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五胡十六国南北朝を語るスレ18
- 755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/08(日) 21:06:02.03 ID:kgP+1zoL0.net
- 蕭衍もだけど、結局中国の在位の長い皇帝で
前半名君で晩年老害の法則を逃れたのはない
漢武、梁武、朱元璋、乾隆帝
次代から次々代くらいまで治世の害なく最盛期のまま渡したということを
老害にならないものとしたらラムセス2世、高句麗の長寿王とかか
そういう意味ではラムセス2世ってすごいんだよな
ちょっと脱線したけど
- 756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/08(日) 22:33:41.16 ID:ydYeEL7s0.net
- 康煕帝は?
- 757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 00:00:50.58 ID:pd4+7Eel0.net
- >>752
妹にまでハブられて憤死
なお、仕掛け人の中大兄皇子(天智天皇)も息子(大友皇子)が弟(天武天皇)に自殺に追い込まれた模様
>>755
康煕帝も晩年は後継者選定で老害ムーヴしてた
結果として赤ペン皇帝雍正帝が出てきたけど
- 758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 00:46:16.64 ID:bpyRjRAB0.net
- >>756
朱某雖無謀反之事,未嘗無謀反之心
- 759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 03:08:54.09 ID:gTH/I1V20.net
- >>755
老害の意味にもよるが
ラムセス2世も長寿王も国が栄えた全盛期に長期政権築けたから悪癖目立たなかっただけのような
ラムセス2世は自身の長寿のおかげで後継者の方が続々と先に逝ってしまい後継者高齢化
まるでエリザベス2世の長寿のおかげで息子チャールズ3世が老害化して即位したのと似ている
長寿王は半島お得意の蝙蝠外交で北魏や南朝(劉宋、蕭斉)や柔然や契丹や吐谷渾に通じて
北魏は高句麗にぶちギレしてたけと柔然や南朝や吐谷渾らに包囲されてて高句麗に構う余裕無かっただけで
世が世なら毌丘倹や慕容翰の時みたいに蹂躙されてる
- 760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 03:16:36.63 ID:iznzZ7Uc0.net
- ところが、劉宋以後は前王朝の皇族皆殺し…
いやいや、二王三恪がありますよ、ってのがよくあるパターンなんだが
清も同じなんだよなあ
https://baike.baidu.com/item/%E6%9C%B1%E4%B9%8B%E7%90%8F/1926605
朱之?lを延恩侯とし、旗人にしてその襲爵は清末まで続いた
じゃぁ南明への徹底した探索と始末、
>朱某雖無謀反之事,未嘗無謀反之心
はどうしてなんかという気にもなるが
- 761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 09:24:00.90 ID:c1kYxY3b0.net
- >>760
南明はイエズス会のケツ舐めた裏切者である上、南遷前の皇族を(形式上でも)擁立する場合、南明の皇帝は僭称扱いにしなければならなくなる
そういう意味では合理的
まあ統治初期は衆愚政策なんて糞やろと放伐扱いだったけど、統治に慣れた後だと衆愚政策サイコーとなって見直しに転じたのが一番の原因だが
(清は明に対して相生ではなく相剋、元に対して相生であることから、成立当初は明を正統王朝と認めてないことが分かる)
- 762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 13:40:50.01 ID:5G6pVW4g0.net
- >>760
二王三恪って革命の意義的に超重要な要素なのに知らない間に消えたよな
少なくとも南北朝までは現役だが
- 763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 20:09:41.82 ID:5TtSU/7L0.net
- >>762
二王三恪が完全に消滅したのは中華人民共和国
それまでは何らかの形で二王三恪は存在していた
隋でも晋の末裔の司馬運を琅琊公に封じて二王三恪を守っるが
二王三恪普通は公〜侯が普通なので実は諸侯王に封じてた
五胡十六国南北朝時代は二王三恪でも破格の高待遇時代
中華民国でも明の末裔の延恩侯朱?U??ノ
褒賞与えて放逐(朱?U??ヘ溥儀追っかけて満州国へその後行方不明)
なので約100年前にはギリギリ二王三恪が存在してたといえる
- 764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 20:30:14.35 ID:GR4qBzw70.net
- 高句麗は中国か?朝鮮か?問題だけど
五胡スレの住人的にはどういう解釈なの?
俺は高句麗は百済と同じ扶余族の国だから朝鮮じゃない?と思う
渤海は高句麗の残党と女真族の国だからどちらに分類するかは難しい
女真や満州は金・清という征服王朝を中華に建ててるから中国かな
- 765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 21:26:18.30 ID:GWmlnd9p0.net
- 二王之後は由来からして純粋な臣下にせず遇することに意味がある制度で、本来的に厚待遇であるのが正しい
後世に扱いが軽くなるのは形骸化しただけ
延恩侯も形だけの祭祀を許可された一臣下でしかなかったし
- 766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 11:51:05.73 ID:KkYy9AT+0.net
- 二王三恪は堯の不肖の子丹朱が舜に房邑侯に封じられて以後数千年の歴史
晋は東漢(山陽公)、曹魏(陳留王)、季漢(安楽公)、孫呉(帰命侯)だけでなく
姫周(衛公)や孔子(宋侯)まで封じる二王三恪祀り
- 767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 12:00:49.12 ID:QmuMOf6O0.net
- 元は金や西夏の皇族は皆殺しにしたけど、宋の皇族は生かしてる不思議
後者の方が徹底抗戦しているのにも関わらずね
- 768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 12:05:00.92 ID:0ChFcKg10.net
- >>766
二王三恪を勝手に拡大するな
蜀と呉は「降伏した地方領主」だ
- 769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 12:06:28.20 ID:QmuMOf6O0.net
- 南朝が王朝交代する度に粛清を逃れて前王朝の一族が北朝に逃げるケースよくあるが
北朝から南朝に亡命したケースは元??と侯景の他に誰かいたかな?
- 770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 17:50:53.74 ID:xxBLkUfC0.net
- >>767
それこそ中華を特別視している証拠ではないか
北周も北斉の皇族を皆殺しにしたが代わった隋は宇文氏を皆殺し(二王三恪枠は生かす)
陳は軍事的に征服した後皇帝も皇族も貴族として生かす
苻堅も東晋征服後は司馬氏は皇帝をはじめみんな生かして使う(予定だった)
金や西夏はナイマン族やケレイト族と同じような認識なのでは
- 771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/10(火) 18:03:03.97 ID:5gk2nWpw0.net
- 苻堅は東晋征服後に司馬氏の皇族で美少年いたら後宮に入れてヘイト買ってそう
- 772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 02:27:07.48 ID:21EmjVIR0.net
- 北周は後梁を傀儡政権としていたから
陳は僭称扱いになる
宇文邕がちょっと長生きするパターンだとたぶん陳の皇族は皆殺し
後梁は江陵を自治都市にしてもらう形で存続したかもしれん
>>764
おれは史書から考えてその結論
二十四史で高句麗の記事が立てられている三国志、魏書、北史などなどが高句麗をどの分類に入れてるかということ、けっこう一貫してる
そして、朝鮮側は遼金の時代に編纂された「三国史記」で高句麗を朝鮮側とする
史観が確立している
その後に中国側が高句麗を中国史に分類する動きはつい近年までなかったので
、
- 773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 02:36:01.28 ID:YnLEkS0i0.net
- 後主は戯れに生かされただけじゃねえの
- 774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 14:59:28.04 ID:M9MSs96R0.net
- 長江より下の連中がヤバい奴ばっかりだったとか?
陳滅ぼしても不穏分子が山ほどいて虐殺したらそいつらが暴れる可能性あったりとか
- 775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 16:04:20.31 ID:NFitUitR0.net
- 司馬陳とか劉陳とか蕭陳ならともかく
陳陳だから暴れるのは当たり前
- 776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 16:12:48.71 ID:WAXbWAdz0.net
- 陳姓をよりによって陳に封じたのは何故
- 777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 16:46:41.68 ID:B+aba9FD0.net
- 新王朝ではなく春秋時代の陳の復興だから
ってことは流石に無いかな
- 778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 18:16:07.51 ID:21EmjVIR0.net
- 蕭綱に領土割譲の約束を反故にされて宇文泰が激怒、
侵攻されてそんなに経ってないのに
なぜか宇文邕のときには蜜月関係になってる
蘭陵蕭氏ブランドが効いたのかな
- 779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 20:12:49.97 ID:6gKIwnfu0.net
- 蕭繹はろくでもないな
蜀が惜しくて西魏を北斉に攻めさせようとするのはまだいいが江陵に集められた蔵書全て燃やすのだけはないわ
- 780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 20:21:05.57 ID:IhyVaAiJ0.net
- ガイエは劉大夏disってるけど蕭繹の方がよほど悪即斬だよな
- 781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 20:27:44.97 ID:OZr8TjVm0.net
- 誰だよ
- 782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 22:06:41.44 ID:21EmjVIR0.net
- 蕭綱ではなく蕭繹だった
いよいよ火を付けようとしたとき周りが取り押さえないとな
「敦煌」で李元昊が攻めてきて書庫に火がつくところがあったけど
あんな感じだったんか
- 783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/12(木) 02:37:03.89 ID:OiUObLm60.net
- 梁の皇族の中では誰推し?
俺は蕭銑推し
- 784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/12(木) 02:52:54.25 ID:QY++SVtV0.net
- 蕭巋
蘭陵蕭氏って屈折した文人ばかりで好きじゃないんだが、
バランスの取れた名君タイプだと蕭巋
コミュ力が高いし
蘭陵蕭氏の中でほっと安心できるようなキャラ
- 785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/12(木) 11:59:22.80 ID:FjoaWM+r0.net
- 蕭繹は本人の項目だけ見たら不器用な悲劇の皇帝っぽいけど
息子の蕭方等とその母親への扱い方とか他の項目見たら評価変わる
挙句狂暴とか言われてて草
- 786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/12(木) 17:54:18.39 ID:SAS8F20i0.net
- >>782
堀秀政に坂本城包囲された明智左馬助秀光満ならともかく
蕭繹の相手は江陵陥落後宝物略奪し放題の于謹だから焚書もわからんでもない
宇文泰が直々出てきてたらもしかすると焚書は無かったかもしれんな
- 787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/12(木) 18:59:40.36 ID:UHyrFeqx0.net
- >>783
血統も乱世という時勢も得てるのに言動から拭いきれない凡人感、器の無さがいいね
あぁ蕭氏の天命は終わったんだな、と感じさせる
そのくせ最後が妙に男らしい
- 788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 07:15:14.22 ID:U5TWY9NT0.net
- 蕭正徳
名前は立派なのに…蘭陵蕭氏随一のクズ男
- 789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 08:12:44.40 ID:fFb10QdR0.net
- 梁滅亡の大戦犯やな
あと読んでたら普通とかいう元号があって草
- 790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 08:47:28.02 ID:zQ5PUfZh0.net
- 元号が令和になったときに各国の歴代王朝の元号調べたけど梁の元号が一番ぶっ飛んでるからな
普通→大通→中大通→大同→中大同とかふざけてんのかってレベル
まあ仏教用語なんだろうけど
北朝の方が太平神君(北魏)みたいな道教臭い元号もあるけどいかにも中華の元号っぽい
- 791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 10:35:58.10 ID:U5TWY9NT0.net
- そのあたりは武則天と被るな
- 792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 16:30:26.91 ID:hhQVZ2kV0.net
- >>790
特にふざけてるとは思わん
一世一元以前の元号なんて基本こういうノリだし
- 793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 16:45:55.46 ID:4Bwe1BDM0.net
- 日本でいう「普通」は中国では「正常行為」で
中国の「普通」は梁の元号でしかないので
日本人にとっては変でも中国人的にただの仏教用語で
変に感じないんだろうな
中国の「手紙」が日本では「トイレットペーパー」だったり
日本と中国との言葉の意味の差は
南舟北馬以上に隔り大きい
- 794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 19:18:30.92 ID:ATkKP6oL0.net
- 普通語
- 795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 19:18:31.61 ID:ATkKP6oL0.net
- 普通語
- 796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 19:47:41.81 ID:gDAVMkvG0.net
- 要は縁起担いどこうってだけだから個々の元号の意味はそんな大切じゃない
元号という文化自体は重要だけど
- 797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/13(金) 20:01:03.72 ID:qWlh+Pif0.net
- >>796
現在元号使ってるのは日本だけのようだね
日本が元号使う前には五胡も元号使ってたのに
- 798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/14(土) 19:57:51.98 ID:e9SyWbRS0.net
- >>787
蕭銑は部下の出る杭叩きまくって離反されまくりだからな…
少なくとも中国では器の小さい君主は成功しないよ
- 799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/14(土) 21:49:18.36 ID:Rk0LD2Ot0.net
- 粛清が早いと天下取れないがほっとくと簒奪される
タイミング大事
- 800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/15(日) 22:35:31.40 ID:7UNFOeMc0.net
- 五胡諸国もみんなまともな元号でDQN元号ってないな
- 801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/15(日) 23:08:58.50 ID:l9SByuvG0.net
- 逆だぞ
あいつらが元号なんてスタイルを真似してんのが厨二だ
- 802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 12:49:43.86 ID:VNXFaV6q0.net
- >>788
朱全忠「せやね」
- 803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 12:52:08.20 ID:VNXFaV6q0.net
- 五胡って漢族みたいに総髪?それとも蒙古や女真みたく辮髪?
北魏の石に描かれた絵を見ると冠付けててこの頃までくるとおそらく総髪になってるみたいだが
- 804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 13:36:49.40 ID:IcJNVfr40.net
- >>799
朱元璋は北元が蒙古高原に健在で脅威になっていた時期は粛清は胡惟庸や李善長ら文官のみに止めていたが
1388年のブイルノールの戦いで藍玉が北元に壊滅的な打撃を与え北方の脅威が消えてから安心?して藍玉ら
武臣の粛清を大々的にやりだした。
- 805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 14:32:19.20 ID:QkjNRkmj0.net
- 腹心中の腹心だった李善長やった時点で相当だけどね
- 806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 19:08:44.25 ID:DDjJRyaZ0.net
- 孝文帝改革では平城から洛陽への遷都だったが
明は南京から北京へなんだよなあ
北京を首都とする流れって遼、金、元と来ているから
現中国が北京を首都としてることって征服王朝からの流れなんだなあ
歴史的には中原を外れた辺境の地だし
- 807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 19:14:40.17 ID:Y4ovjScP0.net
- それだと中共はなんで民国の首都南京じゃくて北京を首都にしたんだろうな?
- 808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 19:23:00.34 ID:DDjJRyaZ0.net
- >>807
ソ連への備え?
北魏が中華王朝化していったら柔然が北方の敵として備えるべきものとなったように
それの逆を中共はいったのかな
本来なら清の郷愁を誘うような北京は避けて南京のはずだが
前世紀に北方の圧力で沿海州を奪られたからねえ
- 809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 19:25:48.81 ID:ftEipI/I0.net
- そら当時の北京は北元(モンゴル残党)が最大の仮想敵国で皇帝(永楽帝)自らが北元討伐の最高指揮官を兼任してる状態やぞ
- 810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/16(月) 21:22:41.44 ID:StiT0/lm0.net
- 関係ないけど朱元璋って鍾離の戦いの鍾離出身なんだな
- 811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/17(火) 00:49:31.49 ID:AOuEjxOj0.net
- >>701
丁零に負けて洛陽失った挙句慕容沖にボコられつづけて自殺した奴とか慕容泓に敗死した挙句姚萇が裏切る原因作った奴とかアカンヤツの方が多くないか…
- 812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/17(火) 06:46:51.81 ID:0cccLqOU0.net
- >>807
歴史的にみて北京は南京よりも大都市だった時期が多いような
春秋戦国時代には燕下都が謎の世界最大都市(推定人口最大32万人)だったり
北京の大繁栄時代の元でも北京は杭州よりも人口少なかったりするので
北京の全盛期は実は五胡時代よりも遥か昔かもしれない
南京は蕭梁時代に推定人口50万人で繁栄してたが侯景の乱で衰退
以後人口増えたり減ったりしてるが日中事変で
南京推定人口20万人で30万人大虐殺みたいな珍説あったり
- 813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/17(火) 07:00:36.57 ID:MlQ7jL8n0.net
- >>811
でもそれは淝水後の話じゃん
それまでは出来の悪い面々も何とか大丈夫だった
慕容沖、慕容泓、慕容永が意外に戦上手だったというのがあるだろう
特に慕容沖は苻堅の寵童だったくせに侮れないやつ
北京あたりは中原から離れているといっても一応伝統的中国だ
春秋戦国の燕は西周建国のときからの由緒ある封建
- 814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/18(水) 23:52:58.19 ID:vesKSj3N0.net
- 北京は華北平原の最北端で
北京の北から南西にかけて山脈で区切られてて
地勢的には南の平原から地続きの中原ぽいのにな
むしろ江の南や桟道の先の方が未開ぽくて伝統的中国外
- 815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/19(木) 16:20:25.60 ID:Ac48dn0+0.net
- >>813
まあ父親があんなやらかししたらしょうがないよな感はある
ただもう少しどうにかならなかったんか感もある
- 816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/19(木) 23:53:44.42 ID:uGHsjbFP0.net
- 父親がペドフィリアなのを見てた子供達と思えば
- 817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 00:07:56.13 ID:ZtcNKIvA0.net
- あの体制では一代で統一しないと死後分裂
- 818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 05:36:53.39 ID:9mMMAnpp0.net
- 十六国に入っていない西燕がいちばん十六国ぽくないか
安定した時代がなくて皇帝は全員同族に、臣に、外敵に殺され
地政学的にはまず長くは国体を保つところができないところだし
- 819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 05:52:32.92 ID:VepmTXKQ0.net
- 苻堅が統一してたらこの時代大人気だったかもな
- 820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 08:15:21.62 ID:BJxKXxLCO.net
- >>818
西燕は前燕の嫡流のはずなんだけど
慕容氏ですらない段随とあまりに遠縁過ぎて皇族の範囲に含めるか怪しい慕容永が皇帝になっちゃってるカオスっぷりだからな
- 821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 13:04:47.12 ID:hRp8arqQ0.net
- >>817
アレクサンドロス大王「ワシが築いた帝国も死後あっという間に分裂したな。」
- 822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 21:27:57.47 ID:I+4QzeAu0.net
- >>819
今川義元と被るんだよな
まさか3千の織田軍が2万5千の今川軍に勝つだなんて
普通は誰も思わんわな
苻堅敗北後の前秦みたく今川家も義元が死んだ後に領国内混乱で一気に弱体化し
徳川や武田に呑まれてあぼん
- 823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 21:29:57.25 ID:I+4QzeAu0.net
- アウグストゥスから東西分裂まで400年も
あの広大な領土を維持したローマ帝国の偉大さよ
- 824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 22:00:38.12 ID:jRDykCMa0.net
- 王猛は苻堅の掲げる一視同仁にはどの程度賛同してたんだろ
働く無能が最悪と言うけど能力ある理想主義者も周りを振り回すよな
ある程度理想に近付けるから歯止めが効かない
- 825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/20(金) 22:15:40.72 ID:MzZZeKiM0.net
- >>820
慕容永の遠戚度は吐谷渾とほぼ同じなので
もし西燕が生き残れたら吐谷渾みたく
後世の隋唐時に本家凌ぐ存在感出せたかもな
中原に拘って募容垂と雌雄を決したのが錯和
- 826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 00:19:22.48 ID:kcTSwOeD0.net
- 慕容垂との対立不可避でしょ、そもそも目的が「燕地に帰る」な集団だし。
慕容永にしたって、下手したら慕容沖と慕容泓の子どもたち殺したのも
もらい事故的なものだったかもしれない。
結果からならいくらでも「邪知暴虐の男」って呼べるけど。
- 827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 00:42:18.57 ID:e7BL0vbH0.net
- >>820
燕のお家騒動は秦末の田氏を思い出す
嫡流と傍流の争いに他国も絡んでごちゃごちゃ
>>817
悪魔みたいな遺言残しやがって…
- 828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 17:55:47.85 ID:PonbsgCz0.net
- 慕容氏もある意味理想主義者苻堅の被害者
前燕滅んでも慕容評すら生かしているから
慕容氏まるまる生き残って淝水の戦い後酷い事態に
石勒石虎の如く敗残兵まるまる生き埋めにするぐらいに禍根断たないと
- 829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 18:18:52.00 ID:hBBry4BG0.net
- 石田三成 津軽杉山家
真田信繁 仙台真田
長宗我部 土佐の下級藩士
北条 狭山藩
今川・大友・福島 旗本
敗北した家もなんだかんだ生き残ってるんだよな
完全に滅亡したの武田くらい?
- 830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 18:32:55.00 ID:hBBry4BG0.net
- 石氏一族も逃げるなら前燕だろ
なんでよりによって東晋に逃げるんだよ
案の定、皆殺しにされてる・・・
- 831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 18:40:17.99 ID:KBNmdYoE0.net
- >>830
前燕に行っても大して変わらんぞ
苻氏と違って名声あるわけでもないから
- 832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/21(土) 22:20:34.60 ID:e5VhOlZS0.net
- >>829
甲斐武田家の事だと思うが
武田晴信(信玄)の次男信親(竜芳)の家系が江戸時代高家に
五男盛信の家系が江戸時代旗本として存在
あと七男信清が面白い事に宿敵越後上杉家の元へ逃れ
(上杉景勝の正室が信清の異母姉の菊姫)
そのまま上杉家家臣として存続
他にも信玄の弟の川窪信実の家系も江戸時代旗本に
どうみても滅亡に程遠い
- 833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 05:49:29.81 ID:ImNn6eDs0.net
- 成漢は氐、漢の二重統治だったといえるのだろうか
制度で民族は区別してないから、二族共同国家といえるかもな
のちの時代の西夏とか「夏」は赫連勃勃以来(匈奴)
拓跋氏を名乗る(鮮卑)
系統的には羌、氐がルーツなのにごっちゃだ
こういうのは鎌倉幕府の北条氏が滅亡した後の後北条氏とか
その他もろもろ日本にもあるな
- 834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 06:05:11.83 ID:ImNn6eDs0.net
- 津山も凋落してるね
京都は北風で近年よく当たってるのに
- 835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 06:05:47.89 ID:ImNn6eDs0.net
- 834は誤爆でした
- 836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 07:15:39.78 ID:eJoF9MZU0.net
- ジジイ
- 837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 14:29:55.86 ID:lbzzrrfo0.net
- >>833
成漢は支配階級が氐族で非支配階級が漢族
苻堅の前秦は成漢を模倣したのかもしれないな
少数民族が多数民族を支配するのは上が
李雄みたいな名君だから出来るのであって
李雄死んだらルワンダ内戦やブルンジ内戦みたいな惨状
そういや李雄は氐族なのに国名を「成」(後に「漢」)を名乗ったのは面白い
どうみても公孫述の「成家」や劉邦の「漢」を模倣したとしか
普通なら戦国時代に秦に滅ぼされた「巴」(氐族)や「蜀」(羌族)を名乗りそうなものだが
- 838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/22(日) 16:45:21.40 ID:xsLft0eq0.net
- ババア
- 839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 00:00:51.70 ID:tUuXMYPt0.net
- >>831
そういや苻堅の嫡子の苻宏とか東晋に亡命してたな。苻丕が東晋に負けて殺された時とかどんな気分だったんだろうな。しまいには桓玄の配下に成り下がるし
- 840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 03:14:21.86 ID:mKD2qVVq0.net
- >>831
東晋には石氏を恨んでるのが大量にいるから無事にはそりゃ済まんだろう
という意味よ
- 841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 19:06:04.92 ID:JHXbIeRA0.net
- >>839
苻宏は苻堅に見殺しにされて長安に置いてかれたから
あまり一族に愛着無さそう
- 842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 20:27:23.20 ID:RhzdxMlU0.net
- >>841
苻一族って普通に内紛だらけの一族ではあるよな
光属性のイメージがある苻堅からして苻生裏切って簒奪してるし、苻双といい苻洛といい裏切られまくりだし
- 843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 20:30:08.64 ID:LF0gR1gg0.net
- 梁の皇帝菩薩とか宇宙大将軍って、もう中華圏で文明は諦めろということだよな。それで司馬姓の人が日本に来て、飛鳥寺を建てたのかもしれないし。
- 844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 21:11:04.91 ID:SXeX8E5iO.net
- >>842
それが、苻洛は謀反を起こしたくて起こした訳じゃないんだよ
苻洛は謀反人の兄弟ということで苻堅にゴキ並みに毛嫌いされていた
しかし、苻洛はいつか苻堅に認めてもらえると信じてひたすら辺境を転戦した
いくら手柄を立てても苻堅に「苻洛は謀反人の兄弟だから性格が悪いに決まっている。いつか兄弟と同じように謀反を起こすに違いない」と猜疑され
代を滅ぼす大功を立てて今度こそは認めてもらえると信じていたのに、謀反人の兄弟だからと開府すら認めてもらえなかった
辺境をひたすら転戦させられ心身共にボロボロになっても苻堅に目通りすら許されず
あまりの報われなさに人生に絶望しきって、とうとう謀反を起こすまで追い詰められてしまった
- 845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 22:07:40.28 ID:RhzdxMlU0.net
- >>844
この経緯見て毎回思うんだがなんでそんな奴を代討伐の司令官にしたんだろうな。?ケ羌とかじゃダメだったん?
- 846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/23(月) 23:48:36.18 ID:EhGLTbDT0.net
- 苻登は黄巣の先輩みたいに
敵兵を倒して食料にしろ、くらいのすごい頑張り屋なのに
苻融は慕容恪みたいな立ち位置なのに
なにか空回りが多い苻氏
苻洛にしてもこの時代なら兄に連座させて始末しておいて問題はなかっただろうに
これは皇帝大菩薩が蕭正徳を始末しておかなかったのと被るな
変なところで出した寛容さが仇になる、時代は五胡南北朝だぞ
- 847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/24(火) 10:30:51.28 ID:uJUIR7PR0.net
- 苻堅の寛容さって言うのは独善的な思想が強すぎるんだよ
俺が一番偉いから何してもいい、お前らは俺が許す範囲なら何をしてもいい、だからな
結局のとこテメェが好き勝手するための道理しかないから、欲の衝突が起きた場合には相手に徹底的に不寛容を押しつける
そんなのじゃ最初から政治中枢に入れない人間しか付いて来ないんだわ
なんせ一番とその他の権限が違いすぎるから、中枢入れる人間や親類は一番になりたいって欲に負ける
中枢に入れない人間も中枢に入るまではいいが、入った途端にその欲との戦争になる
- 848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/24(火) 10:35:59.05 ID:qJgQU1/3O.net
- >>845
前秦からしたら代はまあまあ強い辺境の国に過ぎない
だから、苻洛を辺境の代を討伐する司令官という名目で追い払った
まあ、大嫌いな苻洛が代を滅ぼすついでに死んでくれれば一石二鳥と思っていたんだろう
代を滅ぼした苻洛は拓跋一族を説き伏せて苻堅の役に立ちそうで優秀な若者を都に送っている
「彼は敬愛なる陛下のお役に立てる事でしょう。是非とも太学に入学させて学問を修めさせて下さいませ」という推薦状も添えて
苻堅は若者を太学に入れたものの苻洛に対しては「性悪な苻洛めまたよからぬ事を企んでいるに違いない」とますます嫌ったという
合掌…
- 849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/24(火) 16:26:22.10 ID:MX2h+Nya0.net
- >>848
まあ人事とかいろんな思惑絡むし後世視点からだとどうしてもはっきりしない部分はあるわな。説明感謝するわ。
- 850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/24(火) 16:29:32.62 ID:MX2h+Nya0.net
- >>847
王猛の遺言全力で無視したのとかまさにそれよな
英雄ごっこのための名臣は欲しいし寵愛する。ただしどんな名臣だろうと英雄ごっこに水を差すことは許さない。そりゃ失敗しますわ。
- 851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/24(火) 16:30:54.13 ID:1g9YauwM0.net
- >>846
苻洛が蕭正徳と同じ扱いなのは泣ける
人格的には天地の差
- 852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 01:06:27.06 ID:KYqkcmyL0.net
- 奸臣扱いされる慕容評、苻洛や最初からクズだった蕭正徳とは違うキャラだが
慕容皝、慕容儁の監督下、そして慕容恪との共同執政期までは
軍事的にも実績を上げ続けてる
誰かから監督されればそれなりに実績をあげるがトップになるとダメなやつ
それとこの時代らしくなく奸臣になっても金が好きで血生臭い暴君的所業や
粛清とかはやっていない
慕容恪死後、王猛にボコられて前燕亡国の汚名を着せられてるけど
あんまり嫌いなやつじゃないな
- 853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 09:47:12.75 ID:aqI5FCin0.net
- 慕容評の孫の慕容懿は面白い事に
後燕に仕えて鎮西将軍、幽州刺史、上庸公に封じられている
その後北魏に降って平州牧、昌黎王に封じられてる
結構評価されてるのか
- 854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 13:11:47.74 ID:eMliNkbc0.net
- 後燕の歴史記述なんてバチクソ慕容垂の息掛かってるだろうしなぁ
- 855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 13:52:31.29 ID:PWD5Bqc3O.net
- 代王拓跋什翼ケンを弑殺した拓跋寔君と拓跋斤を「この者共は亡国の奸臣であり極悪人である!」と車裂き刑に処した苻堅が
慕容評に関してはいくら慕容垂が「慕容評は亡国の奸臣です!極刑に処すべきです!」と嘆願しても全く取り合わなかったんだよな
それどころか慕容評を地方官にして天寿を全うさせている
慕容評は本当に亡国の奸臣だったんだろうか?と疑問に思うわけで
- 856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 15:58:58.34 ID:QbEw89o80.net
- >>855
拓跋寔君と拓跋斤は主弑しだから誅殺
慕容評は亡国の奸臣とはいえ慕容恪生きてれば
前燕滅ぼすのほぼ不可能だったから前秦にとってはある意味恩人
季漢滅亡時の黄皓の例みたいに奸臣生かしておくとそちらにヘイト集まるから
征服者にとっては何かと都合がいい
慕容評が慕容暐を弑してれば苻堅も迷わず慕容評処刑してただろうな
- 857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/25(水) 22:00:34.82 ID:LYBJcVtk0.net
- >>837国号を成から漢に変えたのは李雄じゃなくて李寿じゃなかった?
- 858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 01:44:28.61 ID:pfOpHWxk0.net
- >>855
そもそも慕容垂からすれば慕容評は自分を亡命に追いやった憎い敵だしな
あと前燕滅亡後のなんかの戦いで慕容垂と慕容暐が共闘してた記憶があるんだがお互い死ぬほど気まずそう
- 859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 01:46:37.02 ID:O86z1jfy0.net
- >>856
苻堅自身も苻生弑虐した簒奪者なのに「主君を弑するなど言語道断!」的なスタンス取るとかどういうメンタリティしてるんだろうな
- 860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 08:57:48.27 ID:UwDdWPIg0.net
- >>857
国号を成から漢に変えたのは李雄じゃなくて李寿で正解だけど
例えば劉淵が国号を漢にしたのに劉曜が国号を漢から趙(前趙)に変えたけど
変わったのは国号だけで実質漢でも趙でも中身ほぼ同じだから
成も漢も李雄の国の国号という意見もわからんでもない
- 861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 09:33:21.82 ID:6q1A1oYs0.net
- うっかり多すぎねえ
https://twitter.com/rivereastbamboo/status/1618086620556820480?t=IZPCTSHLnWdfEgbAUpQeog&s=19
(deleted an unsolicited ad)
- 862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 10:14:07.76 ID:7yoHgtCoO.net
- 李寿は即位すると李雄の息がかかった公卿や州郡の長官を全て降格して自らの腹心を後釜に据えた
ついでに李雄の息がかかったと認定された官吏とその親族や関係者をまとめて左遷した
そして、自らの父を漢の始祖として廟を建てて盛大に祀ったのに対して、李雄を大成廟に追いやった
ここまで徹底しているとお前は李雄に恨みでもあるのかと問いたくなる
- 863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 12:13:44.53 ID:AlKLz5j60.net
- >>859
「あんな石虎と後廃帝足して2倍したような奴、誰かやらんとヤバイからしょうがないだろ!」
石生の扱いといい、符一族は優秀なの多いけど
ちょっと差別が酷い気がする。あれは荒れて当然やわ
- 864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 12:14:47.60 ID:AlKLz5j60.net
- >>863
間違えた石生じゃない、符生だ。スマン
- 865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 12:34:33.99 ID:7yoHgtCoO.net
- 実は、当時から苻生暴言説に疑問視されていたんだよな
晋書や魏書の編纂者達は苻生の資料が異常に少なく何者かによって改竄された形跡があると指摘していた
そして、極めつけが洛陽伽藍記に苻生の冤罪を訴える老人の逸話が収録されていること
『史通』の劉知幾先生も「洛陽伽藍記が正しい。苻生は本当に暴言だったのだろうか?」とまで言っている
敗死した姚襄をバラバラにして晒そうという声を無視して立派な墓を作って盛大に弔ってやったという話からして
どうしても暴言だと思えないんだよ
- 866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 14:18:54.28 ID:O86z1jfy0.net
- >>863
苻洪や苻健に殺されそうになったところを苻堅の父親の苻雄に救われたとかいかにも苻堅や苻法に都合のいいエピソードだしなあ
三羊五眼のエピソード的に隻眼だったのは本当かもしれんが暴君エピソードは盛りに盛られてそう
- 867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 14:28:19.99 ID:O86z1jfy0.net
- >>865
残虐エピソードは盛られてるにしても苻黄眉や雷弱児と軋轢あったのはマジだろうしその辺りで下からのヘイト買ってそう
先代の苻健から邪魔者は粛清していけって遺言で直々に言われた上、苻生自身まだ若輩で政治力が不足していた結果一族や配下に対し厳しく当たりすぎ、反乱招いたって考えた方が妥当な気はする
- 868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 17:57:49.55 ID:7yoHgtCoO.net
- 洛陽伽藍記に「苻生様は勇を好み酒を嗜んだとはいえ、仁にしてでたらめに人を殺すようなことはなかった。その統治を観るに凶暴とはいえないものであった」という気になる記述があるんだよな
実際に、意外にも苻生は自ら積極的に侵略戦争をした形跡がなく、他国に攻め込まれたから仕方なく応戦した防衛戦ばかりだったのが判明している
しかも、防衛戦で苻生自ら先頭に立って出撃して味方の犠牲を極力抑える形で勝利を収めている
- 869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/27(金) 14:35:45.92 ID:NoTGkCeV0.net
- 洛陽伽藍記
寺の話しか書いていないと思ったら
結構面白そうだな買って読んでみるか…
- 870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/27(金) 20:09:18.45 ID:cRXmvJVO0.net
- 苻堅とかいう調べれば調べるほど闇の濃い君主
- 871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 07:44:35.35 ID:YSlQtlPF0.net
- 苻堅が成功したやつが唐太宗か?
玄武門の変というとんでもない闇を抱えているが中国史のぐう聖君扱い
唐太宗って突厥から天可汗の称号も得てるが、これは後の清の皇帝がモンゴル大ハーンやチベットの主も兼ねてるのの先走りみたいなもんだな
だから形式的にはモンゴルウルスは清に吸収される形で辛亥革命まで存続してたといえる
- 872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 08:39:54.57 ID:BgOavyd80.net
- 天可汗さんも流石にロリショタ姉弟丼はやってないからセーフ
そういや天可汗さんも兄貴の息子(甥っ子)は皆殺しにしたけど嫁や娘は殺さず生かしてたんだよな
娘に至っては婿探しまでしてたとか
(長歌行の主人公のモデル)
- 873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 08:42:42.80 ID:ybs+yAKF0.net
- へえ
長歌行ってモデルいたんだ
- 874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 09:58:51.22 ID:uNu6jmK80.net
- >>871
苻堅自体が成功例だと思う
あのモラルだと、これ以上どんなに成功したとしても石虎クラスになるのが限度
肉親すら信頼できず我儘ばかり通すのでは、存命まで政権安定させたとしても崩御後に政権ぶっ壊れる
- 875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 10:26:46.93 ID:G+Z7EVsS0.net
- 戦国武将や江戸時代の殿さまだと男色の話はよくあるけど
(信長×蘭丸、ホモ将軍家光など)
中国の皇帝や臣下将軍ではウホッ!な話はあんまり聞かないな
中国人はあまり同性愛には興味ないって感じかね
- 876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 11:23:38.41 ID:qm+bqJSs0.net
- >>875
言うて断袖の逸話とかあるしな。キリスト教ほど毛嫌いされるでもなく、古代ギリシアほどもてはやされることもなく、そんな感じじゃない?
- 877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 13:06:01.40 ID:7+4TH6zr0.net
- >>868
太宗の兄の李建成も唐の史書には好色酒飲みクソ野郎みたいな評価されたけど資治通鑑には温厚で寛容な人柄だったって評価が出てくるんだよな
洛陽伽藍記も前秦時代から数百年経ってて当時を知る者は生きていないし記録には残っていないのに違う証言が出てくるのが不思議だ
- 878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 16:58:07.62 ID:BgOavyd80.net
- >>875
唐でホモを覚えて最澄の弟子をNTRした弘法大師空海の悪口は止めろ
- 879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 17:44:30.14 ID:mZK56wr40.net
- >>877
しかし弟の李元吉は擁護されない不思議
擁護されるかされないかはただの
忖度されるかされないかの差だけなのかもしれない
- 880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 19:33:51.48 ID:jWqqsY9k0.net
- >>879
李世民による皇太子である兄・李建成の殺害を正当化する為には皇太子は李世民に敵意は無かったが邪な李元吉が皇太子を焚きつけて
李世民を圧迫したので殺られる前に先手を打って已む無く皇太子と元吉を討ったという筋書きが必要なので”死人に口なし”で李元吉に
責任を被せたのだろう。
- 881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/28(土) 23:10:22.06 ID:G+Z7EVsS0.net
- >>878
キリスト教の神父はモーホ、仏教の僧侶は延暦寺みたく生臭坊主
というケースが多い気がする
- 882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 00:02:40.92 ID:FR58L7pS0.net
- 苻堅の苻一族は内乱だらけだし滅ぼした国の君主を民族毎丸々抱えるのは
統一という目的があったのならある意味当然の事のように思える
一視同仁を理想主義者のように言われるけど中華統一を目指す野心家ってイメージなんだわ
- 883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 04:36:43.78 ID:k30vcJJx0.net
- 苻堅が統一したら末路は煬帝だと思う
一視同仁なのはいいけれど五族の強制的な徙民が伴ってたこと
これは絶対といっていいくらい失敗する
南方に行った鮮卑は疫病にやられたり、東に移った氐は森林を懐かしむだろう
苻堅の性格からしたら頑として撤回しないだろうな
隋の大運河建設と高句麗遠征が命取りになったように民族本拠地の入れ替え策は
統一した前秦の爆弾になるだろう
- 884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 09:24:47.34 ID:jTKmqT1Q0.net
- >>879
>>880
あと天可汗さんが元吉の嫁をNTRしたってのめもあるかと
しかし政治的な成果抜きにしたら絵に描いたような五胡君主のムーヴしとるな
- 885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 09:39:09.64 ID:sr7455qG0.net
- >>883
実際慕容沖らの勢力の原動力は故郷に帰りたいだったからな
でもそれが慕容沖の命取りになるから皮肉だよな
そしてそれを理解していた姚萇が漁夫の利をかっさらっていくというね
- 886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 09:44:31.88 ID:sr7455qG0.net
- >>884
苻堅も慕容垂の嫁寝取ったエピソードあるしホンマコイツらすぎる……
- 887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 10:25:55.40 ID:jTKmqT1Q0.net
- ちなみに天可汗さんのオヤジ(李淵)も家臣の嫁NTR→家臣は左遷とかやってていやホントそういうとこやぞと
- 888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 12:16:43.83 ID:wv2yjEH+0.net
- 鮮卑の習慣?
- 889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 12:53:58.18 ID:TafqwJvr0.net
- もし前秦が統一したとして真っ先に反旗翻すのはどの勢力だろうか
慕容部か漢民族なんかね
- 890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 13:29:22.34 ID:8DO3Zhq90.net
- >>888
大伴宗麟とか豊臣秀吉とかもやで
- 891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 13:33:24.76 ID:pyDqi7RP0.net
- 日本だと一番質悪いの毛利輝元やな
家臣の嫁NTR→家臣殺害→余りのことに呆れたオジキ二人にガチ説教→オジキ二人にチクった人間を探し始める
五胡の暴君でも中々みないムーヴ
- 892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 18:51:38.66 ID:eNfdpdX50.net
- 劉禅「妻をNTRした上、家臣である夫を処刑とかありえんだろJK
- 893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 19:43:59.00 ID:n9fFWHaT0.net
- >>883
でもその方が歴史は面白くなりそう
- 894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 01:56:31.63 ID:8jSdOIO10.net
- そうなったら華北で漢人勢力が台頭してそこから統一王朝が生まれてそう
- 895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 06:21:24.09 ID:EUblMX3a0.net
- 雄略天皇は南朝ではなく北朝と組む選択肢はなかったの?
- 896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 09:25:27.55 ID:dgnEfmio0.net
- >>894
でも軍事力は外注だから短命だろうな
最終的に慕容部のお飾りとして皇帝置かれて征服王朝の基礎になると思う
- 897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 09:39:25.24 ID:UTaYWJFw0.net
- どちらにせよ漢化した異民族が中華に王朝つくってゴール
隋唐と変わらんな
- 898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 13:51:01.61 ID:vT98Q5nE0.net
- >>895
雄略天皇が在位したとされる5世紀中期は山東半島は南朝宋の支配下にあったから北朝と組む選択肢はなかったろうな。
- 899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 14:03:38.23 ID:8uhwf2EP0.net
- >>895
なんか野蛮ぽくて怖いですし…
- 900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 15:01:24.73 ID:nHkFzD+U0.net
- >>899
雄略天皇は北魏馬鹿にできないくらい野蛮だろうが
- 901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 19:11:48.45 ID:APfo+oUP0.net
- 選択肢というか、極東の島国が仕入れられる情報なんか限られてるでしょうよ
- 902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 21:04:04.54 ID:npnvmY5d0.net
- 百済も北朝方にくら替えさせるとかどうにかしないと
大陸への道自体無くなりそうなんだが
- 903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 21:20:36.54 ID:oatxhKnq0.net
- >>897
漢化せず統一する可能性があったのは後趙と燕
前者は中華と夷狄の垣根を無くして出自のしがらみを断つタイプで、後者は中華の奴隷化に長けていて慕容こそ至高というイデオロギー作るタイプ
どちらかというと前者の世界が見てみたかったが、前秦からだと後者になるのが残念
- 904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 21:38:40.00 ID:QekwjBty0.net
- >>900
雄略天皇は南朝に朝貢してた癖に
やってる事は北朝の皇帝みたいだよな
- 905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 22:16:57.86 ID:ItG1joa60.net
- >>904
家族だろうが関係ねえ!邪魔者は焼き殺すぜ!な世紀末スタイルの君主だからな
「大悪天皇」とか呼ばれるのも納得ですわ
- 906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/30(月) 22:18:06.97 ID:ItG1joa60.net
- >>904
まあ南朝の皇帝も劉宋以降は北朝に負けないくらいヤバいヤツ増えてくるけどな
- 907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/31(火) 03:19:11.69 ID:a0AomLk60.net
- >>906
正直古今東西の王とか皇帝って基本的にヤベェ奴の割合が圧倒的に高くて、聖人とされてる奴は後世忖度が働いて暗黒面が削除されただけなんじゃないかって思えてくる
- 908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/31(火) 04:58:57.23 ID:bKjlL6u40.net
- >>903
一時的に平等化しても代を重ねるうちに中華文化に飲まれると思うがな
結局どこかで漢人に憧れる君主が出てくる
- 909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/31(火) 06:46:26.57 ID:rdYQw3yg0.net
- >>904
>>905
ケータイ天皇のプロパガンダやぞ
- 910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/31(火) 07:25:17.24 ID:b8Xix3y70.net
- 蕭整┬蕭儁─蕭楽子─蕭承之┬蕭道生
│ └蕭道成○南斉…
└蕭鎋─蕭副子─蕭道賜─蕭順之┬蕭懿
└蕭衍○梁…
継体天皇は「五世孫」
疑惑の万世一系?皇統交代?はこんな感じだったのかいな
まさか南斉と梁の離れ具合を真似たなんてね
最近は完全な皇統交代説は否定的でやっぱり遠縁であったことは確からしいが
- 911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/31(火) 23:31:49.79 ID:T8LeH0/a0.net
- 「五世孫」ぐらい離れているともう親戚という感じはしないが
陳陳の初代皇帝陳霸先と玄奘三蔵法師で有名な陳褘とはもっと離れているな
(陳霸先は陳太丘(陳寔)の十六世孫にあたり、「季方難為弟」で知られる陳?ェの系統)
(陳褘も陳太丘(陳寔)の子孫だが陳?ェとは別系統)
ちなみに陳褘は
曾祖父:陳欽
祖父:陳康
父:陳恵
兄:陳素
なので陳霸先よりも陳陳ぽい家系
- 912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 00:50:39.80 ID:jF1qX80u0.net
- 平将門は「五世孫」
- 913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 01:08:17.69 ID:95iMQ0i80.net
- 継体天皇から確実に続いてるってだけで十分凄いと思うけど
いわゆる万世一系自体は無理があるわな
- 914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 08:10:23.88 ID:1hlxwhIf0.net
- 玄奘が陳室の縁戚とは知らなんだ。
まぁ劉備の自称漢室よりは信憑性有りそう。
- 915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 08:25:43.63 ID:/Bf4sKPwO.net
- >>914
劉備に関しては属尽と呼ばれる漢の皇帝の末裔だが宗室の資格を失った疎遠の親族だった説が有力になっている
そして『典略』の記述から光武帝の兄の系統である臨邑侯の庶流だという説も浮上している
もしも劉備が皇族を騙っているのなら漢の律によってとっくに極刑になっているはずだし
何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない
- 916 :914:2023/02/01(水) 12:30:49.31 ID:xdurI/8M0.net
- 訂正
誤…自称漢室
正…自称中山靖王の後胤
後出しみたいで失礼。
言い訳ついでにいずれにせよ漢室を騙るには図々しい気がするが。
- 917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 12:42:49.05 ID:LLMJUG/00.net
- 大耳のオッサンは推定年齢30前後で郡太守クラス(平原国の相)になってるんでそこらのモブ士大夫じゃないのは確か
五胡~南北朝と比較するとやはり後漢末って年功序列の秩序キッツイからモブ士大夫じゃ郡太守になるのすらキツイ
- 918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 16:32:33.53 ID:ZgmbECkn0.net
- 武廟六十四将に南北朝時代は多いけど五胡十六国時代は少ないよな大乱世なのに
- 919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 19:58:08.19 ID:X8Gmq06J0.net
- >>915
厳罰なのはそういうのがいるからだろうし
光武帝前も自称がいたし
違うって証明は難しいんじゃないかな
最悪事実がばれても自分はそう信じていたって言えるし
俺は天皇の子孫
- 920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 21:53:46.75 ID:uMdsntMh0.net
- 高師直「天皇なんてそこらへんの木のフィギュアや石ころやR田中一郎でも置いておけば問題ないから自称天皇なんぞなんの価値もないわ」
- 921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 22:22:29.48 ID:Kj5bJtlA0.net
- >>918
北魏の奴とか五胡十六国時代だけどなんか地味なんだよな…トウ羌とかは入っててもいい気がする
- 922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 22:32:12.16 ID:HssIOcjC0.net
- 北魏が分裂して以降の武将のがキャラが立ってるよな
- 923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:00:28.14 ID:HA6j4hlo0.net
- >>915
>何よりも他の群雄が偽皇族だとここぞとばかりに非難するはずなのに、誰一人として非難していない
何故かこの板には劉氏信仰みたいな傾向あるけど
ぶっちゃけ東漢末期には黄巾族や蛮族にも劉氏いるし
漢室といえるぐらい正統な血統が地方割拠するのに少し有利になった程度で
劉氏のアドバンテージが消えかかっている時代なので劉氏はあまり自慢にならない
劉備が漢中王になった途端反乱続きで不穏な中原が一気に易姓革命へ傾いて
中原の親劉備勢力が雲散霧消するぐらいの逆神的効果
このスレ出入りしていれば五胡十六国時代なんて劉氏がゴミ未満の存在なのが分かるはずなのに
劉裕も劉交の子孫名乗ってみたものの何の箔もつかなかった
- 924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:04:10.19 ID:HA6j4hlo0.net
- >>917
劉備よりも明らかにモブ士大夫の孫堅も30前後で太守になっている
東漢末期は意外とモブ士大夫でも太守(相)になれるのだが
最低限のコネと実力は必要
劉備も袁備とか宏備とか変な名前でも公孫瓚のコネあれば太守(相)になってるだろう
- 925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:05:01.35 ID:3Kg/GBMz0.net
- >>923
ハハハこのスレに出入りしてんのに劉淵忘れてんのすごいですね
- 926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:15:06.48 ID:HA6j4hlo0.net
- そもそも沛郡劉氏がそんなに尊いのなら
五胡十六国南北朝時代には琅邪王氏や陳郡謝氏と権勢肩を並べてもおかしくないのだが
実際に五胡十六国南北朝時代以降の沛郡劉氏はほぼ存在消えている
沛郡劉氏なんて清河崔氏とか呉郡陸氏とかと比べても歴史半分以下しかないぽっと出の成り上がりでしかない
なので五胡十六国南北朝時代を経て沛郡劉氏は本来の姿に戻ったともいえよう
- 927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:17:47.80 ID:HA6j4hlo0.net
- >>925
劉淵は沛郡劉氏の血は引いているが沛郡劉氏ではないからな
漢名乗っていたものの結局自ら漢捨てて趙名乗ってるから
劉淵を沛郡劉氏と一緒にしたら失礼だろ
- 928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:46:00.64 ID:iIEMdeQ90.net
- 劉氏に親殺された奴湧いてんな
- 929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:46:07.35 ID:CNBiEqtd0.net
- >>923
劉備が漢中王になった直後は中原に反乱が頻発してたでしょ(漢中王効果かどうかは知らんが)
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備が皇帝になってから
皇帝になったことで中原の士大夫が劉備に失望したという記述があるしな
- 930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 23:49:16.20 ID:CNBiEqtd0.net
- >>918
祖逖が選ばれてないのが意外に感じてしまう
どうも祖逖は過小評価されてる気がする
- 931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 00:04:50.53 ID:sAcGk3o30.net
- >>929
218年正月 吉本の乱
218年10月〜219年正月 侯音の乱
219年9月 魏諷の乱
219年 秋 劉備漢中王僭称
首謀者のわからない群盗騒ぎとか辺境の異民族系反乱とか除くと
中原の親劉備勢力が消えるのは劉備漢中王僭称以降ともとれる
他に大きな反乱あったら御指摘よろ
- 932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 00:07:30.47 ID:r7H0NlpQ0.net
- >>929
献帝が文帝に禅譲したからじゃないのか?
劉備の皇帝僭称なんて最早大した意味も無かっただろうよ。
- 933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 00:21:37.34 ID:tHZT0+2T0.net
- 演技での「劉皇叔万歳!」ぶりを史実と異なると批判するのはわかる
だからといって後漢期に劉氏の格が地に堕ちて名乗り放題だったかと言えばまったくそうではない
実際世にでる前の暮らしも庶民のそれじゃないもの
何にせよ劉備は劉姓の末端として記録されていて
かつ当時の社会でも自然に受け入れられてた訳なので
否定するなら林羅山みたいな推測じゃなくて根拠がいる
- 934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 00:45:57.93 ID:Naeaef/t0.net
- >>933
言ってる事はある意味正しいとは思うが
ここは五胡十六国南北朝時代を語るスレなので
スレタイ的にはスレの趣旨から外れてるので
該当スレで続きされた方が
- 935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 01:24:59.29 ID:BVM+LymF0.net
- >>934
上の奴らにも言ってやってくれ
- 936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 02:57:17.74 ID:/InpECZM0.net
- 雲行きが怪しくなってきたから言ってんだろジジイ、調子に乗るなハゲ
- 937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 03:06:15.00 ID:tp6qUbIs0.net
- 怪しいのはお前の口調だろボケナス爺
- 938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 06:04:56.27 ID:OVAwWY/P0.net
- しかし後漢期に劉氏の格が地に堕ちて
名乗り放題だったかと言えばまったくそうではないのは確かだが
五胡十六国時代には既に劉氏の格が地に堕ちてるのは明らかで
どうしてこうなったのかには興味深いのだが興味無い人多いのかな
- 939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 06:57:04.07 ID:u/Koqvnq0.net
- そういう論文探せばありそうだが
- 940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 07:12:36.18 ID:YNWMbBIK0.net
- >>923は劉氏である事と漢室に連なる事をイコールで話してるけど
そもそも漢と無関係な元々の劉氏を皆改姓させた記録ってあったっけ?
- 941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 09:49:15.10 ID:9jQeSw6k0.net
- >>908
それは
文化が中華>胡であることが明確かつ
胡が中華に対しアイデンティティが保てない
場合に発生する現象
そうなると大抵中華のモノマネで終わる
隋から北周イズムへの揺り戻しを行い異文化を奨励した唐
クビライをも中華浸透はしない方針を貫いた元
逆に髪型や服などを唐式から満州式に置き換えた清
を見るに、ある一定の閾値を超えたら中華に染まるのではなく中華が異文明に染められる
四夷思想に抗えなかった唐ですら大幅な変革となってるのだから
二百年早い異文化奨励
九百年早い征服王朝の誕生
今までなし得なかった中華思想の卒業or昇華
を期待してしまう
冉魏はこういう可能性の中でも下の下(漢人に憧れるだけの無知な馬鹿による、徹底的な異民族絶滅主義)の結果っていうのが不憫だが
- 942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 09:54:24.91 ID:iEpu+8+L0.net
- 母系から乗っ取られるからな。北魏でも子貴母死をやめたら瞬時に外戚が専横してきたり。子貴母死正当化のために、わざと信頼できる身内に専横させたかのようだ。
- 943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 09:58:31.58 ID:iEpu+8+L0.net
- >>910
陛下の玉音にもあるけど、我が国の歴史は1400年。
- 944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 10:34:14.24 ID:olOS0HlA0.net
- >>941
それらは中華への免疫が違うよ
元はモンゴル帝国として世界中と触れ合った経験が根底にあって、文明を相対的に見られる目が宋を滅ぼした時点で既に育ちきっていたから、結局モンゴル全体としては漢化しなかった
清は金時代から中華と交流していた
加えて漢化という(周代や五胡時代、元代も含めての)歴史を知りえたし、自他の統治法や性質の違いを熟知していたのもある
それで漢化への予防線を張れた
唐の場合は、逆に胡が漢主導で彼らに同化していく総仕上げの時代だったんじゃないか
胡由来の刺々した文化が漢を揺らしたのが五胡時代、その角が落ちてきたのが南北~唐代
途中で何度か反動があったものの
五代の混乱を経て完全に丸くなった
結果、漢意識の塊みたいな宋が出来た
幞頭や官服の変遷を調べると胡が中華に飲まれていく様子がよくわかって面白いよ
- 945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 12:31:12.02 ID:VagWSwTF0.net
- >>930
史書によると石虎に負けてるし、石勒に勝ったと言っても石勒自体かなり負けの多い武将(最後には毎回勝つだけで)だし。あと当時の歴史の流れにそこまで影響与えたかって言うと微妙。東晋存亡の危機を救った陶侃や謝玄の方が功績大きいと思う。
- 946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 18:25:36.26 ID:ryqbHTYc0.net
- 儒教的には父系絶対だが、
劉淵が劉邦からの正統を名乗ったのは母系からだな
実際、前漢から匈奴へ降嫁は続けてたので、実際に母系から血を引いてた可能性は高い
- 947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 19:54:31.18 ID:BJI1paj30.net
- 春秋の晋も母系っぽい
中山も母系理由に姫姓を名乗れているし
呉とかも怪しいけど晋は古すぎてよく分からなくなっていたっぽい
金文で初代が武王を左右したとかあって武王の子じゃなさそうだし
- 948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 20:18:52.05 ID:dl/1pTF60.net
- 日本の歴史は1400年って教科書の知識からすると違和感あるけど、倭と大和を別の国扱いしてるのかな? 白村江で滅んだ倭の代わりに、畿内が中心の唐フランチャイズ国家の大和が勃興し、それが今の日本だと。
- 949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/02(木) 21:27:36.66 ID:6gY9cocN0.net
- >>944
漢意識の塊は明
宋はあくまでテュルク系の順応で唐を継承しただけで、中華意識は弱い
征服王朝を黙認してるのとか良い例
(本来なら永楽帝や煬帝、司馬昭司馬炎のように屈服か絶滅させる対象)
んで唐が胡が漢主導で同化せざるを得なくなったのは、北魏の軛が元凶
いくら宇文泰が鮮卑を持て囃しても、過去に鮮卑<<<<<<<<<<<<<<<<<<漢って価値を御用学者が知らしめたのは払拭できない
故に最後は箔付けに漢民族に背乗りせざるを得なかった
これに束縛されない後趙や前後燕がいかに魅力的なことか
- 950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 04:21:57.15 ID:baZGma3n0.net
- 天皇号は唐高宗からが定説だけど
天王は天皇の古称ともされてるので
十六国由来かもしれない
初めて「天王」号を名乗ったのは靳準なんだよなあ
皇帝を名乗らなかったのは親晋意識から皇帝から一歩下がった号とした
匈奴劉氏以上のエリート匈奴、屠各種の靳準が親晋派になったのか不思議だ
この時期だと親漢派というとどっちかわからなくなってしまう
漢民族か漢趙かで
- 951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 06:41:23.56 ID:j/QlOKgu0.net
- >>949
黙認はせざるを得ないからするもので中華意識がない証にはならないし、実際宋も理念的には相当うるさい
むしろ明より拗らせてると言えるかもしれん
- 952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 07:27:02.50 ID:sNhEwuiQ0.net
- 唐代に「天皇」って元号あんのはホント草
- 953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 07:43:34.58 ID:dGsrWnlr0.net
- >>951
っ不倶戴天
皇帝の意味をしっかり覚えよう
司馬昭が禅譲に踏み切れなかったのは、匈奴にかわる北の異民族を征した証がなかったからよ
それに拓跋の服従が選ばれたからこそ、西晋時代を経て漢化した鮮卑となった
とにもかくにも形式が大事なのが中華
劉淵はまず東西季漢の開祖を祀り、第四の正統王朝だとアピールして漢以外の帝国を否定しているし
the蛮族の劉裕すら、簒奪した桓玄の力の源泉(桓温)を上回る存在だとアピールするため、桓温なぞって北伐した後に禅譲にさせてる
- 954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 08:21:13.05 ID:jMaBCyni0.net
- 東ローマ帝国はギリシャ文化に憧れてギリシャ語が公用語になっても
ギリシャ人扱いされると怒り狂っていた
日本も中国の歴史や文化が好きな人でも中国人扱いするとキレる
漢文は古代の文字であっても多言語の大陸では統治のためには使うしかないし
自称漢民族もほぼ異民族と混ざっているし
北魏はほぼ遺伝子的には同族の鮮卑を野蛮人扱い
平安貴族も源氏を野蛮人扱いだったけど
- 955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 09:50:47.35 ID:T0+ABh5Q0.net
- >>953
言葉の意味と現状が一致しないことはよくある
前者に後者を合わせることが出来ない時には黙認するしかやりきる方法がないからね
漢は中華国家を自認していながら匈奴や南越の存在も認めてたのは屈服も絶滅もさせられないからで
殺れるようになったら案の定滅ぼした
宋も中華意識旺盛で、その理念に基づいて常に領土を回復したがってたけど出来ず
色々鬱屈して理屈国家になっちゃった面もある
- 956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 10:01:33.96 ID:ZsQ9VyWb0.net
- 天王号の起源は相当古い
五胡どころか周代には使われてた筈
- 957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 10:45:29.55 ID:dGsrWnlr0.net
- >>956
秦が皇帝を作る前は
天王、王、公、候って序列だからな
周が天命そのものであるからと天王と目されていた
そこに天だけでなく地と人の支配権を付与し、王という被りすら許さなくなったのが皇帝
宇宙号や六合号も、宇宙漢が突き抜けてたら通例のように使われてたのかなと感じる
- 958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 10:55:38.26 ID:pXJ8Dd0E0.net
- 宇宙は元々は仏教用語やぞ
欲界色界無色界の事や
- 959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 10:56:59.39 ID:zafqFbvTO.net
- となると「自分が不甲斐ないから領土が増えない」という理由で自ら庶人天王(庶人大王とも)に貶号した慕容盛はいろいろおかしい
- 960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 11:18:38.30 ID:Cri+sPOu0.net
- 中国人出てけ。まじで
- 961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 11:20:15.06 ID:ZsQ9VyWb0.net
- 仮に侯氏が統一してたら宇宙も皇帝と同じ位置になったかもな
天王号は一説には僭称の王に対抗した周王の呼び方で
天子号が一般化する前の春秋期に使われた
これによれば厳密な序列として王の上位に天王があったわけではないと
- 962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 11:53:32.46 ID:jMaBCyni0.net
- >>956
むしろ周王と呼ばず、王または天王と呼んでいた
殷王のことは周王と区別して周原甲骨では衣王と呼んでいた
合同祭祀を衣と言ったりで連合の意味なのかも?
- 963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 20:27:10.36 ID:y+BEN6Rc0.net
- >>958
宇宙の初出は淮南子とかそのあたりじゃなかったっけ
- 964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/03(金) 21:22:50.84 ID:/TYtM5dL0.net
- 中国大陸ではそろそろ漢化が始まるぞきっと。儒学や道教が再流行する。
蛮族化した状態で観光客を世界中に送り出し、良心の呵責なく◯◯に踏み切るためのヘイトをかき集めていたところだった。
- 965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 01:06:20.62 ID:lzTDrt+d0.net
- >>964
一番重要な「不可視な存在による倫理観」が壊れてるから、明化やマオ様化が関の山
- 966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 02:13:11.53 ID:KyLSSeU10.net
- >>963
淮南子以前の道教とかの書物に宇宙の記述あるかもしれんが
淮南子の「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」が
宇宙について明解なので宇宙の初出でいいと思う
一応五胡十六国南北朝時代にも南朝中心に宇宙とか天文学真面目に研究してるようだけど
現代でも通用しそうな宣夜説が滅んで
蓋天説や渾天説みたいな現代ではトンデモ説扱いが
持て囃されるような社会ではまともに宇宙を考察しようがない
- 967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 15:22:56.83 ID:hzC8OGA60.net
- 瑯琊王氏や太原王氏って名将名士を大量に輩出してて実際に魏晋南北朝時代は 王濬、王浚、王猛、王鎮悪とか名将出してるのに三国志の時は後世に有名な将を出せなかったのはなんでなんですか?
- 968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 15:36:58.69 ID:WhvIwwag0.net
- 渾天説はトンデモでもないだろ
今でも天球という概念があるし
- 969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 18:15:22.99 ID:Zt/xbYG80.net
- 今の価値観でトンデモとか言っても意味ないよね
- 970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 22:49:21.36 ID:lqJfqiyx0.net
- >>>967
釣りだよね?
王浚以外琅邪でも太原でもないよね?
さすがにそんくらいはわかってるよね?
- 971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 22:50:23.46 ID:P9ds1k0Q0.net
- 三國厨に釣られんな
- 972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/04(土) 23:58:13.29 ID:TguuHlNB0.net
- 三国時代の名臣名将の一族も五胡十六国時代にはろくに名を成してないやん
- 973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 10:59:10.78 ID:k+z+8Iyn0.net
- >>972
名門が南に逃げちゃったから
中国も台湾に故宮によりよいものがあったり孔子の子孫の一族の長がいたり
どうでもいいけど蜀とか呉とか中央にしたがわない辺境の主食が米なんだよなあ
米を食べる地域は従わないみたいな
- 974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:26:29.68 ID:k+z+8Iyn0.net
- 董卓も清盛も、短期政権に終わったから、後世からの評価がカラい。のちに物語のなかで、暴君として描かれた。『平家物語』や『三国演義』のイメージでは、容貌まで重ならないか?
- 975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:30:16.82 ID:k+z+8Iyn0.net
- 外戚の争いを演じ、皇帝を取り替えたのは、梁冀も董卓も同じ。
- 976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:33:13.59 ID:k+z+8Iyn0.net
- 遷都せざるを得ない。洛陽よりも、長安が守りやすいのは、自明のことだ。
「董卓は、自分の本拠地・涼州の近くに、皇帝を移した」
と書けば、董卓の自分勝手さが浮き上がる。ただし、長安が涼州に近いのは、二次的なメリットである。それより、まず孫堅から逃げることが、遷都の理由だ。
- 977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:34:49.23 ID:k+z+8Iyn0.net
- 献帝と董卓は、一蓮托生。区別できたものじゃない。
- 978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 12:11:58.37 ID:4EElDVKR0.net
- 知らねえよ
他所でやれ
- 979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 12:52:55.53 ID:/izzfrlS0.net
- この馬鹿そこら中に連レスしてやがる。
- 980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 13:28:12.47 ID:nKdpqKvG0.net
- 三国志とか他で語ればいいのになぜわざわざこここでするのか
- 981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 15:07:47.28 ID:ZGNvNhX+0.net
- 三国志しか知らないから三国志の範疇でしか語れない
このスレの住民からすると井の中の蛙で浅くて何か哀れ
- 982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 18:22:41.48 ID:xGGETJJX0.net
- このスレで三国時代の話をするなら
涼州軍閥、氐、羌、馬超、韓遂、あたりの用語を使って
十六国時代の涼州事情につなげていくとかなら可
- 983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:29:14.88 ID:ELGuLOi20.net
- 古代中国人は白人だったらしい
- 984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:29:50.99 ID:ELGuLOi20.net
- 岡田英弘も漢民族は絶滅したと言っている
- 985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:30:28.39 ID:ELGuLOi20.net
- 「秦王の下、秦は戦国六雄でいちばん強かった。秦に勝てる国などなかった。だが、一度秦が滅びてしまえば、次の王朝は、秦が作った支配のインフラを流用できる。命令者が秦王の嬴氏であろうがなかろうが、命令系統は働いた」
だから劉邦は天下が取れました。
- 986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:31:04.39 ID:ELGuLOi20.net
- さて、郡県制の攻略方法について述べましょう。郡県制は一枚岩ですから、敵を国内に招き入れる者はおりません。また側近の叛乱は期待できません。腐敗させるのも難しい
- 987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:31:20.92 ID:ELGuLOi20.net
- おかしいな。秦が滅びたのは、宦官・趙高が始皇帝に背き、国を腐敗させたからだ。
- 988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:31:44.50 ID:ELGuLOi20.net
- 五胡が今の中国人
- 989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:32:32.74 ID:ELGuLOi20.net
- 日本がずっと漢と呼んでいたのに隋や唐と呼ぶようになったのは
それまでと全く違っていたから
- 990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:33:36.50 ID:ELGuLOi20.net
- 楽天三木谷社長「社内公用英語化で 会社を辞める人間は これからの時代、戦力にはなりません」
- 991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:33:57.89 ID:ELGuLOi20.net
- 郡県制の弱点は、君主の血統である。君主の血統さえ絶やしてしまえば、すぐに勝利することが出来る
- 992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:34:17.29 ID:ELGuLOi20.net
- なるほど趙高が牛耳ったのは、始皇帝の死後だったな
- 993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:34:36.79 ID:ELGuLOi20.net
- 君主が健在のときは強いが、君主がいなくなると脆い
- 994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:34:58.76 ID:ELGuLOi20.net
- 目新しい話ではない。ワンマンな組織の典型だ
- 995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:35:18.44 ID:ELGuLOi20.net
- アレクサンドロスの大帝国が保たれたのは、後継者が団結したからだ
- 996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:35:39.08 ID:ELGuLOi20.net
- 郡国制は一枚岩ではありませんから、容易に侵入することができます。しかし勝利しても、維持するのが難しい。君主を倒しても、自律した諸侯がウヨウヨいます。彼らを満足させられないと、統治は失敗します
- 997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:35:59.25 ID:ELGuLOi20.net
- 「どうすれば治まるか」
「長く統治をして、かつて諸侯に分裂していた記憶を消し去ることです。ローマがとった手法です」
- 998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:36:27.52 ID:ELGuLOi20.net
- 漢は妥協して、郡と国を並存させました。しかし時代を経るに従い、郡と国の区別がなくなりました。郡の太守の仕事と、国の相との間に、どんな違いがありましょうか
- 999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 06:36:51.39 ID:ELGuLOi20.net
- 違わん。国というが、実態は、中央直轄の郡と同じだ
- 1000 :1000:2023/02/06(月) 06:37:17.11 ID:ELGuLOi20.net
- 今日は忘れずにやっておしまい
- 1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
- 2ch.netからのレス数が1000に到達しました。
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