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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)10【ダメ工作員】

1 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:47:59.04 ID:Y2n0jPH70.net
 
板中を荒らしながら病的な自演とスパムを続ける「栗木ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、その来歴や栗城スレ(まとめwiki)の妨害、当スレでの執拗な埋立てなどから
栗城ネット工作員である可能性が濃厚です。
 
ここは、現在もっとも不快な荒らしである「栗木ハンター(通称ワイエディ)」をヲチりつつ
登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。


【!】異常者にご注意ください【!】
(ワイエディ [123.255.128.*]) 栗木ハンター主回線
(エーイモ [1.114(115).*.*]) 別回線
(ササクッテロ*) 別回線 末尾*ラ〜ロは動的
(ワッチョイ [175.177.5.*]) 埋立荒らし
(JP [103.75.118.*]) 埋立荒らし
(アウアウカー [182.251.242.*]) 埋立荒らし
(アウアウウー [106.133.56.*]) 埋立荒らし
 ※他にも回線あり


■ ご覧の皆さまへ
悪質転載ブログ「wi1d28jp」 は踏まずにNG登録を。
踏んでしまった人は関連cookieを削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。
 
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スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)。
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スマホ通信量の節約、時短にもなります。


☆ オリジナルはこちら!
【栗城史多まとめ @ ウィキ】
登山や活動・関係者等の詳細なまとめ。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]
【知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
【オクサマファイル】
的確な指摘です。ご一読を。
http://baby01.net/blog/364
(当板「栗城スレ」や「海彦山彦ブログ/栗城下山劇場」もおすすめです)


※前スレ
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)9【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515767245/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

2 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:49:52.85 ID:Y2n0jPH70.net
 
※過去スレ

【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)8【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515766583/1-
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)7【ダメ工作員】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515724902/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/1-49
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)5【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515595280/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515419613/l-41
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【詐欺スパム】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1514205594/1-45
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/1-216
【エーイモ】栗木ハンター9【おまんまん】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1484826791/1-
 

3 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:50:39.46 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
栗城ハンター(通称エーイモ・現ワイエディ)は残念ながら
ブログの嘘や無断転載、2chでの自作自演や荒らし行為が指摘されています。
また、その異常性によって栗城検証スレでは早い段階からテンプレ入りを拒否され
住人の多くからNG登録されている存在です。


■ハンター否決の顛末 その1
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/168-193

(エーイモ SEc8-aNcl [1.114.11.204]) による海彦山彦テンプレ話の流れから
エーイモ別回線と思しき (ササクッテロ) による振り
同調する (エーイモ)
ハンター推しの2回線を除き住人一致で否決


■ハンター否決の顛末 その2
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/634-654

諦めきれない (エーイモ ) による蒸し返し
10名以上に即否決され悪態を吐き出す (エーイモ)
それを指摘され、罵詈雑言と共になぜか「ノースグラフィック乙^^」

 

4 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:51:09.96 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■栗城ハンター拒絶の声 ふたたび


ブログの嘘や無断転載、自作自演、荒らし行為によってテンプレから排除されて久しい栗城ハンター(現ワイエディ・通称エーイモ)。
その後もエスカレートする異常性と妨害行為について、再び有志達から拒絶の声が挙がっています。
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/594-n
  
80に達する「出ていけ」の声は圧巻。
栗城ハンター(現ワイエディ)に対する、批判スレ住人の総意です。

 

5 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:51:38.74 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■栗城ハンター(通称エーイモ・現ワイエディ)の虚言の一例

zKVIwtD+
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCs.html
zKVIwtD+M
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCtN.html

384 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 09:17:59.87 ID:zKVIwtD+
山頂からレポート
マルちゃんの油そばなかなか旨し

413 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 10:07:30.58 ID:zKVIwtD+
私も自営業だからある程度お金も暇もあるから海外ばかり行ってまう
今日は鳳来攻めて今下山中

63 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 10:36:27.24 ID:zKVIwtD+
今日も早朝から単独行
ただいま下山中
帰りは嫁と合流して温泉入って道の駅で買い物してBBQまでやる予定
最高の休日ライフ♪

76 :底名無し沼さん[]:2017/06/10(土) 20:03:27.88 ID:zKVIwtD+
それすげーわかる
今日も早朝から私は一人登山
嫁は昼から合流とかだもん笑


…と書き込んでいるワイエディ回線のエリアは以下のとおり。
鳳来寺山頂はもちろん、登山口、付近の鳳来寺パークウェイ上にも電波はありません。
http://www.enjoy.jp/plan/kualnet/wimax/area.html
http://www.google.co.jp/maps/place/鳳来寺山/

この異常者(エーイモ/ワイエディ)は相変わらず
自己の粉飾と正当化のため、一日も休むことなく
嘘と自演を繰り広げています。

 

6 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:52:03.63 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
虚言癖のハンター=エーイモ(現ワイエディ)、存在しない講演でサインを貰ったと豪語

--------
158 :底名無し沼さん (ワイエディ MM2e-EcN4 [123.255.128.129]) 2017/06/18(日) 02:10:18.83 ID:zBdMv3R/M
>>156
私も聞いててスカッとした笑
会場も失笑してて驚いたけど、けんけんが栗城を揶揄したのにも驚いた

栗城が世間にアピールしなくなった理由は栗城のインチが世間に浸透してるからだと実感
ちなみに南谷マリンもゲスト出演してた
栗城と違い嘘偽りがないのでものすごい人気だった
マリンにサイン貰ったが可愛かったなぁ

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/
--------

※このとき実際に講演したのはケンケンだけで、南谷は参加していない
http://i.imgur.com/o0Ba0v7.jpg


【栗城史多>>1】栗木ハンター9【検証ブログ>>1】より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/191

 

7 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:52:25.16 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
198 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:10:59.70 ID:wvnpzStD
ワイエディ=栗木ハンターの最近の書き込み例

「山野井や竹内とも交流ある」
「いろんな登山家と交流してきた」
「海外も色々行く」「ヨーロッパからアジアから南米まで様々」
「アラスカで数ヶ月過ごした」
「パタゴニアに2ヶ月滞在した時でもチャンスは数回もなかった」
「鳳来攻めて今下山中」 (鳳来山周辺でワイエディ回線の電波はエリア外)
「南谷マリンもゲスト出演してた 」「マリンにサイン貰った」 (この日南谷は出演していない)
 

8 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:52:45.84 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
199 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:12:12.22 ID:wvnpzStD
>>198
一応ソース

山野井竹内 海外 ヨーロッパ アジア南米 アラスカ
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnNN.html
いろんな登山家と交流
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGNN.html
パタゴニア
http://hissi.org/read.php/out/20170621/bGtQL3d4OVg.html
鳳来
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCs.html
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCtN.html
南谷マリン  サイン貰った
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi9N.html
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi8.html


栗木ハンター9 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/198-199

 

9 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:53:06.59 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■自分で自分に乙


ワイエディによる伝統自演芸です。
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499680223/1-11


1 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 18:50:23.85 ID:FNY69AM3
教えてください、お願いします。


11 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 19:48:38.95 ID:FNY69AM3
>>1

自分の立てたスレ無視されてブチ切れしてる方が荒らしにしか見えない件
単発IDだし自演はチェッカー貼る人じゃないの?

 

10 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:53:28.17 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■栗木ハンターの自演と虚栄心-1


213 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 14:06:08.53 ID:QCfEK9/t
ウーリー大好きでした
この追悼記事も泣ける
Great Ueli Steck forever a.k.a Swiss Machine
http://ameb1o.jp/wi1d28jp/entry-12279118436.html

216 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 21:00:38.61 ID:OwmiUoRb
>>213
その動画は初めてみた
ありがとう。


…という栗城ハンター(現ワイエディ)の一人会話。
何年もの荒らし行為で自演を指摘され続け、今やすっかり開き直っているのでしょうか。

QCfEK9/t http://hissi.org/read.php/out/20170712/UUNmRUs5L3Q.html
 ↓
OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


ウーリー・ステック2 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/213-219

 

11 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:53:51.63 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■栗木ハンターの自演と虚栄心-2
 

215 :底名無し沼さん [] :2017/07/12(水) 20:44:19.28 ID:OwmiUoRb
アルパイン・ソロ・セルフレスキュー・ビッグウォール
などなど日本の書籍では書いてない技術が盛りだくさんだから
海外の技術書はとても勉強になるよ。

何故か日本では「ソロは極秘技術」みたいな傾向があって
誰にも教えられないとか自分で研究したとかいう人がやたら多いけど
海外では全然ポピュラーに知られている技術だし
隠す方がよっぽど危険だと思う。

以前、マイクロトラクションやシンチでリードソロやってるバカが居て
話してみたら「グリグリは止まらないかもしれないけどコレならそんな心配もないですし」
と言われて唖然とした。

OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


クライミングの経験や知識を持たない栗城ハンター(現ワイエディ)に書けるコメントではありません。
もちろん他人のレスをコピペしています。

オリジナル:http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/63

必死チェッカーによるレス抽出を意識し自らを粉飾しようとする見栄でしょうか。
とても無理のある、幼稚で浅ましい行為に映ります。

「栗城ハンターブログ」もコメントや画像の盗用で構成されています。
盗用とその誇示、という一連の異常行動は
犯罪性や心の病を感じさせます。

 

12 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:54:16.40 ID:Y2n0jPH70.net
   
  
■ 栗城ハンターの重複スレ立てと自演 (2017/07/03)

・ワイエディ回線
51uNuVI0 10-19時台 34レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTA.html&;amp;#160;
51uNuVI0M 18-19時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTBN.html

・回線2
XlmlZqd+  10-19時台 15レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/WGxtbFpxZCs.html
 
・回線3
mFRvju7b 11-21時台 19レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/bUZSdmp1N2I.html
 

13 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:54:40.64 ID:Y2n0jPH70.net
   
・回線4(IDコロコロ。回線2,3と思われる重複も含む)
 
DTBo97HQ  8-9時台 5レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/RFRCbzk3SFE.html
JPzYkDQb 10時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SlB6WWtEUWI.html
UC0GZCyA 10時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VUMwR1pDeUE.html
7wPRGe8C 10-11時台 3レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/N3dQUkdlOEM.htm
6mN2oaF7 10-11時台 14レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Nm1OMm9hRjc.html
pcY8vvB6 11時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/cGNZOHZ2QjY.html
JuRydlTK 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SnVSeWRsVEs.html
foHPX4V8 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Zm9IUFg0Vjg.html
VHrHqYvk 17時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VkhySHFZdms.html
ymgJSG0y 17時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/eW1nSlNHMHk.html
kX3Fm+xV 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/a1gzRm0reFY.html
8lvGiGTc 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/OGx2R2lHVGM.html
4thbMqpI 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NHRoYk1xcEk.html
1IYsrjMh 21時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/MUlZc3JqTWg.html

 

14 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 12:56:26.94 ID:Y2n0jPH70.net
  
 
推定4回線以上を使い、コピペで勢いをキープする様子がよくわかるサンプルです。
(以前からワイエディはスレの勢いに執着を見せています)

09:56:33.17
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499043393/ 
18:26:05.10
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499073965/ 

これは上記2スレからの抽出、他スレでの書き込みは含みません。
書き込みの総数はさらに多いでしょう。
また、コピペの効率的な連投はPCからと推測できます。
このことから、一日中PCに張付きながらスマホ複数台で書き込む状況が浮かびます。


この日の南谷氏出演のTV番組放映に伴う2ちゃんねる閲覧を懸念して
本スレでも暴露されている栗城ハンターブログの詐欺的アフィ実態を隠し
あわよくばブログを踏ませようとでも考えたのでしょうか。

この幼稚な異常者は一日も休まず、これらの不毛な作業を続けています。

 

15 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:02:40.13 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■エーイモ(現ワイエディ)の捏造デマ
 
ID:uktp8ZK8
http://hissi.org/read.php/out/20161108/dWt0cDhaSzg.html


491から削除
『ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

493に付け足し
『エーイモ殺せ』

494に付け足し
『エーイモは殺すべき』

元レス
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464703702/491-595

 

16 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:03:03.14 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■ゲス書き込みの一例


ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

ID:IkMyNjeD
http://hissi.org/read.php/out/20161106/SWtNeU5qZUQ.html


「真鈴のおまんこペロペロに舐め回してマンカス食いてえなw
谷口と真鈴の野グソ食いてえw
死ねよ谷グソってもう死んでるかw」

 

17 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:03:23.74 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
栗木ハンターの荒らし業務
wifiミスったか端末間違えた模様


693 : 底名無し沼さん (エーイモ SE5f-FA7T [1.114.9.6])2016/09/02(金) 17:45:35.06 ID:5ICuLKjpE
金曜ギャランw

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1471825172/693

 

18 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:03:46.69 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■皆さまへ

「栗城ハンターブログ」は残念ながら、
ブログ主の嘘や2chでの自作自演、荒らしなどの奇行が指摘されています。

栗城ハンター7
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1462125712/
栗城ハンター8
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1473573617/
栗城ハンター9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/

公正な論評を心がける多くの批判者たちとは異なる便乗者として
栗城本スレにおいて早い段階でテンプレ入りを否決されました。

アフィ目的と思しき転載・盗用、幼稚な自演による自己宣伝を見ると
とてもみなさんにおすすめできるサイトとはいえません。

 

19 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:04:08.03 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
オリジナルのおすすめサイトはこちら!


客観的なスタンスが信頼できます。
【栗城史多まとめ @ ウィキ】  
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]

経験による所見には説得力があります。
【海彦山彦 下山家栗城劇場】
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html

独自の切り口です。ぜひご一読を。
【オクサマファイル】
http://baby01.net/blog/364

栗城氏の問題について回答しています。
【Yahoo知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496

 

20 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:04:29.13 ID:Y2n0jPH70.net
  
 
虚言と自演

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-47

 

21 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:04:46.57 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
恥ずかしいですね 
栗城商法そっくりなハンターさん

http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-n

http://hissi.org/read.php/out/20170413/VnY2SDdZN0U.html

 

22 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:05:10.90 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
アホリエイト

http://hissi.org/read.php/out/20170418/WS9JUWhua3I.html

 

23 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:05:29.69 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
おバカ

http://hissi.org/read.php/out/20170419/RFVpbzljMlc.html

 

24 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:05:53.51 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
Page2Feed API
http://ic.edge.jp/page2feed/
URLを入力するとアフィブログを踏むことなくおおよその更新を把握できます。


現在マルチポストされているURLからRSS生成
http://ic.edge.jp/page2feed/preview/http://ameblo.jp/wi1d28jp/entry-12273807754.html

5月11日 21時59分30秒にアップされたページ
同日の栗城公式ブログの更新内容を転載し、栗城スレhttps://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1494113887/から拾ったコメントを切り貼りした記事。

誤字混じりの幼稚な文章と構成の転載日記はやはり踏む価値はありません。
読者数も20人→19人と減りました。
批判に足る見識もなく動機も不明、盗んだ言葉で野次るだけの不快なアフィブログです。


追記
(※Page2Feed API は現在サービスを終了しています。
RSS生成と閲覧は inoreader もおすすめです。)

 

25 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:06:18.61 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■悪質アフィが横行しています。
 「wi1d28jp 」は要注意!


栗城・南谷真鈴関連スレでマルチポストされているように、「エーイモ」はスレ立てしてまで煽りアフィを行います。

栗木ハンターを名乗りブログを立ち上げていますが、その内容は
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html
http://baby01.net/blog/364
など他ブログや2chスレからのコピペと転載です。
ブログ立ち上げ当初はエベレストBCへの栗城スネークを謳っていましたが
うやむやにしてブログ宣伝と荒らしを連日続けています。

この虚言とタカリ性は、無名で真摯な登山家たちに紛れて売名と集金を行う似非登山家に似ていますね。

また、まだ評価の定まらない南谷氏に執着する「エーイモ」には性的関心と便乗の下心が透けて見えます。
該当スレでも幼稚な自演をしていますが、表面的な応援の裏では中傷スレを立て対立を煽ろうとしています。

南谷真鈴の滑落死を願うスレ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464246830/

さらに、山野井氏や故人登山家の中傷書き込みまでする傲慢さと悪質性は許されるものではありません。

今後も同様の手口でアフィ(またはネット工作)を行うでしょう。
煽りに乗らず冷静な対処を。

 

26 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:06:58.61 ID:Y2n0jPH70.net
   
追記
  
これは真っ当にアフィリエイトに取り組む多くの人は含みません。
ただ栗城ハンターという快楽犯の撒き散らした故人中傷が不快です。
アフィそのものや金額の多寡ではなく、異常者による小銭稼ぎを兼ねた荒らし行為へのカウンターです。

これらのお知らせは繰り返し貼りますので、目障りと感じる方はNG登録してくださいね。

 

27 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:07:16.49 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■栗木ハンター(エーイモ=ワイエディ)について


ブログ開設以前は栗城擁護の立場で荒らしていた来歴は今はとりあえず置いておくとして・・

現在はっきりしているのは悪質なアフィリエイト活動であるということ。
間違えて踏ませる・騙してでも踏ませようとする執拗なマルチポストとスレ立て、それは栗城スレ内良識派への嫌がらせと追い出しも兼ねながら、たまに2chを覗くようなROM層に向け、またログ化の後まで見据えて行われています。

栗城を材とし収入を得るアフィブログの目的は、つまるところ栗城との共存共栄でしかありません。
ハンターを名乗るこの異常者は、周知を口実にして理性的批判者を排しつつ工作員妄想(※後述)と思考停止を煽り
その野次馬にマウンティングしながら利己的な小銭稼ぎを拡大しようとしているのでしょう。

 

28 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:07:36.26 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
※工作員妄想について

栗城関係者と思しきWikipedia改竄工作は過去、実際に発覚しています。
https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/sp/pages/133.html

同時に、誰でも書き込める2ch掲示板においては愉快犯が成りすますことも容易です。
ハンターを名乗る荒らしのこれまでの自演成りすましの多さから、コピペやAAによる荒らし・住人を煽る幼稚な書き込みの大半はこの異常者によるものと考えていいと思います。

(別の工作員がいるとしても特定は厄介になります。いずれにしても板荒らしやスレ荒らしに関して、この異常者と栗城サイドは利害が一致します)

 

29 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:07:57.19 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
アフィカス - 2ちゃんねるwiki
http://info.2ch.net/index.php/アフィカス

人の嫌がることがだーいすきv(^o^)
金のためなら嫌われてもいいもんねー(^o-)-☆

概要
アフィブログ、まとめブログ、コピペブログ、剽窃ブログとも言う。(ここでの対象は2chの内容を転載するブログである)
人の書き込みを無断転載して金を稼ぐ人間の屑。アフィカスがレスをまとめたものは、アフィブログとして公開される。
基本的には管理人の主義主張に応じたレスをまとめることが多いため、大抵内容は偏向しており、ネトウヨの溜まり場になったり、厨房の巣窟になったりする。
転載される側の掲示板住民に対して、住民になりすまして対立煽りなどをしていることが発覚して以来、強烈に嫌われるようになった。
 
 

30 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:08:17.26 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■自己宣伝はうんざり


異常者ワイエディ(栗城ハンターブログ)がアメブロ順位を喧伝しながらマルチポストしていますが、もちろん実情とかけ離れたランキングです。
ちょっと検索すればこんな情報が。


『アメブロランキングを上げる簡単な方法。
アメブロランキングには、月間総合、デイリー総合、各ジャンルのランキングがあります。
ランキング集計方法は、前日のPV数で行われます。
PV数とは、単純にブログへの総アクセス数で同一人物が何度アクセスしてもアクセス数に反映されます。
では、PV数(総アクセス数)型のアメブロランキングを上げる方法はと言うと。。。

これは超簡単!
自分で何回アクセスしてもカウント数に反映されるのだから、自分自身でブログを何回も表示すれば良い。
一番手っ取り早い方法は、ブラウザに自分のブログを表示したらキーボードのF5(リ
ロード)を連打すれば良い。
これだけで翌日確実にランキングは上がっています。』


さらにトラフィックエクスチェンジやチートツールを使えばPVを好きなだけ盛れるのがアメブロの売り。
読者たった20人の支離滅裂なパクリ日記でも一夜でランカーになれる、とても虚栄心にコミットした仕組みです。
ランキングなど何の意味もありません。

 

31 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:08:38.74 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
アメブロで常に上位にいる人たちって・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454388374


栗城ハンターの5chでの病的な自己宣伝をみると、こういった小細工でブログを粉飾しているのは明らかですね。
栗城商法のSNSフォロワー・いいね水増しとなんら変わらない、見栄と欲得にまみれたデモンストレーションです。


嘘と自演で己を飾り、下賤な快楽とアフィのために故人や登山家を貶めてきた栗城ハンター。
5chコメントや他ブログ、マンガなど他人の著作物を盗用しあぶく銭を得ようとする小物ぶりには呆れ果てます。
正体を看破されアナウンスされた途端に上っ面の偽善を唱え始めましたが、もう騙される者もいないでしょう。


言葉を持たない故人への中傷は赦される事はありません。
ログは厳然と残っています。

 

32 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:09:01.31 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■参考情報


この異常者は数年前にも同アカウントで
転載ブログを運営していたようです。

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496330803/646


 
>栗城が発端だが、

これはちょっと違う。
過去ログ読めばわかるが以前はあいのりに出てた西村隼平に執心だった。

奴のブログをアーカイブでサルベージすると震災の義援金詐欺疑惑で騒がれていたころに
2chやしたらばの該当スレをコピペしてアクセス稼ぎをしていたブログだったことがわかる。 

http://web.archive.org/web/20111120032656/http://ameblo.jp/wild28jp/

 

33 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:09:24.09 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■「wi1d28jp」を専ブラでNG登録 ■


● Jane Style
【ツール】【設定】【あぼーん】【NGWord】→ wi1d28jp を追加

● 2chMate
【NG編集】【Word】→ wi1d28jp を追加

● twinkle
スレを開いた状態で【NG設定(下タブの一番左)】【NGワード】→ wi1d28jp を登録

● BB2C
NGワードを使用する:ON
対象レスで該当文字列を半長押し→NGワードに登録


※親切な方に「ワイエディの推奨NG方法」としてまとめていただいたものを、スレ共通で有効なURL文字列のNG方法に改めさせて頂きました。
※「NGネーム」では無効とのご指摘により改訂しました。補足訂正等ありましたらお寄せください。


オリジナルはこちら。
 ↓
登山キャンプ板 自治スレ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1464347504/22

 

34 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:09:48.01 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
【重要】「wi1d28jp」NG登録について

「wi1d28jp」のNG登録によっていくつかのスレッドの>>1が見えなくなってしまう方へ

専ブラ毎の条件設定などでクリアできない場合は「ameblo.jp/」を加えてください。

【推奨NGワード】ameblo.jp/wi1d28jp

※上記は可視化のためアルファベットの「l」を数字「1」に置き換えています。
このままコピペせず、数字をアルファベットl(小文字のエル)に修正してください。

 

35 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:10:07.50 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
異常者

PbupIfbr
http://hissi.org/read.php/out/20170811/UGJ1cElmYnI.html

8Ow3sckf
http://hissi.org/read.php/out/20170812/OE93M3Nja2Y.html

 

36 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:10:33.28 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
現在、登山キャンプ板では何者かが無理やり炎上させているような不可解なスレッドがあります。

山で遭難したら助けに来た警官が説教しやがった。感じ悪い。何様なん?
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1504019629/


このスレにおいて
悪質アフィ周知のお知らせ文の一部をコピペして書き込み、そのままのIDで炎上関係者の住所を書き込んだ者がいます。
いつもの異常者(現ワイエディ・栗城ハンター)の手口に似た幼稚なイタズラです。

ZPQwlsGS
http://hissi.org/read.php/out/20170904/WlBRd2xzR1M.html
W1WVbnKr
http://hissi.org/read.php/out/20170904/VzFXVmJuS3I.html
Ld9tzNlh
http://hissi.org/read.php/out/20170904/TGQ5dHpObGg.html
JduMDZQP
http://hissi.org/read.php/out/20170904/SmR1TURaUVA.html

なぜかadblockを抜いていることから、2ちゃんねるに巣食うアフィカスであることは間違いなさそうです。

効いているのでしょうか。
周知を続けていきます。
(2017, 9/4)


 

37 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:10:53.21 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■ 異常な書き込み

7FvjsyaNM
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU5N.html
7FvjsyaN
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU4.html?thread=all


幼稚な成りすましとゲスな内容、そしてお約束のブログ宣伝。
切羽詰まったワイエディ(栗城ハンター)特有の荒らし書き込みです。

効いているのでしょう。周知を続けていきます。

 

38 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:11:15.30 ID:Y2n0jPH70.net
  
追記
 

■ 異常者(栗城ハンター=ワイエディ)
 
hFIBhp3FM
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0ZN.html
hFIBhp3F
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0Y.html?thread=all


ワイエディ回線でワイエディ連呼という呆れた荒らしです。
URLを入れるところもまたセコい。

この幼稚な異常者の現在の目的は
・アフィブログを踏ませること
・悪役を自演し自分(栗城ハンターブログ)age
・周知テンプレ排除と板荒らし
でしょう。


何をしようが周知は粛々と続きます。

 

39 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:11:39.00 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■ 埋立荒らし
 
核心を突いてしまったのでしょうか。
埋立荒らしが始まりました。

 ・Tnx6epSX0(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1gw.html
 (ワッチョイ 9b0c-oF0E [175.177.5.17])
  Tnx6epSXは富士山スレでも連投
  ↑
・Tnx6epSX(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1g.html
 12/13(水) 15:55〜 78レス


・qQ7C0sQZa(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/cVE3QzBzUVph.html
 (アウアウカー Sa11-cUpN [182.251.242.15])
 12/13(水) 23:30〜 5レス
  ↓
・koSDLj0ha(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/a29TRExqMGhh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.15])
 12/14(木) 00:01〜 11レス
  ↓
・9gdrDp+Da(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/OWdkckRwK0Rh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.7])
 12/14(木) 04:05〜 現在継続中


・vbny93KSa(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/dmJueTkzS1Nh.html
 (アウアウウー Sa89-HfL4 [106.133.56.192])
 12/13(水) 23:31〜 5レス
  ↓
・FdgDSmA3a(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/RmRnRFNtQTNh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.192])
 12/14(木) 00:01〜01:09 12レス
  ↓
・RcU6+V3Ha(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/UmNVNitWM0hh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.163])
 12/14(木) 01:21〜


【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/48-n

 

40 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:12:01.94 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■ 使用された回線の一つ

【175.177.5.17】

'175.177.0.0 - 175.177.255.255'に対する不正行為の連絡先は'hostmaster@nic.ad.jp' です

inetnum:175.177.0.0 - 175.177.255.255 netname
:iTSCOM
descr:その通信会社
descr:541-1 Ichigao-tyou Aoba-ku横浜神奈川225-0024日本
国:JP
admin-c:JNIC1-AP
tech-c: JNIC1-AP
ステータス:ALLOCATED PORTABLE
発言:スパムや虐待の苦情のための電子メールアドレス:abuse@itscom.jp
MNT-IRT:IRT-JPNIC-JP
MNT-によって:MAINT-JPNIC
MNT-下:MAINT-JPNIC
最終更新:2011-02- 17T08:16:02Z

 

41 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 13:12:22.94 ID:Y2n0jPH70.net
   
 
■ 成りすまし(?)荒らし

SwhAnbsR
http://hissi.org/read.php/out/20171225/U3doQW5ic1I.html?thread=all
1Ves70DDp
http://hissi.org/read.php/out/20171225/MVZlczcwRERw.html
7w9fApf4p
http://hissi.org/read.php/out/20171225/N3c5ZkFwZjRw.html


去年に続き、お約束のクリスマス発狂です。
コピペ改変で周知人に成りすましたつもり…でしょうか。意味不明です。

その一方でお知らせ抜きのスレや重複スレ、荒らしスレなどを乱立しています。
ゲスな書き込みと自ブログへの直リンクを入れるセコさ。
IPスレを避けるあたりも姑息です。


周知の蓄積が異常者排除に効きます。
淡々と続けていきましょう。

 

42 :底名無し沼さん :2018/01/13(土) 14:23:20.92 ID:JqbJjffL0.net
なりすまし みずすまし おすまし
みずまし あげぞこ 
荒しならコレ!
はっ!

NEW!
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
 

43 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:28:37.18 ID:HiySrW+B0.net
)に登山計画書の提出エムゾネを推奨されている(また、おおむね
11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉鎖され、
山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉鎖される。
)山体以外の構成資産については、おおむね来訪者数に応じた
駐車場・トイレ等を整備しておエムゾネり、今後、これらをさらに
整備する予定が立てられている。i)資産の整備・活用に関す
る方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺を対
象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活
用の取組をも取り込んで計画的に実施しエムゾネている。こうした
諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉
田市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博
物館」の活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニ
ーズに適切に対応する拠点の整備を検討するなどエムゾネ富士山の
適切な保全・管理・活用を図っていく。加えて、富士山につい
ての市民向け講座の開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体
験学習などの情報発信施策が定期的に実施されている。個別の
資産については、「遺跡」である特別名勝又は名勝、天然エムゾネ
記念物、史跡をはじめ「記念工作物」・「建造物群」である重
要文化財に指定されている建造物については、一部を除き所有
者・管理団体が年間を通じて一般に公開している。なお、登山
については、登山期間(基本的に7月1日〜8月31日)が公
開時エムゾネ期に当たる。この時期以外の登山も禁止されてはいな
いが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件などによ
り専門家以外の登山は困難である。j)専門分野・技術・管理
に関する人的措置68静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受け
た文化財保護エムゾネ指導員(以下、「指導員」という。)が定期
的に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関
する助言を行っている。静岡県・山梨県は、指導員の調査報

44 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:28:52.92 ID:HiySrW+B0.net
梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課
長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経
過観察(モニエムゾネタリング)に必要とされる諸事項に関し、現
時点及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・
及び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ
れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経過
観察のために実エムゾネ施した過去の資料・情報)番号編著者標題
対象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N
oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作権
者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文書な
どc)資産関連資エムゾネ料d)資産管理機関住所e)参考文献8
.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他
の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号
構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況
H21.10.30エムゾネ学術委員会評価分析結果備考富士山両
県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C
:富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年1
0月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著
な普遍的価値を有するエムゾネ資産B:顕著な普遍的価値について
さらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能
性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委
員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的
保存管理計画原案−1−エムゾネ世界文化遺産富士山包括的保存管
理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)
各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部
会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計
画の実施第2章構成資産のエムゾネ概要1構成資産の一覧2資産及
び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び登

45 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:30:14.61 ID:797b12E70.net
域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画
策定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について・
山梨県保存管理計画の策定について2エムゾネ010年3月16日平成
21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方
について2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理
計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日平成19年度第1回
静岡県保存管理計画検討部会エムゾネ・保存管理計画について−7−

46 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:35:47.53 ID:HiySrW+B0.net
に基づき、所有者や関係市町村に対して文化財の保存管理に関
する指導を行っているエムゾネ。このように、将来的に良好な状態
の下に資産を維持していくための体制についても万全を期して
いる。6.経過観察(モニタリング)の体制a)保存状況を計
測するための主たる指標構成資産である「遺跡」・「記念工作
物」・「建造物群」をはじめ、エムゾネそれらの緩衝地帯について
は、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理
、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技術の向上を目的
として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与える影響に対
し、次に掲げる主な観点の下に適切な指エムゾネ標を設定し、定期
的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定であ
る。@「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と
真実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況と資
産に与える影響」に記された諸要素(開発・環境エムゾネ問題・自
然災害・観光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影
響を与えているか/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に
関連して、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広
い地域が、相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関エムゾネ
する知識を発信する場として適切な発展を遂げているか。設定
するおもな観察指標については、以下の表に示すとおりである
(予定)。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(20
10年度改定予定)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的
結aエムゾネ)視点場における景観阻害要因数毎年両県びつきの保
護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山環境教育開催数・
参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提供数毎
年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県d)登山者
数(5合目以エムゾネ上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上)
毎年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐採面積(森

47 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:36:04.69 ID:HiySrW+B0.net
道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口
登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9エムゾネ本栖湖(2)信仰B1富士山
本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8
御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型−2−B13吉田胎内樹型エムゾネB14人穴富士講遺跡(人
穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸
要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び
登山道A信仰B眺望(2)顕著なエムゾネ普遍的価値を構成する諸
要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木B社寺の
境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工
作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自
然的要素A歴史的要素B人文的要素エムゾネ2保存管理の基本方針
(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的
な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)
保存管理体制の整備と運営第4章構成資産の保存管理1現状の把
握(1)富士山山体及び登山道(2)エムゾネ信仰(3)眺望2保
存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限についての考え方
(2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる諸法令に
ついて3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2種保護地
区(3)三保松原−3−第5章緩衝地帯エムゾネの保存管理1現状
の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩衝地帯の設定と行為
規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的な
施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与
える要素2負の影響を与える要因の観察第エムゾネ7章整備・公開
・活用1基本方針2整備と公開・活用第8章保存管理体制の整

48 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:36:24.22 ID:797b12E70.net
008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年度第
2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の
審議結果・静岡県保存管理計画について2008年2月21日平成
19年度第3回山梨エムゾネ県・静岡県学術委員会・各県保存管理計画
検討部会の審議結果2008年7月16日平成20年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静
岡県保存管理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県
保存管理計エムゾネ画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化
遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第
1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界文化遺産登
録エムゾネ推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について2
009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画検討部
会・静岡県保存管理計画の策定について・富士山の緩衝地帯に関す
る考え方2009年7月13日平成21年度静岡県保存管理エムゾネ計
画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月29日平成21年
度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11
月25日平成21年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2
010年1月29日平成21年度第3回静岡県保存エムゾネ管理計画策
定協力者部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静
岡県学術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月3
0日平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委
員会・保存管理計画検討部会組織学術委員エムゾネ会及び保存管理計画
検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成は表〜の
とおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地
帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光
、防災などに関する各種計画を策エムゾネ定し、実施している。これら
の計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携を

49 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:41:50.81 ID:HiySrW+B0.net
の整備形態?)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の
数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環
境省c)生活排水クリエムゾネーン処理数毎年両県(3)個別資産
の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公
園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積
毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森林の整備
形態?)毎年両県69d)廃棄エムゾネ物の不法投棄量毎年両県

50 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:42:07.08 ID:HiySrW+B0.net
と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等との連携・
協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関する事
業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的エムゾネ富士山は、日
本を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に
独自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在
り方及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、エムゾネ一国の文化
の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の
傑出した類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持
つ山岳であり、世界文化遺産に値するものであるエムゾネ。富士山
は、有史以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形
の独立成層火山であり、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強く
秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代かエムゾネら現代
に至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成され、山体と一体となった
比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目以上の砂
礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分エムゾネ布す
る湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形などは、富
士信仰の霊地として重要な役割を果たしてきた。日本独自の山岳
民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命脈を保ち、特に
夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登山の特エムゾネ徴
を成している。このように、富士山は日本人の自然に対する信仰
の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表す物証及
び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型となっ
ている。また、富士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対エムゾネ
象となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの文学

51 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:42:25.58 ID:797b12E70.net
りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山
梨県)計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開発
計画大規模集客施設等のエムゾネ立地に関する方針(山梨県)2010
年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(山梨県
)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和
50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森
林計画書平成1エムゾネ8年4月策定F資産に影響する可能性がある個
別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成1
8年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小
山町)エムゾネ(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計
画は、20年月から既に実施され機能されているものである。−1
9−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の
構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地についてエムソ
゙ネは、以下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類
小分類構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資
産面積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道含
む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)エムゾネ遺跡特
別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登
山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田
口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、
小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村エムゾネ、富士河口湖町
)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念工作物
特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名勝A9
本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造物記念工作物重
文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺エムゾネ跡遺跡市史跡静岡県富士
宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物静岡県富士宮市NE
C三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市NE2資産及び緩衝地帯

52 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:47:59.36 ID:HiySrW+B0.net
お、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する内容
の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管理計
画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(モニ
タリング)のための行政上の体制定期的エムゾネ報告を含む経過観
察(モニタリング)については、以下の表に示すように管理団
体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員
会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のた
めの作業指針』(2008年)第5章に基づき、エムゾネ年度ごと
に情報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ご
とに保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通
じて世界遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタ
リング体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名エムゾネ
資産及び緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文
化庁組織代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:
記念物課課長3.指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県
教育委員会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長
:山エムゾネ梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺
産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況
報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされる諸事項に
関し、現時点及び過去における資料・情報については、静岡県
・山梨県・及エムゾネび資産の所在する市町の下に適切に収集・保
管されている。それらの一覧表については、以下のとおりであ
る。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)
番号編著者標題対象資産年要約707.資料a)写真・スライ
ド・画像一覧表Noフエムゾネォーマット標題撮影年月撮影者・編
集者著作権保持者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護の
ための指定に関する文書などc)資産関連資料d)資産管理機
関住所e)参考文献8.連絡先a)申請書作成者連絡先b)

53 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:48:18.43 ID:HiySrW+B0.net
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみな
らず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作
品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形エムゾ
ネ成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて
強力な関連性であることを示している。このような価値をもつ「
富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布
している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」のエ

54 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:48:34.04 ID:797b12E70.net
の範囲「富士山」の顕著な普遍的価値を表す構成資産の保護を確実
にし、各構成資産における富エムゾネ士山体への良好な眺望を保証する
ために、個々の構成資産の周囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定
する。さらに、個々の構成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景
観の一体性・連続性を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全
管理区域を設定するエムゾネ。構成資産の位置及びその周辺地域である
緩衝地帯、保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである
。図「富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲に
ついては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく、
その周辺部エムゾネにあたる標高約1,500m付近までとした。この
範囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名
勝指定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森
林法で保護されている。緩衝地帯との境については林班により線引
きエムゾネを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減する
よう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の山体と
して考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを連続して
保護するための措置である。緩衝地帯の範囲については、当エムゾネ初
国道469号から県道72号にかけての富士山側を計画していたが
、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮
浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩
衝地帯を設定した。その際、富士山本宮浅間大社かエムゾネらの富士山
の眺望を確保するため、富士山に向かって約36度の広がりで設定
した。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、自
然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域の範囲
については、三保松原から富士山を眺望すエムゾネる際、その阻害要因
を軽減させるために、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。
そのため、静岡県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出
している溶岩流の範囲については、保全管理区域とはしていない

55 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:54:36.12 ID:HiySrW+B0.net
ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた
めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ
のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に
関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「
富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画
保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)
整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山
包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基
礎とエムゾネし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理
及び整備に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示す
るため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学
識経験エムゾネ者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存
管理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原
案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を
得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー
ム」(表エムゾネ)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」
(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的か
つ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の
協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観
光関係者・エムゾネ神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計
画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設
置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した
「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、文化

56 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 05:54:53.49 ID:797b12E70.net
なお、保全管理区域についても、エムゾネ森林法と景観法で保護されて
いる。富士山山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士
演習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこと
から、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であると言
える。3構成資産の概要エムゾネ構成資産及び保存管理状況の概要につ
いては、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推
薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細について

57 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:00:26.86 ID:HiySrW+B0.net
する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木
B社寺の境内に含まれる歴史的エムゾネな建造物及び工作物等以外
の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構
成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保存管
理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境
を含めた一体的な保全(3)経過観察のエムゾネ実施(4)整備・
公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資
産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)
信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の
制限についての考え方(2)地区区分についてのエムゾネ考え方(
3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1
種保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章
緩衝地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方
(1)緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整エムゾネ
(3)住民生活との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施
1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要素2負の影響を与
える要因の観察第7章整備・公開・活用1基本方針2整備と公
開・活用第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整
備とエムゾネ役割分担2地域住民等との連携・協働3持続的運営の
ための定期的確認付章1保存管理に関する事業計画一覧表−4
−第1章目的と経緯1目的富士山は、日本を代表し象徴する日
本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世界的に著名であり、
日本人の自然エムゾネに対する信仰の在り方や日本に独自の芸術文
化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸
術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず
、人間と自然との良好エムゾネで継続的な関係を示す景観の傑出し
た類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持つ

58 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:00:43.08 ID:HiySrW+B0.net
の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会
と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的
保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界
遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月
26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3
月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検
討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1
回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役
割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成2
1年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要に
ついて・構成資産、エムゾネ緩衝地帯、保存管理区域について20
10年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画
の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年
第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例200
7年12月9日現地調エムゾネ査2008年1月31日平成19年
度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月
21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存
管理計画検討部会の審議エムゾネ結果2008年4月16、17日
現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6
月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回エムゾネ山梨県保存管理計画検討部会・
構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方200
9年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定協力
者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨県保

59 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:01:02.35 ID:797b12E70.net
、構成資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、そ
れぞれ具体的内エムゾネ容を含めた説明を行っている。なお、p18,
19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。A富士
山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関わるもの
(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776mを測る富士山
は、日エムゾネ本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗な独立火山であ
る。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、日本人の自然に対
する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。
富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代エムソ
゙ネを超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文
化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な
関係を示す景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕
著な普遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としてのエムゾネ富士山
とは、富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この
範囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重な
り合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関す
る境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致エムゾネする。なお、「
馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能にな
る地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平
野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き
、絵画などの対象とされることが多いエムゾネ範囲である。写真上空か
ら見た写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−
21−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講
信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域あるいは死後世界である「
他界」と考えられていた。まエムゾネた、登山道ごとに標高は異なるが
、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はよ
り強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する
噴火口である「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基

60 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:05:50.26 ID:HiySrW+B0.net
岳であり、世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史
以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立
成層火山であり、その山体は南エムゾネの駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強
く秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代から現代に
至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成さエムゾネれ、山体と一体

61 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:06:06.48 ID:HiySrW+B0.net
管理計画策定協力者会議につエムゾネいて2009年6月19日平
成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について200
9年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策定ワーキング
・富士山世界文化遺産登録へのエムゾネ取組状況について・山梨県
保存管理計画の策定について2010年3月16日平成21年度
第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方につい
て2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理計画
検討部会静岡県の経緯2007年エムゾネ7月5日平成19年度第
1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計画について−7−
2008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年
度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・静岡県保存管理計エムゾネ画について2008年
2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県
保存管理計画検討部会の審議結果2008年7月16日平成20
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検
討部会の報告・静岡県保存管理計画にエムゾネついて2008年9
月9日平成20年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡
会議・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静岡県保
存管理計画の策定について2009年2月12日現地調査200
9年6月1日平成21年度第1回静岡県エムゾネ保存管理計画策定
協力者部会・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静
岡県保存管理計画の策定について2009年6月17日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の
策定について・富士山の緩衝地帯に関するエムゾネ考え方2009
年7月13日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁
内連絡会議2009年10月29日平成21年度静岡県保存管理
計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成

62 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:11:10.78 ID:HiySrW+B0.net
なった比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目
以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分
布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形など
は、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてエムゾネきた。日
本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命
脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士
登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然
に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化エムゾネ
的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示
す傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古く
から芸術活動の対象となり、その結果生み出された「万葉集」
の和歌などの文学作品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作
品はエムゾネ、日本国内のみならず海外にも広く知られ、様々な影
響を与えてきた。それらの作品群は、地球上の特定の地域にお
いて独自の文化的伝統が形成・発展するのに当たり、富士山が
重要な源泉となった極めて強力な関連性であることを示してい
る。このようエムゾネな価値をもつ「富士山」の構成資産は、山梨
県と静岡県の二県にまたがって分布している。これら一連の構
成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確実に保存し、
確実に次世代へと継承するためには、両県共通の考え方を基に
、各構成資産全体を一エムゾネつの資産として包括的に保存管理し
ていくための方法を整理していく必要があることから、個別の
構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係
性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な保存管理
計画を策定しておくことが必要エムゾネである。そのため、山梨県
・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町村、
関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山」包
括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管理計画

63 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:11:29.86 ID:HiySrW+B0.net
1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者
部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日
平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計
画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成は

64 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:11:47.42 ID:797b12E70.net
での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「
御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる神
仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅に
おける仏の世界エムゾネに擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)
」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施
設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立された大日寺(大日
堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納
・埋納エムゾネや内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀に
は、大宮・村山口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
が造営された。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認でき
る。1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響にエムソ
゙ネよって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変さ
れた。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記
の行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じ
て富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮エムゾネの写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀
念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下
に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の
下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財エムゾネ団法人静岡県埋
蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定された2010年文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定山頂の
噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰をエムゾネ巡る行為は、古くから「
お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人々に受け継がれている。13
世紀後半の資料には「いたゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、
このころには山頂の峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える
。16世紀前半には地元為政エムゾネ者が「八要メサルヽ也」との記述
も見られ、後に盛んになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があっ

65 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:17:14.22 ID:HiySrW+B0.net
観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各エムゾネ市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的
保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と
し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備
に係る理念・基本方針とその具体的内容についてエムゾネ明示する
ため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。
学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管
理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置したエムゾネ
。原案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通
認識を得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェ
クトチーム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会
議」(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効
果的エムゾネかつ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など
幅広い方々の協力・助言が不可欠であることから、関係自治体
・地域住民・観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県
保存管理計画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力
者部会」を設エムゾネ置し、連携を図った。さらに、二県学術委員
会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討部会」における
検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策
定した。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保
存管理計画検討部会とエムゾネ学術委員会)2007年11月29
日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管
理計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画
の事例2007年12月26日平成19年第2回包括的保存管
理計画検討部会・目的と経緯・エムゾネ構成資産の概要・保存管理
の包括的な基本方針2008年3月17日平成19年度第2回
学術委員会・包括的保存管理計画検討部会の審議結果200

66 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:17:33.45 ID:HiySrW+B0.net
〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して
いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日
常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に
関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す
る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する
方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後
の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自
然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基
本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平成18年4月策
定F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法
に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成2
1年2月策定市町村森林整備計画平成18年4月策定−エムゾネ1
8−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計
画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計画は、20年月か
ら既に実施され機能されているものである。−19−第2章構成
資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資エムゾネ
産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以
下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類
構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面
積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道エムゾ
ネ含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡
特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山
口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A
5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、エム
ゾネ御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、
富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡

67 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:17:52.92 ID:797b12E70.net
ことが知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに
山頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中に
あるいくつかの仏像エムゾネや石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の
大日如来、最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを
巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南
西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登
山道であるエムゾネ。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開

68 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:22:53.53 ID:HiySrW+B0.net
年6月19日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会
−6−・包括的保存管理計画の役割・構エムゾネ成要素と本質的価
値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回包括的保
存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、
緩衝地帯、保存管理区域について2010年3月19日平成2
1年度第2回学術委員会・保存管理計画の考え方エムゾネについて
山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山梨県保
存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9
日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県保
存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議エムゾネ
結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平
成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計
画検討部会の審議結果2008年4月16、17日現地調査2
008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキ
ングエムゾネ・山梨県保存管理計画の策定について2008年6月
10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成
要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方2009
年4月24日エムゾネ平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定
協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨
県保存管理計画策定協力者会議について2009年6月19日
平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補
の概要について・構成エムゾネ資産、緩衝地帯、保存管理区域につ
いて2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について
・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月16日平
成21年度第3回山梨県・静岡エムゾネ県学術委員会・保存管理計
画の考え方について2010年6月30日平成22年度第1

69 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:23:08.68 ID:HiySrW+B0.net
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺
跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然
記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡
市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価
値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における
富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成
資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
証すエムゾネるために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管
理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」
の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現
在特別エムゾネ名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その
周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に
おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指
定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森林
法で保護エムゾネされている。緩衝地帯との境については林班によ
り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減
するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の
山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを
連続して保エムゾネ護するための措置である。緩衝地帯の範囲につ
いては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山側を
計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本
宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘が
あり、市道をエムゾネ境に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本
宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山に向か

70 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:23:26.01 ID:797b12E70.net
した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とそ
の活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在が確認で
きエムゾネ、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発心門等
の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年、村山を
神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えている。この
権利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登山道の管理にエムゾネ関
わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での
水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由し
た登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀前半に30余りの道者坊
があったことが伝えられ、同時期の絵図である「絹エムゾネ本著色富士
曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山
する人々の姿が描かれている。道者坊はその後統合され、19世紀
前半には5坊となった。また、1600年頃以降、地元支配者によ
り、大宮を経て村山口登山道を利用するこエムゾネとが求められた。登
山道中の宗教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施
設は主に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設さ
れたが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊され
た。これらは再建されたが、そのエムゾネ復興は須走口より遅かった。
主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった
。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部
地方を含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続
であるが、登拝者の記録エムゾネが残され、その数は18世紀後半から
19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平
年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、1860年、初
の外国人登山とエムゾネなる英国公使オ−24−ールコックは大宮を経
由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡坊、中

71 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:28:42.82 ID:HiySrW+B0.net
山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日
平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計
画について−7−2008年1月23日エムゾネ現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会のエムゾネ審議結

72 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:29:01.93 ID:HiySrW+B0.net
て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ
れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から
富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が
流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい
ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に
ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理
区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体
の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい
ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地
帯同様に資産を緩衝エムゾネすることが可能な区域であると言える
。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については
、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書
本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、
構成資産毎に策定されエムゾネている個別の保存管理計画等におい
て、それぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p1
8,19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関
わるもの(1)富士山山エムゾネ体及び登山道A富士山標高377
6mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山である。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、
日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育
んだ名山でもある。富士山エムゾネは山岳に対する信仰の在り方や
芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人
間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし
て、世界的にも類例を見ないエムゾネ顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の内、標

73 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:29:19.57 ID:797b12E70.net
八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登
山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道
線の開エムゾネ通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの
対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道
(カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山
口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ
゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡
の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など
をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山
道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社エムゾネを起点
とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明
確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山
(珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。1486
年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「エムゾネすはま口」の名
が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12
軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明
水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社の裁定を仰い
でいる。登山道には宝永噴火前の状況エムゾネを描いた絵図で須山御胎
内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの
施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せず、1780年にようやく復
興した。また、1880年代エムゾネの記録では御室浅間神社、中宮浅
間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確認できる
。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使
用された。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本
・東日本両方からのエムゾネ登山者があったことが、宿帳及び案内立札
の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約
5,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続く

74 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:34:52.85 ID:HiySrW+B0.net
2008年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管
理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管
理計画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺エムゾネ
産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定につい
て2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界
文化遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定
につエムゾネいて2009年6月17日平成21年度第1回静岡県
保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・
富士山の緩衝地帯に関する考え方2009年7月13日平成2
1年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議200
9年10月2エムゾネ9日平成21年度静岡県保存管理計画検討部
会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成21年度第
2回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年1月29日
平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者部会201
0年3月16日平成2エムゾネ1年度第3回山梨県・静岡県学術委
員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日平
成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部会(2)学術委員
会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計画検
討部会の組織は図に示すとおりエムゾネである。また、その構成は
表〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産
及び緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村では、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施し
ている。これらの計画は、包括的保存管エムゾネ理計画と密接に関
連し、日常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存
管理計画に関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産に
影響する可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立

75 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:35:18.00 ID:HiySrW+B0.net
約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも
に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで
ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬
登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。
景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山
体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を描き、

76 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:35:37.58 ID:797b12E70.net
860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神仏分離
令後も継続エムゾネしていたが、1883年、須山口二合八勺に接続す
る御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東海道本線が
開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口からの登拝者や登山
者が減少することとなった。1912年には、登山道の一部が陸軍
演エムゾネ習場となり使用不可能となったため、須山口からの登拝(登
山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道
が確認できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民
により須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興さエムゾネれ
た。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅
間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳
に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六合目からは1
384年の銘のある掛仏が出土している。文献からエムゾネは「勝山記
」の1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利
用すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配
し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建エムゾネ設の独占、薬師堂の
開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も
浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1
703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利について八
合目以上の支配権を主張する浅間エムゾネ大社と争い、正式に権利を認
められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等で詳細が確
認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に、
小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永噴火で
は、これらの施設及び麓エムゾネの浅間神社、須走村は約3mの降砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け、翌年の登拝期までには
復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世紀半ばには800名
前後に減少したとの資料があるが、18世紀後半、相模の大山石

77 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:40:42.83 ID:HiySrW+B0.net
に関する方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場エムゾネ造成に事
業に関する今後の取扱いについて(山梨県)1993年10月
−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡
県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平
成18年4月策定F資産に影響する可能性がある個別の開エムゾネ
発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡
県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成
18年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場
市・小山町)(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存
管理エムゾネ計画は、20年月から既に実施され機能されているも
のである。−19−第2章構成資産の概要1構成資産の一覧世
界遺産「富士山」の構成資産の種別、位置、面積、緩衝地帯の
面積、所在地については、以下の表に示すとおりである。表構
成資産の一覧エムゾネ大種別分類小分類構成資産世界遺産条約文化
財保護法自然公園法所在地位置資産面積(ha)緩衝地帯面積
(ha)A富士山(山体)(御中道含む)遺跡特別名勝史跡山
頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡特別名勝史跡A2大宮・村
山口登山道遺跡特別名エムゾネ勝史跡A3須山口登山道遺跡特別名
勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田口登山道遺
跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市、小山町
)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖町)県境
未確定地″A6北口本宮冨士浅エムゾネ間神社遺跡建造物記念工作
物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺跡名
勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造物記
念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡市史跡
静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡エムゾネ名勝・天然記念物
静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市N
E2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価

78 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:40:57.99 ID:HiySrW+B0.net
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21
−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で
ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な
るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以
上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ
一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す
るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿
された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また
、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15
〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷エムゾネ川角行によって開
かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、
富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理
・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
仮指定1936年国立公園法の下に(富士エムゾネ箱根)国立公園
に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指
定1969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)1
996年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手
(継続中)「御中道」は、標高2,300mエムゾネ付近から2,
800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周す
る約25kmの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされ
る役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築
いた長谷川角行が行ったことが記録されているエムゾネ。古くは定
まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後
期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西側の
大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされていた
。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師エムゾネに提出

79 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:41:15.49 ID:797b12E70.net
や関本の道了尊エムゾネとセットにされた参詣の流行で登拝者数は増加
し、年平均約1万人、1800年の御縁年に23,700人とピー
クを迎えた。登拝者は関東地方の富士講関係者が多く、東北地方か
らの登拝者も見られる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下
山に適エムゾネした須走口へ下山する形をとった。また、1831年、
須走口山頂部に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による
登拝も増加した。1889年の東海道線開通による御殿場口、お

80 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:46:22.73 ID:HiySrW+B0.net
を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山
体への良好な眺望を保証するために、個々の構成エムゾネ資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構
成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性
を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、エムゾネ
保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「
富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲につ
いては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく
、その周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。こ
の範エムゾネ囲において、特別名勝の区域は文化財保護法で保護さ
れ、特別名勝指定地外から標高1,500mの区域については
自然公園法と森林法で保護されている。緩衝地帯との境につい
ては林班により線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等
への影響が軽エムゾネ減するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖
、西湖までを富士山の山体として考え、範囲付けしたことは、
展望地点から山頂までを連続して保護するための措置である。
緩衝地帯の範囲については、当初国道469号から県道72号
にかけての富士山側をエムゾネ計画していたが、国際専門家から飛
び地の資産である、富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝
地帯に含めるべきだとの指摘があり、市道を境に緩衝地帯を設
定した。その際、富士山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確
保するため、富士山に向かってエムゾネ約36度の広がりで設定し
た。この範囲については、文化財保護法以外の法律を適用し、
自然公園法、森林法、景観法で保護されている。保全管理区域
の範囲については、三保松原から富士山を眺望する際、その阻
害要因を軽減させるために、溶岩が流出エムゾネした範囲を基本と
して設定した。そのため、静岡県側においては、裾野市、御

81 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:46:41.04 ID:HiySrW+B0.net
、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許
し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間
100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の
転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな
っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮
)富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施
設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験
道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。
登拝者は山頂周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される
噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝した。また、火口エムゾネ壁
にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して
巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なう
ことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、
修行僧末代により建立された大日寺(大日堂)が最初とさエムゾネ
れ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院
への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山
口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された
。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1エムゾ
ネ874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ
て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された
。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通エム
ゾネじて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の
写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文

82 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:46:57.53 ID:797b12E70.net
び1903年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離エムソ
゙ネが長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され
続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間大
社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。またエムゾネ、19
23年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。1959年
、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合目以下の登
山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができない区間があ
る。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山道エムゾネ北口本宮冨士浅
間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である。15世紀には、富
士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも広ま
っていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もで
き始め、大勢の人々が登るための設備エムゾネが整うようになった。1
6世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、
18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教
的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このた
め、富士講の信者が次第に増エムゾネ加した18世紀後半以降は、年間
数万人を数える富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富
士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御
岳)を起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用す
る登山者は激減したエムゾネが、六合目以上については、現在残る登山
道の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登
山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩
で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護エムゾネ、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝富士

83 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:52:43.10 ID:HiySrW+B0.net
場市、小山町に流出している溶岩流の範囲については、保全管
理区域とはしていない。なお、保全管理区域についても、森林
法と景観法で保護されている。富士山山体の東にエムゾネ位置する
、演習場(北富士演習場・東富士演習場)については、従前よ
り大規模開発が予定されていないことから、緩衝地帯同様に資
産を緩衝することが可能な区域であると言える。3構成資産の
概要構成資産及び保存管理状況の概要については、以下にエムゾ

84 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:53:02.39 ID:HiySrW+B0.net
エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ
の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰
を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八
葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的
意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる
お鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富士講
講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。
内院にエムゾネ賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつか
の仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高
峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼した。写
真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社及びエムゾネ村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山
道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開削した
登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とその
活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測エムゾネできる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在
が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発
心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年
、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えて
いる。この権エムゾネ利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登
山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって
、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀

85 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:53:19.88 ID:797b12E70.net
保エムゾネ存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)1996
年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備
1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006年「特
別名勝富士山保存管理計画」を改訂2011年文化財保護法エムゾネの
下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富士山として指定−2
6−2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A6北
口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭
神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山エムゾネ祇命を祀る
神社である。富士山の遙拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒
ぶる神)を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され
、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社
は領主からの崇敬が厚く、境内に現存するエムゾネ3つの社殿は、15
61年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進した
ものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が
行われ、現在にみる境内の景観のエムゾネ礎が形成された。北口本宮冨
士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属し
ており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた
。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びていエムゾネる。富士講や吉田御師と密接な関係を
持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯19
07年古社寺保存法の下に東宮本殿が特別保護建造物の指定195
2年所在地が文エムゾネ化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定
1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文化財保護法
の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解
体修理工事を行う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管
理計画エムゾネ」を策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(

86 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:58:56.23 ID:HiySrW+B0.net
記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書本文に
て説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、構成
資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、それ
ぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p18,1
9表エムゾネのA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に
関わるもの(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776
mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山でエムゾネある。その自然的な美しさと崇高さを基盤と
して、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術
文化を育んだ名山でもある。富士山は山岳に対する信仰の在り
方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極
めて深い関連性を示しエムゾネ、生きた文化的伝統の物証であるの
みならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値
を持つ山である。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山
体の内、標高約1500m以上エムゾネの範囲である。この範囲は
、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重なり
合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性に関
する境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、
「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、エムゾネ宗教的観点からも
不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が
大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線
が優美な曲線を描き、絵画などの対象とされることが多い範囲
である。写真上空から見た写真に資産範囲を線でエムゾネ示したも
の(推薦原案と同じもの)−21−−22−標高約2500m
付近の森林限界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、
神聖な地域あるいは死後世界である「他界」と考えられてい

87 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:59:11.36 ID:HiySrW+B0.net
半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び
村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者
坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1
600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登
山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17
世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後半

88 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 06:59:29.03 ID:797b12E70.net
74年)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1
997年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺
替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本エムソ
゙ネ宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年
「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富士山の火山
活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に位置エムゾネする。
富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この西
湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖はかつて「?の海(
せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが、日本最古の歌集・万葉
集で?の海が詠われたほか、いくつかの文学作エムゾネ品ともゆかりが
ある。写真西湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成され
た堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修
−27−行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初のエムゾネ洋風ホテルはこの精進湖
畔に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだった
。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北西に位エムゾネ置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写
真の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。富士山は、プロエムゾネ・アマを問わず多くの写真家に愛され、撮
影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅
陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖
畔の春」という写真は有名である。この写真は、1984年に採用
された5千エムゾネ円札及び2004年に採用された千円札の図柄とし
て使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成して

89 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:04:23.16 ID:HiySrW+B0.net
。また、登山道ごとに標高は異なるが、1779年以降、エムゾネ
浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を
持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口であ
る「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づく。富
士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が、現在
の4エムゾネ本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界
に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ご
ろ富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、そ
の後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、富士講信者によ
り修行の道とエムゾネして利用された。表法的保護、修理・整備の
経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定
1936年国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定19
52年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定196
9年国が大沢崩れに対エムゾネする砂防事業に着手(継続中)19
96年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手
(継続中)「御中道」は、標高2,300m付近から2,80
0m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周する
約25kmの道である。「御中エムゾネ道巡り」は、修験道の祖と
される役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基
礎を築いた長谷川角行が行ったことが記録されている。古くは
定まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時
代後期には一定の道が整備された。富士エムゾネ山信仰の上では、
山体西側の大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道
とされていた。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師
に提出し、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳
しいものであった。この御中道の巡拝を無事終えエムゾネると、そ
の証である「御許し」を御師から受けることができた。181
6年の資料では年間100人以上が御中道巡りを行っている

90 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:04:41.43 ID:HiySrW+B0.net
興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の
宝永噴火で登山道とエムゾネ共にことごとく破壊された。これらは
再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設
としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興
法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む
西日本の人々が多かっエムゾネた。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19
世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年
で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退しエムゾネていたとの記述もあるが、186
0年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大
宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡
坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以
降、女人登山の解禁もありエムゾネ、登山者は増加傾向を示すが、
1889年、東海道線の開通による御殿場口利用者の増加により
衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由せず4km
短縮された大宮新道(カケスバタ口)が建設されたため、大宮か
ら現六合目までの村山口登山エムゾネ道は登山道としての機能を失
い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建設に雨水による侵食も
加わり、一部を除き登山道跡の推定は困難な状態であり、道標、
地蔵・不動明王像、建物跡などをある程度たどることができるの
みである。写真大宮・村山口登エムゾネ山道の写真A3須山口登山
道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ
嶽)に至る登山道である。その起源は明確ではないが、1200
年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山(珠山)口以外には登
山道がないことが述べられているエムゾネ。1486年の京都の僧
による資料(廻国雑記)では、「すはま口」の名が確認できる。
登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12軒の御師を

91 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:04:58.86 ID:797b12E70.net
る本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同
じ姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修理
・エムゾネ整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五
湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に
本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される2011年エムゾネ文
化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖

92 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:10:49.18 ID:HiySrW+B0.net
、1977年の転落事故で通行止めとなり、現在では一周する
ことはできなくなっている。写真御中道の写真A1山頂信エムゾネ
仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部の火口壁沿いに、いく
つかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士山への信仰登山
が開始されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造
営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行
為がエムゾネ体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「御
来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる
神仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼
荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉め
ぐり)」と呼エムゾネばれる行為を行なうことが一般的であった。
山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、修行僧末代により建立
された大日寺(大日堂)が最初とされ、その後、経典・懸仏・
仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。ま
た、遅くとも17世紀エムゾネには、大宮・村山口山頂部に大日堂
が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された。この様子は1
9世紀中ごろの絵図によって確認できる。1874年、山頂の
仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピー
クの名称も変更され、寺院は神エムゾネ社に改変された。しかし、
山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の行為は現
代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じて富士
信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の写真表法的
保護、修理・整備の経緯1924年所在エムゾネ地が史蹟名勝天然
紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園
法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化
財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財団法
人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査がエムゾネ行われ、
その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」

93 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:11:07.46 ID:HiySrW+B0.net
心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を
巡り、須走村と争いになった際は浅エムゾネ間大社の裁定を仰いで
いる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に
附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施
設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せエムゾネず、1780年によ
うやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅間神社、
中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確
認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場
としても使用された。登拝者についてはエムゾネ詳しい研究が進ん
でいないが、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、
宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当
たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均約
1,700人、続く1860年の御縁年にエムゾネは約3,600
人であった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883
年、須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿された。ま
た、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上
により須山口からの登拝者や登山者が減少すエムゾネることとなっ
た。1912年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可
能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っ
ている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一
部のみである。また、1999年、地元住民にエムゾネより須山口
下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興された。写真須山口
登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点
とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山
道である。その起源は明確ではないが、六合目かエムゾネらは13
84年の銘のある掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の
1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利

94 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:11:22.96 ID:797b12E70.net
存管理計画」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富
士山の南西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展してき
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされエムゾネる木花之佐
久夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用され
た湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山により近い遥拝所
であった山宮浅間神社から現在の地に移転エムゾネされたとされる。創
建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めることを信仰
の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与え
ることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには、浅間大神は本
地垂迹説の影響を受け大日如来のエムゾネ垂迹である「浅間大菩薩」と
見なされるようになり、12世紀頃より政治の実権を掌握した武士
階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ごろ、登拝が盛んにな
るにつれて、浅間大社は村山浅間神社とともに大宮・村山口登山道
の起点となり、宿坊が周エムゾネ辺に建設された。16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって、
浅間大社を経由した登拝を喧伝した。同時期の絵図である絹本著色
富士曼荼羅図には、浅間大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して
登山する人々のエムゾネ姿が描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山
中での諸権利が構築されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の
下、1604年現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂
部の散銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部
の管理エムゾネ・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山
道と頂上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀
釈以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由し
ない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れエムソ
゙ネた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅

95 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:17:30.30 ID:HiySrW+B0.net
策定された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡富士山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各
峰を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在もエムゾネ
多くの人々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「い
たゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の
峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える。16世紀前半
には地元為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後

96 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:17:49.55 ID:HiySrW+B0.net
すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山エムゾネ頂部ま
でを支配し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬
師堂の開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭
取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須
走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、エムゾネこれ
らの権利について八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い
、正式に権利を認められた。−25−登山道の施設は1683年
の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社
等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されエムゾネて
いる。1707年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神
社、須走村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援
を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集
めた。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料エムゾネ
があるが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセッ
トにされた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、1
800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は
関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見エムゾ
ネられる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した
須走口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部
に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19エム
ゾネ03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が
長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間
エムゾネ大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また
、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。

97 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:18:10.06 ID:797b12E70.net
大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保護、
修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下にエムゾネ特別保
護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1929年本
殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年楼門の修理1
936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化財保護法制定に
伴い重要文化財に名称変更1952年本殿の屋エムゾネ根の修理等が行
われた1970年本殿の屋根の修理等が行われた1988年本殿の
屋根の修理等が行われた1996年富士宮市教育委員会が調査を行
った2002年富士宮市教育委員会が調査を行った2005年本殿
の屋根の修理等が行われた2008年エムゾネ財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所により境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2
010年に「史跡富士山保存管理計画」を策定2010年文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定湧玉池は富士
山本宮浅間神社境内に所在すエムゾネる面積約2,500uの池である
。池は約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平
均14万?(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズム
は、富士山の標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降水が地
下にしみ込み、何層エムゾネもある溶岩層の間にはさまれて充満し、そ
れが押し出されるようにして末端から湧出したものである。浅間大
社の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を
聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧玉
池のほとりエムゾネに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神とし
ての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来には
、地底から玉が湧き出るように湧水しているためという説や湧く霊
たエムゾネま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世紀後半の地
元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は1670年作成の「
社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝し、富士山を

98 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:23:28.71 ID:HiySrW+B0.net
959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合
目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができ
なエムゾネい区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山
道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である
。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一
般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣
の道エムゾネ者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るため

99 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:23:48.25 ID:797b12E70.net
ざす登拝者が身を清める場として使用された。その様子は「エムゾネ絹
本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登
山記で確認できる。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ
、水垢離する人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は
1920〜30年代まで行われ、現在では山開きのエムゾネ恒例行事に
形を変えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも
利用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設
があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であ
り、現在でも1691年に作られた石碑がエムゾネたもとに残されてい
る。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東
約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である
。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足の地に祀られていた
浅間大神を、神話上の英雄であるエムゾネ日本武尊が大神の神威により
難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び
遷され浅間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文
献上での初見は1551年である。神社は神事の際に使用する籠屋
以外の建物施設を持たずエムゾネ、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異な
形態を示している。この形態は古代からの富士山祭祀の形を止めて
いると推定されており、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。
発掘調査では1エムゾネ2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推
定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での
宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間
大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは
4月とエムゾネ11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神
社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である
。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈
と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈があエム

100 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:24:09.98 ID:HiySrW+B0.net
盛んエムゾネになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが
知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山
頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中
にあるいくつかの仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)
の大日如来、エムゾネ最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金
明水などを巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口

101 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:29:38.50 ID:HiySrW+B0.net
れたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設とし
てはエムゾネ発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は
興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を
含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から1
9世紀初頭のエムゾネ道者坊の記録より、御縁年で2,000人前
後、平年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではそ
の数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、
1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコ
ックは大宮を経由してエムゾネ村山に宿泊し、山頂をめざした。彼
の記録では大鏡坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認で
きる。明治維新以降、女人登山の解禁もあり、登山者は増加傾
向を示すが、1889年、東海道線の開通による御殿場口利用
者の増加により衰退し、これへエムゾネの対策として1906年、
村山を経由せず4km短縮された大宮新道(カケスバタ口)が
建設されたため、大宮から現六合目までの村山口登山道は登山
道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建
設に雨水による侵食も加わり、一部を除エムゾネき登山道跡の推定
は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡などを
ある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登
山道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起
点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道でエムゾネある。そ
の起源は明確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口
、吉田口、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べら
れている。1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では
、「すはま口」の名が確認できる。登山道および山頂部銀エムゾネ
明水は須山浅間神社及び12軒の御師を中心とした須山村によ
り管理されていた。ただし、銀明水の管理を巡り、須走村と

102 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:29:55.53 ID:HiySrW+B0.net
設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が
吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎
を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山
本道をエムゾネこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が次
第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の
道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道路が開通し
た後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を起点として登
るようにエムゾネなったため、五合目以下の道を利用する登山者は
激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も
多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上っ
て山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登エムゾネれる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然
紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保
護法の下に名エムゾネ勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別
名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)
1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘
調査・整備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2
006年「特別エムゾネ名勝富士山保存管理計画」を改訂2011
年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富
士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」
を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登
山道の起点に位置エムゾネし、祭神として木花開花姫命、天津彦彦
火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀ら
れていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年
には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の
社殿が整っていたとエムゾネされる。当神社は領主からの崇敬が

103 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:30:11.15 ID:797b12E70.net
゙ネる。この行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神
幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発
し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上し
て山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には169エムゾネ1年に
置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮
浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富
士山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位置

104 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:35:55.04 ID:HiySrW+B0.net
いになった際は浅間大社の裁定を仰いでいる。登山道には宝永
噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に附属する御胎内神社
等のエムゾネ宗教施設と山室がみられる。これらの施設及び登山道
はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御縁年の17
40年に復興したが永続せず、1780年にようやく復興した
。また、1880年代の記録では御室浅間神社、中宮浅間社、
御胎内等の宗エムゾネ教施設と4箇所の石室があることが確認でき
る。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場とし
ても使用された。登拝者については詳しい研究が進んでいない
が、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、宿帳及
び案内立札の立地からエムゾネ確認できる。登拝者数は御縁年に当
たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均
約1,700人、続く1860年の御縁年には約3,600人
であった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883
年、須山口二合八勺に接続するエムゾネ御殿場口登山道が開鑿され
た。また、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便
性の向上により須山口からの登拝者や登山者が減少することと
なった。1912年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使
用不可能となったため、須山口からの登エムゾネ拝(登山)は衰退
し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認
できる部分は一部のみである。また、1999年、地元住民に
より須山口下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興された
。写真須山口登山道の写真A4須走口登山道富士エムゾネ山東麓の
冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流して山
頂久須志岳に至る登山道である。その起源は明確ではないが、
六合目からは1384年の銘のある掛仏が出土している。文献
からは「勝山記」の1500年6月の項に、関東地方でのエムゾネ
戦乱を避け、吉田口を利用すべき登拝者が須走口に集中した

105 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:36:12.26 ID:HiySrW+B0.net
く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、1
615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講と
のつながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光
清の寄進によって境内エムゾネの建造物群の修復工事が行われ、現
在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の
支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神
社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の
背後に登山門があり、こエムゾネの神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1
907年古社寺保存法の下エムゾネに東宮本殿が特別保護建造物の
指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名
勝に指定1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文
化財保護法の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年
西宮本殿・解体修理工事を行エムゾネう(〜64年)1978年「
特別名勝富士山保存管理計画」を策定1973年本殿・部分解体
修理工事を行う(〜74年)1981年東宮本殿・部分修理工事
を行う(〜82年)1997年東宮本殿・部分修理工事を行う2
008年本殿・屋根の葺替え修エムゾネ理工事を行う(〜09年)
2010年「重要文化財北口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を
策定2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を
策定(予定)A7西湖富士山の火エムゾネ山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この西湖にも多くの富士講徒
が訪れた。西湖と精進湖はかつて「?の海(せのうみ)」と呼ば
れる一つの湖だったが、日本最古のエムゾネ歌集・万葉集で?の

106 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:42:37.59 ID:HiySrW+B0.net
とが確認できる。遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及び
須走村が登山道山頂部までを支配し、薬師嶽(現久須志岳)に
おける石室建設の独占、薬師堂の開帳・入仏などを行った。ま
た、エムゾネ内院および薬師堂の散銭取得権も浅間大社に次ぐ権利
を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1703年と17
72年の2回幕府に訴え、これらの権利について八合目以上の
支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権利を認められた

107 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:42:54.74 ID:HiySrW+B0.net
が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西
湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−
行する内八海巡りが行われたが、このエムゾネ精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔
に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだっ
た。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山エムゾネの火山活動により
形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多く
の富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も
使用された写真の撮影地点であり、重要なエムゾネ展望地点(vi
ewpoint)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの
写真家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士
山を追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の
峠道から撮影された「湖畔の春」という写真エムゾネは有名である
。この写真は、1984年に採用された5千円札及び2004年
に採用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖ま
で広がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔
の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のままエムゾネ現在も残し
ている。写真本栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7
・A8・A9)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根
)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関
する条例」を制定2006年自然公園法の下に本エムゾネ栖湖の湖
面全域での動力船の使用が規制される2011年文化財保護法の
下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画
」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南
西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展エムゾネして

108 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:49:19.27 ID:HiySrW+B0.net
−25−登山エムゾネ道の施設は1683年の資料等で詳細が確認
でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に
、小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永
噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走村は約3mの
降砂に覆われ壊滅したエムゾネが、江戸幕府の支援を受け、翌年の
登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世
紀半ばには800名前後に減少したとの資料があるが、18世
紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにされた参詣
の流行で登拝者数は増加し、年エムゾネ平均約1万人、1800年
の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は関東地
方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見られる。
講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した須走口へ
下山する形をとった。また、1831年エムゾネ、須走口山頂部に
宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19
03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が長
い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道としエムゾネて利用さ
れ続けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、191
6年には、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以
上は浅間大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。
また、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されエムゾネ
ている。1959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成
により、五合目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道とし
ての確認ができない区間がある。写真須走口登山道の写真A5
吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目
指すエムゾネ道である。15世紀には、富士山への登拝が、修験者
だけでなく、ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は
14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢

109 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:49:34.38 ID:HiySrW+B0.net
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久
夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用さ
れた湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山にエムゾネより
近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとさ
れる。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮める
ことを信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも

110 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:49:50.92 ID:797b12E70.net
を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公
家に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部で
発生した問題については、浅間大社の判断を仰エムゾネいでいる。須山
浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1940年頃まで境内で富
士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。1883年、御殿場
口登山道が開設され、1899年の東海道本線開通による御殿場口
利便性の向上は須山口からの登拝者やエムゾネ登山者を奪い、加えて1
912年登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため
、須山口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなか
ったため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を保っ
ている部分が多い。写真須山エムゾネ浅間神社の写真B5冨士浅間神社
富士山東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神
とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来
、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のため
に祭事を行い、翌年エムゾネ噴火が収まったことから、807年に祭事
の跡地であるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとさ
れる。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年の
ものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保護を受け、
山頂部の散エムゾネ銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走浅
間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し、山
頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び山頂部
の散銭取得権の一部を得ていた。これら山頂部の権利については八
合エムゾネ目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間大社と争いになり
、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に裁定を求めてい
る。この結果、これらの権利は幕府によって認められた。また、冨
士浅間神社神主や御師は須山の場合と同じく、京都吉田家よエムゾネり
神道裁許状を得て権威を高めている。社殿は、記録の残っている範
囲では1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩

111 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:54:42.56 ID:HiySrW+B0.net
人々が登るための設備が整うようになった。16世紀から17
世紀、長谷川エムゾネ角行が吉田口を利用して修行を行い、18世
紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的
自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。この
ため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、年
間数万人を数える富士エムゾネ講の道者が登拝したとされる。19
64年に富士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が
新五合目(小御岳)を起点として登るようになったため、五合
目以下の道を利用する登山者は激減したが、六合目以上につい
ては、現在残る登山道の中で最エムゾネも多くの道者(外の登山口
の合計と同程度)が吉田口登山道を上って山頂を目指している
。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要
な道である。写真吉田口登山道の写真表法的保護、修理・整備
の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然エムゾネ紀念物保存法の下
に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱
根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の下に名
勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別名勝富士山保存管
理計画」策定(1999年、2006年改訂)1エムゾネ996年
歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整
備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006
年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2011年文化財保
護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富士山エムゾネ
として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」を
策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登
山道の起点に位置し、祭神として木花開花姫命、天津彦彦火瓊
瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀られ
ていエムゾネた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、148
0年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅

112 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:55:01.72 ID:HiySrW+B0.net
い神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半エムゾネご
ろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹であ
る「浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治
の実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世
紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間エムゾネ
神社とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建
設された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝
した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間エムゾ
ネ大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築さ
れていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年現在
の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得にエム
ゾネおける優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・
支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂上部
の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈以降、
村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由しない登
エムゾネ山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れ
た。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅
間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保
護エムゾネ、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下
に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1
929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年
楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化
財保エムゾネ護法制定に伴い重要文化財に名称変更1952年本殿
の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修理等が行わ
れた1988年本殿の屋根の修理等が行われた1996年富士

113 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 07:55:17.42 ID:797b12E70.net
稲葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の宝
永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、エムゾネ1718年
に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2009年の修理
も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路があり、水
垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭にかけて富士講が
隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝エムゾネ者が登山又は下山の
際立ち寄った。その数は1800年の御縁年の際に約27,30

114 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:00:21.97 ID:HiySrW+B0.net
神社の社殿が整っていたとされる。当神社は領主からの崇敬が
厚く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年
、1615年エムゾネにそれぞれ当時の領主が寄進したものである
。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の指導者
である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行
われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士
浅間神社の支配権は外エムゾネ川家、小佐野家などの吉田の御師に
所属しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ね
られていた。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点とし
て富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師
と密接な関係を持ちながら発展エムゾネした神社である。写真北口
本宮冨士浅間神社の写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的
保護、修理・整備の経緯1907年古社寺保存法の下に東宮本
殿が特別保護建造物の指定1952年所在地が文化財保護法の
下に名勝、ついで特別名勝に指定195エムゾネ2年東宮本殿・解
体修理工事を行う1953年文化財保護法の下に本殿、西宮本
殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解体修理工事を行
う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画」を
策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(エムゾネ〜74年
)1981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)19
97年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の
葺替え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北
口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化エムゾネ
財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予
定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A
7西湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の
北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りがエムゾネ行われたが、この西湖にも多くの富士講徒が訪れた

115 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:00:40.26 ID:HiySrW+B0.net
市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市教育委員会が調
査を行エムゾネった2005年本殿の屋根の修理等が行われた20
08年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により境内の発掘調
査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管
理計画」を策定2010年文化財保護法の下に他の文化財ととも
に史跡富エムゾネ士山として指定湧玉池は富士山本宮浅間神社境内
に所在する面積約2,500uの池である。池は約1万年前に噴
出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均14万?(200
8年)の水を源としている。湧水のメカニズムは、富士山の標高
1000mエムゾネ前後ないしそれ以上の高所の降水が地下にしみ
込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満し、それが押し出
されるようにして末端から湧出したものである。浅間大社の位置
は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる
水源の山としエムゾネて崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧
玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神と
しての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来
には、地底からエムゾネ玉が湧き出るように湧水しているためとい
う説や湧く霊たま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世
紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は167
0年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝
し、富士山をめざエムゾネす登拝者が身を清める場として使用され
た。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図
」、17世紀初頭の登山記で確認できる。この絵図では現在の形
状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やそのための施設が見
られる。登拝者の水エムゾネ垢離は1920〜30年代まで行われ
、現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承されている。また
、湧水は聖なる水として現在でも利用する人が多い。湧玉池お

116 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:00:55.79 ID:797b12E70.net
名であった。同時期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山
回数等の記念碑を約80基造営した。また、神社には神社神官や御
師が発行した木版印刷による神影エムゾネや神符の版木が保管されてい
る。写真冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くから富士山に関
わる祭祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か?)が執り行っていた
が、864年〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも
浅間神社が建てられるこエムゾネととなった。それが、富士山を望む河
口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされ
る。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿
駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落
として発展を遂エムゾネげた。しかし、江戸における富士講の大流行と
、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能
は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景
と相俟エムゾネって、富士山信仰を語る上で欠かすことができない資産
である。写真河口浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯2
011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予エムソ
゙ネ定)B7冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮
座した本宮(もとみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成さ
れている。8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたの
が最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとエムゾネする文
献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合
目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役
行者堂が整備されたようである。また、社記によると958年、二
合目は冬季における参詣が難儀であることからエムゾネ河口湖畔の現在
地に里宮が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともな
い、吉田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさ

117 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:06:33.65 ID:HiySrW+B0.net
西湖と精進湖はかつて「?の海(せのうみ)」と呼ばれる一つ
の湖だったが、日本最古の歌集・万葉集で?の海が詠われたほ
か、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A
8精進湖富士エムゾネ山の火山活動により形成された堰止湖で、富
士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−行
する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔に

118 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:06:48.88 ID:HiySrW+B0.net
び周辺には様々な宗教に係わる施設があるが、特に池の南端にあ
る「神幸橋」は、御神エムゾネ幸道の基点であり、現在でも169
1年に作られた石碑がたもとに残されている。−29−写真沸玉
池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東約5kmに位置し、
木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である。その起源は「富
士本宮社記」によれば、エムゾネ山足の地に祀られていた浅間大神
を、神話上の英雄である日本武尊が大神の神威により難を逃れた
謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び遷され浅
間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文献上で
の初見は1551年であるエムゾネ。神社は神事の際に使用する籠
屋以外の建物施設を持たず、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異
な形態を示している。この形態は古代からの富士山祭祀の形を止
めていると推定されており、エムゾネ遥拝所の主軸は富士山方向を
向いている。発掘調査では12〜15世紀にかけての神事に使用
されたと推定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し
、当神社での宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577
年までには浅間大社との間で「エムゾネ山宮御神幸」といわれる儀
式が開始された。これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅
間大社から山宮浅間神社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅
間大社へ戻る行事である。行事の意味として、現時点では神が4
月に旧跡に戻るという解釈と、山エムゾネにいる神が4月に田の神
として里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで
行われていた。なお、「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸
道と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約600m東へ向かった
後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上エムゾネして山宮浅間神社に至
る。道の出発点及び途中には1691年に置かれた距離を示す石
碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮浅間神社の写真B

119 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:07:07.35 ID:797b12E70.net
に増すことになる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変
化や、富士スバルラインの開通等もあエムゾネって吉田口登山道は衰退
する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士
御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が困
難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿を里宮
地内に移転することとなる。エムゾネ修験や登拝といった様々な富士信
仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅
間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿・
二合目から里宮境内エムゾネ地に移築、整備された(〜74年)198
5年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文化財として指定1983
年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り直しほか一部補
修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計
画」を策定エムゾネ2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計
画」を策定(予定)B8御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登
拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
とエムゾネを業とした。富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に
沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多く
は短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地をエムゾネ流
れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室
が続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外
川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の
典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外エムゾネ川家住宅は
、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の東側
南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西方向の奥
行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てられている。

120 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:12:50.14 ID:HiySrW+B0.net
てられ、多くの西洋人エムゾネが訪れた。20世紀初頭には、絵葉
書に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんど
だった。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山の火山活動により
形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の
湖を巡って修行する内八海巡りエムゾネが行われたが、この精進湖
にも多くの富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄と
して何度も使用された写真の撮影地点であり、重要な展望地点
(viewpoint)である。富士山は、プロ・アマを問わ
ず多くの写真家に愛され、撮影されてきエムゾネた。なかでも、生
涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅陽によって、1935年
に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖畔の春」という写真
は有名である。この写真は、1984年に採用された5千円札
及び2004年に採用された千円札の図柄としてエムゾネ使用され
た。山体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成している本栖
湖からの展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ
姿のまま現在も残している。写真本栖湖の写真表法的保護、修
理・整備の経緯(A7・A8・A9)1936年所在地がエムゾネ
国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山
梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例」を制定2006年自
然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制され
る2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011
年「エムゾネ名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)(2)信
仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南西麓に位置する神社であ
り、この神社とともに発展してきた富士宮市の中央部に所在す
る。富士山の神とされる木花之佐久夜毘売命を主祭神とし、現
在全国に約1エムゾネ300社ある浅間神社の総本宮とされている
。境内には登拝の際に水垢離場として使用された湧玉池がある
。浅間大社は7世紀ごろ、富士山により近い遥拝所であった

121 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:13:08.23 ID:HiySrW+B0.net
村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士山南麓に張り出
した標高約500mのバルコニー状地エムゾネ形に位置し、木花開
花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範囲には、
現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在
している。これらは1868年の神仏分離令までは一体のもので
あり、富士山興法寺(村山興法寺)と呼エムゾネばれていた。なお
、周辺には興法寺の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三

122 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:13:25.65 ID:797b12E70.net
川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋エムゾネ(しおのや)と号し
、富士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀家とした富士山
御師である。1572年の「吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位
置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記されており、外川家ではこの人
物を中興の初代としている。またエムゾネ、1669年の「検地帳」で
は、塩屋多兵衛の屋敷として確認される。御師としての活動は江戸
末期頃隆盛期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物
の老朽化に伴い、所有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が
寄贈を受け、2006年エムゾネから2007年にかけ大規模保存修理
事業を行った上で、2008年4月から富士吉田市歴史民俗博物館
の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住宅の写真表
法的保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全修理を行う20
08年富士吉田エムゾネ市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を
行う2010年「山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画
」を策定2011年文化財保護法の下に重要文化財として指定小佐
野家住宅は、富士講によって大きく発展した御師集落である富士吉
田市上エムゾネ吉田地区にあって、富−33−士山に登拝する人々を宿
泊させた宿坊として、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富
士の雪代の被害を避けるため、1572年に旧地である古吉田地区
から集落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方エムソ
゙ネ向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行われたと伝えられている。
小佐野家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150
mほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元亀の集落
移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代エムゾネ々御師
を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当主は小佐野壱岐ある
いは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,
000人に達したとされる。現在、屋敷地の東側には所有者が住む
住居が建築されており、小佐野家住宅には所有エムゾネ者の親族が居

123 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:18:37.49 ID:HiySrW+B0.net
宮浅間神社から現在の地に移転されたとされる。創建当時は富
士山の噴火が盛んであエムゾネり、これを畏れ鎮めることを信仰の
目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い神階を与
えることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには、浅間大
神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹である「浅間大菩
薩」と見なされるようになり、エムゾネ12世紀頃より政治の実権
を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世紀ご
ろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間神社とと
もに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建設され
た。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池でエムゾネの水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧
伝した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間
大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中でのエムゾネ諸権利が
構築されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、160
4年現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散
銭取得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の
管理・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登エムゾネ
山道と頂上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、
廃仏毀釈以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神
社を経由しない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの
参拝者が訪れた。また、明治政府の政策により、一時国有地と
されエムゾネていた八合目以上の土地は1974年の最高裁判決に
基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還)された。写真本殿
・拝殿+富士山表法的保護、修理・整備の経緯1907年本殿
が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定1925年本殿・
拝殿・楼門等エムゾネの補修1929年本殿は国宝保存法制定に伴
い国宝に名称変更1934年楼門の修理1936年袖廊・廻

124 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:18:52.63 ID:HiySrW+B0.net
(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確
認されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末
代上人による富士山頂への大日寺の建立にエムゾネあるとされる。
末代上人が富士山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も
残されている。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺
において修験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測で
きる。1259年には、現存する大日如来がエムゾネ寄進されたこ
とを仏像の銘で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で
修行する人々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点とな
ったと考えられる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活
動を組織化し、興法寺を再興したとされる。1エムゾネ5世紀に入
ると興法寺とそれを支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(
1478)で確認できる。1482年には修験道本山派の本寺で
ある聖護院と関係を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十
数軒あった道者坊が村山三坊に統合され、その活エムゾネ動を資料
で確認できる。坊に所属する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及
び山頂で行った。また、富士山への一般の登拝者も増加し、夜間
に白装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目指す多くの人々の
様子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。エムゾネ村山の
山伏は、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回巡回し加持祈
祷等を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西日本の一
般登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織化を図
ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川エムゾネ辺で
垢離を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢
離」の手法を広めている。加えて富士山を航海の目印とする伊豆
半島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺
の勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた1エムゾネ6
世紀前半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力

125 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:19:11.14 ID:797b12E70.net
している。写真小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯
1976年文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消
防設備設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋い
の補修を行う1997年主屋、蔵の修エムゾネ理を行う1998年主屋
、蔵の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用計
画」を策定B9山中湖富士山の火山活動によって形成された堰止湖
で、富士山の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する

126 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:24:18.97 ID:HiySrW+B0.net
背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺を
支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復され
、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ばエムゾネ
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築さ
れたものを基本としている。1868年、神仏分離令により浅間
神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、1906年
の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富士峰エムゾ
ネ修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は197
0年代より活発になった地域住民による伝統復活のための活動が
見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅間神社の
影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊勢町等でエム
ゾネは現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村山浅間
神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口登山道の
入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である。その
起源は1598年作の社伝旧記によると110年、日本武尊が蝦
エムゾネ夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さらに55
2年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社の存在が
確認できるのは1524年で修築時の棟札による。また、市天然
記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されており、
遅エムゾネくともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在し
たと推測できる。現在の社殿は1823年の再建である。170
7年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を受けたが、17
80年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,40
0人エムゾネの登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とと
もに当時の須山村の中心的存在であり、村全体で須山口登山道と
山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得
たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする等して権威を高めて
いるがエムゾネ、山頂部で発生した問題については、浅間大社の

127 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:24:38.42 ID:797b12E70.net
八海巡りが行われたが、このエムゾネ山中湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホ
テルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある
芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。富士山の頂
上付近に日の入りがエムゾネ重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、
多くの写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖富士山の火
山活動により形成された堰止湖で、富士山の北に位置する。富士山
周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この河口湖に
も多くの富エムゾネ士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で、2
0世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのある芸術
家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が
最も多い。葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに
見エムゾネえる富士山を描いている。写真河口湖の写真表法的保護、修
理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の
下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静
穏の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下にエムゾネ本
栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−34−2011年
文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖
保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士山の北東、忍野
村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧水地エムゾネ(出口池、
御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称であ
る。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。
富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った。長谷川角行が
行った富士八海修行になぞられ「富士御手エムゾネ洗(みてらし)元八
湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者
によって再興されたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)
図忍野八海周辺図表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名
勝天然紀念物保存法の下に天然紀エムゾネ念物に指定2010年忍野

128 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:30:04.63 ID:HiySrW+B0.net
では現在の形状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やその
ための施設が見られる。登拝者の水垢離は1920〜30年代
まで行われ、現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承され
ている。また、湧水はエムゾネ聖なる水として現在でも利用する人
が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施設がある
が、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基点であり
、現在でも1691年に作られた石碑がたもとに残されてい

129 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:30:21.84 ID:HiySrW+B0.net
断を仰いでいる。須山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1
940年頃まで境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われて
いた。1883年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東
海道本線エムゾネ開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの
登拝者や登山者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍演
習場となり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし
、その後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周
辺は日本的エムゾネ伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い
。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である
。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来、交通の要衝で
あった。社伝エムゾネでは802年、噴火の鎮火祈願のために祭事
を行い、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地で
あるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとされる。
その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年のもの
である。16世エムゾネ紀には地元支配者である武田氏の保護を受
け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走
浅間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し
、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び
山頂部の散銭取得エムゾネ権の一部を得ていた。これら山頂部の権
利については八合目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間大社
と争いになり、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に
裁定を求めている。この結果、これらの権利は幕府によって認め
られた。また、冨士エムゾネ浅間神社神主や御師は須山の場合と同
じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権威を高めている。社殿
は、記録の残っている範囲では1662年、地元領主である沼津
城主大久保氏や小田原藩主稲葉氏などの援助によって修造が行わ
れた。しかし1707エムゾネ年の宝永噴火では3m以上の降砂

130 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:30:38.43 ID:797b12E70.net
景観計画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010
年街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜1
4年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予
定)B12船津胎内樹型エムゾネ1617年、富士講の祖とされる長谷
川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹
型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)
を発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清に
より現船津胎内エムゾネ樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間
明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無
戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入
って身エムゾネを清める風習があり、洞穴内外の地形空間に宗教的な意
義付けが行われるとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神
である木花開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法のエムソ
゙ネ下に天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留郡富士河口
湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」
を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年に富士道者
により整備された「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥エムゾネには、
石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀
られている。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠
があり、その下段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右
の穴が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、エムゾネ左の穴が木花開
耶姫を祀る母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着
き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。−35−本穴
については、古くから冨士山北口御師団が管理している。写真吉田
胎内樹型の写真表法的保護、修理・整エムゾネ備の経緯1929年史跡
名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「天然

131 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:35:38.02 ID:HiySrW+B0.net
。−29−写真沸玉池の写真Bエムゾネ2山宮浅間神社浅間大社の
北北東約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神とする
神社である。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足の地
に祀られていた浅間大神を、神話上の英雄である日本武尊が大
神の神威により難を逃れた謝礼に山宮にエムゾネ祀ったこととされ
、これが802年に再び遷され浅間大社となったとする。具体
的な創建年代は不詳だが、文献上での初見は1551年である
。神社は神事の際に使用する籠屋以外の建物施設を持たず、拝
殿・本殿等が位置すべき場所には石列でいくつかエムゾネに区分さ
れた遥拝所が設置されるのみという特異な形態を示している。
この形態は古代からの富士山祭祀の形を止めていると推定され
ており、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。発掘調査で
は12〜15世紀にかけての神事に使用されたと推定されエムゾネ
る破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での宗
教活動を裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅
間大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。
これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮
浅間エムゾネ神社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ
戻る行事である。行事の意味として、現時点では神が4月に旧
跡に戻るという解釈と、山にいる神が4月に田の神として里へ
降りるという解釈がある。この行事は1874年まで行われて
いた。なお、エムゾネ「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸道
と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約600m東へ向かった
後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上して山宮浅間神社に至る。
道の出発点及び途中には1691年に置かれた距離を示す石碑
が少なくとも四箇所残エムゾネっている。写真山宮浅間神社の写真
B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士山南麓に
張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位置し、木

132 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:35:56.22 ID:HiySrW+B0.net
埋もれ崩壊したため、1718年に再建された。この後もこの際
の部材を使用し、2009年の修理も含め何回かの修理がおこな
われている。境内には水路があり、水垢離に利用された。18世
紀末から19世紀初頭にエムゾネかけて富士講が隆盛を迎えると須
走口にも関東からの登拝者が登山又は下山の際立ち寄った。その
数は1800年の御縁年の際に約27,300名であった。同時
期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山回数等の記念

133 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:36:14.57 ID:797b12E70.net
念物吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講遺跡富士
山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿いに位置する。木花開花
姫命・角行祖霊・徳川家康をエムゾネ主祭神とする浅間神社と富士講の
人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟である人穴がある。長
さ約83mの人穴は約11,000〜8,000年前に流出した犬
涼山溶岩流中に生成したものである。1300年前後に成立した文
書である吾妻鏡によエムゾネれば人穴は霊的な場所であり、地元では「
浅間大菩薩の御在所」とみられていたことが記述されている。この
内容は遅くとも1603年までに説話化され、多くの人にその存在
が知られていた。富士講関連の文書では1558年、開祖とされる
長谷川角行エムゾネが役行者のお告げにより人穴に至り、洞窟内で立行
等を達成し、浅間大菩薩よりお告げを得たとしている。角行は人穴
を浄土への入り口とし、「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀
以降、人穴は富士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけで
なエムゾネく修行を行う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利
用者と推定される。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあっ
たと推定されている。人穴浅間神社の創建は明確ではないが、16
48年及び1665年、その前身である光?寺が富士講二世エムゾネ日
珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興された記述
があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再興された。
1868年の神仏分離令により20世紀までには大日堂が人穴村の
氏神としての浅間神社となった。1942年、付近エムゾネが軍用地と
なったため一時移転したが、1954年に現在地に復興された。境
内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養碑で人穴
への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰によるものである。そのほかに
富士山に何回も登ったという登拝記念や大エムゾネ願成就の碑塔や角行
二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の講毎に群を成した
所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推定されている。碑

134 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:41:18.52 ID:HiySrW+B0.net
を約80基造営した。またエムゾネ、神社には神社神官や御師が発
行した木版印刷による神影や神符の版木が保管されている。写真
冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭
祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、
864年〜866年に北麓でエムゾネ起こった噴火を契機に、北麓
にも浅間神社が建てられることとなった。それが、富士山を望む
河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であると
される。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官
道の宿駅という役割に加え、富エムゾネ士登拝が大衆化した中世後
半から御師集落として発展を遂げた。しかし、江戸における富士
講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集
落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河
口浅間神社は、現在も富士山と密エムゾネ接に結びついた宗教行事
を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠
かすことができない資産である。写真河口浅間神社の写真表法的
保護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化
財とともに史跡富士山として指定(エムゾネ予定)2011年「史
跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間神社冨
士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と、
河口湖畔に建立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉
田口登山道二合目に祭場をしつらえたエムゾネのが最初とされ、富
士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。富士修験
の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社
が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備さ
れたようである。また、社記によると9エムゾネ58年、二合目は
冬季における参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里宮
が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない、吉
田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに

135 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:41:40.04 ID:797b12E70.net
で建立年代のわかる89基の内、富士講が隆盛した18世紀末から
19世紀前半(1781から18エムゾネ50年)に建立されたものが
半数(44基)、19世紀末より20世紀前半(1871から19
40年)のものが3分の1(29基)を占める。写真B14の写真
B15白糸ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅
約120〜210mの数エムゾネ百の流れを持つ滝である。滝は約1万
年前に噴出した白糸溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万?

136 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:46:48.62 ID:HiySrW+B0.net
0−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢離を取り、
祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢離」の手法
を広めている。加えて富士山をエムゾネ航海の目印とする伊豆半島
の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺の
勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世紀前
半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力を背景
に一定の権威をもち、登山道及びその頂エムゾネ上部の大日堂周辺
を支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復
され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ば
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築
されたものを基本としている。1868年、神仏エムゾネ分離令に
より浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、
1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし
、富士峰修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在
は1970年代より活発になった地域住民による伝統復活エムゾネ
のための活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また
、村山浅間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三
重県南伊勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されている
。写真村山浅間神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓
、須エムゾネ山口登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神
とする神社である。その起源は1598年作の社伝旧記による
と110年、日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社
を創起し、さらに552年有力豪族の蘇我稲目が再興したとあ
る。記録上神エムゾネ社の存在が確認できるのは1524年で修築
時の棟札による。また、市天然記念物である境内の杉は、樹齢
500年以上と推定されており、遅くともこの時期までに須山
浅間神社が現在の地に存在したと推測できる。現在の社殿は1
823年の再建であるエムゾネ。1707年の宝永噴火により登

137 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:47:03.45 ID:HiySrW+B0.net
すことになる。しかし、昭和に入ると富士エムゾネ信仰のありかた
の変化や、富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰
退する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、
富士御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管
理が困難となって、1973年から74年にエムゾネかけて、−3
2−本殿を里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった
様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土
地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社である
。写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修エムゾネ理・整備の
経緯1973年本宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備さ
れた(〜74年)1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要
文化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995年外部
の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年エムゾネ「重要文
化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化
財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定
)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8御
師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登拝のためのエムゾネ一切の
世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くはエムゾネ短冊
状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路
の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き
、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外川家
住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最エムゾネ盛
期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川家住宅
は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の
東側南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西

138 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:47:18.99 ID:797b12E70.net
水を源としている。滝の名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れて
いるように見えるため名づけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池
と同様であり、エムゾネ透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の
境界に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と
泥流層の間より湧き出しているものである。このメカニズムが解明
される前の19世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を
富士五エムゾネ湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書で
は、開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行っ
た地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1854エムソ
゙ネ年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼの中で
垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」としている。
また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれてい
る。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共にその存エムゾネ在が長
谷川角行との関わりを通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景
勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。
写真B15の写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地
が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指エムゾネ定1936年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987
年富士宮市により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富士
宮市により保存管理計画が改定され、これにともなった整備計画に
基づき、滝周辺の景観整備が行われたエムゾネ(3)眺望C三保松原富
士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した長さ約7k
mの砂嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5万4千本の黒松
が外海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中でも樹齢約650年
といわれる「羽衣の松」付近エムゾネは、富士山と砂浜の松という日本
で好まれた景観を組み合わせて望むことができる景勝地として知ら
れている。三保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形

139 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:53:24.97 ID:HiySrW+B0.net
道も含め大きな被害を受けたが、1780年に登山道が再興さ
れ、1800年の御縁年には約5,400人の登拝者があった
。須山浅間神社は12軒の御師とともに当時の須山村の中心的
存在であり、村全体で須山口登エムゾネ山道と山頂部銀明水を管理
した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公家
に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部
で発生した問題については、浅間大社の判断を仰いでいる。

140 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:53:43.13 ID:HiySrW+B0.net
向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てエムゾネ
られている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋(しお
のや)と号し、富士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀
家とした富士山御師である。1572年の「吉田宿屋敷割帳写」
には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記されてエムゾ
ネおり、外川家ではこの人物を中興の初代としている。また、1
669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋敷として確認される
。御師としての活動は江戸末期頃隆盛期を迎えるが、1962年
に御師を廃業している。建物の老朽化に伴い、所有者が取り壊エム
ゾネす意向であったが、富士吉田市が寄贈を受け、2006年か
ら2007年にかけ大規模保存修理事業を行った上で、2008
年4月から富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開
されている。写真旧外川家住宅の写真表法的保護、修理・整備の
エムゾネ経緯2006年大規模保全修理を行う2008年富士吉田
市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を行う2010年「
山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画」を策定201
1年文化財保護法の下に重要文化財として指定小佐野家住宅は、
富エムゾネ士講によって大きく発展した御師集落である富士吉田市
上吉田地区にあって、富−33−士山に登拝する人々を宿泊させ
た宿坊として、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富士の
雪代の被害を避けるため、1572年に旧地である古吉田地区か
ら集エムゾネ落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北
東方向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行われたと伝えられてい
る。小佐野家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが
150mほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元
亀の集エムゾネ落移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられ
る。代々御師を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当主は
小佐野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊す

141 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:54:02.74 ID:797b12E70.net
なったと考えられ、三保の名前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえ
たという説が有力でエムゾネある。かつては半島一帯に松が繁茂し、8
世紀初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉
集」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央の権力者に富士山と組み合わされた景勝地とし
て認識されエムゾネ、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利
義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富
士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側
に富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の題
材エムゾネとなると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした
謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨した
天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場面ではヒロイ
ンの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写が見られる。こエムゾネれ
はすでに成立していた「竹取物語」で示された富士山の噴煙が天上
と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘されている。この
作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェーツ、パウンドとい
ったモダニズムの作家に影響を与えるとともに、伝エムゾネ統芸能であ
る「能」が世界に広まるきっかけを作った作品である。また、絵画
でも15〜16世紀には三保松原を右に富士山を左に配する構図が
描かれ、この構図は狩野探幽により完成され、19世紀に至るまで
日本画・浮世絵において富士山を描く際のエムゾネ典型的構図とされた
。また、20世紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見た富士山
を数多く描いた。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地とな
り松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが、
外海側の景観は保たれ、1922エムゾネ年、国内初の名勝として国文
化財に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイ
ムシによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写真三保松原(現在の写真・静岡

142 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:59:31.64 ID:HiySrW+B0.net
山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ちエムゾネ、1940年頃ま
で境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。18
83年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東海道本線
開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの登拝者や登山
者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍エムゾネ演習場と
なり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし、そ
の後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周辺
は日本的伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い。写真
須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口エムゾネ
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社であ
る。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来、交通の要
衝であった。社伝では802年、噴火の鎮火祈願のために祭事
を行い、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地
であエムゾネるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したと
される。その他の文書で確実に存在が確認できるのは、157
1年のものである。16世紀には地元支配者である武田氏の保
護を受け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以
降、須走浅間エムゾネ神社は当時の須走村の御師などと共に須走口
登山道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師
堂開帳の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得ていた。これ
ら山頂部の権利については八合目以上の支配権を主張する富士
山本宮浅間大社と争いエムゾネになり、須走村は1703年と17
72年の2回、幕府に裁定を求めている。この結果、これらの
権利は幕府によって認められた。また、冨士浅間神社神主や御
師は須山の場合と同じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権
威を高めている。社殿は、記録エムゾネの残っている範囲では16
62年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩主稲葉氏
などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の宝

143 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 08:59:46.72 ID:HiySrW+B0.net
参詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所エムゾネ有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅
には所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表法
的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重要文
化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年屋根の
葺替えを行エムゾネう1996年雨樋いの補修を行う1997年主
屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い2010

144 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:00:03.34 ID:797b12E70.net
)写真歌川広重の浮世絵エムゾネ−37−写真三保松原の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に
名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策定1977
年名勝地内の一部が指定解除1989年名勝「三保松原」保存管理
計画書を改定1エムゾネ990年名勝地内の一部が追加指定及び指定解
除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定第3章保存管
理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境を構成する諸要素世
界文化遺産「富士山」の顕著な普遍的価値は以下に示すとおりであ
る。「エムゾネ富士山」の顕著な普遍的価値富士山は、日本を代表し象
徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山として
世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本
人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎エムソ
゙ネや歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの
日本独自の芸術文化を育んだ「名山」である。富士山は山岳に対す
る信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の
諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物エムゾネ証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑
出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持
つ山である。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれ
る要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムゾネ」と「顕著な普
遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さら
に緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山道B信仰に関わる周
辺のものC富士山から離れた眺望に関エムゾネわるもの表富士山の構成
要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山本宮奥宮・東
北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰、白山岳、
久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)・
大内院・小内院・馬の背・東エムゾネ安河原・西安河原・虎岩(獅子

145 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:05:38.05 ID:HiySrW+B0.net
噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718年に
再建された。この後もこの際の部材を使エムゾネ用し、2009年
の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路
があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭に
かけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が
登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800エムゾネ年の御縁
年の際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半
まで富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営し
た。また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による
神影や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社のエムゾネ
写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅
間神社(山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、864年〜
866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が
建てられることとなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸
にあエムゾネり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされる
。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の
宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御
師集落として発展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大
流行と、それエムゾネに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集
落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、
河口浅間神社は、現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を
行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠
かすことができない資エムゾネ産である。写真河口浅間神社の写真
表法的保護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)2011年
「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間
神社冨士御室浅間神社は吉田口エムゾネ二合目に鎮座した本宮(も
とみや)と、河口湖畔に建立された里宮から構成されている

146 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:05:55.20 ID:HiySrW+B0.net
「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画」を策定B9山中湖富士
山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士山の北東に位置
する。富士山エムゾネ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行わ
れたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝
地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられ
たほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある芸術家も多く
、山中湖を描いエムゾネた文学や絵画が散見する。富士山の頂上付
近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、多くの
写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖富士山の火山活
動により形成された堰止湖で、富士山の北に位置する。富士山周
辺の湖を巡って修エムゾネ行する内八海巡りが行われたが、この河
口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で
、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのあ
る芸術家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この
河口湖が最も多い。エムゾネ葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師
も、河口湖越しに見える富士山を描いている。写真河口湖の写真
表法的保護、修理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「
山梨県富士五湖の静穏エムゾネの保全に関する条例」を制定200
6年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制
される−34−2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定
)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B1
1忍野八海富士山の北東エムゾネ、忍野村忍草にある、富士山の伏
流水による八つの湧水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧
池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を
祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者た
ちはこの水で穢れを祓ったエムゾネ。長谷川角行が行った富士八海
修行になぞられ「富士御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられ

147 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:06:12.56 ID:797b12E70.net
)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須走拝所跡・須山拝所
跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道・内浜道A2大宮・村
山口登山道・札打場・中宮八幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5
号建物跡・8号建物エムゾネ跡・12号建物跡・鳥居A3須山口登山道
・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須
走口登山道・古御岳神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5
吉田口登山道・現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A

148 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:12:09.49 ID:HiySrW+B0.net
8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初
とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあ
る。富士修験の信仰拠点は南西の村山でエムゾネあるが、北面の二
合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点と
して役行者堂が整備されたようである。また、社記によると9
58年、二合目は冬季における参詣が難儀であることから河口
湖畔の現在地に里宮が建立されたという。江戸時エムゾネ代以降富
士講の隆盛にともない、吉田口登山道の信仰拠点の一つとして
この二合目の役割はさらに増すことになる。しかし、昭和に入
ると富士信仰のありかたの変化や、富士スバルラインの開通等
もあって吉田口登山道は衰退する。それに伴い二合目を通エムゾネ
過する登拝者も激減する。また、富士御室浅間神社本宮を支え
てきた氏子にとっても、その維持管理が困難となって、197
3年から74年にかけて、−32−本殿を里宮地内に移転する
こととなる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として
位置エムゾネづけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里
宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅間
神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿
・二合目から里宮境内地に移築、整備された(〜74年)19
85年本宮本エムゾネ殿・文化財保護法の下に重要文化財として指
定1983年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り
直しほか一部補修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間
神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史エムゾネ跡富士山として指定(予定)201
1年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8御師住宅
御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世話をする
とともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。富士山御
師として代表的なのは、吉田口エムゾネ登山道の起点である北口

149 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:12:25.65 ID:HiySrW+B0.net
古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者によって再興さ
れたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周
辺図表法的保護、修理・整備エムゾネの経緯1934年史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計
画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010年街
なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14
年)2011年「天然記念物忍エムゾネ野八海保存管理計画」を策
定(予定)B12船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされる
長谷川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津
胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考え
られる)を発見し、浅間明神を祀エムゾネった。1673年、富士
講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った
焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ
、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという
故事に倣い社号を無戸室浅間神社とエムゾネ名付けた。富士道者は
、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内
外の地形空間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富
士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られてい
る。写真船津胎内樹型の写真表法的保エムゾネ護、修理・整備の経
緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定
2010年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定天然記念物
溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉田胎内樹
型吉田胎内本穴は、1892年に富士道エムゾネ者により整備され
た「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士
講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、その
下段には、さらに横穴があり左右に分かれエムゾネている。右の穴
が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫

150 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:12:42.00 ID:797b12E70.net
北口本宮冨エムゾネ士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西
宮本殿・大塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖
湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・
湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・
楼エムゾネ門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬
場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)
・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄
干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・エムゾネ社
叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所
・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・大日堂
(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮エムゾネ守社)・石
鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛犬B4須
山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥
居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅
間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根エムゾネ上がりモミ・社殿・
楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬・富士講講碑群B6河
口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口二合目(拝
殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築された二合目本
殿B8御師住宅(旧外川家住宅、エムゾネ小佐野家住宅)・主屋・離座
敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9山中湖・湖水B10河口湖・湖
水B11忍野八海・八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、
湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B12船津胎内樹型・溶岩樹型
・無戸室浅間神社、石造エムゾネ物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・
洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参
道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古
富士泥流堆積物エムゾネ・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水

151 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:18:20.92 ID:HiySrW+B0.net
宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状を
なし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路の
奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄エムゾネ関から奥へ客室が
続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧
外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最
盛期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川

152 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:18:53.67 ID:797b12E70.net
植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士
の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制
B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(エムゾネ山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹
型等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富士山原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖
風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等エムソ
゙ネの植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内
林・富士山特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計
画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟
、解説板など)・総合案内標識、解説板C道路とその他エムゾネの人工
物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸
要素と密接に関わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・
便益施設@自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文
化財、社寺境内、伝承地など)成する諸要素周エムゾネ辺環境を構B人
文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表において分
類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍的価値
を構成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山富士山体のうち
、標高約1500m以上の範囲であるエムゾネ。この範囲は、周辺の浅
間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑
賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山体の神聖性
に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教
的観点からも不可能になる地エムゾネ点)の標高以上の範囲とほぼ一致
している。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「
オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域も
あった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界とエムゾネして認識され、稜線が優美な曲線を描き絵
画などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルート

153 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:24:20.50 ID:HiySrW+B0.net
住宅は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉エムゾネ田市上吉
田・下宿の東側南端に位置する。1572年の町割によって成
立した東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷
地に建てられている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩
廼屋(しおのや)と号し、富士信仰における上吉田に居住エムゾネ
し、下総地域を檀家とした富士山御師である。1572年の「
吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」
の屋敷が記されており、外川家ではこの人物を中興の初代とし
ている。また、1669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋
敷とエムゾネして確認される。御師としての活動は江戸末期頃隆盛
期を迎えるが、1962年に御師を廃業している。建物の老朽
化に伴い、所有者が取り壊す意向であったが、富士吉田市が寄
贈を受け、2006年から2007年にかけ大規模保存修理事
業を行った上エムゾネで、2008年4月から富士吉田市歴史民俗
博物館の附属施設として一般公開されている。写真旧外川家住
宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯2006年大規模保全
修理を行う2008年富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設と
して一般公開を行う2エムゾネ010年「山梨県指定有形文化財旧
外川家住宅保存活用計画」を策定2011年文化財保護法の下
に重要文化財として指定小佐野家住宅は、富士講によって大き
く発展した御師集落である富士吉田市上吉田地区にあって、富
−33−士山に登拝する人々をエムゾネ宿泊させた宿坊として、代
表的な御師住宅である。上吉田地区は、富士の雪代の被害を避
けるため、1572年に旧地である古吉田地区から集落ごと移
転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北東方向の傾斜面に
沿って短冊状に町割が行われたと伝えらエムゾネれている。小佐野
家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが150m
ほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元亀の

154 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:24:38.26 ID:HiySrW+B0.net
地となったため一時移転したが、1954年に現在地に復興され
た。境内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養
碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰によるものであエムゾ
ネる。そのほかに富士山に何回も登ったという登拝記念や大願成
就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の
講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推
定されている。碑塔で建立年代のわかる89基の内、富士講がエ

155 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:29:35.54 ID:HiySrW+B0.net
落移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代々御
師を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当エムゾネ主は小佐
野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参
詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅には
所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表エムゾネ
法的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重
要文化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年
屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの補修を行う1997年
主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い201
0年エムゾネ「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画」を策定B9
山中湖富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士山
の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが行われたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れた。古
くから景勝地エムゾネとして有名で、20世紀前半には湖畔に洋式
ホテルが建てられたほか、別荘地としても整備された。ゆかり
のある芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画が散見する。
富士山の頂上付近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士
と呼ばれ、多くの写真エムゾネ家を集める。写真山中湖の写真B1
0河口湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山
の北に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が行われたが、この河口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古く
から景勝地として有名で、20エムゾネ世紀前半には湖畔に洋式ホ
テルが建てられた。ゆかりのある芸術家も多く、湖を題材にし
た文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が最も多い。葛飾北斎
や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに見える富士山を
描いている。写真河口湖の写真表法的保エムゾネ護、修理・整備の
経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の下に

156 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:29:54.70 ID:HiySrW+B0.net
ゾネ隆盛した18世紀末から19世紀前半(1781から185
0年)に建立されたものが半数(44基)、19世紀末より20
世紀前半(1871から1940年)のものが3分の1(29基
)を占める。写真B14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5k
エムゾネmにある落差約20〜25m・幅約120〜210mの数
百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に噴出した白糸溶岩流
の末端から湧き出す一日平均13万?の水を源としている。滝の
名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため
名エムゾネづけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池と同様であり
、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界に降水・雪
解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間よ
り湧き出しているものである。このメカニズムが解明される前の
19エムゾネ世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を富
士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書では、
開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行った
地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人エムゾネ々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1
854年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼ
の中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」とし
ている。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に
描かれてエムゾネいる。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共
にその存在が長谷川角行との関わりを通して紹介されている。ま
た、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の
題材となっている。写真B15の写真表法的保護、修理・整備の
経緯193エムゾネ6年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国
立公園に指定1936年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及
び天然紀念物に指定1987年富士宮市により「白糸ノ滝」保存
管理計画が策定2010年富士宮市により保存管理計画が改定

157 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:30:10.07 ID:797b12E70.net
らたかな湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如
何なる旱にも水エムゾネの涸れることはない」と記している。写真銀明
水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(高さ112×幅62p
)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年代が確認で
きる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。(b)石碑A(
高さ1エムゾネ62×下幅76×上幅63p)表面に龍が、裏面には文
字が刻まれている。(c)石碑B(未計測)「大正十三年八月」

158 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:35:32.86 ID:HiySrW+B0.net
富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏
の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−3エムゾネ4−20
11年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名
勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士
山の北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧
水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡エムゾネ
池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信
仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの
水で穢れを祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞら
れ「富士御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場
と伝エムゾネえられ、1843年に富士講道者によって再興された
とされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺
図表法的保護、修理・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念
物保存法の下に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計画を
策定、忍野八エムゾネ海周辺を景観形成重点区域に指定2010年
街なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜
14年)2011年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策
定(予定)B12船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされ
る長谷川角行が富士登エムゾネ拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼
入(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひ
とつと考えられる)を発見し、浅間明神を祀った。1673年
、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見され、開祖
が祀った焼入の地の浅間明神がエムゾネ遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子
を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた
。富士道者は、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習
があり、洞穴内外の地形空間に宗教的なエムゾネ意義付けが行わ

159 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:35:50.06 ID:HiySrW+B0.net
れ、これにとエムゾネもなった整備計画に基づき、滝周辺の景観整
備が行われた(3)眺望C三保松原富士山頂の南西約45kmに
位置する駿河湾に突き出した長さ約7kmの砂嘴をなす三保半島
上の松原である。現在、5万4千本の黒松が外海側海岸線4km
を中心に繁茂しエムゾネ、その中でも樹齢約650年といわれる「
羽衣の松」付近は、富士山と砂浜の松という日本で好まれた景観
を組み合わせて望むことができる景勝地として知られている。三
保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形となったと考
えられ、三保の名エムゾネ前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえた
という説が有力である。かつては半島一帯に松が繁茂し、8世紀
初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉集
」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央エムゾネの権力者に富士山と組み合わされた景
勝地として認識され、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満
と足利義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船
で渡り富士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保
半島内海側に富士見櫓エムゾネを建設した。文学では「万葉集」以
降も和歌等の詩の題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣
の松を舞台とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに
成立した。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話
の最終場面ではヒロインエムゾネの天女が富士山方向へ飛び去って
いく描写が見られる。これはすでに成立していた「竹取物語」で
示された富士山の噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えと
の関係が指摘されている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝
えられ、イェーツ、パウンエムゾネドといったモダニズムの作家に
影響を与えるとともに、伝統芸能である「能」が世界に広まるき
っかけを作った作品である。また、絵画でも15〜16世紀には
三保松原を右に富士山を左に配する構図が描かれ、この構図は

160 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:36:09.46 ID:797b12E70.net
刻してある。写真銀明水の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、
白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、エムソ
゙ネ三島岳)山頂部の直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、そ
れぞれの峰に仏が住むとされた。文永年中(1264〜1275)
の作である『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とある
ことから、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」エムゾネに見立
てていたと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土
記』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマ
カニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかるエムゾネ。峰の名称は、
明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査報
告書で示された9つの峰について、最高峰の剣ヶ峰からお鉢巡りの
回り方である時計回りの順に、記述すエムゾネる。なお、浅間大社では
、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図八葉の配置
図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰、阿弥陀岳と
も呼ばれた。遠くから見ると剣を立てたようにそびえ立っているた
めにこの名があるという。道エムゾネ者たちはあまりに険しいこの峰を
恐れて多くは登らなかったという。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」
とされ、採取を禁じられたが、麓からの石と取り替えるということ
が行われていた。写真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図
[白山岳(標高約3エムゾネ,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ば
れた。現在は一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、
また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)]
かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。
他の峰々とエムゾネ比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の
方向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首か
ら上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身禄」

161 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:41:45.23 ID:HiySrW+B0.net
るとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花
開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に
天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留エムゾネ郡富士河
口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計
画書」を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年
に富士道者により整備された「御胎内」である。吉田胎内本

162 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:42:00.49 ID:HiySrW+B0.net
野探幽により完成され、19エムゾネ世紀に至るまで日本画・浮世
絵において富士山を描く際の典型的構図とされた。また、20世
紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描い
た。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地となり松が守ら
れてきた。江戸幕府滅亡後は内エムゾネ海側の開発が進んだが、外
海側の景観は保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財
に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイム
シによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写エムゾネ真三保松原(現在の写真
・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存
法の下に名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策
定1977年名勝地内の一部が指定エムゾネ解除1989年名勝「
三保松原」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追
加指定及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書
を改定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環
境を構成する諸要素世界文化遺産「富エムゾネ士山」の顕著な普遍
的価値は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価
値富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m
)の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的
美しさと崇高さを基盤として日本人の自エムゾネ然に対する信仰の
在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕
著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育
んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術
活動などを通じ、時代を超えて一国の文化エムゾネの諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、
人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型と
して、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山であ

163 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:42:19.98 ID:797b12E70.net
文字が確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約
3エムゾネ,734m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居
が、噴火口の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,
748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社
の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻のエムゾネ険
を越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊
豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に
鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明であエムゾネる。他の峰
々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,722m)
]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立
入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子
が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息エムゾネをとったという伝説
のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からできて
いる。[三島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳
とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角
材の木杭が立っている。三島岳のエムゾネ石仏群として、三島岳のふも
と、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されてい
る。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集められ
たと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火
口中央に存在する穴で、エムゾネここより雲が生じ、風が起きるとされ
た。大内院(噴火口)は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ
窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じ
られ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場から、
噴火口に向けてエムゾネ賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁
止されている。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向
かう途中にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる
。かつては噴火口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬の

164 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:47:45.48 ID:HiySrW+B0.net
の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神でエムゾネ
ある木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠があり、その下段には、さらに横穴が
あり左右に分かれている。右の穴が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る
父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀る母の胎内である。富士
講講エムゾネ徒は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りを
し、翌朝富士山に登山した。−35−本穴については、古くか
ら冨士山北口御師団が管理している。写真吉田胎内樹型の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然紀念物
法の下に天然エムゾネ紀念物として指定2010年「天然記念物吉
田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講遺跡富士山
西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街道沿いに位置する。木花開
花姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間神社と富士講
の人々による約230エムゾネ基の碑塔群及び溶岩洞窟である人穴
がある。長さ約83mの人穴は約11,000〜8,000年
前に流出した犬涼山溶岩流中に生成したものである。1300
年前後に成立した文書である吾妻鏡によれば人穴は霊的な場所
であり、地元では「浅間大菩薩エムゾネの御在所」とみられていた
ことが記述されている。この内容は遅くとも1603年までに
説話化され、多くの人にその存在が知られていた。富士講関連
の文書では1558年、開祖とされる長谷川角行が役行者のお
告げにより人穴に至り、洞窟内で立行等エムゾネを達成し、浅間大
菩薩よりお告げを得たとしている。角行は人穴を浄土への入り
口とし、「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀以降、人穴
は富士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけでなく修
行を行う者も見られた。その大部分は吉田口登山エムゾネ道の利用
者と推定される。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあ
ったと推定されている。人穴浅間神社の創建は明確ではない

165 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:48:03.85 ID:HiySrW+B0.net
。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資エムゾネ産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに
緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山エムゾネ道B信仰に
関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山
の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山本

166 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:48:19.35 ID:797b12E70.net
剣ヶ峰エムゾネに通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整地
されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者たち
の多くは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝エムソ
゙ネ所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世
と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を
積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向け
て賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河エムゾネ原と対
をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外壁
を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・虎岩(
獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅子)のうず
くまる姿に似ていることから名付けられた。・エムゾネ割石かつては「
釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷えて固まったため
割れていた。高さが15m程あったが、現在は崩壊してしまってい
る。古くから行者の修行場として知られ、食行身禄がここで入定し
ようとしたが、大宮浅間の社人からのエムゾネ許可が得られず、吉田口
七合五勺の烏帽子岩で入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白
山岳の西側にある岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼
ばれたとされる。また、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて
雷獣が出現し、8合目の石室エムゾネに走り入った。これを石室に居合
わせた人々が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島
岳の雪解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月
に姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−
44−かつては勢至エムゾネヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石
組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところに
あったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭を
噴火口の大エムゾネ内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を

167 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:53:07.00 ID:HiySrW+B0.net
、1648年及び1665年、その前身である光?寺が富士講
二世日珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)によりエムゾネ
再興された記述があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎
により再興された。1868年の神仏分離令により20世紀ま
でには大日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。19
42年、付近が軍用地となったため一時移転したが、1954
年にエムゾネ現在地に復興された。境内の碑塔は、その4分の3(
194基)が墓碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富
士講の信仰によるものである。そのほかに富士山に何回も登っ
たという登拝記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔
などがある。エムゾネ碑塔は富士講の講毎に群を成した所があり、
その目的は講の勢力を誇るためと推定されている。碑塔で建立
年代のわかる89基の内、富士講が隆盛した18世紀末から1
9世紀前半(1781から1850年)に建立されたものが半
数(44基)、19世エムゾネ紀末より20世紀前半(1871か
ら1940年)のものが3分の1(29基)を占める。写真B
14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約2
0〜25m・幅約120〜210mの数百の流れを持つ滝であ
る。滝は約1万年前に噴出したエムゾネ白糸溶岩流の末端から湧き
出す一日平均13万?の水を源としている。滝の名前は湧水の
噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため名づけられ
た。湧水のメカニズムは、湧玉池と同様であり、透水性の白糸
溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界にエムゾネ降水・雪解け水が
滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間より湧き
出しているものである。このメカニズムが解明される前の19
世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を富士五湖の
伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書エムゾネでは、開
祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行っ

168 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:53:25.21 ID:HiySrW+B0.net
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰
、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、エムゾネ浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安河
原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須
走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道
・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八エムゾネ幡堂跡
(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・12号建
物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・
石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳神社・迎久須
志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・現登エムゾネ山道
・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨士浅間神社
−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大塚山・御鞍石
A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖水・中ノ倉峠か
らの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧玉池(上エムゾネ池
、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・楼門・手水
舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬場・禊所・神
幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)・随身像・
狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄干エムゾネ
橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・社叢・
籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所・
石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・エムゾ
ネ大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮守社
)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛
犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎
・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神エム
ゾネ社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上
がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬

169 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:53:43.76 ID:797b12E70.net
む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在は、付
近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定することはで
きない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火
口エムゾネを臨む位置にあったとされる。大正2年(1913)の登山
スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている
鳥居が確認できる。現在その地点には、2つの目印の石が存在して
いる。写真須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』はエムゾネ

170 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:58:46.39 ID:HiySrW+B0.net
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
エムゾネ)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、
小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9
山中湖・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出
口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・
湧エムゾネ水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石
造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・
溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡
・道エムゾネ跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆
積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講
・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の巻狩の伝
承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制B地区・
第1種エムゾネ規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型
等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富士山原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本
栖風穴等エムゾネ)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社
・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢
林、境内林・富士山特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園富
士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展
示館、管理エムゾネ棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道
路とその他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素・富士山測候所・
NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要素(山並み、河川など
)A歴史的要エムゾネ素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成
する諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、道路

171 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 09:59:05.04 ID:797b12E70.net
大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所」としている。『富士山明細
図』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このしろ
が池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、それぞれ
延徳2年(1490)、天文12年(1543)、エムゾネ寛永元年(
1624)の銘があったとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰
の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所
跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏
の破片と一石経を採集して下山、それを受エムゾネけて昭和5年に三島
岳のふもとを調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片
などの遺物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の
経巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。経
巻のスタイルや計測値から平安時エムゾネ代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し
八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河原の
北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経て白山
岳に至る道が外浜道で、エムゾネ峰の内側を大内院に沿って回り金明水
に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作物や自然物が
数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立入禁止とな
っている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素が点在している
平面図・札打場エムゾネ村山浅間神社の北東約3.5q、天照教社の西
南西約1qの地点(標高約830m)に、東西約7m、南北約10
mの平場がある。南側に1本の大きなケヤキの巨木があり、ここが
札打場であった。札打とは、自分の院号を記した札を打ちつけるこ
とであエムゾネる。村山で修験道が盛んであった頃、山伏が峰入修行に
先立ち札打を行った。昭和30年(1955)頃までは、木に打ち
つけた札が見られたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号
建物跡)村山口登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点かエムソ
゙ネら南西方向に約500mの地点に位置する。標高は約1,28

172 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:05:07.36 ID:HiySrW+B0.net
半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を
眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側に
富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の
題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台エムゾネ
とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した
。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終
場面ではヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写

173 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:05:25.60 ID:HiySrW+B0.net
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
景観的には山体の傾エムゾネ斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画
などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートに
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿
って、富士山体を一周エムゾネする。15〜16世紀ごろ富士講の
祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−
41−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺
跡の分布図・富士山本宮エムゾネ奥宮富士宮口登山道頂上に位置し
、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末
代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、
写経を埋納下した」とあるエムゾネ。江戸時代には、村山三坊所有
の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山
中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭っ
た。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ
139×幅64×厚さ18pエムゾネ)奥宮の裏手、浅間岳の麓に
所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られて

174 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:05:44.04 ID:797b12E70.net
mである。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。
平坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている。
また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。エムゾネ江戸時
代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここか
らは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として
使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側には溝が東
西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡エムゾネをたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真・八
大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王」と
刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられている。水神祠には「文
化十三年寅年六月日」、八大龍王にはエムゾネ「文化七年七月十七日」
との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の主人が、天保
14年(1843)から文久3年(1863)にかけて記録した『
袖日記』には、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡
堂の井戸を掘ったので山が荒エムゾネれた」との記述がある。この「中
宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考え
られている。井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建
物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯と
なり、その中に5号エムゾネ建物跡がある。標高は約1,865mであ
る。平成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に
3体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財調
査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒れた際
に地面が掘エムゾネり起こされ、地中にあった石像が地上に現われたと
考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1810)の
銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表
口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であ
るエムゾネと推測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる
。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内で

175 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:10:30.52 ID:HiySrW+B0.net
見られる。これはすでに成立していた「竹取物語」で示された
富士エムゾネ山の噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えとの
関係が指摘されている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝
えられ、イェーツ、パウンドといったモダニズムの作家に影響
を与えるとともに、伝統芸能である「能」が世界に広まるきっ
かけを作ったエムゾネ作品である。また、絵画でも15〜16世紀
には三保松原を右に富士山を左に配する構図が描かれ、この構
図は狩野探幽により完成され、19世紀に至るまで日本画・浮
世絵において富士山を描く際の典型的構図とされた。また、2
0世紀には和田英作がエムゾネ「羽衣の松」付近から見た富士山を
数多く描いた。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地と
なり松が守られてきた。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進ん
だが、外海側の景観は保たれ、1922年、国内初の名勝とし
て国文化財に指定された。現在エムゾネ、砂礫の供給減による海岸
侵食とマツクイムシによる松の枯死が進んでいるため、静岡市
及び地元民間団体による保護活動が行われている。写真三保松
原(現在の写真・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−写真
三保松原の写真表法的保護、修理・整備エムゾネの経緯1922年
史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定1976年名勝「
三保松原」管理計画書を策定1977年名勝地内の一部が指定
解除1989年名勝「三保松原」保存管理計画書を改定199
0年名勝地内の一部が追加指定及び指定解除20エムゾネ11年名
勝「三保松原」保存管理計画書を改定第3章保存管理の基本方
針1顕著な普遍的価値及び周辺環境を構成する諸要素世界文化
遺産「富士山」の顕著な普遍的価値は以下に示すとおりである
。「富士山」の顕著な普遍的価値富士山は、日本を代表しエムゾネ
象徴する日本最高峰(標高3776m)の秀麗な独立した火山
として世界的に著名であり、その自然的美しさと崇高さを基

176 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:10:46.82 ID:HiySrW+B0.net
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点にある

177 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:11:03.42 ID:797b12E70.net
5号建物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡
7号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)のエムゾネ位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の中
で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西部の
平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残存して
おり、石段の東西には石垣が組まれている。また平エムゾネ場中央部よ
りやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。もう一つの北東
部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸
約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認で
きる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」とエムゾネして載っており、「
富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂
・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と
役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、ま
た末代上人が建てた往生寺があっエムゾネたところだともいわれている
。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構
のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11号
建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北約5m
の方形の区画が石組によエムゾネって作られている。東側には直径約9
0pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)
便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然
木により構築された鳥居が設置されている。「昭和五十二年七月吉
日」と刻まれてエムゾネおり、個人が設置したものである。A3須山口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞
穴)旧須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長1
0m余の溶岩洞穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に
入口がエムゾネあり、内部を通り抜けることができる。登山者は、この
洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は
数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の

178 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:16:54.15 ID:HiySrW+B0.net
として日本人の自然に対する信仰の在り方や、海外に影響を与
えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕著な普遍的価値を持つ「
浮世エムゾネ絵」などの日本独自の芸術文化を育んだ「名山」であ
る。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ
、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、
生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良
好で継続的なエムゾネ関係を示す景観の傑出した類型として、世界
的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。本計画
では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれる要素を「顕著
な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的価値を構成
する諸要素と密接に関エムゾネわる諸要素」に分類し、さらに緩衝
地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示す
とおり整理を行った。A富士山山体及び登山道B信仰に関わる
周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山の構
成要素A富士山(富士山体)Aエムゾネ1山頂信仰遺跡・富士山本
宮奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣
ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安
河原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・こエムゾネのしろが池・荒巻
・吉田須走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経
塚・外浜道・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八
幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・
12号建物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎エムゾネ内(溶岩
洞穴)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古
御岳神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山
道・現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本
宮冨士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮エムゾネ
本殿・大塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9

179 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:17:11.16 ID:HiySrW+B0.net
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師
堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮エムゾネの写真・金明水雪解け
水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍
重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士
山頂の霊験あらたかな湧き水として珍エムゾネ重された。『富士の
歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(
高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年
」の2つの年代が確認できる。富士講のエムゾネ人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅6
3p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑B
(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑
群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳エムゾネ、久須志岳、成
就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径
約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住む
とされた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあエムゾネることから、
鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考
えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記』には「
ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカニカゾ
ヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉エムゾネを構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は、明
治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査
報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣エムゾネヶ峰か

180 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:17:29.93 ID:797b12E70.net
さになった。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶エムソ
゙ネ岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩
は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜1230
年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に噴出し
た可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、エムゾネ須山胎
内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認められてお
り、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されていることが判

181 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:22:27.51 ID:HiySrW+B0.net
栖湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神
立山・湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿
)・透塀・楼門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥
居・エムゾネ桜の馬場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)
・護摩堂跡(推定)・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之
宮・七之宮・鉾立石・欄干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅
間神社・溶岩流地形・社叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(
参道)・石塁エムゾネ・玉垣・遥拝所・石鳥居・参道B3村山浅間
神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ池」・御神木(イチョウ
、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・大日堂(興法寺)・水垢離
場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮守社)・石鳥居・氏神社鳥居・
手水舎(手水鉢)・石エムゾネ段(参道)・狛犬B4須山浅間神社
・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥居・石
碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅間
の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上がりモミ・社殿・楼
門・参道大鳥居・裏参道鳥居・エムゾネ富士塚狛犬・富士講講碑群
B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口
二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築
された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅
)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツエムゾネミチ)B9山中湖
・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出口池
、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧
水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石造物群
B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石エムゾネ造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流
・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参
道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆
積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・エムゾ

182 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:22:46.01 ID:HiySrW+B0.net
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[
久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼
ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜
はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ
ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が
欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の文字が確認エムゾネ
できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73
4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口
の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m
)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ
ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を
越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]
伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム
ゾネ頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,71

183 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:23:01.26 ID:797b12E70.net
した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内の洞穴内部に、「木
花咲耶姫」の石像が安置されている。地元在住エムゾネの彫刻家、杉山
拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成12年に作られたものであ
る。・石燈篭須山御胎内の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置され
ている。・鳥居須山御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の
鳥居が建てられている。・標柱鳥居脇エムゾネに、「旧須山口登山道一
合目(須山御胎内)」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存
会によって設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状
の溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4
須走口登山道図登山道に要素エムゾネが点在している平面図・古御岳神
社冨士浅間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在
の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九
尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には
鳥居がある。かつてエムゾネは3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿
、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之神
社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)に建て
られている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室
の中に薬師エムゾネ如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理していた。
元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下
書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降
にはすでに祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線
香エムゾネを手向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろされ迎
久須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以前
は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物の東側
を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「日ノエムゾネ見
御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場所があり、江戸
時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が置かれていた。富士
講の講中が大きな平石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ御

184 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:27:45.74 ID:HiySrW+B0.net
富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の
巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規
制B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区
@自然地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞
穴、エムゾネ樹型等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富
士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹
型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成

185 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:28:02.10 ID:HiySrW+B0.net
エムゾネm)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰
全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]
−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「
三エムゾネ島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳
の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近
に、10体の石像が安置されている。これらは原位置を留めてお
らず、周辺にあったものが集められたと考えられる。いずれも頭
部をエムゾネ欠損している。・大内院山頂の火口中央に存在する穴
で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)
は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小
さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じられ、登山者は各
登山口エムゾネに設けられた拝所あるいは初穂打場から、噴火口に
向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されてい
る。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中
にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつ
ては噴火エムゾネ口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬の
背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整
地されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者
たちの多くエムゾネは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河
原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。か
つては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者た
ちが溶岩礫を積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ば
れ、火口に向エムゾネけて賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西
安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦
部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐
点に位置する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩

186 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:28:18.48 ID:797b12E70.net
石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎エムゾネ久須志之神
社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山
道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御
嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・
狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置エムゾネされている。この場
所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目
付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高
い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていた
ものを山小屋関係者で運び、現在エムゾネの場所に設置したという。日
付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道
は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である
。18世紀後半以降は、エムゾネ最も多くの道者が吉田口登山道を目指
している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる
重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存す
る吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある
。・旧登山道・エムゾネ馬返ここから急坂となり馬が使えなくなること
からこの名がついた。この一体は草山から木山への境でもあり、こ
こからが御山の聖地ということにもなる。富士山有料道路が開通す
る以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平
地であエムゾネり、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わっ
た。登山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。
写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの
地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場、エムソ
゙ネ中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三
社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所
となった。小屋については、江戸後期には4軒があったが、すでに
武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称エムゾネがあ

187 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:33:34.17 ID:HiySrW+B0.net
る森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地
、人工林・社エムゾネ叢林、境内林・富士山特定地理等保護林・富
士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理又は公開活用
を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総合案
内標識、解説板C道路とその他の人工物(生活用道路、電柱、
看板など)顕著な普遍エムゾネ的価値を構成する諸要素と密接に関
わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設@
自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文化財、
社寺境内、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構B人文的要
素(農耕地、市街地、道路、そエムゾネの他人工物)上表において
分類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な普遍
的価値を構成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山富士
山体のうち、標高約1500m以上の範囲である。この範囲は
、周辺の浅間神社や展望地点から見た可エムゾネ視領域が重なり合
う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山
道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(
乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点)
の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民エムゾネが、とり
わけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又は「オヤマサ
マ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。景観的には
山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境
界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対エムゾネ
象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートには、現
在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿って
、富士山体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされ
る長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−
を通エムゾネるため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信

188 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:33:53.36 ID:HiySrW+B0.net
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある

189 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:34:09.77 ID:797b12E70.net
、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわか
る。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周
辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを
烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称エムゾネされる食行身禄
が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐国志
」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ
身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期
にはすでに身禄の聖地として信者が登エムゾネ拝していたことがわかる
。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真烏帽子岩の写真
A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年代
に富士講の指導者である村上エムゾネ光清の寄進によって境内の建造物
群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。
社殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持ち
ながら発展した神社エムゾネである。顕著な普遍的価値を構成する諸要
素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、
吉田口登山道の起点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留
郡の領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行一間・梁間二間
の規模で、エムゾネ入母屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の
向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。
各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な
装飾を展開し、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、
すエムゾネぐれた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本
殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝え
られるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営した
ものである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間のエムゾネ向
拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿はも

190 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:38:57.55 ID:HiySrW+B0.net
遺跡の分布図・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、
7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本エムゾネ朝世紀』には、久安5年(1149)「富士
上人末代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺
と称し、写経を埋納下した」とある。江戸時代には、村山三坊
所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取りエムゾネ除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅
間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)
蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮の裏手、浅
間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵
が彫られている。天保年間(1エムゾネ830−34)に、岸岱が
作ったとされる。(b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ
31p)奥宮の前に所在する。碑面に「鎮國之山」と彫られて
いる。明治31年(1898)に書家の中林梧竹により建碑さ
れた。後年、落雷により破壊されたが、エムゾネ昭和42年(19
67)に再建された。・東北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮
の末社で、大名牟遅命、少彦名命を祀る。須走口登山道、吉田
口登山道の終点にある。室町時代以降、頂上の一つである久須
志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師堂があり、道者の登山エムゾネ切手を改
めた。古くは山役銭の徴収場であった。薬師堂は奥宮の場合と
同様に廃仏毀釈により破却され、久須志神社と改称した。写真
東北奥宮の写真・金明水雪解け水が湧く泉で、その湧き水は霊
験あらたかな「御霊水」として珍重された。大正期の写真エムゾネ
をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲われ、旗や幟などもみ
られる。・銀明水金明水とおなじく、富士山頂の霊験あらたか
な湧き水として珍重された。『富士の歴史』によれば、「如何
なる旱にも水の涸れることはない」と記している。写真銀明水
の写エムゾネ真[銀明水の石碑群](a)石碑@(高さ112×

191 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:39:15.66 ID:HiySrW+B0.net
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間
大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった
。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特
定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山
拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2
年(1913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手
の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・
村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮
拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の
鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490
)、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ
たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ
岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と
一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの

192 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:39:31.32 ID:797b12E70.net
より西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建
物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西エムゾネ宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わ
る本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立によ
り現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流
造であるが、両側面と背面は二間で一間のエムゾネ向拝をつける。西

193 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:44:32.89 ID:HiySrW+B0.net
62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年
代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。
(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅63p)表面に龍
が、裏面にはエムゾネ文字が刻まれている。(c)石碑B(未計測
)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑群の写
真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆
岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約800
mの火口を囲む峰々のエムゾネ総称で、それぞれの峰に仏が住むと
された。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることから、鎌倉
時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考え
られる。江戸時代後期の地誌でエムゾネある『駿河国新風土記』に
は「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカ
ニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構成す
る峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は
、明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払エムゾネ拭したものに変更
された。以下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所に
よる発掘調査報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣
ヶ峰からお鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。
なお、浅間大社では、伊豆岳以外の8つをもってエムゾネ「八神峰
」としている。図八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m
)]かつては剣ノ峰、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると
剣を立てたようにそびえ立っているためにこの名があるという
。道者たちはあまりに険しいこの峰を恐れて多くは登らなエムゾネ
かったという。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を
禁じられたが、麓からの石と取り替えるということが行われて
いた。写真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山
岳(標高約3,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた

194 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:44:48.06 ID:HiySrW+B0.net
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3
.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ
ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自
分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30
年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写
真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山
道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50
0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走
る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり
、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段
には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返
しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人
は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として使われ
た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が
東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真

195 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:45:03.37 ID:797b12E70.net
本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪
華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重
な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚
山社誌では、日本武尊が富士山をエムゾネ遙拝した地であり、ここを浅
間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、788年
には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武
尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をな
しており、日本武尊を祀エムゾネる祠が建てられている。写真大塚山の
写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。
吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる
。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とさ
れる。写真御鞍エムゾネ石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要
素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡
りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作エムゾネ品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖
図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつのエムソ
゙ネ時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の
地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖
の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在している平面エムゾネ図富士
山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって
行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられてい
る。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然エムゾネ地形(湖水)や
中ノ倉峠からの展望などがある。写真本栖湖の写真A信仰に関わ

196 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:50:45.23 ID:HiySrW+B0.net
現在エムゾネは一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち
、また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725
m)]かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手
にあたる。他の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥
居が火口の方エムゾネ向に向けて建てられている。頂上付近には石
造物が残存し、首から上と手首から先が欠損している。台座正
面に「食行」「身禄」の文字が確認できる。写真久須志岳の

197 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:51:03.47 ID:HiySrW+B0.net
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5
0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が
ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による
調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた
が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ
では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ
され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1
体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に
は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ
ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推
測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀
釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム
ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平
場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。

198 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:51:21.98 ID:797b12E70.net
周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及び富士山本宮浅間大社の基エムゾネ盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風エムゾネ致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
立山の写真・湧玉池エムゾネ(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、
国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ
、溶岩流末端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上
池と下池にエムゾネ分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を
御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後山
中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉
池エムゾネの写真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわ
たってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生育しており、富士宮市保存樹
林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環境でもあり、「
野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿エムゾネ・
透塀・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営
されたという。かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の
浅間神社の総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜
11年(1604〜06)に徳川家康が造営したもエムゾネのである。
写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財
である。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他

199 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:57:21.92 ID:HiySrW+B0.net
造物の写真[成就岳(標高約3,734m)]かつては大日岳
とも呼ばれ、大小2つエムゾネの鳥居が、噴火口の方角を向いて建
てられている。[伊豆岳(標高約3,748m)]かつては勢
至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社の歴史』には、「中
腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を越え、成就岳にい
たるまで、至る所に蒸気を噴出エムゾネする」とある。頂上には鳥
居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊豆岳と
同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に鳥
居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である。他の峰々
と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳エムゾネ(標高約3,72
2m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在
は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718
m)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息をと
ったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存エムゾネ在する。
峰全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m
)]−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居
と、「三島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島
岳の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見さエムゾネ
れた付近に、10体の石像が安置されている。これらは原位置
を留めておらず、周辺にあったものが集められたと考えられる
。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火口中央に存
在する穴で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院
(噴エムゾネ火口)は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪
)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の居る所であると信
じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場
から、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立
入は禁止されエムゾネている。写真大内院の写真・小内院西安河原
から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、大内院との対

200 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:57:39.98 ID:HiySrW+B0.net
う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸
約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の
縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」
として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図
」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ
る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『
駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往生寺

201 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 10:57:58.58 ID:797b12E70.net
例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は
桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧エムゾネ皮葺である。明治4
0年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に
指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本
殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)
[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分エムゾネで、桁行3間・梁間3間の両
下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれていない
が、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひはだぶき
」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと
推測される。県指定文化エムゾネ財として保護されている。[拝殿]桁
行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっている。正面が入
母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付い
ている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文
化財として保護エムゾネされている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、
その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を
囲む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化
財として保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋
根は檜エムゾネ皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には
随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている。
写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊
は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・手水舎楼エムソ
゙ネ門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすす
ぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置さ
れている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてい
る。昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居エムゾネ・西鳥
居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている
。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに
渡って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際

202 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:02:54.24 ID:HiySrW+B0.net
で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写
真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の
急斜面である。お鉢巡エムゾネりの道中で最大の難所である。現在
はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に向けて傾
斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らな
かったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部
では稀な広い平坦部である。かエムゾネつては現世と来世の境であ
る「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上げ石
塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭
が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす
、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部エムゾネである。火口の外
壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・
虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅
子)のうずくまる姿に似ていることから名付けられた。・割石
かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩エムゾネが急速に
冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あったが、現
在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知ら
れ、食行身禄がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人か
らの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で入定しエムゾネ
たとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩で、
この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。ま
た、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、
8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々が生
け捕エムゾネりにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪
解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に
姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士
山頂の難所とエムゾネして知られた。道の火口側には、火山礫を

203 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:03:12.39 ID:HiySrW+B0.net
あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12
号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位
置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地
点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石
組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ
ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ
る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と
刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧
須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m
余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西
側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ
の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延
長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現
在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字
型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ
の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10
30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083)
の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した
測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485
m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って
形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され
ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興
後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南
東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内
の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建てられ

204 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:03:29.73 ID:797b12E70.net
流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町エムゾネ時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川へのエムゾネ流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺か

205 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:08:37.64 ID:HiySrW+B0.net
み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登り
きったところにあったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、
登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座
する浅間大菩薩を拝むエムゾネ場所であった。また、御来光を拝む
場所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていな
いため、場所を特定することはできない。写真吉田須走拝所跡
の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったと
される。大正2年(1913)エムゾネの登山スタンプが押された
写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認でき
る。現在その地点には、2つの目印の石が存在している。写真
須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏
手に建つ鳥居を「大宮拝所」としているエムゾネ。『富士山明細図
』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このし
ろが池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、そ
れぞれ延徳2年(1490)、天文12年(1543)、寛永
元年(1624)の銘があったとされる。昭和初エムゾネ期の絵葉
書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。
写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(192
9)、頂上の神官が銅仏の破片と一石経を採集して下山、それ
を受けて昭和5年に三島岳のふもとを調査したところ、経エムゾネ
巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの遺物が出土した。富士
山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が残っており、うち
5巻は開かれていて内容を確認できる。経巻のスタイルや計測
値から平安時代後期までさかのぼる可能性が考えられる。写真
出土エムゾネ遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し八葉を巡る
「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河原の北側で
道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経て白山岳
に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って回り金明水

206 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:08:55.75 ID:HiySrW+B0.net
いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)
」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ
れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に
、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅
間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿
は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前
には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝
殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志
之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管
理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、
江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ
る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴
命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで
あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる
日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい
う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上
で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠
と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山
道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目
、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然
木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・狛犬

207 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:09:12.28 ID:797b12E70.net
ている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋
が架けられている。寛文10エムゾネ年の絵図には既に描かれているが
、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真図
輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年
の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣
と建物跡が検出されエムゾネた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正
方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物
跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有し
ていたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこ
の建物跡をエムゾネ「本地堂」とする記載が確認されており、最終的に
護摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発
掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1
614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山
住エムゾネ番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住
櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。
写真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
ている。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道エムゾネ首
標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道
の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未
年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれ
ている。昭和59年(1984)に浅間大社境内のエムゾネ土中から発
見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御
子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が
建てられている。・鉾立石楼門前の石段にエムゾネは、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿った
鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋)池
畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋、

208 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:13:52.93 ID:HiySrW+B0.net
至る道が内浜エムゾネ道である。沿道には信仰に関わる工作物や自
然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立
入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素
が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3.5q
、天照教社の西南西約エムゾネ1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな
ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、自

209 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:14:08.08 ID:HiySrW+B0.net
山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の
登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場
所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって
いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。
日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉
田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口
登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要
素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小
屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな
り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か
ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな
る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格
的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい
ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合
目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん
ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等
がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として
役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋
については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信
玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時
代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最
盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の
写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネり、

210 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:14:23.61 ID:797b12E70.net
側が神路枚橋であるが、寛文10エムゾネ年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開しエムゾネている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異エムゾネなる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
よって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、樹
木等にエムゾネ遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていたため、
この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真溶岩流
地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3
mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780uの社叢を形エムソ
゙ネ成しており、富士宮市の保存樹林に指定されている。・籠屋(参
籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠
屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「
山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸エムゾネ職が一
夜参籠した場所である。−53−・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続
く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石
」が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置
に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれてエムゾネいる。・石段(
参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現
在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・
石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方形に区切られている
。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積エムゾネみ上げて構築され、部

211 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:19:06.32 ID:HiySrW+B0.net
の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行エムゾネに先立ち札打を行った。昭
和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られた
という写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口
登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に
約500mの地点に位置する。標高は約エムゾネ1,280mであ
る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平
坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸
時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとさエムゾネれる。ま
た、ここからは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋
は女人堂として使われた時期もあったと考えられる。下段平坦
面の南側には溝が東西方向に延び、西側の森林に突き当たって
痕跡をたどれなくなる。木馬道である可能性が指摘されるエムゾネ
。写真中宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約
100mの地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神の祠が並
んで建てられている。水神祠には「文化十三年寅年六月日」、
八大龍王には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれている。
駿河エムゾネ国大宮町神田の横関家の主人が、天保14年(184
3)から文久3年(1863)にかけて記録した『袖日記』に
は、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井
戸を掘ったので山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡
堂の井戸」とエムゾネは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考
えられている。井戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・
5号建物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面
の倒木帯となり、その中に5号建物跡がある。標高は約1,8
65mである。平成5エムゾネ年の富士宮市による調査では、平場
の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていたが、平成2

212 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:19:25.45 ID:HiySrW+B0.net
れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身
禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐
国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小
屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と
あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた
ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真
烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が

213 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:19:43.86 ID:797b12E70.net
的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁エムゾネの平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的としてエムゾネ築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇
が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・
案主席、献エムゾネ饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられて
いる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に
、石鳥居が建てられている。昭和6年(1931)に建立されたも
のである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山
浅エムゾネ間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあ
たる。見付の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。
村山地区は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一エムゾネ段
高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池
」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西
側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落エムゾネを成立させ
た要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]
−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定さ
れた。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根エムゾネの発達も著しい。気
根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦

214 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:25:52.82 ID:HiySrW+B0.net
年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見
つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こされ、地中にあ
った石像が地上に現われたと考エムゾネえられる。うち1体の不動
明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧
本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有
来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推測できる
。4体の石像には破壊された痕跡が確認エムゾネできる。廃仏毀釈
によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7
号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位置
にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在エムゾネする建物
跡の中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され
、南西部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に
石段が残存しており、石段の東西には石垣が組まれている。ま
た平場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存しエムゾネ
ている。もう一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜
面上に、長軸約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の
縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。昭和時代の地図には「
一ノ木戸」として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有
来之エムゾネ次第絵図」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」
にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と役行者像が祀ら
れていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、また末代上人
が建てた往生寺があったところだともいわれている。写真8号
建物跡の写真エムゾネ・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構の
うちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11
号建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北
約5mの方形の区画が石組によって作られている。東側には直
径約90pの丸い穴がエムゾネ二つある。(同様の穴は他の建物

215 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:26:11.04 ID:HiySrW+B0.net
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ
ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄
進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神
社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ
富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である
。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが
ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ
ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた
形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、
極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム
ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の
向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は
もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇
股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最
もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・
西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に
より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成
次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は
東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一
間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に
取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する過程

216 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:26:28.51 ID:797b12E70.net
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31エムゾネ年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板でエムゾネは約1,000年の樹齢とされるが

217 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:31:21.92 ID:HiySrW+B0.net
でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡
の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている
。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置した
ものである。A3須山口登山道エムゾネ図登山道に要素が点在して
いる平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目(
標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である
。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を
通り抜けることができる。登山者は、こエムゾネの洞穴を通って登
山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ
ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな
った。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地
形として須山御胎内の南東側に残っている。このエムゾネ付近の溶
岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜1
230年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火
時に噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査で
は、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付エムゾネ
近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形
成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されてい
る。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後
の平エムゾネ成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内
の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山
御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられ
ている。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎
内)」と記さエムゾネれた標柱が、富士山須山口登山道保存会によ
って設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の
溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A
4須走口登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御

218 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:31:37.11 ID:HiySrW+B0.net
、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49−写真西宮本
殿の写エムゾネ真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富
士山を遙拝した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所
と位置づけている。さらに、788年には新たに浅間明神を建て
、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられ
る。現在エムゾネこの地は、流山状の小高い丘をなしており、日本
武尊を祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図
・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日
にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読ま
れる祝詞のエムゾネ一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる
。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点
在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝
の対象としてエムゾネ数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を
巡って修行するエムゾネ内八海巡りが多くの富士講徒によって行わ
れたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真精進エムゾネ湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が
点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりエムゾネが深い。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがあ
る。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本

219 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:31:56.68 ID:797b12E70.net
実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。エムゾネ富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉エムゾネ冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317エムソ
゙ネ〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開
いたと伝えられている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂
で、富士山の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部
材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造エムゾネと考え
られるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間
7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図社殿の図面
・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝エムゾネの道者が垢離を
とって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形
で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みと
なっている。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍
頭池湧水を引き、上の段から樋で落とエムゾネし垢離を取るようにして
ある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石
像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあ
り、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石
で囲んだ一辺5.3mの丸いエムゾネ石組となっている。丸い石組の前
に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年

220 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:37:35.67 ID:HiySrW+B0.net
神社冨士浅間神社の境エムゾネ外末社で、5合目の登山道登り口に
ある。現在の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間
口九尺、奥行九尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀
した。神社の前には鳥居がある。かつては3000坪の境内地
を持ち、本殿、拝殿、庁舎を備エムゾネえていたという。写真古御
岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間神社の境外末社で、9
合目(3,570m付近)に建てられている。かつては向薬

221 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:37:51.92 ID:HiySrW+B0.net
浅間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の
北側にある丘陵地一帯エムゾネは神立山と称される。神立山及び富
士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩
流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため
指定地内の一部では溶岩エムゾネ礫が露出し、縄状溶岩も散見され
る。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(16
70)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物
が描かれ、発掘調査で石畳エムゾネや護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」
は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降
った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層
間を流れ、溶岩流末端で湧出エムゾネして池になったものである。
禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、
下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で
心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池
であった。現在も富士山山開きエムゾネの7月1日には、湧玉池で
禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山
表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生
育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の
生息に適した環境でもあり、「野エムゾネ鳥の森」碑が建てられて
いる。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社
伝によれば大同元年(806)に造営されたという。かつての駿
河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として
崇められている。現在の社殿は、慶エムゾネ長9〜11年(160
4〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写
真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財である。「浅

222 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:38:07.28 ID:797b12E70.net
1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い
石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思わ
れる。写真護摩壇のエムゾネ写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護
摩壇裏手の一段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社が
あったとされる。しかし、神仏分離令により廃され、代わりに村山
浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社
を遷し「富エムゾネ士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在
は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「
明治十八年五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残され
ている。現在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間エムゾネ神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和
28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。
平成15年の再建に合わせて建てられたものである。・手水エムゾネ舎
(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置
されている。明治16年(1883)に設置されたものである。・
石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ
続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭エムゾネ和5年に奉
納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社
図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超え
るスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7
mを超えるものも見られる。社叢全体が市エムゾネ指定天然記念物とし
て保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によ
れば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは、
大永4年(1524)と記されたエムゾネ修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社
殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用され

223 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:43:22.96 ID:HiySrW+B0.net
、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ
冨士浅間神社の神主が管理していた。元エムゾネ禄16年(170
3)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に「前薬師
之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降にはすでに
祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線香を手
向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろエムゾネされ迎久
須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以
前は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物
の東側を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「
日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場エムゾネ
所があり、江戸時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が
置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝した
という。現在「日ノ御子石」はないが、祠と鳥居が建てられて
いる。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北
奥宮エムゾネ(久須志神社)前(登山道終点)、9合目、本8合目
、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然木などに
より構築された鳥居が設置されている。・狛犬登山道終点の鳥
居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥居御橋」(
とりいおはしエムゾネ)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の登山
道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場所
にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていたも
のを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。日付
は「七月吉日」とあるエムゾネのみで、上部が欠損している。A5
吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉
田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田
口登山道を目指している。しかエムゾネも、古道としては唯一徒歩
で麓から頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値

224 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:43:39.94 ID:HiySrW+B0.net
造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。
1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟エムゾネ造、2階上層は桁行
3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40年(
1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定
され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿
全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平エムゾネ面図(幣殿・拝殿
含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3

225 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:43:59.65 ID:797b12E70.net
神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内
には、社殿前と石段手前エムゾネの参道脇に計二対の狛犬が設置されて
いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に
奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている
。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保エムゾネ2年(1742)、文政6年に奉納されたもの
である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と刻
まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷
かれ、エムゾネその後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製
の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート
製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)に奉納された
ものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたエムソ
゙ネことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神
、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中
にあり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社エムゾネ殿周囲
と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部分を浅間
の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育してい
る。・ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然
記念物に指定された。根回り約6m、目通り4エムゾネm、樹高24.
50m、枝張東西28.10m、南北23.50m、樹齢約500
年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社
以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生
育している。・エゾヤマザクラ昭和5エムゾネ8年5月1日に小山町の
天然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、
目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.
5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静

226 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:48:51.16 ID:HiySrW+B0.net
構成する要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教施設
や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから
急坂となり馬が使えなくなることからこエムゾネの名がついた。こ
の一体は草山から木山への境でもあり、ここからが御山の聖地
ということにもなる。富士山有料道路が開通する以前の馬返の
周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、
登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わエムゾネった。登
山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。写
真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこ
の地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役
場、中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古エムゾネ
くは中宮三社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は
登山切手改め所となった。小屋については、江戸後期には4軒
があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室
」という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−
48エムゾネ−ていたことがわかる。最盛期には18軒が所在した
と伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏帽子岩七合五勺
に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここに
て富士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日
間の断食修行エムゾネを経て入定した。「甲斐国志」にも「享保十
八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ身禄ノ木像
ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはす
でに身禄の聖地として信者が登拝していたことがわかる。現在
も富士講の聖地としてエムゾネ重要な地である。写真烏帽子岩の写
真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している
平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1
730年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境
内の建造物群の修復工事が行わエムゾネれ、現在にみる境内の景

227 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:49:09.57 ID:HiySrW+B0.net
の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれて
いないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひ
はだぶき」と書き込まれており、本殿の全エムゾネ景がよく見える
ように描かれたと推測される。県指定文化財として保護されてい
る。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっ
ている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面
に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らエムゾネせ、背面は幣
殿に接続している。県指定文化財として保護されている。[透塀
]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七
之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延
長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護さエムゾネれている。
[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右
脇に扉がついている。楼門の左右には随身像が安置してある。静
岡県指定文化財として保護されている。写真楼門全体の写真図楼
門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭エムゾネ和9年(
1934)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、
参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすすぐ、手水舎があ
る。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置されている。・
石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてエムゾネいる。
昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の
馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・
桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに渡
って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩をエムゾネ行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期
にはすでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿
って両側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と
下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組エムゾネま
れている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口

228 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:49:27.90 ID:797b12E70.net
県が南限である。県内ではまエムゾネれな樹種である。・根上がりモミ
平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この
根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生
え、宝永噴火の火山エムゾネ灰土が、降雨により流亡しながらモミが成
長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考
えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8月

229 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:54:18.99 ID:HiySrW+B0.net
の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神社を
起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。富士講や
吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。顕著
な普遍的価値を構成する諸要素として、エムゾネ富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点など
がある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守
成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向エムゾネ拝一間を
つけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に
漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装
飾を展開し、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに
、すぐれた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写エムゾネ
真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創
建とも伝えられるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社
として造営したものである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で
正面に一間の向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿
は、エムゾネ本社本殿はもとより西宮本殿に比較してやや小規模で
あるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻などに室町時代の手法
を示しており、三殿中最も古い建物である。写真東宮本殿の写
真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主
浅野左右衛門エムゾネ佐氏重により東宮に替わる本殿として建立さ
れたが、1615年、鳥居成次の本殿建立により現在地に移さ
れ西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流造であるが
、両側面と背面は二間で一間の向拝をつける。西宮本殿は、桃
山時代の装飾的要素をエムゾネ多分に取り入れていて、やがて豪華
な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴
重な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図
・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝した地であり、

230 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 11:54:34.14 ID:HiySrW+B0.net
石造りの橋が架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山
宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵図で
は橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向エムゾネ
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵
図には既に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改
められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図
・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、護摩堂跡エムゾ
ネと考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。
石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、
石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認された。
桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えられるエム
ゾネ。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
エムゾネ月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住
番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井
三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写
真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
てエムゾネいる。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸
道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御
神幸道の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(16
91)未年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也
」とエムゾネ刻まれている。昭和59年(1984)に浅間大社境
内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西
側に、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てら
れている。・七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社
「七之エムゾネ宮浅間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前

231 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:00:43.86 ID:HiySrW+B0.net
こを浅間明神の創建にかかわるエムゾネ場所と位置づけている。さ
らに、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、
大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この地は
、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建てら
れている。写真大塚山の写真図大塚山のエムゾネ図・御鞍石吉田火
祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石
上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読まれる祝詞

232 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:01:12.62 ID:HiySrW+B0.net
石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・
欄干橋(神路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けら
れているエムゾネ。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、
寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられている。
写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石
鳥居から参エムゾネ道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流
上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子
山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よ
って、山宮浅エムゾネ間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所
の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によ
って流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生エムゾネの回復は遅れていたと考えられる。そのた
めに、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていた
ため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超エムゾネえる巨木4本を含むスギ林が、約9,7
80uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されて
いる。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間
神社を往復する祭儀エムゾネ「山宮御神幸」において、これに同行
した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿
った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾で
あり、籠屋をくぐってエムゾネすぐの位置に1つ、石段の手前に

233 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:06:38.15 ID:HiySrW+B0.net
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘
陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしく
は戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約4
5m四方が石塁により方エムゾネ形に区切られている。青沢溶岩流
の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む
土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと思われ
る土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀か

234 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:06:56.85 ID:797b12E70.net
されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋造りの
一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇
股や軒唐破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見
られる。内エムゾネ部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代
の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本
殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は
、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿
坊エムゾネである。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅な
どがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式エムゾネの
典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたもので
あることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」をとってお
り、近世になって御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅とし
て最古の部類の建築物である。離座敷は、富士講がエムゾネ盛んになる
ととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋
の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続
きの手前に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構
成を有している。写真主屋等の写真図旧外エムゾネ川家住宅現状平面図
等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座
敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に
なる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面
南寄りに式台、背面北寄りに庇、エムゾネ北側面には下屋を設ける。蔵
は主屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切
妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な
改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての
形態を、屋敷地も含めてエムゾネそのまま残している。全国でも比較的
少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐

235 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:12:17.96 ID:HiySrW+B0.net
は神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳
や護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上
池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、国指定特別エムゾネ天然記念
物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水と
なり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末
端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下
池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を御エムゾネ
手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後
山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現
在も富士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる
。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山表層部は約3万
8千エムゾネuにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生育してお
り、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の生息に
適した環境でもあり、「野鳥の森」碑が建てられている。・社
殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社伝によれ
ば大同元年(エムゾネ806)に造営されたという。かつての駿河
国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として
崇められている。現在の社殿は、慶長9〜11年(1604〜
06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写真
図社殿平面図[本殿]エムゾネ本殿は国指定重要文化財である。「
浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見
ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は桁
行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40
年(1907)5月27日古社エムゾネ寺保存法により特別保護建
造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護されてい
る。写真本殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣
殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間
・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛エムゾネ文年間の古絵図

236 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:12:36.62 ID:HiySrW+B0.net
15世紀、もしくは後の時エムゾネ代に築造されたものと推定され
る。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲
にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後
に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・エムゾネ遥拝所富士山を直接拝礼し、
祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設である
。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p
程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む
方向に祭壇が位置し、祭壇に向エムゾネかって左側に祭儀を行う際
の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供
僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(19
31)に建立されたものである。エムゾネ・参道石鳥居から籠屋ま
で参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩
の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で、両見付
から先は急傾斜地となっている。村エムゾネ山地区は標高が高く、
他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水
源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があ
り、水垢離や生活用水として利用されてきた。またこの湧水を水
源とする村山沢は南流して渓谷を刻みエムゾネ神社西側から大沢川
となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つで
ある。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和
43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定された。目通
り8m、根回り9.15m、樹高26mエムゾネ、枝張り東西19
m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が
数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳
の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以

237 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:12:53.75 ID:797b12E70.net
家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面
図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われたエムゾネが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖
水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素
が点在エムゾネしている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八

238 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:18:24.42 ID:HiySrW+B0.net
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3エムゾネ間で、床
は幣殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻
造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に
縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として
保護されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外エムゾネ
側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲
む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文
化財として保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造
で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左
右にエムゾネは随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保
護されている。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門か
ら東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934)に付加されたも
のである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清
めるために手エムゾネや口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小そ
れぞれの灯籠が境内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続
く参道に石造りの鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄
進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端
にそれぞれ朱塗りの鳥エムゾネ居が建てられている。・桜の馬場浅
間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに渡って東西
に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬
を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期にはすでに
神事が行われていたとの記録がエムゾネ残っている。馬場に沿って
両側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下
池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれてい
る。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口に石

239 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:18:41.85 ID:HiySrW+B0.net
はウロの中に大日如来が祀られていたといエムゾネわれ、現在でも
祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然
記念物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木であ
る。境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張
り東西17.5m、南北31m、樹高47mエムゾネもある。中心
部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の
樹齢とされるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される
。・社叢境内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。ア
カガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見られエムゾネるが、裏山
の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹
林に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏
分離令によって境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に
木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火々出見命、エムゾネ瓊々杵命
、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ってい
る。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、
幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一
部木造に建替えられている。写真社殿の写真図社殿エムゾネの図面
・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)
に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えら
れている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、エムゾネ部材
の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられ
るが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7
間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図エムゾネ社
殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道者が
垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4m
の長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周

240 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:18:57.94 ID:797b12E70.net
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ
゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11
忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士
山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士
信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価エムゾネ値を構
成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹
型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167
3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開
祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神がエムゾネ遷宮された溶岩
樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意
義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型
船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流
の西縁に所在する。本穴自体も大小様エムゾネ々な樹型が複雑に交叉し
て形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよう
に見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘
出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基づくもので
あり、極めて貴重な形態と言エムゾネえる。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見さ
れ、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生
の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出
産したという故事にエムゾネ倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。−
60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図
吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備された「お胎
内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には
、宗教的なエムゾネ意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などが
ある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出し

241 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:23:47.73 ID:HiySrW+B0.net
りの橋が架けられている。春秋の大祭にエムゾネはこの橋を通って
山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵
図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の
絵図には既に描かれているが、大正4年(191エムゾネ5)に石
造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文1
0年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により

242 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:24:05.97 ID:HiySrW+B0.net
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
エムゾネ堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富
士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮
守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年
五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。
現エムゾネ在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和2
8年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている
。平エムゾネ成15年の再建に合わせて建てられたものである。・
手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水
舎が設置されている。明治16年(1883)に設置されたもの
である。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くもの
と、大エムゾネ日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・
狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている
。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・

243 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:24:21.27 ID:797b12E70.net
剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった
溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(
木エムゾネ花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内
の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講に
とっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に
入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B14エムゾネ人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在している平
面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,0
00年前から約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近
くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高1,20エムゾネ6mの犬涼
み山から噴出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地
をつくる溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩
洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日
の行を行ったとされる洞穴である。犬涼みエムゾネ溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩
が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶
岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口とな
り、洞穴中央部でくの字型に曲がエムゾネっている。入口から約30m
の屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅
広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部まで
は約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴
の写真図洞穴の図面・社エムゾネ叢(周辺の植生)人穴集落では主に製
炭と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ
ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費が
減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植され
た。御神木に相エムゾネ当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間
神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在す
る。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみると

244 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:30:18.26 ID:HiySrW+B0.net
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出
された。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっエムゾネ
ている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎
石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有して
いたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌で
この建物跡を「本地堂」とする記載が確認されており、最終的
に護エムゾネ摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真
護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像
慶長19年(1614)2月に建立された。背銘には、左側の
像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右−52−側の像は
「大工山城國エムゾネ上原住櫻井三蔵作」と記され、市指定有形文
化財として保護されている。写真随身像全体の写真・狛犬参道
の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7年5月に奉献
されたものである。・御神幸道首標の碑明治以前に行われてい
た「山宮御神幸」におエムゾネける、御神幸道の首標が、池畔に立
てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一月とされ
、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれている。昭
和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見され、現
在地に再建された。・三之宮本エムゾネ殿横西側に、淺間第三御子
神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之
宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神
社」が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が
置かれている。明治の初めまで行われてエムゾネいた山宮御神幸の
際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神
路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている
。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(
1670)の絵図では西側にのみ架けられているエムゾネ。写真橋
全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に

245 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:30:36.42 ID:HiySrW+B0.net
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1

246 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:30:55.89 ID:797b12E70.net
一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっエムゾネて大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側にエムゾネ規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施
されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場
から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約エムゾネ34m続いてい
る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ
れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石
垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し
ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定エムゾネ地の北側を通る林道に沿
って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され
ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・
井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋
没し、涸れ井戸となっているエムゾネ。B15白糸ノ滝図以下に示す要
素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩
れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの
である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互
層しているものであエムゾネる。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土
台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ
ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考
えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩

247 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:36:23.75 ID:HiySrW+B0.net
す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥
居から参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展
開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶エムゾネ
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二
子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する
。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝
所のエムゾネ基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の
噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部
分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。
そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡
せていたためエムゾネ、この場所で山を遥拝する行為が行われたと
考えられる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模
式図・社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林
が、約9,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹
林に指定されている。エムゾネ・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前
の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御
鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」に
おいて、これに同行した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所
である。−53−・鉾立石籠屋エムゾネをくぐり遥拝所へ続く参道
に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」
が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位
置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。・石段
(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るたエムゾネめの石段が組まれ
ている。現在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと
考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方
形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上
げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築エムゾネされて

248 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:36:39.90 ID:HiySrW+B0.net
23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面
・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西エムゾネ側に建てられている。・狛犬境内には、社殿
前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前
の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り口
のものは平成1エムゾネ3年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と
刻まれた水盤も置エムゾネかれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンク
リート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコ
ンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)
に奉納されたものでエムゾネある。・石碑鳥居の東側に、郷社とし
て奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社
八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境
内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。
B5冨士浅間神社図以エムゾネ下に示す要素が点在している平面図
・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がってい
る。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天
然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1
963)2月19日に静エムゾネ岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.
10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多
い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では
数本しか見当たらないが、エムゾネ境内には10本が生育している
。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物

249 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:36:55.48 ID:797b12E70.net
層の境目にエムゾネはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返エムゾネしていると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を次

250 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:42:59.29 ID:HiySrW+B0.net
る。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土して
いるため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もしく
は後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリーエムゾネ
ト製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられた
ものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付
けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うこと
を目的として築造されたと推定される施設である。南北約15
.2エムゾネm、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の
溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向
に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司
席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供僧席が
設けられていエムゾネる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(1
931)に建立されたものである。・参道石鳥居から籠屋まで
参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村エムゾネ山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧
期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で
、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は標高が高
く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する
。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東エムゾネ側に「竜頭ヶ池」と呼ばれ
る湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま
たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側
から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた
要因の一つである。・御神木(イチョウエムゾネ、大スギ)[イチ
ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念
物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m
、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の

251 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:43:18.44 ID:HiySrW+B0.net
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
18年8月24日に小山町の文化エムゾネ財(建造物)に指定され
た。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部
材は享保年間(1716〜36)のものが今なお使用されている
。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結しエムゾネた権現造である。拝殿
は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残した流
造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間
の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁
間2間の両下造。本殿が三間社流造、エムゾネ向拝1間、屋根は全
て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面・楼門二
階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。
北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永
噴火により社殿とともに大破しており、エムゾネ現在のものは明和
4年(1767)随神が寄贈された当時に再建されたものと考え
られる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺
き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としてい
る。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩のエムゾネ石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」と刻まれている。明

252 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:43:35.76 ID:797b12E70.net
に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩エムゾネ流
はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自
然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考
えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退
を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年エムゾネに約2セン
チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の
滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−6
2−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩
流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約エムゾネ20メートル、長さ
約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水
が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものであ
る。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積
物があり、上部に透水性のある白エムゾネ糸溶岩流があると考えられて
いる。富士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不
透水層との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、
両層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間か
ら水が湧出している様子エムゾネが確認できる。写真滝の写真(音止の
滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ
、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー
トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面で
は、白糸の滝同エムゾネ様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸
の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼
ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもので
あり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここ
には「エムゾネ駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前の
ついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白糸の滝
の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内には、メヤ
ブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講「白糸エム

253 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:49:17.58 ID:HiySrW+B0.net
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端エムゾネに針を刺
して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の
信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られて
いたといわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和
31年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間エムゾネ
神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で
最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北

254 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:49:32.86 ID:HiySrW+B0.net
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、
その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた
宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの
建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の
噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69
7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第
一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図
社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい
る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に
祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現
在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ
も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝とい

255 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:49:52.35 ID:797b12E70.net
゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川
角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行
ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の
滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資エムゾネ料には
、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。
指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記
されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の
滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白エムゾネ糸の滝の、数多
の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写
真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある
。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝と音止の滝
の勝景とともに、見事な富士山が望まエムゾネれる。写真展望の写真・
富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼
朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の
名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも
ので、兄弟が仇討ちの相−6エムゾネ3−談をしている間は水音を止め
たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の
折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑
「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝
滝つぼ右岸には白糸エムゾネの滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名
勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保
松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清
水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線
に沿い、南エムゾネ北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す
る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地
又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維
持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松
林エムゾネには、300年を経た老木から幼令木が約54,000本

256 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:54:35.05 ID:HiySrW+B0.net
1m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞があ
る。案内板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはお
よそエムゾネ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高
直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジ
イ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹された
ヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されている。
・浅間神社社エムゾネ殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって
境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命
、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴
(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿
は大正2年(1913エムゾネ)に改築されたものだが、幣殿と拝
殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造
に建替えられている。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(
興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)に、末代
上人の流れをくむ頼尊が村山にエムゾネ興法寺を開いたと伝えられ
ている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部材の状
況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられる
が、外壁は波鉄板板張りに変えられていエムゾネる。桁行5間・梁
間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面
と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図
社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道
者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.エムゾネ5m、奥
行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を
敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離
場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で
落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修エムゾネ
行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置されている。

257 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:54:51.20 ID:HiySrW+B0.net
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とエ

258 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 12:55:07.51 ID:797b12E70.net
幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地
区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境
界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(エムゾネ松
が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地
区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣
参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を
形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎エムゾネ灯台と建設
省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種
規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は
、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、
字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第エムゾネ2種規制地区との境
界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する
道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区
との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制
地区真崎付近第3種規制地区とのエムゾネ境界は、市道本村海岸58号
線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを
参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕
著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形
構成資産の土地には、山エムゾネ並み、湧水や富士山及び側火山の噴火
等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ
、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ
る。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、
山頂火口から粘エムゾネ性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し
多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩
れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、
富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,
200エムゾネm付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ
約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万?の岩

259 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:00:29.44 ID:HiySrW+B0.net
真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明
王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5
.3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石
にはエムゾネ、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年(185
7)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石
組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思
われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−
護摩壇裏手のエムゾネ一段高くなったところに末代上人を祀る大棟
梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令により廃され
、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったと
ころに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」と
して祀られた。現在はエムゾネ「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集
落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉再建冨士
大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成
15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途
中に、石鳥居が建てられているエムゾネ。昭和28年(1953)
に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守社
)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)
村山浅間神社へと続く参道入口の左側にエムゾネ、手水舎が設置さ
れている。明治16年(1883)に設置されたものである。
・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大
日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5
年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されてエムゾネいる。B
4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢
樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体
が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜エムゾ

260 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:00:47.71 ID:HiySrW+B0.net
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真
図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士
講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼
宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住
宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入
り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ
れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型
」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、
富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ
るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な
御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の
写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背
面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は間

261 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:01:04.22 ID:797b12E70.net
・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩
れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ
゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山
口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは
、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡
と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差するエムゾネ。2,
015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような地

262 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:06:07.87 ID:HiySrW+B0.net
・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に
駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の
記録として社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524
)と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(
18エムゾネ23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図
社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を
納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内に
は、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されてい
る。社殿前のエムゾネ一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1
3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建て
られている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったとこ
ろにあるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に
奉納されたものであるエムゾネ。・手水舎石段に至る参道の脇と、
社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そば
には、文政7−56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参
道鳥居から10mほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する
高台へ登るためにコンクリートエムゾネ製の階段が続いている。・
鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられ
ている。昭和41年(1966)に奉納されたものである。・
石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたことを示す碑
が建てられている。・古宮神社八坂大神エムゾネ、八幡大神、愛鷹
大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中に
あり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以
下に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社殿周
囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参エムゾネ道南側の
部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大
樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)2月1
9日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り約6m、目

263 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:06:22.98 ID:HiySrW+B0.net
11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建
つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋
をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら
れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、
屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家
の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現
状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士
山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒
によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形
(湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行
する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している
平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ
ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で
あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して
いる平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行
が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている
地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は

264 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:06:42.58 ID:797b12E70.net
になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右
岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形
をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩エムゾネを繰り返し多量
に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に
富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰
り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登
山道二合目から三合目にかけて見られエムゾネる古富士火山からの泥流
堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など
様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の
北側、西側、南側は御坂基盤エムゾネ層により構成されているが、東側
新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が
分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水
底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破
砕溶岩)また本栖湖エムゾネ畔のボーリング調査において43mより上
位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山
の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩
主体の富士山起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B
1富士山本エムゾネ宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ
れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1
670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい
る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河
川エムゾネなどの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素
となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土
地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間エムゾネ神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。B

265 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:12:33.35 ID:HiySrW+B0.net
り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北エムゾネ
23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木
で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか
見当たらないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマ
ザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された
。樹エムゾネ齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75
m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別

266 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:12:48.55 ID:HiySrW+B0.net
承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に
所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ
ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、
そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した
あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの
であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見
され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神
誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無
事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名
付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し
ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整
備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価
値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空
間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴
火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本
穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の
胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と
して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本
穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である
木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流
人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5
,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置
している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴
出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる
溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴

267 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:13:04.85 ID:797b12E70.net
須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水
が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。エムゾネB6河口浅
間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路
)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ
ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、エムゾネ立体的)等B13吉
田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域
を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出
物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6
6−構成資産の土地には丘陵や河エムゾネ川などの自然地形が見られ、
構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある
。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも
のがある。ウ眺望C三保エムゾネ松原なしA森林、植栽樹木構成資産の
土地には、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び
青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢
林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山
標高3,300エムゾネm付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育
している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部
分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の
垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・
モミなエムゾネどの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが
、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに
は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい
る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ
゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界
(2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯
から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなど

268 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:17:48.66 ID:HiySrW+B0.net
をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南
限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3
年5月1日にエムゾネ小山町の天然記念物に指定された。樹齢約3
00年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m
。この根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しなが
らモミが成長したためエムゾネ、根が爪を立てた状態で生育し、根
上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。
・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造物)に指
定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(
1718)に再建された。そのエムゾネ後蟻害や老朽化により改修
したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが今な
お使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権現造
である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の
遺構を残した流造りとなっている。−5エムゾネ7−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層のエムゾネ周囲に高
欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随
神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破し
ており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された
当時に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間エムゾネ
一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に
組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入
口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束に
は「不二山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納
されエムゾネた。・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏参道

269 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:18:07.83 ID:HiySrW+B0.net
穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千
日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶
岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け
た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端
が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か
ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある

270 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:18:27.41 ID:797b12E70.net
広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わエムゾネり、標
高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物
森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直分布で
は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ
ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサエムゾネキモメンヅル、
ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)
付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に
はササ類が密生している。幕岩上部(エムゾネ標高1,680m付近)
付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど
が多くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近く
なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス
コリアが厚く堆積しているたエムゾネめ、須山口登山道付近の森林限界
は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道
2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分
布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばらエムゾネに分布する。A4須走口登山道・木山部分
の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000
m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ
ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、
他の登山道エムゾネよりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると
高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな
どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ
り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど
がエムゾネアカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然
林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている
。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在
するのもこの地域である。標高1600mから2500m付エムゾネ

271 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:24:36.26 ID:HiySrW+B0.net
入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士
講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された
記念碑が多くエムゾネ残されている。多くは、数多く富士登山が成
就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証とした
もので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てら
れている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B
6河口浅間神社図以下エムゾネに示す要素が点在している平面図河
口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機
に、北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社
である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行
事を行っており、歴史的背景とエムゾネ相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を
構成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建
造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性があエムゾネる。建立目的は富
士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火という
ことに対する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1
697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「
三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされエムゾネる。写真
社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀
初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ
、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあるエムゾネ
。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、9
58年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二
合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている
。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけ

272 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:24:51.32 ID:HiySrW+B0.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61
−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社
社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている
。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ
の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも
のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み
が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ
ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34
m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の
石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道
跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム
ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されてい

273 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:25:11.99 ID:797b12E70.net
までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ
の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに
は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付
近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されエムゾネない。植物
はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼
ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術
的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に強

274 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:30:18.57 ID:HiySrW+B0.net
れるエムゾネ二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体と
なって機能してきた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素とし
ては、信仰拠点である二合目や本殿などがある。・吉田口二合
目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御
室浅間神社はエムゾネ木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかで
ないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが
最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には
浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一として
広く知られていた。冨エムゾネ士修験の信仰拠点は南口の村山であ
るが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者
堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐
国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築様
式の神社建物に再建されたことエムゾネが棟札から明らかにされて
いる。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋
根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも彫刻
を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代のエムゾネ確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面エムゾネして引き
込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家
住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り
形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建エムゾネ
設されたものであることが判明している。また、主屋は「平面
座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立さ
れる以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座

275 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:30:35.80 ID:HiySrW+B0.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り馬蹄

276 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:30:54.26 ID:797b12E70.net
ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・エムゾネフジアザミ・ムラサ
キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙
げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘
陵を構成する社叢林・境内林などエムゾネのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に
おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資
産の土地には、丘陵を構エムゾネ成する社叢林・境内林などのほか、敷
地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社
構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、
敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神
社構成資産の土エムゾネ地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの
ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人
穴富士エムゾネ講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木
等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の
自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ
゙ネ栽及び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした
建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示
施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山エムゾネにおけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識
等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山における標識
類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整
備が進められている。A2大宮・村山口登山道エムゾネ富士山におけ

277 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:36:11.98 ID:HiySrW+B0.net
は、富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限
りがエムゾネあるなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられ
る。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上
吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写
真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、
蔵主屋は一部エムゾネ二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面
北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式になる

278 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:36:30.26 ID:HiySrW+B0.net
に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は
、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に
透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降
った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を
流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし
て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が
湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時
に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸
の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル
を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖
面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白
糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と
も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった
ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい
る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石
」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相
がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸
の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白
糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと
が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を
行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が
建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や
、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等
がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂らし

279 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:36:45.65 ID:797b12E70.net
標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等
の整備が進められている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められていエムゾネる。A5吉田口登山道富
士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され
た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然
環境や適切な利用環境の保全エムゾネを図るため、本栖湖水面は動力船
の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内容を説明するた
めの説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地
区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札
(現千円札)の裏面エムゾネに使用されている富士山と本栖湖のイラス
トのモデルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号
線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公
園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている
。イ信仰Bエムゾネ1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山
の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に
源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明であるが水田開
発エムゾネを目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活
用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化によ
り生活用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼
門から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取りエムゾネ扱
う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻廊の西側に
、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間
大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたも
ので、直会や各種会合に利用されている。・神田川エムゾネふれあい広
場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公園

280 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:42:13.30 ID:HiySrW+B0.net
居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南
寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は
主屋台所の前方に建つエムゾネ。土蔵造りであるが、東西に庇を付
けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は
、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師
の住宅としての形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。
全国でも比較的少ない社家の一エムゾネ遺例として重要である。写
真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に
示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられエムゾネている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある
。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素が点在して
いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八エムゾネ海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多
くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖のエムゾネ
写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍
野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに
八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)が
あるエムゾネ。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在してい
る平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞
穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍
的価値を構成エムゾネする諸要素には、宗教的な意義付けがされ

281 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:42:28.46 ID:HiySrW+B0.net
ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音
止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写
真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景
とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻
狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行
ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前
は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に由来

282 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:42:48.01 ID:797b12E70.net
して整備され、さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた
「神田川ふれあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改
修された神田川護岸も含め、中心市街地のエムゾネ親水空間として市民
の憩いの場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ
、時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神
田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御
手洗橋が架けられている。『大宮エムゾネ町誌』には、明治26年(1
893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に
、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市
消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建てられて
いる。・案内板・説明板エムゾネ本殿や湧玉池などが、文化財に指定さ
れていることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納
所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛杖が置かれている。開山
祭に使用されてエムゾネいた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が設けら
れている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受
機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社・
案内板・説明板籠屋の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅
間神社エムゾネの由緒を記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文
化財であることを記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「
歩く博物館」のコースであることを示すものの3本である。・手す
り籠屋から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されているエムソ
゙ネ。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利
用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレが
設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道施設が
設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側にエムゾネ、コン
クリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩用のベンチ
が設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コンクリート製の

283 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:47:52.78 ID:HiySrW+B0.net
いる地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹
型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁
に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作
られている。本穴の側エムゾネ面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよ
うに見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内
臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基
づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神
社・石造物群1673年、富士エムゾネ講道者村上光清により現船
津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷
宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)
に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無
戸室浅間神社と名付けた。−60−B1エムゾネ3吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがあエムゾネる。・胎
内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾
第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶
岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩
(木花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。エムゾネ
・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があっ
て富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られて
いる。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠が
ある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要
素がエムゾネ点在している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富
士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5,000年前)
に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶
岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約

284 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:48:27.35 ID:797b12E70.net
居が建てられている。・燈篭コンクリート製の鳥居から籠屋へ至る
参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並んで設エムゾネ置されている。
また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車
場乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横
切る道沿いに設けられている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した
石碑が、駐車場の北側に設置されていエムゾネる。・石造物参道沿いに
は、道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3村

285 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:54:36.23 ID:HiySrW+B0.net
q、標高差にエムゾネして約700mの扇状地をつくる溶岩流であ
る。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞
穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行っ
たとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所
の溶岩洞穴のうち、西エムゾネ端部の最も低い位置にあり、溶岩が
流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた
溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入
口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約
30mの屈曲部手前中央には、エムゾネ直径約5mの溶岩柱がある
。全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっ
ている。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞していると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植
生)人穴集落では主に製炭と農業を中心エムゾネとした生活が営ま
れたため、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。
しかし、昭和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周
辺は建材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当す
る大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社のエムゾネ境内地に
は、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在する。そのう
ち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみると、一番古
い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的に
よって大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑エムゾネ
・供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願す
る「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する
「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑
」が最も多い。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・
参道エムゾネ洞穴入口や浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境
内地内を南から北へ伸びている。現在はコンクリートで覆われ
ている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞穴直上の平場で

286 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:54:53.28 ID:HiySrW+B0.net
。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界は、市道本
村海岸58号線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境
界は、@ABを参照。D第3種規制地区各地区との境界はABC
を参照。(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムゾネと密接
に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には、山並み、湧水や
富士山及び側火山の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹
型などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素と
なって存在しているものもある。ア富士山山体及び登エムゾネ山道
A富士山−64−・テフラ噴火の際、山頂火口から粘性の小さい
玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付
近はテフラに覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる
多くの浸食谷の中で最も大きなもので、富士山西斜面のエムゾネ山
梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,200m付近ま
で延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡る
。崩壊は現在も進行中で年平均約15万?の岩石・土砂を流出し
、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩れの写エムゾネ
真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山口登山
道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中
宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物エムゾ
ネ跡と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する。2
,015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような
地形になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸
から右岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んエム
ゾネだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を
繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走
口登山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質の
テフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われ

287 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:55:13.52 ID:797b12E70.net
浅間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の
西側には、元村山地区の住民エムゾネが、会合等で利用する公会堂が建
てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置されている。
・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手すりが設置
されている。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には、
樹木保護のための柵エムゾネが設置されている。・御神木指定証県天然
記念物に指定されているイチョウと大スギが、御神木に指定された
旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの幹に掲げられている。
・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)に縣社に昇格した
ことを示すエムゾネ石柱が、参道入口左側に設置されている。また、昭
和62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と
刻まれた石柱が、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道
坂入り口付近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した
児エムゾネ童公園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社務所
裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33
年に建立された。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原エムゾネか
ら山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道
等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山
浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が
、富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置エムゾネされている
。・洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面
に設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から
登山道を80mほど進んだ場所に、木製のエムゾネベンチ2脚とテーブ
ル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木
製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩までの

288 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 13:59:55.54 ID:HiySrW+B0.net
出されている。西側に規模の大きな1棟と、その東側にやや小
規模の1棟がエムゾネあり、大規模なものの方がより古い遺構とみ
られる。また建物跡の周辺には石積みが施されている。・参道
跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場から斜面を下り
、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている。溶岩角礫や
露出している溶岩を利エムゾネ用して21段の石段が構築されてい
る。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石

289 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:00:12.78 ID:HiySrW+B0.net
エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ
る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶
岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基
盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流
については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ
れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の
特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して
いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山
起源のエムゾネ火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。
参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167
0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる
。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘
陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な
要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成
立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B
4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している
ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地
の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで
流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊
する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河口湖

290 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:00:29.05 ID:797b12E70.net
山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されてい
る。木製と金属製のものがある。エムゾネ御殿場口との合流点より上部
については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標
識が設置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイド
ライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一されている。B5須走浅
間神社・神馬舎楼門の西エムゾネ側に神馬舎が建てられている。・神輿
庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で使用される神輿の格納庫が建
てられている。・あずまや祖霊社の北側には、あずま屋が建てられ
ている。・神橋(太鼓橋)県道138号線から、川を渡って参道へ
と通じる橋が架エムゾネけられている。・説明板・案内板浅間神社の由
緒、天然記念物の樹木の概要等を記した説明板、参拝路を表示した
案内板等が立てられている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の
駐車場乗用車6台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には
、参拝エムゾネ者用のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間
の杜内には、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれて
いる。・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取
り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管エムソ
゙ネする記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から
太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は、
主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示エムゾネし、定
期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関する理解を
深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設として河口湖
フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わるエムゾネ資料や自然、生
物等の展示施設をもち自然共生室という研究機関も兼ね備え、洞穴
や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保に寄
与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が

291 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:05:23.87 ID:HiySrW+B0.net
の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有
していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通る林道に
沿って、5箇所の炭焼窯跡が検エムゾネ出されている。昭和初期ま
で使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出さ
れていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角
礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15白糸
ノ滝図以下に示す要素が点在している平エムゾネ面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となってエムゾネいる溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度
にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられてお
り、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)エムゾネ
が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まっ
た際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存
在する。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで
崩落を繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近1
0年エムゾネ間の平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もら
れており、この多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な
古富士泥流堆積物を次第に浸食する。やがて、下部が抉り取ら
れることで上部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に
耐えられなくエムゾネなった時点で自然崩落する。この作用が繰り
返され、崖線が後退し続けていると考えられる。また、白糸溶
岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退を早める一因と指摘
されている。白糸ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合で
北側に後退しているとエムゾネいう計算もある。音止の滝も、白

292 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:05:42.00 ID:HiySrW+B0.net
11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的
形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の
表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ
め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B
14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の
土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B15白糸

293 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:05:59.53 ID:797b12E70.net
梨県・富士吉田市教育委員会により設エムゾネ置されている。B14人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人
穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴
内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B
15白糸ノ滝なしウ眺望C三エムゾネ保松原なしC道路とその他人工物
構成資産の土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路
や、富士スバルラインや富士山スカイラインなどの観光道路をはじ
めてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建築
物及び工作物が存在エムゾネしている−74−ア富士山山体及び登山道
A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役
割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる
。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂エムゾネ信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上で
は、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道
脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている。
木エムゾネ製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部につ
いては、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標識が
設置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一されている。A4須走口登山道登エムゾネ山
者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されて
いる。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一
された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山におけ
る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一エムゾネされている
。吉田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加
わる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている。
A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精エムゾネ進湖A9本栖湖湖

294 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:10:54.23 ID:HiySrW+B0.net
ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−62−を
繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩流
の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約
120メートルに渡り馬蹄状にエムゾネ広がる崖面の各所から湧出
した水が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となっ
たものである。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である
古富士泥流堆積物があり、上部に透水性のある白糸溶岩流があ
ると考えられている。富士山麓に降ったエムゾネ雨水は、上部の溶
岩流を透過し、下部の不透水層との境目を流れ下っていると考
えられている。白糸の滝は、両層が崖面として露出しており、
両層の境目や上部の溶岩流の間から水が湧出している様子が確
認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時に掲載エムゾネ)・音止
の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸の滝と台地を
隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートルを流れ落ち
る芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面では、白糸の
滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸の滝にエムゾネ
比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼ば
れ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもの
であり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また
、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の
名前エムゾネのついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また
指定地内には、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相が
ある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講エムゾネの祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行
は白糸の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の
中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の滝で修行を行う者がいた
ことが知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をと

295 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:11:13.32 ID:HiySrW+B0.net
滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものが
ある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地に
は、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青木
ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢林
・境内林などが存在しエムゾネている。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が
生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり
、植物の垂直分布では、エムゾネ丘陵帯から山地帯にあたる。戦後
、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほとんどが
人工林であるが、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂
跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹
の自然林が残っている。林エムゾネの下にはササ(スズタケ)が視
界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付
近から新5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、
植物の垂直分布では、山地帯から亜高山帯にあたる。高所に上が
るにつれてブナ・カエデなどエムゾネの広葉樹からウラジロモミ・
シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹
とササがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,4
00m付近から上で、植物の垂直分布では高山帯にあたる。この
付近の植物は7月下旬から9月エムゾネ上旬にかけていっせいに花
を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂
直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹
林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類エムゾネ)にあたり、林床にはサ
サ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付近は
、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなどが

296 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:11:28.97 ID:797b12E70.net
側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の
工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のも
のである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分には、
自動発券機(料金収受機)を設置エムゾネした第1駐車場が整備されて
いる。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道
から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3
村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている

297 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:17:22.13 ID:HiySrW+B0.net
修行を行った富士講のエムゾネ信者の記録がある。指定地内には富
士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの
(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の滝滝つ
ぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い
糸を垂らしたように落ちる優美エムゾネな勝景がある。写真景勝の
写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景
がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝
と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる。写真展
望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝エムゾネ」には、建久4年
(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄
弟の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−
談をしている間は水音を止めたことから名づけらエムゾネれたとい
う。また、鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢の
ほつれを直したという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景
は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には
白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然エムゾネ
記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保松原図
以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清水
区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸
線に沿い、南北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在
するエムゾネ松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林
は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と
松林の景観を維持している背後地については、ほとんどが民有
地となっている。松林には、300年を経た老木から幼令木が
約54,00エムゾネ0本、幅広く分布している。図三保松原の地
区区分図表地区区分詳細表地区境界@特別規制A地区真崎灯台
の内海側の第2種規制地区との境界は、隣接する特別規制B

298 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:17:41.13 ID:HiySrW+B0.net
くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近くな
るにつれて樹高が低くまばらになるエムゾネ。宝永噴火の際に噴出
したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付近の森林
限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口
登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物
の垂直分布で高山帯にあたる。オンタエムゾネデ、イタドリ、フジ
ハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目
(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オ
オシラビソ・コメツガなどが分布する。エムゾネ須走口登山道の森
林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分
の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田
口登山道標高1600m付近より下方の区エムゾネ域は、山地帯に
属する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジ
ロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原の
レンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在すエムゾネるのもこの地
域である。標高1600mから2500m付近までの区域が亜高
山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成し
ている。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカン
バが生えている。・焼山部分の植物標高250エムゾネ0m付近か
ら上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない。植物はほと
んどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼ばれ
た。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的
価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育エムゾネし、乾燥
に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ム
ラサキモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社

299 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:23:18.39 ID:HiySrW+B0.net
区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延長線上と
する。A特別規制B地エムゾネ区特別規制A地区との境界は防潮堤
外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を形成してい
る地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運
輸省財産及び民地側の境界を結エムゾネんだ線とする。B第1種規
制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境

300 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:23:37.59 ID:HiySrW+B0.net
7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社エムゾネ構成資
産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植栽された樹木等が存在している。−68−B2山宮
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在しエムゾネてい
る。B3村山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成す
る社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽されエムゾネた
樹木等が存在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八エムゾネ
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・
境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在して
いる。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林エムゾ
ネや植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及
び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造
物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在しエム
ゾネている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内
エムゾネ標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統

301 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:23:55.87 ID:797b12E70.net
盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録に
よれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の流
下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性がある。・
富士山特定地理等保エムゾネ護林8合目から標高約2,400m付近に
かけて展開する約927haの保護林である。富士山の国有林にお
いては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保
護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定
されているエムゾネ。富士山独特の地形・地質を持つ区域の植生として
貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区自然
公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主体とし
た山頂部までの区域である。富士山の火山景観の核心部を呈する区
域エムゾネであり、富士山の秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対
象となっている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存
在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35エムゾネ種
程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定さ
れているニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含
まれる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく
、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A3エムゾネ須山口登山
道・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富
士火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩
肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一
面に堆積している。その存在は宝永噴火前エムゾネの古絵図にも記録さ
れている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述されることも
ある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地で修行した
という言い伝えが残っている−77−(日本霊異記)。登山道から
幕岩の直下に降りる道がある。・エムゾネ側火山登山道沿いには宝永山
(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,926m、1,804

302 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:29:05.86 ID:HiySrW+B0.net
は、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との
境界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区
との境界及び大字折戸地区における第2エムゾネ種規制地区との境
界は、隣接する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西
側の第2種規制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位
置とする。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界
は、市道本村海岸58号線の中心の延長を境界とエムゾネする。そ
の他の地区との境界は、@ABを参照。D第3種規制地区各地
区との境界はABCを参照。(2)顕著な普遍的価値を構成す
る諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には
、山並み、湧水や富士山及び側火山の噴火等の火山活動にエムゾネ
よって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ、構成資産
を成立させる重要な要素となって存在しているものもある。ア
富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、山
頂火口から粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多
量にエムゾネ噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・
大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大き
なもので、富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直
下から標高2,200m付近まで延長2.1q、最大幅約50
0m、最大深エムゾネさ約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で
年平均約15万?の岩石・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地
を形成している。写真大沢崩れの写真図大沢崩れの図面A1山
頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・日沢(浸食谷)日沢
は富士山の浸食谷の1エムゾネつで、村山口登山道跡とほぼ並行に
山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中宮八幡堂跡の東
側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡と7号建物跡の
間(標高2,015m付近)で交差する。2,015m付近に
は、日沢の上に巨石があり、自エムゾネ然の橋のような地形にな

303 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:29:21.70 ID:HiySrW+B0.net
された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山道な
しA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
っエムゾネたデザインで統一された案内標識等の整備が進められて
いる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドライン
に沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められてい
る。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・
20エムゾネ06年3月22日より、自然環境や適切な利用環境

304 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:35:42.27 ID:HiySrW+B0.net
ており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右岸
に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地
形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多
量に噴出したため、テフラに覆われていエムゾネる。A4須走口登
山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテ
フラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われて
いる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られる古
富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られエムゾネる玄武岩
溶岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動によ
り形成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂
基盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期のエムゾネ
溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。
この溶岩流については水中に流入して形成された水底溶岩の可
能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破砕溶岩
)また本栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新
富士エムゾネ火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火
山の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降
の溶岩主体の富士山起源の火山活動が確認−65−されている
。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡
池とも言われエムゾネる。参道を挟んで両側に丸く池が広がってい
る。寛文10年(1670)の絵図では、ここから流れる水が
御手洗川に流れ込んでいる。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社
構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重要エムゾネな要素となって存在しているものが
ある。B3村山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの
自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって
存在しているものがある。B4須山浅間神社構成資産の土地

305 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:36:01.41 ID:HiySrW+B0.net
保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定
された。こうした規制内容を説明するための説明板や水上バイク
等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設置されてい
る。・エムゾネ中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千円札)
の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとな
った岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線沿いの中之
倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公園法の第2
種特別地エムゾネ域として、観光施設等も景観に配慮されている。
イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北
側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源
を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部をエムゾネ灌漑する用水路である。開削時期は不明である
が水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつ
れ生活用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質
悪化により生活用水としては利用されなくなっている。・社務所
−70−楼門エムゾネから続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社
の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続
く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て
られている。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(19
78)に建てらエムゾネれたもので、直会や各種会合に利用されて
いる。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大
社境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から
7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在エムゾネは、同時期に改修された神田川護岸も含
め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。
広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施
設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南
東側には、長さ7.エムゾネ3m、幅11.5mの御手洗橋が架

306 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:36:17.93 ID:797b12E70.net
山は御坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、
標高1100m〜1300mエムゾネ前後の山が連なっている。また南
側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士山
本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が
、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下
流(下池)の部分もエムゾネ含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護
岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整備

307 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:41:06.36 ID:HiySrW+B0.net
は丘陵や河川などの自然地形がエムゾネ見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B5須走浅
間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水が
、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。B6河口浅間
神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅エムゾネ中門をくぐると川
(水路)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎ
の場となっていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B
12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、立体
的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の表面エムゾネの状態が
ほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリ
アなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B14人穴
富士講遺跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の土地には丘陵
や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重エムゾネ
要な要素となって存在しているものがある。B15白糸の滝構
成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。
ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地には、
富士エムゾネ山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青
木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社
叢林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類
が生育していエムゾネる。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口
登山道・草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下ま
でにあたり、植物の垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる
。戦後、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほ
とんどが人工林であるエムゾネが、天照教社から富士山麓山の村を
経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデ
などの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下にはササ(

308 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:41:24.77 ID:HiySrW+B0.net
られている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に架け
られたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整
備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1
方面隊第3分団の詰所エムゾネが、神立山南西の端に建てられてい
る。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に指定されて
いることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所
拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納エムゾネ所西側に、大金剛杖が置かれてい
る。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が
設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(
料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮
浅間神社・案内板・説明板エムゾネ籠屋の南側に、案内板等が建て
られている。山宮浅間神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の
概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社の
概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すもの
の3本である。・手すり籠屋エムゾネから遥拝所へ向かう石段の脇
に、手すりが設置されている。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参
道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている。・ト
イレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側
に、コンクリート製の水道施設エムゾネが設置されている。−71
−・水飲み場水道施設の南側に、コンクリート製の水飲み場が設
置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥
居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。
・燈篭コンクリート製の鳥居からエムゾネ籠屋へ至る参道の両側に
氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されている。また、籠屋北側
鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車場乗用車3台
程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿い
に設けられている。・石碑山宮浅間エムゾネ神社の由緒を記した

309 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:41:41.25 ID:797b12E70.net
れている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅
間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8エムゾネ御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等
を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B13吉田胎
内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質
(エムゾネ剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B14人穴富士講遺跡(
人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴
史的要素構成資産の周辺地域の地下には、関連の遺構、遺物が良好
に残されている区域があり、それらは文化財保護法に基づきエムゾネ埋
蔵文化財包蔵地として周知されている。また、かつて登山者に利用
された御師の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名
所等が存在している。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山な
しA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・エムゾネ馬頭観音1
村山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北東に進んでいく
と、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡はここ
を北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点に馬頭観音
の碑が建っている(標高約590m)。昭エムゾネ和8年(1933)
に上原伸郎によって建てられたものである。・馬頭観音2静岡県立
富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはやや道幅が広い、比較
的直伸している経路と、屈曲した経路の2つが存在する。前者につ
いては明治以降に木材の切り出しエムゾネ・運搬に使われた木馬道であ
ると推測される。ここで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭
観音を建てたと伝えられている。・2号建物跡平成5年の富士宮市
の調査では、中宮八幡堂跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったと
ころに2号建物跡があるエムゾネとされる。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、道
の北側にも平らな場所がある」と報告している。平成20年の調

310 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:46:36.72 ID:HiySrW+B0.net
ズタケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物
中宮八幡堂跡付近から新5合目エムゾネの森林限界(2,400m
付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯から亜高山
帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広葉樹
からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,
600m付近で落葉樹とササがなくなるエムゾネ。・焼山部分の植
物森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂

311 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:46:55.19 ID:HiySrW+B0.net
碑が、駐車場の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、
道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3村山浅
間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられてエムゾネいる。・村山公会堂
社務所の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会
堂が建てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置され
ている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手
すりが設置されている。・御神木柵県指エムゾネ定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・御
神木指定証県天然記念物に指定されているイチョウと大スギが、
御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの
幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社エムゾネが、大正14年
(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側
に設置されている。また、昭和62年(1987)に寄贈された
「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に
設置されている。・児童公園六道坂入り口付エムゾネ近に、すべり
台等の遊具を備え、またプールを併設した児童公園が整備されて
いる。・駐車場境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい
る。−72−・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完
成を記念する碑が建てられている。昭和33年エムゾネに建立され
た。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登
山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地
図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山浅間神社・
御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説エムゾネ明版が、
富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・
洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に
設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブルエムゾネ須山

312 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:47:13.58 ID:797b12E70.net
では平場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異
なっており、両エムゾネ者が同一のものか判断できない。写真建物跡の
写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線
が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだら
かな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しになっ
た岩石エムゾネには一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱の
方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としてい
る。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡富士山スカイエムソ
゙ネラインと村山登山道が交差する地点から北北東の方角に約600
mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北に走っており、北側
と東側には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂
っている。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側のエムゾネ縁には
一部石組が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士
山村山口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあた
るとしているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使わ
れていた可能性をも指摘している。・6号建物エムゾネ跡5号建物跡か
ら北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲
は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に
向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、
南北約10mの平場がある。平場の南エムゾネ縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面
にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法
で村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯修
行の修行所の1つであった。エムゾネ江戸時代の絵図には、高所にある
洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが多い。
洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年(1602
)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、宝永4年(1

313 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:53:12.81 ID:HiySrW+B0.net
分布では高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月
上旬にかけていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモ
メンヅル、ミヤマオトコヨモギなどが見られる。エムゾネA3須山
口登山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(
標高1,440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・
カエデ類)にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上
部(標高1,680m付近)付近は、針葉樹のシラビソ・エムゾネ
−67−オオシラビソ・コメツガなどが多くなるが、森林限界
(標高1,700〜1,750m)に近くなるにつれて樹高が
低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆
積しているため、須山口登山道付近の森林限界は、他の登山道
よりエムゾネもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道2合8
勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分布
で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジ
アザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登山道・木山部
分の植物植物エムゾネの垂直分布では、須走口登山道5合目(標高
2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシ
ラビソ・コメツガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は
約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分の植物
森林限界を過ぎると高エムゾネ山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉
田口登山道標高1600m付近より下方の区域は、山地帯に属
する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残エムゾネる自然林では、ミズナラ・
ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「
躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在するのもこ
の地域である。標高1600mから2500m付近までの区域
が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベエムゾネ・オオシラビソ

314 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:53:30.68 ID:HiySrW+B0.net
胎内から登山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚と
テーブル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入
口に、木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕
岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内をエムゾネ示す
標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口と
の合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一
された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山に

315 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:53:48.00 ID:797b12E70.net
07)の宝永噴火でエムゾネ堂室が消失したと言われている。また、文
化13年(1816)〜天保5年(1834)に執筆された『修訂
駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建物があ
り、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉永7年(1
854)のエムゾネ「富士山室小屋建立古帳面写」では「堂室無之」と
記載され、この時点では再び堂室が消失していると推測される。そ
の後、岩屋不動の所在は不明となっていたが、平成19年に候補地
たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標高約1,820mの地
点エムゾネまで登りつめ、地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴
の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴
内は人が立つことのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤み
がかっている。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩エムゾネ落
した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最
奥の向かって左側については人工的に開削された可能性が残る。写
真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走
口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いのエムゾネ標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社と
呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山できる
のはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花開耶姫命である
。昭和54年に古御岳神社に合祀された。エムゾネ国土地理院の地形図
に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、廃屋となって
いる。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物はなく、かつては石仏
が多くあったが、現在は1体も残っていない。写真神社跡の写真・
大日堂(野中神社)冨士浅間神社エムゾネの末社で、富士あざみライン
から南側の脇道を入った自衛隊東富士演習場内の標高1050m付
近にある。演習場内のため、許可なく立ち入ることはできない。明
治7年に野中神社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水
源地に祀られていることエムゾネから雨乞いの神として地元の信仰を

316 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:58:53.36 ID:HiySrW+B0.net
森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところ
には、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高250
0m付近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない
。植物はほとんどみられない地域であることからエムゾネ、かつて
は「焼山」と呼ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る
場所としても、学術的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐
状に生育し、乾燥に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソ
ウ・フジアザミ・ムラサキモメンズルなどが生育する。Aエムゾネ
6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植
物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙げられる。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林
・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
してエムゾネいる。−68−B2山宮浅間神社構成資産の土地には
、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において
植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植エムゾネ栽された樹木等が存在している。B4須山浅
間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。
B5須走浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林
・境内林などのほか、エムゾネ敷地内において植栽された樹木等が
存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御
師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社
)構成資産の土地には、丘陵をエムゾネ構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。
B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林や植栽等
の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及び自然

317 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:59:09.53 ID:HiySrW+B0.net
ける標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザインエムゾネ案
で統一されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬
舎が建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭
で使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋エムゾネ
)県道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられ
ている。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられて
いる。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6エムゾ
ネ台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には、
散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれている。・社
務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取り扱うエム
ゾネ社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管す
る記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から太
平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は
エムゾネ、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示
し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関す
る理解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B
11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設
とエムゾネして河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わ
る資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機
関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、
入洞者の安全確保に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内
樹型エムゾネに関する解説板が山梨県・富士吉田市教育委員会によ
り設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説
明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文化財である

318 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 14:59:29.07 ID:797b12E70.net
めた。元禄3年(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見ら
れ、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴
火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再建された
。祭神は大日要エムゾネ命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて
間口二間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていた
とされる。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれ
た場所に描かれている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってから

319 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:04:31.50 ID:HiySrW+B0.net
生している。B保存管理又は公開活用をエムゾネ目的とした建造物
構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインでエムゾネ統一され
た案内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士
山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザエムゾネ
インで統一された案内標識等の整備が進められている。A3須
山口登山道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガ
イドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が
進められている。A5吉田口登山道富士山における標識類総合
ガイエムゾネドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の
整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や
適切な利用環境の保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り
入れ禁止区域エムゾネに指定された。こうした規制内容を説明する
ための説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の
川尻地区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は
旧五千円札(現千円札)の裏面に使用されている富士山と本栖
湖のイラストのモデルエムゾネとなった岡田紅陽の写真の撮影地で
ある。国道300号線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有す
る展望地がある。自然公園法の第2種特別地域として、観光施
設等も景観に配慮されている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社
・渋沢用水(横溝川)神立山のエムゾネ北側部を流れる渋沢用水(
横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源を発し、神立山の北半
部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮市中心部を灌漑す

320 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:04:54.90 ID:HiySrW+B0.net
とを記した説明板、碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨
の案内エムゾネ板が4本建てられている。B15白糸ノ滝なしウ眺
望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の土地には、日
常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富士スバルライン
や富士山スカイラインなどの観光道路をはじめてとして、電柱、
看板、誘エムゾネ導標識などをはじめとする各種の建築物及び工作
物が存在している−74−ア富士山山体及び登山道A富士山・救
急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道
路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道と
の交差部にエムゾネは、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上では
、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山
道脇に、須山エムゾネ口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置さ
れている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より
上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総
合ガイドラインエムゾネに沿ったデザインで統一されている。A4
須走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が
入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置されている。
この標識は富士山エムゾネにおける標識類総合ガイドラインに沿っ
たデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八合目よ
り上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登山道富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進エムゾネめられている。A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置する水力発電用
取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場群に電力を供給

321 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:05:17.66 ID:797b12E70.net
頂を目エムゾネ指したとされる。建物は現存しないが、二重の石組みに
囲まれた建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、
敷地脇には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石
の祠が建てられ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡のエムソ
゙ネ写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)があ
る。須走口では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた
。下山道は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登
山道南側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口エムゾネ)の「
大砂走り」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−81−A5吉田
口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8合目で
須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれ
た。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建エムゾネてることが許さ
れなかったことから、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建て
られていた。写真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河と
の交通路のうち、若彦路と河内路の中エムゾネ間に発達したので「中道
」と呼ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点よ
り国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道である
。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往還に関
連する遺跡が複数確認できるエムゾネ。イ信仰B1富士山本宮浅間大社
・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m
・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡と
して埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発見されてい
る。写真出土遺物のエムゾネ写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館とし
ての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた
。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社
である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が毎年
7月7日にエムゾネ行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄

322 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:10:13.84 ID:HiySrW+B0.net
用水路である。開削時期は不明であるが水田開発を目的として
開削されたと考えられ、開発が進むにつエムゾネれ生活用水や防火
用水として使われるようになった。現在は水質悪化により生活
用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼門
から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取り扱う
社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続くエムゾネ西廻廊の
西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられて

323 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:10:29.76 ID:HiySrW+B0.net
る自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のものである。イ信仰B
1富士山本宮浅間大社エムゾネ指定地の南西部分には、自動発券機
(料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山
宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車場が、県道から入って
境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3村山浅間
神社境内地西端に、参詣エムゾネ者用の駐車場が整備されている。
B4須山浅間神社裾野市と須山振興会によって、須山口からの登
山道の案内図が設置されている。B5須走浅間神社社務所東側に
は、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。B6河口
浅間神社B7冨士御室浅間エムゾネ神社B8御師住宅国道139号
に面した敷地入口には、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅
)の内容を示す解説板が設置されている。B9山中湖B10河口
湖B11忍野八海B12船津胎内樹型河口湖フィールドセンター
の開設に伴い整備されたトレエムゾネイル(遊歩道)が設けられて
いる。遊歩道には石造物の分布が確認でき、自然散策路としての
要素以外に歴史散策路的要素も兼ね備えている。B13吉田胎内
樹型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に
向かうものである。古くから富エムゾネ士講の信者等に利用され、
「甲斐国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴
富士講遺跡(人穴浅間神社)2本の道跡と思われる石列が参道跡
の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを
結ぶ機能を有していたと考えられエムゾネる。B15白糸ノ滝市道
・私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等がある。また、それら
の付属施設がある。危険を伴う区域には、護岸や落石防護ネット
が整備され、また、立入禁止の札が立てられている。県道沿い及
び芝川本流左岸等には駐車場がありエムゾネ、管理小屋等の付帯施
設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺
望C三保松原−76−なし(3)周辺環境を構成する諸要素@

324 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:10:48.44 ID:797b12E70.net
された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和35
年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に
設置されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4
須エムゾネ山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神社−82−西
南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀
られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への
連絡路であった鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌エムゾネ倉
から放射状に存在した複数のルートの一つで、当時の御家人らが鎌
倉と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ商
人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北麓地域
と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されてエムゾネいたことが
わかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神
社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12
船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等については、洞穴本体あるいは富
士山の関連として信仰の対象と位置づけらエムゾネれたものが多く見ら
れ、周辺には社寺等の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無
戸室浅間神社などの設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われ
ている事例である。・信仰的意味を付された地形・空間B13吉田
胎内樹型・参詣道吉田口登山道のエムゾネ「中ノ茶屋」から、吉田胎内
本穴に向かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「
甲斐国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道
のひとつである。富士講エムゾネ信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝
をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中
道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南
へ下ったところに、人穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴
や周辺の碑塔のエムゾネ建立や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地が
ある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建てられている

325 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:16:56.24 ID:HiySrW+B0.net
然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をはじめとする各種
自然地形が存在している。また、統一エムゾネ感のある山並み景観
を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在している。
ア富士山山体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士
山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝
永4年(1707)に発生したテフラのエムゾネ爆発的噴火により
、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新

326 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:17:12.08 ID:797b12E70.net
額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参道は、県道清水富
士宮線から石鳥居をくぐって進み、浄土門と刻まれた石碑を右折し
て、境エムゾネ内地内の参道へ続いている。石碑から階段までの参道は
かつての中道往還と重複する。−83−B15白糸ノ滝なしウ眺望
C三保松原なしB人文的要素富士山山体においては、登山道沿いに
登下山者の緊急避難や遭難者の救助、応急処置の機能を兼ね備えエムソ
゙ネた山小屋が立地している。富士山麓における構成資産の周辺につ
いては、山林、農耕地のほか市街地となっており、日常生活に関連
する各種施設等をはじめとして、道路、橋、線路、電柱、看板等の
各種人工物が存在している。また、構成資産の公開活用エムゾネを目的
した資料館等の施設が存在している。ア富士山山体及び登山道A富
士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動
山小屋とその関連施設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、
雲海荘(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来エムゾネ光山荘(新7合
目)、山口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(
9合目)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオト
イレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急
・救急施設富士山は、高山であり気候エムゾネも急変することから、登
山客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂、富
士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登山道8
合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬送・荷物搬
送区域登山道にほぼ並行してエムゾネ、救急用・緊急用避難道としての
役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブルドーザー
が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置
されている。・県道180号線富士宮富士公園線浅間大社前交差点
を起点とする「県道エムゾネ180号富士宮富士公園線」が、村山口登
山道跡と2箇所で交差している。交差する地点は、西臼塚駐車場か
ら山頂方面へ約1.5q進んだ地点と、高鉢山駐車場から約70

327 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:22:56.44 ID:HiySrW+B0.net
利用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗ト
イレが設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の
水道施設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南
側に、コンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベエムゾネ
ンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道
に、コンクリート製の鳥居が建てられている。・燈篭コンクリ
ート製の鳥居から籠屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈
篭が並んで設置されている。また、籠屋北側鉾立石の左右にも
1基エムゾネずつ設置されている。・駐車場乗用車3台程を駐車で
きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら
れている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場
の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青
面金剛、観音エムゾネ等の石造物が置かれている。B3村山浅間神
社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿社
殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所
の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会堂が
建てられている。・トエムゾネイレ社務所北側に、トイレが設置さ
れている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製
の手すりが設置されている。・御神木柵県指定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・
御神木指定証県天然記念物に指エムゾネ定されているイチョウと大
スギが、御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵
と大スギの幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社が、大正
14年(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道
入口左側に設置されている。また、昭和エムゾネ62年(1987
)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が
、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道坂入り口付
近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設した児童

328 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:23:13.65 ID:HiySrW+B0.net
三紀の基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせ
た。記録によれば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達した
が、溶岩の流下はなかった。活火山でありエムゾネ、今後も噴火活
動の可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約
2,400m付近にかけて展開する約927haの保護林である
。富士山の国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然
環境の維持、動植物の保護が図られ、あわせエムゾネて遺伝資源の
保存を図ることを目的として設定されている。富士山独特の地形
・地質を持つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊
豆国立公園富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概
ね5合目以上の火山高原を主体とした山頂部まエムゾネでの区域で
ある。富士山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の
秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1
山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在エムゾネしない。
・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳
類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニ
ホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。
また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林がエムゾネ少なく
、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道
・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富
士火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。
岩肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmエムゾネのス
コリアが一面に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図に
も記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述さ
れることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この
地で修行したという言い伝えが残っている−77−(日エムゾネ本
霊異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山

329 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:23:30.01 ID:797b12E70.net
m下った地点であるが、道路沿いには特別な表示等はない。また、
この道路はエムゾネ富士山スカイライン、富士宮口登山道を経て6合目
から旧村山口登山道と合流し、富士山山頂まで続いている。・宝永
遊歩道富士宮口新5合目駐車場の東端から宝永第二火口の西縁まで
ほぼ等高線に沿って東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11
号エムゾネ建物付近で交差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・
附属施設450台収容の駐車場が5合目に設置されている。付属

330 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:28:50.54 ID:HiySrW+B0.net
園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参エムゾネ詣者用の
駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社務
所裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭
和33年に建立された。・説明板(富士山表口真面之図)麓の
吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名エムゾネ
、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置さ
れている。B4須山浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由
緒等についての説明版が、富士山須山口登山道保存会により、
鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明板「須山胎内」と書か
れたエムゾネ金属板が、洞穴内部壁面に設置されている。・梯子須
山御胎内の北西側入口に、ジュラルミン製の梯子が架けられて
いる。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登山道を80mほど
進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル1台が設置されて
いる。・蝋燭エムゾネ台須山御胎内の南東側入口に、木製の蝋燭台
が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部に
ついては、茶色と緑色エムゾネの地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一されてい
る。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が建てられ
ている。・神輿庫恵比寿大黒社エムゾネの東側には、例大祭で使用
される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社の北
側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県道1
38号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられている
。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天エムゾネ然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられ
ている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車

331 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:29:06.67 ID:HiySrW+B0.net
山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,9
26m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの側火
山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火によりエムゾネ
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で復
興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種である
。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目1
4科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天エムゾ
ネ然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定
されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息するが
、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少
ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山道6エム
ゾネ合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴。開口
部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数名が立つ
ことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959mの
側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど離れた
エムゾネ場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火によ
り形成されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小
富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉
樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部
分エムゾネはスコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東
の眺望が楽しめる。小山町観光協会によるコンクリート製の標識
と、大正13年(1924)に扶桑教によって建立された祠があ
る。祠内部に仏像が三体あったというが、現在は残っていない。
・鳥エムゾネ類相富士山域で観察された鳥類は約160種である。
固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14
科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念
物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定されてい
るヤマエムゾネネが含まれる。また、ツキノワグマも生息するが

332 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:29:22.09 ID:797b12E70.net
設として、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山
シーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告エムゾネ物
、広告旗、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林道
があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差
する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建てられ
ている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7エムゾネ合9勺)、
砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合目)
、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋周辺に
はトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されている。・避難
小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合エムゾネ8勺)に、気象庁の
避難小屋が建てられている。富士山頂測候所に勤務する職員用の施
設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用されていない。・救急
搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救急用・緊急用避難道とし
ての役割を持つ道路等の施設が設エムゾネけられている。搬送にはブル
ドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板
等が設置されている。・下山道(大砂走)登山道の南西側に、下山
道(大砂走り)がある。標高約3,000mの日の出館(7合目)
付近で登山道と分岐するエムゾネ。宝永山脇のスコリアで覆われた斜面
を一気に下り、御殿場口新5合目(標高1,450m付近)に至る
。写真下山道の写真・御殿場口登山道明治5年(1872)に女性
の富士登山が許可された後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場
在住の伴野佐吉エムゾネらが中心となって明治16年(1883)に完
成した。同地の浅間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口
登山道2合8勺に接続する経路であった。明治22年、東海道線(
現JR御殿場線)が開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山
道が富エムゾネ士山東表口新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更さ
れた。御殿場口登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関
東方面からの登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰

333 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:34:25.55 ID:HiySrW+B0.net
台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅エムゾネ間の杜内
には、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれてい
る。・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を
取り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を
保管する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西エムゾネ
南の役から太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀

334 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:34:41.78 ID:HiySrW+B0.net
落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少な
い。A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御坂層基盤により構成さ
れているエムゾネ。北側から西側にかけては、標高1100m〜1
300m前後の山が連なっている。また南側には標高1485m
の竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・神田
川−78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が、約1,000m
を流れ潤井エムゾネ川に注いでいる。かつては禊所より下流(下池
)の部分も含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護岸の一部は
、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整備されている
。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社
なしB5須走エムゾネ浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御室
浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴
等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B13吉
田胎内樹型・溶エムゾネ岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞穴等を
構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B14人穴富
士講遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ眺望C三保
松原なしA歴史的要素構成資産の周辺地域の地下には、関連の遺
構、遺物が良好にエムゾネ残されている区域があり、それらは文化
財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知されている。また
、かつて登山者に利用された御師の家並みなど、文献史料に記載
された多数の伝承地や名所等が存在している。ア富士山山体及び
登山道−79−A富エムゾネ士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大
宮・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神社脇の舗装された道を
登って南西から北東に進んでいくと、舗装道が大きく北西方向に
それていく。村山口登山道跡はここを北西に行かずに、直進し北
東方向へ進む。その交エムゾネ差点に馬頭観音の碑が建っている

335 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:35:19.30 ID:797b12E70.net
の契機となった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺からエムソ
゙ネ頂上までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御殿場
口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、弁当場
、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口の西側火
口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山道であエムゾネる。平
成9年に富士山須山口登山歩道保存会が中心となって復興した。道
筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っている。宝永噴火後から

336 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:40:08.46 ID:HiySrW+B0.net
れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅旧外川家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗
資料等を展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富
士講エムゾネなどに関する理解を深めるよう活用されている。B9
山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎
内樹型の管理を行う施設として河口湖フィールドセンターがあ
る。溶岩樹型に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自
然共生室といエムゾネう研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価
値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保に寄与している
。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・
富士吉田市教育委員会により設置されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社エムゾネ)・説明板、案内板洞穴の入口に、
人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群
や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられ
ている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とそ
の他人工物構成資産の土地にはエムゾネ、日常生活を営む地域住民
が使用する生活道路や、富士スバルラインや富士山スカイライ
ンなどの観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識な
どをはじめとする各種の建築物及び工作物が存在している−7
4−ア富士山山体及び登山道A富士山・エムゾネ救急搬送・荷物搬
送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道路等の施設で
ある。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意表示板が設置されている。A1山頂信仰
遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上ではエムゾネ、登山者
の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置され
ている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上エムゾ

337 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:40:27.67 ID:HiySrW+B0.net
標高約590m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建
てられたものである。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜
けた場所にある。ここはやや道幅が広い、比較的直伸している経
路と、屈曲した経路の2エムゾネつが存在する。前者については明
治以降に木材の切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測さ
れる。ここで以前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建
てたと伝えられている。・2号建物跡平成5年の富士宮市の調

338 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:40:42.90 ID:797b12E70.net
しエムゾネいため、頂上部から8合目までのブルドーザー道が下山道と
して利用されている。写真ブルドーザー道の写真・駐車場・附属施
設200台収容の駐車場が5合目に設けられている。付属施設とし
て、登山シーズンの夏季のみ在番の交番と観光案内所、小山エムゾネ町
により設置・管理されている公衆トイレがある。写真駐車場(交番
・観光案内所)の写真A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社
A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建築物及び工作物本栖地区集落の
人口は156人(2008年4月1日現在)国道1エムゾネ39号線と
300号線が分岐する本栖交差点周辺を中心に集落が形成されてい
る。その他湖畔にキャンプ場などの観光施設及び管理施設が存在す
る。自然公園法第2種特別地域に指定されていることから、建築物
等の高さ規制を受けているので、景観上良エムゾネ好な状況が保たれて
いる。湖南東側にある本栖青少年スポーツセンターやキャンプ場な
どの管理施設等も同様である。その他の工作物として、電柱やアン
テナなどが存在する。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・駐車場神田
川ふれあい広場の南側には第2駐エムゾネ車場が整備されている。南北
に仕切られ、北側が普通車用、南側がバス専用となっている。トイ
レも併設されている。・宮町交番−86−第2駐車場バス専用入口
の東側に宮町交番が建てられている。・売店協同組合富士山特産品
振興会」が、第2駐車場エムゾネ内に、富士宮の特産品を取り扱う販売
所「ここずらよ」を設置し営業している。・富士山せせらぎ広場第
2駐車場から200mほど南に富士山せせらぎ広場がある。入口に
は大鳥居が建てられており、神田川に沿って散策できる遊歩道をは
じめ、トイレ、エムゾネ無料駐車場などの施設が整備されている。写真
広場の写真・道路神田川東側には、浅間大社前交差点を起点とし神
田川に沿って北へ向かう県道180号富士宮富士公園線が通ってい
る。この道路は富士山スカイライン、富士宮口登山道を経て富士山
山頂まエムゾネで続いている。また、湧玉橋から約130m北上する

339 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:45:40.27 ID:HiySrW+B0.net
部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。A4須
走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープエムゾネ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色
の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置され
ている。この標識は富士山における標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八
合目より上部エムゾネは、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザイン
で統一された案内標識等の整備が進められている。A6北口本
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置す
る水力発電用取水口はエムゾネ、(株)日本軽金属蒲原製造所の工
場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所の
ものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分
には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車場が整備
されている。B2山宮浅間神社エムゾネ乗用車3台程を駐車できる
駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられて
いる。−75−B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐
車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振興会
によって、須山口からの登山道の案内図エムゾネが設置されている
。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車
6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住
宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示すエムゾネ解説板が
設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B1
2船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備さ
れたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造

340 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:45:57.26 ID:HiySrW+B0.net
では、中宮八幡堂跡手前でエムゾネ日沢を渡り、50mほど登った
ところに2号建物跡があるとされる。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』では、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、
道の北側にも平らな場所がある」と報告している。平成20年の
調査では平場らしき地形を確エムゾネ認したが、平成5年当時の景
観と著しく異なっており、両者が同一のものか判断できない。写
真建物跡の写真図建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士
宮富士公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある
。周囲はなだらかな傾斜の天然エムゾネ林で、地面は落葉に覆われ
ている。むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西
4m弱・南北6m弱の方形の石列があり、その北東側に小さなく
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、こ
のくぼみを便所跡としている。写エムゾネ真建物跡の写真図建物跡
の図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角に約600mの位置にある。登山道の西側
には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺
は天然林で、下草にスズタケが生いエムゾネ茂っている。平場は東
西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認された
。南側中央部には石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡
調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、
後世まで木の切り出しなどの休憩小屋エムゾネとして使われていた
可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に
約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向き
に傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて
急激に落ち込んでいる。登山道の東側にエムゾネは、東西約12m
、南北約10mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登
山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜
面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者から

341 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:46:14.28 ID:797b12E70.net
間が、山宮御神幸の経路である「御神幸道」と重複している。第2
駐車場南側には、県道76号富士富士宮由比線が東西に伸びている
。この道路はかつて「甲州街道(中道往還)」と呼ばれ、駿河とエムソ
゙ネ甲斐を結ぶ主要街道であった。B2山宮浅間神社・御神幸道御神
幸道は、祭儀「山宮御神幸」で浅間大社と山宮浅間神社を往来した
道である。石鳥居から南方向へと伸びていたが、区画整理や道の付
け替えのため当時の道はところどころ途絶え、正確にたエムゾネどる

342 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:52:20.98 ID:HiySrW+B0.net
伝法で村山三坊が毎年年番で行っていた札エムゾネ打ちや勤行等を
行う富士峯修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、
高所にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−る
ことが多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長
7年(1602)に書かれた「富士山持場之エムゾネ事」に記述が
あるが、宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言
われている。また、文化13年(1816)〜天保5年(183
4)に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家
のような板葺きの建物があり、登山者の休憩所エムゾネであったこ
とが記されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建
立古帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂
室が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞エムゾネ穴の存在
を確認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、
地上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m
、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこと
のできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがエムゾネかって
いる。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が
多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向か
って左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしAエムゾネ4須
走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,8
30m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小室社
と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が登山で
きるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花エムゾネ開
耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土地理
院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒壊し、
廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作物はな

343 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:52:37.62 ID:797b12E70.net
はできない。・御神幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)
毎に標石が建てられていた。現在ではそのほとんどが失われたが、
山宮浅間神社周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残っている。
写真道標石の写真・東山宮二区区民館山宮二区エムゾネの住民が、会合
等で利用する区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士
公園線山宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし、富
士山山頂が終点の「県道180号富士宮富士公園線」が通っている
。B3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊エムゾネ、池西坊、辻之坊)江戸
時代には、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在の児童公園
付近に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛舎付近に、「大
鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西坊」は現在の児童公
園の南側にあったとされる。エムゾネ児童公園から西へ道沿いに宿坊跡
のものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口跡と考えられる痕跡を見
ることができる。写真宿坊跡の写真・見付跡(東見付、西見付)集
落の出入り口となる東西のはずれに「東見付」「西見付」と呼ばれ
る、村山に入る不審エムゾネ者を取り締まる関所があった。−87−西
見付跡は村山浅間神社門前から西へ約550m、東見付跡は神社門
前より南に約200mのところにある。B4須山浅間神社・浅間橋
朱塗りの欄干を持つ橋が境内地の南側に架けられている。B5冨士
浅間神社・エムゾネ駐車場(トイレ)境内地の南西側、裏参道を出たと
ころに、参拝者用の駐車場が設けられている。また駐車場東端には
、トイレも建てられている。・国道138号線及び県道150号線
足柄停車場富士公園線境内地の西側には、国道138号線が、また
東エムゾネ側には県道150号線足柄停車場富士公園線が通っている。
県道の終点は富士山頂となっている。B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅来訪者のための駐車場として、また緊急時
や災害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷地が整備さエムゾネれ
ている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内

344 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:57:58.36 ID:HiySrW+B0.net
、あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定されて
いる。富士山独特の地形・地質を持つ区域の植生として貴エムゾネ
重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区自
然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主
体とした山頂部までの区域である。富士山の火山景観の核心部
を呈する区域であり、富士山の秀麗な山容、植物の遷移過程等
が保エムゾネ全の対象となっている。A1山頂信仰遺跡なしA2

345 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:58:14.16 ID:HiySrW+B0.net
、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残っていなエムゾネ
い。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間神社の末社
で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛隊東富士演習
場内の標高1050m付近にある。演習場内のため、許可なく立
ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名されたがエムゾ
ネ、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られていることから
雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(1690)の
冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は江戸時代前期
まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって被害を受けたエム
ゾネが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神は大日要命
(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二間、奥行き二
間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたとされる。古絵図
(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれた場所に描かれ
エムゾネている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってから山頂を目
指したとされる。建物は現存しないが、二重の石組みに囲まれた
建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇
には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石の祠
がエムゾネ建てられ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡
の写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)が
ある。須走口では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在して
いた。下山道は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐
し、エムゾネ登山道南側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須
山口)の「大砂走り」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−8
1−A5吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道
で、本8合目で須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「
大行合エムゾネ」と呼ばれた。ここから上は頂上奥宮の神域で、小
屋を建てることが許されなかったことから、登山道最後の小屋場
として多くの小屋が建てられていた。写真小屋の写真A6北口

346 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 15:58:30.86 ID:797b12E70.net
型・産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎内樹型富士スバル
ライン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向かう、林業施業のた
めの物資搬出路がある。B14人穴富士講遺跡(人エムゾネ穴浅間神社
)・県道75号清水富士宮線指定地に隣接する西側に、県道75号
線清水富士宮線が通っている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松
原なし2保存管理計画の基本方針−88−山梨県・静岡県に分布す
る構成資産について、将来にわたり確実にエムゾネ保存管理していくた
めに、各構成資産の保存管理計画の調整事項や、資産全体として考
慮すべき周辺環境保全のあり方など、保存管理の目標を踏まえ、保
存管理計画の基本方針を以下の5項目とする。(1)構成資産の適
切な保存管理各構成資産が、現在エムゾネも人々と関わり続けている点
や、構成資産総体が、生きた文化的伝統の物証であり、人間と自然
との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型であることに十
分配慮し、山梨県・静岡県に分布する具体的な構成要素の規模・性
質・立地条件等に応じてエムゾネ、以下の視点により適切な保存管理を
おこなう。@各構成要素の歴史的・文化的価値の継承と自然的要素
の維持A構成資産により形成される文化的景観の保全B地域住民の
生活、生業への配慮C登山客、観光客等の来訪者への配慮D防災面
における安全確エムゾネ保への配慮(2)緩衝地帯等の適切な保存管理
構成資産保護のための適切な範囲の緩衝地帯等(保全管理区域)を
定めるとともに、その保全の方策を講ずる。緩衝地帯等(保全管理
区域)に存在する諸要素の規模・性質・立地条件などを把握し保存
管理のエムゾネ基礎とする。(3)経過観察の実施顕著な普遍的価値に
対して与える負の影響の可能性について、様々な角度から検討を行
い、その原因となる可能性のある諸要素について確実に把握すると
ともに、それらに対する監視及び適切な対応を行う。(4)整備エムソ
゙ネ・公開・活用推進資産の顕著な普遍的価値を確実に保存するとと
もに、総合的な理解を深めることができるよう、適切な整備・公

347 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:03:22.20 ID:HiySrW+B0.net
宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16
0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域
には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然エムゾネ記念物に指定されているニホンカモシカや天
然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワ
グマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が
限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道・幕岩登山道の東
側50m、標高1,6エムゾネ50m付近にあり、新富士火山の中
期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には
樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一面
に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図にも記録され
ている。古絵図には「まこ岩」エムゾネ「孫岩」の名で記述される
こともある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地
で修行したという言い伝えが残っている−77−(日本霊異記
)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山登山道
沿いには宝永山(標高2,698m)、エムゾネ二ツ塚(標高1,
926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの
側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火により
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で
復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類はエムゾネ約160
種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域に
は、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には
、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念
物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグエムゾネ
マも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限
られ、生息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴
)須走口登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある
溶岩洞穴。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが

348 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:03:40.23 ID:HiySrW+B0.net
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道エムゾネ往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河
内路の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道3
58号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、静岡
県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要地であ
ることからエムゾネ本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複数
確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺跡(

349 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:03:57.68 ID:797b12E70.net
・活用の施策を推進する。@多様な構成資産からなる富士山総体と
しての価値の理解が深められるように、山梨県・静岡県エムゾネの関係
市町村が一体となった適切な整備活用をおこなう。a富士山の価値
の持続的な利用b適切な公開範囲の設定A都市計画、観光計画、防
災計画等との調整を図り、資産の価値の保存と来訪者の安全に配慮
した施策を推進する。B適切な整備活用を推進エムゾネする。(5)保
存管理体制の整備と運営確実な保存管理を推進するために、各々の
構成資産を管理する山梨県・静岡県や関係市町村、所有者や環境省
、林野庁、国道交通省などの関係諸機関を中心として組織体制を整
備する。その際には、地域住民が資産エムゾネの資産の適切な保存管理
と整備活用の施策に積極的に参加できるよう配慮するとともに、関
係諸機関との連携を強化し保存管理の運営に関する方法・体制の整
備を図る。−89−第4章構成資産の保存管理1現状の把握(1)
富士山山体及び登山道A富士エムゾネ山登録範囲における自然的環境に
ついては、おおむね良好な状態である。資産範囲の上部は文化財保
護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種〜2種
特別地域)により厳密に保全され、下部(標高1600〜2000
m以下、特別名勝範エムゾネ囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1
〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、山梨県及び静
岡県有林管理計画により重層的に保護されているため、資産に影響
を及ぼす行為は基本的に発生しない。ただし、山体西側には山頂部
付近から標エムゾネ高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れが約
1000年前より継続して発生し、これは「大沢崩れ」と呼称され
ている。この土砂崩れのため山体西側の一部でかつての信仰に関わ
る道である「御中道」の通行等が禁止されている区域がある。山頂
部エムゾネ付近では登山者に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山小
屋組合などによりバイオトイレが設置され、適切に管理・除去され
ている。一部過去の廃棄物が堆積している箇所があるが、将来的

350 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:09:39.74 ID:HiySrW+B0.net
内部エムゾネは数名が立つことのできる空間が広がっている。・小
富士標高1,959mの側火山で、須走口登山道5合目からほ
ぼ北に600mほど離れた場所にある。延暦19年(800)
とそれに続く噴火により形成されたとされている。須走口5合
目から高低差エムゾネの少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪
れることができる。周辺は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・ト
ウヒ)に覆われているが、頂上部分はスコリアに覆われて樹木
がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協
会によるコンクリートエムゾネ製の標識と、大正13年(1924
)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に仏像が三体
あったというが、現在は残っていない。・鳥類相富士山域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸
生哺乳類富士山の山域には、6エムゾネ目14科35種程の陸生哺
乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されてい
るニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含ま
れる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少な
く、生息できる環境が限られ、生息数はエムゾネ少ない。A5吉田
口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本
栖湖北側・西側・南側の山は御坂層基盤により構成されている
。北側から西側にかけては、標高1100m〜1300m前後
の山が連なっている。また南側には標高1485エムゾネmの竜ヶ
岳が位置している。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・神田川−
78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が、約1,000mを
流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下流(下池)の部
分も含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護岸の一部はエムゾネ
、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整備されてい
る。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間
神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間神社B7冨士御

351 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:09:57.87 ID:HiySrW+B0.net
蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西200mの
範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡として埋蔵文化財
包蔵地となっエムゾネており、遺構や遺物等が発見されている。写
真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の居館としての大宮
城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位置していた。・神
田宮第2駐車場から100mほど南にある水田を備えた神社であ
る。五穀豊穣をエムゾネ祈願して米を作り奉納する「御田植祭」が
毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(1955)に寄
進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・大灯籠昭和
35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2駐車場南側
入口に設置されてエムゾネいる。B2山宮浅間神社なしB3村山浅
間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護国神
社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区の戦
没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相模か
ら駿河、甲斐への連エムゾネ絡路であった鎌倉往還が通っていた。
中世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つ
で、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。
また、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地
区が、古くから富士北エムゾネ麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の
要衝として利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B
6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中
湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩
洞穴等については、洞穴エムゾネ本体あるいは富士山の関連として
信仰の対象と位置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等
の宗教的施設がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社など
の設置形態は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例であ
る。・信仰的意味を付されエムゾネた地形・空間B13吉田胎内樹
型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に

352 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:10:14.46 ID:797b12E70.net
撤去が予定されている。なお、山腹において、急病人の搬送エムゾネや
山小屋の維持・廃棄物の撤去のために必要最小限使用されるブルド
ーザーが通行する道路がある。アお鉢巡り八葉及び大内院の現時点
における保全状況は良好である。ただし、降雪・強風等に常時さら
され、年々増加する登山者の影響により、土砂の崩エムゾネ落が一部で
認められる。また、トイレやゴミの問題なども年々改善されている
が、一部有識者にさらなる改善を指摘されている。イ御中道巡り

353 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:16:31.45 ID:HiySrW+B0.net
かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国
誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺
跡(人穴浅間神社)・中道往エムゾネ還かつて甲斐と駿河を結んだ
街道のひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参
拝をする習慣があり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道とし
て中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地
から南へ下ったところに、人穴エムゾネで修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤
池家の跡地がある。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建
てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参
道は、県道清水富士宮線から石鳥エムゾネ居をくぐって進み、浄土
門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石
碑から階段までの参道はかつての中道往還と重複する。−83−
B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山
体においては、登山道沿いに登下山エムゾネ者の緊急避難や遭難者
の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富
士山麓における構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか
市街地となっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめと
して、道路、橋、線路、電柱、看板等エムゾネの各種人工物が存在
している。また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設
が存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関
連施設標高の低い地点から順に、表富士エムゾネ宮5合目、雲海荘
(6合目)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山
口山荘(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目
)、胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ
、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置エムゾネされている。・
緊急・救急施設富士山は、高山であり気候も急変することから

354 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:16:48.91 ID:797b12E70.net
中道は大沢崩れ部分の通行止めの他に、通行量の減少と表土の流失
に伴い道の存在が不明になった箇所があるエムゾネが、その他の保全状
況は良好である。A1山頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好
である。その他の山頂信仰遺跡の現時点における保全状態は良好で
ある。A2大宮・村山口登山道現在登山道として利用されていない
大宮・村山口の一部については、エムゾネ国有林の範囲であり林業関係
者以外の立ち入りは許可制となっていることにより、現状維持の観
点からの現時点における保全状態は良好である。A3須山口登山道
現時点における保全状態は良好である。A4須走口登山道現時点に
おける保全状態は良好でエムゾネある。−90−A5吉田口登山道登山
道は、土砂崩れによる浸食などにより登山道の一部に変更がみられ
るものの、人為による現状の変更には厳しい制限がかけられている
。また、道路管理者である山梨県により日常的に維持管理が行われ
ており、保全状エムゾネ態は良好である。A6北口本宮冨士浅間神社定
期的な維持修理等が行われており、現時点における保全状態は良好
である。ただし、拝殿・幣殿については、建物全体に歪みが生じて
いて、今後、修復・修繕の検討が必要であると想定される。祈願の
ため多エムゾネくの参詣者が訪れるとともに、宗教行事が行われている
。A7西湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)によ
り適切に保護されており、現時点における保全状態は良好である。
A8精進湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)にエムソ
゙ネより適切に保護されており、現時点における保全状態は良好であ
る。A9本栖湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)
により適切に保護されており、現時点における保全状態は良好であ
る。(2)信仰B1富士山本宮浅間大社定期的な維持修エムゾネ理が行
われており、現時点における保全状態は良好である。湧玉池に関し
ては、全般的には良好な状態であるが、「上池」「下池」の二つの
池の内「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため

355 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:21:42.03 ID:HiySrW+B0.net
場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異な
っており、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写
真図エムゾネ建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士
公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周
囲はなだらかな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。
むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱
・南北6m弱エムゾネの方形の石列があり、その北東側に小さな

356 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:22:00.02 ID:HiySrW+B0.net
登山客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂
、富士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登
山道8合目)が設けられている。写真救急施エムゾネ設の写真・救
急搬送・荷物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避
難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送に
はブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・
注意看板等が設置されている。・県道180号エムゾネ線富士宮富
士公園線浅間大社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富
士公園線」が、村山口登山道跡と2箇所で交差している。交差す
る地点は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地点と
、高鉢山駐車場から約700m下った地点であるエムゾネが、道路
沿いには特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイラ
イン、富士宮口登山道を経て6合目から旧村山口登山道と合流し
、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5合目駐
車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線エムゾネに沿っ
て東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近で交
差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・附属施設450台
収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設として、レス
トハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シエムゾネーズ
ンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、広告旗
、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林道があり
、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道と交差する
。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋が建エムゾネて
られている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7合9勺)
、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ出館(7合
目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)がある。山小屋
周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が設置されエムゾネ
ている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、2合8勺

357 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:22:18.55 ID:797b12E70.net
「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検エムゾネ討されている。
B2山宮浅間神社現時点における保全状態は良好である。地元から
は参道・遥拝所等の整備が今後必要であるとの要望が出されている
。B3村山浅間神社現時点における歴史的価値を示す建造物の保全
状態は良好である。今後、トタン作りエムゾネの大日堂覆堂の修理が必
要とされている。また、地元からは参道・遥拝所等の整備が今後必
要との要望が出されている。B4須山浅間神社現時点における保全
状態は良好である。B5冨士浅間神社現時点における保全状態は良
好である。−91−B6河口エムゾネ浅間神社現時点における保全状態
は良好である。B7冨士御室浅間神社現時点における保全状態は良
好である。ただし、近年、向拝柱、登高欄及び木階の漆塗装の摩耗
退色が著しく、木目が露出している場所がある。脇障子版において
は富士山二合目本宮エムゾネ所在時に毀損にあっており、今後、修復・
修繕の検討が想定される。B8御師住宅旧外川家住宅は、2007
年〜2008年にかけて所有者である富士吉田市が大規模な保全修
理を行ったため、現時点における保全状態は良好である。現在、富
士吉田市歴エムゾネ史民俗博物館の附属施設として、2008年4月か
ら敷地及び主屋内部を一般公開しており、外川家協力会員が交代で
勤務し、来場者に直接解説を行っている。小佐野住宅は、所有者ら
によって日常的な維持管理が行われているほか、補助事業などによ
っエムゾネて文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が行われて
おり、現時点における保全状態は良好である。ただし、建物に関す
る専門的な調査はほとんど行われたことがないため、基礎や構造物
の状況など現状把握を早急に行う必要がある。現在、居住のエムゾネ用
に供しており、敷地内部及び建物は一般公開されていない。B9山
中湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)により適切
に保護されており、現時点における保全状態は良好である。B10
河口湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別エムゾネ地域)に

358 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:27:09.38 ID:HiySrW+B0.net
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、
このくぼみを便所跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の
図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角エムゾネに約600mの位置にある。登山道
の西側には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫
る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂っている。平場
は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認
された。南側中央部には石段がエムゾネ確認された。『富士山村山
口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたる
としているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使
われていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡
から北北東に約450mの位置(標高約エムゾネ1,985m)に
ある。周囲は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の
西側は、日沢に向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側に
は、東西約12m、南北約10mの平場がある。平場の南縁に
は石組が見られ、登山道を挟んで東西12mにわエムゾネたって延
びている。平場の北側の斜面にも石組が確認できる。・岩屋不
動岩屋不動は、役行者からの伝法で村山三坊が毎年年番で行っ
ていた札打ちや勤行等を行う富士峯修行の修行所の1つであっ
た。江戸時代の絵図には、高所にある洞穴と、その脇を流エムゾネ
れる滝の情景で描かれ−80−ることが多い。洞穴内には不動
明王が安置されていたという。慶長7年(1602)に書かれ
た「富士山持場之事」に記述があるが、宝永4年(1707)
の宝永噴火で堂室が消失したと言われている。また、文化13
年(エムゾネ1816)〜天保5年(1834)に執筆された『修
訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建
物があり、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉
永7年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」では「

359 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:27:28.51 ID:HiySrW+B0.net
に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂測候所に勤務
する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い現在は使用され
ていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の南西側に、救エムゾ
ネ急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の施設が設けら
れている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意看板等が設置されている。・下山道(大砂
走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)がある。標高約3エ

360 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:27:47.05 ID:797b12E70.net
り適切に保護されており、現時点における保全状態は良好である。
B11忍野八海天然記念物として指定されている範囲は水面に限ら
れており、私有地が隣接しているため、周辺環境を含めた保全状態
に課題がある。しかし、忍野村が景観計画エムゾネを策定し、周辺環境
を含めた保全を行っている。また、水位が低下して、文化財指定当
時の状態を維持していない池があり、今後の調査によって原因の究
明が求められる。忍野村では、平成20年(2008年)に地下水
資源保全対策基礎調査を実施してエムゾネいる。B12船津胎内樹型富
士河口湖町により、日常的な維持管理が行われており、現時点にお
ける保全状態は良好である。船津胎内樹型はその狭小な断面形状の
特性から、入洞の順路が設定されており、入洞口と出洞口が分化し
ている。入洞口には無戸エムゾネ室浅間神社の社殿(拝殿)が建てられ
ており、神社と入洞口が一体化している。B13吉田胎内樹型−9
2−富士吉田市及び冨士山北口御師団により、日常的な維持管理が
行われており、現時点における保全状況は良好である。内部の溶岩
の盗掘や人の進エムゾネ入による破壊を防ぐため吉田胎内本穴入口には
、扉が設置され、施錠されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)碑塔群はおおむね良好な状態であるが、一部の碑塔に修理
が必要とされる。B15白糸の滝現状では、滝つぼ周辺に売店があ
るなどエムゾネ景観面において課題がある。このため、富士宮市が中心
となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今後適切
な整備がなされる予定である。(3)眺望C1三保松原現状では1
960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るたエムソ
゙ネめ、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響
を与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセ
ンチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布による予
防措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現エムゾネ在これ
らの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好な

361 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:32:45.70 ID:HiySrW+B0.net
室無之」と記エムゾネ載され、この時点では再び堂室が消失してい
ると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明となっていた
が、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動
沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほ
どの高さの場所にあるエムゾネ。洞穴の内部は、高さ2m、幅6.
4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つことのでき
る程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかっている。中央
部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が多く転が
り、入口は半ば塞がれたようなエムゾネ状態である。最奥の向かっ
て左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走口
登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,83
0m付近にある。冨士浅間神社の末社でエムゾネ、かつては中宮小
室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が
登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花
開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土
地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和エムゾネ50年代
に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する
工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残
っていない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間
神社の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入ったエムゾネ
自衛隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内
のため、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神
社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀ら
れていることから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄
3年エムゾネ(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ
、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の
噴火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再

362 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:33:00.96 ID:HiySrW+B0.net
ゾネ,000mの日の出館(7合目)付近で登山道と分岐する。
宝永山脇のスコリアで覆われた斜面を一気に下り、御殿場口新5
合目(標高1,450m付近)に至る。写真下山道の写真・御殿
場口登山道明治5年(1872)に女性の富士登山が許可された
エムゾネ後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿場在住の伴野佐吉
らが中心となって明治16年(1883)に完成した。同地の浅
間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、須山口登山道2合8勺
に接続する経路であった。明治22年、東海道線(現JR御殿場
線エムゾネ)が開通し御殿場駅が設置されたことにより、登山道が
富士山東表口新道本社浅間神社を通る現在の経路に変更された。
御殿場口登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関東方
面からの登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰退の
契機エムゾネとなった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺
から頂上までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。写真御
殿場口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、
弁当場、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火口
の西側エムゾネ火口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山
道である。平成9年に富士山須山口登山歩道保存会が中心となっ
て復興した。道筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っている
。宝永噴火後から明治時代までの須山口登山道とはルートが異な
るため、エムゾネ区別する意味で須山口登山歩道と呼ばれる。・須
山口下山歩道須山口2合8勺から二ツ塚の西側を下り、四辻分岐
、幕岩上部、須山御胎内上部を通り、水ヶ塚駐車場に至る道で、
平成11年に富士山須山口登山歩道保存会が中心となって復興し
た。道筋のエムゾネ一部(幕岩上部〜須山御胎内上部)は宝永噴火
後〜明治時代の須山口登山道と一致する。−85−写真須山口登
山歩道の写真A4須走口登山道・山小屋とその関連施設登山道沿
いに、山小屋が建てられている。上から順に、御来光館(8合

363 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:33:18.45 ID:797b12E70.net
全状態となることは確実である。また、保存管理計画についてが静
岡市がる改訂を行っている。管理団体である静岡市は、シロアリ防
除・駆除・シロアリ被害状況調査、松くい虫防エムゾネ除、松林の下草
刈り、育苗、松苗定植等の保護及び充実対策を行っている。また、
地元自治体、三保名勝保存会等とも連携し、官民一体となって保全
充実を積極的に推進している。静岡市教育委員会は、文化財を保護
・育成する立場を堅持し、予想されるエムゾネ開発計画との適切な調

364 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:39:09.34 ID:HiySrW+B0.net
された。祭神は大日要命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合
わせて間口二エムゾネ間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠
舎が付いていたとされる。古絵図(小山町史)では、須走口登
山道から脇道にそれた場所に描かれている。江戸時代には、大
日堂に立ち寄ってから山頂を目指したとされる。建物は現存し
ないが、二重の石組みエムゾネに囲まれた建物跡に一対の灯篭(江
戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇には地蔵菩薩像と石碑
がある。昭和58年(1979)に石の祠が建てられ、毎年9
月に祭礼が行われている。写真神社跡の写真・下山道(砂走り
)登山道の南側に、下山道(砂エムゾネ走り)がある。須走口では
江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた。下山道は
標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登山道南
側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口)の「大砂走
り」と区別して、「砂走り」と呼ばれるエムゾネ。−81−A5吉
田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8
合目で須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合
」と呼ばれた。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建てる
ことが許されなかったことから、登山道最後の小エムゾネ屋場とし
て多くの小屋が建てられていた。写真小屋の写真A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河内路
の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道エムゾネ
358号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、
静岡県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要
地であることから本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複
数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺跡
(埋エムゾネ蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西
200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合遺跡と

365 :底名無し沼さん :2018/01/14(日) 16:39:26.42 ID:HiySrW+B0.net
勺)、胸突江エムゾネ戸屋(本8合目)、江戸屋(8合目)、見晴
館(本7合目)、大陽館(7合目)、瀬戸館(本6合目)、長田
山荘(6合目)、東富士山荘(5合目)、菊屋(5合目)、吉野
屋(砂払い5合目)がある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機
、ベンチ、テーエムゾネブル等が設置されている。山小屋周辺には
バイオトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されてい
る。・避難小屋下山道からブルドーザー道に入った2,120m
付近に地元山岳会による避難小屋が設けられている。・救急搬送
・荷物搬送区域登エムゾネ山道とほぼ並行して、救急用・緊急用避
難道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。昭和4
0年(1965)の開通で、搬送にはブルドーザーが使われる。
歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている
。須走口登山道は、エムゾネ特に吉田口登山道と合流する8合目か
ら上部の混雑が激しいため、頂上部から8合目までのブルドーザ
ー道が下山道として利用されている。写真ブルドーザー道の写真
・駐車場・附属施設200台収容の駐車場が5合目に設けられて
いる。付属施設としてエムゾネ、登山シーズンの夏季のみ在番の交
番と観光案内所、小山町により設置・管理されている公衆トイレ
がある。写真駐車場(交番・観光案内所)の写真A5吉田口登山
道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建
築物及び工作物本栖地区エムゾネ集落の人口は156人(2008
年4月1日現在)国道139号線と300号線が分岐する本栖交
差点周辺を中心に集落が形成されている。その他湖畔にキャンプ
場などの観光施設及び管理施設が存在する。自然公園法第2種特
別地域に指定されているこエムゾネとから、建築物等の高さ規制を
受けているので、景観上良好な状況が保たれている。湖南東側に
ある本栖青少年スポーツセンターやキャンプ場などの管理施設等
も同様である。その他の工作物として、電柱やアンテナなどが

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