・・・

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 13:31:50 ID:JRd48fGQ0.net
>>427
でもそういう目立たないけど堅実な官僚タイプは一番必要な人材だよ。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 11:43:59 ID:UpwwO3v60.net
馬良は戦死し黄権や潘濬は他国へ取られてしまった

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 14:36:27 ID:d4bKKM9PO.net
ところで関平って荊州から蜀に逃げのびていれば
どのくらい出世したんだろうな

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 14:48:14 ID:r93vUGTOO.net
んー、

・建国の功臣の嫡子
・実戦経験あり
・すでに成年

おそらく要地の督ぐらいにはなっていただろうな。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 18:06:42 ID:v2WyozTY0.net
王平(何平)は、実は関平の偽名

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 18:14:41 ID:Ze226Ze30.net
最低でも演義での関張息子クラス
実際人形劇三国志でも関羽戦死後もそういう役割で出ていたような

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 19:08:14 ID:9oLEehjJ0.net
養子かどうかはともかくとしても、父と共に死んだから美談として関帝廟にも祭られてるんだしさ
関興とか人形いちいち作ってらんねーよって気持ちも分かるけど、
そういう事情で死ねない関平が気の毒だったよあれは

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 19:21:18 ID:7oUeikDF0.net
>>431
一番重要なのは丞相だろうな


439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 12:56:00 ID:7XWu11RN0.net
横山三国志の最終巻あたり読み直して思ったんだけど、
魏延の言ってる『子午谷から長安に抜けるルートで攻める』ってのは実際どうなんだろう?

孔明は負けるのを恐れてその作戦は取らなかったが・・・

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 15:40:48 ID:wohQYiS90.net
>>439
当時は警戒してなかったから長安を落とせたかもしれない
長安が落ちると魏も大部隊を派遣する
蜀が決戦で破ればいいが、長期戦になるとジリ貧で補給不足になる
魏は優れた人材がいるので決戦で勝てる可能性は少ない、たぶん失敗するだろう

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 18:35:37 ID:Q+wQQDSL0.net
かといって諸葛亮の堅実作戦も結局うまくいかなかったし。難しいよな
考え方はいいと思うんだけど

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 20:38:34 ID:rBOzvfwm0.net
そうか?
国力と兵站で大きく劣る蜀が正面から準備万端の魏にぶつかるなんて、
どう考えても最初から勝ち目が無いと思うんだが。
万が一にでも長安を落とせれば魏国内の動揺は関羽の北上どころでは無いだろうし、
呉も漁夫の利を得ようと兵を出すと思う。
蜀での派閥の維持だけでなく本気で魏討伐の志があるんなら、
多少とはいえ可能性のある積極策に出たんじゃないかな。
実際は周囲の批判をよそに馬謖を起用して派閥強化に努めた訳だが(ただし失敗)。

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 21:22:25 ID:MSmBY/U20.net
>>439
反三国志こと超三国志では演義子午道は後方の問題があったから採用されなかったとしており
超三国志世界では後方の上庸及び荊州を抑えてありかつ蜀が優勢であったため採用されている
子午道攻撃は優勢であるなら可能な博打というところか

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 22:05:31 ID:Jyg9FZFK0.net
>>441
必ずしも正解の用意されている問いとは限らないからね
どちらも失敗するなら、より被害の少ないほうを選ぶでしょ

蜀存続の前提があるなら、北伐しないという選択肢は実質無かったわけだし

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:12:30 ID:Us/n90jh0.net
後年、蒋大司馬の取ろうとした漢水ルートは考慮すらされなかったのかな。
やはり、夷陵の戦いがネックだったのかもしれぬ。水路は蜀にとって鬼門か。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:24:30 ID:rqeBUfBC0.net
>万が一にでも長安を落とせれば魏国内の動揺は関羽の北上どころでは無いだろうし、
呉も漁夫の利を得ようと兵を出すと思う。


確かに動揺は酷いだろうが、それで魏が崩壊するほどもろい組織とも思えない
呉は、漁夫の利的に様子見しながら積極的には動かないだろう

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 09:38:39 ID:n5S5CXSO0.net
崩壊は無くても前線での反旗はあったかも

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 14:41:21 ID:tAaDkQv30.net
まがりなりにも魏はたかが一度や二度の敗北ごときで崩壊するやわい組織ではない罠

ただ、それでも敗北の上重要拠点、または主力部隊を立て続けに失うとなると一気に内部崩壊する危険が高くなる

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 14:43:19 ID:omE6WgLdO.net
蜀の北伐は劉備存命中から準備されていた。
「涼州を取れば関羽を回すので荊州を返す」
これは絵空事じゃなくて実際に劉備の構想にあったハズ。
孔明の北伐にロウ西諸郡がただちに呼応したのは、
事前に調略などの下準備がなされていたから。
それが極めて極秘に行われていたため魏は後手を踏んだワケだ。

第二次以降北伐で靡く城が少なかったのはそれらの段取りがなされてなかったから。
つまり、最初の北伐こそまさに乾坤一擲の作戦なワケで
それに馬謖を起用したのにも理由があるハズ。
もしかしたら、魏延は漢中督として涼州調略の責任者だったのかも。
ゆえに街亭防衛より鎮西の任務があったため起用できなかったのかも。
そして馬謖は対魏戦の研究参謀だったのかも。つまり対魏戦のプロ。

史書に記録されてない隠された要素を妄想するのは楽しいね。

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 18:07:52 ID:sdpvzDge0.net
>>447
反旗は異民族のこと?
積極的に裏切る奴は、当時の魏には
あまりいないと思うけど

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 18:58:53 ID:9MwMUM460.net
劉備がフ水関を落とすのが後2年早ければ

……張魯攻めてる最中に曹操とバッティングしてアボーンだろうな。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 18:58:17 ID:I3NU/9er0.net
つくづく劉備の運のよさだけは三国一だな

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 19:21:18 ID:04BZVLbO0.net
【考古学】後漢代の四川省に製鉄所 孔明や劉備は鉄を得る為に蜀に入った可能性も
後漢代の四川省に製鉄所、「蜀」建国の理由に迫る発見か

 中国・四川省の古石山(こせきさん)遺跡で、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターと
 成都市文物考古研究所などの日中調査隊が、後漢代(1世紀ごろ)の製鉄遺跡を発見した。
 中国の中心部である中原(ちゅうげん)以外で、漢代の製鉄跡が見つかったのは初めてで、
 221年に劉備が、この地域に三国時代の「蜀(しょく)」を建国した理由を解明する上でも
 重要な発見として注目される。同大で27日午後に報告される。
 秦の始皇帝(在位・紀元前221〜210年)が現在の四川省に鉄生産の役所を置いたとの
 記録があることから、調査隊は同省内で昨年から発掘調査を行ってきた。その結果、
 今年6月に、成都市蒲江(ほこう)県の古石山遺跡から、高さ1・5メートル、幅最大1メートルの
 レンガ造りの製鉄炉の跡が出土した。炉は4メートルほどの高さがあったと推定され、
 日本では幕末から明治にかけての製鉄炉と同じ規模という。
 調査に携わった村上恭通・愛媛大教授(考古学)は「諸葛孔明や劉備たちは
 山間部の蜀に追い込まれたというよりも、鉄を得るために
 積極的に入っていた可能性がある」と推測している。

 http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1193473859/

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 20:58:58 ID:/q72eP850.net
日中調査隊とは日本も参加できるのか

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 23:30:00 ID:ZXOGPdRg0.net
日本からも参加しているから日中調査隊なんだと思うけど

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 00:38:10 ID:o23XqNwx0.net
夜は調査しないから日中調査隊なんじゃないのか?

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 04:10:24 ID:XvcyQOM80.net
>>456
尊敬した。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 06:03:35 ID:MQ3GQdeN0.net
夜になるとヴァンパイアでも襲ってくるのか

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 12:52:36 ID:dYteA2hE0.net
中国ではヴァンパイアじゃなくてキョンシーじゃないか

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 14:41:00 ID:KAjdC+inO.net
このスレ的にはキョンシーじゃなく鞏志だな。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 20:21:33 ID:MQ3GQdeN0.net
ならば霊幻道士ならぬ韓玄道士の出番だな

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 01:05:06 ID:CghmQntS0.net
史上最弱道士誕生の瞬間に立ち会えて光栄です

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 22:53:36 ID:X8FCVM5N0.net
すごく、徳が低そうです・・・

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 09:43:39 ID:9MNFk34X0.net
アッ――――!

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 13:50:44 ID:edJmqGoK0.net
アンディ・ラウが趙雲役「三国之見龍卸甲」
http://www.youtube.com/watch?v=ZugMD9XzKi8

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 09:26:05 ID:uyrW8CuT0.net
>>465
なんという・・・・

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 21:32:47 ID:6XvjytGn0.net
>>462
ワrpスwwwww

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 13:46:09 ID:kOfbtoOh0.net
蜀から見た魏領への侵攻が北伐なら
魏から蜀への鍾会らの侵攻は征西でよろしいのでしょうか?
鍾会は鎮西、ケ艾は征西になってるし

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 14:15:55 ID:r8NPGOEsO.net
魏からすれば蜀なんて漢中とその先の成都らへんの僻地の小国だからな。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 14:24:00 ID:QynTiAgL0.net
>>468
荊州方面の曹仁は征南将軍。
三国官職表によると、
・征東=青州、兗州、徐州、揚州。
・征南=荊州、豫州。
・征西=雍州、涼州。
・征北=幽州、冀州、幷州。
なんか征南が征東の範囲をぶった切ってるような気がするが……

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 15:12:05 ID:p1ObC5Tq0.net
>>470
徐州と揚州が繋がってるでしょ

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 15:33:31 ID:QynTiAgL0.net
>>471
繋がってるっちゃあ繋がってるけど、揚州なら征東より征南の方が自然な気がするのは否めなくない?

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 17:52:34 ID:0wvr49f60.net
・征東=対建業軍閥
・征南=対江陵軍閥 
・征西=対成都軍閥
・征北=対鮮卑

だからおk
征南一人に兵力を集中してしまうと危険。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 18:52:45 ID:96TqHD910.net
四征より四鎮の方が階級は上なんじゃないの?
蜀や魏では異なるの?

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 22:29:28 ID:FQNn28lr0.net
>>448
たった一度の敗戦が契機になって、崩壊してしまった大国も珍しくないけどね。
袁家なんてまさにそうじゃん。

豪族などが相次いで離反して、ひどいときには連鎖反応みたいになったり、
有力家臣が寝返り、もしくは独立なんてのも珍しくないわな。
その一戦で主君が死亡、もしくは指導力が落ちて、回復しないままに、
死亡とかなって、後継者争いが勃発ってのもよくあるケース。

魏だと、司馬家によるクーデターが上手く成功せず、内乱状態になることもあるだろうし、
夏侯家が独立することだって考えられる。

魏はそこまで磐石な国家ではない。
つかそこまで磐石な国家だったら、司馬家のクーデターがあっさり成功するわけないだろ。
そしてその晋の無残な崩壊をみれば、ちょっとしたことで国家が崩壊することがわかるはずだよ。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:10:12 ID:rgWZ/YIz0.net
>>474
征>鎮が普通。
おそらく趙雲の「征南」→「鎮東」が念頭にあるのかもしれないが。


>>475
ボスが倒れるかどうかというのは大きいと思う。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:25:10 ID:FQNn28lr0.net
隋は一度というわけではないが、
高句麗遠征の失敗が原因で崩壊したといわれているし、
戦争の負けで、皇帝の求心力が低下して、
造反が起こるってのはよくある。

関羽が北上しただけで、
同調して反乱をおこした郡や県が結構あったんだから、
まだ若い皇帝に代わったばかりのときに、長安が陥落していたら、
結構大騒動だと思うぞ。

少々戦で負けても、求心力を維持していた
曹操や劉備が異常なだけ。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:46:01 ID:cXrn37hQ0.net
じゃあ劉邦は神だね

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:49:13 ID:MyVq3sfz0.net
俺がやる、いや俺がやる、どうぞどうぞ〜
の上島竜兵の役を
曹操や劉備は担ってたわけです

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 01:24:37 ID:affWn5P40.net
>>474>>476
蜀の征と鎮については、
ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20070815/p3
ここも参考にすると良い

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 06:48:23 ID:WYejwUwS0.net
>>475
司馬家のクーデタがあっさり成功ってあんた
司馬懿と司馬師・司馬昭と傑物が何代も続いてようやく司馬炎の時代で奪取出来たというのに
しかもその間、曹爽やカン丘倹・諸葛誕のような反司馬勢力の抵抗は何度もあるわけで、
全て鎮圧出来たにせよ途中で頓挫していた可能性は充分にあった

魏は確かに磐石な組織とは言えないけれど、対外的脅威と対内的脅威では訳が違うしな
そもそも魏と蜀・呉は力関係において覆しようもない差があるわけで、
よほど自身が不利な状況に追い込まれない限り、わざわざ離反する人間は居ないでしょ

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 12:46:04 ID:xIdnZuPL0.net
長安落としても魏が反撃して一度でも蜀が負ければそれまでだけどね。
関羽の北上もそうだが、全部蜀が勝つ前提でないと成立しないのが大国との戦

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 13:53:29 ID:6Xa1/ssZ0.net
魏から蜀へ降った人物もいくらかいるようですが、
それにはどういった理由があったんでしょう?

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 16:08:13 ID:3itx7w3I0.net
魏の降将でまず思い浮かぶのはやはり郭循かな

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 17:27:22 ID:JN//TV0j0.net
きょーい、かこーは、おーへー、かこうらんもそうだろ。

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 18:49:25 ID:DIMck0jj0.net
>>481
そのとおり、途中で頓挫して内乱になった可能性は高い。
そのときに分裂して、呉蜀がそれに介入することもあるわな。

>よほど自身が不利な状況に追い込まれない限り、わざわざ離反する人間は居ないでしょ

それがおこるのが、内乱や派閥争い。
あの強大な袁家が崩壊したのがそれ。
当時の袁家と曹家の戦力差は何倍もあったが、
それでも曹家に寝返った人もおり、
その人によって、戦況が覆ったこともあった。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 19:03:23 ID:xKPbUJ7i0.net
>>483
魏の中央で権力闘争に敗れる羽目になったり上司に睨まれたりで居場所がなくなりやむなく逃げてきた亡命軍人が多い。
前者が夏候覇で後者が姜維、王平など

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 19:47:21 ID:MfP6GVrC0.net
>>487
> 魏の中央で権力闘争に敗れる羽目になったり
前者がこれ↑で
> 上司に睨まれたりで居場所がなくなりやむなく逃げてきた亡命軍人が多い。
後者がこれ↑か?
なんかわかりづらいぞ。

で、王平は219年の劉備と曹操の漢中争奪戦の際、曹操に従軍してきたが劉備に降伏。
姜維はともかく王平はその例には当てはまらんだろ?
演義の話をしてるのであれば別に構わんけどね。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 20:22:03 ID:zfxwXXfV0.net
孫晧がアホだから晋に鞍替え

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 21:16:11 ID:KjUvEbuW0.net
、 l ‖_ >:=‐  ̄ ̄「 l| l    } 、  ヽ   んっ んんっ…
ヽ 、i`─ '´ ___   | ll ⌒; j  、   ヽ
 \ヽ r,ニ、‐‐'‐' u .l ll   '_ノ   、    ヽ 
   ` \"\):、    | l|  `、 ヽ  、   ヽ
      ヽ  ゞ'^     ! ll   `、 ヽ  、    ヽ
     丿   .:::.  | l|     \ ヽ、 、   ヽ
     丶、_        | l|/lヽ   `>=‐- ミヽ   `、
          `⌒ヽ_  | l| | ハ  /´     `ヽ   、
  チュパ  /  /. `´| l| | l / 〃        `、  、
 チュパ  /   /     | l| | l' 〃            
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です




491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 11:53:15 ID:GhbzQeZE0.net
荊州でならした私たちは、昭烈帝が孫呉に負け、危急存亡の刻を迎えましたが
荊州を脱出し成都に籠もりました。
しかし、益州一国でくすぶってる様な私達ではありません。
蜀の桟道さえ通れば補給しだいで北伐する悲壮な決意。
不可能を可能にし、巨大な曹魏を粉砕する、私達北伐四相Aチーム。

私は丞相、諸葛亮。字は孔明。
八陣戦法と内政の大家。
私の様な細かい性格でなければ、将兵達の心を掴むことはできません。

某は蒋エン、字は公エン。通称昼行灯。
自慢の冷静さで、文官は皆落ち着きを取り戻します。
一命にかけて、補給物資から川下りの為の船まで、何でも揃えてみせます。

ヒック、お待ちドウ〜。
俺様こそ費イ、字は文偉、通称趣味の達人だ。
内政、外交の腕前は天下一品!
曹爽? 孫権? だから何?

董允、字は休紹、皇帝の諌言役です!
黄垢だって讒言してみせます。
でも費文偉殿だけには及びません…。

私達は、曹魏の支配する長安にあえて挑戦する、
出師の表、神算鬼謀の蜀漢の野望、中原回復!
いまこそ北伐を行う好機、陛下、なにとぞご決断の程を。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 10:48:04 ID:TelMXRfe0.net
張巍はよく魏から人物を何人か引っ張ってこられましたね。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 11:24:41 ID:YsKaZC4w0.net
>>492
何の話?
そんなことあったっけ?
いわゆる蛮族の頭目の話?あれらは魏に帰順してたっけ?

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 13:21:28 ID:KLYMaxIBO.net
>>491
同じ荊州出身でも入蜀の経緯は違うじゃん

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 21:41:54 ID:N4o4kS2k0.net
三戦のスレ、落ちちゃったね……

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 10:53:01 ID:vzUPwuSW0.net
ここで踏ん張れば良い!

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 19:02:11 ID:kDwdT3ea0.net
魏延を斬った事から馬岱を嫌いだという人がいるそうだが
なら王平はどうなんだろう?

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 12:39:07 ID:oQru1Kdq0.net
というか演義版の魏延を好きだって人が珍しいよw
史伝の魏延なら大好きだが、こっちは馬岱関係ないしな

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 13:45:24 ID:ePRZLEQv0.net
えー、俺は演義の魏延の方がかなり好きなんだけど…。
つか史実だと魏延は馬岱に斬られてるんだけどそれを関係ないって言っちゃうのはどうか。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 13:55:42 ID:KGkKQixE0.net
演義の孔明が嫌いな人は多いがな。
「こいつは謀反の相が出ている。今のうちに殺せ」
ヒドスグル

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 14:03:17 ID:oQru1Kdq0.net
>>499
あれ、そうだった。重ね重ねすまん。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 22:34:04 ID:jpC3Kmw/0.net
史実の孔明は法正や魏延とウマがあわなかったが、不当に差別はしていない筈。
(蜀科の緩和の献策や北伐の献策は却下したが)『大義、親を滅す』という人だから。
蒋エンも個人的な好き嫌いで人を罰したりはしなかったな。
楊儀はひどかったけど…。
費イが上手く魏延と楊儀の間をとりもっていたが、諸葛亮の死で崩れた。
魏延、楊儀、法正は、人格に問題はあったが、優秀なのは間違いないんだよな…。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 00:32:40 ID:Fn1LZKCzO.net
法正って、諸葛亮の嘆きを聞いて報復を止めたんじゃなかったっけ。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 02:01:37 ID:K9jtrwOC0.net
魏延は、蜀の最後の劉備系武将って感じで好きなんだ

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 11:11:01 ID:vy1Nu/AJ0.net
孔明の様な代行独裁者の立ち位置では公平でなければ人はいう事を聞かない
少なくともそういう姿勢を裏表なく示すのでなければ

それでも街亭戦での馬謖の起用はちょっと贔屓目とも見れるけど

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 19:46:55 ID:WAFrdEvu0.net
馬謖はよっぽど買ってたんだろうね
ただ、あの当時一口に『軍師』とは言うけど、
専従の参謀を重用した人間は曹操くらいしかいない。
他の有力な軍師的助言をしたとされる者は、
みんな軍指揮官か行政官の地位にある。
馬謖を重用するのであれば指揮官としての箔をつける
必要があり、そのための強行だったんじゃないかと思っている。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 09:02:52 ID:hkVBWv20O.net
田豫がいればと思うのは俺だけ?

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 12:40:38 ID:xH/7gzOH0.net
たかが一人二人優秀な将が増えたからってなぁ…
夏侯家並に信頼できる親族が劉備にいたら、とは思う

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 18:32:44 ID:lbX8a876O.net
黄権が残ってても、あんまり変わらなかったかな?

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 18:40:28 ID:pq3X47HB0.net
蜀の敗因は圧倒的国力の差
これに尽きるからな
人的要因で勝ちたいなら魏の有名な名将は全員蜀にいるぐらいの差じゃないと無理だろう

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 18:56:44 ID:z7mCeVWl0.net
まあ、魏も呉も勝者ではないから
蜀とはさほど変わらんと思うけどね。
魏に関していえば寧ろ、あれだけの兵力さがありながら
度々、南方併呑に失敗したのは実は
単に兵士数が多いだけの国というのを
ありありと証明してしまったのではないかと。


512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 19:35:58 ID:cifvm/m40.net
兵力が多くても士気を維持できるだけの食料が足りなかったんだろう
あれだけ土地がデカくてもインフラのほとんどがぶっ壊れてれば遠征は難しくなる。
結局のところあの時代の魏の攻勢限界はあれで精一杯だったということじゃないだろうか?

結局曹操の代で統一出来なかったのが失点の一。
曹ヒ、曹叡が余りにも早く死んだのが失点の二。
曹叡の後継者がろくでもないのだったのが失点の三。
未統一の状態でこれだけ失点が重なると指揮権を掌握した司馬氏のクーデタが成功するのも無理はない。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 19:48:28 ID:rB+KXkIJ0.net
魏は基盤が整っている分だけ、有能な人材が能力を十分に発揮することができた。
人材の質的にはそれほど差が無かったとしても、組織力や法整備が進んでいれば
勝つべくして勝つことが出来る。人材にも量的な厚みが加わるし。

が、官の戸籍に入っているのが全人口の数分の一という時代だからなあ
結局のところ三国・晋代では後漢末からの長期動乱から立ち直れなかった。
遠征するには国力が足りず、守る方は豪族さえ懐けている状態なら地の利を計れる。
長期統一には隋唐まで待たなければならないのも止むを得ない時代だ。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 20:31:17 ID:/opt4Iq/0.net
>>512
国力が高い=人口が多いって言う時代なわけで、
金銭、物資の両面で、収入がでかい分、支出もでかかったんだろうな。
どっかのスレで魏の鉄は質が低いって見た気がするけど、
鉄の精錬に使う燃料の十分な確保が出来なかったのも一因だろうし。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 21:17:31 ID:6Zs9gH2jO.net
晋書で、魏の質の低い武器を用意したせいで処罰された人とかいました

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 23:38:39 ID:pq3X47HB0.net
似たような状況は北周と北斉だったな
魏に孫皓のようなダメ君主が出て次々と名将を殺してくれて蜀が長安と涼州を取れてれば勝てたかもな
北周と北斉も軍事力は北斉のほうが高かったみたいだし

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 11:32:16 ID:aAlkVuy+0.net
立ちました

蜀将討議スレッド18
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1197891412/

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 16:54:24 ID:tnxZ+att0.net
>>517 乙です。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 09:40:32 ID:OrAquvb90.net
なんでここで語らない?

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 11:17:46 ID:qE/6ptcv0.net
この板のスレッドまで陥落したなら、
後は速やかに降伏するしか無いからです。

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 12:41:37 ID:S6UYp3aPO.net
戦争を何度も繰り返し、民に損害を与えた糞国家蜀

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 09:21:32 ID:elYehzgm0.net
蜀信者の反論まだ?

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 13:41:33 ID:MgxQ3NTz0.net
わざわざID変わってから来なくていいよw

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 14:04:59 ID:Fl/ky9W60.net
>>521-522
誰も来ないねwww

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 02:28:04 ID:D9VEOZc/0.net
何の反論だよ

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 11:56:50 ID:GjLLiqbu0.net
軍役繰り返し、南陽の民に損害与えた糞国家魏


こうでつか!わかりません!

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 21:02:38 ID:upzcf2ny0.net
蛮族を教化し、江南繁栄一千年の礎を築いたおr…神国家呉!

こうでつね!わかりました!

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 22:24:39 ID:v5ZjfloH0.net
>>512
失点の2は別個の問題を一まとめにしてるぞ

文帝と明帝の死はかなり異質
特に明帝の代で対蜀や対燕で司馬氏の権限を滅茶苦茶な強化しちゃった挙句に
それを段階的に取り除く事せずに急死しちゃってるからな
ここかなり重要なポイントだぞ

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 13:08:02 ID:GmtfNHph0.net
権限的に司馬を巨大化させっぱなしか

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 21:27:12 ID:QlsGWgPU0.net
( ´A`)ぅうむっ。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 11:24:53 ID:AYyp0zVh0.net
一時的にしか持ち得ない軍権を恒常的に
してしまったんだね・・・・

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 11:35:55 ID:uJ92Hzhj0.net
>>531
そうでもない
曹爽とかがちゃんと藩屏として働いてて司馬氏から軍権はちゃんと剥奪してる
ただ問題だったのが、国内の一番強い奴を倒したら倒した奴が一番強いままだったんだな
剥奪した権限が一極集中したまんまだったから、曹爽にクーデターを起こして司馬氏が権限を奪いなおした
政敵なし権限あり、じゃもう簒奪は思いのままだわ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 12:18:58 ID:EACu6T0d0.net
「曹操が全土の兵を率いてきたら防ぎ止め、魏が10万の兵を率いてきたら一呑みにしてやります」と
言った魏延の後を継いだ王平が、曹爽らの率いる10万の軍勢を防ぎ止めたという事が面白いと思っています。
曹爽ってその時の外征が遠因になってクーデターの口実にされたなら
呑み込んでやったと言ってもいいのかなあ?

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 21:25:15 ID:eiuOPRBZO.net
王平って節は仮されてないんだね
必要なかった?

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 10:30:40 ID:2ahitAzaO.net
>>533
まあそういう風にみると、
司馬懿の大出世のキッカケつくってやった諸葛亮も魏衰亡の原因の一つかもしれんな

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 00:12:33 ID:B+2IbL0uO.net
ショウエンが大司馬にまでなっていますが、
史書に記されていない所で
軍事行動の経験を積んでいたのでしょうか?

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 00:21:54 ID:0TKfX2BE0.net
なんかやたらこういう単発質問見るんだけど、ネット小説書きのネタにでもしてるんだろうかね?

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 00:54:53 ID:4cY7wtH4O.net
>>536
いまの自衛隊の統合幕僚長に実戦経験があると思う?

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 01:09:29 ID:dN1KdRFV0.net
大司馬になる前に撫軍将軍や大将軍を歴任してるだろ

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 01:38:50 ID:dN1KdRFV0.net
あー兵隊連れてチャンバラした事あるかって意味?史書になけりゃ妄想するしかないね
とりあえず大司馬の前に兵站の仕事はしたよな

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 06:33:57 ID:335dS60uO.net
蜀のしょぼさは異常

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 00:47:42 ID:BnwcJmOI0.net
537だけどじゃあ真面目に考えるか。
蜀は文人主導の軍政国家みたいなところだから、
費イまではトップは直接軍権を掌握する慣習になっていたんじゃないかな。
丞相では権力が集中しすぎるから大司馬・大将軍でこれに代える。
行政のトップは尚書令だとすれば、漢の官制と比べてかなり簡略化されている
(九卿はちゃんと設置されていたのだろうか?)
名前の残っていない高官がどれだけいたのかわからないけど、
名のある高官は皆将軍位を持っているよね。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 11:58:12 ID:F5hTmu6U0.net
大将軍、大司馬になって
これから侵攻するぞ!って準備してる途中で死んだって事なのかな。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 16:47:10 ID:8/p5UxSS0.net
>>543
蔣琬
234年、諸葛亮が没すると尚書令に任命される。まもなく行都護・仮節を加えられ益州刺史を兼任し、大将軍・録尚書事に昇進し安陽の亭侯に封じられた。
(亮卒、以琬為尚書令、俄而加行都護・仮節、領益州刺史、遷大将軍、録尚書事、封安陽亭侯。【蔣琬伝】)
239年、大司馬に昇進。
244年、漢水下りを計画するも多くの人に反対された。病を得たこともあり涪まで引く。
246年、病死。

だからちょっと違う。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 23:22:26 ID:iJF7Ej/Q0.net
費イと蒋エンって対外政略でかなり対立してるよな。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 09:32:00 ID:gUwr3KIV0.net
そしてハッテン

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 09:26:50 ID:fe42LgFS0.net
アッ―――――――!

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 09:48:33 ID:7p7p9y+80.net
548

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 22:03:25 ID:Qqjaea6cO.net
うむ

550 :売国マルハン:2008/02/10(日) 23:36:36 ID:jLDk5rq10.net
パチンコスレで遠隔、ホルコン、サクラ、マネーロンダリングなどについて書き込むと渋谷マルハン社員やマルハンに依頼された
ネット工作会社がスレ荒らしをしてスレが機能停止します。
↓↓工作員の荒らしのやり方↓↓
2008/01/10(木)ID:iA54n BU50
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118702←右左くっけて→1165/783-784
【宮崎県都城市】パチ事情そのAhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11871←右左くっけて→89246/658-659
【山と川】宮崎県児湯付近PART1【自然イパーイ】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118←右左くっけて→8235164/471-472
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11888←右左くっけて→85488/401-410
2008/01/13(日)ID:1HLcWz UK0
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118←右左くっけて→8885488/461-462
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187←右左くっけて→021165/809-810
【香川】パーラーグランドのスレ2【徳島】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188←右左くっけて→315438/324
【延岡】宮崎県北情報PART3【日向】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1196←右左くっけて→865970/186

パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。

新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1201←右左くっけて→304777/52-54
ネット工作員については→【電通TBS】ピットクルー(株)【プロ工作員】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1189187503/65



551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 02:37:56 ID:dH5qhG+C0.net
孔明が、ケ艾を部下にできたなら北伐も上手くいったかもしれない。
ケ艾・姜維なら、関羽・超雲くらいの活躍できたかもな。

ところで、曹操の夢の三匹の馬って・・・司馬親子?それとも師・昭・炎?

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 04:54:59 ID:Ps3YKq7M0.net
間違いなく後者だろうな。
司馬懿自体は政争下手の愚直な軍人でしかない。

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 10:55:16 ID:42el36QG0.net
司馬炎はそもそも曹操が夢見たとき生まれてないよ。

幽明録曰:魏武帝猜忌晉宣帝子非曹氏純臣,又嘗夢三匹馬在一槽中共食,意尤憎之。
因召文明二帝告以所見,并云:防理自多,無為横慮。帝然之。
後果害族移器,悉如夢焉。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 12:57:32 ID:L2K/2EtZ0.net
>>551
ケ艾・姜維は関羽・超雲より上ですが
北伐を成功させることは難しいです。

懿・師・昭です。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 16:35:25 ID:Ps3YKq7M0.net
>>553
夢ってのは未来を告げるもんだと思うが。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 16:36:33 ID:Ps3YKq7M0.net
あ、失敬。質問の意味をかなり勘違いしてた。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 19:00:47 ID:42el36QG0.net
気にすんなっテ!!

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 19:56:16 ID:Ps3YKq7M0.net
ありがとうと言わざるを得ない。

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 09:53:33 ID:g9CdcYdU0.net
雄雄雄雄雄雄

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 20:31:47 ID:SBNAJ2eE0.net
>>551
その二人以上の活躍は既にしてるような、少なくとも趙雲よりは

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 20:51:02 ID:hs22b/M30.net
過大評価の代名詞=カコウトン

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 19:29:13 ID:QEmEGZfS0.net
スレ違い

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 22:24:10 ID:irtNIM520.net
\(^o^)/オワタ

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 05:00:56 ID:unjpetFY0.net
ケ艾>関羽>姜維

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:45:36 ID:knvdAJJZ0.net
馬超>ケ艾>関羽

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:15:53 ID:T5I9vi9j0.net
そうか、分かった。

>>564
名50音順の法則。

>>565
姓50音順の法則。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 20:46:10 ID:ti16olIu0.net
マジレスすっと
関羽>>>黄忠>馬超>ケ艾>姜維

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 23:47:12 ID:TxseOW7V0.net
劉備>>>>>>>>張飛>関羽>黄忠>馬超>>>>>趙雲

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 20:43:29 ID:4d3pm9Rv0.net
趙雲バカにすんなw

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:58:37 ID:8Dn4shZ10.net
むしろ馬超が馬鹿にされてるだろ。黄忠以下とか。
黄忠、趙雲は張飛、関羽、馬超の三人と比べりゃ格としては落ちるだろ

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 02:25:55 ID:43UO+Lhj0.net
馬超は確かに曹操も追い詰めたことはあるけど、
蜀に入ってからは目立った功績なし。
蜀将としては黄忠以下でもいいかも。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 18:34:43 ID:satrP4g70.net
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 17:18:09 ID:N+RCTJuQ0.net
馬超は配下にいるだけで価値ある人物だと思うが。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 08:39:03 ID:MfToZaqR0.net
かつての一方の雄が配下にいるということは、
その主君の格を更に高めることになるからな。
曹操にとっての張繍≒劉備にとっての馬超、かな。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 14:53:55 ID:NNScOPzN0.net
涼洲での馬超の影響力は馬鹿にならんしな

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 17:03:29 ID:99ziy1Sg0.net
涼州って強兵は多そうだけど、実入りは少なさそうじゃね?

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 19:37:35 ID:pKPFTajY0.net
人口は少ないはずだけど、馬の産地だとか、西域との貿易だとか、
うまみはあるんじゃないだろうか。

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 19:54:00 ID:YbLt+aKZ0.net
ちなみにダメージ食らったり、弾薬分は報酬から差っ引かれるんで
無駄玉つかったりすると・・・

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 09:41:08 ID:xERGumFV0.net
>>575
涼州つったって馬超は扶風周辺から西はほとんど行った事ないはずだが
キ城辺りがかろうじて馬超の移動した中で涼州に掛かってる場所で
それでどうやって涼州で影響力があると言えるんだ?

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:42:32 ID:Y03vaxyB0.net
yahoo知恵袋で姜維のあだ名が「美将天水」とか大真面目に書かれててキモ杉

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/25(火) 01:26:31 ID:mAJkfU7l0.net
ちょっと見てきた
>『呉下の阿蒙』呂蒙子明
>・・・呉の武将の中でも一、二を争う猛将であったが、
>教養は全くといってよいほど無かたため。
呉下の阿蒙は別名でも呼び名でもないだろw

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/25(火) 13:21:12 ID:VLMts19T0.net
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211122757
これだな
信じる奴の自己責任ということでヤボな突っ込みはするまい

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/25(火) 14:16:50 ID:iHu0szqX0.net
単福w

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 07:17:29 ID:iOye/lKj0.net
結局、武将としては関羽を超える将才は、蜀には現れなかった

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 08:02:27 ID:iOye/lKj0.net
>>286
> 裏切り者の息子でありながら黄崇が官職についてるしな

それぐらいどうってことない
孟達の子・孟興だって、ふつうに官職についてまんがな
蜀滅亡まで蜀に仕えて、その後、故郷に引退しとる

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 20:12:00 ID:aNTEylbw0.net
張飛、馬超が超えてる

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 20:48:21 ID:j9BfFzPW0.net
馬超はザコ

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 21:32:04 ID:fYqNuT45O.net
>>579
地図見てないからよくわからんが、本籍はお祖父さんの出身地をそのまま
書いているはず。
それにヨウ州が置かれたのは魏になってからで、安定なんかは当時は涼州
だった。
一応書いておく。わかっていることだったらごめん。

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 21:41:30 ID:F+67fxYT0.net
( ^ω^)ふーん・・・・・

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 11:34:04 ID:MdmPTAaB0.net
>>588
地図見てくれ
扶風は長安周辺に含まれて後漢だと司隷
というか涼州の辺りは後漢と魏ではそんなに変わらない
長安含む魏の雍州は後漢の涼州の一部と司隷の西側なんだ
んで馬超の活動領域は司隷と涼州の東側の極一部

591 :_:2008/04/15(火) 00:21:06 ID:fmMXw2/G0.net
北伐の際、魏延の子午谷を経由して一気に長安を攻め落とす策は愚策か?
この策を行っていたら、北伐は成功していただろうか?
中国の歴史家は5分5分といっているようだが、どうであろう?


シバイは追放され、カコウモウという実戦経験のない貴族が相手なら
できなくはないと、俺は見るが。長安を占領してしまえば、涼州は孤立し、
攻め落としやすくなる。

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 00:23:41 ID:TSZAhrLS0.net
シバイが追放というのは創作の話です
実際には対呉戦線に出ていました

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 03:24:01 ID:qZjkzsw80.net
別に創作でも構わんと思うが。史実と混同さえしなければ。

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 12:07:35 ID:F0AwX8luO.net
混同してるだろ
歴史家とか言ってるんだから

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 12:46:09 ID:R3MuzhLyO.net
落とせても維持をどうするのか疑問に思ってるのが否定派なり
で実際無理でしょ

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 13:17:06 ID:7Mg9Gi4S0.net
実際に無理  って言うのは出来んが、
後世の人間が考えるに、成功させるのは難しいとは言えるな

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 13:19:34 ID:fQAicI0C0.net
春秋から20世紀まで、関中・中原に進出できた四川の割拠勢力がどれだけあったか

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 14:33:09 ID:kFeosOC60.net
皆無

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 15:04:11 ID:qZjkzsw80.net
前漢。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 15:45:02 ID:oEGR+Zpq0.net
>>599
前漢は漢中の勢力であって四川の勢力じゃないだろ
まあ四川も持ってたようだけど

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 18:32:15 ID:WQajT+oz0.net
四川・漢中に入ると守りやすいが出られない、彼我の強さとほとんど関係なしに詰んでしまう
韓信の成功は特異な例だし、魏延も韓信のマネしたがったのを孔明に止められてるな

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 18:51:46 ID:oEGR+Zpq0.net
それもあるけど楚漢抗争期は肝心の関中こそ敵対勢力だったものの
あとは楚以外、日和見だったり親漢だったりで、実質的な敵が関中の三王だけになってたのもあるだろう
全国から動員かけて長安進出を阻まれた蜀とは比べ物にならない

603 :_:2008/04/16(水) 01:03:29 ID:mm2ekvdm0.net
馬超とホウトクが長安落としたのに、孔明ができなかった理由は?

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 02:26:11 ID:T4fqZvan0.net
史実だと長安落とせてたかどうか不明。まあたぶん落ちてたっぽいけど。
馬超の場合、支持基盤の関中を丸抱えで潼関を封鎖できたけど、
孔明はまず関中に支配を固めるところから始めなければならなかった。

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 16:44:45 ID:oVsa5Xmd0.net
>馬超の場合、支持基盤の関中を丸抱えで潼関を封鎖できたけど、
>孔明はまず関中に支配を固めるところから始めなければならなかった。

こんなとこだろうな
馬超ら関西軍閥が挙兵した時は後年の諸葛亮の北伐時に較べれば
曹操の関中支配も磐石ではなかったし、雍州の諸郡も組織的な抵抗はできない
涼州に関していえば実効支配にすらいたっていない
諸葛亮が第一次の北伐で涼州の徐バクや游楚の抵抗に手を焼いたような事も
なかったわけだし

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 13:14:41 ID:nnIgXHEp0.net
@‐@

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 20:05:59 ID:Yc+em8Hy0.net
50%の確率もわからないわけではないぞ。
馬超も魏延も戦の駆け引きはわきまえてるだろう。郭嘉が言ってたなよな?
『兵は神速を貴ぶ』ってな。時には迅速に行動し、敵の抵抗がまとまりを
見せないうちに叩くことも必要なのだよ。強ち魏延の策は間違ってはいない。
長安を陥落させてから、守りを固め涼州を料理すればいい。

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 00:57:25 ID:OiZcnzyY0.net
>>607

> 守りを固め

だから、そんな守りを固める余裕なんざ与えてもらえないんじゃないかと。

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 04:07:11 ID:cxh6f5Ta0.net
魏の遠征軍10万を長安で迎え撃つとして、後背の涼州に無傷の魏軍が残るわけだが
アホのかこーぼーとかでなくて郭淮だから、きっと漢中からの補給線を脅かされる

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 22:28:48 ID:5IIu4XGA0.net
もし、張任が劉備に降っていたら、孔明の北伐は成功していたかな?
劉障の配下の中で、張任がもっとも有能だった。李厳が陸遜と渡り合える
なら、李厳以上の活躍はしてたかもしれない。どうよ。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 01:34:33 ID:jkrg0slY0.net
陸遜と並び称したのは、益州派に対するアピールでしょ
張任は家柄が低いから降れない

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 07:33:44 ID:Gauq0dva0.net
だから李厳は荊州出身だと何度も(ry
益州入りの時期も曹操の南下時だから益州での古株でもない。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 12:14:22 ID:Mc49kfRt0.net
その前に黄権や法正らを差し置いて、劉障の配下の中で張任が最も有能???
何か有能さを表すエピソードあったっけ?

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 08:16:45 ID:linCrc/m0.net
演義で一番ということになってるからw

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 09:25:02 ID:GcYETt800.net
>>613
まぁ一応劉備の蜀討伐戦において劉備と龐統が最もてこずったのが張任だしな
それに有能に対して何故黄権と法正を引き合いに出したのかが疑問。
黄権は内政、法正は軍略、張任は軍事
3人とも土俵違うやん
ちょっと分かりにくいが、軍略は戦闘での戦略
軍事は戦闘での指揮能力や戦術ってことね

張任と引き合いに出すなら呉懿あたりだろうな

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 09:25:58 ID:GcYETt800.net
有能さをあらわすエピソードか。
特に記述はないが、張任がいなかったら蜀討伐に1年以上も時間を
費やすこと無かったとは思わんかね?

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 09:26:47 ID:J5mOrIWV0.net
つ 劉循

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 10:51:09 ID:z4Ccyj0gO.net
ラク城守備の総大将は劉循さんじゃないんか。光栄三国志のやり過ぎだ

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 10:54:51 ID:CLJ56cHH0.net
>黄権は内政、張任は軍事
この辺も何で決めてかかってんのやら

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 10:56:36 ID:J5mOrIWV0.net
劉循でふと思い出したんだが、
蜀って皇帝の親族、血族の将軍って居ないの?
魏は曹一族、夏侯一族が有名だし、呉も結構孫家の将軍がいる。
蜀の場合、思いつくのがせいぜい呉懿くらいなんだけど。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 13:19:24 ID:dNvP/HR+0.net
>>620
糜竺

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 16:47:13 ID:YknaVdeeO.net
えきとくちゃんも

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 20:23:39 ID:ewRhFbdT0.net
>>620
劉備の叔父劉子敬の子、劉展という人物の名前が華陽国志にある。
黄巾討伐の頃から各地を転戦して功あり、建興初年に没す。
官は輔国将軍・昌国亭侯に至ったという。

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:06:50 ID:gtT8O88F0.net
夏侯覇もあり?

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 21:46:18 ID:RudueTz+0.net
>>260
糜芳

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 22:51:34 ID:ocGWPrnS0.net
つか、張任が有能無能はおいといて、本当に家柄が低いって理由で降れないのか?

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 01:35:20 ID:AWpH/z800.net
>>623
ルーツ君は口開くな。うぜー。

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 21:53:33 ID:3jmqn3Ya0.net
>>627
ルーツ君ってなに?

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 21:55:30 ID:2nj32iEU0.net
>>628
ひと言で言うと うそつき

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 11:16:34 ID:5j+yTced0.net
>>629
長くなっていいから解説してくれ

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 20:07:23 ID:HiFdKwto0.net
>>630
wikipediaの三戦関係のページに、自分の妄想onlyが根拠の
武将のルーツを書きつらねるウザ執筆者のこと。
一般人がなかなか見れない史料名(三国志集解、華陽国志、水経注など)を持ちだして
それが出典だと言ってるが、その史料にはそんなこと一言も書いてなかったりする。
「一説には…であるとされるという。つまり…であるという見方が強いとされる」
といった気違いじみた言いまわしが特徴。
もちろん>>623みたいなことは、どこの史料にも一切書かれてない。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 07:38:35 ID:lR2zLBUT0.net
蜀で大地震

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 13:32:57 ID:WlX81P31O.net
>>632
天狗の仕業です

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 12:48:52 ID:kkt7i+NNO.net
上手く

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 23:03:37 ID:q5Mh3fzA0.net
>>620
なんとかっていう石刻史料に劉姓の武将が何人かいたよ。
それなりの地位や権力はあっても能力と功績がなくて歴史に名を残せなかったんだろうね。

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 23:30:20 ID:SDlFWDWo0.net
>>635
ルーツ君乙

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 19:33:15 ID:L6xazy820.net
>>620
…張飛は一族扱いじゃないのね

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 22:37:30 ID:+Ity8Mfj0.net
>>637
娘が皇后に取り立てられたときって張飛が死ぬ直前くらいじゃなかった?
ほとんど「一族」としての活躍はしてないんじゃね?

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 22:56:43 ID:GHG6CFhw0.net
>>636
いやいやまじでまじで。
隷釈のどっかに載ってるはず。探してみ。

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:13:41 ID:aFuPQlwO0.net
・・・ルーツ君乙

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:29:50 ID:4lfzIzco0.net
>>639
隷釈の探し方も読み方も分からないんだが。
お前は知ってるんだよな?
無知な俺に教えてくれよ。
教えてくれないんなら、
口先だけのルーツ君とみなす。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:31:15 ID:QwBTTc6Y0.net
むやみにルーツ君扱いするのも失礼だけど、こういうときはちゃんと題や原文まで記すべきだろうな

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:50:18 ID:GHG6CFhw0.net
ソースが分からなかったのではっきりと出所を示せなかったが、
たぶん隷釈だと書いてもまだダメって言われたら、もう何を書いてもダメだわw

さっき探してみたら隷釈じゃなくて隷続だったわ。
写してみた。文字化けするかも。

黄龍甘露碑
[11行闕]
[上闕1人]司徒臣[姓名闕]安漢将軍[下闕又闕5人]侍中臣[闕]立侍
中[下闕]尚書[下闕又闕4人]五官中郎将臣[姓名闕]太中大夫臣
[姓名闕]中散大夫[姓名闕]博士臣許慈議郎臣[姓名闕]議
郎臣[闕]信議郎臣[闕]光議郎臣[姓名闕又闕2字]将軍臣[姓名
闕]鎮東将軍臣劉?平西将軍劉[闕]平北将軍臣
劉[闕又闕2字]将軍臣[姓名闕又闕2字]将軍臣[姓名闕第2横並闕第3横闕
18人又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍
臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕10字]将
軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕第4横闕1
2人又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣
[姓名闕又闕1字]将軍臣[姓名闕又闕1字]将軍臣孫[闕又闕1字]将軍
臣[闕]仁
時太守南陽李厳正方丞宋遠文奇武陽令陰化

第2碑
惟建安廿六年[闕10字]赤水甘露[闕]于県中[後闕]

(第2碑)碑陰
[上闕6人]侍中臣[闕]立侍中[下闕]尚書[下闕又闕2人]光禄大夫臣
[姓名闕又闕2人]中散大夫臣劉[闕]博士臣許慈議郎臣[姓名
闕]議郎臣[姓名闕]議郎臣孟光議郎臣[姓名闕下闕1人又闕2人]
益州前部[闕2字]臣費詩益州左部司馬臣[姓名闕]益州
右部司馬臣[姓名闕]益州[闕]部司馬臣[姓名闕]益州部蜀
郡従事史臣[姓名闕]益州部[闕2字]従事史[下闕]益州部[闕2
字]従事史[闕]義校尉臣[姓名闕]益州部巴西従事史[闕]
信校尉臣李[闕]益州部梓潼従事史忠節中郎将臣
[姓名闕]益州部??従事史臣[姓名闕]益州部永昌従事
史[闕2字]校尉臣[姓名闕]益州部[闕]山従[下闕又闕5字]従事史
臣[姓名闕又闕6字]業校尉臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣[姓名闕又闕2
字]中郎将臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣劉[闕又闕2字]中郎将
臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣張[闕又闕2
字]中郎将臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣[姓名闕又闕2字]中郎将
臣劉[闕又闕2字]中郎将臣[姓名闕又闕2字]中郎将臣[姓名闕又闕2
字]中郎将臣[姓名闕下闕]

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:55:58 ID:GHG6CFhw0.net
>鎮東将軍臣劉?
劉エンね。蜀書巻10に出てくる車騎将軍の。

>益州部??従事史
ソウカ郡。朱褒がいたとこ。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 00:04:13 ID:UPAwZ6tb0.net
蜀では建安を26年まで続けていたこともチェックポイントだな
三国志でも分かってたことだけど

646 :639:2008/06/19(木) 00:13:01 ID:VckATfht0.net
>>641
ttp://www.rinrokaku.co.jp/catalog/product_info.php/products_id/66879
これのp.425に載ってるyo!

647 :639:2008/06/22(日) 13:36:33 ID:DQJgyv7F0.net
司徒(許靖だろ)の上いる1人が誰か、ってのはなかなか楽しい疑問だと思うんだけどね。
官位で言うと丞相とか太傅、太尉くらいしかない。諸葛亮じゃあないよなぁ。

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:46:37 ID:bo+NbU+q0.net
劉備の漢中王の署名に出てくる議曹・従事中郎・軍議中郎将 射援 って、
諸葛亮の属官だったんだろうか?前どっかで諸葛亮に任じられた、とかって見た気がするんだけど、
従事中郎が軍師将軍のだとすると中朗将とは兼任できないよね?

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 19:37:19 ID:Ldt39/Gu0.net
>>648
左将軍(劉備)の属官じゃね?

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 14:59:42 ID:Z/4sQSG20.net
>>644
おかしいと思うだろ?
マスコミの不自然な在日米軍叩き。
中国は実質内陸国家だからね。
海へ出るには沖縄が邪魔になる。
沖縄制圧最大の障害といったら何か。
そう。沖縄米軍を撤退させる必要があるんだよ。

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 06:19:52 ID:/Z55yCZh0.net
どこの板と間違えてんだよwww

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 10:18:21 ID:p0jlxDtbO.net
キモオタ三国志

く、くさー

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 23:24:13 ID:BeDPnf5I0.net
ルーツ君ってなんですか?
コテ?

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 02:06:15 ID:r46saBa+0.net
>>631

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 08:35:08 ID:rOps8sou0.net



656 :電脳プリオン:2011/12/03(土) 23:34:22.07 ID:usq/CW3I0.net ?2BP(1960)
18はなさそうだな

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 23:13:07.45 ID:VaLtivU8O.net
王平と姜維
どっちが優秀か

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 09:50:38.38 ID:96T3B4QRO.net
しかしもっと詳しく書き残して欲しかったな蜀の状況や人物伝

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/17(土) 16:50:13.99 ID:kfO7XULX0.net
蜀は史官を置いてなかったらしいから仕方ないのかな
陳到とか結構古株なのに事績がよくわからないとか寂しい

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/17(土) 17:19:45.39 ID:+zdStJ46O.net
無知な質問で申し訳ないけれどなぜおかなかったのかな

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/17(土) 19:28:05.33 ID:1wntEcFd0.net
・蜀に史官はいないよ説(陳寿)
・天文の記録は史官の仕事で、蜀書に天文の記録があるから史官はいたよ説(劉知幾)
・俺たちの孔明さんはキッチリした人なのに史官を置かなかったのは忙しすぎたからだよ説(朱熹)

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=3171;id=
ここ見ると研究者でも「そもそも史官の仕事って何?」ていう問題からして
解決できてないみたい

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/18(日) 06:38:23.51 ID:pR54HlHZ0.net
>>661
後主伝に史官のことを記述してんだから、
> ・蜀に史官はいないよ説(陳寿)
はどう考えても成立しない。

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/18(日) 15:54:49.36 ID:DAPMYMRjO.net
中国より

http://www.youtube.com/watch?v=ido8OW0QXFU



664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 19:16:26.19 ID:RTp1I5SP0.net
>>662
一応末期の蜀漢に仕えた陳寿がそう言っている以上,
史官の有無はともかく,まともに記録が残ってなかったことは間違いないだろう。


665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 07:01:19.85 ID:5uYrFbuG0.net
age

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 18:36:37.78 ID:oYeK6iEp0.net
スレ主のJominianとTSとむじんとNagaichiはどこに逝った?

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/08(木) 21:30:38.65 ID:frrwc3Xd0.net
jominianはツイッターにいる

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 11:04:51.59 ID:c85lGDqB0.net
>>657
才能では姜維、人格まで含めた総合力では王平

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 19:00:56.54 ID:jUgeKxiD0.net
何で孔明は姜維を馬良と比べたの?

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 19:59:20.44 ID:68/KuqOa0.net
>>669
馬良にしろ李邵にしろ文官としか思えない経歴だから,
姜維も文官としか思っていなかったのではないか。

たまたま武将として大成してしまっただけで。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/24(月) 02:23:35.91 ID:1Du4C6Mf0.net
英雄色を好む
下着を気にしないヤツは英雄になれんwww
http://cumshots777.blog.fc2.com/

672 :池田大作:2012/12/24(月) 06:47:06.50 ID:4I4tkoBaO.net
創価諸君よ!

田浦本部横須賀桜山支部の高橋裕之氏が年末ジャンボで6億円当たるようにまた女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高10億円を15分でよいので高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 04:39:29.90 ID:sYitUldC0.net
魏延も王平も好きだわ。
脇役でしかないけどな。

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/07(日) 12:49:57.03 ID:Giw9N7m80.net
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675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/01(木) 19:49:02.45 ID:vq12z4xP0.net
実は黄皓べったりだった羅憲。

晋出仕後の後輩推薦も,予定調査に過ぎなかっただけでなく,
相手の記録にも全く残っていないという有様。

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/03(土) 01:30:16.91 ID:1yzTR6DV0.net
>>675
羅憲を落とすと、呉も落ちるからやめて・・・

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/18(木) 19:31:40.76 ID:fezAkmAq0.net
>>573

日本ハム時代の落合みたいなもんか。

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/18(木) 23:58:23.50 ID:/ZuAJUK20.net
仮に糜芳が籠城して、壮絶な討ち死にをしたらどうなっていたか?

糜芳子方
 兄の糜竺とともに陶謙に仕えていたが、後に劉備に仕えるようになる。
 劉備が弱小勢力だった頃から支えてきた忠臣であり、曹操から相に任ぜられても劉備に付き従った。
 劉備が入蜀後は、その防衛手腕を見込まれて南郡太守に抜擢され、関羽の補佐にも当たっていたが、失火をするなどの失態を犯してしまう。
 関羽からは、荊州に帰還した後は処罰する旨の通告をされていたが、士仁が孫権の誘いに応じて投降する中、頑として籠城をする。
 魏・呉の大軍相手に孤軍奮闘し、その勇姿は修羅のようであったとも言われており、今でも「芳来来(糜芳が来たぞ)」と言うと子供が泣き止むという語り草にもなっている。
 結局呂蒙に捕まるが、最期まで忠節を曲げず、主君・劉備のいる成都の方を向いて処刑されることを要求した。
 劉備は彼の死を聞いて、深く嘆き悲しみ、血を吐いて寝込んだという。

 統率84 武力82 知力52 政治63 魅力77 義理10(最高)

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/19(金) 00:00:38.46 ID:hi4HXRAt0.net
陳寿は西晋期に孝廉に挙げられているけど,そもそも巴西出身だから,
当時武陵太守だった羅憲が推薦できるはずがない。

羅氏の子孫と婚姻関係を持つ習鑿歯の捏造と見るのが普通ではないかと。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/19(金) 00:34:26.30 ID:SYO9eUVW0.net
>>678
うむ
当たり前の話だが、董卓や曹操が悪者なのは、短命政権ゆえに史書に悪口が多量に残されたため
逆に、歴史家は処刑を恐れて悪口を残さなかったりもするのだ
名将か否かは死んだタイミングで決まる

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/01(木) 01:14:00.38 ID:5pDyRw6O0.net
>>678
うむ良いifだ

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 21:38:49.49 ID:aEfoTa+J0.net
>>603
馬超は内乱による奇襲
体制を整えた曹操に蹂躙させられる
諸葛亮とは状況が違いすぎる

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/17(土) 23:16:36.94 ID:mQ0dfOqe0.net
反朝廷行為によって地元での株が上がる、みたいなのと
領土拡張とでは…

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/18(日) 08:37:06.28 ID:9KINm7nv0.net
>>591

> 北伐の際、魏延の子午谷を経由して一気に長安を攻め落とす策は愚策か?
> この策を行っていたら、北伐は成功していただろうか?
> 中国の歴史家は5分5分といっているようだが、どうであろう?


司馬懿も演義では
「諸葛亮が五丈原に来てくれればありがたいが、急襲策を取られると危険」
と言っている。

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/09(月) 10:18:46.22 ID:F4oTjbTx0.net
こういうのもいいよな
https://goo.gl/z9zKsY

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:46:41.94 ID:duhox+eN0.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 19:33:59.81 ID:TQGLfjZq0.net
ひとまずスレ保全

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 23:36:24.95 ID:wcGgZfxN0.net
誰もいないのか

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 06:48:51.90 ID:OM/gyeeI0.net
>>688

蜀の人材は尽きたからな。

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/13(木) 12:25:50.35 ID:TfXnj0o4O.net
ここにいるぞ!
って重要なやつが表れてくれるさ

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:04:57.59 ID:TQg9VT3G0.net
呂布が忠義の士だったら、良かったのに。歴史は変わったかも。


https://www.youtube.com/watch?v=y1asUACMs1Q

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:14:13.49 ID:cO2EmVAo0.net
【徳川家光の、落書き】 ジワジワ来る可愛さ! フクロウなのにウサ耳があるのがミステリアス、と評判
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537063927/l50

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/19(水) 20:49:38.94 ID:+rGpLkR70.net
馬忠

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 06:31:27.03 ID:halRa4EO0.net
>>693

馬忠の本領は内政なのに、演義では省略されているw

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 05:57:08.00 ID:ktrrQPrG0.net
賀正

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/14(木) 12:40:16.36 ID:Ia1ogjAo0.net
劉巴ってすごく評価高いのな 諸葛亮が、儔作を帷幄の中に運らすは、吾、子初に如かざること遠し。枹鼓を揚げ、軍門に会し、百姓をして喜勇せしむるがごときは、当に人とこれを議すべきのみ

って孔明が蜀の張良ってイメージだったのにな

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/14(木) 18:10:24.69 ID:kf83IE4m0.net
>>696

張良というより、内政に特化した蕭何タイプだと思う。

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/16(土) 05:25:56.15 ID:glxULJHd0.net
史実の諸葛亮も割と万能屋だと思う
内政はもちろんの事、戦略も立てれるし、軍を率いれば無類の統率者だし

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/23(土) 00:34:26.93 ID:7PyewkR50.net
「劉備が即位して、ひそかに期待していた中原の漢の忠臣は失望した」ってどこにかいてる?

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/03(日) 21:11:12.74 ID:sVf5jGT50.net
>>698
周瑜も司馬懿もだけど、奇策を立てる軍師ではなくて普通に有能な将軍なだけで軍事の才が無いわけじゃないよね

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 14:30:42.31 ID:R70ECGvw0.net
キ山悲秋の風更けて

 陣雲暗し五丈原

 零露の文は繁くして

 草枯れ馬は肥ゆれども

 蜀軍の旗光無く

 鼓角の音も今しづか

 丞相病あつかりき

 丞相病あつかりき

 
 歌声が朗々と響いた。

 ――赤壁の戦いで魏軍を破り、数々の戦功をあげてきた諸葛亮であったが、五丈原で魏
軍と対陣中に病に倒れてしまう。

 彼の病は重く、蜀軍は敗色に包まれていた。

“蜀漢の未来はどうなるのか。苦しみにあえぐ民を誰が救うのか……”

“五丈原”の歌には、病の床に伏す諸葛亮の、その苦心孤忠がうたわれていた。

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 14:31:31.83 ID:R70ECGvw0.net
山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。

 突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。

 夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。

 伸一は、河南省分会の責任者に言った。

「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」

 笑いが広がった。

 鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。

 それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。

 語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。

 伸一は語った。

「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。

 その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。

 これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。

 今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」

 拍手が起こった。

 同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 00:59:25.74 ID:w1OEwzay0.net
もし関羽が蜀漢建国当時生存していたら官職は大将軍或いは大司馬だったのかな?
自尊心高いし馬超とのエピソードから見ても彼より下の官職だと不満を訴えそう。
見当違いかもしれないけど諸葛亮が丞相に就任するのにも難色を示したりして。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/13(月) 20:54:27.14 ID:M+c6kpOG0.net
>>668
王平は尊大な態度で他の将軍からは敬遠されてたんじゃなかったか?
ただ物事を進める際には慎重に判断をし行動するので将として大きな失敗はしないだろうという信頼があったと。
姜維は割とイケイケドンドンやっても勘が良くて上手くいくことも多いけど大失敗するリスクも含んだところで王平とセットでリスク減らすっていうイメージ。

自分の下す判断の基準、判断の結果に対するダメ出しの厳しいのが王平。
それが甘いのが姜維。
困ったら判断を放棄して感情で動くと思われていたのが楊儀。

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/14(火) 08:35:07.84 ID:HKZ2Wixe0.net
>>704

王平は

「負けない戦い」

「ローリスク・ローリターン」

だからなあ。


良くも悪くも。

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/09/14(土) 07:42:48.46 ID:IlgI4WOx0.net
保守

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/25(水) 15:15:17 ID:gdAK4HK60.net
華北も師走

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/05(日) 00:48:30.29 ID:wCapYYm30.net
>>704 姜維は春秋戦国・楚漢の名将と比べても見劣りしないだろうな
主君に恵まれんかった 伍シショや李牧みたいなもんで
反対に関羽が凡将もいいところで過大評価すぎる

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/05(日) 22:02:45 ID:Uzf/Vu8T0.net
国を滅ぼした姜維が春秋戦国・楚漢の名将と比べても見劣りしないとかないわーw
戦争しまくって国と民を疲弊させたり漢中の防備を改悪したりで普通に蜀滅亡の戦犯

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/05(日) 23:29:13 ID:cukINB7A0.net
戦犯だっていうなら、万機を管掌してる諸葛亮ならともかく、そうじゃない姜維を抑えもせんで
何してたんだっていう諸葛瞻、樊建、董蕨なんかも同罪

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/06(月) 03:14:56 ID:yIUixkmW0.net
>>709 蜀滅亡の戦犯なら劉備&関羽だろ
姜維が来る前から蜀なんて終わってたんだから

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/06(月) 20:31:39.17 ID:4Frobxhr0.net
姜維、馬岱、王平、夏侯覇、が諸葛孔明亡き後の4将軍だが、五虎大将軍だなどと御大層な尊称付けられ祭り上げられた誰かさん達より余程優秀じゃねえか?

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/06(月) 21:57:25 ID:A3EZ/gmk0.net
史実だと馬岱と夏侯覇はほとんど功績無いよ
馬岱なんて魏延を斬ったぐらいだ

4将軍って演義にもそんなのあったっけ?

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/06(月) 21:58:27 ID:A3EZ/gmk0.net
>>711
関羽はともかく蜀漢を建国した劉備が滅亡の戦犯とかそれは無いだろう

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/06(月) 21:59:25 ID:A3EZ/gmk0.net
>>710
諸葛瞻、樊建、董蕨たちも同じく戦犯だけど
彼らは姜維を別の将軍に交代させようとしてなかった?結局失敗したけどさ

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/07(火) 00:31:56.00 ID:lYDt/vs70.net
王平は街亭、祁山、興勢の三度の守戦で魏軍を撃退しているが、
費禕が253年に刺殺されて姜維が本格的に北伐を開始する5年前に歿してる
馬岱は魏延を斬った事と諸葛亮の歿した翌年に魏軍に敗績した以外は事績無し
夏侯覇は蜀に帰順して以降の軍事での功績は皆無(というか活躍そのものが一切不明)

その他の主な人物でいえば、張嶷は254年に初めて北伐に従軍するが戦死
諸葛亮の陣歿後に漢中を守御した呉懿は3年後に歿し、南方の総督というべき馬忠は
北伐には参戦せず249年に歿してる
つまり姜維の北伐で重鎮といえる将は後にも先にも廖化と張翼のみ

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/07(火) 16:26:05 ID:bQaJRwuy0.net
>>713 は?馬岱は他にも功績あるだろ
・一騎討ちなら南蛮最強の武将・忙牙長を瞬殺
・諸葛孔明死後30年間も姜維に次ぐ上将軍を務め上げる
これで名将で無いなら誰が名将だってんだ
なら五虎副将軍なんて趙雲・黄忠以外はゴミだぞ

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/07(火) 19:04:42 ID:lYDt/vs70.net
>>713は史実と言ってるだろうに

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/07(火) 23:38:07 ID:beq81sct0.net
>>717
正史には馬岱の功績はほとんど無いよ
馬岱が大活躍してるのは演義だけ

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/11(土) 16:53:25 ID:VPoZSrAG0.net
>>719 じゃあ関羽の実績も顔良討ち取った以外何も無いな、それすら張遼と挟み撃ちにしてたから出来た事に過ぎんし
後はひたすら味方の足を引っ張ってただけ

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/11(土) 23:49:18 ID:IE1ENmAW0.net
>>720
そうだよ?それがどうした?

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/12(日) 09:13:10 ID:pTqoTTx20.net
王平の数字が絡んだ御使いなら北を守る王平、東を守る?芝、南を守る馬忠の三人の国境を守る

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/12(日) 09:14:37 ID:pTqoTTx20.net
途中で送信してしまった
要は王平?芝馬忠の国境を堅守する三人の優秀な将軍ってやつ

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/13(月) 01:00:06 ID:Qw6TQFyQ0.net
拠点防衛も援軍前提だからその援軍をどう動かすか決めるその三人の上司おらんと

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/15(水) 07:49:10 ID:18PxCdct0.net
>>655から>>656までに3年も空いてる
ドラマもあったしスーパー過疎の理由分からないな

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/20(月) 11:35:33 ID:1RzMU48y0.net
>>703
確か、蜀には大将軍はいなかったと思う。
(いたら、ごめんなさい。)
孔明死後に丞相を永久欠番にする代わりに大将軍にしていたと思うから。
大将軍を置くと丞相に匹敵する権限になってしまうからだろうか。
四方将軍の際の記録からも武官の序列は関羽、黄忠、馬超、張飛、魏延てところだし。
後にリョウカと張翼を左右の車騎将軍にしていたから
左ヒョウ騎将軍とかにするか
太尉を復活させてそれにするかかな。

727 :孔明の死後に凄い出世してるね:2020/01/20(月) 11:46:23 ID:1RzMU48y0.net
姜維の官職

曹魏 中郎
蜀漢 倉曹掾 奉義将軍 当陽亭侯
   中監軍 征西将軍
   右監軍 輔漢将軍 平襄侯
   鎮西大将軍 涼州刺史
   衛将軍 録尚書事
   大将軍
   後将軍 行大将軍事
   大将軍
   益州刺史(これに任じて軍権を剥奪しようとされたので成都に戻れなくなる)
西魏 開明王

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/20(月) 11:54:39 ID:1RzMU48y0.net
趙雲 229年鬼籍
諸葛亮 234年鬼籍
魏延 234年鬼籍
李厳 234年鬼籍
王平 248年鬼籍
馬忠 249年鬼籍
夏侯覇 258年又は259年鬼籍
姜維 264年3月3日鬼籍
張翼 264年鬼籍
廖化 264年鬼籍

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/27(月) 21:32:07 ID:NLo5nml10.net
https://i.imgur.com/SAEwTE8.jpg

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/21(金) 21:25:50 ID:UxYmIMmk0.net
蜀は人材に乏しいというけど結構優秀な人材がそろっているんだよな

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/27(金) 21:37:35 ID:conxGVo/0.net
つまはいらない

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:02:57 ID:6FWKBWH50.net
蜀漢の上位の官職に就いた人物は概ね名と実の両方、或いはどちらかがある者が多いけど、
劉エンってなんで車騎将軍という高い位に就けたのか解らない。
豫洲出身だから古株の方ではあるけど、風流で言論に巧みだっただけで特に優れた事績も武功もなかったし、
実は皇室の末裔とかでない限り、劉備のお気に入りだった事のみで出世したんじゃないかとさえ思う。
それなら叩き上げの魏延と仲が悪かったのも納得。

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:58:34 ID:KNCWey4Q0.net
許靖みたいに名声だけはあったとか?

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 13:52:07.91 ID:5oa5Bm8b0.net
自分としては車騎将軍の地位にあった者がいきなり処刑というのが違和感
妻へのDVで処刑って罰としていくら何でも重すぎない?
同じ伝に立てられている李厳や楊儀はもっと重そうな罪にも拘わらず庶民に落とされただけで済んでるのに

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/25(土) 17:20:15.78 ID:TGuFFfdN0.net
>>734
劉備のオキニで出世した兵権もない名誉職としての車騎だから
劉禅の逆鱗に触れたら即座に乙る存在だったってだけでは

あと考え得るのは諸葛亮死後に劉備時代の派閥の整理が行われてるのかもな

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/04(土) 19:21:57 ID:BTf6o0ZJ0.net
【三国志】白帝城かっこよすぎワロタ
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1593785127/

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 17:50:53.66 ID:9XV8TZ5E0.net
テスト

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 20:59:28.60 ID:oV0wUAee0.net
>>736

この地形だと陸遜でも攻略できないだろ。

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/16(金) 17:27:36.12 ID:98FrQbDB0.net
>>726
姜維と、エンウが右大将軍で、コウショウコウショウが怪しいけど大将軍だと

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/30(金) 06:45:53.66 ID:PS0ReM+N0.net
てすと

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/02(日) 03:08:59.89 ID:bq4bK6mL0.net
更始や赤眉との戦いのつづき。なるほど!ものすごく、よく理解できた。更始がほろび、赤眉がほろびたあと、みなが頼ったのは、じつは劉永かも知れないなあ!いちはやく皇帝を名のっても、指示を得られない。後漢末のだれかと、おなじだ。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 09:45:12.68 ID:L8CaJ0pR0.net
>>734
DVがでっち上げかもしれない
または劉禅との不倫を疑ったから皇帝への不敬になってしまったのかも

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/13(火) 17:16:34.91 ID:u1+Tl8De0.net
李厳の息子の李豊って父が庶民に落とされた際にも罪に問われなかったのが不思議
諸葛亮も「父親が反省し君も頑張れば復職もあるだろう」と書簡を送っているし、どうも甘くない?

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/13(火) 17:36:39.83 ID:XOj6Zwki0.net
法治国家を目指した蜀で罪が親族に及ぶ方がおかしいと思わんか?
反乱を親子でやったならともかくそれ以外の職務怠慢や不敬ぐらいの罪で一族族滅なんか戦国時代以降ほぼないやろう

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/13(火) 21:04:37.40 ID:GfZJaiRe0.net
息子には罪がないからでしょ
孔明は公正な判定を下しただけだよ

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/19(月) 15:34:14.57 ID:rvQBsKxQ0.net
>>732
同族、親戚だったのかもしれない

>>734
妻が劉禅と不倫したと思って(事実かは不明)
そういうこと言うのも劉禅が親戚だからそういうこと言ってしまったのかもしれない
親戚の子を子供の頃から知っていたからとか
逆にそれで漢皇帝がキレて?あるいは皇后の圧力で?親子を処刑しているからなあ
せめて息子は生かせば家は残ったのに子孫も断たれてしまった

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/19(月) 15:37:32.85 ID:rvQBsKxQ0.net
>>744
戦争で逃亡兵が出たら伍の他の4人も関係ないのに処刑されるんだよ
連座は魏延の三族処刑とかショウカイの養育していた兄の子も処刑とか
郭淮の妻も70代か80代か知らんけど半世紀前に嫁いだのに処刑されかかったし
もう連座制は当然って感覚なんじゃね?

日本でも通り魔や少年犯罪者の親とかに賠償負わせるのはおかしいってのも通じないし
選挙では普通に連座制があって、親族理由にされると敵対していても被害受けるんだよな

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/20(火) 10:48:26.68 ID:j9n2nzoj0.net
>>747
どっちも例として不適当では?
職務怠慢で本人も庶民に落とされただけなのに一族にも罪が及んだ例を挙げないと

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/20(火) 11:32:47.38 ID:JuyQWKgF0.net
何が問題なのかわからんが、法治国家は人の上に法がある思想に基づいた国家であり
連座制が法として存在するなら従うのが正しい姿

連座制の是非は法治主義となんの関係もないだろ

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/20(火) 12:01:03.84 ID:JuyQWKgF0.net
ついでに劉琰親子は連座ではなく同罪

罪に対する罰の重さについては、よほど劉禅に嫌われてたせいだろうね
あの頃の皇帝は法の上に存在するから仕方ないとしか言えない

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/22(木) 19:02:41.45 ID:GlQjs0gz0.net
>>749
連座は支配者からはやりやすくていいんだけど
大抵何かの罪を見つけようとしてないとそいつの親族の連座にしたりするし
拷問で自白させれば、罪を認めたことになり、誰でも犯罪者にできるから
結局、法律を守っていてもいつ捕まるか分からない

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/31(土) 11:20:42.53 ID:Lt94V3BI0.net
王平とか評判いいけど、この人がいなければ馬謖は処刑されなかった
多分降格程度で済まされた

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/31(土) 11:55:56.70 ID:2NNKwoWP0.net
ンなわきゃ

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/31(土) 21:33:43.52 ID:Lt94V3BI0.net
>>753
王平のやったことは敗残の軍をきちんとまとめてだから
軍人として正しい行為で非難はできないんだけど
これがなければ敗戦の状況がよく分からなくて向井なんとかさんが隠した馬謖の逃亡とか過失もばれなくて
馬謖は参軍から尚書に降格、ほとぼり冷めたら出世みたいで済まされたと思う

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/31(土) 21:52:11.83 ID:VLEub2Lq0.net
そのかわり馬謖の全軍の損害は更に増えてた可能性

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/01(日) 11:35:51.34 ID:vn3aINto0.net
馬謖に責任を押し付けた孔明が悪い

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/01(日) 22:19:44.69 ID:b3FByEcW0.net
ンなわきゃ

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/02(月) 11:18:54.88 ID:rWaG6UuI0.net
王平以外の誰も気がつかなかったぽいからなあ
下っ端は気がついても怖くて言えないし、意見を言うだけで罰せられたりする
曹操でさえ質問しただけで棒打ちとか

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/03(火) 12:20:29.93 ID:XvufNtn00.net
王平にそんな脳みそはない
失敗したから兵をまとめて逃げたあけ

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/03(火) 22:30:39.33 ID:2cwV6/rBT
馬謖が孫子の兵法にのっとって陣を敷いているというのに
脳のない王平はそれに気づかずワーワー喚いていたら
補給路たたれて偶然負けちゃったとかじゃね?w

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/04(水) 00:38:23.34 ID:tr2k2wSb0.net
秦忽ゥ不祀。夫胥子有秩。率其衆來歸。殷舍之白提奚。爲キ岐越。

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 11:16:57.36 ID:abPpzlor0.net
>>744
魏延の三族処刑とあるし、曹操も曹操暗殺計画参加者の一族処刑とかしているし
連座制という制度に疑問すら感じていない可能性が高いというか
法家の商鞅から連座制を厳しくというか一説には作ったとかレベルだから
法治国家を目指したから連座制はしないにはならない
博愛を主張して家族愛を差別とした墨家が裏切り者の家族を処刑って方がおかしいが
当時の中国人にとって血を絶やす族滅は、制度としておかしいと考えた人はほとんどいなさそう

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 18:08:18.59 ID:59Enjz2W0.net
>>762
それは犯した罪が反乱と暗殺っていう超級の犯罪やからやって話や
レス番追ってみろ
言及しているのは李厳の息子の話や

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 20:00:04.02 ID:TAeIXULf0.net
李厳…個人の職務放棄、息子は咎なし
劉琰…君主の姦通を疑う不敬罪、息子も共謀して胡氏に手を上げたため共に死罪

でしょ?

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 21:32:17.91 ID:abPpzlor0.net
サウジアラビアとかでも問題となるとまずいから始末しちゃうらしいけど
妻を痛めつける程度で済ませたから息子も処刑され地が経たれてしまった
そもそも不倫妻何かと結婚するべきではなかった

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 15:34:19.29 ID:5m8/mIDq0.net
>>764
後妻なんてもらわなければ良かった
不倫妻のために息子も処刑されるなんて

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/16(月) 18:43:58.48 ID:waZ7Rqtd0.net
絶対に結婚してはいけない
犯罪を犯しても構わないが、結婚だけはしてはいけない

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/26(木) 20:06:29.85 ID:WujBriQM0.net
興勢の役で費禕が涪の軍を指揮して漢中へ急行した事にそれが現れている。王平が援軍の遅れを心配したのも、それまで蒋琬と姜維のもとにあった軍を費禕が突然指揮する事で、軍に混乱が生じる事を懸念したものであろう。

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/04(土) 12:51:28.61 ID:1OUEQvC10.net
季漢の官職序列
行中軍師>前軍師
車騎将軍>征西大将軍>前将軍>左将軍>右将軍>後将軍>綏軍将軍>揚武将軍>征南将軍>偏将軍
督前部>督後部>督左部=?行中監軍>行前監軍>行中護軍>行前護軍>行左護軍>行右護軍>行護軍>行中典軍>行中参軍>行参軍

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/09(木) 20:18:14.65 ID:/6LCZ+C00.net
一例として、杜甫の「春望」の前半部を挙げてみよう。

国破山河在  国破れて山河在り
城春草木深  城春にして草木探し
感時花濺涙  ときに感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心  別れを恨みては鳥にも心を驚かす

さて、この詩は日本人から見れば、こまことに情緒たっぷりに描かれているように思えるが、それは漢詩を「日本語化」しているからに他ならない。つまり、日本語の中にある情緒が、漢詩の読み下し文をも情緒的にしているだけのことである。

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/19(日) 16:49:35.90 ID:wlY7zO/G0.net
習珍はもっと評価されるべき

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/19(日) 17:02:41.82 ID:C6tPFqVe0.net
>>771

史実ではそこそこ頑張ったのに
演義には登場すらさせてもらえなかった気の毒な人だな。

ちなみにこの逆パターン(史実ではパッとしなかったが演義で活躍)は誰がいるだろう?

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/19(日) 18:06:33.93 ID:gDbpdVIr0.net
>>772
関索?

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/19(日) 21:14:57.58 ID:g+Y59Y7n0.net
習珍は・・・関羽と同じく見殺しにされているから仕方ない
後の時代の楊稷・毛Qらも同じく見殺しされたのは
基本的に遠隔地域の味方は放置見殺しする季漢政権の特色の結果

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/19(日) 21:38:33.15 ID:fLexDu+K0.net
楊稷は外様ってのもあるかと。

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 02:33:17.96 ID:81gsWGVr0.net
>>772
パッとしないの程度にもよるけど趙雲と(蜀での働きだけ見たら)馬超は一応そうじゃない?
あとは親族枠は結構いいとこ貰えるので関平関興張苞馬岱あたりも

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 05:32:09.90 ID:F75BkhoY0.net
馬超は蜀に移籍してからはパッとしなかったな。

ドラゴンズでは活躍したが、ライオンズではイマイチだった田尾みたいなもんだな。

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 06:04:54.26 ID:F75BkhoY0.net
潘濬は史実ではそれなりに活躍したのに、演義では冷遇されているなあ。

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 16:56:11.07 ID:g6nYJJrU0.net
選択肢がなくても裏切りで嫌われているからね

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 16:57:28.74 ID:g6nYJJrU0.net
日本で早く降伏して被害をなくしても
きっと裏切り者非国民扱いされて非難されるんだよな
それをしないと万単位の死傷者が出るのに

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 20:06:18.67 ID:RthDNuj90.net
関ヶ原まではむしろお家存続のために裏切ったり静観するのは評価されたんだけどな
江戸朱子学はそれじゃ困るからと現実無視の武士道を叩き込んだけど戊辰戦争ではあっけなく譜代親藩が新政府軍と一戦も交えず立て続けに降伏っていう

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/20(月) 21:39:54.97 ID:Eg1kMYb70.net
お前ら和歌山県の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/21(火) 20:24:51.69 ID:HHXanfqB0.net
>>781
その家が大切でそこの裏切りは許されないだったんだけど
支配者の都合のために国と言うか政府を裏切るなになってる

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/21(火) 20:25:36.85 ID:HHXanfqB0.net
お家が滅びて幕府のためになると幕府によってはいいけど
それは中国のために日本人が絶滅するようなもので
支配者に都合がいいだけ

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/29(月) 06:51:49.33 ID:Rb/umubP0.net
匈奴はトルコ系、匈奴はトルコ人、匈奴はテュルク、匈奴はツルク
匈奴は北方民族、匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い、呉は異民族、呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族、晋の姫姓は偽り
北魏は異民族、隋は異民族、唐は異民族、宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷
漢は秦なり
この世の文字は全てウルクの文字が起源、甲骨文字はインダス文字なり

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/17(月) 17:10:42.75 ID:0JcLQzDv0.net
https://www.youtube.com/watch?v=gS-6UYXBv1A

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/19(土) 23:31:35.01 ID:QUn/R5Xe0.net
https://www.youtube.com/watch?v=zF9svka3lxI

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
高翔って、なんでゲームでは雑魚扱いなの?
諸葛亮時代の軍部においては、李厳弾劾状における位階がわかりやすいけど

 中軍師・車騎将軍・都郷侯の劉エン
 使持節・前軍師・征西大将軍・涼州刺史・南鄭侯の魏延(統84-武92-知69-政46-魅39)
 前将軍・都亭侯の袁チン
 左将軍・荊州刺史・高陽郷侯の呉イ(82-72-69-70-79)
 督前部・右将軍・玄郷侯の高翔(68-68-51-43-55)
 督後部・後将軍・安楽亭侯の呉班(74-71-56-48-67)
 丞相長史・綏軍将軍の楊儀(68-40-82-79-19)
 中監軍・揚武将軍の鄧芝(73-52-79-85-88)
 前監軍・征南将軍の劉巴
 中護軍・偏将軍の費イ

と劉エン・魏延に次いで、袁チン・呉懿・呉班と並んで前左右後将軍になっている
劉エンはお飾り、李厳・呉イは当時は後方支援担当だったことを考えると、北伐軍の軍人トップ3の一人
華陽国志の記載ではあるが、最終的に大将軍になったとまで書かれている人物なのに・・

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/27(火) 15:19:49.19 ID:rIlQPlBc0.net
>>788
ゲームを作っている人達が無知だから
あと華陽持ち出す人は笑われるだけやからやめとき

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/27(火) 21:41:28.86 ID:d9GdSKRI0.net
高翔
漢中戦で曹真徐晃に破れる(-)
第一次北伐で郭淮に破れる(-)
第四次北伐で司馬懿を撃破(+)
呉班
任侠で知られていた(+)
呉討伐で李異らを撃破(+)
呉討伐で陸遜に挑発を見破られる(-)
第四次北伐で司馬懿を撃破(+)
季漢輔臣賛に名を連ねる(+)

呉班以下なのは仕方ない

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/27(火) 21:44:46.02 ID:d9GdSKRI0.net
まあ上の理由から知力くらいは二人の値入れ換えてやれよとは思う

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
コウショウとか大将軍になった説とかも
なんとか大将軍を大将軍と呼んでるの結構あるだけだからだと思う
そうでないなら形式的に姜維が左遷された時ぐらいしかないけど
大将軍事で大将軍の仕事やってたしなあ
なんとか大将軍のまちがいというか巡査部長を部長と呼んだようなものかと

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
劉琰とか袁綝とか、蜀には実力や功績と将軍位が一致してないヤツがそこそこいる
豫州閥でもあったんか?

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 12:02:08.15 ID:TpsUBJUF0.net
>>68
その頃孔明はそんなの止めれる権力者じゃないでしょう
地位も功績も法正のがダンチ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 12:22:45.21 ID:RPXjC25g0.net
>>80
ほうとうは流れ矢に当たったのでは?
その指揮官が張任てこと?

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 12:44:51.04 ID:ahTqZMEv0.net
史実で龐統が死んだのは張任処刑した後だね
張任降伏したら当然演義の内容も変わるから>>80は起こり得ない

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 12:54:29.44 ID:ahTqZMEv0.net
と思ったが、張任捕縛→龐統戦死→張任処刑の順だった
ただ龐統射殺したのはおそらく劉循の部下だろうな

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 15:03:55.27 ID:36ysCEa90.net
その劉楯は普通にゴイとともに蜀漢で、親父の劉璋だけは呉にいってるのな。
劉璋は于禁と友達になれたかな

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/29(木) 17:40:29.01 ID:vKoQUGb40.net
劉璋は英雄としての才に乏しく、土地や官位を奪い取られたのは不幸とは言えない
って陳寿がいっていたよなー

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>118
後継問題でしょう両方とも

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
高翔は雑魚でいいと思うよ
負けてばっかで全然活躍してないし

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:07:41.27 ID:TmBUvy440.net
>>797
やった本人も分かっていなそう
当時の矢が発見されて射手の指紋が採取できれば分かるけど

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:32:36.16 ID:TmBUvy440.net
姜維は左大将軍だったのだろうか

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:37:28.73 ID:TmBUvy440.net
あー、確かに38歳くらいで疲れ方とか、体の感じが凄く変わって、中年になった感じがしたなぁ。

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:37:49.41 ID:TmBUvy440.net
30後半で初婚で子無しとかいう時代のほうが異常だわ

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:38:55.10 ID:TmBUvy440.net
蜀には右司徒の許靖と太尉の上官勝がいた

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:39:42.11 ID:TmBUvy440.net
実際38歳は全てのピークが終了している
そこから先は経験値だけで誤魔化す世代に入る
そこまでに実績を作っとかないと後は死んだも同然ですね

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:40:01.25 ID:TmBUvy440.net
40越えるとあちこちにガタが出てくるもんな
疲れやすいし疲れは取れないし身体はあちこち痛いし白髪も急に増えた
ただ不思議と脳味噌は元気なのかまだ新しい事に興味津々なんだなぁ

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:40:30.83 ID:TmBUvy440.net
日本人も江戸時代や明治初め頃までは平均寿命は40歳くらいで
30代で死ぬ人も普通にいっぱいいたからな
今はその倍以上も生きてんだから凄いわな
この100年くらいで医学や食料事情、衛生環境が
劇的に向上した結果なんだわな

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/02(日) 21:41:01.90 ID:TmBUvy440.net
日本も中国と同じように官職がある者だけが人間

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>799
劣ってるものは略奪にあっても仕方ないとはいかにも中華らしい発想だ

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>809
まず平均の意味を理解してこい
みんなが40歳で死んだ?
死ぬ子供が多かっただけだ

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>798
劉璋は次男の劉闡も一緒に呉に行ってる
劉循だけ置いていかれた感が
劉璋は呂蒙とほぼ変わらない時期に死んでるので
于禁とは会ってるかもしれないが親交深める程の時間はない

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>799
劉璋は四男坊で元々家継ぐ立場ではなく兄3人の方がまだマシな感が
張魯だの趙韙だの味方を敵にする能力は一種の才能
まぁ陳寿の評価は優しい方かもしれない

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
当時の群雄で四男が跡継ぎというのは流石に珍しいか。

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
長男次男は斬首で三男はなんか問題ありっぽいからね
劉瑁は精神病で死亡とか謎すぎる

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>788
そうゆうの見ていつも思うんだけど
蜀の涼州刺史とか呉の益州牧とかなんの意味があるんだろう
わーくにの役人で意味わかんない官職で高給取ってる税関泥棒おるけどああゆうのなんかな?
統括副主任監察官付き、みたいなやつ

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>817
形式的な役職でも喜ぶ奴はいるからね
日本を実効支配してない国から東京都知事に任命されたら喜ぶ奴いるんじゃね
実態はなくても一応給料は出るし

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
それにその国?の領土内の侯でも税金から給料が出るだけで
その侯国の支配権というか政治やらないで名前だけだよ

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>817
劉璋の益州牧は、劉備は蜀を不当占拠してるっていう
プロパガンダの意味が大きいだろうね

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 16:12:19.33 ID:xifP5V+r0.net
江戸時代の武士が軒並み勝手に播磨やら和泉やら言ってたようなもんか

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 18:49:08.61 ID:igX+62fc0.net
食べてよいものを厳しく定めた「カシュルート」
ユダヤ教の食事制限に関するキーワードに、カシュルートというものがあります。ヘブライ語で「適正な・相応しい」ことをカシェルといい、この「カシェルな状態」を示す言葉がカシュルートです。

一般的に適正食品規定や清浄規定と訳され、ユダヤ教ではカシュルートに定められた食べ物以外を口にする事は禁止されています。

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ウサギ、ラクダ、イノシシ、ハゲワシ、昆虫類、肉食動物(ライオンなど)も食べてはならないと規定されています。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
インドを中心に、ネパール、スリランカ、バングラデシュなどで信仰されているヒンドゥー教。信者のなかには、禁忌とされる牛肉や穢れとされる豚をはじめ、魚など動物性の食べ物全般を口に入れない人もいます。

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 22:30:51.38 ID:igX+62fc0.net
愚かなちょっぱりは刮目せよ

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 22:31:47.94 ID:igX+62fc0.net
蒸し器なちょっぱりは刮目せよ

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 22:32:57.96 ID:igX+62fc0.net
久し振りの日本は、久し振りの日本だぜ

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/06(木) 22:37:59.61 ID:igX+62fc0.net
König in Preußen

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
無識な日本人は刮目せよ

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
無識な日本人は刮目せよ
ムシキなチョッパリはカツモクせよ

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/07(金) 06:20:33.74 ID:pv0e4enM0.net
>>821
魏の倭王とか蜀の羅馬皇帝とか呉の越南王とか

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/07(金) 06:20:34.52 ID:pv0e4enM0.net
>>821
魏の倭王とか蜀の羅馬皇帝とか呉の越南王とか

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:35:04.31 ID:7v0u/Ouo0.net
ピンチはチャンスや!

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:36:02.09 ID:7v0u/Ouo0.net
ピンチはチャンスや!

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:36:41.46 ID:7v0u/Ouo0.net
ワイらが有利やでー!

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:38:24.39 ID:7v0u/Ouo0.net
官位は西域大都尉として五十五国を統率する

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:39:12.88 ID:7v0u/Ouo0.net
有名無実な官職やないか!?

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:40:58.01 ID:7v0u/Ouo0.net
             ,-,-∧'´∧∧∧_,、_
         /∧';:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ,
        ∧;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
       i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
       i;:;:;:,‐-、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,-7;:/          アホぬかせ! ワイは自国と交易ルートだけ
       i;:;:;:i ,-‐-、__l l l l l l,‐'`-、/;:/
       ヽ/ ´/二‐-`-/ i='∠二ヽ;:/           守れれば十分や。
        /くl `‐、J冫‐、く'、J,-‐'7く
        !ヽ ``‐--‐'´、_!,``‐--‐' l/ 
        `∧                i
          l∧  、/ ̄ ̄`‐、,  /              下手にバクチに出て国を滅ぼしたら、
          ll \´  '´ ̄`  ' /
        // l、 \ 、 `   /l                あの世でオヤジに会わせる顔ないで。
 ―-‐'´/ ヽ.`‐、_  ``ー―'´ /\-、__
      l   ヽ..,.,.,``‐-、_   ,-'´l \    ``‐-、
      l     ヽ..,.,.,/>l. /ヽi.,.,l   \       ̄

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:44:00.09 ID:7v0u/Ouo0.net
   :ノlノレl,ノlヽlヽlヽ、:       そ、そんナ……。
  : (iii´(ii ´・( ・` ii)`ii):
  : ( う  つと   と )
  .:`u^u-u'::u-u'u'

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/08(土) 12:45:03.17 ID:7v0u/Ouo0.net
この世は私の思うままに

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/23(日) 15:46:56.85 ID:SlSYJRJH0.net
諸葛菜って縁者?

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 18:11:43.46 ID:ELGuLOi20.net
菜?

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/07(火) 11:39:45.50 ID:DXVI97Q90.net
ショカツサイはたくさんの名前を持つ植物としても知られています。 原産地の紫金山にちなむシキンソウ(紫金草)、シキンサイ(紫金菜)。 ダイコンのようで花が美しいことからハナダイコン(花大根)、紫色の菜の花のようだからムラサキハナナ(紫花菜)、ストックの一種(アラセイトウ)に似て、大型なのでオオアラセイトウなど。

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/10(金) 13:22:29.17 ID:HtD9VRkP0.net
>>837
ようにんでも太守とかいいけど三国志で最近左遷して太守と聞くの多くて
太守ってむしろ普通の人の出世の限界じゃないのかと

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/10(金) 17:21:43.08 ID:XaMf1a1E0.net
官て要するに公務員のことだろ
三国志武将全員公務員志向かよちっせーな

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/11(土) 09:14:42.50 ID:6wa332uJ0.net
中国では官職を欲しがる
失脚して官職を失うと後漢以降なら途端に権力がなくなる

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 19:21:00.93 ID:8irg/5oK0.net
後世における評判は最悪ですが

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:12:54.03 ID:AULEDvci0.net
サン・マリノ 33900人

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:27:08.46 ID:AULEDvci0.net
【焼きそばまとめ】ジャガイモ入りモチモチ太麺焼きそば/大満足!1.1キロのデカ盛り硬焼きそば/手塚治虫も愛した13種類の具材のうま味たっぷり"特製焼きそば" など (日テレ

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:28:11.81 ID:AULEDvci0.net
フーゴ退場からマジで最後まで出てこなかったの驚いた

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/12/05(火) 16:31:37.50 ID:ibDnZRg50.net
師走保守

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/12/05(火) 18:25:28.79 ID:AN8RGNPJ0.net
>>845
イメージしてる公務員てのは官吏の吏のほうでは

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/14(水) 03:55:22.70 ID:1/KOM1SLI
温室効果カ゛スに騒音にコロナにとまき散らして人殺して私権侵害して私腹を肥やす強盗殺人組織ジェットクサーに爆破予告した環境先進国
ドイツの大先生、この場を借りてrespeKt宣言するぜ!それにしても、ガキがいるから新幹線でなくクソ航空テロリストにテロ資金供与する
だのとナメたことほざいてたバハ゛ァにはト゛ン引きだよな.ガキか゛いるならガキの将来のために地球破壊するのはやめとこうとか思うのが親
としての最低限の良識だろうに.貧乏やクズやバ力だけど不幸な子を産み落としていいのかしらとか勘違いさせて、路上で親孑切りつけた
不幸な少女みたいなのを増やす目的ですでに他人から強奪した莫大な税金くれてやってるわけだか゛.さらにマッチポンプ利権倍増させて
世界最惡の腐敗テロ國家を猛進してやがるし、わざわざ陸域縦断させて閑静な住宅地にまで大騷音まき散らさせて平穏な生活を根底から破壞
して、知的産業に威カ業務妨害して壊滅させて地球破壊してエネ価格暴騰させて他人の権利を強奪して私腹を肥やし続ける害虫が跳梁跋扈
する腐敗テロ國家でマ├モな子が育つわけがない、こいつらテロリストに破防法適用して全員処刑することのみが少子化対策だと気づけカス
(ref.) ttps://www.call4.jp/info.рhp?tyρe=iTems&id=I0000062
tTps://hanеda-Project.jimdofrее.сom/ , ttPs://flight-route.Com/
Ttps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 14:57:43.90 ID:5LtoUAd50.net
>>837
ようにんとかあるけど支配下にない地域の太守とかでも嬉しいものなのかね
朝鮮共和国から東京都知事に任命されたら実権なくても嬉しいのだろうか

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/02(土) 23:57:31.90 ID:wVIKYqWL0.net
馬忠・張翼・廖化・ケ芝・李恢・王平・張嶷
地方統治と軍事、中央での官僚、文武に結果を残したこのメンツで、一番能力が高いのは誰?

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/03(日) 12:20:29.70 ID:tB4r4cOk0.net
>>855
張嶷

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/03(日) 18:02:38.05 ID:liMGDPls0.net
黄権に比された馬忠だな
張嶷は馬忠の部下に過ぎない

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/04(月) 14:48:48.15 ID:Ojv77/+70.net
張翼

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/07(木) 23:10:29.56 ID:T8vQS4CX0.net
王平は横柄らしい

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/08(金) 08:27:36.75 ID:CODseq+Q0.net
昔の三戦板を思い出せるいいスレやな

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/08(金) 19:45:26.29 ID:RnVtBqGd0.net
西晋以降、蜀出身者は劣った家柄と見なされた。
それ以降の王朝でも蜀出身者(蜀姓)は、日本における群馬県民並みに劣等地方民とバカにされた。
北魏の薛聰は、孝文帝に「お前は蜀姓か」とからかわれて「劉備に従って蜀に行っただけやん」と弁解している。
薛永は、薛聰の9代前の先祖で、呂布の家臣薛蘭の子。
北魏の時代になっても、蜀出身者への差別が残っていたぐらい。
呉出身者はそうじゃないのに、なぜ蜀出身者は差別されたのだろう?

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/08(金) 19:47:55.57 ID:RnVtBqGd0.net
修正
北魏の薛聰は、孝文帝に「お前は蜀姓か」とからかわれて「劉備に従って蜀に行っただけやん」と弁解している。
 ↓
北魏の薛聰は、孝文帝に「お前は蜀姓か」とからかわれて「ご先祖様の薛永は、劉備に従って蜀に行っただけやん」と弁解している。

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/08(金) 20:40:41.51 ID:kmki+fdY0.net
呉出身者も普通に晋で差別されていたような

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/08(金) 21:35:47.58 ID:kmki+fdY0.net
436年4月、遼西国を揺さぶって、北燕を1万で滅ぼした。439年9月、北涼に親征。442年、後仇池を滅ぼした。
華北に150年ぶりの統一政権を樹立した。

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/09(土) 18:23:50.92 ID:yGICZnFM0.net
思考停止はダメですね。物事の因果関係をきちんと理解するのは大切ですね。

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/09(土) 19:32:56.70 ID:yGICZnFM0.net
マジで?俺死んで28年も経っとるやんw

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/10(日) 10:33:24.77 ID:+8BdJa/10.net
>>863
そうでもない
春秋時代の呉は中原の覇を狙うぐらい勢いもあり、もともと巴・蜀のように辺境・未開の異民族の国というイメージを中原の国から持たれていなかった
さらに、西晋が八王の乱、続いて異民族による永嘉の乱で乱れ、洛陽では異民族によって大虐殺がおき、西晋は滅亡した
蜀の地には氐族によって成漢が建てられたのに対し、呉の地には呉の豪族たちの協力により、司馬睿が東晋を建て中華の人々の避難先となった
そのため、そのため、呉の豪族たちは東晋の貴族となり、呉のイメージは大幅アップ
一方、蜀出身者は異民族への偏見・憎悪もあって後世に渡って蜀姓差別を受けることになる

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/10(日) 21:02:37.11 ID:+8BdJa/10.net
黄権が東征から無事帰還でき、李厳が多少は問題を抱えつつも罷免されるようなトラブルは起こさなかった場合、諸葛亮の死後の蜀の指導者は誰になったのだろう?
劉備を皇帝に推挙した時の地位からいけば、李厳(興業将軍)>黄権(光禄勲→鎮北将軍)>蔣琬だ
黄権が蜀にいれば北伐に従軍しただろうから、諸葛亮の死の時点では黄権が李厳を上回っているかもしれない
どちらにせよ、蔣琬よりは上位にある

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/10(日) 23:04:00.96 ID:brDrL7NW0.net
蔣琬は上位の魏延や楊儀を差し置いて後継者に指名されてるから問題を抱えてたら李厳は指名されないのでは
黄権は北伐でどれだけ諸葛亮に信頼されるかの問題になる
あとは史実のように後継者争いが起こってだれが勝ち抜けるか

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 00:54:36.33 ID:LTEfFanX0.net
>>865
楊儀だって、軍官としては驃騎将軍の李厳、車騎将軍の劉琰、征西大将軍の魏延、前将軍の袁綝、左将軍の呉懿、右将軍の高翔、後将軍の呉班より下位
楊儀は綏軍将軍・漢中丞相府の長史で、最高軍事指揮官としての諸葛亮の長史
蔣琬は成都丞相府(留府)の長史で、録尚書事・益州牧の政治家・諸葛亮の長史
楊儀の自負はともかく、周囲から見た場合の楊儀と蔣琬の身分差はそれほど大きくはなかったのではないか?

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 12:27:04.07 ID:dCGe9szF0.net
むしろ留守を任されている方が上のような

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 19:48:34.75 ID:EY+oiYnW0.net
普通に留守首班蒋琬の方が上だと思うけどね
丞相の代理人で北伐中には撫軍将軍(大が付いていないので二品官ではなく3品官?)になっている
しかし仮節はされていない
楊儀は四品官相当と思われる綏軍将軍から昇格してなかったと思うんで諸葛亮死去した時点で階級でいうと1つ下(もしくは2つ下)
他に高位の将軍には魏延、呉懿がいた
魏延は北伐中に二品官相当の征西大将軍に昇進して仮節
呉懿は魏延と同じタイミングで三品官相当の左将軍に昇進するが仮節はなし

諸葛亮と魏延の2人の仮節持ちが亡くなった後に蒋琬は尚書令になって仮節
呉懿は車騎将軍になって仮節

北伐時途中での昇進も含めて改めて楊儀を含めた蜀の人物の立ち位置を相対した魏の人物と並べて考えてみると

丞相諸葛亮と大将軍曹真
留守丞相府首班蒋琬と苑守備にあたった驃騎将軍司馬懿(仮節あり)
前部督から仮節征西大将軍になった魏延と二品官特進のチョウコウ(仮節不明だけどおそらく大国魏の先鋒総大将なんでありと推測)
丞相府長吏四品官相当の楊儀と大将軍長吏で四品官相当の建威将軍郭淮

上位からそれぞれこんな感じの序列だと思う
魏は大国で仮節持ちが蜀より多いので仮節のない蒋琬が司馬懿と五分ではないだろうという話は当たり前として序列として見た場合っていう事で
北伐中に蒋琬に仮節しなかった理由は李厳、李恢が仮節されていて遠征軍丞相府入りした不在の武官達の代理でこの2人が行っていたからだと思う
小国蜀で既に4人の仮節がいるのに更に蒋琬にまでとなると乱発過ぎるので

何となく書いただけで詳細を確認した訳ではないので昇進のタイミングや仮節の時期などに間違いはあるかも知らないのであしからず

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 20:18:57.98 ID:q37qdZJ70.net
諸葛亮から楊儀より信頼されたから留守を任されたのたんだとは思うが制度が違うから品官で比べるのは意味ないと思うわ
完全な形で蒋琬の方が上だったら楊儀が自分の方が官位で先んじてたってのがおかしすぎる
諸葛亮も劉備が漢中王になった時は昇進しなかったけど丞相になって許靖を抜いたし抜擢人事ではあっただろう
仮節は成都で劉禅と一緒にいる蒋琬には必要ないやろ

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 23:09:37.71 ID:T+DP4WPY0.net
楊儀は綏軍将軍・漢中丞相府長史
蔣琬は撫軍将軍・成都丞相府長史。

蜀における綏軍将軍の品秩は不明だけど、四征・四鎮将軍や驃騎・車騎・衛将軍と同じ二品の撫軍将軍のほうが一般的には上。
もともと蔣琬が上位者であって、楊儀を追い抜いて抜擢されたわけじゃない。
諸葛亮といる時間が長い楊儀が勝手に「俺が丞相の右腕だ」と自負して勘違いしていただけ。

875 :873:2024/03/13(水) 23:16:25.21 ID:T+DP4WPY0.net
ん?
自分で書いておいてアレだけど、二品なのは撫軍"大"将軍で、撫軍将軍は三品なんだっけ?

ちなみに、蔣琬の前任の張裔は輔漢将軍・成都丞相府長史。
蜀の輔漢将軍は輔国将軍と同格だから三品。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 23:52:20.09 ID:T+DP4WPY0.net
諸葛亮の死後、政権を掌握したのは尚書令・仮節・行都護・領益州刺史となった蔣琬
丞相長史だった楊儀は中軍師、丞相司馬だった費禕は後軍師となり、これを補佐
軍のとりまとめ役は、右監軍・輔漢将軍の姜維、前領軍の張翼
呉に備えつつ成都と漢中をつないだ李厳の後任が、前軍師・兗州刺史のケ芝
漢中にあって魏に備えた魏延の後任が、車騎将軍・督漢中の呉懿、後典軍・安漢将軍の王平
「上位ごぼう抜きの抜擢」と言うなら、蔣琬ではなく姜維・張翼・王平だな

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/14(木) 10:01:53.99 ID:/vDlAkiC0.net
>>874
楊儀の綏軍将軍は李厳弾劾の上表で四方将軍と征南将軍の間に入ってるから二品クラスの可能性あるぞ

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/14(木) 17:34:25.57 ID:dYm7D2Ye0.net
>>876
三人とも諸葛亮の生前からそれなりの地位だったしそんなに大抜擢か?
楊儀の自負は直前に魏延の反乱を鎮圧したというのもあっただろう

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 00:45:26.16 ID:jXWb+l290.net
>>877
名前の感じからすると、鎮軍将軍とか撫軍将軍と同レベルだったのかね

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 18:52:27.29 ID:3xmL8F2i0.net
蜀漢の本紀とも言える劉禅伝に、魏皇帝崩御の記事が一切ないことが気になります。対して孫呉に関しては、孫権の薨去、孫亮の退位の両方がちゃんとある。

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 18:55:12.43 ID:3xmL8F2i0.net
 222年、孫権の王位は曹丕に剥奪されてしまい、以降の呉王は孫権の自称だったと思われます。
 それでもその後も引き続き王国の体裁があっただろうことは、225年に顧雍が丞相に任じられていること、孫登が引き続き王太子であったことから分かります。

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 20:22:32.20 ID:ZcZbWBZ+0.net
東海ビ一族の寄生虫劉備

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 06:28:54.13 ID:d8pTl5ur0.net
徐州東海の麋氏って魏晋時代に学者・行政官・上級軍人を輩出したそれなりにすごい豪族だったのに、麋竺は商人、糜芳は裏切り者として軽く扱われがち
麋竺+糜芳で魯粛のような立ち位置の人たちなんだけどなあ

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 19:45:20.69 ID:5K3WeM9g0.net
拷問と隔離が精神に及ぼす影響について

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:00:22.06 ID:5K3WeM9g0.net
さらに分析を進めると、血液中に抗麻疹抗体があっても、病気からの回復や再感染の予防には必要ないことがわかった。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:03:55.09 ID:5K3WeM9g0.net
麻疹ワクチンの歴史

麻疹ウイルスはRNAウイルスに典型的な突然変異の多いウイルスである。ウイルスの複製過程はあまり正確ではなく、エラーを修正するメカニズムもない。つまり、ウイルスが複製するとき、それ自身の正確なコピーを作るのではなく、多様なウイルスファミリーのように、わずかに異なる多くのバージョンを生成するのである。このため、ワクチンの効果を低下させるような変化が急速に起こる可能性がある。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:06:09.50 ID:5K3WeM9g0.net
コロナはただの風邪

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:07:01.54 ID:5K3WeM9g0.net
1985年のLancet誌の研究では、注射された麻疹抗体と予期せぬ長期にわたる免疫障害との間に有意な相関関係があることが示された。

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:07:50.78 ID:5K3WeM9g0.net
ある子供たちは麻疹を予防するために、麻疹ウイルスに感染した後に麻疹抗体を注射された。その結果、麻疹感染の典型的な徴候である発疹が見られなかった。しかし、麻疹で発疹が出ないことは、長期にわたる免疫障害により、成人になってから免疫系障害につながる可能性がある。
(ブログ主 コロナ注射ととても似ていますね〜。コロナ注射は免疫を下げちゃいますから、病気にかかっていても、目立った反応は出ずに進みます。過去記事でご紹介しましたように、3ヶ月に一回コロナワクチンを打って免疫を下げ続け、症状が表面化しないようにしてますが、泉市の統計では7回目で人間の身体がもたなくなるようです。)

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:08:07.96 ID:5K3WeM9g0.net
この研究では、麻疹ウイルス感染時に抗体を注射すると、身体の自然免疫、特にT細胞がウイルスを殺す能力を妨害する可能性があると述べている。その結果、ウイルスは生き残りやすくなり、体内に潜伏したままになる可能性がある。著者は、麻疹にかかった後に免疫グロブリンを使用しないよう注意を促している。

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 20:08:47.63 ID:5K3WeM9g0.net
関連する可能性のある免疫疾患には、関節炎、エリテマトーデス、多発性硬化症、心膜炎、甲状腺炎、結合組織病、クローン病、脂漏性皮膚疾患、骨変性疾患、特定の腫瘍などがある。

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 00:20:09.21 ID:E3eV8tTZ0.net
>>878
姜維は新参・外様ってことで、実際には諸葛亮の下で活躍しているし、高い職位はもらっているけど、李厳弾劾の上表の順番に見られるように表向きの席次は低め
王平も関羽・張飛・魏延がたどってきた道と同じく、知識階級から軽く見られていた
建前と実際の職位が一致して、名実ともに蜀の政権&軍部となったの蔣琬死後からだよ

893 :877:2024/03/17(日) 00:21:06.10 ID:E3eV8tTZ0.net
間違えた

名実ともに蜀の政権&軍部となったの蔣琬死後からだよ

名実ともに蜀の政権&軍部となったの諸葛亮死後からだよ

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 12:44:25.22 ID:VxUWK5160.net
姜維は楊儀、費禕と並んで諸葛亮死後の命令を受けてその役割は魏延に次ぐ殿で
魏延が命令に従わない可能性を指摘していたことを思えば相当重要だった
実際に諸葛亮伝の漢晋春秋では姜維が楊儀に命令して司馬懿を退けている
李厳弾劾の上表でも許允、丁咸はよく分からないが、抜いたと言えるのは劉敏くらいでは?
王平は抜擢といえるのは第一次北伐後の昇進だろう
第四次では無当監として精鋭を指揮して魏延を破るのにも功績があった
上役が消えたからには誰か上げなきゃいけないし袁綝呉懿高翔呉班らも昇進しているんだから急な抜擢とはいえない

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 13:34:51.90 ID:T1SUP6Lj0.net
王平は帰参して10年以上経っていて北伐でも堅実な仕事ぶりで北伐開始時点の他の人と比較しても特別な出世ではないな

魏延死亡、蒋琬と呉懿昇格で漢中にも地縁のある王平が北伐を前提とする蜀の武官の中で他の将軍より少し大事にされたかなと思うけど
帰参してすぐに偏将軍の肩書きを与えられたのは北伐前提だったからだろうしね

姜維も天水出身の官人出身でその方面のコネクションを見込まれてたから帰参してすぐに倉曹掾・奉義将軍で年齢や帰属年数を考えたら破格の扱い

調略担当をする前提で言うとそれなりの肩書きがある人がやらないと相手も取り合ってくれないのもあるだろうからね

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 16:23:30.09 ID:rzwsGiQV0.net
>>883
麋竺は宮中の席次で諸葛亮より上位だった時期があったのでは?

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 20:34:47.96 ID:blvRQPl50.net
孔子は『書経』の中で、「薬瞑眩せざれば即ち病癒えず」と著している

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 20:38:38.14 ID:blvRQPl50.net
いずれにせよ、これから私たちが直面することになる変化は、どんなかたちであれ、人間の存在の仕方まで変えてしまう「種の進化」に近いような変化になることはまちがいない。

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 20:39:06.73 ID:blvRQPl50.net
この進化の引き金はすでにひかれている。まだまだ大峠はつづく。「種」としての再生と破局のドラマは永続革命のようにつづくのだ。

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 20:40:26.18 ID:blvRQPl50.net
過去と同じく、未来にはふたつの世界が共時的に存在することになる。

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 20:40:57.74 ID:blvRQPl50.net
だが、進化から振るい落とされた人間は、大三災、小三災によって廃墟となった都市空間をドブネズミのように彷徨いあるき、無限地獄のような闘争を繰り返すことになる。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 22:49:18.88 ID:E3eV8tTZ0.net
>>896
軽く扱われているってのは後世での話やろ

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 01:47:39.43 ID:RObyMKUu0.net
以下の将官たちを、劉備が皇帝即位直前の関羽生存時点での順位で並べ替えよ

関羽
馬超
張飛
黄忠
黄権
魏延
趙雲
李厳
輔匡
費観
劉封
孟達
関平
趙累
趙融
馮習
張南
呉懿
呉班
陳到
陳式
高翔
向寵

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 13:15:57.74 ID:dA/PI0+j0.net
関羽、黄忠死亡
黄権は既に魏に降っていない
この程度の事を知らない人って

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:18:35.92 ID:/ROVdOUk0.net
全ては、「繋がる者」の為に。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:21:27.30 ID:/ROVdOUk0.net
本性は目的のためには手段を選ばない冷酷な人物。

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:22:46.98 ID:/ROVdOUk0.net
敬われている。

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:23:52.38 ID:/ROVdOUk0.net
対抗戦決まったけど誰が出るの?

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:24:39.41 ID:/ROVdOUk0.net
内心恨み半分怯え半分の恐怖感情を抱いており

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:25:20.22 ID:/ROVdOUk0.net
勝ち上がった時点で全員タフガイ村出身だからな

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 14:25:51.17 ID:/ROVdOUk0.net
一方で短気かつ精神的にかなり未熟な面があり、自分の思い通りに事が進まずストレスが溜まると辺りに怒鳴り散らすように怒り狂う事が多々ある。

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 21:27:45.91 ID:L2KmC/3q0.net
>>904
「関羽生存時点での順位」って書いてあるぞ?
まだ関羽は生きているし、黄権は蜀にいる

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:51:44.04 ID:KoiCcpx60.net
関羽の最終官職は前将軍
リョウカの最終官職は右車騎将軍

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:52:19.60 ID:KoiCcpx60.net
劉備は袁術と同じ左将軍
関羽は董卓と同じ前将軍

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:56:22.73 ID:KoiCcpx60.net
森永卓郎氏「新NISAは絶対にやってはダメ!特に中高年以降の人がやるのは危険。若い人でもけっこう危ない」

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:57:03.85 ID:KoiCcpx60.net
がんで闘病中の経済アナリスト・森永卓郎氏(66)が14日までに更新されたYouTube「NewsPicks/ニューズピックス」にゲスト出演し、新NISAは「絶対にやってはダメ!」と、強く主張する場面があった。

息子で経済アナリスト・森永康平氏と新NISAについて意見をぶつけ合う企画。そこで卓郎氏は「絶対にやってはダメ! 特に中高年以降の人がやるのは危険。若い人でもけっこう危ない」と持論を展開した。

「今はオルカン(全世界株)かS&P500に投資するのが大部分なんです。このアメリカの株価っていうのは、人類史上最大のバブルになっていて。これがもうすぐはじけると思います」とし「ドットコムバブルで、アマゾンとかアップルとかマイクロソフトだとか、本来の実力を超えて異常な高値を付けている」と指摘した…
続きはソース元で

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:57:59.69 ID:KoiCcpx60.net
結果論
博打に正解も間違いもない

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:58:27.18 ID:KoiCcpx60.net
一応スポニチの記事では3月4日で言ってたな

森永卓郎氏 株価初の4万円超えに「世界規模のババ抜き。今から乗るとババを引く」と警鐘

3/4(月) 17:20配信

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:59:09.97 ID:KoiCcpx60.net
50代とかもうあと20年無い人はそもそも駄目だろ
なんかどこかの銀行が20年以上続けられるなら最低限損はしないみたいな指標出してたぞ

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 09:59:38.17 ID:KoiCcpx60.net
アホやん
NISAなんて無税枠でしかないんだからNISAじゃなくて今sp500買うなだろ

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 10:00:03.50 ID:KoiCcpx60.net
501:名無しさん@涙目です。(埼玉県) [GB] 2024/03/14(木) 20:42:39.51 ID:Iz0I1s890
>>11
アメリカの富豪は先週くらいに一斉売りかけてるんだが

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:37:11.11 ID:KoiCcpx60.net
魏の司馬太傅懿は公孫淵を平らげると、淵父子を斬った。
これより以前のこと、淵の家で朱色の幘・絳衣をつけた犬がいるのが見つかった。
襄平城北の市には、目があって手足はなくゆらゆらと動く生ける肉があり、占者は「形ありて成らず体ありて声なくば、その国は滅亡するであろう」と言っていた。

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:38:32.08 ID:KoiCcpx60.net
袁術の羊が神と化す話
漢の時代のこと、斉の人に梁文なる人があって道術を好んだ。
その家には三・四間の神祠があって、しつらえられた坐上には帳が巡らしてあった。
そうして十数年したある日のこと祭祀のおりに帳の中から突然人の声がして、自らを高山君と名乗った。
この神は飲食をよくしたが、病を治してほしいと請えば験があった。
文はこれに対して丁重に仕え、数年もすると帳の中へ進み入ることを許されるようになった。
あるとき神が酔っているところへ文がどうかお顔を見せていただきたしと乞うたところ、神は「ならば手を差し入れてみよ」と応じた。
文が手を伸ばしたところその頤のあたりに触れるを得たが、その鬚はたいそう長いものだった。
文がこれを手に巻きつけて力任せに引き出そうとすると、中からは羊が絞め殺されるかのような声が上がった。
席にあった者たちは驚きながらも文に力を貸して何とか引き出したが、それはいなくなって七・八年になるという袁公路の家の羊だった。
これを殺すと、高山君と名乗る神は絶えたのだった。

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:39:04.06 ID:KoiCcpx60.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:39:48.30 ID:KoiCcpx60.net
臨県に廖氏という者があって代々長寿の家柄だったが、のちに転居したところ子孫らは長寿ではなくなった。
もと住んでいた家には別の者が入居したが、不思議なことに今度はその家が代々長寿となった。
そこで長寿の理由がその家にあるのだとわかったが、家の何によってもたらされているのかは不明だった。
井戸の水が赤っぽいので疑って周囲を掘り返したところ、古人が埋めたとおぼしき丹砂數十斛があるのがわかった。
丹汁が井戸水に染み込み、この水を飲んだことで長寿に恵まれたのである。

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:40:20.59 ID:KoiCcpx60.net
毛沢東

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:40:58.22 ID:KoiCcpx60.net
司馬懿はどうしてメジャーになれないのか?

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:41:38.95 ID:KoiCcpx60.net
あるとき劉貴は一羽の白鷹を手に入れると、神武及び尉景・蔡儁・司馬子如・賈顕智らと沃野において猟を行った。
一羽の赤い兎を見つけて鷹を放ったものの捕えられず、沢地へとやって来た。
兎が茅屋へと逃げ込もうとしたところ、中から飛び出してきた犬が鷹も兎も噛み殺してしまった。
神武が怒って鳴鏑で射ると、犬は倒れ死んだ。
すると茅屋の中から二人のものが出てきて、神武の着物の襟を強く掴んだ。
その母は両目とも盲いていたが、杖をつきつつ二人の子を「何故大家に触れているのか。」と叱りつけた。
それから甕の中の酒を出すと、羊を煮て客をもてなした。
自ら言うには暗相をよくするとのことだったが、それぞれに触れては皆貴位に至り神武の指揮を受けることになろうと言った。
また、「子如は顕位を歴任するが、顕智は終わりをよくしないでしょう。」とも言った。
食事を終えて茅屋を出て数里行ってから戻ってまた訪れたところ人の住まいなどなく、あれは人に非ざるものだったのだとわかった。
これ以降、人々はますます神武を常人ならずと敬重するようになった。

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:42:13.87 ID:KoiCcpx60.net
遼東公孫氏の公孫康の子に生まれ、父が没した時は兄の公孫晃とともにまだ幼少だった為、叔父の公孫恭が遼東太守を継いだ。

立派なジャイアンに成長した公孫淵は、兄が都に出仕している間に、叔父・公孫恭を*お察し下さい*な理由から太守の座を無理矢理に譲らせ、魏皇帝・曹叡より揚烈将軍・遼東太守に任命され、その後は車騎将軍に任命された。

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:42:55.07 ID:KoiCcpx60.net
ちなみに兄の公孫晃は弟の性格が分かっていたようで、公孫淵は必ず背くから自分を将軍にして征伐の軍を出してくれとたびたび上奏していた。中国史のパターンではこの場合は助かるのだが、公孫晃に限っては連座してしまい、やはり一族もろとも粛清されてしまう、本人もそのことが分かっていて息子ともども泣いたそうで、高柔や裴松之からも同情されている。この兄が当主であれば潰れることもなかっただろうに。

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:43:57.86 ID:KoiCcpx60.net
三国志演義での公孫淵
基本的には同じジャイアンなキャラで登場する。

燕王を自称して司馬懿に討伐されるのも同じで、その際に、最初は和議を結ばんと相国の王建と御史大夫の柳甫を使者を送ったが、

貴様らは楚と鄭の故事を知らんのか?
私も魏帝から列侯に封ぜられた身、王建ごときに囲みを解け軍を退けと指図されるいわれはない。
王建は耄碌して主命を伝え損なったのだろう。次は若く頭の良い者をよこせ
と、王建と柳甫が司馬懿により斬殺されると、今度は、侍中の衛演を使者として人質を送って恭順する旨を伝えたが

降伏も出来ない奴は死ね。
人質など無用
として衛演も切り捨てられ、兵糧に困窮して城を捨てて逃亡しようとしたところを発見されて捕られられた公孫淵は、一族郎党及び廷臣らと共に斬首され、都に出仕していた兄・公孫晃の一族も全員斬首となり、叔父の公孫恭以外の一族が全滅して、公孫恭の死と共に遼東公孫氏は完全に滅亡した。

死ぬタイミングを計れなかった武将と一族の末路が悲惨なのは洋の東西・国を問わず皆同じと言うことであった。

そしてジャイアンとしてふんぞりかえっていた際に倭から魏への贈り物を横取りしていたらしく、遼東公孫氏滅亡後から倭と魏の関係が復活した。

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 16:03:56.16 ID:GtxW5zPe0.net
>>903
関羽〜魏延まではそのままでいい
劉封は孟達より上だけど、劉封自体の位置が不明だよね
関平も謎
関羽の襄陽攻撃軍に趙著と関平しか武将がいないのは、本当に人がいなかったのか、それとも関平がその時点で偏将軍・稗将軍クラスになっていたのか

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 17:08:41.97 ID:fRwW13TT0.net
荊州の人が多かったんだろうな
劉備に仕えて日が浅いしそこで終わったから名前も残らない

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 17:24:03.74 ID:KoiCcpx60.net
毒親に囲まれたイッチの人生が悲惨すぎる
恵まれた環境で育った人間に「親を恨むとかあり得ない」とか言われるから、環境格差は拡がる一方やんけ

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:34:39.94 ID:KoiCcpx60.net
性名字表記は駄目

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:35:52.89 ID:KoiCcpx60.net
漢中の防衛網は魏延が作った

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:37:21.64 ID:KoiCcpx60.net
劉備はヤクザとか

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:38:34.13 ID:KoiCcpx60.net
ほとんど戦の功績は史実に残ってないからね
どうしても戦に於いて最前線での軍師としての評価は低くなりやすい

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:39:36.49 ID:KoiCcpx60.net
>>そんな彼らでも軍事の天才とは呼ばれてないから、三国時代には軍事の天才はいないだろ。

まあそう言われたら返す言葉もないが
人によってどこからが天才と評価するかが違うからな
「人類の歴史上トップクラスでなければ天才といえない」という考えの人であれば、
確かに三国時代に天才はいないことになる
俺も「諸葛亮は人類史上最強の軍人だ!」なんて言うつもりはないよ
ただ、上にも書かれている通り諸葛亮は同時代の人からの評価がとても高いので、
少なくともこの時代においてトップクラスであった事は間違いないと思う

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:40:21.27 ID:KoiCcpx60.net
天才っていうのは、天賦の才、努力ではたどり着けない才能を持つ人物の事。
諸葛亮は宰相として間違いなく天才だが、
軍事に限ると、特に目立つような行動も功績もなく、軍事の天才とはとても言えない。

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 18:41:24.49 ID:KoiCcpx60.net
実績は少ないだけだからな。無駄に多ければ一流の証明と言えるわけでもない。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:35:45.96 ID:zq3Bn0Kd0.net
去年1年間に大麻に関わる犯罪で警察に検挙された人は、全国で6482人に上り、これまでで最も多くなりました。10代と20代が全体の70%以上を占め、特に若い世代での大麻のまん延が深刻になっています。

警察庁によりますと、去年、大麻を所持したり栽培したりしたなどとして警察に検挙された人は、全国で6482人と、統計が残る昭和33年以降で、これまで最も多かった令和3年を1000人上回り、過去最多を更新しました。

年代別では、▽20代が3545人と最も多く、次いで、▽10代が1222人と、20代までの若者が全体の74%を占めています。

続きはNHK 2024年3月21日 11:11

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:36:45.58 ID:zq3Bn0Kd0.net
適量なら健康に良いかも知れない

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:37:55.21 ID:zq3Bn0Kd0.net
インテルが過去最大3800億の赤字

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:38:21.50 ID:zq3Bn0Kd0.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:39:04.94 ID:zq3Bn0Kd0.net
自民党のせいで
もうめちゃくちゃ

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:39:41.15 ID:zq3Bn0Kd0.net
宗教政党が政権に入り込んで以来日本のぶっ壊れ方が凄まじいなおい

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:40:12.52 ID:zq3Bn0Kd0.net
タバコいじめた結果w

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:40:51.08 ID:zq3Bn0Kd0.net
酒に比べ健康に全く悪くない
楽しさは酒と、そこまで変わらない
大麻に流れてくのは自然な事

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:43:19.32 ID:zq3Bn0Kd0.net
法律に無理があるんじゃないのw

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 15:44:43.02 ID:zq3Bn0Kd0.net
親が氷河期とかいう史上最悪のカス世代だから子供もカスになるのはしょうがない

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:17:02.23 ID:zq3Bn0Kd0.net
https://kizuna.5ch.net/chinahero/subback.html

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:17:29.46 ID:zq3Bn0Kd0.net
毛沢東

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:17:57.37 ID:zq3Bn0Kd0.net
司馬懿はどうしてメジャーになれないのか?

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:18:33.44 ID:zq3Bn0Kd0.net
三国志・蜀将討議スレッド17

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:19:04.00 ID:zq3Bn0Kd0.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:19:37.43 ID:zq3Bn0Kd0.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161651545/l50

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:20:03.68 ID:zq3Bn0Kd0.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161769088/l50

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:20:33.75 ID:zq3Bn0Kd0.net
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/l50

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:21:39.31 ID:zq3Bn0Kd0.net
野球漫画を超えた男、大谷翔平の人生を漫画にしてみた(マンガで分かる)

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:22:37.52 ID:zq3Bn0Kd0.net
1994年7月5日

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:23:26.86 ID:zq3Bn0Kd0.net
あの無意味な毎日の連投を全て一人でやってたとか完全にキチガイですわ

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:24:22.88 ID:zq3Bn0Kd0.net
大谷選手は実力だけでなく人柄も良いから好きだわ。
礼儀正しく誰からも愛されるから本当に良いね。

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:24:56.38 ID:zq3Bn0Kd0.net
栗山監督が諦めずに日本ハムに入団させて基礎力を屈強にしたのは大きいと思う

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:25:44.84 ID:zq3Bn0Kd0.net
そんな奴おらんおらん

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:26:15.04 ID:zq3Bn0Kd0.net
ほんとこれだけの功績を残しておきながらスキャンダルが一切出てこないのがまじで凄すぎる。

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:27:13.58 ID:zq3Bn0Kd0.net
ありがとう、実際にやってみるよ

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:27:46.18 ID:zq3Bn0Kd0.net
あれだけの活躍で大きなスキャンダルが出ないのも奇跡だな

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:29:12.15 ID:zq3Bn0Kd0.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:29:55.56 ID:zq3Bn0Kd0.net
当然のように平日休日関係なしだな

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:30:41.58 ID:zq3Bn0Kd0.net
実は父親によれば、ドラフト後の面談ではすぐに大リーグに挑戦するリスクがあることや、日本でプレーするメリットを説明されても、全く心変わりはしなかったそうです! 日本ハムから二刀流を提案された時、初めて心が動いたらしいです。メジャーリーグも投手として獲得することが前提だったので、誰もやったことがない二刀流に魅力を感じたんでしょう

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:31:25.15 ID:zq3Bn0Kd0.net
蜀における武将、人材に関して総合的に語り合うスレ
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
正史・演義どちらか一方を正統とする発言は極力避ける事。

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:31:55.83 ID:zq3Bn0Kd0.net
漫画を超えた、小説やドラマを超えたとか言われるけど、もはやあの
大河ドラマの「どうする家康」が学芸会ドラマにしか思えないぐらいの超ドラマを
大谷選手は見せてくれている。

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:32:32.53 ID:zq3Bn0Kd0.net
お婆ちゃん本当に大丈夫?

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:33:16.03 ID:zq3Bn0Kd0.net
親が出しゃばって本出したり、CMに出たりしないのがいいね
誰とは言わんがw

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:33:47.40 ID:zq3Bn0Kd0.net
我を忘れるほど興奮してるのは確か

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:34:26.79 ID:zq3Bn0Kd0.net
大谷選手の親御さんって息子からの仕送り拒否してパート勤めしてるとか。で息子に女子アナとの結婚は禁止させてるとかも笑。
親御さん含め周りの大人がかなりしっかりしてる。

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:35:00.97 ID:zq3Bn0Kd0.net
(漫画)気を付けろ。血管が詰まる寸前に出る危険なサインを漫画にしてみた(マンガで分かる)

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:35:31.63 ID:zq3Bn0Kd0.net
ちゃんと評価してやれ

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:36:07.80 ID:zq3Bn0Kd0.net
3日連続100レス以上してる人間に怖いとか言われたくないわ

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:36:39.24 ID:zq3Bn0Kd0.net
レス数が980を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:38:16.18 ID:zq3Bn0Kd0.net
【2ch面白いスレ】>>3が普通の世界でまさかの展開にw【ゆっくり解説】

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:39:06.13 ID:zq3Bn0Kd0.net
【2ch面白いスレ】「ラーメン屋開くで!」安価した結果w【ゆっくり解説】

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:39:35.35 ID:zq3Bn0Kd0.net
ほんとそれ
自分を客観視できないとこうなるんだね

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:41:24.64 ID:zq3Bn0Kd0.net
70円は明治大正の頃でも開店資金としては無理そうですね……

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:42:15.10 ID:zq3Bn0Kd0.net
怨念凄まじいと思うよ

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:43:20.83 ID:zq3Bn0Kd0.net
レス一気に減ったねー
馬鹿にされたの相当効いたみたい

=== 書き込み数 ===
2023/08/31(木) 22
2023/09/01(金) 48
2023/09/02(土) 110
2023/09/03(日) 110
2023/09/04(月) 120
2023/09/05(火) 21

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:43:59.80 ID:zq3Bn0Kd0.net
完全に病気だろ?
しかもブチ切れて連投しまくり

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:45:14.29 ID:zq3Bn0Kd0.net
昨日はなにしてたんだろうね
書き込み総数10ってw

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:46:25.80 ID:zq3Bn0Kd0.net
このお婆ちゃんちょっと文章が長くなるとすぐ意味不明になる
日本語がおかしい

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:47:18.00 ID:zq3Bn0Kd0.net
今日は一体何が起きてるの

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:47:55.44 ID:zq3Bn0Kd0.net
何が彼女を狂わせるのか

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:48:37.37 ID:zq3Bn0Kd0.net
完全に終わってるな
廃人じゃん

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:49:13.58 ID:zq3Bn0Kd0.net
もうフランスに行くことはない

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:49:44.96 ID:zq3Bn0Kd0.net
悲しくなるよね

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:50:18.34 ID:zq3Bn0Kd0.net
ここのチャンネルはながら見するのに最適なんだよなぁ…。またながら見します!

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:50:56.15 ID:zq3Bn0Kd0.net
このスレ一体何が起きてるんですかね

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:51:25.02 ID:zq3Bn0Kd0.net
5chへの連投がお婆ちゃん唯一の生き甲斐

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:52:09.15 ID:zq3Bn0Kd0.net
お婆ちゃんも気をつけてね
今は施設じゃなく自宅なんだろうけど

【北海道】高齢者施設で寝たきりの100歳代女性に性的暴行か、入所者の79歳男を逮捕…女性は死亡 釧路 [おっさん友の会★]

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:52:40.02 ID:zq3Bn0Kd0.net
自分のやってる行動がいかに異常かって事にすら気づいてなさそうだねこのお婆ちゃん

1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 17:53:47.39 ID:zq3Bn0Kd0.net
蜀が滅びた時は悲しかった。

1002 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1002
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