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神道がイマイチ浸透しないのは

145 :名無しさん@京都板じゃないよ:2019/01/28(月) 21:24:09.61 ID:qic3vL1B0.net
109 :Ψ:2018/03/10(土) 05:52:03.76 ID:ociSIIvo.net
福沢諭吉は子供のとき、叔父の家にあった稲荷の祠から
ご神体の石を取り出して道端の石ころと入れ替えたり
隣の祠の中にお札があるのを見て外へ放り投げておき、
人々がそれを知らないで祠の前で拝んだり、お供えもの
をしているのを陰で見て笑い転げたそうだ。
また若い諭吉は家の中を歩いていて兄が書いた書き損じの紙に
殿様の名前が書いてあるのをうっかり踏みつけてしまい
兄から叱られた。それで頭にきて殿様の名前が書いてある
紙がダメなら神様の名前が書いてあるお札ならどうだと思い、
お札を踏みつけたが何も起きない、それを便所に運んで踏んで
みても何も起きなかった。彼は神罰や仏罰が迷信であることを
証明した偉大な日本人である。

脱亜入欧を唱えたネトウヨにとって偉人のような福沢諭吉は
神道の神々を迷信と考えていた。彼にとって宗教とは、権力者
が愚かな大衆を統治する便利な道具という感覚である。
彼の名言「神仏なり耶蘇なり往古片輪の時代に適したる教え」
「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせならん」。

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