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古い政治ニューススレを集めて共有するスレ

1 :※以下引用:2014/04/14(月) 16:10:08.68 ID:q6WX0UV2C
下記の毎日新聞のスレを読んでなんか面白くなかったので、
過去の政治ニューススレを持ち寄って、みんなで共有しよう!というスレです。

※読みたいのに読めないスレは

・スレタイで検索してみる
・URLで検索してみる
・ミラーサイト内で検索してみる

等々努力が必要です。

サーバーが飛んで読めないスレもあるようですので、スレタイ詐欺にご注意を・・・

==================================================================================

★スレタイとURLだけをコピペする場合は、

スレの趣旨として資料として見やすいように・・・

1.スレタイの前に1の日付を付記してください。

【例】

2013/03/25【毎日新聞】 「古い新聞記事は、インターネットでは検索できない我々の財産だ」★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1364221874/1

2.まとめてコピペする場合は、なにか日付がわかるように書いてください。
※下記の例は、ニュースがまとめてあるスレという理由のみで選びました。
※民主党に拘っているわけではありません。

【例】


2009/09/05〜
民主党伝説のガイドライン
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1252077741/
民主党伝説のガイドライン ★2
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1256301159/
民主党伝説のガイドライン ★3
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1259462353/
民主党伝説のガイドライン ★4
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1263560034/
民主党伝説のガイドライン ★5
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1268777273/
民主党伝説のガイドライン ★6
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1273700179/
民主党伝説のガイドライン ★7(鯖落ち中断)(読めない?)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1280135836/
民主党伝説のガイドライン ★8
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1284166728/
民主党伝説のガイドライン ★9
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1292052351/
2011/04/05〜
民主党伝説のガイドライン ★10
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gline/1301955588/
以後スレなし

262 :※以下引用:2014/11/29(土) 17:32:27.12 ID:gSAX6hRhg
2014/11/29【週刊現代】 総選挙を棄権するつもりの人へ
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1417228617/1 一部抜粋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141129-00041252-gendaibiz-pol

日本経済がここまで低迷したのは、'90年代からの自民党政治のせいだ。官僚主導政治で、農協、医師会、
電力会社などの既得権と癒着して、成長のために必要な思い切った改革ができず、失われた20年を作ってしまった。
******************************************************

歴代政権を振り返ってみた結果、
自民党が弱くなって政治主導が後退したために官僚主導政治になってしまった・・・
ことになっちゃいますけど、それでいいんでしょうか?w。

───────────────────────────
□自民単独政権 ◆自民+他党連立政権 ■自民以外政権
───────────────────────────
□1990年02月28日〜 自民党 ※海部内閣
□1991年11月05日〜 自民党 ※宮沢内閣
■1993年08月09日〜 日本新党・日本社会党・新生党・公明党・新党さきがけ・民社党・社会民主連合・民主改革連合(参院) ※細川内閣
■1994年04月28日〜 新生党・日本新党・民社党・自由党・公明党・社会民主連合・改革の会・閣外協力:新党さきがけ・新党みらい ※羽田内閣
■1994年06月30日〜 日本社会党・自民党・新党さきがけ ※村山内閣
◆1996年01月11日〜 自民党・日本社会党・社会民主党・新党さきがけ ※橋本内閣
◆1996年11月07日〜 自民党・閣外協力:社会民主党・新党さきがけ(1998年6月まで)※橋本内閣
□1998年07月30日〜 自民党 ※小渕内閣
◆1999年01月14日〜 自民党・自由党 ※小渕
◆1999年10月05日〜 自民党・自由党・保守党・公明党 ※小渕内閣
◆2000年04月05日〜 自民党・公明党・保守党 ※森内閣
◆2001年04月26日〜 自民党・公明党・保守党 ※小泉内閣
◆2002年09月30日〜 自民党・公明党・保守新党 ※小泉内閣
◆2003年11月19日〜 自民党・公明党 ※小泉内閣
◆2006年09月26日〜 自民党・公明党 ※安倍内閣
◆2007年09月26日〜 自民党・公明党 ※福田内閣
◆2008年09月24日〜 自民党・公明党 ※麻生内閣
■2009年09月16日〜 民主党・社会民主党(2010/5月まで)・国民新党 ※鳩山内閣
■2010年06月08日〜 民主党・国民新党 ※菅内閣
■2011年09月02日〜 民主党・国民新党 ※野田内閣
◆2012年12月26日〜 自民党・公明党 ※安倍内閣
───────────────────────────

263 :※以下引用:2014/12/01(月) 18:32:24.30 ID:E74aEdxcu
>>262 『'90年代からの自民党政治』 = 「55年体制崩壊後の政治」はこんな↓感じです。
******************************************************
2013/08/22【和を以って】安倍自民党研究第39弾【貴しと為す】
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1375949983/875から
参院選・ねじれ国会・連立政権
http://iiro.nccu.edu.tw/attachments/journal/add/10/39-4-1.pdf 一部抜粋
@1/22、A3/22、B4/22、C5/22、D8/22、EF9/22、G13/22、H18/22
******************************************************
@【要約】
20 年以上の歳月を経て、ようやく1989 年の参議院選挙の歴史的な
意義がはっきり見えてきた。
リクルート事件、消費税の導入、宇野宗祐首相の個人的なスキャ
ンダルなどを背景として実施された1989 年7 月の参議院選挙は、様
々な意味で衝撃的であった。自民党にとっては絶対的な牙城だと思
われていた一人区で社会党・連合系の候補に敗れ、26 あった一人区
のうち僅か三選挙区でしか勝てなかった。改選総議席数126 のうち
自民党の当選者数は僅か38 名で、非改選と合わせても111 議席にし
かならなかった。
自民党は、1956 年以来、常に維持してきた参議院での過半数の議
席をついに失ったのである。そのような衆参ねじれ国会の結果、1993
年以降ほぼ常態化した連立政権のパターンは、すでにこの時点で水
面下の動きを強めており、実質的な連立政権時代へと入っていたこ
とが分かる。
******************************************************
Aしかも、1989 年以降自民党が参議院での少数派に転落した結果、
自民党執行部は常に事実上の連立工作を強いられていたのであり、
また実際に擬似的な連立の体制へと移行したことがわかる。
******************************************************
B以前には、一定の率の法案が自民党単独の賛成によって成立して
いた。しかし、1989 年の参議院選挙後は自民党単独の支持によって
成立する法案は皆無となった。
******************************************************
Cこうした変化のなかで、参議院・参議院議員の政策決定過程にお
ける影響力は徐々に高まることになった。特に、1992 年の竹下派分
裂以降、自民党の参議院議員の役割は増大した。
******************************************************
D93 年の宮沢政権の崩壊以降2007 年に至るまで、このときだけが唯一
自民党単独政権への復帰を予想させた時期であった。しかし、当初の
予想に反して自民党はこの98 年参議院選挙で大敗北を喫した。
******************************************************
E結果として、参議院の勢力分布によって政策過程が大きな影響を受
け、小政党が大きな存在感を誇示するという事態が繰り返されている。
F長く政権党であった自民党も、衆参両院で過半数を占めていた
期間は結党以来55 年間の6 割に過ぎない。その間も、参議院自民党
幹部の意向を無視した政権運営は困難であった7。
******************************************************
Gその一方で、立法や国会同意人事などに関して参議院は衆議院と
ほぼ同等の権限を持っており、参議院多数派の支持なくして安定した
政権運営は困難である。
******************************************************
H近年の「ねじれ国会」では、政権党が衆議院で圧倒的多数を持って
いたにもかかわらず、参議院の抵抗で窮地に追い込まれていった。
55 年体制下での一党優位の状態では、参議院1 人区で圧勝する自
民党が参議院で過半数の議席を得ることが常態化していた。しか
し、菅原琢の知見によれば、「大政党が二つある現在は、半数ずつ改
選の参議院で一つの政党が単独で継続的に過半数を得ることは難し
い」18という。その意味で、現在の日本の政治状況は、議席率の二大
政党化の印象とは異なり、選挙と議会での中小政党の影響力が強
く、現実に連立政権が常態化しており、多党制の一種としてみた方
が理解しやすい構造となっている。

264 :※以下引用:2014/12/01(月) 18:35:51.22 ID:E74aEdxcu
>>262 「55年体制」ってよく知らないんですよね・・・
その良かった点はなんなんだろう?
日本の近代の政治に良い点があるなら知りたいですよねw。
まだ「序言」しか読んでいませんが面白かったです↓。
******************************************************

年報政治学 Vol. 18(1967)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/nenpouseijigaku/18/0/_contents/-char/ja/ から
序言
升味準之輔 赤木須留喜
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_1/_pdf
 一九五五年秋、社会党が統一し、保守党が合同したとき、それが日本現代史のなかで
しめるであろう重要性について、政治指導者または政治批評家がどれだけ見通しをつけ
ていたかはあきらかでない。しかし、現在の時点からふりかえってみれば、この年が日本
現代史の重要な劃期であったことは疑いえない。
 保守合同は政策決定過程に大きな変化をもたらした。

第一に、保守合同は、そもそも統一社会党から政権を防衛するために促進されたので
あったが、それ以降自民党の絶対多数は動揺せず、社会党が政権を担当する現実的
可能性を近い将来に予想することは困難となった。つまり、自民党支配の二大政党制が
成立したのである。そして、政府・自民党と社会党の関係は硬直し、国会の審議機能は
いちじるしく低下した。

 第二に実際上の政策決定の重心は国会から絶対多数の自民党内に移動した。しかし、
これによって自民党の政治主導力と政策決定力が強化されたわけではない。結果はむ
しろ逆であった。党内においては、合同以来、政府および党の役職獲得をめぐって派閥
抗争、主流派、反主流派の対立が激化し、したがって、政策決定の重要部分が、積極的
にも消極的にも自民党の内紛に規定されざるをえなくなったのである。

 第三に、自民党および党議員は中央官庁の政策決定=実施機能に多くを依存し、その
微細にまで介入する。中央官庁は、技術と規制の独占的体系であることによって政策決
定=実施の中軸をなし、実際上自民党支配の柱石となる。官僚の政治的中立性のたてま
えが、逆に官僚機構と自民党との結合を保障するのである。

 第四に、自民党と官僚機構の相互依存による保守支配のもとで、大企業・業界・地方自
治体などの圧力団体の活動目標は、国会よりも中央官庁と自民党に集中し、それに連結
する。圧力団体の行動が中央官庁に系列化されるのみならず、その組織自体も官僚化す
る。そして、多面では、これによって自民党の内紛は一層激化し、かつ組織的持続的となる。

 第五に、中央官庁および大企業・業界と連結した自民党の支配が固まるとともに、社会党
そのほかの野党は弱体な批判勢力においこまれる。政策形成=実施の実際上の過程か
ら切り離され、政権担当の機会を予想しえいない野党も、自民党支配が醸成する有権者の
不満に依存してその勢力を維持することはできるけれども、しかし、実効的政策の形成や
勢力の拡張について困難があるばかりでなく、それらの必要もないという気楽さも生じうる。

 保守合同以降進行したこれらの諸傾向が、自民党支配の条件を構成することになった。
おそらく、これは占領期の自由党による保守支配にかわる、占領終結後の保守支配の体
制ということができるだろう。
(続く)

265 :※以下引用:2014/12/01(月) 18:37:00.10 ID:E74aEdxcu
(続き)
 この自民党支配のもとで、以上の諸傾向を促進し、さらに支配の諸条件をかえる、あたら
しい圧力が成長した。その圧力のなかでもっとも重要なものは、一九五五年前後からの飛
躍的な社会経済発展と、この発展および自由化体制へのうごきに促されて登場した高度成
長政策である。当初この政治的影響の重大さを予想しえたものは多くはなかったであろう。
しかし、現在では、それが自民党支配の諸条件に激変をもたらしたことを疑うものはない。

 第一に、高度成長に関連する長期構想や経済計画は、その策定について専門技術が必
要であるのみならず、その対象は経済全般に及ぶ。したがって、これを作成し実施する官庁
エコノミストおよび経済関係官庁の役割は次第に増大した。それとともに、中央官庁相互の
間に政策や主導権についてあたらしい紛争が生じた。これに関係業界と大企業の利害や、
自民党内の対立が結びついたことは容易に想像しうるところである。

 第二に、高度成長政策とともに、経済関係官庁の地方に対する指導力と規制力はいっそう
拡大し、地方の中央依存はいよいよ促進されることになった。地方自治体執行部は地方議会
に優越し、進出大企業はその地方の政治と経済を圧倒し、自民党議員は選挙区培養の新し
い手段を獲得する。自民党支配の基盤は変容し、ある点では強化されたといえるかもしれない。

 第三に、社会経済的発展にともなって、各地において産業人口構成は急速に変化し、社会
的流動と都市化がいちじるしく昂進した。それは有権者の政治意識と投票行動に影響し、
農地開放政策後存続した農村的秩序は動揺した。こうして、自民党は、その政権のもとで展
開された高度成長によって選挙地盤をおびやかされることになった。自民党の提起する小
選挙区制の目的はが収縮する地盤の防衛と拡張であることはいうまでもない。他方、社会
党もまた選挙区の変貌と自民党の頽勢から多くを刈りとってはいない。

 第四に、選挙区の変貌は議員および政党の得票組織の再編成を不可避ならしめた。それは
また国会議員と地方議員の経歴・職業・役割・および相互関係にも変化をおよぼした。さらに、
自民党地方組織における紛争に、従来の党派的系譜や個人的確執のほかに、農村と都市、
地元資本と進出資本の対立のごとき、工業化にともなうあたらしい要素が加わる。そして、この
ような地方組織の内紛は、中央の派閥抗争と連結し、両者は相互促進的に激化するであろう。
社会党の地方組織も同様に工業化と都市化によって変化をうながされるにちがいない。

 第五に、高度成長政策は、専門的技術にもとづく経済計画であるが、同時に政治的あるい
は戦略的要素もきわめて強い。この数年間、政策や計画は、政党と政治家に不可欠のものと
考えられるようになった。そこで、派閥はその存在理由を主張するために政策派閥と称し、反
主流派は主流派を政策的に批判する。その政策に実質的根拠がないわけではない。また、政
策論争から成果の生まれることもある。しかし、闘争の武器として濫造されたものも多い。この
傾向はまた、流動化と都市化のなかにある有権者を捕捉する有力な武器が、集中的マス=メ
ディアによって伝達される政策および党指導者の風貌声咳であるという状況によっていっそう
促進される。

 以上が、最初この特集を計画したときのわれわれの関心であった。すなわち、保守合同およ
び高度成長によって、政策決定過程全般にどのような変化が起こったか、というのが中心的課
題だったのである。
 なお、この特集は現在ではさらに別の関心をもってよまれるかもしれない。一九五五年に成
立した保守党支配の二大政党制が崩壊する可能性が増大したようにみえるからである。自民
党は縮小し、社会党は膨張しない。こうして自民党支配が動揺し、二大政党制が収縮すれば、
それはすなわち、一九五五年の体制の終盤にほかならない。われわれは、おそらく戦後第二
期のおわり近くにいて、その第二期を分析しているのである。

 問題ははなはだ巨大であるのに比して、六か月の時間と限られた研究費があるだけであった。
その範囲内で、できるかぎり新聞・雑誌・パンフレットそのほかの資料にあたり、国会・政党・官
庁・新聞関係者十数人の聞取り調査と二、三の現地調査をおこない、その間四月から九月まで
月一回年報編集委員長、執筆者全員および幹事が会合して議論した。原稿を締め切ったのは
一一月中旬であった。
(続く)

266 :※以下引用:2014/12/01(月) 18:37:48.20 ID:E74aEdxcu
(続き)
 本特集は五つの章に整理されている。「T 政策決定過程の概観」では、保守合同以降政策
決定過程に現れた変化を、国会および中央官庁を中心として考察する。「U 自由民主党の組
織と機能」は、自民党の組織近代化、とくに派閥解消運動の成敗、および政策決定過程におけ
る自民党の役割、「V 経済官僚の行動様式」は、国民所得倍増計画をめぐる大蔵省、通産省、
経済新産業企画庁のリーダーリップをめぐる対立と妥協、および行動様式の変容を述べる。「W
 「地域政策」と地方行政」においては、新産業都市建設にいたる、政府の地域政策が地域社会
と自治体に及ぼした影響および反響、そして、「X 地方政党の構造と機能」において、地域社会
の変貌にともなって生じた地方政党の組織と機能、地方議員の地位と役割の変化が述べられる。

 われわれはいま完全を制しがたい。各章はそれぞれの限られた分野を追及したものにすぎな
い。また、編集の都合上三〇〇字詰四〇〇枚以上を削除したことから説明不足と思われること
もある。とくに国際関係、社会党その他の野党、労働組合等について章をもうけることができなか
ったのは残念である。それらについては、他の機会に特集が試みられることを期待した。
(一九六六年一二月)

T 政策決定過程の概観
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_5/_pdf
U 自由民主党の組織と機能
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_34/_pdf
V 経済官僚の行動様式
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_78/_pdf
W 「地域政策」と地方行政
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_105/_pdf
X 地方政党の構造と機能
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/18/0/18_0_132/_pdf

267 :※以下引用:2014/12/01(月) 18:40:45.10 ID:E74aEdxcu
>>262 「自民以外政権」→「非自民政権」というらしいです。
参院選結果も含めてみました↓。

───────────────────────────
□自民単独政権 ◆自民+他党連立政権 ■非自民政権
〇参院選・自民過半数 ●参院選・自民過半数割れ ▼参院選・自民+他党連立過半数
───────────────────────────
□1982年11月27日〜 自民党 ※中曽根内閣
○1983年06月26日〜 自民党 ※中曽根内閣
◆1983年12月27日〜 自民党・新自由クラブ ※中曽根内閣
○1986年07月06日〜 参院選・自民党過半数 ※中曽根内閣(衆参同日選挙)
□1986年07月22日〜 自民党 ※中曽根内閣(衆参同日選挙)
□1987年11月06日〜 自民党 ※竹下内閣
□1989年06月03日〜 自民党 ※宇野内閣
●1989年07月23日〜 参院選・自民党参院第一党 ※宇野内閣
□1990年02月28日〜 自民党 ※海部内閣
□1991年11月05日〜 自民党 ※宮沢内閣
●1992年07月26日〜 参院選・自民党参院第一党 ※宮沢内閣
■1993年08月09日〜 日本新党・日本社会党・新生党・公明党・新党さきがけ・民社党・社会民主連合・民主改革連合(参院) ※細川内閣
■1994年04月28日〜 新生党・日本新党・民社党・自由党・公明党・社会民主連合・改革の会・閣外協力:新党さきがけ・新党みらい ※羽田内閣
■1994年06月30日〜 日本社会党・自民党・新党さきがけ ※村山内閣
●1995年07月23日〜 自民党参院第一党 ※村山内閣
◆1996年01月11日〜 自民党・日本社会党・社会民主党・新党さきがけ ※橋本内閣
◆1996年11月07日〜 自民党・閣外協力:社会民主党・新党さきがけ(1998年6月まで)※橋本内閣
●1998年07月12日〜 参院選・自民党参院第一党 ※橋本内閣
□1998年07月30日〜 自民党 ※小渕内閣
◆1999年01月14日〜 自民党・自由党 ※小渕内閣
◆1999年10月05日〜 自民党・自由党・保守党・公明党 ※小渕内閣
◆2000年04月05日〜 自民党・公明党・保守党 ※森内閣
◆2001年04月26日〜 自民党・公明党・保守党 ※小泉内閣
●2001年07月29日〜 参院選・自民党参院第一党 ※小泉内閣
◆2002年09月30日〜 自民党・公明党・保守新党 ※小泉内閣
◆2003年11月19日〜 自民党・公明党 ※小泉内閣
▲2004年07月11日〜 自民党参院第一党 ※小泉内閣
◆2006年09月26日〜 自民党・公明党 ※安倍内閣
●2007年07月29日〜 参院選・民主党参院第一党 ※安倍内閣
◆2007年09月26日〜 自民党・公明党 ※福田内閣
◆2008年09月24日〜 自民党・公明党 ※麻生内閣
■2009年09月16日〜 民主党・社会民主党(2010/5月まで)・国民新党 ※鳩山内閣
■2010年06月08日〜 民主党・国民新党 ※菅内閣
●2010年07月11日〜 自民党参院第一党 ※菅内閣
■2011年09月02日〜 民主党・国民新党 ※野田内閣
◆2012年12月26日〜 自民党・公明党 ※安倍内閣
▼2013年07月21日〜 自民党参院第一党 ※安倍内閣

268 :※以下引用:2014/12/01(月) 23:35:46.36 ID:E74aEdxcu
>>267  見直したら間違ってるところがありそうな気が・・・情報の鵜呑みは禁止ですw。

>>263 関連↓。
******************************************************
※1
政治家の女性スキャンダル
http://www.asahi.com/and_M/interest/TKY201307030220.html 一部抜粋
 ところで、いまの若い人たちには信じられないと思うが、かつてはこうした
政治家の女性スキャンダルは記事にできないといわれた時代があった。

 私自身も若いころ、業界の大先輩のベテラン政治記者から「政治家とは
天下国家を論じるもので、へその下のことは書くものではない」と教わった。
女性関係の話は記事にするのではなく、政治家から相談されるくらいの
信頼関係を築けという意味だった。

 この業界の不文律というか、あえて言うと「掟」を破ったのが1989年、当時、
鳥越俊太郎さんが編集長をしていたサンデー毎日だ。 当時首相だった宇野
宗佑氏(故人)の愛人だった神楽坂芸者の告発記事を掲載したのだ。当初、
日本のマスコミは「掟」に従い黙殺したが、米ワシントンポストがキャリーした
ため国内でも話題となり、宇野内閣は直後の参院選で惨敗し、首相も史上
最短の在任期間で退陣となる。

 このスキャンダルの5カ月後にベルリンの壁が崩壊した。ふたつの出来事に
は何の関連もないが、新たな時代の幕開けを予感させるものだった。大げさに
聞こえるかもしれないが、当時、鳥越さんは血の小便が出るほどプレッシャー
とストレスを感じたという。それほどのことだったのだ。

 以後、週刊誌を中心に政治家の女性スキャンダル記事は“解禁”された。
******************************************************
1989/04/01 消費税3%導入
1989/06/03 宇野内閣発足
1989/06/04 天安門事件
1989/06/06 サンデー毎日スキャンダル暴露記事
1989/06/09 久保田衆議院議員(社会党)が参議院本会議で宇野首相の女性問題を質問
1989/07/02 東京都議会議員選挙で自民党大敗・社会党躍進
1989/07/23 参議院選挙で自民惨敗・マドンナブームで社会党大躍進

参考になりそう↓

第51部 1989(平成元)年当時の動き、主なできごと.事件年表
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/toshi/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_51.htm
******************************************************
2003/05/15【政治】安倍氏の発言は「中傷」=拉致で土井氏が反論
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1052929765/911
しかし、その昔マスコミはこの女を
平和を愛する庶民的な政治家「おたかさん」として持ち上げ
マドンナブームを起こし、国政選挙に置いてマドンナと称し
政治に主婦感覚をとかぬかす大量のDQNおばちゃんを国会に送り込んだ。
参院には解散が無い。
この時生まれたDQNおばちゃん議員たちは6年にわたって在籍し続け
衆参ねじれ現象やら自社連立の元となり続け日本の政治をおかしくしたのだ。
田中真紀子の一時の人気といい、
この国には首相公選制は、まだ早いと思わざるをえない。
単に投票率の問題では無い。
あの時は投票率はものすごく高くて生粋の日本人もいっぱい社会党に入れたのだ。
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↑この頃からこのパターンが始まった?

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