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皇室御一行様★part3116
- 449 :可愛い奥様@\(^o^)/:2016/07/17(日) 22:42:46.88 ID:FLzrnrQ10.net
- >>448(続き)
若い頃の沖縄現地調査の時は、出発する直前に役所に訪ねてきた見知らぬ老人に
「息子の遺骨を持ち帰ってほしい」と懇願され、過密な日程の合間に東風平(こちんだ)町
(現八重瀬町)のサトウキビ畑で汗だくでスコップで掘って回った(遺骨は見つからなかった)。
首席参事官時代、佐藤栄作元首相の国民葬で三木武夫首相が右翼になぐられた時、
小柄な体でとっさに巨漢の首に飛びかかり、取り押さえた。
警視庁が要人警護のSP部隊を創設するきっかけとなった事件である。
官僚の頂点をきわめてから、小学校の同窓会誌などに頼まれて書いた随筆は、
故郷信州の自然の美しさと戦争で果てた身近な人たちの思い出が多い。
藤森はそんな男だった。
宮内庁長官室の壁には陽明学者安岡正篤から贈られた中国の古典『六然(りくぜん)』の書をかけていた。
「自ら處すること超然。人に處すること藹然。有事斬然。無事澄然。得意澹然。失意泰然」
(自分にとらわれず、人にはなごやかに、事があれば活気に満ち、事がなければ澄み、得意の時はあっさりと、失意の時もゆったりと)
厚生省の後輩で、平成7年から8年7カ月間という官房副長官在任記録をもつ
古川貞二郎(現母子愛育会会長)は、天皇代替わりでは首席参事官として官邸側から藤森を支えた。
古川は母校九州大学から訪ねてきた学生たちに「尊敬する人物は」と質問されて、
「藤森昭一さん。一番尊敬していて兄貴みたいに思っている」
「誠実、愚直。こっち行った方が自分にとって都合がいい。そういうことに関係なく自分の道を真っすぐ歩く。そういう人だ」と答えている。
代替わりの乗り切りが使命だったが、在任は平成8年まで延び、
その後も同17年まで参与として皇室や宮内庁幹部の相談役を務めた。
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