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法華経を語る Part1

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/01(火) 22:56:59.46 ID:zk6Wl8LA0.net
無いので立ててみた。

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/01(火) 22:57:40.52 ID:zk6Wl8LA0.net
法華経はとてもむつかしいということです。

3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 00:11:10.45 ID:qJ1/rGl/K.net
日蓮宗 日蓮正宗 顕正会 創価学会 霊友会
自己中で上から目線で排他的なのはわかる。
あと、非常に迷惑。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 05:08:54.15 ID:Gz4nIiAw0.net
>>3
日蓮の四箇格言「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」
このように他宗を激しく非難したので佐渡に流罪になったし、何度も殺されかけた。
他宗を認めない法華経原理主義。このようなやり方では争いが絶えない。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 06:42:36.30 ID:U/pqTqrb0.net
日蓮も天台に文句付けることは出来なかった。

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 07:38:42.56 ID:OyKbTVQP0.net
日蓮自身は天台の沙門だと思っていただろうから天台に文句言う訳ないだろ
法華経と題目の2点で浄土真宗と同じスタイル(阿弥陀如来と念仏)にしたのがアイデアとして秀逸なんだよ
他を認めないというやりかたは1神教の連中にも通じる

7 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 12:23:17.94 ID:m3d67wDGx.net
重複じゃね?
魔屡弧が降臨すると言われているこのスレとwww

法華信仰
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1411461458/-100

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 12:29:32.08 ID:5aYew15O0.net
>>4
日蓮菩薩様が他宗を否定されているのではないですよ。
当時は念仏信者の勢いがさかんでしたが、
念仏信者は阿弥陀様以外の信仰は必要がないとしている。
これも限定的な内容ですが、
法華経は中心にはできないという発想があり、
それでは無上の経典である法華経にホコリがかぶってしまう。

あくまで伝教大師様の主意である法華経を中心にすべきであると
仰せられたのであります。

9 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 12:41:06.94 ID:5aYew15O0.net
日蓮正宗 顕正会 創価学会 というのは、日蓮宗の興門派といって
問題のある異端派ですよ。
創価学会の三代目の池田と顕正会の会長は朝鮮人です。
彼らは日本人に成り切る教育を受けてきている。
モロに日本人と言うべき日蓮信者や右翼団体に入り込み
国内で内部破壊を行ってきている。

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 12:50:08.27 ID:5aYew15O0.net
あくまで日蓮宗だけが正しいということではないてすよ。
浄土系では、法華経は難信難解で、庶民に理解することは不可能であり、
内容は重要だが、浄土三部経と称名念仏という易行こそ庶民を救い得る
経典であるという解釈ではないでしょうか。

11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 12:59:05.20 ID:5aYew15O0.net
一般的には「法華経」と略して呼ばれますが、正式名は「妙法蓮華経」です。
 梵語の原典名は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」といい、それを翻訳家の鳩摩羅什が
漢語に訳するに際して
 サッダルマ・・・妙法
 プンダリーカ・・・蓮華
 スートラ・・・経
 と訳したので「妙法蓮華経」となったわけです。

12 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 13:01:06.67 ID:5aYew15O0.net
妙法
 サッダルマという梵語も、サットとダルマの合成語です。サットは、正しい、真実の、勝れた、
というような意味であり、ダルマは、法、教え、という意味です。 つまり、サッダルマという梵語
を素直に訳せば「正法」とか「正しい教え」とでもなるのでしょうが、鳩摩羅什の「妙法」というの
は大変に深い名訳だと思います。「妙」という字は不可思議という意味ですが、法華経で説かれ
ている法は、単純に頭で思案して分かるような世界を越えた奥深い仏の世界の法ですから、
「妙法」という訳語が選ばれたのでしょう。

13 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 13:03:54.54 ID:5aYew15O0.net
蓮華
 蓮華(蓮の花)は、梵語では色によって名前が違い、例えば紅蓮華ならばパドマといいますが、
経題のプンダリーカというのは、白蓮華をさす言葉です。 蓮華は、泥土の中から咲き出していな
がら、泥に染まらず清らかな美しい花を咲かせます。その姿が、法華経の菩薩行の根本精神で
ある、俗世の中で生活しながらも、その汚濁に染まることなく生きて衆生を救うという理想を
象徴していると考えられたのです。『従地涌出品第十五』に、「善く菩薩の道を学して世間の
法に染まざること蓮華の水に在るが如し」とある通りです。 中でも特に白い蓮華の持つ、け
がれのない爽やかな清潔感のイメージは、その象徴として相応しいといえます。経題では
「白」という言葉は略されていますが、「妙法蓮華経」の言葉の背後に、けがれのない純白の
イメージが存在しているのを知っておく事は、どういう心で題目を唱えるべきかを理解するの
に有意義なのではないでしょうか。

14 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 13:06:21.01 ID:5aYew15O0.net

 スートラというのは、仏の教えをまとめたお経という意味です。

15 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 13:17:38.11 ID:5aYew15O0.net
日蓮宗でも阿弥陀仏様の位格というものは、
法華経如来寿量品に言われる、
久遠実成釈迦牟尼仏が本尊ですが、
この本尊様の分身(ふんじん)とされていますので、
決して軽視していい如来様ではないと思いますよ。

16 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 13:48:13.07 ID:pWfd0Lrp0.net
まぁ、あいこい言うても、法華経も浄土三部経も大乗仏教自体が釈迦とは無縁の
妄想ファンタジー小説ばってん、あんまい気にしたらいけせんよ〜♪ wwwwww
そいぎんた、おい仕事中やけん、そいぎ〜!♪ ほんなごて、誤沈々ば、ありがたか〜♪
が〜〜ん、が〜ん、が〜〜〜ん!あっちょ〜っ! ♪ v(=^o^=)/シ~~~~ wwwwwww

17 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 14:02:29.96 ID:5aYew15O0.net
法華経や浄土三部経がお釈迦様と無縁だという
考え方はキリスト教徒がよろこびそうな内容ですよね。

大乗経典は小乗経典を研究していた僧侶たちが仏教の精髄を経典という形で
解説したものと思われます。お釈迦様のお言葉を精査しつつ信仰と
実践を行ってきた今でいう一流の学者陣によって創生された。
でありますので他宗教との関連も比較検討もされていたわけで、
その教えの崇高さと偉大さをリアルに映し出されたのが阿弥陀経や法華経
ではないでしょうか。お釈迦様が原点であるけれども、その教えを体現して
限界まで極めると壮麗な姿が浮かび上がる。その法身、報身というものを
鮮やかに映し出した経典ではないでしょうか。

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 15:14:25.33 ID:pWfd0Lrp0.net
>>17
そいぎんた、法華経の教えっち、どがん教えごたっ書いてありますかぁ〜?♪www
法華マンセ〜!この教えに従えば仏になれるけん!ごたること書いてありますか?
まさか題目ば唱えっと仏になれるとか、経典化もされとらんくせに受持毒誦解説書写とか
あの狭か霊鷲山に8万人集まったとかw、インターネットはおろか、何の通信手段もない
時代にどがん方法で運営ばしたとでしゅうか?マイクもなか時代にみなやん耳よかですね♪w

あんまい、妄信して入れ込んだらいけせんと思んもっとっとっと〜、しぇんしぇい!wwwwwww
なにしろ法華経自体が根本たる教えがない欠陥経典ばってんね、色々な小説の寄せ集めばい?今の妙法蓮華経は長屋のクマさんの超訳小説ばい!原典のサンスクリット語にない空想小説にそいぎなかばい!w 早く目覚めよ、わっかもんよ!止みね妄男子!wwwwwwwww

19 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 17:27:18.19 ID:5aYew15O0.net
今の時代の感覚で経典を読んではいかんでしょ。
他の宗教よりも偉大であるという思いが込められていることもあるし、
なんらの修行もしないでなまけている人間には全く理解できないようになっている。
愚か者、性向の定まらないものに、単純明快な教理を教えたとしても何等益なく、
豚に真珠と同じでそれを踏みつける。
それでは仏様に申し訳ない。強い意志と忍耐力をもって経典を読み続けるものにして、
ようやく教理を解読するための扉が開かれてくるということでしよう。

20 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 20:45:03.69 ID:z5OVPubR0.net
5aYew15O0 さん >>18 には気をつけろ
あんた、まともにやりあったら完璧にふるぼっこされて立ち上がれなくなるぞ
こいつはプロだよ仏説非仏説どちらの立場からでも縦横無尽に論理展開するぞ
無知は罪どっちの立場でも教えを乞いたくなるレベル。表面上の文面に騙されな

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/02(水) 23:20:21.76 ID:5aYew15O0.net
ある日蓮宗の古老、大僧正の方のお話を聴いたことがあります。
この方は生涯を通じて5-6000人の葬儀を行い、仏典研究も半世紀に及ぶという
学者さんです。

この方のお言葉で死後の世界への質問に対して、
「私は霊を見たことも菩薩や仏様と話したこともない。なんらの霊現象も
経験したことがないので、仏様が実在しているかどうかということについては答えられない。
わからない。」

と発言されている。質問者は一様に意気消沈、落胆しているようでした。
こういう修行段階を経られて経験や学識が申し分のない方でも、
そういうことは知らされないんですね。この方はこれで立派な方だと思います。
他人には到達できない境涯に達していて、法華経を説かれている。
全てが円満十全な方などいないのです。

霊界が誰にも知らされると自殺者が増加します。この世は修行の場でしょう。
どんな苦しみにも意味がある。この意味を誰もが知りうるわけではない。
法華経はなんだかよくわからないが、読んでいくうちに心が安楽になる。
これは気のせいではないと思います。

22 :https://matsuri.5ch.net/kyoto/:2018/05/03(木) 05:11:22.58 ID:6nUjcCxw0.net
>>21
まぁ、人間信じたいものだけ信じ見たいものしか見えない!そいぎ自分に都合の良かあんびゃ〜に考え何事も正当化します。
たとえそいがいかに道理に合わず非常識でもそれを絶対化する。それが信仰あるいは信心といわれるものです。人間の脳は
そうできておるようですばい。日本が20万人の少女を強制連行して性奴隷にして後は皆殺しにした! 人肉スープと餃子に
した!とか20万人の都市で30万人大虐殺した!とか、経典もつじつまの合わなさとご都合主義はこのレベル。恐るべし
プラシーボ! なにごともほどほどが官人本損賞ですけんw そいぎんた、おい朝ゴンみゃ〜の汚粗蛆/汚灸痔の汚痔棺ばってん、

23 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:00:51.16 ID:wnt0Vkme0.net
序品第一
 霊鷲山と言う名前の山に、 仏様の元に、弟子と、修行者と、信者と、菩薩と、神々が 集ま
っていた時に、仏様が考えにふけり瞑想に入られました。仏様が瞑想に入られると、天上か
らは花が降り注ぎ、 大地は地震のように揺れました。 集まっていた人々は、その様子をみて、
驚き、また喜びました。その時、仏様の眉間から光明が放たれ、東方の世界が照らし 出され
た。その光明の中には、その東方の世界の、 地獄・天国などの六道に生きる衆生の姿や、
東方の世界の 菩薩が修行する姿や、東方の世界で、過去に悟られた諸仏 の悟りの姿が
映しだされていた。この奇跡を見た大衆は、驚き、また喜び、これは何かの前兆 であるので
はと思いました。集まっていた菩薩の内の弥勒菩薩が、人々に代わり、 同じく集会に参加し
ていた文殊菩薩に、瞑想されている仏様のこの奇跡についてのどのような意味があるのか
を質問 しました。 文殊菩薩は過去に文殊菩薩が、諸仏の所で修行した時の経験からすると、
このようなすばらしい奇跡の後には、仏様は「法華経」の 大法を説かれるのであろうと答え
た。仏様が瞑想からもどられ、集まっている者たちに、お話を始めた。

24 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:03:09.56 ID:wnt0Vkme0.net
方便品第二
 仏様は、「仏の智慧は、仏のみが究め尽くすことができるのであり、 声聞、縁覚の者には知る
ことはできない。」と説明された。人々は、仏様の教えに従えば、仏様同様に、悟り・解脱できる
ものと考えていたので、仏様のおっしゃった言葉に疑念を 抱いた。舎利弗は、疑念を抱いている
人々を代表して、仏様に仏様が今おっしゃった言葉の真意を質問した。仏様は、これまで人々に
説いた教えは方便であり、声聞・縁覚 ・菩薩に合わせた教えを説いたのであり、究め尽くす
ことができないと説明した仏の智慧を得ることが、実は正しい教え (一仏乗)であるのだと、
説明された。

25 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:08:03.62 ID:wnt0Vkme0.net
譬喩品第三
 声聞である舎利弗は、仏様が方便として説かれた、 正しい教えではない声聞乗(小乗の教え)
を方便とは知らずに、修行して阿羅漢となったことを認識した。仏様は、教えを理解した舎利弗
が未来に華光如来という名前の 如来となり、声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えを駆使して、
衆生を教化するであろうと予言(記別)された。舎利弗は仏の教えを理解し、また、仏様からも
将来如来(=仏) となるとの記別を授けていただいたが、その他の同席していた、まだ正しい
教えを良く理解できていない千二百名の仲間の阿羅漢の為に、三乗方便一乗真実の教えを
説いて欲しいと仏様にお願いをした。仏様は「家宅の譬」をもって教えを説いてくだされた。
(「家宅の譬」・・火事で炎上している家(この世の苦しみの譬え) に子供達が 取り残されてし
まったのだが、子供達は火事とは気づかずに まだ家の中で遊んでいる(人々の行いが煩悩・
執着であることの譬え)。 そこで子達の父親は、家の外に、「お前達が、気に入るであろう車を
3種類(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の譬え)用意してあるので、外に出て自分の気に入った車で
遊びなさい。」と教えた。子供たちは車欲しさに火事の家から外に出た。子供達は外に出ると、
自分の欲しい種類の車を下さいと父親に頼んだ。そこで、父親は3種類の車のどれよりも良い
素晴らしい車を自分の子供に与えた。)

26 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:10:44.41 ID:wnt0Vkme0.net
信解品第四
 譬喩品の教えを聞いた、須菩提・大迦旃延・大迦葉・大目犍連 の4人の声聞は、仏様の三乗
方便一乗真実の教えを理解し、我々は修行僧の上席にありながら、小乗涅槃の覚りに甘んじて、
仏の覚り には到底堪えないと思い、進んでこの完全な覚りを求めようとはしていなかっことを告
白した。 大迦葉が「窮子(ぐうじ)の譬喩」を用い、自らを窮子(貧乏な息子) に譬える。

27 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:12:40.75 ID:wnt0Vkme0.net
薬草品第五
 仏様は、大迦葉に「三草二木の譬喩」の譬えで、仏の平等な 慈悲と救済活動を説明する。

授記品第六
 仏様は、声聞は成仏できないと信じていた者達に、声聞の成仏への 疑念を払う為に成仏の予言(授記)を与える。
 仏様は、大迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、大迦旃延は閻浮堤如来、 大目犍連は
多摩羅旃香如来という名前の如来になり成仏するであろうと予言をする。

28 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:14:44.00 ID:wnt0Vkme0.net
化城喩品第七
 仏様は、「授記品第六」までに、舎利弗を初めとして五人の 上席の大声聞に授記を与えた。
仏様はさらに集まっていた富楼那や中席に位置する他の五百人の修行僧も成仏すると説く。
仏様は、声聞乗・縁覚乗の二乗の人々に涅槃があると説く理由を 「化城喩」の譬えで説明す
る。

五百弟子受記品第八
 仏様は富楼那に未来に法明如来となる授記を授ける。つづいて、嶠陳如を始めとする千二
百人の阿羅漢も 如来になると予言(授記)し、更に優楼頻螺迦葉 を始めとする五百人の阿羅
漢も如来となるであろうと 予言された。授記を得た五百人の弟子たちは、「繫衣の譬」の譬
で、了解を説明した。

29 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 22:52:02.98 ID:2XHgbMZt0.net

こういう空想小説真に受けて妄信しちゃってる人いるんだよなW
結局最後まで本題の教え自体がない欠陥小説なんだけどな…

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/03(木) 23:31:06.86 ID:wnt0Vkme0.net
授学無学人記品第九
 阿難と羅睺羅を上首とする二千人の声聞も 仏となる予言を授けてもらえるなら、願望が叶
うと仏様に申し上げた。そこで、仏様は、阿難は山海慧自在通王如来、 睺羅羅は蹈七宝華
如来という名前の如来となるであろうと予言(授記)された。続いて、その他の二千人の声聞
も如来となる予言(授記)を頂く。

法師品第十
 仏様は薬王菩薩を始めとする八万の菩薩に、 「法華経」を敬い、人々に説くならば、成仏
の記別を授けると約束をする。また、仏様は、仏の滅後に、一人のためであっても、 「法華経」
の中の一句であっても説くものは如来の使いであり、如来の仕事をする人なのであると説い
た。

見宝塔品第十一
 その時、大地が割れ、七つの宝塔が出現した。 集会に参加していた大楽説菩薩が、突然
現れた 宝塔の意味を、仏様に聞いた。仏様は、この宝塔は宝浄世界の多宝如来の 舎利塔
であると説明した。多宝如来は昔、菩薩として修行していた時に多宝如来が滅度した後に
「法華経」を説く所が あれば、その場所に宝塔を出現させ、「法華経」の教えが真実であるこ
とを示すことを誓願されていた。多宝如来の姿を見たいとの人々の願いに答え、 仏様は、十
方世界の仏様の分身仏を集める奇跡を示し、宝塔の扉を開いた。宝塔の中の多宝如来は、
半座を仏様に譲り、多宝如来と仏様は並んで座った。その後、仏様は霊鷲山に集まったい
た人々を、虚空の世界に招いた。

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/04(金) 00:06:46.40 ID:4yQG9TCTK.net
仮に法華経を勉強したいとして
創価、霊友、立正、妙智とかで
いいところある?

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/04(金) 00:09:57.99 ID:VwXveXdd0.net
>>30
こんな下らんものコピペしてなんになるやら、とっくに嘘八百だってバレてんのによ!
しっかり韓〇人のファンタジー歴史認識と同じレベルに堕ちてるわ、早く目覚めよボケ!

33 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/04(金) 14:48:15.48 ID:0EI3ZZk+p.net
>>21
>この方のお言葉で死後の世界への質問に対して、
>「私は霊を見たことも菩薩や仏様と話したこともない。なんらの霊現象も
>経験したことがないので、仏様が実在しているかどうかということについては答えられない。
>わからない。」
>
>と発言されている。

それは正解中の正解だと思う。
この世の者には見えない、知り得ないものを、あるとか見たとか軽々に言わない人のほうが信用できる。
と言って、無いと言い切るのは乱暴すぎるからね。

34 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/04(金) 23:44:25.62 ID:8X3sslom0.net
そうですね。そういう学識のある方というのはお弟子さんから、その方を慕う方々から沢山おられ
ますからね。それだけでもとても真似のできることではないですね。
一生涯の内でそういう境遇になれる方は稀だと思いますよ。

35 :子連れ狼(予定) ◆wSaCDPDEl2:2018/05/05(土) 06:24:13.87 ID:+KGoXVVCh
研究者としては◎だが
僧侶としては×だな。

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/05(土) 05:54:57.23 ID:VM1TRxIp00505.net
>>34
まぁ、あいやねぇ〜、嘘や妄想のファンタジーば信じてわかったごたる気になっより、
地球は丸い (ホンマはジャガイモごたっ形らしかばってんが)、地球を中心に宇宙が
回っとるんやなくて、地球が太陽の周りを回っとる、そいぎ太陽も広大な銀河系の
ほんの一部、その銀河系もさらに広大無辺な宇宙の一部である。そがんこっを認めた
上で信心ば考えていくこっが重要なこっちゃなかばいか?っちおいは思んもとっとっと

いつまでも天動説ごたる経典至上主義ではだちあかんばってんね♪ wwwwwwww
そいぎんた、おい、こいから朝のお勤めばせなならんけん、そいぎ〜!wwwwwwww
ほんなごて、誤沈々ば、ありがたか〜!が〜〜ん、が〜ん、が〜〜〜ん!あっちょ〜っ!
v(=^o^=)/シ~~~~

37 :肝っ玉母さん(予定):2018/05/05(土) 09:43:47.88 ID:+KGoXVVCh
オイラの知り合いに、宗教観と現実(科学)を混同している人は誰もいません、独り言だけれど(笑)
しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん〜

38 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/05(土) 10:16:21.07 ID:zLXsiElj00505.net
科学と適合する考え方だから、人の心が静まり、優しさや豊かさが
生まれるということではないでしょう。科学的に見た地球の自転や公転の
仕方を直視すれば、心は静まるどころか、荒れてしまいますね。
どういう速度でこういう回転をしているとかいうことは科学の知識であって、
精神を正常化させることにはならないでしょう。
心が動かず安定して静謐さを保つための世界観と考えるべきではないでしょうか。

39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/06(日) 21:46:00.49 ID:hcwzAMME0.net
>>38
もうやめとけ! >>36 は単なる比喩だろ、お前みたいなボケ狂洗脳バ〇見てると痛々しいわ!
過去にも包茎命のお檀家坊ちゃまとか量子小僧とか散々こいつに論戦挑んで最後は悲惨な
目にあってるんだよ!おまえも偉そうな脳餓鬼垂れずマイ信心に留めてシコシコおなってろ!
これ以上羊羹の犠牲者見たくないわ

40 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/06(日) 23:12:45.51 ID:yXg1LhNi0.net
法華経を伝えるってそんな論破するとか物騒なことじゃないですよね。
穏やかに話すものでしょう。
ケンカごしで法話される僧侶もいませんしね。
躓く前の杖となり、行き詰まった時の橋梁となり、
悲しみを中和し安定させ、人間関係を和していく。
それが法華経の精神ではないでしょうか?

41 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 00:16:11.34 ID:vzaMsi9Pa.net
>>36
方言がひどくて何言っとるかわからん…

42 :八百人目はまだ? ◆wSaCDPDEl2:2018/05/07(月) 07:50:18.94 ID:Hh2ktzYci
ここは日蓮・非日蓮に関わらず、法華経について楽しく語るスレです。
特定の民族を誹謗中傷したり、猥褻な言語を投げかけるところではありません。
そのような方は「徳の高い中堅馬鹿親子・兼・ビールサーバー持込OKスレ」で
好きなことを語ってください。
ただし、「子連れBOOKOFF(予定)・賢者モード」の方の大地からの御涌出を、今か今かと心よりお待ち申しあげております。

43 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:37:15.13 ID:We3azVUE0.net
堤婆品第十二
 悪人堤婆達多、畜生竜女の成仏を述べ、「法華経」の弘通の功徳を証明する。

歓持品第十三
 薬王菩薩ら二万の菩薩たちは、仏様の滅後の悪世 に「法華経」を広めようと誓かった。
 また既に授記されていた 五百人の阿羅漢及び八千人の比丘達は、悪多い娑婆世界に
「法華経」を広めることの困難を思い、他の浄土にて「法華経」を広めることを誓った。さらに
仏様は、養母である摩訶波闍波堤比丘尼に一切衆生喜見仏、お妃である耶輸陀羅比丘尼
に 具足千万光相仏の記別を与え、またその眷属 の六千人の比丘尼にも記別を与えたので、
比丘尼等は、他方の国土で「法華経」を宣べる ことを誓った。

44 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:39:04.17 ID:We3azVUE0.net
安楽行品第十四
 前品で、諸菩薩・声聞等は、「法華経」を広める 誓いを述べているが、仏様は、それに対して
許可の言葉をまだ述べていない。文殊菩薩は後の悪世において、どのようにして「法華経」 を
説けば良いのであるかを仏様に質問した。仏様は、身・口・意・誓願の四安楽行にてこの経を
説くべきであると答える。また、「法華経」が受持し難いものであることを 「髻中の明珠」の譬を
示される。

45 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:41:23.43 ID:We3azVUE0.net
従地涌出品第十五
 他方の国土より集まってきた、八恒河沙の数を超える 菩薩が、我々も許されるならば、
仏様の滅後に 娑婆世界に「法華経」を広めようと申し出た。仏様は、この菩薩達の申し出は、
その必要は無いとおっしゃった。この娑婆世界には、もう六万恒河沙の菩薩がいて 、滅後に
広くこの経を広めるであろうと告げられた。その時、大地が揺れ裂けて、無量千万億の菩薩
が大地より湧き出した。八千恒河沙の菩薩は、いまだ見たことのない、大菩薩集団の出現に
驚いた。弥勒菩薩は、人々の疑惑を代表して、この大菩薩集団は誰の弟子で、何処から、何
の因縁をもって集まったのであるかを仏様に尋ねた。仏様は、弥勒菩薩に対して、この大地
から湧き出した無量の大菩薩は、成仏以来、仏様が教化したのだと説明した。弥勒菩薩は、
成道以来わずか四十年余りで、どのように してこれだけ多くの菩薩を教化することができた
のかを疑問に思い、仏様にその旨を質問した。

46 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:44:32.93 ID:We3azVUE0.net
如来寿量品第十六
 前品の弥勒菩薩の質問に対し、仏様が答える。仏様は、仏様が成道したのは遠い過去
のこと なのであると説明する。「五百塵点の譬」で、成仏が久遠であること、またその久遠よ
り様々な世界で衆生を教化 していたことを説く。また、仏様はその間に涅槃に入ることもあっ
たが 、それは衆生が仏がいつもいてくれると安心してしまうので、方便として涅槃を示したこ
とも明かす。涅槃が方便であることを、「良医の譬」にて解説する。

分別功徳品十七
 仏様の寿命の長遠なることを聞いて、六百八十万億那由恒河沙の衆生が、無生法忍を
習得し、 多くの菩薩が聞持陀羅尼乃至無上菩提を得ることを弥勒菩薩が解説する。弟子も
また、仏様のように久遠となり、未来に成仏する段階へと達する。またその功徳として現在の
四信、滅後の五品が説かれる。

47 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:46:22.52 ID:We3azVUE0.net
随喜功徳品第十八
 前品の五品の中の初随喜品について、その功徳が弥勒菩薩に対して詳細に説明される。

法師功徳品第十九
 仏様は、「法華経」を受持し、読み誦え、解説し、 書写する修行者(=法師)の功徳を、
常精進菩薩に説いて「法華経」を広めることを勧める。

常不軽菩薩品第二十
 仏様は、常不軽菩薩の古事を示し、「法華経」 の行者を殴るものの罪報と、護持するもの
の功徳を、得大勢菩薩に説く。また、古事に示した常不軽菩薩とは、実は、過去世の仏様で
あることも明かす。

48 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:49:18.20 ID:We3azVUE0.net
如来神力品第二十一
 地涌の菩薩が、仏様の滅後も仏様の分身が涅槃されている国土において「法華経」が説か
れるのであるから、我々も「法華経」を受持し、読み誦え、解説し、書写して供養することを誓
う。そこで、仏様は、地涌の菩薩に「法華経」を付属させる為に、まず、十種類の大神通を現
わす。そして仏様は、このような仏の神力を持ってしても 「法華経」の功徳を示すことは不可
能なことなのであると「法華経」を賞賛する。

嘱類品二十二
 さらに仏様は、地涌の菩薩以外の無数の菩薩にも 「法華経」を広めることを説かれる。多
宝塔の扉が閉められ、会場は虚空から、また、 霊鷲山へ戻る。

薬王菩薩本事大二十三
 仏様は、宿王華菩薩に、薬王菩薩の前世での精進・苦行(焼身供養)の古事を示し
「法華経」の行を勧める。

49 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:53:01.05 ID:We3azVUE0.net
妙音菩薩品第二十四
 仏様が、光明を放ち東方の世界を照らしだされた。そこには、浄華宿王菩薩とその弟子で
智慧を完成し 「法華経」の三昧を得ている妙音菩薩が照らし出されていた。仏様は、妙音菩
薩の修行の内容を説明する。妙音菩薩は、変化自由で、梵天・帝釈天・・毘沙門天・・転輪聖
王・・ 婆羅門・比丘・・竜・・阿修羅・・地獄・畜生の身を現し 「法華経」を説いて多くの世界の
衆生を救護するのであると説明する。

観世音菩薩普門品第二十五
 前品は東方世界の妙音菩薩につづき、本品では西方世界の観世音菩薩が、娑婆世界に
様々な姿(三十三身)を現して、苦難の衆生を救済することを説く。仏様は、苦悩の衆生が
観世音菩薩の名前を聞いて一心にその名を称えれば、観世音菩薩は即時にその音声を観じ
て、皆苦悩から解脱されると説いた。

陀羅尼品第二十六
 仏様は、諸仏を供養するよりも、「法華経」の一句であっても受持し、修行する者の方が功徳
が多いと説かれる。仏様の教えに答えて、薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天、持国天、羅刹如、
鬼子母神らが陀羅尼を「法華経」を修行する者を護る、 陀羅尼を示す。

50 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 10:56:36.41 ID:We3azVUE0.net
妙荘厳王本事品第二十七
 仏様は、妙荘厳王の古事を説き、「法華経」の行を勧める。

普賢菩薩勧発品第二十八
 遥か遠い国で、仏様が「法華経」を説いているのを聞いていた普賢菩薩が多くの菩薩と共
に、仏様の所にやってきた。普賢菩薩は仏様の滅後にいかにして「法華経」の教えを得ること
ができるのであるかと質問した。仏様は、諸仏に護念し、衆の徳本を植え、 正定聚に入り、
一切衆生を救う心を発すれば、滅後においても必ず「法華経」を得ることができると説かれた。
普賢菩薩は、仏様に、この経典を受持する者があれば守護し、魔や夜叉に悩まされないよう
にし、 この経を読誦し座して考えるものがあれば、 六牙の白象に乗ってその人の前に現れ
て、供養・守護することを誓う。仏様は、「法華経」を受持する者は、仏様を供養するのである
から、その者は仏の手で頭をなでられ、 仏の衣にて覆われているものであると説く。仏様が
大法「法華経」を説き終わったので、集まって いた者は皆歓喜し、仏様の言葉を受持し、敬礼
をし、 霊鷲山から去っていった。

51 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 11:27:11.45 ID:We3azVUE0.net
@「序品第一」は、宇宙の実相を明らかにする仏の「無量義処三昧」(只管打坐の坐禅)が示
  される。また欲があれば騙されるが、無ければ悪魔が寄り付かないこと等も説かれる。
A「方便品第二」は、「仏法入門の概論・道標」と言える。「諸仏世尊、唯以一大事因縁故
  (唯一大事の因縁を以っての故にのみ)、出現於世(世に出現したまえばなり)」とあり、
  「一大事因縁」とは、衆生をして仏之知見を開示悟入(救済)せしむ即ち出世(自我の超越)
  せしむことである。「仏之知見」とは、「生命活動」即ち尽十方界真実の働きのことであり、
  人間の「本来の在り方」のことである。ありとあらゆるものは全て仏之知見により生かされ
  ている。つまりその時その時の現実(自分の在り方)を全部素直に受け取る事ができるこ
  とである。逆に「凡夫の知見」は、或る特定の立場に立ってものを見る即ち自我の生活で
  ある。また、ここでは「如是」即ち「尽十方界真実」の在り方が示される。つまり自我を超越
  した尽十方界、現成公案の世界は、常に「是くの如く在る」のであり、定義できないという
  事である。言い換えれば「解らないまま在る」のが真実の姿(「何者」)であり、自己流に
  解釈・納得することは真実から乖離することである。そして「仏所成就(仏の成就せる所は)
  第一稀有(第一の稀有なる)、難解之法。唯仏与仏乃能究尽。諸法実相。所謂諸法(謂う
  所は、諸法の)如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如
  是報、如是本末究竟等。」と説かれるが、この経の主題である「諸法実相」の姿が「十如是」
  即ち(如是)相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究竟等絶対的な事実として示される。

52 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 11:30:28.65 ID:We3azVUE0.net
なお「唯仏与仏乃能究尽」とは、「唯仏与仏」(ただ仏と仏)即ちこの世界のありとあらゆるもの
が真実(「諸法実相」)であり、しかもそれを完全に表現(「乃能究尽」)しているということであ
る。ところで、ここでは衆生のうち教化されるのは「菩薩」(自己満足を放棄した者)だけだとい
う事である。何故なら仏の説法が耳に入るのは菩薩だけであり、菩薩である本来の姿が耳を
傾けているという事だからである。更に「法常無性、仏種従縁起。」(法は常に無性にして、仏
種は縁に従って起こる)という言葉は、あらゆるものは四大因縁和合(無自性の縁起)により、
仏種(仏性)即ち存在させられているということである。また「是法住法位、世間相常住」(是れ
は法の住、法の位にして、世間の相も常住なり)と説かれるが、それは全てのものは暫くその
ものの在り方において在り、総てのものが生滅する姿そのものは尽十方界真実の風景であり、
生滅の事実は永遠に変わらない絶対的事実であるということである。なお「正直捨方便、但説
無上道」(正直に方便を捨てて、但、無上道のみを説く)ということは、現実は何の小細工を弄
することなくそのままに真実を説いているということである。

53 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 11:36:40.86 ID:We3azVUE0.net
B「譬喩品第三」は、上述「火宅の喩」のとおりであるが、エゴイズムの徹底打破を説いてい
  る。ここでは「今此三界。皆是我有。其中衆生。悉是吾子。」の語が有名である。
C「信解品第四」は、如来の真実の功徳を説いている。
D「薬草品第五」は、総てのものに功徳が行き亘る姿により如来を讃嘆している。
E「授記品第六」は、「授記」即ち仏による成仏の保証を説いている。
F「化城喩品第七」は、「大通智勝仏。十劫坐道場。仏法不現前。不得成仏道。」が説かれ
  る。即ち本当の修行とは仏法現前や成仏という目的のための修行ではない、無所得・無所
  悟の「只管打坐」の修行が説かれる。なお「滅」即ち「本来の姿」を説く。「寂滅」も大自然の
  姿である。

I「法師品第十」は、「法」を師となすことを説き、法を伝える人について説く。なおここで重要
  なのは、「章句の忘失」即ち「若し章句を忘失せば、為に説いて通利せしめん」と説かれて
  いることである。これは只管打坐の最中に生命活動の表情として生理的に迷いが生じる
  ことがある。然し迷いが生じても只管打坐を続行すれば、直に本来の姿に立ち戻り、迷い
  は消滅し、只管打坐中の一風景となってしまう。このような個人的主観的な感覚を超えた
  無量無辺の真実を究尽する坐禅の事実が「為に説いて」ということである。また「経典の読
  誦」とは、真実の実践、即ち尽十方界真実人体の実修実証(只管打坐)のことである。

54 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 11:44:50.31 ID:We3azVUE0.net
J「見宝塔品第十一」は、上述「法華転法華」巻にも引用されているが、「塔」は『法華経』を表
  現し、「宝塔」は如来そのもの、坐禅の「坐相」を表現している。そして坐禅本来に具わる
  「古仏」(真実)によって現在の坐禅が実修実証される。ここでは、「釈迦」は「仏行」(坐禅)・
  「行仏」を表現し、「多宝仏」は「坐相」そのもの乃至「古仏」(永遠)を表現している。なおこ
  こでは『法華経』は尽十方界真実そのものであり、その真実が説かれることは稀有である
  ことを示している。また「頭陀行」即ち純粋に自然に対する「報恩感謝」に生きるべきことを
  説いている。
K「提婆達多品第十二」は、誰でも成仏できる事即ち「竜女成仏」を説いている。
M「安楽行品第十四」は、修行者の心構え・身の処し方、即ちじたばたしないことを説いてい
  る。そして「戯論」(一切の法において決定の義をとる)、即ち思想・主義を振り回さない事
  を説いている。なお「界外」は仏、「界内」は欲界・色界・無色界の凡夫のことであるが、仏
  の説法の受け取り方の相違である。
N「従地湧出品第十五」は、上述「法華転法華」巻にも引用されているが、本地の菩薩即ち
  菩薩の正体を説いている。

55 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 13:30:03.41 ID:gn7SeKME0.net

何処のコピペか知らんが、結局このありがたい教えってのはどこに掻いてあるの?(´・ω・`)?
諸仏智慧.甚深無量 其智慧門 難解難入
(諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり) ← だから書いてないんだ (キリッ) W
なんて、詐話師の口上みたいなふざけた言い訳しないで言ってみな!どんな教え何ですか? W

この素晴らしい教えを広めろって話しなんだから、その教えが分からなきゃ広めようがないだろ W

56 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 16:10:59.44 ID:We3azVUE0.net
難解難入

方便品の最初には、「諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。一切聲聞辟支佛所不能知」
とある。「諸仏の智慧は、深くはかり知れない。その智慧の門に入ることさえも難しい。 一切の
声聞や縁覚では知ることはできない」という意味である。空海は、秘密曼荼羅十住心論にお
いて、密教を諸仏の智慧そのものとし、法華経を智慧の門として位置付けた。宝のある場所
が密教ならば、宝の場所の入口が法華経というわけである。中に入るには、入口を通る必要
があるので、空海が法華経を高く評価していたのが分かる。常人はいきなり密教の境地には
入れない。まずは、その門を通ることからだ。

57 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 16:46:15.07 ID:gn7SeKME0.net
>>56
論戦を挑んでいないなどと言いながら、おまえ、しっかり論戦してるジャマイカW
この手の話しは過去から散々あってだな、みんな浮き輪妙宗に木っ端微塵に
折伏されてアイゴーしてトンズラかまして行方不明な、浮き輪妙宗には近づくなW
柔道家先生もかなりヤバいけどなW

58 :乳母車プレゼンしようかな ◆wSaCDPDEl2:2018/05/07(月) 18:57:40.47 ID:Hh2ktzYci
難解難入な経典よりも
「How to 良い子に育て・小学校に入学するころには「このクソジジイ、死ね」と言われないように」
を読んだほうがいいよ

59 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 19:09:13.42 ID:7Pyq/6du0.net
語るといっても法華経の内容には触れずに日蓮よろしく雰囲気議論だけするわけでしょ?無意味すぎるスレやで。

60 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 19:22:42.99 ID:Zl3xm1FOd.net
>>56
空海を巻き込まないでくれ
空海は当然自分の主張する密教を最高とした
密教の下は華厳とし更に下に法華を据えてる
高く評価したのは事実かもしれないが華厳より下に位置付けている

法華経の論争は日蓮と天台を中心にやってくれ

61 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 21:08:03.43 ID:7Pyq/6du0.net
主張って、普通の経典成立史的に言えばそんなの当たり前の話しで、今更否定したところでその事実は変わらない。法華をベースに華厳思想が生まれ、その上に三密行を出した金剛乗が出来ただけ。
伝統的な中華文化圏でもチベット・モンゴル仏教文化圏でも現代の仏教学でもまったく同じ評価。
そうじゃないと今更ながらに主張しているのは、くだらない日本のお間抜け宗教だけ。末法とか南無妙法蓮華経とか無意味なバズワードすぎて笑える。

62 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/07(月) 21:39:35.31 ID:nVNaXbp80.net
法華経なんちゅう三文小説にいつまで振り回されてんだよ!早よ目覚ませよ
上の忌違いは仏教史と法華経はじめ大乗経典の成立がどんだけいい加減なものか知ったほうがいいだろ!
大乗経典なんか
竜樹がパンピー対象に迎合してその弟子らが釈迦の名騙った釈迦とは無縁の妄想ファンタジー小説ねつ造したなれの果て!
ってのが羊羹商人の浮き輪妙宗や柔道家先生の統一見解らしいが、どうなの柔道家先生

63 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 00:20:06.15 ID:oTk1Ifw70.net
お釈迦様は久遠実成であり、無始無終ですよね。
西洋的に言うならアルファでありオメガといったところでしょうか。
大乗経典が創生された時代においても仏様は我が弟子たちをお導きに
なられたのではないでしようか。それが自然であり真理でしょう。

法華経が編纂されてから、後に、密教経典が竜樹菩薩を中心として結集したという経緯があり、
中心となる理論が法華経を敷衍し荘厳したものが密教経典のようですね。

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 04:32:16.84 ID:7+AWrRiR0.net
あっい〜っ! みなやん、乙葉妖誤罪魔棲〜!朝の酔行ば気色良かあんびゃ〜ぢ、ありがたか〜♪
日本には信教の自由がありますけん、>>63 のしぇんしぇいがおんしゃっとぉごたる、当時の
学者しぇんしぇい方が創作された拷玉嫉堕瑠陀君ばスーパーサイヤ人に変身させたお伽噺し
地上で足を地につけて天下一武道会で活躍していた孫悟空をピッコロ大魔王より強かキャラクターにした
空想ファンタジー小説
そいをまともにとらえち、あ〜じゃ、こ〜じゃ、へんじょ、こんごと、やぐらがしかこっばい!
みなやん、そろそろ、こがん、ふうけたすらごとに執着すっのはやめましゅう〜!
苦怨実情ごたる、後世のくそ坊主が妄想したキャラクターぢしゅう〜!己の足ば、しっかと地につけて修行板島臭〜♪

そいぎんた、おい、こいから朝ゴンみゃ〜の誤崩前の汚粗蛆/汚灸痔しち汚仏犯ばおあげすっ汚痔棺ばってん、
ほんなごて、膀系沈々ば、ありがたか〜!が〜〜ん、が〜ん、が〜〜〜ん! あっちょ〜っ! v(=^o^=)/シ~~~~~

65 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 06:37:09.45 ID:Prt2sgs90.net
つーか、5chに集っている仏教マニアの連中って、心の底から頭が悪いと思うよ。
そりゃ昔は文献学の知識がなかったから仕方がないけど、
今は原始仏典も含めて釈尊の直説なんて詳しくはわからないんだから、
本物の仏教がどれかなんて議論するだけ無駄なのにね。

こんな無駄な議論をしているより、どうしたら目の前で苦しんでいる人を
救うことが出来るのか?をもって考えろって話だ。
そうやって大乗仏教は誕生したんじゃなかったのか?
自分たちの世界だけで自己満足に浸っているうちに、
人々はどんどん仏教から離れていってるぜ。
このままじゃ、世の中から仏教がなくなってしまう。

まぁ、仏教マニアからすれば、所詮仏教は自分達のおもちゃに過ぎないから、
「人を助ける」なんて想像したこともないだろうけどなw

66 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 06:41:28.27 ID:Prt2sgs90.net
苦しんでいる人を助けられなくて、何が宗教だよw

知識欲を満たしたいなら、経済や化学などの実学系の勉強でもしとけよ。

67 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 08:30:06.13 ID:C9BBpqxE0.net
>>63
久遠実成や無始無終、三時を超えたる如来、というのはまさに空理論によって導き出された仏のありよう
如来の説法が常住不変なのもそのためで、どんな瞬間でも仏は説法している
法華も華厳も金剛乗も如来観は同じ空理論に基づいている

68 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 13:25:03.64 ID:oTk1Ifw70.net
僧侶の方々が経典を読み、読誦し、死者を弔うことを生業としている。
これは日本では当たり前のことですが、海外では事情が違います。
宗教とは奥深いものです。ただの言語の羅列が経典ではありません。

僧侶の方々が修行をし、正食に親しむ生活習慣を大昔からされてきている。
こういうことが、関わる人々を浄化している。
神社や寺社が存在しているだけでも結界が貼られていることになります。
社会環境が穏やかで犯罪率も低いということを深く考えると
そういうことですよね。

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 16:44:20.27 ID:oTk1Ifw70.net
O「如来寿量品第十六」は、『法華経』の中心である。「仏寿量」とは尽十方界真実のことであ
  る。「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数。」(我本、菩薩の道を行じて成ぜし
  所の寿命は、今も猶、未だ尽きずして、復た上の数に倍せるなり)は、永遠の生命、無限
  の修行、宇宙全体が修行(生滅活動)している事、無限への自覚を説いている。因みに天
  台教説では、釈迦は久遠の昔に成仏(久遠実成)し、本来永遠なる仏(久遠本仏)である。
  久遠本仏は一乗妙法の生きた姿であり、久遠本仏を説く後半が因果二門の果門(本門)
  として重要と見る。 また「不如三界(欲・色・無色)、見於三界」という語句を、天台は「三界
  を三界と見るには如かず(三界を三界として受け取る。煩悩をそのまま見る)」(本覚)或い
  は「三界の三界を見るが如くならず(凡夫が欲望により見る通りではない)」(悪心流・始覚)
  と訓む。これに対して道元禅師は『正法眼蔵』「三界唯心」巻で「如じ、三界(真実)は三界
  (真実)を見(現)ずるなり」と訓む。即ち「現実は常に真実を表現している」と解釈する。

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 16:48:14.35 ID:oTk1Ifw70.net
R「法師功徳品第十九」は、法華の身体観即ち身体の中に宇宙を眺める所謂尽十方界真実
  人体を説いている。
S「常不軽菩薩品第二十」は、『法華経』の受け取り方、法華の行者について説いている。
㉑「如来神力品第二一」は、仏の説法が宇宙全体に行き亘ることを説いている。「如来神力」
  とは『法華経』そのもののことである。即ち「神力」とは宇宙の姿(非思量)であり、法華の
  ことである。因みに「天台小止観」は特別な心理状態になることを目的とするものであり、
  無所得・無所悟の尽十方界真実の実践にはならない。
㉒「嘱累品第二二」は、如来の法を流布させる事を菩薩達に委嘱する事を説く。
㉓「薬王菩薩本事品第二三」は、「本事」とは仏の真の姿のことである。「悪魔」とは邪魔する
  ものであり、自己の願いや欲に起因するものである。

71 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 16:50:57.48 ID:oTk1Ifw70.net
㉕「観世音菩薩普門品第二五」は、観音は永遠に成仏しない菩薩、即ち自我の放棄の徹底を
  意味する菩薩であり、本来成仏の上の徹底利他行を説いている。「一心称名」とは、自分自
  身の中に観音(大自然)がある事を自覚する事である。「観音の名を持つ」ということは、
  絶対信仰(本来お任せ)に生きることである。運命から逃れようとはしないことである。観音
  信仰は幸・不幸を超越(無畏)することであり、全部仏の恵みであるという絶対帰依である。
  なお「普門」とは、誰でも何処でも通じると言う事であり、観音の本質は自未得度先度他の
  誓願である。
㉖「陀羅尼品第二六」は、『法華経』を護持する者を守護・讃嘆している。
㉘「普賢菩薩勧発品第二八」は、法華の守護者(法華の行者)である普賢菩薩を「勧発」即ち
  奨励している。

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 17:50:27.77 ID:oTk1Ifw70.net
第一住心 本能的  異生羝羊住心
  禽獣の如き心の段階をいい、欲望のあることを知って、その欲望の意味も調整する方法も知
  らない。人間以前、倫理道徳以前の状態。
第二住心  倫理性  愚童持斎住心
  愚かな少年の心も、導くものあれば自らを慎み、他に施す心が起きる。倫理に目覚めた
  段階の心の状態。
第三住心  宗教心  幼童無畏住心
   仏教以外の宗教でもこの世の限界を知るとき、それを超えて死後の安楽を願うものである。
   この段階の宗教心は、ちょうど幼児が母のふところにいる間は世間の苦しみを知らず安らか
   な状態。
第四住心  無我心   唯蘊無我住心
   事物の本質は存在せず、人も万物も仮の存在を保つという宗教的認識の第一段階の心。
第五住心  自利的   抜業因種住心
   業因の種を抜く住心という意味で、よく事物の生起、関連の法則を知り、迷いの元、業の
   原因、種子を抜く境地。
第六住心  利他的   他縁大乗住心
   すべての衆生を救うこと〔他縁〕を目的とする大乗仏教の最初の段階。
第七住心  空の境地   覚心不生住心
   心は何ものによっても生じたのではない。すべての相対的判断を否定し、心の原点に立
   ち返って空寂の自由の境地 〔中道〕に入ることを目指す。法相宗の心を示す。
第八住心  生命観  一通無為住心
  万物は真実そのものであり、本来清浄なものである。この境地に入るとき、従来の教えは
  一道に帰するはずである。法華、天台の境地。
第九住心  価値観   極無自性住心
   世界には一つとして固定的本性はなく、すべてがそのまま真実そのものであるとみる境地。
   華厳宗の心の段階。
第十住心  絶対観
  秘密荘厳住心 ここに至って万物は真実のあらわれとして、大きな歓びをもって万人の知、
  情、意に受けとめられる。真言秘密の境地。 言語、分別を超えた境地である故に「秘密」
  と云う。

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 17:52:06.48 ID:oTk1Ifw70.net
第三住心までは私達人間が到達できる範囲です。第四、五住心は小乗仏教で自らの解脱を
追求します。第六住心以上は大乗仏教であり、六、七住心は自他の区別なくより深い救済の
レベルを目指します。第八、九住心は顕経〔仏教〕の最高レベルです。そして最後の終点とし
て第十住心があり、心は大日如来と一つになり真理に到達するのです。〔真言密教の到達点〕

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 17:54:37.34 ID:oTk1Ifw70.net
華 厳 宗
「一がそのまま多であり、多がそのまま一である」という相反するものを一つに統括しようとする
考え方を持つ。哲学的な雰囲気が濃厚で宇宙的でもある。空海が東大寺の別当になったことが
ある為、作法や行事に真言宗的なところがある。教典は大方広仏華厳経が中心。本尊は毘盧
舎那仏(びるしゃなぶつ)太陽のように光明を放つ仏で、この光明によって迷っている人々を
浄土である華厳世界に導く。

75 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/08(火) 18:01:25.02 ID:oTk1Ifw70.net
第八が法華であり、一道無為住心
ある日蓮宗の方のお話だと、真言宗の本尊である
大日如来について、全く釈尊と関係の無い仏であり、
密教が建設されてくる過程で近隣の他の宗教に対応するために、
華厳宗の本尊をそっくり持ってきた。といっている人がいる。

私は法華経の久遠本仏は一にして多である、分霊本尊として考えている。
久遠本仏=大日如来=毘盧遮那仏

元をたどれば法華経なのかもしれない。

76 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/09(水) 01:46:55.14 ID:WLdFrRKe0.net
法華経は「法華経とはこんなにありがたいお経です」ということを延々と自画自賛してるだけだと聞いて
気にはしていたが長く読んでなかった。
ようやく読み始めて序品から仰天した。
仏様のありがたい説法が始まるかと思いきや、いきなり額からビームを出して大地震。
現代でいうところの草が生えるというやつだ。これには心をつかまれた。

77 :それはよかった ◆wSaCDPDEl2:2018/05/09(水) 07:34:54.14 ID:i60eZxNYI
法華経に批判的な輩は、誰かの著した解説書を飛ばし読みしただけで、始めから経自体を深く熟読などしていない。
熱心に額のビームと大地震の研究をするはいいことだが、夜はちゃんと寝ような。

78 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/09(水) 21:39:42.85 ID:7FPETrrv0.net
>>76
それでアッカンべーで舌だしてスペシウム光線も発射するんだぜ、拷玉君がよW

79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/09(水) 23:25:06.37 ID:0Savcs0f0.net
こういう事を書くと多分あちこちから反論があるだろうし、それに対して明確な証拠はないんだけど
法華経は方便品第二のみがもともとの法華経であり,序品を含めそれ以外の部分は後から付け足
されたものだと思います。

80 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/09(水) 23:26:23.71 ID:WTRi1YgD0.net
>>75
全て空を性質とする仏の説明をしているだけなので当然全部一緒
『法華』→『華厳』→『大日経』→金剛頂経系テキストなんて空海関係なく超基本の経典史なんだが案外知られてないのか?
なおインド密教(現在はチベタンとして伝承)や空海が重要視したのは金剛頂経系テキストのほう
よく法華信者が大日如来は釈尊と無関係とか謎のこと言ってるが、
初会の金剛頂経である『真実摂経』によれば、
大日如来=金剛界如来とは菩提樹下で悟りを開いた釈尊に一切如来が名灌頂して名付けたもの、とあるので普通に同一人物
大乗経典は先に成立したものを踏まえて発展させていってるので、どれか1つに依拠して他を批判したところで滑稽なだけや
そんなのは大正や昭和初期までしか通用せんかった議論
いい加減目を覚ましたほうがいい

81 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/10(木) 17:13:59.37 ID:xSeNl1jw0.net
野蛮未開の原始人の時代に、部族生活を経て死んでいった人々にとっては
生命とは単なる巡りでしかなく、
死後の極楽や地獄といった霊界とは無縁でしょう。
法華経や浄土三部経が成立した時代は弥生時代あたりだと思いますが、
法華経により久遠実成の本物が説かれたことにより、霊界に仏界(壮麗な極楽界)が
形成されてくる端緒となったのではないでしょうか。
小乗仏教の時代には仏様と死後の世界とは無縁であり、
霊界の存在を否定する考え方になっていたようですね。
西方の光輝く極楽世界の阿弥陀仏様や、東方の浄瑠璃浄土の薬師如来様など。
仏様が中心(核)となり、輪転される霊界が駆動されはじめたのでは
ないでしょうか。

82 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/10(木) 17:20:47.87 ID:bdjhMyAm0.net
>>81
〜〜〜〜ではないでしょうか。〜〜〜〜ではないでしょうか。って
結局これといった根拠も証拠もないお前個人の願望と妄想かよ!
祓いたい、祓いたい、祓いてぇー!まぁ、イワシの頭もなんだからな

83 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/10(木) 17:48:32.39 ID:xSeNl1jw0.net
地球の歴史 : 人類の科学的進歩
で考えてみください。科学の進歩とその実用化などはここ100年に満たない程の
歳月でしかありません。
これは 人間の 六感 : 五感 と置き換えることもできます。
仏教の修行とはその感性を磨くためにあるといってもいい。
そうしてようやく六感で掴むことができる。赤ちゃんみたいなものですが、
これが成長していくと、様々な運動能力を発揮するようなものでしょう。
こういう訓練もせず、俗人と同じ生活をしているものが、根拠とかエビデンスが・・・
などと質問し続けていても堂々巡りでしかありません。

84 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/10(木) 19:29:15.05 ID:bdjhMyAm0.net
ほほう、ということは、貴方の脳内で思考する仏道修行とは
仕事もせず、家族を養うために必死に職場のストレスにも耐え、納税義務や社会人 (社会の一員) としての関わりを一切せず、
己のみの求道で、どこか人知れない秘境で俗人とは違う生活をできるような恵まれたブルジョアジーっでなければ行えない修行なんですね
大乗仏教総否定!ありがとうございます。

85 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/10(木) 20:37:54.72 ID:xSeNl1jw0.net
いやいや、そうではないでしょう。
僧侶が行う修行というのは総合的なものであり、それらをすべてやっていく必要はない
ですね。
その中で重要なものはいくつかあると思います。
別に革製のベルトやカバン、靴を履いていても
いいですので、だれでもできるでしよう。

86 :十乗観法:2018/05/11(金) 14:23:01.64 ID:PoY8VP/H0.net
止観輔行伝弘決の巻五には、「蔵通別円の四教の、それぞれに説く有・空・亦有亦空
(やくうやくくう)・非有非空の四門(四教に各四門を立てると十六門となる)や八教の一
期の始終の化導すべてにわたっており、これらを今皆開顕して束ねて法華一乗に入れ、
すべてにわたって諸経を括(くく)って、法華の一実に収めたのである。もし当分の立場
でいえば、偏った教えの教主も、これ(十乗の観法)を知ることができない。ましてや世
間の闇証の禅師の知るところではない。『まさしく如来が長年修行を積んで求めた所』
以下は、一念三千をほめた言葉である。即ち十乗観法は、法華経の悟りを得る法であ
るから、法華経の文を用いてほめられたのである。迹門の説に約していうならば、大通
智勝仏の時以来を指して『積劫』といい、寂滅道場(伽耶(がや)城南の菩提樹下)をもっ
て『妙悟』とするのである。もし本門に約せば、我本行菩薩道の時以来を指して『積劫』
とし、その五百塵点劫の時の成道を『妙悟』とするのである。本迹二門ともに、ただこの
十法を求め、悟ったことを説いたものである。『舎利弗等が三たび仏に請うた所』とは、
仏は寂滅道場において説こうとしたけれども、衆生の機根が未だ調わず、それを説い
ても信じないばかりか、かえって誹謗をなし、堕獄の苦を招かんことを恐れて、四十余
年の間、方便を施し、種々に機根を調熟(じょうじゅく)し、法華の会座に至って、初めて
あらあら方便の門を開いたところ、動執生疑(どうしゅうしょうぎ)して、懇(ねんご)ろに三
たび請い願ったのである。その時、五千の増上慢の人はその座を起ち去り、不純未熟
の者は無くなったから、教・行・人・理の四方において悉く一仏法界に包摂されることを
点示して、五仏の章を述べて上根の人のために説いたのを法説とし、それで理解でき
ない中根の人には譬えを設けて説いたのが譬説であり、なお機根が劣る下根の人の
ために因縁を説いたのが因縁説である。仏の意はどこまでも連綿として、この十乗観

87 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/11(金) 14:23:49.30 ID:PoY8VP/H0.net
法にあったのである。それ故に大師は十乗観法を明かして、その結末にこの十法を大
白牛車に譬えているのである。したがって、止観の文の意は、実に法華経にあるので
ある。しかし、惑者(華厳の澄観など)は、このことを知らず、なお華厳が法華より勝れ
ていると思っている。彼らは、ただ華厳円頓の名にとらわれて、華厳部は別教を兼ね具
えた兼帯(けんたい)の説であることを知らないのである。このため、全く法華経の絶待
開会の意を失い、法華経特有の力用を貶(おと)し挫(くじ)いているのである。もし迹本
二門の経文をあきらめ、一代五時の説法をしらべて見れば、円頓至極の教えが法華
経であることを間違えることはない。どうして疑いをなすことができようか。これ故に大
師は結びの文で『正しく茲に在る』といわれたのである」とある。

88 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/13(日) 10:13:15.21 ID:z8fm5T6gx.net
>>80
「大日如来は何なる人を父母として、何なる国に出で、大日経を説き給いけるやらん」『祈祷抄』
「釈迦如来より外に大日如来 閻浮堤に於て八相成道して大日経を説けるか」『真言天台勝劣事』

『真実摂経』の「一切義成就品」を読んでいたらこんな批判できなかったのにね。

89 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/13(日) 20:23:13.63 ID:+kZT+uxQa.net
まあ伊集院さんの100分で名著テレビ見るわ

90 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 21:29:06.23 ID:aGOJoOBA0.net
「十住心」

第一、異生羝羊心(いしようていようしん)(凡夫)
第二、愚童持斎心(ぐどうじさいしん)(儒教)

第三、嬰童無畏心(ようどうむいしん)(婆羅門教(ばらもんきよう))

第四、唯薀無我心(ゆいうんむがしん)(声聞乗)

第五、抜業因種心(ばつごういんじゆしん)(縁覚乗)

第六、他縁大乗心(たえんだいじようしん)(法相宗)

第七、覚心不生心(かくしんふしようしん)(三論宗)

第八、如実一道心(によじついちどうしん)(天台宗・法華経)

第九、極無自性心(ごくむじしようしん)(華厳宗)

第十、秘密荘厳心(ひみつしようごんしん)(真言宗)

(『秘蔵宝鑰』)

91 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 21:38:28.34 ID:aGOJoOBA0.net
お大師さまは、ご自身が打ち立てられました密教という立場から顕教を教相判釈し、横オウの教
判として『弁顕密二教論』、竪シュの教判として『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』を執筆され
ました。掲げました文章の「言断心滅ごんだんしんめつ」とは言語道断、心行処滅の略語であ
ります。言葉で説くこともできず、心に推し量ることもできない、という境界こそが、法身大日如
来の内証智の境界そのものだ、というのであります。この言葉で了解されるように、密教は
顕教の総てを内容するものであるということです。私は日本の仏教史の特徴を、奈良の傅来
仏教、平安の総合仏教、鎌倉の選択仏教、室町の土着仏教、近代の解放(実際はいまだに
解放されていません)と考えております。お大師さまの、この言葉は総合仏教という立場を、
いとも単純に述べたものであります。教相判釈とは、自己の立場と他の立場とは峻別するも
のでありますが、お大師さまがなさった峻別の方法のその具体相は、密教の優位性を強調
するものでありますが、それは同時に総ての教えを各々に位置付ける包容力のあるもので
あったことがわかります。 『十住心論』の第六は弥勒菩薩の三摩地門であり、それは大日如
来の大慈三昧である。第七は文殊菩薩の三摩地門であり、それは大日如来を離れて別に
智慧がある訳ではない。第八は観自在菩薩(法華経)の三摩地門であり、それは大日如来の
法曼荼羅であり。第九は普賢菩薩の三摩地門であり、これは大日如来の菩提心の一門であ
る。というように、各々の教えを担う総ての菩薩達は、大日如来の一徳を各々に分有している
というのであります。まさに総合仏教ということにほかなりません。

92 :法華の儀軌経:2018/05/14(月) 21:57:54.07 ID:aGOJoOBA0.net
大乗仏典のなかから最も代表的なものを敢えて一つだけ選ぶとしたら、法華経をあげる方も
多いだろう。法華経は日蓮宗の専売特許ではない。すでに平安時代から最も重要な仏典と
されてきたし、南無妙法蓮華経の題目も日蓮が生まれる何百年も前から、行なわれてきた。
平安貴族の日常では、朝に南無妙法蓮華経を唱え、夕に南無阿弥陀仏を唱えるという「朝題
目、夕念仏」が普通に行なわれていたという。実際、法華経崇拝と呼ばれ、法華経は霊験が
極めて高い経典とされ、平安文学にも盛んに現れる。また写経の定番ともなった経典であっ
た。それは空海の時代にあっても変わらない。空海も最澄も法華経を重視した。特に最澄は、
「法華一乗」として、法華経を天台教学の中心においた。当時の仏教は、華厳宗、律集、法相
宗、三輪宗、成実宗、倶舎宗のいわゆる南都六宗が主流派であった。ここで注意すべきは、
当時の宗派は、現在のようなイデオロギー集団、宗教団体を意味するのではなく、「仏教教
学の学派」ないし「学部」的な意味合いが強かった。そのため、当時の僧侶は複数の宗派を
学ぶのが普通であったし、多くの宗派の教学に通じていることが理想とされたのである。空海
は、密教はこれら六宗のような旧来の仏教教学よりも優れた教えであると、その著「秘密曼荼
羅十住心論」の中で主張した。密教は仏教教学が最終的に行き着いた最も完成された教学
であるというわけだ。しかし、決して空海は、従来の六宗を否定したわけではない。むしろ、そ
の逆で、従来の六宗は密教に至るまでの途中経過であり、それら「土台」の上に密教という建
物を構築すべきとした。空海は当時の日本仏教の改革を目指したが、それは真言宗という新

93 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 21:59:03.87 ID:aGOJoOBA0.net
たな独立した七つ目の宗派をつくることより、むしろ日本仏教全体の密教化を目指したらしい。
それゆえに空海は六宗のリーダー格の高僧達に書簡等を送り、密教を宣伝し、売り込んだ。
そして、彼らが密教に関心を示すと、喜んで彼らに密教を教えた。当時、最澄もまた当時の
日本仏教の改革を志していたが、それは天台宗という新たな宗派を構築することによって、
それを目指していた。そのためには彼は、当時の六宗の僧侶達と激しい論争を行い、対立す
らも辞さなかった。空海とは対照的な方法であろう。最澄の天台教学においては、法華経が
中心的である。そして、同時に禅や密教すらも内包させるというものだ。ずっと後世になって、
日蓮宗、浄土宗、日本の禅宗も、こうした天台教学を土台にしていることからも、その壮大さ
が分かるであろう。日蓮も法然も親鸞もかつては比叡山で学んだのだ。しかし、最澄は自分
の密教が、まるっきり未完成なものであるということを痛感していた。だからこそ、最澄は空海
に教えを乞うことになる。空海はずっと歳下で、僧としても後輩、社会的地位も下である。にも
関わらず、最澄は空海に「弟子入り」し、彼から灌頂を受けた。また、空海宛の書簡にも「弟子
最澄」と署名した。仏教教学の前ではひたすら謙虚で、おそるべき公正さを持つ彼らしい態度
であった。一方、日本仏教全ての密教化を目指す空海にとっては、最澄の天台宗とて例外で
はなかった。だからこそ、彼は喜んで最澄に協力したのである。しかし、これにはすれ違いが
あった。最澄にとっては、密教はあくまで天台教学を完成させるための部品の一つでしかな
かったのだ。また、理論を重視する「学僧」の最澄と実践を重視する「修行僧」の空海とでは、

94 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 22:00:01.58 ID:aGOJoOBA0.net
密教の学び方についても対立が生じる。さらに、優秀な弟子が、空海の基に走るようなことも
あり、この二人の天才は決別してしまうのである。空海は天台の僧達に「法華儀軌」を研究
するように勧めていたらしい。空海も六宗や天台宗が重視していた法華経も、同じく重視して
いた。そして、法華経もまた密教的な要素を多分に含んでいた。法華経を基にした法華曼荼
羅はもとより、法華経のなかの陀羅尼品では、ずばり真言陀羅尼が説かれているのである。
「法華儀軌」は、まさに法華経を密教的に解釈した儀軌であったのだ。空海は、南都六宗や
天台宗を含めた日本仏教全体の密教化を理想としたわけであるから、彼らが重視する法華
経の密教的解釈を施したこの儀軌は、確かに注目すべき経典であったろう。正式な名称は
「成就妙法蓮華経王瑜伽論観智儀軌(じょうじゅみょうほうれんげきょうおうゆがかんちぎき)」
であり、「法華儀軌(ほっけぎき)」と呼ばれる。8世紀に不空三蔵によって漢訳された。これは
「法華経」を、密教儀軌の構成上に乗せ、「法身真如観」に入ることによって、心蓮華台中の
大日如来から阿字本不生の実義を聴き、やがて妙法蓮華経王を自身において体得すること
が説かれている。行者は法華経を読誦し、その教えを学び、修行を行うわけだが、それを密教
式の方法で行う。法華経の諸尊を含んだ「法華曼荼羅」の描きかたが説かれる。「法華経」の
見宝塔品には、釈尊が法華経の教えを説いているときに、宝塔が出現し、塔のなかに坐して
いた多宝如来が、半座分けて釈尊に与え、その宝塔のなかに二仏が並んで座るという「二仏
並坐」のエピソードがある。この二仏並坐を中心に三重構造で描かれるのが、「法華曼荼羅」

95 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 22:00:42.98 ID:aGOJoOBA0.net
である。ここにおいて、「法華経」に由来する諸尊と、密教の諸尊が配置され、「法華経」の密教
化が曼荼羅として表現されるのである。また、法華経の密教的解釈の教え、具体的な儀式の
次第、行うべき想念、結ぶべき手印、唱えるべき真言も説かれている。こうして「法華経」を供
養すれば、悟りへの修行はもちろん、息災、増益、延命、滅罪などの祈願もできるという。要す
るに、「法華経」を供養し、「法華経」の世界を密教的に体得し、また「法華経」の霊験を得る
ために、「法華経」を密教化させた経典なのである。

96 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 23:47:50.23 ID:oC4vFF5p0.net
あっい〜っ!どこんしぇんしぇいか知りせんばってんが、いつまで小説の講釈ば長々と♪www
いけせんよ〜!こがん名無し作家のファンタジー小説ば真に受けて、あいやこいやと!wwwww

浅田次郎の小説も宮部みゆきの小説も、はたまた東野圭吾や池井戸淳の小説もあくまでもあいは
フィクションばってん、なかなか勉強になっ話しもあろうもんうが、あくまでも登場人物や団体は
架空の世界!たまにノンフィクション小説もあるかもしれせんが、小説は小説、!お伽噺しは
おとぎ話しとして考えましゅう〜!もちろん、湊かなえや原田マハ、あさのあつこに最近売出し中の
八咫烏シリーズの阿部千里などの若手女流作家も侮れません

ほんなごて、狂典至上主義の原理主義汚沈々ば、ありがたか〜!が〜〜ん、が〜ん、が〜〜〜ん!
そいぎんた。おい、もうたかぶってにゆっ! そいぎ〜!あしちゃ、魔にゃ~な~♪
あっちょ〜っ!V(=^O^=)/シ~~~~ wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

97 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/14(月) 23:55:52.43 ID:oC4vFF5p0.net
>>96 追加
そいばってん、大乗狂典ごたっ狂典、どいもこいも現代の日本の作家と比べっと、
あいこいわけわからんキャラクターばっかいぢ起承転結もまともにできせん
どこの出版社でも相手にされん愚作ばっかいと思んもとっとっと〜、おいは!www

98 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/15(火) 05:02:17.45 ID:LDU5G7Tb0.net
あっい〜っ! みなやん、乙破妖誤罪魔棲〜!浅手権衛門〜!が〜〜〜ん!wwwww
きゅうも 06:00 からの朝ゴンばすっみゃ〜に、しっかと誤膀前の汚粗蛆/汚灸痔ば
忘れず板島臭〜! 鳴り物ば叩いて、カンカンカカン、だいの作品か知りせん小説ば
ダミ声ぢ朗読して、檀家信者のぢゃ〜じな乙留めば板島臭〜♪ ほんなごて、誤沈々ば、
ありがたか〜!が〜〜ん、が〜ん、が〜〜〜ん! あっちょ〜っ!v(=^o^=)/~~~~ w

99 :起承転結まともにできせん ◆wSaCDPDEl2:2018/05/15(火) 06:54:50.60 ID:81nJ4rS+N
つまり「小説」ではないということ。
わかったから、この手の話は「ボス猫がぶり」スレで語ってね(爆)
「しまむら君」が寂しそうに待っているよ。

100 :名無しさん@京都板じゃないよ:2018/05/15(火) 13:33:01.23 ID:qhAXCFpB0.net
臨済宗 栄西

日本臨済宗の開祖。号を葉上房,字を明庵という。初め比叡山に登り天台の教学を修め
たがあきたらず,仁安2 (1167) 年伯耆大山の基好のもとで勉学中唐本『法華経』に接して
入宋の決意を固め,翌年4月入宋。天台山,阿育王山を歴訪し,禅に対する理解と興味を
示し,中国天台宗に関する注釈書などを持って帰朝。以後天台の復興に禅の必要性を
痛感し,文治3 (87) 年再び入宋。天台山で臨済禅を学び建久2 (91) 年帰国。筑前誓願
寺において布教活動を始め,正治1 (99) 年鎌倉に入り,のちに将軍頼家の帰依を受け
寿福寺を創立,建仁2 (1202) 年京都建仁寺を造立し,以後京都,鎌倉の間を往復して
禅の弘通に努めた。建永1 (06) 年東大寺の重源のあとをうけて東大寺大仏の再建に
尽力した。治承2 (1178) 年の筑前誓願寺の『誓願寺盂蘭盆一品経縁起』は栄西の遺
品として名高く,その書風は宋風様式を示している。また茶の種子を宋から持帰り,
日本に喫茶の習慣を広めた。著書に『興禅護国論』『一代経論釈』『喫茶養生記』など
がある。弟子に釈円栄朝 ,退耕行勇らが輩出した。

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