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【山伏】修験道 第三駆【山岳信仰】

323 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/10/27(土) 22:15:07.34 .net
>>322
>其れを示す何かが残っているのでしょうか?

経典つまりお経

>菩薩は未熟な尊なのですか?

未熟といえば如来から見たら未熟だよね
ただ所謂上座部あたりで縁覚が着地点だったりするからそれより上ってこと

>菩薩には不安感などの
>悩みもあると理解してよいのでしょうか?

無くす方法を知っているって感覚かな
うまく乗りこなすみたいな感覚
潜在的に人は不安(苦)が有ると言うことは認識してるから
それを無くすように精神を磨いてる、つまりこれが修行ね
六道にいると悩みがなぜ湧いてくるかも知らないし
それに対処療法的な付け焼刃で戦ってるイメージだね
それを脱すると気持ちが楽になる
このへんが二乗でさっき言った縁覚やその下の声聞だね
菩薩になると精神の構造とか心理学や精神医学みたいなことばっか考えて
それを経典と照らし合わせて、経典が正しいかどうかを確かめる作業をするようなかんじ
それを衆生(信徒さん)に試してみて祈祷なんかに生かすようなのが修験道的な菩薩の姿かもね

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