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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)32【ダメ工作員】

1 :底名無し沼さん :2018/01/24(水) 15:33:55.82 ID:u+s1U3qT0.net
 
板中を荒らしながら病的な自演とスパムを続ける「栗木ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、その来歴や栗城スレ(まとめwiki)の妨害、当スレでの執拗な埋立てなどから
栗城ネット工作である可能性が濃厚です。
 
ここは、現在もっとも不快な荒らしである「栗木ハンター(通称ワイエディ)」をヲチりつつ
登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。


【!】異常者にご注意ください【!】
(ワイエディ [123.255.128.*]) 栗木ハンター主回線
(エーイモ [1.114(115).*.*]) 別回線
(ササクッテロ*) 別回線 末尾*ラ〜ロは動的
(ワッチョイ [175.177.5.*]) 埋立荒らし
(JP [103.75.118.*]) 埋立荒らし
(アウアウカー [182.251.242.*]) 埋立荒らし
(アウアウウー [106.133.56.*]) 埋立荒らし
 ※他にワントンキン・ラクッペ・スップなど
  自演回線あり


■ ご覧の皆さまへ
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☆ オリジナルはこちら!
【栗城史多まとめ @ ウィキ】
登山や活動・関係者等の詳細なまとめ。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]
【知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
【オクサマファイル】
的確な指摘です。ご一読を。
http://baby01.net/blog/364
(当板「栗城スレ」や「海彦山彦ブログ/栗城下山劇場」もおすすめです)


!extend:checked:vvvvv:1000:512
※前スレ
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)31【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516717714/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

311 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 10:59:00.90 ID:2LIMvxdg0.net
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
景観的には山体の傾エムゾネ斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画
などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートに
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿
って、富士山体を一周エムゾネする。15〜16世紀ごろ富士講の
祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−
41−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺
跡の分布図・富士山本宮エムゾネ奥宮富士宮口登山道頂上に位置し
、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末
代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、
写経を埋納下した」とあるエムゾネ。江戸時代には、村山三坊所有
の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山
中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭っ
た。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ
139×幅64×厚さ18pエムゾネ)奥宮の裏手、浅間岳の麓に
所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られて

312 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:05:56.38 ID:2LIMvxdg0.net
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点にある

313 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:12:56.06 ID:2LIMvxdg0.net
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師
堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮エムゾネの写真・金明水雪解け
水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍
重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士
山頂の霊験あらたかな湧き水として珍エムゾネ重された。『富士の
歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(
高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年
」の2つの年代が確認できる。富士講のエムゾネ人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅6
3p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑B
(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑
群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳エムゾネ、久須志岳、成
就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径
約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住む
とされた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあエムゾネることから、
鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考
えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記』には「
ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカニカゾ
ヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉エムゾネを構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は、明
治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査
報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣エムゾネヶ峰か

314 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:20:17.19 ID:2LIMvxdg0.net
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[
久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼
ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜
はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ
ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が
欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の文字が確認エムゾネ
できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73
4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口
の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m
)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ
ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を
越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]
伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム
ゾネ頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,71

315 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:27:01.60 ID:2LIMvxdg0.net
エムゾネm)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰
全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]
−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「
三エムゾネ島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳
の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近
に、10体の石像が安置されている。これらは原位置を留めてお
らず、周辺にあったものが集められたと考えられる。いずれも頭
部をエムゾネ欠損している。・大内院山頂の火口中央に存在する穴
で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)
は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小
さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じられ、登山者は各
登山口エムゾネに設けられた拝所あるいは初穂打場から、噴火口に
向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されてい
る。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中
にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつ
ては噴火エムゾネ口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬の
背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整
地されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者
たちの多くエムゾネは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河
原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。か
つては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者た
ちが溶岩礫を積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ば
れ、火口に向エムゾネけて賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西
安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦
部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐
点に位置する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩

316 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:32:59.61 ID:2LIMvxdg0.net
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある

317 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:40:13.43 ID:2LIMvxdg0.net
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間
大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった
。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特
定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山
拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2
年(1913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手
の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・
村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮
拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の
鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490
)、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ
たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ
岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と
一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの

318 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:47:08.49 ID:2LIMvxdg0.net
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3
.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ
ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自
分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30
年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写
真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山
道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50
0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走
る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり
、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段
には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返
しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人
は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として使われ
た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が
東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真

319 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:53:02.39 ID:2LIMvxdg0.net
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5
0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が
ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による
調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた
が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ
では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ
され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1
体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に
は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ
ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推
測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀
釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム
ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平
場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。

320 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 11:59:53.97 ID:2LIMvxdg0.net
う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸
約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の
縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」
として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図
」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ
る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『
駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往生寺

321 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:05:22.23 ID:2LIMvxdg0.net
あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12
号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位
置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地
点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石
組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ
ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ
る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と
刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧
須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m
余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西
側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ
の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延
長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現
在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字
型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ
の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10
30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083)
の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した
測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485
m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って
形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され
ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興
後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南
東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内
の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建てられ

322 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:11:11.81 ID:2LIMvxdg0.net
いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)
」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ
れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に
、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅
間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿
は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前
には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝
殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志
之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管
理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、
江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ
る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴
命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで
あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる
日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい
う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上
で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠
と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山
道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目
、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然
木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・狛犬

323 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:17:58.26 ID:2LIMvxdg0.net
山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の
登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場
所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって
いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。
日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉
田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口
登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要
素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小
屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな
り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か
ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな
る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格
的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい
ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合
目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん
ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等
がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として
役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋
については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信
玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時
代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最
盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の
写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネり、

324 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:23:50.88 ID:2LIMvxdg0.net
れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身
禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐
国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小
屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と
あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた
ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真
烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が

325 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:29:14.54 ID:2LIMvxdg0.net
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ
ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄
進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神
社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ
富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である
。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが
ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ
ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた
形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、
極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム
ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の
向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は
もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇
股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最
もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・
西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に
より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成
次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は
東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一
間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に
取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する過程

326 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:35:37.10 ID:2LIMvxdg0.net
、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49−写真西宮本
殿の写エムゾネ真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富
士山を遙拝した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所
と位置づけている。さらに、788年には新たに浅間明神を建て
、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられ
る。現在エムゾネこの地は、流山状の小高い丘をなしており、日本
武尊を祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図
・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日
にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読ま
れる祝詞のエムゾネ一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる
。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点
在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝
の対象としてエムゾネ数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を
巡って修行するエムゾネ内八海巡りが多くの富士講徒によって行わ
れたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真精進エムゾネ湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が
点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりエムゾネが深い。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがあ
る。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本

327 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:42:06.08 ID:2LIMvxdg0.net
浅間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の
北側にある丘陵地一帯エムゾネは神立山と称される。神立山及び富
士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩
流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため
指定地内の一部では溶岩エムゾネ礫が露出し、縄状溶岩も散見され
る。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(16
70)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物
が描かれ、発掘調査で石畳エムゾネや護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」
は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降
った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層
間を流れ、溶岩流末端で湧出エムゾネして池になったものである。
禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、
下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で
心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池
であった。現在も富士山山開きエムゾネの7月1日には、湧玉池で
禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山
表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生
育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の
生息に適した環境でもあり、「野エムゾネ鳥の森」碑が建てられて
いる。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社
伝によれば大同元年(806)に造営されたという。かつての駿
河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として
崇められている。現在の社殿は、慶エムゾネ長9〜11年(160
4〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写
真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財である。「浅

328 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:47:40.93 ID:2LIMvxdg0.net
造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。
1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟エムゾネ造、2階上層は桁行
3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40年(
1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定
され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿
全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平エムゾネ面図(幣殿・拝殿
含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3

329 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 12:53:57.16 ID:2LIMvxdg0.net
の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれて
いないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひ
はだぶき」と書き込まれており、本殿の全エムゾネ景がよく見える
ように描かれたと推測される。県指定文化財として保護されてい
る。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっ
ている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面
に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らエムゾネせ、背面は幣
殿に接続している。県指定文化財として保護されている。[透塀
]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七
之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延
長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護さエムゾネれている。
[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右
脇に扉がついている。楼門の左右には随身像が安置してある。静
岡県指定文化財として保護されている。写真楼門全体の写真図楼
門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭エムゾネ和9年(
1934)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、
参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすすぐ、手水舎があ
る。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置されている。・
石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてエムゾネいる。
昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の
馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・
桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに渡
って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩をエムゾネ行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期
にはすでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿
って両側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と
下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組エムゾネま
れている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口

330 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:00:45.56 ID:2LIMvxdg0.net
石造りの橋が架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山
宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵図で
は橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向エムゾネ
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵
図には既に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改
められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図
・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、護摩堂跡エムゾ
ネと考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。
石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、
石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認された。
桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えられるエム
ゾネ。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
エムゾネ月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住
番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井
三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写
真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
てエムゾネいる。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸
道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御
神幸道の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(16
91)未年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也
」とエムゾネ刻まれている。昭和59年(1984)に浅間大社境
内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西
側に、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てら
れている。・七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社
「七之エムゾネ宮浅間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前

331 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:06:50.65 ID:2LIMvxdg0.net
石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・
欄干橋(神路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けら
れているエムゾネ。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、
寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられている。
写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石
鳥居から参エムゾネ道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流
上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子
山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よ
って、山宮浅エムゾネ間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所
の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によ
って流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生エムゾネの回復は遅れていたと考えられる。そのた
めに、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていた
ため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超エムゾネえる巨木4本を含むスギ林が、約9,7
80uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されて
いる。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間
神社を往復する祭儀エムゾネ「山宮御神幸」において、これに同行
した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿
った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾で
あり、籠屋をくぐってエムゾネすぐの位置に1つ、石段の手前に

332 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:13:12.75 ID:2LIMvxdg0.net
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘
陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしく
は戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約4
5m四方が石塁により方エムゾネ形に区切られている。青沢溶岩流
の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む
土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと思われ
る土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀か

333 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:19:55.34 ID:2LIMvxdg0.net
15世紀、もしくは後の時エムゾネ代に築造されたものと推定され
る。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲
にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後
に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・エムゾネ遥拝所富士山を直接拝礼し、
祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設である
。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p
程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む
方向に祭壇が位置し、祭壇に向エムゾネかって左側に祭儀を行う際
の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供
僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(19
31)に建立されたものである。エムゾネ・参道石鳥居から籠屋ま
で参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩
の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で、両見付
から先は急傾斜地となっている。村エムゾネ山地区は標高が高く、
他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水
源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があ
り、水垢離や生活用水として利用されてきた。またこの湧水を水
源とする村山沢は南流して渓谷を刻みエムゾネ神社西側から大沢川
となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つで
ある。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和
43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定された。目通
り8m、根回り9.15m、樹高26mエムゾネ、枝張り東西19
m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が
数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳
の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以

334 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:26:02.14 ID:2LIMvxdg0.net
はウロの中に大日如来が祀られていたといエムゾネわれ、現在でも
祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然
記念物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木であ
る。境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張
り東西17.5m、南北31m、樹高47mエムゾネもある。中心
部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の
樹齢とされるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される
。・社叢境内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。ア
カガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見られエムゾネるが、裏山
の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹
林に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏
分離令によって境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に
木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火々出見命、エムゾネ瓊々杵命
、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ってい
る。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、
幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一
部木造に建替えられている。写真社殿の写真図社殿エムゾネの図面
・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)
に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えら
れている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、エムゾネ部材
の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられ
るが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7
間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図エムゾネ社
殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道者が
垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4m
の長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周

335 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:32:05.01 ID:2LIMvxdg0.net
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
エムゾネ堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富
士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮
守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年
五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。
現エムゾネ在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和2
8年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている
。平エムゾネ成15年の再建に合わせて建てられたものである。・
手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水
舎が設置されている。明治16年(1883)に設置されたもの
である。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くもの
と、大エムゾネ日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・
狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている
。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・

336 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:37:30.50 ID:2LIMvxdg0.net
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1

337 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:50:14.43 ID:2LIMvxdg0.net
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
18年8月24日に小山町の文化エムゾネ財(建造物)に指定され
た。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部
材は享保年間(1716〜36)のものが今なお使用されている
。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結しエムゾネた権現造である。拝殿
は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残した流
造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間
の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁
間2間の両下造。本殿が三間社流造、エムゾネ向拝1間、屋根は全
て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面・楼門二
階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。
北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永
噴火により社殿とともに大破しており、エムゾネ現在のものは明和
4年(1767)随神が寄贈された当時に再建されたものと考え
られる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺
き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としてい
る。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩のエムゾネ石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」と刻まれている。明

338 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 13:56:03.16 ID:2LIMvxdg0.net
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、
その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた
宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの
建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の
噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69
7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第
一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図
社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい
る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に
祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現
在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ
も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝とい

339 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:02:46.42 ID:2LIMvxdg0.net
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とエ

340 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:09:09.29 ID:2LIMvxdg0.net
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真
図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士
講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼
宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住
宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入
り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ
れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型
」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、
富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ
るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な
御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の
写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背
面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は間

341 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:14:41.74 ID:2LIMvxdg0.net
11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建
つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋
をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら
れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、
屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家
の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現
状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士
山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒
によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形
(湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行
する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している
平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ
ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で
あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して
いる平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行
が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている
地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は

342 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:21:16.99 ID:2LIMvxdg0.net
承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に
所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ
ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、
そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した
あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの
であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見
され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神
誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無
事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名
付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し
ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整
備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価
値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空
間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴
火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本
穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の
胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と
して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本
穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である
木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流
人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5
,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置
している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴
出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる
溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴

343 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:27:54.27 ID:2LIMvxdg0.net
穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千
日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶
岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け
た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端
が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か
ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある

344 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:34:28.74 ID:2LIMvxdg0.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61
−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社
社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている
。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ
の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも
のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み
が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ
ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34
m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の
石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道
跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム
ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されてい

345 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:39:58.26 ID:2LIMvxdg0.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り馬蹄

346 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:46:44.60 ID:2LIMvxdg0.net
に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は
、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に
透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降
った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を
流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし
て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が
湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時
に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸
の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル
を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖
面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白
糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と
も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった
ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい
る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石
」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相
がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸
の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白
糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと
が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を
行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が
建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や
、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等
がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂らし

347 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:52:32.59 ID:2LIMvxdg0.net
ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音
止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写
真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景
とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻
狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行
ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前
は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に由来

348 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 14:59:00.12 ID:2LIMvxdg0.net
るもので、兄弟が仇討ちの相−63−談をしている間は水音を止
めたことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻
狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。
・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くかエムゾネら詩歌に詠まれてきて
おり、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑があ
る。・標識名勝及び天然記念物であることを明示する標識がある
。B眺望C三保松原図以下に示す要素が点在している平面図三保
松原は、静岡市清水区南東部に位置すエムゾネる三保半島にあり、
半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメートルに及
ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真崎から海
岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内
陸部の松林と松林の景観を維持しているエムゾネ背後地については
、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た老
木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図三保
松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界@特別規制A地区真
崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界エムゾネは、隣接する特
別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延
長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮
堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在においてエムゾネ松原を形成し
ている地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、
運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種規制地
区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都
市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制エムゾネ地区との境
界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区との
境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接
する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規
制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位エムゾネ置とす

349 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:05:35.48 ID:2LIMvxdg0.net
。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界は、市道本
村海岸58号線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境
界は、@ABを参照。D第3種規制地区各地区との境界はABC
を参照。(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムゾネと密接
に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には、山並み、湧水や
富士山及び側火山の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹
型などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素と
なって存在しているものもある。ア富士山山体及び登エムゾネ山道
A富士山−64−・テフラ噴火の際、山頂火口から粘性の小さい
玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付
近はテフラに覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる
多くの浸食谷の中で最も大きなもので、富士山西斜面のエムゾネ山
梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,200m付近ま
で延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡る
。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の岩石・土砂を流出し
、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩れの写エムゾネ
真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山口登山
道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中
宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物エムゾ
ネ跡と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する。2
,015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような
地形になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸
から右岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んエム
ゾネだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を
繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走
口登山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質の
テフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われ

350 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:11:15.08 ID:2LIMvxdg0.net
エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ
る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶
岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基
盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流
については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ
れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の
特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して
いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山
起源のエムゾネ火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。
参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167
0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる
。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘
陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な
要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成
立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B
4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している
ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地
の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで
流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊
する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河口湖

351 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:17:12.63 ID:2LIMvxdg0.net
11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的
形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の
表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ
め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B
14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の
土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B15白糸

352 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:23:54.02 ID:2LIMvxdg0.net
滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものが
ある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地に
は、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青木
ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢林
・境内林などが存在しエムゾネている。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が
生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり
、植物の垂直分布では、エムゾネ丘陵帯から山地帯にあたる。戦後
、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほとんどが
人工林であるが、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂
跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹
の自然林が残っている。林エムゾネの下にはササ(スズタケ)が視
界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付
近から新5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、
植物の垂直分布では、山地帯から亜高山帯にあたる。高所に上が
るにつれてブナ・カエデなどエムゾネの広葉樹からウラジロモミ・
シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹
とササがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,4
00m付近から上で、植物の垂直分布では高山帯にあたる。この
付近の植物は7月下旬から9月エムゾネ上旬にかけていっせいに花
を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂
直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹
林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類エムゾネ)にあたり、林床にはサ
サ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付近は
、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなどが

353 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:29:38.69 ID:2LIMvxdg0.net
くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近くな
るにつれて樹高が低くまばらになるエムゾネ。宝永噴火の際に噴出
したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付近の森林
限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口
登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物
の垂直分布で高山帯にあたる。オンタエムゾネデ、イタドリ、フジ
ハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目
(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オ
オシラビソ・コメツガなどが分布する。エムゾネ須走口登山道の森
林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分
の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田
口登山道標高1600m付近より下方の区エムゾネ域は、山地帯に
属する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジ
ロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原の
レンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在すエムゾネるのもこの地
域である。標高1600mから2500m付近までの区域が亜高
山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成し
ている。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカン
バが生えている。・焼山部分の植物標高250エムゾネ0m付近か
ら上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない。植物はほと
んどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼ばれ
た。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的
価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育エムゾネし、乾燥
に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ム
ラサキモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社

354 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:35:35.97 ID:2LIMvxdg0.net
7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社エムゾネ構成資
産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植栽された樹木等が存在している。−68−B2山宮
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在しエムゾネてい
る。B3村山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成す
る社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽されエムゾネた
樹木等が存在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八エムゾネ
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・
境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在して
いる。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林エムゾ
ネや植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及
び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造
物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在しエム
ゾネている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内
エムゾネ標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統

355 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:41:12.29 ID:2LIMvxdg0.net
された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山道な
しA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
っエムゾネたデザインで統一された案内標識等の整備が進められて
いる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドライン
に沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められてい
る。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・
20エムゾネ06年3月22日より、自然環境や適切な利用環境

356 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:47:58.78 ID:2LIMvxdg0.net
保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定
された。こうした規制内容を説明するための説明板や水上バイク
等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設置されてい
る。・エムゾネ中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千円札)
の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとな
った岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線沿いの中之
倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公園法の第2
種特別地エムゾネ域として、観光施設等も景観に配慮されている。
イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北
側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源
を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部をエムゾネ灌漑する用水路である。開削時期は不明である
が水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつ
れ生活用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質
悪化により生活用水としては利用されなくなっている。・社務所
−70−楼門エムゾネから続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社
の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続
く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て
られている。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(19
78)に建てらエムゾネれたもので、直会や各種会合に利用されて
いる。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大
社境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から
7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在エムゾネは、同時期に改修された神田川護岸も含
め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。
広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施
設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南
東側には、長さ7.エムゾネ3m、幅11.5mの御手洗橋が架

357 :底名無し沼さん :2018/02/09(金) 15:53:58.67 ID:2LIMvxdg0.net
られている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に架け
られたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整
備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1
方面隊第3分団の詰所エムゾネが、神立山南西の端に建てられてい
る。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に指定されて
いることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所
拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納エムゾネ所西側に、大金剛杖が置かれてい
る。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が
設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(
料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮
浅間神社・案内板・説明板エムゾネ籠屋の南側に、案内板等が建て
られている。山宮浅間神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の
概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社の
概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すもの
の3本である。・手すり籠屋エムゾネから遥拝所へ向かう石段の脇
に、手すりが設置されている。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参
道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている。・ト
イレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側
に、コンクリート製の水道施設エムゾネが設置されている。−71
−・水飲み場水道施設の南側に、コンクリート製の水飲み場が設
置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥
居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。
・燈篭コンクリート製の鳥居からエムゾネ籠屋へ至る参道の両側に
氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されている。また、籠屋北側
鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車場乗用車3台
程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿い
に設けられている。・石碑山宮浅間エムゾネ神社の由緒を記した

358 :底名無し沼さん :2018/05/08(火) 23:59:08.61 ID:uppoSUwja.net
驚愕の事実拡散

創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI

パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ

集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの

真実は下に

http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46

https://shinkamigo.wordpress.com

359 :底名無し沼さん :2018/05/21(月) 14:02:56.15 ID:tqS6oTB40.net
■ 現状まとめ

性懲りもなくトレッキング経験すらない素人スタッフを帯同。
完全な仕上がりを豪語も順応ステージで早くも体調不良に。

ずさんな撮影隊との練習の果てについに遭難死という間抜けなオチ。

※ ネパール政府は安全対策の為
  2017年から素人隊と障害者の登山は禁止していた。

 本人のSNS
https://www.facebook.com/kurikiyama/posts/1913768801988761
 相棒の撮影者(Abema側ではない素人)
https://twitter.com/kakifuraiyusaku

360 :底名無し沼さん :2019/03/16(土) 07:13:59.60 ID:j+Kk0aYP0.net
アッーっっ寒い…ぁぁっ(´;ω;`)チンパン地蔵さまぁ゛っーーー!!!

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