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【アンパンマン】カレーパンマンのスレ

1 :カレーなる名無しさん:2014/10/30(木) 19:38:30.91 ID:QpZX/NmX.net
ちょっと きが みじかくて おこりっぽいところも あるけれど、
たよりに なる アンパンマンの なかま。 あつい カレーを ふきだして、わるものを やっつける。
カレーパンマンの つくる カレーライスは、みんな だいすき。
http://anpanman.jp/sekai/friends/currypan.html

そんなカレーパンマンを今一度気にかけてみるスレです

2 :カレーなる名無しさん:2014/10/31(金) 19:41:01.10 ID:nUaGtWYQ.net
お前らの中にイケメンいない?
稼げるのかレポ頼むw
URL貼れないから
メンガ
って検索して!
※正しいサイト名は英語です。

3 :カレーなる名無しさん:2014/10/31(金) 20:42:50.95 ID:riXKG1hU.net
アハハ

4 :カレーなる名無しさん:2014/11/16(日) 06:27:43.93 ID:???.net
グロ注意

5 :カレーなる名無しさん:2015/04/04(土) 19:33:08.58 ID:uFhO8/I9.net
糞スレあげ

6 :バカ親父横井信幸 バカ息子横井貴幸& ◆xEyxc5YrODO4 :2015/04/04(土) 22:20:57.41 ID:???.net
屎スレ

7 :カレーなる名無しさん:2015/04/04(土) 23:27:42.49 ID:???.net
つまんねえ−。友達いない奴ってすぐ分かるよな。
友達につまんねえことを指摘してもらえないから自分がつまんねえことを分かってないんだよw
だから糞面白くないスレを平気で立てれちゃう。なんか可哀想だわ。

死んじゃえば惨めじゃなくなるよ>>1さん!

8 :カレーなる名無しさん:2015/05/09(土) 15:41:24.67 ID:tJVMY5Rl.net
  −−−−−
 /{◕}{◕} \
ξ〜〜〜〜〜〜〜3
 L

9 :カレーなる名無しさん:2015/05/10(日) 17:24:10.72 ID:nOyc68Wx.net
口から出してるカレーはおこさまカレー?それとも本格カリー?

10 :カレーなる名無しさん:2015/05/12(火) 15:18:02.81 ID:???.net
食×カレー

11 :カレーなる名無しさん:2015/06/19(金) 08:16:22.95 ID:???.net
カレーパンマンw
http://i.imgur.com/LZhAs36.jpg

12 :カレーなる名無しさん:2015/08/28(金) 07:17:35.80 ID:???.net
仕方ない事情以外で友だちが全くいない人は
この指とーまれっwwwwwww

13 :カレーなる名無しさん:2015/10/01(木) 09:07:53.02 ID:UDscC0Yq.net


14 :カレーなる名無しさん:2015/12/28(月) 09:35:01.13 ID:0qT4IPff.net
ただしカレーはケツから出る

15 :カレーなる名無しさん:2015/12/29(火) 08:13:26.76 ID:BvO2DC0+.net
漫☆画太郎カレーパンマン「オゲーオゲゲー」

16 :三日月:2016/03/02(水) 15:13:13.38 ID:???.net
谷口元一
創価大卒でTBS入社後、薬物で逮捕、 解雇された後、 芸能事務所幹部にまで上り詰める。
その地位と権力を濫用し、 多くの女優・タレントに肉体関係を強要し 精神的にぼろぼろにした後ポイ捨てするという、 悪行を繰り返した鬼畜。

ケイダッシュ谷口元一朝鮮人脈の親族が過去、イランへ核兵器製造に関する
技術情報を譲渡した事件で逮捕されている。

山口組企業舎弟バーニング周防郁雄の手下の覚醒剤大好きの谷口元一が、
ロシア最後機密の核兵器情報を欲しがって大金を投じた。

バーニング 周防郁雄の原風景は、千葉県木更津市の稲川会三日月一家にある。
バーニングプロのケツモチは、住吉会住吉一家大日本興行に始まり、五代目山口組健竜会、山口組宅見組、住吉会、稲川会三本杉一家、山口組後藤組と変遷してきた。

二十年前から、周防郁雄はNHK芸能関係部署に入り込み、
大物プロデューサーへの異常な贈り物や、破廉恥極まりない闇接待を繰り返してきた。

これまでNHKを表舞台にとして、その裏で右翼やヤクザを言葉巧みに利用してきた周防郁雄
(ヤクザに「周防は芸能界のドンだ」と呼ばせてハクを付けてきた。  創価 バーニング ケイダッシュ 政界 財界)


ご意見ご要望はこちらにお寄せください<<03 6872 6005  Pasona Group Inc ,武藤 ,早乙女>> 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:ab70a4a6288fc82185a3b6c7ccae0979)


17 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 17:28:57.47 ID:CzprMTzLV
栗梅の小さな紋附を着た太郎は、突然こう言い出した。

18 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 17:40:28.05 ID:CzprMTzLV
考えようとする努力と、笑いたいのをこらえようとする努力とで、靨が何度も消えたり出来たりする。――

19 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 17:51:58.70 ID:CzprMTzLV
それが馬琴には、おのずから微笑を誘うような気がした。

20 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 18:03:29.26 ID:CzprMTzLV
馬琴はとうとうふき出した。

21 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 18:14:59.79 ID:CzprMTzLV
が、笑いの中ですぐまた語をつぎながら、

22 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 18:28:30.32 ID:CzprMTzLV
癇癪を起しちゃいけませんって。」

23 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 18:40:00.85 ID:CzprMTzLV
「おやおや、それっきりかい。」

24 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 18:51:31.40 ID:CzprMTzLV
太郎はこう言って、糸鬢奴の頭を仰向けながら自分もまた笑い出した。

25 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 19:03:01.91 ID:CzprMTzLV
眼を細くして、白い歯を出して、小さな靨をよせて、笑っているのを見ると、これが大きくなって、世間の人間のような憐れむべき顔になろうとは、どうしても思われない。

26 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 19:14:32.42 ID:CzprMTzLV
馬琴は幸福の意識に溺れながら、こんなことを考えた。

27 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 19:26:03.18 ID:CzprMTzLV
そうしてそれが、さらにまた彼の心をくすぐった。

28 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 19:37:33.81 ID:CzprMTzLV
「まだ何かあるかい?」

29 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 19:49:06.51 ID:CzprMTzLV
いろんなことがあるの。」

30 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:00:37.05 ID:CzprMTzLV
今にもっとえらくなりますからね。」

31 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:12:07.67 ID:CzprMTzLV
「えらくなりますから?」

32 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:23:39.58 ID:CzprMTzLV
辛抱おしなさいって。」

33 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:35:10.17 ID:CzprMTzLV
馬琴は思わず、真面目な声を出した。

34 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:46:40.69 ID:CzprMTzLV
「もっと、もっとようく辛抱なさいって。」

35 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 20:58:13.21 ID:CzprMTzLV
「誰がそんなことを言ったのだい。」

36 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 21:09:43.74 ID:CzprMTzLV
太郎は悪戯そうに、ちょいと彼の顔を見た。

37 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 21:21:14.29 ID:CzprMTzLV
今日は御仏参に行ったのだから、お寺の坊さんに聞いて来たのだろう。」

38 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 21:32:44.79 ID:CzprMTzLV
断然として首を振った太郎は、馬琴の膝から、半分腰をもたげながら、顋を少し前へ出すようにして、

39 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 21:44:15.31 ID:CzprMTzLV
「浅草の観音様がそう言ったの。」

40 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 21:55:46.01 ID:CzprMTzLV
こう言うとともに、この子供は、家内中に聞えそうな声で、嬉しそうに笑いながら、馬琴につかまるのを恐れるように、急いで彼の側から飛びのいた。

41 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 22:07:16.46 ID:CzprMTzLV
そうしてうまく祖父をかついだおもしろさに小さな手をたたきながら、ころげるようにして茶の間の方へ逃げて行った。

42 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 22:18:46.97 ID:CzprMTzLV
馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那にひらめいたのは、この時である。

43 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 22:30:17.49 ID:CzprMTzLV
彼の唇には幸福な微笑が浮んだ。

44 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 22:41:47.98 ID:CzprMTzLV
それとともに彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。

45 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 23:01:31.65 ID:CzprMTzLV
この冗談は太郎が考え出したのか、あるいはまた母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。

46 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 23:06:58.55 ID:CzprMTzLV
独りで寂しい昼飯をすませた彼は、ようやく書斎へひきとると、なんとなく落ち着きがない、不快な心もちを鎮めるために、久しぶりで水滸伝を開いて見た。

47 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 23:18:29.52 ID:CzprMTzLV
偶然開いたところは豹子頭林冲が、風雪の夜に山神廟で、草秣場の焼けるのを望見する件である。

48 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 23:30:00.07 ID:CzprMTzLV
彼はその戯曲的な場景に、いつもの感興を催すことが出来た。

49 :カレーなる名無しさん:2018/06/09(土) 23:52:30.95 ID:CzprMTzLV
が、それがあるところまで続くとかえって妙に不安になった。

50 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 00:04:01.46 ID:nQVZ3aNEa
仏参に行った家族のものは、まだ帰って来ない。

51 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 00:15:32.00 ID:nQVZ3aNEa
うちの中は森としている。

52 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 00:27:36.50 ID:nQVZ3aNEa
彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸った。

53 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 00:50:22.06 ID:nQVZ3aNEa
そうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持っている、ある疑問を髣髴した。

54 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:01:52.87 ID:nQVZ3aNEa
それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿する疑問である。

55 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:13:24.13 ID:nQVZ3aNEa
彼は昔から「先王の道」

56 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:24:54.71 ID:nQVZ3aNEa
彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」

57 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:36:25.73 ID:nQVZ3aNEa
だから、そこに矛盾はない。

58 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:47:56.41 ID:nQVZ3aNEa
が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。

59 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 01:59:26.95 ID:nQVZ3aNEa
従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。

60 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 02:10:57.91 ID:nQVZ3aNEa
もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。

61 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 02:22:29.35 ID:nQVZ3aNEa
実際彼は公衆に向ってこの煮え切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧な態度を隠そうとしたこともある。

62 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 02:34:00.07 ID:nQVZ3aNEa
しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。

63 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 02:45:31.58 ID:nQVZ3aNEa
彼は戯作の価値を否定して「勧懲の具」

64 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 15:53:30.32 ID:xCqTurkuT
と同時にまた、主人と客とは、ひとしくこの寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。

65 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 16:05:01.42 ID:xCqTurkuT
「しかし絵の方は羨ましいようですな。

66 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 16:16:32.11 ID:xCqTurkuT
公儀のお咎めを受けるなどということがないのはなによりも結構です。」

67 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 16:28:03.16 ID:xCqTurkuT
今度は馬琴が、話頭を一転した。

68 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 16:39:33.98 ID:xCqTurkuT
御老人の書かれるものも、そういう心配はありますまい。」

69 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 16:51:04.88 ID:xCqTurkuT
「いや、大いにありますよ。」

70 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 17:02:35.70 ID:xCqTurkuT
馬琴は改名主の図書検閲が、陋を極めている例として、自作の小説の一節が役人が賄賂をとる箇条のあったために、改作を命ぜられた事実を挙げた。

71 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 17:14:06.62 ID:xCqTurkuT
そうして、それにこんな批評をつけ加えた。

72 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 17:25:37.31 ID:xCqTurkuT
「改名主などいうものは、咎め立てをすればするほど、尻尾の出るのがおもしろいじゃありませんか。

73 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 17:37:08.07 ID:xCqTurkuT
自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを書かれると、嫌がって改作させる。

74 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 17:48:38.93 ID:xCqTurkuT
また自分たちが猥雑な心もちにとらわれやすいものだから、男女の情さえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまう。

75 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:00:10.10 ID:xCqTurkuT
それで自分たちの道徳心が、作者より高い気でいるから、傍痛い次第です。

76 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:11:40.94 ID:xCqTurkuT
言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出しているようなものでしょう。

77 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:23:11.56 ID:xCqTurkuT
自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」

78 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:34:42.41 ID:xCqTurkuT
崋山は馬琴の比喩があまり熱心なので、思わず失笑しながら、

79 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:46:13.18 ID:xCqTurkuT
「それは大きにそういうところもありましょう。

80 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 18:57:43.87 ID:xCqTurkuT
しかし改作させられても、それは御老人の恥辱になるわけではありますまい。

81 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 19:09:15.20 ID:xCqTurkuT
改名主などがなんと言おうとも、立派な著述なら、必ずそれだけのことはあるはずです。」

82 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 19:20:48.26 ID:xCqTurkuT
「それにしても、ちと横暴すぎることが多いのでね。

83 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 19:32:19.00 ID:xCqTurkuT
そうそう一度などは獄屋へ衣食を送る件を書いたので、やはり五六行削られたことがありました。」

84 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 19:43:49.78 ID:xCqTurkuT
馬琴自身もこう言いながら、崋山といっしょに、くすくす笑い出した。

85 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 19:55:20.56 ID:xCqTurkuT
「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、八犬伝だけが残ることになりましょう。」

86 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 20:06:51.36 ID:xCqTurkuT
「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでもいそうな気がしますよ。」

87 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 20:18:22.34 ID:xCqTurkuT
私にはそうも思われませんが。」

88 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 20:29:53.33 ID:xCqTurkuT
「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。

89 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 20:41:24.21 ID:xCqTurkuT
焚書坑儒が昔だけあったと思うと、大きに違います。」

90 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 20:52:54.91 ID:xCqTurkuT
「御老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」

91 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 21:04:25.58 ID:xCqTurkuT
「私が心細いのではない。

92 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 21:15:56.52 ID:xCqTurkuT
改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」

93 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 21:27:27.32 ID:xCqTurkuT
「では、ますます働かれたらいいでしょう。」

94 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 21:38:58.35 ID:xCqTurkuT
「とにかく、それよりほかはないようですな。」

95 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 21:50:29.06 ID:xCqTurkuT
「そこでまた、御同様に討死ですか。」

96 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:01:59.77 ID:xCqTurkuT
今度は二人とも笑わなかった。

97 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:13:30.71 ID:xCqTurkuT
笑わなかったばかりではない。

98 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:25:01.60 ID:xCqTurkuT
馬琴はちょいと顔をかたくして、崋山を見た。

99 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:36:32.98 ID:xCqTurkuT
それほど崋山のこの冗談のような語には、妙な鋭さがあったのである。

100 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:48:04.03 ID:xCqTurkuT
「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。

101 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 22:59:34.86 ID:xCqTurkuT
討死はいつでも出来ますからな。」

102 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 23:11:05.61 ID:xCqTurkuT
ほどを経て、馬琴がこう言った。

103 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 23:22:36.58 ID:xCqTurkuT
崋山の政治上の意見を知っている彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。

104 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 23:34:07.22 ID:xCqTurkuT
が、崋山は微笑したぎり、それには答えようともしなかった。

105 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 23:45:37.86 ID:xCqTurkuT
崋山が帰ったあとで、馬琴はまだ残っている興奮を力に、八犬伝の稿をつぐべく、いつものように机へ向った。

106 :カレーなる名無しさん:2018/06/10(日) 23:57:08.98 ID:xCqTurkuT
先を書きつづける前に、昨日書いたところを一通り読み返すのが、彼の昔からの習慣である。

107 :カレーなる名無しさん:2018/06/11(月) 00:08:40.90 ID:6qWzc69yS
そこで彼は今日も、細い行の間へべた一面に朱を入れた、何枚かの原稿を、気をつけてゆっくり読み返した。

108 :カレーなる名無しさん:2018/06/11(月) 00:20:12.05 ID:6qWzc69yS
すると、なぜか書いてあることが、自分の心もちとぴったり来ない。

109 :カレーなる名無しさん:2018/06/11(月) 00:31:42.93 ID:6qWzc69yS
字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。

110 :カレーなる名無しさん:2018/06/11(月) 00:43:15.36 ID:6qWzc69yS
彼は最初それを、彼の癇がたかぶっているからだと解釈した。

111 :カレーなる名無しさん:2018/06/11(月) 00:54:47.00 ID:6qWzc69yS
「今の己の心もちが悪いのだ。

112 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 21:17:31.12 ID:9Ya84Yav9
と同時にまた、主人と客とは、ひとしくこの寂しさから、一種の力強い興奮を感じた。

113 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 21:28:32.13 ID:9Ya84Yav9
「しかし絵の方は羨ましいようですな。

114 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 21:39:32.80 ID:9Ya84Yav9
公儀のお咎めを受けるなどということがないのはなによりも結構です。」

115 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 21:50:33.62 ID:9Ya84Yav9
今度は馬琴が、話頭を一転した。

116 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:01:34.22 ID:9Ya84Yav9
御老人の書かれるものも、そういう心配はありますまい。」

117 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:12:34.85 ID:9Ya84Yav9
「いや、大いにありますよ。」

118 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:23:35.48 ID:9Ya84Yav9
馬琴は改名主の図書検閲が、陋を極めている例として、自作の小説の一節が役人が賄賂をとる箇条のあったために、改作を命ぜられた事実を挙げた。

119 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:34:36.06 ID:9Ya84Yav9
そうして、それにこんな批評をつけ加えた。

120 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:45:37.10 ID:9Ya84Yav9
「改名主などいうものは、咎め立てをすればするほど、尻尾の出るのがおもしろいじゃありませんか。

121 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 22:56:38.06 ID:9Ya84Yav9
自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを書かれると、嫌がって改作させる。

122 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 23:07:38.77 ID:9Ya84Yav9
また自分たちが猥雑な心もちにとらわれやすいものだから、男女の情さえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまう。

123 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 23:18:39.59 ID:9Ya84Yav9
それで自分たちの道徳心が、作者より高い気でいるから、傍痛い次第です。

124 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 23:29:40.51 ID:9Ya84Yav9
言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出しているようなものでしょう。

125 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 23:40:41.12 ID:9Ya84Yav9
自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」

126 :カレーなる名無しさん:2018/06/13(水) 23:51:41.69 ID:9Ya84Yav9
崋山は馬琴の比喩があまり熱心なので、思わず失笑しながら、

127 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 00:02:44.61 ID:bGcyLZPcv
「それは大きにそういうところもありましょう。

128 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 00:13:45.39 ID:bGcyLZPcv
しかし改作させられても、それは御老人の恥辱になるわけではありますまい。

129 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 00:29:23.24 ID:bGcyLZPcv
改名主などがなんと言おうとも、立派な著述なら、必ずそれだけのことはあるはずです。」

130 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 00:40:23.84 ID:bGcyLZPcv
「それにしても、ちと横暴すぎることが多いのでね。

131 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 00:51:25.80 ID:bGcyLZPcv
そうそう一度などは獄屋へ衣食を送る件を書いたので、やはり五六行削られたことがありました。」

132 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:02:26.66 ID:bGcyLZPcv
馬琴自身もこう言いながら、崋山といっしょに、くすくす笑い出した。

133 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:13:27.30 ID:bGcyLZPcv
「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、八犬伝だけが残ることになりましょう。」

134 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:24:28.11 ID:bGcyLZPcv
「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでもいそうな気がしますよ。」

135 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:35:28.75 ID:bGcyLZPcv
私にはそうも思われませんが。」

136 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:46:29.54 ID:bGcyLZPcv
「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。

137 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 01:57:30.26 ID:bGcyLZPcv
焚書坑儒が昔だけあったと思うと、大きに違います。」

138 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 02:08:30.90 ID:bGcyLZPcv
「御老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」

139 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 02:19:31.54 ID:bGcyLZPcv
「私が心細いのではない。

140 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 02:30:32.30 ID:bGcyLZPcv
改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」

141 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 02:41:32.91 ID:bGcyLZPcv
「では、ますます働かれたらいいでしょう。」

142 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 02:52:33.48 ID:bGcyLZPcv
「とにかく、それよりほかはないようですな。」

143 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:03:34.08 ID:bGcyLZPcv
「そこでまた、御同様に討死ですか。」

144 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:14:34.69 ID:bGcyLZPcv
今度は二人とも笑わなかった。

145 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:25:35.34 ID:bGcyLZPcv
笑わなかったばかりではない。

146 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:36:36.43 ID:bGcyLZPcv
馬琴はちょいと顔をかたくして、崋山を見た。

147 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:47:37.15 ID:bGcyLZPcv
それほど崋山のこの冗談のような語には、妙な鋭さがあったのである。

148 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 03:58:37.91 ID:bGcyLZPcv
「しかしまず若い者は、生きのこる分別をすることです。

149 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 04:09:38.49 ID:bGcyLZPcv
討死はいつでも出来ますからな。」

150 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 04:20:39.07 ID:bGcyLZPcv
ほどを経て、馬琴がこう言った。

151 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 04:31:39.66 ID:bGcyLZPcv
崋山の政治上の意見を知っている彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであろう。

152 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 04:42:40.37 ID:bGcyLZPcv
が、崋山は微笑したぎり、それには答えようともしなかった。

153 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 04:53:40.96 ID:bGcyLZPcv
崋山が帰ったあとで、馬琴はまだ残っている興奮を力に、八犬伝の稿をつぐべく、いつものように机へ向った。

154 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:04:41.55 ID:bGcyLZPcv
先を書きつづける前に、昨日書いたところを一通り読み返すのが、彼の昔からの習慣である。

155 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:15:42.20 ID:bGcyLZPcv
そこで彼は今日も、細い行の間へべた一面に朱を入れた、何枚かの原稿を、気をつけてゆっくり読み返した。

156 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:26:42.89 ID:bGcyLZPcv
すると、なぜか書いてあることが、自分の心もちとぴったり来ない。

157 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:37:43.53 ID:bGcyLZPcv
字と字との間に、不純な雑音が潜んでいて、それが全体の調和を至るところで破っている。

158 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:48:44.35 ID:bGcyLZPcv
彼は最初それを、彼の癇がたかぶっているからだと解釈した。

159 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 05:59:45.10 ID:bGcyLZPcv
「今の己の心もちが悪いのだ。

160 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 12:05:21.29 ID:ZV/szMWtH
今度は二人とも笑わなかった。

161 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 12:17:06.94 ID:ZV/szMWtH
笑わなかったばかりではない。

162 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 13:04:09.86 ID:ZV/szMWtH
討死はいつでも出来ますからな。」

163 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 13:15:55.37 ID:ZV/szMWtH
ほどを経て、馬琴がこう言った。

164 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 15:01:46.19 ID:ZV/szMWtH
「今の己の心もちが悪いのだ。

165 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 15:13:31.76 ID:ZV/szMWtH
書いてあることは、どうにか書き切れるところまで、書き切っているはずだから。」

166 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 15:25:17.30 ID:ZV/szMWtH
そう思って、彼はもう一度読み返した。

167 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 15:37:02.82 ID:ZV/szMWtH
が、調子の狂っていることは前と一向変りはない。

168 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 15:48:48.32 ID:ZV/szMWtH
彼は老人とは思われないほど、心の中で狼狽し出した。

169 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:00:33.79 ID:ZV/szMWtH
「このもう一つ前はどうだろう。」

170 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:12:19.24 ID:ZV/szMWtH
彼はその前に書いたところへ眼を通した。

171 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:24:04.73 ID:ZV/szMWtH
すると、これもまたいたずらに粗雑な文句ばかりが、糅然としてちらかっている。

172 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:35:50.29 ID:ZV/szMWtH
彼はさらにその前を読んだ。

173 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:47:35.78 ID:ZV/szMWtH
そうしてまたその前の前を読んだ。

174 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 16:59:22.15 ID:ZV/szMWtH
しかし読むに従って拙劣な布置と乱脈な文章とは、次第に眼の前に展開して来る。

175 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 17:11:07.67 ID:ZV/szMWtH
そこには何らの映像をも与えない叙景があった。

176 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 17:22:53.19 ID:ZV/szMWtH
何らの感激をも含まない詠歎があった。

177 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 17:34:38.72 ID:ZV/szMWtH
そうしてまた、何らの理路をたどらない論弁があった。

178 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 17:46:24.22 ID:ZV/szMWtH
彼が数日を費やして書き上げた何回分かの原稿は、今の彼の眼から見ると、ことごとく無用の饒舌としか思われない。

179 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 17:58:09.72 ID:ZV/szMWtH
彼は急に、心を刺されるような苦痛を感じた。

180 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 18:09:55.25 ID:ZV/szMWtH
「これは始めから、書き直すよりほかはない。」

181 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 18:21:40.79 ID:ZV/szMWtH
彼は心の中でこう叫びながら、いまいましそうに原稿を向うへつきやると、片肘ついてごろりと横になった。

182 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 18:33:26.26 ID:ZV/szMWtH
が、それでもまだ気になるのか、眼は机の上を離れない。

183 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 18:45:11.79 ID:ZV/szMWtH
彼はこの机の上で、弓張月を書き、南柯夢を書き、そうして今は八犬伝を書いた。

184 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 18:56:57.26 ID:ZV/szMWtH
この上にある端渓の硯、蹲の文鎮、蟇の形をした銅の水差し、獅子と牡丹とを浮かせた青磁の硯屏、それから蘭を刻んだ孟宗の根竹の筆立て――

185 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 19:08:43.63 ID:ZV/szMWtH
そういう一切の文房具は、皆彼の創作の苦しみに、久しい以前から親んでいる。

186 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 19:20:29.14 ID:ZV/szMWtH
それらの物を見るにつけても、彼はおのずから今の失敗が、彼の一生の労作に、暗い影を投げるような――

187 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 19:32:14.74 ID:ZV/szMWtH
彼自身の実力が根本的に怪しいような、いまわしい不安を禁じることが出来ない。

188 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 19:44:00.28 ID:ZV/szMWtH
「自分はさっきまで、本朝に比倫を絶した大作を書くつもりでいた。

189 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 19:55:46.12 ID:ZV/szMWtH
が、それもやはり事によると、人なみに己惚れの一つだったかも知れない。」

190 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 20:07:31.61 ID:ZV/szMWtH
こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫たる孤独の情をもたらした。

191 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 20:19:17.20 ID:ZV/szMWtH
彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜であることを忘れるものではない。

192 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 20:31:02.73 ID:ZV/szMWtH
が、それだけにまた、同時代の屑々たる作者輩に対しては、傲慢であるとともにあくまでも不遜である。

193 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 20:42:48.28 ID:ZV/szMWtH
その彼が、結局自分も彼らと同じ能力の所有者だったということを、そうしてさらに厭うべき遼東の豕だったということは、どうしてやすやすと認められよう。

194 :カレーなる名無しさん:2018/06/14(木) 20:54:34.13 ID:ZV/szMWtH
しかも彼の強大な「我」

195 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 10:38:29.91 ID:fDWnwoC2/
今度は馬琴が、話頭を一転した。

196 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 11:02:31.47 ID:fDWnwoC2/
「いや、大いにありますよ。」

197 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 14:38:44.36 ID:fDWnwoC2/
私にはそうも思われませんが。」

198 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 15:26:46.89 ID:fDWnwoC2/
「私が心細いのではない。

199 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 16:26:49.72 ID:fDWnwoC2/
今度は二人とも笑わなかった。

200 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 16:38:51.20 ID:fDWnwoC2/
笑わなかったばかりではない。

201 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 17:26:53.63 ID:fDWnwoC2/
討死はいつでも出来ますからな。」

202 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 17:38:54.23 ID:fDWnwoC2/
ほどを経て、馬琴がこう言った。

203 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 19:58:33.47 ID:M+00JrxBU
子供の時の愛読書は「西遊記」

204 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 20:10:49.15 ID:M+00JrxBU
これ等は今日でも僕の愛読書である。

205 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 20:23:04.78 ID:M+00JrxBU
比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。

206 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 20:35:20.32 ID:M+00JrxBU
名高いバンヤンの「天路歴程」

207 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 20:47:35.81 ID:M+00JrxBU
なども到底この「西遊記」

208 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 20:59:51.31 ID:M+00JrxBU
も愛読書の一つである。

209 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 21:12:06.79 ID:M+00JrxBU
これも今以て愛読してゐる。

210 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 21:24:22.31 ID:M+00JrxBU
の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。

211 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 21:36:38.57 ID:M+00JrxBU
その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」

212 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 21:48:54.05 ID:M+00JrxBU
だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。

213 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 22:01:09.57 ID:M+00JrxBU
中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」

214 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 22:13:25.03 ID:M+00JrxBU
や小島烏水氏の「日本山水論」

215 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 22:25:40.54 ID:M+00JrxBU
同時に、夏目さんの「猫」

216 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 22:37:56.47 ID:M+00JrxBU
だから人の事は笑へない。

217 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 22:50:11.98 ID:M+00JrxBU
の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」

218 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 23:02:27.73 ID:M+00JrxBU
中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。

219 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 23:14:43.22 ID:M+00JrxBU
それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。

220 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 23:26:58.72 ID:M+00JrxBU
ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。

221 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 23:39:14.43 ID:M+00JrxBU
ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。

222 :カレーなる名無しさん:2018/06/15(金) 23:51:29.95 ID:M+00JrxBU
その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。

223 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 00:03:45.45 ID:/jNW+QED0
これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」

224 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 00:16:00.95 ID:/jNW+QED0
などの影響であつたらうと思ふ。

225 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 00:28:16.45 ID:/jNW+QED0
さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。

226 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 00:40:31.98 ID:/jNW+QED0
但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。

227 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 00:52:47.53 ID:/jNW+QED0
スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。

228 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 01:05:03.06 ID:/jNW+QED0
序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」

229 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 01:17:18.57 ID:/jNW+QED0
を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。

230 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 01:29:34.07 ID:/jNW+QED0
あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」

231 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 01:41:49.60 ID:/jNW+QED0
を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。

232 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 01:54:05.16 ID:/jNW+QED0
信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。

233 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 02:06:20.69 ID:/jNW+QED0
彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。

234 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 02:18:36.17 ID:/jNW+QED0
中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。

235 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 02:30:51.68 ID:/jNW+QED0
が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。

236 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 02:43:07.20 ID:/jNW+QED0
そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。

237 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 02:55:22.72 ID:/jNW+QED0
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

238 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 03:07:38.29 ID:/jNW+QED0
彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。

239 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 03:19:53.85 ID:/jNW+QED0
信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。

240 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 03:32:09.37 ID:/jNW+QED0
それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。

241 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 03:44:24.90 ID:/jNW+QED0
唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。

242 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 03:56:40.43 ID:/jNW+QED0
さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。

243 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 04:08:55.95 ID:/jNW+QED0
かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。

244 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 04:21:12.23 ID:/jNW+QED0
が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。

245 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 04:33:27.73 ID:/jNW+QED0
だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。

246 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 04:45:43.23 ID:/jNW+QED0
尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。

247 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 04:57:58.87 ID:/jNW+QED0
彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。

248 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 05:10:14.41 ID:/jNW+QED0
が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。

249 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 05:22:29.92 ID:/jNW+QED0
それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。

250 :カレーなる名無しさん:2018/06/16(土) 05:39:45.43 ID:/jNW+QED0
信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。

251 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 14:09:11.02 ID:Azm5lonce
子供の時の愛読書は「西遊記」

252 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 14:46:43.19 ID:Azm5lonce
名高いバンヤンの「天路歴程」

253 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 14:59:13.75 ID:Azm5lonce
なども到底この「西遊記」

254 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 15:11:44.28 ID:Azm5lonce
も愛読書の一つである。

255 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 15:24:14.94 ID:Azm5lonce
これも今以て愛読してゐる。

256 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 16:26:47.87 ID:Azm5lonce
や小島烏水氏の「日本山水論」

257 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 16:39:18.44 ID:Azm5lonce
同時に、夏目さんの「猫」

258 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 16:51:49.00 ID:Azm5lonce
だから人の事は笑へない。

259 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 17:29:20.86 ID:Azm5lonce
それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。

260 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 18:31:54.98 ID:Azm5lonce
などの影響であつたらうと思ふ。

261 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 21:14:34.06 ID:Azm5lonce
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

262 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 23:07:14.14 ID:Azm5lonce
尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。

263 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 23:19:44.73 ID:Azm5lonce
彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。

264 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 23:32:15.31 ID:Azm5lonce
が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。

265 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 23:44:46.08 ID:Azm5lonce
それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。

266 :カレーなる名無しさん:2018/06/18(月) 23:57:16.65 ID:Azm5lonce
信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。

267 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 15:34:17.41 ID:hZhGOwbWV
子供の時の愛読書は「西遊記」

268 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 15:47:03.47 ID:hZhGOwbWV
これ等は今日でも僕の愛読書である。

269 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 15:59:49.16 ID:hZhGOwbWV
比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。

270 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 16:12:34.84 ID:hZhGOwbWV
名高いバンヤンの「天路歴程」

271 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 16:25:20.58 ID:hZhGOwbWV
なども到底この「西遊記」

272 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 16:38:06.21 ID:hZhGOwbWV
も愛読書の一つである。

273 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 16:50:52.33 ID:hZhGOwbWV
これも今以て愛読してゐる。

274 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 17:03:38.20 ID:hZhGOwbWV
の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。

275 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 17:16:24.08 ID:hZhGOwbWV
その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」

276 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 17:29:09.73 ID:hZhGOwbWV
だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。

277 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 17:42:02.75 ID:hZhGOwbWV
中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」

278 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 17:54:48.92 ID:hZhGOwbWV
や小島烏水氏の「日本山水論」

279 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 18:07:34.57 ID:hZhGOwbWV
同時に、夏目さんの「猫」

280 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 18:20:20.19 ID:hZhGOwbWV
だから人の事は笑へない。

281 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 18:33:05.82 ID:hZhGOwbWV
の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」

282 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 18:45:51.63 ID:hZhGOwbWV
中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。

283 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 19:11:23.44 ID:hZhGOwbWV
ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。

284 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 19:24:09.61 ID:hZhGOwbWV
ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。

285 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 19:36:55.66 ID:hZhGOwbWV
その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。

286 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 19:49:41.54 ID:hZhGOwbWV
これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」

287 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 20:02:27.21 ID:hZhGOwbWV
などの影響であつたらうと思ふ。

288 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 20:15:13.21 ID:hZhGOwbWV
さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。

289 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 20:27:59.00 ID:hZhGOwbWV
但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。

290 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 20:40:45.67 ID:hZhGOwbWV
スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。

291 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 20:53:31.46 ID:hZhGOwbWV
序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」

292 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 21:06:17.33 ID:hZhGOwbWV
を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。

293 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 21:19:03.33 ID:hZhGOwbWV
あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」

294 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 21:31:49.04 ID:hZhGOwbWV
を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。

295 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 21:44:34.88 ID:hZhGOwbWV
信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。

296 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 21:57:20.67 ID:hZhGOwbWV
彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。

297 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 22:10:06.34 ID:hZhGOwbWV
中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。

298 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 22:22:51.99 ID:hZhGOwbWV
が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。

299 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 22:35:37.73 ID:hZhGOwbWV
そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。

300 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 22:48:23.49 ID:hZhGOwbWV
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

301 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 23:01:09.18 ID:hZhGOwbWV
彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。

302 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 23:13:54.85 ID:hZhGOwbWV
信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。

303 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 23:26:40.67 ID:hZhGOwbWV
それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。

304 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 23:39:26.26 ID:hZhGOwbWV
唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。

305 :カレーなる名無しさん:2018/06/19(火) 23:52:11.85 ID:hZhGOwbWV
さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。

306 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 00:05:00.81 ID:TDbsLJXJg
かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。

307 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 00:17:46.85 ID:TDbsLJXJg
が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。

308 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 00:30:32.65 ID:TDbsLJXJg
だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。

309 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 00:43:18.29 ID:TDbsLJXJg
尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。

310 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 00:56:04.01 ID:TDbsLJXJg
彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。

311 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 01:08:49.77 ID:TDbsLJXJg
が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。

312 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 01:21:35.43 ID:TDbsLJXJg
それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。

313 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 01:34:21.47 ID:TDbsLJXJg
信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。

314 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 09:54:33.44 ID:l4dCPz8a2
子供の時の愛読書は「西遊記」

315 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 10:33:34.96 ID:l4dCPz8a2
名高いバンヤンの「天路歴程」

316 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 10:46:35.47 ID:l4dCPz8a2
なども到底この「西遊記」

317 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 10:59:35.95 ID:l4dCPz8a2
も愛読書の一つである。

318 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 11:12:36.46 ID:l4dCPz8a2
これも今以て愛読してゐる。

319 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 12:17:39.05 ID:l4dCPz8a2
や小島烏水氏の「日本山水論」

320 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 12:30:39.56 ID:l4dCPz8a2
同時に、夏目さんの「猫」

321 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 12:43:40.06 ID:l4dCPz8a2
だから人の事は笑へない。

322 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 14:27:46.13 ID:l4dCPz8a2
などの影響であつたらうと思ふ。

323 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 17:16:52.63 ID:l4dCPz8a2
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

324 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 20:28:02.63 ID:q/vvMKEBS
子供の時の愛読書は「西遊記」

325 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 21:07:49.77 ID:q/vvMKEBS
名高いバンヤンの「天路歴程」

326 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 21:21:05.53 ID:q/vvMKEBS
なども到底この「西遊記」

327 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 21:34:21.40 ID:q/vvMKEBS
も愛読書の一つである。

328 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 21:47:37.08 ID:q/vvMKEBS
これも今以て愛読してゐる。

329 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 22:53:56.58 ID:q/vvMKEBS
や小島烏水氏の「日本山水論」

330 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 23:07:12.31 ID:q/vvMKEBS
同時に、夏目さんの「猫」

331 :カレーなる名無しさん:2018/06/20(水) 23:20:28.27 ID:q/vvMKEBS
だから人の事は笑へない。

332 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 01:06:39.32 ID:KGUJR4fl5
などの影響であつたらうと思ふ。

333 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 03:59:05.44 ID:KGUJR4fl5
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

334 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 13:41:02.92 ID:K/AxP8ez4
子供の時の愛読書は「西遊記」

335 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 14:21:35.08 ID:K/AxP8ez4
名高いバンヤンの「天路歴程」

336 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 14:35:05.73 ID:K/AxP8ez4
なども到底この「西遊記」

337 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 14:48:36.36 ID:K/AxP8ez4
も愛読書の一つである。

338 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 15:02:06.96 ID:K/AxP8ez4
これも今以て愛読してゐる。

339 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 16:09:41.38 ID:K/AxP8ez4
や小島烏水氏の「日本山水論」

340 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 16:23:12.07 ID:K/AxP8ez4
同時に、夏目さんの「猫」

341 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 16:36:42.79 ID:K/AxP8ez4
だから人の事は笑へない。

342 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 17:17:14.58 ID:K/AxP8ez4
それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。

343 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 18:24:53.28 ID:K/AxP8ez4
などの影響であつたらうと思ふ。

344 :カレーなる名無しさん:2018/06/21(木) 21:20:34.85 ID:K/AxP8ez4
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

345 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 08:08:15.44 ID:CNMAyJ4kT
子供の時の愛読書は「西遊記」

346 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 08:22:01.44 ID:CNMAyJ4kT
これ等は今日でも僕の愛読書である。

347 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 08:35:47.03 ID:CNMAyJ4kT
比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。

348 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 08:49:32.61 ID:CNMAyJ4kT
名高いバンヤンの「天路歴程」

349 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 09:03:18.16 ID:CNMAyJ4kT
なども到底この「西遊記」

350 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 09:17:04.63 ID:CNMAyJ4kT
も愛読書の一つである。

351 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 09:30:50.12 ID:CNMAyJ4kT
これも今以て愛読してゐる。

352 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 09:44:35.61 ID:CNMAyJ4kT
の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。

353 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 09:58:21.54 ID:CNMAyJ4kT
その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」

354 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 10:12:07.07 ID:CNMAyJ4kT
だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。

355 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 10:26:38.78 ID:CNMAyJ4kT
中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」

356 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 10:40:26.93 ID:CNMAyJ4kT
や小島烏水氏の「日本山水論」

357 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 10:54:13.00 ID:CNMAyJ4kT
同時に、夏目さんの「猫」

358 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 11:07:59.33 ID:CNMAyJ4kT
だから人の事は笑へない。

359 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 12:58:05.65 ID:CNMAyJ4kT
などの影響であつたらうと思ふ。

360 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 15:56:59.96 ID:CNMAyJ4kT
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

361 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 16:18:25.66 ID:CNMAyJ4kT
「さう思はれるだけでも幸福ね。」

362 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 16:32:11.23 ID:CNMAyJ4kT
二人の間には沈黙が来た。

363 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 16:45:57.60 ID:CNMAyJ4kT
彼等は柱時計の時を刻む下に、長火鉢の鉄瓶がたぎる音を聞くともなく聞き澄ませてゐた。

364 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 16:59:43.14 ID:CNMAyJ4kT
「でも御兄様は御優しくはなくつて?」――

365 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 17:13:28.86 ID:CNMAyJ4kT
やがて照子は小さな声で、恐る恐るかう尋ねた。

366 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 17:27:15.61 ID:CNMAyJ4kT
その声の中には明かに、気の毒さうな響が籠つてゐた、が、この場合信子の心は、何よりも憐憫を反撥した。

367 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 17:41:01.26 ID:CNMAyJ4kT
彼女は新聞を膝の上へのせて、それに眼を落したなり、わざと何とも答へなかつた。

368 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 17:54:46.94 ID:CNMAyJ4kT
新聞には大阪と同じやうに、米価問題が掲げてあつた。

369 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 18:08:32.63 ID:CNMAyJ4kT
その内に静な茶の間の中には、かすかに人の泣くけはひが聞え出した。

370 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 18:22:18.21 ID:CNMAyJ4kT
信子は新聞から眼を離して、袂を顔に当てた妹を長火鉢の向うに見出した。

371 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 18:36:03.90 ID:CNMAyJ4kT
「泣かなくつたつて好いのよ。」――

372 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 18:49:50.66 ID:CNMAyJ4kT
照子は姉にさう慰められても、容易に泣き止まうとはしなかつた。

373 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 19:03:36.38 ID:CNMAyJ4kT
信子は残酷な喜びを感じながら、暫くは妹の震へる肩へ無言の視線を注いでゐた。

374 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 20:50:49.72 ID:+Dt2IM5Tw
「計略が露顕したのは、あなたのせいじゃありませんよ。

375 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 21:04:35.82 ID:+Dt2IM5Tw
あなたは私と約束した通り、アグニの神の憑った真似をやり了せたじゃありませんか?――

376 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 21:18:21.61 ID:+Dt2IM5Tw
そんなことはどうでも好いことです。

377 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 21:32:07.25 ID:+Dt2IM5Tw
さあ、早く御逃げなさい」

378 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 21:45:52.87 ID:+Dt2IM5Tw
遠藤はもどかしそうに、椅子から妙子を抱き起しました。

379 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 21:59:38.82 ID:+Dt2IM5Tw
私は眠ってしまったのですもの。

380 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 22:13:24.49 ID:+Dt2IM5Tw
どんなことを言ったか、知りはしないわ」

381 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 22:27:10.26 ID:+Dt2IM5Tw
妙子は遠藤の胸に凭れながら、呟くようにこう言いました。

382 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 22:40:56.01 ID:+Dt2IM5Tw
「計略は駄目だったわ。

383 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 22:54:42.84 ID:+Dt2IM5Tw
とても私は逃げられなくってよ」

384 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 23:08:29.34 ID:+Dt2IM5Tw
「そんなことがあるものですか。

385 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 23:22:15.49 ID:+Dt2IM5Tw
私と一しょにいらっしゃい。

386 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 23:36:01.16 ID:+Dt2IM5Tw
今度しくじったら大変です」

387 :カレーなる名無しさん:2018/06/22(金) 23:49:46.78 ID:+Dt2IM5Tw
「だってお婆さんがいるでしょう?」

388 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 00:03:36.63 ID:t9CB76ZF8
遠藤はもう一度、部屋の中を見廻しました。

389 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 00:17:22.77 ID:t9CB76ZF8
机の上にはさっきの通り、魔法の書物が開いてある、――

390 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 00:31:08.37 ID:t9CB76ZF8
その下へ仰向きに倒れているのは、あの印度人の婆さんです。

391 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 00:44:53.98 ID:t9CB76ZF8
婆さんは意外にも自分の胸へ、自分のナイフを突き立てたまま、血だまりの中に死んでいました。

392 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 00:58:41.88 ID:t9CB76ZF8
「お婆さんはどうして?」

393 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 01:12:30.63 ID:t9CB76ZF8
妙子は遠藤を見上げながら、美しい眉をひそめました。

394 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 01:26:16.93 ID:t9CB76ZF8
「私、ちっとも知らなかったわ。

395 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 01:40:03.93 ID:t9CB76ZF8
お婆さんは遠藤さんが――

396 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 01:53:49.95 ID:t9CB76ZF8
あなたが殺してしまったの?」

397 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 02:07:35.63 ID:t9CB76ZF8
遠藤は婆さんの屍骸から、妙子の顔へ眼をやりました。

398 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 02:21:21.41 ID:t9CB76ZF8
今夜の計略が失敗したことが、――

399 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 02:35:07.08 ID:t9CB76ZF8
しかしその為に婆さんも死ねば、妙子も無事に取り返せたことが、――

400 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 02:48:52.65 ID:t9CB76ZF8
運命の力の不思議なことが、やっと遠藤にもわかったのは、この瞬間だったのです。

401 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 03:02:38.28 ID:t9CB76ZF8
「私が殺したのじゃありません。

402 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 03:16:24.24 ID:t9CB76ZF8
あの婆さんを殺したのは今夜ここへ来たアグニの神です」

403 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 03:30:10.13 ID:t9CB76ZF8
遠藤は妙子を抱えたまま、おごそかにこう囁きました。

404 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 03:43:55.86 ID:t9CB76ZF8
伴天連うるがんの眼には、外の人の見えないものまでも見えたさうである。

405 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 03:57:41.80 ID:t9CB76ZF8
殊に、人間を誘惑に来る地獄の悪魔の姿などは、ありありと形が見えたと云ふ、――

406 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 04:11:27.45 ID:t9CB76ZF8
うるがんの青い瞳を見たものは、誰でもさう云ふ事を信じてゐたらしい。

407 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 04:25:13.07 ID:t9CB76ZF8
少くとも、南蛮寺の泥烏須如来を礼拝する奉教人の間には、それが疑ふ余地のない事実だつたと云ふ事である。

408 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 04:38:58.69 ID:t9CB76ZF8
古写本の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子を物語つた。

409 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 04:52:44.69 ID:t9CB76ZF8
それは人間の顔と蝙蝠の翼と山羊の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である。

410 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 05:06:30.54 ID:t9CB76ZF8
うるがんはこの悪魔が、或は塔の九輪の上に手を拍つて踊り、或は四つ足門の屋根の下に日の光を恐れて蹲る恐しい姿を度々見た。

411 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 05:20:16.14 ID:t9CB76ZF8
いやそればかりではない。

412 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 05:34:01.69 ID:t9CB76ZF8
或時は山の法師の背にしがみつき、或時は内の女房の髪にぶら下つてゐるのを見たと云ふ。

413 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 05:47:47.50 ID:t9CB76ZF8
しかしそれらの悪魔の中で、最も我々に興味のあるものは、なにがしの姫君の輿の上に、あぐらをかいてゐたと云ふそれであらう。

414 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 06:01:33.41 ID:t9CB76ZF8
古写本の作者は、この悪魔の話なるものをうるがんの諷諭だと解してゐる。――

415 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 06:15:19.01 ID:t9CB76ZF8
信長が或時、その姫君に懸想して、たつて自分の意に従はせようとした。

416 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 06:29:04.63 ID:t9CB76ZF8
が、姫君も姫君の双親も、信長の望に応ずる事を喜ばない。

417 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 06:42:50.60 ID:t9CB76ZF8
そこでうるがんは姫君の為に、言を悪魔に藉りて、信長の暴を諫めたのであらうと云ふのである。

418 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 06:56:36.43 ID:t9CB76ZF8
この解釈の当否は、元より今日に至つては、いづれとも決する事が容易でない。

419 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 07:10:22.35 ID:t9CB76ZF8
と同時に又我々にとつては、寧ろいづれにせよ差支へのない問題である。

420 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 07:24:07.97 ID:t9CB76ZF8
うるがんは或日の夕、南蛮寺の門前で、その姫君の輿の上に、一匹の悪魔が坐つてゐるのを見た。

421 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 07:37:53.62 ID:t9CB76ZF8
が、この悪魔は外のそれとは違つて、玉のやうに美しい顔を持つてゐる。

422 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 11:10:16.72 ID:YEMB4yAWY
うるがんは姫君の身を気づかつた。

423 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 11:24:17.61 ID:YEMB4yAWY
双親と共に熱心な天主教の信者である姫君が、悪魔に魅入られてゐると云ふ事は、唯事ではないと思つたのである。

424 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 11:38:18.44 ID:YEMB4yAWY
そこでこの伴天連は、輿の側へ近づくと、忽尊い十字架の力によつて難なく悪魔を捕へてしまつた。

425 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 11:52:19.14 ID:YEMB4yAWY
さうしてそれを南蛮寺の内陣へ、襟がみをつかみながらつれて来た。

426 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 12:06:19.93 ID:YEMB4yAWY
内陣には御主耶蘇基督の画像の前に、蝋燭の火が煤ぶりながらともつてゐる。

427 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 12:20:17.45 ID:YEMB4yAWY
うるがんはその前に悪魔をひき据ゑて、何故それが姫君の輿の上に乗つてゐたか、厳しく仔細を問ひただした。

428 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 12:34:18.21 ID:YEMB4yAWY
「私はあの姫君を堕落させようと思ひました。

429 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 12:48:18.99 ID:YEMB4yAWY
が、それと同時に、堕落させたくないとも思ひました。

430 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 13:02:19.65 ID:YEMB4yAWY
あの清らかな魂を見たものは、どうしてそれを地獄の火に穢す気がするでせう。

431 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 13:16:21.11 ID:YEMB4yAWY
私はその魂をいやが上にも清らかに曇りなくしたいと念じたのです。

432 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 14:44:09.41 ID:YEMB4yAWY
が、さうと思へば思ふ程、愈堕落させたいと云ふ心もちもして来ます。

433 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 14:58:10.21 ID:YEMB4yAWY
その二つの心もちの間に迷ひながら、私はあの輿の上で、しみじみ私たちの運命を考へて居りました。

434 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 15:12:10.83 ID:YEMB4yAWY
もしさうでなかつたとしたら、あなたの影を見るより先に、恐らく地の底へでも姿を消して、かう云ふ憂き目に遇ふ事は逃れてゐた事でせう。

435 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 15:26:11.47 ID:YEMB4yAWY
私たちは何時でもさうなのです。

436 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 15:40:12.10 ID:YEMB4yAWY
堕落させたくないもの程、益堕落させたいのです。

437 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 15:54:12.71 ID:YEMB4yAWY
これ程不思議な悲しさが又と外にありませうか。

438 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 16:08:13.34 ID:YEMB4yAWY
私はこの悲しさを味ふ度に、昔見た天国の朗な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします。

439 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 16:22:13.93 ID:YEMB4yAWY
どうかさう云ふ私を憐んで下さい。

440 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 16:36:14.62 ID:YEMB4yAWY
私は寂しくつて仕方がありません。」

441 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 16:50:15.25 ID:YEMB4yAWY
美しい顔をした悪魔は、かう云つて、涙を流した。……

442 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 17:04:15.86 ID:YEMB4yAWY
古写本の伝説は、この悪魔のなり行きを詳にしてゐない。

443 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 17:18:16.48 ID:YEMB4yAWY
が、それは我々に何の関りがあらう。

444 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 17:32:17.17 ID:YEMB4yAWY
我々はこれを読んだ時に、唯かう呼びかけたいやうな心もちを感じさへすれば好いのである。……

445 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 19:47:19.54 ID:YEMB4yAWY
悪魔と共に我々を憐んでくれ。

446 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 20:01:20.83 ID:YEMB4yAWY
我々にも亦、それと同じやうな悲しさがある。

447 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 20:15:22.03 ID:YEMB4yAWY
浅草の仁王門の中に吊った、火のともらない大提灯。

448 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 20:29:23.23 ID:YEMB4yAWY
提灯は次第に上へあがり、雑沓した仲店を見渡すようになる。

449 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 20:43:23.98 ID:YEMB4yAWY
ただし大提灯の下部だけは消え失せない。

450 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 20:57:25.94 ID:YEMB4yAWY
門の前に飛びかう無数の鳩。

451 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 21:11:28.18 ID:YEMB4yAWY
雷門から縦に見た仲店。

452 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 21:25:29.00 ID:YEMB4yAWY
正面にはるかに仁王門が見える。

453 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 21:39:29.87 ID:YEMB4yAWY
樹木は皆枯れ木ばかり。

454 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 21:53:30.57 ID:YEMB4yAWY
外套を着た男が一人、十二三歳の少年と一しょにぶらぶら仲店を歩いている。

455 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 22:07:31.61 ID:YEMB4yAWY
少年は父親の手を離れ、時々玩具屋の前に立ち止まったりする。

456 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 22:21:32.36 ID:YEMB4yAWY
父親は勿論こう云う少年を時々叱ったりしないことはない。

457 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 23:36:03.61 ID:YEMB4yAWY
が、稀には彼自身も少年のいることを忘れたように帽子屋の飾り窓などを眺めている。

458 :カレーなる名無しさん:2018/06/23(土) 23:50:04.37 ID:YEMB4yAWY
こう云う親子の上半身。

459 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 00:04:12.47 ID:fmgvFuPjf
父親はいかにも田舎者らしい、無精髭を伸ばした男。

460 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 00:18:13.95 ID:fmgvFuPjf
少年は可愛いと云うよりもむしろ可憐な顔をしている。

461 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 00:32:14.58 ID:fmgvFuPjf
彼等の後ろには雑沓した仲店。

462 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 00:46:15.25 ID:fmgvFuPjf
彼等はこちらへ歩いて来る。

463 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 01:00:16.19 ID:fmgvFuPjf
斜めに見たある玩具屋の店。

464 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 01:14:16.94 ID:fmgvFuPjf
少年はこの店の前に佇んだまま、綱を上ったり下りたりする玩具の猿を眺めている。

465 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 01:28:17.71 ID:fmgvFuPjf
玩具屋の店の中には誰も見えない。

466 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 01:42:18.33 ID:fmgvFuPjf
少年の姿は膝の上まで。

467 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 01:56:18.99 ID:fmgvFuPjf
綱を上ったり下りたりしている猿。

468 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 02:10:20.13 ID:fmgvFuPjf
猿は燕尾服の尾を垂れた上、シルク・ハットを仰向けにかぶっている。

469 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 02:24:20.78 ID:fmgvFuPjf
この綱や猿の後ろは深い暗のあるばかり。

470 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 02:38:37.17 ID:Zy3ebewy0
この玩具屋のある仲店の片側。

471 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 02:52:53.73 ID:Zy3ebewy0
猿を見ていた少年は急に父親のいないことに気がつき、きょろきょろあたりを見まわしはじめる。

472 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 03:07:09.64 ID:Zy3ebewy0
それから向うに何か見つけ、その方へ一散に走って行く。

473 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 03:21:25.43 ID:Zy3ebewy0
父親らしい男の後ろ姿。

474 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 03:35:41.15 ID:Zy3ebewy0
ただしこれも膝の上まで。

475 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 03:49:56.86 ID:Zy3ebewy0
少年はこの男に追いすがり、しっかりと外套の袖を捉える。

476 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 04:04:12.78 ID:Zy3ebewy0
驚いてふり返った男の顔は生憎田舎者らしい父親ではない。

477 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 04:18:28.65 ID:Zy3ebewy0
綺麗に口髭の手入れをした、都会人らしい紳士である。

478 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 04:32:44.39 ID:Zy3ebewy0
少年の顔に往来する失望や当惑に満ちた表情。

479 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 04:47:00.20 ID:Zy3ebewy0
紳士は少年を残したまま、さっさと向うへ行ってしまう。

480 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 05:01:15.81 ID:Zy3ebewy0
少年は遠い雷門を後ろにぼんやり一人佇んでいる。

481 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 05:15:31.55 ID:Zy3ebewy0
もう一度父親らしい後ろ姿。

482 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 05:29:47.43 ID:Zy3ebewy0
少年はこの男に追いついて恐る恐るその顔を見上げる。

483 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 05:44:03.19 ID:Zy3ebewy0
彼等の向うには仁王門。

484 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 05:58:19.09 ID:Zy3ebewy0
この男の前を向いた顔。

485 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 06:12:34.75 ID:Zy3ebewy0
彼は、マスクに口を蔽った、人間よりも、動物に近い顔をしている。

486 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 06:26:50.37 ID:Zy3ebewy0
何か悪意の感ぜられる微笑。

487 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 06:41:05.99 ID:Zy3ebewy0
少年はこの男を見送ったまま、途方に暮れたように佇んでいる。

488 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 06:55:21.95 ID:Zy3ebewy0
父親の姿はどちらを眺めても、生憎目にははいらないらしい。

489 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 07:09:37.80 ID:Zy3ebewy0
少年はちょっと考えた後、当どもなしに歩きはじめる。

490 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 07:23:54.44 ID:Zy3ebewy0
いずれも洋装をした少女が二人、彼をふり返ったのも知らないように。

491 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 07:38:10.76 ID:Zy3ebewy0
近眼鏡、遠眼鏡、双眼鏡、廓大鏡、顕微鏡、塵除け目金などの並んだ中に西洋人の人形の首が一つ、目金をかけて頬笑んでいる。

492 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 07:52:26.56 ID:Zy3ebewy0
その窓の前に佇んだ少年の後姿。

493 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 08:06:42.21 ID:Zy3ebewy0
ただし斜めに後ろから見た上半身。

494 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 08:20:57.76 ID:Zy3ebewy0
人形の首はおのずから人間の首に変ってしまう。

495 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 08:35:13.35 ID:Zy3ebewy0
のみならずこう少年に話しかける。――

496 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 08:49:29.06 ID:Zy3ebewy0
「目金を買っておかけなさい。

497 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 09:03:45.10 ID:Zy3ebewy0
お父さんを見付るには目金をかけるのに限りますからね。」

498 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 09:18:01.08 ID:Zy3ebewy0
「僕の目は病気ではないよ。」

499 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 09:32:16.74 ID:Zy3ebewy0
斜めに見た造花屋の飾り窓。

500 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 09:46:32.79 ID:Zy3ebewy0
造花は皆竹籠だの、瀬戸物の鉢だのの中に開いている。

501 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 10:00:48.32 ID:Zy3ebewy0
中でも一番大きいのは左にある鬼百合の花。

502 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 10:15:03.94 ID:Zy3ebewy0
飾り窓の板硝子は少年の上半身を映しはじめる。

503 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 10:29:19.56 ID:Zy3ebewy0
何か幽霊のようにぼんやりと。

504 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 10:43:35.13 ID:Zy3ebewy0
飾り窓の板硝子越しに造花を隔てた少年の上半身。

505 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 10:57:50.87 ID:Zy3ebewy0
少年は板硝子に手を当てている。

506 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 11:12:06.46 ID:Zy3ebewy0
そのうちに息の当るせいか、顔だけぼんやりと曇ってしまう。

507 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 11:26:21.98 ID:Zy3ebewy0
飾り窓の中の鬼百合の花。

508 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 11:40:37.69 ID:Zy3ebewy0
ただし後ろは暗である。

509 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 11:54:53.30 ID:Zy3ebewy0
鬼百合の花の下に垂れている莟もいつか次第に開きはじめる。

510 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 12:09:09.13 ID:Zy3ebewy0
「わたしの美しさを御覧なさい。」

511 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 12:23:18.47 ID:Zy3ebewy0
「だってお前は造花じゃないか?」

512 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 12:37:34.33 ID:Zy3ebewy0
角から見た煙草屋の飾り窓。

513 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 12:51:49.90 ID:Zy3ebewy0
巻煙草の缶、葉巻の箱、パイプなどの並んだ中に斜めに札が一枚懸っている。

514 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 13:06:05.50 ID:Zy3ebewy0
この札に書いてあるのは、――

515 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 13:20:21.09 ID:Zy3ebewy0
「煙草の煙は天国の門です。」

516 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 13:34:36.76 ID:Zy3ebewy0
徐ろにパイプから立ち昇る煙。

517 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 13:48:52.57 ID:Zy3ebewy0
煙の満ち充ちた飾り窓の正面。

518 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 14:07:53.27 ID:u2nz9If9a
ただしこれも膝の上まで。

519 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 14:22:24.33 ID:u2nz9If9a
煙の中にはぼんやりと城が三つ浮かびはじめる。

520 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 14:36:54.89 ID:u2nz9If9a
城は Three Castles の商標を立体にしたものに近い。

521 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 14:51:25.50 ID:u2nz9If9a
この城の門には兵卒が一人銃を持って佇んでいる。

522 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 15:05:57.04 ID:u2nz9If9a
そのまた鉄格子の門の向うには棕櫚が何本もそよいでいる。

523 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 15:20:27.66 ID:u2nz9If9a
そこには横にいつの間にかこう云う文句が浮かび始める。――

524 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 15:34:58.62 ID:u2nz9If9a
「この門に入るものは英雄となるべし。」

525 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 15:49:29.33 ID:u2nz9If9a
こちらへ歩いて来る少年の姿。

526 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 16:03:59.86 ID:u2nz9If9a
前の煙草屋の飾り窓は斜めに少年の後ろに立っている。

527 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 16:18:30.43 ID:u2nz9If9a
少年はちょっとふり返って見た後、さっさとまた歩いて行ってしまう。

528 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 16:33:00.97 ID:u2nz9If9a
吊り鐘だけ見える鐘楼の内部。

529 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 16:47:31.45 ID:u2nz9If9a
撞木は誰かの手に綱を引かれ、徐ろに鐘を鳴らしはじめる。

530 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 17:02:02.00 ID:u2nz9If9a
一度、二度、三度、――

531 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 17:16:32.56 ID:u2nz9If9a
鐘楼の外は松の木ばかり。

532 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 17:31:03.33 ID:u2nz9If9a
斜めに見た射撃屋の店。

533 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 17:45:33.81 ID:u2nz9If9a
的は後ろに巻煙草の箱を積み、前に博多人形を並べている。

534 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 18:00:04.35 ID:u2nz9If9a
手前に並んだ空気銃の一列。

535 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 18:14:35.82 ID:u2nz9If9a
人形の一つはドレッスをつけ、扇を持った西洋人の女である。

536 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 18:29:06.31 ID:u2nz9If9a
少年は怯ず怯ずこの店にはいり、空気銃を一つとり上げて全然無分別に的を狙う。

537 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 18:43:36.84 ID:u2nz9If9a
射撃屋の店には誰もいない。

538 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 18:58:07.39 ID:u2nz9If9a
少年の姿は膝の上まで。

539 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 19:12:37.91 ID:u2nz9If9a
人形は静かに扇をひろげ、すっかり顔を隠してしまう。

540 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 19:27:08.49 ID:u2nz9If9a
それからこの人形に中るコルクの弾丸。

541 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 19:41:39.10 ID:u2nz9If9a
人形は勿論仰向けに倒れる。

542 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 19:56:09.75 ID:u2nz9If9a
人形の後ろにも暗のあるばかり。

543 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 20:10:40.97 ID:u2nz9If9a
少年はまた空気銃をとり上げ、今度は熱心に的を狙う。

544 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 20:25:11.59 ID:u2nz9If9a
三発、四発、五発、――

545 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 20:39:42.14 ID:u2nz9If9a
しかし的は一つも落ちない。

546 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 20:54:13.11 ID:u2nz9If9a
少年は渋ぶ渋ぶ銀貨を出し、店の外へ行ってしまう。

547 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 21:08:43.61 ID:u2nz9If9a
始めはただ薄暗い中に四角いものの見えるばかり。

548 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 21:23:14.11 ID:u2nz9If9a
その中にこの四角いものは突然電燈をともしたと見え、横にこう云う字を浮かび上らせる。――

549 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 21:37:44.63 ID:u2nz9If9a
上のは黒い中に白、下のは黒い中に赤である。

550 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 21:52:15.47 ID:u2nz9If9a
火のともった窓が一つ見える。

551 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 22:06:46.54 ID:u2nz9If9a
まっ直に雨樋をおろした壁にはいろいろのポスタアの剥がれた痕。

552 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 22:21:18.04 ID:u2nz9If9a
少年はそこに佇んだまま、しばらくはどちらへも行こうとしない。

553 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 22:35:48.53 ID:u2nz9If9a
それから高い窓を見上げる。

554 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 22:50:19.03 ID:u2nz9If9a
が、窓には誰も見えない。

555 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 23:04:49.56 ID:u2nz9If9a
ただ逞しいブルテリアが一匹、少年の足もとを通って行く。

556 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 23:19:20.30 ID:u2nz9If9a
少年の匂を嗅いで見ながら。

557 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 23:33:51.18 ID:u2nz9If9a
火のともった窓には踊り子が一人現れ、冷淡に目の下の往来を眺める。

558 :カレーなる名無しさん:2018/06/24(日) 23:48:21.71 ID:u2nz9If9a
この姿は勿論逆光線のために顔などははっきりとわからない。

559 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 00:02:52.22 ID:qiC4a3c53
が、いつか少年に似た、可憐な顔を現してしまう。

560 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 00:17:22.74 ID:qiC4a3c53
踊り子は静かに窓をあけ、小さい花束を下に投げる。

561 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 00:31:53.21 ID:qiC4a3c53
往来に立った少年の足もと。

562 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 00:46:23.76 ID:qiC4a3c53
小さい花束が一つ落ちて来る。

563 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 01:00:54.26 ID:qiC4a3c53
少年の手はこれを拾う。

564 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 01:15:24.74 ID:qiC4a3c53
花束は往来を離れるが早いか、いつか茨の束に変っている。

565 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 01:29:55.29 ID:qiC4a3c53
掲示板は「北の風、晴」

566 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 08:25:31.47 ID:I68Qp/Gay
が、それはぼんやりとなり、「南の風強かるべし。

567 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 08:40:17.46 ID:I68Qp/Gay
と云う字に変ってしまう。

568 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 08:55:03.16 ID:I68Qp/Gay
斜に見た標札屋の露店、天幕の下に並んだ見本は徳川家康、二宮尊徳、渡辺崋山、近藤勇、近松門左衛門などの名を並べている。

569 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 09:09:49.19 ID:I68Qp/Gay
こう云う名前もいつの間にか有り来りの名前に変ってしまう。

570 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 09:24:34.85 ID:I68Qp/Gay
のみならずそれ等の標札の向うにかすかに浮んで来る南瓜畠……

571 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 09:39:20.55 ID:I68Qp/Gay
池の向うに並んだ何軒かの映画館。

572 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 10:54:36.62 ID:I68Qp/Gay
池には勿論電燈の影が幾つともなしに映っている。

573 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 11:09:22.23 ID:I68Qp/Gay
池の左に立った少年の上半身。

574 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 12:24:38.30 ID:I68Qp/Gay
少年の帽は咄嗟の間に風のために池へ飛んでしまう。

575 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 12:39:23.94 ID:I68Qp/Gay
少年はいろいろあせった後、こちらを向いて歩きはじめる。

576 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 13:54:39.96 ID:I68Qp/Gay
ほとんど絶望に近い表情。

577 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 14:09:26.35 ID:I68Qp/Gay
砂糖の塔、生菓子、麦藁のパイプを入れた曹達水のコップなどの向うに人かげが幾つも動いている。

578 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 15:24:42.61 ID:I68Qp/Gay
少年はこの飾り窓の前へ通りかかり、飾り窓の左に足を止めてしまう。

579 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 16:39:59.04 ID:I68Qp/Gay
少年の姿は膝の上まで。

580 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 16:54:44.72 ID:I68Qp/Gay
夫婦らしい中年の男女が二人硝子戸の中へはいって行く。

581 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 18:10:00.90 ID:I68Qp/Gay
女はマントルを着た子供を抱いている。

582 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 18:24:46.63 ID:S8/vFn5Nk
そのうちにカッフェはおのずからまわり、コック部屋の裏を現わしてしまう。

583 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 19:40:03.01 ID:S8/vFn5Nk
コック部屋の裏には煙突が一本。

584 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 19:54:49.07 ID:S8/vFn5Nk
そこにはまた労働者が二人せっせとシャベルを動かしている。

585 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 21:10:05.60 ID:S8/vFn5Nk
カンテラを一つともしたまま。……

586 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 21:24:52.51 ID:S8/vFn5Nk
テエブルの前の子供椅子の上に上半身を見せた前の子供。

587 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 21:39:38.62 ID:S8/vFn5Nk
子供はにこにこ笑いながら、首を振ったり手を挙げたりしている。

588 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 21:54:24.30 ID:S8/vFn5Nk
子供の後ろには何も見えない。

589 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 22:09:10.03 ID:S8/vFn5Nk
そこへいつか薔薇の花が一つずつ静かに落ちはじめる。

590 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 22:23:55.70 ID:S8/vFn5Nk
斜めに見える自動計算器。

591 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 22:38:41.42 ID:S8/vFn5Nk
計算器の前には手が二つしきりなしに動いている。

592 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 22:53:27.23 ID:S8/vFn5Nk
勿論女の手に違いない。

593 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 23:08:13.16 ID:S8/vFn5Nk
それから絶えず開かれる抽斗。

594 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 23:22:58.87 ID:S8/vFn5Nk
抽斗の中は銭ばかりである。

595 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 23:37:44.65 ID:S8/vFn5Nk
前のカッフェの飾り窓。

596 :カレーなる名無しさん:2018/06/25(月) 23:52:30.31 ID:S8/vFn5Nk
少年の姿も変りはない。

597 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 00:07:18.33 ID:1xFiODp5X
しばらくの後、少年は徐ろに振り返り、足早にこちらへ歩いて来る。

598 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 00:22:07.29 ID:1xFiODp5X
が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。

599 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 00:36:54.02 ID:1xFiODp5X
人だかりのまん中に立った糶り商人。

600 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 00:51:39.78 ID:1xFiODp5X
彼は呉服ものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。

601 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 01:06:25.60 ID:1xFiODp5X
彼の手に持った一本の帯。

602 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 01:21:11.58 ID:1xFiODp5X
帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。

603 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 01:35:57.51 ID:1xFiODp5X
帯の模様は廓大した雪片。

604 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 01:50:43.39 ID:1xFiODp5X
雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。

605 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 02:05:29.15 ID:1xFiODp5X
シャツやズボン下を吊った下に婆さんが一人行火に当っている。

606 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 02:20:14.80 ID:1xFiODp5X
婆さんの前にもメリヤス類。

607 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 02:35:00.56 ID:1xFiODp5X
毛糸の編みものも交っていないことはない。

608 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 02:49:46.28 ID:1xFiODp5X
行火の裾には黒猫が一匹時々前足を嘗めている。

609 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 10:10:16.33 ID:i2B0s9FBg
左に少年の下半身も見える。

610 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 10:25:16.86 ID:i2B0s9FBg
黒猫も始めは変りはない。

611 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 10:40:17.31 ID:i2B0s9FBg
しかしいつか頭の上に流蘇の長いトルコ帽をかぶっている。

612 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 10:55:17.79 ID:i2B0s9FBg
「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」

613 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 11:10:18.30 ID:i2B0s9FBg
「僕は帽子さえ買えないんだよ。」

614 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 11:25:18.82 ID:i2B0s9FBg
メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身。

615 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 11:40:19.32 ID:i2B0s9FBg
少年は涙を流しはじめる。

616 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 11:55:19.84 ID:i2B0s9FBg
が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。

617 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 12:10:20.36 ID:i2B0s9FBg
かすかに星のかがやいた夕空。

618 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 12:25:20.89 ID:i2B0s9FBg
そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。

619 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 12:40:21.39 ID:i2B0s9FBg
顔は少年の父親らしい。

620 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 12:55:21.88 ID:i2B0s9FBg
愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。

621 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 13:10:22.40 ID:i2B0s9FBg
しかしこの顔もしばらくの後、霧のようにどこかへ消えてしまう。

622 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 13:25:22.88 ID:i2B0s9FBg
少年はこちらへ後ろを見せたまま、この往来を歩いて行く。

623 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 14:40:53.79 ID:i2B0s9FBg
往来は余り人通りはない。

624 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 14:55:54.32 ID:i2B0s9FBg
少年の後ろから歩いて行く男。

625 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 15:10:54.83 ID:i2B0s9FBg
この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。

626 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 15:25:55.35 ID:i2B0s9FBg
少年は一度も後ろを見ない。

627 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 15:40:55.83 ID:i2B0s9FBg
斜めに見た格子戸造りの家の外部。

628 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 15:55:56.36 ID:i2B0s9FBg
家の前には人力車が三台後ろ向きに止まっている。

629 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 16:10:56.90 ID:i2B0s9FBg
人通りはやはり沢山ない。

630 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 16:25:57.38 ID:i2B0s9FBg
角隠しをつけた花嫁が一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。

631 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 16:40:57.88 ID:i2B0s9FBg
人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。

632 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 16:55:58.40 ID:i2B0s9FBg
そのあとから少年の後ろ姿。

633 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 17:10:58.88 ID:i2B0s9FBg
格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。

634 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 17:25:59.40 ID:i2B0s9FBg
「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」

635 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 17:40:59.93 ID:i2B0s9FBg
これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。

636 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 17:56:00.44 ID:i2B0s9FBg
サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店を歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。

637 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 18:11:00.93 ID:i2B0s9FBg
後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。

638 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 18:26:01.48 ID:i2B0s9FBg
少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンの配っている広告を一枚貰って行く。

639 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 18:41:02.01 ID:i2B0s9FBg
松葉杖をついた癈兵が一人ゆっくりと向うへ歩いて行く。

640 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 18:56:02.56 ID:i2B0s9FBg
癈兵はいつか駝鳥に変っている。

641 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 19:11:03.09 ID:i2B0s9FBg
が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。

642 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 19:26:03.61 ID:i2B0s9FBg
横町の角にはポストが一つ。

643 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 19:41:04.56 ID:i2B0s9FBg
いつ何時死ぬかも知れない。」

644 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 19:56:05.98 ID:i2B0s9FBg
往来の角に立っているポスト。

645 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 20:11:06.47 ID:i2B0s9FBg
ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。

646 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 20:26:07.02 ID:i2B0s9FBg
が、見る見る前のようにただのポストに変ってしまう。

647 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 20:41:07.59 ID:i2B0s9FBg
ポストの後ろには暗のあるばかり。

648 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 20:56:08.09 ID:i2B0s9FBg
お座敷へ出る芸者が二人ある御神燈のともった格子戸を出、静かにこちらへ歩いて来る。

649 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 21:11:08.62 ID:i2B0s9FBg
どちらも何の表情も見せない。

650 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 21:26:09.15 ID:i2B0s9FBg
二人の芸者の通りすぎた後、向うへ歩いて行く少年の姿。

651 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 21:41:09.68 ID:i2B0s9FBg
少年はちょっとふり返って見る。

652 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 21:56:10.16 ID:i2B0s9FBg
前よりもさらに寂しい表情。

653 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 22:11:10.71 ID:i2B0s9FBg
少年はだんだん小さくなって行く。

654 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 23:26:41.76 ID:i2B0s9FBg
そこへ向うに立っていた、背の低い声色遣いが一人やはりこちらへ歩いて来る。

655 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 23:41:42.46 ID:i2B0s9FBg
彼の目のあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。

656 :カレーなる名無しさん:2018/06/26(火) 23:56:43.28 ID:i2B0s9FBg
大きい針金の環のまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじ。

657 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 11:16:36.35 ID:LwiAnJtgn
と書いた札も下っている。

658 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 11:31:52.14 ID:totuu4sJj
これ等のかもじはいつの間にか理髪店の棒に変ってしまう。

659 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 11:47:07.75 ID:LwiAnJtgn
棒の後ろにも暗のあるばかり。

660 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 12:02:23.43 ID:totuu4sJj
大きい窓硝子の向うには男女が何人も動いている。

661 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 12:17:39.20 ID:LwiAnJtgn
少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部を覗いて見る。

662 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 12:32:54.95 ID:totuu4sJj
頭を刈っている男の横顔。

663 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 12:48:10.61 ID:LwiAnJtgn
これもしばらくたった後、大きい針金の環にぶら下げた何本かのかもじに変ってしまう。

664 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 13:03:26.23 ID:totuu4sJj
かもじの中に下った札が一枚。

665 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 13:18:41.97 ID:LwiAnJtgn
札には今度は「入れ毛」

666 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 13:33:57.53 ID:totuu4sJj
セセッション風に出来上った病院。

667 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 13:49:13.12 ID:LwiAnJtgn
少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登って行く、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段を下って来る。

668 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 14:04:28.68 ID:totuu4sJj
少年の左へ行った後、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。

669 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 14:19:44.43 ID:LwiAnJtgn
その硝子戸を押しあけて外へ出て来る看護婦が一人。

670 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 14:35:00.12 ID:totuu4sJj
看護婦は玄関に佇んだまま、何か遠いものを眺めている。

671 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 14:50:15.93 ID:LwiAnJtgn
膝の上に組んだ看護婦の両手。

672 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 15:05:31.50 ID:totuu4sJj
前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。

673 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 15:20:47.10 ID:LwiAnJtgn
が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。

674 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 15:36:02.66 ID:totuu4sJj
わずかに空を残したコンクリイトの塀。

675 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 15:51:18.29 ID:LwiAnJtgn
これもおのずから透明になり、鉄格子の中に群った何匹かの猿を現して見せる。

676 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 16:06:33.87 ID:totuu4sJj
それからまた塀全体は操り人形の舞台に変ってしまう。

677 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 16:21:49.48 ID:LwiAnJtgn
舞台はとにかく西洋じみた室内。

678 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 16:37:05.12 ID:totuu4sJj
そこに西洋人の人形が一つ怯ず怯ずあたりを窺っている。

679 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 16:52:20.82 ID:LwiAnJtgn
覆面をかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人らしい。

680 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 17:07:36.60 ID:totuu4sJj
室の隅には金庫が一つ。

681 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 17:22:52.23 ID:LwiAnJtgn
金庫をこじあけている西洋人の人形。

682 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 17:38:07.93 ID:totuu4sJj
ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……

683 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 17:53:23.54 ID:LwiAnJtgn
斜めに見た前のコンクリイトの塀。

684 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 18:08:39.34 ID:totuu4sJj
塀はもう何も現していない。

685 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 18:23:54.92 ID:LwiAnJtgn
そこを通りすぎる少年の影。

686 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 18:39:10.49 ID:totuu4sJj
そのあとから今度は背むしの影。

687 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 18:54:26.13 ID:LwiAnJtgn
前から斜めに見おろした往来。

688 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 19:09:41.89 ID:totuu4sJj
往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。

689 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 19:24:57.64 ID:LwiAnJtgn
そこへまた舞い下って来る前よりも小さい落葉が一枚。

690 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 19:40:13.31 ID:totuu4sJj
最後に雑誌の広告らしい紙も一枚翻って来る。

691 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 19:52:59.22 ID:LwiAnJtgn
紙は生憎引き裂かれているらしい。

692 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:00:44.91 ID:totuu4sJj
が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」

693 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:08:30.62 ID:LwiAnJtgn
と云う初号活字である。

694 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:16:16.78 ID:totuu4sJj
大きい常磐木の下にあるベンチ。

695 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:24:03.82 ID:LwiAnJtgn
木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。

696 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:31:49.78 ID:totuu4sJj
少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。

697 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:39:35.46 ID:LwiAnJtgn
それから涙を拭いはじめる。

698 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:47:21.19 ID:totuu4sJj
すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。

699 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 20:55:06.90 ID:LwiAnJtgn
時々風に揺れる後ろの常磐木。

700 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:02:52.58 ID:totuu4sJj
少年はふと背むしを見つめる。

701 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:10:38.24 ID:LwiAnJtgn
が、背むしはふり返りもしない。

702 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:18:23.94 ID:totuu4sJj
のみならず懐から焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。

703 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:26:09.98 ID:LwiAnJtgn
焼き芋を食っている背むしの顔。

704 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:33:55.61 ID:totuu4sJj
前の常磐木のかげにあるベンチ。

705 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:41:41.26 ID:LwiAnJtgn
背むしはやはり焼き芋を食っている。

706 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:49:27.00 ID:totuu4sJj
少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いて行く。

707 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 21:57:12.86 ID:LwiAnJtgn
斜めに上から見おろしたベンチ。

708 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:04:58.56 ID:totuu4sJj
板を透かしたベンチの上には蟇口が一つ残っている。

709 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:12:44.39 ID:LwiAnJtgn
すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。

710 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:20:30.17 ID:totuu4sJj
前の常磐木のかげにあるベンチ。

711 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:28:16.26 ID:LwiAnJtgn
ただし今度は斜めになっている。

712 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:36:01.87 ID:totuu4sJj
ベンチの上には背むしが一人蟇口の中を検べている。

713 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:43:47.52 ID:LwiAnJtgn
そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。

714 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:51:33.23 ID:totuu4sJj
しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。

715 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 22:59:19.03 ID:LwiAnJtgn
互に何か話し合いながら。

716 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:07:04.68 ID:totuu4sJj
男女の写真が何枚もそれぞれ額縁にはいって懸っている。

717 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:14:50.35 ID:LwiAnJtgn
が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。

718 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:22:35.95 ID:totuu4sJj
しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭のある老人の半身だけは変らない。

719 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:30:22.04 ID:LwiAnJtgn
ただその顔はいつの間にか前の背むしの顔になっている。

720 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:38:07.68 ID:totuu4sJj
少年はその下を歩いて行く。

721 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:45:53.36 ID:LwiAnJtgn
観音堂の上には三日月が一つ。

722 :カレーなる名無しさん:2018/06/27(水) 23:53:38.94 ID:totuu4sJj
ただし扉はしまっている。

723 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:01:26.37 ID:NhpCMRILf
その前に礼拝している何人かの人々。

724 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:09:12.13 ID:7n7C44tQW
少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。

725 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:16:58.79 ID:NhpCMRILf
それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。

726 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:24:44.39 ID:7n7C44tQW
斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢。

727 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:32:30.41 ID:NhpCMRILf
柄杓が何本も浮かんだ水には火かげもちらちら映っている。

728 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:40:16.07 ID:7n7C44tQW
そこへまた映って来る、憔悴し切った少年の顔。

729 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:48:01.90 ID:NhpCMRILf
少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。

730 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 00:55:47.53 ID:7n7C44tQW
前の石燈籠の下部の後ろ。

731 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:03:33.17 ID:NhpCMRILf
男が一人佇んだまま、何かに耳を傾けている。

732 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:11:18.82 ID:7n7C44tQW
もっとも顔だけはこちらを向いていない。

733 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:19:04.45 ID:NhpCMRILf
が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。

734 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:26:50.10 ID:7n7C44tQW
のみならずその顔もしばらくの後、少年の父親に変ってしまう。

735 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:34:36.11 ID:NhpCMRILf
石燈籠は柱を残したまま、おのずから炎になって燃え上ってしまう。

736 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:42:22.45 ID:7n7C44tQW
炎の下火になった後、そこに開き始める菊の花が一輪。

737 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:50:08.21 ID:NhpCMRILf
菊の花は石燈籠の笠よりも大きい。

738 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 01:57:53.96 ID:7n7C44tQW
少年は前と変りはない。

739 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:05:39.58 ID:NhpCMRILf
そこへ帽を目深にかぶった巡査が一人歩みより、少年の肩へ手をかける。

740 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:13:25.24 ID:7n7C44tQW
少年は驚いて立ち上り、何か巡査と話をする。

741 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:21:10.87 ID:NhpCMRILf
それから巡査に手を引かれたまま、静かに向うへ歩いて行く。

742 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:28:56.62 ID:7n7C44tQW
前の石燈籠の下部の後ろ。

743 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:36:42.65 ID:NhpCMRILf
今度はもう誰もいない。

744 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:44:28.27 ID:7n7C44tQW
大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店を見渡すようになる。

745 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:52:14.32 ID:NhpCMRILf
ただし大提灯の下部だけは消え失せない。

746 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 02:59:59.92 ID:7n7C44tQW
子供の時の愛読書は「西遊記」

747 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:07:45.91 ID:Mmas2VEMo
これ等は今日でも僕の愛読書である。

748 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:15:31.79 ID:7n7C44tQW
比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。

749 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:23:17.37 ID:Mmas2VEMo
名高いバンヤンの「天路歴程」

750 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:31:02.93 ID:7n7C44tQW
なども到底この「西遊記」

751 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:38:48.65 ID:Mmas2VEMo
も愛読書の一つである。

752 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:46:34.27 ID:7n7C44tQW
これも今以て愛読してゐる。

753 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 03:54:19.87 ID:Mmas2VEMo
の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。

754 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:02:05.50 ID:7n7C44tQW
その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」

755 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:09:51.56 ID:Mmas2VEMo
だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。

756 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:17:37.32 ID:7n7C44tQW
中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」

757 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:25:22.93 ID:Mmas2VEMo
や小島烏水氏の「日本山水論」

758 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:33:08.54 ID:7n7C44tQW
同時に、夏目さんの「猫」

759 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:40:54.29 ID:Mmas2VEMo
だから人の事は笑へない。

760 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:48:39.94 ID:7n7C44tQW
の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」

761 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 04:56:25.57 ID:Mmas2VEMo
中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。

762 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:04:11.23 ID:7n7C44tQW
それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。

763 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:11:57.32 ID:Mmas2VEMo
ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。

764 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:19:42.96 ID:7n7C44tQW
ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。

765 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:27:28.78 ID:Mmas2VEMo
その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。

766 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:35:14.39 ID:7n7C44tQW
これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」

767 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:43:00.05 ID:Mmas2VEMo
などの影響であつたらうと思ふ。

768 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:50:45.73 ID:7n7C44tQW
さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。

769 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 05:58:31.59 ID:Mmas2VEMo
但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。

770 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:06:17.26 ID:7n7C44tQW
スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。

771 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:14:03.83 ID:Mmas2VEMo
序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」

772 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:21:49.48 ID:7n7C44tQW
を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。

773 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:29:35.33 ID:Mmas2VEMo
あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」

774 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:37:21.06 ID:7n7C44tQW
を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。

775 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:45:06.67 ID:Mmas2VEMo
信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。

776 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 06:52:52.39 ID:7n7C44tQW
彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。

777 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:00:38.31 ID:Mmas2VEMo
中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。

778 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:08:24.05 ID:7n7C44tQW
が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。

779 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:16:10.10 ID:Mmas2VEMo
そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。

780 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:23:55.76 ID:7n7C44tQW
彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。

781 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:31:41.44 ID:Mmas2VEMo
彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。

782 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:39:27.11 ID:7n7C44tQW
信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。

783 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:47:12.74 ID:Mmas2VEMo
それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。

784 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 07:54:58.35 ID:7n7C44tQW
唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。

785 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:02:44.02 ID:Mmas2VEMo
さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。

786 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:10:29.77 ID:7n7C44tQW
かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。

787 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:18:15.73 ID:Mmas2VEMo
が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。

788 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:26:01.34 ID:7n7C44tQW
だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。

789 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:33:46.97 ID:Mmas2VEMo
尤も大抵そんな時には、妹の照子も同伴であつた。

790 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:41:32.62 ID:7n7C44tQW
彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。

791 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:49:18.22 ID:Mmas2VEMo
が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。

792 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 08:57:03.88 ID:7n7C44tQW
それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。

793 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:04:49.54 ID:Mmas2VEMo
信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。

794 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:12:35.15 ID:7n7C44tQW
その癖まづ照子を忘れるものは、何時も信子自身であつた。

795 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:20:21.14 ID:Mmas2VEMo
俊吉はすべてに無頓着なのか、不相変気の利いた冗談ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。……

796 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:28:07.44 ID:7n7C44tQW
信子と従兄との間がらは、勿論誰の眼に見ても、来るべき彼等の結婚を予想させるのに十分であつた。

797 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:35:53.15 ID:Mmas2VEMo
同窓たちは彼女の未来をてんでに羨んだり妬んだりした。

798 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:43:38.73 ID:7n7C44tQW
殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、)

799 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:51:24.39 ID:Mmas2VEMo
一層これが甚しかつた。

800 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 09:59:10.03 ID:7n7C44tQW
信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に仄かせたりした。

801 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 10:06:55.64 ID:Mmas2VEMo
従つて同窓たちの頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如く、一しよにはつきり焼きつけられてゐた。

802 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 10:14:41.30 ID:7n7C44tQW
所が学校を卒業すると、信子は彼等の予期に反して、大阪の或商事会社へ近頃勤務する事になつた、高商出身の青年と、突然結婚してしまつた。

803 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 10:22:27.38 ID:Mmas2VEMo
さうして式後二三日してから、新夫と一しよに勤め先きの大阪へ向けて立つてしまつた。

804 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 10:30:13.03 ID:7n7C44tQW
その時中央停車場へ見送りに行つたものの話によると、信子は何時もと変りなく、晴れ晴れした微笑を浮べながら、ともすれば涙を落し勝ちな妹の照子をいろいろと慰めてゐたと云ふ事であつた。

805 :カレーなる名無しさん:2018/06/28(木) 10:37:58.75 ID:Mmas2VEMo
同窓たちは皆不思議がつた。

806 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 00:57:17.32 ID:/1opu7OoR
その不思議がる心の中には、妙に嬉しい感情と、前とは全然違つた意味で妬ましい感情とが交つてゐた。

807 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:06:48.27 ID:JTZZvwGkM
或者は彼女を信頼して、すべてを母親の意志に帰した。

808 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:14:34.22 ID:/1opu7OoR
又或ものは彼女を疑つて、心がはりがしたとも云ひふらした。

809 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:22:19.93 ID:JTZZvwGkM
が、それらの解釈が結局想像に過ぎない事は、彼等自身さへ知らない訳ではなかつた。

810 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:30:05.78 ID:/1opu7OoR
彼女はなぜ俊吉と結婚しなかつたか?

811 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:37:51.56 ID:JTZZvwGkM
彼等はその後暫くの間、よるとさはると重大らしく、必この疑問を話題にした。

812 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:45:37.13 ID:/1opu7OoR
さうして彼是二月ばかり経つと――

813 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 01:53:22.79 ID:JTZZvwGkM
全く信子を忘れてしまつた。

814 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:01:08.52 ID:/1opu7OoR
勿論彼女が書く筈だつた長篇小説の噂なぞも。

815 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:08:54.88 ID:JTZZvwGkM
信子はその間に大阪の郊外へ、幸福なるべき新家庭をつくつた。

816 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:16:40.55 ID:/1opu7OoR
彼等の家はその界隈でも最も閑静な松林にあつた。

817 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:24:26.23 ID:JTZZvwGkM
松脂の匂と日の光と、――

818 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:32:12.01 ID:/1opu7OoR
それが何時でも夫の留守は、二階建の新しい借家の中に、活き活きした沈黙を領してゐた。

819 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:39:57.73 ID:JTZZvwGkM
信子はさう云ふ寂しい午後、時々理由もなく気が沈むと、きつと針箱の引出しを開けては、その底に畳んでしまつてある桃色の書簡箋をひろげて見た、書簡箋の上にはこんな事が、細々とペンで書いてあつた。

820 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:47:43.84 ID:/1opu7OoR
もう今日かぎり御姉様と御一しよにゐる事が出来ないと思ふと、これを書いてゐる間でさへ、止め度なく涙が溢れて来ます。

821 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 02:55:29.52 ID:JTZZvwGkM
どうか、どうか私を御赦し下さい。

822 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:03:15.29 ID:/1opu7OoR
照子は勿体ない御姉様の犠牲の前に、何と申し上げて好いかもわからずに居ります。

823 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:11:01.52 ID:JTZZvwGkM
「御姉様は私の為に、今度の御縁談を御きめになりました。

824 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:18:47.34 ID:/1opu7OoR
さうではないと仰有つても、私にはよくわかつて居ります。

825 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:26:33.00 ID:JTZZvwGkM
何時ぞや御一しよに帝劇を見物した晩、御姉様は私に俊さんは好きかと御尋きになりました。

826 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:34:18.65 ID:/1opu7OoR
それから又好きならば、御姉様がきつと骨を折るから、俊さんの所へ行けとも仰有いました。

827 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:42:04.30 ID:JTZZvwGkM
あの時もう御姉様は、私が俊さんに差上げる筈の手紙を読んでいらしつたのでせう。

828 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:49:49.99 ID:/1opu7OoR
あの手紙がなくなつた時、ほんたうに私は御姉様を御恨めしく思ひました。

829 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 03:57:35.80 ID:JTZZvwGkM
この事だけでも私はどの位申し訳がないかわかりません。)

830 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:05:21.55 ID:/1opu7OoR
ですからその晩も私には、御姉様の親切な御言葉も、皮肉のやうな気さへ致しました。

831 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:13:07.57 ID:JTZZvwGkM
私が怒つて御返事らしい御返事も碌に致さなかつた事は、もちろん御忘れになりもなさりますまい。

832 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:20:53.50 ID:/1opu7OoR
けれどもあれから二三日経つて、御姉様の御縁談が急にきまつてしまつた時、私はそれこそ死んででも、御詫びをしようかと思ひました。

833 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:28:39.34 ID:JTZZvwGkM
御姉様も俊さんが御好きなのでございますもの。

834 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:36:25.01 ID:/1opu7OoR
(御隠しになつてはいや。

835 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:44:11.24 ID:JTZZvwGkM
私はよく存じて居りましてよ。)

836 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:51:56.92 ID:/1opu7OoR
私の事さへ御かまひにならなければ、きつと御自分が俊さんの所へいらしつたのに違ひございません。

837 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 04:59:42.62 ID:JTZZvwGkM
それでも御姉様は私に、俊さんなぞは思つてゐないと、何度も繰返して仰有いました。

838 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:07:28.47 ID:/1opu7OoR
さうしてとうとう心にもない御結婚をなすつて御しまひになりました。

839 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:15:14.49 ID:JTZZvwGkM
私が今日鶏を抱いて来て、大阪へいらつしやる御姉様に、御挨拶をなさいと申した事をまだ覚えていらしつて?

840 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:23:00.10 ID:/1opu7OoR
私は飼つてゐる鶏にも、私と一しよに御姉様へ御詫びを申して貰ひたかつたの。

841 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:30:45.78 ID:JTZZvwGkM
さうしたら、何にも御存知ない御母様まで御泣きになりましたのね。

842 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:38:31.46 ID:/1opu7OoR
もう明日は大阪へいらしつて御しまひなさるでせう。

843 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:46:17.11 ID:JTZZvwGkM
けれどもどうか何時までも、御姉様の照子を見捨てずに頂戴、照子は毎朝鶏に餌をやりながら、御姉様の事を思ひ出して、誰にも知れず泣いてゐます。……」

844 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 05:54:11.42 ID:/1opu7OoR
信子はこの少女らしい手紙を読む毎に、必涙が滲んで来た。

845 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:01:57.24 ID:JTZZvwGkM
殊に中央停車場から汽車に乗らうとする間際、そつとこの手紙を彼女に渡した照子の姿を思ひ出すと、何とも云はれずにいぢらしかつた。

846 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:09:43.11 ID:/1opu7OoR
が、彼女の結婚は果して妹の想像通り、全然犠牲的なそれであらうか。

847 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:17:29.33 ID:JTZZvwGkM
さう疑を挾む事は、涙の後の彼女の心へ、重苦しい気持ちを拡げ勝ちであつた。

848 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:25:15.11 ID:/1opu7OoR
信子はこの重苦しさを避ける為に、大抵はぢつと快い感傷の中に浸つてゐた。

849 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:33:00.74 ID:JTZZvwGkM
そのうちに外の松林へ一面に当つた日の光が、だんだん黄ばんだ暮方の色に変つて行くのを眺めながら。

850 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:40:46.34 ID:/1opu7OoR
結婚後彼是三月ばかりは、あらゆる新婚の夫婦の如く、彼等も亦幸福な日を送つた。

851 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:48:36.09 ID:JTZZvwGkM
夫は何処か女性的な、口数を利かない人物であつた。

852 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 06:56:22.14 ID:/1opu7OoR
それが毎日会社から帰つて来ると、必晩飯後の何時間かは、信子と一しよに過す事にしてゐた。

853 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:04:07.83 ID:JTZZvwGkM
信子は編物の針を動かしながら、近頃世間に騒がれてゐる小説や戯曲の話などもした。

854 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:11:53.62 ID:/1opu7OoR
その話の中には時によると、基督教の匂のする女子大学趣味の人生観が織りこまれてゐる事もあつた。

855 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:19:39.77 ID:JTZZvwGkM
夫は晩酌の頬を赤らめた儘、読みかけた夕刊を膝へのせて、珍しさうに耳を傾けてゐた。

856 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:27:25.67 ID:/1opu7OoR
が、彼自身の意見らしいものは、一言も加へた事がなかつた。

857 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:35:11.31 ID:JTZZvwGkM
彼等は又殆日曜毎に、大阪やその近郊の遊覧地へ気散じな一日を暮しに行つた。

858 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:42:56.99 ID:/1opu7OoR
信子は汽車電車へ乗る度に、何処でも飲食する事を憚らない関西人が皆卑しく見えた。

859 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:50:42.74 ID:JTZZvwGkM
それだけおとなしい夫の態度が、格段に上品なのを嬉しく感じた。

860 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 07:58:28.47 ID:/1opu7OoR
実際身綺麗な夫の姿は、そう云ふ人中に交つてゐると、帽子からも、背広からも、或は又赤皮の編上げからも、化粧石鹸の匂に似た、一種清新な雰囲気を放散させてゐるやうであつた。

861 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:06:14.20 ID:JTZZvwGkM
殊に夏の休暇中、舞子まで足を延した時には、同じ茶屋に来合せた夫の同僚たちに比べて見て、一層誇りがましいやうな心もちがせずにはゐられなかつた。

862 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:14:00.11 ID:/1opu7OoR
が、夫はその下卑た同僚たちに、存外親しみを持つてゐるらしかつた。

863 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:21:46.00 ID:JTZZvwGkM
その内に信子は長い間、捨ててあつた創作を思ひ出した。

864 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:29:31.62 ID:/1opu7OoR
そこで夫の留守の内だけ、一二時間づつ机に向ふ事にした。

865 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:36:16.59 ID:JTZZvwGkM
夫はその話を聞くと、「愈女流作家になるかね。」

866 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:43:47.91 ID:/1opu7OoR
と云つて、やさしい口もとに薄笑ひを見せた。

867 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:51:01.77 ID:JTZZvwGkM
しかし机には向ふにしても、思ひの外ペンは進まなかつた。

868 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 08:58:47.51 ID:/1opu7OoR
彼女はぼんやり頬杖をついて、炎天の松林の蝉の声に、我知れず耳を傾けてゐる彼女自身を見出し勝ちであつた。

869 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:06:48.14 ID:JTZZvwGkM
所が残暑が初秋へ振り変らうとする時分、夫は或日会社の出がけに、汗じみた襟を取変へようとした。

870 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:14:33.95 ID:/1opu7OoR
が、生憎襟は一本残らず洗濯屋の手に渡つてゐた。

871 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:22:19.93 ID:JTZZvwGkM
夫は日頃身綺麗なだけに、不快らしく顔を曇らせた。

872 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:30:05.84 ID:/1opu7OoR
さうしてズボン吊を掛けながら、「小説ばかり書いてゐちや困る。」

873 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:37:37.26 ID:JTZZvwGkM
と何時になく厭味を云つた。

874 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:44:51.04 ID:/1opu7OoR
信子は黙つて眼を伏せて、上衣の埃を払つてゐた。

875 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 09:52:37.06 ID:JTZZvwGkM
それから二三日過ぎた或夜、夫は夕刊に出てゐた食糧問題から、月々の経費をもう少し軽減出来ないものかと云ひ出した。

876 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:00:23.22 ID:/1opu7OoR
「お前だつて何時までも女学生ぢやあるまいし。」――

877 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:08:09.46 ID:JTZZvwGkM
そんな事も口へ出した。

878 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:15:55.69 ID:/1opu7OoR
信子は気のない返事をしながら、夫の襟飾の絽刺しをしてゐた。

879 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:23:40.91 ID:JTZZvwGkM
すると夫は意外な位執拗に、「その襟飾にしてもさ、買ふ方が反つて安くつくぢやないか。」

880 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:31:27.88 ID:/1opu7OoR
と、やはりねちねちした調子で云つた。

881 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:39:13.92 ID:JTZZvwGkM
彼女は猶更口が利けなくなつた。

882 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:46:59.61 ID:/1opu7OoR
夫もしまひには白けた顔をして、つまらなさうに商売向きの雑誌か何かばかり読んでゐた。

883 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 10:54:45.28 ID:JTZZvwGkM
が、寝室の電燈を消してから、信子は夫に背を向けた儘、「もう小説なんぞ書きません。」

884 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:02:30.91 ID:/1opu7OoR
と、囁くやうな声で云つた。

885 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:10:16.53 ID:JTZZvwGkM
夫はそれでも黙つてゐた。

886 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:18:02.31 ID:/1opu7OoR
暫くして彼女は、同じ言葉を前よりもかすかに繰返した。

887 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:25:48.28 ID:JTZZvwGkM
それから間もなく泣く声が洩れた。

888 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:33:33.99 ID:/1opu7OoR
夫は二言三言彼女を叱つた。

889 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:41:19.82 ID:JTZZvwGkM
その後でも彼女の啜泣きは、まだ絶え絶えに聞えてゐた。

890 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:49:05.91 ID:/1opu7OoR
が、信子は何時の間にか、しつかりと夫にすがつてゐた。……

891 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 11:56:51.95 ID:JTZZvwGkM
翌日彼等は又元の通り、仲の好い夫婦に返つてゐた。

892 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:04:37.85 ID:/1opu7OoR
と思ふと今度は十二時過ぎても、まだ夫が会社から帰つて来ない晩があつた。

893 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:17:10.00 ID:JTZZvwGkM
しかも漸く帰つて来ると、雨外套も一人では脱げない程、酒臭い匂を呼吸してゐた。

894 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:24:05.53 ID:/1opu7OoR
信子は眉をひそめながら、甲斐甲斐しく夫に着換へさせた。

895 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:31:53.00 ID:JTZZvwGkM
夫はそれにも関らず、まはらない舌で皮肉さへ云つた。

896 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:39:39.00 ID:/1opu7OoR
「今夜は僕が帰らなかつたから、余つ程小説が捗取つたらう。」――

897 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:47:15.62 ID:JTZZvwGkM
さう云ふ言葉が、何度となく女のやうな口から出た。

898 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 12:54:01.58 ID:/1opu7OoR
彼女はその晩床にはいると、思はず涙がほろほろ落ちた。

899 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:01:47.31 ID:JTZZvwGkM
こんな処を照子が見たら、どんなに一しよに泣いてくれるであらう。

900 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:09:33.14 ID:/1opu7OoR
私が便りに思ふのは、たつたお前一人ぎりだ。――

901 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:17:19.21 ID:JTZZvwGkM
信子は度々心の中でかう妹に呼びかけながら、夫の酒臭い寝息に苦しまされて、殆夜中まんじりともせずに、寝返りばかり打つてゐた。

902 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:25:05.11 ID:/1opu7OoR
が、それも亦翌日になると、自然と仲直りが出来上つてゐた。

903 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:32:51.18 ID:JTZZvwGkM
そんな事が何度か繰返される内に、だんだん秋が深くなつて来た。

904 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:40:37.17 ID:/1opu7OoR
信子は何時か机に向つて、ペンを執る事が稀になつた。

905 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:48:22.85 ID:JTZZvwGkM
その時にはもう夫の方も、前程彼女の文学談を珍しがらないやうになつてゐた。

906 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 13:56:08.45 ID:/1opu7OoR
彼等は夜毎に長火鉢を隔てて、瑣末な家庭の経済の話に時間を殺す事を覚え出した。

907 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:03:54.08 ID:JTZZvwGkM
その上又かう云ふ話題は、少くとも晩酌後の夫にとつて、最も興味があるらしかつた。

908 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:11:39.72 ID:/1opu7OoR
それでも信子は気の毒さうに、時々夫の顔色を窺つて見る事があつた。

909 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:19:25.40 ID:JTZZvwGkM
が、彼は何も知らず、近頃延した髭を噛みながら、何時もより余程快活に、「これで子供でも出来て見ると――」

910 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:27:11.22 ID:/1opu7OoR
なぞと、考へ考へ話してゐた。

911 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:34:57.23 ID:JTZZvwGkM
するとその頃から月々の雑誌に、従兄の名前が見えるやうになつた。

912 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:42:42.88 ID:/1opu7OoR
信子は結婚後忘れたやうに、俊吉との文通を絶つてゐた。

913 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:50:28.63 ID:JTZZvwGkM
大学の文科を卒業したとか、同人雑誌を始めたとか云ふ事は、妹から手紙で知るだけであつた。

914 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 14:58:14.37 ID:/1opu7OoR
又それ以上彼の事を知りたいと云ふ気も起さなかつた。

915 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:06:00.06 ID:JTZZvwGkM
が、彼の小説が雑誌に載つてゐるのを見ると、懐しさは昔と同じであつた。

916 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:13:45.67 ID:/1opu7OoR
彼女はその頁をはぐりながら、何度も独り微笑を洩らした。

917 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:21:31.40 ID:JTZZvwGkM
俊吉はやはり小説の中でも、冷笑と諧謔との二つの武器を宮本武蔵のやうに使つてゐた。

918 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:29:17.47 ID:/1opu7OoR
彼女にはしかし気のせゐか、その軽快な皮肉の後に、何か今までの従兄にはない、寂しさうな捨鉢の調子が潜んでゐるやうに思はれた。

919 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:37:03.63 ID:JTZZvwGkM
と同時にさう思ふ事が、後めたいやうな気もしないではなかつた。

920 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:44:49.33 ID:/1opu7OoR
信子はそれ以来夫に対して、一層優しく振舞ふやうになつた。

921 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 15:52:35.19 ID:JTZZvwGkM
夫は夜寒の長火鉢の向うに、何時も晴れ晴れと微笑してゐる彼女の顔を見出した。

922 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:00:21.94 ID:/1opu7OoR
その顔は以前より若々しく、化粧をしてゐるのが常であつた。

923 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:08:07.90 ID:JTZZvwGkM
彼女は針仕事の店を拡げながら、彼等が東京で式を挙げた当時の記憶なぞも話したりした。

924 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:15:53.55 ID:/1opu7OoR
夫にはその記憶の細かいのが、意外でもあり、嬉しさうでもあつた。

925 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:23:39.47 ID:JTZZvwGkM
「お前はよくそんな事まで覚えてゐるね。」――

926 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:31:25.23 ID:/1opu7OoR
夫にかう調戯はれると、信子は必無言の儘、眼にだけ媚のある返事を見せた。

927 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:39:11.17 ID:JTZZvwGkM
が、何故それ程忘れずにゐるか、彼女自身も心の内では、不思議に思ふ事が度々あつた。

928 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:46:57.04 ID:/1opu7OoR
それから程なく、母の手紙が、信子に妹の結納が済んだと云ふ事を報じて来た。

929 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 16:54:42.72 ID:JTZZvwGkM
その手紙の中には又、俊吉が照子を迎へる為に、山の手の或郊外へ新居を設けた事もつけ加へてあつた。

930 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:02:28.36 ID:/1opu7OoR
彼女は早速母と妹とへ、長い祝ひの手紙を書いた。

931 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:10:13.98 ID:JTZZvwGkM
「何分当方は無人故、式には不本意ながら参りかね候へども……」

932 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:17:59.71 ID:/1opu7OoR
そんな文句を書いてゐる内に、(彼女には何故かわからなかつたが、)

933 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:25:45.36 ID:JTZZvwGkM
筆の渋る事も再三あつた。

934 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:33:31.11 ID:/1opu7OoR
すると彼女は眼を挙げて、必外の松林を眺めた。

935 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:41:17.08 ID:JTZZvwGkM
松は初冬の空の下に、簇々と蒼黒く茂つてゐた。

936 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:49:02.78 ID:/1opu7OoR
その晩信子と夫とは、照子の結婚を話題にした。

937 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 17:56:48.44 ID:JTZZvwGkM
夫は何時もの薄笑ひを浮べながら、彼女が妹の口真似をするのを、面白さうに聞いてゐた。

938 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:04:34.07 ID:/1opu7OoR
が、彼女には何となく、彼女自身に照子の事を話してゐるやうな心もちがした。

939 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:12:19.79 ID:JTZZvwGkM
「どれ、寝るかな。」――

940 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:20:05.49 ID:/1opu7OoR
二三時間の後、夫は柔な髭を撫でながら、大儀さうに長火鉢の前を離れた。

941 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:27:51.26 ID:JTZZvwGkM
信子はまだ妹へ祝つてやる品を決し兼ねて、火箸で灰文字を書いてゐたが、この時急に顔を挙げて、「でも妙なものね、私にも弟が一人出来るのだと思ふと。」

942 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:35:37.01 ID:/1opu7OoR
「当り前ぢやないか、妹もゐるんだから。」――

943 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:43:23.06 ID:JTZZvwGkM
彼女は夫にかう云はれても、考深い眼つきをした儘、何とも返事をしなかつた。

944 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:51:08.79 ID:/1opu7OoR
照子と俊吉とは、師走の中旬に式を挙げた。

945 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 18:58:54.52 ID:JTZZvwGkM
当日は午少し前から、ちらちら白い物が落ち始めた。

946 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:06:40.16 ID:/1opu7OoR
信子は独り午の食事をすませた後、何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかつた。

947 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:14:25.80 ID:JTZZvwGkM
「東京も雪が降つてゐるかしら。」――

948 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:22:11.71 ID:/1opu7OoR
こんな事を考へながら、信子はぢつとうす暗い茶の間の長火鉢にもたれてゐた。

949 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:29:57.66 ID:JTZZvwGkM
が、口中の生臭さは、やはり執念く消えなかつた。……

950 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:37:44.22 ID:/1opu7OoR
信子はその翌年の秋、社命を帯びた夫と一しよに、久しぶりで東京の土を踏んだ。

951 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:45:30.31 ID:JTZZvwGkM
が、短い日限内に、果すべき用向きの多かつた夫は、唯彼女の母親の所へ、来々顔を出した時の外は、殆一日も彼女をつれて、外出する機会を見出さなかつた。

952 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 19:53:16.33 ID:/1opu7OoR
彼女はそこで妹夫婦の郊外の新居を尋ねる時も、新開地じみた電車の終点から、たつた一人俥に揺られて行つた。

953 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:01:02.00 ID:JTZZvwGkM
彼等の家は、町並が葱畑に移る近くにあつた。

954 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:08:47.74 ID:/1opu7OoR
しかし隣近所には、いづれも借家らしい新築が、せせこましく軒を並べてゐた。

955 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:16:33.45 ID:JTZZvwGkM
のき打ちの門、要もちの垣、それから竿に干した洗濯物、――

956 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:24:19.15 ID:/1opu7OoR
すべてがどの家も変りはなかつた。

957 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:32:04.84 ID:JTZZvwGkM
この平凡な住居の容子は、多少信子を失望させた。

958 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:39:50.77 ID:/1opu7OoR
が、彼女が案内を求めた時、声に応じて出て来たのは、意外にも従兄の方であつた。

959 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:47:36.81 ID:JTZZvwGkM
俊吉は以前と同じやうに、この珍客の顔を見ると、「やあ。」

960 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 20:55:22.42 ID:/1opu7OoR
彼女は彼が何時の間にか、いが栗頭でなくなつたのを見た。

961 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:03:08.09 ID:JTZZvwGkM
信子は妙に恥しさを感じながら、派手な裏のついた上衣をそつと玄関の隅に脱いだ。

962 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:10:53.77 ID:/1opu7OoR
俊吉は彼女を書斎兼客間の八畳へ坐らせた。

963 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:18:39.59 ID:JTZZvwGkM
座敷の中には何処を見ても、本ばかり乱雑に積んであつた。

964 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:26:25.32 ID:/1opu7OoR
殊に午後の日の当つた障子際の、小さな紫檀の机のまはりには、新聞雑誌や原稿用紙が、手のつけやうもない程散らかつてゐた。

965 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:34:10.98 ID:JTZZvwGkM
その中に若い細君の存在を語つてゐるものは、唯床の間の壁に立てかけた、新しい一面の琴だけであつた。

966 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:41:56.84 ID:/1opu7OoR
信子はかう云ふ周囲から、暫らく物珍しい眼を離さなかつた。

967 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:49:42.89 ID:JTZZvwGkM
「来ることは手紙で知つてゐたけれど、今日来ようとは思はなかつた。」――

968 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 21:57:28.56 ID:/1opu7OoR
俊吉は巻煙草へ火をつけると、さすがに懐しさうな眼つきをした。

969 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:05:14.22 ID:JTZZvwGkM
「どうです、大阪の御生活は?」

970 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:12:59.85 ID:/1opu7OoR
信子も亦二言三言話す内に、やはり昔のやうな懐しさが、よみ返つて来るのを意識した。

971 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:20:45.64 ID:JTZZvwGkM
文通さへ碌にしなかつた、彼是二年越しの気まづい記憶は、思つたより彼女を煩はさなかつた。

972 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:28:31.43 ID:/1opu7OoR
彼等は一つ火鉢に手をかざしながら、いろいろな事を話し合つた。

973 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:36:17.40 ID:JTZZvwGkM
俊吉の小説だの、共通な知人の噂だの、東京と大阪との比較だの、話題はいくら話しても、尽きない位沢山あつた。

974 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:44:03.22 ID:/1opu7OoR
が、二人とも云ひ合せたやうに、全然暮し向きの問題には触れなかつた。

975 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:51:49.30 ID:JTZZvwGkM
それが信子には一層従兄と、話してゐると云ふ感じを強くさせた。

976 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 22:59:35.27 ID:/1opu7OoR
時々はしかし沈黙が、二人の間に来る事もあつた。

977 :カレーなる名無しさん:2018/06/29(金) 23:07:20.96 ID:JTZZvwGkM
その度に彼女は微笑した儘、眼を火鉢の灰に落した。

978 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:20:23.45 ID:xp/R3miGm
其処には待つとは云へない程、かすかに何かを待つ心もちがあつた。

979 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:28:09.62 ID:bIOUKyhT2
すると故意か偶然か、俊吉はすぐに話題を見つけて、何時もその心もちを打ち破つた。

980 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:35:55.25 ID:xp/R3miGm
彼女は次第に従兄の顔を窺はずにはゐられなくなつた。

981 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:43:41.33 ID:bIOUKyhT2
が、彼は平然と巻煙草の煙を呼吸しながら、格別不自然な表情を装つてゐる気色も見えなかつた。

982 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:51:27.08 ID:xp/R3miGm
その内に照子が帰つて来た。

983 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 01:59:12.80 ID:bIOUKyhT2
彼女は姉の顔を見ると、手をとり合はないばかりに嬉しがつた。

984 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:06:58.83 ID:xp/R3miGm
信子も唇は笑ひながら、眼には何時かもう涙があつた。

985 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:14:44.86 ID:bIOUKyhT2
二人は暫くは俊吉も忘れて、去年以来の生活を互に尋ねたり尋ねられたりしてゐた。

986 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:22:30.58 ID:xp/R3miGm
殊に照子は活き活きと、血の色を頬に透かせながら、今でも飼つてゐる鶏の事まで、話して聞かせる事を忘れなかつた。

987 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:30:16.22 ID:bIOUKyhT2
俊吉は巻煙草を啣へた儘、満足さうに二人を眺めて、不相変にやにや笑つてゐた。

988 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:38:02.34 ID:xp/R3miGm
其処へ女中も帰つて来た。

989 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:45:48.03 ID:bIOUKyhT2
俊吉はその女中の手から、何枚かの端書を受取ると、早速側の机へ向つて、せつせとペンを動かし始めた。

990 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 02:53:33.62 ID:xp/R3miGm
照子は女中も留守だつた事が、意外らしい気色を見せた。

991 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:07:32.65 ID:bIOUKyhT2
「ぢや御姉様がいらしつた時は、誰も家にゐなかつたの。」

992 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:15:18.54 ID:xp/R3miGm
「ええ、俊さんだけ。」――

993 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:23:04.83 ID:bIOUKyhT2
信子はかう答へる事が、平気を強ひるやうな心もちがした。

994 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:30:50.60 ID:xp/R3miGm
すると俊吉が向うを向いたなり、「旦那様に感謝しろ。

995 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:38:36.43 ID:bIOUKyhT2
その茶も僕が入れたんだ。」

996 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:46:22.23 ID:xp/R3miGm
照子は姉と眼を見合せて、悪戯さうにくすりと笑つた。

997 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 03:54:08.00 ID:bIOUKyhT2
が、夫にはわざとらしく、何とも返事をしなかつた。

998 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:01:53.91 ID:xp/R3miGm
間もなく信子は、妹夫婦と一しよに、晩飯の食卓を囲むことになつた。

999 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:09:39.66 ID:bIOUKyhT2
照子の説明する所によると、膳に上つた玉子は皆、家の鶏が産んだものであつた。

1000 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:17:25.39 ID:xp/R3miGm
俊吉は信子に葡萄酒をすすめながら、「人間の生活は掠奪で持つてゐるんだね。

1001 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:25:11.40 ID:bIOUKyhT2
小はこの玉子から」――

1002 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:32:57.23 ID:xp/R3miGm
なぞと社会主義じみた理窟を並べたりした。

1003 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:40:43.03 ID:bIOUKyhT2
その癖此処にゐる三人の中で、一番玉子に愛着のあるのは俊吉自身に違ひなかつた。

1004 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:48:28.82 ID:xp/R3miGm
照子はそれが可笑しいと云つて、子供のやうな笑ひ声を立てた。

1005 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 04:56:14.76 ID:bIOUKyhT2
信子はかう云ふ食卓の空気にも、遠い松林の中にある、寂しい茶の間の暮方を思ひ出さずにゐられなかつた。

1006 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:04:00.41 ID:xp/R3miGm
話は食後の果物を荒した後も尽きなかつた。

1007 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:11:46.07 ID:bIOUKyhT2
微酔を帯びた俊吉は、夜長の電燈の下にあぐらをかいて、盛に彼一流の詭弁を弄した。

1008 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:19:32.09 ID:xp/R3miGm
その談論風発が、もう一度信子を若返らせた。

1009 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:27:18.19 ID:bIOUKyhT2
彼女は熱のある眼つきをして、「私も小説を書き出さうかしら。」

1010 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:35:03.84 ID:xp/R3miGm
すると従兄は返事をする代りに、グウルモンの警句を抛りつけた。

1011 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:46:02.50 ID:bIOUKyhT2
それは「ミユウズたちは女だから、彼等を自由に虜にするものは、男だけだ。」

1012 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 05:53:48.31 ID:xp/R3miGm
信子と照子とは同盟して、グウルモンの権威を認めなかつた。

1013 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 06:01:33.97 ID:bIOUKyhT2
「ぢや女でなけりや、音楽家になれなくつて?

1014 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 06:09:19.66 ID:xp/R3miGm
アポロは男ぢやありませんか。」――

1015 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 06:17:05.42 ID:bIOUKyhT2
照子は真面目にこんな事まで云つた。

1016 :カレーなる名無しさん:2018/06/30(土) 06:24:51.30 ID:xp/R3miGm
信子はとうとう泊る事になつた。

1017 :1001★:Over 1000 Comments
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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