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あなたの一番の名機は?

1 :1ですかね?:01/12/20 00:56.net
あなたが選ぶ、一番の名機を教えてください!
できればi386以前の機種で、、、、、

234 :ナイコンさん:03/09/06 20:49.net
>>233  色々いじってたら落ちても他。
あソソ  誤:機種もとんど 誤:とんと 正:ほとんど

色々使い倒した事ある様子で、うらやますぃー!
前にも書いたがあの当時、バブル使った機種、数機種しか店頭に無かった。
(そして、まもなく消えた?!)
あーけどゲム機てゅーか、ゲーセンのマスゥイーンに使われてたよ、たしか。
なんか、>>223さんとかのほうが詳しそう。

漏れはFM−8のよな高級機諦めて?、いじくるほうに進んだ。
いわゆる、「ソフト」から「ハード」へ(なか、聞いたことあるよな文句)。

「磁気バブルなんかじるがーって人のための、ちょこっと解説」
              V


「磁気バブルとは磁性体を使った、シーケンシャルアクセスメモリである。」

って、それだけかよ。

235 :ナイコンさん:03/09/06 23:02.net
>>234

> 前にも書いたがあの当時、バブル使った機種、数機種しか店頭に無かった。
> (そして、まもなく消えた?!)

漏れが実際に使ったことあるのは BUBCOM80 と FM-8 と PC-5000ぐらい。
って他にあったっけ?(w
技術的には日立ががんばっていたハズなのだが…

> あーけどゲム機てゅーか、ゲーセンのマスゥイーンに使われてたよ、たしか。
> なんか、>>223さんとかのほうが詳しそう。

KONAMIの「バブルシステム」だな。グラディウスがそーだった。
その後、バブルシステム搭載したヤツがあったよーな、なかったよーな…
少なくとも短命であったのは確か。

バブルカセットってメーカ間で互換性が全くなくて…
当時は独自規格ってのが当たり前だったからなぁ。

236 :ナイコンさん:03/09/07 22:50.net
当時はゲームウォッチ並の物をわざわざPCで作ってたんだよね。
動きも似てたし、今遊ぶとと辛いだろうね

237 :ナイコンさん:03/09/08 03:10.net
自分的に1番は仕事で使ってたF9450かな・・・
CRT一体型でKBまで一体になってるようなデザイン、CRTの左に5インチのFPDと5MBのHD・・・

う〜〜ん懐かしい・・・

238 :ナイコンさん:03/09/08 03:19.net
ツインビーもバブルシステムだったが、
当時何故あれがバブルシステムと呼ぶのか知らなかった。。。
なんか目から鱗

239 :ナイコンさん:03/09/08 12:01.net
♪3500と3050、3500と3050、燦然〜と輝く3000ファミリ〜


240 :ナイコンさん:03/09/11 08:16.net
X68kからこっちは板違い、、、、というのが俺様ルール。
指を咥えてベーマガ見てるだけだったけど、それくらいの掟破り感があった。

241 :ナイコンさん:03/09/13 19:13.net
個人的にベストマシンは・・・PC-9801DX2だったな。
CPUをIBMの486SLC-48にして、メモリ4M増設。
I/OデータのGA-1024Aでハイレゾ対応化。
ついでにミュージ朗Jr.BoardでMIDI内蔵。
緑電子の外付けSCSI-HDD200M。
ついでに外付け3.5インチ3モードFDD。

Mac Plusも持ってたんだが、ほとんどDX2で遊んでた。

当時の憧れは・・・NeXTだった。


242 :ナイコンさん:03/09/15 01:52.net
X1かな・・・



243 :ナイコンさん:03/10/24 10:46.net
HB-F1XD(MSX2)イースがしたいばかりお年玉はたいて買った。厨房の俺には\54800はデカかった。 工房の頃、COBOLで情報処理の資格を取るためPC-9801RSのお世話になったが夢のない事務機にしか思えなかった・・・

244 :MZ2000:03/10/24 22:25.net
今の嫁さんかな・・・

245 :ナイコンさん:03/10/24 22:55.net
>>244
 未だ現役でつか??

246 :ナイコンさん:03/10/26 18:41.net
>>245
>>244じゃないが486GFより付き合い古いがまだ現役だ(w

247 :ナイコンさん:03/10/26 23:52.net
>>243
定価で買ったの!?
漏れもF1XD買ったけど
確かコジマ電気で45800円だったかな

高校の部室で9801VX使ってたけど
えらく面白みのないマシンだったなぁ
なので高校卒業と同時にX68000買ったっけ

248 :ナイコンさん:03/10/28 03:08.net
>>427 定価で買いました。悪魔城ドラキュラ付けてくれたような気がしたかな? 98RSは秋葉まで買いに行きましたモニ、プリンター込みで33万位だと思いました。学校ではUV11でした。他校ではFM-β16とか使ってたみたいです。

249 :ナイコンさん:03/10/28 03:12.net
>>247の間違いでした。 スマソ m(_ _)m

250 :ナイコンさん:03/10/28 10:12.net
漏れもX1

251 :ナイコンさん:03/10/28 16:15.net
PCV-RZ52

252 :ナイコンさん:03/10/28 18:55.net
>>248

惜しいなぁ〜、 FM-16β なんだけど(w

学校で FM-11 や FM-16β を導入したところは多いね。
それは OMNI-NET とゆーLAN環境があったかららしい。

253 :ナイコンさん:03/11/04 20:33.net
X1-D にいっぴょ〜


254 :ナイコンさん:04/01/02 17:07.net
PC-1360K
ポケコンのくせに文節変換できた..

255 :ナイコンさん:04/01/03 18:32.net
MZ-80K2E!

生まれて初めて 親jに買ってもらったマシン。
厨房だった俺は 感動したもんだ。

256 :小房:04/01/10 03:28.net
FMR−CARD。
今でもあれを超えるモバイルマシンはないと思う。
電源の不安から完全に開放されたマシン。

257 :ナイコンさん:04/01/10 18:17.net
>今でもあれを超えるモバイルマシンはないと思う。

HP-200LXを超えるモバイルは無いよ…

258 :ナイコンさん:04/01/10 19:54.net
>257
どっかの おっさんが 代表になって もーフィーとか
作る話どうなった? あれが出来ていれば 最高だったのになぁ。

259 :ナイコンさん:04/01/10 20:00.net
>257
200LXは 俺も 2年以上 使ったけれど 本当に最高だった。
もう一回オークションで買い直そうと思うけれど、ソフトが無いし
骨董家具になりそうだもんなぁ。

レッツノートCF−S21 まだまだ 使い続けるか・・・。

260 :257:04/01/10 21:31.net
もるふぃーは漏れも初めの半年くらいMLをウォッチしてたけど、
結局作る気もないみたいでね…騙された奴はご愁傷様。

漏れの200LXは、電池ケースの蓋の爪が折れてしまい、
メンディングテープで貼り付けて使用中…
やっぱメモと辞典、表計算をこのサイズで持ち歩けるというのは強かったよな…。

今はリナザウにどっぷり。


261 :那須の山:04/01/10 22:08.net
私はNEC PC-9801NS/Lです。発売当時から持ち歩き、出先でデータ処理を
していました。都合5台買いましたね。(^^;) 今は皆電源が入らなくな
ってしまい、できることなら修理したいと思っています。

262 :TK85:04/01/14 01:58.net
MSX、PC−G801、X68kPRO
どれも触ってて楽しかった
BASICやマシン語で何でも出来た
でも上手く行かないときもあった
異常にワクワクした



今、AT互換機(WIN)、MAC互換機
ワクワクしない・・・

263 :ナイコンさん:04/01/27 00:44.net
X68といきたいが
やはりX1‥‥Ckが最高


264 :ナイコンさん:04/01/27 02:23.net
MAC互換機って....

265 :ナイコンさん:04/01/27 03:18.net
http://user.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/trend_master2004?

266 :ナイコンさん:04/01/27 03:55.net
>264
キャノンやパイオニアが出してたんだっけ?今の話じゃないが

267 :ナイコンさん:04/01/31 22:58.net
マック互換機パイオニアLX100で今カキコしてますが?


268 :ナイコンさん:04/02/01 00:25.net
名機ったら PC-8801mkIISR だべ。ありきたりでスマソ。
(本心では PC-8801FA がベスト)

269 :ナイコンさん:04/03/19 16:06.net
HPLXだな。
HP95LX,HP100LXときて HP200LXは2台持ってた。
これで Minixや GEOSを動かしたりしたな。
HP100LXの黒筐体のなかに 200LXを入れて 黒弐百にしたな。
LANにつなげたり、UUPCしたりしてたな。
筐体の裏にタッチパッドを張り付けてみたけど、思った通りに動かなかったな。


270 :ナイコンさん:04/10/07 22:16:15.net
SFC

271 :ナイコンさん:05/02/01 17:33:23 .net
わたくし、ハンマーを卒業いたします。
フレの助言もありファーストでハンマーはきついとの結論に達しました。
ハンマーは大変です。説明書に上級者向けと書いてあるランスが一番の初心者向けだそうなので
転向してみたいと思います。
好きな武器で好きなように遊ぶのが一番だと思ってましたが、
それはあくまでオフゲーでのことなのですね。
オンゲーでは、他人から武器の指定を受ける事などあるとは思いませんでした。
それではさようなら。



272 :ナイコンさん:05/02/13 02:58:00 .net
PC−8001mk2

273 :ナイコンさん:05/02/13 03:22:15 .net
あげ

274 :ナイコンさん:05/02/13 10:33:17 .net
PC-9801VM2


275 :ナイコンさん:05/02/13 14:46:41 .net
任天堂 TVゲーム15
テレビがテレビでなくなった衝撃は、これ以上ないくらいに大きかった。

276 :ナイコンさん:05/02/13 16:05:33 .net
MBC-17J

277 :ナイコンさん:05/02/13 23:40:21 .net
無印FS-A1 つまりはテンキー無しFDD無し
こいつにデーターレコーダーを繋げてプログラムを保存する

278 :ナイコンさん:05/02/15 00:16:33 .net
NEC PowerMate

いいPCなんだから逆輸入すればよかったんだよ
PC-9801なんか捨てて

279 :ナイコンさん:2005/06/04(土) 20:46:44 .net


PC-100

280 :ナイコンさん:2005/06/04(土) 23:53:04 .net
>>268
88は触っててつまらないんだもん。
結局はゲームオンリーに成り下がるハメ…

281 :ナイコンさん:2005/06/05(日) 21:18:12 .net
日立のH21
現役

282 :ナイコンさん:2005/06/06(月) 01:10:34 .net
初カキコです。
このスレ良さげですね。
皆さんから見るとぜんぜんだめなのかもしれませんが、
俺が昔はまった名機はFM-77L2です。
信長の野望をずっとやっていました。
俺は当時11歳だったけど、ファミコンとは別次元のグラフィックに
感動してました。
当時の俺はパソコンにはあまり興味が無かったけど、
FM-77は良い刺激をくれました。
タートルとかいう描画プログラムがあって小学生の俺でも
線画が描けたんです。
ずっと遡って、生まれて初めて触れたパソコンはMSXかな。
でも、幼すぎてBASICを理解できませんでした。
ゲームもあまり無かったし。
とにかく80年代の俺はパソコン=高価なゲーム機という認識でしたが、
FM-77L2がパソコンの本当の使い方を教えてくれたと思ってます。
他にもNECのパピコンなどありましたね。
32ビットの9801とか金持ちが買うものと思ってました。
当時、NECは良いけど高いという認識でした。
そして、アップルはバカみたいに高いハードを売っていました。
なんていう機種だったかな?
名前は覚えてないですが、100万オーバーだったのは覚えてます。

283 :名無し:2005/06/06(月) 01:12:58 .net
ごめん!
名前がナイコンさんになってる。
Jene使ってるけど、空白で書き込みやると前の人の名前になるのか。
わざとじゃないので許してください。

284 :ナイコンさん:2005/06/07(火) 23:15:25 .net
PC-88VA
これの前に使ってた88mkII時代から、X1のPCGや
77AVの4096色、98の高速さに憧れてて、SR系では
イマイチ購入意欲が沸かなかったのに、一発で飛びついた
ハードだった。
スプライトや6万5千色、16bitCPUに2画面重ね合わせ、
ハードウェアスクロール・・・。
X68には大幅に劣るものの、NECのゲーム機は88の役目の筈
だったのに、なんでゲーム向きの機能を持たない98が
主役になっちゃったのか・・・数年後結局PC9821を買ったが、
ホントグレードダウンした気がした。
VAでは公私共にゲーム作って楽しめたからまぁいいけど。

285 :ナイコンさん:2005/06/22(水) 00:24:35 .net
SMC-777がないな。

286 :ナイコンさん:2005/06/23(木) 08:12:38 .net
COMMODORE AMIGA A1200

惚れ込んで買ったマシン。
そしてかつSFCよりもショボイゲームで溢れかえってたのが
また泣かせる(笑)。

『AMIGA FORMAT』へヒトコト。
『ZOOL』ってそんなに面白かったか(笑)?

287 :ナイコンさん:2005/06/23(木) 09:41:45 .net
PC-9801BX4

社会人になって、自分の金で買った最初の1台だ。
周辺機器は前の98からの使いまわしだったから、コレで十分だった。

買って半年もしないでBX4/Pが出たときは悲しかったが(笑)

288 :ナイコンさん:2005/06/25(土) 15:56:54 .net
昭和60年代に買ったPC-9801UVが、
ウチでは未だに現役です。
あのころに買ったゲームソフトを
今でも時々懐かしみながら楽しんでいるもので。

289 :ナイコンさん:2005/06/26(日) 14:46:51 .net
X68000XVIだと何度言わせ。。。

290 :マイコン少年:2005/10/16(日) 09:55:51 .net
PC−8001MK2SRだな。
いまだに、オークションとかでは高値がつくぞ。

291 :ナイコンさん:2005/10/18(火) 16:26:32 .net
いまのマシン、pentiamまんせー

292 :ナイコンさん:2006/01/09(月) 01:05:23 .net

FM-7

Z80カード挿すと、PC-8001mkよりもさくさくとCP/Mが動いた


293 :ナイコンさん:2006/01/09(月) 09:19:46 .net
>286

>『AMIGA FORMAT』へヒトコト。
>『ZOOL』ってそんなに面白かったか(笑)?

ATARI1040STE使いでした。
ST FORMATでも、異様に評価高かったっす(笑)
イギリス人って・・・。

294 :ナイコンさん:2006/01/09(月) 09:36:51 .net
PC-8801無印だな
キーボードと本体をつなぐコードがすんげー太かった!
このころのマニュアルではユーザ自身でメモリチェックしろというのもハイカラ

295 :ナイコンさん:2006/01/10(火) 20:22:11 .net
MZ-1500の電源ケーブルも激太。直径5cmで長さ18cmだった。

296 :ナイコンさん:2006/01/11(水) 03:12:20 .net
チンコかよ

297 :ナイコンさん:2006/01/11(水) 08:21:23 .net
えっ!9cm!?

298 :ナイコンさん:2006/04/23(日) 19:33:15 .net
test

299 :ナイコンさん:2006/04/23(日) 20:25:02 .net
FF77L4

300 :ナイコンさん:2006/04/24(月) 08:40:36 .net
MZ 700
この名機でゲームを作った体験は貴重。

301 :ナイコンさん:2006/05/03(水) 19:23:07 .net
PB-100って名機ですか??

302 :ナイコンさん:2006/05/04(木) 20:12:09 .net
PB100の増設メモリ欲しかったな〜

303 :ナイコンさん:2006/05/08(月) 12:12:11 .net
東京名機

304 :ナイコンさん:2006/05/10(水) 17:00:22 .net
銘器といえばウチのかみさん

305 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:00:19 .net
CASIO PV-7 (MSX)
・・・MSXとして、最初に3万円で買えるパソコンとかいうPRしたモノだったっけ?
  8MBのカートリッジしかできなかったような・・・

TOMY ぴゅうた
・・・知ってる奴いるか?

BANDAI RX-78
・・・知ってる奴いるか?

306 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:27:58 .net
■Amiga 01■

Amiga(アミガもしくはアミーガ。スペイン語で「女友達」)とは、1985年にコモドールより発売されたパーソナルコンピュータである。
当初は、CPUにモトローラのMC68000を採用した16ビットマシンであったが、
その後68020・68030・68040を採用した32ビットマシンも発表された。

AMIGA1000開発時にブートROMの製作が間に合わず、発売当初はブートROMをKickStartと言う名のフロッピーディスクで提供していた。AMIGA500のリリース時にはKickStartROM1.2がROMとして搭載された。
その後AMIGAのOS、WorkBenchがメージャーアップデートを行う際には、システムディスクと合わせてROMも同梱された。
ユーザーはOSのアップデートを行う際に、本体に接続されている旧バージョンのROMを取り外し、
新しいKickStartROMに差し替える必要があった。
ヨーロッパで多数リリースされたMegaDemoが要求するROMのバージョンは1.2であったため、
1.2と2.1のROMを2枚接続し必要に応じて切り替えるボードなどAMIGAならではの周辺機器が発売されることとなった。

使用していたオペレーティングシステムWorkBenchは独自開発のものであったが、
フロッピーディスクのみでも完璧なマルチタスクで動作し、アイコンサイズの無制限、
2DD880Kフォーマット、ファイル名に256文字使用可能等、1985年当時としては非常に画期的なパーソナルコンピュータであった。

307 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:28:29 .net
■Amiga 02■

元々ATARIに関係していたスタッフが開発、発売当初より複数の強力なカスタムチップ
(カスタムチップの頭文字をとってAAAチップと呼ばれる)を搭載し、
グラフィック(4096色表示、スプライト機能)とサウンド関連(PCM音源同時発音数4音)の処理を得意とした。

グラフィック部分においては標準とされたフォーマットであるIFFが後のTIFF(タグ付きIFF)となり、
サウンドにおいてはMOD、MED、OctaMED等のフォーマットがAMIGA以外のパーソナルコンピュータでも広く使われた。

主にヨーロッパのハッカーたちがこぞって制作した「MegaDemo」は、カスタムチップの賜物といえる。

サードパーティーが発売した拡張スロットを利用するハードウエア「Video Toaster」によるビデオの制御、
およびその3DCGソフトウエアであるLightWave3Dにより映像関連で利用された。
これらは、商用にも利用され、日本においてウゴウゴルーガに実際にアミーガで作成されたCGが使用されていた他、
アミーガを代表するペイントソフトであるデラックスペイントを使用して作成されたCGを使用した番組が多数存在した。

また、キヤノンのゼロワンショップの宣伝に使用されたマックス・ヘッドルームの主人公もアミーガで作成されたCGを用いていた。

1994年のコモドールの倒産により版権が他社に売却され、後継機が製作されるなどしていた。

308 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:30:00 .net
■Commodore■

コモドール(Commodore)はアメリカ合衆国にあったパーソナルコンピューターのハードウェア及びソフトウェア会社。

1977年にパーソナルコンピュータ PET2001を発売した。

現在のパソコンのオペレーティングシステム開発に多大な影響を与えたAmiga OSなどの製品をリリースするが、
CD-ROMなど新たなハードウェアへの対応が遅れたためにシェアがWindowsやMacintoshなどに追い抜かれてしまい、
惜しまれつつも1994年に破産した。
Amiga自体の資産はEscom社に引き継いだがEscomも間もなく破産し、ドイツのAmiga社に引き継がれたが、
後にゲートウェイに買収、現在ではAmigaとして運営が続けられている。

309 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:35:34 .net
■PET2001 01■

PET2001は、1977年にコモドール社が初めてリリースしたパーソナル・コンピュータである。
PETは Personal Electronic Transactor(個人用電子実行機) の略。

=歴史=
1970年代、テキサス・インスツルメンツ(TI)は電卓用CPUの主要な供給社であった。
コモドールもTIのチップを使った電卓を製造販売していた。 しかし、1975年にTIはチップの外販価格を上げた。
それによってTI自身の電卓の価格競争力を上げるためである。 このため業界は冷え込むこととなる。

コモドールは電卓用チップを供給してくれそうな会社を探し、6502マイクロプロセッサを設計したモステクノロジーを見つけた。
モステクノロジーは6502を使ったワンボードのコンピュータキットKIM-1をコモドール社長に見せ、電卓市場はもう終わりであると納得させた。
その代わりに彼らはKIM-1を実際に使える(そして高く売れる)マシンにすることに注力した。
コモドールの元従業員によればPETの総製造コストは(カナダからの輸送コストも含めて)14UKポンドであり、
小売価格の999UKポンドの70分の1だったのである。

310 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:36:15 .net
■PET2001 02■

出来上がったのが世界初のオール・イン・ワン ホームコンピュータPET2001である。
メモリ(RAMは 4Kバイトか8Kバイトであり、基本的にはKIM-1の新たなディスプレイ用チップ(MOS 6545)を加えて、
内蔵モノクロディスプレイ(40×25文字表示とキャラクタグラフィックス)を駆動した。
また、データ記録用のカセットテープレコーダーもキーボードの横に装備していた。
PET2001は、1977年9月ごろ出荷を開始した。数ヶ月間出荷が注文に追いつかない状態が続き、
ペースを上げるために4KバイトRAMバージョンを翌年早々にキャンセルし、8Kバージョンのみとした。

マシンは成功したが、小さなキーボードには不満が集中した。
このため、"-N"バージョンと"-B"バージョンがPET2001に追加された。
これはカセットを内蔵するのをやめて、もっと大きくて使い勝手のよいキーボードを装備したバージョンである。
また、内部的にはマザーボードが改良され、メモリを多く装備できるようになった。
このため、8Kバージョンに加えて、16Kバージョンと32Kバージョンが製造されている。
型名は2001-N-8、2001-N-16、2001-N-32などとなった。

これら新バージョンもよく売れ、コモドールはヨーロッパにも販路を拡大する。
しかし、ヨーロッパにはすでにPETという名のマシンが存在したため(フィリップスのマシン)、名称の変更を余儀なくされた。
結果として、CBM 3000シリーズ(Commodore Business Machines)となり、機種名も3008、3016、3032となった。
また、3008は早々に販売停止となった。

311 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:38:52 .net
■PET2001 03■

=グラフィックス問題=
ホームコンピュータとしては、早々にカラーグラフィックスマシン(Apple II、アタリ、TRS-80)に敗退してしまった。
カラーに関しては後のVIC-20やコモドール64で対応した。
また、PETはグラフィック文字を持っていた(ASCIIのバリエーションとしてPETSCIIと呼ばれた)ので、簡単なゲームも作られた。

=カセット雑誌 Cursor=
1970年代終盤には、PETユーザはCursorという雑誌を講読することができた。この雑誌は紙ではなくPET用のカセットテープで配布され、
数本のゲームやユーティリティプログラムが入っていた。
このような形態の雑誌としてはかなり早い創刊である。

=その後のPETシリーズ=
さらに、PET4000シリーズとCBM8000シリーズ、SuperPET9000シリーズがリリースされている。

=詳細=
CPU:  6502, 1MHz
RAM:  4Kバイト(初期バージョン)または 8Kバイト、16Kバイト、32Kバイト
ROM:  14Kバイト、BASIC 1.0 内蔵 / 20Kバイト、BASIC 2.0 内蔵(CBMは3.0)
ビデオ:  MOS 6545, 9" モノクロモニター, 40×25 キャラクタディスプレイ
サウンド:  なし/後にビープ音のみ
ポート:  MOS 6520 PIA, MOS 6522 VIA, カセットテープI/F×2(1つは内蔵で使用、もう1つは後部にあり), 1 IEEE-488
その他:  69 キー キーボード、カセットテープレコーダー装備/フルキーボード、カセット内蔵せず

312 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:39:48 .net
出た!
記事貼り厨!
ウザイ!

313 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 12:48:32 .net
■ATARI 01■

アタリは、アーケードゲームの始祖であるゲーム会社。日本支社にはアタリジャパンがある。

=歴史=
1972年アメリカでノーラン・ブッシュネルによって設立された。
囲碁好きの彼が囲碁用語の「アタリ」から社名を取ったというエピソードは有名。
アーケードゲームの始祖となるポン、ブレイクアウト(いわゆるブロック崩し)等を発表する。

オリジナルゲームを製作する傍ら、ナムコと提携、ナムコのゲームをアメリカで販売、アタリのゲームを日本に輸出している。

家庭用ゲーム部門では1977年『アタリVCS』を発表。
ソフトウェアを外部接続カートリッジとして、
それまでゲーム内容が固定されていたゲームを交換できる、いまの家庭用ゲームの原型となるシステムを採り入れた。
大ヒットし全世界で約2,000万台が売れたものの、その大きな市場を狙った中小のメーカーが飛沫的に乱立と消滅を繰り返し、
品質の伴わないレベルの低いソフトが粗製濫造され、急激なユーザー離れを起こした市場崩壊、いわゆるアタリショックが起きる。
この結果、1985年にアタリは家庭用ゲーム部門のアタリコープ(Atari Corp.)と、
業務用ゲーム部門のアタリゲームズ(Atari Games)に分割される事態に陥った。

1979年には、8ビットのパーソナルコンピュータAtari 400/800を発売し、家庭用パソコン市場に参入した。
その後、アタリコープとなってからも16ビット機Atari STを発売(1985年)。
MIDIを標準装備していることからミュージシャンに愛用者が多く、海外ではAmigaと人気を二分していた。
その後、アタリコープは、1989年にポータブルマシンAtari Lynx、1993年にはAtari Jaguarを発売するが、
アタリのハードウェアはいまのところこれらが最後となっている。

314 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 13:50:24 .net
>>285
お、おれもSMC-777だった。
発売したときに即買った。
たしかファミコン、X1と同時ぐらいの発売だった記憶がある。
これのせいで、おれはプログラマなんてやくざな商売に…

315 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 13:52:25 .net
>>305
全部ショップで実物さわってた(^^;)
電源入れるとガンダムの絵が出てたような

316 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 14:38:40 .net
>>315
レスあんがと!
いずれも80−85年あたりのホビーパソコン全盛期の時代のシロモノだにw

自分はその後(88年あたりか?)、工房のときに、
町田・TOKYU HANDSの地下のPC専門コーナーに、
過去のホビーパソコン全盛期のそれらのカタログがフォルダに収まっておいてあって、
当時懐かしげにみてたw

317 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 14:39:51 .net
■ATARI 02■

=歴史=
アタリコープは1996年にハードディスクメーカーのJTS(JTS Corporation)に吸収合併されるが、程なくJTSが経営危機に陥り、
1998年、ハズブロ・インタラクティブ(Hasbro Interactive)がアタリコープの知的所有権を買収。
さらに2000年、そのハズブロをフランス資本のアンフォグラムス(Infogrames.日本では「インフォグラム」と表記)が買収。
アタリの名を聞くことは少なくなったが、2003年アンフォグラムスの北米部門が『Atari Inc.』に社名変更。
古くからのアタリファンにはうれしいニュースとなった。

一方アタリゲームズはガントレット、マーブルマッドネスなどの秀作ゲームを順調にリリース。
子会社としてテンゲンを設立し、家庭用ゲームにも進出した。
日本では業務用はナムコ、コナミ、後にはSNKを、家庭用はテンゲンの日本法人を通じて発売された。
しかし1996年に業務用大手のWMSインダストリーズ
(WMS Industries.ミッドウェイ(Midway)、バリー(Bally)、ウィリアムズ(Williams)などの持株会社)に買収され、
2000年に社名をミッドウェイ・ゲームズ・ウェスト(Midway Games West)に改称。翌年、業務用部門から撤退し、2003年に解散している。

アメリカのメロディアスパンクバンドThe AtarisやドイツのハードコアバンドAtari Teenage Riot は
この辺り(アタリ)からバンド名を付けたといわれている。

318 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 14:41:41 .net
■ATARI 03■

=アタリ規格=
アタリVCSではコントローラとの接続にD-sub9ピン状の台形のコネクタが使用された。
この配列を真似た汎用の入出力ポートが8・16ビット時代の各社のパソコンやゲーム機に採用され、まとめて「アタリ規格準拠」と呼ばれた。

厳密に「規格」として定められていた訳ではないが、コントローラーについては「アタリ規格準拠」を謳われている機種間で流用が可能だった。
方向キー+2ボタンのコントローラーを使用でき、日本ではPC-6001やMSX、X68000等で採用されていた。
また、FM TOWNSでは、方向キーの上下・左右をハード的に同時に入力することで、操作できるボタン数をさらに2つ増やしている。

セガのSC-3000等用のコントローラも方向キー+2ボタンで端子形状も同一であったが、ピン配列が異なっており、
「アタリ規格準拠」とはされていない。

汎用入出力ポートとしては、ボタン数を増やしたコントローラやアナログコントローラ、マウスやタッチパネル等の
入力機器等の接続に用いられたが、それら各機種各様の機器も「アタリ規格準拠」とは呼ばない
(マウスはMSX用の物が他機種でそのまま使えたが、飽くまでもMSX仕様に沿っているだけで、
マウスの接続に関するアタリの規格がある訳ではない)。

コントローラデバイスの複雑化などにより、32ビットゲーム機では採用されず、
パソコンでもPC/AT互換機が主流になりコントローラ用には別の規格を使用するようになると、その姿を消した。

=主なハードウェア=
Atari 2600/Atari VCS Atari Portfolio Atari 520ST Atari 1040ST
Atari Lynx Atari Jaguar

319 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 15:46:27 .net
■TRS-80■

TRS-80は、1970年代終盤から1980年代にタンディ社が製造し同社のラジオシャック店で
販売されたマイクロコンピュータのいくつかのシリーズのブランド名である。

1977年8月3日、タンディ TRS-80 Model I が発表された。これがタンディ社がホームコンピュータ市場に参入し、
コモドールPET2001やApple IIと対抗するきっかけとなった。
599ドルで販売された TRS-80 は当時のラジオシャック店が扱っていた製品の中では最も高価な製品であった。
同社はコンピュータの市場に入ることが出来るのか確信を持っていなかったため、とりあえず3000台を製造し、
もし売れなかったら3000ある各店舗の業務に使用する予定だった。

タンディは最初の一ヶ月で10,000台を販売し、一年で55,000台を販売した。
1981年1月に販売終了するまで、Model I は 250,000台も売れたのである。

=特徴=
Model I は分厚いキーボードのような形状であり(VIC-1001と似ている)、Z80マイクロプロセッサを使用していた。
当初の搭載メモリ(RAM)は4Kバイトだったが、後に16Kバイトになっている。

キーボードからの入力データの転送方法は風変わりである。
普通ならI/Oデバイスやチップを経由してデータをCPUに転送するが、
TRS-80 Model I ではメモリ上の所定の領域にキーボードがマッピングされていた。
つまり、そのアドレスには実際にはメモリはマッピングされておらず、
プロセッサがそのアドレスを読むことによってキーの状態が読み取れるようになっていた。
TRS-80のキーボードは、一回の押下で数回の文字入力となってしまうことが多かった。
これを解決するソフトウェアが配布されたが、これを使うとキー入力への反応が鈍くなった。後にこのソフトはROMに内蔵された。

320 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 15:48:31 .net
■TRS-80■

標準のディスプレイは RCA XL-100 というテレビ受像機を改造したモノクロディスプレイ(背景が黒、文字が白)であった。
実際の色は空色に近く、緑色や琥珀色のフィルターを付けたものや代替の目に優しいブラウン管が市場に出回った。
テレビチューナーを置き換えたインターフェイス回路の問題により、表示の大部分が白になると垂直同期信号が失われたが、
30分ほどの簡単な作業でこれを直すことができた。
一行64文字か32文字を16行表示可能だが、大文字だけだった。
これは、ビデオメモリが1Kバイトしかなく(64×16=1024)、しかもグラフィック文字を表示するために文字コードがASCIIとは違っていたためである。
これについても小文字を表示できるようにするアップグレードが出回った。
グラフィック文字で擬似グラフィック表示が可能であった。128種の文字のうち64種がグラフィック文字であり、
2×3 ブロックのピクセルに対応していた。
BASICプログラムは直接 128×48 ドットのグラフィック表示を制御することができた。
BASIC言語のPRINT文を使っても、ビデオメモリに直接書き込んでも、画面にちらつきが発生した。
これはCPUからのアクセスがあったときにビデオ表示をブロックするような回路構成になっていたためである。
通常のBASICプログラムではそれほどひどくはなかったが、高速なアセンブリ言語で書かれたプログラムは注意しないとひどい結果になった。多くのゲームはこれに対処せずに TRS-80 に移植されていた。

ROM で内蔵されたBASIC言語にはふたつのバージョンがある。
Level I BASIC は 4KバイトのROMに格納可能で、Level II BASIC は 12KバイトのROMに格納可能であった。
Level I は単精度浮動小数点演算のみでコマンドも少なく、フリーなTiny BASICをラジオシャックでTRS-80に移植したものである。
一方、Level II は倍精度浮動小数点演算をサポートしコマンドも豊富であった。
Level II には後にディスク機能も追加された。
こちらは、Microsoftの16Kバイトの拡張BASICの機能縮小版である。

321 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 17:13:20 .net
■ラジオシャック(RadioShack Corporation)およびタンディ(Tandy)■

ラジオシャック(RadioShack Corporation)は、家電販売店のチェーンをアメリカおよびヨーロッパ、南アメリカで展開している企業である。
2003年現在、アメリカ国内に7000以上の店舗を持ち、売上高は46億ドルである。
ラジオシャックの総本店はテキサス州フォートワースにある。

=歴史=
1919年、2人の友人(ノートン・ヒンクリー、およびデイブ・L・タンディ)が、
ヒンクリー・タンディ皮革会社(Hinckley-Tandy Leather Company)を創業。
革靴の部品をフォートワース地域の靴修理業者に売ることを業務としていた。
第二次世界大戦での靴の配給によってそれまでの事業がほとんど立ち行かなくなったため、
タンディの息子 チャールズ・D・タンディは革製品製造業への転身を図った。
後に財布などの革製品を作るための皮革と道具を販売する事業にも進出。紆余曲折を経て(途中でヒンクリーの名前も社名から消えた)、
1963年に大きな変化が訪れた。倒産しかかっていたラジオシャックを買収したのである。

一方、ラジオシャック社は 1921年マサチューセッツ州ボストンで、Theodore および Milton Deutschmann 兄弟が設立した。
彼らはアマチュア無線の最先端領域に機器を提供しようとした。
店の名称は、当時の船舶の無線装置を収納した小さな部屋の名前から取られている
(ラジオシャックとは、アマチュア無線家が無線装置を置いている部屋―通信室も意味する)。
1940年代初期に最初のカタログを出し、その後Hi-Fi音楽市場にも参入した。
1954年、ラジオシャックは独自ブランド Realistic の名で製品を販売するようになる。
9つの店舗を構え通信販売も広く行ったが、1960年代には苦境に陥った。
ラジオシャックは基本的に倒産状態となったが、チャールズ・タンディはラジオシャックと家電の可能性を見抜き 30万ドルで買収した。

322 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 17:14:33 .net
■ラジオシャック(RadioShack Corporation)およびタンディ(Tandy)■

○タンディ・ラジオシャック時代○
1963年、タンディ社はタンディ・ラジオシャックと改称した。
タンディはその後エレクトロニクス関連以外の部門を処分した。

ラジオシャックは、コモドールやアップルと共にパーソナルコンピュータ革命を起こした企業である。
TRS-80(1977年)、TRS-80 Color Computer(1980年)といったホームコンピュータを製造販売した。
さらにタンディはPC/AT互換機市場にも参入した。
タンディのPC互換機は安価だがサウンド機能とグラフィック機能が優れていた。
しかし、それもVGA規格とサウンドブラスターが業界標準となるまでで、
1990年代初めにはタンディの互換機は対抗できなくなって自社ブランドの販売をやめた。
ラジオシャックのもうひとつの大ヒットとして、Family Radio Service 製品がある。
通信範囲の狭い携帯無線システムである(日本の法で言う特定小電力無線に相当)。
1990年代中ごろから、携帯電話関連のコンポーネントに注力するようになった。
1994年以降のスローガンは「あなたの質問には私達がお答えします」であった。
1995年、タンディは大手電器販売チェーン(Best Buy や Circuit City)に対抗すべく、ヒューストンに大型店舗を出店した。
これはタンディがそういった大手と肩を並べるようになるかどうかの試金石だった。
しかし、思ったように売り上げは上がらず閉鎖することとなった。

323 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 17:15:05 .net
■ラジオシャック(RadioShack Corporation)およびタンディ(Tandy)■

○ラジオシャック社○
2000年5月に、同社は名称から「タンディ」という語を落とし、ラジオシャックに改称。
また 2000年、ラジオシャックはRCAの製品を販売する協定を結び、独自ブランド Realistic や Optimus を廃止する。
もっとも 1990年代初期には既に Realistic の名で製品を自社開発することをやめていた。
RCAとの契約が2004年に終わると、ラジオシャックは独自ブランド Accurian を販売品目に加え、一時的に Optimus も復活させた。
他にバッテリーについての独自ブランド Enercell がある。
多くのラジオシャック店はまだ1980年代と変化のない製品を扱っている。
古いラジオシャック製品はロゴやブランド名からそれとわかる。
商品の回転が遅いので、数世代の包装のバリエーションを見かけることも珍しくない。
2006年2月、ラジオシャックは400から700の店舗を閉鎖し、停滞していた在庫を清算する計画を発表した。
棚卸資産評価減と閉鎖のコストにより5500万ドルから1億ドルの持ち出しとなるが、その一部は2007年に持ち越される。
2006年2月20日、CEOのデイビッド・エドモンドソンは学歴詐称が発覚して辞任した。
後任のCEOとしてクレア・バブロウスキが就任。このため、ラジオシャックの株価は3年ぶりの低水準となった。

324 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 17:16:10 .net
■ラジオシャック(RadioShack Corporation)およびタンディ(Tandy)■

アメリカ国外での事業
1970年代から、タンディは子会社の InterTAN を通してイギリスとオーストラリアでラジオシャック型のチェーン店を展開。
1986年、InterTAN はタンディから独立したが、グループとして事業を行っている。
例えば、カタログ上の製品番号が共通になっている。
1999年、イギリスのチェーン店は Carphone Warehouse に売却され、数年のうちに一部店舗は閉鎖され、
残りは Carphone Warehouseの店舗となった。
2001年、オーストラリアのチェーン店は Woolworths Limited の子会社 Dick Smith Electronics (DSE)に売却された。
いくつかの店舗は閉鎖され、いくつかは DSE の名前で営業しているが、200以上の店舗がタンディの名前のままで営業している。

InterTANはその後独自にカナダでチェーン店を展開することを発表した(カナダのラジオシャック店の大半は経営難で、サーキットシティに売却されていたが)。
InterTANはラジオシャックとのライセンス契約が期限切れとなる2010年まで、
ラジオシャックがカナダに進出するのを妨害するために法廷闘争に持ち込んだ。
すでにラジオシャックとディーラー契約を結んだカナダ国内の店舗もあり、両社の衝突が続いている。

InterTAN はフランスでのラジオシャック店を展開し、Realistic や Archer といったラジオシャックの独自ブランド品を販売していた。
売り子の多くはフランス語の話せるケベック州の人間であった。
しかし、1993年12月にフランス子会社が倒産。営業担当はマージンの低い非独自ブランド品ばかりを売っていたからだと述べている。

カリブ地区(プエルトリコとアメリカ領バージン諸島)が現在売り上げNo.1である。

325 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 17:32:48 .net
この記事貼り厨って、
要するにPC黎明期のアメリカ産機器を紹介したいの?
まぁAmigaはチョット遅いけどw

ウゴウゴに使われてたCGって、Amigaだったのw

326 :ナイコンさん:2006/06/03(土) 23:46:15 .net
>>305
> 8MBのカートリッジしかできなかったような・・・

PV-7はRAMが8KBだった。当時8MBなんて大容量を積んでる
パソコンなんて、MSX以外を含めても無かったぞ。

> ・・・知ってる奴いるか?

この板なら、この2機種を知ってる人はたくさんいると思う。
細かいことを言うと、「ぴゅうた」じゃなくて「ぴゅう太」。

327 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 08:23:05 .net
>>326
PV-7のペラペラのキーボードのボタン、懐かしい。。

328 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 08:24:05 .net
■MSX 04■

=MSXコンピュータの製造者=
#MSX 1#
ソニー、三洋電機、三菱電機、日本ビクター、東芝、日立製作所、松下電器、
キヤノン、カシオ計算機、パイオニア、富士通、ゼネラル(現富士通ゼネラル)、
ヤマハ、京セラ(ヤシカブランド:輸出のみ)、フィリップス(オランダ、主に欧州市場)、
大宇電子(韓国)、金星電子(ゴールドスター。現LG電子、韓国)、グラディエンテ(ブラジル)、
シャープドブラジル(シャープの現地法人、ブラジル)
#MSX 2#
ソニー、三洋電機、三菱電機、日本ビクター、東芝、日立製作所、松下電器、
キヤノン、ヤマハ、フィリップス(主に欧州市場)、大宇電子(韓国)
#MSX 2+#
ソニー、三洋電機、松下電器
#MSX turboR#
松下電器

329 :P6AVTOWNS:2006/06/04(日) 16:00:56 .net
PC-1360Kだったかも。
名機かどうかの基準が性能じゃなくて,いかに長い間使ったかということであればね。

330 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 20:20:06 .net
■ MSX ■
MSXは1983年にアメリカのソフトウェア会社マイクロソフトと日本の出版社アスキーによって提唱された、
家庭用コンピュータのハードウェア、およびソフトウェアの共通規格の名前である。
またこの規格にのっとって作られたコンピュータ群の総称として使われることもある。

CPU ザイログ社 Z80A相当品(8bit)(クロック周波数は3.579545MHz) (割り込みはモード1)
VDP テキサスインスツルメンツ社TI TMS9918相当品
メインメモリ 8〜64KB(キロバイト)
サウンド ゼネラルインスツルメンツ社GIPSG(AY-3-8910) 8255相当の1ビットサウンドポート

カシオ計算機 PV-7,PV-16,MX-10,MX-101 (MSX最後発メーカーながら低価格で勝負した)
キヤノン ベガ:V-10、V-20
三洋電機 WAVYシリーズ (一部機種はライトペン標準装備だった )
ソニー ヒットビットHBシリーズ
東芝 パソピアIQシリーズ (HX-20系はワープロソフト内蔵だった)
日本ビクター HCシリーズ (ヤマハのOEM。オプションでVHDプレイヤーと接続可能)
パイオニア Palcom PX-7 (レーザーディスクプレイヤーと接続可能)
日立製作所 MB-H1 (キャリングハンドル付き) MB-H2 (カセットデッキ搭載)
富士通 FM-X (接続してFM-7を増設RAMとしても使用可能。また、FM-7側でもFM-XをZ80ボード代わりに出来る。)
ゼネラル(現富士通ゼネラル) PAXON(パクソン) (テレビ内蔵型MSX)
三菱電機 ML-8000 Let us(レタス)シリーズ
松下電器 キングコングCFシリーズ
日本楽器(現ヤマハ) YIS(ワイズ)シリーズ、CXシリーズ (オプションで専用スロットにFM音源を搭載可能)
大宇電子(韓国) DPC-180、DPC-200
金星電子(ゴールドスター。現LG電子、韓国) FC-80、GFC-1080

331 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 20:20:56 .net
■ MSX2 ■
1985年に発表された、MSXに様々な機能を強化した上位互換の規格。

VDP ヤマハV9938
メインメモリ 64KB〜 (キロバイト)
サウンド MSX1準拠

キヤノン V-25,V-30F
三洋電機 WAVY25F,WAVY25FD,WAVY25FK,WAVY25FS,WAVY-77
ソニー HB-F5,HB-F500,HB-F900,HB-T7,HB-T600,HB-F1,HB-F1mk2,HB-F1XD,HB-F1XDmk2
     [ HB-F1シリーズは漢字ROM非搭載、スピコン(CPU速度を遅くする機能)・
      連射ターボ(スペースキーを連射化する機能)・ポーズキー(CPU動作を停止)付き。
      HB-F900はRAM256KB&FDDx2で別売の専用デジタイザがある。 ]
東芝 HX-23、HX-33、HX-34
日本ビクター HC-80,HC-90,HC-95
         [ HC-90,HC-95は日立のZ80上位CPUHD64180搭載で、高速動作にする「ターボモード」が存在 ]
日立製作所 MB-H3,MB-H70
三菱電機 ML-G30 
       [ 松下A1・ソニーF1等の低価格MSX2発売時期には、同価格帯でモデム内蔵MSX2を出していた ]
松下電器 FS-4500,FS-4600F,FS-4700F,FS-5000F,FS-5500F,FS-A1,FS-A1mk2,FS-A1F,FS-A1FM
       [ A1シリーズのうちA1/A1mk2は漢字ROM非搭載 ]
日本楽器(現ヤマハ) YIS604/128,YIS805/256,CX-7/128
大宇電子(韓国) CPC-300、CPC-400、CPC-400S
           [ スーパーインポーズ、デジタイザーなどの映像編集機能搭載 ]
新日本電気/日本電気ホームエレクトロニクス(現日本電気、NECグループ各社)
       発売には至らなかったが、MSX2とPC-6001系複合機での参入を検討していたことが、
       2005年2月にアスキーが出版した書籍の開発者インタビューで明らかになった。

332 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 20:21:31 .net
■ MSX2+ ■
1988年に発表された、MSX2規格に、さらにビデオ機能を中心に強化した規格。

CPU MSX1準拠
VDP ヤマハV9958
メインメモリ 64KB〜 (キロバイト)
サウンド MSX1準拠

三洋電機 WAVY70FD,WAVY70FD2,WAVY35
       [ BASICコンパイラ(「MSXべーしっ君ぷらす」相当)を内蔵。単漢字変換で、MSX-JEは内蔵しない。 ]
       [ WAVY35はFDD非搭載(日本国内の一般向けのモデルではない)。70FD2はフロッピーディスクドライブを2機搭載。 ]
ソニー HB-F1XDJ,HB-F1XV
     [ ゲーム開発ツールをディスク付属、筐体はMSX2のHB-F1XDシリーズから流用。MSX-JEを内蔵。 ]
     [ XDJは1年ほど使用しているうちにFM音源の音が小さくなるという回路の不具合があり、 ]
     [ メーカーでコンデンサ交換による対応を取っていた。 ]
松下電器 FS-A1WX,FS-A1FX,FS-A1WSX
       [ I/O操作でCPUが6MHz駆動(BASICコマンド:OUT 65,154 で、6MHzモードになる、 ]
       [ ただし、PSGの音程が上がるので要注意)になる。Wシリーズはワープロ・MSX-JE内蔵、FXはFM音源なし。 ]
       [ WSXはS端子を付けた代わりにカセットテープ端子を削除(改造して後付けすることは可能)。 ]

333 :ナイコンさん:2006/06/04(日) 20:22:44 .net
■ MSXturboR ■
1990年に、Z80とのCPU命令の互換性を保ちつつ乗算等の命令を追加した、
アスキー独自の16ビットRISCプロセッサ、R800 をCPUとして搭載した、「MSX turboR」(エムエスエックス・ターボ・アール)が発表された。
turboRのRは、RISCに由来する。

CPU アスキーR800(クロック周波数は28MHz)
VDP MSX2+準拠
メインメモリ 256KB〜 (キロバイト)
サウンド MSX1準拠+ヤマハYM2413

松下電器 FS-A1ST,FS-A1GT

これでMSXの市場はほぼ終焉したものの、後に残されたMSXの専門誌は形態を変えてしばらくは細々と発刊を続けた。
また、ユーザーによるハード製作などの活動が、活発に行われるようになった。
その後、1995年をもって全てのMSX規格対応コンピュータは生産を終了した。

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