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五胡十六国南北朝を語るスレ18

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 21:35:52.94 ID:mgVxq7QO0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ17
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1649490148/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 08:44:11.21 ID:N0T4JIYx0.net
二十四史の編纂者たち、宰相クラスとかもいるし経歴も面白いのが多くて
二十四史編纂者列伝、みたいな本が出たらいいと思う

司馬光にしても河内司馬氏の贔屓が見えるのだが、旧法党の頑固者扱いされてるけど実際はかなり柔軟な思考を持った人物だと思う
政争で負けても流刑で文通もできるから漢人統一王朝で最もよかったのは北宋の最盛期ではないかなあ
五胡十六国はそれに特化した正史がないので晋書と資治通鑑の筆力に頼るところが大きい

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 10:03:11.33 ID:U6KUdjEw0.net
>>358
カクなんかも顕著
引用する史書は価値があるが史書選定や人物評は当時の情勢加味しないといけない

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 13:10:52.71 ID:pxQRqrcjO.net
>>359
当時としては極めて珍しい現実主義者かつ無神論者の范曄(後漢書編纂者)と
芸術肌な性格であり仏教徒として有名な沈約(宋書編纂者)と
俗物根性丸出しで賄賂大好き銭ゲバな魏収先生(北魏書編纂者)
もしもこの3人が対談したらどんな惨事になるだらうね

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/03(木) 23:40:10.41 ID:eYizntmi0.net
>>358
裴注は劉義隆に頼まれて三國志の解説しているので
チェリーピッキングというよりは多少バイアスは入っているだろうが
本当にチェリーピッキングなら異同関係なく史料盛り込んだりしないので
裴注が本文の数倍の量になる事は無い

しかし裴松之は范曄と違って上の怒り買ったり謀反計画して処刑されていないので
生き方は上手

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 00:35:07.54 ID:MdXd97fg0.net
日本史の空白の四世紀とこの時期の中国の関連性が気になる
とはいえ五胡にも東晋にも太陽神や八岐大蛇や黄泉の国の話もないし
これは日本オリジナルと言えそうだけど

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 08:05:21.82 ID:P2N+Kvct0.net
>>362
そりゃ基本的に現役貴族の家系に媚び媚びだからね・・・
家畜を監督するための家畜ってポジションを弁えながらイキってる

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 08:47:46.07 ID:Q+VwFtHtO.net
裴松之先生は国家や主君に忠義を尽くした人間を高く評価する傾向があるといわれている
先生が特に評価する審配がみっともなく井戸に隠れていたと書いた『山陽公載記』と『献帝春秋』に猛烈に噛みついている
「審配が井戸に隠れて逃げるような真似をするわけがない!審配は烈士にして袁家の忠臣なのだぞ!」
よほど腹に据えかねたのか『山陽公載記』と『献帝春秋』の著者を「史書に対する罪人である!」と痛烈にこき下ろしている

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 09:45:44.39 ID:zVxk5sur0.net
つまらない人物がほとんどの三国時代の話はその手のスレでやってくれ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:00:37.66 ID:4DBgYy9o0.net
>>361
>>362
范曄=センセイは普通にあたおかじゃね
上司の親族の葬式で泥酔して暴れるとか現代でもアウトなケース

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:09:59.52 ID:0nZYwlDq0.net
>>349
因果応報の末路で気持ちいい

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 10:19:47.13 ID:lEWWyTqP0.net
>>366
裴松之先生は南朝だぞ

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 11:22:28.25 ID:l8LorXXZ0.net
>>365
そら(袁氏は王謝と同格だから)そう(袁氏に忠を尽くした人物は高評価になる)よ

桓楚から劉宋にかけての過渡期で中流階級が蹴落とされた感がすごい

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 11:45:54.93 ID:4DBgYy9o0.net
ただ顔之推=センセイも書いてるけど後漢~西晋と比較しても寒門でも真面目に勉強してれば最悪学問教えて食ってける社会状況になっててポーザー製造工場化してた西晋よりはまだ実力で勝負しやすくはなってる感じ

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 12:32:06.55 ID:qPEHzRYh0.net
習鑿歯の桓温に対する敵愾心は異常

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 17:43:04.41 ID:aDCmXuWf0.net
顔之推もこの時代の南北のそうそうたる面々に会ってるよな
治世後半期の文宣帝とかよくぶった斬られなかったな
巧言令色の達人でもあったんだと思う

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 21:04:07.39 ID:52eeOoS40.net
顔之推の子孫に顔真卿が輩出されるとは
更にもっと後世の子孫に顔垠凌(インリン・オブ・ジョイトイ)が輩出されるとは
顔之推先生でも予測できなかった

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 21:07:04.28 ID:WvKb+aUR0.net
習鑿歯の子孫が習近平

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/04(金) 23:57:06.27 ID:J9nbHqYC0.net
>>373
文宣帝「顔之推よく来たの」
顔之推「へへぇ」

一族や部下の前では決して見せぬ表情。
稀代の碩学が身につけた上役への保身術であった


https://i.imgur.com/ywYj9Ps.jpg

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 03:09:23.98 ID:V4Yj/xBX0.net
>>373
文宣帝の寵姫に顔之推の遠戚(顔玉光)が居たから無事だった説

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 16:47:08.08 ID:0fjWk88U0.net
段韶も母、娘が高氏と深い縁戚関係だったからか
娘が文宣帝にいたずらしても何もお咎めなし

こういうこともあるのか、会田大輔の本では文宣帝の乱行は
計算してやってるようなことも示唆していた
元氏700人皆殺しとかも朱元璋とかから比べたら全然スケールは小さい
それにこの時代には河陰の変でそれ以上の規模の洗礼は経験済みだわな

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/05(土) 23:24:44.02 ID:LsTGhMhT0.net
段韶は高歓に仕えて高家と関わる事40年以上
高家の家宰と言っても過言ではない
もし高歓が八柱国十二大将軍を採用していたら
段韶は間違いなく八柱国の上位
斛律光や高長恭も八柱国になるだろうが
侯景は十二大将軍の下位に入るかどうか

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 02:41:04.52 ID:wcEHxxYo0.net
顔之推の先祖が顔良ってのは本当なんだろうかねぇ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 03:50:15.36 ID:AzGMPdmnO.net
>>380
顔之推は『顔氏家訓』の中で「我が同族の中で、趙の顔最、後漢の顔良、宋の顔延之は将軍の任についていた。しかし、いずれも終わりを全うしなかった」と書いている
顔良は顔之推の同族だけど先祖かどうかは不明

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 07:06:03.16 ID:DZki7cLK0.net
子孫ならばイケメンだった筈。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 08:44:51.12 ID:BM+S+ca00.net
>>378
あれ当時の風習なんでしょ?(新婚の新郎新婦にエロいイタズラをする)FC2みると今もやってるみたいだけど

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:00:19.62 ID:pS4+Qhwo0.net
>>382
顔良の事イケメン言ってるなら見当違い&スレ違いだぞ
張良は弓の張りが良い人物と言うぐらい支離滅裂

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:50:09.05 ID:AzGMPdmnO.net
桓玄の子が蛮族の王になったというお話し
桓玄には桓天生という表にしていなく幼い庶子がいた
桓玄の敗北後、桓天生は荒人と呼ばれる蛮族の地に逃れた
そして荒人の風習である断髪文身をして蛮族の仲間入りをした
成長すると桓天生は王となり北魏に入貢したという

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 13:56:17.42 ID:DZki7cLK0.net
つまんねぇ奴だなw

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/06(日) 22:22:03.74 ID:EPZBJSgT0.net
>>385
桓天生の天生は字で本名は桓誕だったっけ?
確か桓誕は494年没だから桓玄(404年没)の実子だとすると
かなりの長生き

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 01:17:15.57 ID:YLCvrzZe0.net
>>387
桓天生は蛮族の地に逃れたといっても沔水(漢江)だからそんなに僻地ではない
北魏に入貢した時は 率蠻民八萬餘落 だから少数民族にしては意外と規模大きい
だから襄陽王に封じられたのもわかる

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 08:15:08.75 ID:G2YebtNA0.net
五胡に南蛮から出てきたのはいない
気候的(北方は寒冷化)なものであろうか
ベトナムとかビルマとかも中原に侵攻したこととかないな

氐は四川の森林まで居住域が伸びていて北方と南方を兼ねているような感じ

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 14:20:10.11 ID:3D3gOYsQ0.net
ベルクマンの法則で
南蛮は基本的に漢民族よりも小さい種だから
中原に攻め込んでも漢民族の弱兵でも容易に撃退される説

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 18:32:03.45 ID:4SytYH5l0.net
実際、慕容氏とかみんなデカそう
慕容恪が190㌢オーバーだし

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 20:02:08.49 ID:54ghkEo60.net
劉曜も九尺三寸

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 20:23:05.03 ID:4SytYH5l0.net
劉淵も八尺4寸だしやっぱり遊牧系で元々デカイ遺伝子持ちでしかも貴人だから栄養状態もよくてデカブツが生まれるんかね

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/07(月) 21:17:14.06 ID:NGyTZzYI0.net
そもそも南人は食いもんに困らんから北に行こうとは思わんだろ

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 05:02:27.37 ID:XQtK6ECMO.net
南方は食糧が豊富にあるうえに「海のシルクロード」を利用したインドやアラビアとの交易で儲かっているんだから
わざわざ寒くて食糧が豊富ではない北を侵略する必要性がない

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 08:37:27.28 ID:5lKKFuql0.net
岳飛が聞いてたら激怒しそう

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 09:47:40.60 ID:dJyZuHt40.net
>>396
あの当時でも南宋の方が貿易黒字で経済的には金をカタにはめてる状態だったじゃん

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 10:21:00.51 ID:hZ0obpwr0.net
>>392
>>393
劉曜(九尺三寸)は約225cm
劉淵(八尺四寸)は約202cm
現代でも極めて高身長の部類

ちなみに五胡十六国時代の遺跡の
遼寧喇嘛洞(ラマトン)三燕(前燕・後燕・北燕)文化墓地で出土した人骨から
計測された当時の推測平均身長は男性167cm女性154cmらしい

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 10:53:25.12 ID:OZvSkpSW0.net
>>397
岳飛死後に南宋が百年以上持った事を考えると姜維みたいな無茶な北侵を止めさせた秦檜の方が正しかったよね

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 12:25:16.31 ID:TXfzx1wy0.net
北人は寒さと飢えで南下し、羯のような食人種も結構いるので南人を食用にしていたんだよな笑 きっと

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 14:20:22.56 ID:8ixc5QYL0.net
今のモンゴル人は背が低めだし鼻も低いから
鮮卑はモンゴル系ではないと思う

前スレかにあったけど、現代の慕容氏の村では背が高い人が多く、
黄髯もしばしば現れるそうだ
慕容氏と拓跋氏も当時の人が見たら容貌で違いが分かるほどだったのかもしれない

匈奴や鮮卑が平均して漢人よりデカかったのかそれとも匈奴劉氏や慕容氏の
皇族につながる部分の血統だけがデカかったのか
体がデカいので異相とされて"大人"に推戴されたなんて考えられるなw

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 18:05:59.58 ID:BWeCg4hs0.net
>>395>>399
元末でも南方に割拠した勢力は浙江の方国珍にしろ江蘇の張士誠にしろ現状に満足して元と妥協して北伐なんて考えもしなかったのに
朱元璋は安徽の濠州の出身で徐達ら配下も華北の出身はほとんどいないのに華中を平定後すぐに北伐したのか考えてみると不思議だ。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 21:06:46.20 ID:MNjXcbJ00.net
>>402
支配後の虐殺祭りから察するに、猜疑心の強さ故に自身を脅かす存在は徹底的に滅ぼし尽くさないと満足できなかったんだと思う
皇帝になったのはその過程でしかない

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/08(火) 21:11:35.26 ID:dJyZuHt40.net
東洋文庫「洛陽伽藍記」「魏晋南北朝通史」「魏書釈老史」がeBookJapanでいつの間にか電子書籍化されてた

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 09:08:49.47 ID:DyylbZIv0.net
>>401
慕容部は白虜や白賊と呼ばれるぐらい肌が白いので
白人系と思われるので背が高いのも黄髯が現れるのもおかしくない

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 10:19:25.12 ID:uA0YG/rP0.net
支配地の人間は言葉が通じなくて統治が難しいので、必要数だけ残して食用にした。戦の度に大量の食肉が得られ、どんどん巨人化していった

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 12:33:09.92 ID:OZZIVScB0.net
両脚羊を喰うと巨人化するのか?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 17:28:50.23 ID:DyylbZIv0.net
>>407
「両脚羊」の言葉が作られたもっと人肉食が一般的だった古代中国(夏殷西周時代)の
平均身長は男性163cm女性150cmぐらいだったらしいから
人肉食と身長には相関関係はなさそう
ちなみに漢字の「道」は喰った人の首をぶら下げて歩く姿からきたらしいので
こちらの方は人肉食由来ぽい

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/09(水) 18:40:46.23 ID:F6xH7cKh0.net
そもそも人肉は栄養価高くない

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 09:01:08.90 ID:MIVLT2Ef0.net
>>404
「魏晋南北朝通史」だけ現代の著書だったとは

「洛陽伽藍記」「魏書釈老史」とか
仏教視点で魏晋南北朝時代を見てるのはある意味面白い

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 10:20:55.08 ID:VFXDNOi+0.net
>>404

japanknowledgeに登録すればその辺見放題だけどな。
ついでに今年か来年には新釈漢文大系「全巻」も見れるし。

サブスクに抵抗ないならかなりおいしい。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 11:54:46.81 ID:X6QEt7/p0.net
おれは安岡正篤の「禅と陽明学」上巻の梁の武帝の狂信のところを読んで
この時代に興味を持った
陽明学者の安岡だが、南北朝史や儒仏の関連史にも手を付けてたんだなあ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 17:07:20.63 ID:MIVLT2Ef0.net
陽明学は儒教の一派で孟子の性善説の系譜だからな・・・
魏晋南北朝時代も通り過ぎて繋がってるのであながち無関係ではない

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/10(木) 18:38:23.84 ID:AuF3Y0uj0.net
この時代は仏教史でもあるし
神保町の古書店で古い学術書見てくと魏晋南北朝時代の本って仏教史がメインで政治史はオマケみたいな感がある

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/11(金) 09:07:56.25 ID:hche0UXw0.net
>>411
新釈漢文大系て1巻1万円前後するから
まともに全巻買って揃えると百数十万円
蕭繹みたいに皇帝になって思う存分蔵書集めたいものだ・・・

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 08:24:02.77 ID:2sKQlMkD0.net
そして自ら全て燃やすと

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 10:34:43.53 ID:G1nNOQbi0.net
苻堅 今川義元 
王猛 太原雪斎

被るなあ・・・軍師と当主がいなくなって一気に衰退
桶狭間にせよ織田軍3000に今川軍25000が敗れるなんて当時の人は誰も思ってなかったろうしね
信長の豪運よ

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 12:06:40.77 ID:UJvlwN3Q0.net
>>414
そりゃ仏教史のが史料多いしな

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 12:53:56.26 ID:WIzcu6zM0.net
思想史的(南北朝史では従来これが主力)だと北側の戦闘攻伐とか
サラッと通り過ぎてしまうが
高歓と宇文泰の数回の対決とかいかにも合戦らしい
特に543年の邙山の戦いとか、1日目、2日目、3日目の大将や
部下の将の動きが躍動感があるし、大将も討ち取られそうになったり

でも、北が争ってた十数年間のおかげで皇帝大菩薩がやれたわけだ

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/12(土) 23:08:44.18 ID:HEeYdwr60.net
>>415
そういや顔之推は蕭繹の散騎侍郎だったから
戦役の中で顔之推が蕭繹の老子の講義を聴講してたと思うと感慨深い
楊勇が蕭繹の孫弟子だと思うと感慨深いが
俺が「頭の体操」の著者多湖輝教授の孫弟子なのと同じぐらい繋がり薄いのな・・・

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 01:52:34.93 ID:HUm3gs9e0.net
顔之推みたいに南北に渡っているわけではないが
父を劉駿に殺されたにもかかわらず劉宋に仕え、南斉、梁と三朝に活躍した
沈約も経歴が面白い

最後は蕭衍の尚書令になり、没年が513年だから蕭衍が新進気鋭の名君のころか
もうちょっと世代が遅かったら不興を被ることはなかったかも

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 06:50:47.26 ID:+pFVFuV40.net
>>421
蕭衍と沈約は共に蕭斉の竟陵王蕭子良の「竟陵八友」のメンバー
(蕭衍・沈約・謝朓・王融・蕭琛・范雲・任?・陸倕)
なのにな・・・

>もうちょっと世代が遅かったら不興を被ることはなかったかも

それはあると思う
もう十数年長生き出来たら学問好きの昭明太子蕭統に庇護されてただろうに

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 14:06:52.79 ID:3kEPHhv0O.net
えこひいき、賄賂、汚職、女好きと何かとアレな魏収先生だけど、魏書釈老伝はわりかし大真面目に編纂しているのな
というのも魏収先生の一族は熱心な仏教徒だったので、魏収先生も仏教の経典を読んだり寺院に通ったりと関心があったそうで
そして「徴兵逃れの偽僧侶。喜捨による贅沢三昧…。仏教界の腐敗による弊害はとみにひどい。人を救う教えの仏教がどうしてこうも腐敗したのか!編纂者(魏収先生のこと)は歎ずる次第である」と締めくくっている

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 16:26:52.14 ID:KY7knhZ90.net
沈約て王鎮悪を殺った沈田子の弟の孫なんだな

沈約の父親の沈璞と王鎮悪の子の王霊福は共に劉鑠に仕えていたと書いてるけど二人が鉢合わせしたら殺し合いになるんでないかこれ

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 16:42:37.52 ID:HUm3gs9e0.net
竟陵八友のうちの任ムが集めた1万巻の本は
沈約と蕭衍が整理してやる、これはのちに蕭繹に焼かれる一部になるのかな

魏収って日本近代史では宮武外骨が似たキャラか

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 20:26:43.39 ID:/JcoMKT30.net
>>423
幼名が「仏助」だからね魏収先生は
一家揃ってガチの仏教徒

そんな魏収先生からも呆れられるくらいの当時の仏教界は………

武帝(北周)「これは廃仏ですわ」
武宗「これは廃仏ですわ」
柴栄「これは廃仏ですわ」
万人恐怖「これは廃仏ですわ」
第六天魔王「これは廃仏ですわ」

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 20:59:51.46 ID:3kEPHhv0O.net
この二人は菩薩皇帝や魏収先生や沈約に向かってこう言い出しかねないな…
特にあの周公旦を「貴様は泣き言を抜かすな」と一刀両断した庶人天王は


庶人天王「所詮、この世は弱肉強食。仏教とかいう生ぬるいやり方では人を導けん。人は法と刑罰で律せねばならぬ」
范曄「仏など人が産み出した概念に過ぎないですよね?そんなものが人を救うなど。ふん、全くもって絵空事ですな」

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/13(日) 23:34:06.28 ID:Dxn0mqFx0.net
>>424
殺し合いにならなかったので沈璞も王霊福も子孫残ってる訳で

そういや沈璞も劉鑠も共に劉駿に殺されているのは仲睦まじい

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 14:14:42.41 ID:wPFfMat90.net
仏図澄に石虎は帰依していた
これも石虎は善政だっただろう説の裏付け
それでも、息子を殺したということと殺し合いがあったことは
石家に対しては教化は及ばなかったか
この中で刃から超越していた仏僧の地位ってのも不思議だ

仏教的には石虎は善良な仏教徒で、北周武帝は非道な君主なのよね

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 19:43:45.52 ID:lk2/AN8X0.net
中世の戦争は貴族・騎士・傭兵がやるものだった
革命で国王を処刑して貴族を排除したフランスでは国民がみずから戦わないといけなくなった
傭兵主体のプロイセン軍はフランス革命軍に敗北した
金目当てで戦い不利になればすぐ逃亡する傭兵と違い、祖国防衛のために戦う国民が主体のフランス革命軍は強かった

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 19:47:54.12 ID:lk2/AN8X0.net
西洋は騎士、日本は武士がいた
中国は王朝の統一戦争時から前期までは正規の官軍がいるが
明の衛所制や清の八旗・緑営みたいに次第に形骸化して
後半期になると軍閥の私兵が戦闘のメインになる感じ

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 20:13:54.55 ID:Uc6VCb2o0.net
日本にしても島原の乱の時点で幕府軍弱体化しとったけどな
強兵なんて永続的に作れるもんでもない

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 20:19:29.98 ID:lk2/AN8X0.net
オスマン帝国のイェニチェリは精鋭で長いことヨーロッパを脅かしたけど
世襲を認めて弱体化した

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 20:40:07.73 ID:3iFb2ZQo0.net
チャーチルが名前のない犯罪と名付けたジェノサイドも、アルメニア人やユダヤ人の大量虐殺を経てジェノサイドという新語を持って認知されるこたとなった。中国には古代から族という言葉があった。今は意味も変わっているがこれ一文字で血統の皆殺しを意味する

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 20:46:09.49 ID:3iFb2ZQo0.net
>>433
スレイマン1世だっけ。
素朴な疑問だが、サルタンがソロモンを名乗っても良いのだろうか。1人の妃を愛したりしてムスリムっぽくない。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 22:10:25.41 ID:7VtlRIm40.net
>>435
何を言いたいのかサッパリ分からん
まさかソロモン=ユダヤ教=イスラームの怨敵!!
みたいな偏見回路ができちゃってる人?

とりあえず岩波文庫のコーランでも熟読することを勧めるよ

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/14(月) 22:50:33.62 ID:eYjNicEC0.net
>>429
別に信心深いからといって暴君ではないという事は無いぞ
宗教とは違うがポルポトだってカンボジア王家と関係ある家に生まれたせいか
最後までシアヌーク殿下には手出さなかったりで
暴君下でもアンタッチャブルは存在する

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 09:36:31.05 ID:6RB09stV0.net
>>436
確かに経典の民だが、スライマーンやスレイマンというムスリム名はこれ以降の流行だと思ってた。※ソースなし

オスマン帝国はユダヤ人を保護したけど、帝国領内でも生物兵器説の多いペストで多数が死んだりしている。ウクライナのフメリニツキーの乱は10万に及ぶユダヤ人犠牲者を出しており、当時では史上最大規模。前後でフメリニツキーはタタールから裏切られ、オスマン帝国に臣従している時期がある。通り一遍の庇護者でないことは確か。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 09:43:28.30 ID:BtEU3JGGO.net
明帝蕭鸞は猜疑心が異常に強く邪魔な皇族を容赦なく毒殺して回っていたけど敬虔な仏教徒で知られていた
毒薬の調合を命じながら仏に祈って焼香して涙を流すというメンヘラっぷりだった
晩年には道教にもどっぷり浸かっていて病気平癒に効くと服から調度品まで真っ赤なもので統一するというマジキチに進化した
最期は幼い我が子の将来を案じながらも己の所業を神仏に泣きながら懺悔して崩御するという悲惨なものだった
…この人は即位しない方が幸せだったのでは?

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 09:53:48.88 ID:JvIqPOTi0.net
>>429
若干スレチだけど
石虎はサタンタイプの権力者
宇文泰はルシファータイプの権力者
この違いは唐代の仏教、ダンテの神聖喜劇にも通じたりする

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 10:11:14.89 ID:BkjhLFT30.net
>>439
どこの赤い彗星だよ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 13:58:36.83 ID:tbRIhkyo0.net
あの文宣帝も仏教に帰依してるんだが
禁酒の誓いもやってる
三日坊主だったんかな
「仏法の大宗は静心にあり」とかおまゆう

南北斉で比べたら文宣帝は陽性、明帝は陰性的な暴君
どっちも乱行や親族は殺しても政治はけっこうきちんとやってると思う
文宣帝は楊愔を信任してたし、明帝のもとで竟陵八友のサロンが花開いてまた孝文帝の南伐を撃退してもいる

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 21:22:13.90 ID:aoT0hqlc0.net
ローマ人はゲルマン人に、アラブ人はトルコ人に、漢族は五胡に軍事を任せて乗っ取られた
社会が豊かになると自ら戦わなくなるのは世界的傾向なんだな

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 21:23:26.45 ID:aoT0hqlc0.net
ローマ軍は自国民
カルタゴ軍は海軍は自国民、陸軍はヌミディア傭兵

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/15(火) 22:59:09.84 ID:n7jUUMdc0.net
>>439
赤備えかと思ったらカズレーザー

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 07:29:11.89 ID:EP8DkRV60.net
仏教はインド、儒教は中国から流れて来たけど
神道は日本オリジナルよね
中国朝鮮には神社ないし天孫降臨の話とかもないし

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 07:56:47.29 ID:EX9rqN0D0.net
>>446
拉麺は中国、パスタは伊太利亜から流れて来たけど
饂飩蕎麦は日本オリジナルなのと同じと思われ
鹹水は五胡の領域で採れるので拉麺は五胡由来の可能性が

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 09:12:34.07 ID:EP8DkRV60.net
中韓の文化に神道の元になりそうな要素ある?
祖先崇拝くらいか

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 15:03:22.22 ID:e7BDLjDj0.net
天之御中主神が中国、というよりもウラルアルタイ系の鮮卑や匈奴などの祖先から
入ってきたのではないかと思うことがある

表の文化は曹魏、そして劉宋、梁などの南朝から

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 15:19:13.57 ID:uu259QgG0.net
>>442
文宣帝は原哲夫の漫画に出てきそう(北斗の拳とか)
明帝は山口貴由の漫画(シグルイや衛府の七忍)

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/16(水) 15:28:22.41 ID:sdjFu4jz0.net
>>448
神社は武器庫がルーツ。中国の城に似てる
https://www.touken-world.jp/tips/32778/

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 00:18:55.92 ID:hfUsnp5I0.net
>>451
そして神社の鳥居はインドのトーラナが起源らしい
中国から日本に伝わったものは多数あれど
半島は所詮経由地でオリジナリティに乏しい感が

インド以西から伝わったものの中には五胡の支配地シルクロードを経由しないで
明らかに海経由なのも時々垣間見られるのをみると
日本が八百万の神に象徴される多様性のある文化になったのもよくわかる

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 06:04:27.07 ID:b+ouGB0I0.net
魏書釈老志読んでるが「皇族の女子の坊さんとのあはん事案」多すぎね?

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 10:59:23.40 ID:wxTvtWeF0.net
>>452
スメラミト→シュメルは有名な話
これを嫌がったイギリスが日ユ同祖論で懐柔図ったり、危険思想として日本訳をシュメールに改変するよう圧かけた

なんせ岩戸隠しやサルタヒコを介して神聖四文字の入れ替わり(ニムロデ=バアル=デウス)がバレるからね

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 13:14:00.33 ID:0OtL6vNu0.net
>>453
編集者があれだし

北斉の宮廷的には面白いやつだったんだろう

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 13:33:59.54 ID:Tp4Z3xNn0.net
石上神宮が羯人石氏を崇める軍の駐屯所のようなものだった場合、日本人のルーツが人喰い人種ということになると都合が悪いからな。多神教のルーツは匈奴系遊牧民のテングリ信仰なのだろうか。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 14:02:41.14 ID:bsBpR2J8O.net
>>455
釈老伝の末尾で仏教界の腐敗を嘆いているところをみると
魏収先生は宗教に関してはわりと真摯だったっぽい

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 22:21:17.70 ID:0OtL6vNu0.net
>>457
そこがよくわからないところなんだ
魏収に限らず時代精神もあってかこの時代の仏教徒は
禁欲とかどうでもよかったのか
魏収に関しては宗教「学」に対して真摯であったというべきか


仏教との関連なら武則天の経歴も興味深いわ
太宗、出家、そして還俗して高宗…

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/17(木) 23:22:10.32 ID:65c5DX0c0.net
>>457
魏収の方が仏教界よりも腐敗しているように見えるのに
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