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劉備が天下統一できなかった最大の原因その4

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 15:02:39.86 ID:O+XHFnev0.net
前スレ

その1
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1239870016/
その2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1435314514/
その3
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1475934085/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 15:14:44.77 ID:eLhN5u2c0.net
乙でごわす

このスレは即死判定はあるんご?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 23:16:38.21 ID:JwWmexQq0.net
劉備には天下統一しなければならないという必要性そのものはなかったように思う

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 23:19:47.26 ID:JwWmexQq0.net
対する曹操には天下統一して新たな王朝でも開かないことには、かつての呂霍のごとく粛清される末路は避けられなかったように感じられる

途中から天下統一諦めて簒奪路線に切り替えたのは現実的な判断すぎるけど

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 23:56:17.69 ID:QnBl+NJ00.net
そして孫権も天下を狙っていなかった・・・

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/26(金) 00:21:31.44 ID:O1zkVpF80.net
やっぱり漢の名族が統一するのは必然だったんやなって

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/26(金) 01:15:22.27 ID:Va2gfaSJ0.net
後漢書の献帝紀や楊震伝(楊彪伝)だと曹操はかなり荒っぽい粛清や、爵位の世襲禁止みたいな既得権破壊をやってるからいずれ反動が来るって自覚はあったろうしね。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/30(火) 20:28:01.27 ID:ulHdf3u20.net
>>6
中国三国時代以降の統一国家の皇帝の姓

晋:司馬氏
隋:楊氏
唐:李氏
宋:趙氏
元:ボルジギン氏
明:朱氏
清:愛新覚羅氏

信憑性ある漢の名族といえるのは辛うじて司馬氏ぐらいか

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 01:46:41.78 ID:jjjXrKUv0.net
名族どころか隋以降ほとんど漢民族の政権なんてなかったしなあ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 13:36:38.62 ID:K2b2/sJh0.net
隋、唐・・・鮮卑
元・・・モンゴル
清・・・女真

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 14:04:08.90 ID:jjjXrKUv0.net
宋の趙匡胤も漢民族か疑問を呈されたりしてるしな

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 14:51:32.45 ID:z0aaFZVY0.net
それ言い出すと周王朝とかも遊牧民系って説も出てくるから。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 19:23:31.51 ID:K2b2/sJh0.net
秦もね

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 22:04:57.22 ID:Vu+YGq3+0.net
中原を制した奴は皆漢民族でいいんだよ。どうせまともに馬にも乗れん軟弱者になっていくんだから

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 22:13:36.38 ID:gv5H1++k0.net
まあ、強兵を維持し続けるってのがコストかかるってのがね。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 17:49:37.49 ID:ADg+kjXLO.net
あれだけ広いとヨーロッパみたいに、分かれていた方が互いに緊張感あって切磋琢磨しそうだけど、ひとつの中国なんだな

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 19:21:30.19 ID:/WJY6tGp0.net
三国志終わってすぐに内訌始めて自滅したからな。呉放置してた方がマシだったわ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 19:26:45.71 ID:6ljT4GfM0.net
統一前から樹機能や劉猛の乱とか起きてたからな。
むしろ呉討伐が通ったことが不思議。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/05(月) 20:10:35.44 ID:qBNwFnsm0.net
曹操「正論を吐くものは奸雄によって潰される」

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/08(木) 01:03:52.70 ID:LrxMFmQ+0.net
孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になればチャンスはあった

劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り
天下を取ることは可能だったはずだ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/08(木) 13:15:34.10 ID:awEgoQ7Z0.net
無理がありすぎるw
つーか孔明は後漢における曹操のようなポジションで
皇帝にならなかっただけで実権は握っていたじゃない

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/08(木) 22:06:05.10 ID:xlx4CLU40.net
>>20
兄貴は弟以上に忠義心厚く軍才無いから無理ぽ

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/08(木) 22:44:22.29 ID:Tg0qFJ330.net
>>20は三戦で全く同じこと言って全否定されたのに三戦よりシビアな中英で同意が得られると思ったのか

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/17(土) 19:42:44.40 ID:raEWIOAl0.net
中原制覇レースから脱落した時点で、劉備による天下統一は不可能。
孫権が同じ志を持っていて、呉蜀同盟で魏と戦えば中原進出は出来るかも知れないが、
そこで再び中原が戦乱に巻き込まれた上、呉は裏切るだろう。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 03:47:55.07 ID:bjjasgdt0.net
時勢的に徐州陥落した時点で天下争覇はほぼ詰みだったわな
その徐州も縁術と呂布に狙われてるからやめとけ言われてたし
陶謙の旧部下ともあまり上手く行ってなかったし

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 07:25:41.01 ID:eIhoQLHL0.net
劉備が陶謙の後を継いで徐州牧就任→即座に袁紹派に鞍替えし曹操から官位ゲットの流れは今見てると上手く見えるけど陶謙の旧部下はまた違った目線やったろうな。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 07:52:04.66 ID:f54KeXMi0.net
劉備は豫州刺史に正式に任命されていた人物だし、あの時点で劉備以外に徐州の舵取りを任せられそうな人物がいたようにも思えんが

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 10:31:02.41 ID:WvIy5rSq0.net
>>27
徐州の名士の陳登や独立勢力の臧覇や
実際に後の時代に徐州刺史や別駕として治績上げた呂虔・王祥や
汝南太守だが陶謙以上の大物の徐璆とか
親曹操派だが徐州の舵取りをうまくできそうな人物結構居るのだが
結局劉備は曹操派になって徐州を曹操の勢力内にしてるしな
世間に劉備しか人が居ない訳でもあるまいに

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 12:19:48.44 ID:2Jv8bw7k0.net
君と予だ!

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 18:14:12.80 ID:bq2Qld8O0.net
劉備が陶謙殺して徐州乗っ取った気がしてならないw
豫州刺史に任命されたのは、中原の激戦地で別に死んでも困らない人材だったからという事も・・・・

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/18(日) 20:01:15.80 ID:nzHt5DMx0.net
陶謙が仮に謀殺されたとしたなら主犯は劉備ではないだろうな
メリットが少なすぎる
だったら袁術に反抗してまた徐州を戦乱に巻き込もうとした陶謙を消して丁度徐州に来ていた親袁術派の劉備を頭に据えて戦乱を避けようとした地元の有力者の仕業と考えた方が納得が行く

まぁ結局袁術陛下はそんな聞く耳を持つような人物ではなかったわけだが

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/19(月) 02:03:52.63 ID:TyZePNrn0.net
実は孔融

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/19(月) 06:55:01.30 ID:Gn6e1wwN0.net
>>30
>>31
陳舜臣先生の小説だと劉備が陶謙困らせるために曹操の家族殺害(実行犯は趙雲)して陶謙におっ被せるって言うぐう畜行為やってたな。

なお、その後陶謙に泣きつかれ対曹操の最前線に駆り出されて泣きを見る模様。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/23(金) 22:59:21.16 ID:5pprHSYG0.net
曹操「正論を吐く者は、皆、奸雄に潰される」

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/24(土) 19:09:44.83 ID:9JsisPxB0.net
信長やナポレオンが本国で人気があるのに対して
曹操が中国で有能と認められても人気がないのは
中国で人気出るのに大きな要因となる悲劇が曹操には足りないし
しかも三国志では一番の英雄だけど結局覇王になってない
もっと有能は他の時代にいくらでもいるしなって感じじゃね
チビの不細工なのもつらい

日本人って三国志を、演義や正史を元にした横山三国志やら吉川三国志で知ってるから
曹操をまず乱世の奸雄というか有能な奴としてみてるけど
中国人って場面場面を切り取って劇にした京劇とか講談で知るからな
そこで描かれる曹操は常に卑怯でズルいやつで、そのイメージがまあ強い

変な話だけど、日本のゲームやマンガというメディアを通じて
初めて三国時代の流れを知ったという中国人も多い

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 15:27:19.85 ID:la5b9yYI0.net
チビっていっても現代の日本人でもそれくらいの身長の男って
結構いるからなあ(シークレットブーツ履いてるんだろうけど)
関羽や張飛はともかく孔明が180p代とか当時の漢民族の平均身長が大きすぎるだけ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 16:17:32.93 ID:YyXTwvpE0.net
今よりも栄養状況が悪かった当時が今より平均身長が高かったとも思えんが…

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 16:47:04.78 ID:la5b9yYI0.net
どうだろ?
なにしろ民族が違うからなあ
そもそもあの中華思想に毒されてる漢民族が
「倭」と珍しく獣偏で無く人偏を用いてることから言って
元々昔から遺伝的に日本人は低身長だったのかもね
現代中国語なんで根拠にはならないけど
漢語で背が低い事を「矮」と言う

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 16:53:45.89 ID:b1ArUzD40.net
貴族や豪族層は栄養状態良かったじゃないの?
ヨーロッパの貴族たちが平民たちより体格が良かったのと同じでさ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/25(日) 18:57:06.31 ID:xoNrMvNJ0.net
平安貴族も体格良かったらしいしなぁ

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/26(月) 03:37:41.39 ID:/YIt6ZPi0.net
孔子は長人と揶揄されるほど背が高かったとか
まぁ、お父さんが鉄の扉を両腕で持ち上げるとか尋常じゃない伝説をもつ人ですが

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/26(月) 03:52:06.05 ID:lH6NSgiF0.net
まあ中国の昔の偉人は宗教絡みだったり箔をつけるために
変なエピソードや身体的特徴を盛られてるからなあ、生まれる際の瑞兆だとか怪相とかさ
劉備の手長大耳だって仏教の正立手摩膝相と福耳だろうしな

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/04(火) 04:25:44.65 ID:jH9jp6y70.net
曹丕の与王朗書「生有七尺之形〜」、管輅別伝「況以七尺之形〜」
当時の平均身長は七尺くらいじゃね?
諸葛亮は平均よりでかかったんじゃね?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/26(水) 18:42:23.43 ID:52CDpf//0.net
>>35
>日本人って三国志を、演義や正史を元にした横山三国志やら吉川三国志で知ってるから

いや今は横山三国志や吉川三国志を読んだ事ない若者も多いよ
そういうのはゲームから三国志に入ったりしてるので>>35内の三国志の世界が通用しない場面が多々

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 13:11:30.72 ID:kt93uhlN0.net
最近の若い子はみんなゲームからよな
蒼天航路世代だってもう結構な年になってるのだし
横光や吉川からなんてだいたい40代以上じゃないか

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 15:35:12.51 ID:b+nZa6gH0.net
マジな話、今の若者は三國・戦国武将を女体化イラストで覚えてくるからな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/30(日) 13:48:10.51 ID:zVcaeyJ20.net
無双4ぐらいが出た10年ぐらい前はともかく今って言うほど三国志スレでゲーム知識しかありません!みたいな奴ってあんまり見かけないがな
無双6以降の知識を真顔で話してる奴なんてまず見ないレベル
女体化系はあからさまに嘘とわかるし萌えアニメ層は実際の歴史に進まないのもかなりいるし

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 00:46:42.51 ID:fGGHZbDx0.net
>>47
ゲーマーの方が分別有るんだろ
演義愛好家にありがちな
三国志の世界は演義が全て! とかいう傲慢な上から目線が無いだけ無害
今は三国志の世界は宗教並みに宗派分かれ過ぎて
コンセンサス取るのは実質不可能なところまで来てるので
異宗派の存在認めて共存しない限りは原理主義者同士の戦争にしかならない

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 01:26:12.27 ID:UMcZRkSt0.net
正史オタでもインテリヤクザっぽい梟雄劉備から若くして豫州牧にまで登りつめた
エリート官僚劉備まで捉え方がバラバラ過ぎて着いていけないところがある

2000年代初頭の正史ブームとか都合のいいところだけパッチワークした言説で溢れかえっていた印象

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/01(火) 08:15:39.39 ID:QwSwvqHp0.net
劉備は西晋以降出てくる王弥さんや司馬勳みたいなモヒカンヒャッハー名士の先駆けって説。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/03(木) 00:31:42.29 ID:SK46vaI60.net
>>49
そのブームに多大な影響を及ぼした蒼天航路が中身アレだしね

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/03(木) 21:57:38.79 ID:DDijCYs90.net
>>51蒼天航路は漫画としては凄く面白いし、当時の三国志漫画としては革新的ではあったけど
この漫画のせいで勘違いしてしまったオタが量産されてしまったのは残念だったな

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/04(金) 02:22:07.03 ID:lX7NOsYc0.net
厳密には蒼天航路は三国時代ネタ漫画で三国志漫画ではないな
真三国無双シリーズもそう
一騎当千(ry とか他も省略
蒼天三国志とか真三国志無双とか一騎当千三国志とかいう名前なら俺も思いっきり貶すのだが

横山三国志や吉川三国志は厳密には三国志ではない
三国演義なのに三国志の名前を語った羊頭狗肉
今の若い奴で三国志に特に興味持った奴は
必ずWikipediaとかで人物調べてるから
横山三国志や吉川三国志はちゃんと嘘物語と認識してるよ
黄忠が夷陵の戦で戦ったと信じてるのは今では相当な情弱扱い

まあ昔は筑摩書房の例のアレが無かったから仕方ない面もあるが

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/04(金) 12:40:19.64 ID:9U6lYz+50.net
蒼天航路はもともと正史向きに描かれてたもんじゃないからね
原作者が初期の時にお亡くなりになったから正史を参考をせざるを得ない状態だったから
色々とおかしくなってる

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/08/04(金) 12:50:07.74 ID:UAJc6lOS0.net
蒼天の頃って日本語で読める資料が正史三国志(ちくま訳)しかなかったからな。

今見たく後漢書の全訳本やウェブで自主的に訳された晋書や通鑑が簡単に閲覧できる時代じゃない。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 16:38:13.92 ID:pVqghYSt0.net
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/22(金) 20:45:46.62 ID:dzcPJbcB0.net
桃園の契を結んだから

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/21(土) 13:19:30.95 ID:f0L9xinO0.net
劉備が天下統一出来なかったのは
劉備一党のせいでFAだから
もうこのスレも必要ないな

59 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 08:11:10.67 ID:P0U3XVuM0.net
将来のビジョンがなかったから

60 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 08:31:59.38 ID:DhHE7l4c0.net
>>59
キボーの党みたいだ

61 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 19:26:50.17 ID:8Ec46W7I0.net
180年代の後半での失敗が最後まで響いているんだろうね。
出自が怪しいのは孫堅だって同じ。

この時期、曹操は袁紹の、孫堅は袁術の、それぞれ部下として
地位を上げていった。だから、袁紹、袁術が190年代前半に争った時、
曹操、孫堅(孫策)とも主力として大活躍をして、次の時代への大いなる
ステップアップの基となった。一方、劉備は袁術の下の公孫サンの更に下で
逼塞していた。これでは、名声も集まらない。徐州を救って名声を得た
時には、曹操、孫策とは絶望的な差になってしまっていた。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 20:44:23.88 ID:xih3BuKnO.net
絶望的な差と言うのは最初始まった時からついてるよ

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 21:13:18.30 ID:tum6MXbL0.net
養祖父は大宦官、父は太尉だが実の祖父の名前は不明な曹操、権力のお陰で孝廉
祖父の名前はやっぱり不明な孫堅
祖父が孝廉に察挙され地方官まで務めている地方豪族出の劉備、洛陽に遊学して大儒盧植に学ぶ

すまん、この三名の中だと劉備が僅差でトップの出自じゃね?

改めて考えると袁術のスタート地点って凄えな

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 21:21:18.75 ID:Rp/v2PdR0.net
ただ劉備の場合母親の出自が悪そうな感じ。
(公孫瓚、袁紹と同じパターン)

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 23:02:25.10 ID:NjJ8/ZmT0.net
初任官の任官時期と内容では曹操が上なような気がするけど
それでも劉備の方が上な感じ?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 23:17:50.66 ID:DhHE7l4c0.net
>>64
曹操と違って一族縁者がほとんど出てこない説明にはなりそうだ
母親の身分が低すぎて普段は一族で浮いてるけど
遊学だけはさせてもらったってことかな

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/22(日) 23:50:00.77 ID:tum6MXbL0.net
>>65
宦官の養孫ってので差っ引いた
しかし曹嵩の父親って何者だったのやら

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/23(月) 02:12:35.94 ID:EyzgrnOh0.net
>>66
母親の身分が低いのなら先主伝の「少年時に孤となり母親と靴を売り蓆を織って生業とした」も父親が死んで父の実家から追い出されてたって解釈が成り立つしね。

援助を貰ったのも実家との関係が改善したからかも知れんし(母親と縁を切るとかの条件があったのかも)

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/23(月) 02:18:43.81 ID:rUxFA03G0.net
孟達が字を子度に変えるほどの劉子敬はその後どうなったのかなぁ

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/29(日) 16:47:00.97 ID:A4jLE5+A0.net
>>68
どうなんだろ
劉備が15歳の時に遊学したのは母の言いつけだしな
少なくとも母と叔父が悪ければ遊学の話は出なかっただろうな

そんな劉備も徐州時代は妻子居るのに母親の話は出てこない
母親死んでるのかと思えど母親含めて一族の喪に服した記録も無いので
その頃には一族と疎遠かもしくは真正の義理ワンか

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/10/30(月) 08:52:17.90 ID:G1ylji6mO.net
むしろ売りといっても工場みたいな書き込みもあったけど、劉備は商売の才覚があって、流れで塩の密売人とか知り合って怪しい連中と付き合うようになったとかかな

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/01(水) 02:12:42.48 ID:UFiohpbn0.net
>>67
まあ異姓の夏侯氏ではないだろう
史書に名前を残したくない不祥事をしでかした一族の子あたりじゃないかね

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/14(火) 18:52:24.61 ID:Cgf5hYCv0.net
曹操も妾腹の長男説があるので
曹嵩の正妻の息子に優秀なのが居たら
後継げていたかどうか

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/18(土) 17:47:20.74 ID:VLwyU8BO0.net
王沈の息子の王浚も妾腹だったせいで王沈生前は家継げなくて
王沈死後に親戚たちの援助受けて後継ぎと認められた経緯があるから
曹操も案外父親から微妙な扱い受けていたのかもな

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/09(土) 10:06:50.34 ID:hbilBuXt0.net
>>74
父親から微妙な扱い受けてグレた王淩
父親から微妙な扱い受けて斜め上逝った曹操

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 09:04:30.29 ID:mJ3V0WRz0.net
劉備は蒼天航路みたいな愉快な性格じゃなく、演義の方が史実に近い
喜怒哀楽が少ない、君子然としている

統一のチャンスもなくなったのは夷陵が最大の原因

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 10:00:35.16 ID:wEzNE6d+O.net
>>76
蒼天はアレ過ぎるから当然だけど、正史の劉備は演義に近いか?
正史は正史でそれ程行儀がいいとは言えないぞ、やってる事は。
性格も君子然と表現されたくだりはあったかなあ、詰めの甘さとか優柔不断というならば認める。
漢中王宣言なんかは、献帝の権威に喧嘩売ってると見られかねない乱世ならではのやんちゃさを感じるがねぇ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 11:47:37.96 ID:pPf53Q510.net
>>77
40年生きてきて思ったけど人物というのは人柄で語られることが多い
やったことが同じでも人が違うと印象がまったく違うから

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 12:56:32.88 ID:LbunllMJ0.net
>>77
そもそも後漢書とか読んでるときは献帝サイドもあんまり劉備あてにしてない臭いんだよね。
孫呉に亡命企てる皇族すらいたのに

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 13:24:57.62 ID:MMpHr3790.net
劉備は演義よりもアレ過ぎる蒼天の方が近いという昨今の定説
前世紀ならともかく今の世では>>76に同意する人は少ないよ

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 13:53:13.86 ID:mJ3V0WRz0.net
>>77,80
正史に残る劉備像は「口数が少なく、よく人にへりくだり、、喜怒を顔に表さない人物」としている。
この姿は感情豊かな蒼天よりも、喜怒哀楽の少ない君子然とした演義の方が実像に近いことを示している。
例え、内面がやんちゃでカッコいい服とか好きであったとしても。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 14:17:06.78 ID:j9e3Q0qu0.net
読書は楽しまない一方で闘犬や競馬っぽいものが好きで音楽を嗜んでいて美しい衣服で着飾っていたという劉備像
盧植とかどういう指導してたんだろうな?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 14:18:18.75 ID:mJ3V0WRz0.net
仮病でスルーした督郵の件も、下級役人を引き連れ(間違いなく関張も一緒だと思う)て罪状を発し、逮捕して、つるして刑罰棒で殴ってる。許しを乞うたので許してる(典略)
こう聞けばなんとなくニュアンスが変わるでしょ?まぁやりすぎたと思って逃げたのには違いないけど

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 18:27:50.95 ID:MMpHr3790.net
>>83
全くニュアンス変わる感が伝わらないのだが
よく人にへりくだる人物であろうとやってる事はヤクザまがい
喜怒哀楽出さないでやってるとしたらアスペやガイジなどの相当危ない人に思えるので
演義の聖人君主的イメージとは相当かけ離れたエピソードばかりにしか感じないのだが

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 19:17:32.95 ID:j9e3Q0qu0.net
劉備の豫州牧までの出世具合見てると蒼天劉備とも演義劉備とも全然違うんだよなあ
めっちゃ有能な現場叩き上げ官僚って感じだわ

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 19:47:12.93 ID:BF3ngh8Z0.net
>>85
劉姓の劣化版孫堅か
孫堅より血筋はマシだが軍績では劣るという

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 19:47:58.60 ID:mJ3V0WRz0.net
>>84
聖人とは一言も言ってないよ。
喜怒を表さないのは君子の美徳とされているんだよ
蒼天のように日常的に感情をぶっぱなしている魅力あふれる劉備像とは違うでしょ
演義はこの君子像をモチーフにしているんだよ

腹が立ったので、督郵を拉致監禁するのも
ちゃんと官吏を連れての汚職弾劾して処置していることからも
鬼嚢様(任侠ヤクザ)のそれとは違うでしょ。

>>85
劉備もインテリ型官僚(勉強はしてたのもあるけれど)と暴れん坊、どっちかというと小型曹操ぽいよね

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:26:54.40 ID:BF3ngh8Z0.net
>>87
蜀漢正当論の史料漢晋春秋では
劉備は督郵に面会拒否されてそのまま押し入って200回棒で叩いて官綬首に掛けて逃亡
典略とどちらが信憑性あるかわからんが少なくとも汚職弾劾ではないので官吏のする行動よりもヤクザの行動に近いように感じる

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:31:33.64 ID:wEzNE6d+O.net
幾分劉備批判の入りがちなこのスレですら、劉備が無能な人物だったと言い放つ人は頗る少ないよな。
初期の地方官歴任や小軍閥ながら転戦し生き残った力量は評価されてる。
実際規模など何であれ、一国を成し帝位を称するのは並大抵の人間では無い。
南北朝みたいに皇帝の値打ちタダ下がりの時代ならいざしらず、漢みたいな長期王朝の余韻覚めやらぬ時代に称したのはやはり傑物。
でも何か、中原を制し統一王朝を立ち上げるまでとなると足りない部分がね…何かと言われても言えないんだけど。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:33:02.15 ID:j9e3Q0qu0.net
豫州牧になるまでの劉備は表立った反政府活動はしてない
袁紹や劉表、孫堅みたいな犯罪者扱いするのは少し違うくないか?
袁紹とつるんでた曹操よりも遥かにマシとすら言える

孫堅はやっぱアウト

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:35:48.82 ID:j9e3Q0qu0.net
>>89
劉備だったら国興すのではなく後漢王朝再建がゴールでいいでしょ
後漢の官僚制度をスクラップ&ビルドせざるを得なかった曹魏みたいな無駄の徒労はする必要ない

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:43:14.54 ID:JyBJeGT8O.net
相手が強大すぎた

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 20:51:22.08 ID:mrbnbXNh0.net
>>85
茂才(キャリア官僚の推薦人)にまでなってるからな。コネとかを上手く使いながらキャリアを積んでる感じ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 22:20:31.78 ID:mJ3V0WRz0.net
>>88
なんで漢晋春秋や典略が併記されているかといえば、正史が簡潔なので捕捉のため。
それと督郵の話では「漢晋春秋」をより捕捉している文相の「典略」は矛盾しないよ。
例えば、「漢晋春秋」では手柄をたてた。という文章があり、「典略」では死んだマネした打ち取りましたと詳細が書いてあるでしょ。
そんな感じ。

それよりも蒼天劉備は喜怒哀楽激しい人間、正史では喜怒を見せない人間。だいぶん違うでしょ?ってのはわかっていただけましたか

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/12/31(日) 23:43:34.91 ID:bkHh47Bl0.net
劉備って恩人の同族を討った屑じゃん

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/01(月) 02:26:09.12 ID:C8nT6LGR0.net
劉備が蒼天劉備と正史劉備が違うと必死に主張している奴いるけど、
違うのはキャラであって、やってる事は蒼天劉備と正史劉備とに
そんなにギャップを感じない件について。。。

まあ、、、喜怒哀楽無い蒼天劉備だったら不気味だわなwww

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/01(月) 03:03:31.73 ID:YAul6P3yO.net
表向きは好悪の感情は表さないけど、裏では…

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/01(月) 06:33:57.38 ID:ceSWyJQz0.net
>>96
蒼天劉備の登場時ってモロ裏稼業やってて完全に脚色されてたじゃん
あれのどこが正史劉備なんだ?
あとひたすら「戦が弱い」連呼されてたりな

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/01(月) 13:32:30.78 ID:RDRJlAnt0.net
蒼天劉備が正史劉備と違うという主張は、たしかにその通りと思うが、
演義劉備の方が蒼天劉備よりも正史よりなんだよ!! と言われても、
なんでそんな底辺の比べ合いしたいん? ってなる

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/01(月) 14:02:23.86 ID:/UgxYxA60.net
>>90
袁紹、劉表、孫堅らは曹操や劉備と同じく後漢の官職貰った官僚であり
犯罪者というのがよくわからんのだが
割拠して他の後漢の官僚殺すのが犯罪なら曹操劉備含めてほぼ全員犯罪者なのだが…
後漢の権威を否定して勝手に皇帝や王を僭称するのが犯罪者ならまだわかる

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/02(火) 01:17:57.74 ID:VYGk4oFd0.net
>>99
正史の劉備と演義の劉備、そんなに違うか?としか思えんでな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/02(火) 21:03:08.62 ID:SmU1gY8V0.net
いつまでも蒼天なんていう子供だましのハッタリ漫画にこだわっているやつ何なん?
漫画板行けよ

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/03(水) 17:45:17.91 ID:v0IlVSm30.net
表立ってバカみたいにはしゃぐ訳でもなければこんな事出来ない…とナヨナヨオロオロしてる訳でもない

蒼天よりはまだ北方の方が近いイメージ

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/07(日) 21:44:47.46 ID:4FvjFaDi0.net
宮城谷昌光版だと地元じゃ鼻つまみ者とかだっけ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/11(木) 15:29:53.36 ID:/aqL6WbA0.net
>>104
読んだ感想としては袁紹の器を大きくしただけの人物みたいに見えた結局決断の遅さと最終局面(髭仇討ち)で重大なミスしてるし

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/16(火) 22:26:00.52 ID:nQhaw7ko0.net
「漢左将軍宜城亭侯領予州牧現屯新野皇叔劉備玄徳が先生にお目にかかりに参りました」

ガキ「そんな長い名前覚えらんねーよ」

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/18(木) 18:58:29.15 ID:/PlEEAAO0.net
劉邦神話の柳下の鯲を期待してたアホな集団

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/25(木) 21:35:56.10 ID:PZxWTcQk0.net
劉備と呂布は、やっていること自体はほぼ同じ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/28(日) 23:23:11.49 ID:6xNABNqe0.net
流石に主君を二回殺害する人と一緒にするのはいかがなものかと

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/29(月) 01:31:31.93 ID:5dYbixUl0.net
呂布も見方によっては有能な地方の官僚だよな

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/29(月) 08:03:31.74 ID:EvfnQ9wG0.net
呂布を反面教師にしたらこうなった

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/18(日) 08:37:09.37 ID:f8hCSJod0.net
呂布がなぜか配下におさまっていたら

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/18(日) 09:58:51.08 ID:+CyPgpWa0.net
関羽の部下に呂布がいる

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/19(月) 00:03:03.03 ID:p/XzOKdF0.net
>>113
あれな
文布という人物を誤記した可能性大らしいが
昔は書物書いて間違えても消しゴム無いからね

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/19(月) 03:22:59.71 ID:oJEeB4u10.net
竹簡の場合小さなナイフで削ったりしてな。だから刀筆の吏って言葉が生まれた訳で

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/19(月) 13:44:10.84 ID:IP2UGfNf0.net
曹操の小物入れにもそういうもんが入ってたのかな

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/20(火) 03:47:25.01 ID:SlbwyJ3+0.net
筆記用具の一部だからみんな携帯しているもん

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/25(日) 17:24:47.16 ID:KZSGJBsy0.net
蘭亭序とかも間違った箇所そのまま

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/27(火) 11:56:57.69 ID:uikO6CqZ0.net
そもそも人口とかどのくらいだったんだろ。
蜀なんて僻地も僻地だけど。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/27(火) 12:26:44.92 ID:FEvaAdR60.net
蜀郡は後漢でもトップクラスの人口抱えていた地方都市なわけだが
潁川、汝南に次ぐくらいだったような

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/27(火) 12:28:12.31 ID:GxKJftdW0.net
多分中央から逃げ隠れてきてるよね

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/02/28(水) 08:55:58.00 ID:HM7NWsla0.net
戸籍だと百万ちょいだけど戸籍にカウントされない亡命者や部曲民や胡族(異民族や受刑者を指す)などを入れると倍近い可能性が。
曹魏の屯田民(これも戸籍にカウントされてない)も数百万いた訳だし。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/05(月) 23:18:12.19 ID:Z9Ae69Rh0.net
河北中原のように戦乱塗れではない益州で実際はどの程度人口が減少してたのやら
2世紀半ば以降は気候が悪化しすぎてユーラシア全土で冷害飢饉が起きていたからそっちの影響は確実にあると思うけども

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 10:30:55.16 ID:RtwZZK2d0.net
徐州をなんとか維持して曹操の言うこと聞くしか中原で生き残る道はない

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 15:06:58.76 ID:qK2EY3VY0.net
荊州半分と益州を保持しただけで劉備が曹操撃退できた実績を考慮すると徐州豫州の二つだけでも押さえることできたら普通に勝ちそう

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 15:19:19.48 ID:aEfoTa+J0.net
益州は守るに易い土地であることを忘れるな。優雅なる長江万歳

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 15:24:16.80 ID:8onD0AO50.net
曹操が攻め込んだ時は関中や関西の実効支配も不安定な時期やったしな。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 15:26:57.20 ID:D0L3a5QZ0.net
>>125
豫州って許昌あるし流石に支配は無理じゃないか?

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/11(日) 15:43:31.39 ID:D0L3a5QZ0.net
于禁撃破後にさっさと関羽が江陵に戻っていれば

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/13(火) 17:26:10.15 ID:t6MsLJzi0.net
>>124
呂布と丹陽兵が最強の敵

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/16(金) 00:15:48.47 ID:BFOQ1pr50.net
丹楊兵は丹楊人の兄貴の言う事しか聞かないからな
曹豹と問題起こすなよおい

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/16(金) 09:06:37.05 ID:l3OeJTT70.net
曹操も丹陽兵に殺されかけたことあるしな

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/17(土) 16:52:25.77 ID:OciagLf00.net
>>131
孫策の言うことは聞いてるじゃねーか
つか劉備も重臣連中に背かれるってなにやってんだよあ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/17(土) 21:45:05.03 ID:87SyQiG00.net
孫策は物理()で言うこと聞かせてるから

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/29(木) 19:05:51.84 ID:lSxAWgwl0.net
>>129
なんの為に大軍出して北進したんだよ
あと魏領の反乱分子達は見殺しかな?

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/29(木) 23:49:16.31 ID:c5uAVB5N0.net
>>135
魏領の反乱分子は侯音と吉平を見殺しにした時点でジ・エンド
北進遅過ぎなんだよ
魏諷・・・なんて関羽関係なく自滅で未遂で使えないしな
梁、郟、陸渾の群盗なんて雑魚過ぎて人知れず潰されtる

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 01:25:48.58 ID:9hVuSczS0.net
>>133
そりゃ丹陽を領地に入れているんだから外地でどうこうとは違う
呉景が上手く手懐けたおかげでもあるけど

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 07:01:55.97 ID:zLVqcNyp0.net
張飛ってクズやろならつるんでる劉備もクズなんよ(笑)

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 13:58:45.67 ID:tN/rQ45s0.net
>>138
あの三兄弟は日本でもいそうだよな
ヤンキーとして
日本のヤンキーは暴力的だが「筋を通す」とか「仲間を大事にする」とか
関羽、劉備タイプも結構いる

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 14:02:01.70 ID:+Ulu0BFa0.net
劉備「ワイ、祖父の代まで出自がハッキリしてる名士やから。関張みたいな寒門と一緒にしないでくれや」

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 14:07:07.74 ID:tN/rQ45s0.net
>>140
小泉元首相みたいなものか・・・

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 20:33:22.86 ID:bCpPAuB60.net
>>140
張飛は肉屋だから寒門ではなく何進のように裕福層
寒門は犯罪者で字を変えてる関羽

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 21:43:16.02 ID:0Cv+XCzE0.net
肉屋は創作の設定やぞ

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 23:13:31.58 ID:9hVuSczS0.net
免税されたおかげで出世の糸口が見えたタイプの雑魚劉氏で名士と言われても困る

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/03/31(土) 23:53:44.66 ID:WLkx5Rq60.net
名士の定義が不明だから何とも言えんが
少なくとも士族だったのは確かじゃね
免税権や勉学できる資格が先にあったのか後から獲得したのかはやっぱり不明やが

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 07:51:36.36 ID:RRWi+O9C0.net
基本三人組作るやつはクズだと思っとる。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 11:13:15.62 ID:L5otUtxo0.net
三人の革靴職人が集まれば諸葛亮にもまさる

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 16:53:15.75 ID:aFnsSYgJ0.net
>>138
部下への暴力なんて曹操だってやってるし、あの時代は張飛がことさらクズってわけでもないだろ

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 19:01:52.86 ID:EQ+yAZtq0.net
>>148
張飛は部下への暴力(虐待)が原因でタヒんだ
クズというよりもバカ
曹操みたいに非番でも徐他の暗殺未遂防ぐような忠虎を飼うか
もしくは飛頭蛮みたいに寝姿で暗殺者をビビらす能力無いとな

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 20:21:51.23 ID:hztn+Ehg0.net
>>149
張飛自体が劉備の忠虎みたいなもんなんだけど
曹操との比較はおかしいわ

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 20:51:27.44 ID:COwmZZEX0.net
クズどうし人はつるむよね
劉備は貴人とは全く思えない
ゲームや漫画だといいやつだから笑えるんだよな

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 21:13:42.17 ID:zaZnfiVF0.net
>>151
どこでこじらせたらこうなるんやろな

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 21:13:55.77 ID:k7RP5/oB0.net
茂才の推薦人にまでなってることからして馬の骨ではないのは確かだろうけとど。
母親の身分が極端に低い(側室ですらなく下女レベル)とか一族に不義理働いたとかなんかやらかしてそう。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 21:30:30.92 ID:Mb1jjAM/O.net
寧ろ中山王の後裔と称し、漢中取って漢中王を称し、漢から魏への禅譲から自立して皇帝に即いたという事項以外
劉備の行動に貴人らしい振る舞いのエピソードが無いんだもん。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 21:33:01.03 ID:zaZnfiVF0.net
祖父が范県令務めとるから兗州東郡一帯ではそこそこ故吏や知人もおったんやないか?

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 21:39:46.34 ID:oQsY0ktf0.net
後の西晋じゃ王弥さんみたく郡大守の家柄なのにモヒカンな人もおるんやで

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 22:02:41.36 ID:COwmZZEX0.net
この時代に活躍したやつ全てクズと
俺はキメてる

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 22:38:20.36 ID:ikKYYEkJ0.net
>>157
もし光武帝が好きならそうなるかな
だが劉邦と愉快な仲間たちは三兄弟を上回るDQNだけどな

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 22:59:58.13 ID:COwmZZEX0.net
>>158
好きじゃない
老子がすき

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 23:06:40.03 ID:ikKYYEkJ0.net
・・・。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 23:07:54.46 ID:COwmZZEX0.net
所詮チンピラの集まり
今で言う関東連合
ファイアーエムブレムの中ボスの

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/01(日) 23:16:40.59 ID:L5otUtxo0.net
まぁ、函谷関の東にいますからね

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 04:13:19.79 ID:oEIDOClf0.net
>>157
実際そうだと思う。

前漢もゴロつきだの屠殺屋だのが皇族になってるし。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 09:39:00.43 ID:83TOhjlx0.net
>>163
屠殺業って日本みたいに中国でも賎業だったっけ?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 11:20:04.63 ID:bfghrgtr0.net
>>164
賤業とされたのは仏教が影響してるからそれ程でもない
三国志で大将軍にまで出世しとるやろ?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 13:53:22.98 ID:VgGEsLZ30.net
>>165
そうだよね>>163の書き込みは事実誤認だろう

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 18:21:26.94 ID:oEIDOClf0.net
犬の屠殺は荒くれ者のなる職業。

そして賎業なんて言葉は一体どこから?

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 19:16:52.49 ID:X9mWdT6L0.net
そもそも元をただすと肉を捌くのは祭礼にも絡む権威者の領分だろう

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 22:35:34.92 ID:yBS2nvZ10.net
>>150
いや張飛はボディーガードではなく別部司馬だろ
だから典韋や許チョらと違って常に主君の護衛してる訳ではないので
徐他の暗殺未遂防ぐような忠虎とは全く意味合いが違う
ただし劉備や関羽と閨を共にするのはただならぬ関係なのは確か
まあホ○が暗殺者から主君の命を救った例なんて古今東西聞いた事ないがなw

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 22:48:54.06 ID:X7Ju91TXO.net
賤業扱いされたのて、もしかしたら人肉も売ってたんじゃないの

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/03(火) 00:24:33.07 ID:09mu757vH
>>149
曹操も張繍から襲撃食らって嫡男死なせてるし
バカ度はそんなに変わらんだろ

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/02(月) 23:56:34.23 ID:YPJdcd700.net
劉備にとってのキョチョは張飛でなく趙雲だな
張飛は魏でいうなら曹仁曹洪の輩

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/07(土) 13:36:04.38 ID:Wn1LtlqI0.net
>>170
程c「そだねー」
王忠「もぐもぐタイム!…ん?この肉いつもと違う味が…」

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/09(月) 15:24:10.74 ID:MDjyh5m90.net
梁山泊的には人肉はお笑いネタやぞ。

175 :七 宝 :2018/04/11(水) 21:03:01.28 ID:gtlSm6260.net
関羽の無断行動

HPを製作中 見に来てください
http://takehidek.wp.xdomain.jp/

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/13(金) 10:19:59.34 ID:B3c3MS2n0.net
天下統一しようぜ
https://goo.gl/ZwPn8a

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/26(土) 20:43:32.90 ID:duhox+eN0.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/30(水) 19:26:58.68 ID:pUUgF2C00.net
>>169
内田正人、井上奨、「アッーーーーーー!!」

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/17(日) 17:53:37.32 ID:qf7YXOG70.net
>>155
県令程度だと腐るほどいるからそんなに影響力無いし
赴任が短期だと故吏や知人もそんなにできない
劉備の伝読んだ限りでは祖父の縁故に助けられた例はほぼ無いな

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/18(月) 05:14:03.82 ID:Dh+HOaNM0.net
>>179盧植門下の人間であった事が挙兵前の劉備の一番の財産な気がするわ

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/18(月) 18:24:56.32 ID:Dt2ghXP30.net
公孫サンの舎弟だったのに、徐州入った時に盧植門下であることをうまいことアピールした、とかいう論文があったな

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/23(土) 08:39:50.33 ID:P9AGz0Np0.net
劉備はどう言う訳か陳羣の親父や鄭玄(孫乾の師匠で後漢末の大学者)とコネあったり
謎のコミュ力持ちだからな。

所謂「何故かオイシイ仕事とってくる人」って奴。(仕事が出来るとは言ってない)

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/24(日) 15:20:02.56 ID:aIjJXg2DO.net
プロレスなら1日しか部に所属してないのに、そこのレスリングコーチを新日道場に連れてきたというヨシタツみたいな図々しさなのかな

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/25(月) 07:37:43.12 ID:YRYEEdLP0.net
蜀だからダメだったんだろう、東京都にすると
魏=23区、呉=多摩地区、蜀=奥多摩みたいな

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/25(月) 23:11:57.44 ID:2Lt1QPkf0.net
>>182
釣りバカ日誌のハマちゃんみたいなものか

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/26(火) 12:30:06.96 ID:pDwkUp2o0.net
蜀の最大の戦犯は関羽
あいつが深入りせずに荊州をしっかり守ってればそれだけでかなり優位なポジションで戦えた

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/26(火) 12:57:02.98 ID:957w5kkeO.net
小国が大国相手に持久戦?
待てば待つほど有利になるのは大国の方なのだが…。

まあ、その通例に当てはまらないような関羽は風邪知らず、病気知らずのスタミナモンスターなリアル超人だから、楽進の時同様に相手がへばって潰れるのを待つというのも面白かったかも。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/26(火) 13:58:50.81 ID:lueiXd7k0.net
基本的に時間が経つほどに華北か中原に人口が戻る構造なので時間が経てば経つほど逆転の目がなくなってくからな。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/26(火) 23:31:20.89 ID:OmOYAaOq0.net
劉備(蜀漢)が最も強かったのが関羽北伐の時で関羽が死ぬことでそれが終焉するって、物語としては完璧すぎて、これが史実って三国志は卑怯だわ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/26(火) 23:36:58.63 ID:7VuDmc9F0.net
曹魏も当時寒冷化&反乱祭りでやばかったからな。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/27(水) 14:49:11.51 ID:pJOGRZkT0.net
劉備が生きてる間は多分何やっても無理だったんだろう
地盤を得るのが遅すぎたから無理だったイメージ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/27(水) 15:42:06.98 ID:1wgj+jCg0.net
最後まで益州人を軍のトップにしなかったところからみても地盤不安定なのが見て取れる

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/27(水) 23:29:38.71 ID:zlCVKwTe0.net
益州出身の馬忠が大将軍なのでセーフ

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/28(木) 18:55:57.41 ID:/NuuXJgY0.net
>>189
異民族時限爆弾が既に中原に入り込んでるし持久戦は悪くないと思うよ
まあ益州にも異民族は入ってきてるけど

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/28(木) 21:39:40.23 ID:rnumm0+o0.net
>>194
持久戦も関羽が弱くてあかんだろ
呉単独にすら負けてるんだから

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/28(木) 21:48:01.01 ID:bE80TMtK0.net
関羽以外に荊州を任せられる人物がいないんだよな
北上したのもミスだったね

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/28(木) 23:59:39.83 ID:DCH2yn6f0.net
関羽を北上させるようコントロールした
呂蒙が凄いと思うのだけどな

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/28(木) 23:59:44.02 ID:bG7qvZCt0.net
>>182
どう言うも何も鄭玄が孔融・陶謙ら政治グループの一員で
そこに同門の盧植の弟子が軍事力と共にやってきたんだから同じ政治グループに入れるでしょ
しかも軍事的に陶謙が厳しくなっていた時期の話だし

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 08:52:16.74 ID:RMEwSjTR0.net
>>197
北上は呂蒙と関係無いだろ
宛や魏フウの内乱から釣り出されてんだから
呂蒙は本拠地を無防備にした策だから
関羽が注意してたら問題なく呉も攻め込まないだろうし

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 11:34:56.11 ID:1W1KJvoGO.net
戦略レベルの話をするのなら、関羽を裏切ったカス共に妙な立場を与えていた劉備らの問題だけどな。

上から下への命令が徹底出来ない軍なんて誰が指揮官でも勝ち目なんてないわ。

劉備軍全体が傭兵気質から抜け出せてなかったのでは?

関羽軍そのものは曹操、孫権が連合を組んでようやく倒せた事実は変わらないから、人事クラスの戦略上の問題なんだよ。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 12:57:37.81 ID:RMEwSjTR0.net
>>200
荊州の政治トップのハンシュンを関羽が嫌ってるから
むしろ人事を荒らしてるのは関羽の方なんだよなあ
あと、魏単独で関羽は負けてるよ
呉は本拠地を取ったけどその前にほぼ対局は決まってる

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 14:05:22.58 ID:Y0KYKKFl0.net
ぶっちゃけ親の名前すらわからん髭が名士に喧嘩売ったところで勝てるはずがないんだなぁ。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 14:55:33.04 ID:RMEwSjTR0.net
>>202
まあ、名士の否定=漢王朝の否定だからね
関羽が生きている頃はまだ官職は漢王朝から貰ってるし
自分もそうだからまさに自己否定なんだよね

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 15:11:59.02 ID:1W1KJvoGO.net
まあ、関羽軍もそんなお荷物背負って勝てるわけもないか。

現実的問題を机上の妄想に酔っ払いどけてしまい、精強曹操軍と戦うという、劉備軍の国是から逃げ出すだけでなく、名士という立場マウントまでかけてくる。

この手の国を腐らせる猛悪臭は孫文の革命まで続いたんだな…。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 15:19:11.62 ID:Y0KYKKFl0.net
そもそもこの時代は名士の支持を取り付けるって事が権力の正当性だから。
名士の支持を取り付けられなければただの群盗集団でしかない。
漢王朝の正当性も名士の支持があってこそ成り立つ訳で。だからこそ名士の袁紹が皇族の劉虞を担いで献帝を完全否定するような真似も成り立つ。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 15:42:32.46 ID:1W1KJvoGO.net
なら、曹操につくのが名士の筋だろう。
劉備の元に居たんじゃ名士もどきの賊の一員になるぞ。

まあ、現代人からすれば名士なんてホント吐き気のするような最低の人種だな。
普段は威張り散らすが、ことが起これば逃げ出す。
関羽が最高の英雄と現代人が讃える理由もよくわかるわ。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 16:03:47.49 ID:K3OJhNBV0.net
名士名士うるさいのはどうせ渡邉義浩の本でも読んで影響受けた口だろうな
あんなのくだらん
成功失敗をすべて名士の存在に帰結させているくせにその名士の設定範囲・基準があいまいすぎる

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 16:09:48.97 ID:tfbioNY70.net
>>206
最近じゃ中国ドラマでさえゴーマンキャラに描かれてるぞ関さん

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 16:14:58.77 ID:YqTOQ8Jb0.net
陳羣とことか数代前はショボい家柄だしなあ
本当に名士って何なんだか

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 16:57:12.16 ID:1W1KJvoGO.net
>>208
中国国内で微妙評価のスリキンねぇ…。

総制作費も25億円程度(大絶賛された最近の水滸伝は55億)だし、値段相応な人選だった気もする。
関羽愛も水滸伝に大きく負けたと思う。
こっちでは、梁山泊の会議場の中心に、関羽が関平と周倉を伴った大きな絵が飾ってありまさしく義人の神と言わんばかり。
子孫の関勝は大刀一本で戦車部隊を壊滅させるターミネーター。

中国人は関羽大好きだよ。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 17:32:47.90 ID:RMEwSjTR0.net
>>206
劉備が賊そのものだろ
同族の恩人を攻め立て王を僣称してんだから
そんな不安定な劉備を支持してくれた名士を
ぞんざいに扱った関羽は無能なんだろうね

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 17:40:48.70 ID:RMEwSjTR0.net
>>210
関羽を武神なんかに奉ってるから
中国は昔から外国に弱いんだろうね
水滸伝も結局は負けるし
今の商人の神もパクり大国にふさわしいね

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 17:55:36.99 ID:URbUFptk0.net
>>206
それで朱温に名士は川にぶん投げられたわけだ
関羽は生まれた時代が悪かったのかもね

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 20:35:36.23 ID:cbiRcj2S0.net
劉備が天下をとれなかった一番の理由は
名士を甘やかしすぎたことだろうな

ココの名士論を聞けば聞くほどに傲慢なだけの役立たずにしか
見えない
文も国家の大業を担うとはわかるが、それが
武人の武と同質な争う道具や、武への嫉妬に過ぎないものじゃ
あかんだろ

武人は命張って汗水たらして働いてるんだから
その分の傲慢はわかるが、名士はなにもしない癖に傲慢とか
何やってんの?ってなるよな

曹操のように孔子の子孫だろうが、役立たずな青虫は潰して
処分するくらいの大ナタをふるえるくらいの政治センスが
劉備には不足していたのかもな

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:07:18.80 ID:tfbioNY70.net
名士殺しって劉備もやってるで。
それも鬚が薄いのからかわれたとかくだらん理由で

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:17:14.70 ID:0Byy3LD/0.net
名士の支持を無視するって袁術の同類になんだよな
袁術の二の舞に成りたくないから
劉備は名士の支持を得てるのに
関羽は理解が出来ないんだよな

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:23:46.91 ID:aP/h1JUd0.net
>>216
あと公孫瓚とかな。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:31:15.11 ID:cbiRcj2S0.net
現代では汚職政治家みたいなもんだろ、名士なんて
原始社会は本当に政治のレベルが低かったんだな

商人の偉大さが良くわかるわ

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:35:41.37 ID:0Byy3LD/0.net
>>218
汚職政治家=名士を説明して
根拠もなく結論だけ言われても理解出来ないぞ

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:45:03.59 ID:cbiRcj2S0.net
>>219
関羽を裏切った蜀の四奸

責任ある立場でありながら
怠慢を叱責され、逆恨みで呉に寝返る
太守のような立場を劉備から与えてもらいながらも
義理を果たさず、利己的な生き方しかできなった
政治家としての強権の権利のみを主張し
窮地が迫ると責任を果たさず、我が身可愛さに敵国へ逃亡

今でいえば、こんな奴らが税金でのうのうと飯を食ってたんだろ?
権利を主張するなら、責任も果たすのが正しい政治家だろ。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:48:22.32 ID:0Byy3LD/0.net
というか、諸葛亮が蔡家からの
黄家の一員で荊州でのトップの名士なんだが
関羽を上げる為に諸葛亮は汚職政治家扱いは酷いな

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:55:48.97 ID:cbiRcj2S0.net
別に諸葛亮は関羽を裏切ってはいないだろう。
てか、肩書があればどんな悪行でもチャラにされるのが名士なのか?
有名の家の出だとか、人間の素行には何の関係もないだろ。
>>204がいうように孫文がその手のクソを始末してなかったら
今の中国はおぞましいレベルの名士マウント階級社会になってて
国際社会から、古代差別階級社会のガラパゴス大国と呼ばれててもおかしくなったな。

今の中国がそんなもん?偏見が過ぎるな。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:56:44.50 ID:aP/h1JUd0.net
そもそも髭は劉備から諡号貰えなかった時点てお察し。
蜀臣の書いた「季漢輔臣賛」でも「関張」とかニコイチ呼び捨てで「死んだのは自業自得」とバッサリ。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 21:57:38.40 ID:0Byy3LD/0.net
>>220
まさかビホウと士仁を名士とか言っちゃうの?
ビホウは一応、元は着くかもしれんが
劉備と共に曹操から逃げて地盤を失ってるんだが
後、関羽が気分で軍を起こして度々軍勢を失ったことを忘れてる

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:02:09.62 ID:aP/h1JUd0.net
あと現代でも名士社会ってのはあるで。
アメリカの大学コミュニティとか。出身大学のコネの強さなんて日本の大学なんぞ比較にならん。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:05:55.32 ID:0Byy3LD/0.net
荊州を失ったせいで名士層が一気に少なくなって
諸葛亮が知識人が居ないって嘆くぐらいだからなあ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:10:30.41 ID:XRtgm9XG0.net
>>199
陸遜に切り替えて、全力北上を促がしてるだろ
しかも関羽にへりくだって、よいしょしまくって敵意を完全に隠してたろ

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:13:18.41 ID:XRtgm9XG0.net
>>221
トップ名士が劉表から声も掛からず、派閥もなくぼっちで
晴耕雨読なんぞするわけがねーだろ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:20:55.80 ID:aI1fYZFn0.net
基準も範囲もガバガバの名士なんて言葉で
よく話が進んでいくもんだ

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:23:20.91 ID:0Byy3LD/0.net
>>228
叔父が劉表と親友で黄家の一員なんだが
諸葛亮が劉表時代は逃げていただけだろ
黄忠も昇進の時も口を挟むし親戚の可能性があるな

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:30:14.30 ID:XRtgm9XG0.net
>>230
そんな程度の親族、腐るほどおるわ。
荀ケで言えば、ついてきた一族郎党の、名前の無い奴程度。そんなのがトップ名士なわけがない。

名士なら、地元領主に声を掛けられて断るのが、デフォ。名声になる。
周瑜も荀ケも張昭も?徳公も名士なら声を掛けられている。トップ名士ならいわんや。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:32:27.32 ID:aP/h1JUd0.net
トップ名士は有名人から声かけられるとか交際を申し込まれるとかが最低条件だよね

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:35:32.47 ID:0Byy3LD/0.net
>>231
馬鹿ですか?
なんで劉表時代限定で話をしてるの?

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:46:09.56 ID:aP/h1JUd0.net
諸葛亮と黄家の関係云々って習鑿歯の「襄陽記」にしか記述なかった気が。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:49:35.59 ID:1W1KJvoGO.net
名士は建て前社会なんだな。
本当の友達とか1人も居なさそう。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:51:12.27 ID:XRtgm9XG0.net
>>233
ご自身で書かれた>>230>>221をご精読ください

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 22:54:23.09 ID:XRtgm9XG0.net
>>235
諸葛亮は「お前太守クラスな、俺、伝説の宰相クラス」のビッグマウスっぷりで
友達少ないという逸話がある程度に、建前を超えて、少ないですよね

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/29(金) 23:20:28.94 ID:aI1fYZFn0.net
>>224
気分で軍を起こしたわけじゃねーだろ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 02:18:10.77 ID:8W15rT1N0.net
>>236
何処にも劉表時代とは書いて無いな
蔡家=劉表時代限定なんて言わないだろうな

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 08:32:53.68 ID:xY2t4abSO.net
>>214
なんかそれ、朱重八っつあんみたいな思考やね…

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 08:39:08.26 ID:SudB6LMT0.net
>>240
重八も江南名士がいなかったら野盗の親玉でしかなかったのに。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 08:48:01.94 ID:fQYrk/yK0.net
知識人階級=名士ってわけでもないだろ
やはり最初にしっかり名士の定義しないと

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 10:46:42.81 ID:qBN3NJzl0.net
名士論、荊州閥・益州閥対立論、うっ頭が……

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 12:26:14.55 ID:JLtqXbdrO.net
社会道徳や英雄論が一般社会の感覚と同じ。皆が好きなものは自分も好き(関帝に対する敬意など)、言わば知識のある常識人。

こういうのが、本当の名士では?
民意に逆らって賢しら顔とか長生きできないよ。
知識は世の中のために使うものだし。自分の世界に引きこもって、他人の言の揚げ足とって屁理屈ごねて現実逃避キメてドヤ顔。
こういう名士にあらぬ紛い物は当時も居たんだろうね。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 17:59:40.08 ID:o37Qp2lSO.net
日本も地方豪族の集まりみたいなもんだけど、足利幕府や秀吉みたいに元同僚だから気を遣うか、家康や信長みたいに部下扱い出来るか基盤の差が大きいのかもな

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 18:54:38.75 ID:0HIUXMM80.net
諸葛亮は劉備死後、多大な権力を得たから名士です
だから、劉備は荊州のTOP名士の諸葛亮を名士の名声目当てで登用しました
というウルトラ展開を希望されているのかな

蜀漢の中で一番、劉備に頭が上がらないのは、諸葛亮だけどな
権力基盤が劉備だから。派閥で言えば関羽張飛と同じく劉備派閥

益州閥があったとしても法正がTOPなんぞは絶対ないな
性格、裏切りから考えても一番益州閥から恨まれてるだろと思うわ、
劉備の庇護無いと明日も見えないほどに

名士は渡辺某先生の言い分とすれば君主に頼らない権力(ネットワーク?)を持つ人だと思う
荀ケあたりをモデルにしたら素直に納得できるけど、キャッチーな人物を求めて諸葛亮にしたのはあかんと思う

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 19:23:40.68 ID:o37Qp2lSO.net
偏屈のホウ義永年と法正とは親交が深いんだったか
浮いてそうだな

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 20:30:33.92 ID:JLtqXbdrO.net
権力者に依存しないネットワークの構築なんて名士でどうやって作ったんだろうな。
搾取する側の上位種が権力者で、下位種が名士な偏見の俺には、権力者に依存しない経済圏を名士がどう作ったのか疑問だわ。

山西商人のような自前のライフライン構築のプロ集団には見えないし。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 21:04:48.47 ID:0HIUXMM80.net
>>248
朝廷という権力の場がソモソモ存在していて、その場で官僚同士の血縁名声などで生まれるもんみたいやな
Twitterのフォロワーみたいなもんかな。イベントとか、グッズが売れて採算が合うのはある程度の数が必要みたいな。
経済力は権力の付属するしね。
徒党や派閥によって君主権力と対峙するみたいな、ものかな。

官僚になるためには推挙という形が一般的で、それは名声や血縁や縁故のネットワークによる
それを推挙できたり影響力のある人を地元名士ではないですかね

今なら、政治家と政府の違いかな?違うか。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 21:25:20.60 ID:JLtqXbdrO.net
なるほどね。四世三公を輩出した家柄の人が名士を軽視する理由も分かるわ。

中央権力VS地方権力みたいなものか。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/30(土) 22:41:12.71 ID:kZfRhHZp0.net
後漢が害悪承知で宦官や外戚重用したのも名士に権力脅かされないためって味方もできるし。
曹操も名士の利権の一つの「爵位の世襲」を禁止にしようとして楊彪(楊脩の親父)と揉めてるし。孔融の処刑も孔融のレスバトラー気質が気に触ったのもあるけど、孔融が楊彪のフォロワーだったのもゲンかと。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/01(日) 00:56:52.06 ID:mpexMOSsO.net
>>249
よくわからん文化人や地方議員、地主みたいに地方である程度の地位や影響力がある人も名士だしな

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/01(日) 08:15:21.55 ID:aVuDmHjH0.net
>>250
ちょっと違って、皇帝・君主(権力者)VS官僚(権力代行者)って感じですね
四世三公は最大の名士みたいな、皇帝の外戚になることで皇帝団の一員である場合もありますが
まぁこの名士層ってのが貴族になっていくって話だったと思います

>>251
曹操は制度として名士の推挙に「なんで?なんか凄いの?」って理由を求めた感じですね

>>252
知識人としての名声は必要ですが、一番は影響力が重要って話ですね

ということで夷陵を見ても、諸葛亮は劉備の子飼いの部下で頭が上がらないのがわかる
諸葛亮の背景は劉備であり、君主権に対抗できる名士層としての力や背景は大変薄い、喧嘩にもならない
また施政を見ても益州と荊州や外来の融和に努めており、正史からも公平公正をくどいほど称揚されていることからも
派閥政治からほど遠い事もわかる

馬謖の鼻持ちならぬビッグマウスぷりは、昔の自分と重ねていたんだと思う

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/02(月) 10:17:09.43 ID:pL50SLDx0.net
諸葛亮は縁戚関係でいうなら完全に名士だろ
ただし所詮はドンの龐徳公の小倅龐山民の義弟にすぎない地位にあっただけで

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/03(火) 18:30:03.56 ID:RwX33llN0.net
使關侯身死無孑遺、上庸覆敗、徒失一方。是羽怙恃勇名、作軍無法
まず、関羽が軍を預かるに価しない
それを名士に責任転換するから話がこじれる

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/04(水) 16:40:54.98 ID:Y1YKsymY0.net
髭は陸遜のあからさまなおべんちゃらの手紙を真に受けるからな。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/04(水) 21:50:17.93 ID:1R9bzO5P0.net
劉備軍は、基本任侠集団で
知識人(名士層?)がついても活かせず
拠った土地を追われる時に離ればなれになっちゃう
・・・ようなイメージがある

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/04(水) 23:17:30.84 ID:0Ef0OBib0.net
いや、劉備も知識人(名士層)やぞ
同窓に公孫?がいるし、血縁もしっかりしてる

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/04(水) 23:28:40.32 ID:mwaWfjUk0.net
劉備は茂才の推薦権持ってる(袁譚などが劉備に推薦された)から馬の骨ではないだろうね。
ただパイセンの公孫瓚や一時期身を寄せた袁紹同様マッマの身分が低そう。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 15:41:04.68 ID:J127+vk40.net
>マッマ
お郷が知れるなお前

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 17:52:06.42 ID:XxJKhdas0.net
その手の薄気味悪い造語を他所に持ち出すのは勘弁してくれ

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 20:26:29.78 ID:znT5IGCd0.net
>>259
よく勘違いされるけど基本的に茂才の推薦に当たっては
郡守と相そして郷里の有力者の合議によって選ばれるので
劉備は馬の骨でも平原相になって以後は茂才の推薦権持ってる
袁譚の頃なら普通に劉備は茂才の推薦権あるのでとりわけ騒ぐほどでもない

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 20:49:44.39 ID:PO+Zwd2r0.net
馬の骨がそんな簡単に国相になれるんかな
董卓系の連中なら話は別よ

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 23:22:48.29 ID:7/SsnYef0.net
劉備は皇叔やぞ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 23:25:16.42 ID:Gn9xtECcO.net
平原捨てて徐州に納まったかと思ったら、曹操と対立して呂布に獲られて、紆余曲折で袁紹→劉表
劉備のビジョンがよくわからないな
袁紹か誰かの指示で徐州に行ったら、公孫讚が討たれて帰るとこなくなっちゃったてことかな

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/05(木) 23:44:24.84 ID:7/SsnYef0.net
>>265
公孫サンの子分として平原を守っていた。公孫サンに頼まれて徐州を助けに行ったら、徐州くれたので貰った。
→紆余曲折→曹操に襲われて袁紹に逃げる。→袁紹に頼まれて南方から曹操を挟撃するべく奔走。
袁紹が敗れたので近くの劉表にかくまって貰った。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 00:00:17.06 ID:HZBR1w4dO.net
二人の指示で動いてたのね
サンクス

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 00:01:08.52 ID:T1LDZ+xZ0.net
>>263
士大夫や大学者との交際費も馬鹿にならんからなぁ。
先主伝の「先主少孤、與母販履織席為業」って「中流士大夫としてのステータスを満たす家産がない」ってテンプレート表現で実際はそこそこの金持ちだったんじゃ。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 00:11:39.77 ID:HZBR1w4dO.net
旗揚げ時に曹操や孫堅みたいな親族がほぼ皆無てとこに、一族のはぐれものという印象を持ってしまうなあ

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 00:58:40.24 ID:+68uG6BV0.net
劉備は叔父さんが金出して、立派な塾に通わせて、放蕩三昧な生活をしている所を見ると、
家柄は低く無いけど主家ではない感じかな

諸葛亮の嫁さんの一族(蔡家)が諸葛亮がTOP名士の証と考えている人がいるけど
諸葛亮が権力握っていた時代に、その一族の影もみない所を見ると、ほとんど意味ないな
意味があるとすれば劉表時代だろうかと思うが、降伏の時に呼ばれもしてない
劉備の逃避行についてこない所から見ても
ほんと、気の毒なほど、諸葛亮になんの力になってない、繋がりの薄いことがわかる。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 03:46:28.04 ID:sm1M5Mwl0.net
諸葛亮も多分分家とかオカンの家格が低いとかなんだろうな。
本籍である琅邪諸葛氏の諸葛誕や孫呉の諸葛瑾、格親子と比べても一族の影が薄い。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 12:10:31.67 ID:0dkZYWfy0.net
劉備はおそらく下女が母親とかで一族全体としては支持支援を受けられなかったという感じを受けるよね
族父が見込んで金を出してくれたからいいけど、これもその妻が不満気だったし
諸葛亮は諸葛珪→諸葛瑾という名前の流れからすると本当に珪の流れだったのか?という気がする
諸葛亮は姉弟含めて案外叔父扱いの諸葛玄の実子か別の兄弟の子、もしくは珪に近い族子一家だったのではないかと

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 12:13:08.02 ID:IBiitjoT0.net
>>263
劉備の舎弟の関羽張飛も馬の骨だが後に太守になってるからな
有力者の配下なら馬の骨でも有力者の後押しあれば太守ぐらいにはなれる

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 13:45:10.75 ID:DS3um+kQ0.net
>>273
当時の劉備の親分って誰になるん?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/06(金) 17:50:41.53 ID:KSvNB2al0.net
>>273
劉備が平原相になれたのは公孫瓚の推薦だろうな
劉備が徐州に行くまでは劉備の親分は公孫瓚でいいかと

276 :274:2018/07/06(金) 17:51:53.71 ID:KSvNB2al0.net
×>>273
>>274

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 10:32:02.35 ID:PQ6bZYKT0.net
>>256
陸遜だけでなく
馬超左将軍就任の時の諸葛亮のおべんちゃら手紙にも真に受けてたからな
黄忠後将軍就任には激おこだしホント面倒臭いよ髭は

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 10:58:43.65 ID:PbILnbuL0.net
丁度今チャンネル銀河でやってるthree kingdomsで
劉備が入蜀して関羽が馬超に文句付けて孔明さんの手紙で満足したとこだな
関羽がこの手紙を50枚写してみんなに配って来いって言っててかわいかった
演義主体だけど関羽が傲慢で上に逆らう性格なのは結構表現されてる

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 13:01:52.26 ID:AKaIo4v20.net
>>273
関張は太守になるまでに昇進立身を重ねているのですでに馬の骨でもないけどね
劉備陣営だと魏延のほうがスピード出世すぎて馬の骨感が強い

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 14:19:38.89 ID:nwUaDsVo0.net
剛毅と傲慢はイコールみたいなもんでしょ。
よく言うか、悪く言うか程度の差しかないと思う。

関羽は正史の中では傲慢な性格も叩かれたが
後世に筆誅を食らったのは、関羽を裏切った連中だったし
陳寿の言の批判も易々と潰された。

日本では90年代あたりの刷り込みが半端なく
未だに正史は演義の不正を暴いた真実の書。みたいに
見られてる。
横光三国志が日本三国志の一般的知識であるところに
ちくまの正史三国志が現れた、ことによると思うが。

しかし、そもそもは正史を源流として様々な民間伝承が
吸収されて、演義が完成してるわけだから
権力者基本の正史の腐臭を脱臭した演義が三国志の基本であって
当たり前なんだよな。

関羽の性格面を否定してる人間って
本当に社会に出たことある?って感じるような
甘ったれが多く現実感がないよな。

熱い人間になれないと会社で出世なんて出来ないぞ。
面倒ごとを避けたいのなら、フリーターやライターにでも
なればいい。

太守なんて今で言えば、部長クラスの人間なんだから
見合った仕事ができなかったら処分されて当たり前。
やれないから出来ないは一番評価されない。
無理かもしれないが、やってみました。でも達成不可能でしたのガッツは
失敗しても必ず評価される。
関羽はそんな現代社会の出来る中間職の見本のような人。
部下の失敗には大らかで、上役を恐れずに怠慢には立場に関わらず猛然と噛みつく。
社会派ドラマの主人公みたいな人間が歴オタは嫌いなのか?

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 15:24:57.64 ID:pV0j+eE20.net
>>280
>>255

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 15:28:29.62 ID:G+Vi3Lj70.net
易中天も「最初から髭がアカンかったんや!」つってたな

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 18:07:33.71 ID:j/Vhq0Bg0.net
関羽って一言で表すと無能の働き者だな

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 19:43:12.31 ID:0O8uv6kx0.net
関羽はそこまで無能とは思わんがな
直接対決で完勝してるから于禁よか有能だろ
于禁=糞無能みたいに語ると魏将なんてカスばっかりになるぜ
貶めるよりはどこに問題があったかを追求する方がいいと思うがね

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 20:11:12.04 ID:SY4fDK7Z0.net
同じやつが一人でやっているだけ
5chの三国志系のスレには重度のアンチ関羽が一匹いるけど
こいつが相当ヤバイ

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 21:01:54.08 ID:pV0j+eE20.net
>>285
>>255

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/07(土) 23:10:03.24 ID:RdxEEEey0.net
>>280
部下の失敗には大らかな関羽なんてどのパラレルワールドの関羽なんだw
関羽の日頃のパワハラのおかげで部下ほとんど離反で
呉と決戦する前に軍勢脱走祭で壊滅して麦城に籠る羽目になったのは無視?

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 01:39:33.63 ID:izO6qjoC0.net
違う人だけど、関羽に対して思ったこと。

部下には優しいと、されているので、優しいのだろう
同僚や士大夫には、身分的な僻みで厳しくあたって、裏切られはしたけれど。

あと、敗走は、兵の母子を人質に取ったため
呂蒙は、元々、関羽を油断させて北上させ、隙をつくという戦略で
関羽を最大限油断させ、内部崩壊させる戦術を計画し、完璧にやりきってみせているので
もう仕方がないと思う。

関羽がヘタレというより、呂蒙が凄い。

諸葛亮が北上した時、関羽と劉備死んだので、びっくりしたとある通り
諸外国から見て、蜀漢は関羽と劉備程度しか人材が居ないと思われている
それほど飛びぬけていた人材であることは確か。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 01:44:45.04 ID:MmPIgvVt0.net
ぶっちゃけこの時代って君主と同レベルの実力で別働隊任せられる人材いないからな。

劉邦に対する韓信、劉秀に対する呉漢みたいな人材がいない。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 08:02:10.89 ID:vmdryfXh0.net
>>288
>部下には優しいと、されているので、優しいのだろう

最後に兵士を見捨てて身内10余だけの騎馬隊で逃げてるからなあ

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 08:36:24.89 ID:XvG+Fafp0.net
>>289
むしろ南伐して統一するためには有能な都督四名ぐらい揃えて同時侵攻させなきゃならんから一人の有能な皇帝がいようがいまいが関係ない時代に移行してる

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 08:37:20.19 ID:jF24ZPg00.net
部下から慕われてるから項羽の部下みたく主が戦死しても抵抗を続ける筈なんやけどなぁ

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 10:14:16.81 ID:izO6qjoC0.net
>>290
どこの記述?見当たらん

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 10:18:54.58 ID:izO6qjoC0.net
>>292
どのことを言っとるかしらんけれど、四面楚歌で兵がボロボロ落ち延びてるで
兵にとって家族を人質に取られてるのは、かなりのアドバンテージなんやろう
兵を解散させて少数の兵で落ち延びようとして失敗した
同じような感じかなと思うけども?

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 11:02:11.27 ID:VDofdDPR0.net
>>294
四面楚歌が項羽の逸話だぞ
同じ立場でなのに関羽に追死にしてる兵がいないって事だろ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 11:16:05.79 ID:izO6qjoC0.net
>>295
だから項羽も四面楚歌で兵が脱走して軍を保てない
関羽も、妻子を人質に取られて兵が脱走して軍を保てなくなった
どちらも軍を散開して少数の兵で落ち延びて失敗している
兵にとって家族は大事よね。状況似てね?って話。

項羽の追死がどのことかわからんけれど
諸葛誕とかそんな感じだよな。ただ、それが無いから兵に慕われてないとなると
正史に残る様々な武将が兵に慕われているが、描写が無い人の方が多いので
それによって断言できないし
部下に慕われていると書かれている事の否定には弱すぎると思う

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 11:19:52.54 ID:izO6qjoC0.net
部下に慕われてるとは書かれてないか、部下に優しいだね

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 11:29:30.65 ID:VDofdDPR0.net
それも関羽単体で書かれ無いだろ
張飛の対で比較されてるだけで

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 11:49:38.44 ID:Un5jQ/b70.net
>>297
潘シュン「」
士仁「」
糜芳「」
カク普「」
廖化「関羽よりも老母が大事やん逃亡するんで俺死んだ事にしといて」

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 12:23:08.10 ID:5DwBynxJO.net
>>287
そういうのはパワハラとは言わん。
同格の立場か、それ以上の名士達が如何に無責任かを証明しただけ。
パワハラっのは立場を利用するからな。
そもそもアンチ関羽は関羽を裏切った連中が部下なのか、同格なのか、格上なのか、をハッキリさせないから話しにならん。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 12:42:32.08 ID:VDofdDPR0.net
麋芳は籠城する兵士を与えられないほど指揮権が無いのに
失火を一人の責任にさせられてるぞ
軍事の最高責任者は関羽なのにな

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 13:01:05.98 ID:vmdryfXh0.net
>>300
鉞貰って麋芳、士仁を処罰できるからその二人は部下な

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 13:45:11.11 ID:5DwBynxJO.net
だったら上からの命令には従わないとな。軍隊と会社は違う。

その二人は関羽軍の精強さに弱点を作った戦犯だ。

軍隊気質が嫌なら官職捨てて平民になる自由もあったろうに。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 13:56:57.52 ID:vmdryfXh0.net
>>303
そりゃ民のため呉からの守備を全うしようとしたんだろ
それを台無しにしたのは関羽なんだろ
守備兵がいないのに于禁軍3万を抑えてた
麋芳を職務を放棄したなんてただの八つ当たりだよ

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 14:02:29.67 ID:vmdryfXh0.net
要するに関羽が不満に思ったのは食料が足りないなら
呉から奪えばいいのにそれをしなかったから処罰しようとしたんだな
麋芳、士仁が于禁軍の捕虜で大量に食料がいるのは関羽も理解してるんだし

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 14:07:33.98 ID:Wd3hJK2WO.net
大事な後方支援を、屈辱与えるための処罰方法として使っているのが間違いではある
関羽は兵站を軽視していたのかな
軍人としてはありがちだけど

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 14:08:57.13 ID:5DwBynxJO.net
八つ当たりもなにも史書に記録がないからな…。
妄想で考察は成立しないだろ。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 14:14:46.01 ID:vmdryfXh0.net
>>307
守備兵がいないのに于禁軍3万を抑えてたの事実な
それを職務放棄というのは無理がある

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 14:29:58.08 ID:VDofdDPR0.net
足りなきゃ呉の食糧庫を襲えばいいなんて本当に兵站を軽んじてるよ

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 15:19:39.65 ID:izO6qjoC0.net
>>299
糜芳・士仁はわかるけど
潘シュンの節度は称揚されるものだし、カク普は呂蒙の計略に敗れ、
廖化は関羽「よりも」みたいな感じだっけ?敗北の後、偽って逃げたんじゃなかったけ?

>>302
処罰の対象に出来たから部下ってのは一面正しいけれど同僚に近い配属と考えて問題無いと思う。
今の軍みたいに洗練されていなく、部隊ごとに経営されていると思う。その集まりを関羽に命令権を持たせてる感じ。

>>298が言ってるように張飛と対比されて評価されている
関羽が「部下に優しい」の部下は直轄の部下であり、
大多数の士大夫層出身以外の身分の低い兵や幕僚だろうかと思う

>>306、308
>>305が言っているけれど、突然于禁の大軍が丸ごと捕虜として増えたことで破綻したんだと思う
中々想定できる量ではない。いきなり補給が二倍となるなんて、普通は考えないものな

兵站計画思想は普通なんかだとは思うけど、呂蒙の計画通り呉を軽んじて名分を与えてしまったな
この危機的な状況で悪い性格である傲慢さが出てしまったって感じだ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 15:32:34.43 ID:Wd3hJK2WO.net
>>310
柴田勝家につけられた前田利家ら与力衆みたいなもんかな
指揮に従うけど、厳密には勝家の部下じゃないだよな

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 15:34:49.19 ID:izO6qjoC0.net
ただ呂蒙伝読んでもらえばわかるけど
三国志でもTOPの頭脳を持つ呂蒙が就任時から
戦略を立て関羽を騙すためヘリ下り、油断させ
自分の病気も策略にし後任はあの陸遜
完璧なタイミングで裏切り

ここまでロックオンされたら、中々騙されないってのは難しい
その証拠に誰も「これは罠です」って警告が無い、関羽軍丸々騙されてる

それだけ呂蒙が凄いんだと思う。
完璧な計画、完璧な準備、完璧な実行、ミソを付ける場も無い

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 15:35:25.24 ID:izO6qjoC0.net
>>311
そうだと思います。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 15:53:50.96 ID:vmdryfXh0.net
>>312
潘濬あたりはそれを見越してたから関羽と対立したかもしれない
呉の次期丞相とまでの評価で劉備にも茨州の政治を任されてるほどの人材だし
逆に潘濬ってそれくらいしか関羽と対立する理由がない

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:01:35.26 ID:Un5jQ/b70.net
>>311
違うな
関羽は荊州督・仮節鉞だから現代社会でいうと支店長ぐらいの権限持ってる
その下で働いてる部長課長主任が部下でなく同僚というのはとても違和感ある

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:04:00.66 ID:zskyxd8D0.net
呂蒙荊州攻略早すぎ
孟達が出動する暇もない

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:10:48.46 ID:Un5jQ/b70.net
>>311
あと与力というのは独自に領土と私兵持って
ある程度の独立性持った集団だから
関羽の配下ですぐに思い当たるのは居ない
例えば孫堅なら呉景とか徐コンとかの豪族が思い当たるが

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:22:28.59 ID:zskyxd8D0.net
縁談の申し込みとか明らかに煽ってるよな

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:24:42.03 ID:0P14m7e70.net
>>312
魯粛が死ぬまで殺意マシマシで領土を狙ってた呂蒙が
魯粛の後任なった瞬間に手のひらを返したからって
それを完璧の計画と言われましても

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:26:09.35 ID:0P14m7e70.net
>>318
あれ、明らかに領土侵略する関羽に対しての人質要求だし

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:31:21.90 ID:zskyxd8D0.net
>>320
というか、孫権との婚姻なんて劉備の許可なしにできることじゃないじゃん
関羽が断らざるを得ないのを見越しての縁談よ

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:40:25.05 ID:0P14m7e70.net
>>321
諸葛亮の養子問題も劉禅に相談したとか書いてないぞ
謹の方は孫権に言上したとあるが

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:44:20.24 ID:vmdryfXh0.net
>>321
逆に劉備に許可なく断るのもおかしいな
同盟国同士での婚姻が今までなかった訳じゃないのに

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:45:54.91 ID:Un5jQ/b70.net
張飛「俺と夏侯氏との婚姻は許可するんだよね兄貴」
劉備・関羽「お前のは人攫いだろーが」
張飛「テヘペロ^_−☆」

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:52:39.65 ID:zskyxd8D0.net
>>322
瑾兄さん→孔明
関羽→孫権

の方向だろ?立場が違うから
寧ろ寧ろ諸葛瑾が孫権に上言してるし>>321の論の補強になるんだが

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:57:40.58 ID:0P14m7e70.net
>>325
ん?
養子問題を貰う方だから大した事が無いって?

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 19:59:05.31 ID:zskyxd8D0.net
>>323
それもそうだな
本国に孫権との内通を疑われたくなかったからかな

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 20:01:50.75 ID:vmdryfXh0.net
>>327
勝手に外交問題を独断で決めてる事になるな

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 20:05:05.16 ID:zskyxd8D0.net
>>328
関羽の関羽たるゆえんだし……

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 20:08:00.86 ID:zskyxd8D0.net
>>326
大した事だな
跡継ぎは大事大事

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 20:25:31.13 ID:5DwBynxJO.net
浮気のタマキン「大昔のワシは英雄じゃったのう。…今はクズやが。」

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 21:08:03.39 ID:NLtp6Ct30.net
>>328
外交問題とか権限与えられてないのが悲しいな
例えば魏なら閻柔や田豫が北方民族との外交問題を独断で決める権限与えられてたり
呉なら呂岱が南方諸国との外交権与えられてたり
蜀との外交を陸遜が裁断する権限与えられてたり
関羽の外交権の信頼感の無さは異常だが
関羽の魯粛との単刀会での外交能力の足りなさみると
外交権任されないのはある程度わからんでもない

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 22:49:16.36 ID:IssCkB3A0.net
>>332
そもそも軍権以外の権限は関さん与えられてないからね。
それ以外の事で外交だの兵站だのに口出す権限がない。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 22:53:49.83 ID:zskyxd8D0.net
外交顧問は馬良じゃないの? あいつは異民族専なの?

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 22:55:31.18 ID:IssCkB3A0.net
そんなの何処に書いてあるんや?

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 22:57:40.81 ID:zskyxd8D0.net
>>335
いや別に事実を求めてるわけでは
ただ外交を取り持てる奴がいなかったな、馬良くらいかなってだけで

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 23:02:46.75 ID:zskyxd8D0.net
>>333
軍権だけ与えられて兵站管轄外とかハードじゃね

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/08(日) 23:48:47.88 ID:izO6qjoC0.net
>>319
魯粛の後任になった瞬間、孫権に「関羽油断させてぬっころします」と上奏
殺意マシマシだったのを手のひら返して関羽に油断させるよう、アゲアゲ文とか送ってる
完璧な計画では?

>>314
潘濬がエリートだから鼻持ちならないと関羽が嫌ってただけかも
それでも潘濬節度を保った。帰順組の中では異例だと思う

>>315
各人が支店長の連合体。主席支店長として関羽がエリア権限を握っていた。
たたき上げの関羽は、コネ入社や学歴が高いエリートが嫌いだが
関羽は自分の支店の部下には優しくしていた。
そんな感じかな

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 00:04:35.89 ID:FiFsBm+40.net
>>338
>魯粛の後任になった瞬間、孫権に「関羽油断させてぬっころします」と上奏
>殺意マシマシだったのを手のひら返して関羽に油断させるよう、アゲアゲ文とか送ってる
>完璧な計画では?

呂布が改心しましたって言ってるのと同類だよ
呂蒙はバリバリの武闘派、むしろ関羽も呉の領地を荒らして気持ちがわかるだろうに

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 00:18:38.62 ID:AX0K0KMZ0.net
>>339
バリバリの武闘派だよ、呂蒙は孫権に上奏しているように関羽を油断させて倒す戦略を立てている
その戦略に沿って、関羽を油断させるために計画的に友好的な手紙や態度をとっている
まんま正史に書かれているので読んでね

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 00:20:40.66 ID:seB0EsR10.net
露骨な関羽アゲの書簡ほんとくっさい
さすが呂蒙

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 01:25:20.02 ID:TmVDQB0zO.net
同盟してるはずの蜀呉が争っても魏が得するだけに思うけど、蛮夷勢力が活発だとかで勝算ありと思ったのかな

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 01:54:43.57 ID:6oubTD7V0.net
呉は周瑜の死後はもう単独での天下統一には興味なさそうだったし
魏に侵略されて負ける心配は当時はなさそうだし
蜀は呉とは仲良くしなきゃやっていけないの分かってたから
最も楽な領土拡張を選択しただけなんでないかな

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 07:46:51.25 ID:Al7KnjHf0.net
>>338
関羽の権限は軍事は荊州トップだけど
行政は劉備荊州牧で潘シュン治中だから
襄陽太守の関羽は潘シュンの下ともとれる
だから関羽と他の荊州の人物とは
同僚とも配下ともとれる微妙な上下関係だからややこしい
劉備が関羽に荊州牧譲っていれば

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 08:03:59.17 ID:hWNiD71W0.net
張飛の結婚についてだけど、東南アジアのどこかの国の古い習慣で
男性が女性をいきなり拉致して自宅に軟禁して、もてなしながらずっと「結婚してくれ」
と頼むそうです。結婚を承諾するまで解放されないので女性はあきらめて結婚する
そうです。拉致を目撃した周囲の人々は「あの二人結婚するんだ」とみなすのも
女性があきらめる原因だそうです。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 08:18:03.59 ID:IYThyZUj0.net
>>344
そもそも劉備と髭って創作で書かれてるほど信頼関係あったかと言うと疑問。

席次だって関張コンビより上の扱いされてる奴何人もいたし

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 09:45:06.75 ID:vOcUVlbC0.net
>>345
一族の中心だった淵や惇とどこまで近いか不明な夏侯氏だけど
曹操に厄介になっている時だからただの政略結婚の範疇でしょう
袁紹曹操の新妻攫い話もだけど攫ってくる話は鵜呑みにしないほうがいいんじゃないの

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 09:51:28.11 ID:IYThyZUj0.net
曹丕の甄氏略奪エピソードも結構怪しい。
后妃伝じゃ普通に「曹丕は甄氏と結婚した」とだけ出てて単なる名家の女性を妻にしただけ。

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 11:59:01.03 ID:oGNxUWy/O.net
というか、ネットの正史オタには話の一貫性がないよな。
まあ、思い込みの応酬に過ぎない吹き溜まりの素人漫談ならそうもなるだろうけど。

ヘイトが集中する人気者の関羽や趙雲を叩く時は妄想が一致しているのは笑えるが。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/09(月) 12:23:14.00 ID:Hi81Zbms0.net
>>340
君こそちゃんと正史を読んだほうがいいよ
関羽は呂蒙を最後まで警戒していた
あれは魏との戦争が始まって正確に確認が出来ない時に陸遜に代わったせいだよ

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 01:14:42.05 ID:mhV9LEHA0.net
>>350
呂蒙伝を読んでいただけたら
もろに、呂蒙が病気療養を理由に、交代すれば、関羽は油断して兵を北上させると計略をたて
その通り、安心した関羽は守備兵を北上させて、油断しました。って書いてあります。
「正確に確認できない時」の元ネタはなんですか?

>>344
確かに潘濬と関羽の立ち位置は微妙かもしれませんね
牧については、自分は逆ですね

関羽の雑な計画の北上は、仮節鉞与えられて
うっきうきになって起こしたものに思います。
皇帝になっておうばんぶるまいしたのだと思いますが
劉備は関羽の性格を考えて、位だけ上げて仮節鉞与えるべきでは無かったのかもしれませんね
傲慢を増長させてしまったように思います

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 01:52:34.59 ID:gJRJdzfR0.net
>>346
そりゃ股肱の臣より外様を上にするでしょ
劉邦だってそうしてた

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 02:23:32.40 ID:ZXjZmQw9O.net
演義でも黄忠と同格かと不満洩らしてたしな

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 02:33:49.55 ID:OGKfCshA0.net
あの三兄弟は社会不適合者の気があるな

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 07:17:54.56 ID:qT34SHE00.net
>>351
後羽討樊,留兵將備公安?南郡.蒙上疏曰:「羽討樊而多留備兵,必恐蒙圖其後故也.蒙常有病,乞分士?還建業,以治疾為名.羽聞之,必撤備兵

順番が違う
北上した後に計略を実行してる
関羽は戦場で正確な確認ができないまま陸遜を信じただけ
呂蒙には油断なんてしていない

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 11:33:58.88 ID:6RjeJ0p60.net
350は関羽の諜報能力は低レベルだから戦時中でも平時で変わらないと主張するのか
マジで関羽アンチかよ

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 11:59:27.60 ID:G4vA0DV4O.net
関羽の場合は、関羽史とも言える現代まで続く史料の通読は学術世界なら必須だからなあ。
軍神の意味すらも理解出来てない癖にどうして関羽アンチはインテリぶるんだろうな。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 12:46:07.75 ID:oU3rRfa30.net
>>353
髭は正史でも同じ事言ってるし。
だから「季漢補臣賛」でも自業自得扱い

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 15:12:07.30 ID:6RjeJ0p60.net
>>358
黄忠は諸葛亮の嫁さんと親戚の可能性がある
それで荊州の統治がおかしくなるから嫌がったのかも
黄忠が荊州に帰ってくれば同格の将軍かつ丞相の親戚かつ名士かつ地元の人間と
荊州が割れるかも知れんし

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 19:24:31.86 ID:thQut5Fr0.net
>>359
黄忠は南陽郡の人
黄承彦・黄夫人は河南郡の人
親戚の可能性低いな

ちなみに後漢の黄エンや孫呉の黄蓋も荊州の人だが
黄エンは江夏郡の人
黄蓋は零陵郡の人
こちらも親戚の可能性低いが
黄蓋は祖父が南陽太守なので黄忠と遠い繋がり有る可能性

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 20:37:01.70 ID:ipa/aCTn0.net
諸葛亮はそもそも親族の影が殆どないんだよな。弟の均と養子の喬に実子の瞻がいるだけ。正史じゃ妻の名も出てこない。

これは魏の諸葛誕や呉の諸葛瑾と比べても異様。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 23:31:51.73 ID:mhV9LEHA0.net
>>355
そりゃ北上してからの話だからね、時系列は問題ない
北伐してるのに、守備兵をたくさん置いているのは呂蒙を警戒しているため
「だから」偽の人事変更を行って油断させる計を行った
果たして関羽は油断して守備兵を北上させた

蒙上疏曰「羽討樊而多留備兵、必恐蒙圖其後故也。蒙、常有病、乞分士衆還建業以治疾爲名。
羽聞之、必撤備兵、盡赴襄陽。大軍浮江、晝夜馳上、襲其空?、則南郡可下、而羽可禽也」遂、稱病篤。
權、乃露檄召蒙還、陰與圖計。羽果信之、稍撤兵以赴樊。

ところでなんで漢文?読みづらくね?


結論として戦略的な意味の薄い北伐を行ったのは
仮節鉞のせい。劉備が悪い

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 23:34:07.27 ID:mhV9LEHA0.net
仮節鉞を与えず北伐がなく、夷陵さえなければ、
諸葛亮時代にワンチャンあったと思う

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/10(火) 23:57:13.33 ID:mhV9LEHA0.net
麋芳を処罰で脅すなんざ、仮節鉞のせいだろね。
古参の麋芳が裏切ったのはよっぽどやね。
今までは保っていた謙譲と精神的な均衡を破ったんかな。
仮節鉞は関羽の器を超えた権限だったんだと思う。まじで

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 00:34:21.09 ID:CK2yGwir0.net
そもそも糜芳や士仁にペナルティ与える権限があったのかも怪しい。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 01:17:12.66 ID:q+8VlzH+O.net
総責任者として賞罰の権限くらいないと、一方面担当できないでしょ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 01:34:34.02 ID:Vl2qg6xT0.net
>>362
孟達に房陵を討たせ、劉封も投入して上庸も取り
漢中から荊州への進路を確保して、関羽も北伐と別に戦略的に意味なくはないだろ
劉備軍全体で連動して動いてると思うぞ

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 01:40:45.76 ID:YOaF+sLv0.net
>>361
蜀の人物は入蜀以前の記録があまりないから
魏の人とあまり係わってないような人物はしゃーない

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 01:44:44.02 ID:L4tRFmoX0.net
>>367
連動して動いている割には
関羽方面へのサポ皆無だからな
漢中から荊州への進路確保しても結果論的には
全く意味が無かった

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 07:42:49.67 ID:4z/DfFa20.net
>>360
そういえば黄琬と黄祖が同族かもっていう説を提唱してたサイトあったね

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 07:52:11.51 ID:eCXGPo8h0.net
>>360
系譜で見ると黄琬と黄蓋は比較的近い同族でいいはずだけど
黄忠だけじゃなく黄祖もちょっとわからんね
むしろ江夏郡に地縁があったから頑張れた黄祖の方が黄琬にかなり近い人間かもしれないけど

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 12:28:30.83 ID:bnX4aQDK0.net
>>371
黄祖は長年江夏太守だったけど
黄祖の本籍不明なので地縁あったかは不明
黄祖の息子の黄射は別の土地の太守やってたりするので

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 12:58:57.05 ID:gq6nIBeAO.net
まあ、関羽が居なかったら劉備軍は早々に荊州より追い散らされただろうから、弱小国の劉備軍にとっては維持そのものが関羽の将器のおかげだったんだよな。

関羽が居なかったら簡単に曹操、孫権に呑み込まれてたろう。
裏切った連中は結局、「劉備に仕えてる」という立場を理解できなかったんだろう。
政治力で支えるも多いに防衛力だが、義に欠く裏切りはフォローできんよな。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 15:11:56.76 ID:bnX4aQDK0.net
>>373
荊州在住の 諸葛亮ー魯粛 のホットラインが健在なら
平和的に荊州で共存で段階的に移譲の道も有ったと思うけど
諸葛亮が益州に去って関羽に取って代わってから一気に
呉蜀間の荊州問題がきな臭くなったんじゃないの?
関羽大好きなのはわかるけど申し訳ないが
関羽が居たから劉備は荊州失ったとも捉えられる

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 15:20:36.81 ID:MbIz8wZe0.net
>>369
房陵太守にケ輔・南郷太守に郭睦が任命されてるし、両者の到着後に孟達、劉封が援軍にいくてはずだったんじゃね

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 16:23:51.74 ID:gq6nIBeAO.net
>>374
孔明はそんなお人好しじゃないだろう。
劉備の天下に荊州は不要ならば、返還にも応じるだろうが。

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 16:52:16.98 ID:lYxekl/B0.net
そもそも劉備陣営は孫呉を軽く見てた臭いんだよな。
オリジナルメンバーはたいてい華北か中原で江南地域に対する軽侮の感情があったと思われる。荊州組は流石にそんな事はないだろうけど。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 16:58:34.68 ID:q+8VlzH+O.net
関羽らにしても現地とのズレや故郷への想いはあるだろうしな

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 17:01:57.50 ID:PH+cJj2U0.net
ぶっちゃけ現地組と政権メンバーとのズレって蜀漢建国後もずっと続く問題やし。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 17:27:18.80 ID:x7blR9yE0.net
>>377
関羽伝が引く典略の中の話だけど、関羽は孫権を狢子と罵倒しているよね
この狢子って言葉の意味を調べてみたら江東人に対する人種差別的な表現らしくて、ちょっと関羽を見る目が変わったわ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 17:58:35.88 ID:gq6nIBeAO.net
そら、自分の娘の貞操が掛かってますもの。感情的にもなるのではないか?父親ならば尚更。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 18:11:13.95 ID:q+8VlzH+O.net
関羽自身がそんな大した出自でもないのにな
成り上がりに加え、生来の偏屈や傲慢さで勘違いしたとこもあるのだろう

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 18:16:29.02 ID:KDF+ryc/0.net
そもそもこの時代娘なんて政略結婚の道具意外の何者でもないから。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 18:18:59.80 ID:x7blR9yE0.net
>>381
いや、この話は関羽が樊城を囲んだ時の話
この時孫権は使者を送って援軍を出すべきか関羽に尋ねてるんだが、その使者をわざと遅らせて別に主簿を派遣して事前にその旨を伝えている
この回りくどい孫権の日和見的な態度に業を煮やして関羽は「狢子め、樊城を陥落させたら次は貴様らの番だ」と失言したわけ
関羽側にも言い分はあるだろうけど、曲がりなりにも同盟国の元首を侮辱し、裏切りを正当化させるような失言を吐いてしまう外交センスの無さは致命的だったと思う
ソースが典略だから孫権が魏に対してした説明を鵜呑みにしてる可能性が高いけれど

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 18:51:47.74 ID:SUn6AfC00.net
それでも同盟中の裏切りは呉に未来永劫の汚点を残し
今ではすっかり蜀を引き立てるための噛ませ犬&脇役に…
仕方ないことだけどな。
外交センスがないのはむしろ、呉だったと思うわ。
せめて同盟破棄しないと筋が通らないし、同盟中なら味方を
討ったも同然…。
裴松之も孫権はこれで大義名分を失った、とも付け加えますわな。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 19:05:46.57 ID:qNsOucQy0.net
裴松之も言ってるけどこの逸話自体胡散臭いからな

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 19:14:36.93 ID:L4tRFmoX0.net
>>376
いや諸葛亮は
夷陵戦後の呉の荊州領有を事後追認したり
孫権の皇帝戴冠を容認したり
蜀の人間にしては呉に対してお人好しが過ぎるんだが

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 19:16:38.22 ID:KuZoBNwI0.net
そもそも同盟って孫権の妹が帰った時点で実質切れてたんじゃ。この時点で「猾虜めが!」とかdisられててあってないようなもので。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 19:19:33.61 ID:KuZoBNwI0.net
>>387
諸葛亮って言うか荊州組って孫呉の人間と個人的な外交ルートが結構あった臭い。
実兄の諸葛瑾や陸遜、歩騭らと私信頻繁に交わしてるし。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 22:00:34.21 ID:6RHzwr8O0.net
娘は道具というよりは…たとえれるものが思い付かん😓

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 22:10:09.22 ID:faDs7Mby0.net
>>385
最初に陸遜を侮って食糧庫を襲ったのは関羽だぞ
汚点を残したのは関羽
自国の人間に身を滅ぼしたのは自業自得と評価されてんだから

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 22:35:22.45 ID:ACigl5NU0.net
樊城包囲中の関羽が長沙と零陵の間の呉の食糧庫を襲うって遠すぎるだろ

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:02:07.28 ID:faDs7Mby0.net
魯粛伝を読もう
あれは国境の関の食糧庫

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:15:00.48 ID:gq6nIBeAO.net
>>391
そんなものは所詮当時に過ぎない話だろ。
今や天下の関聖帝君様だぞ。
天下無双の万能神で、アジアでは釈迦尊よりも信仰人口の多い神様。
もう歴代の名将全てを足しても関帝様の足元にも及ばんよ。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:44:16.89 ID:SGXu1uYR0.net
>>394
比較対象が三国志の時代なのであまり意味がないのでは?
時代無視なら核兵器最強!とかそんな感じになりそうなのだけど

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:53:55.13 ID:ACigl5NU0.net
>>393
湘水の無い場所で湘関なんて呼称はしないだろ

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:56:31.30 ID:gq6nIBeAO.net
汚点なんて今やなくなったって話よ。
まあ、関帝様なら核兵器より強いかもね。

福禄寿と商売を司る神で軍隊も信奉している。関帝様の否定=豊な現実的生活の否定にすら繋がるだろうし、核兵器は破壊の力しかない。虚しさ力だよ。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/11(水) 23:56:33.56 ID:SGXu1uYR0.net
>>367
壮大な戦略だけど、そんなに大きな戦略なのに
誰もその計画を立てた描写が無いので
結果論な気がする

正史から見えるのは、将軍位と裁量権を渡されたので攻めた、にしか見えない
特に本国から指示があるようには思えない。漢中の戦後処理や皇帝就任の処理を行ってる時に
攻めてた。ってニュアンスに見える

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 00:08:48.08 ID:7DkUehP0O.net
武人は戦功挙げるのと、戦場に出るのが名誉であるし、君命に従わざるとこありで焦って攻めたてこともあるか
魏延も結果オーライ論で、北伐時に孔明の指示に従わなかったしな

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 00:27:40.31 ID:Pf9pG7xt0.net
>>396
呉では国境を割った時の川を湘水って書いてあるだろ

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 00:47:23.30 ID:+138Av4K0.net
>>398
確かに関羽伝だけ見るとそういう風に見えるけどね
時系列で見ると、劉備が漢中王に就いたのは後漢書献帝紀によると建安二十四年七月庚子のこと
蜀志先主伝によるとこの時の勧進帳には関羽は盪寇将軍として記録されている
曹操が于禁を援軍として樊城に派遣したのが建安二十四年七月(魏志武帝紀)
関羽が樊城で于禁を捕虜にしたのが建安二十四年八月(同上)
関羽が樊城攻撃を開始した時期は不明だが、おそらく曹操が漢中を攻めた建安二十四年三月から曹操が長安に引き返した五月の間のことだろうと思う
関羽が前将軍仮節に昇進したのも不明だが劉備が漢中王に就任して以降のこと
綿密な作戦計画の結果そうなったのかあくまで偶然そうなったのかはわからないけれど、関羽が樊城を攻撃し始めたのは前将軍仮節に昇進する前のことなのは確か

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 00:49:30.16 ID:Aw2o6NDB0.net
>>400
国境線を湘水で割っただろ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 00:59:12.87 ID:zCgxD7ib0.net
>>394
関帝様持ち出すともうカルトの世界なのでスレチ
宗教になると原理主義者からすると全て異端に見えるからな
行きつく先はオウム真理教

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 01:23:05.25 ID:QGoT3DdrO.net
カルトな世界なら盲目的な三国志正史信仰の方がそれに近いけどな。神がいない、というだけで。
考古学のような真実の追求ではなく、自分本位な記録のねじ曲げと解釈の強要を他人に押しつけ反発されたら、しつこく粘着。
ネット掲示板のみに棲息し、現実逃避も得意技。
こんな実態を持つ正史信者の方がよっぽど怖いわ。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 01:42:22.81 ID:OJwNSbPc0.net
>>401
確認。漢中王が秋で七月には于禁が捕虜になってます
確かにその通りですね。北伐の理由が仮節にありってのは無さそうです。
麋芳が怯えたのは仮節鉞によって処罰が現実化したからという可能性はありそうですが

読んでると侯音などの内乱に呼応しての北伐かもしれませんね
二十三年に樊城で曹仁と一度対峙しているような描写がありましたので。
長い期間対峙していて呂蒙更迭→本格北伐の流れなのかもしれません。

もちろん資料に残っていないだけで、蜀漢全体で連動した計画の可能性もありますが

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 04:09:30.26 ID:Pf9pG7xt0.net
>>402
国境線の関が湘関で問題無いじゃん

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 06:05:33.39 ID:Aw2o6NDB0.net
>>406
湘水を境にした国境線が湘関
湘水が長江以北にないし、漢水北岸で包囲の指揮とってる関羽が奪いに行くのは
遠すぎる

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 07:12:28.73 ID:Pf9pG7xt0.net
だから長沙と零陵限定じゃないじゃん

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 07:58:58.53 ID:ThjE7OIz0.net
湘水は零陵から北に伸びて当時の長沙辺りの
洞庭湖に合流する川じゃん

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 08:08:36.74 ID:RQI1uUx80.net
>>409
今はだろ

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 08:35:53.29 ID:RQI1uUx80.net
呉では江夏含めた荊州を湘水で割ったと書いてある以上
長沙に限定されないよ

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 16:42:49.18 ID:QGoT3DdrO.net
謎の異次元空間にある食糧庫を襲われた!と呉書は主張するんですね。

場所も適当だし、第一そんな膨大な食糧を迅速に輸送する能力がどこにあったのかと。
関羽軍はオーバーテクノロジーの大型輸送機を5台くらい所持してたんか?

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/12(木) 20:20:02.98 ID:69vAF7kt0.net
【漢字由来か?】 へブル文字として読めるカタカナ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1531310595/l50
【シュメール】 神武帝はサマリア王? 【スメラ】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531311828/l50


古代日本史、崩壊。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/13(金) 01:54:38.17 ID:JIFt5ffg0.net
?、蜀分荊州,以湘水爲界,長沙、江夏、桂陽以東屬?,南郡、零陵、武陵以西屬蜀,湘水實貫于數郡間矣。〈時又置關水上以通商旅,謂之湘關。建安二十四年關羽得于禁降軍,糧食乏?,擅取權湘關米,權聞之,遂發兵襲羽

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 03:04:32.92 ID:WSrcIEaK0.net
かつて     △糜芳は南群で失火し、関羽に咎められる事を恐れ、孫権と誼を結んだ
二十二年    〇法正、劉備に漢中進軍を進言
二十三年  ? 〇劉備、漢中進軍
      ? 〇武都へ呉蘭、雷銅を派兵するも撃退される
      ? 〇夏侯淵と対峙
     九月 ●曹操、兵を観閲し、劉備を征討しに西へ出発
     十月 ●曹操、長安到着
      ? ●曹仁、樊城駐留、関羽を征討(ここで侯音に連携北上失敗?)
        ●侯音、宛で反乱
        ●曹仁、宛(侯音)を包囲
二十二年  ? △呂蒙が魯粛の後任として荊州(陸口)に駐屯
      ? △呂蒙が孫権に関羽を討伐する策を上奏
      ? △呂蒙、表面的には関羽に対して以前にも増して手厚い心遣いで友好関係を結ぶ

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 03:05:35.81 ID:WSrcIEaK0.net
二十四年 正月 ●曹仁、侯音を斬る
         ? 〇劉備と夏侯淵の主戦場が定軍山に
           〇夏侯淵、劉備(黄忠)に斬られる
       三月 ●曹操、漢中で劉備と対峙
       五月 ●曹操、撤退、長安に帰還
         ? 〇劉備が劉封、孟達等を上庸へ派兵
         ? 〇関羽、出陣
           〇糜芳(南群)・士仁(公安)、関羽との不仲により、軍行動をサボタージュ
           △関羽、公安、南群に守備兵を多数留める
           △孫権、呂蒙の献策で病気を理由に呂蒙を更迭
           △後任、陸遜、関羽に樊城の戦いを称揚し、へりくだった手紙を送る
           △関羽は段階的に守備兵を北上させる
           〇関羽、樊城(曹仁)を包囲(二十四年のどこか)
       七月 ●曹操、卞氏王后に立てられる
           ●曹仁を助けに于禁を関羽討伐へ派兵
        秋  〇劉備、漢中王となる
         ? 〇関羽に前将軍、仮節鉞に任命

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 03:06:33.02 ID:WSrcIEaK0.net
     八月 ●于禁捕虜へ、ホウ徳斬る
         △于禁軍を江陵へ輸送
         △関羽軍、于禁軍の多数の捕虜の為、食料不足になる
         △関羽軍、呉の湘関で兵糧を奪い取る(実力で借りた)
         〇関羽の威で曹操領内の群盗などが一斉に蜂起
         〇曹操、遷都を考えるも、計略により孫権に北上を促がす
         〇孫権が関羽の娘と孫権の息子との婚姻の打診、一蹴する
         〇関羽、糜芳・士仁の処罰を発言
     十月 ●曹操、洛陽に帰還
         ●孫権から関羽討伐の要請あり、曹操南下する
         △孫権、関羽征伐軍を出陣させる
         △呂蒙、尋陽から、商人に化けるなどをして隠密急行し、関羽軍本体は気づかす
         △呂蒙、江陵を占領、関羽軍の父母を捕虜にし丁寧に扱い慰撫する、于禁釈放
         △陸遜、宜都などを占領、その後夷陵に駐屯、蜀から軍を警戒
         △孫権、公安派兵、士仁降伏
         △呂蒙、南群進軍、糜芳降伏
       ? 〇徐晃が樊城の援軍として到着
         △曹操は関羽に孫権が江陵を攻めているのを矢文で伝える
         〇関羽、撤退、江陵を目指す
         ●曹操、徐晃が関羽を敗退させていたため、摩ヒに駐留
         △関羽、呂蒙と使者のやり取りをする、使者に関羽軍の家族を厚遇している所を見せつける
         △孫権軍、関羽軍の父母を捕虜として手厚く対応したことで、敵愾心を失わせ関羽軍四散させる
         △関羽、孫権本軍が来ることを知り東陽より西進、麦城で籠城。
         △孫権、関羽に降伏勧告
         △関羽、降伏を偽り、空城の計で逃走
         △関羽軍、兵が散り散りとなり十数騎従うのみ
         △孫権、朱然と潘璋を派兵し関羽の退路を遮断
         △潘璋の司馬、馬忠が関羽を捕縛
         〇孫権、関羽・関平を臨祖で斬る
         △孫権、はやり病の為、荊州の租税を免除
         △曹操、孫権を驃騎将軍、仮節、荊州牧に任命、呉の朱光等を釈放
         △孫権、呂蒙を南群太守に任命、ほどなく呂蒙病気を発し亡くなる

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 03:06:49.68 ID:WSrcIEaK0.net
二十五年 正月 ●曹操、洛陽到着。関羽の首が届く
           ●曹操、崩御(二十三日)
       二月 ●曹丕、皇帝となる
           ●劉備、皇帝となる

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 03:13:00.30 ID:WSrcIEaK0.net
反省を踏まえて、頑張って時系列をまとめてみた。
●魏書、〇蜀書、△呉書から、時系列がわかりやすい事を文を優先した。

まとめてわかるのは、呉、孫権、呂蒙、陸遜はかなり関羽を高く買っており、恐れているので綿密な計画をたてている。
もちろん呉書の書き方が地味に詳しく書かれているという所はあるのだけど。

件の湘関だが、まとめて感じたのは
自分は湘水の近くだろうと思う。んで、樊城周辺の関羽軍本体がやったわけではなく、江陵の守備隊がやったのではないかと思う
于禁軍は江陵に送られているわけだから、江陵が先に補給不足に陥った可能性が高いのではないか

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 06:11:14.43 ID:v9j0GgSd0.net
于禁さんがピタゴラスイッチ的にいい仕事してて草。
なお末路

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 10:12:36.02 ID:8ZFYe6f70.net
于禁は魏でも最高クラスの将軍だし
于禁軍を捕虜にしたことで関羽軍がかなり疲弊してもいるのに
なんであんな末路になってしまったのか

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 10:51:34.22 ID:R+Cp9txF0.net
後漢は幼帝多くて家臣から舐められやすいんで曹丕としては「後漢の幼帝とオレは違うぞ!」ってアピールしたかったんじゃ。
あと庇う奴がいなかったのを見てると「なんでさっさと自殺しねーんだよ」的な空気感もあったのかも。
曹丕は于禁さんの元上司である鮑信の息子の鮑も処刑してるけどこちらは助命嘆願が多数あったしね。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 11:02:23.30 ID:BwJxNpyg0.net
蒼天航路って漫画で、于禁が関羽に降伏する際に兵糧を食い潰して内側から攻めてやるみたいなことをうそぶいていたな
最初読んだときは魏の武将を無理やり持ち上げるために屁理屈こいてるようにしか思えなかったが、こうして見るとある意味ことの一面をうまく言い表しているのかもって思ったり

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 11:23:24.58 ID:8ZFYe6f70.net
虞翻さんにも散々言葉攻めされてたな
厳格すぎて融通が利かなくてあまり人望はなかったそうだが
曹操がホウ徳と于禁を比べてがっかりしてたのも影響あったのかもな

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 13:48:24.52 ID:BwJxNpyg0.net
建安二十四年八月、大雨で潅水が溢れ于禁の陣地は水没した
関羽は洪水に乗じて大船で攻め、于禁は降伏した
于禁としては関羽に敗れたというよりは、天意に見放された思いであっただろう
しかし、曹操の配下である于禁が天意に見放されたということは曹操に天命が下されなかったと解釈されかねない
ゆえに天意に則って即位した曹丕には于禁には死んでもらわなくてはならなかったのである

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 13:52:01.53 ID:BwJxNpyg0.net
あ、×潅水⚪︎漢水ね

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 14:08:48.82 ID:R+Cp9txF0.net
まあ于禁さんに直接「死を賜う」って形じゃなくイビリ殺す形にしたのは多少は孫権との外交に配慮してたんだろうな。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 18:29:07.17 ID:WSrcIEaK0.net
>>401
三国志時代の秋を何月にするかで変わるかもしれません。
秋は何月なんですかね。暦の通り8月かなとは思いますが

旧暦6月は9月なわけですから、6月を秋とするなら
仮節を貰った後に北伐が成立する気もします。
ご意見賜りたく

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 18:41:14.64 ID:8fz6qTS80.net
乙でごわす

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 18:43:24.86 ID:WSrcIEaK0.net
>>401
失敗7月ですから。
7月1日に漢中王儀式、同時に関羽も7月1日に江陵にて、何かしらの儀式をし、前将軍を受ける
仮節を受けて、北上開始、樊城を包囲
同7月中旬曹操が于禁を援軍に派兵
8月、于禁降伏

漢中王になる儀式は予め関羽にも伝わり、何かしらの儀式を行うものではないか。
関羽軍北上なる、おおきな軍事行動の予兆は曹操に届き、手早い援軍派兵決定などができるのではいか。

こうすると、関羽伝や先主伝と矛盾が生じないような気がするのです。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 18:50:25.98 ID:8M9fHCt10.net
あの時代って七月から秋なんじゃないの?

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 19:23:55.51 ID:WSrcIEaK0.net
建安 二十四年 六月
劉備が漢中王となり関羽に前将軍内定の報が流れる
関羽北伐計画を立てる

建安 二十四年 七月
●曹操、卞氏王后に立てられる
〇劉備、漢中王となる(初旬というより1日とか、キリの良い日ではないかな?)
〇関羽に前将軍、仮節鉞に任命

〇関羽、出陣(江陵から樊城へ、大雨に対応できたのは船での進軍だったからなのでは?)
〇関羽、樊城(曹仁)を包囲(中旬)

△関羽、公安、南群に守備兵を多数留める
〇糜芳(南群)・士仁(公安)、関羽との不仲により、軍行動をサボタージュ
(兵数が少なく、包囲の決め手にならないのでイライラ)
〇関羽、糜芳・士仁の処罰を発言

△孫権、呂蒙の献策で病気を理由に呂蒙を更迭
△後任、陸遜、関羽に樊城の戦いを称揚し、へりくだった手紙を送る
△関羽は段階的に守備兵を北上させる(二か月ほどかけて)

●曹仁を助けに于禁を関羽討伐へ派兵(下旬)

ぐらいな流れじゃないかなと。どうかな?

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 21:09:08.77 ID:WSrcIEaK0.net
于禁に関しては、于禁は全軍の兵に対して責任がある。見殺しにはできないので降伏しかなかった。
ホウ徳には無い。この差が大きいと思う。
その後に自害すべし。なのかもしれないけれど、指揮官として当然の事をしたまで、との思いと、
復命するまで耐えるべきと思っていたのかもしらん。
名将として生きてきた于禁の行動を見れば、ちと気の毒に過ぎる、と、思う

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 23:26:00.25 ID:ZBpCoLkAO.net
結局、正史の性質の犠牲にされたんだよな。偉いのは天下取りの勢力ではなく文官。

悪者や敗者は武官の担当。国は関係なく武官は文官の下。後世で三国演義が水滸伝のような話になっていれば、ウキンも英雄扱いだったかもしれない。好漢的資質なら十分過ぎるほどあるし。

正史からのフォローがもらえないのは諦めるしかない。文帝を悪者には出来ないからな。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 23:41:16.93 ID:+8OFaJU20.net
ぶっちゃけ于禁さんがやらかしたおかげで他の方面から兵回さないと持たなくなったのからな。だから誰も于禁さん庇わなかった

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/15(日) 23:59:43.17 ID:y95rg9wm0.net
>>423
でも蒼天は贔屓の引き倒しが濃すぎてちょっと胸焼けする

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 02:18:05.53 ID:NaJAKYuB0.net
>>428
劉備が漢中王になった時期は、蜀書先主伝では単に秋、資治通鑑では秋七月
後漢書献帝紀では秋七月庚子(ただし干支の上では建安二十四年七月に庚子の日はないようです)
後漢紀では秋八月(仮に件の後漢書にある庚子の日という記述が正しいとすると、建安二十四年八月庚子は八月二十一日にあたります)
あくまで個人的な意見ですが、劉備の漢中王即位、関羽の樊城攻撃開始、于禁の樊城派遣を同じ建安二十四年七月とするのは、やや無理があるように思います

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 02:18:39.99 ID:NaJAKYuB0.net
加えて個人的な憶測を述べますと仮に孟達が房陵を攻略したのが関羽の樊城攻撃に連動したものであると考えるのならば、建安二十四年夏(資治通鑑参照)頃が関羽の樊城攻撃開始時期なんじゃないかと思います
そう考えるのならば、夏侯淵の復讐と漢中奪還のために漢中に出向いていたはずの曹操が、何故たった三ヶ月足らずで漢中を放棄することを決断したのか?という事とも符号が合うのです

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 02:21:31.20 ID:NaJAKYuB0.net
元より、僕の推論は何故三月に漢中を攻めた曹操が五月には漢中から撤退し始めたのか?という疑問と、
何故関羽は曹仁が宛城で起きた侯音の乱を鎮圧するために樊城を空にしている間に攻撃しなかったのか?という疑問を合わせて解決するための方便に過ぎません
前者は陣地戦が煮詰まるとすぐに撤退したがる曹操の性格からすると(下邳の呂布を攻めた時も官渡で袁紹と対峙した時もそうでした)ありうる事です
後者もただ単に兵糧の準備が間に合わなかったからとか、呂蒙ら呉軍の動きを警戒していたからなどと考えたら疑問に思うまでもないですね

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 02:22:23.50 ID:NaJAKYuB0.net
しかし、もしも関羽が曹操の動向を注視していて、曹操の本隊が絶対に樊城の救援に出向く事が出来ないタイミングを待って樊城の攻撃を開始したと考えたら、上に挙げた二つの疑問の符号がガッチリ嵌って面白いと思うだけですね
なんかたらればばっかり言ってて愚にもつかない意見ですが適当に聞き流してください

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 02:46:18.84 ID:5S+WX7oa0.net
>>440
ご意見誠にありがとう、自分も個人的な推論でしかありませんので。

自分も考え直したのは侯音の乱です。関羽直属の軍だけでは戦力的、継戦能力に欠けていた結果では無いかと考えました。
諸将を統括する権限(仮節)が無ければ北伐は難しいと考えたのではないだろうかと。

今一つに、漢中王の推挙に当たり前ですが関羽も名を連ねています。もちろん戦場から推挙したのかもしれませんが
このような儀式には、それなりの準備が必要なのではないかと考えます。

また、于禁伝に曹操が曹仁を守りを指示し、于禁派兵をしたのは長安に居た時とありましたので、
曹操が長安に戻って以降、5月以降であり、なおかつ曹仁の守備指示と于禁の派兵が同時でしたので
関羽の北上は7月頃ではないかと考えました。

三月派兵であった場合、十月近くまで包囲を続け、七月まで曹操は援軍も出していない事になり
不自然ではないかと、そこまでの継戦能力が果たして関羽にあったのかも、疑問に思えました。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 07:45:32.71 ID:xWVpaw/Z0.net
漫画とかで関羽の事を持ち上げ過ぎると思ってたけど
荊州にいる事で三国の軍事バランスを握ってたわけで
今更ながら関羽の凄さを理解しました

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 09:53:29.16 ID:D9t3NpW70.net
そのまま10年20年保つなら凄いけど、失陥するまで早いからなあ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 10:03:16.73 ID:zj3NlOn40.net
髭に瞬間最大風速的にボーナスタイムがやってきた印象

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 12:47:30.92 ID:7FrQr+mU0.net
関羽が于禁を降伏させた時点で曹仁の人馬は数千、樊城は水没寸前で、満寵伝によると曹仁たちは脱出を検討せざるを得ないくらい追い込まれてたみたいだしね
結局満寵に押し留められて最後まで守り抜いたけど
それより気になるのが、同じ満寵伝の中にある「関羽は別将を郟の下に派遣していて、許以南の百姓たちは不安に思っている」っていう記述
郟県って地図で見ると許昌の間近
何故そんな所まで関羽軍が差し迫っていたのか?豫州刺史は何やってたんだよっていう謎

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 12:59:30.55 ID:7FrQr+mU0.net
あと気になったのが、曹仁が満寵の献策を容れて樊城に留まると決めた時、満寵は白馬を沈めて諸軍に誓いを立てたって記述があるけど、この時沈められた白馬ってもしかしたら関羽軍に白馬将軍と渾名されてた龐徳の愛馬だったりするんだろうかw

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 13:00:09.43 ID:/qqdU80zO.net
強国二国が連合を組まないと、関羽を倒せなかったという事実は変わりないからな。

呉にとっては曹操の大軍より、関羽軍の方が脅威だったんだろう。そうでなければ、関羽を好きなだけ暴れさせるだろうし、どういう結果でも得をするのは呉。関羽軍は水戦もこなせるし、利を度外視するような圧力もあったのかも。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 13:12:07.17 ID:tggZThcH0.net
【オウム7人死刑の翌日7月7日】 最新鋭ミステリーサークル出現、マヰトレーヤが罪の赦しを説いてるんだ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1531793981/l50

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 16:06:42.24 ID:bqE9uYj50.net
関羽討伐に動員された(動員される予定だった)人の顔ぶれ見るとすごいんだよな
ほとんど魏と呉のオールスター

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 16:46:23.84 ID:zj3NlOn40.net
徐晃伝読む限りは関羽の軍はそんなに人数がいなかったようにも思える。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 17:03:06.41 ID:OGyZ+SOiO.net
呉のふわふわした動きが嫌いなんだが、呉は蜀のように魏との関係にこだわる必要ないしな

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 17:12:23.76 ID:zj3NlOn40.net
孫呉は軍馬とか兵員の数が少なすぎるからね。後の東晋みてても旧孫呉の領土だけじゃ
大規模な軍事行動できなかったし。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/17(火) 17:28:42.89 ID:/qqdU80zO.net
関羽が強過ぎたばかりに、呉は司馬イらの要請に乗ったんだよな。
呉にしてみても幾ら動員兵力が圧倒的だろうが、長江があれば北方の軍隊なんて容易い相手だしな。尚、全盛期に限る。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/18(水) 19:36:36.50 ID:XQXhVAHO0.net
>>450
2城同時包囲だからな
徐晃軍への迎撃に5000の歩兵しか出せてない

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/18(水) 20:40:12.63 ID:zalezhRT0.net
兵五千といえば、荊州の帰属を巡って関羽と魯粛が益陽で睨み合いをしてた時(いわゆる単刀会)に、関羽は三万を號する兵のうち五千の精兵を率いて渡河しようとして甘寧に阻まれたなんて話があったな
そこから考えると、董督荊州事として関羽に預けられていた兵力は三万で、直属の兵が五千、といったところだろうか
その後増兵があって多少増えていたとしても襄樊攻めの時の総兵力は五万に満たなかっただろうな

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/18(水) 20:47:06.01 ID:jC1f0NKX0.net
関さんの兵力が仮に五万前後ならどんなに大戦果上げても洛陽を一時的に占拠するのが限界で撤退する時に地獄みてたんじゃ。

東晋の桓温の北伐軍がそれくらいの人数。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/18(水) 23:55:05.71 ID:5IQmhl9O0.net
反乱や内乱で支配体制が固まらぬうちに震撼させ、反曹勢力の糾合が目的かもしれんね

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 11:05:59.98 ID:+V26VsjcO.net
風評の広がりは真意を問わないからな。

曹操軍の精鋭部隊が押し負けて、前線を後退させた。

と、言う事実さえ作ってしまえば、後は反曹の勢力が雲霞のように次から次へと湧き出すかもしれない。

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 12:35:26.66 ID:AecasA+s0.net
>>454
違う
陣の防衛隊+関羽五千
敵陣で食糧庫の陣の防衛を疎かにしてるんならそれこそ無能だろ

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 15:56:11.09 ID:+V26VsjcO.net
継戦能力の差だろう。徐晃来援というところまでだと、既に戦略レベルの話になっている。
単なる戦力の逐次投入が容易な大国の力押し。
劉備の1を消費させるのに、曹操は7くらい使ってる。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 16:01:42.47 ID:ecp4efrj0.net
関さんが荊州の士人と揉めたのも限界ギリギリまで動員かけてたの原因かも

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 17:49:38.51 ID:AecasA+s0.net
>>460
流石に劉備1に対しての曹操7の説明をしてくれないか
根拠が有っての数字なんだろ

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 18:56:11.20 ID:F2DVXHKC0.net
小国と大国の差だろう。
宮ア市定氏の国力差の魏:7 呉:2 蜀:1
に従えば、魏の動員兵力は圧倒的。

魏:70 蜀:10

と例えるならば、損耗率が7と1くらいと捉えてもいいかもな。

まあ、関羽は魏と呉が連合を組まないと倒せないほどの存在だったから
蜀の損失は計り知れないとも思うが。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 20:46:24.14 ID:TzahgGys0.net
>>463
呉・蜀が組むと魏はほとんど戦争の主導権握れてないしそこまでの戦力差はないと思うな

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 20:53:00.21 ID:Dhye7WwV0.net
魏が呉蜀が組んでも圧倒出来るくらい国力つくのって第4次北伐辺りからでそれまでは領土と人口の割に国力ボロボロだからね。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 21:06:36.89 ID:K3GmQHME0.net
国境が広く多くの内患を抱えてる魏は
全ての戦力を一か所に結集できるわけじゃないからねえ
蜀と対するにしても荊州や合肥に十分な備えが必要で
北や西にも備えて叛乱にも気を遣わなきゃならないわけだし
そう考えると呉や蜀に避ける戦力なんて7のうちの2ぐらいがせいぜいなんじゃないの

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 21:07:13.95 ID:K3GmQHME0.net
避ける→割ける

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 22:07:07.78 ID:j3bOz4/H0.net
>>463
魏は国力が7もない
後漢末は寒冷期であり北方の魏ほど被害が大きかった
だいたい、呉2蜀1ってこの時期は南郡をもってる蜀の方が呉より上だろ

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 22:16:12.00 ID:+V26VsjcO.net
俺には証拠の提示を要求し、助け舟出してくれた他人に好き勝手な妄想三昧のツッコミよう。
随分身勝手だな。妄想はよろしくないんじゃなかったのか?

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 22:21:07.94 ID:LV0WfRsM0.net
>>468
貨幣経済が普及しなかったのも鉱物資源もさることながら燃料の樹木が寒冷化で枯れ果てたんじゃないかと。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 22:46:21.48 ID:j3bOz4/H0.net
>>470
暖を取るにも木を燃やしてるからねえ
この時期北方の異民族が静かなのも生きるだけで精一杯なんだろうね

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 22:51:32.85 ID:AecasA+s0.net
>>469
妄想で魏が兵力が7も有るなんて妄想を書くからだろ

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 23:03:27.32 ID:GjuKIpAy0.net
>>469
この統計データって確か三国統一した時点のものだろ
50年も後のデータを元に語るのは、いわば現在の日本の人口統計を元に高度経済成長期の日本について語るようなもんだしあまりにも大雑把すぎる
大筋で大きな差は出ないと思うけどね

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/19(木) 23:22:38.80 ID:+V26VsjcO.net
このスレは基本的に妄想の応酬だろ?
誰一人証拠持って話なんてしてない。そんなレベルの高い話なんてできてなくね?

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 00:57:27.59 ID:XIrjGiHO0.net
魏の戦力70÷9.4州で局地戦力=7.47
蜀の戦力10÷1.4州で局地戦力=7.14
呉の戦力20÷2.2州で局地戦力=9.09
魏と蜀が互角で、呉が掻っ攫った。
数式で証明できたな

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 01:00:34.45 ID:XIrjGiHO0.net
関羽討伐後
魏の戦力70÷9.4州で局地戦力=7.47
蜀の戦力10÷1.0州で局地戦力=10
呉の戦力20÷2.6州で局地戦力=7.69
劉備が夷陵を決意して、押せ押せになったのも仕方ないな

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 08:07:33.94 ID:BZGDqqd90.net
兵が1万人いたら毎日3万食必要、水なら2万gとか
地面にそのまま寝るのか?うんこも毎日1万個生産される
人口が多くてもその他の要因がそろわないと戦えない

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 12:30:11.86 ID:aL93G6yk0.net
呉の場合、国境を守る+領内の山越にも戦力割かないといけない

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 13:00:40.74 ID:YDNTg6qUO.net
ウ禁、徐晃らの増援は局地戦力じゃないよな?

第一段の増援の時点で関羽の局地戦力の倍以上は居たのではないか?

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 19:06:59.28 ID:Dpll06r10.net
>>471
異民族弱体化と移住は北方が人の住める状況ではなくなったのもあると思う
あと単純に寒冷化というより、気候変動であれた気候になっていたと見た方がいいかも
今の気候変動のせいで余計にイメージしやすくなった部分

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/20(金) 21:12:34.37 ID:RhWWY+nv0.net
最近三国志系のスレで寒冷化寒冷化と狂ったように叫んでいるやつがいるのはなんでだ

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 01:47:05.93 ID:eippWfE+0.net
そりゃようやく三国志ファンの間にも環境考古学の視点が入りだしたってだけじゃ

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 02:21:39.24 ID:d8MYsl5Y0.net
この時期世界中で寒冷化現象が起きてて倭国大乱も寒冷化が原因とか言われだしてるしな。

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 02:28:43.11 ID:8r2Ude+p0.net
3世紀の地球は寒冷期に入っていたらしいという話はよく聞く
具体的にどの程度冷え込んでたのかわからないけれど、曹丕が大戦艦を建造して呉を攻めようとしたら長江が凍って船を出せなかったので断念した、なんて話もあるからその通りなんだと思う
でもこの話を広げてったらこのスレの趣旨から離れていきそうだから話を戻そうや

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 03:02:28.33 ID:oXiJhwlz0.net
蜀漢が南蛮に攻め込んだのも、寒冷化で涼しくなったからだぞ。
北狄が攻めてきたのも寒冷化のせいやで

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 07:31:48.06 ID:bEUsouLF0.net
>>484
そんなスレ違いってわけでも無いだろう
少なからず寒冷化で漢末の人口が激変してるし
魏の国力も呉蜀に比べてもそこまで大きくなかったわけなんだし

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 12:10:47.75 ID:UU9Cg9eaO.net
考古学ではなく、妄想の暴走なんだけどな。三国志正史オタの場合は。

関羽アンチなんてその最たる例。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 13:57:57.63 ID:eippWfE+0.net
気候問題はむしろ曹操が天下統一できなかった最大の原因の部類で劉備が生き延びた原因な気はする

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 14:05:01.88 ID:gBtc/QaR0.net
>>487
変なのおったよな。
顔良斬りは乱戦の中、たまたま見つけて仕留めただけ、とか
ホウ徳に額を矢で射当てられたときに兜をかぶっていたから助かった、とか
根拠不明な妄想の出どころを突っ込んだら
「常識的に考えればこうなる!ムキー!!」とキレ喚き、その後はた迷惑な
自分の妄想論を押し付けてくるだけの壊れたラジオを化す。
低レベルにもほどがあるんだが、奴らはまさかそれが考古学とでも思ってたのかな?

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 16:06:45.24 ID:oXiJhwlz0.net
>>488
曹操が統一できなかったのは、倫理観も一因だと思う。
曹操、司馬懿、共に、皇帝に自分ではなりたくないという考え方をもっている
この時代の後のヒャッハー感を見る限り、他の時代と比べて
インテリ層の倫理観は強いと思う

隴を得て蜀を望むなんて、甘ちゃん

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 16:43:12.05 ID:e3sI+OAN0.net
この時代だって馬超さんとか公孫瓚とか孫皓さんとかSAN値ゼロの人おるやんけ。

個人的には袁紹が官渡で曹操倒してたら五胡十六国が早く来たんじゃないかと

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 17:42:59.97 ID:oXiJhwlz0.net
劉虞の擁立が成功していたら、五胡十六国が来た思うわ

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 17:46:17.69 ID:T9j+BVZq0.net
>>492
まだまだ北狄連中はまとまってなかったし(震え声

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 18:07:05.70 ID:eippWfE+0.net
>>490
曹操司馬懿ともに若くして権力と立場を得たわけではないというのも影響強いと思う
30ぐらいで公になるような情勢じゃないと統一事業を成し遂げる気力は続かないんじゃないかな

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 18:17:47.46 ID:fb19Lk8Z0.net
>>493
安帝の頃の西羌族や南匈奴の反乱みてるとちょっとしたことて一気に纏まりそうな感じ。

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/21(土) 19:03:09.19 ID:C94ZSn4o0.net
呉景をさっさと押し返せてたらな

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/22(日) 17:38:10.90 ID:qlrQGAlC0.net
>>360
確か黄承彦は河南郡から疎開して荊州に来てるんだろ
だから同族に頼っては可能性として十分有ると思うが

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/23(月) 00:52:28.23 ID:93/uLCHp0.net
関羽も白起ぐらい、覚悟があれば勝てたかもしれないね

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 15:54:59.70 ID:ZBbocA0J0.net
まあ関さんが白起さんばりの坑殺やったらやったで反曹勢力の支持失った可能性(実際それ気にしたんだろうけど)あるからなんとも言えないけどね。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/29(日) 23:54:09.62 ID:JjN3HSYa0.net
勝てば官軍じゃねの?
曹操だって官渡の戦いで得た捕虜を坑殺してるっちゅうし

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 12:59:51.24 ID:Bc8FJ8HuO.net
白起はそれで武廟から外されたけどな。
その手の行為は強さとは関係もないし、寧ろ弱さをさらけ出してる。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 13:12:50.28 ID:349FMSaU0.net
降伏した奴殺すとヘイトめちゃくちゃ買うからね。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 14:30:58.33 ID:0U0tkm980.net
そもそもに戦時中に捕虜を殺して敵の士気を上げてどうすんの?

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 15:13:34.04 ID:ldya28Xs0.net
逆に恐れて士気が下がることもあるだろう

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 17:50:43.74 ID:Bc8FJ8HuO.net
戦略的には下の下だな。その土地が自国の領土になっても民が永遠に懐かないだろう。
商業、工業、農業も発展せず税収も見込めず。かったものは怨みだけ。義なき者は誰も味方してはくれない。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 18:39:46.34 ID:RpyT0OhW0.net
ゲームの類だと兵士は数でありものであり
人間じゃないからねえ…
幾ら金を積もうが人の心は買えないからな。
勝ってから戦うは、孫子兵法の至上でもあるんだし。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 18:45:41.55 ID:ldya28Xs0.net
侵攻戦じゃなく防衛戦なら別にいいんだよ
ついでに民族宗教も違えばな

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 18:59:40.69 ID:RpyT0OhW0.net
大軍が集まるまで捨て置かれて一気に攻め落とされたら
もうどれだけの処刑になるんだろうな…。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/01(水) 00:40:44.89 ID:8pSXfHJL0.net
>>505
于禁の兵は地元兵じゃないから、ノーカンじゃね?

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/12(日) 20:00:13.07 ID:izforgka0.net
ちなみに
呉の縁談がまとまってたら
変わりましたか?

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/18(土) 18:40:37.53 ID:lsu4DECK0.net
>>510
利害関係で孫権はよく天秤かけるから変わってたかもな
夷陵も終わった後にまた同盟結んでるし九賜貰った魏も平気で裏切ってるし公孫淵にすらも結局援軍送ってる
関羽に荒らさせるだけ荒らさせてその隙に合肥確保するだろう

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 11:21:42.78 ID:PzRlcDIk0.net
>>511
それは劉備に変えても違和感無いな

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 16:20:13.71 ID:z45VMiLq0.net
>>512
つまり両軍の殺し合いではなく賊徒同盟継続で魏の官軍()はボコボコになる未来もあり得たわけだ
食料さえあれば規律に従順な于禁は降将としてふつーに使えた可能性が高い

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 20:24:24.59 ID:wJDQMAlz0.net
于禁は降伏した時点で魏の規律を違反しているからもう心が使い物にならないだろうさ

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/19(日) 23:22:23.25 ID:5+XDAPzd0.net
于禁と共に呉に降った三万の兵ってどうなったんだろうな
奴婢かなんかに落とされて陸家とか呉の豪族たちに買われてったのかも

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 17:03:01.29 ID:asfDWhd40.net
呉郡呉県の陸氏はその時期そんなに力あったかな

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/22(水) 22:05:08.31 ID:KU1MC5M/0.net
>>516
孫策が一族を殺して没落させた+孫権が陸績を冷遇して関係が冷え込んでも、結局陸議相手に孫権が土下座せざるを得ないくらいの力はあった
更に下の代に行くと孫皓は陸凱が何を言おうと罰せないような狂った領域に足を踏み込んだ

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/29(水) 23:21:45.53 ID:l6/z5qIQ0.net
臨終の言葉が凄いね
子に自分は徳が薄いから見習うな
諸葛亮に後継ぎが才能なくば君が国をうばえ

尊敬をする

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 00:29:59.64 ID:tBVv+kFS0.net
若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取。
ここの部分の解釈って、もしも嗣子(劉禅)を輔けられるなら(輔けるに値する才気があるのなら)、輔佐してやってくれ。不才のようならば、君が自ら(政務を)取るべきだ。とするんじゃない?
割と勘違いされがちだけど、劉備は諸葛亮に国まで奪えまでは言っていないんじゃないかな
そもそも蜀漢は後漢の後継王朝であって、劉氏以外が君主になったら存在意義がなくなってしまうしね
要するに劉備が言いたかったのはむしろ、劉禅は傀儡にしちゃっていいしお前の独裁でいいけどそれ以上は望むなってことでは?

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 15:45:15.48 ID:0Jlanbry0.net
>>519
しかし、同じ遺詔を受けた李厳は諸葛亮に九錫を受けるようにけしかけてるし、少なくとも李厳は劉備が諸葛亮への禅譲を容認していたと解釈したんじゃないかな

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 21:15:29.53 ID:rghOtEFP0.net
劉備と孔明の君臣間の美しい物語よりも
自分の死後孔明が簒奪しにくいように遺言で嫌がらせしたという見方の方が
個人的には面白いw

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 21:18:47.33 ID:WNPTMak10.net
諸葛亮一強とまでは言えん権力バランスだったから穿ちすぎな見方の気もするけどな

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 21:53:35.29 ID:bfU5uLTZ0.net
>>519
わさわざ政務を取れを臨終で遺す言葉とは思えないですがあえて使ったのかもしれないですね。

劉禅は傀儡にしちゃっていいしお前の独裁でいいけどそれ以上は望むなってことでは?
→少し意地が悪く面白い意見ですね。国を取っても劉善の命を取るのなって事をですかね!

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 03:48:43.75 ID:vGuNXFG70.net
>>520
李厳が益州に避難してわずかな期間で地位を得られたのって
そういう諸葛亮に九錫薦めるような強引さのある取り入り力や政治力なんだろうかね

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 06:35:44.18 ID:r4aqpfKqO.net
>>521
タイトル忘れたけど、臨終の秀吉が家康に懇願したのとは対照的で、家臣の前で薦めることで権勢が増したり簒奪されても混乱少なく、劉家の保護も狙ったとか書いてあった本あったな

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 08:37:09.11 ID:dN/oNJTH0.net
孔明牽制のための遺言ってのが一番しっくりくるな

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 11:23:26.43 ID:m4gH78IH0.net
陶謙から徐州を譲り受けてるし
本心の様な気がするけど

諸葛亮の牽制と半分ずつの気持ち
ですかね

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 12:15:44.70 ID:hZ1bJ2wb0.net
【世界の憧れ、第九条】 主権国の目標である戦争放棄 < #ケチって火炎瓶> それを放棄する安部晋三
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535682266/l50

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 13:17:50.93 ID:G2my2wT40.net
劉備が人を見る目が確かなら、諸葛亮は断る事を承知して言ってる
遺言により諸葛亮の権限は強化され、その統制力により蜀の命脈が伸びた
本来的にはカリスマ劉備が死んだら国は崩壊する
魏の予測もそうだった

特に諸葛亮は劉備が育てた、子飼いの部下
水と魚の例えで、若造諸葛亮を、軍閥の中心に置いた件と同じものと思う

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 13:29:31.17 ID:G2my2wT40.net
劉備は、国の崩壊を抑制するため、新たなカリスマを誕生させるべく
気心の知れた才能ある諸葛亮の権限を強化するための遺言

諸葛亮に向けてってよりも、劉禅をはじめ、家臣団に、諸葛亮中心にまとまれと伝えるためのものだったと思う

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 18:51:30.65 ID:RC9UEGPs0.net
なるほど周囲に向けての意味合いも
あったのですか!奥深いですね。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 22:52:42.42 ID:wKPtNxd90.net
そもそも荊州を失った時点で蜀は詰んでいる
劉備の死ぬ間際の状況みたら孔明に権限を与えるぐらいしかなかったでしょう
その孔明も馬謖のせいにして漢中を失う失態を犯すが
漢中と荊州はセットで漢中が攻撃の要なら荊州は防御の要
これで蜀はなにもできなくなった
北伐はただのガス抜きよ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 23:56:35.68 ID:ycUZcCCH0.net
>>532漢中を失う?????
お前何言ってんの?
漢中は蜀が滅びる時まで蜀の領土になってから一度も失った事は無いはずだが…

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 13:42:04.95 ID:GAiG1/O00.net
呉の大敗がターニングポイントになりますね。仮に魏に進行しても失敗でしょうか?

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:26:09.82 ID:vP0OYZF10.net
襄陽落とせず呉の裏切りで荊州失ったのが一番
まあ呉にしてみたら蜀が荊州保ったまま涼州関中手に入れるのも危険極まり無いんですけどね

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 19:23:54.36 ID:wG1cwipm0.net
呉蜀の最適解は荊州保持の蜀軍が涼雍を制圧した時点で呉軍が荊州奪還?

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 19:40:02.05 ID:srg8V3OB0.net
孫権は合肥に色気があって、最後の方まで関羽(荊州)と合肥で迷っていた印象。
つまり劉馥のせいで呉蜀は仲たがいしたと言っていいのかもしれない

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 19:55:59.40 ID:PC9cYOiM0.net
ぶっちゃけ寿春や彭城まで進出できれば北伐の幅が広がるからな
東晋の北伐も泗水沿いがメインルートだったし

襄陽まで保持できていたら桓温みたいに商洛〜藍田沿いに関中侵攻とか伊水沿いに洛陽侵攻とかできたんだろうけどさ
襄陽取れなかったからな、蜀漢も孫呉も

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 10:47:30.04 ID:1yotsIxV0.net
>>538
何言ってんだ?
呉は襄陽を落とした事があるぞ
劉備が長安攻めずに夷陵の戦いなんて愚を犯すから
魏を立ち直させたんだから

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 11:16:35.08 ID:Kc8SbbHm0.net
>>539
そりゃすまんな
ずっと魏晋が押さえ続けていたものと勘違いしてたわ
因みにいつからいつまで?

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 11:37:37.58 ID:fahhFcrh0.net
樊城の戦いの後、曹仁は一旦、宛まで兵を退いてる
その間に呉は将軍陳邵に襄陽を占拠させたが態勢を整えた曹仁が再び南進するとすぐに奪い返されてる
話は曹仁伝にある

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 11:43:28.33 ID:1yotsIxV0.net
>>540
曹操の死後に陳邵に落とさせてるだろ
結局、劉備は曹操の死後に皇帝を僭称したり呉に侵攻してりして
お山の大将だけで完結してるんだよね
漢王朝の復興も建前だし同族殺しで呂布と同類だからね

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 11:45:20.57 ID:Kc8SbbHm0.net
あ、自己解決したわ
220年頃の曹仁が宛に退いた後に火事場泥棒で取ってすぐに曹仁に奪還されたやつね
こんなことやらずに劉備相手の防備固めておきゃ良かったじゃん
魏に称藩してた頃だろうに必要性が分からんなあ

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 14:26:11.98 ID:dta/yBR30.net
帝位を称したのも呉に攻め込んだのも漢の復興や統一の意思の表れだろう
同族殺しもしてねえ

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 21:03:48.55 ID:gOsA8seyO.net
天下統一を成す力のないものは三国揃って地方政権に過ぎないんだけどね。
劉備は漢の威光の残滓に頼ったが、そんなものにですら曹操の力は負けて、後世に劉備の正統を許すことになってしまった。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 22:45:12.44 ID:TOt93xIy0.net
>>543
襄陽の魏呉の取り合いは219年の合肥戦みたいに出来レースの匂いがするな
どちらも大して被害なくあっさり襄陽明け渡している感が
まぁ呉が襄陽ぶん獲ったのは代わりに呉王貰う為の取引材料にしたのではと妄想

劉備相手の防備なんて西陵押さえとけば
新督の陸遜と古参武将とのグダグダあっても
完勝できるぐらいの余裕度

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 02:03:48.11 ID:wybOZrM90.net
それは陸遜を舐めすぎだろうし、事実関係は逆じゃないかな
古参から不満が出るほどの奇策なのであって
劉備とガチ勝負したら結構な被害が出ていたと思うぞ

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 07:06:37.68 ID:eR4Tu6Os0.net
何をどうしたらこういう妄想が頭のなかで形成されるのか🤔
純粋に興味深いわ

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 18:38:15.96 ID:nhARjC+M0.net
>>546
陸遜のは奇策でもなんでもないだろ
ただ救援要請来てた西陵も放置してガチガチに守ってただけ
第一劉備陣営が1年以上敵と対陣して敵破ったのは
途中で張任が出撃して捕虜にできた雒城ぐらいだろ
敵が陽動につられないで動かなければ何もできないで敗北するのみ

550 :548:2018/09/03(月) 18:45:02.98 ID:nhARjC+M0.net
×>>546
>>547
しかし劉備とガチ勝負しても
劉備には意味あっても陸遜には意味ないからな
ガチ勝負しなくても留めといて疲弊した処で燃やせば楽なんて
劉備よりも軍才無い曹丕でも気付くイージープラン

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 21:50:48.14 ID:wRuC+2WW0.net
本人と部下たちの能力不足

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 22:09:34.31 ID:P4YVfHqD0.net
関羽負けたのは仕方ないけどその後の敗戦処理が最悪だった
せめて軍の再編できる程度の敗走であれば地域を失っても奪回できる芽は残ったと思う
関羽が戦犯というよりは孫権陸遜が卒のない戦役を遂行した感じ
孫権やっぱ凄えわ

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 00:25:46.44 ID:+ec9mQV6O.net
関羽を戦犯呼ばわりするのも意味不明だけどな。

学のない素人が研究者のフリして陳腐な妄想本とか出すのが10年前くらいまで流行ったから、そういう本の影響とかもあるんかな。

今や適当なウソなんてネットの普及で出来ない時代だから、関羽の抜群の英雄性に非なんて唱えられなくなったからな。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 01:41:34.27 ID:+yIPTKYE0.net
>>550
劉備は当初は備えがあるので攻めるべきではない、疲弊した後に征圧する戦略をたて、徹底した。
(味方の救援要請を無視するレベルでの徹底)
孫権や諸将に勝つための道筋を当初より示しているのだから陸遜もガチ勝負である。
イージーな戦略であれば古参から不満が出るようなものではない。
というか、そのまま、陸遜伝に書いてる。
臣下でありながら諸葛亮に次ぐ文章量。陳寿は陸遜好きだよね

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 06:31:35.33 ID:kWvosQNtO.net
>>553
妄想本は知らないけれど、荊州失陥が蜀漢のその後に大きな影響を与えたのだから、そりゃ言われるだろう
ネットなんだし、戦犯なんてのは揶揄みたいなのも混ざってんじゃない

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 11:16:46.77 ID:+ec9mQV6O.net
それは呉の節操の無さが招いたことだろ?
そもそも、裏切った方を擁護し、正当性すらあるような物言いになっている。

関羽に義心あり、呉に義心なしだから、三国演義を通じ後世の社会には呉は悪者と見なされる。

戦争という蛮行の中にも、関羽のような人の美徳を貫く者はいる。
本当の英雄ってそういう存在だろ。
だから今でも英雄の中の英雄でいる。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 11:20:01.56 ID:f4ZV+aq60.net
そういうの疲れない?
やってること突き詰めれば魏呉蜀どこも権力闘争なんだからさ
道義性であれこれ評価しても何で蜀が行き詰まったかなんて導き出せないでしょう

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 12:27:17.94 ID:KziXMaUM0.net
節操の無さは恩人の同族を攻めた劉備には負けるよ
劉備は劉ショウの敵討ちをして貰ったんだから
呉に感謝した方がいいよw

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 12:28:11.01 ID:f4ZV+aq60.net
>>558
こういう煽りもお腹いっぱい

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 18:30:10.61 ID:8IYZVTt40.net
糜芳士仁が頑強に抵抗してたらワンチャン……?

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 18:34:40.56 ID:8IYZVTt40.net
ところでさっきから劉備の同族殺しって何の話や?

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 20:24:02.41 ID:jTYr0j9H0.net
>>541
火事場ドロボウして
簡単に取り返されてて草

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 20:42:39.17 ID:CUY8ZSHW0.net
>>557
呉って孫策が揚州蹂躙して以降
ドサクサで荊州奪った他は合肥一つ落とせないんだよな
劉備が荊州南部益州漢中とあっという間に落としてるのに対してショボすぎるやろ
そりゃ周瑜が関羽張飛欲しがるのも当たり前だわな

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 20:44:19.70 ID:tm60JQet0.net
【ブルマ57、まる子53】 放射能による急死と報じず  <安全安心>  早野龍五氏 坪倉正治 開沼博
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535594247/l50

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 21:14:20.65 ID:Slu8cPPG0.net
>>563
交州すら頭に入ってないのな

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 21:46:31.74 ID:UoR7Tuq10.net
>>565
中原から遠ざかる方向に拡大する呉さん

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:31:44.64 ID:uUmpFAsJ0.net
交州って狙いをつけてから随分時間かかったよなあ
けっきょく士燮が死ぬまで手も足も出なかったし

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:44:21.59 ID:Slu8cPPG0.net
>>567
朱符、張津と二代続けて交州刺史が変死してる土地柄ですから

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:51:45.92 ID:bQiD9LYn0.net
>>554
陸遜のやってた事は諸葛亮の北伐の時の司馬懿と全く同じで
古の春秋戦国時代でも李牧や王翦もやっていたありきたりな戦法
望外の呉パーフェクト勝利に近い結果が出たのは司馬懿に対する諸葛亮と違い
劉備が陸遜を最後まで舐めてかかってたからのように感じる
陸遜は味方の古参武将からも舐められてた節があるので
劉備とのガチ勝負を望む古参武将を抑えるので手一杯で
一歩間違えれば反攻する前に内部崩壊していた

まあ陳寿は陸遜好きなのはわかるけど
諸葛亮家と違い息子は功績に関しては親父と遜色ないんだから
タイトルは陸遜陸抗伝でもいい内容

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 23:56:22.17 ID:bQiD9LYn0.net
>>567
孫権が交州方面に侵攻してすぐから
士燮は孫権に従属していたので
士燮死ぬまで併合する必要が無かった
珍品貢いでくれるわ益州南部まで従属させてくれるわで
そのまま士燮に任せた方がメリット大きかったから

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 01:58:42.80 ID:ERM3MWoY0.net
>>569
そいつら全員名将やん、ありきたり呼ばわりは酷い

そもそも司馬懿の例とは違い、陸遜は「勝つ方法を提示して」勝っている
ただのにらみ合いの持久戦とは違う。
古参の爆発を抑えるための方策も使ってるんだから、
手一杯ということはないかな。

周瑜も古参には手を焼いているのでお国柄なのかもしれないが

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 02:16:16.02 ID:Ped7a2GsO.net
孫策が早く死にすぎたのがな
当主になったのがたしか19歳だっけか

秦王の政も若かったが、呂不韋なんて敵になりそうな権勢家がいたしな
周瑜魯粛みたいに権勢家というより、支えている感じの家臣がいると遠慮も生まれるのかもね

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 20:45:16.80 ID:gVh64P8F0.net
夷陵の大敗は必然ですか?
この戦で後世に劉備が戦下手に
されてますね。

少し残念なんですよね。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 21:04:24.75 ID:DTRrDMOd0.net
世の中に必然なんて無いと思うけれど
あれだな、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしってやつじゃね?
後世の人間は後知恵で知ったようなことを語ることしかできないけれど

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 23:07:56.25 ID:PI8YRhA/0.net
育った環境の違いだろ

劉備は中原の出身で騎歩陸戦が戦だと思ってた、河川はただの輸送線で主戦場じゃなかったんだ
対して陸遜は江南の出身で主戦場は水上、この認識の違いだろ

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 02:18:28.10 ID:9A6ift910.net
>>569劉備に局地戦とはいえ二度も負けてるから陸遜のパーフェクト勝ちって感じがしないんだよな
割と結構ギリギリだったように思う

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 02:22:50.69 ID:9A6ift910.net
夷陵の大敗で劉備には法正がいればと言われてるけど
張飛や黄忠のような猛将がいなかったのも敗因の一つだと思うわ
そのせいで決め手を欠いて呉の防備を突破できなかったように思う

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 05:13:06.87 ID:wTebV8ba0.net
張飛いたらむしろ早い段階で荊州奪回できてたんじゃね

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 19:22:32.15 ID:GbYnvQqM0.net
>>577
細やかに作戦を計画する参謀と別働隊を任せる優秀な将軍不足
大軍による攻勢で一番危うい状況やね

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 20:21:56.25 ID:9A6ift910.net
>>579参謀の才がある黄権を傍に置かず
対魏の備えとしたのも失策だったな

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 20:22:17.99 ID:9A6ift910.net
趙雲、秦フク、黄権の言う事に全く耳を貸さないし
関羽死後の劉備はかなり冷静さを欠いてると思う
往年の劉備なら負ける事はあってもここまで大敗する事は無かったんじゃないだろうか

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 20:25:09.53 ID:m8hI/FKM0.net
国乗っ取りられるわ、滅ぼされるわ
劉備は大敗の連続やで

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 20:30:53.32 ID:9A6ift910.net
>>582
もう少し具体的に言って欲しい

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 21:33:49.60 ID:QCNs6ePy0.net
>>581
連中は非荊州人だしなぁ

実際劉備が夷陵に連れて言ってるのは荊州出身者ばっかだし、荊州失陥による荊州名士の離反を避けたかったんだろ
まぁ未来を担う中堅どころ&兵士が全滅したのは擁護の仕様がないけど

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 21:48:09.01 ID:yfl0vTL70.net
>>577
陸遜の手紙にも出てるけど水軍抜きでゴリ押ししたのが痛い。
後の王濬が西陵(夷陵)を速攻で落とした時も水軍とのコンビネーションが効いてたし。

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/06(木) 23:10:14.82 ID:Au/rLXTMO.net
苦手はことを避けて得意なとこで勝負するてのも、ひとつの手だしなあ

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 08:34:03.69 ID:5faCHfT60.net
>>585
後の晋の侵攻と違って
劉備には時間が無かったからしゃーない

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 08:36:06.25 ID:5faCHfT60.net
>>580
益州出身で法正ほど能力が有るとも思えないから難しいやろなあ

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 11:51:34.46 ID:1M8lc/hA0.net
>>581
大敗は川を下るからしょうがない
攻めに勢いが付くが背水の陣の様に逃げずらくなるからね
つーか、呉は魏を警戒してて蜀相手に余力を持って戦ってるから
負ける事は無いんじゃね

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 15:26:20.93 ID:5uUaAjoh0.net
>>588
黄権もまた護軍として、三巴の防衛、漢中の攻略について策謀しているんだけどね
どうも漢中の攻略について法正の功績が過大に語られがちな気がするな
法正がいなかったら漢中は攻略できなかった!みたいなのはともかくとして漢中攻略は全部法正のお陰!みたいなのは言い過ぎだと思う
孔明に、法正がいたら夷陵の敗戦はなかったと言わしめるほど作戦立案能力が評価されていたにしてもだ

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 17:22:59.84 ID:5faCHfT60.net
>>590
>法正がいなかったら漢中は攻略できなかった!みたいなのはともかくとして漢中攻略は全部法正のお陰!みたいなのは言い過ぎだと思う
言い過ぎも何も貴方以外に誰も言ってないんですが…
また呉と手を組んだとみられる魏を警戒する役目も重要で適任なぐらいですし
根本的に有能な参謀が駒不足だと言う事ですよ

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 17:48:13.84 ID:5uUaAjoh0.net
>>591
ここだけの話でなく巷では漢中攻略戦が法正一人に帰するように語られがちだなってこと
法正が具体的にどのような献策を提案してその献策がどのように劉備が戦略の中に組み込んでいったのか詳細もわからないのにね

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 19:23:04.93 ID:+8Xw3T8d0.net
法正も黄権も漢中攻略に一役買ったってあるやんけ

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 19:32:13.04 ID:BXnOwDTP0.net
法正の漢中攻略における建策
1、夏侯淵・張?なら勝てるから漢中侵攻しようぜと進言
2、夏侯淵と戦ってる際にタイミングを見計らって「攻撃すべきです」と進言し劉備は黄忠を使って夏侯淵を斬る
3、曹操と劉備が戦ってる時に形勢不利になったが劉備は退却するのを嫌がった。そこを何とか説得して退却させる

これらの事績から陳寿の評のとおり成功と失敗をはっきり見きわめる事のできる参謀だったという事が良く分かる

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 21:24:38.44 ID:ZFeWYOY/0.net
>>583張飛に任せてたら、呂布に国を乗っ取られ、
反旗を翻してみたけど、曹操に徐州を取られるわ
散々

>>590
>法正がいたら夷陵の敗戦はなかった
作戦能力が評価されての言葉じゃないぞ
法正が裏切ってくれたから、蜀を乗っ取れた事を、劉備も諸葛亮も恩に着ていて
頭が上がらないから、法正の言う事だと聞いてくれたに違い無いだぞ。
その証拠に法正が暴れまわって苦言された時も、諸葛亮はそう言って法正をかばってるぞ。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/07(金) 21:26:25.33 ID:ZFeWYOY/0.net
ちなみに諸葛亮は劉備に抜擢してもらった事を恩にきてるので
夷陵にしろ、劉備のすることを非難しないぞ。
ほとんど親子の関係かな?と、思うぞ

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 00:58:12.35 ID:bIfCKABR0.net
「戦争回避できなくても危険を避けえたであろう」と言ってるから
普通に法正の能力を評価しての言葉だよ

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 01:57:19.91 ID:mzc9wqku0.net
>>576
三侠の拠点は全部落ちて残るは江陵ぐらいという状況だし
普通にギリギリだろう

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 04:18:15.60 ID:E2WxDHG80.net
>>598
陸遜のワンサイドゲームではないわな
戦役の期間も長いし

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 06:10:05.72 ID:muqgjwPo0.net
呉主伝読むと調略で寝返りが起きたのが相当キツかったっぽい。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 07:45:21.30 ID:5/VbcYeH0.net
>>592
それで今度は逆張りして黄権に任せれば夷陵を回避出来ると…
なんか演技アレルギー蜀過小評価と類似の症状が見られますね

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 07:57:40.70 ID:QWj61m980.net
>>597
それは劉備を最前線に出さない説得ができたって事だろ
能力とは関係が無くないか

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 10:37:53.95 ID:o56x5hCoO.net
三國志は天候読める人が多いけど、陸遜の火計は幸運に左右されたとこあるんじゃないかなあて思える
司馬遼太郎の秀吉の水攻めみたいに

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 12:53:07.80 ID:QWj61m980.net
>>603
演義の話?

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 12:57:18.27 ID:QWj61m980.net
>>601
張飛に生きていれば勝てたとかのほうがよっぽど演義厨か蜀中毒だろ
それを指摘しないのは同列な人なのかな

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 14:27:33.76 ID:5/VbcYeH0.net
>>605
張飛は関羽と並び正史で万人の敵と称される程の名将やぞ

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 14:48:04.93 ID:NBtEW46d0.net
>>605
張飛生きてたら上手く生きそうじゃね?

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:06:38.97 ID:DNp2dtfSO.net
まあ、いずれも個人の妄想なんだから仲良くしようや。

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:07:09.58 ID:5/VbcYeH0.net
実は関羽張飛を猛将タイプと見ること自体が演技の影響受けすぎなんだよね
劉備軍の戦いを見れば数も少ないから力攻めなんかより機動戦や後方撹乱といった戦術を工夫した戦いの方が多いのにね

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:08:27.22 ID:5/VbcYeH0.net
>>608
つまり正史における程Gや周瑜の関張に対する評価は妄想か

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:41:56.25 ID:O4Sqz1dp0.net
万人敵って評価をそのまま受け取って一人で一万人の兵に匹敵すると捉えるのならただのアスペやな

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:49:45.49 ID:7jAljhpd0.net
万人だから監軍事や督軍事レベルで数万を指揮する都督には及ばないっつー評価では

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:53:23.01 ID:5/VbcYeH0.net
万人敵って表現は
普通に項羽が用兵を学ぶエピソードから来てるものだよ
その後も同様の表現で表される武将は名将的な人が多い

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 15:56:39.27 ID:5/VbcYeH0.net
例えば
呂布も飛将軍って表現されてるんだけど
これも騎馬や弓に優れた前漢の武将李広から来てるもので呂布が優れた騎馬部隊の将だと分かる

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:01:25.23 ID:5/VbcYeH0.net
他にも曹操なんかが具体的に過去の名臣になぞらえたりして評価する事があるけど
これらの表現は別に適当に言ってる訳じゃなく
評価対象の能力の性格をちゃんと表現しているものと考えた方が良いと思う

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:10:38.33 ID:5/VbcYeH0.net
特に張飛なんかは
実態と演技によるキャラ付けが最も乖離してそうで面白い人物ですね
彼の子供達が文官だったり後宮入ってたりっ事を考えるとむしろ知的な優男なのかも知れません

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:26:17.74 ID:DtYssF/HO.net
張飛の書が後世名筆と言われたり、本人も士大夫に対する憧れを持ってたりしたから
優男かどうかはともかく、張飛の文に対する思いはそれなりに深かったろうね。
それが身分の低さに因るコンプやその他の要因があったのかどうか今となっては分からないけど。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:38:58.66 ID:bIfCKABR0.net
>>602陳寿の評にも「法正は成功と失敗をはっきり見きわめ、並はずれた計画や術策の所有者」とあるから
陳寿は明らかに法正伝での法正を優れた参謀として能力のある人物として書いている
文脈の流れとして普通に諸葛亮が法正の参謀としての能力を評価している言葉ととらえた方が自然だろう

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:41:53.24 ID:bIfCKABR0.net
>>609用兵家であるのも事実だけどそれと同時に猛将であるのというのも事実だろ
顔良斬りや長板での仁王立ちのような武勇伝が正史に書かれてあるんだから

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:44:24.91 ID:bIfCKABR0.net
>>605勝てたかどうかは分からないけど
張飛が生きてたら勝つ可能性が増えたと考えるのは別におかしな話では無いだろう
事実、夷陵の劉備軍には名将・猛将と呼べるような人材がほとんどいなかったんだから

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:57:10.73 ID:5/VbcYeH0.net
>>619
正史の長板は橋を落としてから魏軍に声を掛けた形だったと記憶
殿として頑張ったのは確かだけど猛将って話じゃないと思います
顔良切りも機動力を生かした奇襲という側面が強いですね

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 16:59:54.54 ID:5/VbcYeH0.net
何となく思うのは
中国においては北方騎馬民族からの攻撃の印象で
騎馬部隊の運用を得意とする将軍は猛将扱いされやすいのかなあという事

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:08:08.68 ID:5/VbcYeH0.net
董卓配下の系譜である呂布や張遼
西涼の馬超はその代表格で
白馬義従で有名な公孫瓚の有力な武将だった馬産地幽州出身劉備の軍も然りというところですかね

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:17:52.48 ID:5/VbcYeH0.net
まあ騎馬隊を率いるには自ら騎乗しなきゃいけない訳で
その意味では関羽と張飛の個人的な武勇が優れているのは確かなんでしょうね

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:18:08.76 ID:bIfCKABR0.net
>>622何回も言うようだけど猛将であるのと用兵家であるのは両立できる事だろう
猛将=脳筋で知恵を使わない軍人であるという認識自体が間違い

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:18:34.81 ID:QWj61m980.net
>>620
趙雲は勝てないと見て逃げたし
黄権は劉備が自分で遠ざけたもんな

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:20:52.32 ID:bIfCKABR0.net
>>621確かに知恵や軍兵を使った戦績でもあるが
だからといって武勇の要素が全く無いなんて事はあるわけではない
普通に猛将である事を示す武勇伝としてとらえても問題無いだろう

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:20:58.00 ID:5/VbcYeH0.net
>>625
いや単に猛将だと脳筋の傾向が強いでしょ
そうでないなら普通に名将で良い訳だし
何より万人敵って明らかに故事から引いてる評価は用兵に関する評価でしょうからね

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:22:48.42 ID:5/VbcYeH0.net
>>627
橋を切った後の挑発が武勇伝?
どちらかといえばエピソードを利用して演義が武勇伝に仕立て上げた側面が強そうですね

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:26:58.73 ID:5/VbcYeH0.net
>>626
趙雲は長く護衛役だった事もあって将軍としての評価はまだまだ
そして黄権以外に魏の抑えになる人材が居たのかどうか

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:31:10.30 ID:5/VbcYeH0.net
当時の役割を考えれば
魏延が漢中の防衛役であれば
趙雲は成都防衛役といった所でしょ
成都を信頼できない人に任せられるほど安定はしてないでしょうしね

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 17:56:42.92 ID:4qyiKl170.net
>>631
外戚の呉壱がいるだろ
益州だと彼が中心で纏まってるんで
むしろ趙雲に出番はないぞ>>631

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:02:34.52 ID:bIfCKABR0.net
>>629張飛伝に『誰も思いきって近づこうとせず…』と書いてあり
敵がビビって張飛に近づけなかった事を意味しているのだから普通に武勇伝として陳寿は書いてるでしょ

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:13:02.04 ID:5/VbcYeH0.net
>>632
外戚なのに列伝も追贈もされない微妙な呉懿さんにそこまで期待しちゃいかんでしょ

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:20:43.58 ID:bIfCKABR0.net
>>631『趙雲別伝』の言う事を信用するなら趙雲の役割は江州の守りだろう
『趙雲別伝』の信憑性は怪しいところもあるが、何の根拠も無い成都防衛役よりはまだ確証がある

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:42:40.73 ID:5/VbcYeH0.net
>>633
大喝的なエピソードこそ猛将の専売特許じゃありませんけどね

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 18:46:46.88 ID:5/VbcYeH0.net
>>635
まあどの道呉侵攻の主将は張飛を予定してて
同時に趙雲が代わりにならないというのは変わらずですよ
近い辺りで代われる存在は実績や格的に既に亡くなってた黄忠と馬超ぐらいでしょうね

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 19:34:14.77 ID:E2WxDHG80.net
侵攻時期遅らせるリスク犯して魏延を漢中から引っこ抜いて張飛の代わりに部隊任せるっつーのは…

うーん、望み薄な案だな

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 20:11:39.39 ID:4qyiKl170.net
いつの間に趙雲が張飛の代わりをするなんて話になるんだ?
だいたい、この頃の趙雲はまだ翊軍将軍でまだ雑号将軍で成都防衛役なんて任命されるわけがないだろ
流石に無知が酷すぎる

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 21:06:55.62 ID:1cON2gWI0.net
相方の陳到の方がまだ可能性あるな

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 21:19:36.08 ID:4qyiKl170.net
とりあえずID:5/VbcYeH0は
雑号将軍の趙雲の成都防衛役と
蜀書で劉備が裏切ったのは自分だとハッキリ書いてあるのに
魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 21:21:18.93 ID:4qyiKl170.net
>>641
魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから

黄権が魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 22:35:27.42 ID:Vk0tVoc30.net
馮習とか張南とかあいつらどっから沸いて出てきたんだろうか

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/08(土) 22:43:51.74 ID:Gr3l7qkc0.net
>>621
此岸で大喝ってのは後世の猛将アピのテンプレだぞ
崔延伯と万俟洛とか

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 00:45:17.35 ID:bZnz9ql30.net
黄権は軍の面子に南郡太守や荊州治中従事がいたし
持久戦になったあたりから江陵攻略に役割が変わったんじゃね

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 00:52:22.90 ID:BvFvzBx+0.net
呉主伝読むと武陵は蜀に寝返ってたっぽいので江陵は孤立して補給が受けられなかった可能性も

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 03:03:28.57 ID:HTYqw7e90.net
何か最近は夷陵の戦いを語るスレになってるな

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 03:49:19.82 ID:DuqgnngY0.net
仮に夷陵に勝てれば、天下統一の芽もあったと言えるからええんじゃねーかな?

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 07:00:52.10 ID:aYQKDkw/0.net
>>641
どう考えても先に黄権を手元に置いてたら夷陵に勝てた根拠を示す方が先でしょ
少なくとも法正にはその評価があるし
張飛も周瑜が天下を狙うのに欲しがった程の評価だしね

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 07:11:39.28 ID:ZLPuAfvJ0.net
張飛暗殺は想定外やろうしなあ
劉備も前線まで出る必要性減るわけだし

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 08:36:08.10 ID:lSVXq9ri0.net
>>649
関張マンセーならそう解釈するんだろうが
周瑜は劉備を篭絡させて傀儡にして関張は手先として使って
劉備軍の傀儡化を孫権に献策しただけで
周瑜が天下を狙うのに関張を欲しがった訳ではない
周瑜の益州攻略計画に孫瑜は出てきても関張は出てこないからな
周瑜は江陵攻略に関張使ってみたけど甘寧未満の役にしかたたなかったので
周瑜の関張への評価はそんなに高くない

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 08:53:58.17 ID:lSVXq9ri0.net
>>646
西陵は孤立していたと思うが江陵は孤立してないぞ
江陵から先の東方面南方面の呉の支配は盤石
武陵とか夷陵とか江陵の西方面だからな

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:23:41.20 ID:xdQXExRI0.net
>>649
黄権が手元に居れば夷陵に勝てたなんて誰が言ってるの?
黄権の指示に従えば劉備に危険が少なくなるだぞ
曹丕が呉を攻めなきゃ白帝城で劉備は攻め殺されてんだから

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:28:59.77 ID:ZLPuAfvJ0.net
言うほど攻め殺されてない定期

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:34:17.98 ID:xdQXExRI0.net
>>654
無理だろ
魏が呉を攻めなきゃ陸遜は
劉備追撃を止める理由が無い

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:46:10.63 ID:ZLPuAfvJ0.net
>>655
追撃のため荊州の戦力動かしたら曹丕関係なく魏に侵攻されんじゃね?
それも無しなんか?

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:49:21.35 ID:bn6jFuif0.net
>>656
劉備が死ぬまで曹丕が待つ場合があるからね
白帝城は呉の防衛ライン上必要なのは呂蒙伝にあるし

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 09:58:07.58 ID:ZLPuAfvJ0.net
>>657
劉備が身一つで蜀まで逃げた場合でも陸遜の白帝城攻めを曹真以下の荊州方面の魏軍が見逃してくれるものなのか…
むしろ呉にとっては最悪の形勢じゃないのか

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 11:00:22.67 ID:aYQKDkw/0.net
>>653
それを言うなら
そもそも劉備は無事なんだから
このスレ的に黄権を語る意味が無いやん

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 11:01:10.36 ID:dtPCN5hZO.net
三国志正史オタは妄想キャッチボールのプロだな。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 11:03:57.21 ID:aYQKDkw/0.net
>>658
というか
戦下手の曹丕らしいタイミングだけど
実際に魏の攻勢受けて追撃どころじゃなかったやろ

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 12:16:05.90 ID:xdQXExRI0.net
>>659
意味がわからない
勝手に主張を変えて其れを証明しろって言ったのはそちら
此方は証明したから
趙雲の成都防衛役と
黄権が左遷ではない根拠をお願い

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 12:35:51.90 ID:lsy5uex80.net
>>660
相手のボールをキャッチする気すらないからキャッチボールにもならない
壁当てしてるのと一緒じゃね

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 12:50:31.09 ID:bZnz9ql30.net
>>651
周瑜の関張への評価って江陵戦の後
二人は自分が用いれば大事業を成せるって高評価だろ

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 13:26:21.42 ID:aYQKDkw/0.net
>>662
黄権が劉備の下にいようがいまいが劉備は助かってるのが事実で何も証明出来てないやん
結局のところ黄権を挙げて何を証明しようとしたの?

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 13:33:55.07 ID:xdQXExRI0.net
>>665
だから意味がわからない
君が勝手に人の主張を変えてるだけだろ
黄権は左遷させられてるぞ君の主張は間違いないをさっさと認めればいい

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 13:47:31.64 ID:H8W5l9SG0.net
>>666
左遷って証拠あるんだっけ?
劉備が裏切ったって言ってるのは
大敗して置き去りにせざるを得なかった状況についてやし

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 13:50:37.19 ID:xdQXExRI0.net
読みなおすと>>601でaYQKDkw/0=5/VbcYeH0が
黄権が居れば夷陵が回避出来るって書いてあるな
5/VbcYeH0は自分の主張を人に説得させるのか

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 14:01:25.47 ID:tXN5pqIx0.net
黄権の益州治中従事→鎮北将軍って左遷なのか
蜀の官制詳しくなかったからむしろ昇任だと思ってたわ

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 14:23:06.84 ID:H8W5l9SG0.net
結局のところ何で黄権の話になるんだ?

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 16:24:53.88 ID:HTYqw7e90.net
>>641蜀書で劉備が裏切ったのは自分と言ったのは左遷では無く
「自分が黄権の言う事を聞かなかったからこうなってしまったのだ、魏に寝返った黄権は悪くないよ」っていう意味の言葉だろう

これを「俺が黄権を裏切ったのだ。黄権が俺を裏切ったのでは無い」と言うのは文学的な表現として素晴らしいなと個人的に思う

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 16:28:52.24 ID:HTYqw7e90.net
>>648夷陵で勝てても荊州を取り返すとこまでで止まって再度、呉と和平する事になると思うが
そっから呉と協力して魏を倒すってのはかなり難問だと思うわ

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 17:29:04.02 ID:H8W5l9SG0.net
>>672
根本的に荊州が後の防衛の要衝なのが難しいからね

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 17:29:23.42 ID:H8W5l9SG0.net
>>673
呉の間違い

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:04:41.30 ID:xdQXExRI0.net
>>671
まず夷陵前に呉討伐を諫言した人物が遠ざけられてるし
黄権は偏将軍でしかないから一部隊しかいないのに
呉が攻勢に出た時に孤立するって事は劉備本隊より離れていたんだろう
下手すれば呉に各個撃破されてる可能性がある
本当に魏に対応するには将軍職の格が足りないし
孤立し過ぎてる

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:07:22.57 ID:EZenUQJN0.net
治中従事→鎮北将軍って左遷とか昇進とかじゃなくて

劉備補佐官(益州行政権)+一軍の将(軍隊階級)だぞ
将軍職が加えられただけや

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:10:46.85 ID:xdQXExRI0.net
>>676
読み抜けてた
夷陵前に昇進してるね
確かに将軍職は問題無いね
でも孤立はしてるよ

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:12:07.88 ID:EZenUQJN0.net
黄権伝では魏への備え、先主伝では呉と対峙

どっちも相手にする超最前線???

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:14:41.85 ID:u98Hr4po0.net
>>676
ほえー
サンクス

鎮北将軍は蜀だとどれぐらいの官位なんだろ🤔

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:20:14.50 ID:EZenUQJN0.net
>>679
職場だと

四征→四鎮→四方→四征大→四征大→衛→車騎→驃騎→大
っぽい

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:21:09.16 ID:EZenUQJN0.net
修正

四征→四鎮→四方→四征大→四鎮大→衛→車騎→驃騎→大

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:27:19.46 ID:u98Hr4po0.net
黄権自身の諫言だと部隊の指揮は自分に任せて劉備は後方で指揮執ってくれみたいな感じだったと思うのだが
州治中従事ピンの黄権って遠征部隊指揮できるくらい高官なのか?

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:27:36.77 ID:u98Hr4po0.net
>>681
立て続けにありがたい

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:35:17.02 ID:xdQXExRI0.net
>>682
あれは自分が死にに行くから劉備の東征を諌めてんだろ

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:49:21.02 ID:u98Hr4po0.net
>>684


686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 18:55:54.41 ID:wcGgZfxN0.net
>>682
治中は確か州の人事司ってたはず、まぁ強権だな。でも行政権官位だし無関係

当時の黄権は護軍だった。一軍を率いて張魯を迎えに行ってるから充分先鋒足り得たとおもう

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 19:06:55.91 ID:xdQXExRI0.net
>>685
呉は精強で蜀の水軍も進むの楽だが退くのは難しいって書いてあるだろ
勝つ事では無く負けて死ぬ事で劉備を諌めてんだろ
だいたい、夷陵で劉備を逃がすために将軍職の人間が何人死んでるんだ

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 19:08:53.59 ID:wcGgZfxN0.net
>>687
質問と回答の趣旨がずれてる
やっぱりアスペじゃないか

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 19:09:11.30 ID:ZLPuAfvJ0.net
そのロジックだと黄権は魏に降らないで死ぬべきだったのでは?

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 19:25:33.64 ID:xdQXExRI0.net
質問は下の方か
この時は四方より上がいなかったはず
魏延も鎮北将軍だし
あれ、この時期鎮北将軍が二人いる?

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 20:18:39.42 ID:wcGgZfxN0.net
>>690
ただの併任かもしれんし
記述ないけどずれがあるかもしれん。だとしたら時期的に黄権→魏延が自然だな

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 21:33:03.88 ID:H8W5l9SG0.net
>>688
そもそもこのスレ的に黄権に固執する理由が無いのに固執してるから最初からアスペ臭いかも

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 21:40:12.36 ID:ZLPuAfvJ0.net
でも黄権ネタは意外と面白いんだぜ

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:11:18.93 ID:wcGgZfxN0.net
>>693
わかる

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:23:18.17 ID:DuqgnngY0.net
>>672
私怨でしょ?勝ち続けている状態で和平ができるなら、劉備攻めてないんじゃないかな?
長江に沿って、攻めに攻め続けるんじゃないかな

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:26:13.83 ID:wcGgZfxN0.net
>>695
バーカ呉を退けて揚州に進撃したら漢中襄陽から魏の介入喰らって荊州が曹魏の手に落ちて三国統一だろ

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:27:46.77 ID:DuqgnngY0.net
>>696
そんな心配するんなら、呉が早々に、魏に降るわ。
そんな心配できるんなら、そもそも攻めてねーよ

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/09(日) 22:32:38.41 ID:wcGgZfxN0.net
>>697
呉は魏に臣下の礼をとってなかったっけ?

劉備は荊州奪還の格好だけでもしなきゃ荊州豪族諸将の支持を失うから夷陵は必然
加えて魏の荊州最前線襄陽はまだ混乱の最中だろ、その隙に荊州を掠めようってんだから追撃はあり得ない

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 00:13:58.33 ID:zs/x7ImL0.net
>>687何で負けて死ぬ事で諌めるなんて極端な考えができるんだ
普通に負けた場合逃げるのさえ難しい状況になるかもしれないから自分が先鋒をやるよっと言っただけだろ

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 07:35:18.27 ID:fVQMvrza0.net
>>664
周瑜は関張は手下で使い走り前提だからな
特に英雄として遇している訳ではない
実際に江陵攻略戦では関張を使い走りで使っていた
大事業成せるとか言っても益州攻略計画の中に
関張は前提で織り込んでいない
ひょっとして火の言う事わからないアスペ?

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 07:54:29.93 ID:7dSQDbxL0.net
関張ら熊虎の将は梟雄劉備もとのあってはじめての輝くから……

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 08:02:32.79 ID:ZaeK4brW0.net
劉備は関羽張飛と比べて演義で能力が矮小化されてるよな。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 08:19:40.19 ID:iHLStHAy0.net
>>702
陳寿も嘆いてる通り
劉備軍の内情に関しては資料が少なく不明な部分が多い
それで他陣営の評価に頼るしかないんやろうけど演技なんかがそれを利用されてるんやろな

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 08:38:44.96 ID:iHLStHAy0.net
まあ関羽と張飛については平原時点で兵を率いているから
劉備軍の強さにリンクさせてもおかしくは無いんだけどね
演技における劉備の一番の不幸は新野での曹操との戦いの功績を完全に徐庶と孔明に奪われた事やろね

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 08:50:26.85 ID:iHLStHAy0.net
>>701
というか実際に荊南益州漢中と
攻略が容易い訳でも無い地域を比較的短期間のうちに落としまくってる事考えると普通にヤバい強さ
劉備が曹操の元から去らずに別働隊として働いていたとしたらとっくに天下が定まってたレベルや

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 09:33:55.82 ID:KkXW8ybd0.net
>>705
劉備軍がかなり強いってそれ1
荊州益州は火事場泥棒騙し討ち臭いけど、それも込みの戦争だし有能だな

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 09:58:50.15 ID:iHLStHAy0.net
>>706
荊州は赤壁以降ずっと火事場で
その火事場には呉も居たんやけどな
まあ赤壁で戦った魏と手を組む裏技で荊州手にした呉はある意味凄いよ

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 10:01:11.30 ID:iHLStHAy0.net
>>706
益州の内応は劉備の声望有ってこそな上
結局は失敗して殆ど普通に戦ってるし

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 10:09:33.07 ID:iHLStHAy0.net
そこからガチで漢中落としながら荊州で襄樊包囲して夏侯淵と于禁倒してるからなあ

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 13:04:26.76 ID:358tcimX0.net
劉備は、劉gを荊州刺史に立てたのちに荊州南部(武陵・長沙・桂陽・零陵)を征討しにいった。
もともと荊州は劉表が治めてたし、劉gが刺史になったとか聞かされたら荊南の太守たちは
戦意喪失したんじゃなかろうか。降ったという感覚すらなかったかもしれない。
激しい攻防戦があったとは思いにくい。

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 13:34:48.14 ID:OMQTYXJ+0.net
>>703
蜀志は底本ベースの魏志や呉志と違って現地の聞き取り調査と残された公文書ぐらいしか
情報ソースがなかったんだろうなぁ。
関張コンビの残念評価も好悪云々よりも資料や証言者の少なさだろうし。

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 15:43:55.82 ID:LBZUvIIo0.net
>>710
劉度・韓玄・趙範は無抵抗降伏してるじゃん
死んだのは金旋だけ

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 16:20:02.00 ID:fauogvSA0.net
>>712
金旋だけ死んだってどこ情報よ

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 16:23:54.31 ID:iHLStHAy0.net
>>710
これ見ると普通に荊州は劉Kを擁した劉備のものやな

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:14:46.37 ID:WLImck3i0.net
>>713
三輔決錄注

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:34:32.50 ID:FBYUERNH0.net
>>714
いや劉備は荊南征討するのに呉から兵借りてる
周瑜も関張借りてるからスワッピングに近いが

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:41:11.91 ID:iHLStHAy0.net
>>716
いやいや名分的な側面ね

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:47:12.70 ID:fauogvSA0.net
名分論でいうなら劉備も孫権も漢の丞相曹操に逆らい、献帝の許可を得ず官職を僭称する逆賊だろ

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:52:14.90 ID:iHLStHAy0.net
>>718
それは名分というより形式論やな

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:55:58.46 ID:szqdQyKh0.net
>>712無抵抗に降服したかどうか分からないだろ
劉備伝には劉備が南の四郡に侵攻し、四太守が全部降服したとしか書かれていない
戦った末に降服したのか、戦わずに降服したのかこれじゃ分からない

三輔決録;注が本当なら金旋だけは戦って死亡したと思うが

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 17:58:48.51 ID:szqdQyKh0.net
>>718劉備は曹操を誅伐すべきという密勅を授かってるから
曹操を倒す大義名分を持ってるだろ

まあその密勅が正当なものかは怪しいが

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 18:08:58.53 ID:VvQ90IJx0.net
>>720
そうだね、無抵抗は妄想だったわ

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 18:09:17.29 ID:358tcimX0.net
荊州刺史の王叡が孫堅にぬっ殺される

代わりに劉表が荊州刺史に

劉表病死で劉jが継ぐ

曹操が南下してきたら劉jは無抵抗降伏 劉備と劉gは敗走

赤壁で曹操大敗 曹操は北帰するも曹仁を南郡に駐屯させる

周瑜・程普が曹仁を追い出す 周瑜が南郡太守に

劉備が上表して劉gを荊州刺史に 荊南攻略

劉備が荊州の一部を借り受ける 劉g死去 劉備が荊州牧になり公安に駐屯

周瑜死去 劉備は孫瑜が益州攻略に向かうのを阻止


こんな流れかな?
荊州は誰のものっていうか、劉jが降伏した時からは曹操(漢)のものだろうし
曹仁を追い出したのは周瑜だから、荊州は呉のものって孫権は認識してるし
劉表の遺児が荊州刺史になったんだから呉のものじゃないでしょって劉備たちは思ってるし

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 18:09:20.13 ID:JwdbyHGx0.net
>>717
それこそ曹操だろ
劉jからの降伏からの自称ではない献帝からの任命

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 18:29:48.59 ID:iHLStHAy0.net
>>724
まあ自称でも無かったりするけどね

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 00:12:35.08 ID:20QpSsxh0.net
>>700
劉備幽閉計画は頓挫してるんだから
そりゃ関張は使えないだろ

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 02:39:06.29 ID:bdN6k2qD0.net
>>726
関張は使わなくても大事業計画立てられる程度の存在という事だろ
関張はどうみても馬超よりも当てにされてない

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 07:06:59.19 ID:V5Rt68Pv0.net
>>727
独自の軍閥と異民族へのコネを持つ群雄と劉備軍のいち幹部を比べるのは違う気がする

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/11(火) 08:26:39.79 ID:cmwX1YX70.net
蜀取りって甘寧も進言してるし元々の規定路線
関張と会う前から攻める気はあったんたからいなくてもやるでしょ

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 21:37:59.02 ID:BG3nVAnp0.net
>>707
数年で再度魏と関係悪化して詰みそうになってたし先が読めてるんだか読めてないんだか

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 22:01:39.47 ID:TDFfZbdJ0.net
>>729
魏延の長安直接強襲かな?

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 00:08:42.87 ID:SfcMflZW0.net
関張を使うってのは、武勇ももちろんだが
本音は兵が足りんという所が大きいのかもしれないなぁ

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 07:29:19.70 ID:Xvmv0ygK0.net
この頃の孫呉って兵ぜんぜんいないもんな。

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 13:24:41.01 ID:K9lR8mER0.net

特に騎兵の不足は西や北に進出する上で深刻な問題やろな
これは孫呉以降の南朝がずっと抱え続ける根本的な問題でもあるけど

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 13:56:00.28 ID:ND48KFWt0.net
孟達が曹丕に、蜀では食肉の味の薄さを誤魔化すのに蜜を掛けて食べるみたいなこと話していたけど、そういう所からも蜀では畜産に向かない土地柄であったことが伺えるね
諸葛亮や姜維が涼州獲りに固執していたのも馬が欲しかったからだと思う

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 14:49:02.32 ID:wuhQcq+h0.net
>>735
いや、北伐が人さえ困難な道で馬や牛なんか使えないからだろ

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 16:18:09.95 ID:K9lR8mER0.net
>>735
まあ馬だけおっても
それに乗る兵と指揮する将がいる
そういう意味で関張は喉から手が出る程欲しい存在やろな

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 16:24:55.56 ID:K9lR8mER0.net
>>735
それより何より涼州は漢中避けて蜀に入る裏口みたいなもんやから最低でも安定させない事が重要
法正も漢中後に涼州進出考えてたみたいやから北伐の戦略は当時から考えられてた可能性は高いな

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 18:43:06.57 ID:kIM81Hgm0.net
関張は呉にとってはイラネ
関羽に対しては呂蒙は生け捕り計画なんて立ててないし
降伏しないで逃げ出せば撫で斬りで首イラネで曹操の元へ転送
張飛の首なんて范彊張達が持ってきてもポイ捨てでその後行方不明

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 19:08:53.73 ID:K9lR8mER0.net
>>739
そりゃ姻戚関係条件に引き抜き掛けてアッサリ断られてる呉からすればヤるしかないやん
そして死んだ張飛をどうしろと

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 19:17:39.59 ID:K9lR8mER0.net
>>739
加えてその頃は劉備が蜀取って漢中取るタイミングで天下二分とか出来なくなってるからなあ
劉備の勢力拡大がヤバくて呉は何をやってでも荊州奪うマン状態やし

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 19:48:04.33 ID:RpyA2ueS0.net
魯班が悪いよー魯班が

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/14(金) 22:07:46.83 ID:SfcMflZW0.net
>>739
それは荊州を奪還するための話。
益州を併呑するには関羽張飛(劉備本軍)が必要だろうに思う
せめて内通者が必要だな

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:12:30.87 ID:1++jrNTi0.net
>>743
だから周瑜の益州を併呑する計画には
はなから関張(劉備軍)は当てにしていないんだけど
せいぜい荊州の守り(置物)程度にしか考えていない
周瑜の益州を併呑する計画は元部下のホウ統に受け継がれているので
内通者は織り込んでいた可能性あるが
しかしそのホウ統の益州を併呑する計画でも関張は荊州の置物
ホウ統死んで諸葛亮呼んだときに張飛も一緒に益州来たがな

周瑜の劉備軍に対する上から目線は赤壁の戦いで劉備と初めて関わってから
劉備の軍慰問や最前線へ兵提供とかことごとく断り
赤壁終わって江陵攻略で劉備が無理やり関張提供したものの
使ってみても楽進に敗退するわで芳しい成果上げていない
京城での劉備傀儡計画も劉備は神輿で関張は手足程度の認識
周瑜は死ぬまで劉備や関張には上から目線だよ
どこから周瑜の関張マンセーが出てくるんだか

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:25:19.13 ID:s1fuRTiR0.net
>>744
龐統は地方官として周瑜に仕えただけでそんな強固な故吏関係が短期間で構築できるわきゃねーだろ

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:36:46.88 ID:1++jrNTi0.net
>>745
龐統は周瑜の喪で呉の地を訪れた短期間で
呉臣の陸績・全j・顧邵らと深い親交を結んでいるんだがw

あと功曹は郡内の役人の功績を算定する部局なので
周瑜直属の可能性高いが

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:40:17.56 ID:s1fuRTiR0.net
>>746
龐統が周瑜の構想引き継いだなんてお前の妄想にしか過ぎねーから

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 08:44:15.39 ID:1++jrNTi0.net
>>747
そんな捨て台詞いいから
読み応えある懸賞に値する反証よろしくね無能

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 11:07:40.23 ID:qUZFL1/ZO.net
妄想の暴走もよろしくないけどな。

関羽に関しては、今までは顔良斬りは乱戦時にたまたま見つけて刺しただけとか、ホウ徳の矢で眉間を射られたときは兜を被っていたため兜に弾かれ無事だった。とか、正史の考証と呼ぶにはほど遠い妄想長文の暴走が酷かった。
自分の中で役を決めて物語を勝手に構築してしまうのは考察とは言わんよ。

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 12:22:22.64 ID:U1WHT0hg0.net
>>703
>>749

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 12:23:47.50 ID:Gmp2oa5m0.net
>>748
まずは三国志本文から論拠引っ張ってくるのが筋じゃね

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:18:13.80 ID:LUownws20.net
孫権は劉備に一緒に蜀取ろうと持ち掛けてるし益州攻めって孫劉の合同作戦じゃないの
劉備が非協力で江陵にいる状態で益州攻めなんかしないだろ

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:23:21.23 ID:U1WHT0hg0.net
>>752
>>723

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:32:49.68 ID:8MNEXPx30.net
劉備の入蜀と同時期に呉は呂岱を漢中方面に派遣してるんだよね
あれはどういう目的なのか、どういう名目で送り出したのかいまいち掴みづらいな

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:34:18.51 ID:LUownws20.net
>>753
つーことは蜀攻めは別に周瑜いなくてもよかったと

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 14:35:39.60 ID:U1WHT0hg0.net
>>755
?

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 15:03:25.66 ID:sNP84dO20.net
>>752
周瑜は孫瑜を総大将として益州を攻略に行くことを孫権に進言した。
孫権は許可した。
周瑜はその準備中に死去。
孫権は劉備に蜀を一緒に獲ろうと誘いをかける。
劉備は、自分で益州取るつもりだったので、殷観から
「呉の鉄砲玉として使われるだけ。失敗したらどうするんですか。断りましょう。」
と言われ、その意見に従った。
孫権は劉備に断られても強引に孫瑜ひとりに水軍を率いて益州へと向かわせた。
劉備は孫瑜を通せんぼして
「私と同性の劉璋さんを攻めるのやめたげて!どうしても行くならオイラ山にこもります」
と脅した。
それを聞いた孫権は孫瑜を召還した。

先主伝、周瑜伝読んで。

758 :756:2018/09/15(土) 15:11:23.39 ID:sNP84dO20.net
×先主伝、周瑜伝読んで。
〇先主伝、魯粛伝読んで。

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 15:40:07.30 ID:Al9M2fID0.net
呉が何の名分も無く益州に攻め込んでもどうにもならんかっただろう
名将の高沛と楊懐に追い払われるのが関の山

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 16:02:11.20 ID:nCO4PEo00.net
殷観の進言って時期微妙なような

進言の内容もいきなり断れじゃなくて当初は賛同しつつ、土地が安定してないからのらりくらりと躱せって感じだし孫権からの蜀攻めの申し出って京城会見後あたりじゃないの

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 17:57:58.73 ID:sNP84dO20.net
>>760
そうだっけ
記憶たどって書いたから違ってたら改訂版たのむ

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 19:41:57.98 ID:h/GFaAuo0.net
>>754
あわよくば漢中を得て天下二分やろ

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 20:04:02.99 ID:h/GFaAuo0.net
楊懐高沛は龐統に名将と評価される
顔良文醜は孔融に名将と評価される
楊懐高沛は具体的戦功が残らない
顔良文醜は具体的戦功が残らない

楊懐=顔良=高沛=文醜

っていうのをどっかで見た

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 20:29:19.85 ID:fpD+cwQiO.net
郭図と李確も軍人としては優秀だったとこのスレで読んだが、軍事能力に大して差は無いのかもね

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 21:03:22.66 ID:h/GFaAuo0.net
>>764
李傕は間違いなく強いだろ

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 22:21:16.95 ID:MctR8kgU0.net
郭図が少数で李確ぶっ飛ばす記述あった気がする

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/15(土) 22:22:19.15 ID:MctR8kgU0.net
郭図じゃないな。郭だわ

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 01:12:05.77 ID:O/CmP8PE0.net
>>744内通者はたまたま法正が劉備の元へ訪れて劉備を主君としたいと思うようなり
そこから法正と張松が内通者になったわけだから
ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 02:24:03.79 ID:WlGCY6Io0.net
>>744
?統は内通者を織り込んだ計略も発言もしていなで
そもそも、張松法正の側から内通計画が打診されたものやぞ?(故に劉備は法正に頭が上がらない)
変じゃね?

関羽張飛を手足の如き使って戦いを進めれば、天下統一できるで!って進言なのに
置物程度と解釈する余地は無いで?

しかもこの進言、劉備は部下の関羽と張飛がすげー強いから、そのままにしておくと厄介
逆に分断して利用すべきです。という内容で上から目線かもしれないが、かなり重視してるで

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 09:09:07.03 ID:md/YbHzY0.net
>>768
呉の元にも益州から甘寧だの李異だの襲粛だの帰順した奴らが配下に居るが
そもそも呉には益州の反劉璋勢力の東州兵の残党と繋がり有る人物が居るんだから
呉には益州進撃して反劉璋勢力の協力仰がないで進撃する想定しない訳がないんだが

>ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ

これには同意
劉備陣営には東州兵の残党と繋がり有る人物は居ないので
張松法正から蜀取りの話持ちかけられた時にはホウ統は東州兵をあてにせず
劉璋ひっ捕えるだの成都急行して陥落させるだの電撃作戦を上策としている

>>769
周瑜は関張を「分けて」「別々の地方で」使う事を進言しているからな
分断する事が主であり関張を主力軍で使う事は想定していないが

771 :769:2018/09/16(日) 09:16:54.95 ID:md/YbHzY0.net
趙韙

772 :769:2018/09/16(日) 09:20:43.66 ID:md/YbHzY0.net
訂正
東州兵は親劉璋勢力だな
反東州兵の趙韙の残党が呉に帰順した連中
なので呉は反劉璋勢力の趙韙の残党の協力を仰ぐ事になる

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 09:24:45.02 ID:0a3ab/A00.net
白水軍を放置して戦うのは愚策だろ、挟撃ゆるしちまう。
ホウ統は楊懐らを「名将」と位置づけて騙し討ちも進言してる。まぁ「名将」呼ばわりはブラフだとしても後顧の憂いだったのは変わりない

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 09:27:29.44 ID:0a3ab/A00.net
>>772
趙韙残党なんていたのかな?
反抗する豪族は狩り尽くされた印象

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 09:37:40.69 ID:md/YbHzY0.net
>>774
趙韙残党というよりも反東州兵勢力というべきか
表現難しくてスマソ
あからさまに東州兵に対抗したのが趙韙ぐらいで
日頃の東州兵の乱暴狼藉に怨嗟する民衆が潜在的に居て
呉にはその民衆と繋がり有る人物が居るという事
まあ甘寧は民衆に乱暴狼藉していたイメージ有るがw

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 09:53:22.92 ID:4DcIkjN50.net
どこから引用してきてるのかサッパリ判らん

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 10:10:07.92 ID:0a3ab/A00.net
劉璋への脅し文句で李異甘寧の名前あがるし影響あるんだろ一応

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 14:24:23.76 ID:WlGCY6Io0.net
>>770
反勢力のない勢力なんて無い
反勢力と内応者はまったく違うものだし想定が異なる

そもそも、関羽張飛を分けるのは、すげー強いから。から始まる進言

劉備と一緒にいると「あいつら反乱起こすぜ」的懸念を言っている通り
一つにまとまらせない事が進言の主要因ではあるが
まとまらせず「彼らの力を使えば天下統一できます」と
進言しているので、「強く」想定はしている

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 14:28:56.45 ID:WlGCY6Io0.net
個人的に、この頃の孫権と劉備の関係はい、劉表と劉備の関係、
劉備は孫権んお客将の立ち位置に近い関係ではないかと思ってる
(少なくとも呉から見たら。劉備はそれに対抗措置を撮っている)
そうすると荊州の貸した貸さないがわかりやすい

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 14:50:40.05 ID:jVslx3bR0.net
>>779
とは言え
劉備も劉Kを後見して荊州刺史にしたり(後に劉備自身が荊州牧)
孫権を車騎将軍代行や徐州牧にしたりしてて
名分的には荊州においては劉備の方が上位なんだよね(さすが左将軍と言うべきか)
まあ呉について言えば最終的に孫権の皇帝即位に至る通り名分を重視しないのかも知れん

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 15:05:35.13 ID:0cylzP1O0.net
小国の蜀に名将はただ関羽のみ、だろ

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 15:08:18.42 ID:WlGCY6Io0.net
>>780
足利義昭と織田信長と言った方がいいのかもしれない
劉備を皇帝に押した立てて、傀儡にして名分を得るつもりだったんじゃないかなと妄想してる
関羽張飛も劉備が皇帝になるなら文句なく働くだろうし、徐々に劉備軍解体

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 15:11:14.76 ID:0cylzP1O0.net
今更劉備を傀儡にしようとか阿呆すぎる
名実ともに有していて野心も抱える梟雄はどうにもならん気がするんだが

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 15:49:41.48 ID:WlGCY6Io0.net
>>783
周瑜ばかにすんな!
劉備も「当時も諸葛亮が言ってたけど単身で呉に赴くのはやばかった。」と
?統に述懐してるところからみても絵空事ではないと思うで

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:03:16.60 ID:TQg9VT3G0.net
劉備が天下統一しているぞ
https://www.youtube.com/watch?v=RltpAMJLRy4

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:10:20.19 ID:TGTXQtpb0.net
なんの実績もない若造ならともかく華北各地を転戦して自前の兵も将も持ってる
自分より年上の劉備を傀儡にできるというのは見通しが甘過ぎ

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:17:07.73 ID:jVslx3bR0.net
>>784
そりゃいくら劉備でも単身はヤバいやろ
それと劉備を傀儡にする事は別や

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:20:38.34 ID:WlGCY6Io0.net
>>787
劉備が「単身で呉に赴いたのは、拉致監禁されて人質にされる危険があったな、危なかった。
当時諸葛亮が注意してたけどマジやばかったな」とホウ統と述懐してるので
周瑜たちも劉備を骨抜き策を進言してる。
何が別なんや?

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:23:52.48 ID:WlGCY6Io0.net
劉備が、ホウ統に、「お前も劉備懐柔策を献策したんか?」と聞いた時の話ね
なのでホウ統も功曹ではあるけど、シンクタンクの一人というのは確かやと思うね

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:24:20.88 ID:jVslx3bR0.net
>>788
骨抜きならまだしも
拉致監禁とか恨み買い過ぎて孫策コース真っしぐらや
しかも相手は関張

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:25:49.08 ID:jVslx3bR0.net
そういや呉は周瑜のイケイケな戦略で孫策が高転びしてるんだよな

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:59:26.31 ID:WlGCY6Io0.net
>>790
拉致軟禁ではあるけれど、そこで骨抜きにする作戦
呉から帰さない作戦が多数進言されているという話
まぁ読んでみて

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 17:32:22.89 ID:w3ouRvpF0.net
>>792
どの道失敗してる策やし
掘り下げる必要ないやろ

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 19:15:11.82 ID:WlGCY6Io0.net
>>793
そもそも実行してないぞ
荊州の貸し借り問題を理解する上で、呉視点として劉備が客将に近い形だったのではないか。
呉の思惑として劉備を擁立するつもりだったのではないかという想像したよって話だ。
「ありえない」と言われたので根拠を説明しているだけ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 19:17:17.50 ID:WlGCY6Io0.net
本題は周瑜が益州討伐において関羽張飛を戦力と見ていたかだね
見ていたと思うよ。という主張。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:14:44.15 ID:w3ouRvpF0.net
>>794
擁立という時点で全く客将とは言えず
今度は拉致監禁して軍閥解体するってのが擁立とは言えない
ありえないというより貴方自身の論理が自己矛盾してるだけの話

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:20:13.76 ID:w3ouRvpF0.net
>>795
それについてはそうだと思う
曹操は軍閥そのままに活用しようとして
周瑜は軍閥を解体して活用しようとした
そんな違いが見られるかな
孫堅の死後やられて袁術の死後やり返した事を劉備の軍にやろうとした形

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:26:25.63 ID:w3ouRvpF0.net
そういえば
孫呉は袁術の後継者的な勢力な訳だけど
当然ながら劉備軍が徐州にてその袁術の侵攻を防いだ事を周瑜は知ってる筈なんだよな

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:35:11.35 ID:WlGCY6Io0.net
>>796
客将という立ち位置
客将の種類として擁立かもね(例:足利義昭)
分かりづらい?

擁立することで、劉備軍を取り込むを事ができるから
方法論として劉備軍と劉備を切り離し、権威のみの存在にする
分かりづらい?

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:38:54.26 ID:j8I8Qole0.net
>>799
まず義昭は将じゃないので客将なんて言う人は誰も居ないよ
そして劉表と劉備の関係じゃないのは明らかやね

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:46:43.23 ID:j8I8Qole0.net
まあ後漢末期から三国鼎立までの勢力間の関係性は難しくて
なかなか把握し難いんだけどね

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:50:54.75 ID:im3y+M8k0.net
上賓として迎えるけど重用はせず
祭り上げるけど実権は与えずに関羽張飛らを劉備の主命のもとで意のままに動かすってのが孫権側の思惑ってことでおk?

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 20:58:20.52 ID:j8I8Qole0.net
>>802
バランス難しすぎて机上の空論としか思えんな
劉備殺してしまった方が遥かにマシに見えるけど孫策の死因がトラウマだったのかもね

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:04:18.08 ID:j8I8Qole0.net
何気に孫呉は孫策からの因縁が後々まで影響してるからなあ
二宮の変なんかの伏線もたっぷり

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:05:13.95 ID:im3y+M8k0.net
>>803
だよなぁ
無理がありまくりだよな

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:12:58.12 ID:im3y+M8k0.net
二宮の変すき
処刑者の傾向ってどんなんなんだろ

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:43:23.76 ID:WlGCY6Io0.net
>>800
客将みたいな立場、その一つとして擁立するために呼び込んだんじゃないかという想像

>>802
そう。想像だけどね

呉の弱点である名分と権威を手に入れる事ができる
国家として独立して劉備は無理だけど、二代目あたりから禅定させる
孫権は劉備より若いからね
関羽張飛を手に入れる計画もスムーズになる

モデルケースはもちろん曹魏

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 21:46:05.30 ID:im3y+M8k0.net
>>807
無理だろ……曹魏モデルってことは献帝か?
私兵も持たない劉協と強力な軍閥をもつ劉備じゃ話が違うだろ

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:35:30.76 ID:WlGCY6Io0.net
>>808
劉備軍解体吸収、周瑜ができると言ってるんだからできるのでは?

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:42:54.97 ID:j8I8Qole0.net
>>809
結局やらないと判断してて間違ってない判断だと思うよ
結局殺さざるを得なくなり孫権が第二の孫策になる可能性も高い
当時の孫呉はそんな感じで対立してた豪族連中ばかりやしな

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:49:04.25 ID:j8I8Qole0.net
劉備が呂布に徐州奪われました際も
丹陽兵軍閥の裏切りを張飛が抑えきれなかったという説もあるし
曹操が徐州で虐殺したのも青州兵(という名の難民)を入植させるためだという説もある
強力な軍閥を手懐けるってのはとてつもなく難しい

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:50:32.38 ID:WlGCY6Io0.net
>>810
作戦の沿線上に擁立があったんじゃないか、という想像ね

周瑜ほどの男が「できる」と判断したことを「できない」と断定するのはどうなんかなぁ
やらなかったのは「できない」からではなく他の戦略を採択しただけだしな
その後、魯粛の考えは間違っていたかもしれないとか言われる始末。
歴史の可能性は無限大だね

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:52:47.26 ID:WlGCY6Io0.net
>>811
これは呉という勢力が吸収合併でできた国だから
同じ発想の進言が多数出たのかもしれないね

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:55:55.17 ID:j8I8Qole0.net
>>812
そもそも劉備は
曹操程の人物が御し得なかった人材です
周瑜がそこまで有能なら一番大切な孫策が死ぬ事も無かったでしょうね

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 22:57:25.69 ID:j8I8Qole0.net
>>813
そして当時の孫呉は孫策時代に敵対した豪族の始末に苦労した時期でもあるね

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 23:58:02.09 ID:giGW9sTF0.net
それが以外とそうでもない
劉備単独だと問題を先延ばしにする性格でもある
曹操の時も周りが騒いだ訳だし
劉備の性格を見抜いた周瑜の策だと思うよ

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 00:07:02.76 ID:ISdSOpcM0.net
>>812
いやいや、孫権自身が「できない」っていって却下してるじゃん

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 01:22:24.92 ID:gGnC/JPC0.net
>>816
なんか演技の作った劉備像の被害者やな
挙兵からずっと劉備はむしろ決断が早すぎるぐらいの人生歩んでるやろ

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 06:42:31.19 ID:WNU3HNNH0.net
むしろ抜け目なさすぎて「こいつ義理ワンじゃね?」って警戒されるのが大徳さんやし

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 07:03:02.12 ID:jnFTTrar0.net
即断即断即逃亡

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 07:14:55.04 ID:gGnC/JPC0.net
そういう意味で言えば
曹操の元から離れない方が天下統一のチャンスがあったのかも知れんな

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 08:02:48.51 ID:gGnC/JPC0.net
>>817
戦下手はともかく戦略的な判断力は凄いよな
コーエーの能力査定的には統率もっと下げて知力をもっと上げた方が良いレベル
周りは豪族出身ばかりで本当の意味で信頼できる腹心は居ない
(というより何だかんだ移住組の張昭や諸葛瑾の存在はデカかったんやろな)
二宮の変についても耄碌したと言うにはあまりに対処の難しい問題やからね

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 08:16:48.72 ID:zF09uqPY0.net
孫呉の場合、後の東晋以降の王朝みてても君主権力を集中しにくい土地柄と人間関係だし

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 08:21:58.62 ID:gGnC/JPC0.net
>>823
歴史をマクロで見ると
南朝は生産力>軍事力やから
調整型の政治体制になるしかないんやろな

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 08:35:33.93 ID:gGnC/JPC0.net
孫権の戦下手も呉兵の質込みの話やし
豪族の力の強さもまた呉の特徴で
明が元の独裁的な体制を取り入れるまで
南朝が北朝に勝てないってのが流れやからなあ

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:05:34.63 ID:RFDpobt00.net
>>824
生産力でもまだまだ華北優位な時代じゃね
隋唐を経てようやく華中地域が生産力で逆転というイメージ

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:14:26.01 ID:gGnC/JPC0.net
>>826
華北との比較じゃなく国内のバランスね
なんとなく思うのは当時の南方ってのは一種のフロンティアだったんじゃないかという事
呉における蛮族討伐は討伐という名の開拓地奪取であり人狩りであるというのは昔からある指摘で
呉の中原への関心の低さも含めて開拓時代から大戦で出しゃばるまでのアメリカを彷彿とさせるんだよね

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:19:28.49 ID:eWGdr3QRO.net
地味も豊かと言われていて、楚や呉、秦漢と時代を経てそこまで未開なのかなと思う

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:26:30.45 ID:gGnC/JPC0.net
>>828
少なくとも最盛期が宋から明の時代なぐらいに発展の余地がある訳で
そこは必要性や技術の進歩とか複合的な話になるでしょ
中原の混乱による移民の流入や稲作技術の発展等色々考えられるしね

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:32:18.76 ID:gGnC/JPC0.net
例えば日本でも
とりあえず平安期には関東東北まで政治的な影響力は及んでいた訳だけど
実際に開拓が進んでいったのは平安末期から鎌倉で戦国から江戸にかけてまで生産力が上がってるからね

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:38:52.06 ID:gGnC/JPC0.net
土地が有っても人が居ないとか
新しい技術で耕地が広がるとか
開拓仕切ってる現代日本人の感覚で考えちゃいけない事が多過ぎるよね

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 09:51:29.38 ID:gGnC/JPC0.net
ぶっちゃけ古代の呉や楚の頃は
長江流域近くに都市国家の延長程度の勢力だった訳で
その後の王朝も基本的に原住民を服属させてた程度で
本格的に植民を始めたのが呉の頃だった可能性は高いと思う

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 12:55:09.59 ID:28kicV7X0.net
>>822
孫権は豪族連中を昔から牽制してるからなぁ
呂壱や二宮も反豪族的な性格だったり?

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/17(月) 19:02:18.82 ID:CEQlzRqe0.net
>>832っていうか春秋時代は中原の国も都市国家の延長みたいな勢力ばっかりだったからな
だから人口比がそこまで無かったんだろうな

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/19(水) 21:35:09.50 ID:BqTu2Mts0.net
二宮反豪族政策説たまに出るけどマジでそうなら孫酷と変わらんレベル

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 18:52:55.09 ID:mrGxU9jg0.net
>>835
孫権耄碌説よりかは孫権の面子保てるだろ(適当)

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 19:10:14.12 ID:D2YeWF290.net
未開というよりも、支配が及んでいないのが南方

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/20(木) 19:19:27.89 ID:920tcFoI0.net
高齢童貞のみなさん
枯れたオッサンたち

これが現実なんですよ?

http://blog.livedoor.jp/for_middle_age-energetic_agent/archives/12176000.html

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/21(金) 22:12:53.27 ID:xeevN8ds0.net
>>834
耕地が限られてる時点で年毎の差はおおきいよ
そして都市が密集する地域が当然あるので地域差はメチャクチャ大きい

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/30(日) 22:26:11.36 ID:/PV6W6480.net
藤林丈司

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/07(金) 00:01:44.72 ID:cRBY+yc20.net
オレなんか40歳にしてザーメン5メートル飛ぶからな?
中学の時と全く変わらんぞ
むしろこき使われて働いてた25歳の時よりはぜんぜん元気だな
まあ酒タバコはインポ確実だからやめとけよ
オレみたいに健康に気をつけとけば年ごとに進化しつづけるぜ

☆〜

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 01:17:08.73 ID:DCUeUYTTO.net
>>1
項羽は一時期天下人になったが、次々に反乱起こされて劉邦に負けた。
曹操は屯田兵の考案といい内政も上手く、依怙贔屓も少ない。ちょっと付け入る隙がなかったな

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 15:15:07.47 ID:D9sD93w40.net
>>842
そもそも項羽は完全に諸侯の上位者だった訳でもなく本拠が徐州で関中から遠かったから

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 15:22:58.32 ID:zi0eUCsJ0.net
項羽のまともな根拠地ってそれこそ魯ぐらいでその後支配下に入れた彭城ですら弑逆した義帝政権の首都だったわけでしょ
項羽が魯を捨てて関中に入っていたら普通に暗殺されて横死してそう

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 15:36:58.74 ID:D9sD93w40.net
>>844
そもそも項羽は秦の兵を殺しすぎた
対して劉邦陣営というか蕭何が秦の支配能力と関中の重要性に気付いて行動してた
漢ってシステム的には他の六国の後継ではなく秦の後継王朝なんだよね

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 09:15:21.74 ID:Fn31HMYF0.net
保身チートの叔孫通先生も元々は始皇帝や胡亥のブレーンやってたからな。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 10:10:10.00 ID:aP2wfvTf0.net
>>846
そこは儒教色の薄い秦や劉邦に対応できた叔孫通が有能だとも言える

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 21:49:38.22 ID:cAce62jm0.net
4月12日までのpringのアプリ新規登録、せこい奴ばっかだね。
招待コード使って新規登録してもらうだけで、自分に500円入るのに謝礼しない奴ばっか。
俺は400円謝礼として送金するよ。

招待コード rguyen

上記の招待コード使って新規登録してみ。
俺はマジで500円もいらんから必ず400円送金するよ。
だから招待コード使って新規登録してくれた貴方には計900円が入って、即出金できるよ。

どうしても俺の招待特典の500円全部欲しい人は、pring内から連絡下さい。

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 17:37:50.83 ID:Zx8R3osa0.net
劉備は戦下手で部下頼りで頭も悪く気も小さい印象しかない
こんなのが天下取れる訳ないでしょ
曹操や孫権の方が有能なのは明白

劉備が凄いのは、趙雲、関羽、張飛が仲間にいた事だけだよ

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 17:38:53.99 ID:Zx8R3osa0.net
そもそも孔明なんて大した事ないからな
何も出来てない
周瑜の方が上

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 18:59:31.72 ID:cHhUzxeK0.net
劉備のすごさは生き延びる執念 妻子捨てても

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 19:05:31.42 ID:f14XpvP60.net
家族に酷薄なのは景帝の血筋やな

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 19:46:59.80 ID:Wf7srZBa0.net
>>850
唐の史家「孔明は10哲で周瑜は64将っと」

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 19:50:57.26 ID:Z4XCwvPZ0.net
>>853
だから何?
周瑜が文武両道の名将
孔明は参謀としても並
全く凄い箇所がない

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 19:54:14.94 ID:Z4XCwvPZ0.net
後付けで無理やり十哲に入れただけ
まず全然活躍してないだろ
孔明が十哲とか爆笑レベル
こいつ戦なんか全くできないのに名将とか吹くわw
参謀としても特に驚くべきとこもない
演義のフィクション間に受けたバカが
孔明がーとか言ってるだけ

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:07:05.65 ID:3SjGR2r20.net
演義が出来る前から諸葛亮は名将として評価されてるんですが

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:20:02.69 ID:8+7p0CwD0.net
>>856
戦出来ないのに名将だと思い込んでるのはお前だけだよ

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:20:28.35 ID:8+7p0CwD0.net
あれ、俺は853.854

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:31:38.66 ID:3SjGR2r20.net
>>857
晋の時代でさえ諸葛亮は名将と評価されてるぞ
そもそも当時の呉の人間で諸葛亮>司馬懿と評価している人間もいる

諸葛亮を名将と評価している人間は古今でたくさんいるのに
戦出来ないのに名将だと思い込んでるのはお前だけだよとか頭悪すぎる

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:35:31.54 ID:a7/K4/Qj0.net
まあ、日本人的感覚だと結果も出して無いのに名将扱いは違和感があるよな

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 20:36:58.77 ID:8+7p0CwD0.net
>>859
じゃあ何で名将なのか説明してみろアホ

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:00:28.62 ID:Wf7srZBa0.net
そういゃ周瑜って魏の名将クラス倒した事あったっけ?
関羽は于禁
劉備は夏侯淵
孔明は張コウ
きっと曹仁張遼クラスやっつけてくれてるんやろなあ

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:04:18.77 ID:Wf7srZBa0.net
そういや周瑜って天下二分の計を唱えてたけど実現出来たんだっけ?

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:09:39.66 ID:GZyQd27q0.net
>>856>>859
ん?
https://kusanomido.com/study/history/16761/

演義が出来る前から評価されていたならこんな記述になるのはおかしいな。
司馬懿に関しては国力もあって、孔明を退けてられたろうと俺も見てるから特に司馬懿が凄いとは思ってないな。

司馬懿と比べるなら圧倒的に不利な状況でも魏を攻めた孔明を褒めてやりたいくらいだ。
しかし孔明の実力で司馬懿にやられてしまわなかったという訳じゃなく、司馬懿は蜀を寄せ付けないだけでミッションコンプリートという見方があるから、特に孔明でなくとも攻める事は出来、尚且つ生還する事も出来ただろうと思えるんだが?

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:10:24.19 ID:9kqGX6n20.net
まあ晋の諸葛亮ageも「しばちゅうさんが野戦で勝てなかったから凄い」的な部分もあるけどね。

ただ馬隆伝や桓温伝に「諸葛亮の兵法書を応用した」って記述があるので兵法家としては名が知られてたんじゃ

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:14:59.02 ID:Wf7srZBa0.net
>>864
この記事を引き合いに出して笑える所は
思いっきり赤壁での呉の功績を否定してる所やな

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:29:43.89 ID:9kqGX6n20.net
>>864
元戎に触れてないの草

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:31:53.66 ID:Wf7srZBa0.net
>>865
北伐は何気に郡単位で支配領域広げたり王双や張コウと言った宿将殺したりしてるからね

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:32:34.05 ID:GZyQd27q0.net
>>865
その司馬懿が勝つ事を目的としてなかったという見方ね。
ただ諦めて帰らせれば良いと言うミッションなだけ。

ここを「司馬懿は蜀を壊滅させるために応戦したが、それは成されなかった」という正史に基づいた記述があれば孔明の評価も高いものになっただろうと思う。

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:42:58.50 ID:AokIzJm10.net
>>868
王双って演義はともかく正史じゃモブやぞ。

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:44:02.13 ID:Wf7srZBa0.net
>>870
せやったな
で周瑜先生はどの位の将を倒しなさったんですかね?

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:46:52.07 ID:GZyQd27q0.net
>>866

赤壁での活躍は周瑜であり孔明では無かったと言う意味であり、更に赤壁で魏を壊滅させた訳ではなく疫病により魏軍は帰還を余儀無くされたと。

つまり交戦し応じていたのは→周瑜
魏は敗戦というより疫病が原因
孔明はこの戦線で特に活躍はしていない

という明白な情報だと思うんだけど。

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:48:51.16 ID:Wf7srZBa0.net
>>872
なお魏サイドの記録は劉備と戦っていた模様

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 21:56:43.63 ID:GZyQd27q0.net
>>873

孔明は?

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:04:35.73 ID:Wf7srZBa0.net
>>874
周瑜が南郡に一年掛けてる間に
劉備が制圧した4郡と江夏の統治に入ってたやろな

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:07:46.24 ID:GZyQd27q0.net
>>875
で、孔明は将としても軍師としても活躍はしてないって事でいいの?

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:09:10.78 ID:Wf7srZBa0.net
>>876
荊州時代はそんなもんよ

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:11:08.95 ID:Wf7srZBa0.net
言うて周瑜の南郡攻略もめっちゃ劉備軍と協力しとるんやけどな

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:22:10.41 ID:Wf7srZBa0.net
実は赤壁で呉が得た土地は南郡ぐらいなんだよね
北の南陽は曹操が死守して南の大部分は劉備が押さえちゃったという顛末
もしかすると周瑜はこの顛末に納得いかなくてイライラして病気になっちゃったのかもね

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:26:17.41 ID:3SjGR2r20.net
>>862普通に曹操と曹仁に勝ってるだろ周瑜
殺すか捕まえるかしないと勝った事にならないとか名将じゃないとかやったら
名将はほとんどいなくなってしまう

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:26:47.73 ID:X35AvyfN0.net
周瑜

立派な風采をしていた。知略・武略に優れており、その才能は曹操や劉備からも恐れられるほどであった。実際に曹操は蒋幹を使者として周瑜の引き抜きを図り、劉備は孫権に虚言を述べて、孫権と周瑜を離間させようとしたが、いずれも失敗に終わっている。

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:27:22.64 ID:KhuqlJ5C0.net
>>880
ちな劉備との共同やで

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:28:41.83 ID:3SjGR2r20.net
>>864学者でも無いこんな素人のブログを参考にするとかアホだろw

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:29:19.41 ID:KhuqlJ5C0.net
>>881
まあ呉の関羽といったところやね

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:30:26.44 ID:3SjGR2r20.net
>>884ほぼ負けばっかりの関羽と一緒にするのは周瑜がかわいそうだわ

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:31:58.47 ID:X35AvyfN0.net
関羽、趙雲、張飛の中で一番強かったのは関羽なのかね
趙雲好きなのに・・

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:32:27.24 ID:KhuqlJ5C0.net
>>885
魏も呉も欲しがった人材って書いてるんやから同じやろ
しかも関張は萬人の敵という名将評価付きや

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:34:43.34 ID:KhuqlJ5C0.net
>>886
蜀の中じゃ関張が同時代の評価でも飛び抜けてる
上の武廟64将入りしてるのも二人

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:35:57.21 ID:KhuqlJ5C0.net
>>880
これで言ったら
劉備なんて凄い事になるで

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:36:41.79 ID:cHhUzxeK0.net
>>882
劉備「張飛と千人の兵貸すからそっちの兵2千人貸して」
周瑜「つまりうちから千人補充してくれってことかね」

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:38:43.74 ID:KhuqlJ5C0.net
>>890
何処の記述にあったっけ?

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:38:58.62 ID:XN0oDZP10.net
>>885
いうても周瑜の勝ちも赤壁の勝利とその余勢を駆っての江陵攻め以外は小物相手ばっかやないか
大物食いしたのは関羽とそう変わらん

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:39:37.53 ID:X35AvyfN0.net
>>888
やっぱりそうなるよね・・

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:41:28.74 ID:KhuqlJ5C0.net
>>893
趙雲は蜀入りまで親衛隊長みたいな感じやったからね

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:41:43.27 ID:cHhUzxeK0.net
>>891
周瑜伝の中の呉録の注

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:41:45.44 ID:3SjGR2r20.net
>>892周瑜はほぼ負け無しなのに対して関羽は負けすぎ
劉備も負け多いがそれと同じぐらい勝ちも多いし得たものも多いから名将と認めれるが関羽は無理

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:45:02.47 ID:KhuqlJ5C0.net
>>896
周瑜は中原の軍と戦ったのが
劉備と共同の赤壁辺りが最初で最期やからなあ

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:45:10.67 ID:LS+D/Vvh0.net
>>883
お前は何を言ってるんだ?そのブログ上にあるのは「正史」から引用してるものだぞ
バカはお前だwwww

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:47:23.44 ID:LS+D/Vvh0.net
しかし見てると演義しかしらないバカが紛れ混み過ぎだな

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:51:01.96 ID:KhuqlJ5C0.net
>>895
完全呉の記述か…

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:52:41.93 ID:cHhUzxeK0.net
先主伝の本文だけだと劉備が南郡攻め(対曹仁)に参加したという記述はない。
周瑜が一年かけて曹仁と戦ってる間、劉備は劉埼を旗頭に据えて南荊州を討伐してた。
蜀側の記述が薄っぺらいので、呉録や江表伝など呉側の記録で裴松之が補足してる。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 22:56:19.92 ID:3SjGR2r20.net
>>898素人のブログで良いなら正史の史料を使って諸葛亮を名将として評価してるの普通にあるぞ

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 23:06:29.97 ID:66vkJE0O0.net
正史では諸葛亮の名将ぶりなんて全く触れられてもない
政治面は高く評価されている
孔明が名将だなんて言ったらフィクション三国志ファンと鼻で笑われる

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 00:16:50.50 ID:9Qy+Rjfp0.net
司馬懿「諸葛亮は天下の奇才」
張儼「諸葛亮>司馬懿」

まあ陳寿の三国志には諸葛亮を名将として評価するような言葉は無くて諸葛亮を名将として評価するものって他の史料にあるものだから
陳寿が諸葛亮の軍事能力を評価して無かったのは確かだろうけどね

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 01:26:26.84 ID:LnTdSLMv0.net
>>890
これは張飛が1000人の力は無いよ、と言いたかったって事?

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 01:28:02.93 ID:LnTdSLMv0.net
>>904
陳寿の、って言うか最も正しいと認められた書物が正史と呼ばれるんでなかったっけ?
他にも正史って存在するの?

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 02:42:29.23 ID:uU7/8VQR0.net
陳寿の「臨機応変に欠ける」を拡大解釈してて草

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 04:14:25.20 ID:grWW4mQm0.net
>>905
周瑜が関羽と張飛を高く評価してるからそれは無い

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 08:57:57.30 ID:NWMmzlMZ0.net
>>901
ホウトウ伝に南荊州は呉の協力が有ったから取れたってある
この時期の劉備は拠点を持ってないから後方支援は孫権頼りなんだろう

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 09:01:35.36 ID:V7a34OC90.net
兵隊はともかく物資は孫権からおかわりしてるはずだからな。
曹仁が江陵にい座ってるから物資の補給は自力で賄えないし

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 09:13:39.58 ID:NWMmzlMZ0.net
>>873
そりゃ魏と呉の視点が違うのは当たり前だろ
曹操は劉表の荊州制圧戦からの劉備討伐で呉が出てきた形だから
周瑜だけが活躍しても主は劉備になるだろ
呉は劉備関係なく曹操との戦争なんだから記述が違って当然
君は史書の読み方がおかしいよ

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 09:20:07.50 ID:V7a34OC90.net
なぜ紀伝体の形式にしてるかわかってなくて草

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 11:26:19.87 ID:NWMmzlMZ0.net
>>890
この交換って結構エグい奴だよ
劉備からすれば喉から手が出るほど欲しい輜重隊
周瑜は劉備相手にマウンティングで下に見る行為
結局これが後の荊州租借問題に繋がるのだから劉備は好き勝手にしてた訳じゃないよ

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 12:31:13.25 ID:Q1ZG3LzS0.net
>>913
まあ結局魏と協力して力ずくで奪うんやけどね

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 12:51:33.20 ID:NWMmzlMZ0.net
>>914
協力しなくてもあっさり南荊州は取り返してるぞ
つーか、蜀は南群の重要性が理解していないから関羽は空にするし劉備は夷陵の戦いで魏の三方戦を呼び込む愚を犯すのだろうな

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 13:32:41.10 ID:Q1ZG3LzS0.net
>>915
あっさりどころか劉備本体が蜀にいる間に魯粛と呂蒙の二軍使ってるけどね

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 13:46:39.25 ID:Q1ZG3LzS0.net
結局荊州は東西分割で一度まとまった訳だけど呉の荊州への執着を蜀の首脳陣が甘く見過ぎてたのは確かやろね
呉からしてみたら蜀が荊州の半分を保持したまま涼州関中辺り抑えたらまずいやろうしね

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 14:07:40.74 ID:NWMmzlMZ0.net
>>916
劉備は公安に居るだろ
リョ立伝にも出てくるぞ

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 14:13:08.26 ID:Q1ZG3LzS0.net
>>918
呉に対応して公安に出兵だったはず
というかこの時期に公安にいれる訳無いやん

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 14:49:03.10 ID:Cah3Dc680.net
劉備は天下を取る器量が無かったんだろうな
武力だけ見たら強いのにな
劉備の指揮官としての能力が微妙なのと、有能な軍師がいなかった事が致命的

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 15:03:24.92 ID:NWMmzlMZ0.net
>>918
スタートに居ないだけで荊州戦の最中に劉備は居たの居ないのどっちなの?
それにその理屈なら諸葛亮は常に司馬懿の留守中に攻め込んだって事?
留守番役の関羽も馬鹿にしてないか?

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 15:04:11.94 ID:NWMmzlMZ0.net
>>919
スタートに居ないだけで荊州戦の最中に劉備は居たの居ないのどっちなの?
それにその理屈なら諸葛亮は常に司馬懿の留守中に攻め込んだって事?
留守番役の関羽も馬鹿にしてないか?

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 15:12:20.40 ID:C1JeruAH0.net
一大勢力を築いた時には既に機を逸していたからなあ
ワンチャンあったのは徐州時代ぐらいじゃないか

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 15:20:10.37 ID:Q1ZG3LzS0.net
>>921
奪われた後で到着して膠着やね
そもそもこの時点で本気で取り返すつもりないやろうしね
北伐は孟達の件で分かる通りそれこそ司馬懿が居ない時にやりたかったやろね
関羽を動けなくする為に呉は二つ軍を発したんやから馬鹿にするも何も無いやろ

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 15:21:20.71 ID:Q1ZG3LzS0.net
>>923
普通に関中奪取直後はチャンスだった
ただし呉が裏切らないという前提が必要

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 16:10:14.48 ID:Ei+fnDIs0.net
結局呉が魏より蜀を優先して攻めてる時点で無理

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 16:23:41.87 ID:MOX+NCJ50.net
>>926
劉備も孔明もなんだかんだで中原志向やから呉の特殊なお家事情への理解が薄かったんかもな

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 17:05:54.49 ID:NWMmzlMZ0.net
曹操が死んだ直後に夷陵で無く長安に攻め込めばワンチャン合ったけどな
結局、劉備は中原思考では無いし
曹丕に時間を与えて魏を安定させてしまった

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 17:17:39.44 ID:MOX+NCJ50.net
>>928
魏は呉と違って曹操から曹丕への引き継ぎはかなりスムーズやったから夷陵以上の自爆的なギャンブルは無理無理
なおその後呉が荊州持ってても魏に遷都を考えさせる様な圧力を掛ける事は無かった模様

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 17:47:47.08 ID:NWMmzlMZ0.net
>>929
引ける長安攻めより引けない夷陵攻めの方が遥かにギャンブルだろ

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 17:51:39.33 ID:MOX+NCJ50.net
>>930
漢中から長安こそ引けない
夷陵は後の晋を見れば分かる通り水軍準備が無さ過ぎた
まあ劉備の年齢的に時間が無かったんやけどね

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 17:53:08.68 ID:NWMmzlMZ0.net
>>924
呂蒙伝読んで無いな
カク普攻めた時に劉備は公安に居て関羽は益陽に既に陣取ってる
だいたい、二軍で攻めたって
蜀と呉の兵力を理解してる?

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:07:23.08 ID:MOX+NCJ50.net
>>932
そりゃ呂蒙伝だけなら呂蒙の動きのみになりがちや
その時は孫権自ら出張って関羽に対して魯粛と甘寧差し向けてる

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:29:20.00 ID:NWMmzlMZ0.net
>>933
だから

>>924
>奪われた後で到着して膠着やね
は間違いないだろ

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:36:42.27 ID:MOX+NCJ50.net
>>934
だから最初からそう言ってるやん
そもそも関羽は公安から離れられず劉備の後詰めがあって初めて出れる
そして孫権が劉備を牽制しつつ関羽に対し魯粛と甘寧を送った形やね
先手を取ってる上距離のある南部を攻略してる呂蒙に対応できる訳無いやん

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:41:07.07 ID:NWMmzlMZ0.net
兵力は関羽の方が魯粛&呂蒙より多いのに手も足も出てないだよ

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:43:44.43 ID:MOX+NCJ50.net
>>936
なんやすぐ後ろまで出張ってた孫権は兵を率いて無いんか?

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 18:46:02.47 ID:MOX+NCJ50.net
あと本格的にぶつかる前に
おそらくは魯粛が中心になって和議を結んだ結果が東西分割や

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:05:47.07 ID:N0UB0NH20.net
曹操>孫権>>劉備
だっただけでしょ
家臣の力量含めて

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:17:21.42 ID:9Qy+Rjfp0.net
>>906陳寿の三国志が正史として認められてはいるが
陳寿が採集した史料だけだと足らないし分からない事も多いので裴松之による注訳も含めて三国志は研究や考察がなされている

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:19:20.33 ID:9Qy+Rjfp0.net
>>920益州を奪って漢中で曹操や夏侯淵に勝った事を考えると劉備は普通に指揮官として優秀だと思うわ
まあ負けも多いけどね
後、法正は普通に有能な軍師だと思うわ

ホウ統は割と微妙

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:21:29.87 ID:9Qy+Rjfp0.net
>>939個人的には曹操>劉備>孫権だな
孫権は2代目、あるいは3代目みたいなもんで父と兄の遺産も大きかったからな
曹操も割と祖父の力が大きいし
ほとんど自力な劉備はその点では凄いと思うな

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:23:05.10 ID:MOX+NCJ50.net
>>939
まあ典型的な演技アレルギー症状なんやろね

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:27:29.52 ID:9Qy+Rjfp0.net
>>928劉備陣営の人材がほとんど荊州の人間ばっかだったから
荊州は取り返さないと駄目だったんだろう

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:33:19.97 ID:N0UB0NH20.net
>>940
おいおい
裴松之のデタラメも取り入れた三国志が
演義の元になってるんだよ

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:35:03.76 ID:N0UB0NH20.net
>>943
ブーメランすぎて笑ってしまったわ

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:37:28.76 ID:N0UB0NH20.net
>>943
君さぁ演義こそが
蜀のファンタジー物語だとわかってそれ言ってるのか?

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:41:51.77 ID:MOX+NCJ50.net
演義は孫権晩年の醜態を描いていないから
アレルギー患者は蜀sage呉ageに走りやすい
典型的な症状

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:44:01.14 ID:N0UB0NH20.net
>>948
晩年の一部の醜態でそこまで大きく評価なぞ変わらん
なんか言ってる事無茶苦茶だな

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:54:50.64 ID:MOX+NCJ50.net
>>949
ホンマそれ言ってんの?
二宮で死んだ人材は夷陵の比じゃないし
生き残って後時を託された人物の災禍は黄皓の比じゃないんやで

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:56:10.95 ID:N0UB0NH20.net
>>950
とりあえず
演義見て一人でおかしな蜀妄想してなよ

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 19:58:25.61 ID:MOX+NCJ50.net
>>951
加えて言えば孫権は創業の人じゃない
とりあえず捨てゼリフ言う暇があったら
少しはアレルギー直しておこうぜ!

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 20:33:36.53 ID:N0UB0NH20.net
>>952
自分に言い聞かせてんの?
とりあえず演義見て勘違い引き起こして恥晒してるだけだから黙った方がいいよ

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 22:07:51.99 ID:9Qy+Rjfp0.net
>>945裴松之の注釈が全部デタラメとか物を知らなさすぎるわ
ガセな史料も中にはあるが多くの学者が陳寿の本文だけでなく裴松之の注釈を元に三国志を研究しているんだぞ

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 22:24:48.41 ID:qlm6lLJR0.net
裴松之が膨大な注釈を入れてくれたおかげで、今は散逸した当時の史書の一部が
読めるわけやからね。裴松之さんには感謝しかないぜ。
ただ、なぜ捜神記や抱朴子や神仙伝やらのヨタ話からも注入れてるのかw面白いけどw
だいたい蜀側の記録が少なすぎるわ。諸葛亮、なぜ史官置かなかったし。

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 22:46:26.37 ID:7EoiXaRuO.net
史書って元々霊験談なんかも含むからな。
非現実的なことは取り入れない、なんて偏狭なものじゃない。
史記のような高いグレードを三国志にも求めれば取り込みたいネタは多いだろう。
史書が歴史の真実を伝えるものではないと知っているインテリなら恣意的な情報操作もやるだろうな。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 23:26:33.01 ID:6DDAQ5sq0.net
>>954
三国志に関して裴松之が信憑性が高い低い問わず盛り込んで作られたものと言うのは事実だよ。それが三国志演義の前身的なものなのも確か。

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 23:46:49.00 ID:dE9z9wHH0.net
劉備がいなれれば、曹操が中国統一しただろうと思う。
曹操がいなかったら劉備がどうなったかはわからないけど。

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 00:26:31.84 ID:+h/EJ55C0.net
>>957信憑性が高いと思われるものは史実として扱われているのも確かだな

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 00:41:05.30 ID:cIDVdXxe0.net
>>953
演義に二宮の変が詳細に書いてあるのかよw

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 00:45:46.44 ID:0H+PVnIW0.net
>>955
「蜀記」みたく呆れて何度もツッコミ入れてるのもあるけどあれも当時の世評や空気を知るって意味では貴重な記録。
つかこの時代資料が少なすぎるんだよね。北宋とか個人的な手記とか大量にあるからクロスチェックできるけど

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 00:50:09.19 ID:0H+PVnIW0.net
>>956
「当時に確実にあった事を客観的に書く」って発想がそもそもここ100年で近代主義が定着してからの発想だからね。

それ以前はオカルト的な霊異端も大真面目に学者が語ったりするとかは全世界的にデフォやし

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 01:11:27.76 ID:0H+PVnIW0.net
>>955
史官がないだけじゃなくて所謂「顕彰本」も「趙雲別伝」だけで殆ど出てないもんな。

基本的に蜀に関しては陳寿と師匠の譙周の関係者だけが発言権持ってて他の連中が沈黙してる印象。
(季漢輔臣賛の作者も譙周の友人だし)

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 04:11:00.69 ID:Vyw5pfYo0.net
裴松之の娯楽本を有り難がってる時点でお察し
演義だのゲームから入ったオタクってすぐ分かるよな

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 09:28:47.42 ID:43rypydi0.net
>>937
後詰めの話なら劉備も計算に入れろや

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 11:40:45.16 ID:3QE3S7MN0.net
>>965
孫権に劉備
魯粛甘寧に関羽
関羽が分身すれば同時に呂蒙に当てれるな

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 12:30:28.33 ID:43rypydi0.net
五万ほどの援軍が劉備一人な訳が無い
三万の関羽軍で五千の別動隊を割ったのたから魯粛とにらみ合いした二万五千を率いた武将がいるわけど
そんな武将は張飛クラスしか出来ないよ
馬超伝の記述の関羽と張飛に叱られたエピソードを益州では不可能と否定してるけど
援軍に来たときと考えると荊州に張飛と馬超が居たことになるな

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 12:48:05.50 ID:3QE3S7MN0.net
>>967
夷陵すら知らんのか
どのみち呉が先手を取られてるんだから魯粛甘寧を討ってから呂蒙に当たるやろ
んでそういった戦闘展開が開始する前に魯粛主導で東西分割の取り決めを行った流れや

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 12:54:56.86 ID:3QE3S7MN0.net
>>968
呉が
じゃなく
呉に
やな

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 12:55:49.73 ID:43rypydi0.net
>>968
黄権、呉範と当時の武将のトップクラスがいる夷陵がなんだ?

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 12:59:47.94 ID:3QE3S7MN0.net
>>970
なんで張飛クラスと言いながらアッサリ前言を翻すのか
そしてなんで兵力分散の愚を自ら晒すのか

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 13:00:04.75 ID:43rypydi0.net
>>968
甘寧から関羽が逃げたから戦争が起きなかっただけじゃん

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 13:03:11.38 ID:3QE3S7MN0.net
同じ事は孫権にも言える訳で
呂蒙や魯粛に兵を分けたからといって本隊の孫権が完全にスカスカな訳がない
劉備側としては呂蒙が南に分散してる状況を利用して各個撃破狙うに決まってるやろ

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 13:05:35.79 ID:3QE3S7MN0.net
>>972
お互い進出してるのに何言っとるんだ?

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:12:15.80 ID:43rypydi0.net
>>971
黄権は四鎮将軍で当時の張飛より格上なんだけどな
それに張飛も暗殺されなければ夷陵に参戦しているんだが

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:16:14.01 ID:43rypydi0.net
>>974
関羽が出陣してから呂蒙はカク普攻めを手紙で指令されてる
時間的に余裕が有るから魯粛に手が出なかったんだよ

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:26:53.76 ID:Nmy2uB3B0.net
>>975
ああスマン
劉備配下に張飛馬超辺りがいてもおかしくないわな
だからといって無駄に兵を分散してどうするんや?

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:32:19.53 ID:43rypydi0.net
>>977
相手の分散に各個撃破も出来ず蹂躙されただけということがやっと理解出来たのか

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:34:29.38 ID:Nmy2uB3B0.net
>>976
そりゃ関羽を抑える為の魯粛と甘寧やし
焦って手を出して簡単に勝てる相手でもないやろ
なんや?結局関羽が魯粛甘寧呂蒙とバッタバッタとなぎ倒さなきゃ認めないって話なのか?

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 15:42:26.71 ID:Nmy2uB3B0.net
>>978
そもそも色々外交的に問題のある係争地とはいえ婚姻結んでる同盟相手やからな
劉備の荊州本拠の公安以外にどれだけ兵を置いていたのかが不明な状況や

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 17:32:17.40 ID:43rypydi0.net
>>979
いや、当たり前だろ
劉備が本拠地に入って守りが磐石な状態で零陵救出で
魯粛呂蒙より多い兵数を貰ってるのになにも成果が無いんだぞ
それに外交を気にするなら関羽は国境荒らしなんてしないよ

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 20:30:49.83 ID:2NELO6V20.net
>>977
関羽が兵を分散してる事さえ知らないのか

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 22:58:06.89 ID:+h/EJ55C0.net
>>963史官は蜀に実はあったんじゃねとは言われてるな
後主伝に普通に史官がいる記述があるし、華陽国志に史官の役目を持った役職の東観郎がいた事が書かれてたりと
史官がいたと思われる記述があったりする

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 23:14:12.33 ID:cIDVdXxe0.net
>>976
孫権に関羽来たし劉備の動きも速いから零陵は諦めて撤退しろって言われたけど無視して居座って
郭普を騙して城を開かせた後、こんなに近くまで来とったんやでw って煽ったんじゃなかったか

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 03:53:19.69 ID:WaXrHBUt0.net
まあ劉備が無能で弱かったというだけ
駒は良いの持ってたんだがな
その駒も将としては無能で、あくまで兵士として武勇に長けていた止まりの話だけどな

何から何まで劉備だけが他二人に劣りすぎなのよ

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 04:03:53.51 ID:WaXrHBUt0.net
あと諸葛亮とか言う超絶バカな
戦に関しては女以下の無能
普通、どんなに低知能でも2〜3度もやれば力量という物が推し量れる
それを5度も繰り返し、結果成し遂げられてない時点で異常なまでの無能
力量も戦局も戦略も何もかも思考停止状態で、ただただ攻め込むという猿以下の知能しかないからこういう奇行を犯す

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 07:15:07.88 ID:YeCpi+gM0.net
諸葛亮って
三国志初心者(演義やゲームに触れたくらい)→孔明スゲー!
中級者(関連本とか読み出す)→政治家としては一流だけど将としては無能(キリッ)
上級マニア(正史や文献を調べ出す)→将軍としても優秀な蜀の大黒柱
って感じに評価が変わっていく感じ

劉備も、三国志マニア度が高いほど将軍として評価する人が多いように思う

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 07:20:29.12 ID:RFA23TCc0.net
劉備は戦乱のドサクサ紛れとは言え若くして(しかも地方からの叩き上げで)豫州刺史に認められているのは凄いと思うわ

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 07:42:29.18 ID:OTkomcsf0.net
劉備の方が「乱世の奸雄」っぽいよなぁw
気の荒さもあって平時じゃ芽が出ないタイプ。

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 07:59:15.13 ID:OZtXDoeU0.net
>>981
お互い後詰めの距離が近く川を挟んで陣取ってて力攻めは難しいわな

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 07:59:40.55 ID:OZtXDoeU0.net
>>982
それは後詰めの劉備との距離間の問題やぞ

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 08:04:01.81 ID:OZtXDoeU0.net
>>985
なお対峙してる間に関羽に後方撹乱の反乱仕掛けられている模様
曹操の関中侵攻が有ったにも関わらず呉は占領した三郡の内一郡を劉備側に渡して和睦してるのがかなり不自然なんだよね

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 08:12:15.04 ID:OZtXDoeU0.net
>>981
荊州に関する呉の関羽関連の記述はかなり無理筋が多い
例えば仮節しか持ってない関羽に対して君主である孫権が婚姻を求めて断る話
これ普通は有り得ない話なんだけど事実が含まれるとして唯一あり得るのは呉の引き抜き工作を拒否したケース
関羽が普通に断ったのを史書上で関羽側に責任を押し付けたと考えれば辻褄が合うんだよね

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 09:32:55.66 ID:X+0O7jSm0.net
>>993
普通に有り得る話なんだが
つーか、根本的に孫権も劉備も関羽も漢臣だからな

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 09:40:22.19 ID:OTkomcsf0.net
むしろ劉備や関羽は漢王朝の官位や爵位持ちなのでそれが孫権への軽視につながったんじゃ。

赤壁の時点で孫権は群太守と雑号将軍で爵位も関内侯ですらない。
そりゃ小僧扱いするわな

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 10:36:25.73 ID:X+0O7jSm0.net
>>995
しかしこの時期の孫権は車騎将軍
しかも劉備達は自分等で推挙してるから孫権の軽視は漢王朝を軽視してる事になる

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 12:04:26.22 ID:Hg8VIibz0.net
劉備「俺が推挙したから車騎将軍になったんだから孫権は劉家の故吏な」

こんな認識だったんじゃね。

袁紹が韓馥から冀州ガメた時もこんな感じだったし

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 12:20:24.54 ID:wPe6SjNR0.net
>>994
その認識なら個人的な交渉で外交関係なくなるわな
単なる孫権の逆恨みになる

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 12:20:35.35 ID:X+0O7jSm0.net
>>997
左将軍の劉備だからそれは無理

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 12:33:45.52 ID:wPe6SjNR0.net
関羽って確か官渡の功績で爵位持ちだから普通に孫権より偉いんだよな

1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 12:34:38.84 ID:wPe6SjNR0.net
孫権って魏に降伏する迄は漢の中じゃ雑魚なんだよな

1002 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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