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【薩長クーデター】神仏分離と廃仏毀釈【神道歪曲】

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/08(火) 22:47:17.83 .net
薩長土人の起した徳川幕府に対するクーデターで誕生した明治新政府

神と仏を無理矢理切り離し、破戒を許し僧侶を堕落させ日本仏教を葬式仏教とさせ、
神道を歪曲した罪は重い。

やがて日本は人類初の原子爆弾投下という大量虐殺にあい、日本は焼け野原
信仰を失った日本人は働き蜂として日本を復興するも、現在の自殺者数は年間約3万人
首都圏で電車に飛び込み投身自殺する者で電車の止まらない日は無い。
新興宗教が台頭し、オウム真理教による国家転覆を計ったクーデター

これらは薩摩長州のクーデター成功による明治新政府が原因である

これからの日本人の信仰を皆で考えたい

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/08(火) 23:02:07.58 .net
で、1が考える日本人の信仰ってなに?
葬式仏教に堕落させたのが明治政府なの?
江戸時代にはすでに幕府による戸籍のかわりを寺がすることになっていたせいで
寺から破門されたりすることは戸籍を失うことに相当し、寺は絶大な地位を誇っていた
江戸時代の終わりにはすでに葬式仏教になり、廃仏運動という政府の予期せぬ事態は
そのすでにくさっていた葬式仏教への怒りの発露だったそうだけど

3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/08(火) 23:13:56.68 .net
日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。
檀家制度は、民衆は何れかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務付けるものであり、 キリスト教や不受不施派を禁制として、
信徒に対し改宗を強制した。それに抗して一部の者は「隠れ」となる事を強いられる。
其れ迄の民衆の葬式は一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。
また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。
此の事に依り、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み定期的に収入を得るばかりの、 変化のない生活に安住する様になっていった
以上 引用おわり ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%AC%E5%BC%8F%E4%BB%8F%E6%95%99。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/08(火) 23:27:08.17 .net
明治5年に肉食妻帯に関する太政官布告が出され、
国法として僧侶の肉食妻帯が処罰されることはなくなったろ。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 02:01:03.48 .net
当時の廃仏はある程度は仕方が無いだろ。当時は白人列強が日本の
植民地化を狙っていた。特にロシアの南下政策。

仏教では人殺しを禁ずるから近代戦争は出来ない。
ベトナムがアメリカに勝ち抜いた原動力の共産主義も未だ無かった。

アジア諸国は皆、白人に乗っ取られた。
中国も悲惨だった。目には目を、でキリスト教に似た神道でロシアに
立ち向かったのだ。米英アングロサクソンと戦端は間違いだっただけの話。

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 10:59:16.09 .net
エセ天皇信じ込ませるために、仏教はかいしたんだろ

7 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 11:23:48.34 .net
>仏教では人殺しを禁ずるから近代戦争は出来ない。

全く説得力がないな
近代だろうが前近代だろうが殺しまくりじゃん
なんだよ「石山戦争」って

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 11:29:05.16 .net
僧兵とか日本史で習ってドン引きだよね

9 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 16:32:58.32 .net
中学の歴史で末法の様相、白法隠没って習ったよ。
今は、知らないけど。

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 16:56:49.29 .net
>>1の内容は過激に過ぎるような気がするけど、
明治政府による神仏分離が、日本の伝統的な信仰形態をぶち壊したことは事実だよな。
まぁ、天孫たる天皇が「千代に八千代に治める」国というお話を作るためには仕方がなかったんだが・・・

11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 17:45:39.62 .net
>>1は煽り過ぎだな
ただし一部の表現が過激なだけで趣旨は必ずしも間違ってない

>>10
俺は神仏分離令は寺サイドにも大きな問題があったので(結果的にやり過ぎたが)やむなしだったと思うし
修験道禁止令も当時の近代化政策や世界の潮流を考えればある程度やむをえない部分はあったが
神社合祀令については、仕方がなかった、とは全く思わないんだよな
急いで中央集権体制を整える為といえば聞こえはいいが
実際はそれを名目に朱子学に染まった国学者やそいつらを利用して地位や利権を得ようとした連中が
日本各地の祖霊信仰や文化習俗を復元が適わないほど徹底的に潰して回ったんだから

12 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 18:02:43.59 .net
日本の伝統的価値観は、田布施システムを広めるのに邪魔だったんだろ
今やそれは成就したかに見える。

13 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/09(水) 20:11:05.91 .net
いくら自分たち平民や新平民上がりのサラリーマン神職の利権にとって都合が悪いことが書かれてるからって、先代旧事本紀まで排除しちゃった(あるいは現代語訳がなかったので偏差値低過ぎの頭では読めなかった)神社本庁教って、やっぱりダメダメだと思うの。

14 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 00:45:05.25 .net
まぁ戦後は味噌も糞もねぇーだろ。人慾時代だしな。
神仏なりで祭る自然自体が開発で減っちまったし、
大日本帝国末期の朝鮮合法化の祟りで仏魔が流行り出したし、

だいたいハンバーガーなんかで大量食肉生活だしな。
流行るとしたら真宗や仏魔だろ。

まぁこうなるきっかけが廃仏からだろ。
天皇が京都呪界から出たのも霊的国防線の放棄だしな。

15 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 00:51:48.95 .net
弱小国を植民地にして資源や労力を収奪する帝国主義は
軍事的手段と経済的手段があるが、
戦後日本は後者だろ。

どちらも食肉でスタミナを付けねばならん。
豚や牛や鳥を喰らって。

もっともイスラムは豚は食わん。
豚は雲古を食う動物だからだ。

16 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 17:36:36.87 .net
>>11
>俺は神仏分離令は寺サイドにも大きな問題があったので(結果的にやり過ぎたが)やむなしだったと思うし

仏教側にどんな問題があったのですか?

>修験道禁止令も当時の近代化政策や世界の潮流を考えればある程度やむをえない部分はあったが

なぜ、修験道が残っていては、近代化が出来ないのですか?

17 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 18:09:11.41 .net
戦後レジームからの脱却じゃ根本解決にならん
維新後レジームからの脱却だろ

仏教だけじゃない
仏教伝来から江戸時代までの歴史が徹底的に破壊された

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 18:13:08.37 .net
「江戸時代末の段階において、日本人の成年男子(註:数え歳で18歳以上で計算、富士講や御嶽系は除く)の19人に1人は在家もしくは出家の山伏(修験道行者)だった」
…という正木晃先生らの統計学調査の結果もあり、
また在家と出家とがほぼ対等の立場(特に本山派・天台系)で活動するという平等性・開放性からも、修験道はある意味もっとも日本人の心性に親しく根付いた宗教だったといえる。
無論、神道・仏教・陰陽道・山岳信仰…等々が素朴だが緊密に融合したその体系は、上下の別を説く中国儒教、特に朱子学を根幹とする水戸藩系や町人(本居、平田ら)の国学や、「神祇不拝」を宗是とする浄土真宗(特に東西本願寺教団)、
そして何でもいいから幕府(天台系修験は幕府と一体の寛永寺の厚い保護下にあり、逆にその力の源でもあった)を倒して自分たちが成り上がりたい薩長の下人層…からすれば当に目の敵であり、
案の定、これら雑多ながら利害関係は一致する諸勢力が野合・結託して、いわゆる「明治維新」と言う名の軍事クーデターを起こした結果、
浄土真宗以外の仏教宗派や、古代から祭祀を担ってきた祭祀血統と共に…あるいはそれ以上に、修験道は徹底して破壊と弾圧を加えられることになった。

19 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 19:41:24.79 .net
>>18 >何でもいいから幕府を倒して自分たちが成り上がりたい薩長の下人層
長州、薩摩の両藩ですけど、最初から幕府と仲が悪かったわけではなく、長州藩でも長井雅楽が「公武合体政策を支持し外国との折衝を幕府主導にて行い、緩やかな開国を目指す」という航海遠略策を出していた
下の身分にあった人たちがチャンスをねらって動いたのが明治維新というのは本当ですが
「いままでの幕府じゃだめだ」「上にまかせておけない」というのも皆無とは言えない
悪いことなの?下克上や倒幕って。結果論で言えば、古いものをさっさと消して新しい体制にしたことで速やかに外国への対抗できる政府ができたわけですが
結局 後世の人間が自分の価値観で良いか悪いかを論じんているわけだ

20 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 23:10:56.78 .net
幕府は駄目だろ。だいたい薩長は米英ユダ連合の代理窓口で
幕府はフランス・ロシア大陸ラインだった。
海洋民族性とは相性が合わない。

結局、海洋勢力と大陸勢力の拮抗点が当時の日本列島だったわけで
今はそれが半島まで上がっているだけだ。

薩長・神道・海洋性・米英
幕府・修験・大陸山岳性・露仏

の構図だろ。

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/10(木) 23:28:58.59 .net
>>16
仏教寺院については>>2>>3が詳しい
簡単にいえば当時の寺院は共産圏の国民統制機関のような物で理不尽な賄賂の要求もあった
山岳に篭ったり加持祈祷で病気回復を謳う修験道は
近代医学を普及させ欧州列強に対し日本の未開性のイメージを払拭したい明治政府には邪魔だった

22 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 00:15:50.00 .net
薩長は妻帯させて破滅に追い込んだんだろうね。
その薩長が朝鮮系の子孫なんだろ。日本を壊すのが目的だったんだよ

23 :【神社合祀令=神殺しと鎮守の杜(1)】:2014/04/11(金) 08:39:17.53 .net
日本のウブスナ神の社の3分の2は、薩長クーデター政府による神社合祀令で明治40年から数年の間に、挽き潰されている。
薩長土人のこの「神殺し」により単純計算でも日本人の3分の2はウブスナ神の社を失った。
その後に土人が人為的・一方的に線引きしたのが、現在の「氏子地域」なるシロモノ。
連動した政策として人工の「鎮守の杜」が造成され、狂ったようにオガタマノキが植えられた。
(試しに、近くの神社の木の樹齢を調べてごらん。ドンピシャで明治41年前後に植えられたことがわかるだろう。)
現在「鎮守の杜」を守れ!とか言ってるのは余程オメデタイ連中か、「私は無学です。」と触れて回りたい奇特な方である。

24 :【神社合祀令=神殺しと鎮守の杜(2)】:2014/04/11(金) 08:41:09.43 .net
「小さな天皇」とも言うべき御神裔=国造家など血統正しき宮司家・社家を追い出して、
昨日まで殺し屋してた「維新の志士」なる穢多・賤民や、祭祀とは何の関係もない町人上がりの国学者=チャンコロ儒学の徒を新宮司としてハケン…。
維新とやらの当初だけ旗印に利用した、花山天皇直系の神祇伯・白川伯王家まで神祇官を廃止して追放。
あとは神社合祀令で、自分たちに都合の悪い神社を挽き潰して、全国の神社数を三分の一にまで減らし、
それまでの本当の社叢=クヌギやタブの樹等の自然植生を破壊してまでオガタマの木なるものを植えまくって「鎮守の森」のデッチ上げ…とヤリたい放題。
これに猛然と反対した南方熊楠らの抵抗が国民運動となりかけているのを見て焦り、熊楠を政府内にポストをあてがって取り込もうとするも、見事に拒否されて、暴走を断念。
熊楠がいなかったら…全国に地域のお社や明治以前からの社叢は残らなかっただろうね。
所詮は薩長穢多の卑しきオツムの所産。
未だに彼ら新興カルト宗教の洗脳が解けぬ低知能者は、まずは末木文美士・日文研所長(京大名誉教授)や齋藤英喜教授の著作でも読んで、本当の「かむながらのみち」とは何であったのかの基本ぐらいはお勉強すべし。
陛下を祟り神のもとに下向させるような御苦痛と悲劇を、これ以上重ねさせてはならない。

25 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 08:50:10.01 .net
物部氏伝や尾張氏伝から編まれた『先代旧事本紀』あたりから、お読みになられたら如何がでしょうか。(後に付された全く無関係な『大成経』の部分も…黄表紙本としては面白いですよ。)
尾張氏(熱田)や海部氏(籠宮)、津守氏(住吉)…海人族三家と物部氏(石上氏)=布留族は、十種神寶と共に降臨したニギハヤヒの祭祀血統、
中臣=藤原は、その後、御皇室の祖であるニニギが地に降り立つ際に、臣下として付き従った下僕アメノコヤネの末に過ぎません。
壬申の乱によって、大「海人」皇子=天武帝が尾張氏と共に「年下の兄」天智の子・滋賀作の宮やその臣・藤原氏を打ち破り、草薙神劍を本来の持ち主である尾張氏に返還、
天武帝の命で神劍を奉送してきた粟田氏(尾張氏一門の「しろとり会」と並ぶ、もう1つの熱田の旧社家会「朱鳥会」一門。以後代々、草薙神劍の移動警護を担う。
敗戦直後、GHQによる強奪を避けるため、草薙神劍を飛騨・水無神社の位山に御遷し奉った際にも、戦前最後の熱田大宮司・尾張さまと共に、その重責を担われた)を迎え、
尾張氏一門が悲願達成にむせび泣く、現在に伝ふ秘事「酔笑人神事」などを御実見なされば、
草薙神劍が「三種の神器」成立以前の「十種神寶」の一にして、残る九種のうち二つを今も護持し奉る籠宮・海部氏らと共に、現在も「もう1つの御皇統」ニギハヤヒの霊統を御守りなされておられる御姿が体感できることでしょう。
再び力を得た天智系のブレイン「藤原種継」が殺されなければならなかった理由、続く「藤原薬子の乱」を起こせしめた御方、そして嵯峨帝の御出自など…愉快な事、目白押しでございますぞ。

26 :【伊勢社と神宮大麻】:2014/04/11(金) 08:53:12.21 .net
神宮大麻は伊勢暦と共に元来、外宮の度会家と、その直下で半僧神職の伊勢御師(外宮約450家、内宮約150家)が全国を頒布してまわる専売特許であり、このシステムの下に江戸中期には年間平均700万体の神宮大麻が配られていた。
(当時の日本の人口を考えてくだされよ。ノルマを課してでも「減ったー、減ったー」と喚きちらすツネキヨが如何に無能かが分かるだろう。)
そして、彼ら御師により、全国から伊勢参りの案内がなされ、滞在中のホスト役から神楽舞、祈祷に至るまで「全て」がなされていた。
伊勢…山田(明治まではこちらが中心。)も宇治も現在のようなシャッター街のゴーストタウンではなく、全国との物流と現在でいう所の「小切手」(伊勢折紙)の流通で賑わい、
奥ノ院である朝熊山金剛證寺も現在の赤ペンキ塗りたくりの廃屋(明治期に臨済ハゲが乗っ取ってアノ有り様に)どころか、今は何故か立入禁止地域になっている外宮後方の「天岩戸」ともども巡拝コースとして賑わっていた。
天岩戸での生身の「アメノウズメ」さまの舞や、河崎、古市、そして何より御師の館での「巫女との聖婚」を、キリスト教的道徳観に汚染された現在の日本の視点で語るのは野暮と言うものだろう。
「かたじけなさに涙こぼるる」の「西行の一首」が江戸末の町人国学者による偽作であることを待つまでもなく、
「伊勢参詣曼荼羅」を見れば一目瞭然のように、僧侶も含めあらゆる階層の人々が両宮・正殿前にぬかづき、読経し、拍掌(もちろん、明治40年になってコシラエられた二礼二拍一礼などではないですよ)していた。
(江戸末に町人国学者が「穢多=異人種説」を創作するまでは、被差別民もまた日を限って宇治橋を渡っていたのだ。)
南北朝以来途絶えていた御遷宮を復興した慶光院の代々の勅号尼上人と御師たちが遷宮の指揮と財政的責任を担っていた。
うまし国、伊勢。
伊勢は…そしてすべては…「志士」という名の薩長の殺し屋と、神祇とは何の関係もない町人上がり国学者が祭祀にまで土足で上がり込み、
度会家も慶光院上人さまも御師たちをも追放して、神宮大麻以下の伝統を簒奪し破壊し尽くした時に終わったのだった。

27 :あな賤けきや、卑し水。:2014/04/11(金) 08:56:23.59 .net
亀山上皇が石清水八幡宮寺にて西大寺叡尊に愛染明王法による敵国調伏を御命じになられた御旨も理解できず、
孝明帝に毒を盛った薩長土人の尻馬に乗って新善法寺家〜菊王路さまを蹴り出して石清水を乗っ取り、
陛下が御頭をお下げになられていらっしゃるのに、己れは横でニヤニヤしているような下衆な男であるから、
被災地への御料米を職員どもで山分けして喰い潰し、
東北で民が苦難に喘ぐ中で神宮大麻の頒布数が減った、残念でならないとわめき散らし、
己れらが分際もわきまえず、分不相応な神々に対してインチキ祭祀を行っているがために、民は疲弊し、異国の侵犯を受け、国が滅びんとしているその責任には一向に思い至らない。

あな賤けきや、卑し水。
ふてぶてしきや、犬神人。

28 :【日本精神の三本柱】:2014/04/11(金) 08:58:35.23 .net
二礼二拍一礼を始めとする現在の神社神道なんて、明治40年に皇典講究所(現・国学院大学)の高山昇という下人が西洋の一神教に対抗してデッチ上げたもので、それまでの本当の神道とは何の関係もない新興宗教だ。
日本精神の拠り所は、本当の神道(御神裔による社家神道と、集落ごとの血の通ったウブスナの神道な)・仏教(神祇不拝と国王不礼を宗是とする真宗ハゲは除外な)・修験道(江戸末の時点で、成年男子の実に20人に1人が山伏だったことを正木晃博士らがはじき出しているからな)
…の三本柱の上に、祭司王としての陛下を戴く、世界が羨む完全なシステムだ。
チャンコロ儒教の下に成立した国学や、似非一神教に過ぎぬ神社本庁教に洗脳された結果どうなったかは、現在の日本を見れば痛いほどに明らかだろう。

29 :神職犯罪者列伝:2014/04/11(金) 09:27:26.60 .net
既述の伊勢神宮神職の事件や、赤坂・日枝神社神職・廣瀬正周(まさかね)による社務所での処女巫女強姦事件に加えて、丹生都比売神社の神職は、南海電車の中で小学生女児を強姦しようとして、警戒中の鉄道警察隊に現行犯逮捕、
奈良・墨坂神社の神職に至っては、有罪判決まで受けたのに神職階位を剥奪されず、現在もえらそうに紫色の紋入袴でウロツキまわり、別表なのに即席で宮司職は身体障害者の娘に…
あれ? 宇佐神宮の宮司職継承で、古代より祭祀を司ってきた宇佐国造の到津男爵家に対し、「女性だし神職としての経験が浅い」と横槍入れて介入したウンコみたいな顔、いや苗字の人、どこ行った?
菅原道真公御直系の大宰府天満宮・西高辻さまが御子息(東大卒)を権宮司職にするのにイチャモン付けたくせに、自分のムスコ(底辺・國學院卒)は平気で卑し水の権宮司にねじ込んだ犬神人はどこ行った?

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 11:35:11.34 .net
神社内のお堂を取り壊してしまったのはもったいない。
移築して現存するものもあるけど…
日光の大部分を残させた板垣はエライ。

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 12:41:32.72 .net
地域の鎮守社に、本来は神職なんていなかった(要らなかった)んだよ。
その土地の方たち自身の手で廻りもちで潔斎して、神主を務めていた。それぞれの地域の作法でお祀りして。(これを「年神主(としかんぬし)」という。)
それをブッ壊して、日本全国をくまなく線引きして氏子地域を勝手に決め、全神社にサラリーマン神職を派遣して統一祭式を押し付けたのが、薩長軍事政権とそれに連なる現在の神社本庁教=キリスト教式のエセ一神教。
神社本庁教のウソと欺瞞も限界に来て、国体への悪影響さえ明らかになった今、こんなバカげた仕組みをひっくり返し、それぞれの地域が自分たちの鎮守さんを取り返して、血の通った神さんとのおつきあいを復活させる時が来ている。

32 :【粟田神社れいけん神事妨害問題】:2014/04/11(金) 12:51:45.63 .net
京都の代表的な神仏習合の風物詩として知られる、粟田神社/知恩院門跡の瓜生石「れいけん神事」ですが、昨十月に御参列なされた皆様は「あれ?」とお気づきになられたやも知れません。…昨年は粟田神社のほうが大変でした。
元々、神社本庁教の輩どもから、
「祭神名をスサノヲから牛頭天王に戻したのが気にくわん」だの、
「鳥居に『新感神院』の比叡山末寺時代の天皇陛下御勅額を再掲したのが気にくわん」だの、
「境内に佛堂である聖天堂を再建する氏子総代会の決定は認められん」だの、
事あるごとに横槍が入り、粟田祭りについても知恩院門跡さまとの「れいけん神事」や、東伏見様の青蓮院門跡への御神輿ご挨拶等、神佛一致を復興させた部分が気に入らないと嫌がらせを受けていたのですが、
昨年は、毎年「れいけん神事」に出仕していた他社神職にまで圧力がかかり、出仕がかなわぬ事態に。
浄土門主猊下はじめ知恩院門跡ご一同様には夜儀にも関わらず快く御下向戴いたのに対し、粟田社側が宮司他三名のみの出仕という、実に情けなく失礼な有り様と相成りました。誠に無念の限りで、言葉もございません。
今後とも薩長による廃仏の錯乱を曳きずる狂信の輩の圧力に断じて屈することなく、神佛の御前に精進して参る所存に変わりはございませぬが、
ここにあらためて門主猊下はじめ知恩院門跡さま並びに浄土宗諸先生方の御智恵を拝借したく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
神仏共生の真の日本の復興を至誠に祈念しつつ。
彌榮 拝上

33 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 12:54:44.19 .net
古事記・日本書紀にハッキリと記されているように、崇神天皇は宮中に同床していた二柱の神…ヤマトの根源神である大国魂大神(現在、大倭神社に鎮まる)と邪悪な祟り神・アマテラスとを秤にかけ、迷わずアマテラスを永久追放したわけだ。
日々、皇威によってこの悪神をねめつけ封じ、一方で皇女を人身御供としてアマテラスに差し出してまで国の安泰を保ってきたのに、
わざわざ呪われた辺境の悪地・伊勢に封印されていたこの邪神を、愚かなる薩長土人どもが崇め奉り、あろうことか陛下を穢れた地に踏み入れさせてしまった。
以後の歴史は見ての通り。
長州穢多と蝦夷のおぞましきハイブリッド・安倍の下、今やヤマトの国は滅びへの最終段階にさしかかっている。

34 :【御神裔 対 サラリーマン神職(1)】:2014/04/11(金) 13:01:04.16 .net
明治の薩長クーデターまでは、地方国家クラスの宮は御祭神直系の御神裔(阿蘇=阿蘇氏、熱田=尾張氏、賀茂=鴨氏…等々)や
ゆかりの一族(出雲=千家氏・北嶋氏、宇佐=到津氏・宮成氏(秦氏)、伊勢=度会氏・荒木田氏…等々)が古代から連綿と続く独自の祭祀を継承し、
その頂点に天皇が祭祀王として立つという整合性を保ってきた。
ところが、薩長軍事政権は西洋のキリスト教を真似した国家神道という似非一神教を捏造するために、これら古代からの神道祭祀を断絶し、全国統一祭式(二礼二拝一礼などはその例)をこしらえた上、
各宮司家を祭祀から追放してしまい、代わりに薩長人や町人上がりの国学者を宮司に据えた。
それまで朝廷の神祇官を継承していた花山天皇直系の白川伯王家や、神祇管領・吉田(卜部)家でさえ石もて追われる一方で、廃仏毀釈のために寺をムリヤリ神社に改変する荒業のために、
例えば、菅原道真公の墓所である天台宗安楽寺を大宰府天満宮に造り変えようと、わざわざ道真公直系子孫である西高辻さんを連れてきて宮司に据えたりまでした。

35 :【御神裔 対 サラリーマン神職教(2)】:2014/04/11(金) 13:03:36.58 .net
千家氏や到津氏のように、現地での抵抗が激しいところでは妥協して生き延びたところもあったが、そうした例外を除けば、古来の日本神道はここにほぼ壊滅した。
戦後、これを引き継いだ民間団体・神社本庁教団であったが、大社クラスの離脱が相次ぎ、自らの仕掛けた裁判にも連戦連敗する中で、かえって頑迷さを強め、サラリーマン神職によって原理主義が台頭した。
ここで2つの大きな事件が起こる。
1つは、大宰府天満宮継承介入事件。
前述の通り、大宰府天満宮は、元々寺であったものをムリヤリ神社に改造するために、道真公の子孫である西高辻氏に乞うて宮司になっていただいた経緯があるのだが、
この血統による宮司職の継承に、あろうことか神社本庁教団が反対。(今回の宇佐の件と同じ。)
ところが西高辻さんは明晰な頭脳の持ち主なので、「ほほう、犬神人クン。それでは本義に立ち返り、大宰府天満宮なる捏造品を廃して元の天台宗安楽寺に戻しましょうや。」と切り返し、実際に天台宗の高僧方を招いて、神仏合同の祭式をスタートさせた。
これに合わせて、出雲大社・千家宮司が、日本精神の本来の姿である神仏習合の復興への第一歩として「出雲國神仏霊場」を発足させ、これが当たる。
神仏習合の回復への流れが強まり、また日本の歴史や考古学への一般の関心と意識が高まる中で、いわば小王家とも謂うべき旧社家・国造家への関心と、薩長軍事政権が進めた歴史捏造への疑惑も強まってゆく。
そんな中で、第二のトンデモない事件が起こる。

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 13:05:57.85 .net
>>30
秩父長瀞の宝登山神社も全く仏堂排斥しないで今に伝えてるよ。
神社と真言宗智山派のお寺が同じ境内・・・というよりも棟続きで
同居してるし、ご祈祷で本社に移動するときは本堂前の廊下通って行くくらいだし。
おそらくあそこまで明治以前の姿が残ってるのは全国唯一。

37 :【御神裔 対 サラリーマン神職教(3)】:2014/04/11(金) 13:06:02.58 .net
元々、神社本庁教団は、財界との結びつきなども含めて、あからさまに原発推進を進めてきたのだが、それ自体の当否は今は問うまい。
問題は、中国電力が計画する山口県・上関原発の建設要地に、万葉集にも歌われた神地である祝島周辺や、対岸の古社・四代八幡宮の境内地が含められたことによる。
この計画に対し、「祖先から受け継いできたこの神聖なる産土(うぶすな)の地を命に代えてもお護りすることが私のお役目。手放すわけには参りませぬ。」と、境内地の売却を四代八幡宮宮司が拒否。
ところが、突然、その当人からの「退職願」が山口県神社庁に提出され、代わりの宮司がハケンされてくるというお決まりの手口が展開される。
身に覚えのない「退職願」の提出に対し、四代八幡宮宮司並びに氏子総代会が提訴。
2009年3月24日に山口地裁、さらに2010年9月2日に広島高裁が退職願が偽造されたものであることを認定した上、なりふり構わぬ手口に対し、裁判長から異例の訓示が言い渡される。
しかし、その判決を見ることなく、当の四代八幡宮宮司は2007年3月、遺体となって発見される。
人を人とも思わぬやり口と、一宮司の命さえ奪う事態となった無道を目にし、ついに出雲大社宮司・千家尊祐氏が神社本庁理事ならびに島根県神社庁長を抗議辞任。
各社旧宮司家・社家・国造家がここに結集し、神社本庁教団を真っ二つ…即ち古代からの祭祀血統対サラリーマン神職…に割る事態に。気多大社等、別表社の離脱、さらに相次ぐ。神社本庁側の敗訴続く。
こうした中で宇佐神宮についても、到津男爵家当主・克子氏の宮司職継承に対し、神社本庁教団が「神職としての経験が未だ不足」を理由として、配下の大分県神社庁長を宮司として「ハケン」して介入。現在までの抗争に至っている。
一方で、昨日まで高校教師だった男が春日大社宮司になったりと…。

┓( ̄∇ ̄;)┏ ヤレヤレ オバカだねぇ〜

38 :【斎王と祭主】:2014/04/11(金) 13:08:48.59 .net
斎王…未婚の皇女。巫女としての役割と、御皇室から追放された、仇なせるアマテラスに対する、倭姫以来の人身御供=生贄の性格を併せ持つ。
祭主…明治の新設。間違えてはならんのは、男も歴代祭主を務めていたという点。斎王とは全く別物。戦後は「政教分離」の建て前上、「皇室を離れた民間人」…それも何らかのハンディキャップを抱えた方が務めておられる。

39 :【真宗禿 対 浄土宗〜仏を破壊する者と護る者】:2014/04/11(金) 13:14:21.25 .net
大本山・百万遍知恩寺が下鴨神社内の草庵から始まっていたり、総本山知恩院が黒門前の瓜生石での「れいけん神事」を粟田神社との共催・神仏一致で浄土門主さま以下御親修で執り行っているのは周知の事実ですが、
薩長クーデター政権による廃仏毀釈や修験禁止令に際して、神社の御神体であった仏像・神像などの保護を懇願してきた僧侶や旧社家、各地の霊山の修験行者たちを、
天台宗寺院が無碍に門前払いし追い返しているのに対し、これをむしろ浄土宗寺院が匿い、保護してきた勇気ある事実は特筆に値します。
(比叡山末であった祗園・感神院(いわゆる祗園社)の御本地佛や客佛が天台寺院からは門前払いを食いながら、浄土宗・大蓮寺に難を逃れて全く無傷で現存していること、
戸隠山修験の御本尊諸佛が、同じ輪王寺末であるはずと保護を求めた善光寺大勧進からは門さえあけてもらえず、見かねた時の善光寺大本願上人・伏見宮家の誓圓尼公が全てを迎え入れて、今もお祀りしていることなど、枚挙にいとまがありません。
それを浄土宗は宣伝に使うわけでもないのに対し、一方、時の政権にヘラヘラ媚びを売り魂まで売り飛ばした恥ずかしき輩=天台は恥とも感じていない。情けないの一言です。
両者のこの器の違いは、日本国民はもっと深く心にとどめるべきです。)
付け加えるならば、浄土宗でも西山三派では、証空上人による鎌倉・鶴岡八幡宮参籠時の八幡大菩薩からの相承を重視するので
(熊野本宮證誠殿での熊野大権現から一遍上人への啓示を根本とする時宗と同じく)
お念仏と神さんとは分けて考えることはできないものとなっています。
…というより、(「神祇不拝・国王不礼」とのトンデモを説く浄土真宗=共産党以外では)これこそが日本における本来自然の宗教的スタンスであったと言えます。

40 :【社家 対 国学者】:2014/04/11(金) 13:17:17.87 .net
「国学」なんてうそぶいているけど、その実態は朱子学=チャンコロの処世術。
上の人も言っているように、実際に神道祭祀を継承してきた方々とは何の関係もない、伊勢・松阪で牛の肛門をほじくり返していた男の妄想に過ぎない。
その証拠に、この国の祭祀を二千年間つとめ守って来られた各宮の宮司家・社家の方々(ほとんどは御祭神直系の御神裔である)は、出雲大社教なる別団体まで造って抗った千家(出雲国造)家を除き、ことごとく宮から追われた。
危うく、こうした祭祀王の頂点に立つ、天皇までどうにかされるところだった。(実際に孝明帝は…。)
代わりに宮司と称してやってきたのは、昨日まで町人・農民・賤民であった「国学者」たち。
自分に近しい者を遠ざけた張本人であるこれら馬の骨どもに、全国画一の無意味な祭式で「ニ礼ニ拍一礼」なんぞされても、神さんが喜ぶはずもない。
…ここに、日本の終わりが始まった。

41 :【伊勢の慶光院上人】:2014/04/11(金) 13:25:03.47 .net
室町期、120年以上ご遷宮が途絶えた時に、三代にわたって遷宮の必要性を説いて全国を勧進してまわり、見事、ご遷宮の復興を果たし、その後も江戸時代を通じて遷宮を支え続けたのが、尼僧である歴代の「慶光院上人」さまだったのだ。
日本史上、「上人」を称することを勅許された尼僧寺院は三つしかない。
1つはこの「伊勢・慶光院上人」、2つめは源頼朝公が産湯をつかい徳川家の帰依を受けた「熱田・誓願寺上人」、そして3つめは現在、鷹司誓玉尼公さまが務めておられる「善光寺上人」。
この三人の尼上人は、晋山にあたり宮中に参内し両陛下に法を奏す役目も担っておられ、十三尼門跡のまた上に、御皇室より「尼公」の尊称をもって遇せられるのだが、
嗚呼、哀しいかな、無知蒙昧なる薩長土人、賤けきかな、伊勢穢多、なんと明治期に、ご遷宮の大恩人であるこの貴き慶光院上人さまを御座所より引きずり出し、勝手に追放・廃寺としてしまったのだ。
(当時、善光寺上人であらせられた伏見宮家御皇女・誓圓尼公さまも、善光寺を「善光神社」に改めると長野の暴民どもや町人上がりの国学者ふぜいが、還俗を迫って押し寄せる中、
「愚か者! 宮から皇女の衣は奪えても、仏の心は奪えぬと心得よ!」と一喝、善光寺を守ったばかりか、長野にも吹き荒れた廃仏毀釈の嵐の中、打ち壊されようとする数多の仏を宗派を問わず大本願内に匿い、今日に伝えた。
その中には、同じ輪王寺末であるからと隣の大勧進に助けを求めて逃げ延びてきながら門を開けてもらえなかった、修験の聖地・戸隠山の三本尊も含まれている。)
恩を知らざる伊勢エッタ、学も知もなき町人あがりの本居・平田の徒、何の力も正義も見せることなきアマテラス…。
御遷宮を守り通した歴代尼公の寺である慶光院には、現在、有髪の池沼厚子婆がお棲みであるとよ。
歴代慶光院上人さまの眠る墓地は、恩知らずの伊勢穢多どもによって挽き潰され、なんと駐車場として伊勢市の舎弟企業のカネヅルにされている。

42 :【上野誠の狂気】:2014/04/11(金) 14:40:15.72 .net
大神神社から狭井神社を経て檜原神社に至る道には、明治の廃仏毀釈時に破壊され挽き潰された寺々の高僧の墓なんかがゴロゴロ埋まってる。
オカルト話じゃなくて、道をつける際に墓石の五輪塔なんかを集めて無造作に使ったようなんだが、最近それが露出してきているのだ。
祟りがどうこうとか言うつもりはない。
ただ、墓を踏みつけるのを気にする感性をお持ちの方は、足元に少し注意して欲しい。五輪塔墓の水輪部(球体○部分、火葬の場合は地輪□か水輪○に骨を納めてた)は素人でも「これか!」って分かりやすいから。
併せて最近、「奈良では廃仏毀釈はなかった」という暴論を流布させはじめた上野誠氏の狂気を見抜く目を養って欲しい。

43 :【「神社本庁教」呼称運動のススメ】:2014/04/11(金) 14:44:30.08 .net
神社「本庁」などと政府機関まがいの名称を使用して善男善女から浄財をちょろまかしていますが、彼らは明治40年に教義や祭式が作成された、天理狂より歴史のないれっきとした新興宗教団体です。
誤解を避け、騙されてカネを巻き上げられる被害者をこれ以上増やさないためにも、はっきりと彼らを「神社本庁教」と呼ぶ運動を推進しましょう。

44 :【犬神人は國を滅ぼす。】:2014/04/11(金) 14:47:02.77 .net
最近、社家を僭称するヤツ多いからなあ。馬丁とか犬神人とか。
正統なる祭祀血統の社家が宮司になるのを血眼で妨害する宇佐の件なんかも、
犬神人の卑しき血のなせるコンプレックスなんだろうな。
で、穢れた僭称者が土足で分不相応な神さん拝もうとするから、神さんにもソッポを向かれ、民は疲弊し、天変地異は続き、異国に侵され、國は滅びの道に…。
やれやれ。神社本庁教の罪穢れの深さといったら。

45 :【二礼二拍一礼】:2014/04/11(金) 14:49:52.15 .net
明治以前の本来の神道でも各社ごとに拍数も違うし。伊勢は八拍、熱田は七拍、出雲は四拍…。
二礼・二拍・一礼で全社統一(伊勢の神職と出雲は本来の拍数でやってるけど)なんて暴挙…いくら鹿児島県人や山口県人の知能では1、2、…までしか数えられないからって、困ったもんだ…。

46 :【廃仏毀釈の陰の立役者】:2014/04/11(金) 14:55:08.64 .net
御祭神の御子孫やゆかりの方々である社家を追い出して、何の神道か!と思う。
でも悪いのは明治政府や町人出身の自称神道家ばかりじゃない。
薩長に軍資金を全面投入して見返りに大谷家に伯爵位をもらったばかりか、「神祇不拝」・「国王不礼」という親鸞以来の狂義を持ち出して、神仏判然令発布への請願を繰り返した本願寺教団や、
廃仏毀釈の混乱に乗じて他宗派寺院を乗っ取りまくったのはいいが、今になって禅坊主のなり手がいなくて、無住(兼務)寺院が三分の一を超えているハイエナ=臨済宗の
「陰の功績」も絶対に忘れてはならない。

47 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 17:36:15.39 .net
京都御所隣接のツラ汚し・梨木神社のマンション建設も地鎮祭を終えたようですね。
御所や迎賓館のセキュリティーも我関せずの売国行為に、いつもはあらゆる手段で妨害を仕掛ける神社本庁教が、すんなり離脱を黙認とは、やはり背後で相当額の取引があったのでしょうか?

何しろ、梨木神社至近に、石清水・田中恒清宮司配下の神職養成所「京都國學院」・「京都皇典講究所」があるわけですからね。こんなに静かだと、もはや何があったかはさすがに…。

48 :【綱吉公 対 ホモ肛門】:2014/04/11(金) 17:56:36.86 .net
エセ神道家や薩長政府によって、綱吉公や柳沢吉保公がムチャクチャな扱いをされてきたのも痛い。
史実としてはホモ相手の小姓を水戸城内で快楽殺人して、その頭蓋骨を杯にするなど、明らかにキチガイだったのは水戸の光圀の方で、
綱吉公は初期こそ儒学=チャンコロ学に洗脳されかけたが、その矛盾を看破し、佛道の大慈大悲の精神に深く思いをす。
その極みが生類憐れみの令なのだが、キチガイ水戸国学の徒であるエセ神道家や薩長エッタからすれば、格好の攻撃の的であった。
ついでながら、僧・隆光のすすめで柳沢吉保が、私財を殆ど投じ尽くして、現在我々も目にすることのできる東大寺大仏殿を再建したことも、「都合が悪いから」触れられることはない。
嗚呼、偉大なる哉、薩長下衆。
誉むべき哉、キチガイ・ホモ水戸中納言。

49 :【犬は神社に入ってはならない?!】:2014/04/11(金) 18:02:05.92 .net
犬や動物を人以下に見たり、穢れたものとして神域から排除する偏向した思想は、明治以前の本来の神道にはない。
今月発売された新書でも詳しく論究されているが、江戸末には、少なからぬ犬が伊勢社へのお陰参りさえ立派に果たしているのだ。
そもそも犬を排除するのなら、犬神人を頭目に仰いでいる神社本庁なんぞ、まさに狂乱の次第ということになるのだが。

50 :【本地垂迹説の起源】:2014/04/11(金) 18:04:51.23 .net
「神仏習合」が東大寺大仏建立よりどのぐらい前まで遡れるかは、現在の学会でも結論めいたものは出ていません。
ただ「本地垂迹説」については、当時まだ下級貴族だった大江匡房がお上の歓心をかって出世するために、
さも空海が根拠を説いたようにみせかけて、自著『本朝往生伝』の中で諸神に片っ端から本地仏をあてがっていったのが始まりだとほぼ結論が出ています。
僧侶でも神官でもないただのオヤジの醜い出世欲が、その後の日本の宗教観を決定づけたというのは、最悪のブラックジョークですね。
(大江家というのは、その後も朝廷と鎌倉幕府の間でコウモリのように立ち回ってのしあがったり、その子孫である毛利氏は関ヶ原の戦の際にもひよったり、
さらにはこうした胡散臭いDNAが最終的に明治の廃仏毀釈へと繋がってゆくのですから、ムチャクチャもここに極まれり…といった感じです。
本地垂迹説をでっち上げた者の子孫たちが神仏判然令・廃仏毀釈をおっぱじめるわけですから、いやはや…。)
ちなみに、勝手に本地垂迹説の根拠に利用された空海ですが、近年の研究では自身は、本地垂迹説ではなく、神仏ともに尊し…という「神仏対等」もしくは「神仏相互共助」の立場だったことが明らかになりつつあります。

51 :【鎮守の杜の御神木】:2014/04/11(金) 18:07:17.97 .net
地域の鎮守社の多くは本来、明治以後のように全てにムリヤリ神職が宮司として割り当てられていたわけではなく、
そこに生きる人々自身の手で護られ、祀られてきたものであるから、御神木も神職ではなく、その地域の…ひょっとしたら何百年も前の自分の御先祖さんたちが苗木を植え、
見守り育ててきたものなのかもしれない…と言うこと。
神聖であると同時に、もっと親しく愛おしむべき存在だということ。(鎮守社や産土神さんもまた同じ。)
後付けの教理や、どこかから派遣されてきた神職を超えた、もっと強い自分との結びつきを御神木に感じる。

52 :【国学者・角田某の最期】:2014/04/11(金) 18:10:27.39 .net
熱田は、明治維新で中央から派遣されて宮司に成り上がった国学者の長野人・角田某が、熱田にも伊勢と同じ「祭主」・「神宮号」・「大宮司」称号の三点セットをよこせ!
ついでに伝統ある尾張造りの本殿をブッ壊して、神明造りにしろ!とわめいて、
結局、御祭神を日本武尊から天照大神にすげかえることで「熱田の」神宮を名乗ることは認められ、旧国宝指定をされかけていた尾張造りの本殿はブッ壊されて、神宮御遷宮の際の旧正殿がおさがりとして移築され、現在の本殿となった。
しかし、当然のことながら、尾張国造系旧社家の皆さんの怒りをかった角田某は、このムチャクチャな請願から二年目に、早朝、現在の弘法大師お手植えの大楠から吊されているのを発見された。
もちろん「事故死」だった。

53 :【かたじけなさに涙こぼるる】:2014/04/11(金) 18:18:47.72 .net
なにものが おわしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる

神社本庁教ビラに恥ずかしげもなく現在も、西行作として喧伝されているこの歌は、日本国文学会・西行学会・日本国史学会において既に三十年も前に、森田某なる一田舎国学者による偽作であることが論証されている。
詳しくは各学会の年次論文集を読んで勉強して下さい。
史実としては、明治の薩長クーデターに至るまで、御遷宮を復興し維持してきた歴代の慶光院・尼御前さま(現在、祭主の池田厚子さまが住居となさっているのがその寺=慶光院です)は勿論のこと、
僧俗問わず当然宇治橋を堂々と渡って内宮に参拝していたし、そのことは伊勢参詣図を始めとする古絵図の類を見て頂ければ、正殿前に合掌する僧形剃髪の者が何の不思議もなく多々描かれていることからも、一目瞭然である。
のみならず、もっと基本的なこととして、半僧半俗の伊勢の「御師」の存在を知らぬのはさすがにまずかろう。
薩長下人の歴史捏造も困ったものですが、それにまんまと洗脳されているようでは、知性も朝鮮人と大差ない。

54 :【現在のいわゆる神道なるモノの正体】:2014/04/11(金) 18:23:57.45 .net
現在、「神道」と称されているモノの祭式や作法…例えば「二礼二拍一礼」・「手水の作法」など…は、皇典講究所(現在の國學院大学)に勤務していた高山昇という町人上がりの国学者が、明治40年に創作したモノです。
それ以上の根拠や歴史はございませんし、それ以前…少なくとも薩長エッタによるクーデターまでは…伊勢の八拍、熱田の七拍、出雲の四拍はじめ、各社とも独自の伝統と意味づけのもとに祭祀を続けておりました。
例えて言うなら、仏教の宗派を全てぶった切って、禅宗も日蓮宗も密教も今日から全部「南無阿弥陀仏」で統一だ! 全員共産党に入るんだぞ!というようなものですから、
ムチャにもほどがあるのですが、ウソも百年続ければ、本当だと洗脳されてしまうという好例でございます。

55 :【ホントの家庭祭祀】:2014/04/11(金) 18:26:38.04 .net
一宗教法人に過ぎない神社本庁教が現在「正式」だとしているものの大半は、
旧社家でもない町人あがりの高山昇という小男が、明治四十年になって俄にこしらえたものであり根拠はない。
御札などの祀り方については、何が「正式」かなんて現在は誰も言えない。
(明治の薩長クーデターまでは、朝廷の下で白川伯王家と吉田家が元締めしてたから、究極的にはそっちに聞けば良かったんだろうが、薩長の下人どもによって廃されてしまって今はそれもいないからな。)
「正式」かどうかは別として、明治以前の本来の祀り方の一端を実際に確かめたければ、京都の旧家などに伺えば如実に知ることができる。
毎年の御札を順番に並べて壁に直貼り。重ね貼りしているうちに、いよいよ剥がれてきたら取り除いて納めるか処分している。
「一年ごとに古い御札は納めて、新しい御札を」や現在のような「神棚」も含めて、薩長エッタ教による新ビジネスに過ぎないことがよくわかる。
もちろんこれも、京都の旧家などの事例に過ぎないので、薩長エッタの御子孫や、それに追随することにウマミを感じる方は、思うとおりに神社本庁教のビジネスプランに従えば、お互い大満足で良ろしいかと思います。

56 :【神人合一の道】:2014/04/11(金) 18:28:24.62 .net
かつては庶民であっても神となる…まではなくとも、神と合一する方法が確立されていた。
伊勢に参り、御師の館で巫女に神楽を舞わせ、アマテラスを依り憑かせる。
その巫女=天照大神を掻き抱いて、ほんのり汗ばんだ白き柔肌に舌を這わせ、衣をほどいて「お蔭(おかげ)」を拝すや、思いのたけを込めてその神聖なる躰を割り裂いて一つとなる。
神人合一の極致にあって、よくもよくもとこれ嫁ぎ、精進潔斎して溜め込んできたオトコの熱い白濁液(リキッド)を、アマテラスの躰の芯深くブチまける! 最後の一滴に至るまで振り絞ってナマで献げ尽くす!…縮みあがる金の玉!
アマテラスたる巫女と合一して放った白き精と、アマテラス自らが気遣りして滴らせた愛液との和合水を神宮大麻によくよく拭い採りつつ、
…ことのあとには、オボコ巫女の噛み米から参らせた聖なる神酒で、これ一献。
本当の「お蔭参り」とは、かくも有り難き神秘の秘蹟であったのだが、
愚かなるかな、薩長穢多と町人神道との暴挙によって、神人合一の冥理の道は閉ざされてしまった。
あな、愚か。あな、賤けし。
今では祭主代行・清子さまを御姿を深く念じて日々の精を虚空に放ちつつ、本来の活ける日本神道の復活をただただ祈念するばかりである。

57 :【神宮大麻拝戴作法】:2014/04/11(金) 18:30:53.55 .net
神宮大麻を頂く時は、巫女さま(当然オボコ)に「よろしくお願いします」「はい。」とキチンとお願いして、そのミホトの細き通い路にわづかに挿し入れ、若水に浸して頂いてから、
よくよく戴き、巫女さまにも心付けをお渡ししてから持ち帰らなければ、何の意味もない、ただの紙つぶてに過ぎないのであるぞ。わかっておろうな。

58 :【神宮大麻】:2014/04/11(金) 20:32:13.01 .net
そもそも神宮大麻は、半僧半俗の御師たちが全国の村々売り歩いてたもの。…で、神宮大麻購入ポイントが貯まると、何年かに一遍づつ、村の代表を伊勢の大御師の館に御招待。
巫女に神楽を舞わせてトランス状態にして天照大神を依り憑かせたところで、村の代表とドッキング。神人合一して昇天。
江戸中期以降は、巫女の「お蔭」を拝見して、この神人合一するのがむしろ目的化して、「お蔭」参り…そして怒濤の「ええじゃないか」に突入していった。

「ええじゃないか ええじゃないか!
オメコにカミはれ ええじゃないか!
破れたらマタはれ ええじゃないか!
ええじゃないか ええじゃないか!」
(京都・岩倉『実相院日記』(絵入り)より)

59 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 20:34:59.76 .net
さすがに…熱田神宮の主祭神すげ替え事件は酷いよね。
鳥羽天皇の霊夢で「われは熱田大神日本武尊なり。」って託宣があったという理由で、
熱田大宮司職が尾張氏から外戚に過ぎない藤原南家(のちの千秋)に無理矢理すげ替えられたのに、
今度は熱田大神は日本武尊じゃなくて天照大神だべ〜とか、明治の狂気の見本みたいな暴挙。
元来、古事記説に基づいて日本武尊と宮簀姫を祖先神として祀ってきた、誇り高き尾張氏宗家の方々からすれば、殆ど何にも関係ないアマテラスをいきなりブッ込まれたら、
そりゃハケン宮司を血祭りにあげて、「薩長の下衆ども! これ以上やるなら、こちらも覚悟があるぞ!」…と示しをつけるぐらいは当然でしょう。

60 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 20:38:35.19 .net
元々、明治政府に取り入って、神仏判然令への請願を繰り返し、廃仏毀釈を起こさせたのも実は東西本願寺なんだよね。
自分たち以外の宗派を滅ぼすためなら、政治に取り入ろうが、「国王不礼」もどこへやら御皇室にへつらおうが、「神祇不拝」どころか神祇官とガッチリとスクラム組んで他宗派寺院を破壊し、占拠し、乗っ取り、仏像(真宗の教義からすれば単なるモノにすぎないんだよね)を焼き払う。
現在、コーランを読んだこともない文盲がイスラム法も知らずに「聖戦」と自称して、海の向こうで同じことをしているよね。
あるいはチベットでの仏教弾圧と虐殺。
まるで真宗の姿そのものだとは思わないかい?
自宗の教義を主張するのはいい。だが、他宗派の教えを圧殺するために、神仏判然令への請願を繰り返し、廃仏毀釈に血道をあげている暇があったら、それこそお念仏にでも専念していたほうがいいんじゃないのかな?

61 :【日本神話半島起源説を神社本庁教が賞賛】:2014/04/11(金) 20:53:28.08 .net
「日本神話は韓国が起源」との珍説を最初に提唱したのは半島人・ホン教授とやらではありません。
大本教の出口王仁三郎(本名・上田喜三郎)の血を引く上田正昭・京大名誉教授(元・高麗美術館館長、部落解放研究所所長、韓国・西北大学名誉教授)がその人であり、
上田はこの「功績」により韓国政府から文化勲章の最高位を授与されています。
どこの国にも売国奴はいます。単なる気違いは監視しつつ泳がせておけばよい。
しかし去る6月、神社本庁がこのような売国奴に、神職最高の栄誉である特級神職位を与え「日本神話韓国起源説」を支持したことは看過できません。
これは、日本神道の事実上の統率機関を自称して憚らない神社本庁が、我が日本国の国体の根源を自ら否定し、売国の宣伝機関に成り下がったことを高らかに宣言するものであり、決して許される事態ではありません。
サラリーマン神職本庁の亡国も、ついに「売国」にまで堕ち、看過・放置の域を超えました。
日本を愛する国民の良心に基づいた行動を期します。

62 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 20:56:30.19 .net
御祭神の御神裔やゆかりの国造家でもない、どこの馬の骨ともつかぬ現在の平民(叉は賤民)サラリーマン神職と、御皇室とは何の関係もない。

世襲されてはならない仏教がヒヒジジイ坊主どもの腐汁によって世襲され、
正しき祭祀血統によってのみ世襲されるべき日本神道が、犬神人本庁とその手下の賤民サラリーマンどもによって穢されている。

直ちに綱紀粛正に励まねば、国体がもたない。

63 :【明治の亡国を超えて】:2014/04/11(金) 20:59:08.22 .net
明治維新までは、各神社ごとに祭式も個性を持っていたし、各々の神さんの御子孫や、ゆかりの氏族の方々が直接お祀りしていたところが多かった。(その頂点に祭祀王としての天皇が立つという整合性もあった。)
でも明治政府によって、千年単位でひたすら神さんにお仕えしてきた社家の方々も殆ど全て追い出され、祭式も神さんの御性格の違いも考えずに統一され、血も通わぬ虚しい形だけのものにされてしまった。
二礼二拍一礼で統一!とか狂気の沙汰だし、もっと酷いところでは…今年御鎮座千九百年を迎える熱田神宮のように、主祭神がヤマトタケルさんから天照大神にムリヤリすげかえられたところまであるわけで、
こんなのでマツリゴトがうまく立ちゆくはずもなく、明治このかた我が国は似非キリスト教的な人工宗教のもと、亡国一直線に突き進み、現在その最終段階に突入している。
もう、やめようよ。魂のある本当の神道を一人一人、地域地域の小さな祠の小さな神さんから取り戻そうよ。私たち、そろそろ、日本人に戻ろうよ。

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 21:07:52.50 .net
祟り神・伊勢社の内宮便所に隣接する足神さん(宇治神社)行ってみ。

薩長政権にムリヤリ挽き潰された二十五柱の土地神さんたちが封印されとるで。

この神殺しこそ恐ろしいで。

65 :【氏子地域なるものについて】:2014/04/11(金) 21:11:41.63 .net
江戸時代までの地域の氏神さんと現在の地域の氏神さんは、大半が薩長エッタ政府によってムリヤリ変更されている。

伊勢社=薩長神道中心主義に都合の悪い神々を「いなかったことにする」ために、全国の神社の三分のニは、明治40年の神社合祀令によって、続く六年の間に挽き潰され(神殺し)、合祀の名のもとに消滅しているんだ。
地域の民社の割合となると、実に五分の四が、この挽き潰しの対象となっている。
地域=ふるさとの神さんの八割は、薩長政府によって抹殺されたんだよ。
その後、残した薩長に都合のいい二割の神の社の下に、利権の具合を絡めて新たにムリヤリ線引きし直したのが現在の「氏子地域」なるものであり、そこに宮司としてハケンされてきたのが、
奇兵隊=長州藩の穢多・非人部隊を兵隊はじめとする、昨日まで殺人と屠殺・解体を生業としていた元殺し屋薩長兵士。

現在の氏子地域も、そこの神社の神主(「新平民」=「新社家」)も、ともに地域本来の神や神社、まつりとはまったく関係ないものなんだ。

66 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 21:13:25.75 .net
それ以外に多い事例として、神仏習合どころかれっきとした寺だったのを、薩長土人がムリヤリ神社に改変したとこに新社家を置いたのがテンコモリなんだよな。

大宰府天満宮(←天台宗安楽寺延壽王院門跡)
石清水八幡宮寺(真言宗東寺末。「宮司」はツネキヨで四代目。本当の別当家(新善法寺=菊王路家)は薩長の政策に抗して犬神人あがりの田中家によって追放される。)
鶴岡八幡宮寺(天皇御筆の「八幡宮寺」の勅額の「寺」の部分を、薩長エッタがノコギリでギコギコ切り落とし…。)
熊野那智大社(←熊野那智大権現。神職はおらず。)
…等々。祗園・感神院(比叡山末。現在のいわゆる八坂神社。)などは言うに及ばず。

…長野の善光寺まで「善光神社」にされかけていたのだから、本当に恐ろしい。
(当時の善光寺上人さまであらせられた伏見宮誓圓尼公さまが「非道の薩長の輩に神佛を語ること能わず。退散すべし。南無阿弥陀佛」と身を挺してお守りになられたから、寺として存続した。)

67 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 21:15:13.45 .net
加えて、古代からの名だたる神社の祭祀を司ってきた宮司家や社家は、
明治の廃仏毀釈時に、薩長政府によってほぼ全て祭祀から追放されてしまったのですよ。御祭神の子孫(御神裔と申します)も含めて。
替わりに神社を占有したのが薩長軍を構成していた穢多・非人・殺し屋下人等の被差別階級で、現在の神社本庁教団傘下の神職は、この末裔です。
そればかりではなく、現在強制されている二礼二拍一礼をはじめとする神社祭式自体が、明治四十年になって、高山昇なる町人あがりの小男が製作した「新興宗教」に過ぎないことを、
もっと皆さんには勉強して頂きたいものです。
(薩長エセ一神教の発生まで、作法・祭式は個々の神社ごとに実に豊かで多様だったのです。
当たり前のことですが、御祭神が異なればお祀りの仕方も違うわけで、拍掌1つとっても伊勢は八拍、出雲や八幡神は四拍、熱田は七拍…といった具合に多彩だったのです。)
そうすれば、現行の神社で下賤なる神職に「作法を守れ」だのイチャモンをつけられた時に、「エッタどもの作法に従う必要はない!」と堂々と反論できますから。

68 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/11(金) 23:40:29.43 .net
いい内容だ。勉強になるよ。

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 05:42:57.96 .net
神の国ももはやこれまで
核落とされるのも、原発事故も
神をないがしろにした罰なんだよな

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 08:17:05.81 .net
廃仏毀釈の仏罰だろ

71 :疑神職暗記:2014/04/12(土) 09:03:49.60 .net
実質マトメ・レス、ありがとうございます!

今まで違和感を覚えていたことのカラクリと背景が判り、まさに目からウロコ状態です。

(やっぱり神社本庁…じゃなくて神社本庁「教」!って新興宗教だったんですね。)

もっといろいろ教えて下さい。

良スレage!

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 09:31:39.17 .net
>>68
そっかぁー?
Wikipediaにこの内容を書いたら、根拠のはっきりしない俗説扱いとして
採用されないから、ここに投下したとしか思えんがw

自分で「記紀」を読んで何が書かれているかを把握し理解する能力ない人は
こういう怪文書に引っかかっちゃうんだよな

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:11:24.57 .net
でも、廃仏毀釈が仏以上に神を破壊したのは間違いない

当時の国学者や国家神道家で
古代日本と神々を本当に理解してたやつはいないね
エセ古代日本とエセ国家神を崇めて、国を滅亡させかけた

記紀と、古代豪族の家系図つき合わせると
ホントの事が分かる

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:23:56.65 .net
>>73
エセ古代日本とエセ国家神を崇めて、国を滅亡させかけた

では、正統な国家神とは誰かと問われると
所詮は反天照大神連合軍だから答えを濁すんだろw

75 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:27:09.73 .net
本居宣長を除くと、科学的な研究をした人間はいないのでは無いかと
私も思う。国学が正直言って学問なのか疑問だし、専門の国学者以下の
実働過激派部隊なんかは、はっきり言って読み書き算盤くらいは出来た
ろうが、今のネオナチと一緒でおつむが弱めでプライド高いヤツが殆ど
ネオナチは白人である事にしか優越感を感じられないようなオツムの連
中が実働部隊、それと一緒で実働過激派は夷敵の実力もよく分からず、
パニックになり、捏造された日本の歴史的伝統の中に自らのアイデンテ
ィティーを見いだした連中にすぎない。

76 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:30:55.46 .net
自分の立ち位置を明らかにして批判できないってことは
プライドだけ高くてオツムが弱いから
突っ込まれるとアワアワになっちゃうんだろうなw

77 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:39:30.37 .net
私が、「記紀」を読んだ限りでは
天照大神に匹敵する神は大国主命くらいで
記紀以前の出雲神話では出雲国の主宰神として強く信仰されていた
「出雲風土記」もかなり完全な形で残っていたから
大国主命だと主張するのは、まあわかる

78 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 10:54:16.87 .net
今の神社本庁狂団が紛れもないカルト教団で本来の神道に基づいてないのは
百も承知だ。
しかしながら多くの日本人には本庁狂団の愚説が正当だと思い込まれてしまっている。
二礼〜の参拝作法が正式だと広まってからはほとんどの人が社殿の前で順番にその作法で
参拝することをよしとしている。
こんなのは一昔前まではごく一部しかしてなかったし、多くの人は二拍の後に合掌して
一心に祈るのが普通だった。
今でも田舎の年寄りは神仏関係なしに手を合わせて一心に拝んでいる。
では、この本庁狂団の「似非正式」な説や作法が多くの国民に正統と認識されてしまってる
現状で、いかに神祇信仰をするべきかご高説いただけないだろうか?
もうあちこちのスレで同じ内容での投下は飽きたから今後どうするべきか
お教え願いたい。

79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 11:20:17.88 .net
私も二礼〜の参拝作法がマスコミの影響で
昨近は随分拡がったなぁーとは思った
「無難なところで…」くらいの認識じゃないのかな
各神社がサイトで参拝方法を書いとけばいいんじゃないの

80 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 14:11:31.65 .net
>>74->>77
本来、天照大御神と大国主系統は対立するものじゃないよ
(ちなみに>>73は長文レスしている人とは別人ね)

天津神と国津神を峻別して
天照大御神を唯一絶対の存在とするのは、後世の都合のいい虚構

皇統は紛れもなく尊い存在だけど
皇統を絶対視、もしくは神と同一視するのは大きな誤解
元来は、皇統は神(カモ、カム)の系統と相対的なものだった

81 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 18:32:21.51 .net
神仏習合でいいじゃん。駄目なの?

82 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 19:14:21.80 .net
>>80
>天照大御神を唯一絶対の存在とするのは、後世の都合のいい虚構

してませんよ、日本には唯一神なんて存在してません

>皇統を絶対視、もしくは神と同一視するのは大きな誤解

してませんよ、まつりごとは政りごと&祀りごと

83 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 20:56:27.20 .net
なんで記紀も近代史もなかった事になってんの

84 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 21:16:20.75 .net
五月蝿いな

薩長土人とか書いてるのは、亀岡人だろw

85 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 21:24:46.47 .net
記紀を隅々まで読んで欲しい。
本居がセンチメンタルに祭り上げた古事記はドグマティックで狭量だが、日本書紀は各論併記なので相当興味深いこと、多様なことがつらつらと書かれている。
薩長クーデターまではこれに併せて常識とされていた「先代旧事本紀」を読めば、ニニギ(三種の神器に象徴される)とニギハヤヒ(十種神宝に象徴される)という2つの祭祀の流れを含め、本来の「日本の国体」というものがどういうものなのかが、ほぼつかめるはず。
記紀がマンガや小説でも読める?のに対し、旧事本紀は現代語訳にさえ恵まれなかったが、近年は安本美典訳が数千円で手に入るようになった。
安本氏個人の思想には首をかしげざるを得ない部分も無きにしもあらずだが、彼の国語力は確かであり、訳は厳密なので評価できる。
余裕があれば、古語拾遺から「神道五部」をクリアーすれば、日本の祭祀が神々が記紀だけではどうにもならないことが納得できるはず。
さらに余裕と国語力がある方は、図書館に行って、「神道大系」全巻読破に挑んで欲しいが、それはかなり苦労します。

86 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 21:46:07.08 .net
>>85
>本来の「日本の国体」というものがどういうものなのかが、ほぼつかめるはず。

国の歴史、天皇家(支配者)の歴史はひとつじゃないってことでしょ
それぞれの歴史や系譜があったが6世紀後半に
宣化天皇・欽明天皇の伝える歴史や系譜が正統になったということでしょ

しかし、正統派のルーツである継体天皇ってよくわからない天皇なのねんw

87 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 22:35:34.22 .net
>>86
というより、この国が国造家などによる祭祀連合体であり、その頂点に現・皇室を仰ぎつつ、各々の祭祀血統には相当の個性と独立性が薩長クーデターまでは付与されていたことがわかる。
その内、出雲を除く2潮流として中臣〜卜部〜吉田のニニギ/アメノコヤネ系(記紀・三種神器による)と、物部〜尾張のニギハヤヒ系(旧事本紀・十種神宝による)とがあり、これはそのまま、両部神道内の三輪流と葛城流(雲伝)との対立にも決定的な影響を与えている。

88 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 22:50:05.97 .net
まあでも、「上宮記」をどこまで信じるかにもよるけど
継体天皇はありだと思う

問題は、古代の神々への誤解をどう解くかだよ
明治維新どころか、既に大化の改新以降、中臣氏に相当上書きされた
古語拾遺読むとひどいよねw

89 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/12(土) 23:20:50.54 .net
>>87
>この国が国造家などによる祭祀連合体

邪馬台国が連合国家であったという説だよね

90 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 11:22:17.91 .net
「先代旧事本紀」は、「記紀」よりかなり後に書かれた物なのに
そこまで重視するのがよくわからない

「記紀」&「出雲風土記」が歴史書としてはデフォルトでしょ

91 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 11:48:54.88 .net
>>89
本来は、それが最もこの国らしいあり方だったのかもね
唯一神とか絶対王政とか
間違って目指しちゃうと、あっという間に国が滅びる

歴代幕府だって、正しい歴史観でみれば基本は和の精神だったってわかるのに
随分歪曲されたものだよ
権力者が全権を握る統一世界を目指したのは、
中世以降なら、戦国期と明治から後だな

ま、でも、今道州制なんて推し進めたら終わるけどね
国家を理解してない小者なやつが多過ぎる

92 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 12:12:59.35 .net
「先代旧事本紀」は、系図は結構示唆に富んでいると思う
もちろん、単独じゃなく、他と比較して用いるものだけど

まあでも、ニギハヤヒというのは
本来の姿を、物語的に象徴化したものだよね
大日?貴(おおひるめのむち)として尊ばれていた女神を
天照大御神として象徴化したのと同じように

93 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 12:19:49.01 .net
>道州制
ここ政策スレじゃないんで詳しくは避けるけど
日本の人口減少と都市への人口集中で
財政が持たない県をどうするかってのが論点

94 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 13:10:41.78 .net
まあ、理想はそうなんだろうけど
人材が追い着かないんじゃ話しにならない
現状を読めない者ほど、制度を先走らせたがる

政治の話題は、わりとスレチじゃないんじゃないかな
"まつりごと" だしね

95 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 13:19:43.60 .net
>>85
現代語訳無いよりはだいぶんいいが、安本美典だからなあ・・・。
俺は読んでないけど,正確な訳かどうか怪しい。専門が古代史ですらないし
結構都合良く史料を解釈するので有名だから。山本七平訳の書籍ぐらいには
眉唾。

96 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 17:06:45.46 .net
神社本庁の前身である神道事務局についてWikipediaでロムってたんだけど
御祭神に造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとし
大国主大神を加えなかったというのはかなり不自然

というのは、古事記を読むと、造化三神のうち高御産巣日神と神産巣日神は対の働きを持っていてをなしていて
高御産巣日神は、高天原の長老という役割で天照大神をサポート
神産巣日神は、兄たちの謀略にあった大国主大神を背後からサポート

本居宣長を否定している人の立ち位置がなんとなくわかるw

97 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 18:47:09.82 .net
>>95
エキセントリックで、友だちにはしたくないタイプだけど、訳は精確だよ。(注釈部分は要らない。飛ばして読むべし。)…早稲田じゃなく京大出てるだけあって、そういう職人技的な基礎はしっかりできている。

98 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 19:06:24.11 .net
> 本居宣長を否定している人
どういう人が否定しているの?

99 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 19:34:52.67 ID:WdVIHjKG/
>>98
85なんて典型じゃない

>本居がセンチメンタルに祭り上げた古事記はドグマティックで狭量だが

100 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/13(日) 21:15:51.47 ID:WdVIHjKG/
ケンカ売ってきた(書き込み妨害してきた)のは、
あっちの糞固定の方だから
別のスレの歴史が残っちゃっても仕方ないでしょw

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