■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【王莽】新〜後漢初【光武帝】3
- 353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/28(土) 01:31:47.04 ID:IuyVZJ6U0.net
- 陳亮『酌古論』
http://ctext.org/library.pl?if=en&file=919&page=87 〜
論者は「みな」言う、ケ禹の計はそういう(関中の勢力の自滅を待つ)ものであったのに
光武帝がケ禹をせきたてて進軍させ敗戦させてしまった、と。
私「だけ」はそうではないと考える。(光武帝は)苦しみ動揺する関中の民を救うのが間に合わないことを恐れた、
まして自軍が勝っているのに留まって兵を進めないとは、はた何を待つことがあろうか。
長安に拠って戦勝ムードを盛り上げ、住民を慰撫し、士卒に振る舞い、弁士に威徳を宣伝させれば
赤眉・延岑は韓信が趙を破ったような勢いで簡単に平定できたはず、
しかし疲弊した兵を率いて延岑と戦って敗れ、糧食が乏しく連戦連敗、
どうしてケ禹の才略に足りない点がなかったといえるだろうか。
「論者」が誰を指すのかとかは分からんけど南宋の陳亮がいう限りでは
ケ禹の大敗の原因を光武帝に求める見解が多数派だったらしい
王世貞『読書後』
http://ctext.org/library.pl?if=en&file=52546&page=94 〜
明代になるとケ禹は将軍の器じゃないし光武帝も人選ミスしたから
両者に原因があるという指摘が出てくる
総レス数 1047
457 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★