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項羽と劉邦 その4
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:29:33.93 ID:1YJ7rFfx0.net
- んもぅ…わしをこんなに心配させおって…
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:30:08.97 ID:1YJ7rFfx0.net
- 前スレ
項羽と劉邦 その3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1379633993/
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 22:32:12.31 ID:1YJ7rFfx0.net
- 基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです
前スレ
▲▲ 項羽と劉邦 ▲▲
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/
項羽と劉邦 その2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1219552075/
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 23:05:21.70 ID:U0Ri9Gv30.net
- 南北朝スレみたくすぐ落ちそうだけど大丈夫か?
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/12(土) 08:48:36.03 ID:Qi5d1hRF0.net
- ありえない
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/12(土) 11:38:44.43 ID:fjietc1G0.net
- おちるかもな
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 10:01:03.99 ID:dImC0GdZ0.net
- ちょっと面白い
- 8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 08:35:56.03 ID:PPXhdOjp0.net
- 糞スレ立てんな
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/20(日) 10:07:59.24 ID:z72WF6qj0.net
- 僕も
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 10:10:52.79 ID:s5EqZbaK0.net
- すまん
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 13:06:09.97 ID:K/63/7/q0.net
- 李左車先生かっこいい
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 15:39:49.09 ID:xzjgsgpW0.net
- 韓信 李左車 龍且 鐘離昧
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 18:12:58.39 ID:3zlI6dYi0.net
- 前スレ>>999
>劉邦を凡将よばわりなんかしてたっけ?
>もしかして劉邦に指揮できるのはせいぜい10万って言ったことならあれは劉邦の「将の将たる器」を説明するための例え話みたいなもんだろ
いやあれは自分の才能をひけらかして劉邦を凡将扱いした上で、劉邦が気を悪くしてるのに気がついて取り繕った言葉だ。
10万で十分というのもごもっともではあるが。
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:03:30.76 ID:UZuU9OCw0.net
- 三国志だと10万率いれたら十分なレベルだよな
まあ項羽と劉邦の時代と三国志とは時代も違うから簡単に比較できないかもしれんが
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:27:12.17 ID:kr+szPO80.net
- ナポレオンの時代でも直率できる部隊の限界は4万ぐらいだったらしいから
10万ってのはまあ直率+αと考えればかなり有能な将軍になる
韓信は指揮伝達系統をどうやって構築していたか気になる
多ければ多いほど難易度跳ね上がるだろうに
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:36:58.23 ID:HZNiKmP00.net
- 呉起だと一人の将軍が統率できる兵は5万が限界とか言ってた記憶があるから
劉邦の将才って地味に高いんだよな
まあ、大軍率いてやらかした事案が多数あるから10万が限界って言われたのかもしれんが
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 06:02:50.27 ID:gOtk2liF0.net
- >>16
実績を素直に評価すれば劉邦は良将
致命的な敗戦が二回ぐらいあるだけで凡将扱いというのはイメージ先行過ぎると思う
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 13:10:27.23 ID:uJhC+K9/0.net
- >>17
致命的な敗戦×2で生き残って漢帝国を建国しているから運だけの男扱いなのだろ
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 17:23:44.46 ID:wpE1Gm7o0.net
- 趙括はたった一度の致命的な敗戦で死んだからな。
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 02:20:05.67 ID:/2kelEwD0.net
- >>17そういう点は子孫の劉備も似てるな
まあ、劉備は致命的な敗戦以外にも細かい負けがかなり多いが
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 22:31:57.65 ID:aB4qddsk0.net
- あの頃の勘定技術って正確なんだろうか?
1万人を数えるのって大変だよ
10万人=実は5000人くらいだったんじゃないの?
つうかあの頃の中国って10進法?
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 13:31:10.55 ID:fen4mB6hO.net
- 「中国の歴史に出てくる大軍はだいたい桁を一つ下げたくらいが本当の数」とはよく言われるな
- 23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 15:28:24.23 ID:UaIPgn3P0.net
- 1700年代のフランスでは推定人口2200万ほどだったようだが
スペイン継承戦争で動員した兵力は約25万ほど、総人口の1%強である
ナポレオン戦争の頃で推定人口2900万、動員された兵力が総数で130万、総人口の4%教になる
なお、フランスはこの後当分戦争はお休み状態になった
総力戦となったWW1前の1900年で総人口4100万、動員数約840万、総人口の20%まで上った(なお死傷者数560万)
フランスはWW2でドイツにボロ負けすることになるが、これはWW1の傷跡が深すぎて軍事的に立ち直ることが
できなかったためだとも言われている(1925年の人口は4000万、1945年で4200万と30年かかって戦前の水準まで回復)
ここから持続的に戦争できる動員兵力と言うものはおそらく総人口の2%〜3%が限度ではないかと推察される
楚漢戦争時代の漢の人口を仮に300万と見積もった場合
5年間で動員された兵力はやはり多くても10万ぐらいというのが妥当なところではないだろうか
垓下の戦いにおける劉邦軍10万というのはギリギリ現実味のある数字である一方
斉から来た韓信軍の30万というのは無理な動員をかけたか、数字上の誇張が含まれている公算が高い
(しかしながら不可能な数字とは言いきれないのもまた事実である)
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:05:50.10 ID:kO1laRdz0.net
- 動くもの 人間を数えるのは結構難しい作業だよね
まず大前提として、上から見下ろせるような場所から視認 指差し数折り・・・
「正確な人数を数えること」が、当たり前に出来ること、とされてない時代 そしてそうするべきなのだと義務付けられていない時代
報告された人数が正確なのかどうなのか発注者自身が確かめようのない時代
果たして数えられた人「数」は正確だったのだろうか?
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:33:52.75 ID:sBQNR73r0.net
- >>24
整列させて点呼報告させれば簡単に把握できるよ
十列で十行並ばせたらそれで百人だ
整列すらできなかったら軍隊というよりは流民と呼ぶほかあるまい
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 01:37:05.78 ID:sBQNR73r0.net
- 戦場でのカウントということであれば数にかなりの誤差が生じるだろう
敵軍は往々にして欺瞞のために嘘の兵数を喧伝するから
まあ斥候情報からの類推になるんだろうな、まあ斥候もそこら辺は訓練するだろ
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 06:58:07.91 ID:E4uir6LL0.net
- あの強大な秦がわずか一代で倒れたのはただごとではないよね。
蘇秦や張儀が見たら腰抜かす超展開だろう。
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 19:13:21.89 ID:8i0P9je50.net
- 李斯は腰抜かさずに腰斬られたな
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 17:38:10.98 ID:0iooDx0q0.net
- 国家や貴族でなく民衆が反乱を起こすとは陳勝以前には誰も考えもしなかったのでしょう
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 19:50:39.11 ID:9L6MjhjP0.net
- >>25
韓信が掛け算知ってて「すげえ!」って言われてたような記述どっかで見たな
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 21:57:37.17 ID:ODdeoBZQ0.net
- 話題を2週間くらい戻すけど、やっぱ中国人って文治政治が好きなんだろな
軍事なんてエライ人のすることじゃないっていう意識があって、
だから劉邦や劉備を弱い、強かったのは部下ってことにしたがる
日本人から見るとただのネガティブ工作に見えるが、たぶん悪意はない
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 14:07:11.44 ID:AEQdA0LO0.net
- >>24
人の人数を数えないと兵力を算出できないわけではない。
孫?はかまどの数で兵力を偽装できた。
使われた物資の量、運搬に当たった馬車の数、
輜重部隊の数、あらゆるところにその証拠は残る。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 17:22:09.15 ID:cKa0rlLA0.net
- でも10万個のかまどを一個一個かぞえるのは大変だ
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 19:15:27.42 ID:aZ1xM80X0.net
- >>23
まず劉邦軍は彭城の戦いで10万とかいうレベルでなく56万まで膨れ上がってる。
漢も当時韓信が別にいるし、連合軍の各勢力も本隊を別に残してる。
項羽も精鋭3万のみで大部分の本隊は残してきたし楚にも余力があったろう。
斉もいたな。これも大軍を動員できる。
とすると当時「中国軍」があるなら100万以上は確実200万くらい動員できたんじゃないだろうか。
2〜3%として、5千万は人口がいたことになるが、ありえんだろう。
もっというと例えば白登山が典型的。匈奴が40万を動員し、劉邦は32万で敗れた。
当然だけど遊牧民は凄く数が少ない。
ワールシュタットのモンゴルは1万程度。契丹も女真も少ない。
匈奴が40万も動員できるはずもない。精々数万が限界だろう。
韓王信が加わってると反論できそうだが、韓王信は独力で30万を超える軍勢を持つことになり更に奇奇怪怪に。
そして劉邦。「中国軍」を使える立場になり、国の命運を賭け親征した。
何で32万しか動員できない?100万を動員できるはず。これでは韓王信に負けてしまう。
匈奴は異様に多く、漢は異様に少ない。漢は負けた。流石に何を言いたいのか分かると思う。
つまり、不可能な数字と言い切れるんだ。
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 22:07:05.38 ID:M0X+4zpQ0.net
- >>34
匈奴の兵数はマックスでも10万〜15万ぐらいが妥当な数字だと思う(後世のチンギス・ハンの征西時の数字を参考に)
それどころか3万前後でもおかしくない(モンゴルの西遼遠征時がこの規模)
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 01:28:36.15 ID:mAo5O71G0.net
- >>23
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html#14
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 06:14:21.30 ID:6GDH3wTi0.net
- >>34
対匈奴の屈辱的な敗戦の実状を緩和させるために「匈奴は漢を超える兵力で包囲してきた」という公式戦史が喧伝されたのではなかろうか?
漢軍の方が大軍だったのに包囲殲滅されかけたなんて話が残ってたらそっちの方がはるかに大恥をかくことになっただろうから
漢の32万の兵力なんて衛青の活躍した時代でもそこまで捻り出せてない数字だし粉飾なのは確実だろうね
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 11:41:31.95 ID:grBdzBV40.net
- 「兵力」という言葉が単純に数なのか疑問。
漢軍=歩兵+騎兵
匈奴=騎兵
春秋戦国時代においても、
戦力で一騎が歩兵いくらに相当するのか?
みたいな換算があって、それに装備や地形効果を加味して補正するわけだが。
平原のただなかにぽつんと置かれた歩兵がいかに多勢であろうと、
騎兵にとっては動かないに等しいのろまな亀でしかない。
歩兵が戦力として威力を発揮するのは、
陣地にこもるか、方陣を組んで正面の敵のみを撃破する場合だけだ。
通常中原であれば側方を山や川で攻撃されにくい地形を選んで布陣するものだが、
この場合はそれができない。
陣地にこもった歩兵なら、騎兵で包囲は可能だ、補給路を断って、
出てきたのろまな亀だけ見つけたら叩きに行けばいい。
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 19:40:24.78 ID:ll0uOprY0.net
- ”兵”って漢字は、本来は人というより武器・武力という意味が強いと聞いたことがある
『六韜』によると、
「平坦な土地」では、1騎=歩兵8人
「険しい土地」では、1騎=歩兵4人だそうで、
騎兵5万人のことを兵力40万って表記するのはありえるかも?
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 06:14:30.64 ID:z6Zfdjhi0.net
- 韓信に斉を与えたままで出兵させてれば
匈奴を打ち破ったのだろうか?
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 21:19:03.90 ID:DedU8trI0.net
- 百人長、千人長の数で数えてたに決まってんだろ
馬鹿すぎるわ
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 04:28:31.83 ID:q5MATwog0.net
- こんなアホが真っ先に殺されるんだろうな
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 19:52:35.69 ID:tsUDbc/W0.net
- 個人的にだが・・・
韓信の能力に疑問を持っている。
韓信は、時間をかけて罠を仕掛けてそこに誘導するような戦術は得意かもしれないが、
今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。
むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。
匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。
韓信は役に立つのだろうか?
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 20:56:45.97 ID:BQ9/Xxnx0.net
- >>43
何を言ってるのかわからん
>今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。
これは例えば誰がどのように発揮したものなのか?
項羽だろうが冒頓だろうが戦端を開く前から作戦はちゃんと立てて
その作戦に沿った戦い方をしてるようにしか見えないが・・・
(二人共基本自分から戦闘を仕掛けることが多いし
項羽が攻撃を受けて立った固陵の戦いにしても
あんな長距離に渡って何日も漢の大軍に追尾されたんだから
当然気づいて迎撃の準備を整える時間はあっただろう)
>むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。
韓信が‘戦闘中’に優柔不断さで判断を誤ったという場面はどこにある?
>匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
>匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。
白登山で冒頓が漢軍相手にやったことはまさに時間をかけて
敵を山に誘い出し罠にはめるというやり方
逆に劉敬の忠告通り罠が疑われるところに近づかなければ
緒戦に勝利を重ねていた漢軍が大敗で終わることはなかっただろう
あと垓下の戦いなんかは別に地形を利用した戦いではなかったのではないのでは?
亰・索や代攻略のように史書に戦術が残ってない戦勝もあるが
これも特に奇策は使わなかったからわざわざ作戦の記述がないとも考えられる
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 10:21:12.45 ID:GrO+G/GT0.net
- 戦闘中以外はなにもかも全部優柔不断だが戦闘中だけはピシッとしてる韓信
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 12:17:37.08 ID:ZwNFMXIU0.net
- 物言いに剣がある人が他人に対して質問してるのって滑稽に見える
縦横家にはむかんタイプだな
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 06:07:35.71 ID:vBSb+gPi0.net
- ていうか>>43はアウェーの大草原で戦うことを想定してるみたいだけど
長城を越えて遠征なんて100年の繁栄で国力が蓄積された武帝の時代だから出来たことで
仮に戦術的に優位に戦えたとしても戦乱で疲弊した当時の漢の体力じゃ専守防衛するしかないでしょ
始皇帝ですらオルドスから匈奴を駆逐したあとは長城建築して防衛するに留めたのに
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 10:35:19.20 ID:7OsVc2bc0.net
- 罠を仕掛けるって相手の心理や都度の流れあってこその戦術だと思うんだ
それに長けてる者が突発的な事象に対応できないってのは考えにくいと思う
それらを想定できるからこそ罠をはれるんだろうしね
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 01:27:46.79 ID:O8CJnYtj0.net
- しかし夏侯嬰と蕭何は、韓信の軍才をどうやって見ぬいたんだろね
こういうのは実際に兵動かさせて見るまで分からないイメージあるけど、
話しただけでわかるもんなんだろうか
何を以って、雑多な将とは違う国士無双だというほどの確信を得たんだろ
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 02:56:34.71 ID:fcSjc3C10.net
- 夏侯嬰はとりあえず見所がありそうな奴を奴片っ端から助けてたんじゃね。
季布を助けたのも夏侯嬰だし、侠者として認識しても良いと思う
よく分からんのが蕭何だわ
治粟都尉だった韓信の上官として何かしら思う所があったのかもしれんけど
国士無双という評価にどうやって至ったのか、さっぱり分からん
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/25(月) 20:45:14.88 ID:OmWAFEuy0.net
- 韓信の推挙は項羽と劉邦最大の後付けだと思う
両陣又いだとしても執戟郎から大元帥は無理がある気がする
結果を出す才能ありきだけど、それ以上に売り込みに余念がなかったんじゃなかろうか
袖の下も同時は普通だろうし清廉潔白のイメージも後世に強調され過ぎた気がする
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/25(月) 20:51:22.69 ID:Zq1GIMSu0.net
- 韓信の政治的な無邪気さというのは本質なのか後付けなのかで大いに悩まされるな
脇の下が甘かったのを後世脚色されまくった結果と見ることもできるし
生来政界遊泳に疎かっただけと見ることもできるし
ただ性格づけは極端過ぎる気が
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 10:00:40.63 ID:V9XbMDtY0.net
- >>27 始皇帝が趙高を信用、重用しすぎたのが崩壊の始まり。
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 19:28:46.25 ID:3IA1Vw8a0.net
- 前から疑問なんだがかんしんってどこで兵法書読んだの?
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/25(水) 00:57:40.27 ID:vYXRZ9fY0.net
- >>54
鍾離眜と知り合いだしそこら辺の繋がりはあるんじゃね
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 07:52:38.54 ID:qEleolHm0.net
- >>27
張儀時代の秦は既に雄国だけど一強ではなく列強のバランスが保たれているので
彼らはまず天下一統に腰抜かすと思う
時代下って魏冉〜始皇帝くらいになると三年で強秦が崩壊する超展開なんて多分信じないw
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 08:01:57.25 ID:/kADrLIU0.net
- 楚漢戦争の状況を考えると楚にも天下統一の可能性あり得たんだよな
斉は微妙だけど魏晋南北朝とか考えると山東半島と河北押さえている強国が多かったからこれも可能性ゼロではなさそう
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 20:22:25.99 ID:Jt7H0UeW0.net
- >>56
魏冉「つか、秦軍脆すぎない? 誰が指揮執ってんの?」
白起「趙に大軍を貼り付ける(王離章邯軍)戦略、私、嫌な感じがします」
感想はこんな感じやろな
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 22:58:49.64 ID:VzFE0qK10.net
- >>57
魏晋南北朝は山東(河北)の勢力が強かったね。
斉は趙(燕)を抑えてから宋を取ってたら天下統一も夢じゃなかった、悪くても東西二大帝国
順番を間違った斉の一瞬の隙を見逃さなかった秦の狡猾さは大したものだわ。
>>58
あんたらの時みたく主力軍も援護する軍も寡兵で多勢を木端微塵に打ち砕く精強さがあれば良かったけど
秦末の秦将は(途中まで調子良かった章邯軍除く)どいつもこいつも野戦弱すぎ。
にしても鈍い大軍のやらかし率は異常だなぁ、一旦不測の事態に陥ると国家滅亡レベルの深手を負うし。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 00:08:21.68 ID:ARSV8Vkj0.net
- >>58-59
河南の秦軍が弱すぎて攻撃的な機動防御不能ってのが痛いよな
河北に展開した兵力に何かあっても救援できない
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 06:42:42.09 ID:3ySS6olF0.net
- まあ、秦軍の質的劣化は、戦国晩期にはもう相当進行していたと思われる
急速な拡大を支えるべく故秦以外からの大量動員に依存した結果、体質が変化し脆弱に
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 02:21:20.96 ID:a3CLgavg0.net
- 全国から寄せ集めた数頼りの戦法が目立つ>戦国末〜秦末
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 07:30:46.62 ID:4xBpnXys0.net
- 李信蒙恬20万
王翦蒙武60万
蒙恬王離30万
南越遠征50万
始皇帝「…言われてみればそうである」
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 20:29:12.27 ID:1KpbtxNx0.net
- >>61
東北と南方の支配は早すぎたなぁ感
そこらに有能忠実な管理職と兵卒のリソース割いてなかったら
ボンクラ君臣でも制圧できたろうに……
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 22:18:30.91 ID:zfYqmVzb0.net
- そもそも廷臣から覇気が感じられない
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 00:06:18.48 ID:bTw3Cpql0.net
- 李斯を除くと
よくわからんモブ重臣、しかも旧六国出身の外国人しかいないってのが…
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 06:25:27.05 ID:MfNfa55w0.net
- 始皇帝〜二世皇帝にかけて高位高官を占める馮氏は謎ですねぇ
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 16:02:33.20 ID:57rpZFSC0.net
- ドクター・フー?
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 18:24:11.00 ID:nCeDD58G0.net
- ほぼ完全に固定化した大貴族が高位高官を独占し続けた我が日本国の朝廷だと珍しくもないが
同族と目される人物が同時に3人も百官の主席付近に座ってるのは戦国秦→統一秦だと珍しいね
三晋→秦→楚漢戦争(魏)→漢
戦国の終焉と統一秦の崩壊で由緒正しい家門が消滅するなかしぶとく生き残った息の長い名族やね>馮氏
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 19:27:22.60 ID:MfNfa55w0.net
- 戦国趙の馮氏は後に名将馮奉世を輩出し漢の外戚になった名族ですねぇ
地味に劉邦軍にも馮氏いるけどこれは関係あるのかないのか…
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 23:32:00.15 ID:bTw3Cpql0.net
- 楚が滅び親父項燕が死んだとき普通に秦の旧都に住んでた項梁
ちゃっかり劉邦に味方して生き残る項一族
項氏もかなり不思議な氏族
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/31(火) 07:54:53.75 ID:q6xzfAYl0.net
- 戦国期の項氏は親秦派よりの貴族な希ガス
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 00:06:14.96 ID:jigG0AlA0.net
- 【項羽】
・懐王楚王朝をぶっ壊した謀反人
・項一族の嫡流ですらない
すぐ人望を失くすわけだよ
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 00:41:34.96 ID:BbHUHS0n0.net
- 非主流派だよね〜
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 11:11:46.40 ID:ucLMzKIv0.net
- >>73
嫡流はなにしてんの?
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 19:00:20.62 ID:33ouxKnj0.net
- たぶん項伯が嫡流じゃろ
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 20:37:44.34 ID:ucLMzKIv0.net
- >>76
名前からしたら長男かそういえば
上手く生き延びてんな
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 21:20:09.43 ID:BbHUHS0n0.net
- 項羽と同じく字の方が有名な項伯こと項纏さん
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 06:29:52.99 ID:F6FlhK9f0.net
- 劉邦が推戴されて皇帝に即位するなんて予想できるはずもないのに
項羽が健在な時から劉邦さんに近い項氏がチラホラいるのはつまり
義帝楚国で項羽が頭角を現し項氏の棟梁と認められる時期が遅かったからでしょうね。
みんな義帝の臣下という立場なので対等、独自に劉邦と誼を結んでいた。
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 23:59:49.14 ID:qbigQIbo0.net
- 劉邦は項伯と姻戚になる約束してたんだっけ?
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 00:26:59.92 ID:s/a7j8HZ0.net
- 姻戚じゃなくて義兄弟……
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 00:45:50.50 ID:dkuqIyUh0.net
- サンクス、義兄弟か
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 00:24:29.48 ID:IYNX6okp0.net
- 劉姓を賜って広い意味で同族になりました
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 03:17:49.68 ID:QEyBJQ8rO.net
- あれ、義兄弟は羽で、伯はこうもんの会取り次ぎの際、伯の息子と劉邦の娘を婚約させたんじゃなかったっけ?
羽が「降伏しなかったらお前の親父をスープにしてやる!」って言ったときに劉邦が「俺とお前は義兄弟だからお前にとっても父になるぞ、父親を殺すのか」と反駁
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 23:58:29.37 ID:5pBQI+Z60.net
- うむ
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 15:06:51.33 ID:4Nl9Z5Cs0.net
- 唐代からあるネタだけど「肛門の会」
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/13(月) 01:11:34.41 ID:z4/xMIqr0.net
- ・懐王の居城に近い地域を守り、侵入した王離軍等を撃退
・趙軍の中原進出を阻止
・懐王の命令通り関中を落とす
・懐王の命令を無視する項羽の大軍阻止を試みる
劉邦さんって割と楚懐王の忠臣してると思う
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 06:55:44.62 ID:SeS29V1d0.net
- 元・公務員だし臣下やるのは得意そう
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 12:29:33.83 ID:LW//GlyJ0.net
- 公務員と言っても事務が得意な役人タイプじゃなくて
進次郎の曽祖父(政治家だからいちおう公務員)みたいな任侠タイプだけどね
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 17:58:14.39 ID:qlwxJn980.net
- まあ政治屋の方が向いてるだろうけど事務能力もそれなりに高いでしょう。たぶん
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 21:58:14.34 ID:eotvEjFIO.net
- いろいろ間違ってるな
・項伯は末っ子であだ名として落ち着いてるからギャグとして、
伯(長男)とついた
・項伯はたまたま張良に助けてもらったことがあり、
その頃は項羽の羽の字もなかった
・項伯が劉邦助けたのは張良との縁のたまたま
劉邦自体劉の字も元々なかった
・だから項一族を裏切って劉邦派と取引した気脈通じてたもくそもない
楚漢戦争はたった六年
そんな暇もない単なる偶然
・項梁と項羽の父と項伯とが兄弟
項梁とかの父が将軍として有名
・項梁が倒れて将軍になれるのは項羽しかいないから非主流派もくそもない
主流派非主流派で争う暇もない楚漢戦争はあっという間の出来事
・項羽が項梁なき後将軍になったり楚王になったのが25、
天下を暴れまくって四面楚歌で垓下に倒れるのは31
若造すぎた
項羽は単に人望がなかっただけで項一族中の問題は関係ない
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 22:53:26.87 ID:azaWWNRV0.net
- なぜそこまでナイナイと切り捨てるのか謎であるよ
史記その他の情報なんておそろしく限定的だし司馬史観な偏りも当然ある
過疎スレだし少々の推測は大いに結構楽しくやろうぜ
楚漢戦争はあっという間の出来事で争う暇はない?内部対立で自滅した二世皇帝政権に謝ろう(苦笑
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 23:41:55.13 ID:eHT8Ol2v0.net
- >>87
劉邦凡将論は百害あって一利なしだわ
史記だけ読んでも明らかに戦国後期の名将と比較して何ら遜色のないやり手なのに
その反面史記の楚漢戦争はかなり単純化された戦略理論のケーススタディ資料なんじゃないかと思うときもある
何かスッキリし過ぎというか分かりやすすぎというか…
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:03:04.96 ID:PtrCiKPg0.net
- 楚軍も項羽軍も出来たてホヤホヤの雑多な集団だから皆さん安全保障のために気脈通じまくり争いまくりだと思いますよ。
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:16:52.20 ID:KT/IyvTe0.net
- 曹無傷の裏切りとか
どこの軍も二股膏薬が横行してそう
ちんぺーや韓信は普通なんだろう
逆に紀信とか「おまえ何でそこまで尽くしちゃうの?」レベルの奇行だったんじゃないかな?
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 00:36:47.38 ID:hs/FpaKnO.net
- 義理堅いと言われる季布が軍を脱走して逃げている事実。さすがにそれだとアレだから創作物だと逃げたのではなくはぐれたことになってるのも多いけど
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 03:54:52.81 ID:zZACuA050.net
- 季布が脱走したって記述、どこにあるの?
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:03:34.60 ID:XyriM37R0.net
- >>93
うっかり凡ミス大ポカ(この隙は世相にも原因がありそう)があるのが玉に傷だけど能力自体は極めて高いね
やらかして絶体絶命のピンチに陥ってもトドメを刺されない地力があるし
>>95
伝統あるきちんとした君臣関係が構築されてない時代だから罪悪感薄いだろうね
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:45:12.11 ID:PMpo2l9W0.net
- 後門の会の項伯に関しては説話的には義理人情で動いたことになってるけど
実際あそこで義帝政権実質ナンバー2の大功臣劉邦を項羽が処断するのは政治的にヤバすぎる
っていう常識的判断な希ガス
>>95 >>98
みんな抗秦の同志なんで上下関係は緩い
秦の統一事業で旧六国内部の秩序が弾圧・解体されたせいで元から流動性高いし
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:46:12.28 ID:hs/FpaKnO.net
- >>97
以前横光スレで史記にそう書かれていると聞いたけど、あれやっぱり横光項劉の創作だったのか?
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