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五胡十六国南北朝を語るスレ19

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 08:57:29.88 ID:mg+drUuX0.net
前スレ
五胡十六国南北朝を語るスレ18
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1663590952/

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8

→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
 ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
 ttp://3guozhi.net/sy/top.html

魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8

資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 02:11:51.64 ID:d3pF1tWu0.net
アレクサンドリア図書館の焼失
知恵の館の喪失
文化大革命

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 02:14:40.19 ID:d3pF1tWu0.net
ローマ帝国は庶民でも文字が読めたが
中世ヨーロッパでは農民どころか国王や貴族・騎士も文盲で、読み書きできるのは教会の神父だけという有様

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 09:33:55.60 ID:1PaXZuLU0.net
顔氏家訓読んでても「読み書きと四書五経さえ抑えておけば出自がわるくても寺子屋の先生くらいにはなれる、逆に無学文盲なら大貴族でも奴僕に落ちぶれる。ちゃんと勉強しろよ」と買い取るからな
なお、解説によると南朝梁では貴族の学力がダダ落ちし「馬に乗れれば著作郎。ご機嫌いかがですかって書ければ秘書郎」といわれるほどでカンニングも横行するほどや

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 12:32:59.66 ID:ZFYWxb/70.net
読み書きできないとカンペに書かれてることもわからないし解答も書けない
読み書きって大事だな

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 18:47:59.44 ID:MJwPy2Gm0.net
中華も五胡十六国南北朝時代を含む書の五厄の混乱で牛弘も嘆いているのに
知恵の館の喪失やアレクサンドリア図書館の焼失級の
壊滅的被害にならなかったのは七不思議

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/07(金) 22:27:04.79 ID:uJ1z7RjK0.net
>>701
問題はその四書五経をはじめとした写本が結構な高値であり、得る手段を要するという所
転じて写本を作成できる教養と画力(と材料を買う資産)がある場合、下手な官吏の俸禄より美味しい稼ぎになっていたそうな
ここら辺で西晋からの寒門のインテリ化(食い扶持のためにやらざるを得ない)と皇族や名家のバカ発生(やらなくても一生遊んで暮らせる)のカラクリが見え隠れする

>>703
知識人自体が生き延びたのと、注釈に使われて要点が引き継がれていったおかげかと
アレクサンドリアは焼失後にキリスト教による独占、知恵の館は文字通り皆殺しによる知識断絶が致命的
ステンドグラスやイコンが文盲用教材って時点で色々察するものがあるだろう

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/09(日) 01:49:05.10 ID:dZbZXJGC0.net
>>701
そう考えると詰め込み教育から
ゆとり教育に緩くなった日本は亡国に向かっているな…
今に英語の筆記体読める日本人皆無になるだろうな

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/09(日) 03:46:51.92 ID:FjgQdA740.net
ゆとり教育なんて十年前から止めてるやろ
あれは寺脇研みたいなろくに勉強しないで映画ばっかみてても東大一発で受かる
超優等生向けの教育よ

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/09(日) 08:12:07.61 ID:/x3BlEnt0.net
>>706
>超優等生向けの教育

これが核心突いてる
実際にゆとり教育でZ世代より前に現れたのが、さとり世代
なまじ自己で学ぶウェートがでかいから、今の腐敗した社会を知る機会が多くなってしまい、ブルーカラーの奴隷労働が成立しなくなった
中国で問題になっている寝そべり族と根っこは同じ

文化面で爛熟しながらも国力は衰退の一途を辿った劉宋以降の南朝と似ている

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/09(日) 08:20:40.94 ID:tDnMrlOX0.net
東晋はあくまで中原回復が国是であり続けたけど
劉宋から江南こそが中華の中心であるという考えが貴族を支配していった
この辺りは会田大輔先生の本に書かれていた
まあ、狐と葡萄みたいな話なんだろう

元嘉北伐の失敗と瓜歩の役による煮え湯、
文帝の前期までは東晋から劉裕ときた北伐の大義を持ち続けていたが
文帝末期になってみんな折れてしまったんだろうな

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/10(月) 03:47:31.88 ID:sNLFI/dO0.net
>>698
同じく混血しまくってるエジプトでも数千年前のミイラとか
現代の日本在住のフィフィとあまり顔つき変わらんから

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 01:16:42.48 ID:CCrbpqWd0.net
5ちゃんねるが何か南北朝時代みたいになってるな

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 10:26:17.36 ID:rQd+eZPe0.net
Twitterは五胡十六国時代か

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 10:50:35.64 ID:fVxKYRpG0.net
>>711
絶対強者が裏の目的隠しつつ表面上は掻き回してるだけだから
今のアメリカ合衆国の政治みたいな状態

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 11:37:02.56 ID:krMenxYj0.net
このスレで貴族DS論ってのがあったな

北斉だと段韶が表でも裏でも最強じゃないか
高一族も手を出せないし軍功も内政も堅実なのになんであんまり取り上げられないのか
段韶の立ち位置はフランク王国の宮宰のようだ

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 22:30:55.95 ID:5hNXUAG/0.net
>>713
北斉が利用価値のない敗北者だから、というのに尽きる

歴史上の敗北者は、だからダメなんだよっていう結論になり得る内容こそ記載しなきゃいけないのに
段韶は堅実過ぎた上に裏切りや裏切られがないから、ろくにダメエピソードが作れない
さらに北斉が衰退滅亡した本当の理由が漢化っていうのも問題
隋唐のロジックである、優秀な漢民族の血筋によるレコンキスタ、への反駁材料になってしまうため、原因どころか一挙一動に脚色を要する
ゆえに書かざるを得ない最低限の内容だけの味気ないものと
埋め合わせとして奸臣や暗君の醜聞豪華メガ盛り特濃フルコースの両極端になったと

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/11(火) 23:18:14.66 ID:ngp3uiod0.net
相談もなしに舎弟を引き連れて独立したがその舎弟からこんな奴の味方じゃないからとドン引きされるも
そこそこの人数は引き抜きに成功したJane Styleの乱は何に近いんだろ

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/12(水) 11:46:38.65 ID:w3yB8FgK0.net
フランク王国がメロヴィング朝からカロリング朝に交代したのは
中国南北朝時代に多発した禅譲≒簒奪に近いな
意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う
中国には宮宰みたいなのがいない
文治と軍権はときに重なることがあったが
宮廷内のことは宦官などがやってて比較的に文武官と分離されていた
李勣「これは陛下の家のこと、なぜ外の私に聞くんですか?」…武則天の専権へ

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/12(水) 20:06:38.67 ID:kyROTJlZ0.net
>意外にヨーロッパはこのタイプが少ないと思う

完全体のローマ存続までは権力=権威で分業なんてない状態だし
以降はベニスから始まった資本家orバチカンから始まった宗教家の間接統治だから国内を乱して首を挿げ替える必要が薄い
むしろやるなら他国を扇動して潰してもらい、その後覇権握ったとこに取り入るほうが楽ちん

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/13(木) 05:16:50.65 ID:vf+Bev3/0.net
>>716
斉の田氏もそうだけど実験握って100年以上経って
ようやく君主を追放して即位だからなあ

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/14(金) 06:38:17.62 ID:bo92QMRD0.net
>中国には宮宰みたいなのがいない

日本では天皇家に対する征夷大将軍(幕府)とか
鎌倉公方(足利家)に対する関東管領(上杉家)とか
龍造寺家に対する鍋島家とか
近い例は枚挙にいとまがない

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/14(金) 06:50:43.43 ID:1KI5DDB00.net
鎌倉幕府の得宗体制とか傍から見たら東晋より権力のポジションが意味不明だもんな  

天皇家の代理(征夷大将軍)の家宰(執権)の腹心(得宗)が権力握ってるとか最初に教科書か参考書読んだとき全く理解できんかったぞ

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/14(金) 07:54:51.87 ID:YdLC5+ZF0.net
高湛まではいくら横暴をやっても
手加減というのは知ってた
勲貴には手を出せないし、使い方も分かっていた(互いに利用してた)
段韶の寿命が北斉の運の尽きか
高緯だって斛律光は粛清できても段韶は無理だったろうから

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/14(金) 11:19:05.47 ID:FI1+p/Bk0.net
得宗が執権の腹心?
御内人じゃなくて?

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/15(土) 06:53:57.95 ID:wP2T9zpQ0.net
段韶の息子の中には唐に仕えた奴も居るな
まあ武威段氏だからおかしくないが

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/15(土) 08:41:35.44 ID:4DHk8nV30.net
歴史は繰り返す
斛律光や蘭陵王を謀殺するはいいが、その後に北周の攻撃から自国をどう守るかは一切考えていない北斉
太田道灌を亡き者にし山内上杉に対して一気に劣勢になった扇谷上杉も然り
朱元璋や豊臣秀吉みたく完全に外敵を駆逐しきってからの粛清ならまだ分かるんだけどね

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/15(土) 16:33:47.78 ID:yc1wsbul0.net
>>722
正式名称すら最近手紙で判明レベルだから正式な役職じゃないんだよね
もっとも世界史で実質乗っ取ってみたいなのは結構あるけど
それでも即位した瞬間に潰されたり即位迄100年200年かけてるんだよね

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/15(土) 21:26:45.46 ID:cQ9AYja60.net
李蕩が仲平で、李雄が仲儁と二人とも次男系の字なのは、
どうせどっちか死ぬだろって想定なのかな

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/16(日) 17:12:47.37 ID:Eh8VcRgM0.net
ある時、李雄の母である羅氏は、2つの虹が門から天へと道を作り、
その途上で1本が途切れる夢を見た。その後、李蕩を生んだ。
またある時、羅氏は水を汲みに行き、うっかり眠り込んでしまった。
その時、大蛇がその体にからみつくという夢を見た。
その後、妊娠していた事が分かり、14か月後に李雄を生んだ。
羅氏はいつも2人の子のどちらかが亡くなれば、
残った方は大富貴に至るであろうと語っていたという。
その予言の通り、李蕩が303年に亡くなると、李雄は成漢皇帝に至ったという。

李蕩と李雄は同母兄弟なのに日本でいえば
織田信雄(三介)と織田信孝(三七)みたいな同格扱いなのかな
なお長男なのにほぼ空気の李始(伯起)・・・

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/16(日) 21:29:44.49 ID:j9FW7X8O0.net
李氏の不倶戴天の敵である羅尚と李雄の母が同じ羅氏というのがなかなか面白いな
もしかして縁者だったりして

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/16(日) 23:31:48.90 ID:rwolsCLQ0.net
>>724
豊臣秀吉は最も危険な徳川家康を始末しなかったのが命取りで案の定、死後に天下を奪われ豊臣家は滅ぼされる破目となった。
朱元璋も死後に靖難の変で孫の建文帝が帝位を奪われたが、その帝位を奪った永楽帝は息子だったので朱家の天下が続いたという点ではマシと言えるだろう。

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/17(月) 01:49:22.43 ID:22xHalx50.net
大地震の被害が凄まじく、徳川への対応が武力征伐→和睦へ方針転換せざるを得なかった
あと秀次があのまま豊臣家を継いでいれば家康が付け入る隙もなかったかもね

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/17(月) 06:26:16.35 ID:POI9jDWZ0.net
>>730
そもそも豊臣秀長が早逝しなければ豊臣秀次の処刑も唐入りも無かったかも知れないから、やすやすと徳川家康に天下を奪われる事もなかったろう。
そう考えると豊臣秀長の早すぎる死は朱元璋にとっての皇太子・朱標の早逝と同じような意味があったのだろう。

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/17(月) 08:35:32.66 ID:tlOBN0xm0.net
朱標と馬皇后が長生きで朱元璋没後も健在だったら後世の朱元璋評価も大分違っていただろうな。
唐太宗や康煕帝と並び称されたかもな。

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/17(月) 09:10:15.09 ID:A+GQW6BS0.net
燕賊も本来望んでた「北の蛮族への防人」って立場で生涯を終えてたろうしな

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/18(火) 00:39:10.28 ID:kHcnQrpA0.net
>>730
秀次程度じゃ家康にいいようにやられる
石弘が石虎に敵わないのと同じ

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/18(火) 06:02:49.28 ID:xcgj7a6g0.net
殺生関白じゃ家康の相手は無理か。

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/18(火) 08:38:08.46 ID:OXe709QY0.net
漢族は基本的に長子相続だけど、故族は必ずしもそうではないね

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/18(火) 17:57:26.31 ID:KTQhySpf0.net
>>736
遊牧民族は成長した順に独立して親元を巣立っていくので、
そうなると最後まで親元にいた末子が相続する事になる。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/18(火) 19:22:53.64 ID:hVWA/LYq0.net
財産分与的な相続でいえば末子相続になるけど
家督的な相続は必ずしもそうじゃないよな

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/19(水) 12:13:39.50 ID:cpHClMqx0.net
>>731
いや、秀吉はきっと処刑したよ
というか秀長自体も処刑したかもしれん

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/20(木) 09:33:27.92 ID:w35Qy/o80.net
>>737
慕容吐谷渾とか長男なのにどうみても慕容氏継げる人生ではないな
もし慕容吐谷渾が慕容氏継いでたら

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/20(木) 19:28:47.47 ID:1pfaBXQj0.net
>>739
それに比べると朱元璋は甥の朱文正(長兄の子)は過失あって免官したが軟禁しただけで殺さず、その子の朱守謙は赦されて靖江王に封じられ子孫が代々受け継ぎ明末から南明にまで至るが、
これは唯一の朱元璋の子孫以外の藩王である。
また李文忠(長姉の子)は開国の功臣として曹国公に封じられ、その子の李景隆が受け継ぐが靖難の変で建文帝について燕王(後の永楽帝)に損害を与えたことで除爵され、その子孫が
複爵することも無かった。
劉邦も即位後も生きていた次兄の劉喜は死刑にされてもおかしくないところを降格するだけで済まして子の劉濞は後に呉王に封じたし、早逝した長兄手・劉伯の子の劉信も母(劉邦の兄嫁)
気に入らなくても後に羹颉侯に封じたように中華の庶民出身の開国の皇帝は日本の権力者と違って肉親の処刑はほとんどしない傾向がるようだ。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/20(木) 19:39:14.00 ID:OOTFq17g0.net
劉備も劉封を処刑にしたが、秀吉と秀次の関係と違って血の繋がりの無い養子だし
殺すのは劉封だけに留めて劉封の息子は生かしてたな

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/20(木) 20:25:30.01 ID:ynEkLKdC0.net
>>742
劉封はあくまで関羽のド低能失策を叱責しないための生贄だから、権力争いや家督相続の意味合いはそこまで強くない
そのぶん生贄としての効力も弱いから取り返しの付かない負け戦をやらかす羽目になったわけだが

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/22(土) 20:37:57.92 ID:8DkhXWfq0.net
拓跋珪は40前で殺されたのか
人生濃すぎだろこの人

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/22(土) 22:55:36.19 ID:iW0u7f260.net
北魏の皇帝はみんな暗殺か30代前半までか
韓国の大統領…とは方向性が違うけど幸せとは思えない

それと皇帝の皇弟たちもみんな曰く付きばっかりだな

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/22(土) 23:34:20.61 ID:m3e1Dq5N0.net
40超えたのが高歓だけという呪われた一族、北斉高氏
爾朱栄とかあの濃さなのに40前で誅されてるってマジか

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/22(土) 23:53:18.83 ID:4zjpjFlb0.net
後漢の皇帝も寿命短いぞ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/23(日) 04:25:47.06 ID:u9Ku/BQe0.net
>>744-746
騎馬民族は馬より少し長い寿命しか持ってないかもな
それなら馬並みのイチモツと馬ぐらいの早熟な生殖能力あればいいのだが
残念ながら持っていないのは哀れ

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/23(日) 11:46:29.11 ID:IAh1NWsg0.net
東晋皇帝も50代に達したのは簡文帝のみ
というか皇族として52歳まで永らえたのに皇帝に即位させられた途端1年保たずにに崩御という

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/23(日) 15:24:34.27 ID:yAvoFush0.net
創作で悲劇のプリンスはいい性格に書かれたりするけど実際は拓跋珪や赫連勃勃みたいに歪むよな

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/23(日) 17:39:22.37 ID:HCP8ujVV0.net
>>750
報復のミームに呑まれるからな
悲劇を悲劇で塗りつぶすというのが定番
それを仇討ちとか仕返しで美談にできるくらい功績挙げられるかが分岐点になる

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/24(月) 04:49:53.26 ID:ud4icHzm0.net
>>747>>749
蒙古も国号を元とする前の汗達は生年が不明の初代の成吉思汗と三代の貴由汗以外は全て50歳以上生きているが、国号を元としてからの皇帝達は初代の世祖と最後の順帝以外で50歳以上生きた者はいない。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/24(月) 12:19:05.74 ID:SUKy1/8R0.net
始皇帝が50歳以上生きてない濃い人生だったおかげで
後の皇帝も長寿とは相反する生き様がデフォ

菩薩皇帝とか皇帝界では異端児で皇帝破門級

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 00:29:06.44 ID:6USvPJKL0.net
その人幽閉されて殺されたようなもんだからそれなければ100歳近くまで生きてそう

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 12:52:34.52 ID:Q7Q5TvO80.net
名前に艾か乂のつく人って気の毒な目にあってるのが多い気がする

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 12:52:36.19 ID:Q7Q5TvO80.net
名前に艾か乂のつく人って気の毒な目にあってるのが多い気がする

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 13:53:03.09 ID:80+j/GAc0.net
>>753
じゃ在位48年で
尚且つその大半が職務放棄な万暦帝は?

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 14:07:57.43 ID:QIfq7bfw0.net
>>757
万暦帝「朕は祖父(嘉靖帝)に倣っただけじゃ」

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 19:51:22.06 ID:osUTe6IL0.net
>>758
嘉靖帝と万歴帝はスタンス全然違うのよな
前者はセンスないのに皇帝として振る舞おうとして国を空回りさせる曹丕や司馬熾スタイル
後者はスタート地点で油売るのに満足して国を廃れさせる北斉スタイル
甲乙つけがたい酷さ

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 20:04:27.09 ID:/CeJitvS0.net
君臨すれども統治せず

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 21:51:21.77 ID:ZvHkqPqW0.net
北宋の鉄宗や明の崇禎帝は空回りタイプかな
この二人はもうとっくに取り返しのつかない国を何とか盛り返そうとする努力はしてるからかわいそうというか気の毒

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/25(火) 23:34:42.05 ID:rQM21B+y0.net
>>760
で成功したのがエリザベス2世か
逆に君臨して統治して最後は国が傾いたのがルイ14世か
どちらも昭和天皇よりも長い在位期間

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/26(水) 06:20:19.16 ID:2UkiIgTx0.net
>>761
欽宗やぞ。あれは親父(徽宗)がぶん投げて江南に逃亡で政権押し付けられたとか言う悲惨すぎる例やんけ(結局連れ戻された)
親父の無責任ムーヴさえなければ江南で再起した時に担ぎ上げられたのは欽宗だったろうし

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/26(水) 23:50:41.96 ID:07QXec8N0.net
>>763
南宋成立後に南宋から帰国を拒否されてるからより悲惨よな
晋の愍帝は1年ほどで殺されたけど、殺されなければ生きている間元帝は即位出来なかった?

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/27(木) 00:13:47.42 ID:T0liz4lW0.net
かもな。
後の話だけど返品されてきた英宗(天順帝)が景泰帝を追い落とした例もあるし

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/27(木) 12:29:51.89 ID:uuMbJAOv0.net
>>764
似たような立場だった煬帝は
連れ戻されることも再起することも出来なかったという

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/27(木) 21:53:30.87 ID:ZvRMoNPB0.net
劉備なんかは献帝が存命でも即位したからな

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/27(木) 22:09:05.50 ID:6ODvZIXf0.net
>>767
それで漢帝国復興どころか後漢存続派からも人望失ったから、荊州人を引き留めるため夷陵やらかしたっていうのが何とも皮肉
あの時は五胡入り前より皇帝の神通力と権威が強かったぶん露骨に影響が出た

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 04:22:01.49 ID:TsNpckfz0.net
>>767
あれは献帝が殺されたという情報が伝わったので、それならと即位したのだったな。
後に献帝が殺されていない事が分かったが今さら退位する訳にもいかなく、そのまま皇帝にい続けた筈。

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 06:23:21.29 ID:nJndYAnt0.net
献帝が殺されていないなら退位しろよ

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 10:33:21.19 ID:5MPPm8610.net
>>770
一度天子を名乗ったら後に引けなくなる、という通例がある(慕容部や冉閔)
胡亥が降伏と退位して天寿を全うできたなら話は変わっていただろうが、惨めな末路であったせいで是が非でも地位を捨てられない
敗戦以外の退位でマシな扱いされた皇帝は後漢恵帝、魏元帝、西晋恵帝、唐武帝くらいしかいないという闇の深さよ

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 10:38:07.90 ID:5MPPm8610.net
後漢献帝に訂正
こう見直してみると、やはり溺れている犬に石を投げる民族性であるのを感じさせるな

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 14:34:02.00 ID:qUlRqubI0.net
>>771
唐武帝って高祖?

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 18:09:05.70 ID:rhaZyGT20.net
>>773
ID変わってるかもだが、そのとおり
半ば簒奪されたとはいえ隋文帝よりは随分ましな余生を送ってると言える

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/28(金) 19:38:19.19 ID:XOeqUd5t0.net
頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた

征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/29(土) 05:01:17.88 ID:3ECnBHgj0.net
>>765
負けて捕虜になった英宗の方がその後マシな人生歩むて
勝ったエセン・ハーンの方が不幸な末路を辿るのが皮肉だな

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/29(土) 06:52:22.33 ID:pL3tZL5q0.net
>>775
足利尊氏は征夷大将軍としては武闘派だが
蝦夷と戦ってないので坂上田村麻呂より下

中華に征夷大将軍が有ったら
一番相応しいのは高句麗ボコった慕容翰辺りかね

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/29(土) 09:07:30.45 ID:7CQlaeJw0.net
>>776
EU4的に土木の変は最強イベントだけど、あっちは遊牧民がガチ結束するくせに中華はすぐミンチになる仕様なのが悲しかった

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/29(土) 09:22:00.11 ID:w7qHO9f70.net
その英宗も明の殉葬の制度を廃止した功績がある

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/30(日) 11:05:51.32 ID:qChwwZHM0.net
英傑でも英明でもない朱祁鎮が英宗とは
まぁ諡号や廟号などおかしな皇帝を時々見かけるのは
この時代に限らず五胡十六国南北朝時代含めてデフォ

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/30(日) 12:32:37.10 ID:NPb9bRye0.net
>>780
煬帝なんて
いちばん有名な楊広と
↑に付けられた陳叔宝と
あまり関係ない拓跋?那ぐらいか

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/30(日) 12:53:06.96 ID:NPb9bRye0.net
というか皇帝自身が諡号や廟号を選べないってのもな

日の本じゃ白河とか後醍醐とかが自分で決めちゃってるし

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/30(日) 15:47:55.49 ID:WFvSHZSc0.net
>>782
煬帝が真っ先に「なんつー不孝な制度だよ、これ」と言うのも無理はないが
元々は物質主義へのブレーキとして他人に評価させる制度であるというのを考えると、何故あるか分かると思う
この他人に評価させる制度を息子に適用したのが太子密建だから

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/30(日) 18:56:57.14 ID:IvZD1+Nn0.net
>>782
始皇帝「その通り」

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 06:46:53.46 ID:pNAiBGuT0.net
>>779
殉死の制度の廃止は靖難の変の際わずか2歳で捕らわれて以降、実に50年以上も幽閉されていた建文帝の次男の朱文圭を解放し皇籍に復帰させたのと並ぶ英宗の数少ない功績。
ただ英宗は自分の死後の殉死は廃止したが土木の変でオイラートに捕虜になった自分を太上皇にして即位した弟の景泰帝を憎むあまり、奪門の変で景泰帝から帝位を奪って復位すると間もなく死んだ景泰帝の唐貴妃を殉死させている(これが明での最後の殉死)ので、やはりロクでもない皇帝に変わりはない。

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 08:46:08.79 ID:DZ9k5hIU0.net
日本だと将軍は殺されても
天皇は幽閉されたり島流しに遭う程度で殺されるケースはなかったけど
中国じゃ皇帝でも臣下・宦官・外戚によってホイホイ殺されまくりで命が軽過ぎる

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 09:07:34.01 ID:DZ9k5hIU0.net
日本だと地方に有力な大名がたくさんいるから天皇を殺そうものなら全国から袋叩きにされるだけだが
中国は専制君主制で朝廷が政治も軍事も全て握ってるから中央がやりたい放題できる
この違いかな

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 10:39:09.39 ID:00c6TbQH0.net
>>787
中国は権威と権力の分離ができない
権力を失ったら権威も失って価値がなくなるから、生き残ることが困難
始皇帝がその基礎を作った後、曹髦殺害で不可逆的になり、西晋滅亡で極まった感じ
皇帝本人が専制するかスケープゴートにされる体制に二分された

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 11:06:49.54 ID:sc8zqjFW0.net
>>786
崇峻天皇「・・・」

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 11:06:53.93 ID:sc8zqjFW0.net
>>786
崇峻天皇「・・・」

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 17:54:35.80 ID:AE/DO5KH0.net
崇峻天皇と韓擒虎が同年没だとは

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 21:38:20.97 ID:DZ9k5hIU0.net
>>788
>中国は権威と権力の分離ができない

シューキンペーの今でもそうだな
独裁体制以外で中国を統治する方法は無いって誰か言ってたわ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 23:30:11.72 ID:dmMKz3Rm0.net
>>792
中国に限らず、大体の国がそうなのよ
表向き権威しかなさそうに見えても、裏で権力筋に根回しさせるパワーは持ち合わせてる
それを民衆が容認するか認知しない場合でしか上手くいかない

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/02(水) 22:03:44.06 ID:nzrzuS1o0.net
中華で纏足の風習が始まったのって潘玉児から?

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/02(水) 22:37:41.68 ID:Hx0Mvd3R0.net
北宋あたりからやろ
この時代はまだそんなに女性への縛りはそんなにキツくない

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/02(水) 23:49:45.23 ID:iK8QawyY0.net
>>794
南斉の潘玉児から始まったという説もあるが一般的には五代十国の南唐から始まったというのが有力。

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/03(木) 08:38:07.95 ID:gXNg8hSp0.net
纏足の理想的な大きさは三寸(三寸金蓮)
チョンのチ〇コ勃起時平均三寸(9cm)と同じや

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/03(木) 11:59:20.17 ID:S2KI3jdp0.net
>>796
同じ五代十国の南漢じゃ
男の1割が宦官という異常事態だったしな

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