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五胡十六国南北朝を語るスレ19

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 08:57:29.88 ID:mg+drUuX0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ18
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1663590952/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 10:58:42.23 ID:OeOiPiY5O.net
裴松之先生の名言「誰も読めない書けない変な名前を付けるぐらいなら、一層のこと名前なんかつけるな!」を思い出しますなw

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 11:03:15.54 ID:hDMyjhBu0.net
>>56
しかも竜亢桓氏を刑家に落としたのが、他ならぬ宣帝司馬懿というね
回り回って桓玄に簒奪されるのは因果応報というべきか

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 14:03:17.08 ID:Iw2bJn5G0.net
路恵男 女の子説

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 14:30:27.97 ID:aSffVhby0.net
>>49
清の時代が舞台のドラマは確かに多いが唐や宋の時代が舞台のドラマより明の時代が舞台のドラマの方が多いと思う。
それに明と清は初期から末期まで両者が重なる明末清初を含めてほぼ全ての時代がドラマの舞台になっている、唐は太宗や武則天や玄宗が
中心の初期から中期までで中期から末期が舞台のドラマはほとんどなく、宋も楊家将を中心とした北宋初期と水滸伝と岳飛を中心とした
北宋末期から南宋初期までの時代のドラマが多く他の時代が舞台のドラマはほとんどない。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 19:30:46.71 ID:5IAEMlxA0.net
清が多いのは単純に近い時代のことだからね
文物も暮らしも馴染みやすいし何だかんだで中国人は清王朝大好きだよ
日本人が戦国・幕末より結局は江戸時代が好きなのと同じ

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 23:12:37.57 ID:M9wJb/ok0.net
>>57
そういう名前は漢以前に多いイメージ

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 02:35:30.69 ID:wKhzOz1d0.net
>>54
>>56
楊堅「わかる」
源頼朝「わかる。ほんま怖いもん」

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 02:43:56.88 ID:Ru1o3IfG0.net
氏族間での横の結びつきが濃い乱世には嫁が強いケースが多々ある

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 06:41:29.04 ID:mzkjpMwf0.net
>>59
桓玄で簒奪してリベンジ果たしたのは因果応報でいいのだが
その後早々に衰退して河内司馬氏よりも先に消えたのがな・・・
竜亢桓氏別系統が隋唐まで生き延びているが
何か悪が栄える感で口惜しい

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 06:50:13.66 ID:mzkjpMwf0.net
>>56
桓温は庾翼の姪を娶っている事になるから
桓温が庾翼から西府軍団を引き継いだのも奇天烈な人事ではないな

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 19:06:45.00 ID:LQrBpXEr0.net
桓玄って劉裕がチートすぎてやられてしまったけど
劉裕さえ潰せたら桓楚政権で落ち着いてもおかしくはなかったんだな
ただの無能な二代目とは違う

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/16(木) 22:06:47.55 ID:6DmD0OuD0.net
桓玄のおかげで
現代のノートや年賀状が竹簡にならなかったと思うと
感謝しかない

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/17(金) 13:14:29.35 ID:EZCs993e0.net
桓玄が嫁の忠告だがを聴いてさっさと劉裕頃してればよかったのに

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/17(金) 20:12:44.99 ID:8RuBDg1h0.net
>>70
それが出来ないのが桓玄の限界

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 07:29:00.69 ID:UMVl9IwS0.net
>>68
劉裕みたいに北伐して成功してれば禅譲への道開けたかもな…
とはいえ親父桓温は北伐成功しても禅譲失敗してるから
反面教師で実力行使したのだろうが天命無かったな…
桓玄は無能な二代目とは違うのには同意だが本当に持ってない
桓玄よりも実力も功績も微妙な蕭道成が禅譲成功してるのをみると
桓玄に足りないのは天命ぐらいしか思い当たらない
そういえば蕭道成も瓜歩の役では下っ端で
抗戦してるが拓跋?Zにボコボコにされてるな

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 07:41:22.09 ID:pQcp00qO0.net
司馬叔璠、亡命しまくりの経歴

東晋の淮南王から始まって桓楚から逃れて南燕(慕容超)そして後秦(姚興)、
そして後秦が劉裕に攻められたので夏(赫連勃勃)、夏が北魏に攻められたので
北魏の太武帝の下で落ち着く
後期東晋十六国の簒奪、放伐から追われる人生ながら生き残り続ける
子の司馬霊寿、孫の司馬恵安と高官を務める

こんな感じで北朝にも河内司馬氏が江南から戻る形で続いたんだな

司馬睿の南遷といい、河内司馬氏はしぶとく生き延びるやつも多い

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 08:56:46.99 ID:P+zY+m5V0.net
>>72
一番は貴族の支持だろう
これの有無で善行も悪行に、その逆にもというのも難しくはない
桓楚は皇帝主権を志して貴族を敵視(桓温からの因縁もある)しており、支持以前に貴族にとって悪そのものだった
劉裕以降は貴族の犬として皇帝が働く条件で支持を取り付けてるせいで、言葉は悪いが小者が皇帝になる環境になってしまった

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 16:16:27.90 ID:P0LeGhXJ0.net
ただ、南朝は北朝みたいなアクの強いリーダーって相性よくない印象。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 00:46:54.96 ID:jq985mOP0.net
位人臣極めると保身も兼ねて劉裕みたく簒奪に走るのになぜ日本はそれが起きなかったんだろうな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 00:57:01.46 ID:6fyfnxK90.net
易姓革命が根付いてなかったから簒奪を正当化出来ない
頑張ればやれるだろうがそんなリスク犯すより天皇黙らせといて実権だけ持ってた方がいい

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 01:30:41.76 ID:6sWlBc6N0.net
易姓革命の大義名分作って後の時代にもその手法使われた王莽みたいのが日本には出てこなかったせいか

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 01:40:06.18 ID:6fyfnxK90.net
筑紫の磐井が勝てば…
蘇我氏が上手くやれば…
新皇が成功すれば…
などなど幾つかのチャンスはあったが結局駄目でした…

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 02:39:29.52 ID:/j3ouFph0.net
>>73
河内司馬氏は隋唐では北魏で栄えた三房(三祖司馬氏)を元に栄えているな
・琅琊房:司馬楚之(北魏琅琊王)の末裔(司馬馗系)
・冠軍房:司馬叔璠(北魏冠軍将軍)の末裔(司馬馗系)
・蒼梧房:司馬景之(北魏蒼梧公)の末裔(司馬亮系)
この他に傍系として
・司馬宗(東晋南頓王)の末裔(司馬亮系)
・司馬遜(西晋譙王)の末裔(司馬進系)
・司馬興龍(北魏魯陽太守)の末裔(司馬馗系)
等も存在しているから生き残るどころか北から南からゴキブリの如く栄えている河内司馬氏

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 02:46:44.40 ID:/j3ouFph0.net
>>74
劉裕以降の皇帝は貴族の犬云々の話はよく見かけるけど
強き皇帝は下を支配し逆に弱き皇帝は下に呑まれるのは
秦の胡亥や漢の前少帝後少帝から清の愛新覚羅溥儀に至るまで
皇帝の本質は時代を経てもほぼ変わっていない

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 03:02:16.80 ID:mcZHGr2X0.net
>>79
天命っすね

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 12:10:52.58 ID:/xgQEXZM0.net
>>79
承久の乱や法住寺合戦みてると皇室族滅されんかつたの単に運が良かっただけな気がする

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 17:49:08.50 ID:khoHWs2y0.net
>>81
本質が抜け落ちてる
本当の強者が簒奪をせずフィクサーとなり、犬に皇帝をやらせている
そんでフィクサーは枝葉を番頭に据えて富を貪りながら闇に潜る

利己的な人間の理想である「好き放題自由に振舞うけど責任取らない」を体現したのが劉宋以降よ
これの危うさを理解してないと、永遠に同じことを繰り返すだけ

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 17:57:53.43 ID:sRU3UoVF0.net
>>75
朱元璋「孫呉も東晋も南朝も南唐も南宋も江南に都した連中は、どいつもこいつも弱小で北伐なぞ夢物語。
やはり朕のごとく何万人ぬっ殺そうが意に介さない鋼の精神の持ち主でなければ中華統一など成功せねわ。
蒋介石?奴は北伐に成功して一時的に中華統一したのは見上げたものだが倭奴に南京を追われて重慶に尻尾
を巻いて逃げ、あげくの果てに赤匪に敗けて台湾に追いやられるなど朕には遠く及ばぬ小物よのう。」

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 18:23:04.72 ID:gU7cGX540.net
>>79
子供はすぐ死ぬけど成人したら死亡率下がるのと同じで最初の方乗りきったら保つよな

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 07:45:12.63 ID:gXSzQuL30.net
>>84
それどこに書いてあるの?

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 08:07:15.20 ID:6VGB91BB0.net
朱元璋みたいに北伐に成功した蒋介石は有頂天になっていたのだろう
しかしまさか海から上陸して建康を襲撃してくるのがいるとは頭になかった
近代兵器を舐め腐ってたとも言える

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 09:05:40.91 ID:s5KP/CNc0.net
蒋介石や朱元璋だけでなく
五胡も近代兵器の前には無力
五胡は細菌兵器にも弱いのは
五胡よりも後世のジュンガル帝国の残党が証明済

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 13:06:09.44 ID:57vTIo3f0.net
>>87
盛家に下品なし、寒門に上品なし
清談文化
この二つで分からないなら自身が豚であると認識すべき

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 14:08:08.57 ID:JdinKst70.net
余裕なさすぎる

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/20(月) 18:52:03.75 ID:uCD+Y4ie0.net
陳霸先が陳に封じられたのは偶然?
ちょっと洒落はいってる?

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 06:48:09.69 ID:RTZuv93j0.net
入ってる

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 08:00:09.12 ID:6VarQkoB0.net
ちんぽの意味になるのは日本語の偶然だが国号と国姓が一致するのは当時も意識されてたのかね

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 08:47:41.44 ID:Q5D5qeQY0.net
>>92
承聖四年(555年),王僧辯屈事北齊,迎立北齊扶植的蕭淵明為梁帝,陳霸先苦勸無效,遂誅王僧辯,立蕭方智為帝。
後又擊退北齊的南下侵略,剷平了王僧辯餘黨的反抗,晉封陳公,受九錫。

陳霸先が陳に封じられたのは王僧弁と蕭淵明(閔帝)を倒した功績により
蕭方智(敬帝)から陳公に封じられたから
洒落で陳に封じたかどうかは蕭方智に聞いた方が

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 10:17:44.41 ID:BwajFpsLO.net
江陵の後梁と永嘉王(王僧弁の残党が擁立)が健在のうちにお飾りではあるが正統性がある敬帝を廃したのは致命的な失策としか言い様がないよな
後梁と永嘉王にまたとない大義名分を与えてしまって苦しむことになるんだから

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 11:04:56.30 ID:8W3rvSNV0.net
>>92
趙匡胤「朕が趙に封じられていたら後に皇帝となった際、趙と名乗り後世の日本で
趙趙と呼ばれ蝶々夫人のように笑われたのだろうな。」

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 11:29:49.70 ID:oHDbIyCY0.net
この流れだともう我慢できない…

陳陳勃勃

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 12:54:14.32 ID:sYv42KEi0.net
統万城の壁に〉〉98が…!!

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 13:50:39.13 ID:8Dt0rr480.net
>54>56>64
フェリペ二世・フリードリヒ二世「隣の女だけどわかる」

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 14:14:05.02 ID:BwajFpsLO.net
叱干阿利「おお>>98よ、統万城の城壁に埋められるとは情けない」

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 14:23:21.25 ID:NudPRHAi0.net
信憑性は無視するとして潁川陳氏は春秋時代の陳の公族の末裔ということになってるから南朝陳は春秋陳の再興という建前とかあったりするのだろうか

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/21(火) 21:05:46.16 ID:2NnhzKqn0.net
陳覇先なんて正統性的な意味では最悪だったからな……
少しでも箔をつけるための一環だったんだろうな

「隋よりも俺のほうが正統」とか言わなきゃいけないんだから、
何でもやらないとまずい

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:09:09.32 ID:v0zzVSFj0.net
王僧弁の北斉と友好関係を結んで西魏から江陵周辺及び蜀を奪還する策は間違ってないと思うけどな
陳覇先は当初から簒奪する野心を持っていたかは不明だけど両者の対立は結果的に西魏・北周・隋の利することになったな

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:29:27.27 ID:sUiSCck50.net
>>97
日本では趙趙は蝶々みたいで陳陳みたいに笑われそうだが
中国では先日帰った香香(シャンシャン)みたいなパンダっぽくて可愛らしい

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:34:16.10 ID:sUiSCck50.net
>>96
それはあるけど孫呉よりも狭い土地で
内憂抱えてよく30年以上保ったなとは思う

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:35:44.14 ID:sUiSCck50.net
>>102
春秋陳の再興は実質戦国田斉がやってるからどうだろうか

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:37:37.21 ID:sUiSCck50.net
>>103
伝玉璽持ってても正統性に疑問符つくのは
冉魏と同じで相当末期状態

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 18:42:19.74 ID:sUiSCck50.net
>>104
王僧弁も陳覇先も蕭繹の部将としてなら仲良くできたかもな
蕭繹死んだら対立の道しかなかったかも
しかし2人とも忙しかったとはいえ蕭繹救えなかったのは口惜しい

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 19:21:03.31 ID:Mx0EsyC6O.net
北斉と梁の同盟話が持ち上がった事がある
北斉は抑留していた貞陽侯蕭淵明を送還すると、敬帝蕭方智の退位と貞陽侯の即位を要求した
王僧弁は江陵の後梁と北周と対抗するには北斉の後ろ楯が必要と考えて貞陽侯の即位を認めた
ただし、淮南割譲および敬帝の立太子を条件に突き付けるのも忘れなかった
北周と対抗するために梁との連携が不可欠と考えた北斉はあっさり条件を飲んだ
しかし、あくまでも敬帝にこだわる陳覇先は王僧弁を奸臣だと非難したうえで攻撃して敗死させてしまった
そして、貞陽侯を北斉に送還しようとしたのだが、貞陽侯が送還直前に急死する事件が起きた
態度を硬化させた北斉は陳覇先を恨んで同盟話を無かったことにした
かくして、陳は王僧弁の残党と北斉と後梁と北周に苦しめられて弱体化していったのであった

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 01:01:20.88 ID:4wbqEF+A0.net
>>108
末期というか「終わってる」状態で
南部の統治を押しつけられた感じやろ、陳覇先

まあ冉閔は冉閔でクソみたいな環境にあったが……

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 01:41:51.74 ID:vE50zqYc0.net
陳は南朝が滅んでいく過程で運悪く出来てしまった王朝

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 08:06:23.26 ID:RhjCQ/8R0.net
>>111
貴族は既に亡命してるしなぁ
20世紀のポーランドを彷彿とさせる(まあアッチはドイツのブック破りで復活できたが)

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 13:59:04.43 ID:9jqy3B2S0.net
>>111
まだ陳慶之が生きてた頃は終わってなかったのにな
陳慶之と陳覇先は親戚かと思ったら
陳慶之は義興陳氏なので関係無さそうだ

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 16:36:44.87 ID:ML425tbw0.net
>>113
最終的には唐滅亡時に黄河に沈められるやん

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 16:38:35.82 ID:rnhlMN4j0.net
>>115
あれスカっとチャイナだよな

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 19:07:32.22 ID:ML425tbw0.net
数年後には億単位の中共が黄河に(ry

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 19:33:25.22 ID:nk75WkDZ0.net
>>111
逃れる術はあったのに自分から引き受けてしまった感もある

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 21:45:59.82 ID:oNx/3DQz0.net
>>116
ヒャッハー理論振りかざして沈めた結果、貴族がチンパンまで地下に潜る羽目になったのは、全忠の数少ない評価点
あれがなければ宋のKENZENはあり得なかった

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 21:50:03.24 ID:rnhlMN4j0.net
>>119
定期的な富裕層の粛清は必要だわ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/23(木) 21:52:18.94 ID:lKjaMbxDO.net
北斉と組んで敬帝を廃するとはなんたる不忠だと王僧弁を非難して討ち取ったのに
自分は邪魔になった敬帝を廃した挙げ句に用済みとばかりに刺客を差し向けて斬殺してしまうんだから
ダブスタもいいところだよな

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 01:53:51.90 ID:92oeD9tk0.net
>>119
>>120
ナオミ・クライン「朱全忠は99%が1%を放伐しただけ」

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 08:30:17.97 ID:8tDjoVsq0.net
北周が後梁を存続させたのも、陳の非正統性を問うて
征伐する口実にするためだったんだろうか

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 12:06:42.14 ID:wgAFum6/0.net
逆に陳は北周も隋も正当化すらしてないだろうな

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 14:44:25.70 ID:ALAdn89d0.net
日本には朱全忠が現れる気がしない

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 15:15:43.13 ID:FZcI7Azg0.net
>>111
冉魏の何があかんかって
・乞活(漢民族知識人が軽蔑)
・石氏の養子になる(漢民族が軽蔑)
・石氏を殺して回る(皇族・異民族が軽蔑)
・李閔襲名(自らの無学と不孝が露呈)
・天王号(東晋と不倶戴天)
・冉魏・胡殺令(全方位ドン引き)
とまあ味方が現れようがない振る舞いをしておきながら、暴力だけは超一流だったこと

割とまじで後趙のブレイクスルーを阻止するために遣わされたバケモノじゃないかと感じる

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 16:04:23.45 ID:K1cVYeEe0.net
天王号が致命的やな
しかし回りに助言するのはいなかったのだろう

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 16:30:53.30 ID:Oa5sn2PB0.net
ナチスの虐殺も一部以外の国民は引いてたし
嫌いと殺すの間には大きな壁があるわな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 17:44:14.48 ID:R4hwLXqP0.net
>>126
ここまで全方位からヘイト集められるのは王莽以来
ある意味超一流の才能を感じる

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 18:11:50.18 ID:6KKFVf4nO.net
石虎に虐待されていたのならまだしも、若くして戦死した養子の忘れ形見だと普通に可愛がられていたんだよな…
武悼天王も養祖父の石虎の期待に応えて、養祖父から将来を嘱望されていたのに
どうしてこうなった?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 18:33:38.11 ID:niD893u70.net
>>129
王莽は後漢の都合でこの世の悪みたいに言われがちだが晩年以外は言うほどでもない

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 22:09:07.08 ID:REeHD+lG0.net
武帝に対する達磨の応対は現代ならマスコミ・SNSで総バッシングだと思う

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/24(金) 23:30:07.18 ID:BOQ9ZdxP0.net
>>126
前燕に大義名分与えただけの存在

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 00:30:11.17 ID:qAC+uMYb0.net
>>131
王莽が悪かどうかに関してはそこまででもないに同意だが
万人の敵という面では最高(最悪)級
苻堅でもここまで全方位敵にはなってない

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 00:54:15.31 ID:Piczje4g0.net
王莽についてはそれまで聖人として万人の尊敬を集めてた反動が新末に押し寄せた感じ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 15:56:52.37 ID:8eibSujL0.net
帝位つくまでのフィーバー期間が凄いからな安漢公

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 16:03:42.40 ID:RaDJ4rR10.net
王莽と苻堅は重なるところがある

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 19:03:39.51 ID:WkiQ26sH0.net
>>135
聖人=酒
とか誰か言ってたような

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 19:54:58.68 ID:5KUE2gAH0.net
>>137
理想主義で独善家で自分のことを心の底からいい人だと信じていて、調子いい時は滅茶苦茶有能だけど悪い時はどん底まで突き進む二人やね

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 21:27:10.43 ID:WqI5x9Au0.net
>>134
苻堅はなんだかんだ言っても東晋に亡命した一族が高待遇受けてたり胡漢融合政策そのものは北魏から隋唐まで受け継がれてるからなんだかんだ言っても一廉の群雄よ
ヘイト集めたっても光栄風に言えば民忠MAXで死んだときも敵兵まで泣き出すほど

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 23:20:24.73 ID:Layboxzu0.net
>>140
胡漢融合は最低でも石勒がオリジナルやぞ
劉淵を端緒にしてもいいとは思うが、
ともあれ苻堅の胡漢融合はあくまでフォロワー的手段

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 23:36:38.08 ID:a1EWh3qi0.net
趙の漢胡融合は基本的にトップ主導だったけど
急だったしイデオロギー的にも斬新すぎたんで漢人側も胡人側も受け入れる心の用意が完全にはできてなくて結局失敗した
反動の冉閔の虐殺で行き着くところまでいって
その後やっと民心として「これぼちぼち共存するしかねえんじゃねえかな…」という認識が双方から生まれ出した
苻堅の融合はその流れだけど、まぁそれはそれとして失敗した

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/25(土) 23:55:51.13 ID:KqOZUD+i0.net
と言うか漢族根絶したほうが良かったんじゃねーか?!

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 01:31:15.87 ID:KypFAuCi0.net
>>114
陳慶之ってかなりの名将だと思うが
武廟六十四将に選ばれてないのは意外だった

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 03:21:06.04 ID:ik+GXIBCO.net
>>143
漢民族の方が人口が圧倒的に多いのにどうやって根絶するんだよ
漢民族の方が圧倒的に多いんだから反撃されて自分達が抹殺されるのがオチだ
それに、漢民族を根絶したら農耕して定期的に税金を納めてくれるヤツがいなくなるぞ
官僚として仕官してくれる高度な知識を持つ漢民族名士もいなくなったら国の運営が成り立たなくなる
だからこそ、後趙の石虎以外の五胡政権は漢民族に気を使っていたんだから

後趙が石虎の死後わずか数年で崩壊したのは、漢民族の恨みを買っていたのも要因の一つなんだから
石虎が簒奪して以降、後趙は胡漢融合をかなぐり捨てて、漢民族から搾取することしかしていなかった

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 08:10:16.35 ID:rXJ7nKI/0.net
>>141
胡漢融合って漢に胡を従属させて取り込む手法として体よく使われるんだが、石勒だけは胡も漢も主導的ではないって特殊さだからな
これの知名度が低いというのが漢民族至上主義の史観を彷彿とさせる

宇文も胡が主導って面では珍しいが、現代じゃ文化窃盗って言葉で表される内容ばかりなのが難点

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 08:51:14.96 ID:lWtPcyLJ0.net
>>144
武廟十哲とか武廟六十四将とか
十史(イエロージャーナリズムの晋書とか)書いてた奴らの後輩が
前世紀に十史完成して手持ち無沙汰で選んだようなものだから
少しズレてても別におかしくないので有り難がってるのは変態
現代だと流行語大賞で流行っているのか微妙な言葉が
大賞に選ばれるのが多々あるのと同じ

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 09:25:03.79 ID:5DRbZp2g0.net
>>145
漢民族史観丸出しだわな
ホントに搾取で恨まれてるなら前秦や前燕なんて搾りカス程度の国力しかなくヒ水なんて起こりようがない

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 10:13:48.40 ID:bl6ip7Gr0.net
陳慶之別に趨勢そのものひっくり返してないですし……

150 :143:2023/02/26(日) 10:14:07.61 ID:Frr79YTO0.net
>>145
>>148
異民族どころか同族の異分子すら死滅させようとする
中共見てればわかるだろ?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 11:12:45.02 ID:ik+GXIBCO.net
>>148
「後趙の石虎以外の五胡政権は漢民族に気を使っていた」と書いてあるのが読めない?
前秦や前燕をはじめとした五胡政権は石虎の失敗を反面教師として漢民族に配慮した政策を採っている

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 11:22:45.31 ID:Frr79YTO0.net
中共が滅んで
20億人がいきなり死滅しても
「へぇ」以外の感想しか無い

中華の歴史は大概大量虐殺が空気化してるしな

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 11:25:39.88 ID:Frr79YTO0.net
というか
漢族なる蛮種に配慮する必要性すらなかった

と言うか石虎ですら甘ちゃんだったから
後々に至るまで冉閔の思想が蔓延したとしか思えんし

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 12:46:07.76 ID:5+iJg4pV0.net
>>151
付き合うな付き合うな、いつものあれだ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 14:44:19.38 ID:5DRbZp2g0.net
>>151
それなら石虎存命から崩れるもんなんだわ
でも実際は死んで内紛して血族ほぼ断絶するまで保ったし、戸籍人口すら増加し、残骸から覇権国家が誕生するくらいに栄えてる
恨みを買ったらすぐ逃げ出し戸籍人口が減る、漢民族の気質と相反する動態よ

>>154
スタイリッシュ負け惜しみする暇あるなら、少しは学習しておけ生ゴミ

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/26(日) 15:15:58.62 ID:KoDgbkHt0.net
>>152
それはない

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/27(月) 00:23:52.65 ID:veo2gDVd0.net
>>155
戸籍人口でいえば後趙の石氏よりも東漢の劉氏の方が酷い
戸籍人口1/10に激減で古代夏レベルの人口とか新末の混乱でもあり得ない
なので永嘉の乱のどさくさで二王三恪から外され祭祀断たされたのもわかる

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