2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

☆☆古い政治ニューススレを集めて共有するスレ3

12 :※以下引用:2015/07/21(火) 15:02:46.72 ID:qr9rFbQSB
----------------------------------------------------------------------
Q 中国とはどう処理?

 日本と中国との賠償問題は、戦後の国際情勢を反映し、紆余曲折があった。
 第2次世界大戦後、中国では内戦を経て共産党が49年に国土の大半を掌握、中華人民共和国(中国)
を樹立した。蔣介石率いる国民党政府は台湾に逃れた。51年のサンフランシスコ講和会議にはいずれも
招かれなかった。米国が国民党政府の参加を求めたのに対し、英国、ソ連が「中国を代表して共産党
政府を出席させるべきだ」と主張し、まとまらなかったためだ。

 日本は52年4月、国民党政府と、日華平和条約を結んだ。米国から強い要請を受けたからだ。同条約の
議定書は「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サンフランシスコ講和条約14条a1
に基づき、日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する」と賠償請求権の放棄をうたった。

 ただ、大陸を支配していた中国がこの条約を認めるわけがない。「日本に占領されて大被害を被り、
自力で再建することが困難な国は賠償請求権を留保すべきだ」(51年8月15日の周恩来外相の声明)
として、中国は賠償請求権の放棄に慎重姿勢をとり続けた。中国側には、31年の満州事変以来、
日本の侵略で中国は1000万人以上の生命と5000億ドル以上の財産を失ったとの試算もあった。
日中間の戦後処理はこう着状態が続いた。

 事態が動いたのは71年7月、ニクソン米大統領が突然、翌年5月までに中国を訪問すると演説してからだ。
頭越しの米中交渉に衝撃を受けた日本は、中国との国交正常化の準備を急いだ。中国もソ連との対立を
踏まえ、米国や日本との関係改善に動いた。

 周恩来首相は72年7月、訪中した公明党の竹入義勝委員長と会談し、「毛沢東主席は賠償請求権を放棄
すると言っている。賠償を求めれば日本人民に負担がかかる。放棄を共同声明に書いてもいい」と提案した。

 ただ、日本側は、「賠償請求権は日華平和条約ですでに放棄されている。共同声明では『権』の文字は
とるべきだ」と主張した。周首相は訪中した田中角栄首相に「『蔣介石が賠償を放棄したから、もういい』
という考え方は受け入れられない。我々に対する侮辱だ」と難色を示したが、日中関係改善を優先し、
日本の主張を受け入れた。

 田中・周両首相が72年9月29日調印した日中共同声明は5項で「中国政府は、中日両国国民の友好の
ために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」とした。同時に「日本側は、過去において日本国が
戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記した。

 日本は東南アジア諸国には、賠償放棄の見返りに経済協力を約束した。しかし、田中首相は共同声明
発表後の記者会見で「(中国が)戦争賠償の請求を放棄しますよ、ということであり、これ(賠償請求)を
やめてくれれば、これ(経済協力)を出すということではない」と述べた。

 とはいえ、中国側には日本の経済援助への期待があり、日本側にも「賠償放棄に報いるべきだった」
との声があった。

 78年、福田内閣は日中平和友好条約を締結した。79年、大平内閣は中国に対し、円借款を中心とする
政府開発援助(ODA)を本格的に開始した。以後、対中円借款は20年余りで累計3兆円に上り、天津・上海・
広州の電話通信網や衡陽・広州間の鉄道建設、北京の下水道など、中国の社会・経済インフラ整備に
貢献した。

 中国は急速な経済成長をとげ、日中両政府は、2008年度をめどに新規の円借款を打ち切ることで
合意している。

955 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★