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埼玉でカブクワ採れる場所は?★6

1 ::||‐ 〜 さん:2017/07/04(火) 09:48:27.21 ID:Wu8tw8gB.net
仲良く使ってね

前スレ
埼玉でカブクワ採れる場所は?★5 [無断転載禁止]©2ch.net
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177 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:30:32.08 ID:tNvryKxA.net
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178 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:30:46.28 ID:tNvryKxA.net
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179 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:31:01.99 ID:tNvryKxA.net
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180 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:31:19.23 ID:tNvryKxA.net
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181 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:31:43.98 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

182 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:32:00.30 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

183 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:32:16.64 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

184 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:32:32.18 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

185 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:33:05.98 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

186 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:33:29.61 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

187 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:33:46.52 ID:tNvryKxA.net
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188 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:34:02.73 ID:tNvryKxA.net
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189 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:34:18.65 ID:tNvryKxA.net
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190 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:34:36.44 ID:tNvryKxA.net
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191 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:35:03.06 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

192 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:35:22.87 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

193 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:35:54.94 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

194 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:36:12.57 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

195 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:36:28.98 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

196 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:37:24.12 ID:tNvryKxA.net
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197 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:37:39.63 ID:tNvryKxA.net
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198 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:38:00.02 ID:tNvryKxA.net
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199 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:38:13.62 ID:tNvryKxA.net
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200 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:38:29.65 ID:tNvryKxA.net
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201 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:38:55.23 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

202 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:39:10.47 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

203 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:39:25.07 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

204 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:39:40.61 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

205 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:39:58.35 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

206 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:40:40.92 ID:tNvryKxA.net
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207 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:40:57.61 ID:tNvryKxA.net
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210 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:41:47.24 ID:tNvryKxA.net
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211 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:42:13.85 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

212 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:42:30.60 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

213 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:42:46.84 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

214 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:43:02.70 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

215 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:43:35.92 ID:tNvryKxA.net
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216 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:43:58.62 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

217 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:44:13.79 ID:tNvryKxA.net
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218 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:44:28.38 ID:tNvryKxA.net
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219 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:44:43.56 ID:tNvryKxA.net
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220 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:44:59.57 ID:tNvryKxA.net
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221 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:45:22.73 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

222 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:53:07.88 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

223 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:53:24.14 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

224 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:53:38.91 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

225 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:53:55.91 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

226 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 18:54:21.02 ID:tNvryKxA.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

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