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皇室御一行様★part3284

850 :可愛い奥様:2017/11/21(火) 07:50:08.16 ID:gx3o1tG90.net
>>848
『週刊文春』2012年12月20日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第23回 鴨場のプロポーズ>
友納尚子
pp.40-42より引用
5年ぶりの再会を果たした後、皇太子からはしばしば雅子さんの家に電話がかかって来たという。その真摯な思いに打たれ、雅子さんはもう一度皇太子に会うことを決めた。

 宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)の正門。高さ約三メートルの鉄扉が、左右にゆっくりと開いた。
 鴨場は宮内庁が管理する施設で、主に十一月中旬から翌年の二月中旬までの鴨の狩猟期間に、駐日大使や国会議員を接遇する場所として使用されている。この年(一九九二年)、期間前の十月三日に正門が開いたのは、異例のことだった。
 雅子さんが皇太子殿下とお会いするため、一足先に到着したのは、午前九時過ぎ。秋晴れの清々しい朝だった。雅子さんは、車で開いた門をくぐった。
 その時、運命は大きく動き出そうとしていたのだった――。
・・中略・・
 雅子さんが乗っていたのは、仲介役の元外務次官・柳谷謙介氏が運転するマイカーだった。後部座席の雅子さんの隣には、柳谷氏の妻が座り、一見家族に見えるようにカモフラージュされていたかのようだった。
 宮内庁職員が運転する車に先導され、二台の車は土曜日の朝の閑散とした道路を走り抜けて到着したのだった。
 一方、皇太子は午前九時に東宮仮御所をご出発された。このことは、宮内庁幹部と身の回りの世話をする内舎人の数人しか知らなかった。
 “雅子さんプロジェクト”は、情報管理による秘密保持が最重要であり、この日の“デート”もマスコミに絶対知られてはならなかった。この日は宮内記者に「殿下は、外出など特別な用事はなくゆっくりと仮御所で過ごされる」と予定を発表していた。
実は一カ月半前の八月十六日、皇太子と雅子さんが宮内庁長官公邸で五年ぶりに再会したときも、菅野弘夫東宮大夫は「殿下は午後からテニス。外出される予定はない」と発表した。実際に再会の場に向かう車にテニス用具を持ち込むほどの周到ぶりだった。
 秘密保持は対マスコミだけではなく東宮職員に対しても徹底していた。この日も、日中だれもいない皇太子の部屋にラーメンや果物を運び込んで、あたかもずっと在室しているように偽装する念の入れようだったという。
「皇太子の食事時間は決まっているので、この日は支度をする大膳課に時間の変更を事前に報告していたようです。外出したことが知られてしまうため、注意をはらったようです」(宮内庁記者)
 仮御所の裏扉から出てきた皇太子は軽装で、誰にも気付かれないように小豆色のワゴン車の後部座席に素早く乗りこんだ。乗車したのは、皇太子ただひとりだけ。藤森昭一宮内庁長官は、天皇皇后両陛下に随行して、山形国体に行っていた。
 内舎人がハンドルを握り、静に走りだした車の窓には目隠しがされていたが、赤坂御用地の門を出入りするときだけは皇太子は毛布を被り身を隠された。
 ワゴン車の後ろには、ポロシャツに茶色のセーターという軽装の山下和夫東宮侍従長(故人)のベージュ色のマイカー、カペラが走っていた。

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