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五胡十六国南北朝を語るスレ18

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 21:35:52.94 ID:mgVxq7QO0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ17
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1649490148/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/10(月) 06:40:34.48 ID:bMpZAKI20.net
五胡十六国、南北朝、五代十国についてはその国や建国者は一応広辞苑だとかの分厚い辞典の項目に普通にあったりするよね。
国なら何年に建国、何年に誰に滅ぼされた、建国者なら生没年と何々を建国したという事実が短く書かれているだけだが。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/10(月) 07:06:35.87 ID:aKpP/Qs20.net
>>200
完顔阿骨打をペンネームにした漫画家は中国史に詳しいのだろうか。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/10(月) 08:53:37.95 ID:r6twHlGu0.net
海陵王のほうがエロマンガのペンネームに相応しい気が

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/10(月) 10:14:07.80 ID:HdYPCgjU0.net
>>190
朝廷風の店内で店員が漢服着て接客する
メイドカフェならぬ中華カフェがあったら行きたい

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
出歩けよヒキニート

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>204
裾引っかかる人続出しそう


https://i.imgur.com/aZuTkle.jpg

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ヒキニートってタングートっぽい

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>204
チャイナ服でないところが通ですね

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>208
チャイナ服は胡服
まだ十二単の方が漢服に近い

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
チャイナ服(胡服)本来はズボン履いてるからな。
騎乗前提だから

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>210
趙武霊王「せやな」

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
日本の朝服は随や初期唐からの輸入なので漢服よりむしろ胡服に近い

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>203
海陵王は南斉にもいるじゃないか

もしかして金は南斉の海陵王を意識して貶諡を付けたのかな
海陵って字面はよさそうなのに

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
パリピ孔明見てて思ったけどあの裾は地面についてるからクリーニングしてもすぐ汚れるな

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/11(火) 16:35:13.23 ID:Ft5IA59W0.net
>>213
海が入るとあまり良くない感が
西漢の海昏侯劉賀とか
海陵でなく蘭陵ならイケメン有能ぽくて最高

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/12(水) 16:17:41.66 ID:GcIZ6jv00.net
南斉の海陵王と金の海陵王は全然違うタイプなのに

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/12(水) 17:18:39.08 ID:M/pa9A+b0.net
金の海陵王って失敗した孝文帝って感じ

孝文帝以上の漢文化への耽溺や首都を中都(ハルピン市)から燕京(北京)へ移転したり儒教的な序列をベースにした君主権の強化とかけつこう被る

南宋への強引な遠征も今で言うところの貿易赤字解消(南宋の貢納入れても貿易収支が大赤字)だし今で言ったらプーチンのウクライナ進行と似たようなもん

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/13(木) 00:22:37.12 ID:GeTg21Hn0.net
北魏の孝文帝は金の海陵王みたいな
性格破綻者でレ◯プ魔ではないので
引き合いに出すのは可哀想

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>218
その乱行も誇張なんじゃね。2代連続で似たキャラ(先代の熙宗も即位して暫くして暴君化)とか北斉でもみない。

五胡で言うと苻生の「街行く人兄妹に性行為を強要した」とか東昏侯の「街行く人を馬で踏み殺した」的な胡散臭い暴君描写

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/13(木) 07:15:37.96 ID:mpxX2pc00.net
孝文帝はやはり漢化政策が高校世界史でもかなり尺を取ってやった記憶がある
だからこれに関する論文はわんさとヒットするな

でも、「文」が強調されてるせいか孝文帝南伐はあんまり知られてないよね
金海陵王の60万での南宋征服作戦→失敗、もあんまり知られてない
これも四川を抑えなくて江南を力攻めで取ろうとすると失敗する、の好例なんだけど

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/13(木) 08:28:01.58 ID:LiNQh0TH0.net
四川から姚萇を向かわせてたのに失敗した苻堅さんの話はよすんだ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/13(木) 08:45:04.42 ID:mpxX2pc00.net
だから苻堅様はその例外

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/14(金) 01:50:49.32 ID:J484F8sh0.net
前秦は四川を制圧してないだろw
むしろ東晋軍というか西府軍に押し返されてたし、漢水流域でも押し切るどころか反撃されてる
西晋や隋が確保していた長江上流~中流の制水権を、前秦は手に入れられなかったんだよな
だからこそ苻堅は建康の対岸から攻めこんで一挙にけりをつけようとしたわけで

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/14(金) 04:33:31.54 ID:bqzHLK360.net
曹魏→西晋⇒統一(孫呉)
北周→隋⇒統一(陳)

とこのパターンは二度繰り返されてるな
前秦も似ているが確かに四川の領土制圧部分がこれらに比べて浅い

前秦が華北統一後滅びなかったらその後に苻氏を簒奪したやつがしそうだ
そうだとしたらそれは誰だったんだろうかね

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/14(金) 08:24:55.87 ID:5yIv8YsW0.net
×(陳)
〇(陳陳)

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/14(金) 16:10:36.04 ID:2oBsmOME0.net
淝水の戦いについて、そこに至るまでの経緯が詳述された本ってまだ出てないんだよねえ

227 :221:[ここ壊れてます] .net
俺が言いたかったのは
苻堅さまのグランドデザインそのものは間違ってなかっただろ、
うっかりどこもこけただけで、という話なのだがな

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/15(土) 01:33:17.88 ID:c2lHxK4p0.net
>>224
もう一つ
金→元⇒統一(南宋)
も襄樊よりも先に四川陥落してるから近いパターン
西漢は江南四川ほぼ空気
東漢は江東江南ほぼ空気で
この時代までは統一の方法が違う時代だった

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
苻堅敗北後の苻丕、苻登の戦いぶりと対策の打ち方を見ると
最初の瓦解を避けられたら華北統一の維持は何とかなったんじゃないかと思うけどな
苻融が戦死したのは痛いが、苻丕と苻登も能力的にもなかなか

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
色々やらかしてるけど苻堅自体は民や兵からは慕われてるから失地回復の可能性は少なくなかったと思う。

今で言うところの明石市長みたいなもんで、周りには恫喝パワハラ姉弟丼でもそれ以外の人間には慈悲深い名君な訳で

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>230
明石市長はパソナのラジコン議員の存在を暴露したから引退まで叩かれたわけであり、苻堅自体がそこまで名君だった理由付けにはならない
最盛期に人口2300万人いたといえど、統治時期からして前趙後趙時代のレガシーが活きた結果だし

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/15(土) 09:42:59.77 ID:nvJnr0aB0.net
前秦が中華統一を実現したとしてそこそこ長く続いたか早々に瓦解したかはわからない。
後者になり後は史実の流れに近づいていったのではとは思うが。
前秦が短期でも統一を果たしていたら、始皇帝のあの秦を前秦、俺たちが実際に前秦と呼んでいる秦を後秦と呼ぶことになったんだろうか?
その後史実通り姚氏が秦を建国したら何と呼ばれたんだろう?
西秦は西秦だろうけど。
どうでもいいことを長々とスミマセン。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/15(土) 09:56:28.13 ID:7fTrKqyS0.net
>>232
嬴政(始皇帝)の秦→嬴秦
苻堅の秦→苻秦
姚萇の秦→姚秦
乞伏国仁の秦→乞伏秦
薛挙(隋末の群雄)の秦→薛秦
朱泚(中唐の群雄)の秦→朱秦
これでいこう!

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/15(土) 13:56:23.71 ID:64s4o3Pe0.net
>>233
虚除権渠「」
句渠知「」
張琚「」
竇衝「」
楊難当「」
莫折念生「」
李守貞「俺だけ五代十国の秦でスレ違いでスマソ」

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>234
庵野秀明監督作「シン・秦王朝」

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>234
虚除権渠の秦→虚除秦、西戎秦
句渠知の秦→句秦
張琚の秦→張秦
竇衝の秦→竇秦
楊難当の秦→楊秦or仇池秦
莫折念生の秦→莫折秦

五胡十六国時代の秦人気に嫉妬w

李守貞「五代十国時代でも人気ですよ!」

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/16(日) 08:06:48.73 ID:7E0dKkp00.net
ただ地域としての秦しか考えてなくて、
秦始皇のイメージとか、秦が始皇以降すぐ滅亡してしまったこととか
長持ちすること考えたら縁起が悪いっていうような認識はなかったんかな

…華北限定で苻堅=始皇としたら苻丕、苻登、苻崇と三代で滅亡が苻秦も似てるぞ
もっとも苻堅後の苻丕と苻登の戦いぶりも存続期間も嬴秦よりは上

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>237
今も使われてる支那、チャイナの語源は秦(シーナ)だから
早期滅亡王朝とかワントップ型の腐敗国家とかいう内情よりも相当ネームバリューはあったと思う
主に対外的に

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/16(日) 09:30:00.40 ID:WX/OEbPs0.net
>>238
漢もネームバリューはあるけど、「非」漢民族系の王朝創始者は名乗りにくかったんでしょう。
一方の秦は、春秋時代は中原諸国から蛮夷扱いされていたけど最終的には天下統一したから、非漢民族の皆さんは強いシンパシーを感じたのでは?(統一後短期間で滅んだのはさておき)

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/16(日) 11:58:04.89 ID:LQYics6I0.net
羌や氐だと旧秦地域(春秋戦国時代)なので
国名に秦を選ぶ確率高い感が

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/16(日) 14:13:41.55 ID:YA/kwkN00.net
七雄の中で韓だけ後世使われないのは
やっぱり隣の半島のイメージに塗り替えられたせいなのかな
由来から言えば長安のすぐそばの韓原
歴史から言えば七雄の韓、と
関中、中原どちらの国も採用できそうな名前なのに

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/16(日) 14:22:52.32 ID:GZ4GNNVJ0.net
七雄でも最弱の国だったけれど、たまたまじゃないの?
韓王になった皇族や韓国公になった功臣は後に何度も出てくるわけだし。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
慕容垂が島津義弘としたら
淝水では捨てがまりをすべきだったわ
苻堅を殺すでも、苻堅を助けて故地に帰るでもなく

慕容垂、「敗れたか…突撃じゃああ」
それでも東晋軍は8万で慕容垂軍は10万だからなあ
南北の君主と将が一堂に会してるんだから絶好機だろ

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/17(月) 20:02:52.30 ID:56OpzeBV0.net
>>243
そんなことしてる間に苻堅が東晋軍の追撃で殺されるぞ

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>242
たまたまと言えないぐらい韓は忌諱されてる感が
この時代で韓王だったのは拓跋安平ぐらいしか思い浮かばない
唐以降は増えて特に明では韓王だらけなんだが

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/18(火) 09:39:06.01 ID:UuMR73N60.net
>>244
苻堅が東晋軍の捕虜、って線もあったと思うけど、
土木の変ってよく考えたらよくあれで済んだなあって思うわ
領土の割譲やら皇帝が殺されるどころか抑留(金から宋徽宗とか)さえされなかったんだから

あそこで苻堅を捕虜か戦死させたとして、東晋が華北に反攻までできるかといったら難しい気がする

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>246

エセン「おう腐れ漢人ども。お前らの皇帝を捕虜にしたで。お友達料金(朝貢に対する恩賞)払えや」

于謙「だが断る」
于 謙
エセン「お…おう(アカン殺したらさらに態度硬化しそうやし返品すっか)」


他の捕虜になった皇帝だと北宋の欽宗は南宋の対立煽りのために返品されたかも知れない

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>246
遼以降はあくまで外交や交易呑まない懲罰で戦争した延長線だからね
チンギスハンもテングリの命令がなければ異文明を征服統治することを目的にしなかった

むしろ統一王朝の皇帝を弄んだ上に禅譲も簒奪も放伐もせずSATSUGAIした劉聡のすさまじさが際立つ

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
劉聡って言うか劉淵ファミリーって天下人としてよりはアンチ西晋のリーダーとしてしか認められてなかった臭い。
結局ニ帝を連行しても実行領域は并州の2郡(by陳元達)でしょぼい群雄のまんまで、別働隊の石勒の方がどんどん勢力伸ばして動員力や生産力も上廻り、幽州の劉琨(と鮮卑拓跋部)にはボロ負けし匈奴漢の権威はズタボロで命令違反も目立ちはじめる。そら劉聡も今までのように余裕かませなくなってきますわ

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/18(火) 23:24:21.43 .net
劉聡(劉淵)と劉琨は先祖辿ればどこかで親戚の筈なのに
まるで燕(前燕後燕北燕西燕南燕)と吐谷渾ぐらい相容れないのな

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 06:17:27.18 ID:xvQXMBBX0.net
拓跋氏が魏を国号としたのは曹操からの縁があったからだが
前趙の劉氏の例に倣えば曹氏を名乗ってもおかしくなかった

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 06:28:41.69 ID:xvQXMBBX0.net
261年に曹魏へ拓跋力微が朝貢してるから曹操の時代ではなかった
あとちょっとで司馬氏というところ

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 10:17:18.36 .net
>>250
むしろ「匈奴と鮮卑は根は同族。相争う事なかれ(劉宣)」と同胞アピールしてんのに拓跋鮮卑から目の敵にされる匈奴さんが……

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 10:59:06.62 ID:GvkqlYaY0.net
>>252
拓跋の起源を魏建国と合わせてるから、国体は魏の弱肉強食体制を重んじていることは確か
ただし中身は拓跋独自のイデオロギーが多いというのも、今までの国家の失敗を踏まえた結果だと思うに

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 12:18:04.41 ID:R5EyPFFr0.net
どっちかって言うと
「なぜか過去に魏とか名乗っちゃってるから
 強引につじつま合わせした」
だと思うけどな

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 21:19:09.70 .net
>>251
曹氏の曹て馬の飼葉の桶やん嫌やん
という拓跋氏の心の声が

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 21:21:24.82 .net
>>253
突厥に目の敵にされる柔然
みたいに過去に目の敵にされる何かあったと思われ

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 21:30:34.91 .net
何かも何も、鮮卑は史書の記述が確かなら東胡の末裔でしょ?
匈奴とは冒頓単于の時代から不倶戴天の敵じゃんか

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 22:00:40.18 .net
そういや烏丸と鮮卑は前漢の頃に冒頓にボッコボコにされて東胡に逃げたんだっけ

それ考えると「鳥丸、鮮卑は同族(劉宣)」や冒頓単于を上帝に配した劉曜ら匈奴漢の歴史観ってかなりアバウト

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 22:37:51.13 .net
東胡の生き残りで烏桓山に逃れたのが烏桓
鮮卑山に逃れたのが鮮卑
鮮卑の奴隷のハゲ(木骨閭)が柔然

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 22:39:55.48 .net
東胡は冒頓単于に舐めプしてたから匈奴に滅ぼされた
なので鳥丸や鮮卑が匈奴に逆恨みするのは筋違い

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 23:05:15.53 .net
単于はゼウスと同音。ゼウスの乳母アマルティとアルマトイに育まれたであろう匈奴。

ゾロアスター教の地母神アルマティ、日本のアマテラスなども同一。なんの根拠もないけど

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/19(水) 23:41:18.32 ID:n6pbg5oa0.net
>>262
アトランチス起源くんかな?

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/20(木) 01:23:27.58 ID:INRjmpKP0.net
>>255
元々拓跋氏は東晋から貰った代王を愛用
しかし黄帝の末裔を自称するのに当たり
黄帝の所在地だった魏の王を名乗る事に
あと「魏」は「美しい」という意味を持っているから

…という五胡十六国南北朝時代マニアが知ってそうな事をカキコ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/20(木) 07:17:48.74 ID:jKHGWy3e0.net
>>257
北魏建国後は拓跋鮮卑からも柔然は討伐の対象だからね
北魏の北の守りは柔然対策だった
柔然も中国と考えたら(今の中国の歴史地図はそうなってる)
北魏は北ではなく南と北に挟まれた真ん中の王朝

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/20(木) 12:33:25.27 ID:iCRACWWx0.net
柔然は度々北魏と交戦して敗北
敗走中に可汗が死亡するという頭モブなのに
北魏と同じぐらい強勢という謎集団

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/20(木) 14:02:04.30 ID:Q9JFIL8u0.net
古代ローマ時代、デウスが神の意味で使われ始めた時は単于のことだったんだよ!

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/20(木) 20:41:05.13 ID:xWEmWD0z0.net
>>265
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/万里の長城#/media/ファイル%3AMap_of_the_Great_Wall_of_China.jpg

北魏も長城造ってて
主に本拠地代をぐるりと囲んで要塞化してるのと
六鎮の北に備えとして築いている
一方で南朝に対しては無し
わかりやすいな

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 01:36:25.83 ID:z4IhsmgV0.net
柔然は北魏が興ってから建国
北魏が分裂し西魏が滅亡する直前に滅亡
どんだけ北魏と張り合いたいのか

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 01:42:00.54 ID:/bgwRulP0.net
柔然は
『魏書』『北史』『南史』などでは蠕蠕(ぜんぜん)
『宋書』『南斉書』『梁書』などでは芮芮(ぜいぜい)
『周書』『隋書』などでは茹茹(じょじょ)
『晋書』では蝚蠕(じゅうぜん)
とまちまちな読み方なカメレオン国家
柔然の奇妙な冒険

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 05:14:20.00 ID:44ULRYBH0.net
北魏、東魏、西魏…南魏もあります。

陳慶之の北伐のときに元?が立てられた政権
元?が北魏全体の皇帝になれなかった場合は
北朝からの後梁みたいな存在で南朝側の傀儡政権として元魏の存続ということもあった

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 11:42:03.44 ID:7wK55nO10.net
東西南北ある魏
前後南北西あるけど東が無い燕

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 12:38:28.05 ID:V3ZmIuXm0.net
>>272
燕自体が極東だから東燕は朝鮮半島まで逃げて政権立てないと厳しい

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 14:16:52.37 ID:mxh2qqFTO.net
北燕の馮弘は高句麗に亡命して乗っ取る気満々だったようだけどね
もし成功していたら東燕が建国したかもしれない
ただ、馮弘にとって間の悪いことにこの時の高句麗王は名君と誉れ高い長寿王だった
長寿王は馮弘の思惑などとっくにお見通しで、油断させておいていた
そして頃合い見計らって馮弘達を一網打尽にして処分した

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/21(金) 21:09:38.93 ID:jlynM/hn0.net
長寿王は名君か知らんが
在位79年はエリザベス女王よりも長生きなのは確か
東晋に冊封されてるのに後に北魏と劉宋に朝貢してるのでこの頃から半島は蝙蝠外交の気質が窺われる

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/22(土) 00:23:47.35 ID:MTJq57z10.net
>>274
馮弘は高句麗への対応を間違えたから自業自得
高句麗は毌丘倹や慕容翰みたいに戦場でボコボコにして丸都城蹂躙するのが正しい
現代のアメリカ軍による朝鮮人の扱い方マニュアルがそのまま当時でも使えたという

まあ馮弘は高句麗乗っ取るよりも劉宋に亡命しようとして粛清されたんだけど

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/22(土) 04:45:57.98 ID:IRGbB80k0.net
この頃のまだ五胡十六国時代の北魏の道武、明元、太武帝の后妃たち、
すごく国際的だな
後期十六国みんないるじゃないか
慕容氏、赫連氏、苻氏、劉氏(匈奴)、沮渠氏

明元帝の生母は匈奴劉氏なので母系からは北魏は匈奴の血が伝わったことになるね

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/22(土) 09:52:27.96 ID:gtnH3vs+0.net
>>277
この辺も隣国が姻戚関係だらけの中世のヨーロッパや日本の東北地方の大名とかぶるよなぁ

北魏の場合乳母が皇太后とか特殊すぎるケースもあるけど

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/22(土) 12:00:12.00 ID:IRGbB80k0.net
で、馮太后は北燕の馮氏からだったりするのか、おもしろい

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/22(土) 15:47:29.30 ID:Z/wzpdaj0.net
五朝八姓十一君宰相の人も北燕の馮氏の末裔

馮道が五胡十六国南北朝時代に生きてても
どの君主とも上手く付き合って高官歴任しそう

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/23(日) 07:52:43.94 ID:bQaIWSyD0.net
孝文帝改革の大枠は馮太后がやっている
それにスタッフの漢人がいたということだろうか
孝文帝の漢化しよう意識は馮太后に洗脳されたのだったのかい

江南からではなく、まさか当時の中国としては北辺だった漢人から音頭を取られるとは

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/23(日) 08:51:07.41 ID:PGqBEPj90.net
崔浩「清河崔氏の誇りをかけて胡族を漢化してみせる」
拓跋?「族誅!」

馮心児「長楽馮氏の誇りをかけて胡族を漢化してみせますわ」
拓跋宏「然諾!」

うーんこの

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/23(日) 14:14:39.55 ID:N1HbQ55P0.net
>>282
国史事件って結局、漢族化についていけない鮮卑の暴発宥めるために崔浩をスケープゴートに差し出したんじゃねえの?

石碑の最初の文面(石板に移す前の紙か竹簡)みないで許可出すとか考えにくいし

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/23(日) 20:09:08.59 ID:ShacMvcJ0.net
>国史事件って結局、漢族化についていけない鮮卑の暴発宥めるために崔浩をスケープゴートに差し出したんじゃねえの?

それはあると思うが結局は漢族化してしまう鮮卑
田舎者が都会に出て都会に馴染めなくUターンする奴よりも
都会に染まって田舎におさらばする奴の方が多いのと共通点ある
現代社会でも過疎地の過疎化が凄いのな
小さい頃住んでた田舎も30年で人口半減してしまった

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 00:05:56.57 ID:Xe9aHiya0.net
>>284
鮮卑を鮮卑たらしめるイデオロギーがないから、拒んでも最終的に染まるのは当たり前
鮮卑派の拠り所であった六鎮、八柱国という軍閥制度自体も漢由来
宇文泰が漢の制度の鮮卑用に脚色しても、中身が漢である以上漢化は免れられない

田舎の例えも、その地域が地域であるための芯がないと大体そうなるし
芯を守るための資本を得る過程で芯を失い、都会に吞まれるっていう似た原理を再現してる

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 06:56:02.82 ID:hEVnzv6F0.net
文化が文によって化すると書くくらいだからな
漢化から逃れようと思ったら五胡は当時ではササン朝とかと連携して
中東以西の文字や法制、文化を持ったうえで中原に根を下ろすとかしかなかったと思うな
鮮卑や匈奴、羯はシナ・チベット語族ではないからそうなったら
中国史は面白かったはず
漢文以外の文字体系ができてたかも

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 07:19:25.20 ID:xcB4DYFz0.net
五胡の頃に文字作って定着させる余裕なんてないだろう
契丹ですらよく分からんのがちょっと残ってる程度だし

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 08:25:15.31 ID:xQwmb/w00.net
>>282崔浩は性格悪そうだし残当
南朝に対しても凄い見下す発言してた気がする

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 08:45:47.27 ID:FxTpqdTB0.net
>>286
突厥文字(5世紀〜13世紀)
古ウイグル文字(8世紀〜17世紀)
契丹文字(10世紀〜12世紀)
西夏文字(11世紀〜16世紀)
女真文字(12世紀〜15世紀)
満洲文字(12世紀〜現代)
モンゴル文字(13世紀〜現代)

↑これらはアラム文字やソグド文字などの系統引いているのが多く
実は壁外では漢文以外の文字体系が繁栄えていたりする
五胡は浸透国家なので残念ながら漢文などの漢文化に毒されてしまったので・・・

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 17:36:39.33 ID:FxTpqdTB0.net
>>288
清河崔氏は太公望呂尚の末裔なのに
崔杼や崔琰みたいに上との諍いで不慮の死を遂げる人物も多い一族

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 21:01:00.49 ID:Xe9aHiya0.net
>>289
それらが成立するまでに年月を要した+いざシナを制圧するとシナに染まったというのが泣き所
モンゴルは世界帝国だった名残で文化や文字を死守できたが、満州は見事に呑まれた
辨髪を中華に組み込んだ意地は認められるけど

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/24(月) 23:32:40.56 ID:Yb0Qzt7j0.net
しかし良い時代になったね、当時から見たら

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/25(火) 04:47:59.65 ID:nvE9JGCa0.net
人口が目減りする割合は後漢末が最大
世界人口からしても1〜2割くらいになる
核戦争並みだな
黄巣の乱、太平天国の乱、文革なども関連死まで含まて数千万人レベル

それからしたら五胡時代とか盛世とまでは言えないが言われてるほど悪くない
日本の戦国時代みたいなものでは
民族的なジェノサイドといえるのも冉閔による羯人くらいだ
五胡はみんな漢人を宰相クラスに登用してるし南朝も北からの亡命者を受け入れて高官にしたりしている

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/25(火) 08:26:24.70 ID:dy7Tmqld0.net
>>291
満洲文字はシナに呑まれて見事に廃れたけど
現代でもまだ解読できる人が多少居るのは幸い
しかし突厥文字は解読されているらしいのに
それよりも後の契丹文字や女真文字が現代では未解読文字になっているのは
契丹女真どういうことだ

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/25(火) 08:58:26.94 ID:sJWknwq4O.net
>>294
契丹文字の解読が思わしくないのは墓碑が多めと資料が偏っているうえに資料自体が少ないのが原因
また、漢字を参考・借用して作った表意文字である契丹大字と後述の契丹小字に分かれている煩雑も解読が遅れている原因にもなっている
ただ、耶律迭剌がわずか20日で完全に習得したウィグル文字をもとに制定した契丹小字は表音文字なので6割方解読が進んでいる
なお、ハングルは契丹小字を参考にして制定されたという異説がある
ハングルを足掛かりにして契丹小字を解読しようという動きもある

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/25(火) 15:13:49.30 ID:P8WM2pxc0.net
>>295
シャンポリオンらはエジプトの最終形態語の
コプト語を足掛かりにヒエログリフを解読しているが
ハングルを足掛かりに契丹小字を解読するのは無謀な気がするな…
漢字は漢民族以外の五胡や日本人などの異民族にも受け継がれて
数千年前の文献が読めるのはどんなにありがたい事か

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/26(水) 00:36:20.28 ID:LBVqXbum0.net
>>292
当時は生きるので手一杯なのが多いからな
当時PCやスマホが有ったら狼煙よりも伝達手段遥かに早いのでかなひ状況変わってたのでは
ドローンで騎馬民族追撃して迫撃とか

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/26(水) 04:40:34.94 ID:zUHYBRqc0.net
この時代はよくある屠城の記録が見られない
長安や洛陽、支配者が次々変わるけどすぐに新しい政府が立ちあげられるとことと
漢人官僚が運用できるところから民衆はあんまり殺されなかったのではないか

それに華北の東半分は前燕の慕容恪から前秦の王猛への切り替えが早かったために
インフラ整備は継続してあんまり破壊はなく北魏から東魏、北斉まで繁栄を継続できた
王猛VS慕容評、そして拓跋珪VS慕容宝と会戦で一気に領土を獲得したってこともある
民衆が蹂躙される暇はあんまりなかった

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/26(水) 08:57:34.14 ID:xwDJOffM0.net
>>293

いつまでこの手の「数字が減ったから人が多く死んだ」ニキは生き残り続けるんだ?
そりゃ死んだだろうけど、それ以上に政府が人口を把握できなかったほうがでけーっつの。

ジェノサイドがない?
苻堅も投降してきた鮮卑二万人を穴埋めしてるし、
劉裕もなかなか投降しなかった鮮卑三千名を穴埋めしてますが?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/26(水) 09:45:27.96 ID:m0nh9JtI0.net
https://tios-luxun.com/what-kinds-of-the-person-shi-hu/

ジェノサイドといえばストーンタイガー
ここまでエピソード満載だと面白過ぎて名人芸の領域

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/26(水) 10:00:10.95 ID:GVIutwZd0.net
>>298
逆やん
この時代に自動小銃があったら凄いことになっていた

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