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☆☆古い政治ニューススレを集めて共有するスレ3

296 :※以下引用:2015/10/27(火) 18:08:41.46 ID:Y0whKWliB
(続き)

即ち、地租改正の時に当たり、
政府は旧来の郷士の経営してきた土地に対してはその所有権を認めたのである。
旧城下士であった新士族が新社会に於いて悲惨なる生活を営む時に、
田舎の旧郷士は引続き農村に留まり、
先祖相伝の土地を耕し、自ら給して自ら足りる事を得たのである。

顧みれば彼等は敢えてその生活が庶民である百姓に似ている事で、
城下武士から軽視せられ、同じ武人の階級にありながらも
一段下位に立つ事を余儀なくせられていたのですが、
一朝封建社会が崩れて明治時代になり、
その地位が俄然転倒し、
旧城下士の多くが経済上の窮乏により四方に離散したのに反し、
彼等は却って泰然として自村に踏み止まり、
その伝統的家系の高い事を誇りつつ、村人の尊敬を博する事を得たのです。

而して、経済上に於いて比較的優位を占め得た彼等は如何に新社会に活動したかと云うと、
彼等は元来武士として農村に在住して居ましたから、
その社会的地位が優越であったのと、
読書・学問を楽しむ余裕のあった事、
及びその村政を任せられた者にあっては、藩庁その他の上司と常に通信を交え、
且つ、互いに来往する機会がありましたので、文学素養自ら備わって、
識見一郷に秀づる者が多く、したがって廃藩置県の後、
旧郷士にして村内に留まる者は戸長、副戸長やその他の役人を勤めるに到り、
今日でも鹿児島県下を通じて農村社会を始めとしてその中堅をなし、
村落の社会組織は全く旧郷士を以ってその固めとする風のあるは
実に数百年来の伝統的遺風が今尚民心を支配していると言っても過言ではないでしょう。

以上の如く、明治維新は封建制度の崩壊に依って生まれたものであって、
これを社会的に言えば武門の刈除であり、、
経済的に言えば土地生産に従事して居た農民の土地に対する開放であったのです。

而して土地に対する開放、
言葉を換えて言えば百姓に対する搾取政策の廃絶は、
一面武門武士が生活の根拠とした米給付者たる農民との
経済的絶縁を意味するものであれば、
旧城下士の輩が当時仮令政府から若干の公債を発行せられたからと言って、
その生活上に非常な窮迫を伴ったのは言うまでもありません。

ましてや、彼等は商法に手を出して失敗を重ねて悉く資産を失い、
殆どが四方に離散の憂き目にあったのです。

然るに旧郷士等が維新改革に依って失ったものは、
単に武士格たる社会的名誉ばかりであって、
その地方の地主、自作農としての特権は依然として保つ事になったのである。

詰まる所、明治維新での新たなる支配者は
現在の地方の行政組織や地方社会を俯瞰すると郷士と言えなくもありません。


参考文献:国立国会図書館蔵 郷士制度の研究(大正14年)

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