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山田浅(朝)右衛門好きな人

1 :人斬り山ピー:2012/06/25(月) 02:24:13.42 ID:8PZAyqmz.net
御様御用(試し斬り)の名人と言われた山田浅右衛門好きな人いる??
山田さんが実際試した刀持ってる人、彼が試した刀に関係する不思議な(怖い)体験した人、試し斬りした刀以外興味無いって人はどしどし語り合っちゃってくらはい!!
 

それじゃ始めーーーーー!!!!!!!!


51 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/04(水) 04:39:23.84 ID:Z5y86X50.net
49だけど遠慮したい
仮に刀を持つなら現代の刀匠に発注したいな

52 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/04(水) 07:26:13.41 ID:B+BRw9LR.net
現代刀匠のも重ねが厚く重く切れそうなのあるものね。


53 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/05(木) 00:28:27.88 ID:ygeR4IYM.net
長さ74センチ以上 元幅3.2以上 先幅2.4以上 重ね8ミリ以上
重さ1000g以上

すえもの切りによさそうなのは、こんな感じでしょう。
でも居合い兼用だと
これより少し軽くて短いのがよさそうです。

54 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/06(金) 00:57:18.46 ID:QtfQMvMg.net
>>36 
山田浅右衛門は代々それ専門で約200年近く
その間にいろいろ研究したんだろう
専用柄もそのなかで出来たものだし
そういうこともあるのかもね

55 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/08(日) 00:39:00.82 ID:QemzfHs5.net
http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/wazamono.htm
二枚の板を合わせて片端を鋲で止め、扇子のように開くようにしてあります。開いた状態で茎(なかご)を入れ、閉じて2個の鉄の環を通して固定します。
数個空けてある目釘穴に茎(なかご)の目釘穴を合わせて鉄の目釘を入れて固定します。刀身がぐらつく時は柄とのすき間にクサビを打ち込んで固定します。
とあり、ハバキをはずせばいろんな刀が取替え自由で便利。それでいろいろ古今東西の名刀を試したのかも


56 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/08(日) 01:22:02.58 ID:QemzfHs5.net
ただ7代目山田浅右衛門も持っていたという刀はでかくてハバキなく
目抜き穴は2つだが刷り上げて元の位置がずれて増えたのじゃなく
最初からナカゴの下隅に止めるために空けてあり
白鞘柄の下の部分にも目抜き穴があり2箇所止めで鉄の輪はないけど釘であちこち止めてあるし
専用柄でないにしろ30センチほどあり雰囲気は似ている。
所有者が某藩士で試し切りはないと思うけど斬首とか胴切り向きな刀だとすればガテンが行く。



57 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/08(日) 09:19:20.31 ID:Mn7yH2di.net
>>55
試し柄(斬り柄とも)ですね。江戸期のものは図版でしか見たことありません。
大正〜昭和初期の試し柄は現物を見たことがあります。中山博道翁の遺愛品との話でしたが、真偽はわかりません。
軍刀試しが盛んでしたから、案外骨董屋に転がってるかも。

宮入昭平師が鍛冶押しして急刃をつけた刀で試し斬りしている写真がありました。布を巻いただけか分かりませんが、たぶん試し柄。
まだ宮入さんのところにあるかも知れません。

>>56
茎尻近くの目釘孔を忍び孔と呼んでます。目釘二本で耐久性を狙ってます。
幕末の刀は中茎が長いので、薙刀や槍の2つ孔辺りと似た感覚でしょう。
大抵お飾りなんですが、幕末の拵えに目釘孔がちゃんと2つあいているものがたまにあります。
ここ1、2年で刀屋で売りに出ていたものだと、柴Tにありました。加藤綱俊、是俊合作のいかにも重そうな刀の当時の拵えにあいてました。
大丸で見たから、正月か夏の催事のカタログ「現存の優品」に載ってると思います。刃にふくれ破れがあったのが惜しい刀でした。

58 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 03:15:45.01 ID:btrbPpLF.net
よく人斬った刀持ってると毎日悪夢見る、血まみれの武士の幽霊が出たとか家に不幸続いたなんて聞くけど、本当にそんな事あんのかな?
実戦で使われた可能性の高い古刀や軍刀は所有しないほうが良いなんて本気で言ってる人いるけど、なんか嘘くさい・・・。
それじゃ日本刀趣味にしてる人はほとんどが霊体験や不幸せになるんかいな(笑
 家にも棟に刀疵のある軍刀あるが、別に何とも無いけどな。
 単に人斬ってないだけか?(笑
 
 これ系の話とは逆に古刀を枕元に置いて寝ると夢見が良いってのは本当っぽいが。


59 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 03:46:17.98 ID:M8UMX2Jg.net
実戦に使われた刀で残ってるのは少数なんじゃない?
大半は消耗品として作られ、予定通り損耗していったと思う

60 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 06:40:18.17 ID:xrrIggin.net
ある種の霊感の強い人がたまたま超やばい刀に遭遇したとかw
粗末にせず大事に保管すればむしろお守りになるかもね。
ただ軍刀だとそれを所有していた爺さんの思いや
切られた人の念とかそうゆうのがどうしても気になる人は
現代刀の未使用なのがいいかも。
でも室町時代なんかのだとたいがい誉傷とかあって普通だから
それが逆に時代を経てきた証みたいなもんで
それはそれでよさげ。

61 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 07:04:14.67 ID:xrrIggin.net
山田浅右衛門の専用柄なんか特別クラスなのかも
よく昔の処刑場(首切り場)の土地は出るとかゆうし
以前住んでた近くにそうゆうがあり、たしかにくぐもったような変な雰囲気
2ノ切りの池とか地名だけでも怖い

62 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 10:35:45.16 ID:btrbPpLF.net
こういう事ってさ、やっぱりそっち系と波長の合う合わないなんじゃない??
どんなに悲惨な事に使われた刀でも何ともない人には影響無くて、感じる人には近寄るのも無理とか。
自分なんか以前刑場跡に行った時もなんとも無かったな。 むしろ凄い歴史感じてしまった。
枕元に古刀がどうのって話あったから、昨夜軍刀(我が家にはこれ1振りしかないんで)枕元に置いて寝てみたが、なんか部屋の空気が妙にいつもと違い不思議な安堵感に包まれた。
まぁ気のせいだと思うが。

63 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 10:43:04.17 ID:btrbPpLF.net
怖い話じゃないけど、女性って本能的に刀みたいな鋭利で大振りな刃物嫌うらしいよね。
家でも家族の女連中は、自分が以前クレーやりたいから散弾銃の許可取るって言った時はカッコイイだなんだ言って大賛成したのに日本刀は絶対嫌だって言うんだよね。
結局銃は乱射事件とか続いた影響で所持続けんのがメンドくなって辞めて刀買ったが(笑
もちろん刀持ってる事は未だに家族には内緒。

64 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 10:45:01.30 ID:w0nChJDH.net
>>61
処刑場や墓場は湿地とか住むに適さない場所に作られるからな。

空気が悪いんだよ。

65 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/10(火) 23:04:07.29 ID:M8UMX2Jg.net
実戦に使われた刀がオカルトちっくな意味で危ないなら、実戦使用された戦闘車両や軍艦、軍用機で現存してるやつも危ない筈
でも博物館に‘出た’という話を聞いたことがない

66 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/11(水) 00:56:19.48 ID:IdFc7J0N.net
そりゃあ、日本に軍事専門の博物館は無いからね

67 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/11(水) 01:55:45.14 ID:Obo+KOCP.net
山田浅右衛門の写真?か像かで
刀差しているがそれは標準装備フォーマル用で
斬首用は別の重くてでかい専用のだと思う
まあそんな達人なら差しているそれでも切れただろうけど覗き小竜とか
普通自分用の刀は消耗したくないし、くすりで儲けてたなら
消耗してもいい仕事場専用刀を別に用意してた希ガス

68 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/11(水) 02:14:50.04 ID:Obo+KOCP.net
>>62
枕刀が短刀なら葬式に死体の枕元に置く風習のことで
あんまり縁起が良い感じはしないけどw
>>64
本当に出る出ないは別にしてなんか空気が違うのはある。
それで噂は絶えない。


69 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/11(水) 12:57:16.33 ID:hP/D2v7r.net
>>62
波長があえばお守りにもなりうるのかもね。
一人暮らしで病気になり入院してた爺さま
気になるのは自宅に置いてきた猫と軍刀だったそうな。
よく戦時中の大変だった話をしてもらったのを思い出した。
介護関係の人が家に行くと猫は留守中かわいそうに死んでしまっていた。
大事に保存してくださいね。

70 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/11(水) 20:49:18.56 ID:BNgO4qTq.net
オカ板っぽいな。
人の血を間違いなく吸った刀が何振か家に伝わって手元にあるけど、特に何もない。金象篏試し銘の刀はその日に線香炊いてる。

>>67
あの写真は明治になってから公開処刑に臨む写真。首斬り朝の絵はこれがモデルだと思う。中身は兼元。
よく斬首に使っていたのは固山宗次と泰龍斎宗寛。無銘の刀を使っていた、なんて話を聞いたことあるけど、山田家と別の話だと思う。

覗き竜景光はお得意先の井伊家と仲違いして困っていたから、刀屋から買って献上という形でご機嫌伺い。
井伊家では扱う刀を本阿弥家と山田家に意見を求めてた。傷あるも宜しく候、傷に油を塗り候(傷位置を示すために)。といった具合。
やり取りは彦根城博物館の研究紀要で翻訳されてる。絶版だから国会図書館を使うか滋賀県立図書館へ行く事になる。古本には出てこない。
ともあれ井伊家は大喜びで、金子を下賜するだけでなく家臣にするという話になった。困って、では息子をと約束。
ところが桜田門外の変が起きて家臣の話はご破算。これまた上手く逃げきった。

これらは福永先生の首斬り浅右衛門押し形集の下巻に載ってるんだけど、貸し出し中だから間違ってたら訂正する。

71 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 00:00:40.32 ID:FFSxCh57.net
人を斬った刀でも、どんな状況で斬ったかにより、意味は全然違うんじゃないか?
持ち主が襲われたところ、その剣で敵を返り討ちにして助かったなんて状況なら、むしろ名刀として名を残しそうだ
幕末の剣豪、上田馬之助は正当防衛が認められた戦いで襲ってきた相手を斬ってる(刀の銘は不明)

72 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 00:13:00.68 ID:exRgRgbM.net
う〜んなんだ〜

73 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 00:19:09.56 ID:1RnpHP5J.net
死んだ罪人で試した刀ならまだ良いけど、生き試しだったら嫌だな・・・。
70>>以前テレビで人の血吸った刀を集めてるマニア見た事あるが、もしオカルトっぽい事が本当にあるならああいう趣味の人はとっくに死んでるか悲惨な目に遭ってなきゃおかしいよね(笑
    でも試しの日が分かるならその日に線香つけるのは供養になって良さそう。

74 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 00:24:07.00 ID:exRgRgbM.net
昔話にゃ動物の祟りとかもあるが、それが本当だったら食肉工場とかの屠殺場なんか物凄い事になっとるぢゃろw

75 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 01:02:29.03 ID:1RnpHP5J.net
74>>そういや屠殺業やってる人ってロクな死に方しないとか奇形の子供産まれやすいとか聞いたがそんな事あんのかな。
  でも屠殺場も独特の雰囲気ありそう。
  行った事ある人に聞いたがとりあえずニオイは凄いらしい。

76 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 06:06:42.29 ID:3u0ti4L3.net
>>73
江戸期の試しは寛永から延宝頃の山野永久、久英親子、江戸後期から明治迄の山田家がそれぞれピーク。
山田家文書が国会図書館と静嘉堂に残ってるから死罪人の試し方法が判明してる。重ね試しは三ツ胴迄で据え方は奥伝。四ツ胴はない。
三ツ胴は二ツ胴の上に横向きで固定する。わざわざ横に寝かせて高さを最後に確保する辺りから、四ツ胴以上は偽試しだと思う。
虎徹の四ツ胴が東京国立博物館にあるけど、どうも金象篏銘が胡散臭い。山野永久にあんな篆書体の銘は他にない。
で、肝心の生き試しについては山野永久の時代にはあった模様。歩き袈裟(歩かせて斬る)と言った用語だけは残ってる。
永久は寛文七年に70で死ぬけど、その前年辺りから試しの供養にお寺へ寄付している。浅草の先、三ノ輪に永久寺がある。

実戦で人とやり合った武器だと刀ではなく、天草の乱までの槍が一番血を浴びてるはず。
斬りこみ傷だらけで、戦場で適当に荒砥で研いだと見られる、鎬筋が分からない位変形した笹穂槍を預かった事がある。
武家屋敷を解体したら天上裏から柄鞘付きで出てきた。詳しい奴という事で頼まれて、警察で発見届け。柄は抜けないから切った。
審査日迄に錆身を何とかせにゃ、と耐水ペーパーで2000番まで仕上げて内曇刃砥で刃を確認してから研師に持って行って地の窓開け。
銘は兼○。朽ちてて兼しか分からなかった。時代はケラ首から室町後期。笹穂槍。板目肌、直刃、刃長38センチ。誉れ傷多数あり。
屋敷の持ち主と相談して、研ぎ直さず白鞘頼んで終わり。先端はこんもり肉がついてた。表に出てこないこんな刀槍はまだあるんじゃないの?

77 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 08:21:32.06 ID:3u0ti4L3.net
>>71
祟り祟られか。思い出した。人を斬った刀で大人気になった刀がある。田沼意次の長男、意友を江戸城内で斬った一竿子忠綱。
佐野政言による刃傷事件を見ていた2人の幕閣は一部始終を見ていて、意友に致命傷を与えたと判断するや否や取り押さえた。
要はこの2人も田沼意次に不信感を抱いていた。刃傷事件以降、田沼家に不幸が続き、意次は失脚。
田沼失脚と並行して江戸の米価が下がったため、切腹した佐野政言は一躍大人気。この話を聞いたことある人は多いと思う。
今、その一竿子忠綱の脇差を誰が持ってるか分からないけど、持ち主が祟られる事はないと思う。

78 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 09:01:08.52 ID:FFSxCh57.net
ちなみに上田馬之助の戦いの件だが、江戸市中の料亭の二階で食事中、子連れの町人に絡んでいる複数の侍を見た馬之助が仲裁に入った
当時から馬之助は高名で居合わせた客が、さすがは上田馬之助だと言ってるのを聞いた侍達が逆恨みして、食事を終えて降りようとした馬之助に階段の所で斬りかかり、それを馬之助は返り討ちにした
状況から正当防衛が成立し、馬之助にはおとがめなし

79 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 09:24:30.17 ID:BYuxS7GD.net
八年前から二つ銅試した金像篏入りの古刀持ってるが何も起きてないよ。
幽霊出るなら是非見てみたいもんだがw

80 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 09:57:32.33 ID:aclE7gvn.net
>波長があえばお守りにもなりうるのかもね。
そう、見ず知らずの霊に四六時中傍らで守られても平気なんだ。強いんだね

81 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 10:09:33.95 ID:QZQ/UNtz.net
46だけど首の痛いのは低い位置で刃を止めようとしたからだった。
薩摩示現流が低い位置に丸太を横に置き、上から長い木刀で打ち込む練習してたが
丸太の低い位置をヒットポイント、そこから地面までの短い距離をフォロスルー
なんにも置いてないので(置いていれば刃はそこで止まるが)
つっかえがなく急ブレーキ踏むようで首にきたということで霊とは関係ありませんでした。
軍刀術みたいに高い位置から上段で水月へ振りぬくフォロースルーだと痛くありません。
皆さんすいませんでした。





82 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 10:48:54.08 ID:QZQ/UNtz.net
参考
http://pds.exblog.jp/pds/1/200608/11/30/b0087930_18145850.jpg
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage430.html

83 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 14:56:21.72 ID:QZQ/UNtz.net
>>70
山田浅右衛門の写真の差している兼元って
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%85%AD%E5%85%BC%E5%85%83
(棟の重ねが薄く2尺3寸前後)三島由紀夫の孫六2尺2寸と同じでしょうか?

それと別に斬首のとき多く使用した刀は固山宗次と泰龍斎宗寛
(重ねが厚く2尺4寸はありそう)ということですか。

84 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 18:30:12.09 ID:wmiFno8v.net
なんか結構盛り上がってるね。色々興味深いお話してくれる人もいて見てておもしろい。
上田馬之助カッコよすぎです・・・。リアルでその返り討ちのシーン見てみたい。

80>>守ってもらえるなら良いんでない??

85 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 21:21:47.82 ID:3u0ti4L3.net
>>83
三島由紀夫の兼元じゃないよ。断言する。
あの兼元はかなり研ぎ減っていて、切腹と介錯の作法を教えて貰った際、この兼元はやせてるから使うな、と言われた物。
20年位前に作家と教えた武術家の対談が月刊小説誌に掲載されてた。文藝春秋だったかな?
三島は大きな過ちを2つ犯した。まず介錯で使う刀。兼元にこだわってぐにゃぐにゃに曲げてしまった。
次は介錯するタイミング。首が顎を引いて硬直して縮こまってる状態で振り下ろさせてしまった。だから刀が顎に入った。
一瞬棟を首筋に当てて、わざと硬直させる。しばらくすると首筋が緩んで伸びるからそこを斬る。教わったのに実践出来なかった。

誰が言ってたか失念したけど、切腹の前からドンチャン騒ぎしてた時点で切腹は失敗だったと言ってたな。
江戸時代は斬り役も切腹する側も平常心を保つべく、前日から心静かに過ごすのが掟だったそうな。確かにそうかもね。特に斬り役は責任重大だ。

山田家の刀については仕事柄?用が足せる刀を特に選んでる。金もあるから珍品の太刀銘の虎徹とかね。だから兼元の中でも至極健全な物だと思う。
山田家は諸侯の蔵刀から差料に相応しい刀を選んではアドバイスしていた。疲れあり不宜候、と書かれた古刀は結構あるよ。

首斬り御用の際の刀は分からない。宗次にしても宗寛にしても、実用本意の作刀だから、特に重くといった注文はなかったんじゃないかな?
しかも首斬りや試しを諸潘から学び(派遣)に来る侍に門弟として教授していたから、あくまで技本意だったんじゃないかな。
更に、わざわざ諸潘で門弟に首斬り専用刀を用意したかどうか。用意したなら注文含め記録に残ってると思うけど聞かない。
また、幕府お試し御用では色々な刀が出てくる。そんな刀に応じるには、首斬りにおいても技を重視していたんだと思う。

確か大江戸死体考にもあったけど、川越で罪人を処刑するのに山田家門弟が出張してる。それ位平和な時代が続いた、と言うべきなのかもね。

86 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 22:29:47.66 ID:QZQ/UNtz.net
>>85 仮に兼元だとして
古刀最上作にして最上大業物だから標準装備?には最高
2尺3寸(三島氏のは2尺2寸5分)約69センチで重ね薄めイザというとき抜き打ちが早い
刀身重量は900gぐらいかな
http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次はこの例だと長い77.5センチ 他の作刀で重ね8ミリなんてザラだから
特に重くといった注文はなくても実際刀身重量1500gぐらいあるんじゃない
(うちのもそのくらいのサイズ)
斬首の技も達人だけど
フォーマルも仕事用も最高クラスのを目的に応じてをよく選んでいるんじゃないの




87 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/12(木) 22:43:56.99 ID:ejBsdVhd.net
このブログ見たらいいけど、首斬り「山田浅右衛門」の回想  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d0b1.html この記録は、「報知新聞」に1908(明治41)年7 月連載された。
現在だと明治百話にのってる
首斬りの時に宗次、義次、宗寛の刀を使用してるし、兼元についても語ってるよ  
古今鍛冶備考はここで全部よめるし落とせる http://books.google.co.jp/books?id=gkneI2v2KR4C&dq=editions%3AKEIO10812564251&hl=ja&source=gbs_book_other_versions
鋏と刀鍛冶http://www.frkw.com/index055-2.html
キャッシュでみると画像が見れるhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:-eeTxpS0rUMJ:www.frkw.com/index055-2.html+%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E3%80%80%E3%80%80%E9%8B%8F&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
義国が子供のころ浅右衛門宅(首切り)に泊まった時にボタボタという音で夜半目をさました。これが幽霊の足音かと思うとそれっ
きり眠れなかった。夜が明けて雨戸を開けると軒端に吊るされた袋からどす黒い血がしたたり落ちていた。袋に入っていたのは人
の肝だったそうです。(義国の師匠固山宗次と浅右衛門が懇意にしていた。)

両方共ファイルサイズでかくてゴメンね
高橋長信作 山田吉利の愛刀かなhttp://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3079.jpg 
大久保一翁と浅右衛門の手紙のやり取り
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3081.jpg
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3082.jpg



山田浅右衛門で関連する本でこれ読んどけよって本があれば教えて

88 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/13(金) 00:29:55.66 ID:XYadHGn+.net
>>87 
以外と長さは70センチ弱くらいので斬首していたのですね。
(うちのデカイのは何用なんだろう)
お詳しいので恐れ入りました。
半年ROMっときます。

89 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/13(金) 03:52:25.95 ID:gAkdNVnX.net
ぽたぽたという音で起きてしまいました。強烈な豪雨。雨垂れですね。

>>87
おお、乙です。解説が楽になりました。刀の重さや長さをどう文章で説明しようか悩んでたから助かりました。
>>87
刀について理解してくれてありがとう。実はいつも聞かれる話です。酒飲みながら解説してると数時間軽く流れるレベル。
朝右衛門の注文打ちは常寸のごく普通の刀だ、と言っても理解しない人はいつまでも理解出来ない場合が多い。
三島由紀夫の兼元は重量と寸法から抜き打ちに良いだのの話ではない。芯鉄でる寸前の痩せた刀だったんだよ。

全部精査してないけど、ブログの元ネタは福永酔剣先生の「首斬り浅右衛門押し形集」。原文まんまの箇所がかなりある
上下巻で二冊。歴史好きは必読。売りに出てたら手にいれるべし。大抵買いたい時に見つからないから。
大江戸死体考ほか、江戸後期の武家風習を扱っている書籍の基本骨格を成しているのがこの本と言っても過言ではない。
ほとんど転載の記事をたまに見るけど仕方ないと思うよ。明治百話含め、当時の資料の元ネタは決して多くないから。

ちなみに結構高い。上下巻揃いで4万以下なら買う価値がある。ネット検索が得意な方には無用なアドバイスですね。
高いからといって、バラで探すと特に下巻が出てこない。作家が幕末物の参考書に使ってるんだよ。
上巻は試しの歴史と流儀を書いている。下巻は山田家文書をベースに当時の武家風俗と跡継ぎ騒動を書いてる。

下巻で季節毎、行事毎の進物のやり取り辺りを読むと身近な空気を感じる。鰹節に難癖つけられたり、前例にての一言で通ったり。
私の下巻は時代劇好きに貸出しているんだけど、まだ返って来そうにない。同じ土俵で話出来れば楽しいから構わないんですが。

この上下巻は名著です。試し斬り云々だけじゃなく、幕末のリアルな人間関係を堪能出来ます。まずは読んでみてください。

90 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/13(金) 18:16:17.12 ID:TZNvYtk4.net
>>76さんが言ってる虎徹はこれですよね 
東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0085877 長曽祢虎徹入道興里/(金象嵌銘)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ截断 于時寛文五年二月廿五日 

三島由紀夫さんに兼元を贈った舩坂弘さんの経歴がすごいよね

http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/12nihontou12.html
首を落とすときの心得として,首筋に目を止めて斬ったら必ず仕損じる,顎と肩との隙間に刀を打ち込む様に喉の方に狙いを付けて斬れば間違いは無い,これが極意である。
そすれば,たとえ初心者であっても滅多に斬り損じるものでは無い,と秘伝書は云う。(懐宝剣尺)。
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/11nihontou11.html

>>85
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/ooedo.htmlこのサイトで川越藩据物師・浅右衛門の弟子長畑親子について詳しく書いてくれてる
しかし川越藩はケチで脱獄を許すわでいいとこなしだね

歳三の愛刀伝承によると、会津候からの拝領刀http://hobby.life.coocan.jp/bkmts/yamada2.htm
表銘:以南蛮鉄於武州江戸越前康継
裏銘:安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払 山田佐吉試之
同年十一月廿三日於千住太々土壇払 山田吉豊試之
会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日http://www.samurai-nippon.net/V-721/
同じ年月の刀だけどこう言うのも会津藩から依頼されて試すんだろうか


東京国立博物館 固山宗次の蜻蛉切写し于時弘化四年丁未年八月_同年十月三日於千住眉間数多突通返良突手山田吉利
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0095275
古砥かな


91 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/13(金) 21:22:36.16 ID:gAkdNVnX.net
出張帰路で携帯から打ってるので、足りない情報、誤りがあれば帰宅後に補足します。

>>90
>>76さんが言ってる虎徹はこれですよね 
> 東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0085877 長曽祢虎徹入道興里/(金象嵌銘)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ截断 于時寛文五年二月廿五日 

これですね。当時、金象篏銘を入れていたのは吉岡因幡介家だと思われます。本阿弥で金象篏銘を頼む先は吉岡因幡介家でした。
山野家の金象篏試し銘は、終止一貫して特徴ある太めの書体です。その中でこの銘だけが浮いてます。
金象篏銘は茎に入れる性質上、年数経つと下の錆に押し上げられて抜ける箇所が大抵数ヶ所あります。
好例を挙げれば、会津藩主の枕刀だった三善長道の三ツ胴銘(山野久英)はかなり抜けてます。

全く抜けてない金象篏試し銘は大抵後から補修されてます。元の金は鉄錆との年月の馴染みで新たな金とは違う味わいがあります。
ところが、尋常の書体ではなく、象篏抜けもなく、補修跡も見えないのに、刀身は結構減って見えます。
しかも後彫りで腰樋があります。虎徹は小さな樋でも彫りがあれば「彫同作」と銘に入れるのが常。
象篏の抜けがないよう茎を柄に入れず管理していたのでは?という意見もあります。
ですが、例がない篆書体、刀身の減り(現物は肌が結構荒れてます)と後樋を見ると、一意見として疑いの余地もありじゃないかと。
確たる文献がないから推測の域を越えませんが、山野家の流れをくむ山田家で三ツ胴が奥伝となれば、疑っても良いのでは?と考えてます。

> 首を落とすときの心得として,首筋に目を止めて斬ったら必ず仕損じる,顎と肩との隙間に刀を打ち込む様に喉の方に狙いを付けて斬れば間違いは無い,これが極意である。
> そすれば,たとえ初心者であっても滅多に斬り損じるものでは無い,と秘伝書は云う。(懐宝剣尺)。

だから首筋が硬直していない状況で斬らないといけないんです。首筋が伸びていれば顎と肩の間で肩寄りになる喉を狙いやすくなります。
棟を首筋にまず当てて見当をつけつつ、最高に硬直した状態を産み出し、徐々に力が抜けてくる頃合いを見て斬ります。
首筋に棟を当てられたら、これから斬られると分かっていても強張りますよね。ヒヤリとした感触。昔の人はよくよく考えてます。

>>85
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/ooedo.htmlこのサイトで川越藩据物師・浅右衛門の弟子長畑親子について詳しく書いてくれてる
> しかし川越藩はケチで脱獄を許すわでいいとこなしだね

この出張旅費から返礼の金子等、首斬り浅右衛門押し形集と大江戸死体考に書いてあります。これが元ネタなので読んでみて下さい。
各藩で切腹の作法、首斬りの作法を知らない侍ばかりで困ったから、山田家へ藩士を仕事として派遣してます。
そして公儀の据え物斬りに同席すると、我が藩の名誉であると山田家へ謝礼が送られ、山田家も返礼してました。
山田家の位置付けが見える、なかなか興味深いやり取りです。

> 歳三の愛刀伝承によると、会津候からの拝領刀http://hobby.life.coocan.jp/bkmts/yamada2.htm
> 表銘:以南蛮鉄於武州江戸越前康継
> 裏銘:安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払 山田佐吉試之
> 同年十一月廿三日於千住太々土壇払 山田吉豊試之
> 会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日http://www.samurai-nippon.net/V-721/
> 同じ年月の刀だけどこう言うのも会津藩から依頼されて試すんだろうか

間違いなく会津藩からの依頼です。元興の作刀年期は下賜にあたって約束した日時に間に合うようにした結果でしょう。
ちなみに会津藩主の枕刀の長道と、戊辰戦争の責を取って切腹した草野権兵衛所持の長道の一ツ胴試し銘の日時の間隔は、ほんの数日。
推測するに、まとめて会津藩から山野久英に試し斬りを依頼したのでしょう。
会津藩の家老クラスで一ツ胴の試しです。試しと金象篏試し銘を入れる費用が如何に高額だったか分かります。

だから時代偽の金象篏試し銘が結構あります。大抵細い線の銘なので気づきますが、精巧な物になると現物を見ないと判定出来ません。
他スレで書いたかも知れませんが、そんな試し銘を山田朝衛門が見て、疑問を投げかけてます。
山野永久の時代に今時分の試し用語を使うのか、と。

92 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/13(金) 21:24:02.03 ID:gAkdNVnX.net
続き
>>90
> 東京国立博物館 固山宗次の蜻蛉切写し于時弘化四年丁未年八月_同年十月三日於千住眉間数多突通返良突手山田吉利
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0095275
> 古砥かな

固山宗次一門と山田家は本当に親密だったのだと思います。除き竜景光の写しは2口あり、1口は磨上後。もう1口は磨上前を想像してです。
宗次は多作ですが、大名を始め、身分の高い侍の注文打ちを遺してます。この槍もそんな注文でしょう。そして大抵山田家が試して納品です。
後藤一乗とも親しかった辺りからも当時の名士だったのだと推測出来ます。山田家からの助言もあってより良い作を残せたのだと思います。

同じような関係が江戸初期にもあります。和泉守兼重一門と山野家の関係です。寛永期から年々と試し銘を入れました。
和泉守兼重の弟子と推測される虎徹、安定、法城寺正弘も兼重に倣ってか、山野家の試し銘が残ってます。
オーダーメイドのオプションに試し斬りを用意していたのか、レディメイドだったのかは分かりかねますが、当時の流行だったのは間違いないでしょう。

93 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 00:52:03.54 ID:i5EPFdLo.net
古山一門には裁断銘が多いけどライバルの
清麿一門に何故裁断銘あるの無いのだろうか。

94 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 03:32:24.86 ID:Jw83wZ7X.net
補足しつつ付け足します。
>>91の補足
会津藩主の枕刀は三善長道で、金象嵌銘 延宝三年八月十一日 参ツ胴裁断 山野勘十郎久英花押
会津若松市の市指定文化財 号「面影」
戊辰戦争で切腹した萱野権兵衛の長道は、金象嵌銘 延宝三年八月十八日 山野勘十郎久英 一ノ胴片手に而切落
長道は山野久英から秘訣(多分姿)を授かった、とあります。「会津若松市史20-2会津刀剣の美」より
7日の間に試し胴を確保した、というところでしょうか。

>>93
固山宗次にとって、清麿一門はライバルではないと考えます。清麿自身の作刀数が少なく、評価したのは窪田清音。
清麿の評価は手元の書籍を数冊を見ても、藤代義雄の紹介に依るところが大きい、と評されています。
四ッ谷正宗という表現の起源も分かりません。四ッ谷に先に住んでた宗次との飲み比べ等の逸話も同様。
一番新しい書籍だと、佐野美術館の「虎徹と清麿」という図録+解説が分かり易いです。

>清麿一門に試し銘がない。
あります。宗次一門は作刀数も多く、山田家と親しい関係だから多いのです。幕末一は間違いないです。
次に多いのは会津刀でしょう。会津は試し斬りが流行っていたため、地元の何処そこで試したという銘が多いです。

清麿自身だと有名な刀が一口あります。嘉永七年正月日の刀を安政三年に山田家が試してます。
その試し銘を切ったのは固山宗次と言われてます。
断定してる方もいますが、ここで言葉を濁すのはあまりにも清麿の偽銘が多いからです。
清麿他、新々刀を多く見て、江戸三作の研究を出した藤代義雄氏の見解についても意見が別れます。

門人の試し銘は、固山一門を除いたら江戸を中心に活動した他一門と同程度残ってます。
どの一門が何口という集計は見たことありませんから、刀剣書籍上から得られた感覚です。
手近にある新々刀大鑑を見ると、清人の作で文久二年に山田家が試した押形が掲載されてます。

95 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 06:10:14.97 ID:i5EPFdLo.net
今どこかに山田銘のはいった
新々刀で出来のよいもの売ってないですか?

96 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 16:14:39.17 ID:pTuVzSr2.net
窪田清音と山田浅右衛門は交流がありそうなんだけどね


史蹟 小塚原回向院http://tukitodora.exblog.jp/i2/15/
この山田浅右衛門の刀!
これは 明治の中ごろ 当時の山田朝右衛門が先祖供養の法要を
行った時に 回向院に奉納したものだそうです
箱書きには「山田浅右衛門の刀 頭山満」と書かれていますが
これは 一時「小塚原烈士遺墳再建会」の会長をしていた頭山が
所持していたためだそうです

>>94日本の技と美と魂に載ってるんだけど
山野永久は対馬守貞重に試刀秘伝書と鉄鍛集という刀剣の鍛錬、焼刃に関する著者を貞重に伝授していると書いてある 
長道もこの本を貰ったんじゃないかな



97 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 21:15:32.20 ID:0sYi6WkO.net
>>96
> 窪田清音と山田浅右衛門は交流がありそうなんだけどね

清音が武器百講で募った中に、山田家の門弟がいてもおかしくないですね。固山一門経由で繋がりがあっても不思議じゃありません。
面白そうな話なので気にかけてみます。

> 史蹟 小塚原回向院http://tukitodora.exblog.jp/i2/15/
> この山田浅右衛門の刀!
> これは 明治の中ごろ 当時の山田朝右衛門が先祖供養の法要を
> 行った時に 回向院に奉納したものだそうです

山田家には当時の新作刀以外にも結構な質と量の蔵刀があったと想像しています。
山田家の刀剣台帳の存在をご存じでしたらご教示戴きたいです。

>>94日本の技と美と魂に載ってるんだけど
> 山野永久は対馬守貞重に試刀秘伝書と鉄鍛集という刀剣の鍛錬、焼刃に関する著者を貞重に伝授していると書いてある 
> 長道もこの本を貰ったんじゃないかな

初めて聞きました。勉強にになりました。どこかに原著残ってないかな?
山野永久と和泉守兼重は色々試行錯誤していたのだと思います。特に寛永期ですね。その成果をまとめたのでしょう。

兼重の作で特に評価が高いものは、焼きが低く、鍛えが実に強く明るく冴えている直湾れ調子の刀です。
試し銘と銘ぶり(特にタガネの太さが違います)から追いかけると、寛永期に集中してます。
これは大抵刃に焼きムラがありません。刃縁の小沸が均一で、刃中への匂いこみが深く、明るく冴えます。中々一本でとれない刀です。

兼重の焼き刃が年々高くなっていったのは、一定水準の鍛法を確立したからかも知れません。
焼きの高い乱れ刃は華やかですから今でも人気があります。そんな需用に応じたものでもあるのだと。
兼重の作風が虎徹だけでなく当時の江戸新刀鍛冶に垣間見えるのは、山野永久の書籍によるものかも知れませんね。

98 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 22:17:49.81 ID:pTuVzSr2.net
山田家の刀剣台帳の存在をご存じでしたらご教示戴きたいです。
あれば良いんですけどね

ずっと前のことだから記憶が曖昧だけど試刀秘伝書は書籍蔵キヌタ文庫で販売されてたと思うんだよね
間違ってたらごめんね
ただ山野加右衛門か山野勘十郎に関する何かが販売されてたのは確かだと思う
 
加藤綱俊鍛之 天保八(年)八月二十一日於千住 両車五ッ真向四ッ八
    巻四ッ伊賀四郎左衛門乗重裁断。
(裏) 両車五ッ真向四ッ八巻四ッ 山田五三郎 両車四ッ真向二ッ
    後藤為右衛門両車太々 長畑芳太郎 号 通抜
(棟) 天保八酉二月吉日作之
固山宗次にも同じ年月の同じ試しの刀が存在してる
 



99 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/14(土) 23:29:46.30 ID:YNatmw28.net
試し斬りってただ斬ってはい終わりじゃなく、切り口に手突っ込んで骨の位置確認しなきゃならなかったみたいだね。
骨が元々の定位置なら斬れ味良く定位置からずれてれば刃が鈍いって事になったらしい。
その確認作業想像するとかなりグロいね。
でも試し銘の入ってる刀って魅力的だ。
数年前くらいまでは○レクション情報なんかで試し銘の入った刀かなりあった気がするが最近あまり見ないね。


100 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/15(日) 07:21:41.25 ID:i/uTk30g.net
>>98
> ずっと前のことだから記憶が曖昧だけど試刀秘伝書は書籍蔵キヌタ文庫で販売されてたと思うんだよね

情報ありがとうございます。この手の武家風俗に詳しい方々はご高齢の福永先生くらいしか居ませんから、情報整理に助かります。
大正辺りまでは江戸時代の生き残りや二世代目が結構居たので、古い刀剣会誌を読んでると突然話題がわいてきます。

> 加藤綱俊鍛之 天保八(年)八月二十一日於千住 両車五ッ真向四ッ八
>     巻四ッ伊賀四郎左衛門乗重裁断。
> (裏) 両車五ッ真向四ッ八巻四ッ 山田五三郎 両車四ッ真向二ッ
>     後藤為右衛門両車太々 長畑芳太郎 号 通抜
> (棟) 天保八酉二月吉日作之
> 固山宗次にも同じ年月の同じ試しの刀が存在してる

大鑑見てると、たまに長々とした切りつけ銘に出くわします。これは宗次と師匠の綱俊の刀を相当大身の武家が試させたのでしょう。
問題は切りつけ銘の真偽。一気に刀工が切ってるものなら比較的判断し易いですが、そうでないものもあるので難しいです。
江戸前期の金象篏試し銘は書体や素材、技術の巧稚で比較的分かりますが、、、平仮名入りはよくよく吟味しないと怪しいです。

>>99
八代吉宗公は直々に斬り口を調べていたと、首斬り浅右衛門押し形集にありました。

大江戸死体考に、九州の肝取り合戦の風俗が書いてあります。素手で死体をこじ開け肝を取る競争です。
死体になれなきゃ侍はやってられないという、当時の風俗がリアルに伝わってきます。

最近は金象篏試し銘の売りは見ないですね。怪しげな細工銘がかなりあるので、色々調べて実際に見て判断するといいですよ。
江戸期からありますから、時代ついた銘になると難しいものです。明治以降は比較的見破り易いです。周りの錆含め若い色が見えます。

101 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/15(日) 09:57:06.66 ID:UOaupIok.net
新刀スレから試し御用について転載。オクに出品されてた怪しい金象嵌試し銘もご参考に。

試し斬りは発祥から諸説紛々。戦国末期に谷出羽守が始めて、中川左平太が体系化したのが定説。
戦国時代のように実用に供する機会が減ったため、刀の利鈍を知る手段と様々な書籍で書かれている。
でも、太平の世だからこそ、実用だけでは意味合いは片手落ちなんじゃないかな?
室町期の「奉公覚悟之事」等に書かれた進物、下賜に然るべき刀の選別と同じ意味合いもあるのではないか?
大名家の刀剣台帳を見てると、帯用に然るべきかどうか?本阿弥家以外に山田家が利鈍のアドバイスをしてる。
刀だからこそ、位列と同様に実用も勘案して総合価値を決めたのが江戸時代なのではないだろうか。
名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。

特に新刀は当時の現代刀状態。位列が低かったのは間違いない。だからこそ試刀で価値を高めたのではないか?
康継には切りつけ銘や中川左平太の金象嵌試し銘がある。 http://www.tsuruginoya.com/mn1_3/f00053.html
康継に倣って、和泉守兼重と山野加右衛門永久が金象嵌試し銘を入れていった。
兼重の弟子と見られる虎徹も、山野永久、久英とタイアップして売り込んでいったんじゃないだろうか。
そんな試刀結果が、十数年前まで戦があった戦争を知らない侍にウケた。
試刀に意味があるとしたら新刀の価値上げが最初にくると思う。鑑定書みたいな物。

特に金象嵌試し銘は、細工の手間をかけても付加価値を分かり易く説明する手段だったのだと思う。
その感覚は、大磨上の刀に金象嵌極め銘を入れたり、無銘に朱銘を書くのと同じだったんだろうね。
金象嵌試し銘は、本阿弥鑑定と同様、埋忠家と吉岡因幡介家が細工したと思われる。
正真と思われる金象嵌試し銘は、色々比較すると細工に共通点が見えてくる。金の色、書体や太さなど。

で、細工で価値が上がるならと、今の偽鞘書きや偽折り紙のように偽試し銘も出てくる訳だ。

かなり怪しい金象嵌試し銘 http://www.bidders.co.jp/item/171058449
試し銘紹介サイト http://sakanazanmai.web.infoseek.co.jp/aitou_shashinkan_tameshimei.htm

102 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/15(日) 11:25:01.26 ID:UOaupIok.net
新々刀によく見る切りつけ銘について。疑念がある刀、納得の刀があったので紹介。
山田家で試した刀は色々あるでしょうが、相応の出来と伝来が釣り合うのが常と改めて実感しました。

これは宗寛の作刀ですが、どうも上と茎が釣り合わなく感じます。試しにはまず金がかかります。
山田家の試しとあっても、信頼出来るか否か?の判断材料の好例になると思います。
http://www.iidakoendo.com/info/item/a404.htm
古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?まず疑念がわきます。
出来を見るとハバキ元から荒い斑沸が地刃についてます。宗次にも斑沸は見られますが、これは光の鈍い荒沸です。
譜代藩主の差し料に相応しい出来でしょうか?
銘を珍重視して歴史的資料とするか?疑念がある銘と見るか?切りつけ試し銘に常につきまとう問題です。
試刀家として伊賀兎毛と山田家を比べると、山田家の御試御用の看板に分があります。
尾張藩の注文なら尾張藩士の伊賀兎毛に頼むかも知れませんが、古河藩なら山田家に頼むのが相応しい刀に見えます。

http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次の刀に山田家の試し銘です。茎味良く、銘も尋常、上の出来も試し銘と釣り合ってます。
有名な刀で一度拝見しました。地刃美しく、ズシッと重いです。山田家で試した事も伝来も納得がいく刀でした。

http://www.tsuruginoya.com/mn1_3/a00105.html
固山宗次の兄、宗平です。山田朝右衛門の試し銘に古い屋敷鞘なので、大名クラスの注文打ちでしょう。
宗次ほど垢抜けた作ではありませんが、低い焼き刃でムラっ気のない匂口。茎味上々で銘も尋常。
朝右衛門の解説が面白いです。山田家では刀を選び、また所持者に選ばれて試していたのでしょうね。

103 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/15(日) 16:00:41.13 ID:zB3KuNhY.net
名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。

前田家も確か試しの依頼をしたとなんかの本で読んだような記憶があるようなないような


古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?

藩工になったんだから作らせた可能性もあると思うけど
古河藩主の土井利位は固山宗次に天保11年1月・大小の刀と翌年の6月に大小の刀を造らせてる
宗寛は藩主利興の古河帰城を記念して献上した明治年号の刀は存在してますね

104 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/15(日) 21:30:10.87 ID:i/uTk30g.net
>>103
>名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。

首斬り浅右衛門押し形集以外でも読んだことあります。三ツ胴試しをやって二ツ胴と半分。これは正確な記録だと腑に落ちました。
御試しご用でのNGは刀身を痛める事。山田家でやったか記憶が曖昧なので間違ってたら訂正が、山田家がやったと思います。

加賀前田の家中では、江戸前期に試しが流行った様子です。山野家でも滅多にない三ツ胴試しが金象篏銘入れて残ってます。
加賀の試刀術は、谷→中川→山野→山田と続く技術継承外なので、どういった技術だったのか分かりません。

>>古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?
>藩工になったんだから作らせた可能性もあると思うけど

可能性はご指摘どおりだと思います。お抱え記念に打った刀と考えれば特にあり得るでしょう。銘に出自を記しています。

半百にて云々の虎徹が特に有名ですが、初期作や記念作に出自や経歴を銘に切ってる刀工が多いです。
現代刀だと故・塚本起正が越後山村正信の末裔を名乗りにしてました。箔をつけるためだと眉唾に見る方もいます。
個人的には長い日本刀の歴史を象徴しているようで、興味深く感じます。

>古河藩主の土井利位は固山宗次に天保11年1月・大小の刀と翌年の6月に大小の刀を造らせてる
>宗寛は藩主利興の古河帰城を記念して献上した明治年号の刀は存在してますね

宗次の天保打ちは完成期だと思います。肌目を大きく鍛えた初期作(映りを出す備前伝にこだわったからでしょう)とは異質です。
宗寛も文久頃になると宗次に劣らない冴えた地刃を鍛えてます。宗次の推薦で古河潘工になったのでしょうが、見事大成しました。

固山の兄弟筋、門弟は作刀水準が高いと感じます。これも山田家との交流があったからではないでしょうか?
一ノ関潘の久保田宗明の刀は、機関銃を斬ったと戦時中に非常に有名になりました。今でも人気がありますね。彫りも達者です。

大名家の刀剣コンサルタントであり、信に足る試し切りつけ銘を残し、各潘へ処刑、切腹の作法と技術を教えた山田家。
浪人でありながら武家風俗に影響が大であるのは実に興味深く、知れば知るほど面白い一門です。

105 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/16(月) 03:43:49.05 ID:wEO04du6.net
ってかやっぱり山浦一門は以上に試し銘が少ないな。
信秀や正雄、サネオ、見たこと無い。

106 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/16(月) 13:44:49.14 ID:wEO04du6.net
会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日於傳馬町太々土壇拂 山田吉豊其刃二而両車九分切後藤利影試之 

これ売ってください。下取り出すよりいいでしょう!

107 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/17(火) 13:57:24.93 ID:KsUniqLd.net
>>89
半年ROMっとこうと思ったが
>朝右衛門の注文打ちは常寸のごく普通の刀だ、と言っても理解しない人はいつまでも理解出来ない場合が多い。
とありますが
常寸のごく普通の刀とは何センチぐらいの刀のことでしょうか?

108 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/17(火) 14:26:04.38 ID:KsUniqLd.net
朝右衛門ぐらい技術もあり熟れていれば68センチくらいでもうまく斬首できたかもしれないが
でも軍人さんが戦争中いろいろやってうまくいかなかったり三島氏のこととか聞くと
目標が動かないすえもの切りは、斧みたく打ち込む(テコや遠心力で先重で長い方が有利)
同時に引き切る(物打ちから先端まで長い方が有利)やはり基本的に重くて長いほうが有利じゃないの?
例は悪いがコールドスチールおじさんでもでかい刀ですえものをいろいろやすやす切っている。

109 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/17(火) 22:13:59.77 ID:KsUniqLd.net
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/beniyabasi.html
二つ胴の上に横向きにもう一人乗せ、動かないよう縛って三人同時に斬ったり,さらにもっと多くの死体を重ねて斬る場合もあって,
まれに,七つ胴の鑑定をこなしたすごい刀があったという。
この場合は,脚立かはしごなどの上から飛び降りて斬ったり,刀に鉛の鍔を着けて、重みを増すなどしなければならなかった。

極端な話であるけど重ねて切る場合はある程度
打ち込みの重量と速さと距離(長さ)と引き切りの長さは必要じゃないかと思うのですがどうでしょうか。




110 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/17(火) 22:24:05.42 ID:kZQqXasD.net
名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 16:56:57.39
>>158
多分、包丁の話を引き合いに出す人は、刀がどんな風に斬るかっていう極めて根本的なとこをスルーしてるんじゃないかな?
包丁は対象物に刃を当ててヨイショヨイショって切るけど、刀は振りかぶって一気に斬るからねw

ましてや、長さが2尺3〜4寸、あるいはそれ以上もある刀は、物打ちに生じる遠心力&衝突力たるや、包丁と比べること自体が何か間違ってるくらいのものになるし。

既出かもしれんけど、抜刀道五段の津本陽氏が豚肉の塊を刀で斬りまくったが、骨もろとも手応えなく切れて、また切れ味も変化なかったとか。
↓ソース
http://www.budotusin.net/no10.html

161 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 17:20:23.91
>>160
津本氏が豚を切った件なら氏の随筆から原文引用できるよ。
まあ、日本刀否定派はこの日はじめて真剣切りを行った人が人間の胴より太い豚の肉を複数回切った後にできた
「チカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれ」さえも日本刀の脆弱性の根拠とするかもしれないけどねw


『人生に定年なし』P178〜

 中村(泰三郎)先生は、十八キロの豚肉をまえに、身をわずかに右向きにして立った。
「こういうものは、まっすぐ斬るもんじゃない。体をわずかに斜めにして斬るんだ」
 先生は刀を抜き、ふりかぶる。
 気合もかけず、斬りこむと、切り口が大きくひらいた。白い骨が二本あらわれ、
血がタラタラと流れる。
 太い骨は直径十センチもあるように見える。
 「さあ、やってみろ」
 私は体をやや斜めにしえ、両足をひらいて踏んばり、刀身の棟を背筋につけると、
「やあっ」とかけ声もろともに打ちおろした。
 おどろいたことに、人間の胴よりも太い豚肉を斬った手応えは、まったくないに
ひとしかった。土壇の板を、パチーンと叩いた音だけが耳にのこり、骨も
きれいに斬れている。
「こりゃ、たいしたものだ。これまでまったく経験がなくて、これだけできる者は、
めったにいないよ。
 私は先生にすすめられ、それからさらに二度斬った。
 手応えはやはり、嘘のようになかった。
 先生が不意に歩み寄ってきて、私の持つ刀を取り、顔を近寄せあらためていたが、
やがて情けなさそうな声でいった。
「君は俺の愛刀を刃こぼれさせちまったな。手の内の締め方が足らないから、
こうなるんだよ」
 刀を倉庫の電灯に照らすと、たしかにチカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれが
あった。
 肉から骨へ斬るとき、刀身のうける抵抗がかわるので、刃筋がうごき、刃こぼれができるのだ
そうである。


111 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/17(火) 22:35:20.49 ID:kZQqXasD.net
>>107
89さんじゃなないけど
吉亮愛刀が2尺3寸3分 幅1寸3分 反り6分半の刀ですね



112 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/18(水) 09:03:04.45 ID:PGXL8pXJ.net
>>107
大刀の常寸は2尺3寸前後をさす。

山田朝右衛門吉昌が固山宗次に注文した刀は、刃長2尺3寸1分、反り4分半、元身幅1寸3厘。新々刀大鑑から。重ねの記載はない。

>>108
江戸時代に行われていた事を文献に沿って書いてる。過去の話だ。試刀については豚斬りの話と同じ感想。

山田家の首斬りばかり強調されてるが、首斬りはアルバイト。
首斬り役は奉行所の侍にもいた。ただ、斬り損じで御役御免、切腹といった事態を回避出来る一介の浪人、山田家を主に使っていた。
山田家としても試し胴の確保というメリットがあったため引き受けていた。
これは福永先生の推理かも知れない。詳しく知りたいなら、首斬り浅右衛門刀剣押し形上下巻を読んでくれ。

山田家以前の山野永久、久英親子に首斬りの記録を今まで見受けないが、久英が活動していた元禄辺りまでの事情はわからない。

三島由紀夫の切腹についてはこれでもうネタ切れ。記憶が曖昧な部分は書けない。
談話が掲載されてた本は捨ててる。約20年前の月刊小説誌。定期購読頼んでた文春か新潮のどちらかだと思うが。
三島由紀夫が切腹を教わった時、数口持参した。三島は兼元にこだわったが、教えた人物(忘れた)は持参した中から慶長の同田貫と新刀を薦めた。
兼元が研ぎ減って痩せた刀だったのに対し、同田貫と新刀は健全だったのが理由。長短、身幅、重ねには言及してなかったと記憶してる。

113 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/18(水) 09:39:48.51 ID:/azbBMP/.net
単に重さ長さというより切る技術や錬度のほうが重要で
左小指と下腹でとかコツのようなのも聞きますし
単純にはかれないということのようですね。
三島氏はたぶん兼元の三本杉が気にいってたんじゃないかと思います。
詳しい資料の紹介ありがとうございました。



114 :名前なカッター(ノ∀`):2012/07/19(木) 07:21:30.71 ID:ACIFdKPu.net
加藤綱俊は包丁鉄(割鉄)を卸し鉄をして作ってたみたいだけど
宗次はどんな方法で作刀してたんだろうね

115 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/01(水) 11:26:36.80 ID:UkIZRWCI.net
専用柄には刃と柄の間に空きがあるとグラグラするので
くさび型の木を差し込むみぞがあるらしいが
うちのにもそんなみぞがあるお
ガクガクブルブル


116 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/01(水) 20:19:29.15 ID:hHdFmpop.net
>>115
>専用柄には刃と柄の間に空きがあるとグラグラするので
>くさび型の木を差し込むみぞがあるらしいが

おっ、それ見た事ある。鎬地付近に溝があるやつ。その柄には目釘穴が無かった。だから研ぎ柄とは違う事はすぐ分かった。
銘切りと銘釘穴あける前の試刀用なんだろうね。しかも長い試し銘用。
ただ、ハメ殺し状態だから、どうやって抜くのかが気になった。クサビをまず抜くはずだから、クサビに何か工夫があったはず。

117 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/01(水) 23:41:43.00 ID:UkIZRWCI.net
くさびの元の方にみぞでも付けてつめで引っかけて取るとかの方法かも
くさびはすきまのガタガタを安定さす補助的なもので
目釘を入れとかなきゃ上段で振ると刀身が前へとび出るから危険
金属の輪やくさび付けてるのはでかい刀でおもいっきり衝撃力が大きいから
軍刀で試し切りしようとすると、ときどき柄が割れることがあるとか書いているし
(もっとも目釘の位置とにぎりの手の位置も関係あるとかも)
専用仕様風になってるのは、やはりなんか試したみたいだからw

118 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/02(木) 00:00:52.74 ID:z4mdlcVe.net
どんな物かみたいからupしてくれませんか

119 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/02(木) 09:46:01.15 ID:xJX32R41.net
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3265804.jpg
http://www.l-wise.co.jp/super-jsa/auction.cgi?num=8066&mode=detail


120 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/02(木) 10:38:32.96 ID:xJX32R41.net
http://www.bidders.co.jp/item/175587679
これのナカゴのさびを見てもわかるように目釘ひとつだと
柄の内部で目釘を支点にして斜め下にモーメントがかかる
これだと柄を持つ手の間隔が広いと柄の前の下部分が割れる率が高い
そうならないように目釘を増やしたり金輪をはめたりくさび入れたりしてると
思う。

121 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/02(木) 10:57:36.84 ID:xJX32R41.net
参考
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_062.htm
三式軍刀最大の改良点は目釘を2個に強化した点にある。
この対応には刀身茎は一定の長さが必要であり、刀身選択には自ずと制約を受ける為※、それに合わせた新作刀や造兵刀などが仕込まれた。
柄は一貫巻(実戦用天正拵え)に変更され、柄糸に漆を掛けて補強が図られた。
この他、目貫が旧来の太刀拵えから打ち刀拵えの位置に変更された。

122 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/02(木) 20:02:38.40 ID:z4mdlcVe.net
なるほど、ありがとうございます 
柄は近藤勇や成瀬さんが言うように大事な部分ですね

大刀には良いものを選びたいと思います。
悪い刀では、実戦用として少しも役に立ちません。
そのうち機会があれば刀剣類を送ります。
見てみてください。柄に使う材料は柚の木か樫がおすすめです。
http://www.geocities.jp/r12_44104_b/letter/kondo2.htm

123 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/03(金) 10:35:49.45 ID:m0etu0ng.net
>>122
成瀬さんとは抜刀道師範だった故成瀬さんかな?
皮巻の柄は血が附くと滑るから糸巻の方がいいと聞いたことがある
また、昔日の闘いで武士が乾坤一擲の勝負に臨む時は目釘を文字通りの釘に替えて先を曲げ、茎が抜けないようにしたとか

124 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/03(金) 20:38:09.68 ID:xuPQqT/g.net
>>123
>また、昔日の闘いで武士が乾坤一擲の勝負に臨む時は目釘を文字通りの釘に替えて先を曲げ、茎が抜けないようにしたとか

鎌倉〜南北朝期の長巻拵え付き、片山一文字極めの重文指定の長巻が上杉神社にある。
この長巻の目釘は1つなんだけど、これが太い金属製なんだ。素材を知りたいんだが、情報がない。
ちなみに鐔は鉄地菊透かしでハバキは素銅にちかい山銅。
柄は黒漆塗りだけど赤樫だと思う。槍や薙刀の柄は大抵赤樫。柄の強さが金属目釘でも耐え得るんだろうね。

125 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/04(土) 00:56:32.33 ID:/27ETfNE.net
>>124
素材をはじめとする釘の詳細については残念ながら聞いてないんだ
余談だが、いろんな物を試斬して手ごわかったのはグラスファイバー製のヘルメットで斬り込めなかったらしい

126 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/05(日) 01:08:30.40 ID:nkJfBmOQ.net
グラスファイバーが繊維状に何層重なってるし
伸びたりして弾力もあるんじゃ引き切りしにくいのかも
平板なら突きが効くかもしれないけど
ヘルメット形状は無理かも
http://www.arai.co.jp/jpn/fullface/rr5_s.htm
(ただ前面の風防は突きが効くかもw)



127 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/05(日) 02:24:15.51 ID:PBawxJVD.net
>>123
革巻きでも漆を塗ってると良い。
だから現在でも皮巻で漆を塗ってる拵えが
沢山残っている。

128 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/05(日) 09:33:24.92 ID:nkJfBmOQ.net
>>119だけど
これで素振りしてると普通の柄巻きが細く思えてきた
でも柄巻は細く凹凸しているから手に食い込みシャープに握れるのかな
薩摩示現流のデカイの
長脇差みたく軽量のと
それぞれに使い分けるといいかも

129 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/06(月) 06:01:11.90 ID:iO7w2dPf.net
篠雪 大脇毛両度二ッ胴 前島八郎衛門 切落 http://www.bidders.co.jp/item/153585216
オクで出てた刀なんだけど評価はどれぐらいなんですか

130 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/06(月) 07:20:46.19 ID:ikLOpr0N.net
>>129
越前関の初代包則の刀という評価が妥当じゃないかな?
茎を見ると切付銘ではあるけど、包則の銘とさほど変わらぬ錆がついている。
前島八郎の活躍期とも合致。切付銘の銘字の書体も時代相応。
当時主流の金象嵌銘ではなく、切付銘である事を考慮して、マイナスには見ないがプラスにも見ない。
問題は出来。刃が焼き崩れ気味だったと記憶にある。随分前に同じ質問受けて同じような返答をした気がする。

131 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/06(月) 07:57:04.05 ID:jKK5RQo4.net
刃長:73.8センチ、2尺4寸3分強
反り:1.4センチ
元重:8ミリ
元幅:3.2センチ
先重:6ミリ
先幅:2.5センチ
ちょっとねむいような刃
簡単に首が取れる意味の銘

132 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/06(月) 08:16:49.50 ID:jKK5RQo4.net
篠雪=笹の葉に積もった雪が簡単に落ちる様を表すってことか
たしかに古備前の袖の雪みたいな刃文じゃないものな。
でもそうなると袖の雪の意味も刃文じゃなく
ひとはらいで落ちるってこと?


133 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/06(月) 21:47:47.00 ID:iO7w2dPf.net
130さん 131さん
ありがとうございます

134 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 06:54:56.55 ID:MQ4u1cPx.net
>>133
補足 切付銘を±0と評価した理由に試し銘中にある「大脇毛」がある。
これは寛文頃には脇毛はあっても大脇毛(特に太い)とは表現しない。
朝右衛門が大脇毛との試し銘を見て「当時なかなか思いよらざる義」と皮肉ってる。
しかし、大脇毛と表現した試し銘が寛文頃に無いとは断言出来ない。
それに当時は金象嵌銘が主流だから参考程度の銘と判断しました。

気になって前島八郎の試し銘を探したら朝右衛門押し形にありました。
山野家と同様の金象嵌銘配置なので、前島八郎は永久の門人かも知れません。
そうなると前述の切付銘は益々参考程度と言わざるを得ないでしょう。
日刀保もあまりに下手くそな細工じゃなければ特にうるさくないので、
試し銘には日刀保の紙付きでも細工物もあるんだと覚えておけば良いんじゃないでしょうか?

何せ、山野加右衛門永久が門人に偽試し銘を禁じてる(横行したんですな)位です。
こんな下手くそな金象嵌銘もあるので、試し銘を見る時にはよくよく気をつけましょう。
http://www.bidders.co.jp/item/176002752

135 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 15:50:14.59 ID:80/r4Dnz.net
遠心力は質量と距離と速度であらわす
距離(刀の長さ)が同じで振るスピードもほぼ同じで
重ねが倍だと最初の押し切り時のクイコミも倍
そこからの引き切りは別としても
すえもの切りは重ね厚い方が有利ジャマイカ


136 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 20:16:59.98 ID:UUOl+lRy.net
>>135
ここはタイトル通り江戸期が話題のスレだ。〜が有利だの持論を披露したいなら、現行の斬れ味スレでやってくれ。

137 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 22:14:51.02 ID:80/r4Dnz.net
でもね重ね胴切は普通に長脇差クラスよりはヘビー級の打ち刀チョイスでしょう
>>134の刀(下手くそな金象嵌銘もあるので試し銘を見る時にはよくよく気をつけましょう)
刃長:63,1センチ
元幅:2.8センチ
元重:0.5センチ
先幅:2.0センチ
先重:0.4センチ
山野右衛門尉永久(花押)弐ツ胴切落
>>129の刀
刃長:73.8センチ、
元重:8ミリ
元幅:3.2センチ
先重:6ミリ
先幅:2.5センチ
篠雪 大脇毛両度二ッ胴 前島八郎衛門 切落
>>102
於牢鋪雁金土壇拂切手山田五三朗
長さ77.5センチ
元幅3.2センチ
先幅:2.5センチ

138 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 22:42:13.75 ID:80/r4Dnz.net
三島氏は孫六が気にいっていたが68,5センチ
その刀で自分で自分を介錯出来ないのでなれてない他人が使用
本人ボディビルダーで首周りの筋肉が太い
などの悪条件でうまくいかなかった
短刀腹に刺さったまま2回も仕損じ最後は舌を噛み切るなんてすごい
(でも>>102くらいの刀だと1回で済んだのかも)

139 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/08(水) 22:45:00.70 ID:80/r4Dnz.net
http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次の刀に山田家の試し銘です。茎味良く、銘も尋常、上の出来も試し銘と釣り合ってます。
有名な刀で一度拝見しました。地刃美しく、ズシッと重いです。山田家で試した事も伝来も納得がいく刀でした

140 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/09(木) 07:26:06.22 ID:yj0v3dzC.net
銘/無銘(末手掻)
表/金象嵌)於武州豊嶋郡淺茅原頭切割 慶安二巳丑暦十二月初五日 ○離手(以下切れ)
裏/朱銘)一ノ胴三ノ胴重二ノ胴裁断 寛文八戌申年十月五日 山野勘十郎久英(花押)
http://www.tokka.biz/sword/tegaitameshi.html
斬りすぎ

備前介藤原宗次
安政六年二月日 於傳馬町試之両車裁断切手山田源蔵
http://www.choshuya.co.jp/sale/gj/2012/1206/02_munetugu.html
地鉄は小板目肌が詰み、地景縦横に入って肌目細かに立ち、小粒の地沸が均一について地肌しっとりと潤い、鉄色冴える。
互の目丁子乱の刃文は淡雪の如き小沸が降り積もって匂口明るく冴え、
匂足長く柔らかく射し、刃中は匂立ち込めて霞立つように澄む
うむ、いい刀だ

141 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/09(木) 13:01:15.63 ID:izrNx/ug.net
>>140
鍔は銅製で600〜700g(通常の鍔は100g前後)のものを付けて刀身総重量を増す。
ググッても出ないんですが
どこか参考例みたいなものあります?

142 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/09(木) 13:08:01.17 ID:izrNx/ug.net
切り柄と呼ばれる長い柄にその鍔をつけたのですか(長巻か薙刀形状にした)



143 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/09(木) 13:23:06.82 ID:yj0v3dzC.net
解説図はないんだけど、切れ味日本刀という本の中で鉛鍔を使用すると書いてあります
いちようupしますhttp://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3365.jpg

144 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/09(木) 14:28:08.48 ID:izrNx/ug.net
>>143
いろいろと疑問がはれました。
upありがとうございました。

145 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 06:45:38.70 ID:IfLgwOfK.net
刀の長短、切り柄、鉛鍔の話題を整理します。この三要素は各々試斬に連動しています。
基本的な考えは、刀の長短、重量の条件を出来るだけ均等にし、刃の斬れ味そのものを比較可能にする事です。

江戸初期の山野加右衛門永久の頃には、既に刀と切り柄の長さの掟を定めてます。
>>142 切り柄と呼ばれる長い柄、と表現しているのはまさにこの事です。
現物は数本見ただけなので寸方比較が出来ませんが、掟を見たら確かに長い。
2尺3寸の刀には、1尺1寸の切り柄。2尺2寸の刀には、1尺2寸の切り柄という具合。
薙刀なら、長い茎を切り柄の柄頭から茎先が出るように、刃長に応じて切り柄を決めます。
柄の長短で刃長を揃えれば刀と薙刀の刃味の比較も可能になります。これは「山野流両断之巻」にあります。

厳密に突っ込み入れれば、反り、鎬重ね、身幅が揃いませんが、公儀御試の場で立ち会う御腰物奉行ほか、
同席者が納得いく調整を、柄なり重量で調整していたものと考えます。
山田家で御用となる定期的な試しがあります。幕府お抱えの康次、法城寺国正の新作試しです。
この御用には刀工も立会います。刀、薙刀、槍の試しがあり、成績が悪いと隠居や自刃してます。

次に重量。これが難物で、何匁目の刀には何匁目という括りがアバウトです。
短刀や小脇差の試斬では軽すぎるために、必要に迫られて決めていったのでしょう。
根津流の「当流一流之巻」に、9寸5分には250〜300匁目の鍔をとあり、寸で重量を定めてます。

>>143の中に書かれている内容と手元資料でタブる部分は割愛します。
試し銘の中には、鍔なしであると刻んだ物が明治39年に乃木将軍が試した上総介兼重の脇差にあります。
山田家では成績を上げる秘伝の切り柄(無遍柄と呼ぶ)があり、柄内に1.2キロ位鉛を仕込んだそうです。
この切り柄は「人手にかけるべからず」とあり、高弟以上への秘伝だったのでしょう。

試し斬りでの刀の長短、重量については、「刃味の試し」ではある程度公平な条件だったと考えます。
ただ実戦ではどうか?となると直江兼続が面白い事を通達してます「作を好む事無かれ。云々」
要は技量、体力に応じた刀が実戦で最も適した刀槍になると書いてます。
幕末に急に長い刀が流行りますが、これは世相の反映でしょう。当時の武術事情については割愛します。
世相に応じて行われた、松代藩の荒試しを耐え抜くような刀(真雄)を要求されると重ねは厚くなるでしょう。
新撰組の差料を見ていると、新々刀特有の長い刀を使っている者をみません(城慶子正明の名前はありますが)
函館まで戦った伊庭八郎の差料は2尺3寸強。勤王刀のような茎も刃も長い刀は誰が使っていたのか?
ただ、名だたる武芸者にも好みがあったのは間違いないでしょう。
宮本武蔵は和泉守兼重の2尺6寸強の大刀を晩年の差料とし、柳生連也斎は1尺9寸の大刀を晩年の差料としました。

世相反映で象徴的なのは、破邪の御太刀。http://yoshiko2.web.fc2.com/hanaoka.html

三ツ胴について。これは山田家でも一番の奥伝です。
>>143では飛び降りて斬る、とありますが、山田流には飛び降りた試しはないようです。
二つ胴を平に重ねて三つ胴を側臥位(横向)にし、挟み竹だけでなく三つ胴を縫い合わせキツく締める。
刀には5.6〜7.5キロの鍔をつける。斬り柄に言及はないので掟通りでしょう。
鍔から3寸程度のところで斬りつけ、同時に手元へ引き斬りにする、とあります。
飛び降りて斬り込むなら、普段からの練習なりコツが必要だと感じますが、、、

146 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 07:07:05.96 ID:IfLgwOfK.net
>>140
銘/無銘(末手掻)
表/金象嵌)於武州豊嶋郡淺茅原頭切割 慶安二巳丑暦十二月初五日 ○離手(以下切れ)
裏/朱銘)一ノ胴三ノ胴重二ノ胴裁断 寛文八戌申年十月五日 山野勘十郎久英(花押)
http://www.tokka.biz/sword/tegaitameshi.html

多分現物(か、類似の茎)を見た記憶があります。判断に悩みました。
久英の試し銘は金象嵌を剥がして第二次大戦中に供出したのか?と感じる位、正確な彫りですが、
表には金象嵌銘が残っている。張り合わせ茎じゃないか?と疑いました。区際錆にムラがあります。
焼け身になると金象嵌や張り合わせは結構抜けたり剥がれると教わりました。

147 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 08:56:32.32 ID:c5tnARxR.net
城慶子正明だと「試鹿角及甲札與棒」とかの試し銘があるけど
「甲札與棒」って何かわからないんですがわかりますか


148 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 09:57:55.63 ID:6vdRBWUu.net
甲札は鎧の小札を切った意
與棒というのは棒で叩いて強度を試したという意味かと

149 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 11:41:41.45 ID:IfLgwOfK.net
>>147
上手く漢文を訳せないけど、鹿角と甲札(鉄小札)を斬り、更に(與=与える)棒で試したという意味。
148の解釈で間違いないです。棒打ちは赤樫の木刀で左右と棟打ちが基本。
城慶子正明は、銘になくとも上述の3種類を自分で試して、合格品のみ納めたそうな。
正明の備前伝は比較的匂い口が締まっている一方、相州伝はボヤっとした物が多いかな。
焼き戻しをしっかりやって欠けにくい刃に工夫してたんだろうね。相州伝は特に地鉄が強いよ。

有名な松代藩の荒試しの模様 http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page072.html
藁といった柔らかい試斬から始まり、堅物斬り、最後に折れ曲がりの限界へ。
直胤はこの荒試しの前迄は藩の上級武士の自慢だったのが一気にずっこけた。

新撰組の隊士使用刀一覧。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yokotat/page6.html
池田屋事件の損害図には無銘の脇差損害ばかり掲載されてたからこの表の信頼性は何とも言えない。
池田屋で一番長い刀は南海太郎朝尊の2尺5寸か。近藤勇が二尺二寸五分というのは実戦のリアリティを感じる。

書籍を漁ってたら、直江兼続の「五選(心がけ)」が見つかった。刀の箇所を抜粋。
いつの時代も同じような訓話(雑兵物語は分かり易い)を見るから、試刀の有用性を判断するのに良い指標だと思う。
・太刀は精神釣り合ふて骨を徹すを要とす。作を好むなかれ。
・たとえ業よしとも釣り合わざるを好む事なかれ。

150 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 13:12:57.15 ID:c5tnARxR.net
148さん 149さん
ありがとうございます

松代藩の荒試しは凄いよね
ただ藩士貸出用の長巻と刀の注文は最初は清麿になる予定だとなんかで読んだような記憶がある
あとは真雄が水心子に刀の注文してケチつけてそのあと弟子になったりしてて面白いですよね

151 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/10(金) 17:05:35.08 ID:IfLgwOfK.net
記憶と書籍を整理しながら書いてますが、誤りがあったら訂正します。
研究時期によっては通説が今では覆されている話もあります。
※佐野美術館の「虎徹と清麿」が新しく分かり易い内容なので、清麿は転載状態になると思います。
>>150
>ただ藩士貸出用の長巻と刀の注文は最初は清麿になる予定だとなんかで読んだような記憶がある
その通りです。天保二年に兄の真雄の手伝いに松代へ出て来た折、藩主真田幸貫が城備刀百振鍛造を計画してました。
その任に正行(清麿の前名)を藩工として抱え、兄弟に打たせようとしました。正行は時に19歳。
そもそも真雄が刀工となった理由は納得いく刀が無かったという型破りな動機。正行も侍を目指してました。
そんな姿勢が幸貫公の琴線に触れたのでしょう。が、家老等の反対で著名だった直胤に打たせました。
その後の経緯〜嘉永6年の荒試しの結果は http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page072.html

さて清麿の師は真雄である、という説が戦前から議論になってました。
大多数の意見は初期銘「秀寿」から真雄が入門した上田藩工の河村寿隆とされてきました。
ところが、河村寿隆は「秀寿」銘出現の一年八ヶ月前に死去。根拠となっていた短刀の銘にある「為寿斎主人」の
送り先は河村寿隆ではないと判明。
兄真雄の初期銘「寿昌」、祖父の「昌行」から正行は「秀寿」銘を切ったと山浦家文書から分かりました。
清麿が入門したのは真雄である、という説が今現在有力です。刀剣博物館にある重ね厚い左文字写し短刀がそれです。

清麿と真雄の決定的な共通点は地鉄の鍛えです。多少の粗さより強靭な鍛えを選択している点で虎徹と志向は同じです。
清麿、真雄の地鉄を見ると強く肌立って新々刀には見えません。虎徹の優作は匂い口が冴えても地は古く荒く見えます。
この強い鍛えの源流を遡ると、和泉守兼重と山野加右衛門永久の存在を感じます。
山野加右衛門が尾張の対馬守貞重に贈った「鉄鍛集」が一冊現存してますが、貞重一人の為の書とは考え難いです。
山野家、和泉守兼重一門を通じて秘伝として伝えられ、秘伝故に残してないのでしょう。

和泉守兼重の作刀に金象嵌試し銘を入れていった山野加右衛門永久。
兼重の完成期と思われる寛永15年頃の太タガネ銘の作を見ると、鍛えが強く、焼き刃にムラがありません。
鍛えが強い故か、匂い口こそ深く明るく冴えても、砂流しのような鍛えから生じる働きは抑えられてます。
弟子の虎徹の中期作頃迄は同様の傾向があります。そして試刀で良い成果を残しました。

清麿、真雄の作は少なく、清麿なら死後に山田家が試した刀が一口のみ。真雄は荒試しのみ。
試刀事例は少ないですが、用に足る業物だったと思います。
綺麗な地鉄を鍛える固山宗次含む加藤綱俊一門は作刀数も多く、試刀でも抜群の成果を残してますが、
虎徹や清麿一門とは違う特色を備えているのでしょう。

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