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五胡十六国南北朝を語るスレ18

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 21:35:52.94 ID:mgVxq7QO0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ17
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1649490148/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/28(金) 16:04:29.11 ID:q6G0ATrX0.net
>>322
あと宇文泰のマイナスな面無理やり上げると
鮮卑姓復活させたぐらいしか思い浮かばない
楊忠「普六茹忠とか嫌やん」
李虎「大野虎とか嫌やん」
逆に言えばそれぐらいしか欠点無いのな

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/28(金) 16:14:02.43 ID:RqLLg6p50.net
アルマトイの匈奴が、日本に渡って悪路王として大暴れ。朝廷に対して武力や政治、婚姻による乗っ取りを行い、藤原氏と名乗り悪路王は自分達が討伐したことにした。藤原氏と匈奴には、特徴的なレビラート婚が見られる。記紀の天照大神も、藤原氏=匈奴の故地アルマトイの神格化したものとして描かれた。神武天皇は北斉の高歓のこと。雅楽では、今も蘭陵王が演じられ続けている

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 00:49:21.39 ID:CE44bEj50.net
>>319
高歓も宇文泰よりは少し劣るが能力かなり高いけどな…
2人が相虎討つ世界でなく手を取り合って
爾朱栄支える世界線も見たかった…

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 11:21:09.44 ID:yJ7w4OD50.net
>>322
あれただの地元民の人気取りなんじゃねえの
あと西魏の忠臣アピール

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 11:23:51.40 ID:yJ7w4OD50.net
>>323
北宮純と並んで日本人が異世界転生したのを疑いたくなる大野虎さん

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 23:56:00.18 ID:+YkYFb3V0.net
>>326
それにしては何故姜維
宇文泰と姜維に接点感じられない
宇文泰が姜維のファンが1番可能性高そう

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 23:57:33.20 ID:+YkYFb3V0.net
>>327
大野淵さんとか
大野世民さんの方が

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/30(日) 15:21:29.08 ID:Sdzg24qd0.net
>>321
八柱国十二大将軍とか鮮卑由来かと思ったら
戦国時代の楚の将軍の上位の柱国から来てるとは

しかし八柱国十二大将軍組めるぐらい宇文泰の配下は人材豊富
宇文泰は自分と同じ柱国大将軍を同僚や配下にも与えて八柱国十二大将軍を導入したが
高歓がもし宇文泰と同じく八柱国十二大将軍を導入していたらどうなってただろうという疑問は湧く

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/30(日) 23:55:48.04 ID:ZJhjosw00.net
楚じゃ上柱国って令尹(宰相クラス)で項羽のオジキの項梁が自称してたな

西魏~北周って鮮卑を一等国民として扱う一方で儒者の大好きな周礼復活させたり秦漢以前の春秋への回帰傾向も強い

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 00:23:20.81 ID:apVBT33d0.net
もっもしや十二神将のモデルって...

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 07:55:18.83 ID:woZ+hKvT0.net
円卓の騎士?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 10:46:30.23 ID:lpKBMuwy0.net
十二大将軍とかバトル漫画でこんな感じの敵幹部グループ出てくると盛り上がるよな

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 22:07:50.56 ID:khOHMxkp0.net
一番の小物は誰だ

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 23:10:09.10 ID:rm051pRx0.net
>>328
姜維って三国志本文や注訳に使われている史書が書かれてた時代には蜀滅亡の戦犯みたいな評価が多いけど
宇文泰の生きてた時代には再評価されるようになってたってことなのかしら

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/31(月) 23:32:02.38 ID:L+SXnbBQ0.net
>>334
崑崙の十二仙とか金鰲の十天君とか
敵味方関係なく出てくるとワクワク

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 00:36:14.33 ID:w0uJnsWz0.net
>>336
姜維は当時から評価分かれてたからな
同僚からは蜀滅亡の戦犯である評価が多い一方で
対戦した敵側からは当代きっての英俊との評価が多い
宇文泰からの姜維の評価はどちら側の視点だったかだけの結果のような

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 01:43:41.93 ID:b7xg0QpA0.net
>>338
例を挙げて貰おうかな

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 07:10:29.42 ID:agBB+9LY0.net
羌族向けのアピールじやないか?

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 08:24:26.99 ID:iJwPSUjAO.net
東晋の歴史家・孫盛の姜維評は以下の通り
「姜維は徒に北伐して蜀を弱らせたうえに、蜀の滅亡に殉じずよからぬことを企んだ奸臣だ!」
「しかも、帰ってきておいでと手紙を送った母親に対して出世したいから帰らないと返事した極めつけの親不孝者だ!」
「俺はあんなやつが評価されているのを絶対認めないからなっ!全て道理に外れているじゃないか!」
お前は姜維に親でも殺されたのか?と言いたくなるぐらいボロクソに酷評している

それに対して裴松之先生は「孫盛は姜維をボロクソにこき下ろし過ぎだ。親不孝者以外の批判は全て筋違いだと考える。郤正が姜維を斜陽の国を救おうと奮闘した忠臣と評した通りだ。死ぬのが難しいのではない。死に方が難しいのだ」と反論している
ただ、そんな裴松之先生も「姜維なんか天水の匹夫に過ぎないのに、獲得したからって大喜びするのはいかがなものかと私は考える」とも評しているんだよな
全くいい性格しているよこの人

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 11:54:40.75 ID:jIB+KKlU0.net
>>341
東晋と劉宋での価値観の違いが浮き彫りになってるな
腐っても易姓革命論による正統王朝であり、裏切りを繰り返し利己的に振る舞ったと断じることができる東晋
劣勢である+正統性喪失による判官贔屓、漢永続論に基づき蜀を否定できない劉宋
それぞれのポジショントークが際立っている

今だからこそ散逸しているが、孫盛の酷評には費イ暗殺関与も加味されてるのかもしれない
あれが呉より早い蜀の滅亡の原因になった

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 16:18:17.81 ID:o+yX8c7Z0.net
>>341
隴西、南安、天水の三郡もまともに確保できなかったのに
姜維を獲得したこと「だけ」を戦功として較べるのはいかがなものか、だぞ

そりゃのちのちの功績から考えても隴西、南安、天水と姜維じゃ
前者の方が圧倒的に重いわ

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 21:52:58.70 ID:0DvzBizV0.net
>>324
アヴェスターの中でも、土地の神格化した女神として地母神アールマティが登場している。アールマティと、ゼウスの乳母アマルティはよく似ている。もともと類似の言葉とされてきてはいるが、ゼウスに加えてdaēvaダエーワ、devaも直接ここに連なるのかもしれない。そして、その根源には単于があるのかもしれない。

日本でも、出羽国が8世紀初頭に成立している。記紀の成立とほぼ同時。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 22:06:33.01 ID:0DvzBizV0.net
蔵王
ザオ=趙

当時の漢字は、北朝=現代中国語、南朝=現代日本語に近い発音だった。趙は匈奴系羯の石氏とゆかりの深い名前。石氏はソグディアナのタシケントにゆかりがある姓であり、ゾロアスターとも繋がりがあった。蔵王権現は彼らの神格化したもの。

出羽
デワ=ダエーワ

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 22:08:28.17 ID:ZBMbr3fD0.net
アトランチス起源くん大暴れで草

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 22:22:09.10 ID:0DvzBizV0.net
石上神宮
石氏を祭っていた。東晋の司馬氏が地場豪族の物部氏を補佐する形で建立した。伊勢神宮を建てて大軍団を駐留させ、大和と対立した


司馬達等
脱兎の如く逃げ出すの語源となった人物。
倭が滅亡したので、仏教に圧されて転向し、今度は布教する側となって日本に渡った。断絶後の朝廷の形成にも大なり小なり関わった。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/01(火) 23:39:12.43 ID:CV5HUNXO0.net
>>341
現在では概ね孫盛よりも裴松之の方が評価高いのがよくわかる論評

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 01:51:42.57 ID:b8eSVw+z0.net
石弘かわいそうすぎる
石虎本当にいい加減にせえよ

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 03:16:09.76 ID:ri8v3kHn0.net
>>347
司馬一族の端っこあたりにいた人なんかな

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 07:49:11.19 ID:i8r8tyEZO.net
裴松之先生は「孫盛は三国時代の資料を片っ端から調べて著書に残してくれた。私がこうして注を書けるのも彼のお陰だ。感謝する」と誉めちぎりつつも
「孫盛はいい加減な資料を引用するのはいかがなものか。登場人物の台詞を春秋左史伝から引用して改変する癖をやめるべき」とこき下ろすんだから
全くもっていい性格しているよホント

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 08:13:35.78 ID:jbsH9YvU0.net
>>351
昔からチェリーピッキングがいた事を証明した裴松之=センセイ

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 08:47:39.49 ID:P5SQrwsf0.net
>>350
晋の司馬氏か、それを騙る偽の司馬氏じゃね?
名前が売れているのに、なんでもない馬を用意するというだけの家系の人が、鞍を作るために日本に渡るのも奇妙だ。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 11:08:21.44 ID:rzqL/S8X0.net
司馬光も河内司馬氏なのか

「河内」とかいったら日本古代史的に詮索したくなるじゃないか

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/02(水) 12:40:55.27 ID:q7vfExxT0.net
司馬ヒカルって書くとアニメのヒロインみたい

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 06:05:51.88 ID:M/iTPPh/0.net
>>350
司馬遼太郎と同じ匂いがする

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 06:11:21.42 ID:M/iTPPh/0.net
>>352
チェリーピッキングは孫盛よりも習鑿歯の方が大概だが
何故か現代では習鑿歯の評価高いのは謎

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 08:16:36.06 ID:61pmextK0.net
裴松之のチェリーピッキングも大概ひどそうだけどな
自分がこき下ろしたい人物については
こき下ろすに足る史料しか持ってきてない気配がある

周瑜とか

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 08:44:11.21 ID:N0T4JIYx0.net
二十四史の編纂者たち、宰相クラスとかもいるし経歴も面白いのが多くて
二十四史編纂者列伝、みたいな本が出たらいいと思う

司馬光にしても河内司馬氏の贔屓が見えるのだが、旧法党の頑固者扱いされてるけど実際はかなり柔軟な思考を持った人物だと思う
政争で負けても流刑で文通もできるから漢人統一王朝で最もよかったのは北宋の最盛期ではないかなあ
五胡十六国はそれに特化した正史がないので晋書と資治通鑑の筆力に頼るところが大きい

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 10:03:11.33 ID:U6KUdjEw0.net
>>358
カクなんかも顕著
引用する史書は価値があるが史書選定や人物評は当時の情勢加味しないといけない

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 13:10:52.71 ID:pxQRqrcjO.net
>>359
当時としては極めて珍しい現実主義者かつ無神論者の范曄(後漢書編纂者)と
芸術肌な性格であり仏教徒として有名な沈約(宋書編纂者)と
俗物根性丸出しで賄賂大好き銭ゲバな魏収先生(北魏書編纂者)
もしもこの3人が対談したらどんな惨事になるだらうね

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 23:40:10.41 ID:eYizntmi0.net
>>358
裴注は劉義隆に頼まれて三國志の解説しているので
チェリーピッキングというよりは多少バイアスは入っているだろうが
本当にチェリーピッキングなら異同関係なく史料盛り込んだりしないので
裴注が本文の数倍の量になる事は無い

しかし裴松之は范曄と違って上の怒り買ったり謀反計画して処刑されていないので
生き方は上手

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 00:35:07.54 ID:MdXd97fg0.net
日本史の空白の四世紀とこの時期の中国の関連性が気になる
とはいえ五胡にも東晋にも太陽神や八岐大蛇や黄泉の国の話もないし
これは日本オリジナルと言えそうだけど

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 08:05:21.82 ID:P2N+Kvct0.net
>>362
そりゃ基本的に現役貴族の家系に媚び媚びだからね・・・
家畜を監督するための家畜ってポジションを弁えながらイキってる

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 08:47:46.07 ID:Q+VwFtHtO.net
裴松之先生は国家や主君に忠義を尽くした人間を高く評価する傾向があるといわれている
先生が特に評価する審配がみっともなく井戸に隠れていたと書いた『山陽公載記』と『献帝春秋』に猛烈に噛みついている
「審配が井戸に隠れて逃げるような真似をするわけがない!審配は烈士にして袁家の忠臣なのだぞ!」
よほど腹に据えかねたのか『山陽公載記』と『献帝春秋』の著者を「史書に対する罪人である!」と痛烈にこき下ろしている

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 09:45:44.39 ID:zVxk5sur0.net
つまらない人物がほとんどの三国時代の話はその手のスレでやってくれ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:00:37.66 ID:4DBgYy9o0.net
>>361
>>362
范曄=センセイは普通にあたおかじゃね
上司の親族の葬式で泥酔して暴れるとか現代でもアウトなケース

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:09:59.52 ID:0nZYwlDq0.net
>>349
因果応報の末路で気持ちいい

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:19:47.13 ID:lEWWyTqP0.net
>>366
裴松之先生は南朝だぞ

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 11:22:28.25 ID:l8LorXXZ0.net
>>365
そら(袁氏は王謝と同格だから)そう(袁氏に忠を尽くした人物は高評価になる)よ

桓楚から劉宋にかけての過渡期で中流階級が蹴落とされた感がすごい

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 11:45:54.93 ID:4DBgYy9o0.net
ただ顔之推=センセイも書いてるけど後漢~西晋と比較しても寒門でも真面目に勉強してれば最悪学問教えて食ってける社会状況になっててポーザー製造工場化してた西晋よりはまだ実力で勝負しやすくはなってる感じ

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 12:32:06.55 ID:qPEHzRYh0.net
習鑿歯の桓温に対する敵愾心は異常

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 17:43:04.41 ID:aDCmXuWf0.net
顔之推もこの時代の南北のそうそうたる面々に会ってるよな
治世後半期の文宣帝とかよくぶった斬られなかったな
巧言令色の達人でもあったんだと思う

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 21:04:07.39 ID:52eeOoS40.net
顔之推の子孫に顔真卿が輩出されるとは
更にもっと後世の子孫に顔垠凌(インリン・オブ・ジョイトイ)が輩出されるとは
顔之推先生でも予測できなかった

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 21:07:04.28 ID:WvKb+aUR0.net
習鑿歯の子孫が習近平

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 23:57:06.27 ID:J9nbHqYC0.net
>>373
文宣帝「顔之推よく来たの」
顔之推「へへぇ」

一族や部下の前では決して見せぬ表情。
稀代の碩学が身につけた上役への保身術であった


https://i.imgur.com/ywYj9Ps.jpg

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 03:09:23.98 ID:V4Yj/xBX0.net
>>373
文宣帝の寵姫に顔之推の遠戚(顔玉光)が居たから無事だった説

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 16:47:08.08 ID:0fjWk88U0.net
段韶も母、娘が高氏と深い縁戚関係だったからか
娘が文宣帝にいたずらしても何もお咎めなし

こういうこともあるのか、会田大輔の本では文宣帝の乱行は
計算してやってるようなことも示唆していた
元氏700人皆殺しとかも朱元璋とかから比べたら全然スケールは小さい
それにこの時代には河陰の変でそれ以上の規模の洗礼は経験済みだわな

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 23:24:44.02 ID:LsTGhMhT0.net
段韶は高歓に仕えて高家と関わる事40年以上
高家の家宰と言っても過言ではない
もし高歓が八柱国十二大将軍を採用していたら
段韶は間違いなく八柱国の上位
斛律光や高長恭も八柱国になるだろうが
侯景は十二大将軍の下位に入るかどうか

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 02:41:04.52 ID:wcEHxxYo0.net
顔之推の先祖が顔良ってのは本当なんだろうかねぇ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 03:50:15.36 ID:AzGMPdmnO.net
>>380
顔之推は『顔氏家訓』の中で「我が同族の中で、趙の顔最、後漢の顔良、宋の顔延之は将軍の任についていた。しかし、いずれも終わりを全うしなかった」と書いている
顔良は顔之推の同族だけど先祖かどうかは不明

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 07:06:03.16 ID:DZki7cLK0.net
子孫ならばイケメンだった筈。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 08:44:51.12 ID:BM+S+ca00.net
>>378
あれ当時の風習なんでしょ?(新婚の新郎新婦にエロいイタズラをする)FC2みると今もやってるみたいだけど

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:00:19.62 ID:pS4+Qhwo0.net
>>382
顔良の事イケメン言ってるなら見当違い&スレ違いだぞ
張良は弓の張りが良い人物と言うぐらい支離滅裂

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:50:09.05 ID:AzGMPdmnO.net
桓玄の子が蛮族の王になったというお話し
桓玄には桓天生という表にしていなく幼い庶子がいた
桓玄の敗北後、桓天生は荒人と呼ばれる蛮族の地に逃れた
そして荒人の風習である断髪文身をして蛮族の仲間入りをした
成長すると桓天生は王となり北魏に入貢したという

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:56:17.42 ID:DZki7cLK0.net
つまんねぇ奴だなw

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 22:22:03.74 ID:EPZBJSgT0.net
>>385
桓天生の天生は字で本名は桓誕だったっけ?
確か桓誕は494年没だから桓玄(404年没)の実子だとすると
かなりの長生き

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 01:17:15.57 ID:YLCvrzZe0.net
>>387
桓天生は蛮族の地に逃れたといっても沔水(漢江)だからそんなに僻地ではない
北魏に入貢した時は 率蠻民八萬餘落 だから少数民族にしては意外と規模大きい
だから襄陽王に封じられたのもわかる

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 08:15:08.75 ID:G2YebtNA0.net
五胡に南蛮から出てきたのはいない
気候的(北方は寒冷化)なものであろうか
ベトナムとかビルマとかも中原に侵攻したこととかないな

氐は四川の森林まで居住域が伸びていて北方と南方を兼ねているような感じ

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 14:20:10.11 ID:3D3gOYsQ0.net
ベルクマンの法則で
南蛮は基本的に漢民族よりも小さい種だから
中原に攻め込んでも漢民族の弱兵でも容易に撃退される説

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 18:32:03.45 ID:4SytYH5l0.net
実際、慕容氏とかみんなデカそう
慕容恪が190㌢オーバーだし

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 20:02:08.49 ID:54ghkEo60.net
劉曜も九尺三寸

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 20:23:05.03 ID:4SytYH5l0.net
劉淵も八尺4寸だしやっぱり遊牧系で元々デカイ遺伝子持ちでしかも貴人だから栄養状態もよくてデカブツが生まれるんかね

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 21:17:14.06 ID:NGyTZzYI0.net
そもそも南人は食いもんに困らんから北に行こうとは思わんだろ

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 05:02:27.37 ID:XQtK6ECMO.net
南方は食糧が豊富にあるうえに「海のシルクロード」を利用したインドやアラビアとの交易で儲かっているんだから
わざわざ寒くて食糧が豊富ではない北を侵略する必要性がない

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 08:37:27.28 ID:5lKKFuql0.net
岳飛が聞いてたら激怒しそう

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 09:47:40.60 ID:dJyZuHt40.net
>>396
あの当時でも南宋の方が貿易黒字で経済的には金をカタにはめてる状態だったじゃん

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 10:21:00.51 ID:hZ0obpwr0.net
>>392
>>393
劉曜(九尺三寸)は約225cm
劉淵(八尺四寸)は約202cm
現代でも極めて高身長の部類

ちなみに五胡十六国時代の遺跡の
遼寧喇嘛洞(ラマトン)三燕(前燕・後燕・北燕)文化墓地で出土した人骨から
計測された当時の推測平均身長は男性167cm女性154cmらしい

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 10:53:25.12 ID:OZvSkpSW0.net
>>397
岳飛死後に南宋が百年以上持った事を考えると姜維みたいな無茶な北侵を止めさせた秦檜の方が正しかったよね

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 12:25:16.31 ID:TXfzx1wy0.net
北人は寒さと飢えで南下し、羯のような食人種も結構いるので南人を食用にしていたんだよな笑 きっと

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 14:20:22.56 ID:8ixc5QYL0.net
今のモンゴル人は背が低めだし鼻も低いから
鮮卑はモンゴル系ではないと思う

前スレかにあったけど、現代の慕容氏の村では背が高い人が多く、
黄髯もしばしば現れるそうだ
慕容氏と拓跋氏も当時の人が見たら容貌で違いが分かるほどだったのかもしれない

匈奴や鮮卑が平均して漢人よりデカかったのかそれとも匈奴劉氏や慕容氏の
皇族につながる部分の血統だけがデカかったのか
体がデカいので異相とされて"大人"に推戴されたなんて考えられるなw

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 18:05:59.58 ID:BWeCg4hs0.net
>>395>>399
元末でも南方に割拠した勢力は浙江の方国珍にしろ江蘇の張士誠にしろ現状に満足して元と妥協して北伐なんて考えもしなかったのに
朱元璋は安徽の濠州の出身で徐達ら配下も華北の出身はほとんどいないのに華中を平定後すぐに北伐したのか考えてみると不思議だ。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 21:06:46.20 ID:MNjXcbJ00.net
>>402
支配後の虐殺祭りから察するに、猜疑心の強さ故に自身を脅かす存在は徹底的に滅ぼし尽くさないと満足できなかったんだと思う
皇帝になったのはその過程でしかない

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 21:11:35.26 ID:dJyZuHt40.net
東洋文庫「洛陽伽藍記」「魏晋南北朝通史」「魏書釈老史」がeBookJapanでいつの間にか電子書籍化されてた

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 09:08:49.47 ID:DyylbZIv0.net
>>401
慕容部は白虜や白賊と呼ばれるぐらい肌が白いので
白人系と思われるので背が高いのも黄髯が現れるのもおかしくない

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 10:19:25.12 ID:uA0YG/rP0.net
支配地の人間は言葉が通じなくて統治が難しいので、必要数だけ残して食用にした。戦の度に大量の食肉が得られ、どんどん巨人化していった

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 12:33:09.92 ID:OZZIVScB0.net
両脚羊を喰うと巨人化するのか?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 17:28:50.23 ID:DyylbZIv0.net
>>407
「両脚羊」の言葉が作られたもっと人肉食が一般的だった古代中国(夏殷西周時代)の
平均身長は男性163cm女性150cmぐらいだったらしいから
人肉食と身長には相関関係はなさそう
ちなみに漢字の「道」は喰った人の首をぶら下げて歩く姿からきたらしいので
こちらの方は人肉食由来ぽい

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 18:40:46.23 ID:F6xH7cKh0.net
そもそも人肉は栄養価高くない

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 09:01:08.90 ID:MIVLT2Ef0.net
>>404
「魏晋南北朝通史」だけ現代の著書だったとは

「洛陽伽藍記」「魏書釈老史」とか
仏教視点で魏晋南北朝時代を見てるのはある意味面白い

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 10:20:55.08 ID:VFXDNOi+0.net
>>404

japanknowledgeに登録すればその辺見放題だけどな。
ついでに今年か来年には新釈漢文大系「全巻」も見れるし。

サブスクに抵抗ないならかなりおいしい。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 11:54:46.81 ID:X6QEt7/p0.net
おれは安岡正篤の「禅と陽明学」上巻の梁の武帝の狂信のところを読んで
この時代に興味を持った
陽明学者の安岡だが、南北朝史や儒仏の関連史にも手を付けてたんだなあ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 17:07:20.63 ID:MIVLT2Ef0.net
陽明学は儒教の一派で孟子の性善説の系譜だからな・・・
魏晋南北朝時代も通り過ぎて繋がってるのであながち無関係ではない

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 18:38:23.84 ID:AuF3Y0uj0.net
この時代は仏教史でもあるし
神保町の古書店で古い学術書見てくと魏晋南北朝時代の本って仏教史がメインで政治史はオマケみたいな感がある

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/11(金) 09:07:56.25 ID:hche0UXw0.net
>>411
新釈漢文大系て1巻1万円前後するから
まともに全巻買って揃えると百数十万円
蕭繹みたいに皇帝になって思う存分蔵書集めたいものだ・・・

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 08:24:02.77 ID:2sKQlMkD0.net
そして自ら全て燃やすと

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 10:34:43.53 ID:G1nNOQbi0.net
苻堅 今川義元 
王猛 太原雪斎

被るなあ・・・軍師と当主がいなくなって一気に衰退
桶狭間にせよ織田軍3000に今川軍25000が敗れるなんて当時の人は誰も思ってなかったろうしね
信長の豪運よ

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 12:06:40.77 ID:UJvlwN3Q0.net
>>414
そりゃ仏教史のが史料多いしな

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 12:53:56.26 ID:WIzcu6zM0.net
思想史的(南北朝史では従来これが主力)だと北側の戦闘攻伐とか
サラッと通り過ぎてしまうが
高歓と宇文泰の数回の対決とかいかにも合戦らしい
特に543年の邙山の戦いとか、1日目、2日目、3日目の大将や
部下の将の動きが躍動感があるし、大将も討ち取られそうになったり

でも、北が争ってた十数年間のおかげで皇帝大菩薩がやれたわけだ

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 23:08:44.18 ID:HEeYdwr60.net
>>415
そういや顔之推は蕭繹の散騎侍郎だったから
戦役の中で顔之推が蕭繹の老子の講義を聴講してたと思うと感慨深い
楊勇が蕭繹の孫弟子だと思うと感慨深いが
俺が「頭の体操」の著者多湖輝教授の孫弟子なのと同じぐらい繋がり薄いのな・・・

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 01:52:34.93 ID:HUm3gs9e0.net
顔之推みたいに南北に渡っているわけではないが
父を劉駿に殺されたにもかかわらず劉宋に仕え、南斉、梁と三朝に活躍した
沈約も経歴が面白い

最後は蕭衍の尚書令になり、没年が513年だから蕭衍が新進気鋭の名君のころか
もうちょっと世代が遅かったら不興を被ることはなかったかも

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 06:50:47.26 ID:+pFVFuV40.net
>>421
蕭衍と沈約は共に蕭斉の竟陵王蕭子良の「竟陵八友」のメンバー
(蕭衍・沈約・謝朓・王融・蕭琛・范雲・任?・陸倕)
なのにな・・・

>もうちょっと世代が遅かったら不興を被ることはなかったかも

それはあると思う
もう十数年長生き出来たら学問好きの昭明太子蕭統に庇護されてただろうに

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