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埼玉でカブクワ採れる場所は?★6

100 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:22:20.82 ID:kEZAr/CV.net
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101 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:22:40.86 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

102 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:23:22.97 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

103 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:23:42.56 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

104 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:23:58.29 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

105 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:24:54.24 ID:kEZAr/CV.net
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106 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:25:10.20 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

107 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:25:43.09 ID:kEZAr/CV.net
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108 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:26:00.19 ID:kEZAr/CV.net
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109 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:26:16.37 ID:kEZAr/CV.net
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110 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:26:32.94 ID:kEZAr/CV.net
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111 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:27:01.44 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

112 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:27:44.98 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

113 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:28:02.18 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

114 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:28:16.95 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

115 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:28:33.82 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

116 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:29:25.05 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

117 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:29:43.34 ID:kEZAr/CV.net
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118 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:29:59.28 ID:kEZAr/CV.net
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119 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:30:15.63 ID:kEZAr/CV.net
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120 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:30:32.01 ID:kEZAr/CV.net
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121 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:31:06.57 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

122 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:31:39.13 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

123 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:31:57.00 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

124 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:32:12.43 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

125 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:32:48.06 ID:kEZAr/CV.net
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126 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:33:17.61 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

127 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:33:35.13 ID:kEZAr/CV.net
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128 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:33:50.03 ID:kEZAr/CV.net
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129 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:34:05.67 ID:kEZAr/CV.net
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130 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:34:21.25 ID:kEZAr/CV.net
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131 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:34:56.12 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

132 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:35:28.85 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

133 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:35:46.37 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

134 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:36:04.98 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

135 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:36:23.43 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

136 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:36:51.64 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

137 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:37:08.25 ID:kEZAr/CV.net
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138 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:37:21.89 ID:kEZAr/CV.net
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139 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:37:38.85 ID:kEZAr/CV.net
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140 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:37:52.57 ID:kEZAr/CV.net
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141 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:38:55.94 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

142 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:39:14.08 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

143 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:39:29.63 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

144 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:39:44.77 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

145 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:40:18.10 ID:kEZAr/CV.net
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146 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:40:48.18 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

147 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:41:02.85 ID:kEZAr/CV.net
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148 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:41:18.05 ID:kEZAr/CV.net
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149 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:41:31.40 ID:kEZAr/CV.net
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150 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:41:46.28 ID:kEZAr/CV.net
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151 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:42:21.70 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

152 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:42:54.46 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

153 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:43:09.66 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

154 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:43:25.55 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

155 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:43:42.40 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

156 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:44:10.14 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

157 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:44:26.47 ID:kEZAr/CV.net
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158 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:44:41.74 ID:kEZAr/CV.net
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159 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:44:59.05 ID:kEZAr/CV.net
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160 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:45:16.33 ID:kEZAr/CV.net
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161 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:45:42.77 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

162 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:46:14.89 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

163 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:46:29.95 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

164 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:46:44.88 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

165 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:47:20.85 ID:kEZAr/CV.net
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166 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:47:48.14 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

167 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:48:03.20 ID:kEZAr/CV.net
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168 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:48:19.22 ID:kEZAr/CV.net
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169 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:48:35.00 ID:kEZAr/CV.net
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170 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:48:49.99 ID:kEZAr/CV.net
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171 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:50:19.87 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

172 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:50:35.64 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

173 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:50:51.05 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

174 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:51:20.69 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

175 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:51:36.87 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

176 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:52:05.25 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

177 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:52:19.88 ID:kEZAr/CV.net
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178 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:53:26.72 ID:kEZAr/CV.net
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179 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:53:41.80 ID:kEZAr/CV.net
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180 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:53:57.79 ID:kEZAr/CV.net
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181 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:54:29.15 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

182 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:54:46.58 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

183 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:55:02.42 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

184 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:55:17.02 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

185 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:55:33.49 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

186 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:55:59.02 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

187 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:56:13.41 ID:kEZAr/CV.net
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188 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:56:28.00 ID:kEZAr/CV.net
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189 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:56:44.10 ID:kEZAr/CV.net
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190 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:57:00.00 ID:kEZAr/CV.net
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191 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:57:25.26 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

192 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:57:41.06 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

193 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:57:57.72 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

194 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:58:40.98 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

195 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:58:56.88 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

196 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:59:24.30 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

197 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:59:37.97 ID:kEZAr/CV.net
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198 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 14:59:54.00 ID:kEZAr/CV.net
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199 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:00:08.86 ID:kEZAr/CV.net
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200 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:00:25.19 ID:kEZAr/CV.net
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201 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:01:39.51 ID:kEZAr/CV.net
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202 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:01:54.40 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

203 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:02:32.27 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

204 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:02:50.49 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

205 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:03:06.26 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

206 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:03:34.34 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

207 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:03:49.96 ID:kEZAr/CV.net
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208 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:04:04.53 ID:kEZAr/CV.net
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209 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:04:20.61 ID:kEZAr/CV.net
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210 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:04:36.72 ID:kEZAr/CV.net
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211 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:05:02.17 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

212 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:05:17.75 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

213 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:05:33.41 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

214 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:05:48.32 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

215 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:06:03.03 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

216 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:06:28.04 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

217 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:06:58.23 ID:kEZAr/CV.net
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218 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:07:12.63 ID:kEZAr/CV.net
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219 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:07:29.65 ID:kEZAr/CV.net
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220 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:07:43.17 ID:kEZAr/CV.net
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221 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:08:08.50 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

222 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:08:24.14 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

223 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:09:34.99 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

224 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:09:49.28 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

225 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:10:07.61 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

226 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:10:52.38 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

227 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:11:10.95 ID:kEZAr/CV.net
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228 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:11:27.41 ID:kEZAr/CV.net
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229 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:11:42.34 ID:kEZAr/CV.net
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230 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:11:57.40 ID:kEZAr/CV.net
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231 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:12:21.83 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

232 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:12:37.05 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

233 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:13:23.14 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

234 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:13:40.44 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

235 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:13:56.18 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

236 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:14:20.59 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

237 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:14:35.07 ID:kEZAr/CV.net
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238 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:14:51.37 ID:kEZAr/CV.net
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239 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:15:25.43 ID:kEZAr/CV.net
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241 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:16:08.68 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

242 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:16:24.45 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

243 ::||‐ 〜 さん:2018/06/22(金) 15:16:41.77 ID:kEZAr/CV.net
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

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