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【短答過去問】弁理士統一スレ 233【ワッチョイあり】

1 :名無し検定1級さん :2017/10/13(金) 21:23:35.56 ID:O6cZ8aHF0.net
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テンプレは無いのでコピペ荒らしを相手しないようご注意

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【BBS_SLIP(ワッチョイ)】仕様のスレの立て方

!extend:checked:vvvvv:1000:512 ←を本文1行目に記載するとワッチョイ仕様になります

2行書いておくと次にスレ立てする人がコピペできるので親切

頭の「!」を付け忘れると、ワッチョイ仕様のスレにならないので注意
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

881 :名無し検定1級さん:2018/11/11(日) 22:23:32.01 .net
私が産まれた家であるセト家は、超がつくエリート一家である。
父方の親戚の八割以上は東大、慶應、医学部が占めている。
まさに学歴はピカイチである。祖父はT大出身の某一流商社マンである。
その他の親戚の職業は商社マンや経営者、外交官や医師がほとんどを占めている。
というより身近の親戚で上記の職種以外の人は恐らくいない。
父は幼少期をロンドンで過ごし、私立の中学高校へ進学、
その後私立K大学経済学部から大手一流企業に就職した。
いわゆる典型的なエリートボンボンのお坊ちゃんである。
母は対極的な育ち方をしており、ごくごく一般家庭で産まれた。
母方の祖父は高校中退後、工場で勤務をしており母は三人兄弟の長女として産まれた。
母は大変な努力家であった。書道、珠算共に有段者であり、
ピアノもショパンの幻想即興曲をスラスラと弾きこなし、
大学時代はジャズバーでピアノを弾くアルバイトをするほどの実力であった。
また大変な勤勉家であり、福岡県内の学区トップ高校から旧帝大学教育学部へ進学した。
母には二つ上に兄がおり、母の兄と母の大学への進学時期が重なってしまったために
母は大学の学費を出してもらえなかった。
そのため母は、奨学金を借りて塾の講師のアルバイトをしながら大学へ通った。
大学卒業後は大手証券会社に就職した。
父と母の出会いは福岡であった。
父が用事で母の証券会社に行った際に対応したのが母だったのである。
すぐに交際を始め、5年間の交際の末に結婚したのだ。
そんな父と母の下でセトマキは産まれた。

882 :名無し検定1級さん:2018/11/11(日) 22:28:21.38 .net
セトマキは子供の頃からとにかく変わっていた。
よく言えば、不思議ちゃん。一般的に言えば、大変人。
幼稚園の頃から母方の祖母に会うたびに
「まきちゃんね、将来すっごく有名人になるんだ!これ、本当なんだよ!
本当にほんとなんだ♪」がお決まりの口癖だった。
だから母方の祖母から付けられたあだ名は『夢見る夢子ちゃん』だった。
セトマキは、小さいころから天から舞い降りてくるお告げに沿って行動していた。
信じるものは天空から舞い降りるお告げのみ。とにかくお告げに素直だった。
そのため、子供の頃からまわりの子とは全く違う行動をとる子供であった。
両親は私をアスペルガーではないかと心配し、
病院で検査を受けさせたりしたこともあるらしい。
話は戻るが、セトマキは、傍から見ればこんなに優秀な両親から産まれ、
経済的にも何不自由ないお嬢様なわけで、子供の頃からたくさんの習い事をやっていた。
幼稚園に入る前からリトミック、子供チャレンジ、幼稚園の頃からはピアノ、水泳、英会話、
ドイツ語、体操などである。
特にピアノは頑張った!小さい頃から母が演奏してくれていたショパンの幻想即興曲と
ジャズピアノの名曲であるTAKE5を聴くのが大好きだった。
将来は母みたいにピアノがうまく弾けるようになりたいって純粋に思っていた。
さて、セト家にはセト家を統率する強力な存在がいた。
父方の祖母である。祖母は会社を経営しており、
T大卒某一流商社マンの祖父より稼いでいる時もあった。
やり手の女社長である。
セト家は、学歴や家柄、職業などいわゆる社会的ステータスを重んじる傾向にある家庭であり、
学歴や社会的ステータスのない人を見下す傾向にあった。
母は一般的な家庭からセト家のようなエリート家系に嫁いでしまったため、
私がセト家の人間として恥じないような人間にしなくてはならない、
それなりの社会的ステータスを身につけさせなくてはならないという
強いプレッシャーがあったんだと思う。
子供の頃から母との話が他人の家の年収や学歴、自分の家の学歴の話に偏っていた。
そのため、セトマキは幼稚園の頃から、幼稚園の友達の親に
「○○ちゃんのお母さん!○○ちゃんの家のお父さんの年収っていくらなの?
どこの大学出てるの?うちのお父さんはK大出てるんだー!」なんていう会話ばかりしていた。
幼稚園児にして相当偏った人間であった。

883 :名無し検定1級さん:2018/11/11(日) 22:28:39.68 .net
そのために、まわりから変な扱いを受けた。どこへ行っても変なやつ扱いをされて孤立していた。
セトマキは父の海外転勤に伴い小学校一年生から四年生までを
ドイツのデュッセルドルフで過ごす。
一年生の時と二年生の時は現地小学校であるブリューダーグリムシューレに通う。
最初は全くドイツ語が話せずに言葉の壁で苦労したが、
年齢が若く言語の習得が早かったこと、
担任のノエル先生がとても熱心な先生で毎週月曜日の放課後に
私を自宅へ招きマンツーマンでドイツ語の指導をしてくれたこと、
週三回日本人の家庭教師がドイツ語を教えに来てくれたことにより、
ドイツに引っ越して一年たった頃にはほぼバイリンガルとなっていた。
ドイツ人の子たちはみんな優しく割と馴染めた。
しかし私はこの二年間現地小学校にいたことにより
元々ずれていたTPOがさらに大きくずれてしまうこととなる。
三年生と四年生はドイツの某日本人小学校で過ごす。
クラスメイトは全員日本人である。
私はTPOが全く読めずに、クラスでは完全に浮いた存在であった。
みんな優しい子たちであったためにこんな私と仲良くしてくれたが、
誰とも、誰とも合わなかった。クラスメイトと根本的な感覚が違った。
人と一緒に遊んでいても、心の中ではいつも孤独だった。
そんな小学生の私は、自分の居場所を宇宙に求めた。
宇宙、特に星が唯一の友達であった。
毎日のように星や星座の図鑑を見て、天体望遠鏡で夜空を観察した。
夏の夜空にキラキラと輝く真っ赤な一等星であるさそり座のアンタレスが大好きであった。
また、星と同じくらいオーロラが大好きな子供であった。
小学校の頃から、“大人になったら、絶対にシベリア鉄道に乗って
シベリアでオーロラを見るんだ!”という夢を持っていた。
私は産まれてからずっと同世代の誰とも子たちと誰とも合わないことへの
強い孤独を抱えていた。
どう合わないかと言われても、上手く説明できないが、根本的な何かが全く違うのである。
正直、小学生の頃から人一倍、他人への違和感や生き辛さを感じていた。
四年生のある日、セトマキは産まれてくる前に、
神様から「君は日本一のラッキーガールだ」と言われたことを思い出した。
“全然ラッキーじゃないじゃん…お告げの嘘つき!”
心の中で神様にいつも文句を言っていた。

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