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【倉稲魂命】稲荷信仰霊験スレ 第6社【荼枳尼天】
- 601 :名無しさん@京都板じゃないよ:2015/01/30(金) 22:05:33.79 .net
- >>593
「稲荷大明神流記」が書かれたのは1351年以降のことで、著者が弘法大師の弟子(実弟の真雅)というのは後世の仮託だよ。
しかも東寺の由緒なので、あくまで鎌倉〜南北朝における仏教側の認識を表すものだよ。
他の人がダキニ天との関連を示唆しているが、実際に関連はある。
平清盛が狩りの際にダキニ天に会ったのは、船岡山の麓にある蓮台野で、これが書かれたのも室町時代。
船岡山の周りは、蓮台野や紫野などの死体遺棄場・火葬場になってて、キツネも死体を食いに現れていたのが前提になっている。
早い話が、船岡山で死体漁りしていたキツネが、神の眷属になったということ。ダキニ天と同じ。
仏教側観点のキツネ(野干)説話であり、残念ながら神道とキツネの由緒には使えそうにない。
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