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五胡十六国南北朝を語るスレ18

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 21:35:52.94 ID:mgVxq7QO0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ17
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1649490148/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/25(金) 15:51:44.47 ID:jZTkvG5G0.net
ジジイ

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/25(金) 18:56:36.17 ID:M/iEnC690.net
>>511
慕容儁の基地外ぶりは慕容垂よりも上かもしれない

女官(李菟)は一瞬可哀想だと思うが
石虎の墓バラして金貰ってるから自業自得ではある

個人的には慕容儁の愛馬(赭白)が祖父慕容廆からの遺品で
49歳まで生きてた話が

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/25(金) 20:43:33.13 ID:3RHkyy560.net
>>513
何言ってんのかよくわからんがデイリー世説新語の作者はクソだよな、わかる

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/26(土) 08:45:30.34 ID:8PB/iLgN0.net
大野世民(李世民)著「推し(王羲之)が正倉院に入ったら死ぬ」

書聖(アイドル)王羲之とその推し活に勤しむ唐の皇帝(李世民)の活動を描いたコメディ

こんな感じの漫画はでないのだろうか

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/26(土) 09:42:34.03 ID:kwAsmo09O.net
李世民は王羲之に傾倒するあまり自分で晋書王羲之伝を書いちゃったお方ですので…

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/26(土) 17:38:41.96 ID:8PB/iLgN0.net
天可汗さんの推しメンは王羲之、陸機、陳玄奘(玄奘さんが翻訳した仏典の前書きは天可汗さんのペン)と複数

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/26(土) 23:44:20.74 ID:n8k/15mb0.net
李世民は魏徴に諫言されて悦ぶマゾ的変態さんでもある

魏徴の鉅鹿魏氏は北魏時代から栄えた感があるが
鳩摩羅什の弟子の竺道生が先に有名なので
仏教徒から貴族に転身したような面白い家系である

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/27(日) 07:00:38.70 ID:azdp6xLhO.net
夏のイケメンサイコパスこと赫連勃勃も軍師の王買徳と恩人の叱干阿利の諫言にはよく耳を傾けていたそうだからな
王買徳に「喪中を襲うなどとんでもありません!そんな不義をしたら誰も陛下についてくれなくなりますぞ!」と諫められると
「お前、よくぞ諫めてくれた!俺だって喪中を襲撃されたら嫌だ。危うく人でなしになるところだったな」と感謝して褒美をとらせたという

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/27(日) 09:04:12.07 ID:ptOJwOft0.net
>>522
明らかに限度を超える推し活を控えるよう諫言はしたのだろうか。それども諫言しても「自分の人生には王羲之の1分1秒が必要」「王羲之にはもっとファンが増えるべき」「王羲之が奈良の正倉院に入いってくれたら死んでもいい」とか反論したのだろうか

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 00:06:32.83 ID:STUh+myM0.net
奈良の東大寺正倉院は李隆基が失脚した後に完成してるから
ネタだと知ってても茶吹いてしまうw

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 00:10:33.97 ID:STUh+myM0.net
>>521
王羲之と陳玄奘が推しメンなのはわかるが
陸機の推し要素が未だわからん
自ら晋書陸機伝書いてくれてたらまだわからんでもないが

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 00:54:42.00 ID:/3zw9HT90.net
>>523
赫連勃勃ってイケメンだったのか。
ボツボツだらけの顔だと思ってたわ。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 08:56:39.97 ID:knA/rgL50.net
古代エジプトのファラオはライオンをペットにしていたようだ
豊臣秀吉も大坂城でトラを飼っていたらしい

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 09:28:27.96 ID:J0nO1Daz0.net
>>527
無惨様みたいなイケメンの可能性が

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 11:27:04.91 ID:qMcMuKi/0.net
赫連勃勃が南涼に結婚を申し込んだけど振られて、報復として滅ぼしたというエピソードのフルボッキ感ぱねぇな。この時の匈奴鉄弗部と禿髪が、日本でも藤原氏と源氏の対立として再演されてたりしてな。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 16:09:43.00 ID:kjXfQP0U0.net
【ロシア軍】 1945年以来、見たことのない攻撃準備
://lavender.5ch.net/test/read.cgi/europa/1669515505/l50
sssp://o.5ch.net/1zxod.png

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 16:56:06.65 ID:Zf1/o2NN0.net
>>527
禿髪だからといって全員ハゲではないぞ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 20:17:24.00 ID:ziNu+rQs0.net
赫連勃勃の息子たちの数万の軍を率いてのバトルで勝ち残り戦ってのも意外と例がないよな

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/28(月) 23:19:21.60 ID:x/Kjy5GK0.net
>>526
陸機って潘岳と並んで西晋最高の文人よ?

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 06:36:44.52 ID:GNnruqDRO.net
>>533
新太子の軍勢3万を壊滅させて勢いに乗る廃太子の軍勢7万をたった1万で完膚なきまでに撃破した赫連昌が色々おかしい
そりゃあの赫連勃勃が大喜びで太子にするわけですわ

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 09:49:37.92 ID:zF0QWPnU0.net
襲ったとあるから油断してたのを急襲したんだろジジイ

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 15:12:39.86 ID:M22hBGib0.net
それは奇襲だ
どんだけ言葉の運用狭いんだお前

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 15:41:26.63 ID:zF0QWPnU0.net
問題無いだろアホ丸出し

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 20:12:00.21 ID:UqrWUyop0.net
武烈天皇の諡号は赫連勃勃を参考にしてたりして

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/29(火) 20:39:52.57 ID:OZhz6Zhi0.net
あと雄略の暴君描写も五胡の暴君の描写参考にしてそう

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/30(水) 02:07:31.88 ID:Ifb4lCjm0.net
「日韓大会の主審でないと勝てないよなあ」「この結果を見れば、02年W杯に何があった(審判を買収した)のかは推して知るべし」「韓国は20年前に多くのものを盗んだのに、まだ目が覚めていない」

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/30(水) 07:52:16.74 ID:XiYLPHFfO.net
>>539
古代の天皇の諡号を一括で選定した奈良時代の学者・淡海三船は、漢詩集『懐風藻』を編纂するなど漢文の書籍に精通していたから
夏の世祖武烈皇帝赫連勃勃のアレな事績を知って、武烈天皇の諡号を決めた可能性もなくはない
ただ気になるのは、呉の孫堅の追諡号も始祖武烈皇帝なんだよな…

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/30(水) 08:35:42.01 ID:/NyLpb7o0.net
>>534
王羲之大好き陸機大好きなのに
王義之の蘭亭は墓に入れても陸機の平復帖は墓に入れないという・・・

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/30(水) 11:37:30.97 ID:OsZt2wXJ0.net
押しの本命が王羲之なだけよ

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/11/30(水) 21:52:44.61 ID:M0oTzDAk0.net
書道から魏晋南北朝に興味を持ったという人も多いだろう
北魏の石碑の書体はすごく多様
書道やってたら拓本=北魏のイメージが強い
南朝や三国は石刻文は少ないからね

それと鮮卑語の音写から受けるイメージ、
これって入声が多いからじゃないかと思った
日本語で〜フ(歴史的仮名遣い)、ク、ツ、チ、キ、促音で終わるやつね
中国語だと広東語とかで(p、t、k)で終わるやつ
拓、伐、勃、赫、跋、乙…

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 09:22:23.72 ID:t8+iQ5iO0.net
後世で王羲之越える書聖が出なかったのがな・・・
例えていうならモーツァルトやベートーヴェンを
超えられないクラシック音楽界みたいな

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 18:38:35.05 ID:aS41AR5c0.net
>>546
中国で春秋戦国時代の諸子百家を超える思想家が現代に至るまで出なかったように歴史上ある時期に頂点に達したものは
後世に超えららないという事だろう。

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 20:33:26.13 ID:amQPqoQR0.net
川内という地名が初出した東大阪(河内国)には、物部氏の本拠地や鞍作村(南梁司馬氏末裔の居住地)があった。頼朝や足利新田を輩出した河内源氏もここが根拠地。司馬達等が河内源氏というような話は特にないけど、後世に事実がわからなくなっていることを期待して詐称はしたかも知れないな。

初めて賜姓源氏となった嵯峨源氏の源融などの3文字名が一番五胡十六国っぽい。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 20:58:04.06 ID:amQPqoQR0.net
いきなり気狂いレベルが上がるけど、嵯峨源氏について。

サガは北欧の言葉だが、嵯峨源氏の嵯峨は右京区の地名から。地名としての嵯峨は秦氏の拠点だが、他に秦氏とゆかりある地名では太秦、これはヘブライ語から来ているらしい。ハタ氏はハッティ=ヒッタイトの末裔を意味する。鉄の伝来ルートや製鉄テクノロジーからも明らかなように、匈奴とも近い民族性を持つ。

ギリシャや北欧神話、日本神話、旧約聖書には共通の冥界下り・見るなのタブーのエピソードがある。ギリシャのゼウス、北欧のフン人、日本の藤原氏、オリエントの古代イスラエル人、これらが皆ヒッタイト→匈奴を祖とする民族であることを示している

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 21:05:25.00 ID:i0v5oZrn0.net
奈良時代の日本人に華夷の別はあったんだろうか
北魏も曹魏と同じようなものとか、南朝も北朝も同じ中国という認識だったのかね
穢史を手に入れてたらそれを読んだ連中、江南のほうを夷という認識になってもおかしくないな

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/01(木) 21:14:07.28 ID:amQPqoQR0.net
現代にまで通ずる南人と北人の区別は北宋滅亡後の話。当時はまだ洛陽が中心地だった

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/02(金) 09:03:34.88 ID:U0BI4vlM0.net
いつも思うのだが
北朝側が南朝を島夷扱いするのは草
どこが島やねん

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/02(金) 10:18:02.53 ID:F1wZJ+mJ0.net
長江の向こう側の陸地を巨大な島とみなすのはまだわかる
北燕を「海夷」とするほうがよくわからん

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/02(金) 10:42:18.19 ID:dwIjsjIc0.net
>>553
渤海の向うやぞ

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/02(金) 11:11:05.12 ID:xTOTcuqI0.net
当時は暖かかったとかで、地形が違うんじゃないの?
魏晋南北朝時代の古地図ってあったっけ。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/02(金) 16:23:15.39 ID:3GHfeTiD0.net
邪馬台国時代
九州の南に本州が有った説あるしなw

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 08:48:32.92 ID:xgejj/K40.net
>>551
北宋だと運河が有るので
洛陽よりも開封の方が栄えているような

五胡にとっては長安(咸陽)の方が好きな感が
まぁ始皇帝(異民族)の都だからわからんでもないが
そういや歴代の長安は渭水の南側で北方胡族の侵攻防ぎやすいけど
始皇帝の咸陽だけは渭水の北岸に有ったような

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 09:08:11.86 ID:ZTNL0kwF0.net
孝文帝@北魏「洛陽こそ漢文化の故郷やぞ。そこに都を移す事の何が悪いんや」

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 09:20:47.03 ID:Eb8DUsbpO.net
赫連勃勃は長安を陥落させても統万城の方が北魏から防衛できるという理由から決して遷都しなかった

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 17:56:57.03 ID:YU8IAXCL0.net
>>557
長安は練度の高い騎兵を子飼いとして持てる境界線みたいなもの
これより馬産地から離れると、異民族では文弱と呼ばれる現象(漢の文化に染まって騎兵や用兵術が貧弱になる)が急速に進む
東方でこれにあたる地域がギョウであり、いかに戦略上の要衝なのかを思い知らされる

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 19:20:01.80 ID:tAlHaNYp0.net
鄴は東漢までは一地方都市でしかなかったのに
曹操が根拠地と定めて箔がついて
石虎が初めて国都と定めた比較的歴史の新しい都市
なので五胡十六国時代までに既に国都だったりした
長安洛陽開封北京南京成都などとは違う雰囲気

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 22:28:47.88 ID:T7RTEt1M0.net
鄴は南北朝時代がピークで
鄴を都とした北斉が滅んだ後は衰退って感じだろうか

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/03(土) 23:41:21.20 ID:t6WfqZD50.net
>>562
鄴は北周の楊堅の簒奪に抵抗した尉遅迥の乱で廃墟にされて以降は衰退
Googleマップ検索すればわかるけど鄴は
邯鄲と安陽の間に建設された計画都市っぽい
現代でいえばワシントンD.C.とかブラジリアとかキャンベラみたいな
なので首都としての機能や役割失えば衰退するのは自明の理

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/04(日) 08:01:54.98 ID:+JULsqja0.net
>>559
赫連勃勃の考えはある意味正解だったので
赫連勃勃は残虐だけど有能なのが伺える
自身が死んで間も無く北魏や吐谷渾に国滅ぼされたのは残念
この時代を思えばよく唐の時代に長安が世界一の繁栄都市になったなと思う

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/04(日) 22:33:24.16 ID:MiaI01Ua0.net
五胡では殉葬とかいう制度があったのかな
皇帝が亡くなると皇后とか除く何人もの妃に死を賜るというやつ
今「尚食」といういう明初期のドラマ見ててそれやってたからふと思った

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/04(日) 23:09:38.83 ID:iJ6G/e5m0.net
北魏では皇帝の生母は死を賜る慣例。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/05(月) 05:34:42.47 ID:sLvPhP8b0.net
その子貴母死制度は前漢の昭帝の母を武帝が殺したことを参考にして
北魏が真似したんだけどな
北方民族の蛮習と思ったら大間違い

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/05(月) 10:56:59.92 ID:Xm+F6upQ0.net
>>559
長安は北からは無防備だもんな。使えるパターンと使えないパターンがある。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/05(月) 13:21:49.40 ID:HQeMfYqO0.net
>>565>>567
殉葬が行われたのは主に北魏ら北朝や遼、金、元といった異民族王朝だが五胡の諸王朝では行われていなかったようだ。
漢人の統一王朝では明の初期のみで恐らく前代の元に倣ったと思われるが建国から100年近く経った英宗の代に廃止された。
また次代の清で復活したが明と同様に建国から100年近く経った康熙帝の代に廃止されている。

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/05(月) 21:20:53.00 ID:1X4Lidr80.net
子貴母死を免れた霊太后が実子の孝明帝を殺すというのは皮肉な話だ

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/05(月) 23:54:45.70 ID:21U4J0TO0.net
>>568
一応長安のすぐ北に渭水
その北には秦の長城と漢の長城が有り
黄河渡って更に長城が有るから無防備とはいえないが
数百年経って長城朽ち果ててると考えると
統万城の方がいいというのも理解出来る

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/06(火) 22:18:10.75 ID:e57UHg1Y0.net
>>569
五胡に負けないぐらい漢民族も残虐だからな・・・
始皇帝の兵馬俑の中に活人俑
(生きた人間or死体の上から粘土被せて焼いて作った俑)
があると云われて久しいが
8000体(一説には全体の約20%)しか発掘されていないので詳細は藪の中

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/07(水) 02:43:06.02 ID:M60sqoZ00.net
教科書レベルだと五胡は残虐で南朝は平和な六朝文化が開いていた…
で、ちょっと劉宋と南斉に詳しくなったら北を超えるような皇族の殺し合い
でドン引きするってのは様式美みたいなもん
南のほうがより陰険さがある

劉裕はなんで前王朝の皇族皆殺しを始めちゃったんだよ
それを断ち切るのは趙匡胤まで待たなければいけなくなったじゃないか

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/07(水) 06:36:45.33 ID:3Pn9lxYv0.net
でもっとこの時代に詳しくなったら
二王三恪有るから前王朝の皇族皆殺しは
嘘というのがわかるまでが様式美
まぁ前皇帝や前諸侯王は普通に殺される時代だけど

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/07(水) 09:32:47.01 ID:nBYgte/90.net
特に女系母系は殆ど殺されないよな

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 00:06:46.50 ID:eXYE72KL0.net
禅譲ではないのだけれども北斉滅亡時に皇族皆殺しになる中で高仁英、高仁雅
は障害があるということで蜀に流されるということで生かされている

二王三恪があんまり知られてないってのは生かされるやつに
選ばれたのは知的、あるいは身体的に障害がどこかあった人物が選ばれたからかもしれない
たとえば劉宋では前王朝で祭祀を任されたのは司馬元瑜、これは障害は記録されてはないようだが

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 00:25:23.89 ID:RJ/i+iTM0.net
まるで井戸魔人が芸術抜かしたらガイジみたいじゃないですか~

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 06:52:04.13 ID:A9mSYEr30.net
>>576
司馬元瑜(零陵王:421年−448年)
司馬勗(零陵王:448年−468年)
司馬薬師(零陵王:468年−490年)

ここ辺りは零陵王を継いだ情報ぐらいで他は詳細不明だから仕方ない
司馬薬師以降の零陵王は名前すら残っていないので名前残るだけマシな気も

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 08:08:28.82 ID:E9PgHQCqO.net
>>576
北燕を建国した慕容雲は高姓に戻ったわけだけど、困ったことに慕容氏の祭祀を司る者がいなくなってしまった
隠居していた旧皇族の慕容帰を引っ張り出して遼東公に封じたうえで、慕容氏の祭祀をやらせた
この慕容帰、平州刺史時代に高句麗に攻め込まれたけど敵前逃亡したという、恥ずかしい前歴の持ち主だった
このように担がれる心配が無さそうな旧皇族を王に封じる例もあった模様

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 13:26:29.84 ID:v6V2iqe40.net
>>575
苗床需要があるからな

>>576
全員殺したら祭祀が絶えて呪われるからと、防止のために役立たずを形式上生かしてるだけだからな
命だけは助けっていう奴を全身ダルマにして見世物にしてるのに近く、皆殺しよりある意味残酷

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/08(木) 16:57:29.85 ID:E9PgHQCqO.net
>>576
蘭陵王の子孫は生き延びている
唐代、龍門石窟に仏像を納めた高元簡は蘭陵王の孫にあたる
現在、高元簡が建立した石碑は劉荘村にある蘭陵王の墓前に移築されている

>>580
史書に断絶したとはっきり書かれたのは後趙の石氏ぐらいだからな
胡族大虐殺をやらかした武悼天王ですら子孫はちゃっかり生き残って北魏に仕えている

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/09(金) 00:50:28.25 ID:3U/AmDpV0.net
>>580
二王三恪みてると
曹魏や東晋や劉宋や蕭斉や蕭梁は格式が王なのに
東漢や季漢は格式が公でぞんざいに扱われてて
更に二つの王朝を経ずに悲惨な末路で断絶していたりするので
曹魏以降の二王三恪は東漢や季漢に比べると比較的丁重な扱い

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/09(金) 23:51:24.42 ID:9lm5znwG0.net
>>581
冉閔の子で
冉智(太子)や冉胤(太原王)は死亡
冉明(彭城王)や冉裕(武興王)や冉操(不明)は行方不明
冉叡(不明)は前燕に投降して前燕の散騎常侍・海賓県侯

冉叡の子の冉興は北魏の安遠将軍・殿中給事・蒲陰恵侯
冉興の子の冉雅は北魏の征虜将軍・懐州刺史・北平貞侯
冉雅の子の冉華は北魏の鎮遠将軍・射聲校尉

なんだろうこの冉一族の中での冉叡の生き残り能力は

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/10(土) 02:02:57.10 ID:TkCyOK1H0.net
皇帝になる方法に皇族に生まれる、軍事力で実力を付けて簒奪や禅譲させる、朱元璋みたいに乱世に一からって方法があるけど
もう一つのルートがあったわ
養子にしてもらうこと

これは世襲とも簒奪(禅譲)とも違う第三のルートだよな
全く血筋がつながらなくて、しかも血を流さずに誰でも皇帝になれる可能性がある
蜀漢の劉封とか、後趙の冉閔とかあるけど
結局継げなかったり軍事力で主家を食ってしまったり
五代十国は養子が流行って
中国史上、養子が名君で成功と言えるのは後唐の李嗣源くらいか

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/10(土) 06:11:40.21 ID:qc4OZp500.net
>>584
養子的禅譲は堯舜禹が真っ先に思い浮かぶので
中国史では実はかなり古典的なルートだったりする

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/10(土) 13:44:54.71 ID:COCAyDVF0.net
>>584
『中国史上、養子が名君で成功と言えるのは後唐の李嗣源くらいか』

後周の柴栄「…」

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/10(土) 23:49:12.87 ID:oeWsG9A70.net
石勒周りは養子とか義兄弟とか多いイメージ

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 04:00:19.53 ID:iIsZYTCu0.net
石勒はいくら奴隷扱いされたといっても司馬氏を殺しすぎたということもあるな
この流れなら冉閔の虐殺を逃れて東晋に助けを求めた石氏は
助命してもらえて貴族として永らえるところなのだが
羯は記録上完全に根絶された民族になってしまった

ちなみに苻氏は苻宏とかいるから
司馬氏にとっては苻氏よりも石氏のほうが怖かったし憎かったということ

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 07:30:44.27 ID:Wer1uiYj0.net
・永嘉五年(311年)四月石勒に殺された四十八王
東海王 司馬毗
襄陽王 司馬範
任城王 司馬済
武陵王 司馬澹
西河王 司馬喜
梁王  司馬禧
斉王  司馬超
章武王 司馬混
隨王  司馬邁
中丘王 司馬鑠
下邳王 司馬韶
良城王 司馬綽
楽成王 司馬融
高陽王 司馬毅
譙王  司馬邃
汝陽王 司馬熙
清河王 司馬籥


590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 07:31:24.18 ID:Wer1uiYj0.net
・永嘉五年(311年)中に漢(石勒・劉曜など)に殺された王
南陽王 司馬模
范陽王 司馬黎
竟陵王 司馬楙
沛王  司馬滋
新蔡王 司馬確
順陽王 司馬暢
新野王 司馬劭
済南王 司馬固
淮南王 司馬祥
豫章王 司馬端
長沙王 司馬碩
臨淮王 司馬鮮
呉王  司馬晏
済陰王 司馬衍


591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 07:36:15.48 ID:Wer1uiYj0.net
・永嘉五年(311年)かは不明だがその前後に石勒らに殺された王
長楽王 司馬玷
武陵王 司馬
成都王 司馬遵


・永嘉五年(311年)正月逝去
平原王 司馬榦

・永嘉五年(311年)三月逝去
東海王 司馬越

四十八王は大げさだとしてもその前後含めて
少なく見積もっても三十王以上殺されているので
司馬氏が石氏を族滅してしまうのもわかる
まあ鶏が先か卵が先かでいうと鶏(司馬氏)の方が先だが
それにしてもこの時期なのに平和に余生終えてる司馬懿の不肖の子は変態

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 07:59:41.65 ID:AzyVhn/CO.net
>>589-591
うわぁ…殺しに殺しまくったもんだな…
王だけでなく王の関係者や庶民まで殺しているだろうし
そりゃ東晋の民に不倶戴天の敵と憎まれて、子孫は亡命を認められず根絶やしにされるわ
しかしまあ、なんで子孫は自分達を憎んでいるであろう東晋に亡命したんだろうねえ…

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 12:16:30.87 ID:BH+F26oS0.net
>>592
その辺りが根絶やしにされた石氏の限界
石勒や石虎なら最悪何処かに亡命するとしても
絶対に東晋には行かなかっただろう
石勒と石虎が英傑だっただけで他は才覚無かっただけ

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 12:23:38.16 ID:BH+F26oS0.net
>>591
八王の最後の生き残りで西晋の大黒柱司馬越が死んだのよりも
司馬懿の息子最後の生き残りで死姦マニアの司馬榦が死んで西晋の天命が尽きた感が
もし司馬越がもう少し生きれても何処かで石勒らにやられたかも

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 21:15:54.94 ID:Rt0FFav60.net
石氏は中華史全体を見ても異端児過ぎたから、根絶やしになったのはある種当然
胡漢融合のために、胡に実利、漢に名誉を制限させるなんていう両方の痛いとこ突く革命なんて、彼らにしかできなかった

>>594
司馬越も正統性を誇示できない血筋だから、王敦と抗争してると思う
下手したら南朝が割れる事態になってたかも

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/11(日) 21:18:51.35 ID:/Y/3DSCX0.net
羯人種は人間を食べるから、真っ先に滅ぼさないと怖いだろうな。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 03:06:37.74 ID:9fuTYJLf0.net
王敦が反乱を起こし、司馬睿はともに天下を治めようと宥めて丞相にする
この方式が定着したなら幕府制度が中国でも成立したんじゃないかと思うんだよな
司馬氏はお飾りの皇帝で琅邪王氏が政治と軍権を担当するという形
でずっと続いていくという

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 05:59:30.57 ID:2FI4HdV20.net
さらにその琅邪王氏の家宰が「執権」と称して天下を牛耳るんですね

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 12:15:09.17 ID:9FXTrFTF0.net
>>597
幕府体制になるチャンスは何度もあったが、結局のとこ妥協できず崩壊するところに中華らしさがある
互助関係なんて存在せず支配か服従かっていう精神性ゆえ成り立たない

これは歴史上特異に見える六朝式の体制でも同じ
貴族の上澄み>>>>>>>皇帝って上下関係のもと皇帝が服従しているだけ

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 16:37:21.60 ID:/y45zcSO0.net
王僧辯と王鎮悪って血縁的関係ってあるのですか?

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 18:21:59.78 ID:5U8XJNh30.net
>>600
王僧辯:太原王氏(姫姓王氏)
王鎮悪:北海王氏(嬀姓王氏)

系統違うような

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 20:23:27.71 ID:89M97nPi0.net
>>601
なるほど

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 20:30:09.40 ID:89M97nPi0.net
姫姓王氏(琅邪王氏•太原王氏)•嬀姓王氏の系統の人物は何となく理解出来たのですが殷の王族の末裔である子姓王氏で有名な人物って居るのですか?

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/12(月) 23:48:46.07 ID:7MKMT4Ao0.net
>>597
中国史で一番、日本の幕府体制に近かったのって春秋時代の覇者体制じゃない?
周王が天皇で覇者・盟主が征夷大将軍で

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/13(火) 05:40:20.45 ID:jCqeufvm0.net
劉宋の北府、西府が幕府と呼ばれることがあるな
それにしてもこの時代の官職名は長いな

>>604
始皇帝が周室を列侯とかで存続させてれば…
皇帝は表の最高権力者で、周室は「天子」みたいな形で
日本の皇室みたいに現在まで続いたの世界線が想像できる
五胡時代以前の匈奴だって冒頓単于の頃は孝とかなにそれ、
みたいだったのがすぐに孝単于なんて称号を名乗るようになるから
五胡が乱入した時代でも形式だけは残すということはされたかも

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/13(火) 09:46:46.77 ID:SESTwpqj0.net
>>603
子姓王氏は別名汲郡王氏と云われるぐらいの大きな勢力なのだが
残念ながら始祖の比干(帝辛の叔父)が一番有名なぐらい世に知られていない

拓跋宏(元宏)は比干大好きらしいので詳しい事は彼に聞くべし

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/13(火) 10:08:48.06 ID:qvUpKj0O0.net
面白半分に周王を弓の的にしたり(土岐頼遠)周王の宮殿に大砲向ける奴(禁門の変)が出てくる世界線

と思ったけど五胡~南北朝では皇帝にお茶くみさせたり(劉聡)とか泥酔して皇帝どついたりする(高澄)がいるから通常運転か

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/13(火) 11:33:44.46 ID:XtMxC4LH0.net
>>607
迷信のためだけに即位させられ禅譲か死かを迫られたり
他の王族貴族が逃げるための生贄として即位させられた皇帝もいるから
扱いとしては大陸のほうが酷いっちゃ酷い

とはいえ例で挙がっているのは全て曹髦殺害以降の皇帝
あそこで踏みとどまれなかったことで、中国の物質主義は取り返しがつかなくなったとも言える

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/13(火) 13:10:45.80 ID:kPGwZ/meO.net
劉聡の死後、とびきりの因果応報がきた
劉粲から簒奪したキン準が最初にやったことは、前趙の皇族を老若男女問わず全て東市に引き出して斬首することだった
更に、劉淵と劉聡の墓を掘り返して宗廟を焼き払ったうえで、劉聡の西晋の二帝弑殺の罪を糾弾して屍を斬首した
そして、劉聡によって虐待の末に殺された西晋の二帝の霊前に奏上して慰めとした
なお、西晋の二帝の棺はキン準によって東晋に返還されて丁重に葬られた

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/14(水) 00:25:03.89 ID:A0JixQuv0.net
>>609
靳準は匈奴屠各種なのに親晋という珍しい種
皇帝の棺よりも伝玉璽を返せよと言いたい

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/14(水) 08:28:15.55 ID:S6Ha5dBU0.net
東晋からしたらここで祖逖を靳準の支援に差し向けたかったところ

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/14(水) 10:00:56.01 ID:LFfZgiBl0.net
>>610
この時代の有名どころの中で、漢化しすぎた異民族として初めて現れたのが靳準
彼の対応が索引となって、当時の皇帝の概念や条件、胡漢の決定的な差が垣間見える

>>611
まだ成立したばっかりで体制すら整ってないから、与党の有力武官クラスを差し向ける余裕がなかったのは辛い
ここら辺は司馬越や西晋本体へ依存していた独立前の姿勢が響いてる
靳準が性急に簒奪せず、狡猾に時間をかけて匈奴漢を傾かせていけば、東晋服属は成功したかもしれない

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/14(水) 17:15:32.97 ID:JNtjFudc0.net
>>611
祖逖は靳準よりも劉琨を支援したいと思われ

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/15(木) 10:10:02.20 ID:ZUfTN8GP0.net
>>605
前256年に西周が秦に滅ぼされた時に
九鼎が混乱の中で泗水に落としてしまい行方不明に
なので禹から始まる九鼎の時代が断絶してしまったので
周室が列侯として存続する世界にならなかった説
なので九鼎を咸陽に持ち運ばせた嬴稷が悪いなw
異説では呂不韋が東周滅ぼした時に
最後の君主姫傑またはその子に祭祀守らせたらしいが

とりあえず秦から五代十国の後晋までは伝玉璽の時代なので
初代の秦が統一後わずか三代で滅亡した時点で
日本の皇室みたいに永続的に続く世界にならなかったのは残当

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/15(木) 12:33:21.25 ID:jwTzgwtF0.net
>>613
ホモダチだしな

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/12/15(木) 16:13:02.58 ID:wuyGsRHH0.net
祖逖と劉琨は『金谷二十四友』で
石崇や潘岳や陸機や左思らと共に
賈謐の腰巾着でしかなかったのに
八王の乱や永嘉の乱を生き延びて
武闘派として生涯を終えたのに驚愕

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