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【倉稲魂命】稲荷信仰霊験スレ 第6社【荼枳尼天】

484 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/11/06(木) 01:06:07.15 .net
荼枳尼天系の稲荷は戦国時代に城の中に祀っていた例が多かったというのは、
由来のダーキニーが死の穢れと非常に近しい神様だった事と関連しているのかな。

普通は神様を祀る場所、つまり神社って聖地・聖域とされ、穢れを嫌う潔癖な場所に定められる。
けど城って基本は軍事施設で、さらに戦国時代となるとまさに城の中が戦場になっちゃう時代で、
ときに多くの血が流れ、何十人何百人もの死が折り重なることが普通に想定される場所だ。
そんな多くの血や死の穢れと縁深い軍事施設の城という場所に祀る事ができる神様って、
血や死の穢れに耐性があって慣れっ子になっちゃっている神様じゃないといけないと思う。
ゆえにもともと死体あさりの動物から神格を得たダーキニーである荼枳尼天の稲荷が戦国時代の城に祀られる様になったんじゃないかなっとちょっとおもった?

あと、最初は死体あさりの存在から、立派な稲荷系の神にまでなった神様なので、
乱れ穢れた世界の下層の者でも天なる高みにまで上れると、戦国乱世の立身出世的な願いもあるように感じた。

まあ当時の人がそこまで考えて祀ったのかはわからんけど・・w

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