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何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/20(月) 22:49:13.76 ID:hugaVazr0.net
魏は国力差を活かしきれてないのか、あるいはそこまで国力差が実は無かったのか

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/20(月) 22:51:56.80 ID:hugaVazr0.net
結局、魏(晋)は蜀と呉も万全の状態では侵攻に失敗し
国が乱れてからようやく滅ぼす事ができた

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/21(火) 00:41:26.03 ID:7t2UWbqx0.net
蜀滅亡時の戦も魏は割と苦戦した

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/21(火) 09:21:33.35 ID:LMtzJv0Y0.net
地形の問題も大きいんじゃないか

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/21(火) 23:55:43.97 ID:7t2UWbqx0.net
蜀は山、呉は川が味方したんだろうな

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 00:19:12.24 ID:2BgcZhp30.net
>>3
苦戦という割には軍起こしてから半年で蜀滅亡
呉滅亡の時は3ヶ月だからそれよりは時間かかっているが
それほどでもない

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 00:31:10.83 ID:AhoxeIXh0.net
>>6ケ艾が奇襲を敢行しなかったら割と危かったんじゃない?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 01:00:15.86 ID:2elqGiRi0.net
漢からの禅譲、曹丕あっさり亡くなる、司馬一族との権力闘争と曹操亡き後は内でもめてたからじゃない?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 02:50:40.18 ID:s56wjemP0.net
反乱祭りだったから

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 07:34:49.19 ID:2BgcZhp30.net
>>7
全然危なくない
漢中はあっさり陥ちて剣閣で足止めされてただけだから
長期戦になっても漢中取り返すだけの余力は蜀にはない
四川盆地は侵入できれば遮るものないので
ケ艾がやらなくてもだれかが別動隊で四川盆地に侵入すればあっさり

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 14:22:07.36 ID:t6Kk7Nsw0.net
簒奪と並行でやってたからでしょ

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/22(水) 19:20:45.96 ID:WRhdlPsC0.net
魏(晋)は関西の異民族の方が手を焼いてた印象

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/25(土) 19:56:01.94 ID:xVQacMcD0.net
ぶっちゃけ国力差が開いてきたのは曹叡時代くらいから

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/25(土) 22:12:46.77 ID:Gf0flEZd0.net
曹操存命時から晋まで何度も反乱あったからなあ。あんま戦力を集中できない

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/25(土) 23:52:38.06 ID:z9JOZ7+80.net
曹叡は統一の野望は無く平和に暮らしたかった
仕方なく諸葛亮や孫権の相手してやった感じ

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/26(日) 04:51:30.85 ID:/hubs3nn0.net
>>12晋はともかく魏は異民族より呉と蜀の方に苦戦してたように思うなあ
呉には何度か大敗してるし、蜀には何人か武将を殺されてるし

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/26(日) 12:37:03.55 ID:1MqEl5cx0.net
張コウは司馬懿のミスで亡くなった

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/26(日) 13:28:46.15 ID:QgrxOgVo0.net
>>14
そういう意見よく聞くが
呉や蜀でも何度も反乱あったのは何故か無視されるのは謎

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/26(日) 13:45:51.28 ID:VNu6u1730.net
>>18
政変にしても呉の二宮の変で亡くなった人間のなかに陸遜含まれているからな
曹爽の失脚とは比べ物にならない大損失、蜀でいったら諸葛亮失脚ぐらいのインパクト

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/26(日) 22:02:33.17 ID:2CiqWDr50.net
>>18
つまりどこも大規模に動けんかったっつーことやろ。何が疑問なんや

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 08:20:57.23 ID:2LxdjZ130.net
東晋や劉宋でも宰相や大将軍クラスの人間が失脚したり、反乱起こしたり猜疑心拗らせた君主に難癖つけられて誅殺されるとかデフォルトやし。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 10:06:12.21 ID:OFlhsCjz0.net
>>20
いや悪の帝国魏は反乱続発で
正義の帝国蜀は反乱皆無という印象操作を常日頃感じるので

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 10:22:25.81 ID:2LxdjZ130.net
普通に蜀志読んでりゃ諸葛亮の第四次北伐当たりからしょっちゅう反乱だの住民逃亡だの頻発してるって書いてるけどね。
まあ蜀の場合反乱とかより人間関係のトラブルの方が目立つだけなんやろうけど。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 11:10:20.11 ID:9zFdhP3j0.net
劉備の時代から叛乱はあるし、呉も孫権の時代は最後までそこここで叛乱ある
蜀はまだしも、呉は北伐どころじゃないだろと思えてくるくらい多い

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 12:54:13.03 ID:aXYSEzq/0.net
蜀はケイシュウ派閥とエキシュウ派閥でよく争ってたって有名じゃないですか

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/27(月) 21:38:36.09 ID:whehrr7j0.net
あなたの願望を叶えたい時に必要になる

https://www.youtube.com/watch?v=WzqTe4MFlsU

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27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/28(火) 00:07:20.61 ID:HngP/kj70.net
>>25北伐派と反北伐派に分かれて争ってる感じはするけど
荊州派閥と益州派閥の争いって言われてるほど無かったんじゃないかなって思う

荊州派の諸葛亮と益州派の李厳の対立とかは言及される事あるけど、自分は李厳が益州派閥のトップであったとは思えない
李厳って荊州出身で、劉璋の元でのキャリアって短いし
李厳への弾劾文に普通に益州の人間の名前が書かれてるし

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/28(火) 02:22:47.10 ID:8ANdQ8G90.net
地元でアンチ劉備だった黄権さんも最後は劉備に忠義尽くしてるしあんま地域での対立はなかったんじゃないかな。
むしろ学閥とか外交軍事での対立の方が目立つ。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/28(火) 21:15:19.82 ID:kIQQzThf0.net
曹叡は諸葛亮が生存してる時も宮殿の造営してるけど
何故か諸葛亮が死んでから造営が始まったとされている風潮

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/28(火) 22:39:42.76 ID:hS+ogBYH0.net
>>29多分、演義のせいだな
演義と史実がごっちゃになってる人はいる

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/28(火) 23:19:40.55 ID:6qUIFeFX0.net
曹丕も宮殿造営は考えてたからな。
結局やらんかったけど。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/29(水) 00:41:07.73 ID:+OeQWWpd0.net
曹叡は軍事的には有能だったが金は浪費したな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/30(木) 23:03:22.26 ID:kgpdiDun0.net
魏より蜀の兵の方が装備が充実してたみたいな話を見た事があるな

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/31(金) 10:14:50.96 ID:mDBbizcS0.net
鉱山と燃料である木が豊富だったからやろ

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/01(土) 23:33:57.34 ID:UxaPbDpq0.net
蜀を滅ぼした時の魏は既に曹氏に実権は無かったし、魏呉蜀は事実上引き分けと考えてる
呉蜀に比べ皇帝の夭折が目立つ魏は、後漢の弱点をそのまんま引き継いでしまった感がある
司馬懿や司馬昭に国を奪われる段階では、もはや統一どころでは無かっただろう
赤壁以降は劉備の攻勢に曹操でも押され気味だったし、諸葛亮の北伐にも防戦主体を強いられてる
演義の主役達は史実でも強かった。と言った所じゃないかな

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 00:39:36.72 ID:5eV0ySbX0.net
曹丕は有能だったのか無能だったのか

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 03:52:31.90 ID:YmaKQHba0.net
>>36政治家としては有能だけど軍人としては無能だと思う
どの口が劉備は兵法を知らないとか言えるんだか

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 06:57:06.61 ID:3UIOfDE00.net
>>1
そういう小事(呉、蜀)に
関わっておれないほど
匈奴の脅威が大きかったから

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 09:58:42.84 ID:LrrZGxTP0.net
>>37
曹丕の無能さには同意だが
劉備の夷陵の敗戦は無能でも馬鹿にしたくなる酷い内容なので

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 11:02:46.13 ID:Xhwesp2Z0.net
>>39
でも呉もそれなりに損害出てるような

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 14:45:35.57 ID:qFOIPC/40.net
>>35
曹叡は統一は考えてないだろ
魏を平和にしたかっただけで、仕方なく諸葛亮や孫権の相手
してやっただけだろう

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 17:08:56.16 ID:LrrZGxTP0.net
>>40
損害出たという割には
直後に曹丕に三方面攻められても凌いでいるのでどうかな
蜀では主だった武将クラスの戦死や投降者は両手に余るが
呉では主だった武将クラスの損害は微小

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 17:11:10.92 ID:Xhwesp2Z0.net
>>42
となると純粋に孫権陸遜が有能だったという結論に落ち着くだけだわ

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 18:30:55.40 ID:LrrZGxTP0.net
孫権陸遜が有能なら
無能相手に攻勢に出ても失敗しないのだが

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 20:18:58.19 ID:YmaKQHba0.net
>>38魏の時代の匈奴は衰退期
魏が異民族で一番脅威に思っていたのは鮮卑だ

その鮮卑も呉と蜀ほど魏に被害を与えてないが

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 21:16:54.91 ID:/Cwgbh/s0.net
并州をほぼ放棄したのって曹操の時だっけ
いつ頃并州を再支配できるようになったんだろう

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 21:25:07.21 ID:+qM+v9SU0.net
中原を制した魏にとって
取るに足らない辺境に逃げ込んだ
「泡沫」勢力を制服することなど
全く重要な課題では無かったということ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 21:34:33.96 ID:hKao5UJn0.net
どっちかって言うと曹叡あたりまでインフラとか貨幣の鋳造でヒーヒー言ってたイメージ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 22:29:28.07 ID:qFOIPC/40.net
満寵は有能すぎるな、孫権と陸孫に攻められても
何度も打ち返ししてる

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 22:49:00.17 ID:wtoHqUov0.net
>>49
魏の国力を考慮すると呉領を切り取ってこそ有能なのでわ
どうも感覚がずれてる

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/02(日) 23:45:28.78 ID:OUnEBDoL0.net

敵の侵攻軍を駐留軍で撃退してるのは有能じゃないの?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/03(月) 06:20:26.17 ID:7UrPwog40.net
>>50が意味不明

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/03(月) 07:18:31.16 ID:SbcMUUad0.net
意外と国境に張り付けてる兵力は大したことないんだよなー。呉蜀に加え北辺もあるからしょうがないけど

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/03(月) 07:54:02.80 ID:pmYRNcRc0.net
前秦や北魏みたく国力で圧倒しながらイマイチ攻めきれない印象

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/06(木) 16:39:51.80 ID:wpewwYPl0.net
劉備に漢中から追い出され、関羽の北上に遷都を考えた頃の魏は間違い無く劣勢だった
この時に呉を抱き込まざるを得ない状況に追い込まれ、魏は統一を諦めた様に見える

周瑜も「自分が関・張を率いれば天下が獲れる」と断言してる辺り
この二人の軍事能力は隔絶したものだったのだろう
孫権が天秤に掛けた結果、曹操に付く選択をするくらいには当時の劉備は危険な存在だったと言える

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 02:57:19.09 ID:bP+w2jS00.net
蜀呉の共同軍事作戦を警戒して、内需拡大してから各個撃破した。
魏晋は苦戦してないだろ

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 05:33:40.38 ID:FCNWQ/U30.net
漢中を失ったり、于禁が降伏したりを苦戦と言わないなら苦戦してないかも

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 07:28:58.84 ID:KDgFNnbI0.net
第四次北伐までは結構ギリギリで勝ってた印象。
それ以降は詰みモードだけど。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 10:24:54.76 ID:OJz3KBZI0.net
統一まで60年かかって苦戦してないっていうのも無理が

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 10:59:35.38 ID:AWebIcXI0.net
前秦や北魏みたいもんやろ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/07(金) 11:06:41.50 ID:uUFsnB8D0.net
前秦や北魏みたいもんやろ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 03:10:08.29 ID:KJYWUYtj0.net
魏って割と呉と蜀相手に大敗してる気がする

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 11:31:20.01 ID:4WiuvDKW0.net
>>55
217年には孫権が使者を遣って曹操に降伏しているので
実質呉は呉の従属勢力だったのが219年当時
その頃曹操は寿命間近で老体に鞭打って寿命削りながら軍役してたので統一どころではない
まあ当時劣勢だったのは確かだが国内反乱や異民族対策に兵割いて疲弊してても
関羽倒すのに兵絞り出す余力もあるので
(一方蜀には魏を倒すのに絞り出す余力すらない)
蜀が魏を倒すのは219年当時でも現実的には不可能に近かっただろう

統一を諦めてなかったのは曹丕の方が曹操よりも気持ち強いと思うが
曹操よりも軍事才能も外交的手腕も無能なので呉に懲戒的戦役して失敗して終了
まだ呉を従属させたまま蜀滅亡させてから統一に向かった方が成功の目が高かった

関・張に関しては周瑜みたいな有能な指揮官の元では軍事才能発揮すると思うが
自身が司令官として軍率いるとあまり有能ではない

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 11:48:59.90 ID:nlRZlefBO.net
曹丕は夷陵の大チャンスを孫権の外交戦略に欺かれて、みすみす見過ごしてから手玉にとられてる様に見えるね
曹休も周魴の偽降策に引っ掛かってボコボコにされたし
まぁ、孫権も何故か異常なまでに奇襲に弱いから、自身で攻めたら魏が誇る呉キラー達に追い回される結果に終わるけどね

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 12:32:00.59 ID:WcgGEIhH0.net
>>63
真意は諸説あるが、呉は219に関羽と呼応する形で合肥を攻めてるよ
于禁軍4万が瞬く間に関羽に降伏し、3万が捕虜になった時
呉がまともに北上する気なら曹操に防ぐ余力は無かった
そして関羽を殺した後も孫権は荊北に対して軍事的圧力をかけ続けてる
孫権が本格的に魏に恭順姿勢を見せたのは曹丕が継いでから
夷陵の後では防衛体制が整った後に、孫登人質要求を突っぱねて再び魏と対立姿勢を鮮明にしてる
孫権は確実に魏も蜀も滅ばない匙加減を狙っていて、対関羽では魏に付かざるを得ない情勢だったと見てる
関羽や張飛の評価は魏書でも非常に高く、条件が対等なら于禁や張コウですら一方的に破られてる

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 12:35:02.01 ID:TBZf2NhO0.net
そういう目で見ると、徴募されたばかりの新兵だけで関羽を打ち破った徐晃はめちゃくちゃ凄いんだな

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 13:02:02.06 ID:6UZTpuPI0.net
赤壁と漢中で大敗した無能のせい。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 13:18:12.56 ID:4WiuvDKW0.net
>呉がまともに北上する気なら曹操に防ぐ余力は無かった

呉がまともに北上しても張遼臧覇などの対呉用師団は残ってるのでそううまくいかない
関羽用に兗豫州の兵徴発しているが呉には青徐州の兵をかき集めれば対応できると思われ

>夷陵の後では防衛体制が整った後に、孫登人質要求を突っぱねて再び魏と対立姿勢を鮮明にしてる

夷陵の戦いが終結したのは222年6月
曹丕の三方面の戦いが始まったのは222年9月
その間呉が魏に備えてできたのは蜀と和睦するぐらいしかできてない
夷陵の戦いに参加した呉兵の中には休む間もなく魏と戦ったのもいる
防御態勢が整っていれば江陵の南の長江の中州占領される事態にならないよ

>関羽や張飛の評価は魏書でも非常に高く、条件が対等なら于禁や張コウですら一方的に破られてる

程cの発言でかなり評価高いように思えるけど
条件が対等でも関羽や張飛は前述の徐晃ばかりでなく楽進曹洪辺りにも一方的に破られている事もあるので
そこまで能力叩く高くないと思われ

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 13:51:20.48 ID:WcgGEIhH0.net
孫権は夷陵の後に劉備追撃を止め、曹丕に備える行動をとってるよ
暴風雨で予想外の苦戦を強いられはしたが、撃退自体は成功してる
于禁降伏後に曹操が遷都を考え、司馬懿らが止めた時の策が孫権をもって当たらせる策
このころ魏領では反乱が多発し、張遼すら招聘されててキャスティングボードは完全に孫権の手中だった

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 14:47:37.72 ID:4WiuvDKW0.net
訂正
×夷陵の戦いが終結したのは222年6月
○夷陵の戦いが終結したのは222年8月
陸遜が劉備を打ち破ったのが222年6月で
曹丕の三方面の戦いが始まった222年9月では軍が帰還しきっていない
劉備追撃を止めたのは陸遜の上申によるもので
現場判断が無ければ孫権はアホ面で曹丕の侵攻軍を援軍と勘違いして迎えて大打撃受けた可能性もあり

>于禁降伏後に曹操が遷都を考え、司馬懿らが止めた時の策が孫権をもって当たらせる策

これは孫権が従属勢力でないと考えられない策なので
例え孫権が219年合肥に襲来してても本気ではなかったから打ち出せた策
だから保険で呉方面の張遼すら融通聞かせて関羽への後詰めに使った
もし呉が本当に敵対するなら張遼を呉方面へ留めておけばいいだけの話

>このころ魏領では反乱が多発し

反乱のピークは吉本の乱や侯音の乱の有った218年〜219年初で
219年は魏諷の乱は未遂に終わり他の関羽に呼応した反乱も首謀者名伝わらないぐらい小さいのばかり
前年からの流れで曹操が精神的に嫌になって遷都考えてもおかしくないが
実際は関羽が快進撃していた頃は国内の反乱のピークは過ぎている

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 17:20:53.55 ID:KJYWUYtj0.net
>>68
張飛が曹洪に負けた事で能力が高くないというのなら
張飛に負けて数十人の部下と共に脱出する事になってしまった張コウも能力高くない事になってしまうのでは・・・

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 17:52:34.64 ID:TBZf2NhO0.net
この手の議論、最終的に常勝不敗以外認めないという極論になるからつまらない

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 18:04:22.58 ID:H0GDSiY+0.net
程cが凄いって言ってたから凄いんだろう

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 18:49:23.35 ID:gkBza5xl0.net
横山三国志のせいで程Gの印象が悪いな

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/08(土) 21:04:15.20 ID:GDlpd2Qf0.net
>>71
勝敗は兵家の常なので
関羽や張飛は魏の五虎大将に劣らない名将だと思うが
五虎大将が足元にも及ばない存在かというと違うと思う

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:30:48.86 ID:7GcqThcr0.net
>>65
219年の呉の合肥攻めって何伝に書いてあった?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 00:40:27.83 ID:cj28gm3B0.net
温恢伝では

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/09(日) 01:03:49.93 ID:7GcqThcr0.net
>>77
ありがとう
217年に降伏して220年まで
魏と戦争してないと思っていたがしてたんだな

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 00:05:59.00 ID:qrlK6pB/0.net
もしかして魏が帝国になってから領土を取られたのって諸葛亮の武都・陰平攻めの時だけなのか

そう考えるとなかなかの戦果に思えるが
まあ魏からしたらほとんど人のいない捨て地を取られたみたいなものかもしれんな

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 00:22:43.42 ID:k7ywDHgY0.net
呉相手に大敗するのは魏の悪い癖
呉の侵攻は確かに阻止できてるけど、肝心の攻勢作戦で転けてちゃ話にもならん

晋に代わって以降も西陵で手痛い敗北喫してるし、分裂時代はもう少し続いた可能性の方が高かったような気がするの

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 13:24:23.75 ID:mN9EpSS+0.net
正直、孫晧じゃなきゃ呉はもっと粘れたんじゃないかと。
末期陳とどっこいどっこいの酷さだし。

前秦の苻堅だってこいつらだったら圧勝してたろうし

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/11(火) 20:21:48.53 ID:CVcrdlla0.net
あの馬鹿が死んだら統一できなくなるぞとか言われるくらいだからな

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/12(水) 18:57:19.08 ID:6sSfdJma0.net
>>71
勝敗は兵家の常なので
関羽や張飛は魏の五虎大将に劣らない名将だと思うが
五虎大将が足元にも及ばない存在かというと違うと思う

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/13(木) 19:17:14.41 ID:dJymmqhv0.net
>>81
苻堅は周囲から「今は攻める時期じゃない」と散々諫言されてての致命的敗戦だからねえ

呉の人口は200万ちょっとだったみたいだけど東晋は少なくとも500万はいたっぽいから結構厳しかったと思うのよ

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/24(月) 23:24:03.43 ID:8Euj8Kl/0.net
>>81
孫休だったらもっと粘れてない
孫休の時代は孫休本人が学者過ぎて軍事的にグダグダ
蜀への救援間に合わず蜀滅亡でその余波で交州離反
孫晧時代に交州再統合できた
まあその孫晧も最後はグダグダだったが

孫権末期と死後の諸葛恪孫峻孫綝辺りも酷かったので
少なくとも孫権死後に陸凱辺りが宰相になって政治引き締めて内紛無くしていれば

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 01:27:37.32 ID:aZhWlCi10.net
長子孫登が長生きしてたらなあ 孫晧は董卓以上の残忍さ

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 07:38:39.81 ID:wLk9P7uh0.net
孫皓さんは馬超さんと同様SAN値が最初からゼロやからな

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 09:51:17.72 ID:qG+UOn+Z0.net
孫和を廃した孫権が悪いよー孫権が

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 11:12:23.51 ID:Kuq7Bm/O0.net
実は後半生の孫権は影武者だった
本物は合肥で戦死してたんだ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 12:26:42.29 ID:bDm7Ok8p0.net
粱武帝「せやな」
唐玄宗「せやな」

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 13:20:25.83 ID:ha5Xceab0.net
三国志は結局のところ天下統一できなかった2流プレーヤーの時代だからな
曹操は苻堅、柴栄などと同格

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/25(火) 13:24:09.77 ID:3K4JBA9Y0.net
曹操はその二人より下やろ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 00:17:05.08 ID:opvTAy8m0.net
>>86
孫晧は薛瑩みたいな名士層は迫害したので名士層からはことごとく嫌われているが
一方で吾彦みたいな下賤の者出身者からは意外と慕われていたりするので

まあ孫晧は呉滅亡時に陳寿の言った通り降伏許さずに腰斬が妥当だと思うが

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 01:00:54.16 ID:luzCI01s0.net
>>92流石に晩年がボロボロすぎる苻堅と比べたら曹操の方が上かな

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 07:46:55.33 ID:eMI9ofFM0.net
自分の代で崩壊した苻堅と3代は帝権を維持した曹操なら曹操だな

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 19:22:48.60 ID:opvTAy8m0.net
柴栄も子供の代で帝権失っているが
部下が聖帝趙匡胤だったおかげで子孫は約320年貴族として存続できた
部下が狼顧司馬懿でも約210年王でいられた曹操と比べてどうか

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/26(水) 19:23:43.38 ID:opvTAy8m0.net
×部下が狼顧司馬懿でも約210年王でいられた曹操と比べてどうか
○部下が狼顧司馬懿でも子孫が約210年王でいられた曹操と比べてどうか

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/27(木) 20:42:15.00 ID:JJl7Qhut0.net
>>66
厳密に言うと包囲を解いただけだな
追撃する余力まではなかったし

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/27(木) 23:43:05.40 ID:+QtyMvRl0.net
>>98
いや厳密には

関羽は四冢の屯営が攻撃を受けているのを見ると、歩兵騎兵五千を自ら率いて徐晃に野戦を挑んだ。徐晃はこれを打ち破った。
関羽は退却したが、徐晃は深くこれを追撃し、幾重にも設置された塹壕や逆茂木を総て突破し、関羽の包囲網に大損害を与えた。
関羽は徐晃に敗れたので樊城から撤退せざるを得なくなったが、襄陽の包囲は続けた。

なので関羽は徐晃に大打撃受けて樊城から撤退している
徐晃は樊城開放する戦略的目的達成したのと
すぐに孫権軍が関羽の輜重攻撃して関羽が襄陽からも撤退して
既に孫権軍の戦闘の範疇になったので深追いしなかっただけ
関羽との戦闘を呉に任した後の夏候惇や徐晃の摩陂でのエピソードみると
かなり激戦後とは思えないほどほのぼのした話ばかりだぞw

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 08:59:32.56 ID:e9MWk7300.net
晩年の関羽は老害の香りがする

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 18:00:11.49 ID:OebnMmco0.net
>>99
そこで荊州を取りに行けない時点で曹魏って終わってるよな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 18:16:26.57 ID:joxz5zZZ0.net
>>101
まあ曹魏は赤壁の時点で荊州益州も降してるようなもんだったから
そこでほぼ味方だった孫権に離反されて負けて天下統一最大の機会逃した時点で終わってるのは確実
しかしそのショボい曹魏の于禁軍3万壊滅させてドヤ顔してたら
それ以上の増援集められて気が付けば逆に荊州方面軍壊滅させられた劉蜀も結構終わってる

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/28(金) 18:24:17.13 ID:joxz5zZZ0.net
曹魏にしては密かに孫呉に荊州襲撃頼む代わりに荊州切り取り約束してたとしたら
曹魏が関羽を襄樊から追い出しただけで深追いしないのはよくわかる
そのおかげで劉蜀と孫呉が殴り合う事になったので
「二虎競食の計」「 駆虎呑狼の計」が物語でなく実際にで成功した例とも言える

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 20:40:43.55 ID:va11hwv70.net
「二虎競食の計」を狙ってただろうが、呂蒙の戦術が早すぎ&完璧すぎて戦いにならなかった、
これは魏としても計算ミスだったと思うよ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/29(土) 20:58:06.74 ID:kqUY78sX0.net
そのミスも昭烈帝がわざわざ荊州に攻め込んでくれたおかげで、取り戻せてるけどね
ミスだろうけど顕在化しなかったね

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/30(日) 00:56:11.64 ID:g13o2IGa0.net
荊州取りに行って成功しても失敗してもそのまま何事もなく組むのは有り得ないから攻め込んだ時点で成功だろ

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/04(木) 12:13:14.85 ID:rYYFHb9/0.net
>>99
摩陂に集結した曹魏の援軍

曹操・夏候惇・張遼・徐晃・趙儼・徐商・呂建・裴潜・殷署・朱蓋・他
合計12屯営・5万

これって急造で掻き集めた援軍でも劉蜀の主力軍が来ても夷陵戦級の一大決戦できる規模なんだが
これみても魏は余力ないとほざく奴がいまだに出てくるのは謎

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/05(金) 15:31:49.50 ID:BZCO923d0.net
>>65
曹丕の三方面の戦いが始まったのは222年9月
呉が魏の年号を改元し黄武元年としたのが222年10月

なので先に同盟破棄したのは魏の方だな
>>68>>70の言う通り呉が魏に完璧に備えできていない状態での突然の手切れ
その前から孫権は何度も孫登人質要求を突っぱねているので
孫登人質要求無視の件は手切れの言い訳に使われているに過ぎないな
魏領の反乱多発の件もそうだが時系列や規模を無視して考察するからおかしい所が

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/28(日) 06:44:03.32 ID:UJiEnUY90.net
諸葛亮がいたから

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/09(金) 02:50:18.23 ID:Bk2kOljG0.net
曹丕が戦下手だったから呉に敗戦した
曹丕が戦上手だったら呉をあの時点で滅ぼす事が可能だった

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/09(金) 14:17:16.44 ID:1NcIxBLh0.net
魏は北方や西方の異民族への備えも必要だし
国内でも反乱が多かったから、外征に全力は出せなかったしな
加えて蜀を攻めれば呉が出てきて、呉を攻めると蜀が出てくるから
一気に攻め滅ぼすには膠着状態にして相手方の内部崩壊を待つのが上策だった
苦戦したというよりは確実な機会を待っていただけだろう

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/09(金) 18:53:58.54 ID:k8jatxjJ0.net
西晋同様に失敗した時の政治的ダメージを恐れてたとも言える。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/09(金) 19:51:25.98 ID:iOgNS2zd0.net
>>111
三つ巴で五十年ぐらい均衡してたのは他の時代と比べても異様だわ

後趙・成漢・東晋も前燕・前秦・東晋も二十年弱で三国の鼎立は瓦解してる
北斉・北周・梁(陳)が四十年ぐらい拮抗してたけど南朝が崩壊しているチャンスが全く生かされなかったのは微妙

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/10(土) 02:10:49.66 ID:rPslHrEH0.net
>>111
有能な将軍を殺されてたり大敗してるのを見ると魏は普通に苦戦していたと言っていいだろう
国力を考えるともっと魏が優位に立てたはず

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/10(土) 03:34:54.01 ID:TtJoyEBy0.net
呉は長江に守られていたし蜀も天険の要害だったし
呉や蜀にも名将と呼べる人間はいたから
まともに正面からやりあっても損害が増すばかりだしな

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/11(日) 21:00:31.88 ID:pCqu63tI0.net
>>114
張郃は司馬懿に殺されたからな

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/11(日) 23:30:06.31 ID:6uw6/soO0.net
>>116張コウの戦死が司馬懿陰謀説をよく見るけど
張コウを殺す事が司馬懿にメリットがあるとは思えないんだよな
普通に司馬懿の判断ミスにより張コウを死なせてしまったで良いと思うわ

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 00:58:23.23 ID:ZVovTgDR0.net
現役の軍部では叩き上げで最も功績があって
司馬懿を弾劾したり追い落とすことのできる数少ない将軍だったから云々
みたいな理由付けは結構見るわな

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 01:31:25.64 ID:s+OOYHHb0.net
張コウは政治とはあまり関わってなかったからライバル排除って言われてもピンとこないよな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 01:36:43.05 ID:6ZfwE74C0.net
当時の司馬懿は魏を乗っ取ろうなんていう素振りを見せてないし
司馬懿が魏を牛耳るのは張コウが死んでからだいぶ後だ
そもそも司馬懿が独裁を始めたのはあくまで自分の身を守るためであって、元々魏を乗っ取ろうと考えてたとは思えんしな

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 08:34:49.74 ID:YokYsVEG0.net
だいいち諸葛亮の北伐を防いでる時代は曹叡が皇帝として盤石といっていいしな
不惑にも達していない曹叡がここから数年で崩御して幼帝の代になるなんて
この時期に誰も予想もしてないだろうし
司馬懿だって精々が北伐を防ぎきれば位人臣を極めるところには昇れるだろうかって
程度で、若い曹叡より先に歿するだろうくらいまでの思惑じゃないんかね

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 23:39:01.28 ID:T4DNvXiN0.net
張コウは夏侯淵死んだ時には都督になってるのに
その後は曹真や司馬懿に使われてる感があるのが悲しい
征西車騎将軍まで官位上がってるのにな

>>118
胡三省も言っているので完全な妄説という訳ではないな
まあ現場内での不仲なんて他にも張遼楽進李典でも有るしな

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/13(火) 23:33:11.81 ID:UePZ4ue60.net
国の為に心を合わせて戦わなけれならないのにこれだから二千石は

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/15(木) 20:27:59.13 ID:gbPI8xGU0.net
早死が多い
郭嘉 曹沖 曹丕 曹叡 甄氏

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/16(金) 04:33:25.43 ID:eZXPCiRA0.net
魏は当時の中華の文化圏と主要都市をほとんど押さえていたし
人口、生産、技術、文化、国力、全てで圧倒的に上回っていて
時間が経てば経つほど国力に差が出る状態だったから
元々持久戦に持ち込んだら魏の勝ちは確定してたんじゃないかなあ
魏から攻め込んだのって大抵変に色気出した時ぐらいだしさ

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/16(金) 12:13:11.77 ID:4OL9Q/Wd0.net
魏にとっての引き分けは蜀にとっての敗北みたいなもんだよね
無理して攻めなくていいし、いつかは倒れるんだから
後ろには異民族もいるし、むしろそっちのが脅威だったりしてね

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/16(金) 12:23:25.15 ID:KsXuEOHH0.net
国力差が6:3:1って言われてるからなぁ

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/17(土) 10:05:48.47 ID:uMDHZDWo0.net
諸葛亮は初戦で2群(しかも奇襲)を奪っただけで
手も足も出なかったしな
満寵は呉に対し完璧に守ったし

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 13:44:44.92 ID:HQvxCyaZ0.net
諸葛亮「呉は何度も魏へ攻め入るも撤退ばかりで不甲斐ない」
呉「オマエもな」

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 14:31:11.25 ID:1rtvZtUg0.net
北伐なら後の東晋のほうが面白いかもな
状況が違うから呉蜀が不甲斐ないって訳じゃないが

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 19:15:41.51 ID:aLvg8AJz0.net
>>130
魏では淮水沿いに軍屯田があってそこが防衛線になっていたけど
五胡政権の南の国境線がどうなっていたかはよく分かってないからな
前燕とか桓温に攻められたときガバガバ過ぎて滅亡寸前になったりしたし

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/24(土) 12:49:24.23 ID:+BSu6L/D0.net
>>128
呉戦線は孫権や満寵が健在の時代よりも後の時代の方がゆるゆる
合肥素通りでもっと奥の寿春や汝南に到達できているので
孫権は運が悪い時代に生まれたと思われ
孫権の軍才の無さは否定できないが

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/29(土) 21:13:03.08 ID:Wu+Jsuab0.net
>>131
遊牧民は線で守らんから特に第一次世界大戦以降の塹壕戦みたいなのには無力
その代わり機動力を効かした電撃戦みたいのには向いている

五胡政権みたいなのには防衛線という概念が無いかもな

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 04:28:33.07 ID:61TnCNwY0.net
>>128手も足も出なかったというわりに局地的には魏の負けが多いし
二人も将軍を戦死させたのはどうなんだろうか

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 11:37:31.92 ID:zVcaeyJ20.net
何故第四次北伐で諸葛亮が司馬懿をボコった事は無かった事にされがちなのか

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 12:29:07.04 ID:A4aLSp2P0.net
国力や人口で圧倒しているのに魏が勝てなかったのって構造的な問題があったからとしか思えん
司馬家が専横しだしてから蜀滅亡、簒奪、呉討伐とトントン拍子だったからねえ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 13:09:05.47 ID:4wZwlUHf0.net
後趙も前秦も北魏も統一できなかったからな
華北を統一してても南を制圧することは容易でないということ

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 16:03:08.74 ID:T+egaPz00.net
>>135
例えば項羽が劉邦を何度もボコっても最終的には劉邦の勝ちの判定だしな
局地的な勝利でも途中で撤退して最終的な勝利に繋がらないとあまり意味ない
あの時の諸葛亮は北伐で武都・陰平みたいな辺境ではなく
最低でも祁山や街亭や陳倉や五丈原辺りの領土切り取ってないと勝利とは言い難いな
まあ第四次の失敗は李厳のせいなので諸葛亮はそんなに責任を感じなくていい

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 20:42:12.81 ID:C4hX2aLz0.net
>>138
魏が領土取られるのってやばくね
しかも武都・陰平を取り返したのって蜀漢滅亡時でしょ

諸葛亮が長生きしてたらもっと領土削られていた可能性大きいと思うよ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 23:05:49.73 ID:T+egaPz00.net
>>139
魏は土地よりも人口に重きを置いてたんじゃないかな
だから秦嶺山脈が邪魔で補給がしんどく蜀方面からの攻撃防ぎずらい漢中は
曹操の時代に漢中の住民根こそぎ中原に移住させて意外と簡単に放棄している
武都・陰平も取り返す手間と取り戻した後の旨みの少なさ考えると放置してもわからなくもない

諸葛亮が例え長生きしても陳寿や王志堅

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 23:10:40.58 ID:T+egaPz00.net
途中で送られてもうたorz

諸葛亮が例え長生きしても陳寿や王志堅が指摘するように
あれ以上の進撃は無理だったと思うよ
撤退時に魏軍返り討ちはできるだろうけど
陳倉みたいに籠られると補給続かなくて領土得てても放棄して進むの断念するしかない

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 02:01:47.56 ID:QwSwvqHp0.net
>>140
関西地方は後漢の頃から実効支配にそれ程興味なかったからな。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 02:05:54.34 ID:ueOJyXr90.net
>>136人口で圧倒してても魏は遠征に使える最大稼働兵力が二十数万ぐらいだからな
蜀も呉も無理をすれば守備に十万の兵力を持ってくる事が可能だと思う
それぐらいの兵力差なら地形の利がある分、守備側の方が有利

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 02:16:22.91 ID:QwSwvqHp0.net
司馬昭時代の蜀討伐も十数万の兵力動員かけて剣閣で足止め食ってからな。
ケ艾の別働隊が成都急襲に成功→防衛に出動した諸葛瞻がケ艾の挑発に引っかかって自滅し周辺住民が離散って幸運がなければ補給切れで総撤退だったろう。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 16:26:50.19 ID:WngMSEAl0.net
>>144
総撤退でも蜀には漢中取り戻す余力無いしな
翌年以降に多方面から再び攻められたら蜀滅亡も時間の問題
しかし蜀滅亡後に鍾会の乱や呉軍の永安攻撃も有ったのに
それでも思った程の影響なく魏の旧蜀支配が揺るがなかったのは
魏をあれだけ敵視して建国した劉備や諸葛亮らは草葉の陰で泣いてるだろう

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 19:53:00.97 ID:b1abz0q00.net
ましてや五胡十六国になると成漢とか建国されるからな

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 21:43:33.93 ID:gpKlFRG2O.net
>>145
幾ら諸葛亮が清廉潔白・質素倹約の賢人であったから、蜀科を課され度々の出征にも関わらず諸葛亮生前には文句言わなかった蜀人とはいえ
それからの蜀政界のグダグダに加え、理由があったにせよ姜維による再々の北伐はサッパリ蜀の庶民には何の旨味も無くキツいだけだったから
蜀末期の国民意識はそれなりに国家としての蜀から離れてたんだろな。
イデオロギー国家とはいえ、そのテンションを保ち続ける難しさは過去も現代も変わらないって事なのかも。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 21:43:54.93 ID:gpKlFRG2O.net
>>145
幾ら諸葛亮が清廉潔白・質素倹約の賢人であったから、蜀科を課され度々の出征にも関わらず諸葛亮生前には文句言わなかった蜀人とはいえ
それからの蜀政界のグダグダに加え、理由があったにせよ姜維による再々の北伐はサッパリ蜀の庶民には何の旨味も無くキツいだけだったから
蜀末期の国民意識はそれなりに国家としての蜀から離れてたんだろな。
イデオロギー国家とはいえ、そのテンションを保ち続ける難しさは過去も現代も変わらないって事なのかも。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/02(水) 21:46:04.57 ID:gpKlFRG2O.net
スマン、ミスった。失礼しやした

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/05(土) 02:07:47.33 ID:tkX97C7f0.net
>>149
ドンマイ
良い事は2回言っても気にならない

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/05(土) 07:09:59.98 ID:4qv6AVy00.net
西晋になってからの蜀人の従順さを見てると蜀人的には地元さえよければ無問題やったのかも。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/05(土) 08:37:59.53 ID:T0D0DXPs0.net
むしろ孔明の度重なる北伐で疲弊していたしなあ

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 01:54:27.15 ID:UeA6uLJP0.net
諸葛亮の北伐で疲弊したが
ショウエンが国を休ませたおかげで国力が回復したって感じだろうな
ショウエンがいなかったら蜀はもっと早く滅んでたかも

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 03:24:26.80 ID:xl76KH5v0.net
魏征服〜八王の乱の約40年より季漢時代の約40年の方が益州エリアで反乱発生してた件について

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 15:10:47.33 ID:4dnZJQucO.net
>>154
まぁ実際そうだよね、税の大半は軍事費に消え、消えた割には領土も増えず人も増えない。
後期になると庶民がやってらんないんで蜀から逃げたら、蜀は北伐と称して人狩りに出兵という形で兵を募るって自転車操業だもの。
これで反乱起こさず黙って従えじゃ堪らない。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 22:43:26.12 ID:mUrcoal10.net
西晋の時代も王濬が艦隊製造のために木材片っ端から切り倒してるけど蜀人は従順だったからな。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 23:22:21.63 ID:iTwH1mCV0.net
苻堅に併合された後の蜀も何度か反乱は起きたけど、東晋攻めるための造船作業には黙々と従ったから
そういう民族性なんだろうか

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/07(月) 23:46:40.60 ID:YIChUZ2N0.net
>>156
そのあたりの話になると何攀を抜きに語れない気もする

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/08(火) 02:49:54.25 ID:0YL4xUP10.net
蜀漢時代も反乱起きてたのはほとんど異民族がいるとこばっかりだったからなぁ
元々従順な住民なのかしら

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 01:52:07.80 ID:VDoyBjRJ0.net
関羽ってよく于禁に勝つことができたね

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/11(金) 20:21:08.83 ID:uxZIgO+C0.net
>>160
いくら漢水の氾濫が原因だったとはいえ
船用意してない時点で負けるべくして負けた于禁の無能さが際立つ
しかし于禁が3マソの大軍ごと降伏したおかげで関羽が呉へ兵糧強盗に走り
それが原因で関羽が滅んだのも確かなので于禁の活躍ともいえる

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/12(土) 19:32:44.06 ID:rZRDzm7M0.net
蜀の高官なんて老人ばっかなんだから魏を潰してれば良かったのに魏と組んじゃうんだもんなー

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/12(土) 22:53:25.42 ID:aN4sXivD0.net
劉備がナポレオンだとすると関羽はネイ将軍

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/13(日) 18:36:16.35 ID:Scl8pBjS0.net
>>163
ネイとミュラ足して割ったぐらいじゃね?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 16:01:58.88 ID:9cZZ5lsbO.net
>>163
ナポレオンのあとに3世が付くんだろ?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 18:40:18.32 ID:ZY/hzM+o0.net
ナポレオンズかもしれない

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/17(木) 20:10:03.84 ID:RG10rjK90.net
野心家的で本家軽視な性格としてはナポレオン4世辺りか

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/19(土) 00:36:50.99 ID:NxKm8rqN0.net
劉備とかいう寄生先を尽く駄目にする疫病神

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 16:58:14.10 ID:OfNY91L+0.net
定軍山の戦いで曹操が敗北して漢中を失ったことが大きい

あの戦いで敗北していなかったら、曹操(か曹丕)の天下統一は実現できたと思う

鶏肋なんてなぞなぞの布告出してないで、
長安へ撤退した後も漢中奪還に本気で動くべきだった

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 22:55:40.73 ID:i1cbYUlB0.net
>>169関羽の侵攻にかかりきりになって
再度の漢中侵攻は無理だろ
関羽の侵攻を止めた後、曹操も死ぬし

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/23(水) 22:57:07.61 ID:i1cbYUlB0.net
曹丕は夷陵の後、呉に侵攻するのではなく
蜀に侵攻すべきだったと思うわ

あの時の蜀はボロボロで、魏軍を止める力も無かっただろ

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 06:12:15.31 ID:rRRbDZiL0.net
>>171
その辺りが曹丕の軍事的才能の限界

しかし劉備も曹丕もお互い相手を侮っているところが面白い

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 17:54:37.64 ID:ThrDcTyj0.net
関羽戦死の直後は呉と蜀は険悪で連盟を結べる状況じゃなかった
つまり、その時点の魏は後の三国時代と比べれば、かなり外交上優位になっていたんだよ

曹丕は帝位を禅譲させるよりも先に、
曹仁を大都督、徐晃、張遼を副都督として30万の大軍を与えて蜀へ攻め込ませればよかった
蜀は呉にも対抗しなければならないので、兵力が分散される
また呉が蜀の救援のために魏領へ攻め入る可能性は最小で、
魏は対蜀戦に集中できる

蜀は漢中を失うだろう。
漢中さえ魏の手中に入れば、蜀は長く持ちこたえられない

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/24(木) 20:48:05.00 ID:BpE+ucyE0.net
正史に描かれてるよりも関西の実効支配が上手く行ってなかったのかね。
第一次北伐でもアッサリ降伏してるし

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 01:49:23.05 ID:po6KMTBX0.net
魏が漢中を取り戻したら蜀に通じる桟道を焼き払えば防衛も楽だったよな

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/25(金) 11:19:40.62 ID:po6KMTBX0.net
>>1
諸葛亮と周瑜が蜀と呉にいたから

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/09(土) 19:23:39.97 ID:vZZKIG5Y0.net
>>175
漢中-蜀の間の大巴山脈よりも
漢中-魏の間の秦嶺山脈の方が険しいので
魏側からも陸路で補給はキツイから案外防衛楽ではない
まあ襄陽から漢水遡って補給できるから蜀よりはいいけど

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/10(日) 20:41:18.84 ID:P05VRTbI0.net
自然国境だと漢中は蜀なのか

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 01:08:05.92 ID:Y723FLnF0.net
関羽軍対張遼軍とかもしあったら関羽軍完敗してもおかしくないな

と考えると蜀の将軍で魏の大将軍対峙できる能力があるのは諸葛亮とか法正とか限られるな
五虎大将軍では無理

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 04:04:09.70 ID:t0LnWrXK0.net
>>179普通に張飛が張コウに勝ってないか?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 05:48:42.83 ID:Fd6W3ExtO.net
臥龍がいるなら鳳雛も

張遼は最高の活躍したが対呉であって蜀とはやりにくいんじゃないかな

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/11(月) 23:03:38.05 ID:aRcLQoKQ0.net
美髯公は楽進にフルボッコにされてるし、新兵を率いた徐晃に競り負けてたりするしね
一方で、運が味方したとは言え、魏の前線将軍筆頭の于禁には勝ってたりするし
強さ議論するとしてもゲームみたいには単純にはいかんね

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/12(火) 00:40:58.13 ID:Y23/UcU60.net
白起とか楽毅とか項羽とか韓信のような圧倒的な軍才をもつ将軍が存在がいない
って上の4人ともに終わりはあまりよくないな

やはり曹操、諸葛亮あたりが三国志の中では逸材なのかな

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 18:07:46.78 ID:TVc+LqSm0.net
諸葛亮は電撃戦が出来なかったから
正直、他と一枚落ちるだろ

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/13(水) 22:13:40.55 ID:5biy4M0x0.net
本来は政治家ですし…

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 11:47:39.17 ID:j0Mg0Vft0.net
田単も政治家だったけど事を成したぞ

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/14(木) 23:20:04.46 ID:jC8U9CVk0.net
田単は市場の役人です(半ギレ)

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/17(日) 14:25:45.80 ID:jg/NWeOE0.net
>>180
見方変えれば張コウの目的は蜀の人攫いで
巴東・巴西の2郡を降してその住民を漢中に移住させ
張飛の精鋭1万人余りが到着した時には50日余り対峙して住民移住の時間稼いで
撤退する時も山越みたいに軍容解散して蜘蛛の子散らすように供周り十数騎で南鄭に引き返して
追撃しにくくして被害を最小限に抑えているからな
戦略的には実質張コウの勝利だよ
負け戦ならそれまで夏侯淵の部将扱いで偏将軍だった張コウが
帰還後すぐに盪寇将軍に出世したのは不可解

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/18(月) 21:09:05.19 ID:hx9Wc9hF0.net
https://dazaifu-magokorodo.com/wp-content/uploads/2016/01/sangokushi19.gif

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/20(水) 02:02:25.25 ID:vUzquViV0.net
蜀を攻略後にケイ州との交通路を整備する案はなかったんだろうか

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/20(水) 12:19:18.57 ID:uwkkwBw30.net
>>190
規模を理解している?

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/23(土) 12:36:10.40 ID:yRMCZPFB0.net
>>191
規模が大きいのはわかるが通りにくいところだけでも山に穴を開けて道を作るとか
なんとか考えてほしかった

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/23(土) 18:45:02.63 ID:OAzX1b5e0.net
>>192
山に穴をって現代でも何年掛かるかってレベルなのに
万里の長城寄り最悪な土木工事を望むのか

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/01(日) 21:57:08.27 ID:Eiou158G0.net
末期の魏〜晋って降伏者には異常に寛容だったのはどういう理由なんだろうな

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/01(日) 22:31:02.26 ID:zPYRmsc60.net
>>190
整備しなくても長江中下流域から四川盆地まで普通に長江航行可能だろ
途中難所の三峡あるけどあえて陸路整備する必要ないぐらいの航路
だから夷陵の戦いでも黄権が水軍率いて長江下ったり
征呉戦でも王濬が船団率いて長江下って快進撃しているな

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/02(月) 16:05:11.75 ID:zAQpDC390.net
>>195
下るのは楽だが上るのは辛いんだぞ
一方通行だけなら交通路として劣っているだろ

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/02(月) 17:24:55.34 ID:iz2vhS4u0.net
>>196
東晋(劉裕含む)は二度も荊州から蜀落としてるけどな
呉は正直ショボい

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/02(月) 22:46:04.67 ID:a0vfkSzb0.net
呉は蜀漢滅亡の時に少しでも領地ぶん取れなかったってのは痛かったんかな

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/03(火) 18:49:07.34 ID:tB8/2CZu0.net
羅憲が悪いよ羅憲が

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/03(火) 20:25:34.00 ID:7KDLVeqW0.net
>>199
羅憲が空気読まずに同盟国より宿敵に阿って妨害されたのもそうだが
それ以前から霍弋に交州掻き乱されてたから体力無くて無理ゲー感がある
孫策周瑜呂蒙以後の呉に同等以上の侵攻の軍才ある指揮官が居ない以上
呉が蜀を攻略するのはミッションインポッシブル
あの時代に桓温や劉裕が居たらどうなっていたかは気になる

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/04(水) 03:31:26.85 ID:XmFu3Njy0.net
羅憲も霍弋も対魏の戦いで活躍を見たかった気がする
諸葛瞻では無くこの二人ならケ艾の侵攻を防ぐ事ができたかも

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/04(水) 19:11:13.99 ID:QYYCKIze0.net
まず関羽殺した呉が空気読めとか言ってもね。孫権晩年以降の混乱で国力落ちまくってるし

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/06(金) 19:14:10.96 ID:kGsnsegH0.net
>>202
そうやっていつまでも呉を半万年恨んでればいいよ
結局関羽は自業自得で蜀は韓国と同じお前が言うな状態なので
たまにそういう呉への恨み節が出てくると滑稽
そろそろ正しい歴史認識を学んだ方がいいよw

皇室は呉と魏とは血縁関係で蜀と魏とはも血縁関係なのに
呉と蜀とは婚姻破綻したまま血縁関係になっていないから
同盟関係でも互いに魏との繋がりよりは希薄な関係
なので赤壁で共闘してもずっと握った反対の手で視界の外で殴り合ってる関係
だから今の希望の党民進党立憲民主党日本維新の会自由党社民党共産党他並みに混乱した野党状態

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/06(金) 19:23:28.10 ID:mLwW6PtH0.net
羅憲に空気読まず守ったって流れからだし
そんなのお互い様だろってだけの話なんじゃ・・・・・
個人的には荊州問題は荊州守りきる力がなかった蜀が悪いし
蜀滅亡時に呉が阻まれた件は攻めとる力がなかった呉が悪いと思う

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/06(金) 19:33:01.82 ID:qepnJS100.net
>>204
蜀末の呉の鈍さは致命的だよなあ

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/06(金) 22:32:20.13 ID:Rf09f1Qd0.net
どっちも雑魚だから負けただけだわな

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/07(土) 00:52:31.88 ID:YAlssM3x0.net
無理に中韓や現代日本の政治の話をねじ込んでくる輩は度し難い

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/07(土) 00:56:58.80 ID:DSwBMOsm0.net
>>203
鮮人はすぐファビョるなあ

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/07(土) 09:22:58.33 ID:LtBmFFi+0.net
蜀視点でしかものを見れなきゃ空気読めなんて意見は出てこない様にも

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/07(土) 12:58:17.98 ID:kaL5+iib0.net
一番空気が読めないのは曹操が死んだ時に
長安を攻めなかった劉備なんだよな

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/07(土) 13:21:38.00 ID:ep2iDVXp0.net
空気云々って最近の話題なら羅憲がどうのって呉視点で物言ってんのが発端だろ
羅憲もあの状況でよく守るつもりになったなって感じだけど

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/10(火) 06:40:57.39 ID:gkUsPSKs0.net
まーた蜀中毒かよ(*^^*)

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/10(火) 08:34:54.25 ID:08rOQxFoO.net
蜀が滅んでショック

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 12:31:23.79 ID:QO5lsrDO0.net
>>210
長安攻めても敗北するのが目に見えているので無理ゲー
曹操死直後は何故か218年辺りよりも国内固まってて反乱ほぼ無いから漢中戦よりも魏軍が浮ついてない
むしろ関羽死んで荊州失って孟達劉封粛清とか国内ガタガタな蜀軍

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 15:38:18.48 ID:J5FyX9Bd0.net
そんなこと無いっ、て蜀中毒がファビョりだす予感w

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 16:44:58.70 ID:8oQlk6lD0.net
結局曹丕曹叡が早死にしたのが敗因だな。曹叡はもう少し生きてたら煬帝コースだったかもしれんけど

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 19:12:45.18 ID:wHgBgKb60.net
曹叡の没年が司馬懿よりも後か、もう少し近くだったら大分変わっただろうな

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 20:26:46.07 ID:y+Cuff7A0.net
長安さえ落とせればあとは函谷関をがっちり抑えればまず魏に浸入はされなかったはず
長安を拠点に魏を攻略することができただろう

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 20:37:28.45 ID:obS18Yt/0.net
馬超「せやな」

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/12(木) 23:18:23.17 ID:qSDQR4Ey0.net
曹丕は軍人としては大したこと事無いからあのまま長生きしてたら
軍事的失敗を重ねて国を傾けたりって事もありそう

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/13(金) 00:30:27.46 ID:s+RRlHIf0.net
魏も長江を越えれないが呉も無理だろ。国が傾くほど大敗するとは思えん。呉蜀は連携しないし

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/13(金) 19:27:12.59 ID:xnfx8MhC0.net
長江と淮水に囲まれた合肥
魏呉いずれも河を越えて攻撃してない?
http://www.chinabaike.com/article/UploadPic/2007-7/200772017152749.jpg

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/14(土) 08:26:48.83 ID:vJHcMCIV0.net
ま蜀中毒の馬鹿はスルーだな

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/20(金) 21:34:20.62 ID:F2POKuiX0.net
>>220
曹丕が無能でも曹操時代の良将の多くが健在なので
国が傾くぐらいの軍事的失敗重ねる事は考え難い
曹丕は他国(主に呉)にちょっかいかけて痛い目に遭ってるだけで
黙ってる分には特に軍事的不可の無い初代皇帝

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/20(金) 21:40:57.48 ID:HJLNhI6S0.net
国が傾くくらいの軍事的失敗なんて前秦宣昭帝か宋文帝ぐら

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/24(火) 16:50:35.90 ID:C7FubMxD0.net
曹丕が長生きしてたら司馬一族に魏を乗っ取られなかったと思うが

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/24(火) 18:15:17.83 ID:l4M4/kew0.net
>>226
あれだけ戦争負けまくってたら魏が持たんわ

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/25(水) 11:55:24.60 ID:9ObTZ2ea0.net
魏は劉禅や孫酷が皇帝でも蜀や呉に滅ぼされたりはせん。孫酷が皇帝だったら粛清を恐れた
部下に謀反されて国の名前は変わるだろうが、蜀や呉の侵攻によって滅ぶのはない。どっちも深く侵攻はできない

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/25(水) 15:45:15.92 ID:VPUT1utC0.net
東晋も桓温が洛陽奪取した時に「本拠地移しましょうよ」って上表してもスルーしてたしな。本拠地移して攻勢限界点を広げないと領土を広げられないんだけど権力構造も変化しちゃいから。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/26(木) 22:33:48.62 ID:6aASRmUX0.net
曹叡はやばすぎた

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/26(木) 23:48:20.47 ID:8v9k8uq80.net
>>230
早死にしたしな

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/27(金) 08:01:28.79 ID:jcbvEzLd0.net
おまけに後継者がどこの馬の骨ともつかんガキだしね。
あれで事実上曹魏って終了した気が

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/27(金) 12:01:36.47 ID:aE/IBY8h0.net
もともと終わってた定期

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/29(日) 16:57:31.51 ID:A4jLE5+A0.net
>>232
曹叡の早死には仕方ないにしろ
後継者が成人した曹髦なら曹爽や司馬懿の専横が抑えられてまだ望みがあったな
まあ曹髦は親父が残念なのと曹髦自身が曹叡崩御時に世に存在してなかったので仕方ないが

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/01(水) 02:32:46.01 ID:UFiohpbn0.net
短命ぶりは王朗の苦言が的を射ていたんだなぁ

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/03(金) 10:25:55.73 ID:Pl14s/SX0.net
>>1
パワーポリテクすまんま、軍事と経済がわかれば理解できる

呉→むしろ雑魚だから無視された。三国志といいつつ実は二国史
最後まで無視されて短期決戦で抵抗なく服従する雑魚
完全な無視された弱小地方政権

蜀→事実上のライバル。1500万はいる魏人口にたいして領民100万、蛮族100万しかいなかったが、見事「ベトナム食料庫輸送帯」「中国南方穀倉帯」を抑えることで、小国でありながら十分なイニシアチブをもって魏に抵抗した

三国志で割りと描かれないけど、蜀はベトナム+南方穀倉帯を掌握して、魏相手に莫大な輸出黒字を出したから軍備増強できた。
また史実の孔明はベターな防戦主義派だったけど、これの理由は「穀倉帯を抑えたから、長期戦では大丈夫、短期決戦はかえって不利でむやみな攻勢に訴えず国力を温存する」方針ありきだったからこその専守防衛に努めた

後世の歴史かはこの孔明の大局的目論見を理解しないバカが多い。そして孔明無視の攻勢主張者の作戦は全部失敗したんだよな

戦国的な政治感覚で孔明のドクトリン、作戦が正しいからこそ、孔明死後何十年も国が持った。
天下さん分の計は
「呉は小国だから無視され、蜀は穀倉帯を抑えるから成立する」ってことだったんだ
そして長期展望的には、中原を放棄してベトナムに手を伸ばせれば、人工的にも対抗できた。
また穀倉を抑える戦略はさん分の計だから成立した

天下がさん分だからこそ、流通、商業の自由が聞いて、蜀は工業力が脆弱でも、穀倉輸出黒字を出せた

魏は人口大国ではあったが、天下さん分でベトナム植民を失って、対蜀、対呉赤字を増やしたから、少数人口の呉、蜀に抵抗された

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/03(金) 17:54:09.10 ID:ssWL1ojQ0.net
>>236
妄想乙

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/03(金) 19:04:13.07 ID:d/90iICP0.net
>>223
夏候惇の前では蜀武将なんてただのカス〜

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/03(金) 20:29:35.30 ID:PmCyEJG00.net
>>236
蜀中毒のキチガイ発見

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/04(土) 18:08:48.43 ID:vXnpa/y00.net
>>236
ベトナム(交州)は士一族の頃から呉の支配下
勿論吸い上げられたベトナム経由の南蛮貿易の多くは呉のもの
なのでベトナム経由の珍品珍味の多くを呉が外交の贈り物として利用した記録が残っている

蜀は霍弋の頃に呉支配の交州に裏からちょっかいかけて
一時期交州を呉支配下からカオス状態に突き落とす事に成功しているが
そんな余計な事しているうちに蜀自身が魏の侵攻を受けて滅んでしまった
そんな蜀が呉を火事場泥棒呼ばわりするのは甚だ滑稽

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/04(土) 22:02:54.15 ID:5RvhYelj0.net
蜀は夷陵で惨敗したしな

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/04(土) 23:55:56.87 ID:/SAdYb+d0.net
呉は防衛では配下ががんばって撃退する。攻勢も任せれば良かったのに

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/05(日) 00:35:40.85 ID:FC4pRJ5U0.net
>>240霍弋が交州に侵攻したのって蜀が滅んだ後じゃない?

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/05(日) 09:29:22.69 ID:zfw2g4/a0.net
交州が反乱でカオスになったのは魏の蜀侵攻の前
霍弋が正式に交州の反乱支援したのは魏の南中都督になってから

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/05(日) 12:08:09.61 ID:Aijf6v170.net
やはり、蜀中毒は呉ファンまで敵にするサイコパス

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/05(日) 16:16:08.44 ID:0XciBkNh0.net
曹操にしろ司馬懿にしろ、妙に優しくて野心が少なすぎる。
後代の一族皆殺し風景を見る限り三国志時代は牧歌的とすら思う。
二人とも、あれよあれよ、権力を得過ぎたので国を乗っ取る流れ
しかも形式的には自分の代では取りたくない的な忠臣ロマンチスト。

隴を得て蜀を望まずとか。野生が足りない

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/06(月) 20:14:04.42 ID:JTHNvzZl0.net
>>245
お前、煽ってばっかだよな

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/06(月) 22:24:25.83 ID:Q324Q5XH0.net
>>246
その二人は石勒には評価されてないのよな
http://www.geocities.jp/kaysak864/m-sekiroku.htm

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/07(火) 06:30:15.20 ID:qlQbdKZY0.net
>>247
煽ってねーよ

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/14(火) 18:58:22.15 ID:Cgf5hYCv0.net
>>248
曹操や司馬懿は劉邦や劉秀と違って皇帝になっていないので
石勒が曹操や司馬懿を劉邦や劉秀と比べるのは場違いな気が

石勒の王莽評は聞いてみたいところ

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/15(水) 17:10:49.70 ID:TxIT3nCP0.net
>>249

煽り

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/25(土) 20:10:30.99 ID:/Jsgjucu0.net
>>242
呉は配下に攻勢任せても失敗の確率高い国
特に孫権死後は散々たる結果が多い
でもたまに孫慎みたいなゲリラ作戦はミッションコンプリートしたりする

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 12:36:09.04 ID:nHPblecT0.net
>>252
蜀は諸葛亮が死んでから引きこもるから
魏のあの国力差で攻められたら
キツイだろ

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 14:08:14.28 ID:VAV528ap0.net
>>253
蜀は諸葛亮死後の蜀末期の方が連年外征してたりする
(とはいえ蒋エン費イ死後の姜維の時代だが)
しかし諸葛亮時代の挙国一致体制ではないのでほぼ失敗
いくら良将でも時と体制に恵まれないと勝てるチャンスはないよ

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 14:16:36.65 ID:W5oiBjJZ0.net
単純な戦果だけで言うなら姜維の洮西の役での勝利の方が派手なんだよなぁ(魏兵に万単位の死者がでて曹髦が二度も戦死者に弔意を表すほど)
その後の段谷の敗戦(蜀軍のエリート兵を多数失う大敗)で差し引きマイナスだけど。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 14:28:08.87 ID:nHPblecT0.net
>>254
諸葛亮が死んで費イが死ぬまで20年近くあるんだぞ
出師の表の内容も結局は嘘と証明してるような物だし

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 14:38:54.50 ID:QRIdN6Cf0.net
さすがの孔明も20年先まではわからないよな

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/26(日) 15:06:03.53 ID:nHPblecT0.net
>>257
20年先の話では無くて
蜀の国是である魏王朝は簒奪者ゆえ
打倒しなければならないということが
無かったことになっていることなの

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 02:00:50.59 ID:O2kP56sG0.net
一旦国力を蓄えて力を高めてから満を持して北伐に向かう

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 04:18:54.60 ID:rsYK0O1i0.net
諸葛亮の北伐により国は疲弊し
国土を休ませないといけなかったからな
諸葛亮の後の蒋エンの統治が無ければ蜀はもっと早く滅んでいたかもしれない

国力を蓄えた後、蒋エンは魏に侵攻しようとしたが
周りの反対と病気により中止になってしまった

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 04:23:06.13 ID:rsYK0O1i0.net
>>253一度、魏に侵攻を受けたが
王平と費イの活躍により魏軍を撃退する事ができたぞ

まあ、その時の魏の大将は曹爽という迷将だったけど

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 10:09:55.54 ID:0Ekiyqu50.net
>>258
蜀漢のその魏王朝は簒奪者ゆえ打倒しなければという大義名分は
劉備や諸葛亮のものであって他の蜀民や簒奪された筈の中原の旧漢民にはどうでもいい事だっただけの話
だから漢から魏に禅譲された後は漢末期よりも反乱少なく旧漢民は概ね魏の簒奪(禅譲)に賛成だったと思われるが
何故か後世の三国演義被れは当時の人々の心情無視して勝手に魏を悪の帝国と信じ込んでるからややこしくなる

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 10:22:24.56 ID:8p9+9Guh0.net
蜀人は基本的に大人しくて基本的に統治さえちゃんとやってくれたら胡人の政権でも文句言わんからね。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 11:10:05.83 ID:MyBISOdK0.net
なんかで読んだけど
中華で一番激しい気性なのは楚地域だってな
三国志で言う荊州あたり

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 11:25:44.75 ID:ZysinkWn0.net
四川省では大規模な反日デモが何度か起こってたはず

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 11:39:23.00 ID:YffDc2GA0.net
>>264
伍子胥、屈原、項羽を輩出した土地やからね

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 12:01:00.11 ID:1Ba7cIxE0.net
>>266
項羽って陳とか寿春、彭城あたりの出身なんじゃないのか?

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/27(月) 19:40:40.30 ID:OJ879XL20.net
>>267
項羽は知らんが
祖父の項燕は下相(江蘇省宿遷市)の人なので
淮河下流域の洪沢湖の傍出身でFA

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/28(火) 17:55:29.26 ID:2Y0Xm//90.net
益州は罪人の流刑地だったから
何かしら有るんだろうね

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/09(土) 10:10:26.91 ID:hbilBuXt0.net
>>269
オーストコリアみたいなイメージか

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/25(月) 19:20:07.60 ID:giOEYqSM0.net
>>259
その間に魏の国力は数倍の勢いで「蓄え」られているだろうね・・・
人口と生産力が違いすぎる

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/25(月) 19:45:02.27 ID:7nOVJhcR0.net
移民(人攫い)の成果

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/26(火) 22:10:20.34 ID:mWtEORN40.net
>>265
なんだお前倭猿か
反日デモなんてどこでも起こってるんだが倭猿ヒトモドキw
倭ゴキ産の雑魚英雄で我慢しとけよお前ら負け組み倭猿はw

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/26(火) 22:11:29.89 ID:mWtEORN40.net
>>270
なんだお前鯨喰い倭猿か
だから土人として嫌われるんだよ倭猿ヒトモドキw
倭ゴキ産の雑魚英雄で我慢しとけよお前ら負け組み倭猿はw

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/27(水) 22:58:50.28 ID:U1ENYrRR0.net
蛮族だった倭国日本を金印の古代国家として認めた漢魏は見る目ありすぎ

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/28(木) 03:04:55.49 ID:8/wJ7D9D0.net
>>1
蜀については諸葛亮の国づくりのお陰で小国の割には国力があったため
人口の1/10が兵士でいることができたのも元々の生産力が豊富だったのもあるが諸葛亮の産業振興策が更に国富をもたらしたから
ついでに言えば諸葛亮の将器が優れていたから攻略できなかった
諸葛亮が自分が死んだ後の蜀についても後継者を決めて国内の動揺を防ぎ依然国力を蓄えていたのが大きい

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/30(土) 09:23:59.69 ID:mgAiwFoj0.net
曹叡は端から戦争する気がなかった
ただただ、平穏に暮らしたかっただけだ
諸葛亮やそれに加え呉が攻めてきたから応戦しただけ

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/30(土) 10:56:10.85 ID:MsAJK6p30.net
公孫淵「せやな」

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/04(木) 13:18:21.35 ID:NYmZD6Gp0.net
魏は北方遊牧民と境を接しているから南にはそんなに軍を派遣できないでしょ

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/04(木) 13:56:32.22 ID:s/1WPe550.net
晋は禿髪樹機能の乱を平定するのと並行して伐呉成功させてるけどな

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/04(木) 23:47:43.07 ID:Udfp3WRX0.net
魏は、諸葛亮亡き後、蜀は自壊するよ派と、積極的に潰すべきだよ派に分かれて論争してた。
両派閥とも、蜀を取ったら、呉は滅ぶと考えていた。実際滅んだ。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 00:22:20.94 ID:WiWTS1hOO.net
呉の無能感
頑張れよ

魏を倒そうとしないんだもの三国をとりなしつつ平和を作ろうとした国

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 00:22:28.73 ID:NnvJriVn0.net
>>281
呉が滅ぶ前に魏が無くなってませんかねえ…

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 00:23:51.89 ID:NnvJriVn0.net
そう考えると巴蜀獲られてそこから逆転勝利した東晋ってどれだけ有能だったんだか

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 00:35:56.04 ID:eqJnvhq90.net
東晋は桓温がクソ有能だったのと成漢の統治が蜀漢以上に乱れてたってのが理由かな

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 01:21:12.97 ID:NnvJriVn0.net
桓温が三國志の時代にいたら普通に天下統一してそう(王猛はタイムスリップしなくていい)

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 08:18:43.73 ID:uQRhfEz/0.net
>>280
当時の孫呉って末期陳と並んでイージーな相手やったからなぁ。王猛抜きの苻堅でも圧勝出来るレベル

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 15:04:34.49 ID:PSW1y7o60.net
>>282
諸葛亮が死んでからの蜀の無能感も凄いけどな
費イが死ぬまでの20年間に一度攻められた位で
引きこもりだから

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 15:19:45.78 ID:bi/NclpN0.net
そもそも諸葛亮時代が相当無理してた事について(実際住民逃亡や反乱起きてる)

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 15:44:41.78 ID:PSW1y7o60.net
>>289
尚更、無能やん

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 16:42:29.70 ID:LTiVOpBE0.net
李世民
「二代目がダメな王朝は長続きしないな」

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 18:36:40.24 ID:NnvJriVn0.net
呉も孫権死んだ後は北伐低調だよな
せいぜい諸葛恪が派手に暴れた程度

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 21:00:36.61 ID:SqKZ+jb60.net
蜀が引きこもるから大国魏に
ほぼ単独で立ち向かってる訳だからなあ

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 21:29:01.89 ID:xn1L6adU0.net
>>288そんな引きこもり無能な蜀を攻めて敗北する魏もかなりの無能だな

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 21:47:39.53 ID:ID9e1GAX0.net
総合すると三国全て無能ということか

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 21:48:30.23 ID:SqKZ+jb60.net
>>294
そりゃ北からの防衛は要害の地で有利だからね
しかし、それでも結局は亡びてるからなあ
益州が北から攻められて落ちるなんて
歴史からでも珍しい事をだからね

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 22:15:01.92 ID:56Jn7XcA0.net
>>292
諸葛恪が北伐無理押ししたのも人口流出が申告だったからやしな

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 22:45:51.16 ID:tAuWJRYz0.net
>>296
北周ぐらいやからな成功したの

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/05(金) 23:23:13.20 ID:ID9e1GAX0.net
益州(蜀)が、北から攻められて落ちた例
・古蜀by戦国秦
・蜀漢by魏
・東晋by前秦
・梁by北周
・前蜀by後唐
・後蜀by後周

結構北から落とされてね?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/06(土) 00:14:19.93 ID:lKUCXbLy0.net
>>295実際無能だから三国統一できなかったわけで
統一した晋もすぐに無能になるけど

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/06(土) 00:24:51.69 ID:Iv8SAMUS0.net
>>299
古蜀は攻められる前から漢中は秦が占領してんじゃん

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/06(土) 09:34:36.33 ID:fk5S7NQq0.net
魏晋南北朝六朝攻略の歴史
曹魏→ことごとく失敗
西晋→やったぜ
後趙→小競り合いだけ
前秦→襄陽と寿春までは奪取、その後やらかす
北魏→宋斉と派手に戦争してるけど一進一退してるうちに東西分裂して滅亡
北周→江陵陥落させる
北斉→淮南を陳に獲られたンゴ…
隋→やったぜ

曹魏はどちらかというとショボい方

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/07(日) 01:55:35.77 ID:3sDYIp2r0.net
>>302蜀攻略成功したけど曹魏というよりほとんど晋みたいなもんだったしなぁ

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/07(日) 07:31:14.47 ID:+rb7giw90.net
>>303
司馬昭プロデュースやから劉裕の北伐とかと扱いは一緒や

司馬懿の公孫淵討伐はギリギリ魏の功績やと思うけど

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/08(月) 20:33:16.31 ID:gLH7L8jT0.net
そうすると北伐も諸葛亮プロデュースだな
諸葛亮が生きているうちに蜀が天下統一したら
劉禅は殺されているだろうし

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/11(木) 10:57:36.69 ID:huWqS6NF0.net
>>305
それほど単純であれば、劉備に付き従ってないわ

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/16(火) 09:03:21.03 ID:JlCNUl090.net
>>306
何が単純じゃないのかな?
諸葛亮は劉禅から人事権を奪ってるけど

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/16(火) 21:55:59.59 ID:ck8wXtNg0.net
>>307
出世権力を求める奴なら、そもそも劉備に仕官してない。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/17(水) 05:20:30.49 ID:i11G3Jrh0.net
諸葛亮が蜀を乗っ取る気でいたのなら
自分の死後、諸葛亮個人だけでなくもっと諸葛氏の権力を広げていただろ

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/17(水) 08:23:28.53 ID:nUbLNJPr0.net
>>308
司馬懿も最初は仕官を断っていたんだが

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/17(水) 08:29:15.41 ID:nUbLNJPr0.net
>>309
何を言っているんだ?
諸葛亮はなかなか子供が出来なくて謹から養子を貰ってるぐらいなんだぞ

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/17(水) 17:38:40.36 ID:INlWSCU00.net
正直、大臣が君主以上の業績・名声を獲得してしまった場合
君主や大臣の性格・人格に関係なく、政争が勃発せざるを得ないような
史実の諸葛亮は北伐の道半ばで倒れたから、劉禅一族との緊張関係は発生しなかった(orうまく回避できた)けどね

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/18(木) 00:17:13.17 ID:JWtrG70X0.net
出師の表で口うるさく阿斗ちゃんの生活態度を注意してるから阿斗ちゃんが「ウゼェ死ね」って思って粛清した可能性もあったんだよね

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/18(木) 21:35:55.00 ID:p8P/Rpos0.net
まるで脅迫文だからな
俺様の諸葛亮が気に入らなければいつでも弟や息子に変えるぞって

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/19(金) 02:17:22.03 ID:r+5RZBOK0.net
>>314
宇文邕@北周「(お前の代わりはいくらでもいるんだと言っては)いかんのか?」

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/19(金) 20:36:52.27 ID:xr6q1jMK0.net
諸葛亮の理想は世襲では無く才能を持つものが代わる代わる宰相となり
君主代行として国を統治するシステムだったんだろうな
実際、費イが死ぬまではそのシステムを維持できてた

それは当時の士大夫の理想の政治体制であるように思う

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/19(金) 21:19:24.26 ID:laZLVXLu0.net
王莽以来、漢でよくある組織形態ですな
まあ、諸葛亮以降の蜀って皇帝と幕府が並立するのがほぼ常態化してて
二重権力ってレベルじゃねーぞ(白目)って状況だけど

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/20(土) 11:20:02.63 ID:2ZPDR4el0.net
諸葛亮が元気だった時点でどれくらい阿斗ちゃんに人事権や賞罰の権限があったのかは正直、資料が少なすぎてわからんわ。

劉エン棄市事件見る限り使えない古株を処分するぐらいの権限はあった臭いけど。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/20(土) 19:01:57.43 ID:peSeljPw0.net
>>310
劉備なら仕官対象にもなってねーよ。あと曹家死んでねーよ

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/15(木) 22:11:49.01 ID:ZPlyUxS60.net
>>302
北斉=なんJ民
というのは理解できた

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/25(日) 17:39:29.04 ID:Q5Xof2ft0.net
やっぱ内ゲバしてるとこは駄目だな

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/03(土) 01:02:14.00 ID:PSNURdbh0.net
ぶっちゃけ気候が温暖で安定していないような時期に統一王朝建国は無理

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/29(木) 19:37:00.40 ID:Qg726A8z0.net
結局、魏(晋)は蜀も呉も衰退してからじゃないと滅亡させる事ができなかったあたり
国力だけではいかんともしがたいものがあったんだろうな
天険の要害と長江は偉大

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/30(金) 12:13:56.57 ID:eRIJMPy00.net
北魏とかも太武帝の時代に南朝征服寸前まで行ってるな

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/30(金) 13:22:31.89 ID:9kKyEOgt0.net
>>324
領土は取れてない上に関中では膠着状態だったけどな
ただ単に瓜歩山まで突っ切っただけ
陳慶之の北伐みたいなもので、派手で相手をぐちゃぐちゃにしたけど持続性はなかった

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 01:19:46.86 ID:9hVuSczS0.net
そもそも征服してうま味があるかという話もでてくる

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 01:32:27.47 ID:rAuPXQm80.net
苻堅「なんでや!百姓(人民)を救済するのは君主の努めやろ!」

道安「アカン」
苻融「アカン」
権翼「アカン」

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 06:12:00.69 ID:q1O1+5w30.net
山奥で面倒くせー割に攻めてもメリットも少ないみたいなのも多そう。

日本でいう戦国時代の飛騨みたいな。蜀とか呉の非海岸沿いなんかはそんなイメージ。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 06:15:14.01 ID:4csDDGRF0.net
>>328
銅とかの鉱山資源が江南は潤沢だったんじゃなかったっけ?

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 09:04:20.05 ID:0+ii+rPv0.net
呉蜀は貨幣もまずまずだったしな。
なお、末期はお察し

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 16:59:44.14 ID:uJeOq5GH0.net
>>329
中で暮らすには良さそうだけど外から攻めて征服するだけの価値があるのかっていう。持ってくのには山越えしなきゃならんわけで

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 19:19:31.24 ID:X9mWdT6L0.net
資源豊富で完全支配すればかなりの増収が見込めるといっても
天嶮越えの侵攻してなおかつ支配を安定させるとなるとねぇ

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 21:00:30.21 ID:HJaYpdBp0.net
織物とか鉱山資源とか塩とか南方との交易とか呉蜀は手放すには惜しすぎる地域やで
朔方や遼東に遠征して馬や騎兵を養うのとどっちが得かは分からんが

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/04(水) 03:07:17.56 ID:tUUrAJNQ0.net
兵士の装備は魏より蜀の方が良かったみたいな話を聞いた事があるな

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/04(水) 04:07:55.40 ID:38RsSOVE0.net
>>334
魏は鉱山がなかった上に領土と人口が多いから行き渡らなかったからね。

蜀軍の武器の質が高かったのはケ艾伝とかにも出てるし

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/04(水) 16:09:59.88 ID:hwcJw8KG0.net
森林資源もね
黄河が暴れ河になったのも近場の黄土高原を使いすぎてしまったせいだし
魏の時代はもう残りカスレベル

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/04(水) 16:15:46.15 ID:qgrzcmWj0.net
森林資源は王濬さんが呉を攻めるときに大艦隊建造できるくらいの量やしね

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/07(土) 13:40:52.52 ID:Wn1LtlqI0.net
>>334
兵士の装備良くても兵士の質と士気が低ければ意味がない
朝鮮戦争の時も初戦の頃は
装備は良くても兵士が雑魚な韓国軍が
装備は劣るが将軍様の兵隊北朝鮮軍にいいようにやられてた

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/07(土) 13:59:31.61 ID:6YEFm8sf0.net
>>338
緒戦の北朝鮮軍は戦車装備した上にソ連で縦深作戦仕込まれた二次大戦経験の猛者揃いだぞ

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/08(日) 01:18:21.62 ID:M7906G920.net
>>338姜維が段谷で大敗するまでは蜀が勝ったりすることもあったのだから
兵士の練度や士気も高かったんだろうな

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/08(日) 19:11:15.75 ID:6KcA4Jir0.net
正直なところ、復興を考えると、疲弊した呉とか蜀とか必要ないと思ってたんじゃね?
日本でいえば、関東だけの方が復興しやすいとか、そんな感じで。
復興があらかた完了したので、サクッと統一

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/08(日) 20:19:41.83 ID:KFBmtMAx0.net
漢王朝引き継いだ王朝が漢中や蜀の地を放棄するって説明つかなくないですかね?
チャイナプロパー復興のためだったら匈奴とか烏桓の統治なんてどうでもいいわけで

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/09(月) 02:59:00.03 ID:kOCePBzW0.net
曹操と曹丕は中華統一する事を狙っていただろうと思うが
曹叡は興味無かっただろうな

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/09(月) 07:17:48.63 ID:ZQ+oCeZd0.net
漢末の混乱で、人口激減(または戸籍が把握できない)したから
二正面作戦できなかったんじゃないの?

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/11(水) 22:39:52.56 ID:36LDP3bL0.net
漢王朝が終わコンなったから交代したわけで洛陽あれば蜀はあんま重要じゃなかったんやないの

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/11(水) 23:48:47.55 ID:MzNyFnuE0.net
>>345
洛陽も漢末にはあまり重要ではなく
許昌や鄴の方が首都の役割

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/12(木) 04:16:16.25 ID:jNOze+dp0.net
許は行政的なものであって国力にはあんまり

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/21(土) 16:42:11.45 ID:u4ClJGwf0.net
それよりも大梁(開封)がこの時代あまり重要な都市でないのが何とも
まだ運河開通してないから仕方ないが仮にも戦国魏の首都なのに

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/21(土) 20:50:25.12 ID:rctr9muQ0.net
陳留郡だからしょうがないね
縁起が悪かった

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/06(日) 11:32:17.40 ID:0d+VHUzs0.net
>>342
漢否定して生まれた政権だから
逆に漢中や蜀が無い方が説得力あるぞ

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/07(月) 22:10:38.31 ID:W1Cad+jD0.net
>>350漢を受け継いだ政権だから
全否定はしてないだろ

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/08(火) 12:12:35.40 ID:ZJ81Zylm0.net
>>351
禅譲しているので一見そう思ってしまうが
火徳を否定して土徳になってる時点で

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/08(火) 14:26:43.43 ID:gjLoMMrS0.net
http://news.cardmics.com/entry/detail-acommastercard/

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/08(火) 16:24:21.86 ID:TgS4namK0.net
三国志だったら今これめっちゃおすすめ!
https://goo.gl/xrPTmT

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/08(火) 17:37:51.35 ID:Y0lyH+Y50.net
【マイトLーヤの三原則】 『10倍格差』『3日勤労』 \(*⌒ ▽ ⌒*)/ 『GNH(=国民総幸福)』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525745321/l50

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/09(水) 15:08:27.34 ID:pA51T6bd0.net
>>342
光武帝が望蜀なんて言葉を使っているんだから
蜀なんてオマケ程度なんだろ

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 18:36:45.44 ID:LtH8pKCl0.net
>>343
曹叡は何度か親征してるし
中華統一全く興味ないという事はない

中華統一興味ないと思われるのは曹芳
酒と女ばかりだから愛想尽かされて廃帝になる訳で

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/27(日) 22:12:06.05 ID:ClVFcVgS0.net
酒と女ばかりというのも簒奪者が貼ったレッテルの可能性があるけどね。勝者が正義

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/28(月) 00:14:59.14 ID:zMazL4zn0.net
酒と女ばかりで韜晦してたのに周囲が勝手に司馬氏排斥しようとして廃帝にされたんじゃないのか

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/29(火) 23:28:47.89 ID:aYxH8Ctx0.net
>>357
そりゃ敵が攻めてきたからなw

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/31(木) 22:04:44.55 ID:cZ6mKy/c0.net
>>1
金属がなかった
武器はおろか貨幣すら機能しないぐらい
呉は蜀方面から水軍で攻められるようになったら簡単に落とせた
蜀の方が苦労したぐらい

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/31(木) 22:06:35.56 ID:cZ6mKy/c0.net
蜀滅亡戦
魏18万 蜀7万

呉滅亡戦
晋16万 呉5万

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/31(木) 22:08:35.04 ID:cZ6mKy/c0.net
魏では盗賊が釘目当てに棺桶を奪うぐらい
貨幣経済をやれていたのも鉱山のあった蜀ぐらい
魏ははげ山ばかりで鉄を作れない

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/31(木) 22:13:49.22 ID:cZ6mKy/c0.net
>>23
人口の1割以上が兵士
男の2割
老人や子供を除けば半数?
官吏も多いし
国力的にかなり追い込んでいるでしょ

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/01(金) 00:08:59.79 ID:kOIwxO050.net
>>363
鉱石資源豊富でも一番先に滅んでいるからあまり意味がない
鉄の剣を持った勇者でも弱ければ棍棒持っているギガンデスに勝てないのと同じ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/01(金) 07:15:03.21 ID:ZbGTfLd10.net
>>360
敵が攻めて来ても軍事が得意な配下に任せておけばいいんでないかい
親征するという事はそれなりに軍事に興味あり

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/02(土) 19:03:28.81 ID:cXsBkajx0.net
>>364
進撃の巨人の世界だなw
若者男女問わず調査兵団と駐屯兵団と憲兵団に取られて
残りカスが農業やるという
巨人に領土奪われたら口減らしで巨人の世界に残りカス投入されるという
正直蜀は滅ぼされてみんな喜んだのではw

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/02(土) 22:28:15.22 ID:UyAe3wTt0.net
そんな今や誰も覚えていないステマ漫画で歴史を語るのは勘弁してください

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 00:49:26.82 ID:56sAjAqD0.net
ケ艾に提出された蜀の情報

戸数 28万戸
人口 94万人
兵士 10万2千人
官吏 4万人
兵糧 40余万斛

明らかに官吏の人数が多すぎるんだよな・・・

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 00:50:37.19 ID:56sAjAqD0.net
1斛(さか)は10斗(約180リットル)。石(こく)。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 02:16:46.07 ID:Ng54VKf90.net
蜀の官吏の割合の高さは有名だけど、
これでやっていけたというのはやはり生産力が高かったからだろう。
降雨が安定していて農業生産がほぼ計算通りにできた。
それと塩鉄の供給も人口に応じて安定していた。

魏は人口多く豊作が続くときは国力は圧倒的だが九旱一水で不安定でいつそれが裏目に出るかもしれない恐れが常にあった。

蜀の官吏の割合って破綻国家ギリシャの公務員25%ってのでピンときたわw

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 17:44:37.84 ID:P7Hk1K0a0.net
>>371
ギリシャは1974年に君主制から共和制に移行して以後約40年で財政破綻
構造的に約40年で滅んだ蜀と一緒
蜀もギリシャと同じで末期は社会が限界に近付いていた

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 19:17:36.45 ID:oflV1WcD0.net
>>368
まあ、姜維が民に恨まれてたのは事実だしなあ

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/03(日) 21:28:31.84 ID:O09cRHa+0.net
>>373
人口90万の国で数千の死者を出したからなあ

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 01:48:52.22 ID:93jzmHJc0.net
蜀の戸籍人口の少なさは驚きだな
中原のように戦乱と飢餓続きでもないのに7,800万から減り過ぎ

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 02:54:44.83 ID:UqDUg3il0.net
>>375
売官の悪政で人かが死んだんだろ

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 04:20:05.64 ID:aZejDP+U0.net
姜維は洮水で王経に勝ち切れなかった(結局陳泰の救援でなんとか守りきった)のが
段谷に繋がってるからなぁ。
洮水の戦勝の時点では皇帝曹髦が「洮水での戦死者は手厚く葬るように。また遺族にも手厚く保護を与えるように」って内容の詔勅を二度も出してる事からして魏の受けたダメージは軽くなかったろうし。
「もう一度ぶっ叩けばいけるやん!」とか思ったんじゃないかと

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 12:14:55.51 ID:wmTHzXRLO.net
晋だったか後で戸籍を定めたら、益州人口が回復してるので山など官の目の届かない辺境に逃げてた説もあったっけ。
どちらにしろ蜀の内情は少なくとも末期に於いては相当お粗末だったのは間違いないだろう。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 17:32:16.72 ID:FswJEECr0.net
そりゃあ内情がお粗末だから滅亡するんだろうよ

そこまでドヤるような大発見なのかw

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/04(月) 17:51:39.90 ID:CoqDpxInO.net
防備がしっかりしていれば、戦闘ヘリでもない限りは落とせないくらいの天嶮に恵まれていた土地だろうからな。

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/05(火) 01:44:25.41 ID:joBU71C70.net
蜀攻めって関西地方の実行支配さえ出来てればそんなに難しくないもんな。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/05(火) 20:10:07.38 ID:PMG/zjMh0.net
>>379
ドヤるような大発見では無いが
蜀は農産物も鉱物資源も豊かで魏を圧倒してたとかドヤられると
そんな魏にどうして滅ぼされたんだ?という疑問が湧いて止まらない

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/05(火) 23:21:41.51 ID:vLr1oYwY0.net
>>382
貨幣を作れて武器も優れていたらしいし5分の1の人口でよくやったよ
ただ劉備の蜀取りの時もそうだったけど
一度中に入られるとすぐに落とされるみたい

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 04:01:46.41 ID:72iKplCJ0.net
>>383
同族を裏切って乗っ取っただけだからなあ
結局は滅ぼされるし呂布と同類だよね

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 06:54:49.59 ID:jsxR3Xry0.net
中華圏内で誕生した勢力に限られる話ではあるけど
中華を統一した人物は挙兵や本格的な統一事業開始から数年〜15年ほどで統一してる
戦乱が続いて各地の群雄が力を持ちすぎていたにせよ
叛乱や異民族に手を焼いていたにせよ、曹操は時間を掛けすぎたわな
赤壁で頓挫しなければなし崩し的に統一できたし、それが勢いで統一する最後の機会だったと思う
有能な群雄に堅牢な地盤に十分な防衛力を持たせる時間を与えてしまったらあとは持久戦しかない

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 15:06:08.48 ID:Cajsn7F50.net
だって魏が大国でも人口が446万だっけ?多少曖昧だけど450ぐらいだったと
呉が230万、蜀が94〜98万
圧倒できるほどの差はないからねえ
兵力も蜀が10万、呉が23万、魏は不明だけど最大20万ちょっとの遠征軍しか出せない
北方とかの防衛も必要だし
鉄がないし、銅銭も作れないし、お金が流通しなく物々交換だし

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 19:16:23.33 ID:cfbLPUWj0.net
魏蜀呉の総人口が700万くらい
統一晋のそれが1600万くらい
つまり魏には戸籍に載らない屯田民が900万いた

我々が考える以上に魏とその他に差はある
これで統一できない魏は情けなさすぎ。。。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 19:18:33.83 ID:/DDZixci0.net
前秦の推定人口が約二千万
東晋は約五百万〜

これで勝っちゃう晋王朝
やはり天命のない王朝はアカンね

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/06(水) 19:27:02.67 ID:Op+enor10.net
曹魏は前秦や北魏と同じで圧倒的な国力を持ちながら攻めきれない感じ

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 10:17:22.04 ID:ZDGspiZO0.net
>>387
何か言っているんだ?
統一後の益州は人口が200万近くになっているんだぞ
なんで魏だけが戸籍に載って無い人口がいると思った?

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 10:46:10.52 ID:yuHpW/iO0.net
平和になって人口が増えたか
戸籍に登録されていなかった民衆を把握できたかだろうね
人口が2倍になったなら各地で同じぐらいの割合ずつ増えたのでは
魏だけそんなに多い戸籍不記載人口がいたとは思えない

どうでもいいけど魏って戦国時代、三国志、北魏等
強国になるのだが天下を取れない運命なのだろうか
字の意味も小さな幽霊だよね

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 10:50:28.50 ID:yuHpW/iO0.net
戦国時代に

魏は孟子を読むと自称は晋国、孟子からは梁と呼ばれていた
魏はあまり呼ばれないのは良い字じゃないからだろうか
何と言うか悪の帝国ってイメージ

三晋最強は趙かと思えば魏が実質晋の後継国らしいし

魏は斉の孫氏に敗れて覇権を失い

斉は七十余城の内、六ヶ国連合軍、燕に攻められて
二城を残して落とされ滅亡寸前まで追い込まれ覇権を失い

残った秦が天下を統一しても
社稷を絶たれ、皇族は皆殺し

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 20:28:25.57 ID:z15/3v4b0.net
>>383
5分の1の人口だろうが本当に武器が優れていて強ければ
中東戦争のイスラエルみたいに人口数倍の周辺国を圧倒してもおかしくないのだが
なので貨幣を作れて武器も優れていたというのは蜀の存亡にとって重要なファクターではなかったという事

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 22:16:10.27 ID:n7jW8Y9q0.net
徴兵と徴税ということを考えたら台帳に乗ってる人口=国力でいいんじゃないのか?
戸籍に載ってない人口も徴兵と徴税をしっかりしてたら別だけど。
それなら戸籍作成の意味がないような。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 22:22:58.38 ID:yuHpW/iO0.net
>>393
武器が優れていたっていっても近代兵器ぐらいの差はないでしょう
鉄の剣と銅の剣で戦っても前者が勝つとは限らない
おまけに人口5倍だし

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/07(木) 22:35:56.70 ID:z15/3v4b0.net
>>395
結局銅の剣が鉄の剣に勝ってたんでしょうが!
人口5倍とか言い訳しても強い武器で負けたら意味がない
諸葛亮が筒袖鎧とか元戎とか木牛流馬とか諸葛菜とか諸葛錦とか
発明普及させても全然意味が無かったという事
饅頭以下

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/08(金) 00:49:42.74 ID:QHUhA+ou0.net
極論過ぎて草。虞翻かな

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/08(金) 10:54:54.16 ID:ssj12kzmO.net
それは虞翻に失礼

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 08:32:02.47 ID:TKOO0st40.net
虞翻て一度も国外に出ていない呉の田舎貴族なのに
魏にも官席授けられていたというのが

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 10:54:05.67 ID:u4rv/Dzg0.net
>>399
文帝さまが同類を見出したんやろ

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 10:58:37.24 ID:UYyzqMUp0.net
>>400
ワロタw

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 11:00:54.77 ID:UYyzqMUp0.net
>>395
とはいえイタリアみたいに戦車でエチオピア攻め込んだものの
原始的な槍部隊に追い返された例もあるからなw
状況がどうあれ強い武器で弱い武器に負けるのは笑い者だよ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 19:05:57.91 ID:t2leBjwW0.net
>>402
やっていることは鈍亀のカウンター狙いで
電撃戦も出来なきゃ攻城戦も下手くそだからなあ
姜維が電撃戦をやっているから出来ない訳じゃないだよなあ

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/09(土) 19:36:38.45 ID:A1mCayJC0.net
電撃戦の定義って何なんですかねえ

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 15:36:40.66 ID:FAPLjMnY0.net
>>402
クロスボウで強いのは並みの銃以上の威力があるらしいし
作戦次第では近代兵器と古代の武器で戦えなくはない
仮に自動小銃を含めた平気があっても大勢を相手ではいずれやられる

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 17:56:31.91 ID:HbjoNyU90.net
>>404
電撃戦は、少なくとも3つの観点から研究されている。
1つ目は第二次世界大戦初期にドイツ国防軍が行ったポーランド侵攻、ナチス・ドイツのフランス侵攻、独ソ戦時のバルバロッサ作戦・ブラウ作戦で、
赤軍がバグラチオン作戦で部分的に実践した歴史的な戦闘教義としての観点、2つ目は迅速な攻勢によって勝利する軍事教義として
プロイセンの時代から存在していたという電撃戦を拡大解釈する観点、3つ目は敵の撃破ではなく機動による攪乱に力点を置いた機械化戦闘の代表的理論としての観点である。
なお、3つ目の観点においては、1980年代まで各国の陸軍で主流の教義であったという見解も示されている。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 18:06:22.09 ID:FAPLjMnY0.net
魏は蜀を滅ぼした後なら20万の軍を出せる程度の国力だからなあ
実際にそこまで力に差はなかった

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 18:41:58.32 ID:HbjoNyU90.net
後漢末期は寒冷期で北部ほど被害がでかいから
魏だけ戸籍に対して住民が少ないのは飢饉と売官の悪政のせいだろうねえ

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 19:04:44.86 ID:uX1LbUn70.net
>>406
三国時代関係なくて草

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 20:11:24.38 ID:HbjoNyU90.net
>>409
日本語が理解出来ない人だったのか
なんで三国時代と無関係なのか分らんなw

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 20:19:18.58 ID:uX1LbUn70.net
>>410
三国時代は三つのうちどれに該当するの?
中国のちの字も出てなくね?

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 20:59:46.42 ID:HbjoNyU90.net
>>411
iやっぱり日本語が理解できないのか
電撃戦の定義と中国がどう関係しているのか説明してくれませんかねえ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:26:14.76 ID:uX1LbUn70.net
>>412
>>403からの文脈読めば?
403じゃないのに勝手に電撃戦の解説を始めたのであればアスペ軍オタだし
403だったらガチガイジだわ

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:30:04.97 ID:HbjoNyU90.net
>>413
日本語が理解できないガイジは君だよ
早く説明してよ

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:33:44.61 ID:uX1LbUn70.net
>>414
たかが10レスも読めないガイジとは

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:35:02.35 ID:uX1LbUn70.net
>>412
興奮してまともにレス打てないとか本当にガイジやな

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:39:58.22 ID:uZP5zLjoO.net
三国時代に関係性がないのは言うまでもないけどな。

兵器のレベルに差がありすぎて比べようがない。
現代でもクラシックな近接武器、弓矢が使えるは消音効果の一点のみで、火力や殲滅力に求める力じゃないだろ。
騎馬隊(笑)なんてもんが陸戦部隊の主力なんて現代では弱小なんてのも生ぬるいマゾ部隊だな。

たとえ、チンギス・ハンの騎馬隊だろうが、現代の軍隊の前では相手にもならないなんて子供でも理解できる。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:42:08.13 ID:HbjoNyU90.net
>>416
>>404はお前だろ
関係ないなら文脈を理解できないガイジだし
早く説明してくれませんか?

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:53:50.80 ID:uX1LbUn70.net
>>418
日本語打てるようになってからかかってこいよ、軍オタアスペガイジ
生きてて恥ずかしくないの?

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 21:58:55.37 ID:HbjoNyU90.net
>>419
説明できないから逃げる事しかできないんですかw

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 22:06:16.62 ID:uX1LbUn70.net
>>403
に聞いたつもりなのに変な軍オタガイジに絡まれて本当に迷惑だわ
これだから軍オタは程度が低い

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 22:11:47.23 ID:HbjoNyU90.net
>>421
いいから早く説明しろよ
いちゃもんにすらなってないぞガイジ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 22:18:22.65 ID:uX1LbUn70.net
>>422
誰に何聞いてんの?ガイジ君

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/10(日) 22:31:08.50 ID:HbjoNyU90.net
>>423
テンプレ通りに次ぎは勝利宣言でもするのかw
いいから早く説明しろよ

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/12(火) 07:25:18.20 ID:Le4PoQ1w0.net
マシンガンの登場以来防御側が滅茶苦茶有利になった。他の火器や兵器を大量に用意できるなら突破できるけれども
三国志の頃の最強兵器といえば弩だと思うけど弩の生産量は各国どれほどのものだったんだろ
それともあんま生産してなかったのか

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/13(水) 01:51:09.88 ID:digCQ52Q0.net
>>425三国志で弩というと蜀漢が有名なんじゃね?

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/14(木) 23:51:10.07 ID:eXx/IkzL0.net
三戦板に、蜀豊っていたな…

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/16(土) 01:22:29.83 ID:l8P22n+Q0.net
>>426
有名ではあるけど国力的に作ろうと思えば魏が大量に作れる筈じゃん?実際どうなのかなって

429 :魏という名前はいつも強大なのに天下を取れない:2018/06/18(月) 11:16:12.18 ID:IE7l8pdz0.net
>>428
魏では貨幣の発行もできない
棺桶に使っている釘を欲しがって盗賊が襲撃する有様
つまり鉄が非常に少ないし銅も少ない
その理由ははげ山ばかりで木がなく燃料がないから
それは以前に伐採して使い過ぎたから
金属も木もない状態で弩の大量生産はできないでしょう
魏は領土は広く人は蜀や呉と比べて多いけど
蜀100万で呉230万を合せると330万
魏は450万程度だからそこまで圧倒的な国力じゃない
武器の質でも劣っているし
蜀が10万で攻めた時に魏も10万程度で防衛していた
つまり演義のように数倍の兵力で戦えない
蜀か呉が滅びていなければ20万の軍を出すことさえできない
鉄も木もなく他の2国より強いけど圧倒的な差ではない
要するに魏は弩を大量に作れる生産能力は存在しなかった

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/19(火) 17:13:04.99 ID:eU8vT5L10.net
だったらこの作品は史実に忠実だな
https://goo.gl/nhZ2YN

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/21(木) 02:34:56.45 ID:0e2dPBK00.net
鉱山資源自体も蜀は豊富だしね
華北は冷害長雨の被害も長く続いて疲弊状態が長く続いていた
だから不満が溜まり黄巾の乱や賊徒が横行

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/21(木) 17:42:24.06 ID:jsvGRt3O0.net
>>429
魏が攻めきれなかったのはそのせいか。赤壁でポシャってから50年以上だからなあ
時間が経って回復したのか最終的にはマンパワーが勝ったのか

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/22(金) 12:30:17.77 ID:OW/RjJXB0.net
蜀も漢中の防衛線を弱めなければ滅ぼされなかったかもしれん
まあその兵を取るぐらい兵力が低下したのが原因だけど
歴史は中国史が一番面白いけど三国志まででその後はつまらない

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/22(金) 12:54:01.91 ID:zvHk3hu20.net
>>433
それは単に知識がないからでは…

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/22(金) 18:53:50.05 ID:vWVctEfu0.net
>>433
無理だろうな
結局、内輪揉めが絶対に起きることになる
外様が皇帝含め上位独占してるから

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/22(金) 22:30:02.00 ID:ls+0KlBK0.net
いつの時代でも戦争さえあれば楽しめるわ

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 02:39:08.54 ID:6Q7KV53V0.net
最後の蜀滅亡戦のときでもケ艾の積極精神がなかったら撤退してた可能性、
その後に姜維が寿命になる。
そしたら専守防衛の引きこもり国家として何百年も続いたかもよ。

中原争覇は魏(晋)と呉になって蜀はスルーされ、そして統一したほうも
「不征国」にして奉るなんてこともあるだろう。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 04:52:30.44 ID:1fEMnLlN0.net
歴史は色々と見てくると戦争よりも政争が面白くなってくる

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 08:28:00.78 ID:/Ku/jPS/0.net
>>437 
関西の実効支配が進めば補給線が短くなるからそのうちまた遠征軍出されて滅亡だろう。
そもそも蜀ってイメージほど難攻不落じゃなくって粘ったの公孫述と蜀漢だけ。
桓温や尉遅迥には瞬殺されてる。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 11:40:51.25 ID:ZI7tv0uh0.net
>>438
たしかにその側面はあるな
諸葛亮の北伐が止んで以降って面白いし

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 17:10:06.46 ID:VRm/c35s0.net
蜀ってしばらくの間自立するには良い土地だよなあ
公孫述10年、劉禅40年、李雄30年、孟永30年と乱世でもそこそこの期間
安定政権作れてるし。飛躍するのは無理だけど

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 17:21:41.11 ID:mC+o3KNr0.net
南宋の呉玠・呉璘兄弟とかな。

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 17:38:29.63 ID:4K/6zZ8d0.net
酒飲んだり、詩を詠んだりしてたくて、それほどやる気もなかったんだろ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 19:45:01.24 ID:6r00NYUx0.net
ぶっちゃけ、朝鮮と同じで土地としての
魅力が無いんだろうな

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/27(水) 10:24:51.44 ID:D2ckxrV/0.net
>>437
可能性というか
諸葛瞻とかいう戦知らないアホガキが黄崇の進言入れていただけでケ艾老人戦死で決め手を欠いて撤退していたレベル
むろん防衛線崩されているから次かその次の出兵で蜀漢滅亡だろうけど

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 11:56:05.63 ID:AY2VIlhE0.net
>>429
なのに諸葛亮は北伐に苦戦してたな、諸葛亮は無能ちゃうか?

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/02(月) 10:21:20.50 ID:pL50SLDx0.net
>>446
装備の微妙な魏でも対処できるぐらい蜀軍の兵站がかぼそかったからね

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 16:56:27.53 ID:AuD0MxCt0.net
三国志の魏
南北朝の北魏
それに春秋戦国時代の魏
強大国であり、悪の帝国というイメージだが天下統一はできなかった

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 20:46:47.17 ID:r5itlVX20.net
春秋戦国時代の魏はすぐに没落したから悪の帝国なイメージは全然無いな
悪の帝国なイメージと言ったらやっぱ秦

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 21:05:58.30 ID:rwlrGoOC0.net
悪の帝国→冉魏だろ

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 18:35:58.74 ID:PjpfbQvd0.net
魏(ギ)という発音に悪をイメージするのはチョン
正確には新羅嫌いの百済人だな

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 18:41:26.13 ID:PjpfbQvd0.net
>>429
木に関しては城砦周辺は少ないだろうけど
本腰入れて遠くに行けば有るんだけどな
でなければこの時代に桃源郷が発見されてもおかしくない
まぁ住居近隣の木材少ないので薪とか本格的に取りに行くとなると連泊しないと厳しそう

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 18:54:33.94 ID:pUpGFc6E0.net
悪いイメージは鬼って字が入っているからじゃね?

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/10(金) 19:23:31.56 ID:m+AQYR3D0.net
中国では鬼は悪というよりも
死んで仙人になってない魂(悪魂)の意味の方が近いな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 00:08:41.56 ID:eTo/ewoz0.net
三国志演義でも魏は特に悪の帝国ってイメージ無いんだよな
曹操個人は明確に悪役っていう役割が与えられてたけど

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 09:56:54.91 ID:+IFCpRD40.net
そうか?
三国志初見の人がまず演義から読めば
劉備一党が善で曹操と魏が悪だと思うのが普通だろ

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 09:58:52.75 ID:czkU3kPU0.net
>>456
吉川三国志とかだと前半は曹操主役って印象受けるわ

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 12:10:59.82 ID:vVWxPQWP0.net
>>456
今は三国志初見が演義関連書籍から入るのは昔に比べてかなり少ないからな
なので今は劉備善で曹操悪とかのステレオタイプのレッテルは普通ではない

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 17:43:59.06 ID:gSTCY9OC0.net
今だと三国志初見勢の入り口って無双とかゲームの類だったりするんだろうな
それはそれで…どうなんだろう?

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 18:22:55.51 ID:/J2fiOBV0.net
>>459
吉川英治が居て光栄がゲームにしなきゃ
日本でも三国志は正史でも演義でもマイナーなままだったよ

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 18:54:01.16 ID:C+YuBtQ40.net
自分は横山→人形劇で三国志にハマった。つまり演義ベース。
その後、秘本三国志に衝撃受けて正史読むようになった。
ゲームは全くやってない。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 21:55:15.34 ID:8O2huZ5l0.net
俺は横山→吉川英治→人形劇→ゲームだな 友達の影響で

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 23:34:33.89 ID:znvPG2cc0.net
>>449
戦国獅子伝を読むと悪の国だよ

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 23:42:27.14 ID:CyHGBXvj0.net
俺も最初は横山だったけど、諸所で出てくる古代の人物が気になって
直ぐに夏・殷・周・春秋・戦国って具合に興味が移っちゃってたな
それで時代が下って後漢末期まで来たところで正史に

でも今は入口が無双ですらない人口も多いんだろうね
二次創作っぽいアニメやゲームみたいなのからとか

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 00:01:33.61 ID:75FVL9zd0.net
ゲームで入って最初に読んだのが秘本
演義ベースは吉川が初めてだったせいか
そんなに魏に悪のイメージは持たなかったな

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 20:39:09.29 ID:b5YRCzWc0.net
昔人形劇を夢中で見てたときは、曹操には悪役のかっこよさを感じてた。
赤壁の鬼の形相で恨み節しぼりだす様とか、強い悪役ならではの迫力だった。
あの頃は、玄徳って誰もが呼んでたけど、今は劉備呼びだよね。(登場人物じゃなくてファンが)
いつごろ変わったのだろう?

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/14(火) 21:01:32.37 ID:0aHfH+jf0.net
曹操って日本の三国志作品では本場ほどみっともない描写されてないだろ
美化しすぎなくらいだわ

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 07:56:31.23 ID:4S1YOUuo0.net
演義で美化されてる髭に比べたら大した事は無いな

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 19:11:47.71 ID:cSjfl/eI0.net
最近は中華ドラマでも曹操カッコよく描写されてるやろ。スリーキングダムとか

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/15(水) 20:11:38.26 ID:D+brJTJG0.net
曹操を主人公にした本場のドラマもあるしな
あれは面白いよ
最後に意外な人物が曹操抹殺を図るオリジナル展開が熱かった

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/16(木) 07:31:35.22 ID:WEgdW79F0.net
日本の三国志の原点とも言える吉川三国志が
曹操を魅力ある悪役として描いていたからねえ

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/17(金) 14:59:46.12 ID:Q+QXh1Yq0.net
三国志で蜀は末期でも意外と人材は豊富だったと思う

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/17(金) 19:28:10.44 ID:FAEqovjR0.net
ええ・・・その基準だと人材が枯渇してる国ってどのレベルになるんだ

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/17(金) 20:26:37.42 ID:DuFLKjC90.net
蜀漢滅亡後も巴蜀の行政は基本現地人で回してるし、蜀の人材もあながち馬鹿にできたもんじゃないと思うのよね
羅憲とか霍弋とか都督として王朝を跨いで信任された武人もいれば、何攀のように中央でも出世した官僚もいるし、陳寿が文人として認められたからこそ三国志が今の形で残ってるわけだし

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 01:24:34.34 ID:hKIBdZy30.net
>>473
政変が起こるたびに千人単位の官吏が宮廷から消える五胡十六国時代とか、悲劇としても人材的にも悲惨だったろうね
蜀に関していうと末期に至るまで政変らしい政変が最後まで起こらなかったのが強みというか一種の特徴だと思うね
二宮の変、孫峻孫綝の専横、孫皓の暴走で半ば自滅的に滅びた呉、司馬氏が曹爽、王凌、夏侯玄、李豊と次々と政敵を粛清して毌丘倹、文欽、諸葛誕らが反乱を起こしついには逆クーデターに失敗した曹髦まで殺された魏と比べると、蜀のなんたる平和なことか

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 02:39:03.65 ID:YuULsGaq0.net
何だかんだで蜀を主人公サイドとみた方が、魏や呉の武将の個性や魅力も引き立つと思う。
だからこそ三国志という歴史活劇は日本に浸透したわけだし。
最初から曹操や孫権が主役だと日本では流行らなかったでしょ。
今曹操が日本で評価されてるのは、まず三国志が認知されたという土台あるからだし。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 08:19:11.08 ID:CfqeIWTU0.net
もしも263年の対蜀大規模侵攻が頓挫していたら

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 21:33:25.52 ID:YR3vJ4cK0.net
北方三国志の諸葛亮と魏延のくだりを読むと史実もこんな感じかなと思った

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:25:59.33 ID:cqvzD6na0.net
>>475
確かに豪傑っぽいのはいないけど
普通に軍を任せられる将軍は何人もいたし
内政も意外にちゃんとやっていた
そりゃ人口5倍の魏に対抗できるだけってなると難しいけど
文武共に基準以上の人材はいたと思う
滅亡時に呉を防いだり魏とも結構戦えたり
だいたい魏自体が蜀には18万で呉には15万を送っているんだから
蜀の方が大敵とする判断っぽい

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:29:04.32 ID:cqvzD6na0.net
>>473
人材が酷いのは思いつかなかったけど
大日本帝国だと思う
無能で頭が固く自分が優秀だと思い込んでいる馬鹿な軍人、政治家、官僚
(ただし、学校の成績はいい)
アメリカが対日石油輸出禁止とかしようとして驚愕だとか
ドイツがソ連と結んで欧州情勢は複雑怪奇だとか
利権が絡めば誰とでも組むのは30年戦争でもそうだろうに

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:34:09.60 ID:uGWcHtrc0.net
>>480
たぶん当時の軍人の方がお前よりは頭いいぞ
あの手のセクショナリズムや集団浅慮なんてどんな組織でも陥る問題だろ
昔の人はバカだった、という前提で物事考えているうちは同じ過ち平気で繰り返すぞ

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:53:56.13 ID:cqvzD6na0.net
今の官僚も含めて恐ろしいぐらい頭が悪い
恐ろしいぐらい想像力が欠けている
馬鹿じゃないと合格しない試験

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:59:02.28 ID:uGWcHtrc0.net
こんな頭おかしいやつに難癖つけられる軍人や官僚たちってかわいそうすぎるだろう

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 16:02:02.84 ID:B2aa0ghn0.net
>>480
大日本帝国は人材が枯渇してるんじゃなくて統制が全く取れてないだけだろ。皆自分が司令官だと思って
数百人の佐官が好き勝手した結果うんちになっただけ。煬帝が300人集まったような感じ

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 19:18:36.88 ID:1uee9jSK0.net
李徴みたいに虎になりそうな勢いのやつがいてワロタ

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 23:57:16.76 ID:co/oIxdP0.net
ちなみにどっちのことかな

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/22(水) 21:35:56.71 ID:Unhm5i/F0.net
>>429
三国志の時代だと、製鉄には石炭使ってたんじゃ

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 05:36:20.25 ID:c05ImVFd0.net
>>487
燃料の木がないから製鉄もできない
通貨は流通せず物々交換

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 16:24:48.08 ID:c05ImVFd0.net
意外に上手くやれば魏を滅ぼせた気がする

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 19:34:15.61 ID:qPiADNwM0.net
>>488
日本語読めない人?

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 19:35:06.16 ID:rOWHrDGe0.net
南方も馬忠がいてやっと収まったのに涼雍を修めきれるとは思えない

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 04:03:22.08 ID:Mk15BPqB0.net
>>479
小田原攻めの兵動員数より
大阪夏の陣の方が兵動員数少ないから
豊臣家よりも北条家の方が大敵と判断するバカ?

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 04:22:06.45 ID:IQoyWyvt0.net
>>490
石炭を燃やすにも燃料の木材が必要なのでは

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 00:27:36.25 ID:+2XGuEzJ0.net
>>492
蜀滅亡戦は呉が残っているから兵力を集中できないのに
その後の呉滅亡戦は蜀もいなくなっていて呉は蜀の倍以上の人がいるのに
動員した兵力が少ないってのはなめくさっているよね

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 12:59:48.75 ID:nMOgEi8L0.net
>>494
北狄は無視ですか?
呉滅亡時は寒冷期も過ぎて活性化してるけど

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 20:39:55.16 ID:zNiTTYBH0.net
呉討伐の裏で馬隆が同時期に樹機能の乱を平定してるんだよね
馬隆さん名将なのに知名度低すぎ

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 23:17:56.07 ID:+2XGuEzJ0.net
マンチョウさんも無名だよね

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 00:17:53.58 ID:UW2+sDDV0.net
つーか、山奥の蜀と川があって船が使える呉を
輜重隊込みの兵力で比べるなんて馬鹿過ぎるだろ

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 01:08:47.32 ID:b/vwGToC0.net
蜀は怖いからね

司馬昭の推測で、蜀は総兵力9万、国内の防衛等を考え、遠征最大兵力は5万

そのはずなのに孔明が10万(戦闘部隊以外も含めてだろうけど)で攻めてきやがった

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 01:09:21.66 ID:b/vwGToC0.net
呉を蜀側からも水軍で攻めたら簡単に落とせたとか

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 08:05:53.54 ID:xVgjxaqt0.net
>>499
10万は姜維の悪政の頃だろ
諸葛亮の時代は詳しい総兵力は無いはずだが

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 15:49:24.37 ID:ZVSGy2yA0.net
晋書には最後の北伐で十万とある

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 18:21:36.08 ID:b/vwGToC0.net
>>501
最後の北伐で10万だったとか

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 19:28:35.29 ID:UBYbKXEn0.net
吉川版だと最大動員75万・・・(対呉だけど)

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 20:37:51.99 ID:xA3jgPV/0.net
史実の話しているのに演義で割り込んでくるとかないわ
マナー悪杉

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 23:16:38.33 ID:b/vwGToC0.net
>>504
推定で4〜5万ぐらいらしいけど
史書では大軍としかないらしい

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/27(月) 04:35:06.58 ID:mkcFo/mf0.net
数が少ないから豪傑が話題になる

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 01:29:29.03 ID:VIT7OvFV0.net
漢民族はこの頃ほぼ絶滅したんだよね
今の中国人は漢民族の子孫じゃない

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/28(火) 16:28:11.89 ID:VIT7OvFV0.net
魏は中華の3分の2をと言いながら版図が狭い

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 03:00:58.49 ID:ZS/r/sbq0.net
戦国時代初期の魏は強大国だった
孟子を読むと梁と呼ばれているが
自称は晋

曹魏は三国志で最大国だった

北魏も代から国名を買えたが河北を支配する強大国だった
西魏と東魏に分裂したけど

どれも強国になるけど落ちぶれるのは呪われているのか
魏の意味ってリトル・ゴーストだよね

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 16:08:15.25 ID:xWnWMDJC0.net
>>510
魏の意味は「高い」じゃないのか?

字解すればリトルゴーストか
でも「委」は音符だぞ

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 18:39:29.01 ID:hJs276bI0.net
>>510
冉閔「俺の魏は後趙」対だけど数年で滅んで支配地域も狭小でカオスな弱小国や」
翟遼「俺の魏は西燕と後燕と東晋に挟まれて空気・・・」
李密「隋の魏公よりも唐の邢国公が最高っすくぁwせdrftgyふじこlp」

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 19:41:33.95 ID:WNPTMak10.net
>>512
冉魏←姚襄、慕容恪にボコられる
翟魏←朱序、慕容垂にボコられる
李密←王世充、唐にボコられる

もうダメじゃん…

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 05:21:43.89 ID:ZkYNE2150.net
やっぱり慕容部最強や!前秦なんかいらんかったんや!

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 08:16:38.83 ID:zeWgfN/q0.net
>>511
「高い」であってる
もともとは巍の俗字とも

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 20:52:44.05 ID:y6E4jX9o0.net
当塗高とは魏のことであるって予言なんなの?
意味がよくわからない

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 08:10:12.60 ID:0d/hJPuy0.net
>>514
拓跋部「ち〜ん()」

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 09:11:18.18 ID:GAiG1/O00.net
>>75
同感です

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:36:02.72 ID:vP0OYZF10.net
普通に蜀が漢中奪って要塞化した事と大正義守護神長江のおかげ

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:45:37.15 ID:vP0OYZF10.net
戦乱の影響で漢中迂回できる涼州を拠点にする事が出来ず
それまでは蜀に対してすら決め手が弱かった状況だからね

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 17:09:45.77 ID:PC9cYOiM0.net
魏の簒奪ってのも名分としては不味かったんじゃねーかな
あくまで漢(曹氏政権)対偽漢(劉備)という構図で押していくべきだったのでは

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 16:27:45.08 ID:mJnJxx/l0.net
>>521
献帝が何十年も名ばかり皇帝だったのは誰の目から見ても明らかだし朝廷の百官は新王朝を望んでいる状況だっただろう
それを望まない勢力は吉本の乱、魏諷の乱の鎮圧の結果粛清されているしね
漢王朝をこれ以上続けててもそういう不満分子に反乱を起こす口実を与える結果にしかならないし
曹操ならそういう状況でも実力行使で黙らせられるけれど、曹操ほどの実力、実績を持っていない曹丕は皇帝という権威を必要としていたのでは…?

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 19:18:20.85 ID:nhARjC+M0.net
>>522
不思議なのは後漢末期よりも魏初の方が政権に対する反乱少ないんだよね
偽漢の北伐に同調する勢力が魏内にほとんど無いという

そんなに魏の簒奪が望まれないものだったら後漢復興の動きがありそうなものだが
魏末の頃にまだ後漢時代の人間が生きていたのに後漢復興の動きが全くない
西晋末期の劉淵の漢も中原の人に求心力みられず
結局武力で中原を魑魅魍魎にしたまま趙に代わってる
当時の人々にとって魏の簒奪よりも漢存続の方が忌み嫌われる事になっているという・・・

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 22:59:15.03 ID:im9SyYlb0.net
さすがに偽漢なんてキモイ蔑称使うカスは死んだほうがいいよ

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 11:48:44.55 ID:grsJQqCR0.net
霊帝の時点で暗殺騒ぎとか起きるくらい漢の権威ってなかったからな。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 14:25:32.30 ID:cAc9lg190.net
それで魏晋の統治が糞だったから蜀漢正統論が盛り上がって漢すげえってなってくから面白いわ
ベテラン選手が糞味噌言われても引退したら良く言われるみたいだ

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 15:57:20.45 ID:jphZy05A0.net
割と晋のせいで魏までひっくるめて糞!って言われてるとこありそう
五胡十六国時代に繋がる異民族対策も曹操が本格的に始めたし

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 16:01:15.39 ID:jphZy05A0.net
>>523華陽国志には中原の漢に心寄せる士たちは劉備が中原に来て後漢を復活させてくれる事を期待していたが
劉備が皇帝になるとガッカリしたと書いてたあったな

この事が本当なら後漢王朝が復活してくれる事は望んでいても
新しい漢王朝が出来る事は望んでいない人が大半だったのかもしれない

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 18:34:21.38 ID:G6gooZg2O.net
>>528
多分その人々からしたら「劉備よ、アンタもそこいらの群雄と同類だったのか」だったんだろうね。
献帝を奉じて魏への禅譲を無効にし昔の秩序回復に尽力して欲しかったのが、献帝が存命してるのに称帝しちゃった訳だから。
まぁ彼等が手前勝手な期待を劉備へ抱いてた事が間違い、と言ってしまえばそれまでではあるけども。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 12:48:13.28 ID:sOh15CKP0.net
>>527
後漢(順帝)の頃も南匈奴の単于が締め付けキツくて自殺する騒ぎ起こしてるので、魏晋の異民族対策がキツかったと言うよりは胡族が武力以外の実力もつけてきたにも関わらず一向に顧みられなかった不満が暴発したってのがあるのでは。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 23:10:49.39 ID:ZaNqdlIj0.net
ナポレオンが皇帝に即位したと聞いてベートーヴェンがナポレオンに捧げると書いていたのを破り捨てたとか
陳勝が王になったのを悪く言ったり
王や皇帝になると叩かれるんだよなあ
ティムールも即位できなかったし

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 23:48:12.66 ID:lzEw1xxT0.net
「激怒し、献辞が書いてある表紙を破り取ったという、弟子フェルディナント・リースの回想に基づく有名な
エピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った
形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シン
フォニア・エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。」

破り捨てたんじゃなくて献辞を消してタイトルを直した。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 22:12:10.58 ID:8rWL05PD0.net
そんなに君主になろうとするのが嫌なのか

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 20:08:10.52 ID:tHY2NkUDP
戦争の弱さをオナニー小説で慰める それがチャンコロ乞食の伝統

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 00:56:34.16 ID:Uqpn0V9B0.net
横山光輝は曹操を一千年に一度の逸材といってたけど
実際は石勒にも劣るだろう
始皇帝とか劉邦とか武帝とか光武帝とか李世民とか李淵とかの方が曹操よりも上
従って曹操はとても一千年に一度の逸材などとは言えない

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 09:20:34.69 ID:QKmhXwL00.net
>>535
政治家として中華の半分を平定
軍人として官渡の戦いなど数多くの戦いに勝ち
腕力もあったことが正史にも記されている
文人としては陶淵明誕生以前の最高の詩人の一人
兵法家としては現在ある「孫子」の実質的編纂者とされている

で石勒にも劣るのか・・・すげえな、石勒

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/25(火) 11:59:22.00 ID:3+uq4Iaf0.net
華北の統一という到達点はほぼ同じだが、曹操と石勒じゃ出発点が違いすぎるからな
孤児を騙して天下を奪ったような奴とは格が違うと宣った石勒の自負もわりかし的外れではないと思う

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 03:11:59.13 ID:bQCy99RH0.net
曹操の詩人としての評価は下の上ぐらいだったはずだぞ

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 12:13:22.19 ID:6aKElgKq0.net
陳舜臣センセも言ってたけど詩文を「文学」のレベルまで引き上げたの息子二人で曹操の詩文って軍歌とかのレベル。
(実際作った詩文の大半は軍中で作製してるし)

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/26(水) 12:44:25.47 ID:hJ+0A72X0.net
>>532
曲の内容が英雄の死までを取り扱っているから
ナポレオンに対して失礼であると判断して改題した、と何処かで見た覚えがある

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/06(土) 05:09:03.58 ID:Uz5D7+IM0.net
>>535
自分が死んだら即行で甥に息子を殺されて簒奪、甥が死んだら大混乱で20年経たずに糞味噌になった石勒と
華北制覇から50年もった曹操じゃ曹操の方が上だわ。次代の後継くらいしっかりしろ

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 04:40:34.84 ID:moyPyo2M0.net
普通に広げた領土でも
曹操>石勒でしょ

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 13:40:06.23 ID:FvjBMnPiO.net
ワイ陳寿、曹操評百年も立たず風化。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/07(日) 20:31:04.18 ID:kwx4m3zI0.net
石勒の曹操司馬懿disって「世説新語」(劉宋の頃に上梓)からの引用だから当時の南朝の人間の視点が「曹操司馬懿は石勒以下のカス」って認識だったんやろ。
後漢書も世説新語ほど露骨じゃないけど曹操に手厳しいし

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/06(火) 00:13:04.75 ID:NmTgFVIQ0.net
南朝の人間「俺たちが華北を失って苦労してるのは誰のせいだ?」

南朝の人間「そうだ!曹操が悪いんだ!」

南朝の人間「蜀漢の劉備や諸葛亮にはシンパシー感じるんだよね」

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/06(火) 08:25:09.04 ID:ma0+pa8N0.net
異民族呼び込んだの蜀漢じゃん

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/06(火) 16:21:39.75 ID:S9snV7ws0.net
三国とも異民族は兵力として使ってるみたいだし、人口不足が原因かもね
異民族は締め出さなきゃいけなかった、確かケ艾がそんなことを言ってたぞい

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 18:28:29.63 ID:arzPW9700.net
>>546諸葛亮は軻比能と同盟して魏を叩こうとしていたのに
その事を後世の人間は叩いたりしないのは不思議だわ

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 20:42:44.20 ID:rMHTi1/p0.net
>>548
東晋が慕容部と連携して後趙を討とうとしたり劉宋や蕭斉が柔然と連携して北魏を討とうとしていたわけだから批判するような行為でもなかったんじゃね

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/07(水) 23:32:24.75 ID:VRi+lwj40.net
>>545
東晋系の曹操disはどっちかって言うと粛清や貴族の利権(爵位の世襲禁止など)でヘイト買ってたのが原因なんじゃ。

後漢書献帝紀読むと劉裕なみの粛清やってるし

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/08(木) 02:18:44.67 ID:hu8qVkbr0.net
>>549北宋も金と連携して遼を討とうとしてたもんな

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/08(木) 10:26:23.26 ID:Wc0SpqaG0.net
諸葛亮が異民族と手を結ぶのは綺麗な戦略
曹操が異民族使うのは汚い戦略

なにこのダブルスタンダード

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/08(木) 22:08:24.94 ID:hu8qVkbr0.net
曹操が異民族を兵士として利用したり移民させたりした事を非難する記述ってあんまり見かけないんだよな
異民族を移民として漢土に入れる事の危険性とかは色々言われてたみたいだけど

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/08(木) 22:35:46.78 ID:/UROPHPf0.net
それは後漢初期からずっと続いていた傾向じゃね?

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 01:05:59.54 ID:Ks6kTxIL0.net
そもそも史記にも異民族を自軍に編入する記述はある

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 07:36:56.27 ID:/F0YdzXy0.net
ハンニバルとかスキピオは異民族と同盟を組んで異民族の騎兵により大勝利をあげていた

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/09(金) 10:42:29.36 ID:XpmT3ceK0.net
つーか、呉が異民族政策が成功させて南朝の基礎を作ったからなあ
金みたいに大義名分を与えて内地を侵攻させるのは不味いだろうけど

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 18:01:05.22 ID:ZTd+X9g10.net
劉備の配下に烏丸騎兵がいた事も知らんのかお前ら

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 18:03:04.64 ID:ZTd+X9g10.net
三国時代は三国それぞれ利用して乗っ取られず異民族への対応はキッチリしてたって事や

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/13(火) 18:33:48.34 ID:WSIhOXpN0.net
蜀も普通に南蛮の人間を兵士に使ってたな

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:07:34.05 ID:c6hdTcvM0.net
劉禅は雲南に蒙塵することも考えたそうだが、
チベットに逃げ込むという案はなかったのかい?

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/14(水) 23:24:30.08 ID:S9+Fu6ll0.net
チベットの方は蜀はほとんど領土とか持ってなかったんじゃない?

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/15(木) 00:37:57.07 ID:qAYVohq80.net
>>560
夷陵の戦いの時に南蛮人だったか異民族の長を使ってたな
その戦いで死んでしまったけど

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 01:27:32.31 ID:xgtC8Okk0.net
>>563沙摩柯の事だな

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 13:06:37.24 ID:B8K6aeuc0.net
沙摩柯は武陵蛮

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 15:01:10.54 ID:4qvHvu8+0.net
>>1
諸葛亮が優秀すぎたから

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 23:35:19.94 ID:QQVfbDyA0.net
曹操も老いてたんだろな
若かりし頃なら本拠地を襄陽に移して、敵に対してより積極的に踏み込んでいく姿勢を見せたはず
それが戦線から遠く離れたギョウで個人的安逸を貪るようになるとは…。・゚・(ノД`)・゚・。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/16(金) 23:41:04.10 ID:IhHHsAVu0.net
武帝紀読む限りだと死ぬ間際まで兵を率いて東奔西走してるけど
まるで思いつきで行動してるかのようにいたずらに兵を動かす戦略性の無さが曹操の欠点だと思う

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 00:05:55.48 ID:EP7KNzTQ0.net
>>568
荀揩殺しちゃったのが運の尽きだった

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 00:48:52.83 ID:gyqj2Jio0.net
赤壁から戦略的失敗を何回もするようになるんだよな曹操

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 00:58:14.88 ID:O+o2ZMZF0.net
荀ケ粛清も赤壁後の方針転換の揉め事っぽい。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 06:19:32.88 ID:UvdWbkEx0.net
戦略的に独立して動く才能のある劉備が政治的にも独立しちゃうんだから曹操が自分で動くのはしゃーない
劉備が独立しなきゃ赤壁すら起こらずに天下統一やろ

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 06:31:00.76 ID:hON4iKLU0.net
曹操は漢朝再建の立役者に甘んじなかったのが最大の敗因だわな
霍光二世ぐらいには成れただろ

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 07:04:00.56 ID:4JZIoCNd0.net
曹操の代で統一してたら曹操はたぶん漢朝の臣で終わってたんじゃ。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 07:06:18.98 ID:b+yEXobj0.net
>>573
劉備の政治的基盤がもっとしっかりしていれば曹操と立場が逆になって光武帝の再来に成り得たかもしれんけどね

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 07:28:15.44 ID:hON4iKLU0.net
>>575
劉備は地方豪族成り上がりでの官僚出世コースだとほぼ上限に近いような気もするんだよなー
あれ以上狙うとしたら中央官界に基盤のある相当な上流階級に生まれないといけなかっただろうし

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 07:41:37.87 ID:H9UKjAgu0.net
>>576
そこは相対的なものだからね
曹操より無能が速攻簒奪したならまだしも
曹操どころか董卓ですら漢王朝を輔弼する形で体制構築してる
そうなるとスタートの基盤が重要にならざるを得ないでしょ

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 07:47:37.38 ID:H9UKjAgu0.net
後漢末の特徴として
経済的には大混乱を極めてるけど政治的にはそれなりに体制が維持されてる点が挙げられると思う
前者はスレで散々語られてるけど後者も統一が遅れた一要因だと思うよ

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 15:03:27.30 ID:uEVrU00z0.net
>>572
自身の娘あるいは宗室の子女を娶わせて、
きちんとフ(馬付)馬にして取り込んでおかなきゃ

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/17(土) 19:17:42.38 ID:xpHS2pG30.net
後漢の権威なんてあってないようなもん
劉焉も劉表も袁術も袁紹も韓遂も並みいる群雄は後漢王朝に見切りをつけてた

最たるものが黄巾の乱だけど

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 01:19:25.45 ID:lvp0bzIn0.net
俺の個人的な意見に過ぎないけど、2世紀末までは漢の権威はある程度あったように思う
漢の高祖劉邦は劉氏以外が王を名乗ったら諸侯は力を合わせてこれを倒せと遺言を残している
これは呂后専横の一時期を除いて概ね守られてきた
王莽も王号を経ずに禅譲に到っているし、前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった
新末後漢初の戦乱の時代、王や皇帝を自称する群雄はいたけれどすぐに滅ぼされた
後漢末に時代が移ってからも、位人臣を極めた董卓も王は名乗れなかった
後漢朝廷と距離を置いた袁紹も独自の王号を僭称するには踏み切れなかった
袁術は帝号を僭称した途端にその支持基盤を失った
細かく見てくと遼東王を自称した公孫度や河首平漢王を自称した宋建のように辺境で独立勢力を築いた群雄もいるけれども、劉氏以外が王を名乗ってはならないという不文律は概ね守られてきた
曹操が魏王を称するまでは

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 01:51:45.06 ID:FZXYPnR50.net
>>574魏王になったり皇族に連なるものを何人か殺してるんだから
簒奪する気満々でしょ

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 02:48:58.74 ID:0Z/qT2ZI0.net
>>580
むしろ曹操の方がどこか漢王朝に未練あるって言うか

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 10:27:10.56 ID:Rpw067SX0.net
なんで曹操はあんなに漢帝国の臣にこだわったのだろうか

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 11:10:06.40 ID:sHSWMbiy0.net
だって先例が王莽じゃんw
あと皇帝はお飾りにして自分は周公旦気取ってる方が楽だし。
かったるい儀礼や祭祀もやらなくて済む。

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 11:48:09.33 ID:mthxHawt0.net
>>585
王莽まで戻るまでもなく袁術がおる

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 14:56:11.64 ID:RrNhDOeS0.net
自分が名分として担いでる漢王朝を中華統一前に廃するのって普通にリスキーでしょ、対内的にも対外的にも
曹操が劉氏ならやってたかもしれないけど

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 15:07:22.34 ID:RrNhDOeS0.net
?劉氏なら漢王朝続くじゃねえか何寝惚けたこと書いてんだ俺

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 16:27:04.29 ID:U8NmDSBO0.net
しかし曹丕が漢朝を廃してリスクがあったようにも見えないけど。
時期が違うから?

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 17:12:00.39 ID:m+bQWhdL0.net
>>583
そうでもない
袁紹と同様に朝廷側の刺史と戦ってる

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 21:02:56.81 ID:RrNhDOeS0.net
>>589
上の方にもあったけど内的には反抗勢力が吉本、魏諷あたりと一緒に粛清されて一段落ついてたのが大きいんじゃないかな
外的には劉備が漢の後継として即位して、名分の上でも完全に独立するっていうリスクが禅譲直後に顕在化してる
まあ外的な方は曹丕が問題視しなかったか、リスクを承知の上で禅譲を迫ったんだろう
曹操が道半ばで死んじゃったせいで自身の権威付けと体制固めを急ぐ必要があったしね

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/18(日) 23:05:49.75 ID:WRKi+FIN0.net
儀礼や祭祀を廃止しようとはしなかったのか
ポルポトのように家族廃止とか

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:00:01.94 ID:Do9CDoDJ0.net
>>581
>前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった

西漢初期の頃は劉姓以外の王てんこ盛りで
韓信が2人も王だったりするしなw
長沙王呉著が跡継ぎ残さず崩じた紀元前157年までは普通に
劉姓以外の王が存在するので劉邦の遺言は長らく守られていない

既に魏公となっていた曹操が魏王になったのは
30年近く河首平漢王を自称した宋建を亡ぼした功績からなので
それも劉備の漢中王みたいな僭称ではなく正式に漢の皇帝から王位を贈られてるので
劉姓以外の王云々の不文律は曹操の魏王就任の頃には風化しているのは確か
それを現代においてとても問題視する御仁が出てくるのは甚だ謎

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:31:42.47 ID:pfQ8MlcV0.net
後漢書読んでてビックリするのが、当時は袁術陛下以外にも各地に自称皇帝だの自称王だのがゴロゴロしてる事。劉表にしても軍楽隊を皇帝に準ずるものにしたり勝手に祭祀やったりとやりたい放題。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/22(木) 21:54:23.51 ID:6kcBR8Vj0.net
袁術みたいな貴種が皇帝を名乗るのとそこらの賊がそれやるのとでは全然違うだろ

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 02:09:42.26 ID:f4QwBQDp0.net
何故、曹操は天下を統一できなかったのか?的な書き込みが結構多いなこのスレ

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 16:05:23.43 ID:nolEQpVP0.net
>>596
そりゃ曹操が勢いのまま天下統一するのが一番可能性高かったんやから当たり前やろ

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 18:23:43.12 ID:31RWJ3vm0.net
曹操は戦闘は一流だけど戦争はなぁ

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 18:48:45.93 ID:qhcpy96D0.net
>>598
いや本人は戦争上手やろ
問題は部下に戦争上手がいなかった事

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/26(月) 23:06:23.35 ID:p6qBW2Ao0.net
>>596
スレタイに沿って話を進めると自ずとそういう方向に行くのはわかるけども…
もう少し中身のある話をだなって言いたくなる気持ちはわかるわ
しょうもない堂々巡りばかりやっとる

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 09:14:28.19 ID:4blhEmPW0.net
>>600
というか大体答えが出てるからやろ
中原が一番荒廃してて回復するまで他の地域との差が少なくなってたと

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 10:20:14.41 ID:3Ya1zYCp0.net
呉に周瑜と魯粛がいなければ他の重臣はみな降伏論だったので赤壁の戦いも起こらずとりあえず荊州と揚州は征服できていた

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 11:30:18.69 ID:S2pIk9bv0.net
>>600
スレタイに沿った話題以外の中身のある話とは一体

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 15:14:12.87 ID:uB/uPDITO.net
単純に騎馬の優位が生かせない戦いに弱かっただけでは?

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 15:25:33.84 ID:4blhEmPW0.net
>>604
同様に騎馬運用に長けた劉備軍閥が
敵対し続けて最終的に蜀に篭ったのが痛かった

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 21:21:57.94 ID:Y7iKjfvm0.net
袁紹に勝ってから、なんか片手間にやってる感じだな 孟徳は

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 22:17:43.63 ID:216BhAF+0.net
河南を制圧するのに手間取ってるのがマイナスなんだけど、
河北の袁家に勝てたせいか、あまりマイナス扱いされてないのが不思議

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/27(火) 22:53:47.20 ID:aA5Fpyoa0.net
>>599
濡須口とかねぇ

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/30(金) 08:25:07.00 ID:ujJ6d3Xj0.net
>>602
呉が降伏すればもう終わりなのかね
ただ、漢中も西涼も益州も北方民族もあるんだけどね

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/30(金) 09:31:26.16 ID:1PSW+eQK0.net
>>609
劉備が曹操の下にいたままだったら
荊州>漢中>益州の順に落ちるから呉が降伏しなくても手も足も出なくなってお終いや

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/11/30(金) 14:59:34.86 ID:PUKJ/LhwO.net
そこまで行ったら、渤海の公孫政権も大人しいというか立たないか。

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/01(土) 22:00:47.16 ID:iRtMHtYn0.net
赤壁時点で涼州も劉璋も曹操に服してる

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 07:57:21.93 ID:8SgWuXad0.net
やっぱり勢いって大事
曹操は時間を掛けすぎた

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 10:57:53.80 ID:29B+z7ib0.net
苻堅「そだねー勢いって大事だよねー」

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 12:13:25.61 ID:yb1Ulh1p0.net
>>609
呉が降伏したら終わりといっていいよ。

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 13:23:52.49 ID:Wq3wTcKQ0.net
>>613
赤壁のあたりは勢いに頼りすぎだろ
なにせちょうど一年前は万里の長城の向こう側に居た軍隊が長江の中流に居るんだもんな
疫病が発生したのも杜撰な行軍計画が招いたようなものだろう
郭嘉の病死も文字通りのデスマーチ環境に過労死させられたようなもの

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 15:44:57.87 ID:bUunjGJr0.net
荊州を固めてれば呉はまともに抗戦できなかっただろうになあ

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 01:16:43.73 ID:WxfDdQHT0.net
基本的に劉備が悪い

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 02:52:00.99 ID:DuGdlNv50.net
荊州を攻略した時点で無理して呉を攻めるべきじゃなかったな
長坂で劉備を無理やり追いかけたのも失策だったように思う

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 03:11:27.49 ID:2qeDHJNd0.net
諸葛亮のような慎重さが曹操にあったら荊州を失うことはなかった

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 08:31:20.35 ID:Wlt68/7h0.net
>>619
というか呉を後回しにしてあくまで劉備の討滅を優先する選択肢ってなかったのかね

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 10:08:23.04 ID:eSpYohcS0.net
>>616
まあその部分だけ見ればそうなんだけどね
大半の中華統一した君主は旗揚げや勢力引継から15年以内とかで統一してるからさ
それ以上時間を掛けてしまうと情勢的にどうしても膠着状態になるし
そうなるとある程度世代が変わって内部崩壊とかを待たないといけなくなると言いたかった

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 19:14:34.55 ID:DuGdlNv50.net
>>621劉備を優先した結果が赤壁じゃない?
だから武帝紀や山陽公載記に孫権では無く赤壁で劉備と戦ったと書かれてるんだと思う

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 20:27:01.01 ID:PO7WpRGr0.net
少し時間かけて内部を切り崩していけば
張昭らの北方名士と地元豪族が組んで、強硬派の周瑜魯粛をふん縛って終わりだったろうな
なぜ待てなかったのか

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/08(土) 20:57:47.08 ID:L1FAeAL00.net
降伏論でまとまりつつあったのをあとでひっくり返したのが魯粛と周瑜だから、
あのおどしの手紙が届くと同時くらいに攻め込んでればよかったんじゃなない?

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/09(日) 19:42:14.01 ID:xRAVw/bp0.net
覚悟を決めた魯粛が独断専行で劉備と手を結んで孫権を説得してるからね
降伏派にはどうしようもないよ

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/26(水) 17:28:37.67 ID:jBVbOmxQ0.net
>>616
当の郭嘉が数々のデスマーチを主催してる

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/29(土) 13:17:32.98 ID:UKNpbvhK0.net
>>624
孫権は周瑜を信頼してたよ。
待った所で内部崩壊は無かったと思うよ。
人をまとめる能力が孫・周にはあったと思うから。

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/29(土) 14:16:41.75 ID:E6AUCxty0.net
戦わずして勝つ、勝ってから戦うことが孫子兵法の究極と思い知らされるな。
自称曹参、夏侯嬰の後裔、自称劉氏の正統後継が名実の正統性を言い張り続ければ
益のない戦いになるわな。

曹操が蜀呉に苦戦したのは、曹操が劉備を「育て上げた」ことが原因かもな。

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/30(日) 22:48:57.17 ID:gswAnPHL0.net
>>628
親周瑜で気に入りの魯粛に進言されて初めて孫権は周瑜を召し返してたんだが

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/30(日) 22:51:29.00 ID:gswAnPHL0.net
正直魯粛が鄭宝について行ってれば呉は堕ちてたとおもう

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 09:29:51.40 ID:eZN/CB+M0.net
周瑜がまとめたと言っても長対陣になったらボロボロ崩れていったと思うけどなあ

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 10:22:23.71 ID:aH21q0b50.net
>>632
程公の人望に賭けろ

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 16:07:07.03 ID:gD0UidOP0.net
>>632
崩れるの折込済だから黄蓋の偽降計が成功した
まあ長期対陣すると官渡みたいに両陣営崩れて
お互い崩れたり登降したりするのは普通にある

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 18:24:47.91 ID:eZN/CB+M0.net
>>634
曹操と孫権の勢力比は官渡とは比べ物にならないから曹操の方が崩れる可能性はかなり低いだろ

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 20:14:33.25 ID:reLRHx720.net
>>635
低いもなにも曹操は疫病での撤退が主な原因だぞ

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/01(火) 13:23:59.21 ID:mMInB3/9O.net
人が土地の風土に合わないっのは決定的な差だからな。

あの場で対陣を繰り返せば、曹操軍は何度でも大規模な疫病に見舞われるな。

ストレスが体調を崩して、重病にまでなるんだろう。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 01:09:45.03 ID:eqpZQ4Xn0.net
人口密集、不衛生な環境、不安定な食糧供給による栄養の欠乏…
軍隊生活は伝染病の集団感染を引き起こす危険要素を幾つもはらんでいる
特に、張羨の乱、赤壁の戦い、樊城の戦いなどの建安年間における荊州の戦乱では疫病の発生が史書に記録されている
傷寒雑病論の作者張仲景こと張機も、建安年間に孝廉に推挙され太守として長沙に赴任したところ、疫病によって親族二百人のうち3分の2を喪ったことから医学の道を志したという
西暦2世紀末から3世紀初頭の荊州はそれだけ疫病が蔓延する危険地帯だったってこと
余談になるけど、周瑜、魯粛、呂蒙などの呉の優秀な将軍が荊州で病死したこともこれによって説明がつくはず

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 11:14:18.61 ID:370q+Nt3O.net
そんな時代に大規模な切開手術を麻酔もなしに受け、術後には二次的な感染症にすらかかっていない。

術中は大量出血しながらも、睡眠効果を誘発する飲酒までしていた。
当時は当然、無菌室も輸血もない。

疫病地獄の世界でこんな手術受けても、なんともない関羽さんは本当に超人過ぎるな。

死因が病没な常人程度ではまず生還不能だろうな…。

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 14:30:59.31 ID:th3eckBR0.net
>>639
そういう関羽真理教布教いらないから

もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている
同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない
関羽よりも治療した医者を褒めるべき

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 15:27:39.53 ID:370q+Nt3O.net
二次的な感染症に関しては、本人の異常耐性以外にどうやって説明するんだ?

関羽は切開手術中に肉食べて、酒まで呑んでたんだぞ。無菌室とはほど遠い不衛生環境だぞ。

さらには大量出血しながらの意識を失いかねない飲酒。
当然、そんな状態で意識失ったら現世に帰ってこれないだろう。

上辺だけでものいっちゃあかんぞ。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 22:37:52.31 ID:gudpfvNV0.net
関羽の手術談義すんの?
まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね
大規模な手術って肘だからね
自分の触ってみてごらんすぐ骨だから
後医者がヤブ過ぎる
完治した後に大分経ってから毒って
破傷風でも腕を落とすレベルだよ

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 11:45:24.85 ID:rn9FO0Y/O.net
単純に関羽がリアル超人だったという話ですよ。
病没が死因な連中にはまず耐えられるような手術ではなかったろう、という理由も込めて。(当時の環境的に)

中国の正史には功績多大な戦略家、戦術家は多いが、関羽のような超人的な人物は、いうか大規模手術を簡易な戦場医療で完治させてしまうような超抗体の持ち主なんて関羽しかいなかったんじゃないの?

戦略、戦術は素人でもこのような超人は居るだけで戦局に影響するでしょうよ。ほぼミュータントだもの。

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 13:46:47.31 ID:RkQ5NcS60.net
まあ、肘が痛覚があまりない部位とは言え
麻酔なしの切開手術だからな。
それに耐えただけでも超人だが、談笑しながら
酒まで飲んでたからな。

当時の酒が痛み止めになった?
最近RDR2でもプレイした?
ウイスキーなら西洋医療が未発達の時代には
痛み止めみたいに使われてたけどな。
しかも、痛み止めというのは術後の断続的な痛みの軽減に効果があるわけであって
術中の痛みを大きく和らげる、もしくは全く感じなくなるほどの
現代医療の麻酔レベルの信頼性があるわけでもない。

大規模とらえられるのは、関羽伝に盆に血が溢れかえる程と
書かれてるからだろう。
当然、輸血がなければ疫病に侵されて病没するような常人なら
そのままお亡くなりになられるわな。
疫病蔓延な世界での不衛生環境下での戦場医療だから
当然に本人の抗体も頑強でなければ、二次的な感染症にも当然かかる。
これも、病没が死因の武将では同じような手術には耐えられない理由にもなるな。

このような正史のデータをもとにすれば、関羽という武将は非常に稀で特異な武将で
曹操のように最前線においておけば、敵大将目掛けて遮二無二突っ込んでいき
敵味方の被害を最小限に抑えて、敵軍を沈黙させる働きが期待できる。

ホウ徳戦で額に矢が刺さっても戦えたという記述もあるが
これにしたって、なんの根拠もなしに兜をかぶっていて兜に矢が弾かれた
などというデマなどより、関羽ならば頭骨の厚みで脳に矢が届かなかった、とか
考察論を立てるほうが賢いと思う。関羽は常人ではないからな。

曹操も関羽を手元に置き続けられれば、南方攻略は楽になれたかもな。
曹操は騎兵を中心とした戦術指揮官を多く抱えてはいるが
被害は敵だって、出さずに勝つのが覇者の理想だろう。
(いずれ敵国だった国も自分の国になるので)
関羽の顔良斬り(刺し?)は便利すぎる戦い方。

関羽だけは俺も単独で戦況に影響できるような超人だったと思う。
プライドが高く、強情が過ぎるのもそんな人物だからだろう。
自分も他人と変わらないと自覚できていたのなら、唯我独尊を気取るはずもない。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 16:16:08.85 ID:66Q653fU0.net
関羽信者って正史もまともに読め無いのかな?
とりあえず戦場医療って何に?

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 17:12:13.65 ID:rn9FO0Y/O.net
戦場での簡易医療だと思ってもらえればいいかな。関羽は武人なんだから、戦場の陣地で手術を受けていても不思議じゃないでしょ。
それと煽ることしか出来ないのなら消えてくれない?知識がないのはただの恥だよ。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 19:53:17.51 ID:goDzOGNt0.net
史料の断片的な情報を想像力で膨らませても妄想は妄想でしかない
それを知識と言われても、あなたがそう思うのならあなたが好きなようにしてください、ここ以外の場所で、としか言いようがない

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 20:19:34.61 ID:66Q653fU0.net
>>646
それが肘の手術と何の関係があるの?
いきなり妄想垂れ流しされても

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 22:40:13.56 ID:rn9FO0Y/O.net
答えられなくなったら妄想呼ばわりで締めるのか?
元より断片的な情報しかないのが正史だろうに。
てか、当時の中国の酒が痛み止めになる。なんてトンデモ妄想はスルーなのか?
妄想の飛躍度合いが一番酷いだろ。

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 23:46:47.69 ID:66Q653fU0.net
自分で勝手に痛み止めの定義を決め付けて妄想って言われてもw

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 00:55:20.94 ID:nwqWpXoYO.net
トンデモ妄想の原因は>>640>>642だな。

それは俺じゃないから分からんわ。
上辺だけで中身がないからスッカスカな意見だから、理由を詳しく聞きたいところだが逃げたのかな?

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 03:03:20.33 ID:ibnQob8L0.net
長い文書いても中身があっち行ったりこっち行ったりでなあ

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 13:42:15.93 ID:McEwXnUP0.net
要点は関羽が凄かったか。当時の医療技術が凄かったか。
だな。

・共通点:当時は疫病が全国的に蔓延していた。

⦿関羽が凄かった
 ・大量出血を伴う切開手術を輸血も麻酔もなく、不衛生環境下で行い
  二次的感染にもかからなった。
  
  超人と呼ぶには十分な説明かと。

⦿医療が凄かった
 ・全般的に具体的な説明はなし。
 
>>640より「もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
  前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている 」

  もっと危険で不衛生 と 処方確立 の具体的説明の欠如。

  更に二次的感染は不衛生環境下での細菌感染によるものなので
  無菌室のなかった時代に、その被害を完全に
  抑えられる医療技術、薬方の説明不足。
  中央、地方の医療機関の充実、医学会の発展の説明も必須。
  でなければ、関羽の執刀医が同等の薬方と知識を揃えられていた説明にもならない。

 >>640より
  「同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
   肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
   麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない 」

  
  ・開腹手術と腕の切開手術の出血量の違いの説明の欠如。
   出血量が多ければ、腕の切開手術でも命に係わるため。

  >>642
「まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね 」

   ・どういうことなのか?これもまた具体的な説明がない。
    アルコールはどれくらいの度数、酒量なら痛み止めの効果を発揮し
    それが断続的な痛みが続く切開手術に耐えられるものなのか?
    技術的に生成可能だったのか、現代の麻酔並みの信頼度があるのか、の説明不足。


>>639からのまとめを書いてみたが
関羽の超人っぷりは説明が簡単だが、当時の医療技術の説明は東洋医学の専門家でもないと
無理なんじゃないの?    

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 16:22:54.48 ID:pd/acrFo0.net
>>653
とりあえず正史の記述を丸飲みしてるのがな
肘が完治してから曇りや雨の時に痛む程度で
しかも時間が大分経ってからの骨に毒って診断ミスだし

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 16:44:56.80 ID:NOZYSpE50.net
だからスレタイが読めねーのかな
ここは関羽のすごさを語るスレでも古代中国の医療技術について語るスレでもないのだけれど

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 17:09:59.48 ID:HBJW7Bcy0.net
約一匹、>>639に猛烈に噛みついてるのが居るからな…。
答えられないならスルーすればいいものを。
関羽真理教布教だの、関羽信者だの煽ってる姿には懐かしさすら
感じるがいい加減に絶滅してほしいわ。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 18:32:43.98 ID:a9R6hr/I0.net
俺は司馬懿の深謀遠慮だと思うね
司馬懿が本気なら、孔明死後の蜀なんてあっという間に司馬懿に滅ぼされてるよ
死せる孔明生ける仲達を走らすは、ただのショー


じゃあ何で司馬懿は孔明死後の蜀を滅ぼさなかったか?
蜀を滅ぼせば、その軍功は大きすぎて、洛陽の宮廷から呼び出されて処刑される可能性大
だからあえて孔明死後の蜀を滅ぼさないようにしたんだろう

曹叡も愚かだよ
俺が曹叡ならば、孔明死後直後に魏延が勅命で処刑されたとの一報が入ったら、
すぐさま司馬懿を大都督に任命して30万の大軍を与えて漢中へ攻め込ませ、
同時に合肥には兵5万を派遣して満寵の指揮下に置かせ、
呉への守備を固める
そうすれば蜀を滅ぼせるか、少なくとも漢中は切り取れた
何せ魏延は長く漢中の長官であり、漢中の要害を知り尽くしていた名将軍だが、
その魏延がいないんだからね

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 19:39:52.71 ID:xSFGTv2D0.net
愚かというか、曹叡は良くも悪くも現状の領土で満足してた気がする

だからほとんど外征やらないし、
孔明が死んでやったことと言えば、もう安心じゃ宮殿建て放題!!でしょ

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 21:28:10.33 ID:ydsl95M30.net
晩年に司馬懿に遼東遠征を命じてたじゃん
まぁ公孫淵があくまで背かなければそのまま放置してたかもしれんけど

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 23:24:26.95 ID:xSFGTv2D0.net
なんか話ずれてるなぁ

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 17:32:25.27 ID:cB0ycXCW0.net
曹操があと5年長生きしていた場合、
関羽の仇討に出陣した劉備が夷陵の戦いで陸遜に大敗したという知らせを受けた曹操が、どう対応するのか気になるね
うまくいけば蜀は滅亡し、曹操が成都に入城。
陸遜なら息子の陸抗と違って永安宮(白帝城)を落とせるだろうけど、
益州での戦果はそのぐらいだろう。
天下は三分せず二分(しかも圧倒的に魏が優位なまま)となる。
曹操の跡を継いだ曹丕と呉の戦いもまた、史実と違ったものになるだろう

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 18:27:04.69 ID:gM0RhW5i0.net
曹操が健在なら、劉備が呉へ東征する前提も絶対といえるかわからん

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 22:36:24.03 ID:MB8+83r00.net
流石に曹操が健在なら迂闊に出兵はできないんじゃないかと思ったが、
その少し前に荊州兵だけで魏に喧嘩売ってるやつがいたのを思い出した

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 23:57:49.33 ID:MB8+83r00.net
つまり当時の蜀は曹操舐めてる感あるし、
平気で夷陵出兵くらいやるかもしれない

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 00:59:16.49 ID:cFmWXXOS0.net
その舐めてた奴がぶっ殺されたばっかやんけ

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 01:43:53.85 ID:aOlew9/i0.net
曹操がもしも長生きしたらってifだけは考えられねーんだな
曹操は30年もの間広大な中国大陸を所狭しと縦横無尽に駆け巡っていたから
正直よく持ったなっていう感想しかわかないしあれ以上生きられる生命力を持った怪物だったらとっくの昔に中国大陸統一してたわ

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 05:41:44.16 ID:2QIlpMNo0.net
洪武帝「30年程度でへばるようでは英雄にはなれん」
天命帝「じゃあ子孫も同じくらい有能っていうifはどうよ」
始皇帝「そもそも統一に30年もかかるか?」

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 11:16:41.55 ID:JlZicAhJO.net
そもそも曹操の求心力が低下して、息子に権力のない飾りの地位に追いやられそうだ。
献帝とセットで自身の君主の座の禅譲も迫られたりな。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 12:24:05.09 ID:LZ+BAbLh0.net
氷河期だから補給線の伸びる益州方面は攻めにくかっただろうな

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 22:53:09.70 ID:wE/l7AR90.net
>>667
始皇帝はスタート地点が良すぎるのでNG

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 23:05:53.55 ID:BzKNq8RP0.net
「秦始皇や漢武の風を持つが、この2人にはわずかに及ばない」と劉曄に評されたのが皇位に就く前の曹叡

即位後は始皇帝や武帝のような大宮殿を建設したのは共通してるが

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 01:26:22.75 ID:0FoUWDFc0.net
それって劉曄の機知を示すエピソードってどこかで見たな
曹氏でなく袁氏の種なのを「わかるやつはこれで察しろ」っていう

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 02:03:53.58 ID:AqFwft230.net
○○は実は○氏の種ではないってネガキャン呂氏の乱からのテンプレだから
献帝も霊帝の子ではないってネガキャン袁紹にやられてる

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 22:10:10.04 ID:f9h9CIao0.net
>>673
桓帝辺りから皇帝の親が侯とか亭侯とかの馬の骨だから
ぶっちゃけ皇帝が馬の骨の子だろうが知ったこっちゃない
梁冀が劉志(桓帝)でなく劉蒜を皇帝にしていれば
また後漢の命運も変わってきたと思うが
劉蒜は曹操の養祖父の曹騰と不仲なので
曹操と劉蒜系皇帝との関係は献帝の場合よりも厳しいものとなっていただろう

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:17:03.29 ID:LVxQDZ+W0.net
氷河期で思い出した
赤壁の曹操撤退って疫病では無くて寒波による凍死なんじゃないか
予定外の戦線の膠着で冬支度が出来なかったのが原因か

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:39:54.22 ID:IH8qFR7r0.net
氷河期てw寒冷期じゃないの

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:53:02.56 ID:LVxQDZ+W0.net
>>676
長江が氷る事があるほど寒い時期なのを知らないのかな?

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 19:36:45.55 ID:kV7h6T7I0.net
最近、三国志の出来事をなんでもかんでも寒冷期のせいにする風潮って何なん?

そういう研究成果や史料でも出てきたん?

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 21:20:07.48 ID:riRfD/wu0.net
三国志に限らず最近の古代とか中世の研究って寒冷化現象を前提にしてるんじゃね。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 21:35:00.33 ID:IH8qFR7r0.net
地球寒冷化→凶作が続く→飢饉が慢性化→食いつめ者があふれる→野盗増える→
政治の無力化→民衆は新興宗教にすがる→農民一揆増える→武力でのしあがる時代→
これすなわち乱世

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 22:10:20.02 ID:Z+CtGddG0.net
後漢皇帝じゃなく太陽が悪かったんや!

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 07:08:50.18 ID:D09W7RH+0.net
>>681
いや、売官は悪政だろ

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 14:03:53.14 ID:XTBsQXzQ0.net
レコード大賞への批判は禁止ですよ

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 21:04:52.57 ID:t7Ugsk1V0.net
それは太陽が
させたことだよ
夏の太陽が♪

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 01:59:15.87 ID:w8zfRXss0.net
太陽が眩しいから・・・宦官に政治任せっきりでもかまへんか・・・

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 20:21:12.61 ID:tjCwM+P90.net
結論として漢王朝は亡びて当然だな

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 22:29:00.14 ID:x1H5pfBQ0.net
>>686
たぶん中原の万民(知識人層)も、そう思ってたのだろう
朝廷が腐敗し黄巾の乱から端を発した乱世で国土が荒廃し、
もはや漢王朝に天下を統治してほしくないというのが中原の万民の気持ち
だから曹丕が帝位を簒奪して漢を滅ぼしても、誰も反発をみせなかった
劉備からすれば、中原の万民は曹丕の帝位即位に激怒するはずだ
万民は漢王朝の支配こそ願っているはずだと思っていたので、完全に当てが外れた

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 22:56:16.86 ID:ZaXD2mEg0.net
でも、曹操が死んで曹丕が皇帝になった時期に地味に涼州で反乱が起きてるんだよね
蘇則が張既と協力してすぐに鎮圧してるがね
まぁこれは漢魏革命とは無関係な反乱かもしれんけど
あとちなみに、曹叡の正妻郭皇后は元は涼州の豪族の生まれだったんだけど、父親がこの反乱に連座したことで婢女に落とされて宮中入りしたんだとさ

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 12:03:46.80 ID:0J7svsxX0.net
初期の五胡政権の漢王朝リスペクトも西晋アンチってだけで漢王朝を懐かしむとか漢室復興とか真面目に考えてた訳ではないし

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 17:16:09.03 ID:+geDRalG0.net
>>681
飢饉が起きるのは正しい政治が行われていないから
つまりは後漢皇帝が悪い
日本の戦国時代もそんな思想だったよね

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 18:17:29.50 ID:h+hNDqDT0.net
そりゃ凶作=飢饉では無いからな
金が無いからって売官なんて悪政してたら駄目だろ

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 19:05:46.09 ID:3JqJQwjg0.net
売官は清もしてたからセーフ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 20:50:13.36 ID:h+hNDqDT0.net
>>692
セーフじゃねーよ
売官でまともな人材を遠ざけて宦官を内に呼んでまともな政治ができるか

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:03:56.95 ID:MGdcHIH70.net
売官制度なんてのは近世フランス、あるいはイギリスなんかでも行われていたし世界史では珍しいものではないんだよね
我が国でも江戸時代に御家人株を買うことで裕福な町人が士分になることもあったわけだし
制度そのものの問題ではないよ

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:13:54.84 ID:h+hNDqDT0.net
太尉や司徒を売ったのと同列に扱ってるのが間違ってる

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:37:33.98 ID:MGdcHIH70.net
三公なんて録尚書事が付いてなきゃ名誉職と同じじゃん

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 23:06:21.29 ID:0J7svsxX0.net
霊帝は地方官まで売ってたからアウト

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 02:02:13.43 ID:bs+9Xjy90.net
>>695
曹操が西園八校尉に抜擢されたのも父親の曹崇が銭一億万を投じて太尉の地位を買ったからなわけで
曹操にとっては売官制度が出世の追い風になった一面は否めないね

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 11:21:12.57 ID:9bN2hVI20.net
つうか売官のおかげで地方で苛斂誅求が激しくなったと聞くんだが

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 11:31:13.51 ID:2FRjhAf20.net
>>699
地方官まで売ったからな。
所謂「三公」は名誉職で災害が起きたりしたら簡単に罷免されるけど地方官はそうも行かないから搾取し放題。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/16(水) 09:43:48.21 ID:wMGtWuI60.net
現在行われている公共施設の命名権売却も、ある意味で売位売官制度の名残とみることもできる

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/18(金) 17:07:57.46 ID:4m/LmQ9D0.net
>>701
逆だろ
命名権売却はそのお金で運営費に充ててチケットなんかの値段が下がるが
売官の場合は勝手にチケットの値段を上げてその差額を私腹に入れんだぞ
なんか一人だけ後漢時代の売官の重さを理解してないな

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/19(土) 20:58:04.44 ID:vIWMpg6kO.net
金の力で現人神に成りたがる小物は、どんな時代にも居るんだな。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/24(木) 09:29:54.30 ID:3yAl8hxO0.net
>>658
宮殿工事は諸葛亮の存命中の太和年間でもうやってる

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/24(木) 10:12:15.82 ID:KwzgC8nJ0.net
秀吉のような知略に長けた英雄がいなかったから

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/01(金) 05:39:40.10 ID:kw5MSu6+0.net
主要な所抑えちゃったからもういいやってなっちゃった
蛮族としか思ってなかったんだろ

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 03:47:59.46 ID:Midiaszi0.net
普通に魏は何回も呉と蜀に侵攻かけて失敗を重ねてるんだぞ?
主要なところ抑えてたから良いやなんて思ってなかった

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 06:57:14.10 ID:76wL9pTm0.net
>>707
蜀って2回目で落として無かったか?
そんな何回もって回数では無いだろ

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 07:59:23.80 ID:gF8zTCnw0.net
姜維との戦いで数万人、諸葛恪との戦いで数万人とそれぞれ損害の記録がある
戦術的には相当な打撃、当時の人口からしたら国力に響くほどだったんだろう
戦術レベルで蜀、呉は大変優秀でそれが魏の物量、人口に対抗する状態が続いたんだろうな

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 11:29:47.84 ID:Z2Vh6VYd0.net
>>708
230年に曹真が、244年に曹爽が征蜀の軍を率いて退いてる
なので鍾会は3回目だね

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 18:50:14.40 ID:rgfLvgAa0.net
>>710
曹真のって大雨で途中で引き返しだろ
あれって戦争まで行っていたか?

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 19:30:17.36 ID:8Kxn3R810.net
共産や社民党員じゃあるまいし
万単位の軍勢動員して敵国に攻め込むのが戦争じゃないって
なかなか斬新な意見だw
日本人の平和ボケもここに極まれりって感じがする。

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 19:50:14.08 ID:MhaH4XcZ0.net
>>712
歴史を知らんのか?
計画だけで頓挫なんざ普通だぞ

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 20:09:34.96 ID:nM8tctDB0.net
北魏あたりも南伐が負けた時には大雨とか理由に撤退してるからな

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 21:47:33.96 ID:160wyWRU0.net
調べてみると曹真による太和四年の征蜀ってかなり大がかりなものだったんだな
斜谷道に曹真、子午道に張郃、西域から陸水路を通って司馬懿、武威からも兵が出てる
長雨で計画が頓挫してなかったらどうなってたかわからんね

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 22:00:10.57 ID:MhaH4XcZ0.net
後主伝で諸葛亮が城固、赤阪で待ち受けたけど曹真は大雨で撤退した書いてあるな
肝心の諸葛亮伝ではそれさえ記述が無いから衝突は無かっただろうな

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 01:55:54.97 ID:QGMPTtms0.net
飛行機輸送機があれぱどうかね
国土が広すぎて、右上から左まで行くのも大変だろ

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 05:58:34.28 ID:bRbIuSfK0.net
夏侯覇が蜀征伐で先鋒をつとめ、蜀軍に囲まれピンチになったが何とか切り抜けたという記述がある
後、司馬懿が蜀の城を落としたりしてる

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 20:05:27.35 ID:WgI6dZdn0.net
蜀が涼州を獲得していたら

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 23:27:33.44 ID:8CpH/kAa0.net
>>710
孔明と魏延が死んだ直後の234年、235年に魏は大軍で蜀へ攻め込んでおけと思うわ
絶好の機会を逸した
魏が天下を統一できずに三国鼎立が長引いたのは、魏が好機を逸していたからというのも一因だな

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/04(月) 11:08:04.76 ID:HOFscGrf0.net
優れた将帥なら自分の死後に十分な備えを残してるだろうし
内政に関してだって後継を複数指名して念入りに体制を固めた諸葛亮のことだから
魏側もそういうのを警戒してたんでそ

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 01:28:56.83 ID:57c9RtZL0.net
曹真の蜀侵攻失敗は兵力では損害少なそうだが
食糧などの補給物資の損害はかなり大きそうだな

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 01:58:36.68 ID:76PJ26w10.net
明帝曹叡の代に度支尚書司馬孚の献策で(涼州天水郡) 上邽に冀州の農民を五千人移住させて屯田兵としたと晋書司馬孚伝にあるが、これはおそらくその埋め合わせの措置なんだと思う
蜀の北伐が兵糧や輸送の問題で頓挫していたのと同じ理由で魏の蜀侵攻もまた困難であったのだろうな

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 09:01:14.26 ID:e/o5E/Am0.net
>>723
埋め合わせというか
蜀の狙いの一番が涼州の安定化阻止だって事に魏もある程度気付いていたって事やろ

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/07(木) 23:40:04.35 ID:SB656nn80.net
>>719
荊州統一も欲しい
せめて襄陽だけでも関羽が落としていたら

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 08:19:39.95 ID:I4ZfiwRU0.net
涼州と荊州持ってる蜀ってまんま北周やんけ。
その北周にしても粱と北斉の自滅がなかったらかなり厳しかったし

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 14:01:58.29 ID:P5gqd/+R0.net
>>719
1回目の北伐の時に魏延の策を採用して長安落としてあとは函谷関を固めてれば良かったんじゃね?

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 22:21:35.92 ID:IBltIl+f0.net
>>727
その前に劉備が荊州ではなく長安を攻めるべきだったな
そうすれば孫権が北上する可能性が有ったのに

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 22:48:00.69 ID:C3OkDjZe0.net
実際劉備がなぜ即位後涼州に侵攻しようとしなかったのか不思議に思う
あの時期、麹演らが反乱を起こしていて魏の涼州統治に綻びが生じていたはず
まだ馬超も存命だったし介入の糸口は十分あったのにね
荊州方面も重要だが外交で先延ばしにする策も取れたと思う
後知恵でしたり顔で語るのもみっともないかもしれんが

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 23:57:45.87 ID:uqvwNzHr0.net
身内の荊州閥が地元の支配の安定を求めたのでは?
平家打倒の旗印で挙兵した頼朝も配下の上総氏あたりの要請で関東の安定を最優先して
佐竹氏あたりを討伐してたはず。

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/09(土) 02:27:04.19 ID:Yht3focM0.net
劉備が死んだあとに劉璋の息子が反乱起こしてるのを見てると劉備の支配力はそんなに強くなかったんやろ

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/09(土) 08:04:40.98 ID:anhJqqYN0.net
結局、劉備の漢王朝復興なんてその程度だから魏からの反乱なんて望めないだろうね

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/09(土) 16:02:07.06 ID:oThnC47l0.net
>>731
劉循が?
そんなことあったっけ

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/09(土) 16:15:19.28 ID:boyaEQoF0.net
劉闡やろ。雍闓と一緒に反乱起こしてる(正確に言えば孫権から送り込まれた反乱工作員だけど)

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/09(土) 17:47:34.45 ID:XlrvZyQ+0.net
既に隴を得て、復た蜀を望まんや だろ さっさと鄴に帰って酒飲みたかったんや

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/23(土) 00:35:05.80 ID:7PyewkR50.net
「劉備が即位して、ひそかに期待していた中原の漢の忠臣は失望した」ってどこにかいてる?

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/09(木) 07:33:11.51 ID:cA8iOoIMn
何百年も戦争してるから、一般の兵の士気が落ちている。
遠征し過ぎ。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 10:46:48.49 ID:/Dp2KxFI0.net
じゃあ蜀と呉はどうすれば魏に勝てたんだよ?長安と合肥を落とせれば勝ち目が出てくるんだろ? [112216472]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1557931278/

書き逃げして遊ぼう

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/29(水) 09:22:50.57 ID:z+Mu4s8R8
なぜならそこに桜井誠将軍が居なかったから。

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/30(木) 14:13:35.15 ID:Osq34nL90.net
蜀に勝ち目があったとしたら魏に従う振りをしてひたすら頭を下げて生き残りを図りながら、外に脅威が無くなった魏が腐敗して内部崩壊するのを期待するくらいしかないと思う

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/30(木) 15:02:14.70 ID:Gqk7hJis0.net
別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない
曹魏は北に鮮卑や南匈奴の脅威が残存してるから本来は蜀遠征はリスキー過ぎたと思うんだわ
司馬昭って勝負師なところあるよね

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/31(金) 09:20:03.54 ID:O0sG+XOt0.net
>>741
あん時の昭さんって曹髦殺害&鍾会の讒言で嵆康(嫁が曹家の皇族)も処刑で外征してわかりやすい結果出さないと政権が持たなかったんじゃ。 

結果としては博打に大勝ちして危険分子(鍾会、ケ艾、姜維)まで処分できたから笑い止まらんわなぁ。 

なお後世の人気は最悪な模様

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/31(金) 11:54:22.30 ID:euyn0JhU0.net
仮に昜鍾会の蜀討伐が失敗に終わっていたとしたら司馬昭も曹爽と同じく声望を失ってクーデターで失脚していた未来もありえたのだろうか

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/01(土) 07:59:11.48 ID:Mx750j3G0.net
曹爽よりは縁戚で身内固めてるとは言え、竇憲や跋扈将軍みたくいきなり排除される可能性もあるから昭さんとしては気が気じゃない心境やったんじゃないかと

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 07:14:37.41 ID:a8sBZID+0.net
>>741

> 別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない


それはそれでジリ貧になりそうだが

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 11:51:13.12 ID:a9B1N5N/0.net
引きこもってその間に優れた人物を見つけて国力増強できたら万が一って可能性はあるね。

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 12:22:48.73 ID:JT4koPZz0.net
荊州人が益州人を支配する歪な状態だから無理だろ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 13:18:37.15 ID:7Fk8xDr10.net
劉禅は幽州人なのでは?
姜維は涼州人だし

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 13:32:25.65 ID:wEjaadIe0.net
孔明も徐州出身やな

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 15:52:12.65 ID:MCrsmfGF0.net
荊州人士と益州人士が対立した事例ってそもそもそんなに頻繁に起きていたか?

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 19:13:40.77 ID:S2CxaX080.net
>>742
笑いが止まらない結果が孫や曾孫のグロ死に

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 19:18:57.31 ID:E9WFkgW90.net
そもそも劉焉劉璋政権も外部出身の人間が益州を支配する体制だったしなぁ

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 19:29:28.42 ID:eL5lBD7O0.net
昜って大将軍としての軍事能力は諸葛亮が相手をしていた曹真や司馬懿よりも上なんじゃね?
姜維も諸葛亮の後継者として充分な能力があったがいかんせん相手が悪すぎたんだと思う。
あと姜維は諸葛亮と違って政治家としての資質がイマイチで蜀の内部に姜維反対派を作り出してしまったよがまずかった、これで姜維は望む通りの軍事的展開を広げることができなくなった。

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 19:43:48.32 ID:MCrsmfGF0.net
ケ艾って大司馬とか大将軍に任命されていたっけ?
征西将軍じゃなかったっけ
追贈で太尉か

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 19:55:27.88 ID:ww/9tyyK0.net
曹真やしばちゅうさんの頃から関西ちほーの実効支配を進めて交通や農業のインフラ整備をやってきた積み重ねが段谷の圧勝やから

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 20:57:29.69 ID:O8hsE6Im0.net
しばちゅうさんは司馬衷さん

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 23:36:14.70 ID:E4n7aDA9O.net
関羽を攻めた年の始めに呉は目眩ましか魏に攻め込んでるけど
これがフェイクじゃ無くて本腰だったら劉備・関羽・孫権の三面北上が完成して魏も危うかったかもな
遷都をすら考えたという曹操の最悪の想定がそれだろうし

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 00:19:35.63 ID:m6s0+62J0.net
>>757
呉で一番の戦略家だった魯粛は荊州を狙いながらも武力的な衝突を避けてたけど
なんとなく衝突した結果二国がジリ貧になる未来を予想してたのかもしれんね

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 00:19:45.92 ID:4WIjsNQa0.net
>>750
蜀の人物の出身地を洗い直すとぶっちゃけ益州人は蜀の政権中枢にほとんどいないので派閥抗争に発展しようがない
李厳だの呉懿だの法正だの益州閥のレッテル貼られるような何かしそうな高官は大体他州出身

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 08:13:14.23 ID:yHq3x/JD0.net
>>759
絶えず亡国の危機に直面してる人材不足の国だから出身地での派閥争いしてる暇ないんやろ

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 10:24:33.09 ID:W+YODXJd0.net
>>748
劉禅は生まれは荊州
本籍は幽州になるかもしれんが

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 14:10:25.85 ID:cyB5J1kY0.net
涼州って後漢末期に雍州に併合されてなかったか?

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/07(金) 11:11:06.33 ID:/8MM/195n
●部聡は、●フリートで、●波、起こしてますぜ

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/07(金) 18:16:37.13 ID:SsO7OjTB0.net
>>760亡国の危機に直面したのって夷陵直後と曹真の蜀侵攻と蜀滅亡の時ぐらいじゃね?

765 :送信を一斉に:2019/06/07(金) 20:08:09.97
名古屋アベック殺人犯の犯人の男が浦塚葬儀屋をしてる、神奈川県横須賀市大矢部で、長身の男 事件の後遺症の膝が痛いとぬかしている 孫まで居る
隣の会社から騒ぎが伝わってきた会社に

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/07(金) 21:56:33.04 ID:1cQ8oZwB0.net
>>764
最初から最後まで満遍なく亡国の危機発生してて草

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/07(金) 22:44:51.51 ID:lX8ov7c/0.net
蜀取った直後の単刀赴会のあたりも地味にやばかった

劉備自ら荊州で呉の主力と対峙している状況で曹操の漢中制圧だからな

曹操が変に余裕ぶらないでそのまま蜀になだれ込んでいたら統一できてたのになあ

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 07:05:20.47 ID:exFi566c0.net
>>767

軍事的な才能は   司馬懿 >> 曹操  ということになるのかな?

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 08:16:58.72 ID:yOsueuwH0.net
そりゃ進言する側と決断する側じゃ立場も違えば見立ても違うわな

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 18:26:16.19 ID:qrmTUAyW0.net
>>757
関羽が呉の食料を奪わなきゃ可能性はあったかもね

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 18:40:23.19 ID:Ri2NJxIl0.net
隴を得て蜀を望むとか言い始めてやけにあっさり撤退したからなあ

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 19:25:23.97 ID:qFdZTE+i0.net
>>770
まーだそんな地理的に有り得ない与太話信じてる奴いたのか

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 20:18:24.52 ID:qrmTUAyW0.net
>>772
残念
湘関は蜀呉の国境関です
今の地図で湘水を見てもしょうがない

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 20:40:19.67 ID:KMqXHc0H0.net
>>767
あいつは歳だしそんな気力ないわ。蜀行ったら死んでただろうな

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 20:46:42.13 ID:qYJNUt5MO.net
膨大な食糧の運搬方法や、その人数の確保に万を超える捕虜が飢え死にしない迅速供給。こういった現実的な問題をどうクリア出来たのか?ということが明らかに出来ないとな。出なければ与太話の類、あるいは裏切りの正当化のための苦しい言い訳にしかならんよ。

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 20:57:31.07 ID:5Uxg5Fks0.net
>>771
元ネタの光武帝は隴を得てから3年で蜀を平定してるからな
劉備との対決を恐れたのか孫権の方が与み易しと見たのか、一体なにを思って蜀取りを躊躇したのか分からんが結果論で言ったら大ポカもいいとこだよな

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 21:28:52.54 ID:qrmTUAyW0.net
劉備や関羽が裏切るのって何時もの事やん

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 21:41:25.29 ID:qYJNUt5MO.net
関羽って誰か裏切ったか?

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 22:01:47.33 ID:qrmTUAyW0.net
>>778
同盟国の国境荒らししてるやん

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 22:14:26.06 ID:qYJNUt5MO.net
呉書「異次元に保管してある食糧奪われたー!」
こうですか?

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 00:47:36.38 ID:X9YP7V+p0.net
ジョミナンの妄想真に受ける奴まだいるのか

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 01:56:58.65 ID:Rv+hNDoZ0.net
結局、湘関ってのが湘水のどの辺りに設置されていたのか、劉孫で荊州南部を分割した時に湘関がどっち側に帰属していたのかがはっきりしてないからなんとも言えないよね

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 02:20:27.55 ID:n+XkLXrt0.net
5chぐらいだよね関羽が食糧を強奪してないのって否定してるのは
陳寿や裴松之もしてないよね

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 12:56:47.61 ID:O/aDma3jO.net
陳寿は呉書を書いてないからな。
陳寿の場合は客観的に書いているから呉書のような無理やりな自国擁護もない。

今の三国志関連の本で関羽の強奪うんたら書いてるのが居たら、そいつは情報を整理して冷静に考えて客観的に物事をとらえることが出来ないバカということ。

肩書きだけは立派な物書きなんて腐るほど居るからな。

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 14:17:14.00 ID:TmFAkO7P0.net
関羽の食糧強奪を歴史的な事実と言い張りたいのなら

1・湘関とはどこなのか?の所在の判明
2・戦争中に食料強奪に割ける人員がどれほどのものだったのか?という人数の証明
  (蜀軍は三国の中で最も兵が少ない、そんな余裕はどこになったのか。)
3・2に伴う運搬時間、大量物資の運送手段の証明
  (当然、軍事行動中の関羽軍に間に合うことが必須)

これら全てを正史の史料の中から証明しなければならない。
現実的に考えて、それが立証不可能ならばそんなことはなかった。と
言わざるを得ない。呉書による自国贔屓のでっち上げ。

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 14:37:24.67 ID:n+XkLXrt0.net
>>785

1・呉、蜀分荊州、以湘水為界 時又置関水上以通商旅、謂之湘関
通商関 国境関で今の湘水の関では無い

2・陸遜の手紙で荊州守備兵を使っているしこの時点で呉を軽視している

3・関は川のすぐ傍で船で運搬ができる

4・当時の関羽軍は于禁軍の捕虜、賊に印綬を渡して規模が大きくなり過ぎてる

5・関羽は前から国境荒らしの前科がある

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:01:08.62 ID:TmFAkO7P0.net
その答えでは曖昧過ぎるな。
1の答えは湘関の所在の証明になっていないどころか
自身で湘関の所在が不明であることを認めてしまっている。

もっと現実的に達成可能であったかの証明がなされていない。
それに最も重要な具体的な「人数」の答えが得られていない。

3は「川を使って運搬した」という史料の記述はどこにあるのか?

2、5に至っては客観性がないどころか、単なる関羽アンチの感情論に過ぎず
論点がズレている。

自分本位なシミュレーションに過ぎないのでは「関羽の強奪」があったことが
事実であるかのような恣意的な誘導になっていくだけ。
それは証明とは言えない。

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:19:18.96 ID:n+XkLXrt0.net
>>787
1 否定派の荊州の南部というのは根拠がないって事でいいな
「人数」の意味が分からん
関羽が引き上げた荊州守備兵ではできない根拠をくれ

3 逆に川の反対側に関を襲うのに船を使わない方法をしめさないと反論にならない

2、5は正史に反論するならそちらも正史から反論してくれ

4は反論なしだな

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:35:11.52 ID:TmFAkO7P0.net
いや、だから問題なのは
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」ということ。
膨大な捕虜のための食糧確保を呉の食糧保管庫からの強奪によって賄った。
ということを「事実」として認識するためには

食糧確保のための膨大な人員と捕虜を飢え死にさせないための
迅速な食糧供給を可能とした「史料」からの証拠提出が不可欠になる。
つまり、3世紀の運搬技術法の説明。

3の「川を使って運搬した」という史料そのものがないのなら
元より論にもなってないし、それに対して反論のしようもない。
個人の「思い」に対する反論などしたところで決定的な証拠のない
単なる水掛け論になっておしまい。

3世紀の運搬技術で万を超える捕虜が食えるだけの食糧確保を
迅速にどのように行えたか?が論点であり、「それを行ったこと」は呉書の
自国贔屓なでっち上げに過ぎないということ。
現実的に不可能なことは行えないのだからそこには論点はない。

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:40:20.83 ID:n+XkLXrt0.net
>>789
意味がわからん
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」は
可能だったとしかいいようがない

運搬技術って輜重隊を知らないの?

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:42:28.86 ID:YWcNOvdS0.net
川が近くにあるのに当時の詳細な運搬方法が確定してないから水運を利用してないは無理筋

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 15:50:17.88 ID:TmFAkO7P0.net
その堂々巡りがでは湘関とはどこなのか?ということなる。
そしてその「数」の確保もどうこなしたのか?
万を超える数を食わせるだけの輜重隊などそれだけで
どれほどの人数になるのか?
あの時に関羽軍が戦場に居ながら同時にこなせることなのか?
こういう現実的な問題がまるで勘定に入っていない。

呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
それを呉書に記載した可能性のほうが高く
蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
だから、呉書からの一方的な見解しかない。

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 16:17:44.40 ID:n+XkLXrt0.net
>>792
結局、守備兵ではできないって反論ができてないな

>呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
>それを呉書に記載した可能性のほうが高く
>蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
>歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
>だから、呉書からの一方的な見解しかない。

不可能か可能かの話なのに
否定前提の感情論でしかないな

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 16:32:30.27 ID:O/aDma3jO.net
ついに鸚鵡返しだけになったか…。この流れも終わったな。

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 16:36:50.83 ID:n+XkLXrt0.net
それと大義名分の話だけど孫権が茨州戦の後に漢王朝から賊討伐で驃騎将軍・荊州牧・南昌侯に任じられてるだよ
漢王朝からの王を僭称した劉備討伐を載せない理由がないのは不自然なんだよなあ
王の僭称なんて事実を書けないから消してる可能性があるんだよなあ

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 16:53:32.86 ID:Gwx0p72l0.net
そう言えば関羽の捕虜となった魏兵ってどのくらい無事に帰還できたんだろ

魏の捕虜になったら埋め埋めか京観にされそうだけど、蜀漢では如何?

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 17:27:56.32 ID:O/aDma3jO.net
結局、湘関の場所はわからず終いか。存在しない場所から食糧とられたー!とかなんか韓国人並の難癖の付け方だなw

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 17:45:56.56 ID:5SOFrR3u0.net
そもそも「呉の裏切り」とかまんま演義史観やんけ
それこそ蜀志でも関さんメタメタな評価なのに

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 17:52:58.35 ID:T28kydKi0.net
スゲエ
反論出来ないからレッテル貼りなんて完全な敗北宣言じゃん

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 18:11:38.44 ID:O/aDma3jO.net
>>786の時点で言葉のキャッチボールが成立しなくなったからな…。反論も何も答えに窮すと論点ずらしばかりで、結局湘関の場所とかすっかり答えなくなったし。

でもって、所在が分からない場所から食糧とられたー!と言い続ける。レッテル張りじゃなくて似てるじゃん。
まあ、答えられないんだったら不毛だしね。それ以上は無駄でしょ。

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 18:19:25.74 ID:0akeQ8b80.net
>>800
こいつ2垢使って反論してたの
気持ち悪い奴

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 18:38:25.85 ID:O/aDma3jO.net
家に居る時はPCで、今は外だから携帯で。何かいけないことしてる?
ハッキリ言うと今は携帯だからPCは使えんよ。長文の質問も出来ない。
こんな時に都合良く自分の味方なんてやってくるのが不自然だし。
てか、そんな意味のないことなら次の議題で一つ。

曹操が関羽に対して、荊王の位を追贈したのは正史だっけ?演義なら、明の時代の関羽と孫権の差で分かる話だけども、正史の時代なら孫権って関羽の墓守を命じられたらようなものでは。と思ったよ。

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 18:50:55.45 ID:n+XkLXrt0.net
>>800
何、詳しい場所が分からなければ捏造なんて説は初めて聞いたよ

とりあえず関羽が食料を奪える可能性を証明したのを認めてくれないか

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 19:23:50.48 ID:O/aDma3jO.net
場所が分からなければ奪いようがないでしょ…。
それに水運を利用したとか、そういう正史に書いていないことを勝手に妄想して、あったことにする ことの方が正史の捏造行為に当たるんじゃないのか?
ないなら、作ってしまえ、考えてしまえ、な発想こそが捏造行為の源泉に当たると思うんだが?

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 19:49:29.22 ID:n+XkLXrt0.net
>>804
関羽の行動範囲には有ることは理解できないの?

それと公安、南郡と襄陽を地図で見てみろよ
水運を利用しないでどうやって運ぶんだ?

あといいかげん俺の質問に答えろよ

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 20:34:08.58 ID:O/aDma3jO.net
その行為が捏造だろ。権力者みたいのが居て、それが採用されたらめでたく正史の捏造が完了して関羽は正式に呉から食糧を奪ったことになる。
元々の正史に書かれていないことであってもな。

何か質問とかされたっけか?関羽の私党が膨れ上がったことなら、それは曹操の領土内での話で位置的に関羽軍の直参となって合流するのは無理があるんじゃないのか?

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 20:41:38.57 ID:n+XkLXrt0.net
>>806
君のしている事が根拠の無い捏造なんだが
詳しい場所が分からないのは湘関だけだと思っているのか?

とりあえずしたしてない別にして関羽は食料を強奪できたかできなかったかどっちだ?

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 20:49:18.96 ID:O/aDma3jO.net
また鸚鵡返しなのか…。まあ、日曜日夜の暇つぶし程度だから別にいいけどね。そろそろ、気力も失せてきたけど。

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 20:55:11.77 ID:n+XkLXrt0.net
>>808
鸚鵡返ししか言えないの?
一度もまともに反論がないんだけど

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:02:36.80 ID:n+XkLXrt0.net
反論するなら関羽が自領だけで食料を賄えたって根拠をくれないか?
茨州を水運を使わないで食料を運ぶ方法も

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:04:53.12 ID:ikgHpfKL0.net
そもそも呉書はご都合主義が強いとは言え捏造と断定出来るほどの根拠出してたっけ?

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:05:37.76 ID:O/aDma3jO.net
それは単なる関羽アンチ感情論と言ったはず…。俺が関羽信者の感情論で捏造合戦を続けることがお望みか?

正史の記述から暴走した見解にはもうつき合えんわ。俺はもう去るわ、お疲れ様。

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:08:54.74 ID:n+XkLXrt0.net
>>812
結局、君は何一つ根拠を出さずに逃げ出すんだね

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:42:20.98 ID:07o9CfOe0.net
そもそも関羽の食料強奪が「捏造」と断定してる研究者とかいたっけ?
最近出たユリイカの三国志特集でも例によって非難されてたけど

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 21:47:59.35 ID:A+tsperS0.net
魏使於禁救樊,羽盡擒禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米。

どこぞの関羽信者の感情論で呉書(呉志)は陳寿が書いていないから捏造とか
臍で茶を沸かす事言ってるけど
少なくとも陳寿が検閲して採用している時点で事実なんだろうと認識できるけどな
もし少しでもわからなければ例えば孫堅が玉璽を手に入れたとかみたいに
複数の野史に載っていようが本記に載せない

呉書(呉志)を否定するという事は陳寿の信憑性の薄い史料を排除して完成させた
史官としてのプライドもその結果の「三国志」も否定する事になるな

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 06:54:21.24 ID:i5t0qW260.net
>>812
今来たがちょっとあんたメンタル弱すぎだわ

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 08:21:30.25 ID:YMpbEB+X0.net
陳寿が仮に呉書の内容に納得が行かなかったら蜀志で反論するはずなんだよね。
蜀志では孫権は皇帝扱いされてなくて呉王って呼ばれてたり権とか呼び捨ての時すらあるから。
結局は陳寿としては「呉人は都合の良いことばかり書きやがって……」と苦々しく思いながらも反論出来る材料ないからスルーしたんじゃ

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 08:46:48.71 ID:X/2ioxDA0.net
道義性の問題としては関羽が兵糧押収したかどうかなんて些細な問題だと思うけどな
みんなが何でそこまで熱くなるのか理解できん

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 09:43:24.83 ID:fHA9n8Sl0.net
>>817
陳寿はそういった理由で筆を曲げないから記録の少ない入蜀までの蜀の記述が簡素なんだよ

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 10:30:52.46 ID:l9/WXxjd0.net
>>819
劉ショウとかボロクソに書いてるし普通に筆曲げてるぞ

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 10:37:13.65 ID:fHA9n8Sl0.net
>>820
それ曲がってるのか?

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 10:50:23.61 ID:l9/WXxjd0.net
>>821
曲げてるだろ
劉備達の私欲で国取りしてるのに不幸とはいえないとは
だいたい曹操に降伏しようとしたけど全部部下に裏切られただけだし

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 11:20:45.73 ID:G9HxgPKS0.net
蜀の旧臣は劉璋を裏切って劉備についたからな
よしんば劉璋が史書に書かれてるほど無能ではなかったにしても、彼らの後ろめたさを払拭するためにも劉璋のことは悪く書かざるを得ないんじゃないかな
馬謖の参軍を務めた父親をもつ陳寿もその当事者だったってこと
陳寿は完全に中立の傍観者として執筆したわけではないから、ものの見方に多少のバイアスがかかっていると思う

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 11:49:59.29 ID:fHA9n8Sl0.net
>>822
それ貴方の感想やん

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 11:52:56.06 ID:fHA9n8Sl0.net
蜀志には蜀志の立場があり
魏志には魏志の立場がある
当然呉志にも呉志の立場があって
陳寿はかなりバランス取れてるよ
劉備を叩かなきゃ筆を曲げてる事になるとかアホもいいとこだわな

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 12:03:46.48 ID:l9/WXxjd0.net
>>824
正史読めよ注釈あるから
正史を読んでもないアホに言われる筋合いはない

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 12:57:14.29 ID:SGVNkEMN0.net
どうでも良いことによく無駄な時間掛けるなw

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 13:04:05.03 ID:YGhXKOKJ0.net
呉志は取材はできただろうけど降伏してからあんま経ってもないし孫酷に粛清された奴も多いしで
実際どんくらい取材できたんだろうな。あんま聞くとお前の王朝滅びたけど気分どう?になるし

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 15:10:54.75 ID:edlowbed0.net
周処「(あなたがかつて仕えていた)蜀は呉よりも先に滅びました。国の滅亡に口惜しい思いをしたのは、一人に限りませんでしょうよ」

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 15:30:18.80 ID:V/+wKuSi0.net
>>828
呉から晋へは投降者ぞろぞろいたから情報はとれた気がしなくもない

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 17:30:15.04 ID:vuBO4BDu0.net
陸凱の上奏文とかも掲載してるんで呉人から資料を貸してもらったりしてたんじゃないかな。

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 19:05:58.90 ID:NFyCe+4j0.net
>>818
視野狭窄に陥ったのかもね。
呉の食糧を奪ったことになったら天下の義士とは思われなくなる!みたいな。
歴史を広域的に見れば、その程度で関羽の義人としての特性が
失われることなんてないことは明らかなんだけどね。まあ、孫権は軽視したけども。
それに関羽は没後にすべてを水に流して、中華全土、今では中華圏全域の人を
守り救う偉大な神になってる。
今や関羽自身がネットでの中傷に対するスルースキルが完璧なんだから好きなら>>812
それに習ってみようや、と言ってみる。

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 19:50:48.00 ID:RoqtL9UU0.net
関羽の最後って城の兵士見殺しで
身内26騎で逃げ出してるよ
陳寿も自業自得で死んだと評してるし

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 20:27:23.51 ID:G9HxgPKS0.net
まだ関羽の話題続けるつもりかよ…
多少の脱線なら付き合うけどスレタイ見直してそれでも納得いかないなら別でスレ立てようよ

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 21:02:53.62 ID:dy8EKhrxO.net
結局、皆関羽が大好きでした。

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 21:16:08.72 ID:L1QZqpW/0.net
大衆人気のある三国志のなかでも一番のスターだから仕方ないな
欠点を認めようとしない原理主義者からアンチをこじらせた単なる馬鹿までファン層は幅広い
みんな関羽の虜なんだ。

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 21:53:54.83 ID:3Enc4vJX0.net
関羽は面倒くさい奴だ
関羽のファンはもっと面倒くさい
関羽の話題になると面倒くさい展開にしかならない

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 22:44:45.32 ID:V/+wKuSi0.net
歴史ゲーム板にもいるよ関羽厨
関羽の話題になるとあーなる↑からあっちでは絶対に触らない

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 22:53:27.46 ID:TUjvILDJ0.net
ほんとに関羽厨って自分の都合で蜀スレさえ荒らすからな
宗教だからキチガイが多いんだろうね

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 23:06:35.67 ID:dy8EKhrxO.net
秋元康はアンチは無料の広告塔って言ってたそうな。有り難いもんだね。頼んでもいない話を広げてくれるなんて。

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 23:17:13.53 ID:CLof6NjR0.net
関羽厨は勘違いをしてるなあ
基本的にアンチは関羽では無くスレを荒らす関羽厨を嫌いなんだよ
だから関羽アンチでは無く関羽厨アンチって呼ばないと

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 12:07:38.68 ID:bLvFy6HA0.net
話題変えてここからは楽毅の話をしよう。

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 15:06:45.06 ID:1qaseOleO.net
新楽毅結衣

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 16:28:48.26 ID:lOFz9gIP0.net
楽毅って夏侯玄が楽毅論編纂したってことと
戦国の強い人?ってことくらいしか知らない
スレタイと絡めて何かあるのかな

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 17:03:48.51 ID:aRnmjDsl0.net
楽毅は燕の昭王の「隗より始めよ」という人材登用に応募して仕えた。燕は少し前に大国斉に攻められて
滅亡しかけたので昭王は人材を登用して国を再興し斉に仕返しすることを望んでいた。いろいろあって
燕・韓・魏・趙・秦の5カ国が連合して楽毅の指揮で斉に攻め込んで斉王が逃げ込んだ莒(キョ)と即墨と
二城を残すのみというところまで行った。しかし即墨に籠る田単はしぶとかった。なかなか落とせないでいるうちに
昭王が死んで楽毅と仲の悪い恵王が即位すると田単は恵王に離間策を仕掛けて楽毅を解任させることに
成功した。かくして斉は亡国の危機を脱して息を吹き返した。でももう東帝と称した頃の勢いを取り戻すことは
出来ず強大化する秦に対抗できる国はなくなった。

三国志と絡めると諸葛亮が荊州で寓居してる時に自らを管仲や楽毅になぞらえていた。

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 17:28:35.66 ID:FKQJgCQg0.net
この流れはスレタイとどう関係有るの?

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 18:41:12.10 ID:lOFz9gIP0.net
曹操が戦上手の若い司馬懿を大抜擢してもっと早くから前線で指揮を取らせたら
統一が果たせたかもとか?関羽の時も呉を抱き込むアドバイスしてたっけ?

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 19:23:31.35 ID:ecFk7qM90.net
その頃のしばちゅうさん軍司馬(高級参謀)で指揮とか自分で取ったことなかったんじゃ
しばちゅうさんが軍の指揮を任されるのは曹丕の代になってから(その頃も数千程度で本業は内政)

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/11(火) 19:55:25.74 ID:yuXFyib30.net
誰?

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:05:51.27 ID:NhdNfhmt0.net
司馬懿は確かに戦上手ではあるけど
基本、攻められてから反撃するパターンが多くて
例外は孟達の裏切りを阻止したのと燕侵攻ぐらいで
大規模な侵攻作戦とかやった事ないから韓信のような役割ができたかどうかは分からんよな

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:23:16.99 ID:wDpRb7U10.net
>>848
政治的実績が州大中正で身内が馬鹿だらけだから内政を本人が主体でやっていたのか疑問が浮かぶ

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:41:20.05 ID:80xaX3dc0.net
農政とか実務系の能力は高いだろうけど政治構想とかは苦手なんかな。

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:42:32.64 ID:kxHpKwHQ0.net
>>850
韓信ほどかは分からんけどそんだけやってれば十分だと思う

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:48:52.15 ID:VOHWYXnk0.net
大規模侵攻は相手陣営が臨戦態勢に入る前か
屋台骨が腐りきってからが定石だから
三国時代のように互いに陣容を整えた後ではもう無理
内部崩壊を待つしかない

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 20:54:31.94 ID:2qPEgHhC0.net
>>852
そう書かれると董卓と似てる

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 21:20:14.49 ID:jxY89AMT0.net
曹操が漢中行った時劉備の軍は引きこもって曹操軍ばかり損耗してったとかそういうのどっかでみたけど
実際劉備の兵力ってどんなもんだったんだろ 関羽がピンチの時援軍出さずに漢中王になったりしてたが
あれってまだ呉の裏切りに気づいてなかったから援軍出さなかっただけ?陸遜がフタしてたから届かない
だろうけど

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 21:38:43.19 ID:Dq++DEW50.net
漢中から上庸へ劉封を派遣して孟達に合流させた位かな?

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 23:23:35.94 ID:JMcLpAxd0.net
>>849
しばちゅうさん=司馬衷さん

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 06:46:58.79 ID:NrgTJd1N0.net
>>856
中国版wikiだと劉備軍7万(多分張飛馬超等の別動隊や異民族含む)
曹操軍10万

219年05月 曹操軍漢中から撤退
219年07月 劉備漢中王僭称
219年07月 関羽軍と于禁軍が衝突
219年08月 于禁軍大雨で壊滅
219年10月 関羽軍と徐晃軍が衝突
219年閏10月 呂蒙軍荊州に侵攻
219年12月 関羽呉軍に偽降の末逃亡して処刑

さすがに劉備が本気で関羽に援軍出していたら
援軍の先鋒が陸遜軍と衝突しててもおかしくないがそういう援軍の記述はない
魏の樊城への援軍や呉の後の三方面の戦いとかほぼ休みなしで連戦してたりする軍もあるので
関羽に援軍が無いのは劉備が関羽を見殺し
もしくは蜀が他国の動静に疎い情弱
もしくは蜀の国力が連戦に耐えられんぐらいの脆弱
もしくは蜀軍が連戦に耐えられんぐらいの貧弱
なんでしょうな

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 12:28:34.29 ID:k5ITKzgp0.net
>>859みたいな蜀アンチをこじらせたアホはこのスレには不要かな。

誰にも迷惑掛けないように首吊って死んでください。

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 12:54:09.88 ID:r4ncvXQbO.net
とりあえずスレタイを確認するべきだな。曹操軍マンセー!なスレじゃない。

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 14:24:24.71 ID:eZ1FPnky0.net
何でアンチ活動に走るんだろう
蜀漢=雑魚としちゃうと司馬昭になるまで蜀漢を倒せなかった曹魏とか雑魚以下になる負のスパイラルに落ち込んでいくだけだと思うんだけどね
理解に苦しむ

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 18:54:50.38 ID:G3/hNCFL0.net
>>859の意見はかなり偏向的な物言いだが、それでも情報としては
なかなか面白いと思う。
魏は大国故に継戦能力は高いが、前線の指揮官に蜀や呉のような
天下に名を轟かす豪傑や地の利を生かしたスペシャリストがおらず
将として格落ちしてる部分は否めないから苦戦したんだろうな。

現に対関羽戦でも魏は于禁、曹仁、徐晃と名将三人を当てて
ようやく撃退に追い込むくらいしか独力では出来なかった。
圧倒的な物量が魏を支えていたんだろう。

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 19:41:22.87 ID:fjjc5J600.net
>>859中国wikiの曹操軍10万、劉備軍7万は何の史料によるものなんだろうか?

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 21:42:18.50 ID:cn0JF8Wk0.net
長江を使った通信網も下流から上流へは機能しないってことと
呉軍が裏切るとは予想もしてなくて備えがなかったということなんやろね
制したばかりの地から兵を送り込むというのも現実的には難しい話だし

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 22:09:48.91 ID:YtWa3TZ40.net
劉備は動く準備をしてないし 曹操は慌てふためいてるし
関羽の北上って完全に独断で行ったものなんか?
同時に起きた反乱は北上に呼応したものなの?

関羽的には襄陽欲しかっただけなのか
呉の裏切りなくてもワンチャンあったんかな

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 22:26:17.74 ID:oIj0CHET0.net
関羽さんのフライングだったんだよ。
呉と仲良くしとかないからこうなった。

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/13(木) 22:54:22.28 ID:YtWa3TZ40.net
なるほどフライイングかー
そもそも曹操が漢中に来なかったら
呉と蜀がケンカ始めそうなくらい険悪だったよね

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 00:35:14.70 ID:fSfsVhTc0.net
そもそも関さんどの辺まで攻め込む予定だったのかが不明

桓温が北伐やった時も涼州と益州の別働隊と連動して洛陽の一時期占領が限界だったので動かせる軍勢が荊州軍しかない関さんが何処まで目指してたのかと

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 01:29:45.63 ID:jq0lbf8V0.net
許都付近の叛乱は関羽が煽ったやつが多い
ただその叛乱が関羽や他の叛乱とタイミング合わせずに散発で終わってしまうこと多かったから
関羽の方も焦って動いてしまった可能性があるとかなんとか

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 02:35:54.42 ID:ouwapXHk0.net
広さと通信の問題で連携はまともに取れないのが普通。定石通りに失敗しただけだな

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 10:52:13.80 ID:jHrdAD1uO.net
呉や蜀に較べて最前線の魏将は格落ちなんて検討違いもいいとこ

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 15:19:58.35 ID:uB6FDIxj0.net
>>863
さすがに于禁や曹仁や徐晃が格落ちとか有り得ん
それでは関さんが手も足も出なかった楽進よりも格下になってしまうぞ
曹洪だって絶好調だと張飛馬超を一蹴するしな
勝敗は兵家の常だよ
曹仁とか徐晃とかは関羽と戦う前に戦役有って連戦なので万全の状態ではないのは確か

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 15:22:31.99 ID:uB6FDIxj0.net
>>865
さすがに長江下流から上流への通信網が機能しないは有り得ん
もし通信網が機能しないならば215年の荊南三郡争奪戦で
劉備が素早く公安まで戻ってくるのは不可能

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 22:19:06.47 ID:nISFU8gHO.net
>>873
楽進には船を数隻燃やされた程度じゃなかったっけ?
それに手も足出なかったら、楽進はあっさり荊州制圧出来ているのでは。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/14(金) 23:47:51.78 ID:5mZOi4D50.net
国力で下駄履かせてもらってるだけで辺境の弱小国に手こずって成果を挙げられないような奴らは無能と言われて当然
地の利なんぞ他の時代の本物の英雄ははね除けてるわ

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 00:11:55.02 ID:x3If+m4R0.net
于禁や曹仁や徐晃も諸葛亮と比べたら将としての質は落ちるのではないかな
統率力や兵の訓練、戦場での駆け引き、用兵は諸葛亮が一枚上でしょう。

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 00:26:33.41 ID:DdhgMbZzO.net
結局、一番の大国でありながら苦戦してるとなるとアドバンテージは巨大な国力になるんだよな。

関羽、張飛は南北朝〜隋くらいまで三国時代の二大豪傑として語られその後に伝説化し神になる。
諸葛亮も武廟の十哲入り。(三国時代からは諸葛亮のみ)

この三者は明らかに格上じゃないのかな。

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 00:54:24.66 ID:m8TwFvte0.net
>>877
KOEIのゲームの話ですか?

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 01:07:40.41 ID:4/mgRrWY0.net
>>871
最後の北伐と合肥新城への呉の侵攻はうまく連携できた稀有な例なのかな
呉蜀同時侵攻でも結局魏に守りきられちゃったのは諸葛亮の死が響いた?
蜀は総力上げて臨んでたけど孔明生きてても結局また兵糧尽きて撤退してたかな。

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 02:41:18.34 ID:/pwDet5h0.net
どんなに上手く行っても長安を一時的に占拠するくらいにじゃないかな。
政治的な効果はわからんけどね

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 02:52:07.41 ID:x3If+m4R0.net
>>879
于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?

>>881
函谷関を抑えれば大丈夫
だから1回目の北伐では思い切って魏延の策を取り入れても良かったと思う
結果論だけどね

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 03:36:13.24 ID:4/mgRrWY0.net
>>881
なるほどー長安とれたらすごいな
だけど魏は王経負けた時もそうだけどおかわりがジャンジャン来るから
戦線維持は難しそうね国力的にも。

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 05:53:05.13 ID:jnzCnvA90.net
>>875
楽進は少なくとも2度関羽と戦っているけど
いずれも関羽が攻めて楽進が守って関羽が退けられている
楽進はただ守っているだけだが楽進が生きている間は関羽は魏に侵攻成功する事は無かった

曹操はは赤壁のトラウマか赤壁後は長江超えて本格的に南部制覇しようという気概が感じられない
基本的に重要拠点守って蜀方面は巴蜀漢中の人攫いして終わりで呉方面は大規模援軍で孫権に威風を示すだけ
巴蜀漢中の人攫いは戦術的に成功だが結局漢中放棄したので戦略的に失敗
孫権に威風を示すのは最終的には孫権が下ったので戦略的に成功したが後に曹丕がおじゃんに

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 12:11:58.84 ID:DdhgMbZzO.net
つまり、物量差が生きたということか。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 14:12:09.05 ID:8nd1uibf0.net
魏が苦戦した理由となればそうなるな。
まあ、将器の上下の話になるとファン意識も絡んできて
めんどくさくなるが現実的に見ればそうなる。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 17:33:19.32 ID:2s8uVp290.net
漢中の曹操もだけど、曹丕も夷陵の戦いの時に孫権の時間稼ぎを許さず呉になだれ込んでいれば天下統一の好機だったのに
本当にここぞというときにアカン親子だな。

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 18:40:07.65 ID:y/QNMmmL0.net
>>887
夷陵は劉備が無能過ぎて曹丕もまさかの呉がほぼ無傷とは予想できんだろ

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 22:09:48.58 ID:VIL2b5vf0.net
毛沢東が参考にしたように三国志はレベルの高い勢力争い。ライバルがいない統一戦をくぐり抜けた王朝は異民族に大敗して歴史に汚点を作っている。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 22:47:28.50 ID:NHH91WtC0.net
>>887曹丕は選択ミスしすぎだわ
夷陵後に呉を攻めるのではなく蜀を攻めるべきだった
あのボロボロ状態の蜀ならいくら戦下手な曹丕でも滅ぼせただろ

蜀を滅ぼして長江上流域を確保したら呉に対してかなり有利になった

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 23:34:57.35 ID:eOJHZIEW0.net
劉備と陸遜が対峙している時に呉を攻めれば良かったのでは?
呉に対しては攻勢正面が広いが蜀は山だし侵入口がかなり限られる

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 23:46:25.86 ID:y/QNMmmL0.net
>>891
それこそ、「たられば」だろ
劉備が一瞬で敗れるなんて予想できないから後手に回っただけなんだから
にらみ合ってる状態で攻め込むなんて博打を打てなかった
下手すれば呉蜀に攻められる危険があるし

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 00:54:14.89 ID:lD7NEWfn0.net
>>882
>于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
KOEIのゲームの話なら無理だろうね

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 03:06:35.77 ID:vGfjemlo0.net
>>889
三国時代を制した西晋だって異民族にやられてるけどな

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 04:26:07.62 ID:iU3Er/0W0.net
>>893
史実でも于禁はそう簡単に諸葛亮に勝てるとは思えないな
どちらも統率力と手堅い戦い方するという意味では同タイプの将軍だと思う
于禁の方が融通のきかないとこあるし諸葛亮の方が搦め手が使えるので諸葛亮有利かなって感じだと予想するが

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 04:28:17.71 ID:iU3Er/0W0.net
>>892夷陵って1年近く戦ってるから全然一瞬じゃないぞ
その間、何もしなかったのは魏側のミスだと思うわ

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 10:06:10.85 ID:fS5oD6mp0.net
曹丕即位直後から涼州でぼつぼつ反乱が起こってたからその鎮圧で手一杯だったんだろな
この時期は国内の地盤固めに必死で外征する余裕がなかったんだと思う
そうはいっても、万全を期して始めた呉討伐があの結果だから曹丕には軍事的才能がなかった、少なくとも孫権にも劣る器量だったと結論づけるしかないが

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 22:26:27.82 ID:3ngmJGtB0.net
>>896
だからほぼにらみ合いだろ
陸遜の閏6月に陣への攻撃から曹丕は外交を挟んでの9月には攻め込んでるよ

劉備ぐらいだろ大義名分無しに戦争をする蛮族は

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:19:38.68 ID:iU3Er/0W0.net
>>898いや普通に何回か衝突してるだろ
しかも荊州では蜀の謀略により蛮族が反乱起こしてるし

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:22:54.35 ID:mKzBOw6r0.net
>>894
司馬氏同士で殺し合いまくったせいだろ・・・あと謀殺

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:23:09.28 ID:3ngmJGtB0.net
>>899
両軍共に元気な状態で攻め込めって事?
呉だけが反撃する根拠ってなに?
教えてくれないか

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:26:43.71 ID:iU3Er/0W0.net
>>901荊州の戦争に魏が加わるのでは無く
戦ってる間に楊州に攻めるという手もあったし、逆に益州に攻めるという手もあった

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:30:29.77 ID:3ngmJGtB0.net
>>902
だからそれで呉蜀が戦争を継続する理由を教えてくれよ

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 23:32:47.82 ID:fhyiAbUP0.net
>>902
第1次茨州戦だと曹操が漢中侵入で戦争止めてるよね

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 12:10:42.68 ID:ZBXaUa5t0.net
本拠地が安定してないからでしょ。
長期に開けると内乱なり起き易くなる。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 12:18:11.54 ID:skxmyyqT0.net
>>903
劉備がキレてるからでしょ

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 21:04:18.22 ID:MDuXCQBK0.net
>>906
曹丕の走狗として歴史に残るな

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 10:38:47.81 ID:87yrz9VL0.net
曹丕としても呉が従属してきたからとしてと一方的に有利な状況ではなかったということか
国として不安定な時に従属国を背後から襲うなんて馬鹿な真似は出来なかったわけだ

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 01:34:51.13 ID:zbmF0V5U0.net
孫権が臣従を申し出てきたからこそ円滑に禅譲を進めることができたのだし、曹丕が孫権に対して借りを感じるのも理解できなくはないがな
劉曄なんかにも言われてるけど曹丕は譲歩しすぎ
舐められるのも当然ですわ
曹丕と孫権、年齢差は5つしか違わないが君主として積み重ねてきた経験が違いすぎた

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 01:50:21.77 ID:LXlxHqqu0.net
https://i.imgur.com/yRR4iMy.jpg

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 06:07:25.82 ID:DTSJvstQ0.net
曹丕は官人としてのキャリアも浅いような気がするのよ
前線での指揮官とか経験できていたらその後の対呉戦もやり方とか変わっていたんじゃないのかな

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 23:59:30.36 ID:zbmF0V5U0.net
曹丕が自著、典論の中で述懐してるのを見る限りだと、曹丕も幼い頃から弓馬の術を学びたびたび従軍して戦場を経験してはいるんだよな
成人してからはずっと副丞相として鄴で留守番役だったけど
経験としては十分だったけど才能が足りなかったのか

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 21:40:39.62 ID:thKvHFA70.net
>>912
曹丕は文才はあったけど軍才はからっきし
次の曹叡が前線指揮官より観察眼あったとかいう超能力者だから余計に際立つ
だから軍は司馬懿や曹真の重きが増したし、チングン重用して政治改革を押し進めた
その結果が晋まで続くシステムが王朝を保たせることになる

逆に孫権は子供の頃から政争や豪族の統率や山越への民族浄化で鍛えられ過ぎている
本人の威厳と軍才(ただし守戦のみ)と謀略があったからこそ政治改革の必要もなかった
晩年の凋落と後継者の受難は孫堅時代からの豪族集合体システムから脱却できなかったのが大きい

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/26(水) 22:33:46.92 ID:rMNK7qeq0.net
曹真や司馬懿や陳羣は曹丕からのお下がり
曹叡はコミュ障の上に短命だから自分の味方を育てられなかった

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/26(水) 23:39:45.84 ID:zoBNWc/50.net
曹叡なんてみんなが袁氏の子供って見てるのに誰も味方にはならんやろ
一番の側近のはずの孫資と劉放とか後継人事で無茶苦茶やってるし

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 00:12:39.89 ID:YC8CNZky0.net
鄴が包囲されてた時期を考えると袁氏の子ではないだろう
袁氏の子と皆に思われている状況なら皇帝は無理
味方がいないならなおさら

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 08:03:55.66 ID:0rrpUs9R0.net
>>915
あまりに強権過ぎて宗族すらも一歩引いてた感はあるな
本人としては曹植の息子を登用したり後事を曹宇に託そうとしたり宗族に力を与えようと腐心したけど
そのアホ側近二人がちゃぶ台を返して最悪の結果になったと

>>916
陳寿がエンキの子供説を伝の没年の最期で暗示してる
ハイショウシは曹丕の子だから年齢2歳若いと注訳したのは桓温を叩くため
(奴が禅譲させたらなら血の繋がった子孫が国を傾けるぞと言う脅し)

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 08:17:07.17 ID:aJss3rZs0.net
曹叡の子供ってことになってる曹芳が皇帝から引きずりおろされて
曹叡の直系じゃない曹丕の孫の曹髦が皇帝になったのは
.血筋が怪しいっていう理由じゃないとは思うが多少はそういう空気があったのかな

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 08:49:36.42 ID:dqOACK720.net
曹叡はどもりがあったから会話自体が苦手だったんだろうな

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 12:40:55.29 ID:lCNCE3DC0.net
>>918
曹芳が権力に溺れて好き放題してるのを嫌った郭大后と、それなりに年食ってきて専断できなくなるのを危惧した司馬師の利害一致
この行動のせいで司馬懿の与力ポジだった毋丘倹が怒るあたり、魏の忠臣は賛成ではなかったようだ

曹髦が年食って司馬昭を粛清しようとしたあたり、曹一族を軟禁状態にしてなお安心はできないという意志はあったのだろう

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 13:17:36.01 ID:aJss3rZs0.net
>>920
正史を疑ったら話にならないのはわかってるんだが 幼いころから勉学に励み
民や官奴婢にまで心を砕く詔勅出してた曹芳が
女色にふけってまともに政治もしないダメ皇帝に成長するのが違和感ありまくりで
その↑発言した司馬師の言葉を素直に飲み込めない自分がいる

曹髦が司馬昭と皇后殺しに来たから返り討ちにしたとかその辺もそのままだとは思えない

曹爽がダメだったのはそんな気もするんだが 司馬懿の息子たちに負のバイアスかかりすぎかw

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 13:57:14.41 ID:rml9UTj30.net
>>921
曹爽は叡のアホ側近2人の見る目のなさの末路
曹宇や秦朗と仲が悪いから誅伐されるのではと考えて、操作しやすいと考えた司馬懿(実際武官としての名声だけだった)と曹爽(曹真は司馬懿の前のナンバーワン武官だった)を据えることにした
でも曹爽の中身は武官ではなく文人で、結局政治の操作が及ばなくなり、司馬師の野望を勃発させるきっかけになったと

実際、司馬師はかなり闇深い野心家
司馬懿は軍権と名声(これは司馬孚も)を利用するために担ぎ上げてるようなものよ
だから成長した曹芳を排除したわけであって、建前こそあれど実際はどうだったかは伺い知れない

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 18:00:56.38 ID:Qj5YvLXS0.net
年少の頃良くても成長したら堕落する人間はいくらでも居るけど曹芳の廃替は本人の性格や能力の問題ではないだろうな

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 20:27:42.31 ID:f0R/eqRy0.net
>>917
陳寿が正しいなら
曹叡は曹丕が甄氏と出会ってから2カ月以内に生まれていたことになるな

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 20:55:17.59 ID:0rrpUs9R0.net
>>924
だからこそ後継者から外そうとしたり交友が狭かったりするわけ
普通なら朝廷の幹部でも太子(しかも実子)を見たことある人間が少ないなんて事態にならない
あまりに早く死期が迫ったことで後継者として認めざるを得なかったのが実情

曹丕自身も後継者から外されかけていた時
袁本初のことを考えていたというカクの言葉で救われた経緯があるのも影響してるかもしれんが

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 21:33:43.83 ID:0rrpUs9R0.net
>>915
宮殿造営と洛陽復興に拘ったのも、それを考えたら矛盾ないのよ

魏皇帝として呉と蜀の当時最大規模の攻撃を自らの裁定で黙らせた
浮華の徒をいちはやく政治から追い出して実力主義の国体を強固にした
これだけやれば十二分に権威は高まるのに、納得いかず宮殿造営
逆に言えばそれだけ権威を高める必要が曹叡にあったとも取れるわけ

致命的な病という陳寿の言葉は意味深過ぎる

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 21:50:13.57 ID:3nSDtlNO0.net
孫呉と蜀漢から領土切り取れてないのに権威なんか高まるのか?という素朴な疑問

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 21:54:32.16 ID:8IIkbXTb0.net
曹叡の享年が数えで36歳だってこと、陳寿はどうやって知ることができたのか不思議に思ってる
年齢を逆算すれば本当に曹丕の子なのか疑わしいってことくらい当時の人だって気付くはず
仮にそれが正しいとしたら、そのことは絶対宮中のトップシークレットになって知りえた者は抹殺されていたはず
曹叡の即位の正統性に疑問符をつけるために、陳寿なり司馬氏に忖度する人間が改竄したと考えた方が自然だと思う

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 22:30:28.53 ID:0rrpUs9R0.net
>>927
呉:一部を除いて異民族の区域
蜀:流刑地
この時代の中華において既に十分な領土を持っていた
曹叡の諸葛亮disもそれが顕著に現れてる
時代が後期になるにつれ各地域に王朝ができたり戦争になって
しだいに範囲が広がった(特に南北朝と元で広がってる)

ただし呉も蜀も滅ぼさないといけないよという思想の人間はいる
晋の時代でも裴秀やヨウコがその最もたるものだった

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 22:47:27.19 ID:3nSDtlNO0.net
蜀郡って人口が後漢トップ10に入る規模の郡だろ
頭がおかしい

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 22:47:47.25 ID:cNkk0mrS0.net
>>929
その流刑地の国に負けてる魏の面子どんだけ無能なん?って話にならないか

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/27(木) 23:05:38.17 ID:0rrpUs9R0.net
>>930
劉備の時代には100万程度しかいないぞ

>>931
曹操時代以外は蜀には消極的
攻めてきたら迎撃するという程度の扱い
自分から攻めた曹爽らは軍功欲しさに突っ込んでる(そして曹爽は素人だった)

あと動因兵力は魏全軍>>蜀の全軍だけど魏は後顧の憂いがあり全軍割けない
となると蜀ほぼ全軍>>>魏となるわけ
装備も蜀は鉱山で潤沢にあるから守勢には十分

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 00:47:36.27 ID:yHELlI750.net
>>932
子午の役とか明らかに魏は蜀より大軍率いていながら撤退してるんだけどな
後顧の憂いって異民族の事?
魏の時代の北方騎馬民族って、魏に定住を求めていたのもいて、魏は蜀と呉と比較して異民族関係の戦いは少ない方だと思うが
南方異民族との戦いが多いのは呉で、その次が蜀
曹操時代に劉備に漢中を奪われ、その後曹操が漢中に主力軍を率いて攻めて蜀側が撃退して、
諸葛亮の第三次北伐では郭淮が敗れて武都・陰平を奪われ、その後曹真の子午の役では郭淮・夏侯覇が敗れた
第四次北伐では司馬懿・張郃も多くの軍で攻撃したが、諸葛亮らがそれを撃退した
姜維の北伐でも三県を制圧し、徐質を討ち取ったり、さらに王経を洮水の西で大破した
ここまで益州刺史趙顒、夏侯淵、張郃ら重要人物を失った
これで蜀を流刑地ってのは流石に無理が有るでしょ

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 01:03:59.08 ID:cfyAKp6g0.net
南方異民族は蜀は一回だし西方異民族の鮮卑禿髪部は従順だった
呉の山越狩りも兵力と領地獲得の事業でしかない
あとは下らない勝ち戦ばかり列挙
結局地勢と情勢の推察がまるでできてない
正直もう一回史書読んで来いレベル

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 01:13:15.40 ID:936EPSeK0.net
>>921宮城谷三国志だと曹芳は自分の身を守るためにアホのフリしてるって設定だったな

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 01:28:30.89 ID:936EPSeK0.net
>>929
魏は呉と蜀を滅ぼす事ができなかったからこそ王朝の確固たる正当性を得る事ができず
司馬氏に乗っ取られたと思うんだよな
呉・蜀を滅ぼせなかったからこそ司馬氏はその二国との戦いによって地位を得る事ができたとも言える

曹丕・曹叡の寿命が史実と一緒でも曹操〜曹叡の間に二国を滅ぼして天下統一できたなら
もっと魏王朝は寿命が延びたように思う

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 01:41:15.96 ID:mhmOeJbw0.net
>>936
少なくとも曹叡が長生きするか劉放孫資を追い出すかしないと寿命は数年しか延びないと思う
何せ後継者がいない、曹叡政権の功臣が少ないという状況で国体が実力主義を標榜しているのだもの
例え天下を統べても曹叡の後継者が凡庸なら実力主義、暴君なら自由主義の貴族にクーデター起こされて簒奪か禅譲される

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 07:03:58.84 ID:chLe5mDh0.net
農繁期に農民集めて労働強いるコミュ障の曹叡よりは
まだ曹丕が長生きした方が可能性あるんじゃね

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 08:46:24.14 ID:NSowvT7h0.net
>>933
こいつ痛すぎ
統合失調症だろうな

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 09:00:15.73 ID:/hw0gZME0.net
馬鹿なだけで別に病気ではないだろ。普通レベル

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 09:04:17.86 ID:r8SALuLv0.net
>>938
しかんさんは軍才無さすぎるし粛清ばっかだから、長生きしたらしたできつい
親征したら間違いなく逆効果だろうから曹真満寵が頼りだけど、結局司馬懿が磐石なのは変わらないと思う
240年くらいまで守勢で生存したあと曹礼が継いで李淵並の実力を出せば…って感じ

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 16:28:52.18 ID:LMM9Hbm20.net
個人攻撃はやめとけ

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 20:12:59.51 ID:AeVcH0Fz0.net
>>941
曹丕の粛清って楊俊と鮑クンの他に何かあったっけか
昔の恨みは忘れないしやや身内びいきが過ぎるきらいはあるものの、先代から続いていた密告政治をやめさせたり曹叡の代で覆されたものの外戚の政治介入を禁じたり、曹家三代の中では曹丕が一番まともな政治感覚を持っていたと思う

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 20:30:35.87 ID:P78uk0TR0.net
曹丕に関しては期待値で語る人が多いけど生前に残した実績で評価すると正直ショボい
期待値で話していいなら誰だって評価上乗せできるわ

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 20:43:52.82 ID:cfyAKp6g0.net
>>943
表沙汰になってるのは少ないが怪しいのが何人かいる

代表的なのが蘇則(対異民族のプロ)
狩りで役人が獲物を逃してしまった際に
その役人を曹丕が殺そうとした
死を覚悟して蘇則は役人らを許すよう懇願した
その後左遷先に移動中死亡という悲惨な最期
病死とされてるが暗殺が濃厚

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 21:45:35.09 ID:AeVcH0Fz0.net
>>945
の割に、蘇則には剛候って諡が追号されているがな
于禁にはq侯なんて悪諡を与えて辱めた曹丕が暗殺した相手にそんな良い諡を追号するとは思えんわ
これによらず、先入観から一周回って不当な評価がされてる例が曹丕には多いと思うんだな

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 22:09:50.99 ID:p5pNVR1z0.net
>>946
于禁は表向きにも敵に降伏したから堂々と罵って踏みにじれたしは大きな失策もなかった

蘇則は表向きの悪行はない上223年に死んでる
この時期は曹丕が呉に力攻めして大敗して
多数の死者を出す大失敗をしてるから于禁みたいな事したら蹴落とされるわ
ほうくんだってあの後曹丕が死んでなかったら、一足早い廃帝議論もあり得た

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/28(金) 22:45:34.18 ID:g6EF9TX60.net
>>944
在位6年くらいであれだけできてれば十分だろ

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 00:29:47.59 ID:Gr5kvZjn0.net
曹洪も殺そうとしてなかったっけ

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 01:08:44.21 ID:1pHZz1t+0.net
>>949
あれは周囲が止めてくれるのも計算のうちだっただろうし、結果だけを見たら本家よりも蓄財に励んでいる裕福な分家筋という危険分子を穏便な形で掣肘することが出来た、と言えなくもないかな
最大限好意的に評価するとしたらね
何にせよ、この件などで過去の恨みから根も葉もない因縁をつける陰湿な小人物というイメージが付いてしまったのもまた事実ではあるが

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 01:21:39.04 ID:Hw745BlI0.net
曹丕に都合よく解釈しすぎで気持ち悪っ

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 02:08:56.40 ID:1pHZz1t+0.net
陳寿も露骨に筆を曲げるような真似はしていないものの、司馬氏や司馬氏に協力して魏晋革命を成した勢力に迎合しなければならない立場にあった以上、曹丕や曹叡ら魏の皇帝たちの悪評は多少誇張が混じってるんじゃないかって思うだけ

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 02:45:00.79 ID:NTijYzua0.net
それはあるだろうねえ
大義が自分たちになければ禅譲の是非を問われることになるし

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 07:12:17.29 ID:nNkPkDRj0.net
>>951
多分無双かなんかのイケメン化で入った奴だと思う
郭女王ににたぶらかされて正室殺したり、婚姻斡旋した親類が別の女を好いていると聞いてその女を殺してるのは正史なのに
どこの馬の骨とも知らない与太話やそれをソースにした妄想で擁護してるあたり、本当に功績がカスなの現実から目を背けたいんだろうな

鮑クンの件なんて名士や父代の功臣どころか、政権中枢にいる陳グンすら助命嘆願してる中での仕打ち
しかも前年にまた対呉で大敗してる中での暴挙という状況だから、構図としては曹爽が蜀に負けた後の暴走人事してた頃とそっくり
皇族に実力ある奴がいない、敢えて挙げるなら曹真のみという危険な状況でよくやったわと思う

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 07:55:18.77 ID:Tgq1fZiC0.net
司馬炎に比べたら曹丕って文才以外全部完敗だろうしね

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 09:46:21.48 ID:cL+F8bNx0.net
>>951
曹丕を悪く解釈したいやつが暴れてるように見えるが

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 09:56:04.11 ID:t93WK0Dc0.net
大量虐殺した奴らと比べると曹丕の悪行なんかな…

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 15:17:12.41 ID:9RIfZod+0.net
段々比較対象が下がってくソウヒに草

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 15:28:21.33 ID:iNpfF9gM0.net
曹丕より下の王朝開祖となると陳覇先か蕭道成あたりか?
いや、でもこの二人にしたって王朝内で地道に功績上げながら地位を築いていったわけだからなー

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 16:02:17.63 ID:NpVonMrx0.net
曹丕は悪評を誇張されてるより悪評を隠されてるのを考えるべきでは

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 16:38:13.91 ID:tk9/jm2T0.net
一番悪評を隠されてそうなのは司馬懿だな

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 16:51:15.83 ID:H/eKq91A0.net
司馬懿は孟達討伐とか功績があからさまに誇張されてるな
曹真の功績は矮小化されてそうだがさて

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 19:30:21.73 ID:nNkPkDRj0.net
>>960-961
三国志が作られた情勢
@漢→新→後漢→魏→晋が正統な王朝という風潮
A著者は蜀の役人であり蜀には好意的
故に善行記述の序列は晋>魏>蜀>呉

裴松之の注が作られた情勢
@漢永久論、蜀漢正統論のため漢→蜀→晋という風潮
A魏の実力主義は北朝や桓温と同じなため認めない
B南朝は呉の領域にあり呉の系統の貴族もいる
故に善行記述の序列は蜀>晋>呉>魏

演義が作られた情勢
@存在意義は朱元璋を劉備になぞらえたプロパガンダ
A裴注をもとに誇張されている場面が目立つ
B魏は異民族王朝と同一視される
C蜀正統論に則るため晋はやはり悪く書けない
故に善行記述の序列は蜀>晋>>>>>>その他

結構晋って統一王朝になってるから好意的に書かれてる
曹丕は一番悪く書かれやすい演義で曹操に吸収されてるのが救い

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 22:10:03.51 ID:jd2eNoGA0.net
>>929
魏の領土だけで十分理論は良く見るけど納得できないな
秦は六国を滅ぼして天下統一して
前漢の劉邦は全部征服したわけではないが他の諸侯を傘下に収めて反乱した国もことごとく征伐してるし
後漢も蜀や呉の地域を領土として天下統一してる
前王朝に比べるとやっぱ魏は二流としか思えないし
魏の首脳部も正当性を示すためには二国を滅ぼさないといけないと考えていた人間はいたはず

二国の中で特に蜀は前漢王朝発祥の土地だし
蜀を滅ぼす事こそ正当性を得るためには一番必要な事だったように思う
まあ魏は当初は呉を優先してたみたいだけど

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 22:39:00.56 ID:mx1FX5dC0.net
華北から江南を落とすにはやはり蜀が必要
西晋も隋も前王朝の時に蜀を獲得してなかったら統一は不可能だった

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 22:41:53.78 ID:hn6I/+KQ0.net
蜀取られていたのに華北の南征を撃退した東晋はやっぱ凄えわ

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/29(土) 23:11:57.14 ID:nNkPkDRj0.net
>>966
江南の要は蜀ではなく江陵
ここを持ってないと安全な長江渡河ができず建業が難攻不落になる

苻堅は江陵を落せずにヒ水の戦いをした結果まんまと迎撃されて大敗
地の利がない場所に攻撃ルートを一個に絞った大兵力の侵略
このパターンは近代になるまで十中八九負けてる

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 00:08:00.73 ID:BGpU6T2X0.net
昭和一桁生まれで、あんなに背が高くてスタイルいい男なんていなかったからな
身長は普通の人は160センチ台がほぼ全員
長嶋茂雄とか王ですら175とか177しかないのに、余裕の180越え
特に白髪になってからカッコよかった
身長があるとジジイになったときカッコいい

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 05:58:33.38 ID:6XAnHhL10.net
>>967
隋の滅陳なんかでは巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて、建康を陥落させたのは江北から南進してきた軍なんだけどね
重要なのは華北王朝が淮南まで占領してるかどうかでしょ
苻堅や北魏と西晋・隋の南征の成否の分かれ目はそこに収斂する

曹丕の南征は時代が時代だから洗練されてないよなあ
曹魏だけはこの条件満たしていても南征に失敗まくった

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 06:49:05.10 ID:DKobBMMa0.net
>>969
あれは川を大改造したからこそできるようになった荒業
それまでは騎兵は支流や湿地に足を取られて攻勢が難しくなったが、治水で地盤が安定した
そして陳が弛緩しきって統制が取れない国だったのも幸いしてる
どんだけ条件違うと思ってるんだ

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 06:49:31.93 ID:4NTOjVkj0.net
じゃあ条件が間違っているんじゃね?

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 08:30:16.00 ID:TgZ5w0oU0.net
>>970
淮南の民を強制移住させたり徐州虐殺したりで
自ら江南遠征のハードルを上げまくっていたバカ王朝があると聞いたんだけど
住民がいたら運河開削できていたかもしれないね

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 11:03:30.63 ID:zeSPf7AL0.net
>>969
巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて
どれが本命か分からなくさせる、あるいはどれをも本命にできるってのが重要なことじゃないのか。十分大きな効果だろ

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 15:24:10.11 ID:wTyYBWIW0.net
>>972
そこまでやる価値がないから強制移住になったのが分からないのか
赤壁以降の曹操は中原の安定と地盤固めに力を注いでいる
結局呉は制圧するほどの価値がない辺境と見なされてるのを認めたようなものだ

隋は北魏からの念願だった鮮卑による中華征服のために島夷を討ったのであって江南に価値は見出してない
江南が本格的に栄えたのは煬帝の運河を唐が使うようになってからだしな

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 18:00:28.89 ID:RQBhJHer0.net
>>974
江南に価値がないのであれば何で曹魏も北朝も江南に軍を何度も進めてその度に撃退されているの?
価値がない地域を全力で攻めて病死した曹丕さんとか意味不明過ぎないか?

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/30(日) 18:04:40.50 ID:X1B6mJ6l0.net
>>936みたいなアフォのせいだろ
そうやって統一したはいいが価値がなくて放置されていき地方役人や盗賊が跋扈する中華お決まりパティーン

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 00:49:47.67 ID:DX2BBPi00.net
>>974
前漢は江南を傘下に収めてたし後漢も江南を征服してた
江南は価値無しと思って放置するのは魏は漢と比べて後退したと見なされても仕方が無い

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 02:01:57.60 ID:QM0fQu0N0.net
魏は呉に対して、前漢初期の南越や閩越のように高度な自治を認めつつ冊封体制に組み込むっていう選択肢が有り得たと思う
たぶん曹丕も最初はそういう方向性を模索していたように思う
遼東公孫氏だって似たような状況だったしな
呉が夷陵で敗れていたか、その後の曹丕の南征が成功していたらそういうifも有り得たかもしれない
結果的にそうならなかったから半世紀近く三国が鼎立する状況が生まれたわけだが

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 15:35:12.84 ID:TIRMS8Op0.net
二虎競食は夷陵まで上手くいってたが、残念なことに蜀があっさり負けたことと対呉にしか備えてなかったことが裏目に出たな
後の軍事行動の選択肢を考えるなら両方ともに攻め入れる準備をしておくべきだった
呉の臣従解消に怒って攻めて返り討ちにあった時といい、曹丕は戦略を立てる才能にも恵まれてないな

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 15:50:22.09 ID:nzp0r8q70.net
あの時蜀に攻め込んでおけばよかったのに呉に攻め込んで蜀を救ってしまうという結果の曹丕さん

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 16:46:47.07 ID:9+jFkNTt0.net
呉が蜀を取ってたらもっと面倒だったかもしれんし攻めたこと自体は間違いとは言えない。負けたのはうんち

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 19:26:26.93 ID:ePQpNaq/0.net
かもしれんかもしれんばかりだな

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 21:19:40.96 ID:VRce+rjK0.net
劉備があんな惨敗するなんて曹丕以前に諸葛亮さえ見抜けなかっただし
曹丕は劉備を過大評価し過ぎだよな

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 21:43:45.69 ID:nzp0r8q70.net
曹丕さんが蜀の陣形見て劉備パイセン負けるやん言うてたの演技だっけ?

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 21:49:20.06 ID:5qk3bjvQ0.net
曹丕のもとに仕える群臣たちが劉備は負けると言った七日後に
劉備が負けたと知らせが来たとかそんなん正史で見た気がする

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 22:23:58.26 ID:PGL1NHIk0.net
蜀から呉へ攻めるって諸刃の刃なのよ
優勢なら急流使って迅速な補充や増援をさせることで押しきれるけど、一度劣性になったら川を遡れず撤退が難しくなる
劉備が夷陵でああなったのも、突っ込みすぎて撤退できないとこまで誘い込まれたから

曹丕は父親が何度も煮え湯を呑まされた相手というイメージが強かったのかもな
その頃は無頼漢だったが、夷陵の頃は皇帝を名乗るにあたって文弱になってて見る影もなくなってたのは分からなかったか

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 23:24:48.42 ID:QM0fQu0N0.net
朝に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵一日に還る、と李白が詩を作っているけれど、白帝城から江陵までが千里(約400km)で、1日で到達する距離ってことだな
季節によって水量が違うだろうし所詮は詩だから参考にならんかもしれないが三峡地域の川の流れの速さが伺えると思う

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/02(火) 06:45:01.01 ID:PO79qjKd0.net
劉備が劣ってたわけではないでしょ。
破った呉が優れていただけ。

呉を攻め滅ぼせば蜀は自滅する。

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/02(火) 06:47:57.55 ID:3W8IcLBs0.net
>>988
なお実際は逆だった模様

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/02(火) 06:55:04.72 ID:lzL1gc440.net
晋も統一してわずかな期間であれだもんな
司馬炎じゃなく弟が皇帝だったら変わってたかもしれんが

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/02(火) 07:18:35.17 ID:/xS87wG+0.net
次スレたのんます

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 19:59:45.47 ID:DzRPcjCh0.net
次スレ必要になったとたん止まるのは通例なんかね

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 22:17:38.84 ID:kHSxABQt0.net
次スレ立てた

何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか2
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1562505329/

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 08:17:39.86 ID:I8zcLN7P0.net
>>993

おつです  ではこっちは埋めよう

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 08:17:59.17 ID:I8zcLN7P0.net
埋め宮アンナ

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 08:19:40.76 ID:I8zcLN7P0.net
姜維の胸囲

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 08:24:28.33 ID:I8zcLN7P0.net
プロ劉禅

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 08:24:54.62 ID:I8zcLN7P0.net
諸葛亮「ほかにすることはないのですか?」

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 10:13:45.85 ID:f0fLjV+d0.net
>>998
曹叡「諸葛亮は自分で何でもしようとして、俺はこんなに頑張ってますよと見せびらかすことが生き甲斐だ」
この批判文ってわりとクリティカルよな
因みに極度のケチであることも逸話と共に併記されてる

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 10:38:25.95 ID:NkhSh9dY0.net
魏屈指の暴君に言われたかないだろ、諸葛亮も

1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 14:59:25.32 ID:XBnA9spR0.net
>>999
この批評文どこにあるのかな 読んでみたいからよかったら教えてください

1002 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 15:07:05.98 ID:f0fLjV+d0.net
>>1001
魏略→三国志明帝記
西暦228年の第一次北伐時に布かれてる
涼州離反に怒って作られたという説が濃厚

1003 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 15:11:24.54 ID:TIWNqKiP0.net
>>999
そもそも魏と違って蜀には人材が少ないからな

1004 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 15:38:24.57 ID:XBnA9spR0.net
>>1002
ありがとう さっそく読んでみる

1005 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 15:52:55.67 ID:MOW5RTqN0.net
悔しさの滲み出る煽り文句が史書に残ってしまった曹叡であった

1006 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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