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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)7【ダメ工作員】

1 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:41:42.97 ID:upG+dttv0.net
 
板中を荒らしながら病的な自演とスパムを続ける「栗木ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、その来歴や栗城スレ(まとめwiki)の妨害、当スレでの執拗な埋立てなどから
栗城ネット工作員である可能性が濃厚です。
 
ここは、現在もっとも不快な荒らしである「栗木ハンター(通称ワイエディ)」をヲチりつつ
登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。


【!】異常者にご注意ください【!】
(ワイエディ [123.255.128.*]) 栗木ハンター主回線
(エーイモ [1.114(115).*.*]) 別回線
(ササクッテロ*) 別回線 末尾*ラ〜ロは動的
(ワッチョイ [175.177.5.*]) 埋立荒らし
(JP [103.75.118.*]) 埋立荒らし
(アウアウカー [182.251.242.*]) 埋立荒らし
(アウアウウー [106.133.56.*]) 埋立荒らし
 ※他にも回線あり


■ ご覧の皆さまへ
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☆ オリジナルはこちら!
【栗城史多まとめ @ ウィキ】
登山や活動・関係者等の詳細なまとめ。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]
【知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
【オクサマファイル】
的確な指摘です。ご一読を。
http://baby01.net/blog/364
(当板「栗城スレ」や「海彦山彦ブログ/栗城下山劇場」もおすすめです)


※前スレ
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/1-41
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

2 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:43:25.82 ID:upG+dttv0.net
 
※過去スレ

【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)5【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515595280/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515419613/l-41
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【詐欺スパム】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1514205594/1-45
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/1-216
【エーイモ】栗木ハンター9【おまんまん】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1484826791/1-
 

3 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:44:08.22 ID:upG+dttv0.net
 

栗城ハンター(通称エーイモ・現ワイエディ)は残念ながら
ブログの嘘や無断転載、2chでの自作自演や荒らし行為が指摘されています。
また、その異常性によって栗城検証スレでは早い段階からテンプレ入りを拒否され
住人の多くからNG登録されている存在です。


■ハンター否決の顛末 その1
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/168-193

(エーイモ SEc8-aNcl [1.114.11.204]) による海彦山彦テンプレ話の流れから
エーイモ別回線と思しき (ササクッテロ) による振り
同調する (エーイモ)
ハンター推しの2回線を除き住人一致で否決


■ハンター否決の顛末 その2
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/634-654

諦めきれない (エーイモ ) による蒸し返し
10名以上に即否決され悪態を吐き出す (エーイモ)
それを指摘され、罵詈雑言と共になぜか「ノースグラフィック乙^^」

 

4 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:45:00.67 ID:upG+dttv0.net
 

■栗城ハンター拒絶の声 ふたたび


ブログの嘘や無断転載、自作自演、荒らし行為によってテンプレから排除されて久しい栗城ハンター(現ワイエディ・通称エーイモ)。
その後もエスカレートする異常性と妨害行為について、再び有志達から拒絶の声が挙がっています。
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/594-n
  
80に達する「出ていけ」の声は圧巻。
栗城ハンター(現ワイエディ)に対する、批判スレ住人の総意です。

 

5 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:45:43.78 ID:upG+dttv0.net
 

■栗城ハンター(通称エーイモ・現ワイエディ)の虚言の一例

zKVIwtD+
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCs.html
zKVIwtD+M
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCtN.html

384 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 09:17:59.87 ID:zKVIwtD+
山頂からレポート
マルちゃんの油そばなかなか旨し

413 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 10:07:30.58 ID:zKVIwtD+
私も自営業だからある程度お金も暇もあるから海外ばかり行ってまう
今日は鳳来攻めて今下山中

63 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 10:36:27.24 ID:zKVIwtD+
今日も早朝から単独行
ただいま下山中
帰りは嫁と合流して温泉入って道の駅で買い物してBBQまでやる予定
最高の休日ライフ♪

76 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 20:03:27.88 ID:zKVIwtD+
それすげーわかる
今日も早朝から私は一人登山
嫁は昼から合流とかだもん笑


…と書き込んでいるワイエディ回線のエリアは以下のとおり。
鳳来寺山頂はもちろん、登山口、付近の鳳来寺パークウェイ上にも電波はありません。
http://www.enjoy.jp/plan/kualnet/wimax/area.html
http://www.google.co.jp/maps/place/鳳来寺山/

この異常者(エーイモ/ワイエディ)は相変わらず
自己の粉飾と正当化のため、一日も休むことなく
嘘と自演を繰り広げています。

 

6 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:46:24.68 ID:upG+dttv0.net
 

虚言癖のハンター=エーイモ(現ワイエディ)、存在しない講演でサインを貰ったと豪語

--------
158 :底名無し沼さん (ワイエディ MM2e-EcN4 [123.255.128.129]) 2017/06/18(日) 02:10:18.83 ID:zBdMv3R/M
>>156
私も聞いててスカッとした笑
会場も失笑してて驚いたけど、けんけんが栗城を揶揄したのにも驚いた

栗城が世間にアピールしなくなった理由は栗城のインチが世間に浸透してるからだと実感
ちなみに南谷マリンもゲスト出演してた
栗城と違い嘘偽りがないのでものすごい人気だった
マリンにサイン貰ったが可愛かったなぁ

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/
--------

※このとき実際に講演したのはケンケンだけで、南谷は参加していない
http://i.imgur.com/o0Ba0v7.jpg


【栗城史多>>1】栗木ハンター9【検証ブログ>>1】より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/191

 

7 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:47:07.33 ID:upG+dttv0.net
 

198 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:10:59.70 ID:wvnpzStD
ワイエディ=栗木ハンターの最近の書き込み例

「山野井や竹内とも交流ある」
「いろんな登山家と交流してきた」
「海外も色々行く」「ヨーロッパからアジアから南米まで様々」
「アラスカで数ヶ月過ごした」
「パタゴニアに2ヶ月滞在した時でもチャンスは数回もなかった」
「鳳来攻めて今下山中」 (鳳来山周辺でワイエディ回線の電波はエリア外)
「南谷マリンもゲスト出演してた 」「マリンにサイン貰った」 (この日南谷は出演していない)
 

8 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:47:47.35 ID:upG+dttv0.net
 

199 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:12:12.22 ID:wvnpzStD
>>198
一応ソース

山野井竹内 海外 ヨーロッパ アジア南米 アラスカ
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnNN.html
いろんな登山家と交流
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGNN.html
パタゴニア
http://hissi.org/read.php/out/20170621/bGtQL3d4OVg.html
鳳来
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCs.html
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCtN.html
南谷マリン  サイン貰った
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi9N.html
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi8.html


栗木ハンター9 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/198-199

 

9 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:48:23.10 ID:upG+dttv0.net
 

■自分で自分に乙


ワイエディによる伝統自演芸です。
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499680223/1-11


1 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 18:50:23.85 ID:FNY69AM3
教えてください、お願いします。


11 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 19:48:38.95 ID:FNY69AM3
>>1

自分の立てたスレ無視されてブチ切れしてる方が荒らしにしか見えない件
単発IDだし自演はチェッカー貼る人じゃないの?

 

10 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:49:00.69 ID:upG+dttv0.net
 

■栗城ハンターの自演と虚栄心-1


213 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 14:06:08.53 ID:QCfEK9/t
ウーリー大好きでした
この追悼記事も泣ける
Great Ueli Steck forever a.k.a Swiss Machine
http://ameb1o.jp/wi1d28jp/entry-12279118436.html

216 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 21:00:38.61 ID:OwmiUoRb
>>213
その動画は初めてみた
ありがとう。


…という栗城ハンター(現ワイエディ)の一人会話。
何年もの荒らし行為で自演を指摘され続け、今やすっかり開き直っているのでしょうか。

QCfEK9/t http://hissi.org/read.php/out/20170712/UUNmRUs5L3Q.html
 ↓
OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


ウーリー・ステック2 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/213-219

 

11 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:49:56.16 ID:upG+dttv0.net
 

■栗城ハンターの自演と虚栄心-2
 

215 :底名無し沼さん [] :2017/07/12(水) 20:44:19.28 ID:OwmiUoRb
アルパイン・ソロ・セルフレスキュー・ビッグウォール
などなど日本の書籍では書いてない技術が盛りだくさんだから
海外の技術書はとても勉強になるよ。

何故か日本では「ソロは極秘技術」みたいな傾向があって
誰にも教えられないとか自分で研究したとかいう人がやたら多いけど
海外では全然ポピュラーに知られている技術だし
隠す方がよっぽど危険だと思う。

以前、マイクロトラクションやシンチでリードソロやってるバカが居て
話してみたら「グリグリは止まらないかもしれないけどコレならそんな心配もないですし」
と言われて唖然とした。

OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


クライミングの経験や知識を持たない栗城ハンター(現ワイエディ)に書けるコメントではありません。
もちろん他人のレスをコピペしています。

オリジナル:http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/63

必死チェッカーによるレス抽出を意識し自らを粉飾しようとする見栄でしょうか。
とても無理のある、幼稚で浅ましい行為に映ります。

「栗城ハンターブログ」もコメントや画像の盗用で構成されています。
盗用とその誇示、という一連の異常行動は
犯罪性や心の病を感じさせます。

 

12 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:55:57.49 ID:upG+dttv0.net
 

■ 栗城ハンターの重複スレ立てと自演 (2017/07/03)

・ワイエディ回線
51uNuVI0 10-19時台 34レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTA.html&;amp;;amp;#160;
51uNuVI0M 18-19時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTBN.html

・回線2
XlmlZqd+  10-19時台 15レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/WGxtbFpxZCs.html
 
・回線3
mFRvju7b 11-21時台 19レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/bUZSdmp1N2I.html
 

13 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:56:43.05 ID:upG+dttv0.net
 
・回線4(IDコロコロ。回線2,3と思われる重複も含む)

DTBo97HQ  8-9時台 5レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/RFRCbzk3SFE.html
JPzYkDQb 10時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SlB6WWtEUWI.html
UC0GZCyA 10時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VUMwR1pDeUE.html
7wPRGe8C 10-11時台 3レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/N3dQUkdlOEM.htm
6mN2oaF7 10-11時台 14レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Nm1OMm9hRjc.html
pcY8vvB6 11時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/cGNZOHZ2QjY.html
JuRydlTK 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SnVSeWRsVEs.html
foHPX4V8 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Zm9IUFg0Vjg.html
VHrHqYvk 17時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VkhySHFZdms.html
ymgJSG0y 17時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/eW1nSlNHMHk.html
kX3Fm+xV 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/a1gzRm0reFY.html
8lvGiGTc 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/OGx2R2lHVGM.html
4thbMqpI 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NHRoYk1xcEk.html
1IYsrjMh 21時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/MUlZc3JqTWg.html
 

14 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:58:42.75 ID:upG+dttv0.net
 

推定4回線以上を使い、コピペで勢いをキープする様子がよくわかるサンプルです。
(以前からワイエディはスレの勢いに執着を見せています)

09:56:33.17
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499043393/ 
18:26:05.10
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499073965/ 

これは上記2スレからの抽出、他スレでの書き込みは含みません。
書き込みの総数はさらに多いでしょう。
また、コピペの効率的な連投はPCからと推測できます。
このことから、一日中PCに張付きながらスマホ複数台で書き込む状況が浮かびます。


この日の南谷氏出演のTV番組放映に伴う2ちゃんねる閲覧を懸念して
本スレでも暴露されている栗城ハンターブログの詐欺的アフィ実態を隠し
あわよくばブログを踏ませようとでも考えたのでしょうか。

この幼稚な異常者は一日も休まず、これらの不毛な作業を続けています。

 

15 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 11:59:28.25 ID:upG+dttv0.net
 

■エーイモ(現ワイエディ)の捏造デマ
 
ID:uktp8ZK8
http://hissi.org/read.php/out/20161108/dWt0cDhaSzg.html


491から削除
『ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

493に付け足し
『エーイモ殺せ』

494に付け足し
『エーイモは殺すべき』

元レス
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464703702/491-595

 

16 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:00:12.67 ID:upG+dttv0.net
 

■ゲス書き込みの一例


ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

ID:IkMyNjeD
http://hissi.org/read.php/out/20161106/SWtNeU5qZUQ.html


「真鈴のおまんこペロペロに舐め回してマンカス食いてえなw
谷口と真鈴の野グソ食いてえw
死ねよ谷グソってもう死んでるかw」

 

17 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:01:15.46 ID:upG+dttv0.net
 
 
栗木ハンターの荒らし業務
wifiミスったか端末間違えた模様


693 : 底名無し沼さん (エーイモ SE5f-FA7T [1.114.9.6])2016/09/02(金) 17:45:35.06 ID:5ICuLKjpE
金曜ギャランw

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1471825172/693

 

18 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:01:59.72 ID:upG+dttv0.net
 

■皆さまへ

「栗城ハンターブログ」は残念ながら、
ブログ主の嘘や2chでの自作自演、荒らしなどの奇行が指摘されています。

栗城ハンター7
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1462125712/
栗城ハンター8
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1473573617/
栗城ハンター9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/

公正な論評を心がける多くの批判者たちとは異なる便乗者として
栗城本スレにおいて早い段階でテンプレ入りを否決されました。

アフィ目的と思しき転載・盗用、幼稚な自演による自己宣伝を見ると
とてもみなさんにおすすめできるサイトとはいえません。

 

19 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:02:43.37 ID:upG+dttv0.net
 

オリジナルのおすすめサイトはこちら!


客観的なスタンスが信頼できます。
【栗城史多まとめ @ ウィキ】  
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]

経験による所見には説得力があります。
【海彦山彦 下山家栗城劇場】
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html

独自の切り口です。ぜひご一読を。
【オクサマファイル】
http://baby01.net/blog/364

栗城氏の問題について回答しています。
【Yahoo知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496

 

20 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:03:23.02 ID:upG+dttv0.net
 

虚言と自演

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-47

 

21 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:03:59.19 ID:upG+dttv0.net
 

恥ずかしいですね 
栗城商法そっくりなハンターさん

http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-n

http://hissi.org/read.php/out/20170413/VnY2SDdZN0U.html

 

22 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:04:41.45 ID:upG+dttv0.net
 

アホリエイト

http://hissi.org/read.php/out/20170418/WS9JUWhua3I.html

 

23 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:05:21.80 ID:upG+dttv0.net
 

おバカ

http://hissi.org/read.php/out/20170419/RFVpbzljMlc.html

 

24 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:06:48.45 ID:upG+dttv0.net
 

Page2Feed API
http://ic.edge.jp/page2feed/
URLを入力するとアフィブログを踏むことなくおおよその更新を把握できます。


現在マルチポストされているURLからRSS生成
http://ic.edge.jp/page2feed/preview/http://ameblo.jp/wi1d28jp/entry-12273807754.html

5月11日 21時59分30秒にアップされたページ
同日の栗城公式ブログの更新内容を転載し、栗城スレhttps://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1494113887/から拾ったコメントを切り貼りした記事。

誤字混じりの幼稚な文章と構成の転載日記はやはり踏む価値はありません。
読者数も20人→19人と減りました。
批判に足る見識もなく動機も不明、盗んだ言葉で野次るだけの不快なアフィブログです。


追記
(※Page2Feed API は現在サービスを終了しています。
RSS生成と閲覧は inoreader もおすすめです。)

 

25 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:07:38.93 ID:upG+dttv0.net
 

■悪質アフィが横行しています。
 「wi1d28jp 」は要注意!


栗城・南谷真鈴関連スレでマルチポストされているように、「エーイモ」はスレ立てしてまで煽りアフィを行います。

栗木ハンターを名乗りブログを立ち上げていますが、その内容は
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html
http://baby01.net/blog/364
など他ブログや2chスレからのコピペと転載です。
ブログ立ち上げ当初はエベレストBCへの栗城スネークを謳っていましたが
うやむやにしてブログ宣伝と荒らしを連日続けています。

この虚言とタカリ性は、無名で真摯な登山家たちに紛れて売名と集金を行う似非登山家に似ていますね。

また、まだ評価の定まらない南谷氏に執着する「エーイモ」には性的関心と便乗の下心が透けて見えます。
該当スレでも幼稚な自演をしていますが、表面的な応援の裏では中傷スレを立て対立を煽ろうとしています。

南谷真鈴の滑落死を願うスレ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464246830/

さらに、山野井氏や故人登山家の中傷書き込みまでする傲慢さと悪質性は許されるものではありません。

今後も同様の手口でアフィ(またはネット工作)を行うでしょう。
煽りに乗らず冷静な対処を。

 

26 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:08:20.68 ID:upG+dttv0.net
 
追記

これは真っ当にアフィリエイトに取り組む多くの人は含みません。
ただ栗城ハンターという快楽犯の撒き散らした故人中傷が不快です。
アフィそのものや金額の多寡ではなく、異常者による小銭稼ぎを兼ねた荒らし行為へのカウンターです。

これらのお知らせは繰り返し貼りますので、目障りと感じる方はNG登録してくださいね。

 

27 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:08:58.06 ID:upG+dttv0.net
 

■栗木ハンター(エーイモ=ワイエディ)について


ブログ開設以前は栗城擁護の立場で荒らしていた来歴は今はとりあえず置いておくとして・・

現在はっきりしているのは悪質なアフィリエイト活動であるということ。
間違えて踏ませる・騙してでも踏ませようとする執拗なマルチポストとスレ立て、それは栗城スレ内良識派への嫌がらせと追い出しも兼ねながら、たまに2chを覗くようなROM層に向け、またログ化の後まで見据えて行われています。

栗城を材とし収入を得るアフィブログの目的は、つまるところ栗城との共存共栄でしかありません。
ハンターを名乗るこの異常者は、周知を口実にして理性的批判者を排しつつ工作員妄想(※後述)と思考停止を煽り
その野次馬にマウンティングしながら利己的な小銭稼ぎを拡大しようとしているのでしょう。

 

28 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:20:30.49 ID:upG+dttv0.net
 

※工作員妄想について

栗城関係者と思しきWikipedia改竄工作は過去、実際に発覚しています。
https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/sp/pages/133.html

同時に、誰でも書き込める2ch掲示板においては愉快犯が成りすますことも容易です。
栗木ハンター(ワイエディ)のこれまでの自演成りすましの多さから、コピペやAAによる荒らし・住人を煽る幼稚な書き込みの大半はこの異常者によるものと考えていいと思います。

(別の工作員がいるとしても特定は厄介になります。いずれにしても板荒らしやスレ荒らしに関して、この異常者と栗城サイドは利害が一致します)

 

29 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:21:13.75 ID:upG+dttv0.net
 

アフィカス - 2ちゃんねるwiki
http://info.2ch.net/index.php/アフィカス

人の嫌がることがだーいすきv(^o^)
金のためなら嫌われてもいいもんねー(^o-)-☆

概要
アフィブログ、まとめブログ、コピペブログ、剽窃ブログとも言う。(ここでの対象は2chの内容を転載するブログである)
人の書き込みを無断転載して金を稼ぐ人間の屑。アフィカスがレスをまとめたものは、アフィブログとして公開される。
基本的には管理人の主義主張に応じたレスをまとめることが多いため、大抵内容は偏向しており、ネトウヨの溜まり場になったり、厨房の巣窟になったりする。
転載される側の掲示板住民に対して、住民になりすまして対立煽りなどをしていることが発覚して以来、強烈に嫌われるようになった。
 
 

30 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:22:03.56 ID:upG+dttv0.net
 

■自己宣伝はうんざり


異常者ワイエディ(栗城ハンターブログ)がアメブロ順位を喧伝しながらマルチポストしていますが、もちろん実情とかけ離れたランキングです。
ちょっと検索すればこんな情報が。


『アメブロランキングを上げる簡単な方法。
アメブロランキングには、月間総合、デイリー総合、各ジャンルのランキングがあります。
ランキング集計方法は、前日のPV数で行われます。
PV数とは、単純にブログへの総アクセス数で同一人物が何度アクセスしてもアクセス数に反映されます。
では、PV数(総アクセス数)型のアメブロランキングを上げる方法はと言うと。。。

これは超簡単!
自分で何回アクセスしてもカウント数に反映されるのだから、自分自身でブログを何回も表示すれば良い。
一番手っ取り早い方法は、ブラウザに自分のブログを表示したらキーボードのF5(リ
ロード)を連打すれば良い。
これだけで翌日確実にランキングは上がっています。』


さらにトラフィックエクスチェンジやチートツールを使えばPVを好きなだけ盛れるのがアメブロの売り。
読者たった20人の支離滅裂なパクリ日記でも一夜でランカーになれる、とても虚栄心にコミットした仕組みです。
ランキングなど何の意味もありません。

 

31 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:22:50.11 ID:upG+dttv0.net
 

アメブロで常に上位にいる人たちって・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454388374


栗城ハンターの5chでの病的な自己宣伝をみると、こういった小細工でブログを粉飾しているのは明らかですね。
栗城商法のSNSフォロワー・いいね水増しとなんら変わらない、見栄と欲得にまみれたデモンストレーションです。


嘘と自演で己を飾り、下賤な快楽とアフィのために故人や登山家を貶めてきた栗城ハンター。
5chコメントや他ブログ、マンガなど他人の著作物を盗用しあぶく銭を得ようとする小物ぶりには呆れ果てます。
正体を看破されアナウンスされた途端に上っ面の偽善を唱え始めましたが、もう騙される者もいないでしょう。


言葉を持たない故人への中傷は赦される事はありません。
ログは厳然と残っています。

 

32 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:23:34.78 ID:upG+dttv0.net
 

■参考情報


この異常者は数年前にも同アカウントで
転載ブログを運営していたようです。

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496330803/646


 
>栗城が発端だが、

これはちょっと違う。
過去ログ読めばわかるが以前はあいのりに出てた西村隼平に執心だった。

奴のブログをアーカイブでサルベージすると震災の義援金詐欺疑惑で騒がれていたころに
2chやしたらばの該当スレをコピペしてアクセス稼ぎをしていたブログだったことがわかる。 

http://web.archive.org/web/20111120032656/http://ameblo.jp/wild28jp/

 

33 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:24:18.31 ID:upG+dttv0.net
■「wi1d28jp」を専ブラでNG登録 ■


● Jane Style
【ツール】【設定】【あぼーん】【NGWord】→ wi1d28jp を追加

● 2chMate
【NG編集】【Word】→ wi1d28jp を追加

● twinkle
スレを開いた状態で【NG設定(下タブの一番左)】【NGワード】→ wi1d28jp を登録

● BB2C
NGワードを使用する:ON
対象レスで該当文字列を半長押し→NGワードに登録


※親切な方に「ワイエディの推奨NG方法」としてまとめていただいたものを、スレ共通で有効なURL文字列のNG方法に改めさせて頂きました。
※「NGネーム」では無効とのご指摘により改訂しました。補足訂正等ありましたらお寄せください。


オリジナルはこちら。
 ↓
登山キャンプ板 自治スレ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1464347504/22

 

34 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:25:07.14 ID:upG+dttv0.net
【重要】「wi1d28jp」NG登録について

「wi1d28jp」のNG登録によっていくつかのスレッドの>>1が見えなくなってしまう方へ

専ブラ毎の条件設定などでクリアできない場合は「ameblo.jp/」を加えてください。

【推奨NGワード】ameblo.jp/wi1d28jp

※上記は可視化のためアルファベットの「l」を数字「1」に置き換えています。
このままコピペせず、数字をアルファベットl(小文字のエル)に修正してください。

 

35 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:25:51.43 ID:upG+dttv0.net
 

異常者

PbupIfbr
http://hissi.org/read.php/out/20170811/UGJ1cElmYnI.html

8Ow3sckf
http://hissi.org/read.php/out/20170812/OE93M3Nja2Y.html

 

36 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:26:37.27 ID:upG+dttv0.net
 

現在、登山キャンプ板では何者かが無理やり炎上させているような不可解なスレッドがあります。

山で遭難したら助けに来た警官が説教しやがった。感じ悪い。何様なん?
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1504019629/


このスレにおいて
悪質アフィ周知のお知らせ文の一部をコピペして書き込み、そのままのIDで炎上関係者の住所を書き込んだ者がいます。
いつもの異常者(現ワイエディ・栗城ハンター)の手口に似た幼稚なイタズラです。

ZPQwlsGS
http://hissi.org/read.php/out/20170904/WlBRd2xzR1M.html
W1WVbnKr
http://hissi.org/read.php/out/20170904/VzFXVmJuS3I.html
Ld9tzNlh
http://hissi.org/read.php/out/20170904/TGQ5dHpObGg.html
JduMDZQP
http://hissi.org/read.php/out/20170904/SmR1TURaUVA.html

なぜかadblockを抜いていることから、2ちゃんねるに巣食うアフィカスであることは間違いなさそうです。

効いているのでしょうか。
周知を続けていきます。
(2017, 9/4)

 

37 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:27:35.67 ID:upG+dttv0.net
 

■ 異常な書き込み

7FvjsyaNM
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU5N.html
7FvjsyaN
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU4.html?thread=all


幼稚な成りすましとゲスな内容、そしてお約束のブログ宣伝。
切羽詰まったワイエディ(栗城ハンター)特有の荒らし書き込みです。

効いているのでしょう。周知を続けていきます。

 

38 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:28:48.89 ID:upG+dttv0.net
 
追加


■ 異常者(栗城ハンター=ワイエディ)
 
hFIBhp3FM
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0ZN.html
hFIBhp3F
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0Y.html?thread=all


ワイエディ回線でワイエディ連呼という呆れた荒らしです。
URLを入れるところもまたセコい。

この幼稚な異常者の現在の目的は
・アフィブログを踏ませること
・悪役を自演し自分(栗城ハンターブログ)age
・周知テンプレ排除と板荒らし
でしょう。


何をしようが周知は粛々と続きます。

 

39 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:29:41.83 ID:upG+dttv0.net
 

■ 埋立荒らし

核心を突いてしまったのでしょうか。
埋立荒らしが始まりました。

 ・Tnx6epSX0(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1gw.html
 (ワッチョイ 9b0c-oF0E [175.177.5.17])
  Tnx6epSXは富士山スレでも連投
  ↑
・Tnx6epSX(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1g.html
 12/13(水) 15:55〜 78レス


・qQ7C0sQZa(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/cVE3QzBzUVph.html
 (アウアウカー Sa11-cUpN [182.251.242.15])
 12/13(水) 23:30〜 5レス
  ↓
・koSDLj0ha(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/a29TRExqMGhh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.15])
 12/14(木) 00:01〜 11レス
  ↓
・9gdrDp+Da(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/OWdkckRwK0Rh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.7])
 12/14(木) 04:05〜 現在継続中


・vbny93KSa(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/dmJueTkzS1Nh.html
 (アウアウウー Sa89-HfL4 [106.133.56.192])
 12/13(水) 23:31〜 5レス
  ↓
・FdgDSmA3a(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/RmRnRFNtQTNh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.192])
 12/14(木) 00:01〜01:09 12レス
  ↓
・RcU6+V3Ha(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/UmNVNitWM0hh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.163])
 12/14(木) 01:21〜


【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/48-n

 

40 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:30:27.94 ID:upG+dttv0.net
 

■ 使用された回線の一つ

【175.177.5.17】

'175.177.0.0 - 175.177.255.255'に対する不正行為の連絡先は'hostmaster@nic.ad.jp' です

inetnum:175.177.0.0 - 175.177.255.255 netname
:iTSCOM
descr:その通信会社
descr:541-1 Ichigao-tyou Aoba-ku横浜神奈川225-0024日本
国:JP
admin-c:JNIC1-AP
tech-c: JNIC1-AP
ステータス:ALLOCATED PORTABLE
発言:スパムや虐待の苦情のための電子メールアドレス:abuse@itscom.jp
MNT-IRT:IRT-JPNIC-JP
MNT-によって:MAINT-JPNIC
MNT-下:MAINT-JPNIC
最終更新:2011-02- 17T08:16:02Z

 

41 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:31:13.42 ID:upG+dttv0.net
 

■ 成りすまし(?)荒らし

SwhAnbsR
http://hissi.org/read.php/out/20171225/U3doQW5ic1I.html?thread=all
1Ves70DDp
http://hissi.org/read.php/out/20171225/MVZlczcwRERw.html
7w9fApf4p
http://hissi.org/read.php/out/20171225/N3c5ZkFwZjRw.html


去年に続き、お約束のクリスマス発狂です。
コピペ改変で周知人に成りすましたつもり…でしょうか。意味不明です。

その一方でお知らせ抜きのスレや重複スレ、荒らしスレなどを乱立しています。
ゲスな書き込みと自ブログへの直リンクを入れるセコさ。
IPスレを避けるあたりも姑息です。


周知の蓄積が異常者排除に効きます。
淡々と続けていきましょう。

 

42 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 12:58:08.60 ID:ZogaPg3S0.net
 
age
 

43 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 13:11:52.74 ID:ZogaPg3S0.net
 
age 
 

44 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 14:13:36.93 ID:nhLYBjhR0.net
もっと必死にあげろやw

45 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 15:13:24.41 ID:ZogaPg3S0.net
  
age 
  

46 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 15:19:08.77 ID:ZogaPg3S0.net
 
age
  

47 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 15:24:19.73 ID:ZogaPg3S0.net
 
age 
   

48 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 15:30:22.42 ID:ZogaPg3S0.net
   
age 
   

49 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 16:40:32.46 ID:ZogaPg3S0.net
 

■ 成りすまし荒らし

/+l1YiMA
http://hissi.org/read.php/out/20180112/LytsMVlpTUE.html

 

50 :底名無し沼さん :2018/01/12(金) 23:15:14.36 ID:l3M1D+uuF.net
    
age
 

51 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:41:53.14 ID:78FOTcTx0.net
の道が整備されている。また、一部は山頂にそうした宗教施設が
あるため、参拝が登山の形態をとるが、富士山のように登山行為
自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なるものである。アダム
ス・ピークは多くの巡礼者が登山の形態をとるが、頂上の聖なる
足跡とされる岩を目指す点で、宗教施設に参拝する形態と類似す
るものであり、富士山とは異なると考える。また、一部の山岳は
その聖なるがゆえに登山を制限しており、登拝はなく、遙拝とい
う信仰形態しか持たない山もある。信仰の山の自然的要素である
標高については、自然遺産を中心に富士山よりも高い山も存在す
るが、その標高に比した登頂者の多さ(年約30万人)は他に例
がなく、山頂部への道路や軌道によるアクセスがないことから、
登頂者は徒歩6時間以上かけて、山頂部を目指すことになる。こ
うした登山形態は、日本では20世紀前半に開花する近代アルピ
ニズムに起源するものではなく、17世紀以降の江戸(現在の東
京)を中心に数多く組織された富士講の登拝活動を母胎に発展し
たものである。このことは、人々の生活の中に富士山に対する信
仰の核心が継承され、今日でも富士山は日本を代表し象徴する最
高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」であることを示
している。また、富士山への登山は夜明け前の山頂到着を目指す
登山者が多いことにも特徴がある。これは、山頂付近で日の出を
拝むためであるが、17世紀以降、道者が山頂周辺において「御
来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」(のち「御来光
(日の出)」)を拝んだことに由来する。こうした自然現象に宗
教的な意義を見出す傾向は、比較対象の中では峨眉山以外には見
あたらない。IUCNが2009年に行ったテーマ別研究である
「世界遺産の火山」では、世界遺産一覧表には一般の人々が一様
に認めている火山の多くが含まれていないことは興味深いとし、
その例として、イタリアのエトナ火山や富士山などを挙げている
。とくに富士山は、火山とその周辺地域に訪れる年間の観光客が
地球上のどの火山よりも多い点で重要とされている。こうしたギ
ャップを埋めるために、知名度、科学的重要性、文化及び教育的
価値を基準に個々の長所を検討すべきとしている。41(2)

52 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:42:21.21 ID:78FOTcTx0.net
仰のあり方から、(泰山等の中国の山々やアトス山やシナイ山等に代表されるよう
な)多様な宗教の介入によって生み出された信仰のあり方まで、そのいずれも失う
ことなく現在に至るまで継承している。信仰に関連する山の多くは、山自体ではな
く、山麓に点在する宗教施設や石仏が信仰の対象であり、そうした宗教施設等を参
詣するための道が整備されている。また、一部は山頂にそうした宗教施設があるた
め、参拝が登山の形態をとるが、富士山のように登山行為自体に宗教的な意義を求
める登拝とは異なるものである。アダムス・ピークは多くの巡礼者が登山の形態を
とるが、頂上の聖なる足跡とされる岩を目指す点で、宗教施設に参拝する形態と類
似するものであり、富士山とは異なると考える。また、一部の山岳はその聖なるが
ゆえに登山を制限しており、登拝はなく、遙拝という信仰形態しか持たない山もあ
る。信仰の山の自然的要素である標高については、自然遺産を中心に富士山よりも
高い山も存在するが、その標高に比した登頂者の多さ(年約30万人)は他に例が
なく、山頂部への道路や軌道によるアクセスがないことから、登頂者は徒歩6時間
以上かけて、山頂部を目指すことになる。こうした登山形態は、日本では20世紀
前半に開花する近代アルピニズムに起源するものではなく、17世紀以降の江戸(
現在の東京)を中心に数多く組織された富士講の登拝活動を母胎に発展したもので
ある。このことは、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承され、今日
でも富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名
山」であることを示している。また、富士山への登山は夜明け前の山頂到着を目指
す登山者が多いことにも特徴がある。これは、山頂付近で日の出を拝むためである
が、17世紀以降、道者が山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブロ
ッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)を拝んだことに由来する。こうした
自然現象に宗教的な意義を見出す傾向は、比較対象の中では峨眉山以外には見あた
らない。IUCNが2009年に行ったテーマ別研究である「世界遺産の火山」

53 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:42:38.96 ID:GFydl90A0.net
内に留まる。また、中国の山水画は日本にも大きな影響を与え
たが、近世以降で美術史に影響をもたらす芸術作品を生み出す
母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との密接な関
連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山
があり、これはその作品の多さからも西洋美術で最も著名な山
とされるが、富士山を題材とした浮世絵がセザンヌの出自であ
る印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると、そうし
た浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3

54 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:49:00.90 ID:78FOTcTx0.net
外の芸術関連の山岳との比較独立峰であり、高い標高を持つ富士
山の秀麗な姿は、四方の広い範囲から眺めることができ、古くか
ら芸術活動の対象となった。これら富士山を題材にした芸術作品
のうち、最も海外に影響を与えた作品は、葛飾北斎の浮世絵「冨
嶽三十六景」である。この一連の作品は、ジャポニスムと呼ばれ
た西洋における日本芸術の流行を生み、モネ、ドガなどの西欧の
印象派の画家達は浮世絵から、構図、デフォルメ、平面的な表現
技法を学んでいる。また、アールヌーボーが発生する一因ともな
った。芸術的作品との関連性では、比較対象資産の関連する多く
の芸術作品が、周囲の山々や景観を合わせて描いたものである。
また、そうした芸術作品との密接な関連を持ち、アメリカの山々
のように芸術史の上で一つの流派を形成したものもあるが、その
作品の影響は国内に留まる。また、中国の山水画は日本にも大き
な影響を与えたが、近世以降で美術史に影響をもたらす芸術作品
を生み出す母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との
密接な関連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワ
ール山があり、これはその作品の多さからも西洋美術で最も著名
な山とされるが、富士山を題材とした浮世絵がセザンヌの出自で
ある印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると、そうし
た浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3)
国内同種資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産では
、古くは山自体が神聖視されたが、その後は宗教施設が発展し、
山は背景となっていった。紀伊山地では、修験道の道場として山
々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でもその初期に
おいてはこうした修験者による登山が中心であったが、富士山に
ついては、その後、修験者に導かれた一般人の登拝が増加し、1
8世紀後半より東京を中心に流行した富士講による大衆登山へと
発展していった。現在も夏を中心に30万人が徒歩による富士山
の登山を体験しており、こうした信仰の核心が多くの人々に継承
されている点において富士山の優位性は明らかである。芸術作品
との関連性では、比較対象の資産では、評価基準(E)は信仰の
空間との関連性で用いられており、関連する芸術作品等も宗教

55 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:49:19.61 ID:78FOTcTx0.net
は、世界遺産一覧表には一般の人々が一様に認めている火山の多くが含まれていな
いことは興味深いとし、その例として、イタリアのエトナ火山や富士山などを挙げ
ている。とくに富士山は、火山とその周辺地域に訪れる年間の観光客が地球上のど
の火山よりも多い点で重要とされている。こうしたギャップを埋めるために、知名
度、科学的重要性、文化及び教育的価値を基準に個々の長所を検討すべきとしてい
る。41(2)海外の芸術関連の山岳との比較独立峰であり、高い標高を持つ富

56 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:49:59.91 ID:GFydl90A0.net
)国内同種資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産
では、古くは山自体が神聖視されたが、その後は宗教施設が発
展し、山は背景となっていった。紀伊山地では、修験道の道場
として山々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でも
その初期においてはこうした修験者による登山が中心であった
が、富士山については、その後、修験者に導かれた一般人の登
拝が増加し、18世紀後半より東京を中心に流行した富士講に
よる大衆登山へと発展していった。現在も夏を中心に30万人
が徒歩による富士山の登山を体験しており、こうした信仰の核
心が多くの人々に継承されている点において富士山の優位性は
明らかである。芸術作品との関連性では、比較対象の資産では
、評価基準(E)は信仰の空間との関連性で用いられており、
関連する芸術作品等も宗教的な題材とする作品が多い。富士山
は、和歌や俳句、絵画、文学の多くの分野においても、数多く
の作品を輩出し、その中には葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景
」のように西洋の美術史に大きな影響を与えた作品もある。そ
の多様性や生み出した芸術作品の影響の大きさの面でも富士山
の優位性は明らかである。(4)結語このように、富士山にお
いては、登拝等により、信仰の核心が現代の多くの人たちに受
け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西欧芸術史に大きな
影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸術の両面で、古
代から現代まで影響を与えている唯一の山であり、世界的にも
類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山岳である。42d)真
実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある文化的伝
統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖視され
、「歴史上の重要な段階を物語る景観を代表する顕著な見本」
として認知された富士山の範囲が適切に確保されているととも
に、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作品と
の直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々
の顕著な普遍的意義を有する作品に共通して描かれた最大の範
囲に相当しており、資産の重要性を伝える諸要素・過程を完全
に表す上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入:主要

57 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:55:13.59 ID:78FOTcTx0.net
な題材とする作品が多い。富士山は、和歌や俳句、絵画、文学の
多くの分野においても、数多くの作品を輩出し、その中には葛飾
北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」のように西洋の美術史に大きな影
響を与えた作品もある。その多様性や生み出した芸術作品の影響
の大きさの面でも富士山の優位性は明らかである。(4)結語こ
のように、富士山においては、登拝等により、信仰の核心が現代
の多くの人たちに受け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西
欧芸術史に大きな影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸
術の両面で、古代から現代まで影響を与えている唯一の山であり
、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山岳である。
42d)真実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある
文化的伝統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖
視され、「歴史上の重要な段階を物語る景観を代表する顕著な見
本」として認知された富士山の範囲が適切に確保されているとと
もに、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作品と
の直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々の
顕著な普遍的意義を有する作品に共通して描かれた最大の範囲に
相当しており、資産の重要性を伝える諸要素・過程を完全に表す
上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入:主要な展望地点
から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神社並びに富
士五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望線を確保した
主要な展望地点といった、顕著な普遍的価値を表すのに必要な全
ての要素を包含している。登山道は、信仰登山が盛んに行われて
いた18〜19世紀に認識されていた登山道を全て含み、登山道
の起点となる浅間神社も不足なく資産に含まれている。その他、
御室浅間神社や河口浅間神社といった富士山信仰を語る上で欠か
すことの出来ない重要な浅間神社や、富士講を迎えて登拝の世話
を行った御師の住宅、富士講がオプショナル・ツアー的に巡礼・
修行を行った地として代表的な湖沼、滝、風穴・溶岩樹型も全て
資産を構成する要素として推薦範囲に含めている。それらは、周
辺に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定しており、負の影響を与え
る可能性の行為に対して適切な法的規制を行うとともに、包括

58 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:55:35.31 ID:78FOTcTx0.net
山の秀麗な姿は、四方の広い範囲から眺めることができ、古くから芸術活動の対象
となった。これら富士山を題材にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与えた作
品は、葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。この一連の作品は、ジャポニス
ムと呼ばれた西洋における日本芸術の流行を生み、モネ、ドガなどの西欧の印象派
の画家達は浮世絵から、構図、デフォルメ、平面的な表現技法を学んでいる。また
、アールヌーボーが発生する一因ともなった。芸術的作品との関連性では、比較対
象資産の関連する多くの芸術作品が、周囲の山々や景観を合わせて描いたものであ
る。また、そうした芸術作品との密接な関連を持ち、アメリカの山々のように芸術
史の上で一つの流派を形成したものもあるが、その作品の影響は国内に留まる。ま
た、中国の山水画は日本にも大きな影響を与えたが、近世以降で美術史に影響をも
たらす芸術作品を生み出す母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との密
接な関連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山があり、これ
はその作品の多さからも西洋美術で最も著名な山とされるが、富士山を題材とした
浮世絵がセザンヌの出自である印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると
、そうした浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3)国内同種
資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産では、古くは山自体が神聖視さ
れたが、その後は宗教施設が発展し、山は背景となっていった。紀伊山地では、修
験道の道場として山々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でもその初期
においてはこうした修験者による登山が中心であったが、富士山については、その
後、修験者に導かれた一般人の登拝が増加し、18世紀後半より東京を中心に流行
した富士講による大衆登山へと発展していった。現在も夏を中心に30万人が徒歩
による富士山の登山を体験しており、こうした信仰の核心が多くの人々に継承され
ている点において富士山の優位性は明らかである。芸術作品との関連性では、比較
対象の資産では、評価基準(E)は信仰の空間との関連性で用いられており、関

59 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 00:55:49.61 ID:GFydl90A0.net
展望地点から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神
社並びに富士五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望
線を確保した主要な展望地点といった、顕著な普遍的価値を表
すのに必要な全ての要素を包含している。登山道は、信仰登山
が盛んに行われていた18〜19世紀に認識されていた登山道
を全て含み、登山道の起点となる浅間神社も不足なく資産に含
まれている。その他、御室浅間神社や河口浅間神社といった富
士山信仰を語る上で欠かすことの出来ない重要な浅間神社や、
富士講を迎えて登拝の世話を行った御師の住宅、富士講がオプ
ショナル・ツアー的に巡礼・修行を行った地として代表的な湖
沼、滝、風穴・溶岩樹型も全て資産を構成する要素として推薦
範囲に含めている。それらは、周辺に必要十分な範囲の緩衝地
帯を設定しており、負の影響を与える可能性の行為に対して適
切な法的規制を行うとともに、包括的保存管理計画の下に保全
又は改善のための対策を明示している。したがって、資産の周
辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはない。2)真実性推薦
資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団体によって適切な
維持管理が行われ、文化資産としての価値を失することなく良
好な状態を保っている。以下に、『世界遺産条約履行のための
作業指針』第82項に示された文化遺産の評価に適用される真
実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を示す。(
1)富士山体(遺跡(site))富士山は、1707年を最
後に噴火しておらず、以降、形態に変更はない。また、今後噴
火によって形態上の変化が起こったとしても、富士山の荒ぶる
姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、
真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超
えて、精神・機能の観点からみた真実性は確実に維持されてい
る。神聖性が最も高いとされる、山体中腹以上の核心となる区
域には、文化財保護法により厳格に保護されているほか、その
周辺地域や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国
内法により展望・眺望への妨げとなるものの除外や風致景観と
の調和を図る景観保全が行われており、景観全体の真実性は確

60 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:01:37.08 ID:78FOTcTx0.net
保存管理計画の下に保全又は改善のための対策を明示している。
したがって、資産の周辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはな
い。2)真実性推薦資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団
体によって適切な維持管理が行われ、文化資産としての価値を失
することなく良好な状態を保っている。以下に、『世界遺産条約
履行のための作業指針』第82項に示された文化遺産の評価に適
用される真実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を
示す。(1)富士山体(遺跡(site))富士山は、170

61 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:02:02.65 ID:78FOTcTx0.net
する芸術作品等も宗教的な題材とする作品が多い。富士山は、和歌や俳句、絵画、
文学の多くの分野においても、数多くの作品を輩出し、その中には葛飾北斎の浮世
絵「冨嶽三十六景」のように西洋の美術史に大きな影響を与えた作品もある。その
多様性や生み出した芸術作品の影響の大きさの面でも富士山の優位性は明らかであ
る。(4)結語このように、富士山においては、登拝等により、信仰の核心が現代
の多くの人たちに受け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西欧芸術史に大きな
影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸術の両面で、古代から現代まで影響
を与えている唯一の山であり、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山
岳である。42d)真実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある文化的
伝統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖視され、「歴史上の重要
な段階を物語る景観を代表する顕著な見本」として認知された富士山の範囲が適切
に確保されているとともに、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作
品との直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々の顕著な普遍的
意義を有する作品に共通して描かれた最大の範囲に相当しており、資産の重要性を
伝える諸要素・過程を完全に表す上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入:
主要な展望地点から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神社並びに富士
五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望線を確保した主要な展望地点とい
った、顕著な普遍的価値を表すのに必要な全ての要素を包含している。登山道は、
信仰登山が盛んに行われていた18〜19世紀に認識されていた登山道を全て含み
、登山道の起点となる浅間神社も不足なく資産に含まれている。その他、御室浅間
神社や河口浅間神社といった富士山信仰を語る上で欠かすことの出来ない重要な浅
間神社や、富士講を迎えて登拝の世話を行った御師の住宅、富士講がオプショナル
・ツアー的に巡礼・修行を行った地として代表的な湖沼、滝、風穴・溶岩樹型も全
て資産を構成する要素として推薦範囲に含めている。それらは、周辺に必要十分

62 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:02:20.07 ID:GFydl90A0.net
実に保証される。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡などの
諸要素が総体的な登拝システムを構築し、その機能は良好に遺
存している。登山道は、人為による現状の変更には厳しい規制
がかけられており、地下に埋もれた遺構を含め、価値の真実性
の伝達については、将来にわたり確実に保証されている。また
、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持してきた。レク
リエーションのために登43山を行う人々にとっても、脈々と
継承してきた富士山に対する信仰の核心の証左として、それら
は機能している。(2)神社・御師住宅(記念工作物・建造物
群・遺跡(site))神社について、建築の歴史的価値を表
す平面形式、構造様式、内外の立面意匠は顕著な普遍的価値を
表す時代のままである。近代以降の保存修理事業においては、
建立後に修理又は改変された後補部分について、後補材の撤去
・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高い真実性が追究さ
れてきた。脆弱な材料・材質から成る木造建築の修理に関する
伝統をはじめ、そこに用いられる技術についても確実に継承さ
れている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最もよく表現さ
れる時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺の環境も
良好である。さらに、宗教空間としての用途・機能を何百年も
維持してきた。レクリエーションのために登山を行う人々にと
っても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰の核心の証左
として、それらは機能している。(3)その他の信仰関連遺跡
(遺跡(site))富士五湖及び忍野八海においては、文献
や石碑などの状況証拠から、内八海巡りや富士御手洗元八湖が
行われていたことがわかっている。人々の信仰心を駆り立てた
湖沼の水そのものは、顕著な普遍的価値の核心として現在に継
承されている。さらに、周辺環境においても、自然公園法や景
観法に基づく景観計画などにより風致景観との調和を図る景観
保全が行われており、景観全体の真実性は確実に保証されてい
る。白糸ノ滝においては、長谷川角行の修行地がどこであった
かを明確に示す文献はないが、富士講講徒が滝壺で修行したこ
とは講徒の記録及びその挿図で確認できる。船津胎内樹型及

63 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:08:03.35 ID:78FOTcTx0.net
年を最後に噴火しておらず、以降、形態に変更はない。また、今
後噴火によって形態上の変化が起こったとしても、富士山の荒ぶ
る姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、
真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超え
て、精神・機能の観点からみた真実性は確実に維持されている。
神聖性が最も高いとされる、山体中腹以上の核心となる区域には
、文化財保護法により厳格に保護されているほか、その周辺地域
や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国内法により
展望・眺望への妨げとなるものの除外や風致景観との調和を図る
景観保全が行われており、景観全体の真実性は確実に保証される
。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡などの諸要素が総体的な
登拝システムを構築し、その機能は良好に遺存している。登山道
は、人為による現状の変更には厳しい規制がかけられており、地
下に埋もれた遺構を含め、価値の真実性の伝達については、将来
にわたり確実に保証されている。また、宗教空間としての用途・
機能を何百年も維持してきた。レクリエーションのために登43
山を行う人々にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信
仰の核心の証左として、それらは機能している。(2)神社・御
師住宅(記念工作物・建造物群・遺跡(site))神社につい
て、建築の歴史的価値を表す平面形式、構造様式、内外の立面意
匠は顕著な普遍的価値を表す時代のままである。近代以降の保存
修理事業においては、建立後に修理又は改変された後補部分につ
いて、後補材の撤去・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高
い真実性が追究されてきた。脆弱な材料・材質から成る木造建築
の修理に関する伝統をはじめ、そこに用いられる技術についても
確実に継承されている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最も
よく表現される時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺
の環境も良好である。さらに、宗教空間としての用途・機能を何
百年も維持してきた。レクリエーションのために登山を行う人々
にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰の核心の証
左として、それらは機能している。(3)その他の信仰関連遺跡
(遺跡(site))富士五湖及び忍野八海においては、文献

64 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:08:31.52 ID:78FOTcTx0.net
範囲の緩衝地帯を設定しており、負の影響を与える可能性の行為に対して適切な法
的規制を行うとともに、包括的保存管理計画の下に保全又は改善のための対策を明
示している。したがって、資産の周辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはない。
2)真実性推薦資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団体によって適切な維持
管理が行われ、文化資産としての価値を失することなく良好な状態を保っている。
以下に、『世界遺産条約履行のための作業指針』第82項に示された文化遺産の評
価に適用される真実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を示す。(1
)富士山体(遺跡(site))富士山は、1707年を最後に噴火しておらず、
以降、形態に変更はない。また、今後噴火によって形態上の変化が起こったとして
も、富士山の荒ぶる姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、
真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超えて、精神・機能の
観点からみた真実性は確実に維持されている。神聖性が最も高いとされる、山体中
腹以上の核心となる区域には、文化財保護法により厳格に保護されているほか、そ
の周辺地域や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国内法により展望・
眺望への妨げとなるものの除外や風致景観との調和を図る景観保全が行われており
、景観全体の真実性は確実に保証される。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡な
どの諸要素が総体的な登拝システムを構築し、その機能は良好に遺存している。登
山道は、人為による現状の変更には厳しい規制がかけられており、地下に埋もれた
遺構を含め、価値の真実性の伝達については、将来にわたり確実に保証されている
。また、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持してきた。レクリエーション
のために登43山を行う人々にとっても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰
の核心の証左として、それらは機能している。(2)神社・御師住宅(記念工作物
・建造物群・遺跡(site))神社について、建築の歴史的価値を表す平面形式
、構造様式、内外の立面意匠は顕著な普遍的価値を表す時代のままである。近代

65 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:08:46.61 ID:GFydl90A0.net
吉田胎内樹型の中には祠などが祀られ、穴自体を神聖視する精
神、宗教空間としての機能は現在も受け継がれている。入洞者
の安全のため、船津胎内樹型の入り口部分は改変が加えられて
いるが、それ以外の形状・位置の真実性は、自然崩落の場合を
除き、確実に継承されている。人穴富士講遺跡においては、碑
塔のほとんどに建立者、講の名称や年号(創建年号や関係者の
死亡年号)などが記載されており、真実性に疑いの余地はない
。444.保全状況と資産に与える影響a)現在の保全状況

66 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:15:08.79 ID:78FOTcTx0.net
石碑などの状況証拠から、内八海巡りや富士御手洗元八湖が行わ
れていたことがわかっている。人々の信仰心を駆り立てた湖沼の
水そのものは、顕著な普遍的価値の核心として現在に継承されて
いる。さらに、周辺環境においても、自然公園法や景観法に基づ
く景観計画などにより風致景観との調和を図る景観保全が行われ
ており、景観全体の真実性は確実に保証されている。白糸ノ滝に
おいては、長谷川角行の修行地がどこであったかを明確に示す文
献はないが、富士講講徒が滝壺で修行したことは講徒の記録及び
その挿図で確認できる。船津胎内樹型及び吉田胎内樹型の中には
祠などが祀られ、穴自体を神聖視する精神、宗教空間としての機
能は現在も受け継がれている。入洞者の安全のため、船津胎内樹
型の入り口部分は改変が加えられているが、それ以外の形状・位
置の真実性は、自然崩落の場合を除き、確実に継承されている。
人穴富士講遺跡においては、碑塔のほとんどに建立者、講の名称
や年号(創建年号や関係者の死亡年号)などが記載されており、
真実性に疑いの余地はない。444.保全状況と資産に与える影
響a)現在の保全状況「富士山」の17個の構成資産については
、すでに多くの修理や整備の事業が適切に行われており、自然的
な要因に基づく一部の資産を除き構成資産の保存状況も良好であ
る。特に神社の建造物及び境内については、所有者である宗教法
人により適切な維持的措置が恒常的に行われており、保存状況は
良好である。1)資産全体の保全状況(1)主要な展望主要な展
望としての構成資産は、本栖湖と三保松原であり、展望点及びそ
こから展望した山体の大部分である。展望面に関しては本栖湖の
場合構成資産に含まれており、三保松原の場合は展望点より山体
まで距離の距離が約45qと遠方であり、かつ、その間のかなり
の部分が海面及び人口密集地(富士市市街地)であるため、展望
点より山体までの範囲は構成資産に含めてはいない。現状におい
てこれらの資産範囲及び展望面は三保松原の一部を除き良好な状
態を保っている。これらの資産範囲については、信仰の核心であ
る御中道より上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名勝)及び
自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)により厳密に

67 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:15:31.51 ID:78FOTcTx0.net
降の保存修理事業においては、建立後に修理又は改変された後補部分について、後
補材の撤去・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高い真実性が追究されてきた
。脆弱な材料・材質から成る木造建築の修理に関する伝統をはじめ、そこに用いら
れる技術についても確実に継承されている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最
もよく表現される時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺の環境も良好で
ある。さらに、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持してきた。レクリエ

68 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:17:24.93 ID:GFydl90A0.net
各史跡及び特別名勝としての保存管理計画を策定し、構成資産
の所在する市町村とともに確実な保存管理に当たっている。し
たがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をなす
周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で
行われる現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現状
変更等」という。)については、文化財保護法の下に許可制に
基づき厳重に規制されている(富士山体の保護措置については
次項で詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物
・建造物群・遺跡(site))これらの構成資産はいずれも
社殿などの木造建造物を中心としている。それら内のいくつか
は、富士山本宮浅間大社本殿などのように重要文化財に指定さ
れており(御師住宅は指定予定)、その他の建築物や境内地は
史跡の構成要素として保護されている。これらの木造建築物に
ついては、これまで損傷の程度に応じた適切な修理が行われて
きた。したがって、それらはすべて45良好な状態を保ってい
る。具体的には、建造物の全体を解体して行う全解体修理、軸
組を残したまま壁や屋根などの修理を行う半解体修理を実施し
ているほか、部分的な修理として屋根葺替修理や塗装修理など
を定期的に実施してきた。建造物は自然災害等により幾度かの
損傷を被ってきたが、そのつど旧態に復旧され、その歴史上の
価値は確実に継承されている。さらに、指定地内で行われる現
状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基づき厳重
に規制されている。また、重要文化財である建造物のみならず
、史跡等に指定された神社境内に存在する個々の歴史的建造物
の保存修理事業を行うに当たっては、文化財保護法の下に、そ
れらの歴史に関する調査、伝統技法に関する調査、地下遺構に
関する発掘調査、破損状況及びその原因に関する調査など、事
前の学術調査を周到に行い、その結果に基づいて、所有者・学
識経験者・行政経験者等から成る修理及び整備委員会における
保存修理や環境整備の方針の決定及び指導に基づき実施してい
る。また、それらの修理完了後には、修理に係る記録をまとめ
た修理工事報告書を刊行している。さらに、重要文化財であ

69 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:22:37.37 ID:78FOTcTx0.net
な修理として屋根葺替修理や塗装修理などを定期的に実施してき
た。建造物は自然災害等により幾度かの損傷を被ってきたが、そ
のつど旧態に復旧され、その歴史上の価値は確実に継承されてい
る。さらに、指定地内で行われる現状変更等については、文化財
保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。また、重要
文化財である建造物のみならず、史跡等に指定された神社境内

70 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:23:04.66 ID:78FOTcTx0.net
体までの範囲は構成資産に含めてはいない。現状においてこれらの資産範囲及び展
望面は三保松原の一部を除き良好な状態を保っている。これらの資産範囲について
は、信仰の核心である御中道より上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名勝)及
び自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)により厳密に保全され、下部(
標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、
第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されて
いる。また、展望面の周辺部については自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特
別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景観法に基づく景観条例、景観計画に
より保護されている。これらの法令の許可制に基づく保護により、景観面に関して
資産に影響のある開発は厳重に管理されている。また、資産範囲及び緩衝地帯に含
まれていない三保松原の展望面についても海面において実質的に開発行為は起りえ
ず、市街地においても景観法に基づく景観条例、景観計画により保護されているた
め、特に問題は生じない。(2)登山道(遺跡(site))これらの構成資産は
富士山体及びそこに所在する登山道である。これらの構成資産については、真実性
及び完全性が担保できる部分が史跡に指定されるとともに、その大部分の範囲が特
別名勝に指定されている。これらの構成資産については、県が、各史跡及び特別名
勝としての保存管理計画を策定し、構成資産の所在する市町村とともに確実な保存
管理に当たっている。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体を
なす周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行われる現状変
更及び保存に影響を及ぼす行為(以下、「現状変更等」という。)については、文
化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている(富士山体の保護措置につ
いては次項で詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記念工作物・建造物群・
遺跡(site))これらの構成資産はいずれも社殿などの木造建造物を中心とし
ている。それら内のいくつかは、富士山本宮浅間大社本殿などのように重要文化

71 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:23:21.07 ID:GFydl90A0.net
建造物については、火災による焼損防止のために自動火災報知
設備及び各種の消火施設・避雷施設を設置し、防火・消火に関
する組織の運営についても万全を期している。また、建造物の
所有者である宗教法人及び市並びに個人は、県又は各市町村が
策定した保存活用計画に基づいて、それらの確実な保存管理に
当たっている。また、建造物の軽微な補修等の日常管理につい
ては、所有者の依頼により、専門の建築技術者によって実施さ
れている。(4)その他信仰関連遺跡(遺跡(site))こ
れらの構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧水、石造工
作物(人穴の碑塔)である。これらの構成資産については、そ
の自然的価値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名勝
及び天然記念物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型及び忍
野八海が天然記念物に指定されているとともに、その一部が史
跡に指定されている。これらの構成資産については、県及び市
町村が、各史跡等の規模・形態・性質・立地・環境等に応じて
保存管理計画を策定し、確実な保存管理に当たっている。した
がって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をなす周
辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行
われる現状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基
づき厳重に規制されている。2)構成資産の保全状況(A)山
体(眺望の対象である富士山、ある文化的伝統を伝承する物証
である、連続性のある資産としての富士山)登録範囲における
自然的環境については、おおむね良好な状態である。資産範囲
の上部は文化財保護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護
地区及び第1種特別地域、第2種特別地域)により厳密に保全
され、下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外
)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普通地
域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されているため
、景観および文化的価値のどちらの点においても資産に影響を
及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には山頂部付
近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れ(以下
、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継続して

72 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:28:57.58 ID:78FOTcTx0.net
存在する個々の歴史的建造物の保存修理事業を行うに当たっては
、文化財保護法の下に、それらの歴史に関する調査、伝統技法に
関する調査、地下遺構に関する発掘調査、破損状況及びその原因
に関する調査など、事前の学術調査を周到に行い、その結果に基
づいて、所有者・学識経験者・行政経験者等から成る修理及び整
備委員会における保存修理や環境整備の方針の決定及び指導に基
づき実施している。また、それらの修理完了後には、修理に係る
記録をまとめた修理工事報告書を刊行している。さらに、重要文
化財である建造物については、火災による焼損防止のために自動
火災報知設備及び各種の消火施設・避雷施設を設置し、防火・消
火に関する組織の運営についても万全を期している。また、建造
物の所有者である宗教法人及び市並びに個人は、県又は各市町村
が策定した保存活用計画に基づいて、それらの確実な保存管理に
当たっている。また、建造物の軽微な補修等の日常管理について
は、所有者の依頼により、専門の建築技術者によって実施されて
いる。(4)その他信仰関連遺跡(遺跡(site))これらの
構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧水、石造工作物(人
穴の碑塔)である。これらの構成資産については、その自然的価
値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名勝及び天然記念
物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型及び忍野八海が天然記
念物に指定されているとともに、その一部が史跡に指定されてい
る。これらの構成資産については、県及び市町村が、各史跡等の
規模・形態・性質・立地・環境等に応じて保存管理計画を策定し
、確実な保存管理に当たっている。したがって、各史跡等を構成
する諸要素及びそれらと一体をなす周辺の地域は、良好な状態を
保っている。さらに、指定地内で行われる現状変更等については
、文化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。2
)構成資産の保全状況(A)山体(眺望の対象である富士山、あ
る文化的伝統を伝承する物証である、連続性のある資産としての
富士山)登録範囲における自然的環境については、おおむね良好
な状態である。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名勝)及び
自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域、第2種特別地

73 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:29:23.88 ID:78FOTcTx0.net
に指定されており(御師住宅は指定予定)、その他の建築物や境内地は史跡の構成
要素として保護されている。これらの木造建築物については、これまで損傷の程度
に応じた適切な修理が行われてきた。したがって、それらはすべて45良好な状態
を保っている。具体的には、建造物の全体を解体して行う全解体修理、軸組を残し
たまま壁や屋根などの修理を行う半解体修理を実施しているほか、部分的な修理と
して屋根葺替修理や塗装修理などを定期的に実施してきた。建造物は自然災害等に
より幾度かの損傷を被ってきたが、そのつど旧態に復旧され、その歴史上の価値は
確実に継承されている。さらに、指定地内で行われる現状変更等については、文化
財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。また、重要文化財である建
造物のみならず、史跡等に指定された神社境内に存在する個々の歴史的建造物の保
存修理事業を行うに当たっては、文化財保護法の下に、それらの歴史に関する調査
、伝統技法に関する調査、地下遺構に関する発掘調査、破損状況及びその原因に関
する調査など、事前の学術調査を周到に行い、その結果に基づいて、所有者・学識
経験者・行政経験者等から成る修理及び整備委員会における保存修理や環境整備の
方針の決定及び指導に基づき実施している。また、それらの修理完了後には、修理
に係る記録をまとめた修理工事報告書を刊行している。さらに、重要文化財である
建造物については、火災による焼損防止のために自動火災報知設備及び各種の消火
施設・避雷施設を設置し、防火・消火に関する組織の運営についても万全を期して
いる。また、建造物の所有者である宗教法人及び市並びに個人は、県又は各市町村
が策定した保存活用計画に基づいて、それらの確実な保存管理に当たっている。ま
た、建造物の軽微な補修等の日常管理については、所有者の依頼により、専門の建
築技術者によって実施されている。(4)その他信仰関連遺跡(遺跡(site)
)これらの構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧水、石造工作物(人穴の碑
塔)である。これらの構成資産については、その自然的価値から湧玉池が特別天

74 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:29:40.50 ID:GFydl90A0.net
生している。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わる
道(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び
登山道周辺では、多くの人々によって行われる登山行為に起因
する廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組合などにより適切に
管理・除去されている。なお、山腹において、山小屋の維持・
廃棄物の撤去のためにブルドーザーが通行する道路があるが、
使用は必要最小限にとどめられている。山頂部周辺の文化的環
境についても、現時点における保全状態は良好である。ただ

75 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:34:42.63 ID:78FOTcTx0.net
)により厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以下
、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特
別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護さ
れているため、景観および文化的価値のどちらの点においても資
産に影響を及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には
山頂部付近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れ
(以下、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継続し
て発生している。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わ
る道(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び
登山道周辺では、多くの人々によって行われる登山行為に起因す
る廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組合などにより適切に管理
・除去されている。なお、山腹において、山小屋の維持・廃棄物
の撤去のためにブルドーザーが通行する道路があるが、使用は必
要最小限にとどめられている。山頂部周辺の文化的環境について
も、現時点における保全状態は良好である。ただし、降雪・強風
等に常時さらされるため、小規模な変更は常時行われてきた。(
A1)山頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好である。(A
2〜5)登山道富士山は脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・
強風等に常時さらされるため、登山の開始以降登山道小規模な経
路の変更は常時行われていた。したがって、継続的な観点におけ
る保全状態について明確に述べることはできない。しかし、現在
も登山道として使用されている部分については毎年登山期前に県
、地元保存会(須山口)又は山小屋組合により整備が行われ、適
切な状態に保たれている。(A6)北口本宮冨士浅間神社北口本
宮冨士浅間神社は定期的な維持修理が行われており、現時点にお
ける保全状態は良好である。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖
すべての湖とも現時点における保全状態は良好である。中でも本
栖湖は、訪問者の体験を損ねないように、展望地点から富士山を
見た展望線と展望地点区域の周辺環境の維持に配慮した良好な保
存管理が行われており、現時点における保全状態は特に良好であ
る。(B1)富士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われてお
り、現時点における保全状態は良好である。湧玉池は全般的に

76 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:35:05.71 ID:78FOTcTx0.net
記念物に、白糸ノ滝が名勝及び天然記念物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型
及び忍野八海が天然記念物に指定されているとともに、その一部が史跡に指定され
ている。これらの構成資産については、県及び市町村が、各史跡等の規模・形態・
性質・立地・環境等に応じて保存管理計画を策定し、確実な保存管理に当たってい
る。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をなす周辺の地域は
、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行われる現状変更等については

77 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:35:20.30 ID:GFydl90A0.net
、降雪・強風等に常時さらされるため、小規模な変更は常時行
われてきた。(A1)山頂信仰遺跡現時点における保全状態は
良好である。(A2〜5)登山道富士山は脆弱な火山地質であ
るとともに、雪崩・強風等に常時さらされるため、登山の開始
以降登山道小規模な経路の変更は常時行われていた。したがっ
て、継続的な観点における保全状態について明確に述べること
はできない。しかし、現在も登山道として使用されている部分
については毎年登山期前に県、地元保存会(須山口)又は山小
屋組合により整備が行われ、適切な状態に保たれている。(A
6)北口本宮冨士浅間神社北口本宮冨士浅間神社は定期的な維
持修理が行われており、現時点における保全状態は良好である
。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖すべての湖とも現時点に
おける保全状態は良好である。中でも本栖湖は、訪問者の体験
を損ねないように、展望地点から富士山を見た展望線と展望地
点区域の周辺環境の維持に配慮した良好な保存管理が行われて
おり、現時点における保全状態は特に良好である。(B1)富
士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われており、現時点に
おける保全状態は良好である。湧玉池は全般的には良好な状態
であるが、二つの池のうち「上池」では、湧水量が減少し、藻
類が繁殖しているため、「湧玉池保全再生会議」が設置され、
対策が検討されている。(B2)山宮浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B3)村山浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B4)須山浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B5)富士浅間神社(須走浅間神社
)現時点における保全状態は良好である。(B6)河口浅間神
社現時点における保全状態は良好である。47(B7)冨士御
室浅間神社現時点における保全状態は良好である。ただし、漆
塗装の磨耗退色が著しい部分がある。また、本宮本殿の脇障子
版は富士山二合目所在時に毀損にあっており、今後、修復・修
繕の検討が予想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅は20
06−2007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点に
おける保全状態は良好である。小佐野家住宅は、所有者らに

78 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:40:49.84 ID:78FOTcTx0.net
良好な状態であるが、二つの池のうち「上池」では、湧水量が減
少し、藻類が繁殖しているため、「湧玉池保全再生会議」が設置
され、対策が検討されている。(B2)山宮浅間神社現時点にお
ける保全状態は良好である。(B3)村山浅間神社現時点におけ
る保全状態は良好である。(B4)須山浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B5)富士浅間神社(須走浅間神社)
現時点における保全状態は良好である。(B6)河口浅間神社現
時点における保全状態は良好である。47(B7)冨士御室浅間
神社現時点における保全状態は良好である。ただし、漆塗装の磨
耗退色が著しい部分がある。また、本宮本殿の脇障子版は富士山
二合目所在時に毀損にあっており、今後、修復・修繕の検討が予
想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅は2006−2007
年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点における保全状態は
良好である。小佐野家住宅は、所有者らによって日常的な維持管
理が行われているほか、補助事業などによって文化財としての保
護に必要な修繕や設備の整備が進められてきた。(B9〜10)
山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点における保全状態は良好で
ある。(B11)忍野八海天然記念物として指定されている範囲
は水面に限られており、私有地が隣接しているため、周辺環境を
含めた保全状態に課題がある。しかし、忍野村が景観計画を策定
し、周辺環境を含めた保全を行っている。(B12)船津胎内樹
型現時点における保全状態は良好である。(B13)吉田胎内樹
型内部の溶岩の盗掘や人の侵入による破壊を防ぐために本穴入り
口は施錠されており、現時点における保全状態は良好である。(
B14)人穴富士講遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であるが、
一部の碑塔に修理が必要である。(B15)白糸ノ滝現状では滝
壺周辺に売店があるなど景観面において課題がある。このため、
富士宮市が中心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定
を行い、今後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊に
ついては特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では1
960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るた
め、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影

79 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:41:15.54 ID:78FOTcTx0.net
文化財保護法の下に許可制に基づき厳重に規制されている。2)構成資産の保全状
況(A)山体(眺望の対象である富士山、ある文化的伝統を伝承する物証である、
連続性のある資産としての富士山)登録範囲における自然的環境については、おお
むね良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名勝)及び自然公園
法(特別保護地区及び第1種特別地域、第2種特別地域)により厳密に保全され、
下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護
地区、第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護
されているため、景観および文化的価値のどちらの点においても資産に影響を及ぼ
す行為は発生しない。た46だし、山体西側には山頂部付近から標高2200m付
近までを源頭部とする土砂崩れ(以下、「大沢崩れ」という。)が、約1000年
前より継続して発生している。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わる道
(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び登山道周辺では、多く
の人々によって行われる登山行為に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組
合などにより適切に管理・除去されている。なお、山腹において、山小屋の維持・
廃棄物の撤去のためにブルドーザーが通行する道路があるが、使用は必要最小限に
とどめられている。山頂部周辺の文化的環境についても、現時点における保全状態
は良好である。ただし、降雪・強風等に常時さらされるため、小規模な変更は常時
行われてきた。(A1)山頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好である。(A
2〜5)登山道富士山は脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・強風等に常時さら
されるため、登山の開始以降登山道小規模な経路の変更は常時行われていた。した
がって、継続的な観点における保全状態について明確に述べることはできない。し
かし、現在も登山道として使用されている部分については毎年登山期前に県、地元
保存会(須山口)又は山小屋組合により整備が行われ、適切な状態に保たれている
。(A6)北口本宮冨士浅間神社北口本宮冨士浅間神社は定期的な維持修理が行

80 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:41:32.50 ID:GFydl90A0.net
って日常的な維持管理が行われているほか、補助事業などによ
って文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が進められ
てきた。(B9〜10)山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点
における保全状態は良好である。(B11)忍野八海天然記念
物として指定されている範囲は水面に限られており、私有地が
隣接しているため、周辺環境を含めた保全状態に課題がある。
しかし、忍野村が景観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を
行っている。(B12)船津胎内樹型現時点における保全状態
は良好である。(B13)吉田胎内樹型内部の溶岩の盗掘や人
の侵入による破壊を防ぐために本穴入り口は施錠されており、
現時点における保全状態は良好である。(B14)人穴富士講
遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であるが、一部の碑塔に修理
が必要である。(B15)白糸ノ滝現状では滝壺周辺に売店が
あるなど景観面において課題がある。このため、富士宮市が中
心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今
後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊については
特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では1960
〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るため、
資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響を
与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイ
センチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布に
よる予防措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現
在これらの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはよ
り良好な保全状態となることは確実である。なお、三保松原の
象徴的存在である羽衣の松は1707年の宝永噴火とその前後
の地震により初代とされる松が失われたため、現在の松(樹齢
約650年)を指定した。しかし、この松も台風による幹の損
傷で樹勢が衰え、2010年10月にその交代が行われる(三
代目は樹齢約300〜400年と推定されている)。また、現
在静岡市が保存管理計画の改訂を行っている。なお、資産範囲
・緩衝地帯範囲には含まれないが、三保松原の富士山方向の対
岸に当たる富士市の工業地帯においては、現在使用していな

81 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:47:47.23 ID:78FOTcTx0.net
を与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイ
センチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布によ
る予防措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現在こ
れらの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好
な保全状態となることは確実である。なお、三保松原の象徴的存
在である羽衣の松は1707年の宝永噴火とその前後の地震によ
り初代とされる松が失われたため、現在の松(樹齢約650年)
を指定した。しかし、この松も台風による幹の損傷で樹勢が衰

82 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:48:13.17 ID:78FOTcTx0.net
れており、現時点における保全状態は良好である。(A7〜9)西湖・精進湖・本
栖湖すべての湖とも現時点における保全状態は良好である。中でも本栖湖は、訪問
者の体験を損ねないように、展望地点から富士山を見た展望線と展望地点区域の周
辺環境の維持に配慮した良好な保存管理が行われており、現時点における保全状態
は特に良好である。(B1)富士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われており
、現時点における保全状態は良好である。湧玉池は全般的には良好な状態であるが
、二つの池のうち「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため、「湧
玉池保全再生会議」が設置され、対策が検討されている。(B2)山宮浅間神社現
時点における保全状態は良好である。(B3)村山浅間神社現時点における保全状
態は良好である。(B4)須山浅間神社現時点における保全状態は良好である。(
B5)富士浅間神社(須走浅間神社)現時点における保全状態は良好である。(B
6)河口浅間神社現時点における保全状態は良好である。47(B7)冨士御室浅
間神社現時点における保全状態は良好である。ただし、漆塗装の磨耗退色が著しい
部分がある。また、本宮本殿の脇障子版は富士山二合目所在時に毀損にあっており
、今後、修復・修繕の検討が予想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅は200
6−2007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点における保全状態は良好
である。小佐野家住宅は、所有者らによって日常的な維持管理が行われているほか
、補助事業などによって文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が進められ
てきた。(B9〜10)山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点における保全状態は
良好である。(B11)忍野八海天然記念物として指定されている範囲は水面に限
られており、私有地が隣接しているため、周辺環境を含めた保全状態に課題がある
。しかし、忍野村が景観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を行っている。(B
12)船津胎内樹型現時点における保全状態は良好である。(B13)吉田胎内樹
型内部の溶岩の盗掘や人の侵入による破壊を防ぐために本穴入り口は施錠されて

83 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:48:31.46 ID:GFydl90A0.net
高煙突の撤去が静岡県の政策(富士地域煙突ゼロ作戦)として
実施されている。48b)資産に与える影響の要因1)開発の
圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工作物の建設
、土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、
文化財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、海
岸法及び関係市町村が定める条例(景観法に基づき策定された
景観条例等)の下に、それらの規模、形態・構造に関する規制
(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意匠等
の規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させ
るような開発は起り得ない。「富士山世界遺産両県協議会」(
設置予定・仮称)では、両県の知事・市町村長を中心に、許認
可・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コン
トロールのあり方について検討を行う予定である。開発計画の
うち、現在北麓(山梨県)においては都市計画区域用途地域ま
たは都市計画区域外では5ha以上、都市計画内(用途地域外
)では10ha以上の計画については、山梨県内の組織である
「山梨県土地利用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の
同意が必要とされている。その同意を得た後で、個別法令の許
認可を担当する部署での手続きを行うことになっており、一元
化した組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われ
ている。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定
規模以上の開発行為については、「富士山世界遺産両県協議会
」へ報告がなされ、必要に応じて個別法令の許認可を担当する
部署に対して助言等がなされる予定である。また、各市町村の
景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努めること
としているほか、世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産一
覧表への記載の可能性のある文化資産に相応しい周辺市街地を
創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施すること
としている。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては
、いずれにおいても資産への影響を最小限に留めるよう関係機
関・団体と調整を行うことし、実施する場合にも事前に十分な
協議を行うこととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴル

84 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:54:40.26 ID:78FOTcTx0.net
、2010年10月にその交代が行われる(三代目は樹齢約30
0〜400年と推定されている)。また、現在静岡市が保存管理
計画の改訂を行っている。なお、資産範囲・緩衝地帯範囲には含
まれないが、三保松原の富士山方向の対岸に当たる富士市の工業
地帯においては、現在使用していない高煙突の撤去が静岡県の政
策(富士地域煙突ゼロ作戦)として実施されている。48b)資
産に与える影響の要因1)開発の圧力資産及びその緩衝地帯にお
いて、建築物又は工作物の建設、土地の形質変更、木竹の伐採等
の等の行為を行う場合には、文化財保護法、自然公園法、都市計
画法、森林法、河川法、海岸法及び関係市町村が定める条例(景
観法に基づき策定された景観条例等)の下に、それらの規模、形
態・構造に関する規制(建築物又は工作物に関しては、それらの
高さ・色彩・意匠等の規制を含む)が行われるため、資産の価値
を著しく低下させるような開発は起り得ない。「富士山世界遺産
両県協議会」(設置予定・仮称)では、両県の知事・市町村長を
中心に、許認可・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把
握し、コントロールのあり方について検討を行う予定である。開
発計画のうち、現在北麓(山梨県)においては都市計画区域用途
地域または都市計画区域外では5ha以上、都市計画内(用途地
域外)では10ha以上の計画については、山梨県内の組織であ
る「山梨県土地利用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の
同意が必要とされている。その同意を得た後で、個別法令の許認
可を担当する部署での手続きを行うことになっており、一元化し
た組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われている
。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定規模以上
の開発行為については、「富士山世界遺産両県協議会」へ報告が
なされ、必要に応じて個別法令の許認可を担当する部署に対して
助言等がなされる予定である。また、各市町村の景観計画の下に
、各市町村は景観阻害要因の排除に努めることとしているほか、
世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産一覧表への記載の可能
性のある文化資産に相応しい周辺市街地を創出するために適切な
景観の保全・改善の施策を実施することとしている。なお、次

85 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:55:04.47 ID:78FOTcTx0.net
り、現時点における保全状態は良好である。(B14)人穴富士講遺跡碑塔群はお
おむね良好な状態であるが、一部の碑塔に修理が必要である。(B15)白糸ノ滝
現状では滝壺周辺に売店があるなど景観面において課題がある。このため、富士宮
市が中心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今後適切な整備
がなされる予定である。滝の自然崩壊については特に対策は採られていない。(C
)三保松原現状では1960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図
るため、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響を与えている
。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)による松枯れがみ
られるため、薬剤注入・散布による予防措置及び植林、枯れた松の除去が実施され
ている。現在これらの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好な
保全状態となることは確実である。なお、三保松原の象徴的存在である羽衣の松は
1707年の宝永噴火とその前後の地震により初代とされる松が失われたため、現
在の松(樹齢約650年)を指定した。しかし、この松も台風による幹の損傷で樹
勢が衰え、2010年10月にその交代が行われる(三代目は樹齢約300〜40
0年と推定されている)。また、現在静岡市が保存管理計画の改訂を行っている。
なお、資産範囲・緩衝地帯範囲には含まれないが、三保松原の富士山方向の対岸に
当たる富士市の工業地帯においては、現在使用していない高煙突の撤去が静岡県の
政策(富士地域煙突ゼロ作戦)として実施されている。48b)資産に与える影響
の要因1)開発の圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工作物の建設、
土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、文化財保護法、自然公
園法、都市計画法、森林法、河川法、海岸法及び関係市町村が定める条例(景観法
に基づき策定された景観条例等)の下に、それらの規模、形態・構造に関する規制
(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意匠等の規制を含む)が行
われるため、資産の価値を著しく低下させるような開発は起り得ない。「富士山

86 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 01:55:22.13 ID:GFydl90A0.net
場・スキー場)緩衝地帯に位置するホテル等については、自然
公園法に基づき、高さ・色彩・意匠等の規制が行われており、
既存施設の改築についても同様である。特に山体の五合目以上
、本栖湖からの展望線の核心部は自然公園法の特別保護地区、
第1種特別地域となっており、新規の構造物の建築は禁止され
ている。また、富士山北麓(山梨県)では新規の10ha以上
のゴルフ場開発については凍結されている。(2)廃棄物処分
場又は清掃工場現時点で計画なし。(※演習場内の解放地に

87 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:00:45.46 ID:78FOTcTx0.net
掲げる開発計画等の立案に当たっては、いずれにおいても資産へ
の影響を最小限に留めるよう関係機関・団体と調整を行うことし
、実施する場合にも事前に十分な協議を行うこととしている。(
1)観光開発(ホテル・ゴルフ場・スキー場)緩衝地帯に位置す
るホテル等については、自然公園法に基づき、高さ・色彩・意匠
等の規制が行われており、既存施設の改築についても同様である
。特に山体の五合目以上、本栖湖からの展望線の核心部は自然公
園法の特別保護地区、第1種特別地域となっており、新規の構造
物の建築は禁止されている。また、富士山北麓(山梨県)では新
規の10ha以上のゴルフ場開発については凍結されている。(
2)廃棄物処分場又は清掃工場現時点で計画なし。(※演習場内
の解放地に御殿場市・小山町広域行政組合によるゴミ処理施設の
計画あり。)(3)工場又は工業団地現時点で計画なし。(北口
本宮冨士浅間神社の南600mの地域に、工場進出の計画あり。
)(4)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅間神社と
御師住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画されている。当
該道路計画においては、市、県、国等の関係機関と有識者からな
る「富士北麓地域交通円滑化対策検討会」において、計画案の検
討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景観に調和した道路の意
匠・構造とすることとしており、当該資産の価値の保護に影響は
ない。49県道山中湖忍野富士吉田線の新倉トンネルは、河口湖
畔と富士吉田市中心部をトンネルで結ぶ計画である。河口湖湖畔
の渋滞解消、火山防災のバイパスとすることを目的としており、
当該資産の価値の保護に影響はない。また、道路改良事業として
、線形改良、歩道設置など来訪者の安全性向上を図ることを目的
とした事業が行われ、景観に配慮した内容とするよう調整してい
る。2)環境の圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的
環境の変化として、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う
噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降
灰後の降雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の損傷
が予測される。「大沢崩れ」が約1000年前より始まり、現在
その幅は年1.6mの割合で拡大している(富士砂防・S45

88 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:01:09.54 ID:78FOTcTx0.net
界遺産両県協議会」(設置予定・仮称)では、両県の知事・市町村長を中心に、許
認可・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コントロールのあり方
について検討を行う予定である。開発計画のうち、現在北麓(山梨県)においては
都市計画区域用途地域または都市計画区域外では5ha以上、都市計画内(用途地
域外)では10ha以上の計画については、山梨県内の組織である「山梨県土地利
用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の同意が必要とされている。その同

89 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:01:25.05 ID:GFydl90A0.net
殿場市・小山町広域行政組合によるゴミ処理施設の計画あり。
)(3)工場又は工業団地現時点で計画なし。(北口本宮冨士
浅間神社の南600mの地域に、工場進出の計画あり。)(4
)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅間神社と御師
住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画されている。当該
道路計画においては、市、県、国等の関係機関と有識者からな
る「富士北麓地域交通円滑化対策検討会」において、計画案の
検討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景観に調和した道路
の意匠・構造とすることとしており、当該資産の価値の保護に
影響はない。49県道山中湖忍野富士吉田線の新倉トンネルは
、河口湖畔と富士吉田市中心部をトンネルで結ぶ計画である。
河口湖湖畔の渋滞解消、火山防災のバイパスとすることを目的
としており、当該資産の価値の保護に影響はない。また、道路
改良事業として、線形改良、歩道設置など来訪者の安全性向上
を図ることを目的とした事業が行われ、景観に配慮した内容と
するよう調整している。2)環境の圧力資産の価値を著しく低
下させるような自然的環境の変化として、山体の形状を変化さ
せる噴火及びそれに伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、
融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降雨による土石流などによる
登山道及び周辺の資産の損傷が予測される。「大沢崩れ」が約
1000年前より始まり、現在その幅は年1.6mの割合で拡
大している(富士砂防・S45〜H20の38年間で約60m
・3400メートル地点・523万?・年13.8?の土砂が
流出)。ただし、噴火・地震等がなければ少なくとも200年
後までは富士山の景観に大きな変化はないと予測されている(
「富士火山」P407〜)。酸性雨を含む大気汚染が引き起こ
す被害については、現段階では確認されていない。白糸ノ滝で
は、滝自体の浸食により年2cmの割合で後退しており、10
年程度の間隔で自然崩壊が発生する。砂嘴である三保松原では
20世紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発になり、堆
積活動が減少したことで海流による海岸浸食が進んでいたが、
現在は土砂採取の禁止等により、堆積活動が回復している。

90 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:06:51.47 ID:78FOTcTx0.net
H20の38年間で約60m・3400メートル地点・523万
?・年13.8?の土砂が流出)。ただし、噴火・地震等がなけ
れば少なくとも200年後までは富士山の景観に大きな変化はな
いと予測されている(「富士火山」P407〜)。酸性雨を含む
大気汚染が引き起こす被害については、現段階では確認されてい
ない。白糸ノ滝では、滝自体の浸食により年2cmの割合で後退
しており、10年程度の間隔で自然崩壊が発生する。砂嘴である
三保松原では20世紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発
になり、堆積活動が減少したことで海流による海岸浸食が進んで
いたが、現在は土砂採取の禁止等により、堆積活動が回復してい
る。また、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセ
ンチュウ)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・
散布による予防措置及び植林、枯れた松の除去を資産の所在する
静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡大を防止している。
3)自然災害と危機管理資産の所在地域における自然災害として
は、第一に富士山特有のものとして山体及び側火山からの噴火及
びそれに伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥
流、降灰、降灰後の降雨による土石流などが予想されるとともに
、数年単位で発生する山体における雪崩(特に大量の水分を含ん
だ雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴う土石流、強風
、雨水による浸食などが考えられる。また、富士山を含む駿河湾
沿いの地域はM8クラスの海洋プレート内地震の発生が予測され
ている。第二に日本列島の太平洋側における一般的自然災害であ
る台風・大雨・洪水並びに火災等が予測されている。第三に三保
松原に関しては海岸浸食に伴う高潮などの被害がある。これらに
ついてそれぞれ以下のような防災対策を講じている。噴火及びそ
れに伴う災害に対しては、気象庁をはじめとする研究・防災機関
が常時観測を行うと同時に、国の富士山ハザードマップ検討委員
会報告書(2004年)に基づき県及び市町村において火山防災
計画(ハザードマップ・避難計画)などを策定している。雪崩に
ついては、吉田口登山道では馬返より上の登山道に浸透桝を設け
、雨水や雪崩による崩壊を防いでいる。土砂崩れ・土石流(主

91 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:07:14.66 ID:78FOTcTx0.net
を得た後で、個別法令の許認可を担当する部署での手続きを行うことになっており
、一元化した組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われている。こう
した大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定規模以上の開発行為については、
「富士山世界遺産両県協議会」へ報告がなされ、必要に応じて個別法令の許認可を
担当する部署に対して助言等がなされる予定である。また、各市町村の景観計画の
下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努めることとしているほか、世界遺産暫定
一覧表に記載され、世界遺産一覧表への記載の可能性のある文化資産に相応しい周
辺市街地を創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施することとしてい
る。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、いずれにおいても資産への
影響を最小限に留めるよう関係機関・団体と調整を行うことし、実施する場合にも
事前に十分な協議を行うこととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴルフ場・ス
キー場)緩衝地帯に位置するホテル等については、自然公園法に基づき、高さ・色
彩・意匠等の規制が行われており、既存施設の改築についても同様である。特に山
体の五合目以上、本栖湖からの展望線の核心部は自然公園法の特別保護地区、第1
種特別地域となっており、新規の構造物の建築は禁止されている。また、富士山北
麓(山梨県)では新規の10ha以上のゴルフ場開発については凍結されている。
(2)廃棄物処分場又は清掃工場現時点で計画なし。(※演習場内の解放地に御殿
場市・小山町広域行政組合によるゴミ処理施設の計画あり。)(3)工場又は工業
団地現時点で計画なし。(北口本宮冨士浅間神社の南600mの地域に、工場進出
の計画あり。)(4)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅間神社と御師
住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画されている。当該道路計画においては
、市、県、国等の関係機関と有識者からなる「富士北麓地域交通円滑化対策検討会
」において、計画案の検討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景観に調和した道
路の意匠・構造とすることとしており、当該資産の価値の保護に影響はない。4

92 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:07:29.90 ID:GFydl90A0.net
た、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセンチ
ュウ)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・散
布による予防措置及び植林、枯れた松の除去を資産の所在する
静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡大を防止している
。3)自然災害と危機管理資産の所在地域における自然災害と
しては、第一に富士山特有のものとして山体及び側火山からの
噴火及びそれに伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪
型火山泥流、降灰、降灰後の降雨による土石流などが予想され
るとともに、数年単位で発生する山体における雪崩(特に大量
の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴
う土石流、強風、雨水による浸食などが考えられる。また、富
士山を含む駿河湾沿いの地域はM8クラスの海洋プレート内地
震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側におけ
る一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予測
されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮な
どの被害がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対
策を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁
をはじめとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国
の富士山ハザードマップ検討委員会報告書(2004年)に基
づき県及び市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避
難計画)などを策定している。雪崩については、吉田口登山道
では馬返より上の登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩
壊を防いでいる。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)について
は国が中心となり、源頭部における水分と土砂の分離、山麓に
おける土石流災害防止を目的とした遊砂地の設置などを行って
いる。また、登山道を管理する県では導流堤を設置し、落石の
落下先をコントロールしている。これらの災害は発生自体を防
止することは困難であるため、その被害を最小限にとどめるこ
とを対策の骨子としている。50地震に関する対策としては、
大規模地震対策特別措置法(1978年)に基づき、予知を目
的とした観測体制、予知を前提とした非難・警戒体制、防災施
設整備が行われるとともに、東海地震対策大綱(2003)

93 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:13:07.22 ID:78FOTcTx0.net
大沢崩れ)については国が中心となり、源頭部における水分と土
砂の分離、山麓における土石流災害防止を目的とした遊砂地の設
置などを行っている。また、登山道を管理する県では導流堤を設
置し、落石の落下先をコントロールしている。これらの災害は発
生自体を防止することは困難であるため、その被害を最小限にと
どめることを対策の骨子としている。50地震に関する対策と

94 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:13:36.18 ID:78FOTcTx0.net
県道山中湖忍野富士吉田線の新倉トンネルは、河口湖畔と富士吉田市中心部をトン
ネルで結ぶ計画である。河口湖湖畔の渋滞解消、火山防災のバイパスとすることを
目的としており、当該資産の価値の保護に影響はない。また、道路改良事業として
、線形改良、歩道設置など来訪者の安全性向上を図ることを目的とした事業が行わ
れ、景観に配慮した内容とするよう調整している。2)環境の圧力資産の価値を著
しく低下させるような自然的環境の変化として、山体の形状を変化させる噴火及び
それに伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の
降雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の損傷が予測される。「大沢崩
れ」が約1000年前より始まり、現在その幅は年1.6mの割合で拡大している
(富士砂防・S45〜H20の38年間で約60m・3400メートル地点・52
3万?・年13.8?の土砂が流出)。ただし、噴火・地震等がなければ少なくと
も200年後までは富士山の景観に大きな変化はないと予測されている(「富士火
山」P407〜)。酸性雨を含む大気汚染が引き起こす被害については、現段階で
は確認されていない。白糸ノ滝では、滝自体の浸食により年2cmの割合で後退し
ており、10年程度の間隔で自然崩壊が発生する。砂嘴である三保松原では20世
紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発になり、堆積活動が減少したことで海
流による海岸浸食が進んでいたが、現在は土砂採取の禁止等により、堆積活動が回
復している。また、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセンチュウ
)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・散布による予防措置及び植
林、枯れた松の除去を資産の所在する静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡
大を防止している。3)自然災害と危機管理資産の所在地域における自然災害とし
ては、第一に富士山特有のものとして山体及び側火山からの噴火及びそれに伴う噴
石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降雨による土
石流などが予想されるとともに、数年単位で発生する山体における雪崩(特に大

95 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:14:01.71 ID:GFydl90A0.net
基づき国・県・市町村の防災計画が策定されている。また、今
後各神社等の耐震化が行われる計画となっている。台風は19
96年9月に富士山南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害
(標高1100〜1200m中心、計1125ha、富士山で
は約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがあ
るため、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して
自生種(ブナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実
施している。また、風倒による被害を防ぐため人工林における
下刈を実施している。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂
防堰堤の建設や河川の改修などにより、大雨時の洪水に対する
防止策を講じている。山火事に対しては、国、県、市町村の連
絡・協力体制を確立し、草原地帯においては防火帯を設け、大
規模な火災に対して最大限の対応を可能としている。建造物の
火災に対しては自動火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓
、放水銃などを設置しているほか、自主防火組織も整備するな
ど、万全を期しているので問題ない。万一、上記の災害が発生
した場合においても、速やかに現状復旧の対策を講じるための
制度及び体制を完備しており、資産の価値が減じることはない
。三保松原においては、高潮対策事業として安倍川(土砂供給
源)下流部での砂利採取を1968年より海岸浸食の原因の一
因と考え禁止するとともに、1989年より34年計画(20
34年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海岸
保全対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割
合で砂浜の回復が進行している。現在ヘッドランドの一部が景
観に影響を与えているが、砂浜の回復後に撤去する計画が進ん
でいる。登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「富士
山登山指導センター(山頂と富士宮口新五合目)」、「富士山
安全指導センター(吉田口六合目)」と「富士山衛生センター
(富士宮口八合目)」が設けられている。また、富士宮口のす
べて、吉田口七合目以上のほとんどの山小屋にはAEDが設置
されている。(御殿場口はなし、須走口は1軒・東富士山荘)
4)来訪者及び観光の圧力富士山の構成資産のうち私有財産で

96 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:21:24.96 ID:78FOTcTx0.net
の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴う土石流、強風、雨
水による浸食などが考えられる。また、富士山を含む駿河湾沿いの地域はM8クラ
スの海洋プレート内地震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側にお
ける一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予測されている。第三
に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮などの被害がある。これらについてそれ
ぞれ以下のような防災対策を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気
象庁をはじめとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国の富士山ハザー
ドマップ検討委員会報告書(2004年)に基づき県及び市町村において火山防災
計画(ハザードマップ・避難計画)などを策定している。雪崩については、吉田口
登山道では馬返より上の登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊を防いでい
る。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)については国が中心となり、源頭部におけ
る水分と土砂の分離、山麓における土石流災害防止を目的とした遊砂地の設置など
を行っている。また、登山道を管理する県では導流堤を設置し、落石の落下先をコ
ントロールしている。これらの災害は発生自体を防止することは困難であるため、
その被害を最小限にとどめることを対策の骨子としている。50地震に関する対策
としては、大規模地震対策特別措置法(1978年)に基づき、予知を目的とした
観測体制、予知を前提とした非難・警戒体制、防災施設整備が行われるとともに、
東海地震対策大綱(2003)に基づき国・県・市町村の防災計画が策定されてい
る。また、今後各神社等の耐震化が行われる計画となっている。台風は1996年
9月に富士山南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害(標高1100〜1200
m中心、計1125ha、富士山では約935haうち国有林620ha)をもた
らしたことがあるため、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して自生
種(ブナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している。また、風倒
による被害を防ぐため人工林における下刈を実施している。大雨・洪水に関して

97 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:21:53.83 ID:GFydl90A0.net
ある小佐野家住宅(御師住宅)を除いた資産はすべて公開され
ている。ただし山体資産範囲については登山道及び山頂部以外
は土地所有者(国、県、富士山本宮浅間大社)の了解が必要で
あり、安全上の観点からも県が登山道からの逸脱を好ましくな
い行為として事実上立入を制限している。山体以外の資産につ
いては、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物等の構成資産を
護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視及び監視の
体制を整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムは採用

98 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:27:13.15 ID:78FOTcTx0.net
れている。(御殿場口はなし、須走口は1軒・東富士山荘)4)
来訪者及び観光の圧力富士山の構成資産のうち私有財産である小
佐野家住宅(御師住宅)を除いた資産はすべて公開されている。
ただし山体資産範囲については登山道及び山頂部以外は土地所有
者(国、県、富士山本宮浅間大社)の了解が必要であり、安全上
の観点からも県が登山道からの逸脱を好ましくない行為として事
実上立入を制限している。山体以外の資産については、き損・悪
戯・盗難等の被害から建造物等の構成資産を護るために、防犯警
備施設を設置するとともに巡視及び監視の体制を整備し(山宮・
村山・人穴等では防犯システムは採用されていない)、来訪者に
よるゴミの増加等に対しても地域住民や関係市町村が適切な管理
を行っていることから、観光による圧力が資産の価値を著しく低
下させるようなことは起こり得ない。山体に関しては、観光客に
よるごみ及びし尿、並びに自動車で訪れる来訪者(富士山スカイ
ラインでは4月〜11月の合計で年平均127,000台・19
99〜2009年、富士スバルラインで年平均410,000台
・2006〜2008年)による環境への負荷及び混雑の軽減を
目的に以下の対策を行った。ごみに関しては国・県及びNPO法
人(富士山ネットワーク・富士山クラブ)、ボランティアによ5
1る清掃作業が活発に実施されるとともに(平成20年実績・9
2回、約64t、延べ参加人数約7000名)、外国人も含め登
山者に対してマナー向上を呼びかけ、登山道周辺のごみは減少し
ている。山頂部で発生するごみについては山小屋組合(富士山吉
田口旅館組合等)により、山麓に搬出し、適切に管理・処理され
ている。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のトイレ48箇所
を2006年までにバイオ処理式等に改良し、環境への負荷を軽
減した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に対応するため、
環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検討しており、
今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんとしていくこ
とが確認された。自動車に関しては、土日・休日を中心に各登山
道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用者の多い富
士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない御殿場口はな

99 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:27:39.31 ID:78FOTcTx0.net
堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河川の改修などにより、大雨時の洪水に対する防
止策を講じている。山火事に対しては、国、県、市町村の連絡・協力体制を確立し
、草原地帯においては防火帯を設け、大規模な火災に対して最大限の対応を可能と
している。建造物の火災に対しては自動火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓
、放水銃などを設置しているほか、自主防火組織も整備するなど、万全を期してい
るので問題ない。万一、上記の災害が発生した場合においても、速やかに現状復

100 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:27:54.60 ID:GFydl90A0.net
れていない)、来訪者によるゴミの増加等に対しても地域住民
や関係市町村が適切な管理を行っていることから、観光による
圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得な
い。山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿、並びに自動
車で訪れる来訪者(富士山スカイラインでは4月〜11月の合
計で年平均127,000台・1999〜2009年、富士ス
バルラインで年平均410,000台・2006〜2008年
)による環境への負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行
った。ごみに関しては国・県及びNPO法人(富士山ネットワ
ーク・富士山クラブ)、ボランティアによ51る清掃作業が活
発に実施されるとともに(平成20年実績・92回、約64t
、延べ参加人数約7000名)、外国人も含め登山者に対して
マナー向上を呼びかけ、登山道周辺のごみは減少している。山
頂部で発生するごみについては山小屋組合(富士山吉田口旅館
組合等)により、山麓に搬出し、適切に管理・処理されている
。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のトイレ48箇所を2
006年までにバイオ処理式等に改良し、環境への負荷を軽減
した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に対応するため、
環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検討しており
、今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんとしてい
くことが確認された。自動車に関しては、土日・休日を中心に
各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用者
の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない御殿
場口はなし)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトル
バスによる輸送を行っている。吉田口においては2011年夏
には富士吉田IC付近に1400台の駐車場を整備し、自家用
車の利用規制を15日に拡大する予定である。5)資産と緩衝
地帯の居住者人口構成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計
:人集計年:2010年No.構成資産の名称構成資産範囲内
人口(人)緩衝地帯内人口(人)合計(人)富士山A1山頂信
仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登
山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A

101 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:33:12.83 ID:78FOTcTx0.net
)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトルバスによる輸
送を行っている。吉田口においては2011年夏には富士吉田I
C付近に1400台の駐車場を整備し、自家用車の利用規制を1
5日に拡大する予定である。5)資産と緩衝地帯の居住者人口構
成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計:人集計年:2010
年No.構成資産の名称構成資産範囲内人口(人)緩衝地帯内人
口(人)合計(人)富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登
山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖AA9本栖湖B1富士山
本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)B6河口浅間神社B7冨士
御室浅間神社B8御師住宅52B9山中湖B10河口湖B11忍
野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴冨士講
遺跡B15白糸ノ滝C三保松原535.資産の保護の管理a)所
有関係各構成資産の所在地及び所有者については、以下に記すと
おりである。b)法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財
に指定された「記念工作物」「建造物群」、史跡、特別名勝又は
名勝、54特別天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」
は、古社寺保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存
法(1919年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下
に適切な保護が行われてきた。また、1950年には、それらの
諸法を統合・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在
に至るまで、個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が
講じられてきた。富士山の山体及び北側の構成資産の範囲におい
ては、さらに国立公園法(1936年制定)、それを改定した自
然公園法(1957年制定)により、その優れた自然の風景地が
保護されてきた。17個の構成資産の指定保護の状況については
、以下に示すとおりである。(A)富士山1936年2月1日:
富士箱根国立公園の指定(1952年10月7日:名勝富士山の
指定1952年11月22日:特別名勝富士山の指定1966年
10月6日:特別名勝富士山の指定地域の変更(A1)山頂信仰
遺跡(特別名勝範囲内・Aに同じ)史跡富士山の指定予定(A

102 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:33:36.11 ID:78FOTcTx0.net
の対策を講じるための制度及び体制を完備しており、資産の価値が減じることはな
い。三保松原においては、高潮対策事業として安倍川(土砂供給源)下流部での砂
利採取を1968年より海岸浸食の原因の一因と考え禁止するとともに、1989
年より34年計画(2034年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による
海岸保全対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割合で砂浜の回復
が進行している。現在ヘッドランドの一部が景観に影響を与えているが、砂浜の回
復後に撤去する計画が進んでいる。登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、
「富士山登山指導センター(山頂と富士宮口新五合目)」、「富士山安全指導セン
ター(吉田口六合目)」と「富士山衛生センター(富士宮口八合目)」が設けられ
ている。また、富士宮口のすべて、吉田口七合目以上のほとんどの山小屋にはAE
Dが設置されている。(御殿場口はなし、須走口は1軒・東富士山荘)4)来訪者
及び観光の圧力富士山の構成資産のうち私有財産である小佐野家住宅(御師住宅)
を除いた資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲については登山道及び
山頂部以外は土地所有者(国、県、富士山本宮浅間大社)の了解が必要であり、安
全上の観点からも県が登山道からの逸脱を好ましくない行為として事実上立入を制
限している。山体以外の資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物等
の構成資産を護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視及び監視の体制を
整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムは採用されていない)、来訪者によ
るゴミの増加等に対しても地域住民や関係市町村が適切な管理を行っていることか
ら、観光による圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得ない。
山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿、並びに自動車で訪れる来訪者(富士
山スカイラインでは4月〜11月の合計で年平均127,000台・1999〜2
009年、富士スバルラインで年平均410,000台・2006〜2008年)
による環境への負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行った。ごみに関して

103 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:33:54.59 ID:GFydl90A0.net
精進湖AA9本栖湖B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社
B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5冨士浅間神社(須走浅
間神社)B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅
52B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型B13吉田胎内樹型B14人穴冨士講遺跡B15白糸ノ滝C
三保松原535.資産の保護の管理a)所有関係各構成資産の
所在地及び所有者については、以下に記すとおりである。b)
法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財に指定された「
記念工作物」「建造物群」、史跡、特別名勝又は名勝、54特
別天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」は、古社寺
保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存法(19
19年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下に適切
な保護が行われてきた。また、1950年には、それらの諸法
を統合・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在に
至るまで、個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が
講じられてきた。富士山の山体及び北側の構成資産の範囲にお
いては、さらに国立公園法(1936年制定)、それを改定し
た自然公園法(1957年制定)により、その優れた自然の風
景地が保護されてきた。17個の構成資産の指定保護の状況に
ついては、以下に示すとおりである。(A)富士山1936年
2月1日:富士箱根国立公園の指定(1952年10月7日:
名勝富士山の指定1952年11月22日:特別名勝富士山の
指定1966年10月6日:特別名勝富士山の指定地域の変更
(A1)山頂信仰遺跡(特別名勝範囲内・Aに同じ)史跡富士
山の指定予定(A2)大宮・村山口登山道史跡富士山の指定予
定(A3)須山口登山道(一部のみ特別名勝範囲外・範囲内は
Aに同じ)史跡富士山の指定予定(A4)須走口登山道史跡富
士山の指定予定(A5)吉田口登山道(特別名勝範囲内・Aに
同じ)史跡富士山の指定予定(A6)北口本宮冨士浅間神社1
907年8月28日:特別保護建造物(富士嶽神社境内東宮本
殿)の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅
間神社本殿の指定1953年3月31日:重要文化財北口本

104 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:39:05.51 ID:78FOTcTx0.net
)大宮・村山口登山道史跡富士山の指定予定(A3)須山口登山
道(一部のみ特別名勝範囲外・範囲内はAに同じ)史跡富士山の
指定予定(A4)須走口登山道史跡富士山の指定予定(A5)吉
田口登山道(特別名勝範囲内・Aに同じ)史跡富士山の指定予定
(A6)北口本宮冨士浅間神社1907年8月28日:特別保護
建造物(富士嶽神社境内東宮本殿)の指定1953年3月31日
:重要文化財北口本宮冨士浅間神社本殿の指定1953年3月3
1日:重要文化財北口本宮冨士浅間神社西宮本殿の指定史跡富

105 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:39:30.80 ID:78FOTcTx0.net
国・県及びNPO法人(富士山ネットワーク・富士山クラブ)、ボランティアによ
51る清掃作業が活発に実施されるとともに(平成20年実績・92回、約64t
、延べ参加人数約7000名)、外国人も含め登山者に対してマナー向上を呼びか
け、登山道周辺のごみは減少している。山頂部で発生するごみについては山小屋組
合(富士山吉田口旅館組合等)により、山麓に搬出し、適切に管理・処理されてい
る。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のトイレ48箇所を2006年までにバ
イオ処理式等に改良し、環境への負荷を軽減した。さらに、登山者の増加や設備の
老朽化に対応するため、環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検討して
おり、今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんとしていくことが確認さ
れた。自動車に関しては、土日・休日を中心に各登山道の利用者数に応じて自家用
車の利用を規制し(利用者の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少な
い御殿場口はなし)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトルバスによる輸
送を行っている。吉田口においては2011年夏には富士吉田IC付近に1400
台の駐車場を整備し、自家用車の利用規制を15日に拡大する予定である。5)資
産と緩衝地帯の居住者人口構成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計:人集計年
:2010年No.構成資産の名称構成資産範囲内人口(人)緩衝地帯内人口(人
)合計(人)富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A
4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
A9本栖湖B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅
間神社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社
B8御師住宅52B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B1
3吉田胎内樹型B14人穴冨士講遺跡B15白糸ノ滝C三保松原535.資産の保
護の管理a)所有関係各構成資産の所在地及び所有者については、以下に記すとお
りである。b)法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財に指定された「記

106 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:39:48.01 ID:GFydl90A0.net
冨士浅間神社西宮本殿の指定史跡富士山の指定予定(A7)西
湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五
湖の指定予定55(A8)精進湖1936年2月1日:富士箱
根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(A9)本栖湖※
本栖湖からの展望面含む1926年2月24日:天然紀念物富
士山原始林の指定1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(2010年3月8日:天然記念物富士山原始林及び青木ヶ
原樹海の指定名勝富士五湖の指定予定(B1)富士山本宮浅間
大社1907年5月27日:特別保護建造物浅間神社本殿の指
定1944年11月7日:天然紀念物湧玉池の指定1952年
3月29日:特別天然記念物湧玉池の指定史跡富士山の指定予
定(B2)山宮浅間神社史跡富士山の指定予定(B3)村山浅
間神社史跡富士山の指定予定(B4)須山浅間神社史跡富士山
の指定予定(B5)冨士浅間神社(須走浅間神社)史跡富士山
の指定予定(B6)河口浅間神社史跡富士山の指定予定(B7
)冨士御室浅間神社1985年5月18日:重要文化財冨士御
室浅間神社本殿の指定史跡富士山の指定予定(B8)御師住宅
1976年5月20日:重要文化財小佐野家住宅の指定重要文
化財旧外川家住宅の指定予定(B9)山中湖561936年2
月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(
B10)河口湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定
(名勝富士五湖の指定予定(B11)忍野八海1934年5月
1日:天然紀念物忍野八海の指定(B12)船津胎内樹型19
29年12月17日:天然紀念物船津胎内樹型の指定(B13
)吉田胎内樹型1929年12月17日:天然紀念物吉田胎内
樹型の指定(B14)人穴富士講遺跡史跡富士山の指定予定(
B15)白糸ノ滝1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(1936年3月6日:名勝及天然紀念物白糸ノ滝の指定(
C)三保松原1922年3月8日名勝三保松原の指定1977
年4月1日名勝三保松原の一部指定解除1990年3月29日
名勝三保松原の追加指定及び一部指定解除c)保護の実施手段
1)資産各構成資産については、遺跡、記念工作物、建築物

107 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:45:04.41 ID:78FOTcTx0.net
山の指定予定(A7)西湖1936年2月1日:富士箱根国立公
園の指定(名勝富士五湖の指定予定55(A8)精進湖1936
年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定
(A9)本栖湖※本栖湖からの展望面含む1926年2月24日
:天然紀念物富士山原始林の指定1936年2月1日:富士箱根
国立公園の指定(2010年3月8日:天然記念物富士山原始林
及び青木ヶ原樹海の指定名勝富士五湖の指定予定(B1)富士山
本宮浅間大社1907年5月27日:特別保護建造物浅間神社本
殿の指定1944年11月7日:天然紀念物湧玉池の指定195
2年3月29日:特別天然記念物湧玉池の指定史跡富士山の指定
予定(B2)山宮浅間神社史跡富士山の指定予定(B3)村山浅
間神社史跡富士山の指定予定(B4)須山浅間神社史跡富士山の
指定予定(B5)冨士浅間神社(須走浅間神社)史跡富士山の指
定予定(B6)河口浅間神社史跡富士山の指定予定(B7)冨士
御室浅間神社1985年5月18日:重要文化財冨士御室浅間神
社本殿の指定史跡富士山の指定予定(B8)御師住宅1976年
5月20日:重要文化財小佐野家住宅の指定重要文化財旧外川家
住宅の指定予定(B9)山中湖561936年2月1日:富士箱
根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(B10)河口湖1
936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指
定予定(B11)忍野八海1934年5月1日:天然紀念物忍野
八海の指定(B12)船津胎内樹型1929年12月17日:天
然紀念物船津胎内樹型の指定(B13)吉田胎内樹型1929年
12月17日:天然紀念物吉田胎内樹型の指定(B14)人穴富
士講遺跡史跡富士山の指定予定(B15)白糸ノ滝1936年2
月1日:富士箱根国立公園の指定(1936年3月6日:名勝及
天然紀念物白糸ノ滝の指定(C)三保松原1922年3月8日名
勝三保松原の指定1977年4月1日名勝三保松原の一部指定解
除1990年3月29日名勝三保松原の追加指定及び一部指定解
除c)保護の実施手段1)資産各構成資産については、遺跡、記
念工作物、建築物群のみならず、それらと密接な関連を持つ展望
線など、富士山の本質的価値を構成する諸要素を厳格かつ的確

108 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:45:49.97 ID:GFydl90A0.net
のみならず、それらと密接な関連を持つ展望線など、富士山の
本質的価値を構成する諸要素を厳格かつ的確に把握し、それら
をすべて含む範囲について、価値の中核をなす部分は文化財保
護法の下に指定(特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然
記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核をなす部
分を取り囲む地域の大部分は自然公園法の下に国立公園(国立
公園、県立自然公園)に指定している。これら範囲のうち、富
士山の顕著な普遍的価値を証明するために必要不可欠な範囲

109 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:46:10.71 ID:78FOTcTx0.net
工作物」「建造物群」、史跡、特別名勝又は名勝、54特別天然記念物又は天然記
念物に指定された「遺跡」は、古社寺保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀
念物保存法(1919年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下に適切な
保護が行われてきた。また、1950年には、それらの諸法を統合・改革して文化
財保護法が制定され、それ以後、現在に至るまで、個々の構成資産はこの法律の下
に万全の保護措置が講じられてきた。富士山の山体及び北側の構成資産の範囲にお

110 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:51:48.96 ID:78FOTcTx0.net
把握し、それらをすべて含む範囲について、価値の中核をなす部
分は文化財保護法の下に指定(特別名勝又は名勝、特別天然記念
物又は天然記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核
をなす部分を取り囲む地域の大部分は自然公園法の下に国立公園
(国立公園、県立自然公園)に指定している。これら範囲のうち
、富士山の顕著な普遍的価値を証明するために必要不可欠な範囲
を資産範囲とした。これらの範囲の大部分においては、国の許可
無くそれらの現状を変更することはできない。文化財保護法、自
然公園法の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われるこ
とはない。また、森林法に基づき森林の伐採に関しても適切な管
理が行われている。文化財保護法の定めるところにより、特別名
勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重57要文化財、
史跡の保存管理・修理・公開については、所有者又は管理団体が
適切に行うことを原則としている(法第31条・第32条の2、
第113条・第115条・第119条)。また、自然公園法が定
めるところにより、国立公園の管理と保護については、国又は管
理団体が適切に行うことを原則としている(法第9条、第37条
、第38条、第39条)。重要文化財に指定されている建造物の
修理に関して、部材の痕跡調査などから判明した原型への復元な
どの現状変更等を行おうとするときや、特別名勝又は名勝、特別
天然記念物又は天然記念物、史跡の指定地内において現状変更等
を行おうとするときは、あらかじめ文化庁長官の許可を得なけれ
ばならない(法第43条・第125条)。文化庁長官は国が設置
し、イコモス国内委員会委員を多数含む文化審議会文化財分科会
に対して当該現状変更等に関する諮問を行い、その答申を経て許
可することとしている。したがって、資産の現状を変更する場合
には、学術的かつ厳密な審査に基づく許可を必要としている。ま
た、国立公園(特別保護地区及び特別地域)の現状変更について
は、あらかじめ環境大臣の許可を得なければならない(法第13
条、第14条)。特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記
念物、重要文化財、史跡の管理と修理に対しては、必要に応じて
国が経費を補助し、技術的指導を行うこととしている(法第3

111 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:52:14.17 ID:78FOTcTx0.net
士山本宮浅間大社1907年5月27日:特別保護建造物浅間神社本殿の指定19
44年11月7日:天然紀念物湧玉池の指定1952年3月29日:特別天然記念
物湧玉池の指定史跡富士山の指定予定(B2)山宮浅間神社史跡富士山の指定予定
(B3)村山浅間神社史跡富士山の指定予定(B4)須山浅間神社史跡富士山の指
定予定(B5)冨士浅間神社(須走浅間神社)史跡富士山の指定予定(B6)河口
浅間神社史跡富士山の指定予定(B7)冨士御室浅間神社1985年5月18日

112 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:52:31.62 ID:GFydl90A0.net
資産範囲とした。これらの範囲の大部分においては、国の許可
無くそれらの現状を変更することはできない。文化財保護法、
自然公園法の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われ
ることはない。また、森林法に基づき森林の伐採に関しても適
切な管理が行われている。文化財保護法の定めるところにより
、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重57
要文化財、史跡の保存管理・修理・公開については、所有者又
は管理団体が適切に行うことを原則としている(法第31条・
第32条の2、第113条・第115条・第119条)。また
、自然公園法が定めるところにより、国立公園の管理と保護に
ついては、国又は管理団体が適切に行うことを原則としている
(法第9条、第37条、第38条、第39条)。重要文化財に
指定されている建造物の修理に関して、部材の痕跡調査などか
ら判明した原型への復元などの現状変更等を行おうとするとき
や、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、史跡
の指定地内において現状変更等を行おうとするときは、あらか
じめ文化庁長官の許可を得なければならない(法第43条・第
125条)。文化庁長官は国が設置し、イコモス国内委員会委
員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当該現状変更等
に関する諮問を行い、その答申を経て許可することとしている
。したがって、資産の現状を変更する場合には、学術的かつ厳
密な審査に基づく許可を必要としている。また、国立公園(特
別保護地区及び特別地域)の現状変更については、あらかじめ
環境大臣の許可を得なければならない(法第13条、第14条
)。特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要
文化財、史跡の管理と修理に対しては、必要に応じて国が経費
を補助し、技術的指導を行うこととしている(法第35条・第
47条・第118条)。国立公園の管理と保護は国が費用を負
担する(法43条)。また、管理団体が管理と保護を行う場合
、国が必要な情報の提供又は指導・助言を行う(法42条)。
資産範囲の国有林については森林施業計画により皆伐は年5h
aにとどめるなど景観への影響を最小限に留めるよう適切に

113 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:58:14.70 ID:78FOTcTx0.net
条・第47条・第118条)。国立公園の管理と保護は国が費用
を負担する(法43条)。また、管理団体が管理と保護を行う場
合、国が必要な情報の提供又は指導・助言を行う(法42条)。
資産範囲の国有林については森林施業計画により皆伐は年5ha
にとどめるなど景観への影響を最小限に留めるよう適切に保護・
管理されている。加えて国有林の大部分である保安林は指定施行
要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致しない伐採等には都
道府県知事の許可が必要である(法34条)。2)緩衝地帯緩衝
地帯の全域においては、文化財保護法、自然公園法、景観法(そ
れに基づく景観条例及び景観計画)、森林法、砂防法、海岸法、
又は関係各県・市町村が定める条例等の下に資産の周辺環境につ
いて万全な保全措置が講じられている。緩衝地帯の範囲について
は、資産から眺望できる山の稜線のほか、法律・条例等に基づく
境界、地籍境界、行政界、道路等の明確な境界などを考慮しつつ
、資産の保護に必要不可欠な範囲を定めた。山体の緩衝地帯につ
いては富士山を周辺ないし構成資産から展望した際、資産範囲を
含め良好な景観を形成する範囲を基準としている。この範囲の中
には演習場を挟んで、三保松原以外のすべての構成資産が含まれ
る。緩衝地帯において行われる建築物及び工作物の新築・増築・
改築、土地の形質変更等に係る行為、木竹の伐採については、許
可制や届出制に基づく規制を設けており、これらの行為に関する
重要な事項については、特に関係各市町村の景観審議会等による
調査、審議に基づき、関係市町村が事前に適切な指導や助言を行
うこととしている。なお、緩衝地帯設定の考え方や、行為規制等
の詳細については、本推薦書の付属資料及び別添参考資料を参照
されたい。緩衝地帯は大きく3つの方法により保護措置が講じら
れている。一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は
景観法に基づく各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市
・富士宮市ほ58か)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地
利用事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御
殿場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二番
目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいく

114 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:58:39.35 ID:78FOTcTx0.net
重要文化財冨士御室浅間神社本殿の指定史跡富士山の指定予定(B8)御師住宅1
976年5月20日:重要文化財小佐野家住宅の指定重要文化財旧外川家住宅の指
定予定(B9)山中湖561936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富
士五湖の指定予定(B10)河口湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定
(名勝富士五湖の指定予定(B11)忍野八海1934年5月1日:天然紀念物忍
野八海の指定(B12)船津胎内樹型1929年12月17日:天然紀念物船津胎
内樹型の指定(B13)吉田胎内樹型1929年12月17日:天然紀念物吉田胎
内樹型の指定(B14)人穴富士講遺跡史跡富士山の指定予定(B15)白糸ノ滝
1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(1936年3月6日:名勝及天然
紀念物白糸ノ滝の指定(C)三保松原1922年3月8日名勝三保松原の指定19
77年4月1日名勝三保松原の一部指定解除1990年3月29日名勝三保松原の
追加指定及び一部指定解除c)保護の実施手段1)資産各構成資産については、遺
跡、記念工作物、建築物群のみならず、それらと密接な関連を持つ展望線など、富
士山の本質的価値を構成する諸要素を厳格かつ的確に把握し、それらをすべて含む
範囲について、価値の中核をなす部分は文化財保護法の下に指定(特別名勝又は名
勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核
をなす部分を取り囲む地域の大部分は自然公園法の下に国立公園(国立公園、県立
自然公園)に指定している。これら範囲のうち、富士山の顕著な普遍的価値を証明
するために必要不可欠な範囲を資産範囲とした。これらの範囲の大部分においては
、国の許可無くそれらの現状を変更することはできない。文化財保護法、自然公園
法の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われることはない。また、森林法
に基づき森林の伐採に関しても適切な管理が行われている。文化財保護法の定める
ところにより、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重57要文化
財、史跡の保存管理・修理・公開については、所有者又は管理団体が適切に行う

115 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 02:58:56.20 ID:GFydl90A0.net
護・管理されている。加えて国有林の大部分である保安林は指
定施行要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致しない伐採
等には都道府県知事の許可が必要である(法34条)。2)緩
衝地帯緩衝地帯の全域においては、文化財保護法、自然公園法
、景観法(それに基づく景観条例及び景観計画)、森林法、砂
防法、海岸法、又は関係各県・市町村が定める条例等の下に資
産の周辺環境について万全な保全措置が講じられている。緩衝
地帯の範囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、
法律・条例等に基づく境界、地籍境界、行政界、道路等の明確
な境界などを考慮しつつ、資産の保護に必要不可欠な範囲を定
めた。山体の緩衝地帯については富士山を周辺ないし構成資産
から展望した際、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を
基準としている。この範囲の中には演習場を挟んで、三保松原
以外のすべての構成資産が含まれる。緩衝地帯において行われ
る建築物及び工作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に
係る行為、木竹の伐採については、許可制や届出制に基づく規
制を設けており、これらの行為に関する重要な事項については
、特に関係各市町村の景観審議会等による調査、審議に基づき
、関係市町村が事前に適切な指導や助言を行うこととしている
。なお、緩衝地帯設定の考え方や、行為規制等の詳細について
は、本推薦書の付属資料及び別添参考資料を参照されたい。緩
衝地帯は大きく3つの方法により保護措置が講じられている。
一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に
基づく各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市・富士
宮市ほ58か)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用
事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿
場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二番
目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいく
つかの資産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よ
りも狭く設定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法
により保護されている。これらの地域では適用する法令等に違
いはあるが、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新

116 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:04:38.34 ID:78FOTcTx0.net
かの資産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも
狭く設定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法により
保護されている。これらの地域では適用する法令等に違いはある
が、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築、増築、改
築、土地の形質変更等に係る行為については、許可制ないし承認
制・届出制に基づく規制が定められ、資産の周辺環境の万全な

117 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:05:03.73 ID:78FOTcTx0.net
とを原則としている(法第31条・第32条の2、第113条・第115条・第1
19条)。また、自然公園法が定めるところにより、国立公園の管理と保護につい
ては、国又は管理団体が適切に行うことを原則としている(法第9条、第37条、
第38条、第39条)。重要文化財に指定されている建造物の修理に関して、部材
の痕跡調査などから判明した原型への復元などの現状変更等を行おうとするときや
、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、史跡の指定地内において現
状変更等を行おうとするときは、あらかじめ文化庁長官の許可を得なければならな
い(法第43条・第125条)。文化庁長官は国が設置し、イコモス国内委員会委
員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当該現状変更等に関する諮問を行い
、その答申を経て許可することとしている。したがって、資産の現状を変更する場
合には、学術的かつ厳密な審査に基づく許可を必要としている。また、国立公園(
特別保護地区及び特別地域)の現状変更については、あらかじめ環境大臣の許可を
得なければならない(法第13条、第14条)。特別名勝又は名勝、特別天然記念
物又は天然記念物、重要文化財、史跡の管理と修理に対しては、必要に応じて国が
経費を補助し、技術的指導を行うこととしている(法第35条・第47条・第11
8条)。国立公園の管理と保護は国が費用を負担する(法43条)。また、管理団
体が管理と保護を行う場合、国が必要な情報の提供又は指導・助言を行う(法42
条)。資産範囲の国有林については森林施業計画により皆伐は年5haにとどめる
など景観への影響を最小限に留めるよう適切に保護・管理されている。加えて国有
林の大部分である保安林は指定施行要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致し
ない伐採等には都道府県知事の許可が必要である(法34条)。2)緩衝地帯緩衝
地帯の全域においては、文化財保護法、自然公園法、景観法(それに基づく景観条
例及び景観計画)、森林法、砂防法、海岸法、又は関係各県・市町村が定める条例
等の下に資産の周辺環境について万全な保全措置が講じられている。緩衝地帯の

118 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:05:22.02 ID:GFydl90A0.net
、増築、改築、土地の形質変更等に係る行為については、許可
制ないし承認制・届出制に基づく規制が定められ、資産の周辺
環境の万全な保護措置が講じられている。緩衝地帯に適用され
る諸法令等の概略法令名対象地区規制内容許認可文化財保護法
三保松原(一部)現状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立
公園)山体・静岡県・山梨県工作物の新築等、ごみ捨て又は放
置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等環境大臣の許
可(特別地域)、届出(普通地域)自然公園法(県立自然公園
)県立自然公園条例三保松原(一部)工作物の新築等、ごみ捨
て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等県知
事の許可(特別地域)、命令景観条例及び景観計画(景観法に
基づく)富士市・富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村・富士河
口湖町建築物の新築等、工作物の新設等、開発行為、土石の採
取・堆積等(高さ・色彩・形状を規制)市町村長への届出勧告
、指導・要請(問題があった場合)景観条例(自主条例)富士
吉田市建築の新築等市長への届出勧告、助言・指導土地利用事
業指導要綱裾野市・御殿場市・小山町土地利用事業市長・町長
の承認森林法(保安林指定施業用件)保安林(土砂流出防備保
安林)(保健保安林)(水源涵養保安林)立木の伐採(原則択
抜※水源涵養保安林除く)県知事の許可砂防法(静岡県砂防指
定地管理条例)砂防指定地(富士宮市等)施設又は工作物の新
築等、竹木の伐採等、土地の形状変更、土石の採取・集積又は
投棄等県知事の許可海岸法三保松原(海岸の水際線から50m
の範囲)土石の採取、施設等の新設、土地の掘削等海岸管理者
(静岡県河川砂防管理室)の許可県有林管理計画山梨県県有林
なし(水土保全林)(森林と人との共生林)立木の伐採皆伐〜
禁伐59(資源の循環利用林)なお、緩衝地帯の外側に広がる
市街地のうち富士山の主要な眺望(北側では河口湖・山中湖北
部から眺望した富士山、南側では三保松原から眺望した富士山
)に若干の影響を及ぼす範囲については、日本政府が自主的に
保護する範囲として「保全管理区域」を設定している。F資産
に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法に基

119 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:10:28.59 ID:78FOTcTx0.net
護措置が講じられている。緩衝地帯に適用される諸法令等の概略
法令名対象地区規制内容許認可文化財保護法三保松原(一部)現
状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立公園)山体・静岡県・
山梨県工作物の新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石の
採取、車馬の乗り入れ等環境大臣の許可(特別地域)、届出(普
通地域)自然公園法(県立自然公園)県立自然公園条例三保松原
(一部)工作物の新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石
の採取、車馬の乗り入れ等県知事の許可(特別地域)、命令景観
条例及び景観計画(景観法に基づく)富士市・富士宮市静岡市・
忍野村・山中湖村・富士河口湖町建築物の新築等、工作物の新設
等、開発行為、土石の採取・堆積等(高さ・色彩・形状を規制)
市町村長への届出勧告、指導・要請(問題があった場合)景観条
例(自主条例)富士吉田市建築の新築等市長への届出勧告、助言
・指導土地利用事業指導要綱裾野市・御殿場市・小山町土地利用
事業市長・町長の承認森林法(保安林指定施業用件)保安林(土
砂流出防備保安林)(保健保安林)(水源涵養保安林)立木の伐
採(原則択抜※水源涵養保安林除く)県知事の許可砂防法(静岡
県砂防指定地管理条例)砂防指定地(富士宮市等)施設又は工作
物の新築等、竹木の伐採等、土地の形状変更、土石の採取・集積
又は投棄等県知事の許可海岸法三保松原(海岸の水際線から50
mの範囲)土石の採取、施設等の新設、土地の掘削等海岸管理者
(静岡県河川砂防管理室)の許可県有林管理計画山梨県県有林な
し(水土保全林)(森林と人との共生林)立木の伐採皆伐〜禁伐
59(資源の循環利用林)なお、緩衝地帯の外側に広がる市街地
のうち富士山の主要な眺望(北側では河口湖・山中湖北部から眺
望した富士山、南側では三保松原から眺望した富士山)に若干の
影響を及ぼす範囲については、日本政府が自主的に保護する範囲
として「保全管理区域」を設定している。F資産に影響する可能
性がある個別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域
基本計画(静岡県及び14市町)2009年2月策定市町村森林
整備計画(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)20
06年4月策定e)資産の保存管理計画又はその他の保存管理

120 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:10:51.31 ID:78FOTcTx0.net
囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、法律・条例等に基づく境界、
地籍境界、行政界、道路等の明確な境界などを考慮しつつ、資産の保護に必要不可
欠な範囲を定めた。山体の緩衝地帯については富士山を周辺ないし構成資産から展
望した際、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を基準としている。この範囲
の中には演習場を挟んで、三保松原以外のすべての構成資産が含まれる。緩衝地帯
において行われる建築物及び工作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に係る
行為、木竹の伐採については、許可制や届出制に基づく規制を設けており、これら
の行為に関する重要な事項については、特に関係各市町村の景観審議会等による調
査、審議に基づき、関係市町村が事前に適切な指導や助言を行うこととしている。
なお、緩衝地帯設定の考え方や、行為規制等の詳細については、本推薦書の付属資
料及び別添参考資料を参照されたい。緩衝地帯は大きく3つの方法により保護措置
が講じられている。一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に
基づく各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市・富士宮市ほ58か)、三
番目が各市町村独自の景観条例や土地利用事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部
・静岡県裾野市・御殿場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二
番目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいくつかの資産におい
ては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く設定されているため、緩衝地
帯の一部は文化財保護法により保護されている。これらの地域では適用する法令等
に違いはあるが、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築、増築、改築、
土地の形質変更等に係る行為については、許可制ないし承認制・届出制に基づく規
制が定められ、資産の周辺環境の万全な保護措置が講じられている。緩衝地帯に適
用される諸法令等の概略法令名対象地区規制内容許認可文化財保護法三保松原(一
部)現状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立公園)山体・静岡県・山梨県工作
物の新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等環

121 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:11:06.68 ID:GFydl90A0.net
く静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)2009年
2月策定市町村森林整備計画(富士宮市・富士市・裾野市・御
殿場市・小山町)2006年4月策定e)資産の保存管理計画
又はその他の保存管理体制構成資産のうち、史跡又は特別名勝
・名勝、特別天然記念物・天然記念物に指定されている土地及
びその範囲に立つ建造物(重要文化財含む)については、19
19年に制定された史蹟名勝天然紀念物保存法及び1950年
以降においては文化財保護法に基づく段階的な指定により保

122 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:16:33.76 ID:78FOTcTx0.net
制構成資産のうち、史跡又は特別名勝・名勝、特別天然記念物・
天然記念物に指定されている土地及びその範囲に立つ建造物(重
要文化財含む)については、1919年に制定された史蹟名勝天
然紀念物保存法及び1950年以降においては文化財保護法に基
づく段階的な指定により保護措置がとられ、史跡等の管理団体で
ある各市町村と静岡県・山梨県が個別に保存管理計画を策定して
適正な保存管理に当たっている。さらに、2011年には、資産
を構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念
物又は天然記念物について、静岡県・山梨県が文化庁、所有者で
ある宗教法人・個人、史跡等の管理団体である各市町村との調整
の下に構成資産の全体を対象とする包括的保存管理計画を策定し
、保存管理全体の整合を図る予定である。上記した各構成資産の
保存管理計画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管理計画
の全文については、本推薦書付属資料−として添付している。1
)保存管理計画各構成資産の保存計画の策定状況については、本
推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すと
おりである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関係
各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産富士山包
括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的
な保存管理を行う予定である。包括的保存管理計画に定める基本
方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成資産の適
切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観
察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備
と運営包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、管
理団体である県・市町村が個々の重要文化財、史跡、特別名勝又
は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を利用し
、具体的で適切な保存管理に当たる予定である。これらの保存管
理計画を要約したものについては、付属資料に示すとおりである
(別添参考資料)。「富士山」を総体として保全するためには、
構成資産のみならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工
物などを適切に制御していく必要がある。そのため、構成資産の
本質的な価値に負の影響を与える可能性のある人工物や開発に

123 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:16:59.75 ID:78FOTcTx0.net
大臣の許可(特別地域)、届出(普通地域)自然公園法(県立自然公園)県立自然
公園条例三保松原(一部)工作物の新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の採取、土石
の採取、車馬の乗り入れ等県知事の許可(特別地域)、命令景観条例及び景観計画
(景観法に基づく)富士市・富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村・富士河口湖町建
築物の新築等、工作物の新設等、開発行為、土石の採取・堆積等(高さ・色彩・形
状を規制)市町村長への届出勧告、指導・要請(問題があった場合)景観条例(

124 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:17:15.37 ID:GFydl90A0.net
措置がとられ、史跡等の管理団体である各市町村と静岡県・山
梨県が個別に保存管理計画を策定して適正な保存管理に当たっ
ている。さらに、2011年には、資産を構成する重要文化財
、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物に
ついて、静岡県・山梨県が文化庁、所有者である宗教法人・個
人、史跡等の管理団体である各市町村との調整の下に構成資産
の全体を対象とする包括的保存管理計画を策定し、保存管理全
体の整合を図る予定である。上記した各構成資産の保存管理計
画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管理計画の全文に
ついては、本推薦書付属資料−として添付している。1)保存
管理計画各構成資産の保存計画の策定状況については、本推薦
書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すとお
りである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関係
各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産富士山
包括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総
括的な保存管理を行う予定である。包括的保存管理計画に定め
る基本方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成
資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(
3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管
理体制の整備と運営包括的保存管理計画に定めた上記の基本方
針に基づき、管理団体である県・市町村が個々の重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保
存管理計画を利用し、具体的で適切な保存管理に当たる予定で
ある。これらの保存管理計画を要約したものについては、付属
資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富士山」を総体
として保全するためには、構成資産のみならず緩衝地帯をも含
め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切に制御していく必要
がある。そのため、構成資産の本質的な価値に負の影響を与え
る可能性のある人工物や開発については、たとえそれが緩衝地
帯におけるものであってもできる限り抑制することとし、やむ
を得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模とすると
ともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係者

125 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:22:22.76 ID:78FOTcTx0.net
いては、たとえそれが緩衝地帯におけるものであってもできる限
り抑制することとし、やむを得ず設置する場合であっても、最小
限の数量・規模とするとともに、色彩等の観点から景観にも十分
配慮するよう関係者への理解と協力を求める予定である。なお、
既存の鉄柱・看板・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものにつ
いては、撤去または修景に努め、公益上必要と考えられる施設に
ついては、現状の利用状況を尊重しつつ、将来的に撤去又は移転
等について検討するとともに、当面の間、資産に対する影響の軽
減を図ることとする予定である。図保存管理計画の構造図「富士
山」包括的保存管理計画62各構成資産の都市計画保存管理計画
等観光計画(山梨県・静岡県・各市町村)整備計画等632)保
存管理体制包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき
、静岡県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたる富士山の構成
資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理す
るため「富士山世界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」とい
う。仮称)及びその支部組織である「静岡県世界遺産協議会」・
「山梨県世界遺産協議会」(以下両者をまとめて「各県協議会」
という。仮称)を設置し、各構成資産を成す重要文化財、史跡、
特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計
画を共通の基準に基づき確実に実行する予定である。両県協議会
及び各県協議会は、資産及びその周辺地域において、国・静岡県
・山梨県・関係市町村等・民間団体等が実施する予定の事業等に
ついての情報を総合的に把握し、それぞれの事業が、資産の保存
管理に負の影響を及ぼすことなく、適切に実施されるように関係
各機関の連絡・調整を行う。両県協議会・各県協議会における調
整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町村は、民間事業者
等に対して権限に基づく適切な指導や助言を行うこととする予定
である。また、両県協議会には国関係機関(文化庁・環境省・国
土交通省・防衛省・林野庁)、国内の大学及びイコモス会員等の
研究者・専門家が参加し、学術的な観点からの助言を行う予定で
ある。各県協議会の下には、各県庁内の実務担当者レベルの調整
組織として、静岡県(山梨県)庁内連絡会議を設置するととも

126 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:22:46.96 ID:78FOTcTx0.net
主条例)富士吉田市建築の新築等市長への届出勧告、助言・指導土地利用事業指導
要綱裾野市・御殿場市・小山町土地利用事業市長・町長の承認森林法(保安林指定
施業用件)保安林(土砂流出防備保安林)(保健保安林)(水源涵養保安林)立木
の伐採(原則択抜※水源涵養保安林除く)県知事の許可砂防法(静岡県砂防指定地
管理条例)砂防指定地(富士宮市等)施設又は工作物の新築等、竹木の伐採等、土
地の形状変更、土石の採取・集積又は投棄等県知事の許可海岸法三保松原(海岸の
水際線から50mの範囲)土石の採取、施設等の新設、土地の掘削等海岸管理者(
静岡県河川砂防管理室)の許可県有林管理計画山梨県県有林なし(水土保全林)(
森林と人との共生林)立木の伐採皆伐〜禁伐59(資源の循環利用林)なお、緩衝
地帯の外側に広がる市街地のうち富士山の主要な眺望(北側では河口湖・山中湖北
部から眺望した富士山、南側では三保松原から眺望した富士山)に若干の影響を及
ぼす範囲については、日本政府が自主的に保護する範囲として「保全管理区域」を
設定している。F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法に基
づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)2009年2月策定市町村森
林整備計画(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)2006年4月策定
e)資産の保存管理計画又はその他の保存管理体制構成資産のうち、史跡又は特別
名勝・名勝、特別天然記念物・天然記念物に指定されている土地及びその範囲に立
つ建造物(重要文化財含む)については、1919年に制定された史蹟名勝天然紀
念物保存法及び1950年以降においては文化財保護法に基づく段階的な指定によ
り保護措置がとられ、史跡等の管理団体である各市町村と静岡県・山梨県が個別に
保存管理計画を策定して適正な保存管理に当たっている。さらに、2011年には
、資産を構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然
記念物について、静岡県・山梨県が文化庁、所有者である宗教法人・個人、史跡等
の管理団体である各市町村との調整の下に構成資産の全体を対象とする包括的保

127 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:23:03.40 ID:GFydl90A0.net
の理解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱・看板・
広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去また
は修景に努め、公益上必要と考えられる施設については、現状
の利用状況を尊重しつつ、将来的に撤去又は移転等について検
討するとともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を図るこ
ととする予定である。図保存管理計画の構造図「富士山」包括
的保存管理計画62各構成資産の都市計画保存管理計画等観光
計画(山梨県・静岡県・各市町村)整備計画等632)保存管
理体制包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、
静岡県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたる富士山の構成
資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理
するため「富士山世界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」
という。仮称)及びその支部組織である「静岡県世界遺産協議
会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下両者をまとめて「各県
協議会」という。仮称)を設置し、各構成資産を成す重要文化
財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物
の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行する予定であ
る。両県協議会及び各県協議会は、資産及びその周辺地域にお
いて、国・静岡県・山梨県・関係市町村等・民間団体等が実施
する予定の事業等についての情報を総合的に把握し、それぞれ
の事業が、資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切
に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協議
会・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及
び関係市町村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指
導や助言を行うこととする予定である。また、両県協議会には
国関係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)
、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専門家が参加し、
学術的な観点からの助言を行う予定である。各県協議会の下に
は、各県庁内の実務担当者レベルの調整組織として、静岡県(
山梨県)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担当者や
民間業者(観光協会、登山組合、神社関係者)などの代表者と
の調整組織として静岡県(山梨県)保存管理協力者会議を設

128 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:28:11.40 ID:78FOTcTx0.net
、各市町村担当者や民間業者(観光協会、登山組合、神社関係者
)などの代表者との調整組織として静岡県(山梨県)保存管理協
力者会議を設置し、十分な連携を図る予定である。さらに、静岡
県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会
は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、
静岡県・山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理を行う各
市町村教育委員会に対して建議を行っている。これらの組織の運
営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職員名に

129 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:28:34.53 ID:78FOTcTx0.net
管理計画を策定し、保存管理全体の整合を図る予定である。上記した各構成資産の
保存管理計画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管理計画の全文については
、本推薦書付属資料−として添付している。1)保存管理計画各構成資産の保存計
画の策定状況については、本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画
書に示すとおりである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関係各市町
村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産富士山包括的保存管理計画』を策
定し、資産の全体を視野に入れた総括的な保存管理を行う予定である。包括的保存
管理計画に定める基本方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成資産
の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)経過観察の実施(4
)整備・公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営包括的保存管理計画に定
めた上記の基本方針に基づき、管理団体である県・市町村が個々の重要文化財、史
跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を利用し、
具体的で適切な保存管理に当たる予定である。これらの保存管理計画を要約したも
のについては、付属資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富士山」を総体
として保全するためには、構成資産のみならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及
ぼす人工物などを適切に制御していく必要がある。そのため、構成資産の本質的な
価値に負の影響を与える可能性のある人工物や開発については、たとえそれが緩衝
地帯におけるものであってもできる限り抑制することとし、やむを得ず設置する場
合であっても、最小限の数量・規模とするとともに、色彩等の観点から景観にも十
分配慮するよう関係者への理解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱・看
板・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去または修景に努め、
公益上必要と考えられる施設については、現状の利用状況を尊重しつつ、将来的に
撤去又は移転等について検討するとともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を
図ることとする予定である。図保存管理計画の構造図「富士山」包括的保存管理

130 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:28:50.18 ID:GFydl90A0.net
し、十分な連携を図る予定である。さらに、静岡県・山梨県文
化財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会は指定文化
財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、静岡県・
山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理を行う各市町村
教育委員会に対して建議を行っている。これらの組織の運営は
静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職員名により
業務が行われる。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置し
た富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市
をはじめ、各市や市町村教育委員会においても構成資産の保存
管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制に
ついては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の
体制については現在登録準備のために設置され、実質的に機能
している組織を改変・名称変更・役割変更するものであり、そ
の運営に関して問題は生じない。図「富士山」に係る保存管理
の組織体制図(仮案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺
産両県協議会(構成)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者
等国関係機関(文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林野庁
)f)財源及び財政的水準各構成資産の管理については、それ
ぞれの所有者又は管理団体が行っている。特に「記念工作物」
、「建造物群」の修理を行う場合には、小修理その他特別な場
合を除いて国が必要に応じて経費の50開発事業者、地域住民
、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)
行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山梨県、関係市町村等
民間:観光協会、登山組合、神社関係者等民間:観光協会、山
小屋組合、静岡県保存管理協力者会議(委員)関係市町(企画
・都市計画・文化財担当)観光関係者、登山組合、神社関係者
等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委
員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(委
員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係者、
山小屋組合、神社関係者等65〜85%の補助金を交付してい
る。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物
又は天然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う

131 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:35:31.30 ID:GFydl90A0.net
合にも、国が必要に応じて経費の50%の補助金を交付してい
る。これらの国の補助金に併せて、静岡県・山梨県は国の補助
金相当額を控除した額の50%に相当する額以内の補助金を交
付し、構成資産所在の市町村が同内容の補助金を交付する予定
である。また、重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天
然記念物又は天然記念物において、それぞれ防災施設等を設置
する事業についても、同様の比率の下に経費の補助を行うこと
としている。なお、上記の補助金とは別に、2006年より

132 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:40:53.90 ID:78FOTcTx0.net
いる。なお、上記の補助金とは別に、2006年より構成資産の
整備活用及び保護に関する教育プログラムのための基金を設けて
おり(「富士山基金」)、基金には国内の経済界を中心に民間か
らの資金提供も行われている。g)保全及び保存管理の技術にお
ける専門的知識及び研修構成資産の保存管理については、所有者
(宗教法人を含む)をはじめ、静岡県・山梨県教育委員会及び各
史跡等の管理団体に指定された各市町村教育委員会が実施してい
る。静岡県・山梨県教育委員会とその関連機関である財団法人静
岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨県埋蔵文化センターでは、そ
れぞれの組織内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員
及び技術者を配置し、管理団体である各市町村が行う保存管理に
対して適切な技術的支援を行っている。また、独立行政法人国立
文化財機構は、全国の史跡等における整備活用事業の円滑な推進
と専門職員及び技術者の技術や能力の向上のために、地方公共団
体の専門職員を対象として定期的に研修を開催しており、静岡県
・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当該研修等に積極的に参
加して、資産の整備活用の技術向上に努める予定である。さらに
、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内の大学の研
究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の助言者
及び両県協議会も含まれる予定である)の助言・指導に基づいて
行われている保存・管理技術は、高い水準を維持する予定である
。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天
然記念物を維持するための措置として簡単な修理又は復旧を行う
場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行っ
ているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれている。資産
の見回りや清掃等の日常的な維持管理については、静岡県・山梨
県教育委員会から嘱託された文化財保護指導員(静岡県3名、山
梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)のほか、地域住
民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。表技術
者の資質向上のために行われているおもな研修h)来訪者の施設
と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地とともに日本
を代表する優れた名所として国内のみならず海外に広く知られ

133 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:41:20.00 ID:78FOTcTx0.net
より業務が行われる。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置した富士宮市教育
委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市をはじめ、各市や市町村教育委員会
においても構成資産の保存管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織
体制については、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の体制について
は現在登録準備のために設置され、実質的に機能している組織を改変・名称変更・
役割変更するものであり、その運営に関して問題は生じない。図「富士山」に係

134 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:41:34.51 ID:GFydl90A0.net
成資産の整備活用及び保護に関する教育プログラムのための基
金を設けており(「富士山基金」)、基金には国内の経済界を
中心に民間からの資金提供も行われている。g)保全及び保存
管理の技術における専門的知識及び研修構成資産の保存管理に
ついては、所有者(宗教法人を含む)をはじめ、静岡県・山梨
県教育委員会及び各史跡等の管理団体に指定された各市町村教
育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会とその関
連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨県
埋蔵文化センターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保
存・管理技術を持つ専門職員及び技術者を配置し、管理団体で
ある各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支援を行っ
ている。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等
における整備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技
術や能力の向上のために、地方公共団体の専門職員を対象とし
て定期的に研修を開催しており、静岡県・山梨県をはじめ関係
各市町村の職員も当該研修等に積極的に参加して、資産の整備
活用の技術向上に努める予定である。さらに、独立行政法人国
立文化財機構(201年度より国内の大学の研究者及びイコモ
ス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の助言者及び両県協議
会も含まれる予定である)の助言・指導に基づいて行われてい
る保存・管理技術は、高い水準を維持する予定である。重要文
化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念
物を維持するための措置として簡単な修理又は復旧を行う場合
は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行って
いるため、管理技術の水準はきわめて高く保たれている。資産
の見回りや清掃等の日常的な維持管理については、静岡県・山
梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導員(静岡県3名
、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)のほか、
地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている
。表技術者の資質向上のために行われているおもな研修h)来
訪者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地
とともに日本を代表する優れた名所として国内のみならず海

135 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:47:32.97 ID:78FOTcTx0.net
おり、夏季の登山をはじめとして四季折々の自然の姿を求めて来
訪する観光客でにぎわい、現在も国内有数の観光地となっている
。図富士山への登山者数の推移(各登山口推計登山者数)静岡県
山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田口合計図富士山への来訪
者数の推移(7・8月における各登山口五合目への入れ込み数推
計)66図主な構成資産の来訪者数の推移(推計等)富士山では
、山頂へ7〜8月の登山期に約29万人(1999〜2009年
平均)が登山し、自動車でアクセス可能な各登山道の「五合目」
(自動車道建設以前の五合目とは一致しないため「新五合目」と
呼ばれる)には、同期間に約250万人(1999〜2009年
平均)が訪れ、近年は外国人がかなりの数を占めるようになって
いる(外国人の数に関する統計は取られていないため、正確な数
値は不明である)。富士山体においては、国内外から来訪する観
光客や登山者等の利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序
ある良好な風致景観を維持及び形成することを目的として、「富
士山における標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県
計吉田口(年間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野
八三保松原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合
ガイドライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英
・中・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体
の主として緩衝地帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が
整備されている。今後とも、適切な計画の下に順次整備していく
こととしており、「ビジターセンター」などのガイダンス施設の
充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理について
は、土日や休日等登山者が突出して増加する日に、仮設トイレ・
臨時駐車場等を設置するとともに、登山用の自動車道は自家用車
の通行(登山道ごとに異なる、最も利用数の多い吉田口(富士ス
バルラインを利用)で最大12日間)を規制しシャトルバスによ
る代替輸送を行うことで環境への負荷と混雑を軽減するようにし
ている。この日数は山麓の駐車場の整備に従い(2011年に吉
田口に1400台の駐車場を整備)今後拡大(吉田口で15日)
する予定である。登山者の安全管理については、4箇所の案内

136 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:47:57.21 ID:78FOTcTx0.net
保存管理の組織体制図(仮案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺産両県協議
会(構成)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、環境省
、国土交通省、防衛省、林野庁)f)財源及び財政的水準各構成資産の管理につい
ては、それぞれの所有者又は管理団体が行っている。特に「記念工作物」、「建造
物群」の修理を行う場合には、小修理その他特別な場合を除いて国が必要に応じて
経費の50開発事業者、地域住民、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協
議会(委員)行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山梨県、関係市町村等民間:
観光協会、登山組合、神社関係者等民間:観光協会、山小屋組合、静岡県保存管理
協力者会議(委員)関係市町(企画・都市計画・文化財担当)観光関係者、登山組
合、神社関係者等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委員)
関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(委員)関係市町村(企画、
都市計画、文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社関係者等65〜85%の補
助金を交付している。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又
は天然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国が必要に応
じて経費の50%の補助金を交付している。これらの国の補助金に併せて、静岡県
・山梨県は国の補助金相当額を控除した額の50%に相当する額以内の補助金を交
付し、構成資産所在の市町村が同内容の補助金を交付する予定である。また、重要
文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物において、それ
ぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の比率の下に経費の補助を行うこ
ととしている。なお、上記の補助金とは別に、2006年より構成資産の整備活用
及び保護に関する教育プログラムのための基金を設けており(「富士山基金」)、
基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行われている。g)保全及び
保存管理の技術における専門的知識及び研修構成資産の保存管理については、所有
者(宗教法人を含む)をはじめ、静岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等の管理

137 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:48:14.66 ID:GFydl90A0.net
に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自
然の姿を求めて来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有数の
観光地となっている。図富士山への登山者数の推移(各登山口
推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田
口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における各登山
口五合目への入れ込み数推計)66図主な構成資産の来訪者数
の推移(推計等)富士山では、山頂へ7〜8月の登山期に約2
9万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動車でアク
セス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前の五合目
とは一致しないため「新五合目」と呼ばれる)には、同期間に
約250万人(1999〜2009年平均)が訪れ、近年は外
国人がかなりの数を占めるようになっている(外国人の数に関
する統計は取られていないため、正確な数値は不明である)。
富士山体においては、国内外から来訪する観光客や登山者等の
利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好な風致
景観を維持及び形成することを目的として、「富士山における
標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(
年間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松
原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイド
ライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中
・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の
主として緩衝地帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が
整備されている。今後とも、適切な計画の下に順次整備してい
くこととしており、「ビジターセンター」などのガイダンス施
設の充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理に
ついては、土日や休日等登山者が突出して増加する日に、仮設
トイレ・臨時駐車場等を設置するとともに、登山用の自動車道
は自家用車の通行(登山道ごとに異なる、最も利用数の多い吉
田口(富士スバルラインを利用)で最大12日間)を規制しシ
ャトルバスによる代替輸送を行うことで環境への負荷と混雑を
軽減するようにしている。この日数は山麓の駐車場の整備に従
い(2011年に吉田口に1400台の駐車場を整備)今後

138 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:53:57.11 ID:78FOTcTx0.net
設(山頂、富士宮口、吉田口、富士スバルライン終点)と3箇所
の救護センター(富士宮口に1箇所、吉田口に2箇所)が対応を
行っている。南麓では静岡県によって30名の「富士登山ナビゲ
ーター」が登山指導・案内・通訳業務を行っており、北麓では富
士吉田市条例によって、登山下山の案内を行う約230名のガイ
ドが「富士吉田市案内員組合」に登録している。さらに吉田口

139 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:54:21.44 ID:78FOTcTx0.net
体に指定された各市町村教育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会と
その関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨県埋蔵文化セン
ターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員及び
技術者を配置し、管理団体である各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支
援を行っている。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等における整
備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技術や能力の向上のために、地方
公共団体の専門職員を対象として定期的に研修を開催しており、静岡県・山梨県を
はじめ関係各市町村の職員も当該研修等に積極的に参加して、資産の整備活用の技
術向上に努める予定である。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度よ
り国内の大学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の助言者
及び両県協議会も含まれる予定である)の助言・指導に基づいて行われている保存
・管理技術は、高い水準を維持する予定である。重要文化財、史跡、特別名勝又は
名勝、特別天然記念物又は天然記念物を維持するための措置として簡単な修理又は
復旧を行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行っている
ため、管理技術の水準はきわめて高く保たれている。資産の見回りや清掃等の日常
的な維持管理については、静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指
導員(静岡県3名、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)のほか、地
域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。表技術者の資質向上
のために行われているおもな研修h)来訪者の施設と統計構成資産の大部分は、周
囲に展開する景勝地とともに日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外
に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自然の姿を求めて来訪
する観光客でにぎわい、現在も国内有数の観光地となっている。図富士山への登山
者数の推移(各登山口推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉
田口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における各登山口五合目への入

140 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 03:54:37.86 ID:GFydl90A0.net
大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安全管理につ
いては、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、富士ス
バルライン終点)と3箇所の救護センター(富士宮口に1箇所
、吉田口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県によ
って30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通
訳業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山
下山の案内を行う約230名のガイドが「富士吉田市案内員組
合」に登録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象
予報会社と連携し山岳気象情報を共有している。事故に対して
は県警察山岳救助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場
合により自衛隊の出動も要請する。また、気象条件が一般の登
山を行うには危険となる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県
側は10月初旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬)する
ことにより十分な装備と経験を有する者以外の登山は不可能で
ある。冬山登山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署
・富士吉田署)に登山計画書の提出を推奨されている(また、
おおむね11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉
鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉鎖
される。)山体以外の構成資産については、おおむね来訪者数
に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今後、これらをさ
らに整備する予定が立てられている。i)資産の整備・活用に
関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺
を対象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域住民によ
る活用の取組をも取り込んで計画的に実施している。こうした
諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉
田市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博
物館」の活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニ
ーズに適切に対応する拠点の整備を検討するなど富士山の適切
な保全・管理・活用を図っていく。加えて、富士山についての
市民向け講座の開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体験学
習などの情報発信施策が定期的に実施されている。個別の資産
については、「遺跡」である特別名勝又は名勝、天然記念物

141 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:00:47.42 ID:78FOTcTx0.net
山小屋では、民間の気象予報会社と連携し山岳気象情報を共有し
ている。事故に対しては県警察山岳救助隊及び消防本部や市町村
消防署が対応し、場合により自衛隊の出動も要請する。また、気
象条件が一般の登山を行うには危険となる冬季は登山道・山小屋
を閉鎖(山梨県側は10月初旬、静岡県側は11月末より翌年7
月初旬)することにより十分な装備と経験を有する者以外の登山
は不可能である。冬山登山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・
富士宮署・富士吉田署)に登山計画書の提出を推奨されている(
また、おおむね11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道
は閉鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉
鎖される。)山体以外の構成資産については、おおむね来訪者数
に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今後、これらをさら
に整備する予定が立てられている。i)資産の整備・活用に関す
る方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺を対象
とした保存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活用の
取組をも取り込んで計画的に実施している。こうした諸計画に基
づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉田市歴史民俗
博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博物館」の活用や
、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニーズに適切に対応
する拠点の整備を検討するなど富士山の適切な保全・管理・活用
を図っていく。加えて、富士山についての市民向け講座の開催を
はじめ、児童・生徒を対象とした体験学習などの情報発信施策が
定期的に実施されている。個別の資産については、「遺跡」であ
る特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作物」
・「建造物群」である重要文化財に指定されている建造物につい
ては、一部を除き所有者・管理団体が年間を通じて一般に公開し
ている。なお、登山については、登山期間(基本的に7月1日〜
8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登山も禁止さ
れてはいないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件
などにより専門家以外の登山は困難である。j)専門分野・技術
・管理に関する人的措置68静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を
受けた文化財保護指導員(以下、「指導員」という。)が定期

142 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:01:11.74 ID:78FOTcTx0.net
込み数推計)66図主な構成資産の来訪者数の推移(推計等)富士山では、山頂へ
7〜8月の登山期に約29万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動車で
アクセス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前の五合目とは一致しない
ため「新五合目」と呼ばれる)には、同期間に約250万人(1999〜2009
年平均)が訪れ、近年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(外国人の
数に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明である)。富士山体にお
いては、国内外から来訪する観光客や登山者等の利用者の安全と利便を確保すると
ともに、秩序ある良好な風致景観を維持及び形成することを目的として、「富士山
における標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(年間)富士
吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠
周辺西湖周辺海周辺総合ガイドライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国
語(英・中・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の主として
緩衝地帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が整備されている。今後とも、
適切な計画の下に順次整備していくこととしており、「ビジターセンター」などの
ガイダンス施設の充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理について
は、土日や休日等登山者が突出して増加する日に、仮設トイレ・臨時駐車場等を設
置するとともに、登山用の自動車道は自家用車の通行(登山道ごとに異なる、最も
利用数の多い吉田口(富士スバルラインを利用)で最大12日間)を規制しシャト
ルバスによる代替輸送を行うことで環境への負荷と混雑を軽減するようにしている
。この日数は山麓の駐車場の整備に従い(2011年に吉田口に1400台の駐車
場を整備)今後拡大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安全管理につい
ては、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、富士スバルライン終点)と3
箇所の救護センター(富士宮口に1箇所、吉田口に2箇所)が対応を行っている。
南麓では静岡県によって30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・

143 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:01:30.06 ID:GFydl90A0.net
史跡をはじめ「記念工作物」・「建造物群」である重要文化財
に指定されている建造物については、一部を除き所有者・管理
団体が年間を通じて一般に公開している。なお、登山について
は、登山期間(基本的に7月1日〜8月31日)が公開時期に
当たる。この時期以外の登山も禁止されてはいないが、道路・
山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件などにより専門家以外
の登山は困難である。j)専門分野・技術・管理に関する人的
措置68静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受けた文化財保

144 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:07:54.73 ID:78FOTcTx0.net
に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する
助言を行っている。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づ
き、所有者や関係市町村に対して文化財の保存管理に関する指導
を行っている。このように、将来的に良好な状態の下に資産を維
持していくための体制についても万全を期している。6.経過観
察(モニタリング)の体制a)保存状況を計測するための主たる
指標構成資産である「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」を
はじめ、それらの緩衝地帯については、顕著な普遍的価値の確実
な保持、修理又は復旧、維持管理、防災及び危機管理に関する体
制の充実及び技術の向上を目的として、4章に掲げた保全状況及
び資産全体に与える影響に対し、次に掲げる主な観点の下に適切
な指標を設定し、定期的かつ体系的な経過観察(モニタリング)
を実施する予定である。@「3.記載のための価値証明」に記さ
れた資産の価値と真実性及び完全性が維持されているか。A「4
.保全状況と資産に与える影響」に記された諸要素(開発・環境
問題・自然災害・観光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのよ
うな影響を与えているか/与えたか。B「5.資産の保護と管理
」に関連して、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の
広い地域が、相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する
知識を発信する場として適切な発展を遂げているか。設定するお
もな観察指標については、以下の表に示すとおりである(予定)
。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(2010年度改
定予定)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)視点場
における景観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中化
延長毎年両県a)富士山環境教育開催数・参加者数毎年両県b)
パンフレット・HPによる情報提供数毎年両県c)主要地点での
観光客の入込み数毎年両県d)登山者数(5合目以上)毎年市町
村e)登山者数(8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の
保護f)森林伐採面積(森林の整備形態?)毎年両県a)文化財
保護法における現状変更の数毎年両県b)自然公園法における許
可行為の数毎年両県・環境省c)生活排水クリーン処理数毎年両
県(3)個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎

145 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:08:17.68 ID:78FOTcTx0.net
訳業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山下山の案内を行う約
230名のガイドが「富士吉田市案内員組合」に登録している。さらに吉田口の山
小屋では、民間の気象予報会社と連携し山岳気象情報を共有している。事故に対し
ては県警察山岳救助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場合により自衛隊の
出動も要請する。また、気象条件が一般の登山を行うには危険となる冬季は登山道
・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬

146 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:08:33.36 ID:GFydl90A0.net
指導員(以下、「指導員」という。)が定期的に文化財を巡回
・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する助言を行って
いる。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づき、所有者
や関係市町村に対して文化財の保存管理に関する指導を行って
いる。このように、将来的に良好な状態の下に資産を維持して
いくための体制についても万全を期している。6.経過観察(
モニタリング)の体制a)保存状況を計測するための主たる指
標構成資産である「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」を
はじめ、それらの緩衝地帯については、顕著な普遍的価値の確
実な保持、修理又は復旧、維持管理、防災及び危機管理に関す
る体制の充実及び技術の向上を目的として、4章に掲げた保全
状況及び資産全体に与える影響に対し、次に掲げる主な観点の
下に適切な指標を設定し、定期的かつ体系的な経過観察(モニ
タリング)を実施する予定である。@「3.記載のための価値
証明」に記された資産の価値と真実性及び完全性が維持されて
いるか。A「4.保全状況と資産に与える影響」に記された諸
要素(開発・環境問題・自然災害・観光・その他)が資産とそ
の緩衝地帯にどのような影響を与えているか/与えたか。B「
5.資産の保護と管理」に関連して、資産とその緩衝地帯及び
それらを取り巻く周辺の広い地域が、相互に呼応しつつ資産の
顕著な普遍的価値に関する知識を発信する場として適切な発展
を遂げているか。設定するおもな観察指標については、以下の
表に示すとおりである(予定)。表観察指標一覧表※斜字は富
士山を守る指標(2010年度改定予定)から指標周期記録組
織(1)資産の視覚的結a)視点場における景観阻害要因数毎
年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山
環境教育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPに
よる情報提供数毎年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎
年両県d)登山者数(5合目以上)毎年市町村e)登山者数(
8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐
採面積(森林の整備形態?)毎年両県a)文化財保護法におけ
る現状変更の数毎年両県b)自然公園法における許可行為の

147 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:14:47.95 ID:78FOTcTx0.net
両県a)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)
ゴルフ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(
森林の整備形態?)毎年両県69d)廃棄物の不法投棄量毎年両
県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する内
容の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管理計
画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(モニタ
リング)のための行政上の体制定期的報告を含む経過観察(モニ
タリング)については、以下の表に示すように管理団体である山
梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員会を通じて文
化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のための作業指針』
(2008年)第5章に基づき、年度ごとに情報収集及び記録作
成を行い、蓄積した成果について6年ごとに保存管理状況の評価
としてまとめ、世界遺産センターを通じて世界遺産委員会に定期
報告書(英文)を提出する。モニタリング体制分担管轄域担当組
織1.担当組織及び担当課名資産及び緩衝地帯2.監督組織資産
及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織代表者氏名:文化庁長官担当
課及び担当責任者氏名:記念物課課長3.指導組織資産及び緩衝
地帯組織名称:静岡県教育委員会:山梨県教育委員会組織代表者
氏名:静岡県教育長:山梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:
静岡県世界遺産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前
の保全状況報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされる
諸事項に関し、現時点及び過去における資料・情報については、
静岡県・山梨県・及び資産の所在する市町の下に適切に収集・保
管されている。それらの一覧表については、以下のとおりである
。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)番号
編著者標題対象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画
像一覧表Noフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保
持者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関
する文書などc)資産関連資料d)資産管理機関住所e)参考文
献8.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)そ
の他の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)
番号構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策

148 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:15:14.15 ID:78FOTcTx0.net
することにより十分な装備と経験を有する者以外の登山は不可能である。冬山登山
者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署・富士吉田署)に登山計画書の提出
を推奨されている(また、おおむね11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車
道は閉鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉鎖される。)山
体以外の構成資産については、おおむね来訪者数に応じた駐車場・トイレ等を整備
しており、今後、これらをさらに整備する予定が立てられている。i)資産の整備
・活用に関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺を対象とし
た保存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活用の取組をも取り込んで計
画的に実施している。こうした諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示す
る「富士吉田市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博物館」の
活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニーズに適切に対応する拠点の
整備を検討するなど富士山の適切な保全・管理・活用を図っていく。加えて、富士
山についての市民向け講座の開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体験学習など
の情報発信施策が定期的に実施されている。個別の資産については、「遺跡」であ
る特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作物」・「建造物群」で
ある重要文化財に指定されている建造物については、一部を除き所有者・管理団体
が年間を通じて一般に公開している。なお、登山については、登山期間(基本的に
7月1日〜8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登山も禁止されては
いないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件などにより専門家以外の
登山は困難である。j)専門分野・技術・管理に関する人的措置68静岡県・山梨
県教育委員会の委嘱を受けた文化財保護指導員(以下、「指導員」という。)が定
期的に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する助言を行って
いる。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づき、所有者や関係市町村に対し
て文化財の保存管理に関する指導を行っている。このように、将来的に良好な状

149 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:15:32.63 ID:GFydl90A0.net
毎年両県・環境省c)生活排水クリーン処理数毎年両県(3)
個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎年両県a
)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴル
フ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森
林の整備形態?)毎年両県69d)廃棄物の不法投棄量毎年両
県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する
内容の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管
理計画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(
モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を含む経過観
察(モニタリング)については、以下の表に示すように管理団
体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員
会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のた
めの作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度ごとに情
報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ごとに
保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通じて
世界遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタリン
グ体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資産及び
緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織
代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:記念物課
課長3.指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県教育委員
会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長:山梨県
教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課長
:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経
過観察(モニタリング)に必要とされる諸事項に関し、現時点
及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・及
び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ
れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経
過観察のために実施した過去の資料・情報)番号編著者標題対
象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N
oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作
権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文
書などc)資産関連資料d)資産管理機関住所e)参考文献

150 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:21:21.14 ID:78FOTcTx0.net
状況H21.10.30学術委員会評価分析結果備考富士山両県
未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C:
富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年10
月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著な
普遍的価値を有する資産B:顕著な普遍的価値についてさらに調
査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある
資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第
2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的保存管

151 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:21:53.34 ID:GFydl90A0.net
.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その
他の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)
番号構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策
定状況H21.10.30学術委員会評価分析結果備考富士山
両県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資
産C:富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成2
1年10月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価
A:顕著な普遍的価値を有する資産B:顕著な普遍的価値につ
いてさらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しな
い可能性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡
県学術委員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富
士山包括的保存管理計画原案−1−世界文化遺産富士山包括的
保存管理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経
緯(1)各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理
計画検討部会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・
連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成資産の一覧
2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山
体及び登山道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山
道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰
B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B
4須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富
士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保
松原第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環
境等を構成する諸要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要
素@富士山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的価
値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、
植栽樹木B社寺の境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等
以外の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境
を構成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2

152 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:22:21.78 ID:78FOTcTx0.net
の下に資産を維持していくための体制についても万全を期している。6.経過観察
(モニタリング)の体制a)保存状況計測するための主たる指標構成資産である
「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」をはじめ、それらの緩衝地帯については
、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理、防災及び危機管理に
関する体制の充実及び技術の向上を目的として、4章に掲げた保全状況及び資産全
体に与える影響に対し、次に掲げる主な観点の下に適切な指標を設定し、定期的か
つ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定である。@「3.記載のため
の価値証明」に記された資産の価値と真実性及び完全性が維持されているか。A「
4.保全状況と資産に与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害
・観光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与えているか/与えた
か。B「5.資産の保護と管理」に関連して、資産とその緩衝地帯及びそれらを取
り巻く周辺の広い地域が、相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する知識
を発信する場として適切な発展を遂げているか。設定するおもな観察指標について
は、以下の表に示すとおりである(予定)。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守
る指標(2010年度改定予定)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)
視点場における景観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両
県a)富士山環境教育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情
報提供数毎年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県d)登山者数(5合
目以上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の
保護f)森林伐採面積(森林の整備形態?)毎年両県a)文化財保護法における現
状変更の数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省c)生
活排水クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ
収集量毎年両県a)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ
場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森林の整備形態?)毎

153 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:27:36.42 ID:78FOTcTx0.net
計画原案−1−世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案目次
第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)各県における検
討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部会組織3計画の
位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計画の実施第2章
構成資産の概要1構成資産の一覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3
構成資産の概要(1)富士山山体及び登山道A富士山A1山頂信
仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登山
道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進
湖A9本栖湖(2)信仰B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神
社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河
口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹
型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)
眺望C1三保松原第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値
及び周辺環境等を構成する諸要素(1)顕著な普遍的価値を構成
する諸要素@富士山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な普
遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森
林、植栽樹木B社寺の境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物
等以外の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境
を構成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保存
管理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境
を含めた一体的な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・
活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資産の保存
管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)信仰(3)
眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限について
の考え方(2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる
諸法令について3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2
種保護地区(3)三保松原−3−第5章緩衝地帯の保存管理1現
状の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩衝地帯の設定と行
為規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的
な施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を
与える要素2負の影響を与える要因の観察第7章整備・公開・

154 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:28:12.74 ID:GFydl90A0.net
存管理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺
環境を含めた一体的な保全(3)経過観察の実施(4)整備・
公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資
産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)
信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の
制限についての考え方(2)地区区分についての考え方(3)
指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1種保
護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章緩

155 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:33:32.85 ID:78FOTcTx0.net
用1基本方針2整備と公開・活用第8章保存管理体制の整備と運
営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等との連携・協働
3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関する事業計
画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的富士山は、日本を代表し
象徴する日本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世界的に著名
であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独自の芸術
文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸
術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人
間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし
て、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ山岳であり、世
界文化遺産に値するものである。富士山は、有史以前から噴火活
動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立成層火山であり、
その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高
さは世界的にも有数である。その力強く秀麗な姿は人々に神聖な
る気持ちを喚起し、古代から現代に至るまで、時代を超えて信仰
の対象となってきた。山腹及び山嶺には神社・登山道・巡礼地等
が形成され、山体と一体となった比類のない文化的景観を形成し
た。山体のうち、五合目以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に
神聖視され、山麓に分布する湖沼・湧水、火山活動により形成さ
れた独自の地形などは、富士信仰の霊地として重要な役割を果た
してきた。日本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は
現在でも命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とと
もに富士登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人
の自然に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化
的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示す
傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古くから
芸術活動の対象となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌
などの文学作品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日
本国内のみならず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた
。それらの作品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的
伝統が形成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となっ

156 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:33:50.43 ID:78FOTcTx0.net
未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C:富士山の価値を証
明するのに不可欠ではない資産平成21年10月30日の各県学術委員会(両県合
同開催)での評価A:顕著な普遍的価値を有する資産B:顕著な普遍的価値につい
てさらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある資産保
留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員会資
料3世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案−1−世界文化遺産富士山包括

157 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:34:09.00 ID:GFydl90A0.net
地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方(1
)緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整(3)住
民生活との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施1顕著な
普遍的な価値に負の影響を与える要素2負の影響を与える要因
の観察第7章整備・公開・活用1基本方針2整備と公開・活用
第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割
分担2地域住民等との連携・協働3持続的運営のための定期的
確認付章1保存管理に関する事業計画一覧表−4−第1章目的
と経緯1目的富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰の秀
麗な円錐形成層火山として世界的に著名であり、日本人の自然
に対する信仰の在り方や日本に独自の芸術文化を育んだ「名山
」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸術活動などを通じ
、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し
、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との
良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型として、世界的
にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ山岳であり、世界文化遺
産に値するものである。富士山は、有史以前から噴火活動を続
けてきた標高3776mの円錐形の独立成層火山であり、その
山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高さ
は世界的にも有数である。その力強く秀麗な姿は人々に神聖な
る気持ちを喚起し、古代から現代に至るまで、時代を超えて信
仰の対象となってきた。山腹及び山嶺には神社・登山道・巡礼
地等が形成され、山体と一体となった比類のない文化的景観を
形成した。山体のうち、五合目以上の砂礫地は「焼山」と呼ば
れて特に神聖視され、山麓に分布する湖沼・湧水、火山活動に
より形成された独自の地形などは、富士信仰の霊地として重要
な役割を果たしてきた。日本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝
・登山の様式は現在でも命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる
多くの登山客とともに富士登山の特徴を成している。このよう
に、富士山は日本人の自然に対する信仰の在り方に関連して、
山に対する固有の文化的伝統を表す物証及び人間の山に対する
景観認知の在り方を示す傑出した類型となっている。また、

158 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:40:16.52 ID:78FOTcTx0.net
極めて強力な関連性であることを示している。このような価値を
もつ「富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがっ
て分布している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山
」の総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくための包
括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そのため
、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市
町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山
」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管理計画
等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)整備計画等図
包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的保存管
理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎とし、世界
遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備に係る理念
・基本方針とその具体的内容について明示するため、学術研究者
等により構成される山梨県・静岡県学術委員会及び二県学術委員
による審議を経て策定されたものである。学識経験者等により構
成する各県学術委員会のもとに、保存管理計画の原案を検討する
保存管理計画検討部会を設置した。原案を検討するにあたり、県
庁内の関係部署との連携や共通認識を得るため、それぞれ「山梨
県保存管理計画検討プロジェクトチーム」(表)及び「静岡県保
存管理計画検討庁内連絡会議」(表)を設置し、連携・確認を行
った。また、富士山の効果的かつ確実な保存管理を行うためには
、地元関係者など幅広い方々の協力・助言が不可欠であることか
ら、関係自治体・地域住民・観光関係者・神社関係者などで構成
する「山梨県保存管理計画策定協力者会議」及び「静岡県保存管
理計画協力者部会」を設置し、連携を図った。さらに、二県学術
委員会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討部会」におけ
る検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策
定した。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保

159 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:40:31.27 ID:78FOTcTx0.net
保存管理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)各県におけ
る検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部会組織3計画の位置付け(1
)行政計画との関連・連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成資産の一
覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び登山道A富
士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道
A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)
信仰B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社
B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖
B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14
人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保
存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸要素(1)顕著
な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な
普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木B
社寺の境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工作物C道路
とその関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文
的要素2保存管理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含
めた一体的な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管
理体制の整備と運営第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び
登山道(2)信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限に
ついての考え方(2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる諸法令につ
いて3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−
3−第5章緩衝地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩
衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的
な施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要素2負

160 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:40:46.68 ID:GFydl90A0.net
士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対象となり、その結果生
み出された「万葉集」の和歌などの文学作品や「浮世絵」など
の秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみならず海外にも広く
知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作品群は、地球上
の特定の地域において独自の文化的伝統が形成・発展するのに
当たり、富士山が重要な源泉となった極めて強力な関連性であ
ることを示している。このような価値をもつ「富士山」の構成
資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布している。こ
れら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確
実に保存し、確実に次世代へと継承するためには、両県共通の
考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保
存管理していくための方法を整理していく必要があることから
、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相
互の関係性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な
保存管理計画を策定しておくことが必要である。そのため、山
梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町
村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山
」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管理計
画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的
保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と
し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備
に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示するため
、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員会及
び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学識
経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管理計
画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原案を
検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を得
るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー
ム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」(表
)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的かつ
確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々

161 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:46:11.64 ID:78FOTcTx0.net
管理計画検討部会と学術委員会)2007年11月29日平成1
9年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必
要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画の事例200
7年12月26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会
・目的と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2
008年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保

162 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:46:43.85 ID:GFydl90A0.net
協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・
観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計画
策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設
置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置し
た「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、文
化庁の指導・助言の下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部
会と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包
括的保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内
の世界遺産における包括的保存管理計画の事例2007年12
月26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的
と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針200
8年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管
理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年度
第1回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計
画の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20
日平成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候
補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域につい
て2010年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存
管理計画の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日
平成19年第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画
の事例2007年12月9日現地調査2008年1月31日平
成19年度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管
理計画検討部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2
008年2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委
員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果2008年4月1
6、17日現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保
存管理計画策定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定につい
て2008年6月10日現地調査2008年6月30日現地調
査2008年7月22日平成20年度第1回山梨県保存管理計
画検討部会・構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法
と考え方2009年4月24日平成21年度第1回山梨県保

163 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:52:14.09 ID:78FOTcTx0.net
管理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年度
第1回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画
の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平
成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について201
0年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画の
考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第
1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007
年12月9日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回
山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審
議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平
成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画
検討部会の審議結果2008年4月16、17日現地調査200
8年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキング・
山梨県保存管理計画の策定について2008年6月10日現地調
査2008年6月30日現地調査2008年7月22日平成20
年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成要素と本質的価値
の明確化・保存管理の方法と考え方2009年4月24日平成2
1年度第1回山梨県保存管理計画策定協力者会議・富士山の世界
文化遺産登録の現状について・山梨県保存管理計画策定協力者会
議について2009年6月19日平成21年度第1回山梨県保存
管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝
地帯、保存管理区域について2009年8月26日平成21年度
山梨県保存管理計画策定ワーキング・富士山世界文化遺産登録へ
の取組状況について・山梨県保存管理計画の策定について201
0年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・
保存管理計画の考え方について2010年6月30日平成22年
度第1回山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7
月5日平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管
理計画について−7−2008年1月23日現地調査2008年
1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包
括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計画に

164 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:52:44.15 ID:GFydl90A0.net
管理計画策定協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状に
ついて・山梨県保存管理計画策定協力者会議について2009
年6月19日平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会
・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理
区域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管
理計画策定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況
について・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月
16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存

165 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:53:23.06 ID:78FOTcTx0.net
てきた。それらの作品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形成
・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて強力な関連性であるこ
とを示している。このような価値をもつ「富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県
の二県にまたがって分布している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山
」の総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するためには、両県共通の考
え方を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保存管理していくための

166 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:59:19.78 ID:78FOTcTx0.net
いて2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果2008年7月
16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的
保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管理計画について20
08年9月9日平成20年度静岡県保存管理計画検討部会第1回
庁内連絡会議・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・
静岡県保存管理計画の策定について2009年2月12日現地調
査2009年6月1日平成21年度第1回静岡県保存管理計画策
定協力者部会・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・
静岡県保存管理計画の策定について2009年6月17日平成2
1年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画
の策定について・富士山の緩衝地帯に関する考え方2009年7
月13日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連
絡会議2009年10月29日平成21年度静岡県保存管理計画
検討部会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成21年
度第2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年1月29
日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者部会201
0年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・
保存管理計画の考え方について2010年6月30日平成22年
度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委員会・保存管
理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計画検討部会の組織
は図に示すとおりである。また、その構成は表〜のとおりである
。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地帯を有する
山梨県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光、防災な
どに関する各種計画を策定し、実施している。これらの計画は、
包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携を図りつつ実
施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山梨県)
計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開発計画
大規模集客施設等の立地に関する方針(山梨県)2010年1月
ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県)1
993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和5
0年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域

167 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:59:37.36 ID:78FOTcTx0.net
携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討
部会」における検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策定し
た。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会と学
術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会
・包括保存管理計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画の事例
2007年12月26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と

168 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 04:59:53.04 ID:GFydl90A0.net
理計画の考え方について2010年6月30日平成22年度第
1回山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月
5日平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管
理計画について−7−2008年1月23日現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果20
08年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画検討
部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管理計
画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管理計
画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺産登録推
進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について200
9年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第1
回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界文化遺産
登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・富士山の緩衝
地帯に関する考え方2009年7月13日平成21年度静岡県
保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月2
9日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡
会議2009年11月25日平成21年度第2回静岡県保存管
理計画策定協力者部会2010年1月29日平成21年度第3
回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年3月16日平
成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の
考え方について2010年6月30日平成22年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会(2)学術委員会・保存管理計画検討
部会組織学術委員会及び保存管理計画検討部会の組織は図に示
すとおりである。また、その構成は表〜のとおりである。(1
)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地帯を有する山梨
県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光、防災など
に関する各種計画を策定し、実施している。これらの計画は

169 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:06:02.53 ID:78FOTcTx0.net
林計画書平成18年4月策定F資産に影響する可能性がある個別
の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成
18年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市
・小山町)(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存管理
計画は、20年月から既に実施され機能されているものである。
−19−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士
山」の構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地に
ついては、以下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種
別分類小分類構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在
地位置資産面積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)
(御中道含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り
)遺跡特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A
3須山口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝
史跡A5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野
市、御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、
富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡
市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物
静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市NE
2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価値を表
す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山体への
良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周囲に必要十分
な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成資産間の関係
を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保証するために
、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定する。構成資産の位
置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管理区域の範囲につい
ては、図に示すとおりである。図「富士山」の範囲(構成資産・
緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現在特別名勝富士山に
指定されている区域だけでなく、その周辺部にあたる標高約1

170 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:06:20.22 ID:78FOTcTx0.net
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3月17日平成19
年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検討部会の審議結果2008年6月1
9日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画
の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回
包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、
保存管理区域について2010年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存
管理計画の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山
梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9日現地調査2
008年1月31日平成19年度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存
管理計画検討部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21
日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会の審
議結果2008年4月16、17日現地調査2008年5月1日平成20年度山梨
県保存管理計画策定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6
月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月22日平成20年
度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成要素と本質的価値の明確化・保存管理
の方法と考え方2009年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定
協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨県保存管理計画策定
協力者会議について2009年6月19日平成21年度第1回山梨県保存管理計画
検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域につい
て2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策定ワーキング・富士山
世界文化遺産登録への取組状況について・山梨県保存管理計画の策定について20
10年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の
考え方について2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理計画検討
部会静岡県の経緯2007年7月5日平成19年度第1回静岡県保存管理計画検

171 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:06:34.72 ID:GFydl90A0.net
包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携を図りつつ
実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山梨
県)計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開
発計画大規模集客施設等の立地に関する方針(山梨県)201
0年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(
山梨県)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保
全計画昭和50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月
策定富士地域森林計画書平成18年4月策定F資産に影響する
可能性がある個別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東
部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成21年2月策定市
町村森林整備計画平成18年4月策定−18−(富士宮市・富
士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計画の実施今回提出
する富士山包括的保存管理計画は、20年月から既に実施され
機能されているものである。−19−第2章構成資産の概要1
構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資産の種別、位置、
面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以下の表に示すと
おりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類構成資産世界
遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面積(ha)
緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道含む)遺跡特
別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡特別名勝史跡
A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登山道遺
跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田口
登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市
、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖
町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念
工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺
跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造
物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡市
史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物
静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市N
E2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価値
を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士

172 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:12:27.13 ID:78FOTcTx0.net
500m付近までとした。この範囲において、特別名勝の区域は
文化財保護法で保護され、特別名勝指定地外から標高1,500
mの区域については自然公園法と森林法で保護されている。緩衝
地帯との境については林班により線引きを行い、県道などの人工
物の改修工事等への影響が軽減するよう配慮した。そして本栖湖
、精進湖、西湖までを富士山の山体として考え、範囲付けしたこ
とは、展望地点から山頂までを連続して保護するための措置であ
る。緩衝地帯の範囲については、当初国道469号から県道7

173 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:12:44.98 ID:78FOTcTx0.net
部会・保存管理計画について−7−2008年1月23日現地調査2008年1月
30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・静岡県保存管理計画について2008年2月21日平成19年度
第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果2008
年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計
画検討部会の報告・静岡県保存管理計画について2008年9月9日平成20年度
静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺産登録推進
の取組について・静岡県保存管理計画の策定について2009年2月12日現地調
査2009年6月1日平成21年度第1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富
士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保
存管理計画の策定について・富士山の緩衝地帯に関する考え方2009年7月13
日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月
29日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年1
1月25日平成21年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年1月
29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年3月16
日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方について
2010年6月30日平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術
委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計画検討部会の組織は
図に示すとおりである。また、その構成は表〜のとおりである。(1)行政計画と
の関連・連携構成資産及び緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、
まちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施している。これらの
計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携を図りつつ実施されて
いる。表包括的保存管理計画に関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産

174 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:18:52.45 ID:78FOTcTx0.net
号にかけての富士山側を計画していたが、国際専門家から飛び地
の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に
含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩衝地帯を設定した。
その際、富士山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため
、富士山に向かって約36度の広がりで設定した。この範囲につ
いては、文化財保護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法
、景観法で保護されている。保全管理区域の範囲については、三
保松原から富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるため
に、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡
県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩
流の範囲については、保全管理区域とはしていない。なお、保全
管理区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山
山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)に
ついては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩
衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言える。
3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については、
以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書本
文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、構
成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、それ
ぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p18,19
表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士山
山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関わるもの
(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776mを測る富士
山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に
対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもあ
る。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、
時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生き
た文化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継
続的な関係を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を
見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としての
富士山とは、富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲で

175 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:19:41.26 ID:GFydl90A0.net
ると言える。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概
要については、以下に記すとおりである。構成資産の詳細につ
いては、推薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の
詳細については、構成資産毎に策定されている個別の保存管理
計画等において、それぞれ具体的内容を含めた説明を行ってい
る。なお、p18,19表のA〜Cは次のように分類し、整理
したものである。A富士山山体及び登山道B信仰に関わるもの
C富士山の眺望に関わるもの(1)富士山山体及び登山道A

176 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:25:04.58 ID:78FOTcTx0.net
る。この範囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視
領域が重なり合う範囲であるとともに、各登山道における山体の
神聖性に関する境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致する
。なお、「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が
大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が
優美な曲線を描き、絵画などの対象とされることが多い範囲であ
る。写真上空から見た写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原
案と同じもの)−21−−22−標高約2500m付近の森林限
界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ある
いは死後世界である「他界」と考えられていた。また、登山道ご
とに標高は異なるが、1779年以降、浅間大社の境内地とされ
てきた八合目以上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合
目の標高とほぼ一致する噴火口である「内院」の底部に浅間大神
が鎮座するとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の
中で開鑿された登山道が、現在の4本の登山道の起源となってい
る。また、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道
」が15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷川角行によって
開かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため
、富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修
理・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝
に仮指定1936年国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指
定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1
969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)199
6年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継
続中)「御中道」は、標高2,300m付近から2,800m付
近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周する約25k
mの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされる役行者が
始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築いた長谷川
角行が行ったことが記録されている。古くは定まった道もなく巡
ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後期には一定の道が
整備された。富士山信仰の上では、山体西側の大沢崩れを渡る

177 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:25:29.18 ID:78FOTcTx0.net
良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、
広く保全管理区域を設定する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、
保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」の範囲(構
成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現在特別名勝富士山に指定され
ている区域だけでなく、その周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。
この範囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指定地

178 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:25:54.56 ID:GFydl90A0.net
士山標高3776mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する
日本最高峰の秀麗な独立火山である。その自然的な美しさと崇
高さを基盤として、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日
本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。富士山は山岳に対す
る信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文
化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証
であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す
景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普
遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としての富士山とは、
富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この範
囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重
なり合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性
に関する境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致する。な
お、「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも
不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が
大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線
が優美な曲線を描き、絵画などの対象とされることが多い範囲
である。写真上空から見た写真に資産範囲を線で示したもの(
推薦原案と同じもの)−21−−22−標高約2500m付近
の森林限界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、神聖
な地域あるいは死後世界である「他界」と考えられていた。ま
た、登山道ごとに標高は異なるが、1779年以降、浅間大社
の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を持つとさ
れる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口である「内院
」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づく。富士山頂へ
向かい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が、現在の4本の
登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に沿い、富士
山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士講の祖
とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢崩
れ」という危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道と
して利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立

179 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:31:28.95 ID:78FOTcTx0.net
いう危険を伴う最大級の大行の道とされていた。富士登山3回以
上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神への伺いをたてた上
でないと許可されないほど厳しいものであった。この御中道の巡
拝を無事終えると、その証である「御許し」を御師から受けるこ
とができた。1816年の資料では年間100人以上が御中道巡
りを行っているが、1977年の転落事故で通行止めとなり、現
在では一周することはできなくなっている。写真御中道の写真A
1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部の火口壁沿いに
、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士山への信仰
登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の
造営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行
為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「御来光」
を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝
した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅におけ
る仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼
ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施設は
、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日堂
)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には
、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認で
きる。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響
によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変
された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、
上記の行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これら
を通じて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の
写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化
財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財団法人
静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その成果
に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定され

180 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:31:54.81 ID:78FOTcTx0.net
から標高1,500mの区域については自然公園法と森林法で保護されている。緩
衝地帯との境については林班により線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等
への影響が軽減するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の山
体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを連続して保護するた
めの措置である。緩衝地帯の範囲については、当初国道469号から県道72号に
かけての富士山側を計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山
本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境
に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確保す
るため、富士山に向かって約36度の広がりで設定した。この範囲については、文
化財保護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護されている。
保全管理区域の範囲については、三保松原から富士山を眺望する際、その阻害要因
を軽減させるために、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡
県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲について
は、保全管理区域とはしていない。なお、保全管理区域についても、森林法と景観
法で保護されている。富士山山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地帯
同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言える。3構成資産の概要構成資
産及び保存管理状況の概要については、以下に記すとおりである。構成資産の詳細
については、推薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については
、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、それぞれ具体的内
容を含めた説明を行っている。なお、p18,19表のA〜Cは次のように分類し
、整理したものである。A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺
望に関わるもの(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776mを測る富士山
は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山である。その自然的な

181 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:32:22.30 ID:GFydl90A0.net
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れ
に対する砂防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風に
よる森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)「御中道」
は、標高2,300m付近から2,800m付近の山腹を通り
、富士山の中腹部を時計回りに一周する約25kmの道である
。「御中道巡り」は、修験道の祖とされる役行者が始めたと伝
えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築いた長谷川角行が行
ったことが記録されている。古くは定まった道もなく巡ったと
され、富士講が盛んになった江戸時代後期には一定の道が整備
された。富士山信仰の上では、山体西側の大沢崩れを渡るとい
う危険を伴う最大級の大行の道とされていた。富士登山3回以
上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神への伺いをたてた
上でないと許可されないほど厳しいものであった。この御中道
の巡拝を無事終えると、その証である「御許し」を御師から受
けることができた。1816年の資料では年間100人以上が
御中道巡りを行っているが、1977年の転落事故で通行止め
となり、現在では一周することはできなくなっている。写真御
中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部
の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する
。富士山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山
頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるととも
に、山頂部での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂
周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮
座すると言われる神仏を拝した。また、火口壁にいくつかある
ピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お
鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般
的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、修行僧末
代により建立された大日寺(大日堂)が最初とされ、その後、
経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が
行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部
に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された。こ

182 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:37:07.72 ID:78FOTcTx0.net
2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山と
して指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰を巡る行為は
、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継が
れている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八葉の嶺あり」
との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的意義を見出し
ていたことが伺える。16世紀前半には地元為政者が「八要メ

183 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:37:35.46 ID:78FOTcTx0.net
しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸
術文化を育んだ名山でもある。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動など
を通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的
伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。世
界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲で
ある。この範囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合
う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つである
「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗
教的観点からも不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が大き
くなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き、絵
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た写真に資産範囲を
線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21−−22−標高約2500m付近の
森林限界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域あるいは死後世
界である「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異なるが、177
9年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を持つとさ
れる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口である「内院」の底部に浅間大神
が鎮座するとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿された登
山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に沿い、富
士山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷川角
行によって開かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、富士
講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924
年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公園法の下に(富
士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に

184 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:43:28.31 ID:78FOTcTx0.net
ルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思
われる習俗があったことが知られる。富士講講中の多くは、頂上
に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、
御来光を礼拝し、途中にあるいくつかの仏像や石碑を拝みながら
、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊
泉とされた金明水などを巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大
宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起
点とし、山頂大日岳に至る登山道である。12世紀前半、富士山
で修行した末代上人の開削した登山道が起源だとされ、14世紀
初め、僧の頼尊が修験者とその活動を組織化したことで、村山を
基点とする登山が行われていたことが推測できる。15世紀に入
ると村山での宿坊の存在が確認でき、同世紀前半には、地元支配
者である今川氏により発心門等の施設が寄進されたとの記録があ
る。今川氏は1552年、村山を神聖な地と定め、村山三坊には
山役銭の徴収権を与えている。この権利は19世紀後半まで継続
し、浅間大社が登山道の管理に関わることはなかった。一方、1
6世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づ
けることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大
社には16世紀前半に30余りの道者坊があったことが伝えられ
、同時期の絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・
湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれて
いる。道者坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった
。また、1600年頃以降、地元支配者により、大宮を経て村山
口登山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、
17世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後
半、興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707
年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊された。これらは再
建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設と
しては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興法
寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む西
日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続であるが、
登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19世紀初

185 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:44:21.42 ID:GFydl90A0.net
1552年、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴
収権を与えている。この権利は19世紀後半まで継続し、浅間
大社が登山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀
ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づける
ことによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社
には16世紀前半に30余りの道者坊があったことが伝えられ
、同時期の絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社
・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描

186 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:50:24.79 ID:78FOTcTx0.net
の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年で数百名
程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少し、村山
の村落も衰退していたとの記述もあるが、1860年、初の外国
人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経由して村
山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡坊、中宮八幡堂
の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登山の
解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道線
の開通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの対策
として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道(
カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在
は、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡な
どをある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口
登山道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起
点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源
は明確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口
、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。
1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「すはま口
」の名が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社
及び12軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。た
だし、銀明水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社
の裁定を仰いでいる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図
で須山御胎内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられ
る。これらの施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火に
より壊滅し、御縁年の1740年に復興したが永続せず、178
0年にようやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅
間神社、中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室がある
ことが確認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修
行の行場としても使用された。登拝者については詳しい研究が進
んでいないが、西日本・東日本両方からの登山者があったことが
、宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁年

187 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:50:49.46 ID:78FOTcTx0.net
設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は
神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じて富士信仰の核心
が現代に受け継がれている。写真奥宮の写真表法的保護、修理・整備の経緯192
4年所在地が史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国
立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の

188 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:51:15.97 ID:GFydl90A0.net
れている。道者坊はその後統合され、19世紀前半には5坊と
なった。また、1600年頃以降、地元支配者により、大宮を
経て村山口登山道を利用することが求められた。登山道中の宗
教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主
に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設され
たが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊さ
れた。これらは再建されたが、その復興は須走口より遅かった
。主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などが
あった。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた
静岡県西部地方を含む西日本の人々が多かった。なお、153
2年以降不連続であるが、登拝者の記録が残され、その数は1
8世紀後半から19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2
,000人前後、平年で数百名程度と推測できる。1826年
の記録ではその数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記
述もあるが、1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−
24−ールコックは大宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざ
した。彼の記録では大鏡坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子
が確認できる。明治維新以降、女人登山の解禁もあり、登山者
は増加傾向を示すが、1889年、東海道線の開通による御殿
場口利用者の増加により衰退し、これへの対策として1906
年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道(カケスバタ口
)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山口登山道は
登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在は、林道
の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡の推定
は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡などを
ある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登
山道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起
点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起
源は明確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉
田口、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べられて
いる。1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「
すはま口」の名が確認できる。登山道および山頂部銀明水は

189 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:57:18.54 ID:78FOTcTx0.net
当たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均
約1,700人、続く1860年の御縁年には約3,600人で
あった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883年、
須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿された。また、
1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上によ
り須山口からの登拝者や登山者が減少することとなった。191
2年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となった
ため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っている。二
合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部のみであ
る。また、1999年、地元住民により須山口下山歩道の名でか
つての登山道の一部が復興された。写真須山口登山道の写真A4
須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉
田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山道である。その起
源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある掛仏が
出土している。文献からは「勝山記」の1500年6月の項に、
関東地方での戦乱を避け、吉田口を利用すべき登拝者が須走口に
集中したことが確認できる。遅くとも17世紀までに、冨士浅間
神社及び須走村が登山道山頂部までを支配し、薬師嶽(現久須志
岳)における石室建設の独占、薬師堂の開帳・入仏などを行った
。また、内院および薬師堂の散銭取得権も浅間大社に次ぐ権利を
有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1703年と1772
年の2回幕府に訴え、これらの権利について八合目以上の支配権
を主張する浅間大社と争い、正式に権利を認められた。−25−
登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確認でき、大日堂、
御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に、小屋・石室が山
頂部まで設置されている。1707年の宝永噴火では、これらの
施設及び麓の浅間神社、須走村は約3mの降砂に覆われ壊滅した
が、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し
、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名前後に減少
したとの資料があるが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の
道了尊とセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均
約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピークを迎

190 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:57:45.29 ID:78FOTcTx0.net
に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所に
より現地調査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画
」が策定された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山とし
て指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰を巡る行為は、古くから「お鉢巡
り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「
いたゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的意義
を見出していたことが伺える。16世紀前半には地元為政者が「八要メサルヽ也」
との記述も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが
知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。
内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつかの仏像や石碑を拝みなが
ら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明
水などを巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の
浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山道である。12世紀
前半、富士山で修行した末代上人の開削した登山道が起源だとされ、14世紀初め
、僧の頼尊が修験者とその活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行わ
れていたことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認でき、同
世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等の施設が寄進されたとの記
録がある。今川氏は1552年、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴
収権を与えている。この権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理
に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重
要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大
社には16世紀前半に30余りの道者坊があったことが伝えられ、同時期の絵図で
ある「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して
登山する人々の姿が描かれている。道者坊はその後統合され、19世紀前半には

191 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 05:58:09.66 ID:GFydl90A0.net
山浅間神社及び12軒の御師を中心とした須山村により管理さ
れていた。ただし、銀明水の管理を巡り、須走村と争いになっ
た際は浅間大社の裁定を仰いでいる。登山道には宝永噴火前の
状況を描いた絵図で須山御胎内に附属する御胎内神社等の宗教
施設と山室がみられる。これらの施設及び登山道はその中腹よ
り噴火した宝永噴火により壊滅し、御縁年の1740年に復興
したが永続せず、1780年にようやく復興した。また、18
80年代の記録では御室浅間神社、中宮浅間社、御胎内等の宗
教施設と4箇所の石室があることが確認できる。中宮浅間社や
水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使用された。
登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本・東日
本両方からの登山者があったことが、宿帳及び案内立札の立地
から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約5
,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続く
1860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神
仏分離令後も継続していたが、1883年、須山口二合八勺に
接続する御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東
海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口から
の登拝者や登山者が減少することとなった。1912年には、
登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須
山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っている。二合八勺
以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部のみである。
また、1999年、地元住民により須山口下山歩道の名でかつ
ての登山道の一部が復興された。写真須山口登山道の写真A4
須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で
吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山道である。そ
の起源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある
掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の1500年6月
の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利用すべき登拝者
が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも17世紀まで
に、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配し、薬
師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬師堂の開帳

192 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:03:41.08 ID:78FOTcTx0.net
た。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登
拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に
適した須走口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口
山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝
も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および
1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が
長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年

193 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:04:08.86 ID:78FOTcTx0.net
坊となった。また、1600年頃以降、地元支配者により、大宮を経て村山口登山
道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17世紀初頭までに建設
され、石室などの施設は主に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建
設されたが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊された。これら
は再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設としては発心門
、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場と
していた静岡県西部地方を含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不
連続であるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19世紀初頭の
道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年で数百名程度と推測できる。
1826年の記録ではその数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記述もある
が、1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経
由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡坊、中宮八幡堂の存在や
登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登山の解禁もあり、登山者は増加
傾向を示すが、1889年、東海道線の開通による御殿場口利用者の増加により衰
退し、これへの対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山口登山道は登山
道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建設に雨水による侵食
も加わり、一部を除き登山道跡の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王
像、建物跡などをある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂部浅間嶽
(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明確ではないが、1200年の資料に
は大宮・村山口、吉田口、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べられて
いる。1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「すはま口」の名が確
認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12軒の御師を中心と

194 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:04:37.14 ID:GFydl90A0.net
入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も浅
間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、
1703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利につ
いて八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権
利を認められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等
で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗
教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されている。17
07年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走
村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け
、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集めた
。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料があるが
、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにさ
れた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、180
0年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は関
東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見られ
る。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した須走
口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部に
宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19
03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が長
い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年
には、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は
浅間大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また
、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。
1959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、
五合目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認
ができない区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登
山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道で
ある。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、
ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半
には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登る

195 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:10:39.50 ID:78FOTcTx0.net
た須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を巡り、須走村と争いにな
った際は浅間大社の裁定を仰いでいる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図
で須山御胎内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施設
及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御縁年の1740年に
復興したが永続せず、1780年にようやく復興した。また、1880年代の記録
では御室浅間神社、中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが
確認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使用さ
れた。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本・東日本両方からの
登山者があったことが、宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁
年に当たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均約1,700
人、続く1860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離令後
も継続していたが、1883年、須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿
された。また、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上により
須山口からの登拝者や登山者が減少することとなった。1912年には、登山道の
一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰
退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部
のみである。また、1999年、地元住民により須山口下山歩道の名でかつての登
山道の一部が復興された。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の
冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登
山道である。その起源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある掛仏
が出土している。文献からは「勝山記」の1500年6月の項に、関東地方での戦
乱を避け、吉田口を利用すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅く
とも17世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配し、薬師
嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬師堂の開帳・入仏などを行った。

196 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:11:07.92 ID:GFydl90A0.net
めの設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川
角行が吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講
隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって
信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このため、富士講の信
者が次第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える
富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道
路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を
起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す

197 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:11:45.54 ID:78FOTcTx0.net
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間
大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959
年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下
の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区
間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道北口本宮冨

198 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:17:12.03 ID:78FOTcTx0.net
、吉田口登山道の起点に位置し、祭神として木花開花姫命、天津
彦彦火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に
祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、148
0年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神
社の社殿が整っていたとされる。当神社は領主からの崇敬が厚く
、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、16
15年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講との
つながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光清
の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる
境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の支配権は
外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神社の管理
も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に登
山門があり、この神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が
伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展し
た神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真(本殿、西宮本
殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1907年古社寺
保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定1952年所在地
が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1952年東
宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法の下に本殿
、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解体修理工
事を行う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画
」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(〜74年)
1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1997
年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺替え
修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本宮冨
士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年「
史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富士山の火山
活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に位置する。富
士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「?の海
(せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集

199 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:17:37.38 ID:78FOTcTx0.net
た、内院および薬師堂の散銭取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間
神社及び須走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利につ
いて八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権利を認められた。−
25−登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神
社、古御岳神社等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されている。1
707年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走村は約3mの降

200 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:18:03.08 ID:GFydl90A0.net
登山者は激減したが、六合目以上については、現在残る登山道
の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口
登山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯
一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登
山道の写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が
史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年
所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定19
78年「特別名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2
006年改訂)1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜
1合目区間を発掘調査・整備1999年「特別名勝富士山保存
管理計画」を改訂2006年「特別名勝富士山保存管理計画」
を改訂2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山
道の一部を史跡富士山として指定−26−2011年「史跡富
士山保存管理計画」を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社
富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭神として木花開
花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富
士山の遙拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を
起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16
世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社は
領主からの崇敬が厚く、境内に現存する3つの社殿は、156
1年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進し
たものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富
士講の指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の
修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。
北口本宮冨士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田
の御師に所属しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた
者に委ねられていた。社殿の背後に登山門があり、この神社を
起点として富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や
吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。写真
北口本宮冨士浅間神社の写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表
法的保護、修理・整備の経緯1907年古社寺保存法の下に

201 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:22:43.10 ID:78FOTcTx0.net
万葉集で?の海が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかり
がある。写真西湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成
された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡
って修−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも
多くの富士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの
精進湖畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には
、絵葉書に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほと
んどだった。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動によ
り形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の
湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多
くの富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度
も使用された写真の撮影地点であり、重要な展望地点(view
point)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの写真
家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を
追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道
から撮影された「湖畔の春」という写真は有名である。この写真
は、1984年に採用された5千円札及び2004年に採用され
た千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり一
体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮
影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残している。写真本栖
湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7・A8・A9)1
936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定
1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例」を制定
2006年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用
が規制される2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)
2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)(2)
信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南西麓に位置する神社であ
り、この神社とともに発展してきた富士宮市の中央部に所在する
。富士山の神とされる木花之佐久夜毘売命を主祭神とし、現在全
国に約1300社ある浅間神社の総本宮とされている。境内には
登拝の際に水垢離場として使用された湧玉池がある。浅間大社は
7世紀ごろ、富士山により近い遥拝所であった山宮浅間神社か

202 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:23:08.77 ID:78FOTcTx0.net
に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し
、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料があ
るが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにされた参詣の流行
で登拝者数は増加し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピ
ークを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も
見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した須走口へ下山する
形をとった。また、1831年、須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日
蓮宗の信徒による登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、お
よび1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が長い須走口は
敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続けた。1909年より登山道の
周囲に石垣を築き、1916年には、八合目まで馬による登山が可能になった。八
合目以上は浅間大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また、192
3年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年、バス道路(現ふ
じあざみライン)の完成により、五合目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道
としての確認ができない区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道北
口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である。15世紀には、富士
山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口
は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るための
設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して
修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的
自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者
が次第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の道者が登拝し
たとされる。1964年に富士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新
五合目(小御岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す

203 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:23:37.29 ID:GFydl90A0.net
宮本殿が特別保護建造物の指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1952年東宮本殿・解
体修理工事を行う1953年文化財保護法の下に本殿、西宮本
殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解体修理工事を行
う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画」を
策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(〜74年)1
981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1997
年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺替
え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本
宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法
の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)20
11年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富
士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に
位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行わ
れたが、この西湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖
はかつて「?の海(せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが
、日本最古の歌集・万葉集で?の海が詠われたほか、いくつか
の文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A8精進湖富士
山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北西に位置
する。富士山周辺の湖を巡って修−27−行する内八海巡りが
行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れた。富士山
北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔に建てられ、多くの西
洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書に使われた富士山の
写真はこの精進湖からのものがほとんどだった。写真精進湖の
写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、
富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内
八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写真
の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)で
ある。富士山は、プロ・アマを問わず多くの写真家に愛され、
撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた
岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮

204 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:29:03.59 ID:78FOTcTx0.net
現在の地に移転されたとされる。創建当時は富士山の噴火が盛ん
であり、これを畏れ鎮めることを信仰の目的としていた。朝廷も
浅間大神に他の山よりも高い神階を与えることで崇敬の念を示し
た。12世紀後半ごろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け
大日如来の垂迹である「浅間大菩薩」と見なされるようになり、
12世紀頃より政治の実権を掌握した武士階級に戦勝の神とし

205 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:29:28.37 ID:78FOTcTx0.net
登山者は激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も多くの道
者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上って山頂を目指している。し
かも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口
登山道の写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀念
物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国
立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1978年「特別名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)
1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備199
9年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006年「特別名勝富士山保存管理
計画」を改訂2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史
跡富士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定
)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭神とし
て木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝
所に祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富
士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる
。当神社は領主からの崇敬が厚く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1
594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講とのつ
ながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内
の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本
宮冨士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神
社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に登山門があ
り、この神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田
御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の
写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1907年古

206 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:29:53.79 ID:GFydl90A0.net
された「湖畔の春」という写真は有名である。この写真は、1
984年に採用された5千円札及び2004年に採用された千
円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体
の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮
影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残している。写真本
栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7・A8・A9
)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園
に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例
」を制定2006年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動
力船の使用が規制される2011年文化財保護法の下に名勝に
指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定
(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南西麓に
位置する神社であり、この神社とともに発展してきた富士宮市
の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久夜毘売命
を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の総本宮
とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用された
湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山により近い遥拝
所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとされる。
創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めること
を信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い
神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには
、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹である「
浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治の
実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世
紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間神社
とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建設
された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧
伝した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間
大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築
されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604

207 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:35:48.94 ID:78FOTcTx0.net
寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定1952年所在地が文化財保護法
の下に名勝、ついで特別名勝に指定1952年東宮本殿・解体修理工事を行う19
53年文化財保護法の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿
・解体修理工事を行う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画」を
策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(〜74年)1981年東宮本殿・
部分修理工事を行う(〜82年)1997年東宮本殿・部分修理工事を行う200
8年本殿・屋根の葺替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口
本宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に他の文化財
とともに史跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を
策定(予定)A7西湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北北
西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「?の海(せのうみ)」と
呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉集で?の海が詠われたほか、い
くつかの文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A8精進湖富士山の火山活動
により形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修
−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れた
。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔に建てられ、多くの西洋人が訪れ
た。20世紀初頭には、絵葉書に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものが
ほとんどだった。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の
図柄として何度も使用された写真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewp
oint)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮影さ
れてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅陽によって、19

208 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:36:14.45 ID:GFydl90A0.net
現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取
得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理
・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂
上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈
以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由
しない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が
訪れた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされてい
た八合目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2

209 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:42:00.52 ID:78FOTcTx0.net
のメカニズムは、富士山の標高1000m前後ないしそれ以上の
高所の降水が地下にしみ込み、何層もある溶岩層の間にはさまれ
て充満し、それが押し出されるようにして末端から湧出したもの
である。浅間大社の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める
考えや、富士山を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富
な湧水量を持つ湧玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水に
は灌漑用水としての役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水
徳の神・農業神としての浅間大神に感謝する祭礼が行われている
。池の名前の由来には、地底から玉が湧き出るように湧水してい
るためという説や湧く霊たま(神霊)との説等があり、わく玉の
名は10世紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名
称は1670年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間
大社に参拝し、富士山をめざす登拝者が身を清める場として使用
された。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼
羅図」、17世紀初頭の登山記で確認できる。この絵図では現在
の形状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やそのための施設
が見られる。登拝者の水垢離は1920〜30年代まで行われ、
現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承されている。また、
湧水は聖なる水として現在でも利用する人が多い。湧玉池および
周辺には様々な宗教に係わる施設があるが、特に池の南端にある
「神幸橋」は、御神幸道の基点であり、現在でも1691年に作
られた石碑がたもとに残されている。−29−写真沸玉池の写真
B2山宮浅間神社浅間大社の北北東約5kmに位置し、木花之佐
久夜毘売命を主祭神とする神社である。その起源は「富士本宮社
記」によれば、山足の地に祀られていた浅間大神を、神話上の英
雄である日本武尊が大神の神威により難を逃れた謝礼に山宮に祀
ったこととされ、これが802年に再び遷され浅間大社となった
とする。具体的な創建年代は不詳だが、文献上での初見は155
1年である。神社は神事の際に使用する籠屋以外の建物施設を持
たず、拝殿・本殿等が位置すべき場所には石列でいくつかに区分
された遥拝所が設置されるのみという特異な形態を示している。
この形態は古代からの富士山祭祀の形を止めていると推定され

210 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:42:27.94 ID:78FOTcTx0.net
5年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖畔の春」という写真は有名である。
この写真は、1984年に採用された5千円札及び2004年に採用された千円札
の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成している本
栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残
している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7・A8・A9)
1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「

211 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:42:54.62 ID:GFydl90A0.net
04年浅間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士
山表法的保護、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存
法の下に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等
の補修1929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更
1934年楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950
年本殿は文化財保護法制定に伴い重要文化財に名称変更195
2年本殿の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修
理等が行われた1988年本殿の屋根の修理等が行われた19
96年富士宮市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市
教育委員会が調査を行った2005年本殿の屋根の修理等が行
われた2008年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により
境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2010年に「史
跡富士山保存管理計画」を策定2010年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定湧玉池は富士山本宮
浅間神社境内に所在する面積約2,500uの池である。池は
約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均
14万?(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズ
ムは、富士山の標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降
水が地下にしみ込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満
し、それが押し出されるようにして末端から湧出したものであ
る。浅間大社の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考
えや、富士山を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富
な湧水量を持つ湧玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水
には灌漑用水としての役割もあり、浅間大社境内の神田の宮で
は水徳の神・農業神としての浅間大神に感謝する祭礼が行われ
ている。池の名前の由来には、地底から玉が湧き出るように湧
水しているためという説や湧く霊たま(神霊)との説等があり
、わく玉の名は10世紀後半の地元支配者による和歌に見られ
、湧玉池の名称は1670年作成の「社頭古絵図」に見られる
。湧玉池は浅間大社に参拝し、富士山をめざす登拝者が身を清
める場として使用された。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図
」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登山記で確認で

212 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:48:02.01 ID:78FOTcTx0.net
おり、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。発掘調査では1
2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推定される破砕され
た土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での宗教活動を裏付
けている。また、遅くとも1577年までには浅間大社との間で
「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは4月と11
月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神社へ行き、神
事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である。行事の意
味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈と、山に
いる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈がある。この
行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神幸」に使
用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約
600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上して山
宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には1691年に置かれ
た距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮浅間
神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士
山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位置し
、木花開花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範
囲には、現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇な
どが存在している。これらは1868年の神仏分離令までは一体
のものであり、富士山興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。な
お、周辺には興法寺の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三
坊(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって
確認されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧
末代上人による富士山頂への大日寺の建立にあるとされる。末代
上人が富士山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も残さ
れている。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺にお
いて修験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる
。1259年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の
銘で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で修行する人
々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点となったと考え
られる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組織化
し、興法寺を再興したとされる。15世紀に入ると興法寺とそ

213 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:48:29.85 ID:78FOTcTx0.net
梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年文化財保護法の下に名勝に
指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)(2)信仰
B1富士山本宮浅間大社富士山の南西麓に位置する神社であり、この神社とともに
発展してきた富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久夜毘売
命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の総本宮とされている。境
内には登拝の際に水垢離場として使用された湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ
、富士山により近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとされ
る。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めることを信仰の目的と
していた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与えることで崇敬の念を示し
た。12世紀後半ごろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹で
ある「浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治の実権を掌握し
た武士階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ごろ、登拝が盛んになるにつれ
て、浅間大社は村山浅間神社とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周
辺に建設された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置
づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。同時期の絵図である絹
本著色富士曼荼羅図には、浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する
人々の姿が描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築されてい
く中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年現在の社殿が造営されるとと
もに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は
山頂部の管理・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂上部の
大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈以降、村山浅間神社の衰退
と1906年の村山浅間神社を経由しない登山道の開削などにより、浅間大社には
多くの参拝者が訪れた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた

214 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:48:54.97 ID:GFydl90A0.net
る。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ、水垢離す
る人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は192
0〜30年代まで行われ、現在では山開きの恒例行事に形を変
えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも利
用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施
設があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基
点であり、現在でも1691年に作られた石碑がたもとに残さ
れている。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大
社の北北東約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神と
する神社である。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足
の地に祀られていた浅間大神を、神話上の英雄である日本武尊
が大神の神威により難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ
、これが802年に再び遷され浅間大社となったとする。具体
的な創建年代は不詳だが、文献上での初見は1551年である
。神社は神事の際に使用する籠屋以外の建物施設を持たず、拝
殿・本殿等が位置すべき場所には石列でいくつかに区分された
遥拝所が設置されるのみという特異な形態を示している。この
形態は古代からの富士山祭祀の形を止めていると推定されてお
り、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。発掘調査では1
2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推定される破砕さ
れた土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での宗教活動を
裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間大社と
の間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは4
月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神社
へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事であ
る。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るとい
う解釈と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという
解釈がある。この行事は1874年まで行われていた。なお、
「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社
湧玉池横より発し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲
がり直線状に北上して山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途
中には1691年に置かれた距離を示す石碑が少なくとも四

215 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:54:29.59 ID:78FOTcTx0.net
を支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(1478)で確認
できる。1482年には修験道本山派の本寺である聖護院と関係
を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十数軒あった道者坊
が村山三坊に統合され、その活動を資料で確認できる。坊に所属
する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及び山頂で行った。また、
富士山への一般の登拝者も増加し、夜間に白装束をまとい、仏が
いるとされた山頂を目指す多くの人々の様子が「絹本著色富士曼
荼羅図」に描かれている。村山の山伏は、富士峰修行の際に東

216 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:54:54.48 ID:78FOTcTx0.net
合目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(
返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保護、修理・整備の経緯1907年
本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の
補修1929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理
1936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に伴い重要文化
財に名称変更1952年本殿の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修
理等が行われた1988年本殿の屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育
委員会が調査を行った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本
殿の屋根の修理等が行われた2008年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所によ
り境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理
計画」を策定2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定湧玉池は富士山本宮浅間神社境内に所在する面積約2,500uの池である。
池は約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均14万?(20
08年)の水を源としている。湧水のメカニズムは、富士山の標高1000m前後
ないしそれ以上の高所の降水が地下にしみ込み、何層もある溶岩層の間にはさまれ
て充満し、それが押し出されるようにして末端から湧出したものである。浅間大社
の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる水源の山と
して崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧玉池のほとりに置かれたとされる。
この湧水には灌漑用水としての役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神
・農業神としての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来には、
地底から玉が湧き出るように湧水しているためという説や湧く霊たま(神霊)との
説等があり、わく玉の名は10世紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池
の名称は1670年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝し
、富士山をめざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「絹本著

217 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 06:55:18.80 ID:GFydl90A0.net
所残っている。写真山宮浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮
浅間神社の南東約4km、富士山南麓に張り出した標高約50
0mのバルコニー状地形に位置し、木花開花姫命を主祭神とす
る神社である。神社と一体化した範囲には、現在別の宗教法人
となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在している。これ
らは1868年の神仏分離令までは一体のものであり、富士山
興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。なお、周辺には興法寺
の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三坊(池西坊・大鏡
坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確認されている
。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末代上人によ
る富士山頂への大日寺の建立にあるとされる。末代上人が富士
山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も残されている
。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺において修
験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる。1
259年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の銘
で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で修行する人
々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点となったと考
えられる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組
織化し、興法寺を再興したとされる。15世紀に入ると興法寺
とそれを支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(1478
)で確認できる。1482年には修験道本山派の本寺である聖
護院と関係を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十数軒
あった道者坊が村山三坊に統合され、その活動を資料で確認で
きる。坊に所属する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及び山頂
で行った。また、富士山への一般の登拝者も増加し、夜間に白
装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目指す多くの人々の様
子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。村山の山伏は
、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回巡回し加持祈祷等
を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西日本の一般
登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織化を図
ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢離
を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢

218 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:01:25.44 ID:78FOTcTx0.net
、南麓の村を年一回巡回し加持祈祷等を行った。また18世紀、
富士講の隆盛に対抗し西日本の一般登拝者中の有力者に対して「
先達」の免許を発行し組織化を図ると−30−ともに、登拝が困
難な人々に対しては川辺で垢離を取り、祈ることで登拝と同等の
利益があるとする「富士垢離」の手法を広めている。加えて富士
山を航海の目印とする伊豆半島の漁業者に対しては航海安全と大
漁の祈願を行った。興法寺の勢力は地元支配者である今川氏の支
援を受けていた16世紀前半が最も強かったが、それ以降衰退し
つつも聖護院の力を背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂
上部の大日堂周辺を支配した。社殿については、1697年徳川
幕府により修復され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から
19世紀半ばに建立されたと推定される。また、浅間神社は19
13年改築されたものを基本としている。1868年、神仏分離
令により浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し
、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし
、富士峰修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は
1970年代より活発になった地域住民による伝統復活のための
活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅間
神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊勢町
等では現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村山浅間
神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口登山道の
入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である。その
起源は1598年作の社伝旧記によると110年、日本武尊が蝦
夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さらに552年有
力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社の存在が確認で
きるのは1524年で修築時の棟札による。また、市天然記念物
である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されており、遅くと
もこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在したと推測でき
る。現在の社殿は1823年の再建である。1707年の宝永噴
火により登山道も含め大きな被害を受けたが、1780年に登山
道が再興され、1800年の御縁年には約5,400人の登拝者
があった。須山浅間神社は12軒の御師とともに当時の須山村

219 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:02:20.35 ID:GFydl90A0.net
」の手法を広めている。加えて富士山を航海の目印とする伊豆
半島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法
寺の勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世
紀前半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力を
背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺
を支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復
され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ば
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改

220 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:07:32.60 ID:78FOTcTx0.net
中心的存在であり、村全体で須山口登山道と山頂部銀明水を管理
した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公家に
銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部で発
生した問題については、浅間大社の判断を仰いでいる。須山浅間
神社は村山三坊とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で富士
峯修行の一環としての祈祷が行われていた。1883年、御殿場
口登山道が開設され、1899年の東海道本線開通による御殿場
口利便性の向上は須山口からの登拝者や登山者を奪い、加えて1
912年登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったた
め、須山口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受け
なかったため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観
を保っている部分が多い。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間
神社富士山東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を
主祭神とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周
辺は古来、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火
祈願のために祭事を行い、翌年噴火が収まったことから、807
年に祭事の跡地であるとされる現在の地にお礼のために社殿を造
営したとされる。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、
1571年のものである。16世紀には地元支配者である武田氏
の保護を受け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀
以降、須走浅間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山
道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳
の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得ていた。これら山頂部
の権利については八合目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間
大社と争いになり、須走村は1703年と1772年の2回、幕
府に裁定を求めている。この結果、これらの権利は幕府によって
認められた。また、冨士浅間神社神主や御師は須山の場合と同じ
く、京都吉田家より神道裁許状を得て権威を高めている。社殿は
、記録の残っている範囲では1662年、地元領主である沼津城
主大久保氏や小田原藩主稲葉氏などの援助によって修造が行われ
た。しかし1707年の宝永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩
壊したため、1718年に再建された。この後もこの際の部材

221 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:08:05.23 ID:78FOTcTx0.net
神社に至る。道の出発点及び途中には1691年に置かれた距離を示す石碑が少な
くとも四箇所残っている。写真山宮浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社
の南東約4km、富士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位
置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範囲には、現在
別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在している。これらは1
868年の神仏分離令までは一体のものであり、富士山興法寺(村山興法寺)と

222 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:08:23.72 ID:GFydl90A0.net
されたものを基本としている。1868年、神仏分離令により
浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、19
06年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富
士峰修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は1
970年代より活発になった地域住民による伝統復活のための
活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅
間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊
勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村
山浅間神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口
登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社で
ある。その起源は1598年作の社伝旧記によると110年、
日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さ
らに552年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神
社の存在が確認できるのは1524年で修築時の棟札による。
また、市天然記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推
定されており、遅くともこの時期までに須山浅間神社が現在の
地に存在したと推測できる。現在の社殿は1823年の再建で
ある。1707年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を
受けたが、1780年に登山道が再興され、1800年の御縁
年には約5,400人の登拝者があった。須山浅間神社は12
軒の御師とともに当時の須山村の中心的存在であり、村全体で
須山口登山道と山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田家よ
り神道裁許状を得たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする
等して権威を高めているが、山頂部で発生した問題については
、浅間大社の判断を仰いでいる。須山浅間神社は村山三坊とも
関わりを持ち、1940年頃まで境内で富士峯修行の一環とし
ての祈祷が行われていた。1883年、御殿場口登山道が開設
され、1899年の東海道本線開通による御殿場口利便性の向
上は須山口からの登拝者や登山者を奪い、加えて1912年登
山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須山
口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなかっ
たため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を

223 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:14:13.27 ID:78FOTcTx0.net
使用し、2009年の修理も含め何回かの修理がおこなわれてい
る。境内には水路があり、水垢離に利用された。18世紀末から
19世紀初頭にかけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東か
らの登拝者が登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800年
の御縁年の際に約27,300名であった。同時期から20世紀
前半まで富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営
した。また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による
神影や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社の写真B
6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社(
山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、864年〜866年に
北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられるこ
ととなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の
届かなかった河口浅間神社であるとされる。浅間神社を中心とし
た河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、
富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として発展を遂げた
。しかし、江戸における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師
の隆盛により、河口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰
退してしまった。ただし、河口浅間神社は、現在も富士山と密接
に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富
士山信仰を語る上で欠かすことができない資産である。写真河口
浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯2011年文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)
2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士
御室浅間神社冨士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮座した本宮(
もとみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成されている。
8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初と
され、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。
富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室
浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂
が整備されたようである。また、社記によると958年、二合目
は冬季における参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里
宮が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない

224 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:15:06.35 ID:GFydl90A0.net
っている部分が多い。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間神
社富士山東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を
主祭神とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社
周辺は古来、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の
鎮火祈願のために祭事を行い、翌年噴火が収まったことから、
807年に祭事の跡地であるとされる現在の地にお礼のために
社殿を造営したとされる。その他の文書で確実に存在が確認で
きるのは、1571年のものである。16世紀には地元支配者
である武田氏の保護を受け、山頂部の散銭取得権の一部を得て
いる。17世紀以降、須走浅間神社は当時の須走村の御師など
と共に須走口登山道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須
志岳)の薬師堂開帳の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得
ていた。これら山頂部の権利については八合目以上の支配権を
主張する富士山本宮浅間大社と争いになり、須走村は1703
年と1772年の2回、幕府に裁定を求めている。この結果、
これらの権利は幕府によって認められた。また、冨士浅間神社
神主や御師は須山の場合と同じく、京都吉田家より神道裁許状
を得て権威を高めている。社殿は、記録の残っている範囲では
1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩主稲
葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の
宝永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718
年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2009年
の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路
があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭に
かけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が
登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800年の御縁年の
際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半まで
富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営した。
また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による神影
や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社の写真B6
河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社(
山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、864年〜866

225 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:21:22.69 ID:78FOTcTx0.net
吉田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに
増すことになる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変
化や、富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰退す
る。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士
御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が
困難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿

226 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:21:48.44 ID:78FOTcTx0.net
在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ばに建立されたと推定される。
また、浅間神社は1913年改築されたものを基本としている。1868年、神仏
分離令により浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、1906年
の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富士峰修行と加持祈祷は19
40年代まで継続された。現在は1970年代より活発になった地域住民による伝
統復活のための活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅間神
社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊勢町等では現在でも富士
垢離の行事が継続されている。写真村山浅間神社の写真B−4須山浅間神社富士山
の南東麓、須山口登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社であ
る。その起源は1598年作の社伝旧記によると110年、日本武尊が蝦夷征伐の
際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さらに552年有力豪族の蘇我稲目が再興し
たとある。記録上神社の存在が確認できるのは1524年で修築時の棟札による。
また、市天然記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されており、遅く
ともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在したと推測できる。現在の社殿
は1823年の再建である。1707年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害
を受けたが、1780年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,40
0人の登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とともに当時の須山村の中心
的存在であり、村全体で須山口登山道と山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田
家より神道裁許状を得たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする等して権威を高
めているが、山頂部で発生した問題については、浅間大社の判断を仰いでいる。須
山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で富士峯修行の一
環としての祈祷が行われていた。1883年、御殿場口登山道が開設され、189
9年の東海道本線開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの登拝者や登山者
を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となった

227 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:22:16.88 ID:GFydl90A0.net
に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられ
ることとなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、
溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされる。浅間神社を
中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役
割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として
発展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大流行と、それ
に伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能は
、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことができな
い資産である。写真河口浅間神社の写真表法的保護、修理・整
備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史
跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理
計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社
は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と、河口湖畔に建
立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉田口登山道
二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られ
た最初の神社であるとする文献もある。富士修験の信仰拠点は
南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社が鎮座する
御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたよう
である。また、社記によると958年、二合目は冬季における
参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里宮が建立され
たという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない、吉田口登山
道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに増すこと
になる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変化や、
富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰退する。
それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士御
室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が
困難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿
を里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった様々な
富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の
産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社である

228 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:27:19.24 ID:78FOTcTx0.net
里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった様々な富士
信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神
としての里宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士
御室浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本
宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備された(〜74年)
1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文化財として指定
1983年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り直し
ほか一部補修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間神社本
殿保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に他の文化
財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士
山保存管理計画」を策定(予定)B8御師住宅御師は、道者に宿
や食事を始め登拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指
導や祈祷を行うことを業とした。富士山御師として代表的なのは
、吉田口登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北
東方向の傾斜面に沿って大規模な集落を形成した吉田の御師であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路
を設け、敷地を流れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている
。玄関から奥へ客室が続き、最奥部には神殿が設けられている。
最古の部類に入る旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に
建てられ富士講最盛期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的で
ある。旧外川家住宅は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉
田市上吉田・下宿の東側南端に位置する。1572年の町割によ
って成立した東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の
屋敷地に建てられている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、
塩廼屋(しおのや)と号し、富士信仰における上吉田に居住し、
下総地域を檀家とした富士山御師である。1572年の「吉田宿
屋敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が
記されており、外川家ではこの人物を中興の初代としている。ま
た、1669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋敷として確認
される。御師としての活動は江戸末期頃隆盛期を迎えるが、19
62年に御師を廃業している。建物の老朽化に伴い、所有者が取
り壊す意向であったが、富士吉田市が寄贈を受け、2006年

229 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:27:43.96 ID:78FOTcTx0.net
め、須山口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなかったため、須
山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い。写真須山
浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花
開花姫命を主祭神とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古
来、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のために祭事を行い
、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地であるとされる現在の地に
お礼のために社殿を造営したとされる。その他の文書で確実に存在が確認できるの
は、1571年のものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保護を受け
、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走浅間神社は当時の須
走村の御師などと共に須走口登山道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳
)の薬師堂開帳の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得ていた。これら山頂部の
権利については八合目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間大社と争いになり、
須走村は1703年と1772年の2回、幕府に裁定を求めている。この結果、こ
れらの権利は幕府によって認められた。また、冨士浅間神社神主や御師は須山の場
合と同じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権威を高めている。社殿は、記録の
残っている範囲では1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩主稲
葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の宝永噴火では3m以
上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718年に再建された。この後もこの際の部材
を使用し、2009年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水
路があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭にかけて富士講が隆
盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が登山又は下山の際立ち寄った。その数
は1800年の御縁年の際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半
まで富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営した。また、神社には
神社神官や御師が発行した木版印刷による神影や神符の版木が保管されている。

230 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:28:13.43 ID:GFydl90A0.net
写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1
973年本宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備された
(〜74年)1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文
化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995年外部
の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年「重要文化財
冨士御室浅間神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定
)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B

231 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:33:41.75 ID:78FOTcTx0.net
ら2007年にかけ大規模保存修理事業を行った上で、2008
年4月から富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開
されている。写真旧外川家住宅の写真表法的保護、修理・整備の
経緯2006年大規模保全修理を行う2008年富士吉田市歴史
民俗博物館の附属施設として一般公開を行う2010年「山梨県
指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画」を策定2011年文
化財保護法の下に重要文化財として指定小佐野家住宅は、富士講
によって大きく発展した御師集落である富士吉田市上吉田地区に
あって、富−33−士山に登拝する人々を宿泊させた宿坊として
、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富士の雪代の被害を
避けるため、1572年に旧地である古吉田地区から集落ごと移
転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方向の傾斜面に沿
って短冊状に町割が行われたと伝えられている。小佐野家住宅は
、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150mほどの長大
な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元亀の集落移転に合わ
せて現在地に移転してきたと伝えられる。代々御師を勤め、屋号
を堀端屋と号し、江戸時代には当主は小佐野壱岐あるいは小佐野
大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,000人
に達したとされる。現在、屋敷地の東側には所有者が住む住居が
建築されており、小佐野家住宅には所有者の親族が居住している
。写真小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯197
6年文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消防設
備設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの
補修を行う1997年主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵
の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画
」を策定B9山中湖富士山の火山活動によって形成された堰止湖
で、富士山の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する
内八海巡りが行われたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式
ホテルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかりの
ある芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。富士
山の頂上付近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士と呼

232 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:34:09.41 ID:78FOTcTx0.net
真冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅間
神社(山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、864年〜866年に北麓で起こ
った噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられることとなった。それが、富士山
を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされる。浅
間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、
富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として発展を遂げた。しかし、江戸

233 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:34:37.08 ID:GFydl90A0.net
御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世
話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北
口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規
模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊
状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水
路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が
続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧
外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最
盛期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川家
住宅は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・
下宿の東側南端に位置する。1572年の町割によって成立し
た東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に
建てられている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋
(しおのや)と号し、富士信仰における上吉田に居住し、下総
地域を檀家とした富士山御師である。1572年の「吉田宿屋
敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が
記されており、外川家ではこの人物を中興の初代としている。
また、1669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋敷として
確認される。御師としての活動は江戸末期頃隆盛期を迎えるが
、1962年に御師を廃業している。建物の老朽化に伴い、所
有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が寄贈を受け、2
006年から2007年にかけ大規模保存修理事業を行った上
で、2008年4月から富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設
として一般公開されている。写真旧外川家住宅の写真表法的保
護、修理・整備の経緯2006年大規模保全修理を行う200
8年富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を行
う2010年「山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計
画」を策定2011年文化財保護法の下に重要文化財として指
定小佐野家住宅は、富士講によって大きく発展した御師集落で
ある富士吉田市上吉田地区にあって、富−33−士山に登拝す
る人々を宿泊させた宿坊として、代表的な御師住宅である。

234 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:39:38.57 ID:78FOTcTx0.net
れ、多くの写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖富士
山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北に位置する
。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、こ
の河口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝地として有
名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかり
のある芸術家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中
この河口湖が最も多い。葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師も
、河口湖越しに見える富士山を描いている。写真河口湖の写真表
法的保護、修理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在地
が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山
梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然
公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−
34−2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)201
1年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八
海富士山の北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つ
の湧水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池
、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に
関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢
れを祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞられ「富士
御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ
、1843年に富士講道者によって再興されたとされる。写真忍
野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺図表法的保護、修理
・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀
念物に指定2010年忍野村景観計画を策定、忍野八海周辺を景
観形成重点区域に指定2010年街なみ環境整備事業により忍野
八海周辺環境の整備を行う(〜14年)2011年「天然記念物
忍野八海保存管理計画」を策定(予定)B12船津胎内樹型16
17年、富士講の祖とされる長谷川角行が富士登拝の際、現船津
胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規
模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅間明神を祀っ
た。1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発
見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間

235 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:40:03.25 ID:78FOTcTx0.net
おける富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落とし
ての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、現在も富
士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信
仰を語る上で欠かすことができない資産である。写真河口浅間神社の写真表法的保
護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7
冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と
、河口湖畔に建立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉田口登山道二合
目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとす
る文献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅
間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたようで
ある。また、社記によると958年、二合目は冬季における参詣が難儀であること
から河口湖畔の現在地に里宮が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にと
もない、吉田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに増すこと
になる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変化や、富士スバルラインの
開通等もあって吉田口登山道は衰退する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激
減する。また、富士御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理
が困難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿を里宮地内に移転
することとなる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけられる
二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社であ
る。写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本
殿・二合目から里宮境内地に移築、整備された(〜74年)1985年本宮本殿・
文化財保護法の下に重要文化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995
年外部の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅

236 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:40:31.50 ID:GFydl90A0.net
吉田地区は、富士の雪代の被害を避けるため、1572年に旧
地である古吉田地区から集落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神
社の北西隅から北東方向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行わ
れたと伝えられている。小佐野家住宅は、南北の間口が16m
、東西方向の奥行きが150mほどの長大な屋敷地に建てられ
ている。小佐野家は、元亀の集落移転に合わせて現在地に移転
してきたと伝えられる。代々御師を勤め、屋号を堀端屋と号し
、江戸時代には当主は小佐野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っ
ていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,000人に達したと
される。現在、屋敷地の東側には所有者が住む住居が建築され
ており、小佐野家住宅には所有者の親族が居住している。写真
小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯1976年
文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消防設備
設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの
補修を行う1997年主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、
蔵の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用
計画」を策定B9山中湖富士山の火山活動によって形成された
堰止湖で、富士山の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この山中湖にも多くの富士
講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で、20世紀前半に
は湖畔に洋式ホテルが建てられたほか、別荘地としても整備さ
れた。ゆかりのある芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画
が散見する。富士山の頂上付近に日の入りが重なる様子はダイ
アモンド富士と呼ばれ、多くの写真家を集める。写真山中湖の
写真B10河口湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内
八海巡りが行われたが、この河口湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋
式ホテルが建てられた。ゆかりのある芸術家も多く、湖を題材
にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が最も多い。葛飾
北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに見える富士
山を描いている。写真河口湖の写真表法的保護、修理・整備

237 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:45:38.91 ID:78FOTcTx0.net
神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に
御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名付け
た。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習
があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義付けが行われるとと
もに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫な
どが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表法的保護、修理・
整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物と
して指定2010年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定

238 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:46:06.78 ID:78FOTcTx0.net
神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予
定)B8御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世話をすると
ともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。富士山御師として代表的なのは
、吉田口登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に
沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状をなし
、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が
建っている。玄関から奥へ客室が続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の
部類に入る旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の
典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川家住宅は、富士北麓の信仰登
山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の東側南端に位置する。1572年の町割
によって成立した東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建て
られている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋(しおのや)と号し、富
士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀家とした富士山御師である。157
2年の「吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記
されており、外川家ではこの人物を中興の初代としている。また、1669年の「
検地帳」では、塩屋多兵衛の屋敷として確認される。御師としての活動は江戸末期
頃隆盛期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物の老朽化に伴い、所
有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が寄贈を受け、2006年から200
7年にかけ大規模保存修理事業を行った上で、2008年4月から富士吉田市歴史
民俗博物館の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住宅の写真表法的
保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全修理を行う2008年富士吉田市歴
史民俗博物館の附属施設として一般公開を行う2010年「山梨県指定有形文化財
旧外川家住宅保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に重要文化財と

239 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:46:32.18 ID:GFydl90A0.net
経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の下に(
富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏
の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−34−2011
年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富
士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士山の
北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧水地
(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲
池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わ
る巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れ
を祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞられ「富士
御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えら
れ、1843年に富士講道者によって再興されたとされる。写
真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺図表法的保護
、修理・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計画を策定、忍野八
海周辺を景観形成重点区域に指定2010年街なみ環境整備事
業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14年)2011
年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予定)B12
船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされる長谷川角行が富
士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹型指定
範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を
発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清
により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅
間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(
むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣
い社号を無戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の
際に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空
間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にと
っての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。写
真船津胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929
年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定201

240 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:52:34.90 ID:78FOTcTx0.net
然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉
田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年に富士道者により整備さ
れた「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富
士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。
樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、そ
の下段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右の穴が天
津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀る
母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き、夕方
まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。−35−本穴につい
ては、古くから冨士山北口御師団が管理している。写真吉田胎内
樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天
然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「天然記念物
吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講遺跡富士山
西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿いに位置する。木花開花
姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間神社と富士講の人
々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟である人穴がある。長
さ約83mの人穴は約11,000〜8,000年前に流出した
犬涼山溶岩流中に生成したものである。1300年前後に成立し
た文書である吾妻鏡によれば人穴は霊的な場所であり、地元では
「浅間大菩薩の御在所」とみられていたことが記述されている。
この内容は遅くとも1603年までに説話化され、多くの人にそ
の存在が知られていた。富士講関連の文書では1558年、開祖
とされる長谷川角行が役行者のお告げにより人穴に至り、洞窟内
で立行等を達成し、浅間大菩薩よりお告げを得たとしている。角
行は人穴を浄土への入り口とし、「西の浄土」と呼んだため、主
に19世紀以降、人穴は富士講の人々より聖地として信仰を集め
、参詣だけでなく修行を行う者も見られた。その大部分は吉田口
登山道の利用者と推定される。また、塔頭の碑文から村山三坊と
の関係もあったと推定されている。人穴浅間神社の創建は明確で
はないが、1648年及び1665年、その前身である光?寺が
富士講二世日珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)により
再興された記述があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎

241 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:53:29.13 ID:GFydl90A0.net
年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞
穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉田胎内樹型吉
田胎内本穴は、1892年に富士道者により整備された「御胎
内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士講にと
っての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内
に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、その下
段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右の穴が天津
彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀

242 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:58:42.29 ID:78FOTcTx0.net
より再興された。1868年の神仏分離令により20世紀までに
は大日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。1942年
、付近が軍用地となったため一時移転したが、1954年に現在
地に復興された。境内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓
碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰による
ものである。そのほかに富士山に何回も登ったという登拝記念や
大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富
士講の講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢力を誇るた
めと推定されている。碑塔で建立年代のわかる89基の内、富士
講が隆盛した18世紀末から19世紀前半(1781から185
0年)に建立されたものが半数(44基)、19世紀末より20
世紀前半(1871から1940年)のものが3分の1(29基
)を占める。写真B14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5k
mにある落差約20〜25m・幅約120〜210mの数百の流
れを持つ滝である。滝は約1万年前に噴出した白糸溶岩流の末端
から湧き出す一日平均13万?の水を源としている。滝の名前は
湧水の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため名づけ
られた。湧水のメカニズムは、湧玉池と同様であり、透水性の白
糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界に降水・雪解け水が滞水
し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間より湧き出して
いるものである。このメカニズムが解明される前の19世紀半ば
の資料「不二山道知留邊」ではその起源を富士五湖の伏流水とし
ていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書では、開祖とされる長谷川
角行が人穴での立行と合わせて水行を行った地と記されている。
−36−その後、白糸の滝は富士講を中心とした人々の巡礼の場
となった。その様子は1845年と1854年にこの地を訪れた
富士講先達の記録で確認でき、滝つぼの中で垢離をとる信者の周
囲に虹が出来る現象を「御来光」としている。また、周辺にある
食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれている。そのほかの
19世紀の登山記でも人穴と共にその存在が長谷川角行との関わ
りを通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景勝地としても有
名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。写真B15

243 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:59:09.94 ID:78FOTcTx0.net
術家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が最も多い。葛
飾北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに見える富士山を描いている。
写真河口湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の
静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域で
の動力船の使用が規制される−34−2011年文化財保護法の下に名勝に指定

244 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 07:59:35.43 ID:GFydl90A0.net
母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き、夕
方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。−35−本穴に
ついては、古くから冨士山北口御師団が管理している。写真吉
田胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929年史
跡名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「
天然記念物吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士
講遺跡富士山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿いに位置
する。木花開花姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間
神社と富士講の人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟で
ある人穴がある。長さ約83mの人穴は約11,000〜8,
000年前に流出した犬涼山溶岩流中に生成したものである。
1300年前後に成立した文書である吾妻鏡によれば人穴は霊
的な場所であり、地元では「浅間大菩薩の御在所」とみられて
いたことが記述されている。この内容は遅くとも1603年ま
でに説話化され、多くの人にその存在が知られていた。富士講
関連の文書では1558年、開祖とされる長谷川角行が役行者
のお告げにより人穴に至り、洞窟内で立行等を達成し、浅間大
菩薩よりお告げを得たとしている。角行は人穴を浄土への入り
口とし、「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀以降、人穴
は富士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけでなく修
行を行う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利用者と
推定される。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあった
と推定されている。人穴浅間神社の創建は明確ではないが、1
648年及び1665年、その前身である光?寺が富士講二世
日珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興され
た記述があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再
興された。1868年の神仏分離令により20世紀までには大
日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。1942年、
付近が軍用地となったため一時移転したが、1954年に現在
地に復興された。境内の碑塔は、その4分の3(194基)が
墓碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰に
よるものである。そのほかに富士山に何回も登ったという登

245 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:05:12.92 ID:78FOTcTx0.net
写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地が国立公園
法の下に(富士箱根)国立公園に指定1936年史蹟名勝天然紀
念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987年富士宮市
により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富士宮市によ
り保存管理計画が改定され、これにともなった整備計画に基づき
、滝周辺の景観整備が行われた(3)眺望C三保松原富士山頂の
南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した長さ約7kmの砂
嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5万4千本の黒松が外
海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中でも樹齢約650年と
いわれる「羽衣の松」付近は、富士山と砂浜の松という日本で好
まれた景観を組み合わせて望むことができる景勝地として知られ
ている。三保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形と
なったと考えられ、三保の名前は内海側の三つの岬を稲穂にたと
えたという説が有力である。かつては半島一帯に松が繁茂し、8
世紀初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万
葉集」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松
原は後鳥羽上皇など中央の権力者に富士山と組み合わされた景勝
地として認識され、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と
足利義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で
渡り富士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半
島内海側に富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌
等の詩の題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞
台とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した
。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場
面ではヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写が見ら
れる。これはすでに成立していた「竹取物語」で示された富士山
の噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘さ
れている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェー
ツ、パウンドといったモダニズムの作家に影響を与えるとともに
、伝統芸能である「能」が世界に広まるきっかけを作った作品で
ある。また、絵画でも15〜16世紀には三保松原を右に富士山
を左に配する構図が描かれ、この構図は狩野探幽により完成さ

246 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:05:40.61 ID:78FOTcTx0.net
予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富
士山の北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧水地(出口池、御
釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八
大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの
水で穢れを祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞられ「富士御手洗(み
てらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者に
よって再興されたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺図
表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀
念物に指定2010年忍野村景観計画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に
指定2010年街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14
年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予定)B12船津胎
内樹型1617年、富士講の祖とされる長谷川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹
型の南方に焼入(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと
考えられる)を発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清によ
り現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅
間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産し
たという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の際
に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義付け
が行われるとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫など
が祀られている。写真船津胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929
年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留郡
富士河口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」を策定
B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年に富士道者により整備された「御
胎内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の

247 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:06:07.97 ID:GFydl90A0.net
記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。
碑塔は富士講の講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢
力を誇るためと推定されている。碑塔で建立年代のわかる89
基の内、富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半(17
81から1850年)に建立されたものが半数(44基)、1
9世紀末より20世紀前半(1871から1940年)のもの
が3分の1(29基)を占める。写真B14の写真B15白糸
ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅約12
0〜210mの数百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に
噴出した白糸溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万?の水
を源としている。滝の名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れ
ているように見えるため名づけられた。湧水のメカニズムは、
湧玉池と同様であり、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士
泥流の境界に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及
び溶岩流と泥流層の間より湧き出しているものである。このメ
カニズムが解明される前の19世紀半ばの資料「不二山道知留
邊」ではその起源を富士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は
富士講関連の文書では、開祖とされる長谷川角行が人穴での立
行と合わせて水行を行った地と記されている。−36−その後
、白糸の滝は富士講を中心とした人々の巡礼の場となった。そ
の様子は1845年と1854年にこの地を訪れた富士講先達
の記録で確認でき、滝つぼの中で垢離をとる信者の周囲に虹が
出来る現象を「御来光」としている。また、周辺にある食行身
禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれている。そのほかの19
世紀の登山記でも人穴と共にその存在が長谷川角行との関わり
を通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景勝地としても有
名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。写真B15
の写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地が国立
公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1936年史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987年
富士宮市により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富
士宮市により保存管理計画が改定され、これにともなった整

248 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:10:48.20 ID:78FOTcTx0.net
、19世紀に至るまで日本画・浮世絵において富士山を描く際の
典型的構図とされた。また、20世紀には和田英作が「羽衣の松
」付近から見た富士山を数多く描いた。三保松原は16世紀以降
、江戸幕府の直轄地となり松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は
内海側の開発が進んだが、外海側の景観は保たれ、1922年、
国内初の名勝として国文化財に指定された。現在、砂礫の供給

249 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:11:21.26 ID:78FOTcTx0.net
神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を
祀る石祠があり、その下段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右の穴が
天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀る母の胎内である
。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に
登山した。−35−本穴については、古くから冨士山北口御師団が管理している。
写真吉田胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然紀
念物法の下に天然紀念物として指定2010年「天然記念物吉田胎内樹型保存管理
計画」を策定B14人穴富士講遺跡富士山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿
いに位置する。木花開花姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間神社と富士
講の人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟である人穴がある。長さ約83m
の人穴は約11,000〜8,000年前に流出した犬涼山溶岩流中に生成したも
のである。1300年前後に成立した文書である吾妻鏡によれば人穴は霊的な場所
であり、地元では「浅間大菩薩の御在所」とみられていたことが記述されている。
この内容は遅くとも1603年までに説話化され、多くの人にその存在が知られて
いた。富士講関連の文書では1558年、開祖とされる長谷川角行が役行者のお告
げにより人穴に至り、洞窟内で立行等を達成し、浅間大菩薩よりお告げを得たとし
ている。角行は人穴を浄土への入り口とし、「西の浄土」と呼んだため、主に19
世紀以降、人穴は富士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけでなく修行を
行う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利用者と推定される。また、塔頭
の碑文から村山三坊との関係もあったと推定されている。人穴浅間神社の創建は明
確ではないが、1648年及び1665年、その前身である光?寺が富士講二世日
珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興された記述があり、19世
紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再興された。1868年の神仏分離令により
20世紀までには大日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。1942年

250 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:11:42.50 ID:GFydl90A0.net
計画に基づき、滝周辺の景観整備が行われた(3)眺望C三保
松原富士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した
長さ約7kmの砂嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5
万4千本の黒松が外海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中
でも樹齢約650年といわれる「羽衣の松」付近は、富士山と
砂浜の松という日本で好まれた景観を組み合わせて望むことが
できる景勝地として知られている。三保松原のある三保半島は
約6000年前に現在の形となったと考えられ、三保の名前は
内海側の三つの岬を稲穂にたとえたという説が有力である。か
つては半島一帯に松が繁茂し、8世紀初頭には松原自体を景勝
地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉集」に掲載された。その
後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は後鳥羽上皇など中央
の権力者に富士山と組み合わされた景勝地として認識され、1
4〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利義教が三保半島
と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を眺め
る行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側に富士
見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の題材
となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした謡
曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨し
た天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場面では
ヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写が見られる
。これはすでに成立していた「竹取物語」で示された富士山の
噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘さ
れている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェ
ーツ、パウンドといったモダニズムの作家に影響を与えるとと
もに、伝統芸能である「能」が世界に広まるきっかけを作った
作品である。また、絵画でも15〜16世紀には三保松原を右
に富士山を左に配する構図が描かれ、この構図は狩野探幽によ
り完成され、19世紀に至るまで日本画・浮世絵において富士
山を描く際の典型的構図とされた。また、20世紀には和田英
作が「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描いた。三保松
原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地となり松が守られてき

251 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:17:32.01 ID:78FOTcTx0.net
による海岸侵食とマツクイムシによる松の枯死が進んでいるため
、静岡市及び地元民間団体による保護活動が行われている。写真
三保松原(現在の写真・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−
写真三保松原の写真表法的保護、修理・整備の経緯1922年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定1976年名勝「三保
松原」管理計画書を策定1977年名勝地内の一部が指定解除1
989年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定1990年名勝
地内の一部が追加指定及び指定解除2011年名勝「三保松原」
保存管理計画書を改定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的
価値及び周辺環境を構成する諸要素世界文化遺産「富士山」の顕
著な普遍的価値は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な
普遍的価値富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3
776m)の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、そ
の自然的美しさと崇高さを基盤として日本人の自然に対する信仰
の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる
顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を
育んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸
術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い
関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人間
と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型として
、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。本
計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれる要素を「顕
著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的価値を構成
する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに緩衝地帯に
おける「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示すとおり整
理を行った。A富士山山体及び登山道B信仰に関わる周辺のもの
C富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山の構成要素A富士
山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山本宮奥宮・東北奥宮(
久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志
岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)・大内
院・小内院・馬の背・東安河原・西安河原・虎岩(獅子岩)・割
石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須走拝所跡・須山拝所跡

252 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:17:56.71 ID:78FOTcTx0.net
付近が軍用地となったため一時移転したが、1954年に現在地に復興された。境
内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を
望んだ富士講の信仰によるものである。そのほかに富士山に何回も登ったという登
拝記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の講
毎に群を成した所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推定されている。碑塔
で建立年代のわかる89基の内、富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半(
1781から1850年)に建立されたものが半数(44基)、19世紀末より2
0世紀前半(1871から1940年)のものが3分の1(29基)を占める。写
真B14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅
約120〜210mの数百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に噴出した白糸
溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万?の水を源としている。滝の名前は湧水
の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため名づけられた。湧水のメカニ
ズムは、湧玉池と同様であり、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界
に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間より湧き
出しているものである。このメカニズムが解明される前の19世紀半ばの資料「不
二山道知留邊」ではその起源を富士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関
連の文書では、開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行った地
と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心とした人々の巡礼の場
となった。その様子は1845年と1854年にこの地を訪れた富士講先達の記録
で確認でき、滝つぼの中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」と
している。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれている。
そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共にその存在が長谷川角行との関わりを通
して紹介されている。また、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの和歌・
絵画の題材となっている。写真B15の写真表法的保護、修理・整備の経緯19

253 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:18:23.93 ID:GFydl90A0.net
。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが、外海側の景観は
保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財に指定され
た。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイムシによる
松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体による保
護活動が行われている。写真三保松原(現在の写真・静岡市)
写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表法的保護
、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策定

254 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:24:30.49 ID:78FOTcTx0.net
村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道・内浜道A2大宮・村山
口登山道・札打場・中宮八幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5
号建物跡・8号建物跡・12号建物跡・鳥居A3須山口登山道・
須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須
走口登山道・古御岳神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A
5吉田口登山道・現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩
A6北口本宮冨士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・
西宮本殿・大塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9
本栖湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神
立山・湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)
・透塀・楼門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・
桜の馬場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡
(推定)・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・
鉾立石・欄干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流
地形・社叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉
垣・遥拝所・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水
源地「竜頭ヶ池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神
社社殿・大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総
鎮守社)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道
)・狛犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・
手水舎・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅
間神社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上
がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬・
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、小佐野
家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9山中湖
・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出口池、
御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B
12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石造物群B13
吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−40−B14
人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・

255 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:24:57.18 ID:78FOTcTx0.net
6年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1936年史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987年富士宮市により「白糸
ノ滝」保存管理計画が策定2010年富士宮市により保存管理計画が改定され、こ
れにともなった整備計画に基づき、滝周辺の景観整備が行われた(3)眺望C三保
松原富士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した長さ約7kmの砂嘴
をなす三保半島上の松原である。現在、5万4千本の黒松が外海側海岸線4km

256 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:25:24.83 ID:GFydl90A0.net
977年名勝地内の一部が指定解除1989年名勝「三保松原
」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追加指定
及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改
定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境
を構成する諸要素世界文化遺産「富士山」の顕著な普遍的価値
は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価値富
士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m)
の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的
美しさと崇高さを基盤として日本人の自然に対する信仰の在り
方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕著
な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育
んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸
術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、
人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型
として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さ
らに緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、
表に示すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山道B信仰
に関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富
士山の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士
山本宮奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉
(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間
岳、駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・
西安河原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻
・吉田須走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経
塚・外浜道・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八
幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・
12号建物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴
)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御

257 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:30:30.24 ID:78FOTcTx0.net
叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼
窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆積物・白糸溶岩流・
白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講・白糸の滝の勝景・
音止の勝景・富士山の展望・富士の巻狩の伝承・歌碑・標識C三
保松原・特別規制A地区・特別規制B地区・第1種規制地区・第
2種規制地区・第3種規制地区@自然地形(山林、河川など)・
宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型等富士山体・側火山からの
噴出物による地形・富士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然
記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹
木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自然
林、森林施業地、人工林・社叢林、境内林・富士山特定地理等保
護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理又は公
開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総
合案内標識、解説板C道路とその他の人工物(生活用道路、電柱
、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる
諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設@自然的
要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文化財、社寺境内
、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地
、市街地、道路、その他人工物)上表において分類した諸要素に
ついて、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸
要素@富士山山体及び登山道A富士山富士山体のうち、標高約1
500m以上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望
地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面に
おける比重が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する
境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点
からも不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している
。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ
」又は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあっ
た。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と
「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画な
どの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートには
、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿

258 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:30:57.90 ID:78FOTcTx0.net
中心に繁茂し、その中でも樹齢約650年といわれる「羽衣の松」付近は、富士山
と砂浜の松という日本で好まれた景観を組み合わせて望むことができる景勝地とし
て知られている。三保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形となったと
考えられ、三保の名前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえたという説が有力である
。かつては半島一帯に松が繁茂し、8世紀初頭には松原自体を景勝地として捉えた
和歌が詠まれ、「万葉集」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保
松原は後鳥羽上皇など中央の権力者に富士山と組み合わされた景勝地として認識さ
れ、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利義教が三保半島と対岸(現静
岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川
家康が三保半島内海側に富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の
詩の題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした謡曲(能)「
羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨した天女と漁師との出会いと別れ
を描いたこの話の最終場面ではヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写
が見られる。これはすでに成立していた「竹取物語」で示された富士山の噴煙が天
上と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘されている。この作品は、19
世紀後半、海外へ伝えられ、イェーツ、パウンドといったモダニズムの作家に影響
を与えるとともに、伝統芸能である「能」が世界に広まるきっかけを作った作品で
ある。また、絵画でも15〜16世紀には三保松原を右に富士山を左に配する構図
が描かれ、この構図は狩野探幽により完成され、19世紀に至るまで日本画・浮世
絵において富士山を描く際の典型的構図とされた。また、20世紀には和田英作が
「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描いた。三保松原は16世紀以降、江戸
幕府の直轄地となり松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが
、外海側の景観は保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財に指定された
。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイムシによる松の枯死が進んでい

259 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:31:22.17 ID:GFydl90A0.net
神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・
現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨
士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大
塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖
水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧
玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀
・楼門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の
馬場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(
推定)・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・
鉾立石・欄干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩
流地形・社叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁
・玉垣・遥拝所・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩
流・水源地「竜頭ヶ池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢
・浅間神社社殿・大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神
社(高嶺総鎮守社)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)
・石段(参道)・狛犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿
・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士
浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エ
ゾヤマザクラ・根上がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参
道鳥居・富士塚狛犬・富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、
鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者
堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築された二合目本殿B8御師
住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・
屋敷地(タツミチ)B9山中湖・湖水B10河口湖・湖水B1
1忍野八海・八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧
池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B12船津胎内樹型・溶岩樹
型・無戸室浅間神社、石造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型
・洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・
碑塔群・参道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B1
5白糸ノ滝・古富士泥流堆積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止
の滝・鬢撫水・植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景

260 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:36:53.78 ID:78FOTcTx0.net
て、富士山体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされ
る長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を
通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高
約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布
図・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開
山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本朝
世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、富士山に
数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下

261 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:37:19.40 ID:78FOTcTx0.net
ため、静岡市及び地元民間団体による保護活動が行われている。写真三保松原(現
在の写真・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表法的保護
、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定197
6年名勝「三保松原」管理計画書を策定1977年名勝地内の一部が指定解除19
89年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追加指
定及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定第3章保存管理
の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境を構成する諸要素世界文化遺産「富士
山」の顕著な普遍的価値は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価
値富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立し
た火山として世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本人
の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによ
る顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育んだ「名山」
である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて
一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみ
ならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型として、世
界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。本計画では、顕著な普遍
的価値に対し、資産に含まれる要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「
顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに緩衝
地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示すとおり整理を行った
。A富士山山体及び登山道B信仰に関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関
わるもの表富士山の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山本宮
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志
岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の
背・東安河原・西安河原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・

262 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:37:46.00 ID:GFydl90A0.net
富士山の展望・富士の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特
別規制A地区・特別規制B地区・第1種規制地区・第2種規制
地区・第3種規制地区@自然地形(山林、河川など)・宝永山
(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型等富士山体・側火山からの噴出
物による地形・富士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記
念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹
木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自
然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内林・富士山特定地理
等保護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理
又は公開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板な
ど)・総合案内標識、解説板C道路とその他の人工物(生活用
道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と
密接に関わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便
益施設@自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵
文化財、社寺境内、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構B
人文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表にお
いて分類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な
普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山
富士山体のうち、標高約1500m以上の範囲である。この範
囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合
う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山
道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(
乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点)
の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とりわけ
この「馬返」より上を目指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」
と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。景観的には山体
の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界と
して認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象となる
ことが多い範囲である。御中道巡りのルートには、現在も石碑
が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿って、富士山
体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷川
角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を通る

263 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:43:27.42 ID:78FOTcTx0.net
た」とある。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、
明治7年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像を取り除き、
大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥宮の写真[
奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ
18p)奥宮の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が
、もう一方には虎の絵が彫られている。天保年間(1830−3
4)に、岸岱が作ったとされる。(b)鎮國之山(高さ146×
幅61×厚さ31p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之山」
と彫られている。明治31年(1898)に書家の中林梧竹によ
り建碑された。後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1
967)に再建された。・東北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮
の末社で、大名牟遅命、少彦名命を祀る。須走口登山道、吉田口
登山道の終点にある。室町時代以降、頂上の一つである久須志岳
(旧薬師ヶ嶽)に薬師堂があり、道者の登山切手を改めた。古く
は山役銭の徴収場であった。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀
釈により破却され、久須志神社と改称した。写真東北奥宮の写真
・金明水雪解け水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御
霊水」として珍重された。大正期の写真をみると、井戸は石組み
や木製の柵で囲われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水と
おなじく、富士山頂の霊験あらたかな湧き水として珍重された。
『富士の歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはな
い」と記している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)
石碑@(高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「
大正五年」の2つの年代が確認できる。富士講の人々が建碑した
ものと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅
63p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑
B(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石
碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳
、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約8
00mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住むとさ
れた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集註釈
』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることから、鎌倉時代

264 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:44:19.60 ID:GFydl90A0.net
め富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約1
500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図
・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開
山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本
朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、富士
山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋
納下した」とある。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があ
ったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像

265 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:49:42.26 ID:78FOTcTx0.net
型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参
道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆積物・白糸溶岩流・
白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士
山の展望・富士の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制
B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然地形(山林、

266 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:50:10.53 ID:GFydl90A0.net
取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真
奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139
×幅64×厚さ18p)奥宮の裏手、浅間岳の麓に所在する。
一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られている。天保
年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(b)鎮
國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所在す
る。碑面に「鎮國之山」と彫られている。明治31年(189
8)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷により破
壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東北奥
宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名
命を祀る。須走口登山道、吉田口登山道の終点にある。室町時
代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師堂が
あり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であっ
た。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が
湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍重
された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富
士山頂の霊験あらたかな湧き水として珍重された。『富士の歴
史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@
(高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正
五年」の2つの年代が確認できる。富士講の人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅
63p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石
碑B(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水
の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、
成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の
直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏
が住むとされた。文永年中(1264〜1275)の作である
『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることか
ら、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てて

267 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:56:16.01 ID:78FOTcTx0.net
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718
m)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息をとっ
たという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が
岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]−43
−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳
」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳の石仏群とし
て、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近に、10体の
石像が安置されている。これらは原位置を留めておらず、周辺に
あったものが集められたと考えられる。いずれも頭部を欠損して
いる。・大内院山頂の火口中央に存在する穴で、ここより雲が生
じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)は中央にある大きな
火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神
や仏の居る所であると信じられ、登山者は各登山口に設けられた
拝所あるいは初穂打場から、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。
現在、噴火口への立入は禁止されている。写真大内院の写真・小
内院西安河原から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、大内
院との対比で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えら
れる。写真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫
と砂の急斜面である。お鉢巡りの道中で最大の難所である。現在
はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に向けて傾斜
しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らなかっ
たといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀
な広い平坦部である。かつては現世と来世の境である「賽の河原
」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上げ石塔を作った。ま
た「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭が投げ込まれた場
所とされる。・西安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に
下りた付近の平坦部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行
く内浜道との分岐点に位置する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸
に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうずくまる姿に似ている
ことから名付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ば

268 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:56:39.72 ID:78FOTcTx0.net
川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型等富士山体・側火山からの噴出物
による地形・富士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、
鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等の
植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内林・富士山特定地理
等保護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的
とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道路とそ
の他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸要素
と密接に関わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要
素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成す
る諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表
において分類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値を構
成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山富士山体のうち、標高約1500m
以上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重
なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山
体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観
点からも不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、
とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、富
士山の範囲と見なす地域もあった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり
「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの
対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートには、現在も石碑が一部残
存している。ルートはほぼ森林限界に沿って、富士山体を一周する。15〜16世
紀ごろ富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−4
1−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約1500
m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図・富士山本宮奥宮富士宮

269 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 08:57:06.02 ID:GFydl90A0.net
たと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記
』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コ
マカニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構
成する峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名
称は、明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更
された。以下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所に
よる発掘調査報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣
ヶ峰からお鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。
なお、浅間大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」と
している。図八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]
かつては剣ノ峰、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を
立てたようにそびえ立っているためにこの名があるという。道
者たちはあまりに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったと
いう。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられ
たが、麓からの石と取り替えるということが行われていた。写
真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高
約3,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一
般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、また二等三
角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)]かつて
は薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他
の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方
向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首
から上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身
禄」の文字が確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就
岳(標高約3,734m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小
2つの鳥居が、噴火口の方角を向いて建てられている。[伊豆
岳(標高約3,748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼
ばれた。『浅間神社の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感
じ、下りて荒巻の険を越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸
気を噴出する」とある。頂上には鳥居は見られない。[朝日岳
(標高約3,733m)]伊豆岳と同様、かつては地中から蒸
気を発していたとされる。頂上に鳥居は存在しない。石積み

270 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:02:42.58 ID:78FOTcTx0.net
た溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが
15m程あったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者
の修行場として知られ、食行身禄がここで入定しようとしたが、
大宮浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子
岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にあ
る岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとさ

271 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:03:07.44 ID:78FOTcTx0.net
登山道頂上に位置し、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売
命である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、富士山に
数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋納下した」とある。江戸
時代には、村山三坊所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真奥
宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p
)奥宮の裏手、浅間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が
彫られている。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(b)鎮
國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之
山」と彫られている。明治31年(1898)に書家の中林梧竹により建碑された
。後年、落雷により破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東北
奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名命を祀る。須走口
登山道、吉田口登山道の終点にある。室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(
旧薬師ヶ嶽)に薬師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場で
あった。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須志神社と改称
した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらた
かな「御霊水」として珍重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の
柵で囲われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士山頂の霊験
あらたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如何なる旱にも
水の涸れることはない」と記している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a
)石碑@(高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2
つの年代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A
(高さ162×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている
。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑

272 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:03:32.80 ID:GFydl90A0.net
あるが時期は不明である。他の峰々と比べ、文献の言及が乏し
い。[浅間岳(標高約3,722m)]浅間大社奥宮の裏手に
あり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立入が制限されている
。[駒ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子が黒駒に乗って
登山した際に、ここで休息をとったという伝説のある峰である
。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からできている。[三
島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳とも呼
ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角材
の木杭が立っている。三島岳の石仏群として、三島岳のふもと
、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されて
いる。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集
められたと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内
院山頂の火口中央に存在する穴で、ここより雲が生じ、風が起
きるとされた。大内院(噴火口)は中央にある大きな火口、小
内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の
居る所であると信じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所
あるいは初穂打場から、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現
在、噴火口への立入は禁止されている。写真大内院の写真・小
内院西安河原から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、大
内院との対比で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考
えられる。写真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、
火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡りの道中で最大の難所であ
る。現在はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に
向けて傾斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰
に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり
、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世と来世の境
である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上
げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて
賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対を
なす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外
壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・
虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(

273 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:09:45.38 ID:GFydl90A0.net
子)のうずくまる姿に似ていることから名付けられた。・割石
かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷え
て固まったため割れていた。高さが15m程あったが、現在は
崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知られ、
食行身禄がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人からの
許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で入定したとされ
る。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩で、この方角
から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。また、文

274 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:15:20.24 ID:78FOTcTx0.net
雷岩、割石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院
に沿って回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関
わる工作物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著し
く、現在は立入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登
山道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約
3.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に
、東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな
ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、自分の
院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛んで
あった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30年(
1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写真札
打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口登山道跡と富士
山スカイラインが交差する地点から南西方向に約500mの地点
に位置する。標高は約1,280mである。東側を走る沢から一
段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり、上−45
−段には小さな祠が建てられている。また下段には、南東から北
西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返しと呼ばれ、駒立
小屋があったとされる。また、ここからは女人は登山道を登るこ
とを許されず、駒立小屋は女人堂として使われた時期もあったと
考えられる。下段平坦面の南側には溝が東西方向に延び、西側の
森林に突き当たって痕跡をたどれなくなる。木馬道である可能性
が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡よ
り北東に約100mの地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神
の祠が並んで建てられている。水神祠には「文化十三年寅年六月
日」、八大龍王には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれてい
る。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保14年(1843
)から文久3年(1863)にかけて記録した『袖日記』には、
安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘
ったので山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡堂の井戸
」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考えられている。
井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建物跡4号建
物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯となり、

275 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:15:43.85 ID:78FOTcTx0.net
。[伊豆岳(標高約3,748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『
浅間神社の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を越え、成
就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。頂上には鳥居は見られない
。[朝日岳(標高約3,733m)]伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発し
ていたとされる。頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である。他
の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,722m)]浅間大

276 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:16:08.18 ID:GFydl90A0.net
年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、8合目の
石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々が生け捕りに
したとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解け水が窪地
に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を現し、雪
解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−44−かつ
ては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山頂の難所と
して知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石組みが
ある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところにあ
ったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭
を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を
拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在
は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定す
ることはできない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀
明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2年(1
913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火
口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、2
つの目印の石が存在している。写真須山拝所跡の写真・村山大
宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所
」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の鳥
居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、それぞれ延徳2年(1490)、
天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があった
とされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島
ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏の破片と一
石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの
遺物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経
巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能
性が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を
周回し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下

277 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:20:59.66 ID:78FOTcTx0.net
の中に5号建物跡がある。標高は約1,865mである。平成5
年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石
像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究
所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地
面が掘り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと考えら
れる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘が
ある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口
南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
ると推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。
廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では
5号建物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物
跡7号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平場中央
部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。もう一つ
の北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15
m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石
組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」として載って
おり、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた
「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂
は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土
記』にあり、また末代上人が建てた往生寺があったところだとも
いわれている。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山
道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m
)にある。11号建物跡から北に50mの地点に所在する。東西
約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている。
東側には直径約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建
物跡でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道
跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている
。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置した

278 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:21:23.21 ID:78FOTcTx0.net
奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立入が制限されている。[駒
ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からで
きている。[三島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳とも呼ばれ
た。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三
島岳の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近に、10体の
石像が安置されている。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集め
られたと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火口中央に存
在する穴で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)は中央に
ある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の
居る所であると信じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場か
ら、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されている。
写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、
大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写真小
内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地されている。火
口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らなかった
といわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である
。かつては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を
積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭が投げ込
まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付
近の平坦部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置
する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず
くまる姿に似ていることから名付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼

279 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:21:48.81 ID:GFydl90A0.net
西安河原の北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、
割石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿
って回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わ
る工作物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著し
く、現在は立入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北
東約3.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830
m)に、東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本
の大きなケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打と
は、自分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修
験道が盛んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った
。昭和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見ら
れたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村
山口登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方
向に約500mの地点に位置する。標高は約1,280mであ
る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平
坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸
時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、
ここからは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女
人堂として使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の
南側には溝が東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡
をたどれなくなる。木馬道である可能性が指摘される。写真中
宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100m
の地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建て
られている。水神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王
には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大
宮町神田の横関家の主人が、天保14年(1843)から文久
3年(1863)にかけて記録した『袖日記』には、安政7年
(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったの
で山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」と
は、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考えられている。

280 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:26:57.08 ID:78FOTcTx0.net
のである。A3須山口登山道図登山道に要素が点在している平面
図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目(標高1,4
40m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径
は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を通り抜けること
ができる。登山者は、この洞穴を通って登山するのがならわしで
あった。かつて洞穴の延長は数10mあったが、関東大震災によ
り天井部分が崩落し、現在の長さになった。崩落した部分は、長
さ約30mのU字型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東

281 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:27:21.84 ID:78FOTcTx0.net
れた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あった
が、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄
がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合
五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。また、文化年間の
初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、8合目の石室に走り入った。これを
石室に居合わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の
雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を現し、雪解け
水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、
強い風が吹き付ける富士山頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積
み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところにあっ
たとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投
げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場
所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定す
ることはできない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を
臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山スタンプが押された写真
では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在している。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録
』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『富士山明細図』は、
このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道
に沿って3体の大日如来があり、それぞれ延徳2年(1490)、天文12年(1
543)、寛永元年(1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも、
剣ヶ峰の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真
・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏の破片と一石経を採集

282 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:27:49.06 ID:GFydl90A0.net
戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建物跡4号建
物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯となり、
その中に5号建物跡がある。標高は約1,865mである。平
成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に3
体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財
調査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒
れた際に地面が掘り起こされ、地中にあった石像が地上に現わ
れたと考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1
810)の銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、こ
こが「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧
本・笹垢離」跡であると推測できる。4体の石像には破壊され
た痕跡が確認できる。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお
、明治末の登山案内では5号建物跡に該当する施設の記載がな
くなっている。・8号建物跡7号建物跡から北西に約220m
(標高約2,170m)の位置にある。中宮八幡堂跡より標高
の高い位置に所在する建物跡の中で最も大規模なものである。
2つの平場により構成され、南西部の平場は東西約25m、南
北約10mである。入口に石段が残存しており、石段の東西に
は石垣が組まれている。また平場中央部よりやや西に護摩壇と
思われる石組も残存している。もう一つの北東部の平場は北西
から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸約6mの三
角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。
昭和時代の地図には「一ノ木戸」として載っており、「富士山
表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂・
木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来
と役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあ
り、また末代上人が建てた往生寺があったところだともいわれ
ている。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡
に残る遺構のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)
にある。11号建物跡から北に50mの地点に所在する。東西
約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている
。東側には直径約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は

283 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:33:42.50 ID:78FOTcTx0.net
て下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもとを調査したところ、経巻が詰まっ
た経筒や木槨、土器片などの遺物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10
巻分の経巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。経巻のスタ
イルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性が考えられる。写真出土遺物
の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣
ヶ峰を下り西安河原の北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経
て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って回り金明水に至る道が内
浜道である。沿道には信仰に関わる工作物や自然物が数多く存在する。外浜道は近
年崩落が著しく、現在は立入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登山道
に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3.5q、天照教社の
西南西約1qの地点(標高約830m)に、東西約7m、南北約10mの平場があ
る。南側に1本の大きなケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、
自分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛んであった頃、
山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30年(1955)頃までは、木に打
ちつけた札が見られたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山
口登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約500mの地点
に位置する。標高は約1,280mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面
に所在している。平坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返しと呼
ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人は登山道を登ることを許
されず、駒立小屋は女人堂として使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面
の南側には溝が東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくなる
。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂
跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神の祠が並ん

284 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:34:10.93 ID:GFydl90A0.net
の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居
登山道跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置さ
れている。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が
設置したものである。A3須山口登山道図登山道に要素が点在
している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合
目(標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴で
ある。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内
部を通り抜けることができる。登山者は、この洞穴を通って

285 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:40:13.10 ID:78FOTcTx0.net
時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれていた。富
士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ
御子石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之
神社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(
登山道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目
、古御嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されて
いる。・狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。
この場所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石
碑7合目付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっ
と標高の高い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に
転がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置した
という。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している
。A5吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山
道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂
を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田
口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓か
ら頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する
要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等
信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂となり馬
が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山から木
山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもなる。
富士山有料道路が開通する以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾
配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがいったん休憩
を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋が営業され
、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合目ここは木
山と焼山の境界でもあるこの地は天地境(てんちのさかい)とも
言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等がおかれていた。
ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として役銭を納めた場所
である。後年は登山切手改め所となった。小屋については、江戸
後期には4軒があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に
「中宮之室」という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設
けられ−48−ていたことがわかる。最盛期には18軒が所在

286 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:40:39.53 ID:78FOTcTx0.net
建てられている。水神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年
七月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保1
4年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『袖日記』には、安
政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた
」との記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指
すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建

287 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:41:06.06 ID:GFydl90A0.net
山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ
ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな
った。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地
形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩は
須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜123
0年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に
噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、
須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認
められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されて
いることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内
の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されている。地元
在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成1
2年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南東側入口
の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内の南東
側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられている。・標
柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)」と記さ
れた標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置されてい
る。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に、石
造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4須走口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅間神社
の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿は、
昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の規
模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には鳥
居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿、
庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之
神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼
ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理
していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから
、江戸時代初期以降にはすでに祀られていたものと考えられる
。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によ

288 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:45:54.66 ID:78FOTcTx0.net
たと伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏帽子岩七合五勺
に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて
富士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の
断食修行を経て入定した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三
日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レ
ヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身禄の聖地
として信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地と
して重要な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間
神社図以下に示す要素が点在している平面図北口本宮冨士浅間神
社は、富士講とのつながりが強く1730年代に富士講の指導者
である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行わ
れ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の背後には登
山門があり、この神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が
延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展し
た神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士
信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道
の起点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥
居土佐守成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で
、入母屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間を
つけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆
塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を
展開し、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
のである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝を
つける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとよ
り西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い
建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替
わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建

289 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:46:18.43 ID:78FOTcTx0.net
跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5
号建物跡がある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による調査で
は、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県
埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に
地面が掘り起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1体
の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧本前」と刻ま
れており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹
垢離」跡であると推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏
毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建物跡に該当する
施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7号建物跡から北西に約220m(標
高約2,170m)の位置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建
物跡の中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の平場は
東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存しており、石段の東西には
石垣が組まれている。また平場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存し
ている。もう一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15
m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。
昭和時代の地図には「一ノ木戸」として載っており、「富士山表口南面路次社堂室
有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる
。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』に
あり、また末代上人が建てた往生寺があったところだともいわれている。写真8号
建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い
位置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地点に所在する。
東西約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている。東側には直径
約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と

290 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:46:43.85 ID:GFydl90A0.net
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己
貴命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルー
トであったが、現在は建物の東側を通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれ
る日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」
という富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平
石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ御子石」はないが、
祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居
登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、
9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社
前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・狛
犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所
は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合
目付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標
高の高い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転
がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置した
という。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損してい
る。A5吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・
登山道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富
士山頂を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道
者が吉田口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一
徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価
値を構成する要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教
施設や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここ
から急坂となり馬が使えなくなることからこの名がついた。こ
の一体は草山から木山への境でもあり、ここからが御山の聖地
ということにもなる。富士山有料道路が開通する以前の馬返の
周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、
登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わった。登山期
間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。写真馬
返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地
は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場

291 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:51:26.06 ID:78FOTcTx0.net
により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一
間社流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつける。
西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、や
がて豪華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞で
きる貴重な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿
の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝した地であり

292 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:51:51.68 ID:78FOTcTx0.net
えられる。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が
設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置したもの
である。A3須山口登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶
岩洞穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m余の溶
岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を通り抜
けることができる。登山者は、この洞穴を通って登山するのがならわしであった。
かつて洞穴の延長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在
の長さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地形として
須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている
。年代測定では1030〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083
)の噴火時に噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められており、須山口登山
道がこの溶岩流に沿って形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・
石像須山御胎内の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住
の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居
須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられている。・標柱
鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)」と記された標柱が、富士山須
山口登山道保存会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4須走口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅間神社の境外末社で、5合
目の登山道登り口にある。現在の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間
口九尺、奥行九尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿、庁舎を備えてい

293 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:52:17.35 ID:GFydl90A0.net
中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮
三社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手
改め所となった。小屋については、江戸後期には4軒があった
が、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という
名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−て
いたことがわかる。最盛期には18軒が所在したと伝えられて
いる。写真五合目周辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形
をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて富士講中興
の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の断食修行
を経て入定した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三日富士
行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲
者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身禄の聖地と
して信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地と
して重要な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅
間神社図以下に示す要素が点在している平面図北口本宮冨士浅
間神社は、富士講とのつながりが強く1730年代に富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工
事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の
背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで吉
田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境
内地、吉田口登山道の起点などがある。・本殿本殿は、161
5年、都留郡の領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行
一間・梁間二間の規模で、入母屋造の建物を身舎としてその前
面に唐破風造の向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式
が採用されている。各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・
金具を配して豪華絢爛な装飾を展開し、桃山式建築の装飾的技
法の多様性を示すとともに、すぐれた意匠をみせる顕著な建物
である。写真本殿の写真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1
223年北条義時の創建とも伝えられるが、現社殿は1561
年武田信玄が浅間本社として造営したものである。本殿は身

294 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:57:36.80 ID:78FOTcTx0.net
ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに
、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社
として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状
の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建てられている。
写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際
の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され
、神事が行われる。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏
訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西
湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡っ
て修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、い
つの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真西湖の写真A8精進湖図以下に示す要素が点在している平面図
富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数え
られている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湖水)などがある。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に示す要
素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わら
ず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある
。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅
間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の北
側にある丘陵地一帯は神立山と称される。神立山及び富士山本宮
浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩流に分類
される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積物の層で
−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため指定地内
の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見される。また、当該
地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿いの散策路以

295 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:58:01.31 ID:78FOTcTx0.net
という。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合
目(3,570m付近)に建てられている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。元禄
16年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に「前薬師之小
屋」の記述があることから、江戸時代初期以降にはすでに祀られていたものと考え
られる。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を
降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前は登
山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側を通るようになって
いる。迎久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を
遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれて
いた。富士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ御子石」
はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山道の
浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目、本8合目、本7合目
、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置され
ている。・狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の登山道脇に富士講
関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場所にあったが、雪崩によって流され
て別の場所に転がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したとい
う。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神
社を起点とし、富士山頂を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者
が吉田口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで
登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存する吉田口
登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返こ

296 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 09:58:28.77 ID:GFydl90A0.net
梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝をつける一間社流造の
形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとより西宮本殿に比較
してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻など
に室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建物である。
写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は、1
594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わる本殿
として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立により
現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間

297 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:03:45.88 ID:78FOTcTx0.net
から急坂となり馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山から木
山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもなる。富士山有料道路が
開通する以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり
、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼
山の境界でもあるこの地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。

298 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:04:10.41 ID:GFydl90A0.net
流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつける。西
宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、や
がて豪華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞
できる貴重な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮
本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝した地で
あり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている
。さらに、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山に
は、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この
地は、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建
てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火
祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石
上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読まれる祝詞の
一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の
写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖図
以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、い
つの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、
景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがあ
る。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在して
いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多く
の富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の
対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある。
写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅
間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿

299 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:09:13.20 ID:78FOTcTx0.net
る。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1
間の向拝が付いている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続し
ている。県指定文化財として保護されている。[透塀]本殿周囲
を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含め
たより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間
に及ぶ。県指定文化財として保護されている。[楼門]三間一戸
、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついてい
る。楼門の左右には随身像が安置してある。静岡県指定文化財と
して保護されている。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼
門から東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934)に付加された
ものである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清
めるために手や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれ
の灯籠が境内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に
石造りの鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたも
のである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱
塗りの鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執
り行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始まる
と言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたとの記
録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えられてい
る。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、池に下り
るための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の
神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。春秋の大祭に
はこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(
1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋
)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛
文10年の絵図には既に描かれているが、大正4年(1915)
に石造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文
10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出さ
れた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。
また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認

300 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:09:36.91 ID:78FOTcTx0.net
場、中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料と
して役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋については、
江戸後期には4軒があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」
という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわ
かる。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏
帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて富
士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定
した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋ア
リ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身
禄の聖地として信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地として重要
な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年
代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行
われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、こ
の神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と
密接な関係を持ちながら発展した神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起
点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守成次によって
建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母屋造の建物を身舎としてその前面
に唐破風造の向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開し、桃
山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐれた意匠をみせる顕著な建物
である。写真本殿の写真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の
創建とも伝えられるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営した

301 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:10:03.35 ID:GFydl90A0.net
北側にある丘陵地一帯は神立山と称される。神立山及び富士山
本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩流
に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのた
め指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見される
。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1
670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建
築物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池
」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山
に降った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の
溶岩層間を流れ、溶岩流末端で湧出して池になったものである
。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉
池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池
の水で心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連
の深い池であった。現在も富士山山開きの7月1日には、湧玉
池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢
神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の
樹木が生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。ま
た、野鳥の生息に適した環境でもあり、「野鳥の森」碑が建て
られている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大
社は、社伝によれば大同元年(806)に造営されたという。
かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の
総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜11年
(1604〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社
殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財で
ある。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他
に例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階
上層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。
明治40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保
護建造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護さ

302 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:15:42.63 ID:78FOTcTx0.net
れた。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えら
れる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石
川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作
」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写真随

303 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:16:10.61 ID:78FOTcTx0.net
のである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝をつける一間社流造
の形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとより西宮本殿に比較してやや小規模で
あるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿
中最も古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は
、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立され
たが、1615年、鳥居成次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿
の形式は東宮と同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつけ
る。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪華な本
社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49
−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝
した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、
788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分
祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を
祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火
祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が
行われる。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。
写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点在している平面図富
士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、
いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり
、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自
然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖図以下に示す要素が点在し
ている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によっ
て行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する

304 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:16:37.06 ID:GFydl90A0.net
ている。写真本殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図
(幣殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行
3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図に
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣
殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻造で
、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に縁を
巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として保護
されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿
横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−
51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化財とし
て保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根
は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には随
身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている
。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸び
る回廊は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・
手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手
や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境
内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの
鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたものであ
る。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗り
の鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り
行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始ま
ると言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたと
の記録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えら
れている。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、
池に下りるための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧
玉池南側の神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。
春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされ

305 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:21:23.17 ID:78FOTcTx0.net
像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている
。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明
治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標
が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十
一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見さ
れ、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御子
神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」
が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿っ
た鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋
)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路
橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(1670)の絵図で
は西側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年
の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至る
までの区域は北山溶岩流上に展開している。また、遥拝所が位置
する小高い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の
西岸には、天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成され
る丘陵地が展開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近
の北山溶岩流を含め、4つの異なる溶岩流地形が広がっているこ
とになる。遥拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,00
0年前の噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、
この部分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられ
る。そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見
渡せていたため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考え
られる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・
社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9
,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定さ
れている。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠
屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山

306 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:21:47.99 ID:78FOTcTx0.net
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に
示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多く
の富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられ
ている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある
。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示
す要素が点在している平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称さ
れる。神立山及び富士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶
岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積物の層で−50
−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出
し、縄状溶岩も散見される。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1670)の浅
間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳や
護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の
「湧玉池」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端で
湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池
のみを湧玉池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心
身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細
平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が
生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環
境でもあり、「野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀
・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営されたという。か

307 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:22:12.47 ID:GFydl90A0.net
。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている
。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が
架けられている。寛文10年の絵図には既に描かれているが、
大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真
図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成
20年の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成
された石垣と建物跡が検出された。石垣は樵石積みで組まれ、
平面形は正方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞さ

308 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:26:59.76 ID:78FOTcTx0.net
浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾立
石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿っ
た鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾であ
り、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2
つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登る
ための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしくは戦後に
改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方
が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶
岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築さ
れている。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土
しているため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もし
くは後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリート製の
玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられたものと考
えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付けられてい
る。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うことを目的として
築造されたと推定される施設である。南北約15.2m、東西約
7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶岩を用いて石列等に
よって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に
向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所
が、向かって右側に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所
の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建て
られている。昭和6年(1931)に建立されたものである。・
参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神
社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付
の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区
は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ば
れる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま
たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側

309 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:27:23.41 ID:78FOTcTx0.net
ての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として崇められて
いる。現在の社殿は、慶長9〜11年(1604〜06)に徳川家康が造営したも
のである。写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財であ
る。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。1階下
層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で
共に桧皮葺である。明治40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別

310 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:27:50.91 ID:GFydl90A0.net
た敷地内で建物跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で
、南側に入口を有していたと考えられる。発掘調査後に、江戸
時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「本地堂」とする記載が確
認されており、最終的に護摩堂から本地堂へ造作し直された可
能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)
図平面図・随身像慶長19年(1614)2月に建立された。
背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右
−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作」と記され、
市指定有形文化財として保護されている。写真随身像全体の写
真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7
年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明治以前
に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標が、
池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一
月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見
され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三
御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・
七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅
間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立
石が置かれている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の
際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神
路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている
。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(
1670)の絵図では西側にのみ架けられている。写真橋全体
の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居か
ら参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展開し
ている。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶岩流の先
端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子山)溶
岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よって
、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含め、4つ
の異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所の基

311 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:33:56.44 ID:78FOTcTx0.net
ら大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因
の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−5
4−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定され
た。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根
が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以
前はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀
でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然記念
物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。
境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東
西17.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ
8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の樹齢とされ
るが、実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境
内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本
、スダジイ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹
されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境
内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左
座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照
大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2
年(1913)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化した
ため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられてい
る。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の
文保年間(1317〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊
が村山に興法寺を開いたと伝えられている。その興法寺の建物と
して現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主尊と
する。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸
時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに変えられ
ている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出
入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。
写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者

312 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:34:20.21 ID:78FOTcTx0.net
護建造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿全
体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿
をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図
には幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間
ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと推測
される。県指定文化財として保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床
は幣殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺
、正面に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している
。県指定文化財として保護されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外側
、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2
棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護されている。[楼門]三間
一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左
右には随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている。写真楼門
全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934
)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清め
るために手や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に
設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられている。昭和
33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそ
れぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われ
る馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期にはすでに神事が
行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えられて
いる。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が
組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口に石造りの橋

313 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:34:44.56 ID:GFydl90A0.net
となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によって
流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区域
と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、
樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていたため
、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真
溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780
uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅
間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の
宿った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山
弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する
丘陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中も
しくは戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周
辺約45m四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩
流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を
含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと
思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12
世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定
される。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所
の周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もし
くは戦後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口に
は鉄製の門扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝
礼し、祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施
設である。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、3
0〜40p程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。
富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀
を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右

314 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:40:39.96 ID:78FOTcTx0.net
、富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.
5m、奥行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底
に石を敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水
垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋
で落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行の
ときの主尊とされる不動明王の石像が安置されている。写真水

315 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:41:05.94 ID:78FOTcTx0.net
架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる。
寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本
殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵図には既
に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真
図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査に
より、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。石垣
は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞さ
れた敷地内で建物跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有
していたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地堂へ造作し直され
た可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身
像慶長19年(1614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下
山住番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作」と記
され、市指定有形文化財として保護されている。写真随身像全体の写真・狛犬参道
の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7年5月に奉献されたものである。
・御神幸道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の
首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一月とされ、
「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれている。昭和59年(1984)
に浅間大社境内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に
、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮本
殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が建てられている。
・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、
神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋、東

316 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:41:33.22 ID:GFydl90A0.net
に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所
の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。
昭和6年(1931)に建立されたものである。・参道石鳥居
から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示
す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、
新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間
は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は
標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼
ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた
。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社
西側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立さ
せた要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチ
ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念
物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m
、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して
祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰
を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られていた
といわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31
年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間神社の御
神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で最大のも
ので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北31m、樹
高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内
板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはおよそ40
0〜600年と推定される。・社叢境内には胸高直径0.7m
以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ1本などの
大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキやスギ
である。富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間神社社
殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間七
社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命
、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・

317 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:47:04.64 ID:78FOTcTx0.net
離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像
が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸
い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられ
る。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見
られ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神
社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と
呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十
七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の
社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登
る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守
社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村
山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置されている
。明治16年(1883)に設置されたものである。・石段(参
道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ続くも
のの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された
狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超えるス
ギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7m
を超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として保
護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれ
ば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは
、大永4年(1524)と記された修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真
社殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用

318 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:47:37.70 ID:78FOTcTx0.net
が神路枚橋であるが、寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられてい
る。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要素が
点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至
るまでの区域は北山溶岩流上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵
は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子山)溶岩
流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よって、山宮浅間神社周辺に
は、籠屋付近の北山溶岩流を含め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることに
なる。遥拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によって
流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区域と比べて植生の回復
は遅れていたと考えられる。そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂
まで見渡せていたため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3mを超
える巨木4本を含むスギ林が、約9,780uの社叢を形成しており、富士宮市の
保存樹林に指定されている。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠
屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復す
る祭儀「山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸職が一夜参籠した
場所である。−53−・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」
で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾であり、籠
屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。・石
段(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現在あるもの
は戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m
四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上
げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用
いられたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀か

319 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:47:56.91 ID:GFydl90A0.net
弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(19
13)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、
その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。
写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文
保年間(1317〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊
が村山に興法寺を開いたと伝えられている。その興法寺の建物
として現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主
尊とする。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴など

320 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:53:35.40 ID:78FOTcTx0.net
れる神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛
犬境内には、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置さ
れている。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1
3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てら
れている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところに
あるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納さ
れたものである。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の
2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−
56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10m
ほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコ
ンクリート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗り
のコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(196
6)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として
奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社八
坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内
社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。B
5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢(
浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に
参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物
である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)
2月19日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り約6m、
目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北2
3.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木で、
静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか見当た
らないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマザクラ昭
和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約1
30年で、根回り2.08m、目通り1.75m、樹高約10m
、枝張東西13.8m、南北9.5m。別名をオオヤマザクラと
称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南限である。県内ではま
れな樹種である。・根上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約300年で、根回り4.61m、
目通り3.07m、樹高27m。この根上り群は約150年生

321 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:54:00.06 ID:78FOTcTx0.net
15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図石
塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されてい
る。戦中もしくは戦後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製
の門扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うことを目
的として築造されたと推定される施設である。南北約15.2m、東西約7.6m
の長方形で、30〜40p程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富

322 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 10:54:29.30 ID:GFydl90A0.net
ら江戸時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに
変えられている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで
、南面に出入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡
らしている。写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行
者及び修験者が、富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場
所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形で、深さ約0.
6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みとなっている
。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧
水を引き、上の段から樋で落とし垢離を取るようにしてある。
水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石像
が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側に
あり、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四
囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組となっている。丸い石
組の前に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、
安政4年(1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組
みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異な
っているものと思われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総
鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなったところに末代上
人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令
により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏
山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大
己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と呼ばれ、
元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉
再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿
は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る
石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮
守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成1
5年の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水
鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置さ
れている。明治16年(1883)に設置されたものである。
・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、

323 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:00:08.71 ID:78FOTcTx0.net
山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公
文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝
所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭
和6年(1931)に建立されたものである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続
いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間
は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は標高が高く、他の集
落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東
側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側から大沢川と
なる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つである。・御神木(イ
チョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然
記念物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が数多く垂下する
。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性
の信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現
在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然記念物に指
定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で
最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北31m、樹高47mも
ある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の樹齢と
されるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高直
径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見
られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林
に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境

324 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:00:37.13 ID:GFydl90A0.net
日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5
年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須
山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢
500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m
、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市
指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対
馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河国司
・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記さ
れた修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1823
)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面・
神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と
石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の
一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り
口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、
それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に
、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−
年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコン
クリート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗り
のコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(19
66)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社と
して奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮
神社八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を
祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物
である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広が
っている。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小
山町の天然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭

325 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:06:33.10 ID:78FOTcTx0.net
高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、
歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのでき
ない資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。
・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡る可
能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時
の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理解するこ
とができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅

326 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:06:59.70 ID:78FOTcTx0.net
社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火
々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀って
いる。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老
朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真
社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜13
18)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えられている。
その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主尊
とする。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造
と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7間、入
母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡
らしている。写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富
士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの
長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みとなってい
る。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段
から樋で落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊
とされる不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東
側にあり、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ
一辺5.3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周囲の正方形
の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているもの
と思われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一
段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しかし、神
仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登った
ところに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。

327 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:07:25.33 ID:GFydl90A0.net
38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定さ
れた。根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東
西28.10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本
の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の
小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育
している。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m
、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南
北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方
型で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根
上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定され
た。樹齢約300年で、根回り4.61m、目通り3.07m
、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨によ
り流亡しながらモミが成長したため、根が爪を立てた状態で生
育し、根上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれ
ている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造
物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享
保3年(1718)に再建された。その後蟻害や老朽化により
改修したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが
今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権
現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年
間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付
きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神と
して配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破してお
り、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時
に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門
、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は

328 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:12:24.72 ID:78FOTcTx0.net
の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆と
される。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以
下に示す要素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は
、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初
とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある
。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、95
8年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目
にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行
や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合
目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して
きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点で
ある二合目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合
目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶
姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(
708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の
社という。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって
桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らか
にされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3
m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも
彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も
当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構
としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面
B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒の案内を
し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である。御師屋
敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷
地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅などがある。・旧
外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式の典型的な御師住

329 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:12:57.76 ID:78FOTcTx0.net
在は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五
月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成
15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建て
られている。昭和28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神
社(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年の
再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く
参道入口の左側に、手水舎が設置されている。明治16年(1883)に設置され
たものである。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂
へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体
が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している
平面図・社叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、
目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として
保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(
961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記された修築時の棟札に
よる。現在の社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社殿
の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿
殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と石段手前の参道脇
に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は
平成13年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。
登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、それぞれ寛保2
年(1742)、文政6年に奉納されたものである。・手水舎石段に至る参道の脇
と、社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−
56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷

330 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:13:16.82 ID:GFydl90A0.net
組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入口には、
花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二
山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納された。
・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居
が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両側に、富士塚
が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治
より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く
残されている。多くは、数多く富士登山が成就されたことを

331 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:18:09.08 ID:78FOTcTx0.net
であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判明
している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世にな
って御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅として最古の部
類の建築物である。離座敷は、富士講が盛んになるととともに主
屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋の東側に増
設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前
に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有
している。写真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐
野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の
前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式になる
。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南
寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主
屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻
造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な
改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として
の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的
少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐
野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している
平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象とし
て数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品と
ゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然
地形(湖水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下
に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代
も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地で
もあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖
の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍
野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八
大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)がある

332 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:18:35.70 ID:78FOTcTx0.net
れ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製の階段が続いている。
・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41
年(1966)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を
受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神、愛鷹
大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測
される建物である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・

333 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:19:04.29 ID:GFydl90A0.net
謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたもので、境内地の
西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富
士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、864
〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神社
が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできな
い資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡
る可能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり
、当時の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理
解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の
再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公
弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御
室浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図−58−冨
士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場を
しつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社で
あるとする文献もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参
拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在の里宮が建立さ
れたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷
地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の
拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがあ
る。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮
)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年
代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をし
つらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、
平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験
所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口

334 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:25:08.74 ID:78FOTcTx0.net
B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図船津
胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である村上光清により
発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明
神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素には、宗教的な意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)
などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は、承平噴火(937)で
流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様
々な樹型が複雑に交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ
下がった溶岩が肋骨のように見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤
色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎
内の名称はこれに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える
。・無戸室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清
により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間
明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつ
むろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以
下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、1892年
に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)である。
顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがさ
れている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内
樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁
に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見
え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の
御胎内として信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田
胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭
神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面
には、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩
流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約
5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置して
いる。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し
、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる溶

335 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:25:32.50 ID:78FOTcTx0.net
叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部
分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育している。・
ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北23
.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少
なく当社以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育して
いる。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。
樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東
西13.8m、南北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型
で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3年5
月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約300年で、根回り4.61m
、目通り3.07m、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながらモミ
が成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考えられる。
縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建
造物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(1
716〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結し
た権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残し
た流造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で
、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社
流造、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面
・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩
窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに

336 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:25:59.96 ID:GFydl90A0.net
村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点と
して行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当
時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時
代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにさ
れている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m
、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも
彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩
も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み
路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅
などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設された
ものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」
をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富士
講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがある
などの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的
な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等の写
真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を
背面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は
間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に
建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの
覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設
がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての形態を
、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少な

337 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:30:46.25 ID:78FOTcTx0.net
流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶
岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行
ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所
の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下
るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜
けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口となり

338 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:31:10.09 ID:78FOTcTx0.net
破しており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時に再建され
たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。
軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道
入口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二山」と刻
まれている。明治33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治より昭
和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数
多く富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも
ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富士講
講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、
北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富
士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構成す
る諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある。建
立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知
の再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされ
る。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭
場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献
もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河

339 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:31:36.44 ID:GFydl90A0.net
社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家
住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写真B10河口
湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡
って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが
、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。ま
た、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著
な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が
点在している平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの
湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地
(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す
要素が点在している平面図船津胎内樹型は、1673年に富士
講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開祖であ
る長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に
交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あ
たかも内臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称は
これに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸
室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清により
現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神
が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社

340 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:37:03.88 ID:78FOTcTx0.net
洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲
部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く
、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは
約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴
の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ
ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費
が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植
された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅
間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存
在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみ
ると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。
建立目的によって大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した
墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願
する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する
「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」
が最も多い。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道
洞穴入口や浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南
から北へ伸びている。現在はコンクリートで覆われている。・建
物跡大小2つの建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。
西側に規模の大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり
、大規模なものの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周
辺には石積みが施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が
、建物跡南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで
約34m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して2
1段の石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列
が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔
群などを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
が溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B

341 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:37:27.58 ID:78FOTcTx0.net
湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境
内に敷地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位
置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して
きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿
などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座し
た。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には
和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とい
う。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一と
して広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口の二合目
、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1
612年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築
様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋
造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐
破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な
建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師
住宅は、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である
。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れ
る水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類
に入る旧外川家住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判
明している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の
様式が確立される以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富
士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から

342 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:37:53.05 ID:GFydl90A0.net
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(

343 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:44:24.40 ID:78FOTcTx0.net
屋の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配
置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等
の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、
妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式
になる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台
、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建つ。土蔵

344 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:44:52.67 ID:GFydl90A0.net
花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内の
石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講
にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B
14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在
している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶
岩(約11,000年前から約5,000年前)に属する犬涼
み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高
1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約5q、標高差に
して約700mの扇状地をつくる溶岩流である。写真溶岩流の
写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に
富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行ったとされる洞穴で
ある。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所の溶岩洞穴のうち
、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下るとき溶岩表面
が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜けて空洞がで
きたものである。洞穴の南西の端が進入口となり、洞穴中央部
でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲部手前中
央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く、奥に
入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは約8
0mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴の
写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・ク
ヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の
消費が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギ
に改植された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔
群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基
の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89
基についてみると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立
のものである。建立目的によって大きく分類すると、個人の戒
名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行に
よる大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講
の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整

345 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:45:34.79 ID:78FOTcTx0.net
5白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、古
富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫岩と
平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。写真写
が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間から
水が湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝

346 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:50:38.60 ID:78FOTcTx0.net
同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、
白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー
トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面
では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸
の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも
呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったも
のであり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また
、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名
前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白
糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内に
は、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士
講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の
祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をと
り修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる
者や、白糸の滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末
の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の
記録がある。指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「
仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記さ
れたもの(白糸の滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白
糸の滝の、数多の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景があ
る。写真景勝の写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ち
る雄大な勝景がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では
、白糸の滝と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる
。写真展望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4
年(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟
の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−談を
している間は水音を止めたことから名づけられたという。また、
鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直し
たという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌
に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を
詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然記念物であることを明

347 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:51:03.56 ID:78FOTcTx0.net
りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この
住宅は、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として
の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家の一遺
例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数え
られている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写
真B10河口湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがあ
る。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野
八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信
仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、
自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在している平
面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である村上光清により発見され
、富士講の開祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地
形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は、承平噴火(937)
で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑
に交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え
、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸控の如
く見える。胎内の名称はこれに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える。

348 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 11:51:31.98 ID:GFydl90A0.net
される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61−写真碑塔群の写
真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社社殿のある平場
へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている。現在はコン
クリートで覆われている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞
穴直上の平場で検出されている。西側に規模の大きな1棟と、
その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なものの方がより
古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施されて
いる。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場か
ら斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている
。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築
されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り
口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ
機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通
る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初
期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検
出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶
岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15
白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流の
ひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にあ
る。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境目に
はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達し
ている。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。
白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰
り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、こ
の多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流

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