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携帯電話不要論!公衆電話復活論!

1 :マンゴーの天然水:2008/03/22(土) 21:26:15 .net
どーよ?

253 :レゲーさん:2011/05/03(火) 11:58:41.50 .net
歴史さんです。よろしく

歴史・・・中国の隣接諸国のエピソードを自分なりにまとめたもの載せておきます。

注)難しい字が多いので漢字が変換で出ないがあるかもしれません。その場合は平仮名で打ち込みます。予めご了承下さい。


オイラート部とタタール部において重要な点は『エセン・ハン』という人物が『明(みん)』という国に侵入して来た事。
これを『土木の変』という。一方タタール部は『アルタン・ハン』という人物。そういう事で中国の内陸部にどんどん侵入して来るのであった・・。
そして『清(しん)』、この辺りというのは明(みん)の時代であっても清(しん)の時代であっても常に色んな形で侵入して来たのである。
清(しん)代のモンゴルでいうと『チャハル部』と呼ばれているエリアである。全て清の支配下にあった。







254 :レゲーさん:2011/05/03(火) 12:01:28.06 .net
そして明(みん)という国の時代、オイラート部と呼ばれていたエリアは『ジュンガル部』というように名前を改名している。
主にトルキスタンの東の方角を支配していた。この辺りというのは常に民族の攻防が激しい所だった。明(みん)であったり清(しん)であったり、
そういう国にとっては異民族の侵入というのは非常にうっとうしい。邪魔な存在であった。何故なら自分達の安定した国のうえんを妨げる(妨害する)
可能性のある民族の侵入だったからです。

そんな時代に『康熙帝(こうきてい)』 『雍正帝(ようせいてい)』 『乾隆帝(けんりゅうてい)』という3人の皇帝が存在しました。
彼らは当時、非常に有能な皇帝でありました。康熙帝そして乾隆帝の時代にこれらの中国内陸部の異民族をセイバツしました。

最終的には清(しん)という国を完全に支配してしまうわけです。そして東トルキスタン辺りを
『新きょ(しんきょ』という。
そしてチベット、チベットも現在、仏教では非常に名の知れた聖地であります。






255 :レゲーさん:2011/05/03(火) 12:02:35.09 .net
チベットというのは『ラマ教』が多数分流したエリアでもある。
そしてそのエリアは『ダライ・ラマ』という人物が支配していたそうだ。
一方、朝鮮(ちょうせんのほうは)1392年に『高麗(こうらい)』
という国が滅亡しているそうです。
高麗(こうらい)がなくなった頃ちょうど僕達の国である日本は
『室町時代(むろまちじだい)』でした。




15世紀(1500年)以降は、『両班(りゃんぱん)』
両班と書いて、りゃんぱんとか読むそうです。日本と随分違います。
両班とはある主が身分を特権する事である。
当時、日本人の『豊臣秀吉(とよとみひでよし)』が朝鮮に侵入したらしいです。
日本は戦国時代(せんごく時代)。戦いの真っ最中でした。そんな頃です。

256 :レゲーさん:2011/05/03(火) 12:03:23.14 .net
これらの内容は日本の室町時代とほぼ同年期らしいです。
室町時代と言えば鎌倉時代終了後・・です。

そして中国は『明(みん)』の時代だったそうです。
日本は室町時代 中国は明時代。そんな時代に起こった出来事である。
高麗(こうらい)滅亡後は、『りし朝鮮』というのが起こる!『李成けん(りせいけん)』の建国。
りせいけんというものが作られます。

今回はこれくらいにしておきます。ではまた次回お会いしましょう。
久びさの休みなのでゆっくりします。
では!

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