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【コロナ脳立ち入り禁止!】コロナは茶番劇だった2
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/01/25(月) 09:20:13.89 ID:HwDJoSiC.net
- 戦時中「竹槍ではB29を落とせない」と言った
空気を読まない人はどうなったのか?
鈴木博毅
経済・政治 「超」入門 空気の研究
2019.1.15 4:50
戦時中、日本では竹槍でアメリカの爆撃機B29を落とそうとする訓練が行われていたという。物理的に考えれば届くはずがないのに、多くの人はこの竹槍訓練を行っていた。勇気ある人が「B29には届かない」と言ったとき、その人は一体どうなったのか。日本国民の多くが竹槍で戦う「空気」に縛られたとき、そこに「水を差す」人に対する恐るべき対応とは?
https://diamond.jp/articles/-/189929?display=b
勇気ある一人の人が「それはB29にとどかない」と言ったと山本氏は述べています。
「それはB29に届かない」との指摘は、現実を土台とした前提という意味でまさに「水」です。現実的な前提である「水」を差されたとき、戦時中の日本ではどうなったか。
そのような指摘をする者を“非国民”だと糾弾し、物理的な現実を無視させ続けたのです。
ウソを集団に共有させて、現実を指摘した者を、弾圧するか村八分にして孤立させる。虚構の共有は、舞台のような芸術分野であれば、趣味趣向として意味を持ちます。しかし高度1万メートルを飛ぶ爆撃機は、人間を殺す爆弾の雨を降らせます。
にもかかわらず、共同体の情況(物の見方)に現実を投げかけた者を“非国民”と呼びました。物理的に間違っていることを認めたら、虚構がすべて崩壊してしまうからです。
「おまえは非国民だ!」の指摘にはもう一つの構造があります。物理的な問題を、感情や心情的な問題にすり替えていることです。
こんなにみんなが努力しているのに、お前はそれを笑うのか、という非難は、いつの間にか、物理的な問題を心情的な問題にすり替えていることがわかります。物理的な視点ではウソがつけないため、集団の情況や心情を持ち出してくるのです。
また、日本人が好む「人の努力は常に尊い」という発想にも危険があります。人の努力が尊いとは、正しいことをしている場合に限って言えるはずです。間違った努力を継続すれば、本人も周囲も社会全体も不幸にするだけです。
間違いを訂正させないため、物理的な問題を心情的な問題にすり替えて、計測不能にする。この詐術は現代の日本社会でも、頻繁に見られる大衆誘導の手法です。
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