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ラズベリーズからエリックカルメン・・・

1 :ベストヒット名無しさん:04/09/20 20:58:53 ID:HzmpipQI.net
軟弱かもしれないけどこの甘く切ない声とメロディが心を打つんですよね。
ラズベリーズだと「LET'S PRETEND」「I WANNA BE WITH YOU」
カルメンのソロだと「NEVER GONNA FALL IN LOVE AGAIN」「SHE DID IT」
「BOAT AGAINST THE CURRENT」が特に好きですねぇ・・・
その他の曲もみんな聞くと胸がジ〜ンと熱くなります。

542 :ベストヒット名無しさん:2022/01/03(月) 14:21:45.34 ID:J9P8I/Aq.net
>>541スペリングミス訂正
〇『Overnight Sensation』

543 :ベストヒット名無しさん:2022/01/03(月) 20:26:44.38 ID:J9P8I/Aq.net
『Overnight Sansation』は、最初は『Hit Record』というタイトルだったという。
スコットによれば経緯は次の通り。

「1974年8月、エリックの誕生日(11日)にLAのキャピトル本社から電話がかかってきた。
電話をとったエリックが戻ってきておれたちに言うには、『タイトル変更だってよ』。
『Hit Record』はおれたち四人の考えたタイトルで、グッドアイディアだった。
起死回生の久々のヒットレコードになるようにとの願いをこめた(この曲は先行シングルの予定だった)。
しかし本社はこのタイトルをあまりにも見え見えだと決めつけて、すべてをぶちこわしにした。
おまけに、その前にすでにニューヨーク支社から連絡が来ていた」。

インタビュアー「もう盤をプレス済みとか」。
スコット「そう。本社は支社に電話してタイトル変更を伝えた。
支社からエリックに電話がかかり、『もう遅すぎる。いかなる変更も絶対に無理だ』と。
そもそもコミュニケーションに第一の問題があった」。

結局プレス済みの盤がどうなったのかをスコットは語っていないが、たぶん全部廃棄されて一からプレスしなおされたのだろうと思う。
この曲のシングル盤ラベルの画像では、タイトルは『Overnight Sesation』で、その後に( )付きで小さく『Hit Record』 が付加されている。
事情をスコットも誰も語っていないが、エージェント不在、またはいたとしても腕利きでないエージェントだったとして、
こういう場合の損額もラズベリーズがかなり負うことになっていたのならば、
ラズベリーズには重い負債がのしかかったというのはありえる。

544 :ベストヒット名無しさん:2022/01/03(月) 20:41:02.77 ID:J9P8I/Aq.net
>>543
前投稿スペリングミス二か所訂正
〇Overnight Sensation

四枚目のアルバムリリースの謎の延期、タイトルのゴタゴタ、バンド内の人間関係などのトラブルがあっても、
スコットは「辞めてオマハにもどる気はなかった」と言う。
「オマハに帰ってそこで何もせずに腐っていくのは絶対に嫌だった。踏みとどまってとことんやるしかないと思った」。

アルバム『Starting Over』をラズベリーズのメンバーが「これが最終作」と認識していたか、
それともまだ先があると思っていたのかについては、いろいろな意見があり、よくわからない
(本人たちはこれについてはあまり語っていないようだ)。
あるジャーナリストは「メンバーはすでに疲れ、諦めていた。ウォーリーの『Party's Over』のタイトルがそれをしめしている」。
別のジャーナリストは、「結果的にラズベリーズの白鳥の歌となったが、メンバーは希望をいだいていた」としている。

545 :ベストヒット名無しさん:2022/01/08(土) 20:19:07.42 ID:7S+sY09T.net
動画"THE RASPBERRIES: In Concert" - (1974) - ("Starting Over" Tour)をもう一度観たが、口パクはやっていない。後から別録音を入れなおして差し替えた箇所などはあるかもしれないが、ステージでは実際に歌っている。
というのは『Starting Over』を歌うエリックの大写しの横顔を観ると、特に声を響かせる箇所で喉仏が下がっているからだ(口パクの場合には下がらない)。
ボスのエリックがちゃんと歌っているのに、他の三人が口パクでサボることは許されないだろう。『Play On』を歌っているスコットの顔のアップで喉を確認すると、やはり口パクではない。
口パクが許されなければ、エリックが手パクを許すはずもないだろう。演奏ミスの音声差し替えなどはあるかもしれないが、実際に音を出しているのはまちがいないと思う。

546 :ベストヒット名無しさん:2022/01/08(土) 20:29:25.25 ID:7S+sY09T.net
上記動画の顔や手のアップからは、他にもいくつかのことが見てとれる。
エリックは体格(5フィート9インチ、125ポンド)のわりには手が大きく、長い指がしなやかに横に広く開く
(マイクを持つ手や他のライヴ動画で確認できる)ので、鍵盤の1オクターヴ以上らくに届くだろう。
ピアニストにはもってこいの身体的適性で、デイヴが「エリックの楽器はピアノ」と断言したのが理解できる。

ピアノといえば当時の日本のクラシックピアノ練習法の主流は、いわゆるハイフィンガー奏法だった(現在では弊害が指摘されて廃れた模様)。
米国ではどうだったのかと思い動画を観たら、エリックはハイフィンガーを全くやっていない。
クラシックピアノと、ジャズやロックやポップスのピアノとでは奏法も違う。
しかしクラシックピアノを少年期に何年間も音楽専門教育機関で学んだエリックの弾き方に、ハイフィンガーの形跡が全く見られないのは、
米国ではこの奏法が普及しなかったことを意味する。

手の大きさについては、ウォーリーが「おれの手はギタリストとしては小さいほうなので、奏法を工夫している」
と述べている記事を見た。演奏する彼の手を観ると、確かに体格(6フィート1インチ、165ポンド)にしては指がやや短めかもしれない。

547 :ベストヒット名無しさん:2022/01/10(月) 13:36:48.73 ID:SRQr0gm8.net
ウォーリーが「1974年国内ツアーのロードマネージャーが人間関係をひっかきまわした」
という内容を後に言っているのは既述した。
このマネージャーの名前をウォーリーは「スタン(Stan)」とし(姓は述べていない)、
「エリックの味方ばかりして、いろんなことを彼に告げ口した」としている。

スタンという名の同時期のロックバンドのマネージャーといえば、
バッドフィンガーの不運の一因となった悪名高い米国人マネージャー、スタン・ポリーが思いうかぶ。
英語サイトを調べてみたが、ポリーとラズベリーズとのつながりは出てこない。
さらに調べると、独立後のエリックのサポートをしたバンド『マジック』のメンバー、
スティーヴ・ニル(ベーシスト兼ヴォーカル担当)の、次のような証言が出てきた(2021年のインタビューより)。

「1974年のクリスマスに、ラズベリーズがギグを『アゴラ』(クリーヴランドの著名なライヴハウス)でやったときに、
われわれ(『マジック』)がバックで協力し、エリックと初めて会った。
リハーサルの際、エリックは自分のニューヨーク・マネージャーのスタン・ポージズ(Stan Poses)を連れてきて、
われわれのバックコーラスを彼に聴かせた」。

ウォーリーが酷評したロード・マネージャーはこのスタン・ポージズだと思われる。
エリックはすでに解散と独立を目して、個人的にスタンと契約していたのだろう。
スタンの立場からするとエリックを早く独立させたほうが利益が出るので、
エリックひとりの味方をし、他メンバーを軽視したのではないか、と私は憶測する。

548 :ベストヒット名無しさん:2022/01/10(月) 14:16:54.95 ID:SRQr0gm8.net
1974年の全米ツアー中、8月22日(場所はツアー地のインディアナ州ラポート。なお23日のシカゴだという証言もある)
のエリックとウォーリーの暴力沙汰の大喧嘩の経緯をウォーリーが後に語っている。

「ギグ終了後、エリックが『これから全員でミーティングをやる』とおれに言った。
『いやだ』と答えると、『ミーティングが必要だとスタンが言っている』。
おれは頭に来て『スタンの指図なんか聞くわけねえだろう。てめえ、この野郎、ミーティングなんかに出ねえよ』と言った。
スタンはエリックの肩ばかり持ち、最近は特にそれがひどかった。
おれは、エリックは自分が今までやってきた数々の報いを受けるべきだと感じ、
彼のあとを追いかけた(そして暴力をふるった)。
エリックはプライドが高く、怒っても決して汚い言葉は遣わなかった。
しかしおれは、もう彼には我慢できなくなっていた」。

その結果、目撃したスコットに衝撃と音楽界への幻滅を与えた大喧嘩となった。
翌日のギグは予定通りやったようだが、ウォーリーはこの喧嘩で「両肩をいためた」と言っているので、
ふたりとも手加減せずにやりあったのだろう。

549 :ベストヒット名無しさん:2022/01/10(月) 15:35:58.99 ID:SRQr0gm8.net
ウォーリーの怒りの原因のひとつに、準メンバーとしてウォーリーが連れてきてツアーにも同行させていたキーボード奏者のジェフ・ハットンを、
エリックが辞めさせる意向だったということがある。

「ジェフが解雇された後、『デイヴやジムやジェフなど、エリックはおれの親しい仲間をみんな引きはがしてしまった』
と感じ、心が完全に打ちのめされた。デイヴとジムの時には我慢してエリックに譲歩したが、いろいろな意味でもう精神的に限界だった。
おれはジェフをジミー・アイナーにも紹介済みで、いずれメンバーとして昇格させようと思っていたが、
それがエリックの気に入らなかった」。

ジェフは大喧嘩のその日にツアーから帰された(スコットの当時のメモにそう書かれている)。
マイケルが後に語ったように、ウォーリーと共に多量の大麻を喫ったことが理由か、
またはエリックの激怒により、早々に追放されたのかもしれない。
ウォーリーの言葉からわかるのは、すくなくとも大喧嘩前には、
ウォーリーはラズベリーズの活動を継続する意思を持っていたということだ。
さもなければジェフのメンバー昇格という発想は出てこない。
そしてエリックのほうはジェフを辞めさせる気、すなわち解散と独立の構想をすでに持っていたのがわかる。
ウォーリーは「ジェフの解雇が解散のきっかけ」と後に述べている。

550 :ベストヒット名無しさん:2022/01/16(日) 12:32:09.55 ID:IRSHQt49.net
エリックとウォーリーの大喧嘩と、ジェフのツアー除外との時系列は、スコットの当時のメモを見るかぎり大喧嘩のほうが先で、除外が後。
除外と解雇が同時かどうかは不明。
ジェフは当時の写真では童顔で、アイドルポップバンドのメンバー向きだった。

1955年生まれのジェフは1973年、マイケル・マクブライドが結成したバンド『ターゲット』にキーボード担当で加入し、
ローリングストーンズのカヴァーなどを演奏。
当時、マイケルが妻(ウォーリーの姉)と共に住んでいた建物が二世帯住宅で、
上階にウォーリー夫婦が居住していたのがきっかけで知り合った。
1973年末にマイケルのラズベリーズ加入決定と同時に、ウォーリーの推薦で準メンバーとして加入。
以後1974年8月に辞めるまで、レコーディングや全米ツアーに参加した。

職業上も精神的にも重要な経験だったと彼自身は語る。
「ラズベリーズがイギー・アンド・ザ・ストゥージズの代役として急遽、ブルー・オイスター・カルトの前座に出た時、
ストゥージズのファンたちから猛烈なブーイングをくらったのが印象に残っている」と言う。

551 :ベストヒット名無しさん:2022/01/16(日) 12:39:55.79 ID:IRSHQt49.net
ジェフによれば、「ラズベリーズの全米ツアーでの人気は場所によって変わり、非常にムラがあった。
ウィスコンシンの小さなクラブで無名バンドとして演奏した翌日、
フロリダのマイアミ空港でリムジンの出迎えを受け、カー・ラジオのローカル放送でラズベリーズの情報を聴き、
満員御礼の客席を前に演奏した」(合理的でない長距離移動が多かったことはスコットも指摘している)。
地域によって人気の度合いに大差が生じたのは、キャピトルのマーケティングが不充分で、
ラジオ局やレコード店への営業ぶりに大きな違いがあったせいだろうと思う。

『Starting Over』レコーディングにもジェフはバックミュージシャンとして参加した。
「『レコード・プラント』のスタインウェイの小型グランドピアノに毎日取りくんで練習し、
クラシックピアノの技術を取り入れてセンスを磨いた。
ジミー・アイナーはこのアルバムではライヴ感を強調する方針だったので、ピアノ演奏にロック感覚を加えた。
エリックがピアノ担当の曲では、おれはオルガン、シンセ、ストリングスを担当した」。

ジェフはラズベリーズと共に活動した期間にジョン・レノンやキース・ムーンに会えたこと
(キース・ムーンとラズベリーズはセッションも行った)」を良い思い出と述べ、
「個人的に最も感動したのはキース・エマーソンと対面したこと」だと言う。

552 :ベストヒット名無しさん:2022/01/16(日) 12:47:47.81 ID:IRSHQt49.net
ジェフは思い出を語る。
「カリフォルニア州オンタリオのコンサートで休憩時間中に、
『ラズベリーズの演奏を客席でキース・エマーソンが観ていた』と聞き、
(真打がELPで、ラズベリーズは前座だった)大感激した。
コンサート終了後、急いで会いに行こうとしたら、エリックが快くキースに紹介してくれた。
キースはおれが最も会いたいミュージシャンだった。
初めての会話の話題は、使用楽器の種類や銘柄やライヴレコーディングなどだった」。
ラズベリーズとELPとは意外な取りあわせだが、「クラシックの素養を持つピアニストが中心で曲にもクラシックの影響あり」という共通点がある。

ジェフはラズベリーズからの解雇については何も語っていない。
ウォーリーが新結成したタトゥーに加入したが、既述の通りこのバンドはアルバム一枚だけですぐに解散。
その後はウォーリーとは音楽上は別行動をとった。
1980年代には、クリーヴランド出身のミュージシャン兼パフォーマー、ポール・フェアウェザー
(Paul Fayrewether。高名なロックバンドの『フェアウェザー』とは無関係)のバックバンドのキーボード奏者を務め、
1993年にバンドがいったん解散するまで在籍したことは米国ネット情報に出ている。
近況は今のところわからない。

553 :ベストヒット名無しさん:2022/01/23(日) 14:49:45.96 ID:eFjJNgN5.net
エージェントについて「米国の音楽業界でエージェント制度が定着したのは1970年代半ば」
というネット情報を見た。それが事実通りならば、
この制度がまだ完全に定着していない時期にラズベリーズはエージェント不在でデビューし、
契約の不利が原因できちんとしたマネージメントが受けられないまま、
早い解散に至る結果になったのだろうと私は憶測する。

554 :ベストヒット名無しさん:2022/01/23(日) 14:55:18.99 ID:eFjJNgN5.net
ジェフの解雇でウォーリーの精神的ストレスは限界に達したようだが、
それでもツアーにはずっと参加している。
ストレスが原因の入院で彼がツアーを離脱したのは、スコットの当時のメモによれば、
ツアー末期の1975年3月14、15、16、21日の四日間。
ウォーリーの後の証言によれば代役にはビリー・ハンナ(Billy Hanna。
1972年結成のクリーヴランドのロックバンド『レインボー・キャニオン』のギタリスト)が立った。
しかしスコットのメモにはビリーの名がなく、三人だけで演奏したようにも読める。

ウォーリー休演の穴をすべてビリーが埋めたのか、それとも三人だけでギグをやった時もあったかについては、
昔からの米国人ファンたちの証言が異なっている。
具体的なクラブ名を挙げ「三人だけの演奏を確かにそこで観た」
というファンもいるし、「自分のギター演奏技術がウォーリーにとうてい及ばないことを知っている完璧主義者のエリックが、
リードギターを弾くわけがない」とするファンもいる。
「ツアー末期にはウォーリーは体調万全ではなく、出たり出なかったりだった」と、
スコットのメモより休演日数が多かったと言うファンもいたりで、明確な記録はなさそうだ。

555 :ベストヒット名無しさん:2022/01/29(土) 11:19:35.59 ID:CNU2ZHMI.net
スコットは解散数年後のインタビューにて、1974年全米ツアー最終日のことを次のように語っている。

インタビュアー「ラズベリーズ解散の正確な日付は?」
スコット「1975年4月19日。ツアー最終公演日で、場所はペンシルヴェニア州スクラントン。
二、三回公演したことのある場所で気心が知れていてファンも多く、会場のこともよくわかっていた」
(ネット情報によると、会場はスクラントンの『カルチュラル・センター』だったという)

インタビュアー「その日で解散だというのをメンバーは知っていた?」
スコット「六週間以上前にすでに伝えられていた。
演奏の途中でエリックが客席に向かって『これがラズベリーズの最終ギグ!』とよびかけた。
最後の演目まで待ったほうがよいのでは、とその時におれは思ったけどね。
客席はどっと落胆したけど、やがてみんな立ち上がり、『All right!』の叫びがあがった。
その後はもう、ステージと客席が一体になって、めちゃくちゃ盛りあがり、ノリノリのどんちゃん騒ぎ状態だった」

なお昔からの米国人ファンのネット記事によれば、正確な解散日は4月19日ではなく、
リーダーのエリックがキャピトルとの契約を終了した4月26日ではないか、という。

556 :ベストヒット名無しさん:2022/01/29(土) 11:28:55.17 ID:CNU2ZHMI.net
前稿訂正 ×1974年全米ツアー最終日のことを次のように語っている。
〇1974年〜1975年全米ツアー最終日のことを次のように語っている。

ポルトガル語版wikipediaのラズベリーズの項目には
(ブラジルにも一定数のファンがいるのだろう。
youtubeのラズベリーズの映像にはスペイン語のコメントもしばしばあり、
カリフォルニアのスペイン語住民やメキシコにもかなりファンがいる模様)、
最終ギグについて次のような内容が書かれている。
「ウォーリーは1975年(時期は書かれていない)に離脱し、以後はずっと三人でツアーをおこなった。
同年4月19日の最終ギグに、ビリー・ハンナが呼ばれてリードギターを担当した」。
この内容はいまのところ英語の資料やネット情報には出ていない。
wikipediaなので信憑性には疑問符がつく。
最終ギグにウォーリーまたはビリーが参加したかどうかはいまのところわからない。

557 :ベストヒット名無しさん:2022/01/30(日) 09:18:40.39 ID:kc24z+ou.net
「ラリー」という名前のラズベリーズファンが、2004年に次のような情報をネットに載せている。

「1975年、二十歳の時にニューヨークでラズベリーズのギグを二回観た。
一度目は二月末で、『My Father's Place』というきれいなレストラン兼ライヴハウス。
二度目はまちがいなく四月で、タバコの煙がもうもうとたちこめる『Shoram』という薄汚いクラブ。
この店は今はない。1974十二月に『ローリング・ストーン』誌の『今年のベストアルバムトップ50』の一枚に
『Starting Over』が選ばれたあこがれのスーパースターたちが、こんなおんぼろ店で演奏することにショックを受けた。
それ以上にショックだったのは、エリック、スコット、マイケルの三人だけだったこと。
ウォーリーのヘヴィなギターが必要な曲は演奏されず、主にビートルズの曲で構成されていた」。

この店名はスコットのメモには出ていない。すでに解散決定で、メンバーはそれぞれの針路準備に忙しく、メモをとる暇もなかっただろう。
このファンの記憶が正しいとすると、個人的憶測だが、リードギター担当はスコットだったのではと思う。
スコットはソロミュージシャン時代にギター演奏経験が豊富で、ビートルズの曲は得意だろう。
エリックはベース担当だったのではと思う。ジャズやプログレのようなギター抜きのトリオ演奏は、ビートルズナンバーには無理だろう。
なお『My Father's Place』は、現在も健在で営業中。1978年にここでラリー・カールトン・トリオがおこなったライヴを収録したCDも出ている。

558 :ベストヒット名無しさん:2022/01/30(日) 16:56:10.54 ID:kc24z+ou.net
前稿で「スコットがリードギターを担当したのでは」などと書いたが、
スコット自身が「得意な楽器は」とインタビュアーに訊かれて
「ギター、ベース、キーボード。ただしリードギターはやらず、リズムギター」と答えている記事があった。
トリオの場合、やはりエリックがリードギターを担当したと思われる。

「ラリー」の上掲の書き込みについている他のファンのコメントの中に、次のようなものがある。
「友人が、『ちょうどその頃にトリオでの演奏を確かに観た。
エリックがパワフルなコードを演奏している最中に、
勢いあまってマイクスタンドを倒してしまったのを目撃した』と言っている」。
これが事実ならば、リードギター担当はエリックだろう。

なお1974年の『ローリングストーン誌が選んだベストアルバム』をネットで確認したが、
『Starting Over』は出ていない。たぶん「ラリー」の記憶違いか、
または「一定数の票は入ったが、上位には達しなかった」の意味だろう。

559 :ベストヒット名無しさん:2022/02/05(土) 11:34:36.90 ID:kVGe3I76.net
解散時のラズベリーズが債務を完全に清算していたかどうかは今のところわからない。
たぶん清算し終えたのだろうと思うが、そのぶん国内ツアーの終わりの生活はたいへん厳しいものだったようだ。
メンバーのひとり(ウォーリーだったと思う)が、
「キャピトルが給料を支払ってくれなかったため、食費にも事欠くことがあった。
ツアーではわれわれはロック・スターだったが、生活は惨めなものだった。
ツアー最後のほうではついに音響機器を差し押さえられた。
ローディーのひとりが隙を見て、機器をひとつだけ確保してくれた」
という内容を述べていたのを以前読んだ。いまその資料が行方不明で確認できないが、
この内容を信じるとすれば、メンバーの給料はほぼ全額、債権者の手元に直行し、
それでも足りずに機器まで差し押さえられたのだろう。
ツアーのアドバンスが高額だったにせよ、そのうちのかなりの額が借金返済に使われたと思う。

560 :ベストヒット名無しさん:2022/02/05(土) 11:42:54.67 ID:kVGe3I76.net
1982年、カーマイン・アピスたちとともに来日する前、
クリーヴランドの音楽誌『シーン(SCENE)』にて、エリックは次のような内容を述べている。

「音楽業界に入って十年間、いっしょに仕事をした中で『良い人』というのは、せいぜい五人程度しかいない。
自分の問題点の半分くらいは『人を信じすぎること』だと悟った。
ミュージシャンは、音楽の知識と同程度に、ビジネスの知識を持たなければいけない。
エージェントやマネージャーなど、音楽業界で働く人々の中には、ミュージシャンと長期契約を結び、
無知につけこんであわよくば金を全部しぼりとろうとする連中がたくさんいる。
契約にサインする前に、じゅうぶんにビジネスの勉強をするべきだ。
この業界は、政治やプロスポーツと同じく弱肉強食の世界。
短期間に大金を稼げそうな才能ある新人ミュージシャンのもとには、
その金をかすめとろうとする人々が必ず大勢、集まってくる」。

この内容は、ラズベリーズが悪質なエージェントと契約していたとも読めるが、
エージェントのことをメンバーのだれも言っていない点から一応、エージェント不在だったのだろうと私は解釈している。

561 :ベストヒット名無しさん:2022/02/05(土) 13:18:58.84 ID:kVGe3I76.net
>>559訂正
×そのぶん国内ツアーの終わりの生活は 〇そのぶん国内ツアーの終盤のほうの経済状況は

ラズベリーズのデビュー後まもないころ、エリックが雑誌記者に向かってビートルズやスティーヴ・マリオットやザ・フーを熱く語り、
「バッドフィンガーはビートルズと同じ英国人で、しかもアップル所属なのがうらやましい」と答えた初々しさは、
上掲のインタビューからは、良くも悪しくも消えている。
そのバッドフィンガーの後の不運を見て悟ったことも多いだろう。

エリック以外のメンバーがほぼ全員、音楽活動の一方で安定した一般の職業についたのも、
ラズベリーズ時代の手痛い経済的経験があるからだろうと思う。
2004年にファンがおこなったスコットへのインタビュー(ネットに出ている)の時、
彼は音楽をやめ、LA空港のシャトルバスのドライバーをやっていた。
ファンから「今後音楽活動をやる意思は」と訊かれ、彼は答えている。
「どこかから仕事の話がくれば検討する意思はあるが、こっちから積極的に営業する気は今のところない。
十四歳の時、はじめて『I Wanna Hold Your Hand』を聴いた時の純粋な感動がまた蘇れば、違うかもしれないけど。
ずっと音楽で生計を立ててきたが、今は、音楽を飯の種にするのは間違っていると思う」。。

562 :ベストヒット名無しさん:2022/02/12(土) 12:13:43.30 ID:LDgTcYnM.net
1973年9月のカーネギーホールのコンサートは、ラズベリーズの短いキャリアの栄光にして頂点だったが、
残念なことに、録音された音源はいまだに見つかっていないようだ。当時の報道や批評、
解散後のメンバーへのインタビューなどで想像するしかない。
このコンサートで演奏されたカヴァー曲として、既述の『Loco Motion』のほかに、
ロネッツの『Be My Baby』が演目にあったらしい。
なおラズベリーズの『Be My Baby』カヴァー・ヴァージョンは、
ライヴ録音(カーネギーホールではない)がyoutubeにあがっており、私が個人的に好きな演奏のひとつ。
ジムの強力なドラムとエリックののびやかな歌唱が印象的。

563 :ベストヒット名無しさん:2022/02/12(土) 12:17:10.12 ID:LDgTcYnM.net
カーネギーホールのコンサートはメンバーにとってたいへん緊張を強いられるものだったようだ。
後にエリックは以下のように語っている。
「批判的な音楽批評家やアンチ・ラズベリーズの聴衆もかなり来ることを事前に知らされた。
そういう人々の度肝を抜く方法を事前に考えぬき、
オープニングの演奏をビートルズの『Ticket To Ride』四小節と決め、
そこから切れ目なく『I Wanna Be With You』になだれこむことにした。
この戦略は大成功だった。ビートルズの四小節が流れたところで、客席が『えっ??』と息を呑んだのがはっきりとわかり、
そのあとはわれわれのペースだった」。

564 :ベストヒット名無しさん:2022/02/12(土) 12:21:20.50 ID:LDgTcYnM.net
ウォーリーはカーネギーホールのコンサートについてこう語る。
「前座のストーリーズはニューヨークのバンドなので、
世間はストーリーズがラズベリーズを食ってしまうだろうと予想していた。
われわれも正直言ってちょっと怖かった。絶対に最高の演奏をしなければ食われてしまうだろう、と思った。
ストーリーズはすばらしいバンドだったが、
われわれはその夜のホールを完全に手の中につかんだ」。

デイヴもジムもカーネギーホール公演を絶賛している。
ラズベリーズのレコーディング・エンジニアをつとめたシェリー・ヤーカス(Shelly Yakus、男性。
Shellyは男女共通の名前。ジミー・アイナーやメンバーと一緒にスタジオにいる動画がyoutubeにある))は、
「カーネギーホールはクラシック音楽を念頭においたホールなので、
ホール側はロックのライヴには神経質だった」と述べている。

565 :ベストヒット名無しさん:2022/02/13(日) 11:50:31.17 ID:3d56Ungt.net
ひさびさにyoutubeでラズベリーズの『Be My Baby』カヴァーを観たら、
コメントの中にカーネギーホール公演のセットリストがあがっていた。
公演を観た人がメモをとっていたのだろう。四週間前に書き込まれている。
それによると曲目は以下の通り。

1 Ticket To Ride 2 I Wanna Be With You 3 Let's Pretend 4 Last Dance 5 Ecstasy
6 Tonight 7 I Saw The Light 8 Don't Want To Say Goodbye 9 I Reach For The Light
10 Waiting 11 I Can Remember 12 The Locomotion 13 Be My Baby 14 Making It Easy
15 Money Down 16 Driving Around 17 Go All The Way 18 Roll Over Beethoven(encore)

566 :ベストヒット名無しさん:2022/02/13(日) 13:07:27.87 ID:3d56Ungt.net
カーネギーホールで前座をつとめたストーリーズは、
日本では『Brother Louie』だけの一発屋、程度に認識されているのではないだろうか(少なくとも私はそうだった)。

ところが調べてみたら、このバンドの発起人のひとりマイケル・ブラウン(キーボード、ソングライティング)は、
元レフト・バンクのメンバーで、1966年、レフト・バンク時代に自作曲『Walk Away Renee』
(邦題『いとしのルネ』で日本でも小ヒットしたと思う)を全米五位と大ヒットさせている。
ストーリーズはレフト・バンクの流れを引いて、英国音楽の影響を受けていたらしい。
『Brother Louie』は英国音楽的ではないが、この曲はもともと、ソウル系バンドのホット・チョコレートのオリジナルで、
カヴァーだったとわかり、納得。
『Brother Louie』は1973年8月に全米一位の大ヒットとなり、R.I.A.A.のゴールド・ディスクに認定されている。
ストーリーズの活動期間は1972年から1974年と短かったが、その後メンバーはさまざまな有名バンドと関わった模様。

567 :ベストヒット名無しさん:2022/02/13(日) 13:11:59.83 ID:3d56Ungt.net
すなわち、メンバーの音楽活動でいえば、ラズベリーズよりストーリーズのほうがヴェテランになる。
レフト・バンクがヒット曲を出していた1966年から1967年には、ラズベリーズのメンバーはまだローカルのアマチュアだった。
また、『Go All The Way』もゴールド・ディスクになっているが、チャートでは最高全米五位にとどまった。

ラズベリーズがカーネギーホール公演を前に非常に緊張し、徹底的にリハーサルをしたというのは理解できる。
まかりまちがえばラズベリーズのほうがストーリーズの前座でもおかしくなかったのではないか。
「アンチ・ラズベリーズの聴衆もかなり来ると言われた」とエリックが言うのは、
たぶんストーリーズのファン層を指していると思う。

568 :ベストヒット名無しさん:2022/02/20(日) 16:10:22.38 ID:2BO8x2UF.net
ラズベリーズと直接の関係はないが、ストーリーズの音楽活動が短期間で終わったのが気になり、調べてみた。
このバンドの中心人物は親友どうしのマイケル・ブラウンとイアン・ロイド(リードヴォーカル、ベース)だが、
マイケルは『Brother Louie』大ヒット後に、「音楽の指向の違い」を理由に、バンドを離脱している。
『Brother Louie』がカヴァーだったうえ、マイケルの英国音楽指向(マイケルとイアンはビートルズ的な音楽指向)と違うというのが理由。
ソウルっぽい路線は、会社(カーマ・スートラ)の方針だったらしい。

イアンはバンドに残るも、三枚目(最後)のアルバムのリリース後に離脱。
キーボード奏者とベース奏者が新たに加入後、1973年に全米50位になった中ヒット『Mammy Blue』
をリリースしたが、これまたカヴァーで、もともとフランスのソングライターの作品。
なおこの曲は1971年に日本でも大ヒットしたが、ストーリーズではなくポップ・トップスのカヴァー版だった。

1974年10月、ストーリーズはシングル『Another Love』(作詞作曲は外部)をリリースしたが、
曲の内容が「バイセクシュアル」であるとされ、世間に物議をかもした。それが原因かどうか、この盤を最後にバンドは解散。
イアンは離脱後、ソロでアルバムを出したほか、スタジオ・セッション・ミュージシャンとして、
フォリナー、フォトメイカー(ウォーリーが加入)、ピーター・フランプトンのアルバム制作に参加している。


569 :ベストヒット名無しさん:2022/02/27(日) 15:26:58.80 ID:O+9jcIFR.net
上のほうに「ラズベリーズは欧州ツアーもやっているが英国公演はあったのだろうか」な
どと書いたが、英国、フランス、ドイツで公演している。
youtubeのフランクフルト公演動画の最初に書いてあった。

570 :ベストヒット名無しさん:2022/02/27(日) 20:13:59.77 ID:O+9jcIFR.net
キャピトルがラズベリーズをアイドルバンドとしたマーケティング路線の最たるものに、
「ラズベリーズ・ロールスワーゲン・全米キャンペーン」というのがあった。
これについては後にメンバーのだれもが否定的な見解を述べている。
1973年、キャピトルはアイドル音楽雑誌とタイアップし、外見を小型のロールスロイスタイプに仕立てた特別仕様のフォルクスワーゲンを製造して、
ファン一名にプレゼントすると発表した。
著名なカスタムカー・デザイナーがデザインを担当し、内装も著名デザイナーが手がけ、
カーステレオにはラズベリーズ他キャピトル所属アーティストの曲が満載だった。
外装カラーはラズベリー色で、メンバーが実際にそれに乗ってツアーも行った。

タイアップのアイドル音楽雑誌に添付された応募用紙に
「メンバーの中で一番いけてるのはだれだと思うか」の答えとその理由を買いて応募する。
最も「いけてる」との回答が多かったメンバーの名を書いたファンの中から抽選が行われた。
最も回答が多かったのはジムで、南部在住の十代少女ファンに車がプレゼントされたという。
授賞のセレモニーにはジムも市長も参列し、盛大なものだったらしい。

571 :ベストヒット名無しさん:2022/03/13(日) 21:31:08.88 ID:ND7GvKdC.net
2020年11月9日に七十一歳で他界したマイケル・マクブライドの生前のインタビュー記事は少なく、解散後の彼に関する情報はなかなか出てこない。
米国サイトを調べて、ようやくある程度つかむことができた。
なおラズベリーズのCD『Starting Over』日本版のライナーノーツには、
エリックのバンクバンドを辞めた後の所属バンドらしき名前も出ているが、
ネットで確認したところ確証が出てこない。

ラズベリーズ解散後のマイケルはエリックのバックバンドをつとめ、
パワー・バラードなどを演奏していた。
しかしもともとローリングストーンズに傾倒していた彼は、エリックとは音楽的指向が合わなかったのか、わりあい早く離れた模様。
『Starting Over』では、『All Through The Night』一曲が、エリックと彼との共作として著作者クレジットされている。
この曲の雰囲気はストーンズを彷彿とさせ、マイケルの好みが反映されていると思う。

ネットのディスコグラフィーによれば、1977年、ドン・キス(Don Kiss。パワーポップのソロシンガー)、
1979年にクリス・グリアー(Chris Greer、ソロのロックシンガーらしいが情報が少ない)が、
ともにマイナーレーベルから出したレコードのバックコーラスとドラムを、マイケルが務めている。
1977年には上記のふたりより知名度の高い男女のコーラスグループ、ダイソンズ・フェイセズ
(Dyson's Faces.。甘さとグルーヴィーさとを兼備したソウル系で、私は初めて知ったが個人的に好みにぴたりとはまった)
のセルフタイトルアルバムのバックミュージシャンを務めた。

572 :ベストヒット名無しさん:2022/03/13(日) 22:26:41.10 ID:ND7GvKdC.net
その後のマイケルはロックやレコード業界から離れたらしい。
他界するまでずっと、オハイオ州を拠点とするパイプ・バンド(管楽器集団とドラム集団から成るマーチングバンド。
多くはバグパイプ使用のスコットランド系で、演目も主にケルト音楽)、
『ノース・コースト・パイプ・バンド』のリード・ドラムを担当していた。
このバンドにはクリーヴランド管弦楽団所属のクラシック奏者なども在籍している
(ちなみにこの管弦楽団はジョージ・セルの薫陶により、一介の地方楽団から世界有数のオーケストラにのぼりつめたことで有名。
エリックの叔母はこの楽団のヴァイオリン奏者だった)。

マイケルはノース・コースト・パイプ・バンドのドラム集団の重鎮として、スネア・ドラムス用のドラムスコアを多く書いた。
このマーチングバンドは、北米、カナダ、スコットランドで開催されたパイプ・バンドの世界的な大会で優勝などの好成績を挙げ、
このジャンルでは一流となった。
「それはマイケルの書いたドラムスコアのおかげだった」と、バンドの公式サイトの追悼文に書かれている。
(ここより公式サイトから引用)
Michael was the author of the pipe band drum scores,
which lead the band to unprecedented success.
Prior to pipe band drumming, Michael was the
drummer for the notorious Cleveland rock and roll band the Raspberries, (引用ここまで)

彼の他界を悼むメッセージにも、パイプ・バンド関係者からのものがかなりあるだろうと思う。
なおマイケルは音楽活動以外の一般的職業にも携わっていたと憶測するが、不明。

573 :ベストヒット名無しさん:2022/03/13(日) 22:45:31.04 ID:ND7GvKdC.net
>>571訂正
バンクバンド→バックバンド

574 :ベストヒット名無しさん:2022/03/19(土) 13:26:00.24 ID:7XyVdIYR.net
前々稿の「notorious」の意味は「悪名高い」と英和辞書に載っている。
しかし実際には、ネガティヴではなくニュートラルな「有名な」の意味で使用されている例にときどき出あう。
mrriam-websterのオンライン辞書でも(ここより引用)
: generally known and talked of
iron is a notorious conductor of heat
— Lewis Mumford
especially : widely and unfavorably known
a notorious gangster
an area notorious for soot, smog, and dust
— Pliotron(引用ここまで)
と、ニュートラルな意味のほうが先に来ている。

North Coast Pipe Bnadの公式サイトにも、(ここより引用)
Prior to pipe band drumming, Michael was the
drummer for the notorious Cleveland rock and roll band the
Raspberries, who are honored in the Rock and Roll Hall of Fame in Cleveland.(引用ここまで)
となっており、ニュートラルな意味のほうだろう
(ラズベリーズがロックの殿堂入り候補にノミネートされたことはないと思うが、
2009年にここでコンサートを開催している)。

575 :ベストヒット名無しさん:2022/03/19(土) 13:39:39.52 ID:7XyVdIYR.net
ひさびさにエリック・カルメン・ドットコムの過去の書き込みを見たら、
2011年のマイケル・マクブライド、弟のボブ・マクブライド、それにウォーリーの三人の集合写真がアップされていた。
よってカナダのブラスロックバンド、ライトハウスのリードシンガーのボブ・マクブライドとは同姓同名の別人なのが確定した
(ライトハウスのボブは1998年に他界している)。
日本の資料の中には両者を同一人物視している内容があり、個人的疑問を既述した。
どうでもいいがライトハウスのヒットナンバーでは、『One Fine Morning』より『Sunny Days』のほうが個人的に好みに合う。
ライトハウスはいまでも活動中らしい。

そのほかの過去の書き込みで、昔からのファンの投稿の、
「ジェフ・ハットンは1974年8月22日、
エリックとウォーリーの大喧嘩の日に解雇された。マネージャーがツアー予算の削減を決定したため」
という記述があったので、除外と解雇が同時だったのが判明した。
マネージャーはスタン・ポージズだろう。スタンがエリックの意思をくんでのことだと思われる。
ウォーリーにしてみれば、自分が先にエリックに暴力をふるったのが原因となり、
ジェフが解雇される結果になったわけで、精神的に限界に達したのは無理もない。

576 :ベストヒット名無しさん:2022/03/19(土) 14:11:10.33 ID:7XyVdIYR.net
全くひさびさにラズベリーズのfacebookを見たが、
2月15日付の「五十年前のきょう、初シングル『Don't Want To Say Goodbye』が発売されたのを記念して、特製ポスターを販売」
という、個人的にあまりそそられない情報が出ているだけ。

新情報を探していたら、ある音楽関係情報英語サイトに3月2日付で、
「スコット・マッカールが、1998年に出したソロアルバム『Play On』と同タイトルのコンピレーションアルバムを2022年4月1日にリリース予定」
という記事があった。バックミュージシャンたちは以前も協力したルビナーズそのほか、すべて外部からの参加で、ラズベリーズ関係者はいない模様。
内容は前作『Play On』からの自作オリジナル、その他の自作オリジナル、
それにゲリー・アンド・ザ・ペースメイカーズのカヴァーもふくまれるという。
レーベルはLiberation Hallというインディペンデントで、この音楽サイトの関連会社らしい。

この音楽サイトは『It's Psychedelic Baby Magazine』という奇妙な名前だが、
サイケデリック・ロック/ポップやプログレの情報を主体とし、主宰者はスロベニア出身の音楽ジャーナリスト。
あまり日本では知られていないミュージシャンが多いようだが、トロッグズやZZトップなど、
サイケデリックやプログレ以外のなじみのあるミュージシャンの記事もたまに出ている。

577 :ベストヒット名無しさん:2022/03/21(月) 12:04:53.32 ID:LA1ZfSfC.net
『It's Psychedelic Baby Magazine』には、サイト主宰者によるスコットへのインタビュー記事も掲載されている
(スコットはわりあい気軽にインタビューに応じるタイプらしい)。

それによると彼は現在、LA在住のミュージシャン、マイケル・パークハイザー
(Michael Purkhiser。1978年から、ヴォーカル、楽器演奏、レコード制作、技術など幅広く活動。
1998年の『Play On』制作にも協力)といっしょに仕事をしている。
今回リリースの盤にも、彼の協力を得た。

インタビュアー「『Starting Over』には、(単独作や共作ふくめて)新加入メンバーだった貴方の作品が五曲も収録されていますね」
スコット「多く収録されたのは、ひじょうに誇らしく思う。
エリックはソングライティング・パートナーとして、おたがいに最高だった」

エリックも解散後にスコットのことを「最良のソングライティング・パートナーをやっと見つけたと思った」と回顧している。
エリックにとってウォーリーやデイヴは作曲能力の点で不満があった。
ウォーリーやデイヴの能力が低いのではなく、エリックの作曲能力が高すぎるのと、音楽の指向性が違ったせいだろう。

解散数年後のインタビューで、スコットは「貴方の『Play On』(エリックとの共作)はヒット性のある作品なのに、
シングルカットされなかった理由は?」と訊かれ、次のように答えている。
「キャピトルに訊かないとわからない。ただ、ウォーリーはまだ自作のシングルカットが一度もされていなかったので、
彼のほうが優先されたのだと思う」

578 :ベストヒット名無しさん:2022/03/21(月) 12:13:46.46 ID:LA1ZfSfC.net
インタビュアー(『It's Psychedelic Baby Magazine』主宰者)「ラズベリーズ時代の最高の思い出は?」
スコット「なんといっても加入後最初のギグ。『Go All The Way』で、きゃーっと歓声をあげる客席に向かってベースを弾いたのは最高だった。
あの夜だけで済んでいたら、ラズベリーズ在籍は良い思い出だけだったのに、と思う。
あと、ニューヨークのセントラルパークのコンサート。司会はあこがれのジョン・レノンで、これも最高だった」

セントラルパークのコンサートは1974年4月28日で、ラズベリーズ単独だったようだ。当時、ジョン・レノンはニューヨークに滞在中。
コンサートよりも前に『レコード・プラント』でラズベリーズが『Starting Over』レコーディング中、
ジョン・レノンが同スタジオでニルソンのレコーディングに協力していて、このときにラズベリーズと対面している。

4月1日リリースの『Play On』にはスコットの未発表オリジナル曲もあるという。
なお米国のネット情報によれば、2022年のラズベリーズのコンサートやギグの予定は無し。
ネット情報を見る限り、2009年4月3日の『ロックの殿堂』コンサートが直近のように思える。

579 :ベストヒット名無しさん:2022/05/28(土) 12:06:27 ID:VY5XB6b5.net
EricのアルバムI was born~が出た時、NHKの渋谷が絶賛、べた褒めで紹介していたのを
なぜか覚えてる。渋谷は普段ZepやKC他プログレや黒人ファンク系ばかり流してたのに、
もうロックの衰退期になっていた当時、嬉しそうに「久しぶりに魂のこもったアルバムを
出してくれました」と言っていた。彼と年の近いこともあるのだろう、珍しくこうした
ややミーハーよりのこんな分野にも手を出すんだなあ、としみじみ。

580 :ベストヒット名無しさん:2022/07/02(土) 12:16:49.39 ID:fQzepTGx.net
Eric Carmenのアルバムには、Bruce Johnston, Curt Boettherが参加しているし、
Bob Gaudioが彼のアルバムをプロデュースしているのには興味深い。
Frankie Valliなんか"Boats Against the Current"をカヴァーで唄っている。また、
Curtは彼のツアーメンバーとしても来日している。

581 :ベストヒット名無しさん:2023/02/17(金) 14:36:28.15 ID:lPDNQhXE.net
>>579
渋谷陽一はZEPPELIN以外詳しく無い

582 :ベストヒット名無しさん:2023/07/12(水) 13:37:09.15 ID:8fW/qaYW2
憲法カ゛ン無視で一方的な現状変更によって私権侵害するた゛けのテ囗政府からの税金と称する金銭要求を断固拒否しよう!
と゛うして日本か゛世界最惡の腐敗國家になったのか
それはお前らが民主主義國のような税金不払い運動すらしない北朝鮮人民の遺伝孑を濃縮したような気持ち惡い奴隷体質た゛からた゛そ゛
岸田異次元増税文雄は私利私欲のために賄賂癒着してるクソ航空テ口リス├と共謀して温室効果ガスまき散らして気侯変動させて
海水温上昇させて土砂崩れに洪水、暴風,猛暑,大雪にと災害連発させて,地球に国土にと破壞して国民を殺害して
私腹を肥やすテ口リストて゛あってお殿様じゃねえんだそ゛ポンコツΝρСども

創価学会員は、何百萬人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まて゛出てる世界最惡の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ―か゛□をきけて容認するとか本気で思ってるとしたら侮辱にもほどか゛あるぞ!
hΤTрs://i.imgur.соm/hnli1ga.jpeg

583 :ベストヒット名無しさん:2023/07/19(水) 10:12:11.68 ID:aEmpXqg9.net
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584 :ベストヒット名無しさん:2024/03/07(木) 22:04:47.39 ID:rOl6TwnO.net
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585 :ベストヒット名無しさん:2024/03/12(火) 11:56:29.54 ID:K6q55hs4.net
たった今知って驚いた。
Eric Carmen, 今月に亡くなったそうだ。74歳。R.I.P.

586 :ベストヒット名無しさん:2024/03/12(火) 16:08:01.57 ID:zR22A7XN.net
名ソングライターが逝去した
本当に残念

587 :ベストヒット名無しさん:2024/03/13(水) 20:37:29.94 ID:WJkRKKmg.net
ボーカルも良かったよ。'シンガーソングライター'というだけで
さほど歌の上手くない奴が幅をきかせていた70年代、かなり上手い
部類のシンガーでもあった。何曲も好きな曲あったし残念だ。
合掌

588 :ベストヒット名無しさん:2024/03/13(水) 22:25:17.03 ID:vrP9rvrp.net
エリックカルメン逝去、さっき知った
驚いて思わず声が出た
ラズベリーズのときから好きなアーティストだった ほんと残念

589 :ベストヒット名無しさん:2024/03/14(木) 11:05:13.39 ID:PNY4GG/j.net
リアルタイムでヤマハ音楽祭のゲストの映像見たな、、

590 :ベストヒット名無しさん:2024/03/20(水) 11:41:15.66 ID:fPQu53L8.net
この人ってもっと成功しててもよかったよな…
すごくいい曲書くし

591 :ベストヒット名無しさん:2024/03/20(水) 12:37:05.62 ID:EWHhL1ag.net
結局、ミュージシャンズミュージシャンで終わった

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