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項羽と劉邦 その4

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:29:33.93 ID:1YJ7rFfx0.net
んもぅ…わしをこんなに心配させおって…

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:30:08.97 ID:1YJ7rFfx0.net
前スレ

項羽と劉邦 その3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1379633993/

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:32:12.31 ID:1YJ7rFfx0.net
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです

前スレ
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/
項羽と劉邦 その2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1219552075/

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 23:05:21.70 ID:U0Ri9Gv30.net
南北朝スレみたくすぐ落ちそうだけど大丈夫か?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/12(土) 08:48:36.03 ID:Qi5d1hRF0.net
ありえない

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/12(土) 11:38:44.43 ID:fjietc1G0.net
おちるかもな

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 10:01:03.99 ID:dImC0GdZ0.net
ちょっと面白い

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 08:35:56.03 ID:PPXhdOjp0.net
糞スレ立てんな

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/20(日) 10:07:59.24 ID:z72WF6qj0.net
僕も

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 10:10:52.79 ID:s5EqZbaK0.net
すまん

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 13:06:09.97 ID:K/63/7/q0.net
李左車先生かっこいい

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 15:39:49.09 ID:xzjgsgpW0.net
韓信 李左車 龍且 鐘離昧

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 18:12:58.39 ID:3zlI6dYi0.net
前スレ>>999
>劉邦を凡将よばわりなんかしてたっけ?
>もしかして劉邦に指揮できるのはせいぜい10万って言ったことならあれは劉邦の「将の将たる器」を説明するための例え話みたいなもんだろ
いやあれは自分の才能をひけらかして劉邦を凡将扱いした上で、劉邦が気を悪くしてるのに気がついて取り繕った言葉だ。
10万で十分というのもごもっともではあるが。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:03:30.76 ID:UZuU9OCw0.net
三国志だと10万率いれたら十分なレベルだよな

まあ項羽と劉邦の時代と三国志とは時代も違うから簡単に比較できないかもしれんが

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:27:12.17 ID:kr+szPO80.net
ナポレオンの時代でも直率できる部隊の限界は4万ぐらいだったらしいから
10万ってのはまあ直率+αと考えればかなり有能な将軍になる

韓信は指揮伝達系統をどうやって構築していたか気になる
多ければ多いほど難易度跳ね上がるだろうに

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:36:58.23 ID:HZNiKmP00.net
呉起だと一人の将軍が統率できる兵は5万が限界とか言ってた記憶があるから
劉邦の将才って地味に高いんだよな

まあ、大軍率いてやらかした事案が多数あるから10万が限界って言われたのかもしれんが

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 06:02:50.27 ID:gOtk2liF0.net
>>16
実績を素直に評価すれば劉邦は良将
致命的な敗戦が二回ぐらいあるだけで凡将扱いというのはイメージ先行過ぎると思う

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 13:10:27.23 ID:uJhC+K9/0.net
>>17
致命的な敗戦×2で生き残って漢帝国を建国しているから運だけの男扱いなのだろ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 17:23:44.46 ID:wpE1Gm7o0.net
趙括はたった一度の致命的な敗戦で死んだからな。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 02:20:05.67 ID:/2kelEwD0.net
>>17そういう点は子孫の劉備も似てるな

まあ、劉備は致命的な敗戦以外にも細かい負けがかなり多いが

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 22:31:57.65 ID:aB4qddsk0.net
あの頃の勘定技術って正確なんだろうか?
1万人を数えるのって大変だよ

10万人=実は5000人くらいだったんじゃないの?

つうかあの頃の中国って10進法?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 13:31:10.55 ID:fen4mB6hO.net
「中国の歴史に出てくる大軍はだいたい桁を一つ下げたくらいが本当の数」とはよく言われるな

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 15:28:24.23 ID:UaIPgn3P0.net
1700年代のフランスでは推定人口2200万ほどだったようだが
スペイン継承戦争で動員した兵力は約25万ほど、総人口の1%強である
ナポレオン戦争の頃で推定人口2900万、動員された兵力が総数で130万、総人口の4%教になる
なお、フランスはこの後当分戦争はお休み状態になった
総力戦となったWW1前の1900年で総人口4100万、動員数約840万、総人口の20%まで上った(なお死傷者数560万)
フランスはWW2でドイツにボロ負けすることになるが、これはWW1の傷跡が深すぎて軍事的に立ち直ることが
できなかったためだとも言われている(1925年の人口は4000万、1945年で4200万と30年かかって戦前の水準まで回復)
ここから持続的に戦争できる動員兵力と言うものはおそらく総人口の2%〜3%が限度ではないかと推察される

楚漢戦争時代の漢の人口を仮に300万と見積もった場合
5年間で動員された兵力はやはり多くても10万ぐらいというのが妥当なところではないだろうか
垓下の戦いにおける劉邦軍10万というのはギリギリ現実味のある数字である一方
斉から来た韓信軍の30万というのは無理な動員をかけたか、数字上の誇張が含まれている公算が高い
(しかしながら不可能な数字とは言いきれないのもまた事実である)

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:05:50.10 ID:kO1laRdz0.net
動くもの 人間を数えるのは結構難しい作業だよね

まず大前提として、上から見下ろせるような場所から視認 指差し数折り・・・

「正確な人数を数えること」が、当たり前に出来ること、とされてない時代  そしてそうするべきなのだと義務付けられていない時代 
報告された人数が正確なのかどうなのか発注者自身が確かめようのない時代

果たして数えられた人「数」は正確だったのだろうか?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:33:52.75 ID:sBQNR73r0.net
>>24
整列させて点呼報告させれば簡単に把握できるよ
十列で十行並ばせたらそれで百人だ

整列すらできなかったら軍隊というよりは流民と呼ぶほかあるまい

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:37:05.78 ID:sBQNR73r0.net
戦場でのカウントということであれば数にかなりの誤差が生じるだろう
敵軍は往々にして欺瞞のために嘘の兵数を喧伝するから

まあ斥候情報からの類推になるんだろうな、まあ斥候もそこら辺は訓練するだろ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 06:58:07.91 ID:E4uir6LL0.net
あの強大な秦がわずか一代で倒れたのはただごとではないよね。
蘇秦や張儀が見たら腰抜かす超展開だろう。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 19:13:21.89 ID:8i0P9je50.net
李斯は腰抜かさずに腰斬られたな

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 17:38:10.98 ID:0iooDx0q0.net
国家や貴族でなく民衆が反乱を起こすとは陳勝以前には誰も考えもしなかったのでしょう

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 19:50:39.11 ID:9L6MjhjP0.net
>>25
韓信が掛け算知ってて「すげえ!」って言われてたような記述どっかで見たな

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 21:57:37.17 ID:ODdeoBZQ0.net
話題を2週間くらい戻すけど、やっぱ中国人って文治政治が好きなんだろな

軍事なんてエライ人のすることじゃないっていう意識があって、
だから劉邦や劉備を弱い、強かったのは部下ってことにしたがる
日本人から見るとただのネガティブ工作に見えるが、たぶん悪意はない

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 14:07:11.44 ID:AEQdA0LO0.net
>>24

人の人数を数えないと兵力を算出できないわけではない。
孫?はかまどの数で兵力を偽装できた。

使われた物資の量、運搬に当たった馬車の数、
輜重部隊の数、あらゆるところにその証拠は残る。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 17:22:09.15 ID:cKa0rlLA0.net
でも10万個のかまどを一個一個かぞえるのは大変だ

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 19:15:27.42 ID:aZ1xM80X0.net
>>23
まず劉邦軍は彭城の戦いで10万とかいうレベルでなく56万まで膨れ上がってる。
漢も当時韓信が別にいるし、連合軍の各勢力も本隊を別に残してる。
項羽も精鋭3万のみで大部分の本隊は残してきたし楚にも余力があったろう。
斉もいたな。これも大軍を動員できる。

とすると当時「中国軍」があるなら100万以上は確実200万くらい動員できたんじゃないだろうか。
2〜3%として、5千万は人口がいたことになるが、ありえんだろう。

もっというと例えば白登山が典型的。匈奴が40万を動員し、劉邦は32万で敗れた。
当然だけど遊牧民は凄く数が少ない。
ワールシュタットのモンゴルは1万程度。契丹も女真も少ない。
匈奴が40万も動員できるはずもない。精々数万が限界だろう。
韓王信が加わってると反論できそうだが、韓王信は独力で30万を超える軍勢を持つことになり更に奇奇怪怪に。

そして劉邦。「中国軍」を使える立場になり、国の命運を賭け親征した。
何で32万しか動員できない?100万を動員できるはず。これでは韓王信に負けてしまう。
匈奴は異様に多く、漢は異様に少ない。漢は負けた。流石に何を言いたいのか分かると思う。

つまり、不可能な数字と言い切れるんだ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 22:07:05.38 ID:M0X+4zpQ0.net
>>34
匈奴の兵数はマックスでも10万〜15万ぐらいが妥当な数字だと思う(後世のチンギス・ハンの征西時の数字を参考に)
それどころか3万前後でもおかしくない(モンゴルの西遼遠征時がこの規模)

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 01:28:36.15 ID:mAo5O71G0.net
>>23
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html#14

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 06:14:21.30 ID:6GDH3wTi0.net
>>34
対匈奴の屈辱的な敗戦の実状を緩和させるために「匈奴は漢を超える兵力で包囲してきた」という公式戦史が喧伝されたのではなかろうか?
漢軍の方が大軍だったのに包囲殲滅されかけたなんて話が残ってたらそっちの方がはるかに大恥をかくことになっただろうから
漢の32万の兵力なんて衛青の活躍した時代でもそこまで捻り出せてない数字だし粉飾なのは確実だろうね

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 11:41:31.95 ID:grBdzBV40.net
「兵力」という言葉が単純に数なのか疑問。
漢軍=歩兵+騎兵
匈奴=騎兵

春秋戦国時代においても、
戦力で一騎が歩兵いくらに相当するのか?
みたいな換算があって、それに装備や地形効果を加味して補正するわけだが。
平原のただなかにぽつんと置かれた歩兵がいかに多勢であろうと、
騎兵にとっては動かないに等しいのろまな亀でしかない。

歩兵が戦力として威力を発揮するのは、
陣地にこもるか、方陣を組んで正面の敵のみを撃破する場合だけだ。
通常中原であれば側方を山や川で攻撃されにくい地形を選んで布陣するものだが、
この場合はそれができない。

陣地にこもった歩兵なら、騎兵で包囲は可能だ、補給路を断って、
出てきたのろまな亀だけ見つけたら叩きに行けばいい。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 19:40:24.78 ID:ll0uOprY0.net
”兵”って漢字は、本来は人というより武器・武力という意味が強いと聞いたことがある

『六韜』によると、
「平坦な土地」では、1騎=歩兵8人
「険しい土地」では、1騎=歩兵4人だそうで、

騎兵5万人のことを兵力40万って表記するのはありえるかも?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 06:14:30.64 ID:z6Zfdjhi0.net
韓信に斉を与えたままで出兵させてれば
匈奴を打ち破ったのだろうか?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 21:19:03.90 ID:DedU8trI0.net
百人長、千人長の数で数えてたに決まってんだろ
馬鹿すぎるわ

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 04:28:31.83 ID:q5MATwog0.net
こんなアホが真っ先に殺されるんだろうな

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 19:52:35.69 ID:tsUDbc/W0.net
個人的にだが・・・
韓信の能力に疑問を持っている。

韓信は、時間をかけて罠を仕掛けてそこに誘導するような戦術は得意かもしれないが、
今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。
むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

韓信は役に立つのだろうか?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 20:56:45.97 ID:BQ9/Xxnx0.net
>>43
何を言ってるのかわからん

>今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。

これは例えば誰がどのように発揮したものなのか?
項羽だろうが冒頓だろうが戦端を開く前から作戦はちゃんと立てて
その作戦に沿った戦い方をしてるようにしか見えないが・・・
(二人共基本自分から戦闘を仕掛けることが多いし
項羽が攻撃を受けて立った固陵の戦いにしても
あんな長距離に渡って何日も漢の大軍に追尾されたんだから
当然気づいて迎撃の準備を整える時間はあっただろう)

>むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

韓信が‘戦闘中’に優柔不断さで判断を誤ったという場面はどこにある?


>匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
>匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

白登山で冒頓が漢軍相手にやったことはまさに時間をかけて
敵を山に誘い出し罠にはめるというやり方
逆に劉敬の忠告通り罠が疑われるところに近づかなければ
緒戦に勝利を重ねていた漢軍が大敗で終わることはなかっただろう
あと垓下の戦いなんかは別に地形を利用した戦いではなかったのではないのでは?
亰・索や代攻略のように史書に戦術が残ってない戦勝もあるが
これも特に奇策は使わなかったからわざわざ作戦の記述がないとも考えられる

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 10:21:12.45 ID:GrO+G/GT0.net
戦闘中以外はなにもかも全部優柔不断だが戦闘中だけはピシッとしてる韓信

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 12:17:37.08 ID:ZwNFMXIU0.net
物言いに剣がある人が他人に対して質問してるのって滑稽に見える
縦横家にはむかんタイプだな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 06:07:35.71 ID:vBSb+gPi0.net
ていうか>>43はアウェーの大草原で戦うことを想定してるみたいだけど
長城を越えて遠征なんて100年の繁栄で国力が蓄積された武帝の時代だから出来たことで
仮に戦術的に優位に戦えたとしても戦乱で疲弊した当時の漢の体力じゃ専守防衛するしかないでしょ
始皇帝ですらオルドスから匈奴を駆逐したあとは長城建築して防衛するに留めたのに

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 10:35:19.20 ID:7OsVc2bc0.net
罠を仕掛けるって相手の心理や都度の流れあってこその戦術だと思うんだ
それに長けてる者が突発的な事象に対応できないってのは考えにくいと思う
それらを想定できるからこそ罠をはれるんだろうしね

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 01:27:46.79 ID:O8CJnYtj0.net
しかし夏侯嬰と蕭何は、韓信の軍才をどうやって見ぬいたんだろね
こういうのは実際に兵動かさせて見るまで分からないイメージあるけど、
話しただけでわかるもんなんだろうか

何を以って、雑多な将とは違う国士無双だというほどの確信を得たんだろ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 02:56:34.71 ID:fcSjc3C10.net
夏侯嬰はとりあえず見所がありそうな奴を奴片っ端から助けてたんじゃね。
季布を助けたのも夏侯嬰だし、侠者として認識しても良いと思う

よく分からんのが蕭何だわ
治粟都尉だった韓信の上官として何かしら思う所があったのかもしれんけど
国士無双という評価にどうやって至ったのか、さっぱり分からん

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/25(月) 20:45:14.88 ID:OmWAFEuy0.net
韓信の推挙は項羽と劉邦最大の後付けだと思う
両陣又いだとしても執戟郎から大元帥は無理がある気がする
結果を出す才能ありきだけど、それ以上に売り込みに余念がなかったんじゃなかろうか
袖の下も同時は普通だろうし清廉潔白のイメージも後世に強調され過ぎた気がする

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/25(月) 20:51:22.69 ID:Zq1GIMSu0.net
韓信の政治的な無邪気さというのは本質なのか後付けなのかで大いに悩まされるな
脇の下が甘かったのを後世脚色されまくった結果と見ることもできるし
生来政界遊泳に疎かっただけと見ることもできるし

ただ性格づけは極端過ぎる気が

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 10:00:40.63 ID:V9XbMDtY0.net
>>27 始皇帝が趙高を信用、重用しすぎたのが崩壊の始まり。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 19:28:46.25 ID:3IA1Vw8a0.net
前から疑問なんだがかんしんってどこで兵法書読んだの?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/25(水) 00:57:40.27 ID:vYXRZ9fY0.net
>>54
鍾離眜と知り合いだしそこら辺の繋がりはあるんじゃね

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 07:52:38.54 ID:qEleolHm0.net
>>27
張儀時代の秦は既に雄国だけど一強ではなく列強のバランスが保たれているので
彼らはまず天下一統に腰抜かすと思う

時代下って魏冉〜始皇帝くらいになると三年で強秦が崩壊する超展開なんて多分信じないw

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 08:01:57.25 ID:/kADrLIU0.net
楚漢戦争の状況を考えると楚にも天下統一の可能性あり得たんだよな
斉は微妙だけど魏晋南北朝とか考えると山東半島と河北押さえている強国が多かったからこれも可能性ゼロではなさそう

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 20:22:25.99 ID:Jt7H0UeW0.net
>>56
魏冉「つか、秦軍脆すぎない? 誰が指揮執ってんの?」
白起「趙に大軍を貼り付ける(王離章邯軍)戦略、私、嫌な感じがします」

感想はこんな感じやろな

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 22:58:49.64 ID:VzFE0qK10.net
>>57
魏晋南北朝は山東(河北)の勢力が強かったね。
斉は趙(燕)を抑えてから宋を取ってたら天下統一も夢じゃなかった、悪くても東西二大帝国
順番を間違った斉の一瞬の隙を見逃さなかった秦の狡猾さは大したものだわ。

>>58
あんたらの時みたく主力軍も援護する軍も寡兵で多勢を木端微塵に打ち砕く精強さがあれば良かったけど
秦末の秦将は(途中まで調子良かった章邯軍除く)どいつもこいつも野戦弱すぎ。
にしても鈍い大軍のやらかし率は異常だなぁ、一旦不測の事態に陥ると国家滅亡レベルの深手を負うし。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 00:08:21.68 ID:ARSV8Vkj0.net
>>58-59
河南の秦軍が弱すぎて攻撃的な機動防御不能ってのが痛いよな
河北に展開した兵力に何かあっても救援できない

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 06:42:42.09 ID:3ySS6olF0.net
まあ、秦軍の質的劣化は、戦国晩期にはもう相当進行していたと思われる
急速な拡大を支えるべく故秦以外からの大量動員に依存した結果、体質が変化し脆弱に

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 02:21:20.96 ID:a3CLgavg0.net
全国から寄せ集めた数頼りの戦法が目立つ>戦国末〜秦末

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 07:30:46.62 ID:4xBpnXys0.net
李信蒙恬20万
王翦蒙武60万
蒙恬王離30万
南越遠征50万

始皇帝「…言われてみればそうである」

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 20:29:12.27 ID:1KpbtxNx0.net
>>61
東北と南方の支配は早すぎたなぁ感
そこらに有能忠実な管理職と兵卒のリソース割いてなかったら
ボンクラ君臣でも制圧できたろうに……

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 22:18:30.91 ID:zfYqmVzb0.net
そもそも廷臣から覇気が感じられない

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 00:06:18.48 ID:bTw3Cpql0.net
李斯を除くと
よくわからんモブ重臣、しかも旧六国出身の外国人しかいないってのが…

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 06:25:27.05 ID:MfNfa55w0.net
始皇帝〜二世皇帝にかけて高位高官を占める馮氏は謎ですねぇ

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 16:02:33.20 ID:57rpZFSC0.net
ドクター・フー?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 18:24:11.00 ID:nCeDD58G0.net
ほぼ完全に固定化した大貴族が高位高官を独占し続けた我が日本国の朝廷だと珍しくもないが
同族と目される人物が同時に3人も百官の主席付近に座ってるのは戦国秦→統一秦だと珍しいね

三晋→秦→楚漢戦争(魏)→漢

戦国の終焉と統一秦の崩壊で由緒正しい家門が消滅するなかしぶとく生き残った息の長い名族やね>馮氏

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 19:27:22.60 ID:MfNfa55w0.net
戦国趙の馮氏は後に名将馮奉世を輩出し漢の外戚になった名族ですねぇ
地味に劉邦軍にも馮氏いるけどこれは関係あるのかないのか…

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 23:32:00.15 ID:bTw3Cpql0.net
楚が滅び親父項燕が死んだとき普通に秦の旧都に住んでた項梁
ちゃっかり劉邦に味方して生き残る項一族

項氏もかなり不思議な氏族

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/31(火) 07:54:53.75 ID:q6xzfAYl0.net
戦国期の項氏は親秦派よりの貴族な希ガス

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 00:06:14.96 ID:jigG0AlA0.net
【項羽】
・懐王楚王朝をぶっ壊した謀反人
・項一族の嫡流ですらない

すぐ人望を失くすわけだよ

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 00:41:34.96 ID:BbHUHS0n0.net
非主流派だよね〜

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 11:11:46.40 ID:ucLMzKIv0.net
>>73
嫡流はなにしてんの?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 19:00:20.62 ID:33ouxKnj0.net
たぶん項伯が嫡流じゃろ

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 20:37:44.34 ID:ucLMzKIv0.net
>>76
名前からしたら長男かそういえば
上手く生き延びてんな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 21:20:09.43 ID:BbHUHS0n0.net
項羽と同じく字の方が有名な項伯こと項纏さん

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 06:29:52.99 ID:F6FlhK9f0.net
劉邦が推戴されて皇帝に即位するなんて予想できるはずもないのに
項羽が健在な時から劉邦さんに近い項氏がチラホラいるのはつまり
義帝楚国で項羽が頭角を現し項氏の棟梁と認められる時期が遅かったからでしょうね。
みんな義帝の臣下という立場なので対等、独自に劉邦と誼を結んでいた。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 23:59:49.14 ID:qbigQIbo0.net
劉邦は項伯と姻戚になる約束してたんだっけ?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 00:26:59.92 ID:s/a7j8HZ0.net
姻戚じゃなくて義兄弟……

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 00:45:50.50 ID:dkuqIyUh0.net
サンクス、義兄弟か

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 00:24:29.48 ID:IYNX6okp0.net
劉姓を賜って広い意味で同族になりました

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 03:17:49.68 ID:QEyBJQ8rO.net
あれ、義兄弟は羽で、伯はこうもんの会取り次ぎの際、伯の息子と劉邦の娘を婚約させたんじゃなかったっけ?

羽が「降伏しなかったらお前の親父をスープにしてやる!」って言ったときに劉邦が「俺とお前は義兄弟だからお前にとっても父になるぞ、父親を殺すのか」と反駁

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 23:58:29.37 ID:5pBQI+Z60.net
うむ

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 15:06:51.33 ID:4Nl9Z5Cs0.net
唐代からあるネタだけど「肛門の会」

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/13(月) 01:11:34.41 ID:z4/xMIqr0.net
・懐王の居城に近い地域を守り、侵入した王離軍等を撃退
・趙軍の中原進出を阻止
・懐王の命令通り関中を落とす
・懐王の命令を無視する項羽の大軍阻止を試みる

劉邦さんって割と楚懐王の忠臣してると思う

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 06:55:44.62 ID:SeS29V1d0.net
元・公務員だし臣下やるのは得意そう

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 12:29:33.83 ID:LW//GlyJ0.net
公務員と言っても事務が得意な役人タイプじゃなくて
進次郎の曽祖父(政治家だからいちおう公務員)みたいな任侠タイプだけどね

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 17:58:14.39 ID:qlwxJn980.net
まあ政治屋の方が向いてるだろうけど事務能力もそれなりに高いでしょう。たぶん

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 21:58:14.34 ID:eotvEjFIO.net
いろいろ間違ってるな
・項伯は末っ子であだ名として落ち着いてるからギャグとして、
伯(長男)とついた
・項伯はたまたま張良に助けてもらったことがあり、
その頃は項羽の羽の字もなかった
・項伯が劉邦助けたのは張良との縁のたまたま
劉邦自体劉の字も元々なかった
・だから項一族を裏切って劉邦派と取引した気脈通じてたもくそもない
楚漢戦争はたった六年
そんな暇もない単なる偶然
・項梁と項羽の父と項伯とが兄弟
項梁とかの父が将軍として有名
・項梁が倒れて将軍になれるのは項羽しかいないから非主流派もくそもない
主流派非主流派で争う暇もない楚漢戦争はあっという間の出来事

・項羽が項梁なき後将軍になったり楚王になったのが25、
天下を暴れまくって四面楚歌で垓下に倒れるのは31
若造すぎた
項羽は単に人望がなかっただけで項一族中の問題は関係ない

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 22:53:26.87 ID:azaWWNRV0.net
なぜそこまでナイナイと切り捨てるのか謎であるよ
史記その他の情報なんておそろしく限定的だし司馬史観な偏りも当然ある
過疎スレだし少々の推測は大いに結構楽しくやろうぜ

楚漢戦争はあっという間の出来事で争う暇はない?内部対立で自滅した二世皇帝政権に謝ろう(苦笑

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 23:41:55.13 ID:eHT8Ol2v0.net
>>87
劉邦凡将論は百害あって一利なしだわ
史記だけ読んでも明らかに戦国後期の名将と比較して何ら遜色のないやり手なのに

その反面史記の楚漢戦争はかなり単純化された戦略理論のケーススタディ資料なんじゃないかと思うときもある
何かスッキリし過ぎというか分かりやすすぎというか…

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:03:04.96 ID:PtrCiKPg0.net
楚軍も項羽軍も出来たてホヤホヤの雑多な集団だから皆さん安全保障のために気脈通じまくり争いまくりだと思いますよ。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:16:52.20 ID:KT/IyvTe0.net
曹無傷の裏切りとか
どこの軍も二股膏薬が横行してそう

ちんぺーや韓信は普通なんだろう
逆に紀信とか「おまえ何でそこまで尽くしちゃうの?」レベルの奇行だったんじゃないかな?

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:36:47.38 ID:hs/FpaKnO.net
義理堅いと言われる季布が軍を脱走して逃げている事実。さすがにそれだとアレだから創作物だと逃げたのではなくはぐれたことになってるのも多いけど

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 03:54:52.81 ID:zZACuA050.net
季布が脱走したって記述、どこにあるの?

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:03:34.60 ID:XyriM37R0.net
>>93
うっかり凡ミス大ポカ(この隙は世相にも原因がありそう)があるのが玉に傷だけど能力自体は極めて高いね
やらかして絶体絶命のピンチに陥ってもトドメを刺されない地力があるし

>>95
伝統あるきちんとした君臣関係が構築されてない時代だから罪悪感薄いだろうね

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:45:12.11 ID:PMpo2l9W0.net
後門の会の項伯に関しては説話的には義理人情で動いたことになってるけど
実際あそこで義帝政権実質ナンバー2の大功臣劉邦を項羽が処断するのは政治的にヤバすぎる
っていう常識的判断な希ガス

>>95 >>98
みんな抗秦の同志なんで上下関係は緩い
秦の統一事業で旧六国内部の秩序が弾圧・解体されたせいで元から流動性高いし

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:46:12.28 ID:hs/FpaKnO.net
>>97
以前横光スレで史記にそう書かれていると聞いたけど、あれやっぱり横光項劉の創作だったのか?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 14:55:19.69 ID:vCYCpcIp0.net
>>100
少なくとも俺がざっと見た感じ史記や漢書にそれらしい記述は見つけられなかった
ざっと見ただけだから見落としあるかもしれんけど、横光史記ソースなら横光さんの創作の可能性高いかもなあ

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 15:46:53.64 ID:HamoiROR0.net
鍾離昧と季布が逃げたって話は、垓下の戦いのときね。

季布は朱家にかくまわれて鍾離昧は韓信にかくまわれたから、
項羽とともに討ち死にしなかった、漢軍にも投降していない(なぜならその後賞金首になったという事実)
=どこかで逃亡した以外にないわけだ。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 21:46:14.03 ID:vCYCpcIp0.net
そもそも史記・漢書だと、垓下に項羽と虞美人以外に誰が居たかさっぱり分からんという事実があってな

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 21:56:34.91 ID:vCYCpcIp0.net
まあ、季布が最初に匿われた濮陽周氏が居た濮陽と、
項羽の垓下→呉or臨江ルートが方向真逆だから、季布が逃亡したと見做すことは出来るかもなあ
ただ垓下に季布が居た記述がないから、項羽と合流する途上で項羽滅亡を知って濮陽に隠れたということも言えなくもないけど

楚漢戦争時の楚将の記述薄すぎて分からんこと多すぎんのよ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 22:02:28.82 ID:XyriM37R0.net
実際はかなりの大軍で逃走していたようだし妻妾も一緒だったかもしれんな

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 00:55:01.49 ID:G01Jykzc0.net
wikipediaみたら「垓下の戦いあたりで、鍾離?とともに一兵卒に変装して項羽の陣営から離脱した。」ってかいてあったけどこれのソースは何なんだろう

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 06:15:04.24 ID:HuiMeZZG0.net
正直wikiはあまり信用せん方がいいと思う

垓下の戦いに限らず楚将たちの動向って
龍且のように遠征軍の司令官でもしないと一々書かれてないことが多いけど
それでも鍾離昧なんかはレキ商と鉅野で戦ったとか
広武山の戦いの前に劉邦にケイ陽で囲まれたとかちょこちょこ名前は出てくるが
季布は本人の伝が立てられてるのに楚漢戦争での具体的な動向が全然わからん

漢書だと固陵の戦い&韓信が動いたのが10月で垓下が12月と多少時間はあるから
多分季布のような主力部将?はそれまでに出来る限りは集結させてたと思うけど

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 12:33:39.26 ID:e1tO78Sp0.net
通鑑とかだと固陵の戦い前後の楚軍はもう疲弊の極みっぽい印象を受ける文脈だなあ

垓下が初っぱなから包囲戦っぽく書かれてるのって通鑑だけか?
「漢と数戦して勝てず」→包囲
という流れは乱暴過ぎるわ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 20:09:38.76 ID:th/Flr5G0.net
項羽が鉅鹿落としたのと、陳渉呉広の乱で周章(周文)が函谷関抜いたのと、
どっちが難易度高いだろう?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 23:53:02.39 ID:QaECKGXd0.net
鉅鹿は落としたいうより救援だな
鉅鹿を攻めていた秦軍を破ったわけだから

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 01:51:18.29 ID:/0eE4d5G0.net
>>109
攻城中の大軍があっさり崩壊する例は戦国期にもあるし難易度の判定は難しいな
函谷関は機能さえしていれば難易度高いだろうけど(というか烏合の衆じゃ到底無理)肝心の三川郡守が城一つ守って攻囲されてる状況ではなぁ

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 10:26:00.70 ID:K08jmINt0.net
そもそも人数は全部適当と思っているので大軍崩壊もどこまで本当やら…

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 12:17:44.36 ID:X+Bygzf+0.net
>>24
軍には伍、什、旅団、師団
みたいに各単位で固まってるから
伍長が10人いるから50人
師団長が2人いるから12000人

みたいに、統括する長の人数で概算だったんじゃないかな

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 12:21:26.62 ID:X+Bygzf+0.net
>>43
韓信は
軍略判断は一流だが
政治的判断が三流だと思われる。


あれだ
麻雀すっごい強いけど、勝っていい相手か、負けた方がいいか?の判断は下手ってわけで。

六韜は読んでたけど、三略は読んでなかったんだなぁって判断ミスが結構目立つ。
すいすいの戦い前に劉邦に楯突いたりしちゃうし。

六韜って戦争の強さで
三略が政治的強さって感じがする。
間違ってたらすまぬ。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 16:25:44.88 ID:88Jk3A+P0.net
まあその辺はどうせフィクション

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 21:29:00.82 ID:HHJMmiRO0.net
韓信はwiki見ただけで国士無双と言われた事が後の評価を過大にして
しまっているとわかる。それがなければ横山マンガよくある終盤出てきて
強キャラ相手に活躍して場をもりたてるだけの役柄だとわかる

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 12:40:19.51 ID:78gNv4l60.net
韓信は間違いなく史上最高の名将の一人だろよ

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 19:54:42.39 ID:036v1Qzs0.net
そういや劉邦とか項羽の字(あざな)って見たことないな
韓信も

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 19:59:20.07 ID:YfQ9u6Gr0.net
>>118
項籍ェ……

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 20:43:04.05 ID:YSmJQ9TE0.net
でもタイトルが「項籍と劉季」だったらゴロ悪くて流行んなかった気がする

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 21:21:49.15 ID:B4jKNLzQ0.net
>>120
なんかどっちも激しくダサい名前に感じるな

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 23:07:29.80 ID:hhr2ZZZg0.net
>>118
>項羽の字(あざな)って見たことないな
羽が字で籍が諱だ。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 23:20:04.54 ID:J6DzYmk+0.net
韓信の諱は?  ふつう4文字か5文字じゃないの?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 00:10:52.15 ID:dB+wrQ1s0.net
韓信の諱あるいは字は伝わってない
信が諱で、字は伯仲叔季のどれかじゃないかとは思うけど史記も漢書もなーんも書いてない
どっかから佚文でも出てこないと分からないんじゃないかなあ

4文字5文字が何を言いたいのか分からんけど
韓信が生きた時代、人名に「一字姓+一字名」の組み合わせが多いなあとは思う

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 14:26:08.05 ID:tim/PJ4j0.net
秦末漢初は姓名字全部一文字が多いイメージだなぁ
んで王莽さんが頑張って字を二文字にした後は長いことそのままって感じ?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 20:01:19.29 ID:Uh1xvE8n0.net
戦国時代から既に二字姓はいないことはない
淳于とか司馬とかそれなりにいる
二字名は二字姓よりずっと多い

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/08(金) 09:13:41.33 ID:GmzeJLkQ0.net
>>125
逆だよ。
王莽は一字の諱にした。二字の諱は禁止したはず。
字に付いては聞いた事ない。

>>126
陳舜臣さんの本に、一字諱だと姓も多くないので、同じ名前が増えるので、
二字諱が流行したってあったな。
それを嫌って、王莽が禁止したはず。
昔は(王莽は昔大好き)一字諱だって理由で。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/08(金) 18:56:01.52 ID:7seyKuaC0.net
春秋時代の管仲の夷吾とか漢初の審食其と酈食其とか二字諱も少なくないような。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 09:13:07.67 ID:1CgpcY6P0.net
重耳とその兄弟とかね

実は二字姓も多い
先秦期が一番多いんじゃないか?って思う程度に

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 01:10:27.61 ID:BG186YMR0.net
最近の中国人の名前も姓名合わせて2字が多い気がする。
春秋ブーム?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 04:11:48.14 ID:u86sKAU40.net
いや普通に三文字が多いし、
春秋はかなり二字諱多いよ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 05:57:56.08 ID:AoBVgDnu0.net
>>129
「二字姓」じゃなくて、二字の氏だろ。春秋時代は姓氏の区別がまだあって、二字が多いのは氏だと思われ。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 02:17:17.60 ID:ACziWJKP0.net
わざわざつっこむとこか?通常そう書く
てか129氏は先秦期って書いてるし特に問題ないでしょう

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 16:28:40.49 ID:L9f42aXU0.net
姓名二文字つったらやっぱ東漢〜魏晋のイメージやな

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 17:19:00.26 ID:OTGvS+QA0.net
>>131
澹台滅明とか言う四文字名前の儒者

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 19:50:48.29 ID:M64tNPxSO.net
楚の子文は三文字名だった様な

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 10:32:59.25 ID:Oifw0oO40.net
>>130
春秋より、周でしょ。王莽さんの昔大好きは。
春秋の頃には乱れていたと。
んで、『二名の禁』を出したっと。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 17:37:43.38 ID:ooAU73fM0.net
韓信は戦術家だが、戦略家ではない。
結果的にはマクロ戦略で失敗して劉邦の不興を買ったのが戦略家の資質にあらざるところ。

戦術は戦略の下位概念、戦略の失敗を戦術で取り返すことはできないとはよく言ったもので、
韓信の末路もその通りだった。

戦術家の将としてのおのれの才能の器に見たった地位に収まっていればいいようなものだが、
分不相応な地位を望んで禍が降りかかるのは、もろもろの道家あたりの古典によく出てくる話だ。
おそらく韓信は師匠について学問を系統的に学んだのではなく、好きなものだけ読み漁っただけの軍事オタクだ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 17:03:09.15 ID:z+9hopZv0.net
司馬遼太郎は韓信の戦術能力は生来の物としていたな
しかし股潜りのエピソードがいちいち付いて廻った為に世間的な評判が悪くて人望が無かったという事にされていた

ただ元々天下取りを目指していたのかはよく解らないな
司馬遼はただ自分の才能を世間で試したかっただけみたいに書いていたが

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 07:59:37.03 ID:77+DW1Pm0.net
田中芳樹に至っては韓信は「俺の才能を認めろよ」ってメンタルのまんま王になったとか言ってたな

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 18:07:42.14 ID:tSgvdQse0.net
まぁ妥当な評だと思うわ
単に王になりたければ自立すればいいだけだし
あくまでも自尊心を満たしたい程度の欲望だったんじゃないか

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 18:41:19.33 ID:/5BZefNX0.net
韓信の軍中には曹参とか劉邦子飼いの連中が配属されていたから
下手に独立しようとしていたら彼らに掣肘されるおそれがあったと思う

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 19:11:10.73 ID:xKfBpDeN0.net
韓信が最大勢力の時代に独立していたら項羽と劉邦を一網打尽に出来ただろうか?
劉邦の配下も韓信軍には多くいたから内部分裂の畏れもあったかも

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 19:39:38.55 ID:f178J5+o0.net
韓信って嫁とか子供いなかったのかな?
楚から劉邦軍に移ったのが25歳前後 亡くなるのは35歳前後だろうか

こう見ると随分若いな韓信
それまでの実績も少ないのに、漢でよく抜擢されたもんだ


>>139
>>140
自分でも「漢王は将の将 ワイは兵の将でおます」つってるしね
国の統治とか人付き合いとかは興味なかったかもね

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 19:43:09.52 ID:/5BZefNX0.net
韓信は王侯への立身出世は考えていたかもしれないが
劉邦や項羽みたいに天下人になるなんて大それた考えには遂に至らなかった小英雄だと思ってる
自分で自分の思考に壁を作って身分や能力の限界を勝手に決めてしまっていた感じ

同じように低い身分から立身した劉邦はとてつもない野心家でワナビーだったわけだけどさ

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 21:10:08.85 ID:FnRbXV1B0.net
>>143
曹參と灌嬰を劉邦が押さえている限り韓信は分が悪い。
この二人は騎兵のいわば機動部隊の主力、抜けたら埋める手立てはない。
機動力のない歩兵で奇襲はできないし、
歩兵は兵站を含めて作戦規模が大きくなるので秘密裏に動かすこともできない。

韓信が捕まったときに捕縛に立ち会ったのが灌嬰というのも象徴的。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 07:15:31.58 ID:YlRa+WHj0.net
ふつうはさ、戦術戦略の教科書には、戦争は外交の一手段で、
戦わずして勝つことが最上みたいなこと書いてあるわけだが。

韓信は劉邦に戦わずして負けてるよね。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 08:13:33.21 ID:leI8w6RJ0.net
>>147
両者は交戦状態になかったわけだが

韓信は反乱起こしてもすぐに斉の国民に見限られて野垂れ死にしそう
この間までいた王様を騙して放逐した侵略者でしかないからな
劉邦が田氏を王様に迎えるよとか言って討伐しに来られたら詰む
てなわけで韓信は自分で王様になるよりは田氏王家の幼児を探して傀儡操作路線で行くべきだった

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 10:31:01.16 ID:5a47z0D+0.net
韓信は統治者としてはどうなんだろう?
軍事的な才能には特化していたとは思うが股潜りで民衆からの印象が悪いまんまなんだよな

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 10:43:54.50 ID:2/MgOlvz0.net
司馬遷「ワイのフィールドワークでも韓信の地元での評判最悪やったからな」

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 11:32:10.42 ID:CY5h3YiH0.net
>>149
短期間で降した趙・代・燕・斉は驚くほど静謐
李左車の献言を用いたとはいえ小規模な叛乱ひとつ起きてない
その間にも楚軍がしばしば趙を侵してもいるが、それも順当に退けるばかりか
劉邦へ余剰戦力を供給もしてる

韓信は政治力を酷評される事があるが、それはあくまで政略・政治的な根回しの
類であって行政手腕はむしろ及第点以上と思える

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 16:42:35.15 ID:i3vpk3YT0.net
>>151
垓下の戦いの直前に斉から大々的な動員を実行しているわけで
人口調査や徴兵手続き、装備品の支給、兵糧の調達、兵站輸送に関する見積・計画といった事務作業に関しては神憑りといって言いレベル
任官一発目に治粟都尉として配置されたことからおそらく事務屋として有能と思われる要素があったのではなかろうか
「あいついつもエクセルいじってばかりいるな」みたいな感じで

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 00:21:20.16 ID:ZrcuJSuy0.net
>>148
楚王の時兵挙げてもキツいわな
楚討伐してるから

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 14:46:33.37 ID:E66lVMw80.net
韓信は一貫して人間性に問題点がある人物として史書には記述されてる

命惜しさに股潜りをしたりとか老婆に飯を集ったりとか、あるいは欺瞞や詐術に満ちた戦い方とか(後者は賛否が別れるかもしれないが)
本人の中では大志(立身出世)のために背は腹に変えられぬという考えがあったのかもしれないが
レキ食其見殺し事件とか見ててもそうなんだけど思いやりの心も誠実さも道徳心も何も持ち合わせていない
戦争は強いけど品性下劣という点でどうしようもない人物だと思わされる

おそらく反乱起こしても誰もついていかなかっただろう
商鞅の最期みたいな感じになったんじゃないのかな?

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 14:51:34.98 ID:E66lVMw80.net
韓信が政治的に孤立していった点をもって政治家や官吏としてはイマイチ/未知数/無能だったみたいな論評あるけれど
品性下劣だから孤立したのであって官吏としての能力には問題なかったように思う

後までネチネチと根に持つから人事とか寝技的な調整とか絶対に任せられないタイプだけど

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 15:15:55.87 ID:HhsPurgN0.net
韓信にそこまで顕揚欲や大望があった様にも思えない
ただ己の才幹には強い自信をもっておいて、それを思いのままに
世にふるいたかった様には感じる

劉邦と項羽の相克に乗じて蒯徹が独立を使嗾しても、劉邦への恩義を理由に
遂には踏み切れないあたりに如実に表れてる様にも
既に劉邦の苦境に乗じるかたちで、これも蒯徹の勧めで王位を望んで劉邦に
恨みを買っている現実への認識が不足してるあたりも思うと、己の得手とする
軍事以外には関心が薄いのか保身への配慮も欠けてて、これでは指導者は
いうまでもなく人臣としても終わりを全うできる生き方ができていない感じ

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 15:50:19.77 ID:8Q/OI4Ro0.net
司馬も韓信は人徳的には欠落していた様な描写にしていたな
そういう点に関しては劉邦には及ばなかったんだろうな
韓信自身もトップに立つ劉邦という存在をかなり評価していた様だし

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 16:44:15.98 ID:E66lVMw80.net
韓信が斉を軍事的に制圧して割拠の形勢を示したのは劉邦的には自分の構想から逸脱した許しがたい行為にしか見えなかったと思うぞ

劉邦としてはあくまで斉を降伏させて楚北辺に対する牽制に使おう(そして成皐月正面における楚軍の圧迫を軽減させよう)と目論んでいた矢先に
脅しのために出撃させた韓信軍(だから新規戦力主体)に手駒の外交官を見殺しにされた上勝手に斉軍と交戦しあろうことか自立の値踏みまで始めたりされたわけだから
韓信が龍且を討ったことで作戦上の目的は一応達成できたけどそれ以外は最悪と言っていいレベルでぐちゃぐちゃにされたような情勢
韓信はぬけぬけと「斉の安定化のために身動き取れません、王にしてください」と言ってきたわけだが
戦国時代などであれば電撃解任待ったなしのシチュエーションだっただろう
「お前が田廣を滅ぼさずに彼らの兵力で楚が牽制できればお前の部隊も対楚に転用できるし一挙両得だったというのに」とでも劉邦は言いたかったところだろう

韓信はこの時点で詰んでいる
この後楚王でワンチャン与えた劉邦の涙が出るくらいの温情采配すら踏みにじることになるわけだが

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 17:41:56.37 ID:1qIuJ+D30.net
カイトウが韓信を唆したのも大きい
だがカイトウの言うように韓信が劉邦に忠誠心を示し続けていたとしても殺される迄の時間が少し延ばされただけかも知れない
云わば豊臣秀吉が黒田勘兵衛の才能を畏れたみたいになっていた可能性が高い

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 23:13:49.95 ID:tq9onyBo0.net
淮陰侯列伝読む限り彭城の戦いの後で
「信復收兵與漢王會ケイ陽、復?破楚京・索之閨A以故楚兵卒不能西。」
とあるから韓信も彭城の戦いに参戦してボロ負けしたのだろう
通鑒に拠ればこの後の京・索の間で楚軍を撃退する原動力になったのが
蕭何の形振り構わない根こそぎ動員と再編成された潅嬰率いる旧秦の騎兵部隊だったみたいだから
劉邦・韓信だけで楚軍を撃退した感じでもなさそうなんよね

韓信は趙・燕平定でも張耳と常に行動をともにしていたみたいだし
実は独力?で成功した作戦って騙し討ちの斉討伐ぐらいなんじゃないかな
これも味方すら裏切っているアレな戦い方であったわけだが
韓信名将説は実は結構怪しいような気がしてきた

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 23:29:24.84 ID:E66lVMw80.net
項羽が斉の田栄&田横、梁の彭越、趙の陳余全部敵に回して身動き取れなくなってた状況から
火事場泥棒的に彭城に乱入したにもかかわらず逆にボコられた劉邦軍は残念すぎる

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 04:22:30.24 ID:uhdBTxqH0.net
韓信が最大勢力を築いた際に劉邦が病没とかしていたらどうなっていたんだろう?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 11:26:50.33 ID:oWzKrlvU0.net
項羽は劉邦の対楚合従策に滅亡までの三年間苦しまされ続けたけど
大国の分割統治とか戦略的な発想は悪くなかったと思うんだよな
彭越の無能力化に失敗し続けたのが地味に痛い

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 17:51:00.59 ID:41L75niy0.net
彭越が優秀だったからな
ゲリラ戦術に関しては韓信よりも遥かに優れていた

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 17:53:41.24 ID:+vY/LtQb0.net
敢えて
彭越>韓信>英布
と言ってみる

単独で項羽の矢面に立たされたのってこの中だと彭越だけじゃね
いくら田栄とか劉邦にそそのかされたとは言えなかなかできることではない

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 18:35:33.59 ID:+vY/LtQb0.net
功臣粛正も発作的行動、猜疑心によるものというよりは
どちらかと言えば陳キの反乱における諸侯王たちの身の振り方の結果でしかないよなあ
反乱に与した韓信は当然アウト
彭越は長安における諸侯王の集合には毎年参加してたのにこの時の邯鄲参集は欠席
劉邦にしてみれば彭越に梁から攻撃されたら陳キと挟み撃ちの形になるから
絶対に旗色を明らかにしてほしい場面だったろうに

陳キの反乱を省略して劉邦の功臣粛清だけ取り上げるのは何と言うか中途半端だわ
劉邦は白登山の敗戦処理で駆けずり回ってだいぶ追い込まれていた状況だったわけだから
ここで韓王信や陳キに呼応する素振り見せた連中は正直どうかと思う

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 18:48:28.71 ID:aAvGAl5y0.net
>>160
さすがに難癖が過ぎると思うぞw
淮陰侯列伝の彭城の戦いからの下りは劉邦の失敗を韓信が多少カバーしたというもので
仮に彭城で劉邦に同行していたとしても亰・索や垓下のように直接現場の指揮を執っていたような記述もなし
他人の伝でも彭城戦に名前すら出てこない韓信に敗戦責任を被せるのは飛躍している

亰・索では軍政家蕭何が関中で徴発した兵が間に合ったことが勝因の一つだとしても
それがなぜ軍略家韓信の評価にケチがつくのかもわからない
それぞれに自分の仕事をしたというだけではないだろうか
漢書高帝紀によると蕭何の徴発した老弱の兵が滎陽に到着したのも戦いが行われたのも同じ5月中
訓練期間一ヶ月も使えなかった老弱の兵にすら頼らざるを得ないどん底の状況で
勢い絶頂だった当時の項羽を撃退し滎陽に寄せ付けなかったというのはむしろ韓信の評価が上がるポイントでしかないと思う

李必・駱甲を補佐に付けた灌嬰の騎兵が楚の騎兵を破ったのは滎陽の「東」
韓信が勝利した亰・索の間は滎陽の「南」と場所がずれている
時期が同じなのでこの2つの戦いが連動していた可能性はあるにせよ
灌嬰の方は騎兵部隊同士の小規模な戦闘に過ぎず主戦場も全体を統括していたのも当然韓信の方だろう
だからこそ項羽本紀でも淮陰侯列伝でも亰・索での敗戦のため楚は西進できなかったと
こちらの結果が重視されるような記述になっている

趙平定に張耳を伴っていたからという理由で韓信の力に疑問符を付けるのもよくわかない
↑の灌嬰の方にも言えることだが配備された部将を有効活用するのも総大将の重要な能力
もっとも張耳は韓信にくっついていただけで井陘の戦いなどでも勝利に貢献する活躍をしたと思えるような場面は特にないが・・・
そもそも彼は常山王の頃に陳余との戦に敗れ趙を追われているわけで軍事能力は陳余以下だろうし
どの程度戦力になっていたかはイマイチ不明
地理に詳しいとか陳余の後釜として趙を治めさせるとかの目的もあって付けられたのだろうが

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 19:05:58.78 ID:8xB2Esvn0.net
>>167
彭城の戦いも京・索の戦いも漢軍の指揮官(彭城の場合はそもそも戦闘態勢が整っていなかったっぽいけど)は劉邦なんじゃね?

左丞相就任以降が韓信の独立的行動の開始だと認識しているのだが
それまでは劉邦の幕僚長的役回りの域を出てないと思ってる
将軍に抜擢されたけど実質大司馬みたいなポジション

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 19:22:40.69 ID:cbT+7fwT0.net
漢の軍制を整えたという記述があるから、その時期は軍政家として辣腕を振るった可能性があるしなあ
ただ、出展が漢書になっちゃうけど、劉邦が韓信の将才を語る下りがあるし、
何らかの形で将才を表す事件があったんだと思うけど、詳細は分からん

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 19:26:47.44 ID:8xB2Esvn0.net
京・索の戦いに項羽が出陣したかどうか不明なんだよなあ
史記読む限りは親征してない

一度は制圧された彭城周辺の戦後処理・平定とか考えたら項羽が自ら西進するのはちょっと難しいような気がする
本格的にケイ陽を囲むのは約一年後の紀元前204年4月からだし

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 19:42:18.66 ID:+vY/LtQb0.net
韓信に対する評価の絶頂は韓信が鍾離バツを匿った際に劉邦が陳平に善後策を尋ねた時だと思う
韓信に敵う者が漢軍にはいないという認識を劉邦も陳平も持っていたというのは面白い

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 23:26:11.51 ID:4opzOiLD0.net
ここでも人格面について散々言われている韓信を鍾離バツが頼ったという事実も興味深いな
曲がりなりにも軍を率いてるし、韓信に全く人望がなかったわけじゃないと思うんだよな
まぁ彼に人を見る目が無かったといえばそれまでだが

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 02:53:17.19 ID:NPDVX3nb0.net
鍾離昩が死に際に韓信に「貴方はぐう聖だと思ったがぐう畜だった」つって自決したエピソードとかは司馬遷の創作臭いけどね。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 06:41:01.74 ID:TOss6eU00.net
>>168
韓信が遠征に出た後の第2次滎陽攻防戦に先立って漢は甬道を建築して防備を固め
転戦する韓信から奪い取った河北の精兵によって兵力も相当に増強されたはずなのに
一転して劣勢になってることを見ると最初の亰・索での勝利は明らかに韓信の力だと思う
というか劉邦の指揮統率では集めたばかりの弱卒で勝利するって芸当は到底不可能な気がする

>>170
「項王之救彭城,追漢王至滎陽,田亦得收齊,立田榮子廣為齊王。」(項羽本紀)
「楚人起彭城,轉鬬逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。然兵困於京、索之閨C迫西山而不能進者,三年於此矣。」(淮陰侯列伝)

これを見る限り項羽は彭城を奪還するとそのまま劉邦を追って滎陽まで親征して来ている
(下の方の「楚人」は文脈上項羽のことを指してるし、そのあと亰・索で苦しめられたことにも触れている)

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 07:50:43.65 ID:jVQvWhby0.net
>>174
韓信が魏豹を討伐した後(紀元前204年8月)、趙の平定に赴く前に劉邦に兵3万を要請して授けられている(漢書高祖本紀)
閼與で夏説を下した後(紀元前204年9月)に韓信たちは精兵を劉邦に送っているから「韓信たちから奪い取った」というのはお門違いだろう
授けていた兵が戻ってきた(かもしくは夏説の率いていた代の兵を接収したかのいずれか)というのが妥当
夏説が瞬殺されたにも関わらず陳余が韓信・張耳軍を舐め腐ってたのが謎過ぎる

劉邦が明確に韓信・張耳から兵力を収奪したのは紀元前203年7月の寝込みに忍び込んだときぐらいじゃないのかな?
これは擁護のしようがないくらい酷い話だけど

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 07:54:04.42 ID:jVQvWhby0.net
しまった>>175の暦年は全部マイナス1年だな
初歩的なミス

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 08:00:41.60 ID:jVQvWhby0.net
ちなみに夏説との交戦前に劉邦から韓信に授けられた兵は曹参の兵っぽい
曹参の世家だと韓信たちと合流したのは魏豹討伐前
その後魏の平定、陳余攻略後に劉邦のところに兵を引き連れて戻ってるみたいだから
異様に慌ただしい漢書の高祖本紀や資治通鑒よりは曹参世家の記事の方が妥当のような気がする

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 08:42:10.53 ID:jVQvWhby0.net
>>174
それと京・索の間の戦いにおける楚人の部分はカイ通先生のダイジェスト解説だから
楚人が項羽本人の親征を表現しているかどうかは確定できないでしょ

項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
親征の可能性低いんじゃねーかな
一度陥落した彭城を放置し続けてまでケイ陽にとどまる必要性がない(本格的な攻勢は
結局翌年以降だし)

項羽の親征で楚を使うパターンもあるけど、指揮官不明で楚を使ってるパターンもあるわけで
うーん、水掛け論になりそう

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 10:54:58.58 ID:FRiEYXRD0.net
>>174
劉邦disるのは自由だけど憶測で語るのはいかがなものかと
京索では劉邦、韓信、灌嬰らが追加徴兵&敗残兵を立て直して何とか楚軍(項羽?)を撃退した以上のことは記録されていないのに
「勝ったのは全て韓信のお陰」ってさすがに飛躍し過ぎ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 18:44:38.25 ID:P8c1giCv0.net
楚から趙は遠いけど漢からは蒲阪渡ればすぐ隣
前の常山王張耳が遠征に同行
陳余が強引なクーデターで張耳を追い出したのが二年ほど前

韓信は劣勢と言われてるけど態勢的にはそこまで不利でもなかったような

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 20:56:34.65 ID:8yU/9pGQ0.net
こういう話でよく出てくる趙と斉の国力を過小に見積もる風潮、納得出来ない

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 03:40:40.60 ID:52b7wpS/0.net
>>181
項羽・韓信と渡り合った斉はともかく趙はグズグズだろ
近所の魏が粉砕され夏説がいつの間にかひっそりと撃破される中
敵将韓信を侮りまくって滅亡した陳余とか酷過ぎるわ
警戒しなきゃいけない相手に腹心夏説を瞬殺されてなお軽視するとか頭か心の病気だったとしか思えない

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 06:30:50.61 ID:+syOwF7f0.net
>>175
奪い取ったって表現は行き過ぎかもしれんが「漢輒使人收其精兵」だから劉邦が人を遣わし
韓信が魏豹討伐に連れ来た兵や魏・代の降兵の中から精兵を召し上げたんだろう
あと10月の井陘の戦い直後も「發兵詣漢」とあるから修武で奪い取られる前にも
韓信が趙の兵を動員して漢に送り滎陽再侵攻に間に合わせたと思われる

>>178
>項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
>親征の可能性低いんじゃねーかな

項羽本人がいたのと「楚」と言う言葉を使うことは何も矛盾しないと思うが
彭城の戦いだとその場に劉邦がいても「大破漢軍。漢軍皆走」垓下でも戦闘が始まると「楚兵不利」のように表記される場合もあるし
その後の文で「項王は彭城を救うと漢王を追って滎陽に至ったので(項王之救彭城,追漢王至滎陽)」と項羽の名は出てくる
(項羽が彭城を救ったのは亰・索の前だから時間軸でこの戦いの後の話をしてるわけでもあるまい)

むしろ項羽本人じゃないならその時の楚将の名前くらい出てきてもおかしくないくらいかも
項羽が不在だったり別将を差し向けたりする場合は代わりに戦った将の名(?)が出てくることは多い
(鉅鹿の戦いの先遣隊や漳南では蒲将軍や黥布。黥布討伐には項声・龍且。彭越には蕭公角や薛公・項声
成皋の留守を守ったのが曹咎で滎陽が鍾離眜といった具合に)
しかし再結集した漢の主力相手に攻め込み戦いを仕掛けた大事なところなのにそんな将の名は出てこない
この時期滎陽で名前が出るは項羽くらい

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 07:46:14.53 ID:52b7wpS/0.net
>>183
名前の出てこない楚将は存在する
韓信・張耳が趙を平定している時に趙に攻撃した楚将がいるが名前も軍の規模も不明
これを項羽と言い張ることも可能

名前出てきても蒲将軍みたいに誰やねんな奴もおるし

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 10:56:14.96 ID:+syOwF7f0.net
>>184
多いってだけでもちろん全てとは言っていない
ただそのケースは「楚數使奇兵渡河擊趙」だから
ちょくちょく奇兵を派遣したくらいの意味で項羽自らとかは考えにくいが
それに漢主力相手の楚漢激突第2ラウンドともいうべき亰・索と違い
こっちは趙に本格侵攻して韓信・張耳を討とうというものではなく
嫌がらせか時間稼ぎ目的のゲリラ戦っぽいし作戦としてのスケールは大したことないんじゃないかな

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 16:48:02.45 ID:llZHO2aW0.net
陳余は若い頃趙に遊学するとともに儒術を修め
張耳に仕えること親のようにして刎頸の交わりまで結んでいた

でも張耳と喧嘩別れした後は斉の田栄と結んで義帝の諸侯封建体制に公然と反旗を翻し
勝手に趙・代の地に趙王を立てて独立割拠を図った
やがて劉邦が東進してくると張耳殺害を条件にこれと結び
劉邦が敗れ張耳が漢で健在なことを知ると漢に背いて項羽と講和

張耳との仲違いを抜きにしても陳余の外交方針って支離滅裂過ぎる
同盟相手をコロコロ変えて信義も何もあったもんじゃない
案外趙国内でも反対勢力が結構いたんじゃないのかな?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 16:59:52.86 ID:pThoF/w40.net
元祖刎頸コンビはぜんぜんブレないのにな

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 17:03:48.03 ID:llZHO2aW0.net
斉の田栄と趙の陳余と梁の彭越の反楚同盟が項羽にとっては当初の主敵だったように思われる
張良に指摘されて項羽自身も劉邦よりも彼らの脅威の方が大きいと思ってたみたいだし

逆に言うと項羽自身は劉邦とは決定的な対立はしたくないと考えていた可能性もあるのでは
各諸侯を見渡してみても功績や能力で項羽に比肩するのは劉邦しかいなかったわけで
三秦を餌に妥協できるんなら安いものとでも思っていたのかも

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 18:29:39.94 ID:llZHO2aW0.net
漢と斉・趙・梁同盟に囲まれた項羽は地味に詰んでいると思う
そんでもって彭城制圧されておしまい・・・・
にならなかったのが戦争の恐いところ

強いて言うなら成都陥落後に姜維が何事もなかったかのように鍾會・ケ艾軍を殲滅して元気に北伐を再開する感じか

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 12:27:26.88 ID:XQ2FXAGZ0.net
       【311】  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。  【318】


福島で続く鳥の大量死 

2015/12/23 福島県でカラス75羽の死骸!鳥インフルは陰性反応! ネットでは放射能を指摘する声も・・・
2016/ 8/17 福島・鏡石でカラス48羽死ぬ 鳥インフルは陰性
2016/ 8/18 スズメ250羽死ぬ、鳥インフル陰性


2016年
6月25日 スピリチュアルTVテディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で死去。
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん  脳出血で死去、SMAP写真集など手がける


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 14:27:32.52 ID:OJTc3XTl0.net
項羽が若い頃学んで大成することができなかった「書」というのは『書経』のことでいいのかな?
そうなってくると没落士族で亡命中ではあったけどそれなりに学問できる環境にあったということなのだろうか
項梁って結構博学だったのかも

それにしても秦から逃げ延びつつ学問や兵法を修めるって割りと離れ業のようにも思えるのだが
お尋ね者だった張耳や陳餘も逃げ延びているから案外捜索はザルだったのかな?

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 14:42:16.61 ID:LKeDWwwY0.net
写真どころか紙もない時代だからね

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 15:11:19.69 ID:3rbexVUQ0.net
>>191
まあ本人の顔知ってる奴に捜索させんとな

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 15:25:04.89 ID:X5deo7kj0.net
項梁は殺人罪まで犯して逃亡してた割には呉中で葬儀とか仕切ったり、兵法の講義したり、客を養ったり、
賢士大夫と交流したりと、いくら何でも活動が大胆不敵すぎるだろう
これを検挙できない秦の警察機構はかなりウンコ

……とも思ったけど天下統一した後に間を置くことなく秦の法律を全国に普及徹底させるなんて無理ゲーではあるな

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 20:14:31.69 ID:DvPSBWl+0.net
范増の劉邦を粛清しろという提言は長期的には正しいような気もするけど
短期的には楚の旗印のもとに集まった諸将たちの反乱を誘発しかねない危険な選択肢だったと思う
それこそ劉邦が行った粛清以上の反発を引き起こした可能性すらある(当然ではあるがデメリットが大きい分メリットも大きい)

范増の方が項羽より血の気が多そう

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 20:50:51.02 ID:DvPSBWl+0.net
項羽が怒り狂ってたのって秦相手の時がほとんどだと思う
鴻門の会もただ単に子嬰とか殺したくて劉邦に秦の王族やら都城やら全部引き渡せーっ!とキレてただけのような
三秦のズッコケ三人組を見離したのも秦の関係者への憎悪>劉邦の反乱という認識だったからかもしれない

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 23:53:41.76 ID:iUpDhABx0.net
劉邦約束通り関中の王にしてたらどうなったんかね

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 00:17:22.73 ID:AspzHqwm0.net
関中を制する者が天下を制すると誰もが思うだろう。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 08:10:22.47 ID:ho4q4Jii0.net
項羽は秦を心底憎んでいるから関中の王なんて全く興味なかったと思う

むしろ豊沛出身なのに根なし草になってでも関中割拠を志向した劉邦軍団の方が異質
確かに周や秦の揺籃の地であったわけだから本拠地とするには有利だったと思うけど
それでも余所者の劉邦たちがすんなり受け入れられる情勢だったとも思えないんだよねえ
秦の人士たちの方が戦争や苛政に倦み疲れてたから解放者として劉邦を受け入れることができたのだろうか

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 11:09:13.75 ID:AspzHqwm0.net
そこが蕭何の腕の見せどころだったわけだ。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 11:34:33.98 ID:ho4q4Jii0.net
彭城の敗戦後に関中地域は大飢饉が発生しているけどそれでも根こそぎ動員を敢行してなおかつ政権が揺るがないという神統治、それが蕭何

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 12:51:39.29 ID:AeJqW6I50.net
蕭何  〜家康がもっとも恐れた男〜

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 13:10:34.47 ID:6ofZ2NZD0.net
関中って叛秦戦争じゃ殆ど戦場になっていないし、秦王・政の時代に鄭国の治水事業で
生産力も拡大してたろうから、戦後に中原に向けて兵馬を進めるにあたっての地盤として
適切ではあったろうとは思う
それに二世皇帝の時代の宮殿や陵墓の造営に酷使された民衆の恨みはそれこそ全土に
溢れてたろうし、咸陽で禽獣等を飼育するために穀物を収奪して半径三百里の人間は
穀物が食べられなくなったなんて無茶な事もやらかしてるんで、秦の根拠地であっても
秦の統治を特に懐かしむ人間なんて寡少だったんじゃないのかね
漢代以降により大仰に喧伝されたりもしたかもしれんが、劉邦の法三章が歓迎された
なんて話もあるにはあるし

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 17:45:29.05 ID:r45dR/LJ0.net
>>199
元々沛辺りが楚のハズレというか
楚に滅ぼされた国だから(宋?)楚に忠誠心無さそう

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 06:43:55.97 ID:P9b6YIUE0.net
>>194
それ言ったら陳餘と張耳なんか、秦のお尋ね者になったとき、自分たちの捜索に参加したろw

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 21:17:18.32 ID:bBIlOopA0.net
真田丸で韓信の話題が出てクスッとした

韓信ってホントdisられやすいよな

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 21:32:27.88 ID:F6Hsg2+10.net
韓信に関する第一級史料からしてdisりに来てるからなあ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 22:29:46.74 ID:QsvsoLWT0.net
わしに言わせりゃ韓信は馬鹿だ!

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 22:48:59.93 ID:26pbSKNo0.net
               ,  ‐ ´  ̄ ̄ `ヽ、
              /     、    、 \
              ,.'./  .:/ ;小:.. ヽ:. :\:.:.ヽ
    .        //:.:.:.:/.:./:. ./ i ヾ:.:.丶:. ...ヾ:ー'、
           //,':.:... :.:厶:./- ヽ 弋:.‐\:.:.:. 丶:\      私の歴史認識に文句あるの?
             ! |:l:j:.:.:´/ ィ天t、   ィ天女、-、:.. ヘ、:.ヽ
             ! | :.!.:.:.:ハ´ち;;;j    ち;;;;j !K }ヽ:.、.! ヽ!
             ヽヾj:.ノ小 `::::.   '  ::::´ ハイ: |`リ  ノ    
           、_ノイ:..:.:リ;:ゝ-‐っ ー-   イ:.l::|:. i |
          /´/:.:/ ‐<>.、 _., .イ_.l:.:l::|:. i |
         /_/∠ ァ┐l !ノーソノl  ̄ ヽ、」::|:. .:i:ハ
       , ./´   `∨イしリ  / ハ  / ヽ ̄`ヽハ
      / |====、∧/  >‐/{ヽ‐‐<   l    l ヽ  r/7-、_
    , '   /     / /   7〃 {{ヾ〉\   |/ ̄ |  厂し' / /┐
    .   /     / /  /   {{.   \  |    | ,/=(_/_/_,人
       |     / / イ    o. {{       \|    l/     'ヾ、/

【司馬遷】

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 23:39:46.20 ID:XlycuJcb0.net
漢にしちゃ功臣でもあるが裏切り者(粛清対象?)でもあるからなあ

ショウカでさえ疑われまくったくらいだしな

その点 張良はほんとうまいこと退いたよなぁ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 00:09:01.74 ID:bDaHmkAH0.net
張良の、一切疑われた形跡のない回避っぷり何なんだろうな
一応、疑われないように努力した形跡は残ってるけどさ

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 01:32:32.48 ID:oh+MghQ00.net
しかし仙人を目指すとか言っても張良なら「そうか」と思うけど
他の功臣だったら「はぁ?」って感じではあるな
なんか裏があるか発狂したかと思われるだけだろう
日頃の言動も大事だ

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 17:45:48.97 ID:mvikz5rS0.net
>>207
劉邦「司馬遷から一番DISられてんのオレなんだけど。」

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 18:24:37.18 ID:XvBA/66Y0.net
>>211
劉邦にハッキリと警戒されていた陳平の方が余程に旨く立ち回っていたと思うがな

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 20:08:31.75 ID:vKq7oMac0.net
処世術はいつの世も大切なんだってことだよな
現代で仙人になるなんて言ったらさすがにヤバイだろうけど・・・

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 21:24:53.30 ID:dRlkRnFl0.net
張良も橋から草鞋落としては拾ってこさせたりしたのかな

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 21:46:45.95 ID:tQcQQ+RO0.net
>>216

黄石公ね、あれは、引退した尉繚ではないかという安納芋先生の説。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 22:19:43.97 ID:+hnqscqp0.net
>>215
現代は平穏に暮らしたくてもTwitter(笑)やLINE(笑)があるから

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 19:11:01.56 ID:gi1rxfwn0.net
江戸時代位までの日本だったら家捨ててひとり出家して山奥の庵に隠遁、
みたいな印象に近いのかな仙人化
現代ならスピリチュアル方面の趣味に生きます〜とか

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 10:47:44.03 ID:9ECI585v0.net
「列仙傳」や「神仙傳」見ると、
皇帝の前で仙術を披露しちゃうやつは自己顕示欲が強い俗物にしか見えないがw

ほかにも、李八百とかもうねw性格悪いだろおまえw

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 19:27:42.68 ID:zSh+SvoQ0.net
高僧伝にも皇帝の前で手品披露してる坊さんの記述があるで

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 19:00:27.42 ID:v6vJHhq90.net
韓信が劉邦に殺されたのは政治力のない韓信のせい。
李牧や岳飛が殺されたのは君主が無能なせい。
これ、不公平じゃない?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 20:52:17.06 ID:Ck2oDdjo0.net
なんで?

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 21:12:50.19 ID:C4MkdHcg0.net
>>222
韓信は劉邦の帝国を安定させるために元勲達を誅する方針で殺された。
これを積極的に回避しなかったのが韓信の政治力が無いということ。
李牧は無能な君主が秦の離間策にはまったせいで殺された。

一緒にはできない。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 22:57:42.04 ID:rd2hlkKU0.net
三傑の他の二人(蕭何、張良)は保身に成功しているのに一人だけ謀反企てて誅殺という最期なのは印象悪い
彭越も疑われる行為に出た割には弁明のタイミング逃したりしてるし
粛清組で増長してなかったヤツっていたかな

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 23:46:03.62 ID:+/yUxfzd0.net
動乱から守成への転換期に粛清は付き物だと
韓信自身知っていたのに災いを避けられなかったと
格下げされた時に嘆いてるじゃん

対して動乱期真っ只中に軍の要を粛清するなんてのは無能と言われても仕方ない
岳飛とか檀道済あたりならまだ言い分もあるだろうが
李牧・斛律光・袁崇煥とかを粛清したのは無能無能アンド無能ですわ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 00:33:14.52 ID:u83NJZQ30.net
李左車とかどうなったんだろう?
漢成立後も韓信陣営にいたんだろうか?

何気にこの人 李牧の孫なんだよね

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 01:17:05.46 ID:WnkKE/AB0.net
新唐書のガバガバ系図を採用するのは少し躊躇する

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 02:45:25.92 ID:jco6ZHBw0.net
>>226
この三人って事実上の生命維持装置みたいな存在だもんね

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 20:05:02.56 ID:lKi2Dowo0.net
韓信はいなくとも、曹参、周勃、灌嬰が健在なら軍は抑えられる。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 20:48:53.15 ID:LzRKFd2f0.net
そういや、某所で章邯に邯鄲を包囲されてる時に
宋義が総大将でも秦を追い詰めることができた
(≒項羽がクーデター起こしたことをキョ鹿の大勝利で弁護できない)

というのを見かけたけど、どう思う?

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 21:12:08.96 ID:0pxdKWQ10.net
>>231
宋義がどうやって王離と章邯に勝つのかまったくイメージが湧かん
外交とか合従主体の戦い方だと絶対に各個撃破されるわ
そもそも合従が機能しないくらい諸侯軍が戦意喪失してたのに

河北スルーして秦本国でも目指すの?

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 21:38:42.13 ID:LzRKFd2f0.net
>>232
ちら見した程度で、俺もよく分かってないんだが

・宋義は楚斉同盟を締結していたので、史実の項羽よりも大軍になる公算高い
・邯鄲が陥落しても楚・斉にはダメージなし、秦はより疲弊してる可能性大
・宋義が章邯に勝てなくても最低限膠着さえすれば、劉邦が関中まで進軍できる

みたいな感じで、項羽って余計なことしたんじゃね? って感じだった

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 23:09:27.07 ID:LQS9TNsK0.net
項羽は劉邦より先に関中に入りたいんだからそれじゃ我慢できないだろ。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 12:30:58.11 ID:TI0PggUf0.net
宋義が秦本隊引きつけて劉邦が関中狙うって元々そういう戦略だったんじゃねえの
項羽がグチャグチャにかき回してくれたけど
進行ルート見ると趙救援したらどう考えても劉邦のが先に入るに決まってるし

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 14:23:29.21 ID:WWjsQnZ+0.net
項羽は必ず勝てると踏んで鉅鹿を救援したはず。
戦術モデルとしては教科書通りのステップを踏めば数の多寡をひっくり返せる事案。

鉅鹿包囲のために分散した敵、他方面作戦を強いられる敵、戦力の集中ができる楚軍。
「実は俺有利なんじゃね?」項羽がこう思ってもおかしくない。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 18:43:16.93 ID:fBxW6C8/0.net
>>233
反秦の連中数は多かったけど章邯にボコられまくってたじゃん
その上宋義、劉邦で王離に勝てるとは到底考えられない

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 19:01:57.71 ID:fBxW6C8/0.net
>>236
章邯がせっせと王離に対して補給してた甬道を分断して勝利したわけだけど
気づけば誰でも分かるような勝ち方でも当時の誰もが実行できなかった

宋義の持久戦方針なんてマジでジリ貧だわ
河南や趙魏を恢復した秦軍に斉や楚の凡将が勝てるかよ
それで勝てなかったから秦に統一されたんだろ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 21:04:40.05 ID:LHeP8PDT0.net
確か王離軍の兵隊は対匈奴最前線から引っばってきたんだっけ

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 17:52:55.24 ID:7mHjpQVTO.net
>>239
そもそも王離の軍こそ正規軍で、章邯の軍は役徒の群
史料からはおそらく王離は30万、章邯は20万で都合50万
対して楚軍は先鋒の英布らが2万から推測して全軍でもいいとこ10万だろうな

241 :CoPiPe931 (ワッチョイ):2016/09/28(水) 18:03:27.95 ID:CoPiPe931.net
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242 :CoPiPe931 (ワッチョイ):2016/09/28(水) 18:08:28.19 ID:CoPiPe931.net
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e960d09d1ea133b-NRT

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 18:30:14.15 ID:65xUSWXo0.net
兵站では秦の方がハードでもソフトでも実績でもはるかに優越していたわけだから
項羽の驍勇抜きで斉楚に勝ち目があったとは到底考えられない

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 19:04:35.55 ID:7mHjpQVTO.net
宋義は趙と秦の対陣を傍観し、趙が潰されても疲弊した秦であれば
与しやすいと主張していたが、項羽・范増の言う様に戦勝で意気があがれば
ますます秦軍が強大になるというのは道理
趙が如何に窮境にあったか、章邯の支援する兵站が万全であったかまでの全容を
どこまで掴んでいたかは明らかではないが、傍観している間に肝心の楚軍の
鋭気が萎んでいるわけで、都合よく宋義の読みどおりになんて事が運ぶとは
到底思えないな

ここばかりは項羽と楚兵の異様な奮闘がなければけして勝ててはいないだろう
ここってまさしく巧遅より拙速だというか

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 19:07:09.43 ID:65xUSWXo0.net
>>244
章邯が甬道をがっつり築いて護衛まで完備してからじゃもう王離軍に勝つ方法なんて見当たらないからな

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 19:40:36.68 ID:F6SbZc8H0.net
そりゃ項羽でなくても「テメーがチンタラやってる間に秦軍はどんどん強くなってんだよ!ぶっ殺すぞ!」ってなるわな

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 19:47:03.43 ID:YnZTKcRB0.net
趙高が秦の国力ボロッボロに削いでたから人材も軍需品もろくに届かなかったんじゃないの?

248 :CoPiPe931 (ワッチョイ):2016/09/28(水) 19:53:22.67 ID:CoPiPe931.net
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249 :CoPiPe931 (ワッチョイ):2016/09/29(木) 09:59:09.12 ID:CoPiPe931.net
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e9b7da3813f1329-NRT

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 15:01:34.05 ID:eEDMpCYY0.net
>>138
あんたと酒飲みながら戦国話したいわ

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 15:11:35.04 ID:eEDMpCYY0.net
>>210
>>211
>>212

他の配下たちと根本的な勝利条件が違ったからな。

他の配下たちは
自分を重用してもらうこと。高い地位に付く事

張良は
秦をつぶすこと。項羽をつぶすこと。

2つとも叶ったからもういいやと退いたのかなと。


というよりもはや、垓下の戦いの際に
優秀な陳平と韓信が項羽を攻め切れなくて頭抱えてたとこを
張良がさらっと、心を折ればええやん、と
四面楚歌案を出した時に、項羽だけでなく劉邦すらも
張良の筋書き通りに手のひらの上で踊ってるようにしか思えなくなって怖くなったわ。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 15:47:52.82 ID:48VIIKOz0.net
四面楚歌が誰の策なのかは不明だけどな。
張良かも知れないし、そうではないかも知れない。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 21:03:15.94 ID:bBpq/lP00.net
張良はなんだかんだで「韓の臣」を貫いたのかもな
秦への恨みも項羽への恨みも韓絡みだしね

劉邦もなんだかんだで張良のことを信用して懐に抱えつつも、
「客分」「先生」として捉えてたのかもね

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 21:52:12.46 ID:iu0GmNWc0.net
↓地形と勢力図から見た妄想

章邯の甬道は補給に関してはメリットだが、同時に欠点をさらけ出した。
つまり「そこを絶たれるとおしまい」ということ。
補給を最小限の工数で行うためには、兵や物資が今どこを通っているかわからないようにすれば、
移動中の部隊を襲われるリスクが減るから護衛の兵は不要になる、章邯の目論見はこれ。

鉅鹿の周囲の地形は、黄河の支流が網の目のように走り、河岸段丘の高低差も大きい。
兵隊も甬道以外を移動するにはボトルネックが多すぎる。

章邯は後詰の兵を抱えて後方にいたわけだが、主力は歩兵だ。
歩兵は、陣形を整えて集団戦を行わないと野戦では強みを発揮できない。
足の遅い歩兵の大軍を、展開場所までどう持ってゆくか?
甬道を絶たれれば陣形を整える前に、移動中の歩兵は英布の騎兵に各個撃破されて終了する。

前線が城塞の包囲という点も秦軍には不利で、包囲のために広く薄く布陣しなければならない。
鉅鹿の包囲の輪に、楚軍が南からくさびを入れそこから広げるように薄い包囲陣を各個撃破すればいいだけ。
章邯と前線の間には英布、北は諸国の援軍、城壁の中には趙軍。
そして南からは楚軍が現れた、章邯からの連絡は絶たれて応援は来ない。

王離「包囲されてんの俺たちじゃね??」

それらを気にしながら楚軍と戦う困難さよw

敵を前にして、軍の左右での連携は取りやすいが、前後での連携は取りにくい、
鉅鹿から出てくる敵には完璧な包囲網も、90度向きを変えた方向からの攻撃には脆弱となり、
包囲にくさびを打ち込んだ楚軍は、そこから城壁右回り部隊と左回り部隊で半周ずつすれば終了。

秦軍は楚軍に対して、左右が薄く前後がつかえた状態で戦い、楚軍はそれを左右が広い横隊で受ける、
細長い縦隊の先頭に狙いを定めて、楚軍横一列でみんなで射掛ける、海軍でやる丁字戦法になるわけだ。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 22:38:49.05 ID:ikihNTxW0.net
趙の援軍の一部を蹴散らし殲滅できるくらいには王離軍は援軍対策の処置は講じていた模様

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 22:59:53.34 ID:ti92ICrSO.net
>>253
でもそれなら何でレキ食基の六国王復活策に反対したり、韓王信が追われたときに漢と戦わなかったりしたんだろう

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 23:07:33.62 ID:HlTtN9dW0.net
韓王成と韓王信じゃ、立場全然違わなくね?
韓王成がれっきとした王族なのに対して、韓王信って先祖に韓襄王がいるだけで
韓の王族というよりは、劉邦軍の将軍として立身出世した類で、割りと平民だぞ

韓王成の韓王国に参与してない上に、劉邦したがって漢中まで付き従った組やし

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 00:21:21.27 ID:fZ4GyTGT0.net
>>222
韓信は国家が統一という事業を成し遂げ終えて、さあ功臣粛清だという段階なのにうまくやれなかったから韓信のせい
李牧や岳飛はまだ強い敵が存在していて君主は大いにその才能を使うべき時なのに殺して敵を利したから君主無能

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 16:57:58.36 ID:QsfqhZx90.net
韓信は劉邦が居なかったら天下人になれたかしら?
蕭荷も韓信を支持してトップに押し上げただろうし

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 17:18:26.62 ID:4SRd8iAS0.net
>>259
絶対になれない

地元での名声が皆無どころかマイナスということで
豊沛で顔が知られてた劉邦みたいな半ヤクザ公務員(食客のキャリアあり)みたいな立身は不可能
とにかく人望や徳が無さすぎた

劉邦から指揮権とか徴発権とかを分任されていたから多くの人々がその指揮下に入っていたけど
楚王の座から簡単に転げ落ちたことからも分かる通り腹心とか韓信のために死ねる人間が少なすぎるんだよ
(この点では趙の張敖と比較してみれば韓信の足元の脆弱さがよく分かる)
雇われ将軍としてはこの上ない人材だが群雄には絶対になってはいけないタイプ

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 17:37:07.51 ID:+GMCCQLd0.net
2度同じやり方で兵権取られて
これまた2度同じやり方で虜にされて殺された
武勲に比べてかなりスキの多い人物だと思うから劉邦がいなくても中途で消える気がする

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 18:32:24.51 ID:gj5KRoVQ0.net
何しろ股夫エピソードが韓信最大のネックだったよなあ
そんな噂が至る所に広まってしまったら立身出世の足枷にしかならんだろうに

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 07:34:41.36 ID:GWr/4HWB0.net
地位や名誉は結果としてついてくるものであって、それを得ること目的とするものではない。
韓信は、若いころのコンプレックスが悪いほうに作用して、それを目的にしてしまった。
それがそもそも不幸の始まり。

才能だけあって徳がないのは分別が付かない子供に鋭利な刃物を持たせるようなもの。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:28:24.70 ID:a1CH1Guz0.net
韓信は張耳が趙王にしてもらったの羨ましく思っていたんだろうな
劉邦にしてみれば昔の雇用主だし趙の地で名を知られた人物だから趙王にはもってこいの人物だったんだろうけど

韓信が王を望んだというのは結構大それた話だったんじゃねーかな

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 19:27:48.88 ID:8AfKtK0Z0.net
陳平は中国史では珍しい色男になるんですか?

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 03:36:40.33 ID:POy7UtVP0.net
じゃあ韓信はどうしてりゃ良かったんだろうねぇ

もし韓信が自分から斉王を望まなかったとしても、
手柄に見合う褒賞といったら(他に王になっている家臣がいる以上)、王の位しかないだろうしなぁ

項羽打倒後、中央に残しておいて名誉職みたいな位に就けるか?
あるいは辺境の地に飛ばして蛮族討伐にあたらせるか

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 06:18:20.03 ID:O3r3+0jx0.net
>>266
秦の王翦はあれだけの大功建てながら王位なんて望んでなかったけど

劉邦にしてみれば出来れば義帝時代に封建された諸侯以外には王位なんて認めたくなかったと思う

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 09:51:08.04 ID:FqYQH/G20.net
彭越は韓信の様な露骨な王様申請はしなかったよな
それでも処刑されちまった

韓信はどうやっても処刑されていたんじゃねーの?

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 09:58:11.40 ID:5qfLJue00.net
韓信は、劉邦に従属していれば戦後に王になれた。

劉邦の弱みに付け込んで王位に就いたのがそもそもの判断ミス、
韓信にしてみればそこまでしても、すぐに王になりたかったのだろう。

目の前に大好きなエサがぶら下がっていると、我慢できずに食べてしまう犬、それが韓信。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 10:07:00.87 ID:rF/KXa9g0.net
>>269
楚漢戦争終結後、新たに王に封じられたやつって盧綰以外にいたっけ?

韓信は君主として独立するだけの器量や徳望なかったんだから
無理して王を目指さなくて良かったと思うんだよな
将相の地位で満足しておけばねえ

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 10:13:55.91 ID:rF/KXa9g0.net
>>268
彭越の取った行動が一番アウトだと思うんだが

前年にはしっかり長安に参詣していながら
陳キの反乱鎮圧に際しては劉邦から要請されても出陣しなかったというのは
劉邦にしてみれば「もしかしてこいつも陳キに通じていやがるんじゃあるまいな?」と
疑惑の目を向けれても仕方ない行為
弁解のチャンスは何度もあったのに結局捕らえられるまで何もしなかった
実は黒だったじゃないか?

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 12:03:20.13 ID:FqYQH/G20.net
>>271
韓信みたいに部下達が独立を薦めていたのに彭越はそれにも乗らなかった
結局は庶民に貶められて勢力的な危険も無くなっていたのに呂后の諫言で処刑されてるんだぜ

野心まみれの英傑だらけの中で彭越はまだしも人格者だったと思うがな

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 16:14:26.32 ID:BFwj4/6P0.net
みんな韓信大嫌いなんだね

自分のこととなるとからっきしな韓信 おれは好きだけどねえ

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 16:43:50.95 ID:z3JqzK6E0.net
老獪でポーズとはいえ義理人情に厚い劉邦
天才的な軍才と秦打倒の情熱に燃える青年武将項羽

韓信はこの二人に比べるとどうしても見劣りするからねえ
かと言って劉邦に忠実に仕えたわけでもないから三傑から浮いちゃうし

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 17:09:25.35 ID:bVYRE0z90.net
項羽と劉邦の中国ドラマって面白い?
Youtubeでチラッと見たけど

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 19:51:59.15 ID:hBVTL4Mj0.net
>>273
偉そうなこと言わなかったら不器用な生き方しかできない軍事の天才ということで好きになっていたかもしれないが
楚王になってからのドヤ顔エピソードとか受け付けないわ。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 20:16:40.46 ID:W8Lsp+M+0.net
韓信は古今の名将たちの兵法を研究していただろうけど
兵法だけでなく人生も学ぶべきだったな

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 05:53:44.49 ID:ShigKc0r0.net
韓信はどうすれば天下人になれたんだろう?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 07:21:06.17 ID:+/0QkTlD0.net
>>278
劉邦天下統一まで粛々と仕えて劉邦没後に速攻クーデター

ひたすら卑屈に仕えることが肝要
絶対に王位とかは望んじゃダメ

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 07:21:55.83 ID:+/0QkTlD0.net
まあこの方法だと天下は一瞬取れるかもしれないけど長期的な統治は不可能だろうね

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 08:47:43.13 ID:S68GR/ZD0.net
天下獲ろうって野心がそもそもなさそうだからな

韓信の嫁とか子供って全然話を聞かないな
李左車もいつの間にか腹心の列から消えてるし
斉王・楚王時代の韓信軍団って謎が多い

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 12:57:26.19 ID:JfBomqRJ0.net
横山漫画では韓信は頭良いキャラクター扱いだったな
張良が韓信を騙して出頭させるのに一計を案じなくてはならないシーンがあった

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 16:55:40.77 ID:MYTES2o50.net
戦以外のことなると先の見通し大して考えてそうにないイメージあるな韓信は
斉王任命で張良が行った際に処世について忠告でもされてりゃ良かったかも知れんが
張良もまたあの状況でそういう事はあまり面と向かっては言いそうになさげ

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 19:00:26.32 ID:9J/Kr4IV0.net
功臣より先に粛清すべき奴がいるのにな。
結果論だけど。

韓信と義経は似てるってことでいいの?

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 19:02:23.33 ID:k/VoVSLo0.net
中国ドラマでの韓信はどんな感じに描かれているやら

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 22:12:08.03 ID:qOjmh13b0.net
>>282横山光輝の漫画でも「項羽と劉邦」と「史記」で韓信の書き方が違ってたな
前者は典型的な頭のキレる天才キャラって書き方だったのに対して
後者は名将としての素質がある以外、凡人みたいな顔と性格だった

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 14:35:41.83 ID:y/HHM/wM0.net
本屋に新作の項羽と劉邦のビジュアル本があったけど初心者には買いですか?
項羽と劉邦 徹底比較 (別冊宝島 2482)

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 16:31:16.21 ID:VCB30+Aj0.net
初心者ならいいかもね
個人的には横山漫画を薦めたいな
本宮ひろしの赤龍王なんかも更に分かりやすくていいかな

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 00:32:49.32 ID:POZQTXKO0.net
韓信が生き残るには張良を見習って王位なんていらないと言って他者との交流を断つしかなかっただろうね

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 00:40:56.32 ID:POZQTXKO0.net
淮陰侯になったあとに樊?に会ったら樊?が平伏して大王と呼ぶくらいだから、劉邦を含めて漢の全員から恐れられていたんだろう
そんな状態ではよほどうまく立ち回らなければ目をつけられるのにコミュ障の韓信には無理

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 00:43:43.13 ID:br+S/EJL0.net
韓信はあくまで劉邦の下で王として仕えたかったってこと?諸侯の一人として

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 01:32:29.57 ID:tDaKlJQj0.net
もし劉邦が光武帝のように粛清を行わない人物だったなら最後まで仕えきった可能性はあると思う
というのも韓信の去就を決定づけてるのって、いわゆる承認欲求だと思うんだよね
つまりは自己実現に他者を必要とする人間であって、彼が斉王は望んでも天下は望まなかったのも根本的にはその辺りが理由なんじゃないだろうか
たぶん韓信は丁重に扱ってやれば満足して一生を終える程度の人物

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 05:32:56.63 ID:/v0YW6eA0.net
韓信の股くぐり事件が無かったらもっと早く出世していたかしら?

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 14:40:50.65 ID:6xEpnIN50.net
最初に項羽の陣営を選んだ時点で無理じゃね

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 16:08:46.36 ID:cHGks3n00.net
三傑の他二人と違って戦のみに特化してるような才能だし
ハンカイみたいに劉邦と古馴染み同郷な身の上でもない
よくて韓王信みたいに国境警備で対匈奴の要的役割だったかもな
もし韓信が漢帝国で人生全うできる道があったとしたらのひとつの仮定として
ただそれもあいつそのうち敵に寝返るんじゃね?とか疑い持たれなければの話

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 16:16:13.42 ID:UxsCMbHT0.net
しかし韓信無しでは劉邦が天下人になれなかったのも事実ではないか
彭越や英布だけで項羽に勝てたかしら

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 17:30:28.55 ID:jY7ePO0f0.net
そもそも韓信健在なら白登山の大敗もなかったんじゃ

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 19:41:15.90 ID:StXnmyOW0.net
家康がもっとも恐れた男 韓信

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 19:50:51.37 ID:u/mlsfPbO.net
韓信って行政の手腕も確かだけどな
政略や根回しがダメなんであって

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 20:10:11.33 ID:AfZmqU0B0.net
>>299
強引に徴発してたようにしか見えないんだが
軍国主義の権化

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 23:42:19.21 ID:rC9KPAVC0.net
>>299
そこらへん苦手だから李左車組み込んだんじゃね

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 00:44:28.34 ID:xue8HfrT0.net
たしかに李左車の献言はあったが、短期間で降した代・燕・斉で一切叛乱もなく
静謐そのものなんよな
占領直後に徴発やら使役やらで苛政なんかやらかせば直ぐに叛乱起こるのも
珍しくないし、韓信も強引に軍事力で抑圧したふうでもないし

占領行政ってけっこう微妙で、名将でもしくじると戦果も何も無になりかねんしね
百年前に斉は燕をほぼ占領してもやり方がまずくて維持できなかったり、
秦は占領地の住民を他所に移して自国の人間や官吏を送り込んだりを繰り返したけど
根付くまでに時間かかったみたいだし

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 02:58:40.57 ID:27LcBzmt0.net
韓信は漢軍にきて将になった経緯から考えると、自分の情報収集や工作のための手足になる組織を持っていない。
組織を抱えているなら身一つで逃げ出すことなどできないだろう、それとも韓信ならやるか?

張良は、推定千人規模の自分の組織を持っていて劉邦の傘下に入った。
同時に合流した灌嬰だって、規模は定かでないが間違いなく仲間を引き連れていたはず。
陳平は身一つで漢軍に来たが、様々な工作を可能にする人脈を持っていた。

組織を持たない韓信は、蕭何や張良に用立ててもらったインターフェースを通して、情報収集や指揮をしたはず。
用兵の頭脳だけは韓信だが、組織の運用や、どの情報を韓信に与えるかは用立てた側が管理できたのではないか?

実際の兵の現場の指揮は、主将の灌嬰や曹参だし、情報網も漢側が握っていれば、
それらを引き上げれば韓信の戦力は当分の間は低迷させることできる。

斉王になった後それらが漢側に戻ってしまい、以後、韓信のバカな部分があらわになったように感じる。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 07:59:23.37 ID:w7Vw3BK20.net
なるほど

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 23:49:28.57 ID:q65NXUctO.net
・項羽に締め上げられて滅亡寸前の劉邦に、援軍を出すどころか北の王にしてくれなどと抜かす
・項羽との最終決戦にも当初訪れず、項羽の領地全てを譲ると約束してようやく駆けつける
・主命に反して旧友を一旦は匿い、そのくせ全てをなげうって助命嘆願する訳でもなくちょっと脅されたら結局は殺してしまう
・短い間でも世話になった恩人をわざわざ呼びつけて嫌味を言う
・背景に同情の余地はあれど、結局は陳キと共謀しようとしたのは事実

これだけでも「不義理で信用ならん奴」と見なされるのに十分過ぎる

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 23:04:21.66 ID:cxZpu26C0.net
鍾離昧「一旦面倒見始めたら最後まで面倒見よ」

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 00:26:11.50 ID:/FwgDfg40.net
>>306

自決するまで面倒見ただろうが、何が不満なんだ?

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 09:22:34.50 ID:aC3omWIj0.net
鍾離昧もよく韓信の元に行こうと思ったよなぁ
韓信なら匿ってくれるだろうって確信があったんだろうけども。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:28:17.72 ID:IKJDyv6W0.net
>>266
劉邦に媚びて媚びて媚びまくる根回しだったかもな。

自ら参勤交代をちょくちょくやってくこと。

韓信の一番のミスは
自分の武器が、劉邦への脅威になってしまうことへの自覚の無さ。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:54:50.97 ID:9MfD+Jdp0.net
まず王にならなければ粛清の可能性はグッと減る
(劉邦が粛清したのは、呂氏関係者除けば異姓王と反乱起こした奴のみ)

あとは呂氏に深く関わらないように生きれば、何とか文帝の頃までは安泰だったかもしれな

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:41:04.17 ID:njTxoNuq0.net
>>309
問題は本当に斉は治めがたくそんな余裕なかった可能性も有ること
軍なかなか送れなかったの統治に苦戦は本当だったとか

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:56:43.17 ID:c6q37wXj0.net
韓信と陳平が組んだら最強

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:08:52.77 ID:9uyCDAxT0.net
ニートコンビだな
当時の周りの扱いが全然違ったけど

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/10(月) 23:45:38.16 ID:qJS5T2WE0.net
>>273
king's warだったら 女性にはおすすめ
見れば間違いなく韓信のファンになる
合戦シーンの描写が物足りないので 
男性が見る場合はその点を妥協する必要がある
あとこれ重要 前半は 項羽と劉邦じゃなくて胡亥と趙高が主役

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 09:42:19.03 ID:T4iO183k0.net
劉邦の年齢は、太平御覧皇王部十二だと崩御した時(BC195年)62歳。生年はBC256年

張良は、史記項羽本紀によると項伯より若く、話の文脈からおそらく劉邦より年上
父の平は韓桓恵王23年に亡くなり、20年後の韓滅亡時(BC230年)に
「良年少、未宦事韓。」と記される(史記留侯世家)

20代後半(最低でも27歳)の張良(祖父と父が宰相を務めるくらいの名家)が出仕できてないって
何らかの政争があった感がぷんぷんする

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 09:46:39.96 ID:kUlVbpKy0.net
陳平は?

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 14:03:32.98 ID:HjA3+z06O.net
礼記に遵うなら、むしろ30歳で出仕したって早いくらいだけどね

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 14:59:17.86 ID:3odBTvDr0.net
>>317
出仕年齢の基準みたいなのがあるの?
礼記のどこに書いてあるん?

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 15:05:54.41 ID:FVeFhC9m0.net
俺が韓信なら天下取ってる

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 18:11:03.05 ID:HjA3+z06O.net
>>318
「曲礼・上」にある
貴族は30歳で嫁娶、40歳で出仕、という具合

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 18:27:05.42 ID:3odBTvDr0.net
>>320
読んでみるよ、ありがとう

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/05(土) 23:19:39.14 ID:h6qOi/Fu0.net
>>275
ずっと前にBS日テレか何かでやっていたな。
大漢風ってドラマで全50話って、おいそれ日本の大河ドラマじゃねえかよwってやつ。
すごい見ごたえあったよ。
レッドクリフで趙雲役の人が、項羽の役やっている。
それにこのドラマは劉邦の妻・呂稚(後の呂后)がいい味出しているんだよ。

オープニングテーマ曲も合っていていいね。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/12(土) 19:25:12.65 ID:pz4s61g40.net
完全にフィーリングなんだけど
史記で従軍回数が一番多いのってもしかして劉邦?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/12(土) 20:22:52.58 ID:UvJGYjlu0.net
従軍回数ってどう数えるんや(困惑)

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/12(土) 20:25:41.42 ID:pz4s61g40.net
>>324
項梁・義帝指揮下の時もあるから参戦にするか従軍にするかで迷った

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 01:07:12.03 ID:pkjxM0n40.net
韓信は戦術家って書いてる人いるけど
魏、趙、燕、斉の攻略を進言したのは張良でも陳平でもなく韓信だよな?
どう考えても戦略家の一面も持ってるでしょ
項羽みたいなのが戦術馬鹿というべきであって

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 10:54:14.17 ID:3mR7maWO0.net
戦略的な視点も十分持ってるんだろうけどどうしても戦術の化け物のイメージが先行するな

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 14:47:48.41 ID:LNtjEL200.net
カイトウにそそのかされて劉邦に疑われて
斉王→楚王→淮陰侯→反乱罪で処刑の流れが評価を下げてるんだろうけど
これは戦略性と言うより政治センスの話では?
結局韓信の消えた劉邦は匈奴に大敗したわけでこの時は陳平も負けてから外交で活躍しただけ
まぁさっさと引退した張良こそが劉邦の戦略を全て担っていたと言い切られればなんとも言えんが
韓信がもし斉を攻略した後も劉邦の忠臣で最終的にどっかの王に封じられてても
結局劉邦の猜疑心で殺されてた気はするよな
劉邦、秀吉、毛沢東は後期の人格が全く別物で脳障害起こしてたのか
元々そういう性格だったのを統一までは押さえ込んでたのかは分からないが

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 22:12:37.74 ID:3o3y9+fA0.net
蕭何や張良は手厚い恩賞をもらえるところを、一部辞退して劉邦の警戒を解くことを優先させたが、
空気読めない韓信は弱みに付け込んで王になった。
そのあと何が起こるかイメージできなかったのなら、
もうそれで戦略家の名声は無理だろう。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 22:17:18.15 ID:YIaHgZbi0.net
裏切るときは君主の裏をかいて華麗に裏切らないとな
光武帝の河北での独立とか韓信に比べたら一億倍ぐらいスマートかつ残虐に裏切ってくれてる

韓信は手足となってくれる腹心がいなさすぎるよねー

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 22:25:33.52 ID:3o3y9+fA0.net
まあ裏切るんなら、直前まで忠臣だと思われるぐらいじゃないとね。
裏切られたことにすら気づかれないまま帝位を簒奪できたら神だなw

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 23:29:04.18 ID:y8cm8HHA0.net
宋の太祖趙匡胤の事か。

「趙匡胤の威名を恐れた南唐の李mは趙匡胤と世宗の間を裂こうと、趙匡胤に手紙と
白金3千両を贈るが、趙匡胤はすべて世宗に献上して、君臣の間に亀裂は生じなかった。」

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 00:20:47.30 ID:E5pXo6e30.net
趙匡胤思い浮かべるよなあ
飲んだくれて帝位に上った人も珍しかろう

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 07:44:31.73 ID:gUNl2LcH0.net
将の才能があるということと、将の器であるということは意味が違う。
韓信は将の器にあらざるものが将の才能を持ったところに、自信の不幸の根源がある。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 09:55:55.86 ID:VzX4u0RC0.net
わかったようなわからんこと書いて自分が頭良いと勘違いしてる人ってよくいるよね

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 11:51:55.17 ID:PeKpk1zu0.net
韓信や白起の末路を知っている後世の将軍(遠征軍司令官や都督クラス)たちは容赦なく裏切って独立するようになったよな
劉秀とか石勒とか
失敗したけど鍾會とか

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 12:56:03.76 ID:6TjcxCaj0.net
安禄山 せやな

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/11(日) 12:37:14.22 ID:abPP2sNU0.net
永楽帝「いやワイは周公旦のつもりやから。甥っ子を惑わす奸臣を討伐しただけで」

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/18(日) 20:13:11.58 ID:4/CEtLy40.net
韓信が存命なら、後の匈奴との戦いも平定してくれただろうか。
そうなれば、劉邦の寿命も延びてただろうか。

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/18(日) 21:20:55.75 ID:WLUOVliB0.net
当時の匈奴は騎兵の数が桁違いだからなぁ。秦の時代の対匈奴用のエリート兵も王離が項羽にボロ負けして溶かしちゃったし。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/19(月) 22:47:47.36 ID:Gf+QqdTw0.net
中原で殴り合うのなら平定は容易だが、、、そういうわけにはいかん。

匈奴は地の利と参入した漢人由来の情報で圧倒的に有利
疲弊しまくった漢(関中)の国力じゃステップに近い所じゃ勝ちきれないよ。
夏侯嬰が幾度も匈奴を破ってる様に撃破だけなら普通に出来るだろうが。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/19(月) 23:48:27.79 ID:+MzorG0z0.net
中行説が匈奴に投降した頃の匈奴なんてガチで華北支配狙ってたもんな

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/20(火) 07:41:44.45 ID:y69NseNH0.net
・秦末の動乱で北辺の防御が崩壊したうえに社会がひっくり返った状態
・劉邦政権は出来たばかりで権威は軽い
・漢は直轄領が狭く不穏な諸侯王との緊張関係を抱える
・王侯クラスの有力者を含む漢人が配下に大勢いる

むしろ冒頓匈奴が攻め切れなかった印象、千載一群の好機を逃し漢土の回復を許した
たびたび侵入はしているが軍事的空白に乗じてオルドスを奪った後は大した戦果がない

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/21(水) 23:51:19.55 ID:2P43Pmwl0.net
アウェーで勝つ自信と実力はないんだろう
冒頓単于時代の匈奴も
有利な辺境でも軍事的に圧倒できてないし

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 14:26:40.71 ID:2MmxaCzA0.net
このあたりは李牧の様に誘い込んで覆滅させるしかないだろうな
それ以降、冒頓単于の時代までそこそこ大人しかったのもそのせいなのかもしれん

武帝の初期にもやろうとしてしくじってるな
奥深くまで攻めても際限なく逃げられるし、なにより消費が大きいし

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/22(木) 22:20:02.92 ID:MgLznq6/0.net
理論上は十分勝てるんだけど

砂漠を越えて追撃できない≒殲滅不可

コスパ悪すぎだよね

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/23(金) 15:11:14.22 ID:CuImoRwW0.net
武帝に追われた匈奴がヨーロッパに現れて・・・

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/24(土) 22:28:56.40 ID:Ac2o2cFk0.net
冒頓単于的には漢王朝に「にぃに」って言ってればお小遣い貰える立ち位置に満足してたのかね

349 :邯鄲人:2016/12/25(日) 20:14:18.57 ID:mKKD1Uu50.net
決戦はリスクが大きいし孤立してる辺境の郡を攻め潰せない状況でそれ以上を望むのは危険だな

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/28(水) 00:19:05.62 ID:hSsQZrcg0.net
いくつかの諸侯王が丸ごと寝返ってたわけだしもうちょっと侵入できた感。

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/30(金) 15:21:56.30 ID:dtoVY9w00.net
裏切り者「どこの馬の骨とも知れん平民出のオッサンに付くよりやっぱ貴種が牛耳る西楚とか匈奴の方がいいよね…」

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/30(金) 22:13:44.97 ID:VLFPw1iY0.net
五胡十六国で北朝についた漢人とあんま変わらんわな。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/04(水) 17:52:15.58 ID:iTuXm/dl0.net
北朝「漠北の匈奴風情と一緒にされては困るぜよ」

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/04(水) 20:58:26.00 ID:1PPhAKxO0.net
劉淵「ワイ、漢王朝のブラザーなんやけど」

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 19:57:53.33 ID:yoTTUILS0.net
義帝って皇帝号?皇帝じゃない帝号?

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/08(日) 23:01:30.81 ID:vsPrLMF30.net
制度が整ってないのか記録が残ってないだけか判らんが、詳しい事は不明。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/10(火) 01:19:04.13 ID:kMJMGh0x0.net
義って諡号でも殆ど聞かないもんな。

清王朝の摂政王多爾袞(ドルゴン)が義皇帝って諡号贈られたけど。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/10(火) 06:41:45.63 ID:VAmjxDa/0.net
dクス
わからないのか
項羽本紀と高祖本紀的には生号に見える

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/11(水) 02:38:14.79 ID:QHhF084u0.net
皇帝号だと秦帝国の継承っぽくなるからねぇ…

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/11(水) 06:03:58.96 ID:YV8BYZuq0.net
始皇帝
二世皇帝
義皇帝
高皇帝

こうして見てくると、確かに秦の皇帝号の流用っぽく見えてくる

361 :邯鄲人:2017/01/12(木) 20:15:46.03 ID:xJ6NMs6M0.net
>>360
なんか続いてる…やはり秦漢帝国とは秦楚連合王朝だったか。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/13(金) 00:47:09.86 ID:tKklKKIw0.net
春秋戦国時代を通して強国で在り続けた楚の勢力は巨大だかんね

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/14(土) 21:22:17.35 ID:Tr76ZWVR0.net
懐王(二代目)という称号は消え皇帝号復活、古代中国世界の終焉という感じだ。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/14(土) 23:15:56.06 ID:NqAoyUaB0.net
>>363
王号がインフレしすぎていたから帝号でも名乗らないと権威を示すのは難しかったんじゃないのかな

それでも「義帝」として秦の皇帝号との差別化を図っているような感じがするけど

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/14(土) 23:41:50.55 ID:t9Bo/8T20.net
西周じゃないんだから即位してすぐに懐王を名乗ってることの方が疑問
懐王→項羽政権が与えた諡号
義帝→前漢政権が項羽政権を否定するために帝号を与えた

という解釈も出来そう

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 15:23:05.07 ID:Q0CK5vB00.net
中国の歴史の人気度では三国志に次いで項羽と劉邦って感じですか?

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:14:12.80 ID:efdco0cM0.net
日本ではそんなもんじゃない?
現地では大分違うけど

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:37:52.08 ID:1OAWFFDJ0.net
中国では岳飛や水滸伝の方が人気だった気が

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:43:30.38 ID:FqDKDhrd0.net
あと定番なのは楊家将、隋唐、西遊記あたり?
順位はシラネ

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 22:50:17.90 ID:Q0CK5vB00.net
>>369
隋唐ってそんな人気あるんですか?
ちょっと限定的に人気があるのかと思ってた

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 07:30:37.37 ID:7ZrsCaFi0.net
楊家将は「◯◯は私の嫁にする!異論は認めん!」の元祖やからな

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 11:35:45.06 ID:bu0Dy/N30.net
隋唐演義面白いよ

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 13:32:07.42 ID:xzOfqU1H0.net
包青天「あの」

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 22:09:21.93 ID:frUnIiQF0.net
日本人でもなんだかんだで戦国と江戸がメインストリームなところがあるし
あまり時代を遡るとどうなんだろ

そういやカンフー映画とかって時代背景はどういう設定になってるんだっけ?

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 22:46:08.50 ID:bu0Dy/N30.net
殷〜周(紀元前)
封神演義

周〜春秋戦国〜秦、漢(紀元前)
史記

後漢〜三国〜晋(200年)
三国志演義

隋〜唐(500年)
隋唐演義

北宋〜(900年)
水滸伝

年号は大体で書いてる
中国だと人気なのはやっぱり水滸伝の時代なのかな
楊家将演義なんてのもあるし

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/24(火) 22:47:37.48 ID:bu0Dy/N30.net
晋の後の異民族時代は人気ないよね
五胡十六国時代とか元とか

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 06:23:51.12 ID:q5e4cnoT0.net
五胡十六国は資料が少ないってのがね。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 10:54:43.80 ID:Wx6cRJWw0.net
蘭陵王はそんなでもないの?ドラマ化されてるのを見た覚えが

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 11:38:19.44 ID:Ehhl8QXF0.net
カンフー映画といえば黄飛鴻の清末

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 12:07:12.09 ID:BL72kijb0.net
>>377
五胡単体では三崎良章の概説書があるし、魏晋南北朝期通しての概説書も川勝義雄の名著をはじめとして隋唐以降と比べても割りと充実してる

ただし東晋VS五胡を詳細に扱った概説書は今のところ存在しないため資治通鑑を読むしかないというのが実情
通鑑紀事本末の方のエピソードの構成の仕方が実はあんまり良くない

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 14:16:54.16 ID:HcmEFeYQ0.net
>>368
楊家将、岳飛、水滸伝と宋の時代が一番人気あるのかもね

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 16:08:01.75 ID:mXVbXA/I0.net
>>376
日本での話なのか中国の話をしているのかはっきり書かないと混乱するぞ
中国での話なら五胡、南北朝はそこそこ人気、清朝とかは大人気ジャンルの部類(現代の中国及び中国文化の基)
日本でなら元(モンゴル)は三国志以降の中国史では一二を争う人気だろう

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 23:39:06.93 ID:SUtsE0KA0.net
三侠五義 飛竜伝 説呼演義 万花楼演義 水滸後伝 なんかも宋だし

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 00:25:41.66 ID:AVQg81OG0.net
定期的に中国英雄板で時代別の人気比較話題が出るけど三国志と新中国を除くと注目度はマイナーの域を出ない。
所詮団栗の背比べであり虚しいからやめておけ。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 01:09:24.16 ID:4IcuHRb00.net
よし、『漢これ』を流行らそう
毎日シコリティの高い高祖様や覇王様のイラストを見れるはずだ

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 02:50:02.30 ID:vrkyP/Ym0.net
>>385
麦わら帽子(冠)に小便する性癖を持った高祖娘
なんか萌えるかも

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 03:15:02.46 ID:esHV+1aT0.net
一発目から放送不能キャラとは流石高祖さま()

楚漢モノの弱点は敵陣営が極端にしょぼいことだな
項羽以外はモブに近い

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 12:10:39.57 ID:3OzjlSOy0.net
范増「」

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 18:22:14.89 ID:AVQg81OG0.net
范増さんも言うほど………

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 20:01:20.29 ID:8bfjWeUo0.net
楚以外の陣営も国士無双が一瞬で蹴散らしてるしなあ(嘆息)
かろうじて存在感放ってるのは、項羽と引き分けた田横くらいか

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 20:51:36.27 ID:GBRT1Pf30.net
范増は非漢陣営ではもっともよく目立ってる部類に入る人物だけど
その彼でさえ楚漢戦争開始後は完全に空気ですからね、、、他はお察し

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 21:56:15.53 ID:8bfjWeUo0.net
というか項羽と劉邦と国士無双のキャラが立ちすぎなのが問題
それぞれタイプの違う主人公張れる上に互いが互いのラスボスになれるとか盛りすぎじゃないか

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/26(木) 22:13:28.57 ID:4IcuHRb00.net
その中に入れると韓信の格落ち感がすごい、韓信は別枠でしょ

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 01:40:21.86 ID:HIq0g54l0.net
裏ボスの冒頓単于はキャラ立ってるやろ

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 08:05:38.14 ID:0rtKfeAt0.net
世界情勢の違いはあるけど

諸葛亮があれだけ苦労した漢中から中原へ進出をサクッとこなして、秦が10年かかった華北の平定もあっちゅーまに終わらせてる韓信のチートっぷりはヤバい

それでいて政治的には凡将というアンバランスさも好き

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 10:00:41.54 ID:ApW4BHI+0.net
戦乱の時代にしか生きられないタイプの生き物だよな韓信て

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 10:40:58.26 ID:OV3rdGYT0.net
桓温「せやな」
劉裕「せやな」
陳慶之「せやな」

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 11:38:29.10 ID:pT3JhDTd0.net
韓信は義経風の演出で大いに主役張れると思うよ

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 12:24:08.42 ID:jgWildMX0.net
韓信は純粋なんだよ
だから敢えて天下を取らなかった

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 12:42:17.03 ID:S90lKMfK0.net
>>395
諸葛亮がチャンスがあったのは初戦だけだね
あとは魏のほうも対防衛網を構築しだすから
初戦で一気に抜いた韓信はやはり違うと思う

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 14:40:25.39 ID:QY7BphXf0.net
義経と似てるよね
戦場では誰も勝てないくらい強くて、政治はダメダメって感じのとことかさ

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 16:59:22.56 ID:0rtKfeAt0.net
統治は混乱続いてた斉を治めてるから問題ない
人材登用は微妙
政治駆け引きはダメダメ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 19:29:51.79 ID:7+kC9uNE0.net
>>401
義経の当初の役割である対朝廷折衝担当ということを考慮すると
劉邦における韓信ではなくて曹操における荀ケに近かった

義経の軍事的成功は目を見張るものがあるけど範頼とのツープラトンあっての快進撃
まあそう意味では劉邦の軍事行動あっての韓信の軍事行動と言うポジションと少し近い感じもする

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 21:14:30.46 ID:0rtKfeAt0.net
劉邦はすぐ兵を取り上げたり足引っ張るだけなイメージ

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 21:31:41.13 ID:QY7BphXf0.net
>>403
義経が荀ケか、その発想はなかったな
どっちかというと韓信のが統治が上手い感じだね、でもやっぱ似てる気がする

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 23:56:16.21 ID:/HAlxyHX0.net
韓信は人望の無い足利尊氏

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/28(土) 00:54:44.17 ID:DxfXXTdX0.net
カリスマの無い尊氏なんて尊氏じゃないww

ただ尊氏の度量の広さは劉邦とも違うよねえ
尊氏は育ちが良すぎる

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/28(土) 01:00:34.37 ID:xO/bMkk50.net
尊氏は趙匡胤とか苻堅の系統やろ

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/28(土) 01:39:38.83 ID:Q5FwqEqR0.net
>>402
韓信の斉統治がどうだったかなんて情報ほぼゼロなのになんで問題ないと言い切れる?なぜ人材登用が微妙だとわかる?
見て来たのか?

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/28(土) 19:34:31.72 ID:8UwuSc4I0.net
>>407
劉邦は最後は領地を与えた家臣を粛清していくが
尊氏は粛清してないね

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/28(土) 20:25:04.61 ID:taeuCk+80.net
劉邦は、異姓王を討伐したり、反乱した家臣を滅ぼしたりはしてるけど
一応、家臣を問答無用に粛清したことはないはず

厳密には淮陰侯と樊カイが合致するかもしれんけど、
前者は蕭何と呂后が首謀で劉邦はノータッチだし、樊カイは未遂だし……

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 06:48:47.11 ID:qpvRqCE70.net
俺の中の韓信は、「運が良い趙括」

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 14:51:23.70 ID:q+RKV+uT0.net
無い無い
誰かさんの言葉を借りるなら韓信にはちゃんと応変の才略というものが備わってるからな
それが無くて見事に大敗した趙括さんとは真逆のタイプだよ

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 16:16:08.69 ID:wWVv5fjp0.net
無いことも無いことも無い、少なくとも真逆のタイプと断定はできん
趙括さんにしろ韓信さんにしろ2000年以上前の人物で詳細はわからない
応変の才略があったとしても状況が厳しければ普通に大敗するし

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 16:34:07.68 ID:cMIclj370.net
運で何度も勝てるかよと
それに昔の話とか言い出したら
このスレこの板で何も言えないからなそもそも
君がそう思うなら黙って去ればよい

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 17:43:06.06 ID:EIDjG3nh0.net
さすがに実の両親にまでボロクソ言われた趙括と国士無双を比べるのは無茶苦茶すぎるわ

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 18:22:06.20 ID:dAg1/fxe0.net
共通点は兵法書を読み込んでるだけ

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 19:36:18.01 ID:q2aiTuyC0.net
>>414
状況が厳しければとは言うけど韓信が任された局面てほとんどが厳しい状況だったような気がするんだが

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:08:42.16 ID:qpvRqCE70.net
俺が運と言ったのは、作戦の当たりはずれのことを言ったんじゃないんだけどな。

かたや内政を秦の内通者の家臣にかく乱された趙で暗愚な王が任命。
こんな糞システムにのっかったんじゃ、韓信が将になったところでダメだろう。
軍吏を使うのも、情報収集するのもいいシステムに乗らないとダメ。
自前で持ってるならいざ知らず、外から頭だけ持ってくるわけだからw
乗る船が泥船しかなかった、これが趙括の不運、まあ乗らなきゃいいんだけどねそれなら。

趙括に、「今、白起が騎兵○万、歩兵○万を引き連れてこの位置をこの方向に進んでいます」と、
正確な情報が入る体制で、不慣れな指揮のまずさも有能な軍吏が隅々まで気を配ってくれるような組織の上に乗れば、あんなあほなやられ方はしない。
些末なことはシステムにまかせて、思う存分敵をどうやってたぶらかすか考えればよい。

これが漢だったら、情報は千里を見通す張良がバックアップしただろうし、有能な軍吏は蕭何が手配しただろう。
車騎将軍灌嬰を李必や駱甲に補佐させたように、
才能のいい部分だけを引き出せた、そういう体制がゲットできたかどうかを言っている。

韓信だって最後は、簡単に騙されてとらえられ、処刑されたじゃないか、正確な情報が入らないと韓信だってこんなもんだw
漢は最初から最後までうまく韓信をコントロールしたよなw

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:15:15.54 ID:kpMb+If40.net
414氏の認識は一行目以外は概ね妥当であると判断するが一行目はないね
趙括は前任者の廉頗と比べるのが適当

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:23:56.25 ID:w7ELMW920.net
そんなにシステムが整ってれば韓信趙括じゃなくても生まれたばかりの赤ん坊が将軍でも勝てるんじゃねーの

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:25:55.18 ID:kpMb+If40.net
>韓信だって最後は、簡単に騙されてとらえられ、処刑されたじゃないか、正確な情報が入らないと韓信だってこんなもんだw

なるほど、確かに巡り合わせが悪く最初に騙されて死んでいたら韓信も単なる失敗者に過ぎぬ
個人は時代を超えることはできない

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:30:39.25 ID:EIDjG3nh0.net
>>419はそのシステムで廉頗が何年も防衛に成功してたのを知らんのか?
おまけに自ら将軍を何人も罷免してるんだからシステムのせいもクソもないだろう

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:38:29.58 ID:q2aiTuyC0.net
そもそもシステムという言い方をするなら秦側はそのシステムが崩せないから一番重要なパーツを不良品に交換させるという作戦に出ざるを得なかったわけで

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:38:48.86 ID:f53365li0.net
廉頗さんディスってんのか?

それに長板の敗戦後でも首都こそ落とされたものの李牧が秦の侵攻防ぎまくってるよ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:41:51.62 ID:f53365li0.net
韓信の方はバックアップどころか兵力その他は基本現地調達で魏、趙、燕、斉まで侵攻してるんだが...

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:46:55.93 ID:qpvRqCE70.net
>>423
>419はそのシステムで廉頗が何年も防衛に成功してたのを知らんのか?

お言葉ですけどね、
廉頗なら、長年軍人をやってるわけですわ。
そういう人は、政権の中に自分の組織であったり、自分に忠誠を誓う人物がいるわけですわ。

そういう人と、いきなりポンと当たのすげ替えで来た趙括と一緒にはできないでしょ?

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:55:16.90 ID:BYrHxMYx0.net
韓信は軍まるごと奪われたり精兵を劉邦に送らされたりしすぎなんだよ……

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:56:35.61 ID:f53365li0.net
趙括はいきなりデビュー戦で白起と相手が悪過ぎたのは同情する
それにしたって行動が迂闊過ぎるんだが

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 20:58:20.04 ID:EIDjG3nh0.net
>>427
趙括は名将趙奢の息子なんだから基盤がない訳ないだろ…
趙括と韓信一緒にしてる奴に言われたくないわ

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:00:39.07 ID:qpvRqCE70.net
>>426

では韓信は、趙や魏や、燕や斉の行政システムに、どう働きかけてどうやって徴募したのか?

それは軍吏に「徴募せよ」と命令しただけでてきぱきやってくれる組織を持っていたからでね、
例えば、「ここで兵○万で敵を迎え撃つ」と指令を出した場合、そこまでの工程や兵站の計算まで韓信がやるわけじゃないんだよ。
指示された命令だって、しかるべき部署がプランを検討して成否をフィードバックする、そういう組織力で戦争が成り立つのよ。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:02:56.24 ID:kpMb+If40.net
廉頗が何年も防衛に成功していた←これは不確実

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:03:06.65 ID:qpvRqCE70.net
>>430

そんときゃ趙奢は死んでるしなw
息子に手を貸すなと言い含めてあるのだろうw
まともな後見人がいなければそれが親心というものだw

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:10:01.65 ID:9YTmmv5f0.net
>>431
韓信は組織編成に関してかなり見識高かった可能性ある
そうでなければあそこまで軍を急造できないレベル

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:10:49.90 ID:kpMb+If40.net
>おまけに自ら将軍を何人も罷免してるんだからシステムのせいもクソもないだろう

あとこれも不正確だ、長平の戦いで確認されている趙側の将軍は廉頗と趙括のみ
副将格であろう茄は廉頗の時に敗死させてしまったし

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:18:22.82 ID:qpvRqCE70.net
>>434

韓信の経歴に軍人としての経験はないように俺には見受けられた。
楚にいた時は郎中だろう?
漢では、倉庫係だよ?
だから俺は組織的に用立てられたもののように思った。

※個人の感想です。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:35:45.94 ID:EIDjG3nh0.net
>>433
いやそれ趙括が無能だったからだろ……結論出てるじゃん

>>435
俺の認識違いか、すまん

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:49:51.87 ID:qpvRqCE70.net
>>437

俺が韓信の親だったら、やっぱりこんなやつをリーダーなんかにするなっていうなw

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 21:59:39.70 ID:BYrHxMYx0.net
數以策干項羽,羽不用。(史記淮陰侯列伝)
韓信は項羽にたびたび献策できるポジションではあったみたいだね

天下既定,命蕭何次律令,韓信申軍法,……(漢書高帝本紀下)
また韓信が軍政を整えた記述がある

また西魏の将軍と比較して、韓信に分があると劉邦が語る記述もある(漢書高帝本紀上)

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 05:23:32.08 ID:u5y2WDz20.net
張良ってほんとに衛星を暗殺しようとしたのか?武勇無いのに

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 08:25:30.28 ID:jiS6xjyL0.net
>>440
自力では出来ないから力持ちの勇者にやらせた。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 18:55:32.23 ID:Fa/09RK80.net
昔は張良本人がやったんかと勘違いしてたもんだ
そりゃ力持ちに任せますよね

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 00:10:25.14 ID:WX0yU3M60.net
まあフィクションかも知れん 感心の股潜りもな

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/13(月) 10:56:49.57 ID:Asc4wF210.net
衛星って何かと思ったらエイ政か

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/14(火) 21:03:36.15 ID:a4+9YgOY0.net
ハンマー投げの要領なのかもだけど、実際あの重さで正確に
遠距離ターゲットまで投擲出来るのか現地で実験してほしい

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 14:02:08.48 ID:Mz/n/xb+0.net
張良と陳平は仲良かったの?

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 20:23:46.11 ID:ytjGjuxh0.net
良かったに違いない レキイキと陳平は悪かったと予想

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 20:51:24.61 ID:bIAAEKR40.net
互いに認めあう仲じゃないかな
二人とも貢献度はピカイチでもあるし

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 21:34:20.98 ID:Wffau5pe0.net
そこいらのチンピラに統一された漢王朝

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 21:41:56.27 ID:Arr5YEKd0.net
決して家格は高くないけど官職に就けるくらいの身分ではあるよ

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 21:45:30.97 ID:F0a02sN+0.net
石勒(奴隷上がりの文盲)とか劉裕(かろうじて読み書き出来る程度)とか朱元璋(一家の大半が死ぬほどの貧農)ほどの底辺じゃないしな

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 22:17:17.06 ID:LNSYWCtK0.net
今で言うと歌舞伎町の顔役が日本を統一したような感じか
間違ってもアキバとか神保町にいるような俺らのような感じではないw

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 22:42:02.23 ID:+4yve2RJ0.net
俺らの代表格は強いてあげるなら韓信やしな

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 22:45:46.85 ID:ytjGjuxh0.net
今レンタルで観てるんだが、項羽役って、三國志で呂布役してた俳優なんだな ピッタリやわ ハンカイ役に張飛役してた俳優 英布役に水滸伝の刺青のあれ 誰か思い出せん 同じ刺青してた英布に合わせての事か

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 23:26:44.35 ID:fbkChXT50.net
刺青というと九紋龍史進か?それとも花和尚魯智深か?
顔面にアザなら青面獣楊志だが。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/15(水) 23:47:46.30 ID:ytjGjuxh0.net
ごめん、刺青と言えば史進だね 俺の忘れてたのは楊志だった 同じ俳優

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/16(木) 00:17:19.84 ID:FwTL9S3U0.net
樊カイ=張飛=李逵
英布=林冲

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/16(木) 08:38:55.23 ID:qAlsmTXJ0.net
すまん、俺の勘違いだった

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/17(金) 16:53:38.08 ID:Tqrm7jbu0.net
>>453
韓信はニートの星、陳平は現代社会の星(兄嫁を寝取る)ってとこか
劉邦もニートの星って感じがして好きなんだがな

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/17(金) 18:39:48.57 ID:PEJDBWC+0.net
韓信はニートの星じゃなくワナビの星って感じだなw

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/17(金) 19:35:09.02 ID:VBdYDFMv0.net
韓信=のび太型ニート
劉邦=ジャイアン型ニート

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/17(金) 21:42:59.45 ID:Ut3xn9Cv0.net
>>459
>陳平は現代社会の星(兄嫁を寝取る)ってとこか
違うぞ。兄嫁は家の仕事を手伝わない陳平に嫌味を言ったら離縁されたんだ。
兄貴は陳平に期待してたから仕事より勉学に励んで欲しかった。

>>456
あまりにも亀レスだが全身に9匹の龍を彫った九紋龍は凄そうだけど、実は一つ一つが
小さくなって迫力ないらしい。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 06:53:16.37 ID:jGtYM5/40.net
当時の刺青技術はそんなもんだろな

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 10:38:18.24 ID:iP3FWN5c0.net
>>462
確かにそうみたいだ、兄嫁を寝取ったんだと思ってたんだがオレの勘違いみたいだ

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 12:52:35.42 ID:NKy5xXmV0.net
でもそういう噂は近所とか親戚に流れてたのかも
史記に書いてあるかはよく覚えてないけど
兄嫁姦通の話は初見ではないなあ

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 13:06:12.53 ID:FVyMK9730.net
周勃か誰かが「劉邦兄貴!陳平とか兄嫁をNTRするカッスやで!」とか言ってたと思った。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 14:03:43.51 ID:dGLUqmZ20.net
劉邦に仕えて間もなく古参何人かがあいつ賄賂もらってるし故郷で兄嫁寝取った「らしい」しろくでない奴やでと劉邦に讒言してたらしいな

あと、曹操が求賢令で「陳平みたいなNTR賄賂野郎でも一向に構わんッ!」ってやったから余計既成事実みたいに扱われてんのかもな

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/22(水) 00:03:29.08 ID:ys6aeUxz0.net
ただセックスをしただけで取ってはいないではないか!

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/26(日) 19:09:45.67 ID:i6fuIGGK0.net
>>468
李世民「そうだな。大したことじゃない。女は兄弟の共有物だろ」

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/26(日) 23:41:44.30 ID:xWvsVXlh0.net
公孫鞅「…」

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/26(日) 23:51:06.67 ID:lKvK/vli0.net
>>469
李隆基「せやせや!女は親子兄弟で所有するもんや!」

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/02(木) 07:38:55.86 ID:LZv163bj0.net
紀元前3世紀の風俗に現代の倫理観を持ち込んでもw

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 00:41:19.07 ID:3VLcrPzJ0.net
昔は良かった

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 13:37:34.98 ID:amp90J3z0.net
張良 天才軍師というけど…
戦略家というより 政略家だろ?
どこらへんが 戦上手なんだよ

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 16:54:36.64 ID:J8M/cA3q0.net
戦略家ってのは戦争前に可能な限り勝てる状況を作るのが仕事
実際の戦場で策を振るうのは戦術家の仕事

戦略家の仕事は戦争が始まる前に終わる

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 18:00:39.98 ID:amp90J3z0.net
戦略とは おおよそ
敵より人数をあつめ
訓練し 装備 補給を万全し
いつ どこで どんな状況で
開戦させることだろ?
その前に 情報集め分析し
張略謀略など駆使して敵貶めていくこと
だよね?

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 18:01:03.48 ID:amp90J3z0.net
戦略とは おおよそ
敵より人数をあつめ
訓練し 装備 補給を万全し
いつ どこで どんな状況で
開戦させることだろ?
その前に 情報集め分析し
張略謀略など駆使して敵貶めていくこと
だよね?

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 18:11:30.46 ID:L3kW+oEM0.net
戦略ってその時その時の環境に応じて国家の軍事的な方針を定めていくメッソドなわけだから
実際は場当たり的で、弥縫策の連発みたいなところあるんだけどね

>>476
たとえば敵より多く人数を戦場に集めようと準備している間に少数精鋭な敵に奇襲されたらどうするの?
訓練し、装備補給を万全にしようとしている間に、先に敵から攻撃されてきたらどうするの?
いつ、どこで、どんな状況で開戦させるか検討している間に敵から攻撃されたらどうするの?
情報収集したけど、ノイズが多かったり敵の欺瞞だったりした場合、それを鵜呑みにするの?
分析する人の判断力は絶対なの?
調略謀略仕掛けて見たら偽内応で、誘い受けされてしまった場合どうするの?

敵も馬鹿じゃない

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 18:36:49.40 ID:amp90J3z0.net
>>478
俺はおおよそとかいたよね

で 礎漢時代の戦略家て なに?

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/06(月) 19:14:50.67 ID:wMY2jjQs0.net
劉邦が天下を取る楚漢戦争全体の絵を描いていたのが張良の功績じゃね

項羽を彭城に押し込め東の斉に釘付けにしておいて韓信に魏趙燕斉と平定させる
韓信、彭越、黥布などと連携して項羽を垓下で追い詰める

張良が直接動いたわけじゃないけどこういう方向で進めていけばという流れは他の誰の功績でもないと思う

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 03:14:00.72 ID:ps6qqCeL0.net
レンタルDVD観たけど、戦の場面で違う撮影風景出すのは手抜きかよ

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 03:15:55.80 ID:ps6qqCeL0.net
それよりその張良 曹操が張コウを得た時、子房を得たも同じと言うたらしいが、武人だし、不思議

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 10:23:23.31 ID:rgCrWPGZ0.net
>>482
それは荀ケな
張郃のことは韓信に例えて褒めている

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 10:33:44.05 ID:ER2IPvEb0.net
しかし韓信役で運用したのは身内人事の夏侯淵という皮肉
曹操って劉邦に比べると本人のスペックは高いのかも知れないが度量に関してはみみっちいよなあ

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 10:57:26.65 ID:An7ZtD9P0.net
孫権にとっては周瑜が韓信だったのかな?

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 11:08:53.68 ID:ANfZgQV90.net
周瑜は前線司令官だから違うと思う
劉備と関羽の関係はそれに近いかも
関羽は劉備寄りだが半独立勢力状態だったという説は最近の流行りだしね

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 11:46:19.30 ID:YcQE3iUX0.net
>>484
劉邦の場合身内がアレやし

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 14:23:58.95 ID:5HDJQpOz0.net
>>485
周瑜が韓信
張昭が蕭荷
魯粛が張良

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 17:24:35.56 ID:TImnBGFX0.net
>>484
劉邦には頼れる身内がいないから必然的に他人を頼らざるを得ないだけで身内に能力がある人間がいるならそっちを重職につけるのは当時の常識
むしろ曹操は当時の常識からすれば身内でも能力が無ければかなりきっちり切っていった方だよ

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 19:45:48.76 ID:HLSWxig50.net
>>482
三国志だと
韓信=張コウ、張良=荀ケ、ハンカイ=許チョ、夏侯嬰=趙雲、灌嬰=黄忠だったかな
項羽が孫策、劉邦が劉備?、ロワンが簡雍、陳平はカク

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 21:30:46.60 ID:ps6qqCeL0.net
盧綰も簡擁も最古参だしそれは当て嵌まるかな 何かスレチに向きつつあるな
季布調べたら没が前156年てあるけど、かなり長生き出来たんだな

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 21:43:41.44 ID:Mrt0Wg1l0.net
>>489
両夏侯の重用ぶりは、ちょっと疑問符がつくけどね。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 22:31:16.49 ID:HLSWxig50.net
>>491
確かにスレチだな、スマンスマン。
ロワンと簡雍は思いつき何であまり気になさらずに

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/07(火) 23:50:41.27 ID:6qOitEmG0.net
>>490
徐晃が周亜夫

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/08(水) 00:45:38.47 ID:2AduzCkz0.net
>>487
割りと有能でおそらく韓信の斉遠征にも参加しているはずなのに毎回スルーされる呂沢ぇ……
呂氏一族や盧綰、劉賈辺りの身内武将が評価されないのはなぜなのか

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/08(水) 10:21:20.70 ID:wbno+z/R0.net
大樹将軍

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/08(水) 21:58:36.55 ID:JnffWHfj0.net
※これは面白いよ〜
この動画一つで皆がわからなかった真相が明らかに!!!

http://blogs.yahoo.co.jp/anti_mm_eq010/17942365.html

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 04:43:40.16 ID:+x7UGGVf0.net
>>495
そら結局呂氏はあれだったからw
負ければ評価するのは敵側。

項羽だってさ、子供のころのエピソードが大人になってもそうだと思われている節があるしw

文章は名前が書ければよい→詩を詠んだりする人だった
剣術は一人を相手にするのみ学ぶ必要なし→剣を抜いて暴れたら手が付けられないほどの無双ぶりだった
と言って兵法を学んだがすぐに投げ出してしまった→鉅鹿の包囲網の攻略とか天才なんですけど

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 06:19:26.90 ID:L07TXBt60.net
あと人望がなかった→項羽敗死後も旧部下が劉邦に抵抗してるも追加で

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 08:12:39.24 ID:m8ar7f2Y0.net
>>498
昔から疑問に思っていたけど
籍大喜略知其意又不肯竟學の読み方って

項籍は 其の意を 略知するや 大いに喜び
又 学を竟(お)えるを 肯ぜず

=項羽は兵法の導入教育を受けて学習するや大いに喜び、今回は途中で投げ出すようなことは承諾しなかった
という意味で読んだ方がいいような気がするんだ
昔の中国のお偉いさんたちの解釈とは違うんだろうけどさ

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 15:53:44.33 ID:+x7UGGVf0.net
呂馬童は呂氏なの?

「童」がついてるってことは冠している階級じゃなく奴隷なんでそ?
うっかり呂姓だから関係ないのにとばっちり受けてそうな人がいたりしない?

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/18(土) 16:52:00.08 ID:UXfht2CD0.net
https://goo.gl/znnSuW
これは、普通にショックでしょ。。
本当なの?

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/19(日) 02:22:47.13 ID:fuEOlHtV0.net
竜且すき

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/20(月) 14:16:45.55 ID:l520mM6D0.net
どんなとこがいいと思ったんだ?

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/25(土) 00:32:55.80 ID:JkbpWMTW0.net
今、楚漢で四作漫画連載してるんだな。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/05(水) 21:48:12.30 ID:OEtQJJ8c0.net
>>504
やっぱ頭巾と長ーい紐だべ

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 21:22:57.44 ID:RgNf1pw60.net
小説はともかく、漫画なんて、カンニングスタンツぐらいしか知らんわw

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:21:58.05 ID:PbIvsghz0.net
月刊少年エースの「レッドドラゴン」
月刊少年マガジンの「龍帥の翼 史記・留侯世家異伝」
別冊少年マガジンの「バウンダー」
まんがタイムオリジナルの「美軍師張良」

の4つかな?
上3つはThe少年漫画って感じだなあ
最後の奴はあまりに人気ないのか情報なさすぎて分からん

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:23:26.16 ID:PbIvsghz0.net
こう見るとカンニング・スタンツって異端な作風なんだな
非商業系だからやれることなんだろうけど、ビジネスマン×ヤンキー漫画スタイルな楚漢戦争って
結構斬新なスタイル

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:35:17.39 ID:XRiW2g7q0.net
>>508
全然知らないけど、こう見ると張良人気者だなぁ。

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:50:51.66 ID:sGJkj1t90.net
>>508
多くの有象無象の三国志漫画がそうであったように、楚漢も三年後には記憶から消えてそうな空気漫画揃いだな…
漫画としても歴史モノとしても微妙なものばかり

>>509
あれは結構おもしろいな

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 07:11:32.24 ID:WpFtlTsj0.net
「赤龍王」(本宮ひろ志)と「項羽と劉邦」(横山光輝)の出来が良いからねえ

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 07:47:04.17 ID:rr/Evv6V0.net
赤龍王はしょっぱなに政くんが「煮殺せィ」っで掴みは充分やからな

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 07:53:26.04 ID:AhxGbVcd0.net
粗製乱造と言えば言葉は悪いが
供給過剰ではあると思う、歴史物漫画

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 09:27:49.05 ID:rnI2KvJA0.net
>>508 こんなにあるのか、知らなんだ。さっそく見てみるよ。ありがd。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 09:41:23.44 ID:OYmldOUf0.net
>>508
龍帥の翼は内容がほぼ「修羅の刻 楚漢戦争編」だからな…
でもそれだけに歴史物としてはともかく漫画としては面白いと思うんだがそこは好みだから仕方ないか

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 11:30:47.51 ID:tWv65yky0.net
>>513
あのシーンはうまい
本宮ひろ志とは思えぬ史記に忠実な始皇帝の顔立ち
あと本宮ひろ志のせいで項羽の顔が未だにあの漫画のイメージなんだよなw

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 13:27:16.03 ID:AI3nqbPk0.net
グランドジャンプだったかで始皇帝時代の徐福を主人公にした漫画も
最近になって始まってた気がする
本宮ひろしの

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 13:54:44.79 ID:hWYWzBdt0.net
本宮ひろ志は五胡十六国とかの方が似合うのに。石勒とか

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 21:40:22.04 ID:hVvHvGZ70.net
ワシが五胡十六国の王、江田島平八であーる!

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 21:53:52.10 ID:hN1sKtwW0.net
特に歴史学(漢籍)の素養がなくても書ける、既存小説や漫画の二次三次創作みたいなのでOKな易い題材となると
中国物では三国志か秦末楚漢(司馬の項羽と劉邦、古代中国唯一の世界史レベル始皇帝)絡みになっちゃうのよね
ハードルが低いゆえに弾が多い

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 23:00:54.66 ID:auq2pldA0.net
西洋を扱った歴史漫画の方が平均レベル高いというかそれらしい雰囲気出てるよな

しかし浅薄な知識しかない漫画家は無理に手付かずのジャンルを狙うよりは易きに流れた方がいい
孫子でも中華戦国時代でもある必要がなかった孫子異伝はすごくアレだった…

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 00:04:31.33 ID:Zbb5hHx/0.net
>>522
むしろああいうのが漫画としては正しい
史実を追いたいだけなら史書でも読んでろとしか

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 09:02:46.52 ID:+PiTAjzv0.net
あれはひどかったな
空飛ぶタイマン上等な天才軍師の話

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 14:01:17.49 ID:jD4jccbF0.net
ゲッサンでやってた月の蛇っていう北宋末が舞台の漫画好きだった

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 17:37:48.46 ID:0k9zPhxM0.net
>>523
三国志でも中国物でもたまーにその時代のオタクっぽい人の漫画出るけど
そういうのはほとんど売れないんだよね

キングダムみたいに実質ワンピ、古代中国っぽい雰囲気シラネ
史実は少ない方が良い、ファンタジー上等の方がウケる

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 18:16:11.56 ID:+PiTAjzv0.net
蒼天航路. >> 達人伝な現状をみるとそうとも言い切れない気がする

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 21:31:15.07 ID:DudGUxN70.net
その二つの差は三国志と戦国時代中後期の人気差と雑誌の力
そしてなにより達人伝は蒼天の二番煎じくらいの熱量しかないし当然だわな

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 22:38:47.48 ID:MYUB269F0.net
三秦の配置は范増らしからぬミスか

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/10(月) 22:44:20.56 ID:Sbfy+65N0.net
楚漢戦争なら香乱記とかマンガ化しないかなあ
田斉が主役という超異色モノやぞ

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 11:58:55.44 ID:tCGxVlYI0.net
漢陽をお留守にしたバカチンの問題じゃね?

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/17(月) 20:53:44.83 ID:3KaJD7zY0.net
>>526
さすがに奇想天外なんでもござれの創作が無限に転がってる現代で
真面目に記述の簡素な史実準拠の作品やっても地味すぎるからね
特に万人に受ける戦争の描写がうっすいから戦記物は成り立たない

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/18(火) 03:09:38.11 ID:3Er2W+c80.net
三国志の場合史実準拠でやったら劉備も曹操も孫権も名士とのコネ作りにヒーヒー言ってる描写ばっかになるしな。
特に劉備は酷い。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 01:05:43.26 ID:ro4KkS250.net
作家からしたら史実が資料的限界により狭く浅い
逸話・兵法・策がほどよく稚拙な古代中国には気楽に書けるという魅力がある
近世くらいになると凡庸な知識ではなかなか書けない

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 17:39:46.68 ID:KqDausyZ0.net
そしてなんちゃって戦国物に…

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/19(水) 22:03:03.13 ID:ro4KkS250.net
しばりょー項羽と劉邦を超えるパブリックイメージを生み出す作品が今後現れる気がしない

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 15:19:20.72 ID:dMIdVctW0.net
後世と比べるのも酷だけど史実では甲冑とかもまだ素朴というか地味だもんな
戦国から楚漢の時代は

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/21(金) 22:20:38.63 ID:08tQrpvZ0.net
地味ーに劉邦のイメージが

弱いし礼儀もアレだけど人望はある君主
  ↓
韓信・項羽に及ばないけど当時ではトップクラスの名将。人格がカスすぎて人徳ゼロだけどやることはやる君主

という風に変化してるから、その内パプリックイメージ更新する作品出てくるかもね

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 00:51:19.77 ID:DmVkdE9U0.net
相対的な中国(歴史)物の人気は90〜00年代初頭をピークに右肩下がりの傾向
楚漢、項羽と劉邦で釣れるおっさん世代が元気なうちがチャンスだぞ

>>537まあ絵にすると映えないのは古代中国が抱える永遠の弱点やろな(ギリシャローマの方を見ながら)

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 01:53:50.25 ID:rcW88Ow90.net
>>538そういう傾向は子孫の劉備も一緒だな

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/22(土) 02:17:43.22 ID:0yVQIefz0.net
>>539
アッティラ「よろしくニキー」

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 21:02:00.24 ID:zH/on75O0.net
>>537
つか中国は古代だけじゃなく中世〜近世も防具や武器のデザインセンスはかなり微妙やからな
日本の日本刀や具足、ヨーロッパの騎士みたいなスタイリッシュな戦装束がない
せめて古墳時代の日本の防具くらい恰好いいのがあればいいんだがないし・・・

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 23:53:28.13 ID:A+mCkEx60.net
古墳時代は漢代とそこまで時代離れてない古い時代なのにあの甲冑の完成度は異常。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 18:34:12.55 ID:ILQZ53YI0.net
>>537
ヨーロッパや日本の甲冑や兵器は、多くは貴族や士族階級のものだからな。
徴発された平民の歩兵用の武具じゃ中国のほうがよくないか?
高価な弩が普通の歩兵の装備だった国はほかにないよ。

それと、中世ヨーロッパや日本と違うのは、歩兵による集団戦法が戦力の中心だったからね。
敵と刀で斬りあったりしなんだよ、精緻な方陣を組んで長槍をまっすぐ構えて正面の敵にただひたすら突き進むだけ。
20世紀初めにロシアで確立されたとされる縦深攻撃の基本概念が、このころの中国にすでにあったんだよな。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 18:42:27.26 ID:r7HfP1kr0.net
>>544
古代中国に deep battle, deep operation の概念があったとは思えないのだが

数百キロ・数か月にも及ぶ連続作戦概念や機械化部隊、空挺部隊の存在が前提で
なおかつ第一次世界大戦で生起した「ガッチガチの陣地戦をいかに克服するか」
という命題に対する回答としての縦深作戦理論が古代中国で展開されるのは無理があり過ぎる

中国の古代軍事制度が先進的でシステマチックだった可能性は否定しないけど

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 21:25:27.52 ID:phFFVldl0.net
西洋や日本の特定の時代・状況と比較して「古代中国文明すげー!」する民族ナショナリズムは19〜20世紀に盛んに唱えられた伝統あるものだけど、これ西洋(近代)コンプレックスなんだよね、確かに評価すべきではあるがつい飛躍して近代的な価値を強引に付与してしまう

日本でも古代中国がすごければすごいほど都合がよい古代中国を扱う作家などはよく過大評価する癖がある

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 21:42:30.96 ID:Wpf032gs0.net
一時期ローマ(塩婆)コンプを発症してた某芳樹の悪口はやめろォ!!

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 21:53:46.24 ID:ILQZ53YI0.net
>>545
現代のその機械化の部分がなく、よって速度が遅い分、距離のスケールが速度に相当する分短くなっているだけでね。
長い陣形の先端をつぶしながら後続の新手がどんどん現れる点、
敵の先端部分を騎兵の弓や弩兵で後方との分断を図って崩そうとし、
敵が崩れればそのまま突破→追撃戦でせん滅に至るメカニズムがよく似ている。

砲火がない当時の中国では発射手数に勝る弓ではなく、射程距離がある弩が大量に使われたのは、その点納得がいくし、
例えば「河外の戦い」で、年をまたいで崩れた秦軍を魏から函谷関まで押し戻した信陵君や、
敗走する斉軍を短期間に即墨追い詰めた樂毅なんかも、このモードにはまってたんじゃないかとの個人的な想像だ。
と同時に肯定するも否定するも君の勝手だw

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:14:28.27 ID:lE1L+tqS0.net
>>548
縦深作戦の終末段階で生起するのは追撃戦ではなくて敵のシステム中枢に対する数軸からの突破による無能力化
包囲や殲滅のパターンは第一線陣地帯付近を突破した際に生起するけど、縦深作戦そのものの目的ではない
敵中枢へのジレンマを強要するために空挺作戦が必要不可欠になっている(地上からの迂回行動では同時的な打撃を達成できないため)

梯隊編成による衝撃力の持続は縦深作戦における重要な要素のひとつではあるが
梯隊運用の一部分だけ切り取って縦深作戦が古代中国にあったというのは乱暴

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:17:35.25 ID:5zHkwThk0.net
古代(に限らず)中国は軍事記録とかがあまり残ってないからしゃあない。
軍記ものや講談のその名残りがあるだけで。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:19:32.00 ID:ILQZ53YI0.net
>>546

中世のヨーロッパって、中国、インドや、中東に比べて後進国だったんだよ。
これは、冶金技術で特に顕著でね。

インドやシリアで作られた鋼が、製造法をコピーできずに高い金を出して輸入せざるを得ない状況が近代まで続いた。
中国で石炭と鉄鉱石からなる製鉄法は紀元前6世紀ごろに楚ですでにあったが、
ヨーロッパでは、ライン河畔で近代製鉄が産声を上げるまでなかった。

これが何を意味するかといえば、安価な武器を大量に作る技術がなかったということ。
春秋戦国以降、中国の鏃は鋳造による大量生産で作られたが、
ヨーロッパでは、日本のたたらに相当する、カタロニア炉が最先端で、鍛冶屋が一個一個叩いて作ったいたわけだw

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:35:54.36 ID:lMtaSo5n0.net
なんかこのスレの趣旨から脱線してない?
同時代の漢とローマ、どちらの軍備が優れていたかで議論した方がまだこのスレの趣旨に沿ってると思う
楚漢戦争と第二次ポエニ戦争って似てる気がするんだよな

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:41:03.35 ID:r7HfP1kr0.net
楚漢ってどっちもボロボロに疲弊していた印象しかねえんだが

空前絶後の軍国主義国家だった秦軍主力が戦争の天才項籍に次々と打ち破られていったことが不思議

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:41:08.51 ID:HOAfucSd0.net
西の方から伝わった優れた鉄器を用いる蛮族に春秋戦国の諸侯は圧倒されたって巫●さんが言ってた

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:42:44.29 ID:5zHkwThk0.net
>>554
それはどっちかって言うと西晋じゃね。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:44:50.43 ID:HOAfucSd0.net
>>552
草生やしてる551は煽りだから放っておけ
確かに比較検討するなら楚漢に近い時代の地中海地域(かオリエント)が適当だろうな

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:45:28.47 ID:ILQZ53YI0.net
>>552
>同時代の漢とローマ、どちらの軍備が優れていたかで議論した方がまだこのスレの趣旨に沿ってると思う
それを言ったら、「それは漢です」で終わってしまう話。

GDPが3倍ぐらい違うらしいから勝負にならんねw
これは想像レベルの話ではなく、税収の記録や人口の統計が秦の時代から断片的に残っているのが中国のすごいところ。
当然、人口や軍備に対する、投資額もそれに比例するだろうから、ローマには全く勝ち目がない。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:46:19.87 ID:ap+TaJJv0.net
そもそもソ連兵みたいに死ぬまで突撃しないと後ろから粛清されるなんてなかったろ

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:48:46.90 ID:HOAfucSd0.net
>>555
・周〜春秋の蛮族大攻勢に敗北する中華
・始皇帝の秦も月氏に手を出せなかった

その原因は鉄器じゃね?というのがあの方の認識なんだ

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:48:50.50 ID:lMtaSo5n0.net
>>553秦は趙高のせいでボロボロになっていたからね
囚人を兵士にしないといけないほど正規の兵士がいなくなってたぐらいだからな

たいした将軍はその時いなかったとはいえ正規の秦軍に勝利し続けた周文はもっと評価されて良いと思う

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:51:18.91 ID:lMtaSo5n0.net
>>557自軍より数の多い敵に勝利し続け大国を築いたローマだから、どうなるかわからないと思うな

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 22:53:11.49 ID:r7HfP1kr0.net
>>560
王離が率いていた北方張りつけの軍団は最後の正規戦力だったような気もするが

項籍、幼年期にはまともな従軍経験なかったのに何であそこまで勝ち続けられたの?
ワケ分かんないよ

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:00:24.46 ID:ILQZ53YI0.net
>>559

俺は騎馬だと思うなw
春秋なら中原は戦車に徒歩の従者が付いて回る戦車戦だし、
秦も歩兵が主力だ。わざわざ遠くに歩兵はやれんよ。

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:02:11.45 ID:HOAfucSd0.net
>>561
というか漢帝国とローマ帝国の国外遠征に動員できる兵力はそんなに変わらない

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:09:17.93 ID:lMtaSo5n0.net
>>562項梁の元で訓練を積んだんだと思うが、それにしても規格外すぎるよなw
突然変異のモンスターとしか思えん

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:11:13.34 ID:ap+TaJJv0.net
>>562
項梁から軍団を引き継いだだけだろ

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:12:55.68 ID:r7HfP1kr0.net
劉邦は張耳のもとに転がり込んで客やってたみたいだから
何となく軍事や事務仕事の経験を積む機会はあったんだろうなあ、と推測できるけど
項籍は勉強嫌いとか飽きっぽいとかそんな幼年期

軍国主義の権化が弱体化していたとは言えズブの素人相手に負けるというのはちょっと…

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:13:23.19 ID:ILQZ53YI0.net
鉄器が現れて鉄器の性能が青銅器を駆逐したみたいなうそを学校で教えているからなw

鉄器は安価に作れたが、機能が青銅器に勝るのはずっと後だ。
鉄は熱処理の技術が確立されるまでは、安定した品質のものを製造するのは困難だとみるのが妥当だ。
魏の曹操は青銅の鏃を好んだという記述があるらしい。
当時の呼び名は鉄→悪金だからな。

欧冶子や干将莫邪ならその秘法を知っていたかもしれないが、
正確な温度をどうやって管理するのか?
正確な炭素含有量をどうコントロールするのか?
これができないと、青銅に勝る品質はできない。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 23:20:27.17 ID:ILQZ53YI0.net
>>564

一兵卒あたりにかけられる費用が違う、GDP3倍の差だよ。
土木工事にしても、攻城兵器にしても、
かける費用の勝負になったらローマは勝てないだろう。

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 00:32:31.99 ID:ET7T2FDo0.net
ローマの知識は「古代世界唯一の100万都市ローマ」「コロッセオSUGOI」くらいなもんで判断つかんが
それなりに秦漢には詳しいつもりの俺の目から見て明らかに向こうが「優れているなー」と思うのは
まず目立つ兵卒の多彩な甲冑だな、紀元前後とは思えないほど洗練されており凄まじい技術力を感じる
あとやはりインフラ、広大な帝国全土にあれほど優れたインフラを備えた街や軍団駐屯地をポコポコ立てる力は恐ろしい

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 00:43:36.04 ID:wIdk2QiA0.net
>>570
始皇帝が作った馳道とか直道も凄くね?

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 00:54:31.92 ID:uYOURTCk0.net
>>570
精鋭軍と思われる秦漢の兵馬の俑から察するに
秦末〜楚漢〜漢くらいの兵士の金属鎧や兜の装備率はかなり低いからね。
漢墓から出土した王侯用?っぽい金属鎧ですらかなり簡素で防御力は低め。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 01:10:30.53 ID:ET7T2FDo0.net
>>571
すごいとは思うんだが、馳道に関してはほぼ文献に頼るしかないからな
ネットで検索したら現代でも普通に使えそうな物凄いインフラが次々に出てくるローマと比べるとちょっとな…
直道は遺構の一部は発見されており驚くばかりだがこれも全体像の把握にはまだまだ調査が必要な段階だし

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 02:26:47.58 ID:NX16IB6P0.net
>>562
王離の軍は元々は匈奴戦線担当のエリート兵だよ。王離が匈奴戦線から離れた事で冒頓単于の勢力が大きくなった。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 15:55:37.79 ID:mdwcqB+j0.net
>>548
>敵の先端部分を騎兵の弓や弩兵で後方との分断を図って崩そうとし
騎兵の弓って、この時代は騎射は無いんじゃないの。

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 19:01:16.50 ID:4dX/MFLX0.net
>>573
古長城くらいしかまともな構造物が残存してない古代中華不利スギィ!
まぁ残存してたとしても頭おかしいハイレベルさを誇るローマ建築に匹敵するとはとても思えんが(ローマン・コンクリートとか卑怯スギィ!)

都市・住居・宮殿の基礎など、地下の保存状態が比較的良好な場所の構造も雲泥の差がある
流石にインフラの質では周辺の錚々たる大文明の技術を継承したローマに一日以上の長があるべ

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 19:07:34.88 ID:wIdk2QiA0.net
>>576
万里の長城から石材盗んでいく現代中国人見ていたらそりゃ古代の遺跡もあんまり残らんよねと思わされる

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 19:47:13.73 ID:4dX/MFLX0.net
>>577
まぁ万里の長城は長すぎて価値を感じないor保存する価値がほとんどない部分が多いのも事実だから一概には言えないがね
目立たないものなら日本でもよく消えていくし


おそらく先秦の文物は秦による六国滅亡と楚漢戦争による統一秦の崩壊で権威を失い急速に朽ちていったと思われる
もともと耐久力の低い建材を用いることが多いから地上建築は短期間で損傷→価値の低下→放置、破壊、再利用→消失

漢(太平の世だったが墓荒らし流行)〜魏晋南北朝の盗掘で地下の墓葬もすっからかんになってジエンド

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 01:44:28.46 ID:OOzSJBzi0.net
世界には数十年、酷いと百年以上もかけて一つの壮麗な建物を建てることが結構あるが
中華はなんかすぐに腐れ儒者がブーブー騒いで邪魔するイメージがある
存外安かろう悪かろうでスケールを確保する文化なんじゃね?版築とかもろそれっぽい

始皇帝「芸術がわからん奴らだ」
項羽「燃やす」

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 02:58:35.72 ID:A+Y4euy40.net
煬帝「大運河工事を強行したワイ有能」

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 03:24:13.72 ID:qj+ZfKAR0.net
戦国末期に大土木工事で秦の国力を削ぐべく韓が送り込んだスパイ鄭国が献策して
灌漑水路を作らせたけど完成したらかえって秦の国力をアップさせた鄭国渠とか。

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 07:22:37.91 ID:ndOd26ts0.net
永楽帝「万里の長城の修復したワイ有能」

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 09:09:15.35 ID:7oB3ub6LO.net
>>575
え!?

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 10:45:51.43 ID:C8g5XV050.net
ローマと中国に関してはS野おばさんにかぶれるかT中おじさんにかぶれるかで全く違う世界の話してるみたいになるからな

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 12:34:18.90 ID:1atnqrEE0.net
ハゲガイエは感覚が90年代のノリで止まってるの別にしたらそんなに異様な感じはしなくね

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 20:08:07.01 ID:mcA7mnfN0.net
ガイエは塩婆女史のみならず某古代中国小説家にも文句言ってたなあ、変な拘りがあったね

>>579
地味な漢の皇帝陵より批判されまくった始皇帝陵の方が後世役に立っているという…

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 21:50:53.37 ID:bXh5CF+/0.net
>>586
T瞬臣?
M城谷?

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 22:17:20.43 ID:aM3tBviF0.net
俺解釈に異様に拘るのはガイエが三国志ヲタ上がりだからじゃね。
(著作では三国志ヲタ馬鹿にしてるけど)

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/01(月) 23:01:56.59 ID:uZ67MLkC0.net
>>587多分Mの事かと思う

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/02(火) 01:02:42.53 ID:3Ckil9R90.net
近現代文明を築き世界を制圧中の欧米諸国の源流であり複数の古代文明の集大成でもあるローマのS女史に喧嘩売るのは流石に分が悪い。

>>587
ガイエが噛み付いたのは大雑把に言えばM氏の中国のピークは戦国時代という発言(断言ではない)。
近代知識人の儒教否定の流れを汲む考えなんで司馬遼太郎も紀元前信者同だし一般の歴史ファンも頷く話だが。

結局ガイエが推していた中世以降の中国史は人気出ないどころか陳やガイエを知ってる世代が老いて更に下降線で
@三国志A楚漢B史記戦国列伝の一部有名エピが相対的に人気な状況は不変という哀しい結果に終わってしまった。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 00:30:01.53 ID:gLjF+v7N0.net
時代が悪かったね
90年代はまあ良いとしても00年代の日本人に「本場中国の老百姓はこっちを好んでる。お前ら三国志/古代ばかりとかダセーぞ」ゆうても反感買うだけやし

三国演義や項羽と劉邦(楚漢)ほどわかりやすくキャラが立った魅力的な素材はそうないし

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 01:40:09.62 ID:LfMSPa910.net
陳舜臣を戴くガイエ教は杉様にやられたイメージ。
楚漢戦争は作家に恵まれたな司馬遷と司馬遼とかいう。

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 01:46:02.61 ID:QgR2Cx5j0.net
S女史はツッコミどころ満載だし、ある意味妥当なような……
未だに中国史が三国志以前ばっかなのは、もうちょい何とかなってもええと思うけどね
というかモンゴルですら最早そこまで話題に上がってないっていうのがエンタメの回転サイクル早すぎるって話だけどね

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 03:08:25.08 ID:+NIEBiIn0.net
>>591
ぶっちゃけ日本史だって戦国と幕末しかネタないからね。
南北朝(日本史)だって北方が良い本書いても後に続く作家出てこなかったし。
古代に至ってはお察し。
(むしろ漫画の方が積極的)

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 03:30:31.16 ID:DpBa9IsP0.net
春秋戦国〜三国志までは邦訳された歴史書が読めるのが大きいんだろうな
だから多くの作家が手を出せる
三国志より後の時代は邦訳されてないのばっかりでハードルが高い

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 03:33:51.55 ID:+NIEBiIn0.net
全訳されてるの後漢書までだからね。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 10:11:23.99 ID:gRJR69uw0.net
問題はガイエの書く中国ものはつまらないって事だ

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 11:07:31.34 ID:QgR2Cx5j0.net
ちくま三国志が1994年
ちくま史記が1997年
ちくま漢書が1998年
全訳後漢書が2007年

三国志の全訳早すぎるやろ……これが三国志人気か
その割には後漢書の翻訳が遅いのが不思議やけど

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 13:44:44.10 ID:jr1cwqR70.net
後漢書全訳文庫版でほしい

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 14:20:16.80 ID:+NIEBiIn0.net
>>597
ガイエは短編は面白いよ。長篇の場合短編とか中編で書いた方が良いのを無理に伸ばしてダラダラしてる感じ。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 18:34:46.55 ID:fC6SNvVN0.net
>>594
南北朝〜戦国前史(応仁の乱)辺りはそろそろヒットする漫画とか出そうな感、実力のある漫画家が上手くウケるように描けば
Twitter見てると興味持ってるクラスタ相当多いし何よりネタが豊富、三国志と楚漢を除く中国史よりは圧倒的に人気はある

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 20:15:08.29 ID:gLjF+v7N0.net
楚漢三国はあれども中華帝国盛時たる前漢や後漢は不人気やね
盛唐のシルクロードロマン的なのも昨今はとんと見掛けん
春秋戦国も過疎スレだらけで特に春秋は話題に上らない

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/03(水) 23:44:54.96 ID:DpBa9IsP0.net
前漢の話題でも高祖〜武帝までが語られる事が多く
その後はマイナーな域になってるな
やっぱ司馬遷と史記は偉大

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/04(木) 23:17:04.69 ID:ONLdd1s/0.net
文帝「えっ、俺も大体流されるだろ?」
高祖「なんでお前が継いでんねん」
景帝「ほとんどスルーですわ」
武帝「俺ですら一般的には、領土広げた、で終わるよな」
司馬遷「わいの息子を返せー!」
項羽「史記とかいう最高の歴史まとめブログ」

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 03:10:57.96 ID:12VsM+TI0.net
王莽「西漢に勝った俺が負けた項羽より強いのは確定的に明らか」

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 11:57:19.47 ID:4dJ747Qr0.net
スレチだけど北方さんの楊家将のコミカライズ格好良くてよかったんだけどなー。耶律休可が出てくる所ぐらいまではよみたかったなー。

607 :陝西富平人@\(^o^)/:2017/05/05(金) 15:27:47.98 ID:GN1rGy6I0.net
>>605
つまり楚漢戦争の勝者は田斉

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 16:54:03.81 ID:0d+1QhwA0.net
文帝以後、前漢帝室に魏王家の血が入ってることを考えると
田斉が魏から禅譲受けて楚漢戦争に勝利した(錯乱)?

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 23:10:36.84 ID:12VsM+TI0.net
始皇帝「ちょっと首都圏に田氏を連れ込みすぎた反省してる」

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/06(土) 19:24:45.57 ID:1JvqTOYu0.net
>>609
むしろ漢代に第一から第八姓に改めた田斉を思い起こされた
後世、第五のみ残った様だけど

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/06(土) 21:30:45.31 ID:/bGhBuBB0.net
第八矯「・・・・・・」

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/06(土) 23:49:14.56 ID:j2ArsFJX0.net
いくらなんでもまとめて連れて来すぎ感はある
平時はともかく非常事態になったら危険だ

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/07(日) 00:00:18.60 ID:wE3lpda60.net
関中の人口がそれだけヤバかったんだろうけど
前漢って元敵国の住人を首都圏に大量移住させてよく何事もなかったなあ
それとも、軍隊で監視すべき場所を限定できるから、案外良案だったんかな

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/07(日) 02:19:58.03 ID:N3EC0WFY0.net
>>598
全訳晋書いつ出るんだろ

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/07(日) 14:35:34.64 ID:6Tjwc1+l0.net
>>614
出てほしいし
全巻そろえて6万とかでも買うけど
出る可能性はゼロに近い

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/12(金) 00:17:11.66 ID:xwwFzbUd0.net
中国史書入門 現代語訳 隋書 : 勉誠出版
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100736

晋書でないかなあx

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 20:30:15.59 ID:PFgZaoe60.net
>>613
王朝崩壊の大事にならないレベルの軋轢とか一揆は無数にあったでしょうが
史記に書いてないだけで
まあ漢は政権の主要構成員自体が六国の移住者なので問題は少なそうだけど

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 22:13:49.62 ID:jM+RZ+Mp0.net
一種の国際都市化である天下の人的資源を中央に集める政策は王朝の世論に多大な影響をもたらしたやろな
統一秦時代の負の側面の大半に外国人(旧六国人)が関わってる

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/14(日) 22:00:27.21 ID:g7Msf5tb0.net
戦国中〜後期の秦の君主のなかで最も知識人文化人を好んでそうなのが始皇帝

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 07:37:21.45 ID:ayZEo/Hx0.net
政くんは自分の出自とか政策とかに触らなければ知識人は大事にしそう

621 :陝西富平人@\(^o^)/:2017/05/15(月) 20:38:43.63 ID:YMDqBi6e0.net
儒者や道家系の人物が政権に参与していますよね
始皇帝、さすがは呂不韋の後継者と言ったところでしょうか

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 22:49:15.43 ID:WzWG7xr80.net
意外と継続性があるんだな。
独自の統一と統一後のプランがなかったせいか?
まあ李斯がハッスルしまくったおかげで始皇帝末期に結局断絶するけど。

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/16(火) 02:46:04.00 ID:x//ksb160.net
蕭何「始皇帝と李斯の遺産は蕭何が美味しく頂くかしら〜」

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 06:44:08.96 ID:1dJ3k9l00.net
>>601
モーニングで建武の新政から足利にかけた漫画が始まっているよ。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 14:00:21.82 ID:dQuqRxQz0.net
バンデットな

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 16:00:00.88 ID:/24A+sGi0.net
太平記はいま大河でやったらめっちゃ人気出ると思うわ
基本的に21世紀は日本史ブームだし

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 16:46:20.81 ID:dQuqRxQz0.net
太平記って言うか戦国以前って相当マイルドに味付けしないと一般受けは難しいんじゃ。

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 17:05:05.70 ID:/24A+sGi0.net
少なくとも中年以下の日本人には下手なマイルド化は逆効果のご時世だよ、ネットは奸計とかヒャッハー!大好きだし
「これが現実だー!本物の中世だー!」って素直に中世したほうが受ける

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 22:35:31.09 ID:Gx5kek290.net
悪党は悪人と言う意味ではない。なお高師直。

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 22:50:12.89 ID:k/tKIqN70.net
土岐頼遠「おい!上皇様!ほれ、わんわん言うてみ?」

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 07:09:26.59 ID:MeCp967L0.net
父は100万の兵を指揮したのが自慢だった、
と次男の周亜夫が言ってるんだから、
漢が保有する潜在的にある兵員の数ではなく、

実際に動員した数なんだよな?
周勃が100万の兵を指揮したのっていつのことなんだろ?

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 09:33:21.32 ID:6xXSpMPOO.net
そういうのは「天下の兵権を手にしていた」という類いの解釈では?

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 15:30:19.50 ID:dg8zz7gF0.net
>>616
神保町の東方書店で買って読んでるわ。
避諱使ってる人物には注釈とか入れて欲しかったわ。
(李勣がまんま徐勣って書かれてたりとか)

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 22:30:25.75 ID:UhX1LJ/C0.net
>>631
文帝「おもしろいジョークだ。」

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 07:34:30.57 ID:mZz2nrZs0.net
こういうのもあったな、
「私は100万の兵を指揮したことがあるが、獄吏にこのような力があるとは知らなんだ」
周勃って自慢厨なのかw

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 07:42:10.12 ID:mZz2nrZs0.net
文帝が、裁判と財政で、周勃と陳平に下問するエピソードがあるな?

あれのやり取りの周勃のセリフの頭に、いちいち「私は100万の兵を指揮したことがあるが」を付けてみたら、
超自慢厨周勃の誕生だ、あまりの自慢厨ぶりに大爆笑した。

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 09:06:57.05 ID:5GDfs+I90.net
周勃「ボクは100万の軍も指揮できますからね!陛下はこんなボクの主君で幸せですね!」

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 17:54:23.12 ID:yw1K6H9b0.net
徐晃と似てると言われた方らしいね
どっちかと言えば親父の周勃のが好きかな、自慢オモロイね

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 19:08:18.73 ID:Ggh80ejd0.net
韓信が独立したら曹参や灌嬰はどうするの

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 19:24:48.80 ID:CM4Q5+Ne0.net
韓信を殺すだろう

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/20(土) 20:06:12.20 ID:mZz2nrZs0.net
項羽と劉邦を語るならこのサイトは欠かせないが
http://kanso.cside.com/index.htm
↓の真ん中あたり、周勃のこんなところがおもろい
http://kanso.cside.com/syasyoku.htm

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/21(日) 07:29:29.08 ID:5uRwePBu0.net
周勃さんはまじめだなぁ・・・

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/22(月) 03:19:43.85 ID:RU1p7/PM0.net
>>639

韓信が蕭何の罠にはまってとっ捕まった時、灌嬰が捕縛の現場に立ち会ったよな?

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 23:25:48.47 ID:efN1k/Hp0.net
一瞬、灌嬰が緊縛の現場に立ち会ったと空目

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/03(月) 16:05:59.59 ID:TipwZdmD0.net
韓信のマラくぐり

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/03(月) 22:55:06.36 ID:E6xcjyNa0.net
嫪毐「やらないか♂」ボロン

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/05(水) 22:42:57.87 ID:i3Aml86h0.net
梅毒に見えて仕方がない。

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/20(木) 23:12:44.18 ID:/DrE9TQ10.net
韓信が漢軍に合流しに発つところ、よく見ると遠くに自動車が走っていててワロタ

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/22(土) 23:37:26.01 ID:8gPIEpgU0.net
機械化歩兵部隊を率いて電撃戦を敢行する韓信

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/27(木) 05:52:28.22 ID:dEyc506x0.net
史記とか ぜんぜん おかしいわ。
だって、常に勝者は一人だけ。残りの絶対多数は全員が敗者。心あるものが改革を進言しても抹殺される。
我々民主主義の観点から見れば「敗者の教え」になる。
13億でも14億でも一人を除いて全員が敗者の自覚があるから劉 暁波もやられる運命だと、あらかじめ洗脳されていたも同じ。
法輪功も(独裁体制に立ち向かうものだったので)やはり抹殺された。
天安門事件も同様。もう中国人は「抵抗して、やられる」というワンセットになってるんじゃないか。
その頭で考えれば周辺国に対して「お前らも やられて当然である」という発想になるかも知れない。

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/27(木) 19:44:45.00 ID:n8YQ+DbT0.net
頭がおかしいな。劉邦が勝者だとしてそれを支えた蕭何や張良は敗者なのか?どう見ても勝者だろう。

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/27(木) 23:32:40.06 ID:FG3H9oW90.net
蕭何は痛み分け、張良は勝ち逃げって印象
どう見ても勝者は曹参あたりかな

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/27(木) 23:41:06.31 ID:BfiRRpXW0.net
案外負けた側の季布や欒布も勝ち組かもな。

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 06:16:46.30 ID:kD80F7ap0.net
朝鮮も全員が敗者だけど、気分は大○国なので、その矛盾の境界で火病発症。

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 12:09:18.49 ID:hetkPfsZ0.net
古代中国を民主主義の観点から~とかあほくさ

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 18:29:05.21 ID:5tcSsBSz0.net
>>650のレスはどう見ても阿呆かつ基地外だが、
いつの時代の中国だろうと民主主義的観点で評価する事自体は構わないと思うぞ、別にあほくさくはない。
中国文明はギリシャ・ローマ等と違い伝統的に民主的ではないので、その点で低評価になるのは自然なこと。
個人的には、あまり魅力を感じない物差しだがね、古今東西問わず。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/29(土) 19:33:59.62 ID:HcPj6mbb0.net
度々主要国で一番自己肯定感が低い調査を叩き出す、自殺大国
敗者の中の敗者な民衆を擁する我が日本国はやはり民主的ではなかったようですね…

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/31(月) 07:38:34.84 ID:EEXShPKn0.net
中国は外の国は何とか御することが出来たけど、日本にはやられっぱなしで悔しく、危険な国と見定めて
日本軍人の強さに打ち勝つために全員を火蟻にするために学校教育で反日洗脳を行っている。
一時は経済大国だった日本にも打ち勝つためにアメリカに働きかけて産業拡大して日本に勝った。
核も持ったし、あとはアメリカとの同盟関係に傷を入れれば勝てると思っているようだ。

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 04:26:52.99 ID:rvgMwN4q0.net
季布は80近く迄生きた 完全に勝ち組

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 07:31:34.04 ID:QwSwvqHp0.net
>>659
漢に仕えても直言の士を貫いたのはすごいわ。
まあ夏侯嬰や劉邦もそれを見込んで登用したんだろうけど。

後世で言うと魏徴や狄仁傑のポジション。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 15:11:26.86 ID:+wr8sKdu0.net
そんな単純なキャラじゃないと思うぞ
政変相次ぐ時世を失脚せず順調に出世してるってことは

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 19:52:52.79 ID:BjjwyGqF0.net
波乱万丈感では欒布もなかなか。

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 20:16:31.60 ID:8SI6phUg0.net
項羽配下も優秀な人材多いよな
項羽の叔父も劉邦の元に招かれて劉の姓を貰う程だし

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 20:24:24.08 ID:9sM7UwnZ0.net
項羽は敵には容赦ないけど部下は領民には優しかったんやろな。

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 22:55:55.98 ID:+wr8sKdu0.net
項羽勢の資料ほとんどないから有能無能善悪の判定は難しいかと

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 05:29:36.28 ID:umqbO0eZ0.net
あいつ礼儀正しいけど人の話聞かねーし金くれねーから離脱してきたわって奴が
劉邦陣営に来たわけだからそういう人間だったんだろうな

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 09:48:45.92 ID:2u77Tti90.net
卑近な例ですまないが
日本のヤンキーによく居そうなタイプだな
もちろん大盤振る舞いするやつもいるけど

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 11:14:27.27 ID:qBtMDJ370.net
>>665
周殷や曹咎なんか重鎮なのに殆どわからないしな

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 21:59:03.72 ID:OydIh0kC0.net
三国志の陳寿みたいに楚側の人間が歴史書を書いたりしてたら
項羽配下の人材の記述も残っていただろうにな

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/03(木) 12:50:25.50 ID:Zb4eYfro0.net
楚は字が違ったんだろ

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/03(木) 19:42:29.85 ID:ikaQ6Ami0.net
>>663
項氏宗族重鎮として大活躍するどころか利敵行為の方で目立ってる奴を項羽側の優秀な人の例に挙げるってのはあまりにも不適当すぎる
不適当すぎて項羽サイドに人なしという印象が・・・いやまあイメージ通りだけれど

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/03(木) 23:36:02.95 ID:fbbAGc8+0.net
項羽側で活躍したらしき記述がある人物だと、
范増、竜且、鍾離昧、周殷、項声、浦将軍あたりか
季布は有名なのに項羽陣営での活躍ほとんどなかった記憶がある

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/04(金) 15:33:28.05 ID:TAXFN43Y0.net
>>672
周蘭がいる
項羽陣営じゃけっこう記述の多めな人物

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/04(金) 22:48:32.73 ID:rAq+lGYi0.net
>>672
せやけど季布以外の連中も大概空気キャラなんで大した違いはない・・・

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/05(土) 23:57:07.82 ID:HOmpsUdH0.net
史記が書かれるまでの数十年間に項羽側の記録は抹消されたに違いない!
范増なんて、劉邦が張良蕭何韓信に匹敵するとまで言ってるのに、鴻門の会で失敗したことと項羽に疑われて憤死したことしかない
これじゃただの頑固じじいだ

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/06(日) 09:23:33.93 ID:Cef43ZWC0.net
>>675
腫れ物が出来てたのは本当か分からないけど
高齢だから頭に血が昇って死んだのは無理がないと思うけど

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/06(日) 18:35:50.35 ID:KkyU6mTX0.net
>>675
はっきりいって項羽臣下は数年で消えた軽い存在だし元から碌な記録なかったと思う
范増高評価に関しては項羽否定喧伝の都合上かなりの下駄履かされてんじゃないか疑惑

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/06(日) 20:21:17.08 ID:U7fgEkPF0.net
項羽自体が10年持たずに滅亡してるからな。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/08(火) 22:23:20.61 ID:cFfemUkx0.net
一見強そうだけどぽっと出て爆発してぽっと消えた三流政権だかんな…
旗色が悪くなった途端に身内外様関係なく見放される項羽さん不人気すぎィ!!!

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/08(火) 23:53:26.02 ID:cnCE7KTe0.net
項羽様は絶頂期の世界最強状態の時からわりと致命的な反乱くらってるからな、、、

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/09(水) 00:19:23.91 ID:O74OVrbg0.net
こーもんの会で劉邦殺されてても、項羽政権は結局続かなかったんだろうか?

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/09(水) 00:29:00.77 ID:heqF2Z010.net
五胡十六国で言うところの冉魏(2年)西燕(10年)とか五代十国の後唐(16年)後晋(11年)後漢(14年)後周(10年)みたいな政権やからな。

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/09(水) 00:37:45.06 ID:gyvtlAdv0.net
31まで生きて子どもはいなかったんかな

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/09(水) 19:25:25.09 ID:jmsu/ULy0.net
>>681
張良、蕭何辺りが生きていれば、劉邦に代わる人物立てて反攻しそう。
項羽がいたから人材は劉邦に流れたので、受け皿でさえあれば劉邦である必要も無かった気が。
韓信登用は必須かな。

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/10(木) 21:07:14.81 ID:7ho3tezG0.net
代わる人物っていただろうかと色々想像した

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 00:45:04.45 ID:G1GT1obs0.net
劉邦云々以前に脆弱な項羽政権はどのみち短時間で自壊すると思われ。

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 01:17:24.51 ID:p162LnO20.net
劉邦が関中に反転する前に、斉、代、殷が反乱起こしてるし、九江は遁辞構えて動いてないしなあ
その他に韓が楚に潰されて、遼東が燕を攻撃して逆襲喰らって滅亡してるし、
項羽の十八王体制って不安定ってレベルじゃねーぞ

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 01:28:00.70 ID:w77RZuhx0.net
>>683
そこ不思議だよね

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 01:51:49.53 ID:fTLHN98q0.net
元おまえら系ニート国士無双でさえ、連座して処刑される家族がいたのに、
西楚覇王ときたら妾しか記録にないんだよなあ

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 07:50:38.07 ID:ahD6hd0I0.net
記録に残らないだけでいたんじゃないかって気もする
どうなんだろうね

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 07:55:47.96 ID:pLU+rruf0.net
項羽の妻の一族云々って記述はあるから多分正妻っていたんだろ。
戦場につれてくのは基本側室だし。
(呂后も基本お留守番)

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/16(水) 08:52:08.87 ID:5R+k6qwX0.net
カンニング・スタンツの存在を昨日まで知らなかったけど
これ面白いね、完結してほしい

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/16(水) 09:05:25.53 ID:O3xfUbmR0.net
仮に項羽が家族ごと処刑されても伯父の項伯は劉邦の陣営に残ったしその一族が存続した可能性はあるな

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 07:21:14.50 ID:Pp57IP5e0.net
不幸の系譜は現代中国に続く。

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 15:59:02.55 ID:9cZZ5lsbO.net
>>693
項伯さんは鞍替えというかなんというか項羽陣営とは距離おいてて正解だったね
剣舞しつつ身体張りながら守るとか中々出来ないよ

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 17:15:23.10 ID:2gH1erjP0.net
何としても張子房の恩に報いねばと必死の思いだったのかな

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/18(金) 11:27:38.73 ID:w4tr3KA50.net
死にたくなくてやったとか

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/18(金) 16:08:50.12 ID:7EMYZ3hbO.net
何か殺されかねないことあった(やった)っけ?

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 01:53:49.64 ID:euQDhxjG0.net
項它・項伯(劉纏)・項襄の子孫が生き残ってるだろ。全員劉姓名乗ってるけど。

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 20:18:32.13 ID:jLmChhRd0.net
>>692
いい暇潰しになったわ
ポエニも描いてもらいたい

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 20:59:44.87 ID:hOCvCejp0.net
>>700
いいね
ハンニバルも好きだから読んでみたい

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 15:11:23.41 ID:AxFz6IvCO.net
ハンニバル好きだから『ローマ人の物語』で孤軍奮闘もむなしく
徐々に追い詰められ本国からも見捨てられ処刑されるハンニバルがかわいそうで
『ローマ〜』の続きを読むのやめた

ハンニバル(とスキピオ)主人公漫画に『アド・アストラ』ってあるけど
絶頂だったカンネー(カンナエ)の戦いも終わって
シチリアが陥落して実弟マゴが死んでハンニバルが苦境に陥ってる状態で
あとは負けていくだけだから正直読み続けるのはしんどいんだよね

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 16:50:36.81 ID:2FcVa93C0.net
ハンニバルの味方は兄弟しかいなかったからな
1度負けたら後は終わりだった

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 17:53:06.06 ID:flJscjow0.net
それに比べたら大敗しても不死鳥のように甦った劉邦すごい。
勢力基盤と人材って本当に大事だね。

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 17:58:24.54 ID:45SpgB0Z0.net
彭城を制圧した時点で勝利確定だったはずなのに、そこから歴史的大敗喫した高祖ェ……
もう一度逆転してるから良いけど、逆転できずに死んでたらどういう悪評がついてたのか分からんね

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 18:52:02.34 ID:WGCnnRGm0.net
項羽が秦を滅ぼした後、関中王になっていたら

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 20:41:51.53 ID:tj/dQTFl0.net
>>705
油断して宴会してる内に大敗して
ズルズルと退勢に陥った龍神の子とか虚勢張ってた
天下取れたとか言われる過大評価野郎とか

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 21:40:10.36 ID:As282ms80.net
>>705
「烏合の衆」とか「陳勝の亜」とかそんな感じじゃね

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 21:49:14.04 ID:hoYeVUtW0.net
劉邦の死後、「婦女の仁」のうえに部下にケチな項羽とコミュ障な韓信の
どちらが勝っても、秦が統一した中国はバラバラになる
ヨーロッパのように分裂したまま近代を迎えてそうだ

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 22:03:59.68 ID:W4tIKstS0.net
>>702楚漢戦争と第二次ポエニ戦争はかぶるところがあるな
項羽≒ハンニバル 韓信≒スキピオ って感じがする
項羽・ハンニバルを漢・ローマの主力軍が引きつけてる間に韓信・スキピオが他の楚・カルタゴ軍を撃破していくのが似ているわ

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/20(日) 22:05:06.16 ID:As282ms80.net
秦王家の再興運動が一度も起きなかったことを考えると項羽は徹底的に根絶やしにしたんだろうな

一番得したのは劉邦のような気がする
彭城の敗戦とかその後の苦戦の最中に旧秦地域で叛乱起こされていたら
項羽と戦争どころではなかっただろう

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/21(月) 01:31:23.76 ID:ULFoNEa5O.net
その辺は蕭何がうまくやったんでは?
あの人の「どこからとなく人員・物資をかき集めてくる能力」は(いい意味で)おかしい

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/21(月) 14:50:23.52 ID:OjTh5xVn0.net
>>712
あの韓信を何日もかけて追いかけて行く時点でおかしい(いい意味で)

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/21(月) 15:23:25.99 ID:fPnzNLy10.net
蕭何が凄いのが楚漢戦争だもんな
劉邦を選んだのも理由があったんだろう
運だけで天下人になったわけではないよな

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/21(月) 17:06:37.03 ID:+IR6aAx20.net
一番頭良かったな
政治的才能は勿論だが先見性や人物鑑定能力が特に優れていた

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/21(月) 19:08:30.85 ID:j62/Twhn0.net
その蕭何を勲功第一とした劉邦もさすが
兵站の重要性を理解している

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 00:34:13.74 ID:WlZ4VTy70.net
>>704

関中を紛争地帯にしなかったのが良かった。
戦乱が長引けば長引くほど漢が有利。
食い物にありつきたさに散逸した兵隊がみんな戻ってくる。

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 14:29:48.41 ID:NTkApYiz0.net
>>713
その韓信も天下平定後には劉邦が不在中、呂后と組んであっさり処分してしまったところにもまた凄味がある

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 16:13:54.23 ID:bZNprgPi0.net
韓信はどうしたら生き残れただろうか?
やはりカイトウの示唆に従って独立して項羽を倒した後に劉邦も倒してしまうべきだったのか!?

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 16:31:07.64 ID:Rri9u4du0.net
>>719
独立して項羽と組んで劉邦倒すなら戦なら勝てるね、ただ相手には蕭何、陳平、張良がいる。
ただ人材が韓信は足りてないように思うな

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 16:32:49.67 ID:WjEGk1cb0.net
ぶっちゃけキチンと劉邦を立ててれば粛清されなかったんじゃね
変に日和るから疑惑向けられたわけで

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 16:44:14.55 ID:JOZrONJf0.net
>>721
韓信の手元に強大な戦力とその戦力を好きに動かせる権限が在るか無いか
が最大のポイントだと思われる

韓信が戦上手で優れた能力を持った存在である事が世間に知れ渡ってしまった以上は劉邦の側近達も韓信に対して警戒心を抱くのも必然だった
最終的に韓信に取った最大の理解者だった蕭何が韓信を罠にハメて捕らえられるに至ったワケだから

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 17:26:31.73 ID:9moRW4wy0.net
>>719
むしろ蒯通を遠ざけていた方が万事上手く行ったような気もする

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 18:12:25.42 ID:ZF76YmhT0.net
>>723
?通を遠ざけた事に依って韓信はああなったわけだからな

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 19:02:49.65 ID:74G4vcSz0.net
>>719
その場合曹参とか灌嬰の様に劉邦が韓信に就けた家臣連中が
韓信の下を去ってしまう気がする

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 19:08:25.64 ID:dWFy9rMA0.net
項羽倒した後に項羽の部下たちを引き入れよう
更に彭越や黥布と手を組んでクーデター起こせば完璧

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 19:21:50.83 ID:SbiMew2M0.net
張良のように仙人になると宣言しちまえば良かったのかしら

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 19:33:24.64 ID:MGx/zsmu0.net
>>727
張良以外の人間がそんなこと宣言したら
劉邦と呂后の猜疑心はマックスになる
逆に危険

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 19:51:42.20 ID:+kjBVRiFO.net
少しでも身の危険を感じたら匈奴に逃げ込む

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 21:17:53.83 ID:ZdUOTV2p0.net
>>729
韓信が匈奴に逃げたら韓王信と余計にごっちゃになるな

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 21:22:28.94 ID:WlZ4VTy70.net
東陵君に弟子入りして瓜を作って暮らすのだw

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/22(火) 22:48:06.71 ID:zQe13gdc0.net
韓信は王翦の処世術を見習うべきだった

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 04:22:19.45 ID:Uk2Q9J12O.net
やっぱり第三勢力として鼎立して様子見するのがてっとり早いな
弱った方を叩いて天下二分。ただ惜しむらくは韓信には参謀がいない

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 05:10:45.96 ID:FGfI6/b/0.net
カイトウさんは軍師にはなれないの?

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 05:12:44.18 ID:RJr1gocL0.net
>>732
王翦さんのおねだり大作戦は政くんもドン引きやろな
https://youtu.be/Ne-kEw84-f0

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 09:13:50.75 ID:lBSdC//xO.net
戦後の論功で、変なゴネかたをせずむしろ異民族との最前線にまわしてもらい

兵力を維持したままそこでうまくいく間は漢のしん

粛清の網にかかるようなら独立か異民族との共闘

なにせ中央と上手く距離を取るべきだった

そうすれば呂家討伐のさいの中心になれたかも

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 11:09:37.35 ID:MV/AjmnS0.net
その場合は陳平と争う事になったりして

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 11:38:32.13 ID:q1/LFXuA0.net
どの道を選んだにせよ滅ぼされてたのかもな

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 12:20:22.26 ID:CTh4wzUw0.net
>>732
天下の大将軍になりたかったんだから引退とか論外じゃね?
死ぬまで将軍でいたかったんだろ

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 12:59:00.17 ID:PP7unMjb0.net
始皇帝は猜疑心の強い人だと言われてるけど功臣はあまり粛清してないよね

でも王翦は老齢で亡くなったのは分かるけど李信や王賁とか、秦の全国統一から始皇帝没後の反乱まで10年ほどしかないのに統一戦争に活躍した武将ほとんど消えてるんだよな

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 13:22:04.48 ID:CTh4wzUw0.net
王賁は始皇帝が死んだときにはもういないってのがな

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 16:02:58.28 ID:lBSdC//xO.net
>>737


周勃と手を組んだ陳平が?

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 16:09:30.05 ID:Uk2Q9J12O.net
誇大とはいえ兵力ウン十万とかなんやねんお前らって思う
Q.斉を滅ぼすに必要な兵数は?
A.六十万

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 18:34:54.72 ID:U00uC+Rd0.net
兵力は10分の1だと思えばええ

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 18:39:58.08 ID:P6UVe7ZS0.net
>>737
陳平自身は兵力を持ってないから周勃の兵力を必要とした。
それが韓信に代わっても何の問題もないだろう。
そうしたら韓信が左丞相になってたな。

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 18:46:05.86 ID:2g2Xj3s0O.net
韓信は仮の王になった時点で統一後の粛清リストのトップじゃね

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 19:40:32.85 ID:V46xsRia0.net
カイ通って韓信が独立せざるを得なくなるようにレキイキ見殺しにさせて
劉邦との軋轢生じさせようとしたような気がするのよね
実際の韓信は斉王をリクエストするくらいのアスペなので乗ってくれなかったが

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 03:20:19.06 ID:OidRgFdyO.net
>>746
斉王にして!とか劉邦をイラつかせずにさっさと兵を出してればよかったのに

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 09:13:21.34 ID:xMdLGvAs0.net
蕭何のことだけは捕らえられるその時まで信じ切ってたのかな

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 09:14:39.49 ID:6Ea6ygWP0.net
おそらくね
最強の将軍も大恩人には弱かったってことだ
ある意味蕭何が一番強いともいえる結果だね

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 09:17:44.16 ID:x/sQ383cO.net
結局、粛清の対象になったのは諸侯がメイン
(英布、ホウエツ、ぞうと、チョウゴウ、韓王信、ゴゼイなど)
この中でも辺境におもむいたゴゼイは放置プレイ

また武官は意外と残っている

中央集権化を目指そうとする漢帝国の流れが見えなかったわけだから
漢帝国自体ひっくり返す以外、アウトだったのかも

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 11:40:12.15 ID:I+2SqDkz0.net
>>749-750
韓信と蕭何(と張良)が出る三国志11だと
韓信から蕭何に親愛の感情があるけど
蕭何から韓信には何の感情もないというドライすぎる関係が浮き彫りにw

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 19:06:08.45 ID:HlOtXoxd0.net
もう、王になって独立する流れは無くなってるんだから、誰か劉家の奴と組んで反乱すべきだった

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 19:37:37.34 ID:l+mLCQWy0.net
>>752
韓信ちゃん可哀想です(´;ω;`)ウッ

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 20:22:16.33 ID:xMdLGvAs0.net
>>752
そういえばそうだった
一方通行なんだよなぁ

漢の三傑は本当に面白いというか
興味の尽きない人達だな
特に「どうすればよかったのか」と話題になりがちな韓信

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 11:25:16.70 ID:xpduakvZ0.net
関ケ原の戦いで石田三成がどうやれば家康に勝てたかで、
俺は三成が劉邦(漢軍)の戦略を真似れば良かったのではないかと考えた。

史実では家康が、三成がいる美濃大垣城を素通りして
近江(そして京都大坂)へ 進撃するそぶりを見せたので、
大垣城から出陣して関ケ原に布陣して迎撃態勢を取った。

しかしである。 いっそ三成は京都も近江も美濃大垣も放棄して、
大坂城へ籠城すべきだったのではないか。
大坂城は天下の要塞だ。家康でもすぐには落とせず、
徳川の大軍を釘付けにされるだろう。
大坂の背後には、三成軍の旗頭たる中国地方の毛利・宇喜多領があるから、
補給が随時届く。
すなわち大坂城が広武山で、中国地方が関中地方に当てはまるのだ。
そして三成の親友の大谷吉継が所領の越前敦賀へ戻り、
味方の北陸大名である丹羽や青木とともに、加賀の前田利長を滅ぼす。
これが劉邦と項羽が決戦している間に、趙や斉を平定した韓信の役回りを大谷がやるわけだ。
前田を滅ぼした大谷は信濃へ進出し、真田と合流する。
真田幸村の妻は大谷の娘だ。

そして項羽の本拠地・彭城が家康の江戸城にあたる。
項羽は本拠地に近い九江王英布を滅ぼして後顧の憂いを絶ったが、
江戸城の側には英布の役回りにあたる常陸の佐竹がいる。
大谷が信濃上田まで来れば、佐竹も動く。

大谷と佐竹が関東の徳川領へ、真田は甲斐、駿河を略奪し、
関東の徳川領から大坂への補給路を切断させる。すなわち真田が彭越の役回りをする。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 18:25:51.76 ID:r0qoJ0Pr0.net
淀が秀頼が戦に巻き込まれるのを嫌がって拒否する。

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 20:07:29.64 ID:YoYvefVo0.net
あのオバサンが害だよな
やっぱ実母は死を命じるべきだな

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 22:02:35.10 ID:t+kiLAZm0.net
>>755
・鍾離眜を殺さずに楚王の位返上してでも鍾離眜の助命を嘆願
・白登山の戦いに参加し冒頓単于を完膚なきまでに打ち破る

これやっとけば天寿を全うできたかもな
ウジウジ屋敷に籠って謀反考えるなんてその時点で韓信ではない

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 22:25:54.26 ID:dknsfr+M0.net
冒頓単于を完膚なきまでに打ち破ったらますます警戒されそう

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 22:31:35.96 ID:2RGB1we10.net
>>760
いやいや、その前提が「韓信がぼくとつよりつよい」になるし割と無理ゲーやろw

言ってみれば将棋の勝負に初手でドスで刺してくんのがぼくとつやぜ

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 22:57:19.19 ID:Bla8Jsm/0.net
それを見越して眼前に防弾ガラスを置き、遠くのビルにはゴルゴを配置しておくのが韓信だったりする

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 22:57:54.69 ID:g7PRkf2AO.net
ボクトツが生きているから自分も生きていられると韓信が気付けば
一進一退うまく繰り返すの
かなと
そのあと、とう卓になるもよし割拠するもよし

なにせ異民族の近くでいれば力をたもちやすい
(ちょうこうに騙された盲点はもったいなさすぎ)

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 00:25:52.36 ID:qhn0q8ArO.net
こうとししてそうくにられる


だっけ

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 02:30:59.50 ID:MVbRYgWIO.net
狡い兎がいなくなると
走る狗は用済みになって
殺されてしまうのです

項羽がいなくなると
下手に兵力と能力のある異姓諸王は駆逐される運命にあったのです

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 07:28:12.29 ID:BD23nWrY0.net
>>760
冒頓単于は万が一大敗しても絶対に生き残るぐらいのしぶとい梟雄
韓信にやられたぐらいじゃ北原に逃げるだけで絶対に死なんよ
冒頓単于向けに韓信を万里の長城に張り付かせて蒙恬役をやらせるのが
漢にとっても韓信にとっても幸せだったのでは
それを間違えて同姓同名の韓王信にその役やらせるから(ry

韓信は厚遇されている限りは劉邦大好きで忠誠誓うから
韓信に王位と相国・宇宙大将軍・都督六合諸軍事とかw肩書与えていれば
匈奴が滅びん限りは韓信は生き生きしているだろうな

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 12:44:49.93 ID:s1KliNqa0.net
劉邦「卿に辺境防衛に際しての全権を与える」
韓信「はっ!身命をかけて陛下と臣民をお守りします!」

厄介払いも出来てうまくすれば死んでくれるという一石二鳥

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 13:32:09.63 ID:wy93Z5a30.net
>>766
宇宙大将軍韓信か、実現していれば伝説だったね

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 14:02:00.84 ID:Co0AYUpR0.net
李世民の天策上将を超える称号だな

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 14:24:29.48 ID:qhn0q8ArO.net
韓信
「よし、異民族を一つ制圧したぞ」

異民族A
「カンシンツヨイ。ワレワレハオマエニ従ウ」

韓信
「よし異民族をまた平定したぞ」

異民族B
「カンシンツヨイ。ワレワレモオマエニ従ウ」

以下ループ
周辺異民族平定完了。本国をはるかに凌駕する大軍団を率いることに

精鋭異民族騎馬軍団を率いる韓信!
めざすは取り敢えずヨーロッパ!
「宇宙大将軍に股夫はなる!」

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 15:09:48.18 ID:b/J6Kd2E0.net
ハンニバルと韓信に攻められて涙目のローマ

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 15:56:18.40 ID:Co0AYUpR0.net
張良に「韓信を宇宙大将軍になさいませ」
などと進言され「子房がそう申すなら」とあっさり頷く劉邦

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/26(土) 21:37:41.88 ID:9Js28Vzy0.net
真顔で言ってるのを思ったらリアルに噴き出しただろうがw

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 19:33:55.68 ID:ttmJ/Q4q0.net
韓信を警戒して淮陰侯へと降格させた奴らが諸悪の根源
韓信もうまく厚遇して使えば最後には周勃を超える社稷の臣になっただろうに
韓信の才能を全うさせられなかった点では劉邦は
島清興を全うさせた石田三成にも劣るな
蕭何も夏侯嬰も含めて誰も劉邦陣営で韓信の取説持ってなかったのが悔やまれる

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 19:50:52.27 ID:ttmJ/Q4q0.net
>>756
石田三成が大阪籠城しようとしたら徳川家康に各個撃破される
石田三成は赤坂辺りで気付かれて追撃されて撃破されるだろうし
もし石田三成が大阪に逃げ帰れても徳川家康は先に佐和山や敦賀の大谷吉継らを始末にかかる
徳川家康にとって得意な野戦でなく不得意な城攻め大阪城攻めは一番最後にするよ
その間に毛利家は内紛で手が付けられず毛利輝元は大阪城から退去確実で西軍の兵力激減
時間経てば経つほど徳川家康に有利になる状況だよ

だから石田三成はあえて短期決戦に持ち込もうとしたのだが
最善の策で最善の陣形でも陣営内の問題(毛利・小早川)を解決できなかったのが石田三成の限界で敗因

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 20:14:04.50 ID:WpJQafy90.net
>>774
政治的な空気を読めない戦争の天才とか危険人物すぎる
ていうか中国では今も昔も政治的な空気を読めないと悲惨な死に方するな
近代で言うと劉少奇とか(相手が悪すぎるけど・・・)
日本の場合、黒田官兵衛みたいに最高権力者に警戒されても
出家して領国が小さくても不平を言わずにおとなしくしておけば
なんとか生き延びられる
そこが中国と日本の大きな違い
韓信は生まれた国が悪すぎた

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 22:03:36.68 ID:rAKDWBKY0.net
韓信は軍才を自慢して劉邦の不興を買ったりしてるからなぁ。
そういうところがたとえ不満なことがあっても表に出さない官兵衛に及ばない。
若い時は股くぐりでもやったのに。

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 22:04:55.01 ID:spL8g2Ly0.net
韓信は義経に比べて民衆のヒーローになったわけでもなく、関羽みたいに神様として有名になったわけでもないのは当時から自業自得って見られてたからなんかな?

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 22:29:08.94 ID:FQwKI1rY0.net
韓信がまだ楚王の時謀反の噂が出たけど、その時誰も庇ったような感じがしないのがな

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/27(日) 22:58:10.52 ID:diYeEKdF0.net
実在の韓信が横山光輝版の韓信みたいだったらなあ

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 00:01:18.71 ID:VcVH6dbSO.net
>>774

韓信に必要だったのは
西野カナだった

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 03:02:12.07 ID:8uNnAgdH0.net
韓信は無条件に褒め上げる人間が周りにいれば満足なんやろ

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 07:27:10.22 ID:l1xAq6fw0.net
>>777
でも俺の才能は陛下よりすごいけど
俺を使いこなせるのは陛下だけですって
リスペクトしてるじゃん
劉邦もその辺を利用してとにかく褒めてやってれば
おとなしかったんだと思うけどね

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 09:00:14.48 ID:juyEgC460.net
韓信は承認欲求が強い性格だったんだろうけど、軍才のある人間に権力持たせると造反される歴史を繰り返してるから、用が済めば危険分子としか見なされなくなるし、軍功著しい人間ほど権力欲を持つのも求めるのもいけない気がする。

じゃあどうすれば良かったんだろ。
外戚にしたところで、外戚が禅譲せまるなんて例もいくらでもあるし、お金を貰って隠居?

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 09:26:34.18 ID:sgl8HZFy0.net
>>783
>劉邦もその辺を利用してとにかく褒めてやってれば
劉邦自身も承認欲求の強い方だから無理。
父大公にも皇帝として敬われることを望んでるんだから。

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 11:25:50.62 ID:ZyGGg/VQ0.net
そもそも韓信に劉邦や漢への忠心が殊更厚かったとは思えんからな
楚から漢へ鞍替えしたのだって自身の才能の振いどころを求めてで、そこだって
当初は重用されないとみるや脱走してる
斉での独立に踏み切らなかった理由も用いてくれた劉邦への恩と言っているあたり、
さほど忠臣としての姿は垣間見られない
承認欲求という意見が出てるけど、そうだったんだろうと思える要素の方が大きくて
社稷之臣になんてなりようもないんじゃないかね
自身が支配者や皇帝になろうなんて野心は薄かろうと君主は疑念をもつのは歴史の常

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 18:09:19.09 ID:SBgjzkRY0.net
>>782
同格の樊カイから褒められても嬉しくない韓信
韓信は劉邦より下でも他より上のポジションでないと満足できんだろうな
だから危険に感じても韓信だけは王位からは絶対に降ろしては駄目だった
韓信が大将軍で睨み効かせているいる限りは彭越も英布も粛清されず寿命を全うできただろうな

>自身が支配者や皇帝になろうなんて野心は薄かろうと君主は疑念をもつのは歴史の常

あれだけ寛大の塊の劉邦がそうなったのは皇帝即位した年に臧荼が反乱したから
それさえなければ少なくとも白登山の頃は劉邦の代わりに韓信が冒頓単于と対峙している

>そもそも韓信に劉邦や漢への忠心が殊更厚かったとは思えんからな

韓信は忠心厚いかわからんが少なくとも貧乏時代に飯恵んでくれた老婆に
一生使いきれない大金与えているので一宿一飯の恩義を感じる人間なのは確か
なので淮陰侯へと降格させて5年も放置で冷遇しなければ
大将軍や斉王にしてくれた恩義は返しても返せないぐらいに感じていたと思われ
社稷之臣かどうかはわからんが走狗としてはわかりやすい性格

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 18:56:12.82 ID:oq6w0cTe0.net
䔥何がアフターケアというか
弁護でもしてくれればよかったんだけど
「はい、お前とはもう関係ないから」的な態度は冷淡にもほどがある

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 19:40:29.42 ID:8p2r1QTm0.net
仕事がデキるやつにありがち
ビジネスライク
その上、元々公務員だし情とか無さそう

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 20:27:37.88 ID:R+/V89Eq0.net
しかしさすがだな韓信
漢三傑でこんなに話題になるのは韓信だけ!

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 20:34:42.55 ID:an7/cnV20.net
生き残り勝ち組としては陳平が最優秀なんだがな

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 20:46:32.50 ID:R+/V89Eq0.net
韓信はそれでも蕭何のことだけは
罠に掛けられたと気付く瞬間まで信じていたんだろうなぁ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 22:02:52.64 ID:l1xAq6fw0.net
韓信「蕭さんあんたもなのか!」
蕭何「いい様だな斉王殿」
韓信「貴様ー!」

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 22:11:05.32 ID:4yBhJVVi0.net
韓信は見ようによっては漢の天下取りの為に蕭何に使い捨てにされたようなものだからなぁ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 22:42:39.59 ID:8p2r1QTm0.net
蕭何の保身の能力が高すぎるだけな気もする
子孫も犯罪犯すまでは代々続いたみたいだし

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:09:55.88 ID:juyEgC460.net
劉邦軍の配下には言葉遣いや礼儀もなってないような無学者も沢山居たんだろうし、韓信は候に格下げされた事よりも、そういうのと一緒にされるのが嫌だったのかもね。

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:11:41.37 ID:gxDBL2140.net
股くぐりしたくせに

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:21:12.09 ID:6t8BhXfi0.net
>>790
国士無双の軍事的才能と実績がありながら政治面で不器用で悲劇的な最期なのが
判官贔屓な国民性と合致して話題が盛り上がりやすいね

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:26:41.18 ID:KdDjaYtN0.net
韓信の場合、自業自得なとこがあるから
あんま悲劇って感じがしない

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:30:07.90 ID:KbjoLSNR0.net
あといつの時代も見た目って重要な要素だから、韓信はブサイクだったであろう事が意外とネックだったのかもね

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:43:37.14 ID:KdDjaYtN0.net
韓信は古今の名将たちの兵法を学んだのに
伍子胥、楽毅、白起、信陵君、李牧など
君主に疎まれて不幸な運命をたどった名将たちの事から何も学ばなかったんだろうか?

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/28(月) 23:54:13.54 ID:a9i3aKRS0.net
>>801
韓信「そいつらみたいに剛直とか清廉アピールしたら殺されるから王センみたいに恩賞を求めたんだが?」

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 02:37:34.56 ID:+wuHC0UO0.net
ケ艾「ワイも司馬昭さんに呉討伐を進言して忠勤アピールしたのに粛清されたわ」
檀道済「ワイも忠勤アピールしたら粛清されたわ」
岳飛「ワイは漢土を取り戻そうとしただけなのに」
袁崇煥「ワイは売国奴を粛清しただけなのに」

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 04:31:11.87 ID:sA0pCsGEO.net
秦檜「抵抗勢力が邪魔なので始末して和睦したら
未だにボロクソに言われるんだが」

惨めな許しを乞う像(しかも奥さんのも)作ってまで罵って唾吐きかける風習が
ここ10年前くらいまでさも当然のようにあったってのがおかしいわ
義経が爆アゲされる一方で梶原が頼朝の犬やらゴミクズのように言われるのに似ている

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 05:32:30.97 ID:2tvTIt5M0.net
>>800
最大のネックはやはり股くぐりエピソードだろうな
項羽に重用されなかった要因が正にそれで劉邦も当初は重用していないし

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 08:09:15.15 ID:37SwkzZW0.net
韓信の取扱説明書を作成したら
案外少ないページ数で済んだりして

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 08:27:09.57 ID:D/sq3nNe0.net
韓信は基本的にこれと同じ性格やからな。
「カワイイ」が「用兵の天才であるオレ」に変わっただけで。
http://i.imgur.com/dNPzYos.jpg

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 09:38:59.81 ID:Wh8SHdLP0.net
>>804
一度定着したイメージを変えるのは難しいからね
尊氏は逆賊、信長は破壊者、慶喜は敵前逃亡ヘタレ
このあたりは一般的に歴史的事実どうこう関係なく語られがち

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 10:54:00.74 ID:2Va5jnHP0.net
韓信の取扱説明書
その1、褒める(こちらが低く見られてる場合は逆効果なので注意)
その2、恩を着せる(こちらが毒づいた態度でも後日まで有効)
その3、進言があれば採用する(採用されなければ逃げるので注意)
その4、身分を与える(剥奪すると引きこもり後反乱起こすので注意)
その5、忠告は通じないと心得る(天才の心に届く言葉が必要)

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 11:55:34.47 ID:Z3tJKNur0.net
ケチのつけ始めは斉の仮王にしてくれと劉邦に請うた時だろうかね
この時の劉邦は成皋で項羽との対陣で苦境にあった時期で、足元をみられたと
激怒してるくらいだし、その後も和平破棄で追撃して返り討ちにあったところに
なかなかやってこない
二度もやらかせば劉邦も恨みを残さないわけがないし
最も嫌われた雍歯は政治的な配慮で生かされたけど、これは例外というしかないし

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 12:54:45.76 ID:sA0pCsGEO.net
川原正敏の楚漢戦争…というか張良の伝を漫画化した『龍帥の翼』見てるけど
五巻で重要人物が何気に顔見知りになってるのには笑ったわ
陳平はさすがにまだ出てこないけど

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 14:23:35.78 ID:bbHIz4FX0.net
個人的には彭越の方が韓信よりも活躍してると思えた

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 15:43:21.46 ID:sA0pCsGEO.net
刺青の鯨布!国士無双の韓信!とキャラ立ってるのに比べて
彭越って影薄いと思う。なんか異名あったっけ

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 15:54:13.83 ID:2Va5jnHP0.net
お中元に彭越ハム!

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 16:05:39.06 ID:37SwkzZW0.net
樊?さんちのお肉で作ったおいしいハム

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 16:34:20.01 ID:ikJJNmWW0.net
今までの世界の歴史上の将軍の中で韓信将軍が、1番戦いが上手でした。まさに天才の中の
天才でした。股くぐ伝説や洗濯婆に養わされて話しなどは、敵方を油断させる為に敵側に
流したウソ話のような気がします。天才は他人が絶対に思い浮かばないような策を考えます。

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 16:47:16.51 ID:ikJJNmWW0.net
優秀な人間には2種類います。王に成るタイプと軍師に成るタイプと2種類の人間がいます。
韓信将軍みたいなタイプは軍師タイプです。軍師タイプの人間は物欲はないです。
ただ戦いに勝てば満足します。自己顕示欲が強いだけですから、誉めていれば満足します。
漢や明の国が出来た初期は多くの建国の忠臣が殺されました。韓信も劉邦を倒すしか
生き残る道が無かったです。

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 16:59:40.64 ID:ikJJNmWW0.net
優秀な軍師でも過去の戦い方を調べて色々な作戦を考えますが、韓信みたいな天才軍師は
神的なヒラメキで作戦を考えて戦うから、相手側も対応の仕方がわからないから、戦に負け
ます。頭の良い秀才タイプの人間が幾ら多く勉強しても、韓信みたいな天才にはかなわないです。

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 18:56:50.23 ID:pmtRvwnu0.net
戦争に強いのは理由があるはずで、韓信の場合はまずちゃんと軍を統率出来ていた事も大きいんじゃないかな。

それに加えて、軍事に於ける当時のセオリーも勉学により把握できていて、天才的な自身の理論もあり。

単純にめちゃくちゃ頭が良くて周りがバカに見えるので、くだらない仕事をしたくなかったとかもあるのかな。でも食客として潜り込むことも出来ない風体、容姿。

戦国末期から、個人の強さで戦争が大きく左右する時代からは既に移り変わりつつあった時代とはいえ、韓信軍には絶対に武の強さを誇る部下も居たはず。

韓信は体デカいから武の強さもあったと思うけど。

春秋戦国時代の食客、側近はいつの時代も存在したから、優秀なブレーン達を抱えていて、その人達のチームによる勝利という可能性もあると思うけどね。

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/29(火) 22:23:58.21 ID:iSdzelKX0.net
>>810
劉邦は思う通りにならないと激怒する癖あるがただの瞬間湯沸かし器
絶体絶命のピンチの時に馬車から子供達放り投げた時に
わざわざ馬車止めて子供達拾った腹心の夏侯嬰すら斬ろうとしているからな
たとえ気に食わない相手でも少しでもいい処あればちゃんと評価する劉邦が
韓信に2度やらかされても後々まで遺恨残すほどの器の小さい奴なら天下取れてないよ
韓信や彭越に関しては劉邦は別に遺恨ないが
周りが勝手に危険視して粛清に動いて始末している感が

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 05:15:12.77 ID:ZTo6FKRUO.net
嫡子と長女を放り投げてまで助かろうとする態度が気に入らない
赤子を地面に投げ捨てる子供を大切にしない態度をしっかりと受け継ぐ劉備

劉邦はあんまり理性がないというか古きよき本宮ひろし的な主人公ノリそのもの
直情的ですぐ激昂して女とヤれればいいみたいな

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 05:25:43.88 ID:1WwRYlhX0.net
劉備が赤子を地面に投げ捨てたのは演義だけの話だけどね

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 11:14:04.78 ID:DnqwKuqa0.net
>>776
日本史で、政治的な空気を読めない戦争の天才が粛清されたケースとしては源義経かな

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 16:35:52.47 ID:ZTo6FKRUO.net
・大手の大将がいるのに別動隊にしてもらい崖から飛び降りるなど無謀な行動に出る
・頼朝の目付けもいる軍議で勝手な言動をして衝突
・挙げ句に勝手に渡海する
・大言壮語を連発
・勝手に天皇から官位を貰う→これは圧倒的にダメ
・漕ぎ手を狙わないというのが当時のルールなのに無視
・敵にすら正々堂々勝負しろと言われる
・逃げた先で殺される

戦には強かったがそれ以外のこと、政治的な感覚や空気を読むことは壊滅的にダメという人間

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 16:39:00.34 ID:+X7dp7tR0.net
義経以外も官位貰った武士かなりいるで。
頼朝の股肱の小山兄弟ですら貰ってるはず。
(その後頼朝から大目玉食らった)

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 17:08:11.16 ID:dPT4cNTV0.net
>>825
義経は書状では無視されてなかったっけ?
まだ叱られたり怒られたりするうちは見捨てられてないということかな
存在自体が無視されるようになったら終わりだ

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 17:24:16.63 ID:qU82gjxA0.net
>>821
>劉邦はあんまり理性がないというか古きよき本宮ひろし的な主人公ノリそのもの
実際、赤龍王描いたしね

>>824
・大手の大将がいるのに別動隊にしてもらい崖から飛び降りるなど無謀な行動に出る → 昜みたいなものか
・漕ぎ手を狙わないというのが当時のルールなのに無視 → 殺し合いなので、こういう事もままあるかな
・敵にすら正々堂々勝負しろと言われる → 奇策の影響で旗色が悪い側は大抵言いそう
・逃げた先で殺される → 追討はそういうものなので…

>戦には強かったがそれ以外のこと、政治的な感覚や空気を読むことは壊滅的にダメという人間
これには同意

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 18:53:35.37 ID:Lv0Em5Yl0.net
>>827
自分も赤龍王は読んでるんだw
壇ノ浦のことだけど漕ぎ手を殺したら船は迷走するので
有効っちゃ有効なんだけどハッキリいうと禁じ手なんだよね
戦だからって何やってもいいのかって話になってしまう
正々堂々云々は平家最強の平知盛から逃げ回ってるときに言われる(八艘飛び)
平泉に逃げたけど追討以前に頼朝の圧力にヘタレた泰衝に殺されるというしまらない死に方

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 18:58:03.56 ID:UCAPD05c0.net
>頼朝
義経は弟だから他者に対してよりも厳しくしたってのはあると思う

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:20:09.26 ID:abNfiAk30.net
義経だけでなく範頼にも厳しい頼朝なのに
希義や阿野全成には優しく特に妹の坊門姫LOVEな変態鎌倉幕府初代征夷大将軍

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:25:56.92 ID:+X7dp7tR0.net
ホモ(後白河院の寵童)やからな

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:40:28.53 ID:UCAPD05c0.net
>>830
当時、そもそも母を同じくしていなければ
兄弟とは思わなかったと何かで読んだのを思い出した

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:46:41.72 ID:jY7afc6d0.net
血筋が全然違うけど
粗暴でありながら、実はそんなに短気ではない劉邦と
貴公子であり普段は悠然としてるが
上に書いてるように勝手に朝廷から任官を受けた御家人を
書状でボコボコに容赦なく貶す頼朝の対比は面白い
嫁が気性が荒いのは同じだが・・・

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:50:01.50 ID:0DD0x+CJ0.net
政子は呂后よりは独孤伽羅の方が近いやろな

政子→側室の家を焼き討ち
独孤伽羅→隋文帝の側室を撲殺

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 20:56:44.44 ID:jY7afc6d0.net
まあ人豚とかいう文化は日本には無いので((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 22:44:56.72 ID:DnqwKuqa0.net
>>833
劉邦は同族の劉氏を大切にして諸侯を粛清したが、
頼朝は弟の範頼義経、叔父の行家、甲斐源氏の安田、一条など、
同族の源氏の粛清に尽力

結果は両方とも夫の死後、妻と妻の実家(呂氏、執権北条氏)が実権を掌握

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/30(水) 22:48:18.80 ID:DnqwKuqa0.net
ただ呂氏政権は呂后死後にあっさり消滅したが、
執権北条氏の政権は政子の死後も続き、ますます北条の権勢は強大になっていった
という違いがある

違いの理由は前者では劉邦の息子(後の文帝)が生き残っていたが、
後者では実朝や公暁の死で源氏の嫡流がもうないという差と、
北条泰時や時頼の政治が、諸国の武士たちの支持が得られるような善政だったということだろうか

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 03:06:16.55 ID:giQtrlWbO.net
源平の話題はスレチと言われるかと思ったら
意外と親和性があったというのは嬉しい誤算です

皆さん何気に守備範囲広いのね

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 08:59:36.07 ID:LkrwqWBG0.net
源平合戦期も大好きなんです

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 11:24:00.08 ID:ySRNb5Uq0.net
中華の南北朝好きは日本の南北朝も好き

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 12:11:43.61 ID:WBjnU5kE0.net
大楠公と北畠顕家が好きだ
七度生まれ変わっても朝敵を討ち滅ぼしたい

新田はクソ

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 12:14:56.71 ID:/lPHP2bn0.net
>>840
どっちもリアル北斗の拳やからな

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 14:03:17.94 ID:cNk6Wwwj0.net
>>841
義貞は義貞で頑張ったけど、
正成を持ち上げるために貶められってしまったような気がしなくもない

そして楚漢戦争時にもそんな武将がいるような気がする

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 15:00:01.61 ID:i7GPsLtC0.net
新田義貞は韓信のように強いし最後が残念なのは似てるよね

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 19:02:58.61 ID:WBjnU5kE0.net
新田は肝心な時には負けるし女と遊んでたりするし
尊氏には勝てない3番手辺りのライバル
正成がベジータ、顕家がピッコロだとすると天津飯クラス

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 19:28:44.89 ID:F7a8aT5+0.net
味方の正成からすらあいつは切り捨てましょうとか云われる義貞…

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 21:57:36.36 ID:GWple75p0.net
>>842リアル北斗の拳といえば西ローマ帝国滅亡前後のヨーロッパも凄いよな

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/31(木) 23:02:00.86 ID:T8odKNvD0.net
>>832
阿野全成は義経の同母兄やで
頼朝の兄弟の中で唯一頼朝より長生き

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 00:09:36.03 ID:zfoMglfL0.net
>>842
ソマリアも凄い

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 09:15:27.60 ID:ALvCnsx40.net
>>821
恵帝を投げ捨てた時って丁度戚夫人を手に入れたときかもしれない
だとすると挙兵以来実家にいて会ってもいない本妻の子を亡き者にして妾の子に後を継がせようという高度な計算が働いていたのかもしれない

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 09:29:12.69 ID:txfqz90R0.net
恵帝って諡号の皇帝のハンパない惰弱さ

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 12:15:52.16 ID:4NBHiHUc0.net
父親と母親があんなにDQNなのに
やさしい子供に優しい子供に育ったな

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 12:27:26.97 ID:f2LXeAle0.net
呂雉「莫迦息子め……要らぬ世話を焼きおって……」
http://i.imgur.com/4mj172P.jpg

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 13:40:53.41 ID:4NBHiHUc0.net
>>853
弟を庇ったときはマジでそんな感じだったんだろうw

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 16:11:53.53 ID:VPPJFyA+O.net
>>852
呂雉が劉邦のあとを追うように死んでれば
いい皇帝になっただろうにもったいない
一人の女のせいで一体何人死んだんだ

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 17:14:15.40 ID:bkESklr80.net
もしも韓信が項羽の下に留まっていたらどうなっていたんだろう

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 17:33:36.05 ID:MTYkbakG0.net
うだつのあがらないまま

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 18:42:46.20 ID:SISJivBT0.net
兵卒のままかな

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 19:29:20.29 ID:bkESklr80.net
やっぱりそうよな

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 20:24:51.55 ID:qgiK35JY0.net
韓王信とか呼ばれずに韓信と呼ばれるだけになる…とかはないか

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 20:59:15.18 ID:vdbMCec40.net
いいこと思いついた
韓信は魯元公主と結婚すればよかったのだ
そうすれば呂后が韓信の後ろ盾になってくれたであろう

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 21:37:44.03 ID:4uSTRxKN0.net
>>860
いや韓信が一兵卒で終われば韓王信が韓信と呼ばれていただろう。
淮陰侯と区別するための通称なんだから。

韓非子だって唐の韓愈と区別するために韓非子と呼ばれてるけど
もともとは韓子と呼ばれてたし。

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/01(金) 23:04:47.77 ID:pFXC3ULG0.net
楚漢戦争の軍事考証した本ってあるのかな?

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 01:13:21.27 ID:cGEyVakZ0.net
>>861
韓信は終生独身だった
魯元公主は無理にしても劉家の娘と結婚して男子を儲けていれば、
一門に準じる扱いは最低でも受けられるので、粛清はされなかったかもしれない

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 01:45:59.80 ID:+jv5uUPZ0.net
>>850
あれってさ、夏侯嬰が子供を助けるのを見越してわざとじゃないの?
それだけ必死なんですってポーズ。
じゃなきゃ、馬車で走ってるのに子供を拾えるかな?

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 02:01:05.96 ID:J99naFIe0.net
wikiの韓信が紀元前230年頃の生まれってのはどこ由来の情報なんだろう

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 02:05:56.05 ID:RNF7hpws0.net
>>858兵卒の韓信です

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 07:05:08.31 ID:WwFnFY+20.net
>>865
陳先生の「小説十八史略」ではそう言う解釈してたな。

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 07:59:14.45 ID:zmF49YKL0.net
>>866
気になって調べてみたけど、2005年に中国で出た「韓信生平事迹研究」で
紀元前230年頃生まれと推測してる文章に出くわした

俺の拙い漢文力で要約してみると、
1.当時の徴兵は「20歳になったら3年農作業させてその後1年貯蔵させてから、兵役に就かせる」
という基準があるので、基本的に兵士は23歳以上(史記・項羽本紀・史記集解注)
2.韓信が項梁軍に身を投じたのは紀元前208年
 この時の韓信に関する描写が「信杖劍從之」と、どう考えても正規の兵役についてる様子ではない

1と2の合わせ技で、韓信は紀元前208年時点で23歳未満(紀元前230年以降の出生)であることが導ける

という感じだった


個人的に2.の「信杖劍從之」から何で正規の兵役についてるか否かを判定できるのか
さっぱり分からんので、この結論に全く納得できてないけど、
一応こういう論理展開で韓信の生年を紀元前230年頃と推測してる説があった

「韓信生平事迹研究」はネットで全文読めるので、詳しくはそっちを読んでくれ

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 10:19:56.28 ID:uWBHdubX0.net
>>865
長坂みたいに真後ろに敵が来てるのに
いちいちそんな打算的なこと考えてる余裕ないと思う
夏侯嬰が忠臣というか愚直なだけで
劉邦「ええい速く走れよ!殺される!もっと軽くしなきゃダメだ!おまえだ!」
劉盈「えっお父ちゃん!?」
と本能に任せてポイーだと思う

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 10:51:43.73 ID:J99naFIe0.net
>>869
丁寧な解説ありがとうございます

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 11:28:28.89 ID:8JnO+AQt0.net
>>870
まぁ、そうなんだけどさw 高祖の後々の言動を見ても浅慮だしw
とは言え、逆に考えると、御者が馬車止めて降りて子供を拾ってても
敵に追いつかれなかったんだから、そんなに切迫はしていなかったんじゃね?
とも言える。
一回だけでなくて、何回も落としたとされてるから。
落としても、夏侯嬰が拾うって分かったら次はやらないと思う。
止めてる間に追いつかれるwww

あの高祖ならやりそうって話半分の逸話だなw

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 11:38:43.61 ID:H4Pixy+h0.net
>>867
めっちゃ強そうだね・・・

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 14:30:20.16 ID:6cFD/ESO0.net
政治の天才と軍事の天才が二人三脚で
天下を制し、最後まで仲が良かった例は


ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスと
アグリッパのコンビだろうか

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 14:31:46.09 ID:6cFD/ESO0.net
>>874
クレオパトラの敵なので、悪役にされがちだが
二人の友情は素晴らしい

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 15:34:27.64 ID:hKUOulEGO.net
>>872
あの場面はどうしても本宮ひろしの画風の顔で再現されるw

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 21:03:44.45 ID:MyXPRyfY0.net
>>864
史記でも漢書でも韓信は三族を族滅されたってあるから
妻子くらいいると思ってたんだけど、生涯独身って
何の史料に出てくるの?

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 21:35:06.94 ID:f3EGYcC/0.net
三族を族滅の刑になったからといって実際に結婚して妻の一族が存在したという証拠にはならないんじゃないか。

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 23:17:37.10 ID:I9bRct/r0.net
たしかに妻がいたという証拠にはならないが
だからと言って、生涯独身だったという証拠にもならないね

それに仮にも王・侯に登った人間が妻を娶らなかったというのは個人的には信じがたい
韓信の場合は統一後もそれなりの期間生き残ってるんだし

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/02(土) 23:58:28.16 ID:xLyAEH2N0.net
来元成「樵書」によると
韓信の3歳の息子が蕭何に匿われて韋と姓を改め
その後南越皇帝の趙佗のもとに逃亡して広西韋氏になった説ががあるね

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 14:15:27.79 ID:TxI08tLE0.net
>>879
そりゃ愛人はいたとは思うが、 正式な妻(正室)はいなかったのではないか

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 14:33:42.40 ID:uVHe2P4O0.net
まあ正室はいないけど妾はいっぱいいた英雄英傑もいるにはいるが

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 14:33:56.50 ID:7Z6clDvR0.net
結局、史料的根拠ゼロで言ってるのかよ
いくらなんでも不毛すぎない?

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 15:56:21.16 ID:UdNgLDxr0.net
>>880
ウソっぽいけどいい話だなあ

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 16:59:16.77 ID:T1lToeNmO.net
秀頼が真田に連れられて薩摩に逃げたとかそんな類いだろ

実際に宇喜多は薩摩まで逃げてたけどw

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 17:15:13.20 ID:UdNgLDxr0.net
宇喜多秀家は人徳があったのか
いろんなひとに助けられて処刑されずに済んでるな
人徳の無いアスペっぽい韓信とはだいぶちがうわ 

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 20:24:23.69 ID:XfhvgvzB0.net
仮にも五大老だし嫁は前田利家の娘(秀吉の養女)だし
なぜか落ち武者狩りの人間にかくまわれたりして薩摩に隠れ住み
島津家と前田家からの必死の嘆願で助命された
っていうか島津も十分重罪なんだけどよくしれっと助命嘆願できるな

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 20:45:27.19 ID:xYsZRgEW0.net
>>880
明の時代の本だしなぁ
ところで樊カイって力だけの豪傑見られがちだけど
鴻門の会とか劉邦への諫言とか見ると
結構弁も立つ様な気がする

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 22:40:17.24 ID:qs1CZidJ0.net
>>886
劉邦を皇帝に推挙した
楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳
の中で劉邦がその死を悲しんだのは楚王韓信ぐらいなので
韓信はアスペかもしれんが人徳無いというのには違和感がある
韓信は国士無双なので誰も軍事面で敵わず劉邦死んだら誰も韓信を制御できないので
呂后はじめ権力中枢の人間達が劉邦死ぬ前に韓信の才能自体をを葬った感が

890 :889:2017/09/03(日) 22:41:22.23 ID:qs1CZidJ0.net
×楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳
○楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳 、燕王臧荼

でしたスマソ

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 23:07:47.96 ID:gcDkAEaq0.net
張耳はもう死んでいて皇帝に推挙したのは息子の張敖じゃなかったかな?

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 23:48:31.48 ID:HNZJteFa0.net
史記読んで見て思ったけど
劉邦の戦闘に関する記述って白起王翦よりも多いんだよな
項羽よりも分量多いし、もしかして史記で一番戦闘記録残ってる人物?

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 00:26:58.32 ID:1Vl3dbzt0.net
>>891
劉邦が帝位についたのは漢王5年2月で
趙王張耳が亡くなったのは漢王5年7月
(以上、史記・秦楚之際月表)
ぎりぎり生きてる

けど、漢書の高祖本紀下で、劉邦に帝位に即くように薦めているのは張敖になってるね
冷静に考えたらどっちかが正しくてどっちかが間違ってる

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 18:19:04.97 ID:/sPL2IO5O.net
独身だったのか
韓信ホモ説はさすがにないよね

衆道な武田さんや織田さんみたいに
日本ではたまにあるが
その手は漢そ攻防ではないか

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 19:14:58.80 ID:mKaImLit0.net
謙信も美男子の三郎を侍らせてたりした
あと合体はしてないが女性と密会してたりする
一緒にはなれなかったが

っていうか古今東西、世界中で男が美少年を愛でるのは
ごく自然のことだった。女人禁制の場所では特に
宗教施設とか軍隊とか。今でもケツを掘られる男が後を絶たない

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 21:01:27.76 ID:xcDtagx60.net
>>895

https://www.cnn.co.jp/usa/35070802.html
米陸軍長官に初の同性愛者 オバマ大統領が指名

陸軍長官は古代中国風にいえば、大都督だろう
ついに現代の世界最強の軍事大国で、ホモの大都督が誕生していたとは

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 21:08:53.30 ID:xcDtagx60.net
>>896
陸軍長官は文民だから大都督じゃなくて太尉だな 失敬

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/04(月) 21:58:54.38 ID:fw69NUBj0.net
>>893
生きてはいたけど公の場に出られる状態じゃ無くて
張敖が代わりに皇帝推挙の場に出席した
その所為で張耳はすでに死亡したのだと誤った記録が
残されたって事じゃ無いのかな

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 02:24:43.42 ID:v2KNJYks0.net
>>896
家光「いかんのか?」
苻堅「いかんのか?」
武帝「いかんのか?」

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 09:25:23.78 ID:jO2cZSaK0.net
家光「いかんのか?」

お前のせいで将軍家がえらいことになりそうだっただろいい加減にしろ!

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 09:53:03.39 ID:1oVh6VpT0.net
柳生左門「ええんやで」
慕容沖「ええんやで」
韓嫣「ええんやで」

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 14:16:39.74 ID:7GGc7k8s0.net
>>900
そう言ったって、御台所があれだし………w
スキになったおにゃのこはぼんさんだしw

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 20:06:07.72 ID:ekUZnSzJ0.net
ていうか劉邦自体にも愛童いなかったっけ?

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 22:41:02.73 ID:R9bchKRY0.net
病気になったとき宦官の膝枕で寝ていて
樊カイに諫言された話なら読んだことあるけど
劉邦に寵童なんていたっけ?

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 22:44:24.46 ID:ekUZnSzJ0.net
悪い
うろ覚えだから、たぶん勘違いだわ

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 23:28:48.93 ID:XWBqwlxc0.net
俺もうろ覚えだけどなんかあったような

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/05(火) 23:56:52.66 ID:s34vKCV70.net
項羽と劉邦(ピーター・ホー他)の韓信が初めて劉邦に謁見するシーンで
伽をせい、みたいな書き込みいっぱいあったな

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/08(金) 21:32:03.77 ID:GXbUuM2MO.net
天才ホモ元帥韓信誕生か?
韓信処刑は痴情のもつれ説くるか?

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/09(土) 21:52:37.09 ID:ffxYuOHp0.net
さすが国士無双は色んなネタに満ちているな

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 02:41:04.65 ID:4RIEfdqz0.net
韓信x韓王信

ゴクリ・・・

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 16:15:00.30 ID:ltVxnkwB0.net
このスレの4割くらいは韓信の話だったりして

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 20:48:23.28 ID:exLgrlsL0.net
だって劉邦はクソだし呂雉はゲスだし
項羽の強さは化け物くらいの話しかないし
張良は超能力者だし蕭何はなんだかよく分からん補給能力だし
人間味がないやつばっかりなんだもの
ハンカイは変換面倒くさいし

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 21:17:31.87 ID:b5z9hiar0.net
>>912
>ハンカイは変換面倒くさいし
これは本人に責任はないぞw

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 21:20:39.85 ID:aVAwWQmg0.net
陳平最強

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 21:22:32.90 ID:b5z9hiar0.net
だよな
平凡な名前の割に背の高いイケメンだったらしいし

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 21:53:09.83 ID:WHm8xDfR0.net
小学校5年までに習う漢字しか使ってない張良さん見習え

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 23:30:06.32 ID:kxQGSagN0.net
三国志にまで影響与える曹参とかも忘れちゃいかん
子孫が凄いね

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 00:03:18.11 ID:oEZx71cM0.net
>>917
でも曹操の父親って夏侯一族からの養子なんだよな
そう考えたら夏侯嬰の子孫が凄いんだよな〜

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 00:16:20.30 ID:hE5qfE7b0.net
>>917>>918
曹操とこの時代の関係がかなり深いんだな
家柄だとどうしても袁紹のほうが目立つけど
曹操もなかなかの血筋と家柄だね

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 03:55:44.84 ID:1ZS7AeIi0.net
漢は庶民出の人が多いし、言葉遣いとか粗野な感じだったのだろうか。

中国って文系文官だらけだから、理論的な算術が必要な小役人とかが出世したり身分ある地位に抜擢されると、圧倒的に成果を残すイメージ

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 04:03:19.42 ID:t0LnWrXK0.net
>>912韓信も割とクズだろ…
他の悲劇の名将と比べると自業自得と思えるところがあり清さが無い

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 08:04:11.29 ID:gKOUwAoO0.net
韓信もアレだけど
「どうすれば生き残れたのか」など話題は豊富だわな

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 08:25:41.22 ID:vLWxQOUh0.net
>>918
曹仁いるから!

>>921
韓信はクズだけどピュアなアスペ感がなんか憎めない

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 08:37:56.85 ID:QxNqqur10.net
韓信の場合、岳飛や袁崇煥みた区「こいつ生かしとけばなんとかなったかも知れんのに」的な期待感があんま感じられんのがなぁ。

対匈奴軍も匈奴の軍馬の数が多すぎて知略でなんとなるレベルじゃないし。
その後の文帝景帝時代に中行説が匈奴に寝返ると匈奴がいよいよ華北のガチ実効支配狙い始めるけど、それでも耐えるしかなかった。

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 08:38:10.65 ID:cixzwjGm0.net
>>922
まぁ
統一後は先んじて反乱するか
統一前は鼎立して趨勢を見るかくらいしかなくて
想像の域になっちゃうしな

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 11:38:06.53 ID:cAPHgBio0.net
>>920
漢の建国当初って、高祖&功臣たちが粗野過ぎてトホホなのは有名じゃん。
朝廷での建議でも、酒飲んで喧嘩腰とか言われてる。
オレが手柄立てた。
なんだと、オレの方が上。
やるかコノヤロウ
の毎日だったってwww
高祖は高祖で、酒飲んで側妃とやりまくりだしwww

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 11:48:03.77 ID:QxNqqur10.net
なにしろ重臣の周昌を呼びつけた時も側室とファックしてて周昌に「陛下は桀紂の再来ですぅ!」って言われてるからな

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 13:36:57.02 ID:foylXuSA0.net
>>927
劉邦らしいな
相手が項羽で天下取れたのも凄いが、曹操なら多分無理かな

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 15:43:28.72 ID:gKOUwAoO0.net
こりゃもう仙人になると言ったお人の気持ちがわかりますな

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 21:26:09.65 ID:cixzwjGm0.net
ヤクザに毛の生えたような学もない帝王学も学んでないオッサンが
いきなり全国民の頂点に立てばそりゃあタガなんかバーンとふっとぶさ

「苦楽をともに出来ても栄達をともに出来ない」って劉邦にも当てはまるよな
張良も范蠡に倣ったんだろうよ

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 21:42:57.78 ID:QxNqqur10.net
でも劉邦より出自の悪い石勒(奴隷出身の文盲)劉裕(胥吏の家に生まれ生活苦から堕胎させられる)朱元璋(貧困農家の出身で一家全滅)でもここまで行儀悪い話は聞かないからやはり劉邦が特殊なんだろうな。

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 22:25:59.53 ID:8pb18gLI0.net
>>930>>931
元々ガラの悪いヤクザのおっさんだから仕方ない
それより皇帝になっても何も変わってない所が逆に凄い
功臣粛清にしても漢帝国のためには必要なことだったし
(呂后一族の専横まで予想するのはたぶん不可能)
朱元璋みたいに大量虐殺したわけでないから
盧綰はかわいそうだったけどね

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 23:00:30.56 ID:aRcLQoKQ0.net
まあ、韓信は絶対劉邦を皇帝にするマシーンやし、ある意味しゃーない
代・趙・斉・燕と、華北の過半を制圧できる能力がありながら独立しないとか意味不明すぎる
おまけに説によっては、項羽を倒したのも韓信の采配という体たらく

三傑の誰か一人でも欠けてたら、劉邦の勝利は有り得ない気がするわ

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 23:38:11.99 ID:mnIvvF400.net
陸賈「馬上に居りて得たらんも、 馬上を以て治むべけんや」

これに尽きるな
そして叔孫通が礼制を整える事で劉邦も天下を治める実感を抱ける様になったといふ

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 08:09:58.30 ID:Kpm8SJVX0.net
立派な志で立ち上がったけど、権力を握ると途端に堕落するというのもよくあるパターン

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 11:43:32.06 ID:Qk1hTZC50.net
ハンパな名君にありがちなこと
若いころは名君
おじさんになると宮殿つくりに没頭

なんで土木工事に没頭したがるんだろう

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 12:04:22.11 ID:CkCGT32Q0.net
>>936
飢饉時の社会福祉としての公共事業説があるらしいぞ

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 12:51:44.83 ID:Ry8k2Ssy0.net
暴君ももれなく土木工事してるけど
あれも公共事業なん?

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 14:50:02.97 ID:6GHMqDKS0.net
>>936
みんな知ってるだろうけど
蕭何が宮殿を劉邦がいない間に
豪華で巨大なものにしてしまって
「なにしとんじゃ、われ!」
って劉邦が言ったら
蕭何がサラッと
「こういうものも必要なんですよ」(権威付けのためとか言ったかはよく覚えてない)
と言って
劉邦が
「そういうもんなんなら、しかたないのお」
って納得した話が好きだわ

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 17:25:03.74 ID:EsH79NGe0.net
蕭何や張良の言うことは
「そうか、そんなもんか」
とサラッと納得しちゃうイメージ

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 17:28:31.25 ID:GeFWK+GQ0.net
少なくとも当初は劉邦自身、無学のバカだと自覚してたから、何でも素直に話が聞けたのかもね。
なんなら無学だからわからんみたいなことも言ってたのかも知れないし。
そういう態度だからこそ、韓信とかプライド高そうな人達の自尊心も満たされたのかもね。当初は。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 00:18:47.95 ID:SGgRgas30.net
>>941
当初だけでなく、最後の方もそうなんじゃないの?
太子を廃立しなかったのも、四人の老聖人が補佐に付いたからでしょ。
自分がバカだから、知識のある人は素直に認めたみたいな。
>>926 の家臣たちのヤクザっぷりには、さすがに反省して
「これまずくね?なんとかしないといけないわぁ」
と、軽蔑しぬいていた儒者に宮廷内の作法を決めさせたんだよね。
それも、一応他人にやらせてみて、これならオレでも出来ると納得した
作法を規範にしたっていう。
おバカなりに道理は理解していたみたいなw

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 08:57:55.73 ID:WVHuk5It0.net
何だかんだ言って劉邦は面白いというか興味深いというか

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 21:48:29.02 ID:pnu3/DE50.net
他人の話を聞き容れることができる王者の器

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 22:42:12.29 ID:VRVd6sV00.net
でも猜疑心の塊です

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 00:47:18.09 ID:5XUiR1Do0.net
それってさ。呂后が煽ったんじゃないの?
あること無いこと吹き込んで、疑いをデカくした。
そもそも、韓信や彭越って呂后が殺したようなもんじゃん。
劉邦はそんなに粛正する気はなかったのかも。
呂后は、息子が虚弱でおとなしいから、出来る将軍たちが危険に
見えてしょうがなかったんじゃないの?
息子の為にヤバイの始末しとこうと。

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 08:07:39.42 ID:x9spvXg70.net
韓信からは兵権だけ奪ってお終いにしようとしたフシはあるね
彭越も隠居したいって願い出てるし、劉邦が聞き入れたらそれで手打ちになってたかも
張良みたいにあ、あいつ触ったらアカンやつや、くらい思わせないと保身できなかったんだろうな

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 11:02:23.69 ID:bbzX8h/10.net
張良「仙人になる」
瀟何「仙人になる」
韓信「仙人になる」

やっぱり韓信が一番怪しげだな

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 15:41:18.93 ID:TvnkZJqjO.net
>>946
恵帝のためなら再起不能にし戚夫人

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 15:47:47.04 ID:TvnkZJqjO.net
>>946
恵帝のためなら再起不能にした戚夫人を見せつけたりして潰して
劉氏一族を殺しまくったりしないと思うな
自分の呂家の系列を高貴にしたりしてるあたり情がないとしか言いようがない
劉肥を殺そうとしたりして恵帝がとっさに防いだりしてるし
安泰にさせたい意を汲んでるならわざわざ防いだりしないと思う

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 00:32:03.85 ID:JBFPZou50.net
>>950
あれってホントに見せたのかなぁ?
やっちゃったのはホントだとしても、せがれには見せたのかな?
噂を聞いて勝手に恵帝が病んじゃったのかも?
見せたとしても、あんな結果は想像していないと思う。
アンタを蹴落とそうとした馬鹿女に報いを受けさせたからね!
って感じかなぁ。
劉肥の件とか、他の王の件とかは気に入らないからでしょ?
呂氏の女をないがしろにするなんて!キー!てな感じで。
恵帝が邪魔したのは、やっぱり恵帝の優しさからじゃね?
仮にもアニキだもん。殺す程のことはないよね?
殺しまくったのは、恵帝が死んでからが多いんじゃないの?
なんて言うか、元々その素質があったんだろうけれど、
権力使って気に入らないものを排斥しているうちに、
権力の魔力にとりつかれたって言うか。

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 00:48:04.12 ID:5NzQs2BU0.net
この時代って側室の息子はどんな扱いだったの?

どの国でも基本的には正室の子供を兄弟として、側室の子供は後に名を残さないイメージ。封建的な国家だと全てが同族だから、脇を固めてる国部下に混じるのかも知れないけど。

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 01:13:00.60 ID:0vxlm5k80.net
>>951
多分こんな感じやったんやろ
https://i.imgur.com/aVkfg7s.jpg

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 18:50:55.23 ID:LH04XLXv0.net
英布は反乱起こして劉邦に手傷を負わせた
ならば韓信と英布がタッグ組んで劉邦と戦っていたら普通に勝てたんじゃね
更に彭越が加わっていたら完璧

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 19:23:34.51 ID:KB1CgrG40.net
>>927
逃げ出した周昌に追いついて馬乗りになったというんだが、チンポ丸出しで追いかけて馬乗りになったということでいいんだよな

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/15(金) 20:48:31.61 ID:abczA+WY0.net
想像したくない光景を思い描いてしまった

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 09:39:52.48 ID:+alOhTPgO.net
>>951
見せてないならわざわざ挿入する必要がないエピソードだろ
いつの世も女は恐ろしいな
袁紹の妻が妾を皆殺しにしたり
甄皇后を埋葬するのに髪振り乱させて口に糠突っ込んだりするし

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 12:43:43.18 ID:abHfL4sL0.net
>>957
史書の記述が全部真実だとでも?
呂后を貶める為に入れたとも考えられるだろ。
始皇帝の親問題みたいに。
史記は漢帝国に配慮して、稗史的な記述もあるしね。
まぁ、呂后が恐ろしいのは本当だろうけれどw

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 12:57:46.08 ID:GckXrS540.net
史記や漢書が書かれた時代から見たら
どう考えても呂氏は聖漢を乗っ取ろうとしたただの悪役扱いで問題ないしなー
むしろボロクソ扱いできるのに、本紀扱いな上に民政面では平穏で良かった時代扱いな呂后が凄まじすぎる気がする

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 14:20:23.66 ID:pXzF6eC10.net
>>959
冒頓におちょくられた時もブチ切れながらも諌められて大人な返事返してるしな
政治家としては地味に優秀

則天武后なんかもそうだな
嫁ぎ先の家を乗っ取ったのに意外と内政面では評判が良い

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 18:22:48.41 ID:Hb2O/krS0.net
女は外向きの関心があまりなくて
内に力学が向くから政争はあっても庶民には何の問題もない
むしろ外征がないから平和扱いになる

反面、前漢武帝とかはチートのおじ、おい連中のおかげで匈奴を叩いて
領土も最大版図になり、めざましい成果を挙げたが財政は逼迫した
外では成功したが内部では評判は悪かった
この辺が男と女の違いだろう

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/16(土) 20:35:37.62 ID:8kcUpfAs0.net
>>958
人豚の件は
同時代の袁盎が妾問題で文帝諫める時にも
例題として出てきているので本当だろうな
他は知らん

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 08:31:16.67 ID:wBIoi497O.net
無理矢理栄養価の高いもの食べさせて太らせて
ご覧なさい、これが豚よ!ってなるなら平和な世界だったのにな

高貴な人間の妻が妾にいちいち嫉妬して(報復して)たら
日本史世界史はメチャクチャになるな

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 08:50:25.31 ID:KtkaiXUG0.net
独孤伽羅「ヒャッハー!側室は消毒(撲殺)だ〜!」
北条政子「ヒャッハー!側室の家も消毒(炎上)だ〜!」
浅井江「ヒャッハー!側室のガキも消毒(灸)だ〜!」

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 10:12:53.72 ID:gNKPMTNv0.net
国が混乱すること考えれば、妾の一人や二人消毒したところで歴史に影響はないだろ
古くは妲己から、最近では江青もやってる

メチャクチャになるのは賈南風や江青みたいに民衆を巻き込む奴らが出た時

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 11:43:17.58 ID:2L3e+wj20.net
>>965
だよね。
宮廷内でなにやろうが、一般ピープルにひどい影響を及ぼさなきゃOK。
その点は呂后も武則天も及第なんだろw

戚夫人は、気の毒っちゃ気の毒だけれど、なんというか、
本人がバカ過ぎて擁護出来ない。オレ的には。
第一、あんだけ劉邦の寵愛を独り占めしたのに、功臣が誰も
味方に付かなかったのは、本人がやばかったからじゃないの?w
張良ですら、最初は呂后の頼みに逃げたけれど、
結局はナイスアドバイスしたし。
回りの家臣たちは、こんなアホ女が皇帝の母親になったら
おしまいと思ってたんだろw

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 14:46:19.51 ID:zqZFa75K0.net
>>965
側室の子が継いだり
異母兄弟が協力して事にあたったとか戦になったことなんか
山ほどあるだろ。その人間がいないだけで
歴史なんか簡単に変わるんだぞ
秀頼がいないだけで豊臣政権は逆にうまくいったかもしれん
たかが女が一人二人死んでも歴史に影響ないとか
歴史好きとは思えない言葉だ

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 17:01:53.76 ID:k5N7hkzw0.net
威婦人の子が殺されたとき8才だか10才だから幼すぎた

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 18:40:35.74 ID:uqQ6Z/hg0.net
戚夫人は自業自得だな
正妻の呂后を差し置いて我が子を世継ぎと働きかけて呂后に歯向かったしな
薄姫みたいに呂后に歯向かわなかったら良かったのに

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 19:14:28.80 ID:CLTaUQiO0.net
威夫人は自業自得に同意だが
呂后も新末の赤眉の乱の際に墓暴かれて遺骸凌辱されてるから
こちらも自業自得
更に光武帝から皇后剥奪されるコンボで踏んだり蹴ったり

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 05:04:47.07 ID:6io6qS16O.net
閨閥の権力闘争を自業自得で片付けるのは如何なもんですかね
甄姫も自業自得なのか?

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 09:36:42.07 ID:fRs4Fpb40.net
勘気に触れるような恨み言述べたのが本当なら自業自得と言えるし
曹丕も後悔してるのが本当なら曹丕も自業自得かも

戚夫人は張良の策で敗れた時点で泣いてないで逃げればよかった
劉邦も「呂后がお前の主人だ」じゃなくてお前嫁の執念深さ知っとるだろと

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 13:31:58.53 ID:eqFu5QN80.net
劉邦と呂雉って今で言う典型的なヤンキー夫婦だな
呂雉が劉邦以外の男と結婚してたら
その男は哀れだ
DV受けまくりそう

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 14:03:48.05 ID:q6ruJO1k0.net
>>971
アレも後継者争いで役に立たなかったってのがあるからねぇ。
(魏志后妃伝だと郭氏のホウガ役に立ってたとか)

>>972
ぶっちゃけ劉邦が恵帝に「戚夫人と如意の命だけは守ってくれ」って頼んでれば多分助かったと思うけどね。

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 15:09:43.67 ID:wDqWAbpB0.net
>>974
恵帝に海千山千の母親を出し抜くだけの能力があったかどうか
遺言なんて関係なしにサクッと殺っておいて「あなたのためですよ!?」ってヒスられそう
つくづく生まれる時代が惜しかった人だな
文帝景帝の後だったら、心優しい名君として名を遺したかもしれない

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 15:38:06.32 ID:D8fx7Gcb0.net
個人の能力も勿論あるけど、それ以上にいかに強大な兵権を持つか、がクーデター成功の分かれ道。だからこそ同族支配が主流だったんだろうし。

でも前漢成立くらいまでは異国との戦争を除くと、簡単に大軍が破られまくってるから、軍隊の規律という概念を作った部隊が強かったのかも。秦もそうだし、韓信もそう。

韓信は趙、燕、斉を平定して割と強大な力を持ってたから、領土を削られるのは仕方ない気がする。

戦国七雄時代の楚と項羽の楚は別で、南一体ではなく呉と越の辺りだし、支配地域としてはそこまで悪くないけど、強大な力を持つ存在は特に一度疑われたらもうおしまいだから、やはり中国東北部を全て支配してた段階で反旗を翻すか、最初から斉の無心はすべきではなかった。

統一後じゃなくても韓信の存在は普通に怖い。

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 15:41:53.06 ID:zpl2Exfl0.net
韓信が最大の勢力になった時に独立宣言していたら項羽と劉邦の二大勢力相手に勝てただろうか?

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 16:01:27.80 ID:DIKKbtJE0.net
前に他の人が言ってたけど曹参や灌嬰がいて独立できたのかな

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 16:18:30.33 ID:fdXCDfkm0.net
徳のある皇帝だったのに周囲の状況が悪い悲しさよ

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 16:42:47.81 ID:RUzqKnnL0.net
>>974
恵帝は弟とともに寝起きすることで母から守っていたが朝早く狩りに出かけたときに弟は幼かったので早起きできなかった
そこを待ってましたと呂后が殺した

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 17:08:32.82 ID:D8fx7Gcb0.net
>>978
従わぬ者を誅殺して独立というのも普通に良くあることだから、誅殺されてただけだと思う。
兵権を掌握してるのはあくまで韓信だから、手勢なんていてもたかが知れてるし。

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 17:34:06.22 ID:zpl2Exfl0.net
韓信も目附の存在くらい把握してるだろうしな
独立するとなれば備えは万全を図るだろうし
後は兵士達がどれだけ韓信についてくるかという問題くらいかな

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 21:00:52.47 ID:pZ99hjlu0.net
寝食をともにした常勝将軍なんだから
「将軍に死ぬまでついて行きます!」って
心酔してるのもいるだろう
ただ兵だけいても上意下達する将がいなくては勝算は見込めない

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 01:12:39.13 ID:59GUg+bm0.net
韓信は単純に自分の下にいる将軍たちが従わない可能性が高いと計算し
それ故に独立しなかったって可能性はありそうだな
将軍を誅殺しても兵士が動揺し士気は下がるだろうし、将軍がいなければ独立国家として戦う事はできない
勝算があるかないかでどうするかを判断したというのは名将である韓信らしいと思う

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 03:46:11.12 ID:t+s6yrzO0.net
後に王ではなくなった韓信に対しても臣下の礼をとった樊カイを観て、この者と同格なのかと落ち込んだみたいな記述が史記にあったけど、これはどういう意味なのだろう。
単なる創作の可能性もあるけど、創作ならより距離が近い曹参の方が良かった。

樊カイは劉邦のかなり直接的な外戚だから、普通に考えたら異性王よりも格上。

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 07:00:30.47 ID:y+YNro0r0.net
韓信はそういう風に下から崇拝されてる印象はないなぁ

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 08:57:47.23 ID:ZRK/NEqI0.net
人間的にはどうでも
あんな天才目の前に居たらうっとりしちゃうけどな

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 09:19:34.73 ID:iXfz0qfX0.net
なんというか韓信って面倒くさい人というイメージ

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 09:27:38.15 ID:JZsd6mTE0.net
>>977
項羽軍は韓信を侮ってるから韓信に勝機は有る
劉邦軍は最初から韓信を警戒していたから手強いだろう

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 09:28:42.78 ID:+iSxgb2N0.net
>>988
白起「せやな」

https://i.imgur.com/A3XhWXn.jpg

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 19:35:51.51 ID:R1oBh71B0.net
>>985
曹参は韓信が楚王になった後も
斉国に残って劉邦の庶長子の劉肥の相国務めてて超忙しいから
長安に行ってイジケテヒキコモリの韓信に会う暇なんか無いだろw

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 19:50:11.72 ID:JHvvGQz40.net
>>985
今の地位の上下じゃなくて、オレ脳筋犬肉屋と同じレベルかよ!ってとこに凹んだんじゃないの
今はお互い地位も実力もあるけど、若い頃のレッテルとか先入観って中々消えないじゃん?

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 20:13:10.78 ID:NtMtQuSJ0.net
>>992
韓信って、若い頃のエピでも自尊心テラデカだよね。
オレは今はこんなだけれど、ぜってえ世に認められるって。
樊カイなんかはずっ〜〜〜と軽蔑してたんだろうねぇ。

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 20:25:03.20 ID:iXfz0qfX0.net
「本当の俺はこんなもんじゃない。今はまだ本気を出してないだけ」
とか言っちゃう人みたいだな

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 21:18:26.43 ID:UBnzgdSe0.net
違いは、韓信は実際に本気を出したら凄かったことか

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 22:49:21.32 ID:R1oBh71B0.net
>>986
想像してみよう
韓信の容姿や挙動がアンガールズ田中みたいだったとしたら・・・w

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/19(火) 23:43:46.13 ID:UBnzgdSe0.net
俺の中で韓信はizooのカメレース実況の飼育員のイメージ
https://www.youtube.com/watch?v=pIJc4DyMB68

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/20(水) 00:06:24.19 ID:5dZMr4eX0.net
ニートの希望の星だよな

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/20(水) 08:17:45.26 ID:z56CD3y80.net
次スレ建てました

項羽と劉邦 その5
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1505863018/

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/20(水) 10:57:25.01 ID:7FhN5ulr0.net
1000

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