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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)39【ダメ工作員】

1 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 20:53:55.68 ID:e4MBWu1f0.net
  
板中を荒らしながら病的な自演とスパムを続ける「栗木ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、その来歴や栗城スレ(まとめwiki)の妨害、当スレでの執拗な埋立てなどから
栗城ネット工作である可能性が濃厚です。
 
ここは、現在もっとも不快な荒らしである「栗木ハンター(通称ワイエディ)」をヲチりつつ
登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。


【!】異常者にご注意ください【!】
(ワイエディ [123.255.128.*]) 栗木ハンター主回線
(エーイモ [1.114(115).*.*]) 別回線
(ササクッテロ*) 別回線 末尾*ラ〜ロは動的
(ワッチョイ [175.177.5.*]) 埋立荒らし
(JP [103.75.118.*]) 埋立荒らし
(アウアウカー [182.251.242.*]) 埋立荒らし
(アウアウウー [106.133.56.*]) 埋立荒らし
 ※他にワントンキン・ラクッペ・スップなど
  自演回線あり


■ ご覧の皆さまへ
悪質転載ブログ「wi1d28jp」 は踏まずにNG登録を。
踏んでしまった人は関連cookieを削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。
 
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ブラウザにadblockやuBlock導入+国内フィルタ全部載せが推奨です。
スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)。
勝手な広告やスパイウェアをブロックして安全で快適なネットライフを♪
スマホ通信量の節約、時短にもなります。


☆ オリジナルはこちら!
【栗城史多まとめ @ ウィキ】
登山や活動・関係者等の詳細なまとめ。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]
【知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
【オクサマファイル】
的確な指摘です。ご一読を。
http://baby01.net/blog/364
(当板「栗城スレ」や「海彦山彦ブログ/栗城下山劇場」もおすすめです)


!extend:checked:vvvvv:1000:512
※前スレ
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)38【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516871927/1-50
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

2 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:10:01.54 ID:rEeHsfLBF.net
 
※過去スレ
(専ブラで閲覧できない場合、通常のウェブブラウザから見ることができます)


【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)37【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516797871/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)36【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516784538/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)35【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516782584/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)34【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516780764/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)33【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516777824/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)32【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516775635/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)31【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516717714/1-47
 

3 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:10:31.25 ID:rEeHsfLBF.net
    
つづき

【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)30【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516709043/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)29【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516706396/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)28【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516703689/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)27【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516683210/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)26【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516621436/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)25【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516619311/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)24【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516612954/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)23【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516544676/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)22【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516536219/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)21【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516526242/1-46
 

4 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:10:51.83 ID:rEeHsfLBF.net
    
つづき

【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)20【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516377470/1-46
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)19【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516344382/1-46
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)18【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516275590/1-46
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)17【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516256845/1-46
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)16【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516117320/1-46
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)15【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516100468/1-45
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)14【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515990538/1-47
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)13【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515987984/1-40
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)12【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515931435/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)11【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515910488/1-42
 

5 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:11:16.78 ID:rEeHsfLBF.net
    
つづき

【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)10【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515815279/1-41
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)9【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515767245/1-41
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)8【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515766583/1-
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)7【ダメ工作員】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515724902/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/1-49
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)5【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515595280/1-42
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515419613/l-41
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【詐欺スパム】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1514205594/1-45
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/1-216
【エーイモ】栗木ハンター9【おまんまん】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1484826791/1-
 

6 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:11:37.49 ID:rEeHsfLBF.net
    

栗城ハンター(通称エーイモ・現ワイエディ)は残念ながら
ブログの嘘や無断転載、2chでの自作自演や荒らし行為が指摘されています。
また、その異常性によって栗城検証スレでは早い段階からテンプレ入りを拒否され
住人の多くからNG登録されている存在です。


■ハンター否決の顛末 その1
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/168-193

(エーイモ SEc8-aNcl [1.114.11.204]) による海彦山彦テンプレ話の流れから
エーイモ別回線と思しき (ササクッテロ) による振り
同調する (エーイモ)
ハンター推しの2回線を除き住人一致で否決


■ハンター否決の顛末 その2
http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1474517763/634-654

諦めきれない (エーイモ ) による蒸し返し
10名以上に即否決され悪態を吐き出す (エーイモ)
それを指摘され、罵詈雑言と共になぜか「ノースグラフィック乙^^」

 

7 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:11:57.82 ID:rEeHsfLBF.net
    

■栗城ハンター拒絶の声 ふたたび
 

ブログの嘘や無断転載、自作自演、荒らし行為によってテンプレから排除されて久しい栗城ハンター(現ワイエディ・通称エーイモ)。
その後もエスカレートする異常性と妨害行為について、再び有志達から拒絶の声が挙がっています。
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/594-n
  
80に達する「出ていけ」の声は圧巻。
栗城ハンター(現ワイエディ)に対する、批判スレ住人の総意です。

 

8 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:12:15.30 ID:rEeHsfLBF.net
    

虚言癖のハンター=エーイモ(現ワイエディ)、存在しない講演でサインを貰ったと豪語

--------
158 :底名無し沼さん (ワイエディ MM2e-EcN4 [123.255.128.129]) 2017/06/18(日) 02:10:18.83 ID:zBdMv3R/M
>>156
私も聞いててスカッとした笑
会場も失笑してて驚いたけど、けんけんが栗城を揶揄したのにも驚いた

栗城が世間にアピールしなくなった理由は栗城のインチが世間に浸透してるからだと実感
ちなみに南谷マリンもゲスト出演してた
栗城と違い嘘偽りがないのでものすごい人気だった
マリンにサイン貰ったが可愛かったなぁ

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1497540942/
--------

※このとき実際に講演したのはケンケンだけで、南谷は参加していない

 

9 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:12:34.74 ID:rEeHsfLBF.net
    

198 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:10:59.70 ID:wvnpzStD
ワイエディ=栗木ハンターの最近の書き込み例

「山野井や竹内とも交流ある」
「いろんな登山家と交流してきた」
「海外も色々行く」「ヨーロッパからアジアから南米まで様々」
「アラスカで数ヶ月過ごした」
「パタゴニアに2ヶ月滞在した時でもチャンスは数回もなかった」
「鳳来攻めて今下山中」 (鳳来山周辺でワイエディ回線の電波はエリア外)
「南谷マリンもゲスト出演してた 」「マリンにサイン貰った」 (この日南谷は出演していない)
 

10 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:12:52.66 ID:rEeHsfLBF.net
      

199 :底名無し沼さん [] :2017/06/25(日) 12:12:12.22 ID:wvnpzStD
>>198
一応ソース

山野井竹内 海外 ヨーロッパ アジア南米 アラスカ
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170609/UW9KbCtDYnNN.html
いろんな登山家と交流
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGM.html
http://hissi.org/read.php/out/20170623/RGpRWktBeGNN.html
パタゴニア
http://hissi.org/read.php/out/20170621/bGtQL3d4OVg.html
鳳来
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCs.html
http://hissi.org/read.php/out/20170610/ektWSXd0RCtN.html
南谷マリン  サイン貰った
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi9N.html
http://hissi.org/read.php/out/20170618/ekJkTXYzUi8.html


栗木ハンター9 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/198-199

 

11 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:13:12.47 ID:rEeHsfLBF.net
    

■自分で自分に乙


ワイエディによる伝統自演芸です。
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499680223/1-11


1 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 18:50:23.85 ID:FNY69AM3
教えてください、お願いします。


11 :底名無し沼さん [] :2017/07/10(月) 19:48:38.95 ID:FNY69AM3
>>1

自分の立てたスレ無視されてブチ切れしてる方が荒らしにしか見えない件
単発IDだし自演はチェッカー貼る人じゃないの?

 

12 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:13:32.19 ID:rEeHsfLBF.net
    

■栗木ハンターの自演と虚栄心-1


213 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 14:06:08.53 ID:QCfEK9/t
ウーリー大好きでした
この追悼記事も泣ける
Great Ueli Steck forever a.k.a Swiss Machine
http://ameb1o.jp/wi1d28jp/entry-12279118436.html

216 : 底名無し沼さん2017/07/12(水) 21:00:38.61 ID:OwmiUoRb
>>213
その動画は初めてみた
ありがとう。


…という栗城ハンター(現ワイエディ)の一人会話。
何年もの荒らし行為で自演を指摘され続け、今やすっかり開き直っているのでしょうか。

QCfEK9/t http://hissi.org/read.php/out/20170712/UUNmRUs5L3Q.html
 ↓
OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


ウーリー・ステック2 より
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/213-219

 

13 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:13:55.56 ID:rEeHsfLBF.net
    

■栗木ハンターの自演と虚栄心-2
 

215 :底名無し沼さん [] :2017/07/12(水) 20:44:19.28 ID:OwmiUoRb
アルパイン・ソロ・セルフレスキュー・ビッグウォール
などなど日本の書籍では書いてない技術が盛りだくさんだから
海外の技術書はとても勉強になるよ。

何故か日本では「ソロは極秘技術」みたいな傾向があって
誰にも教えられないとか自分で研究したとかいう人がやたら多いけど
海外では全然ポピュラーに知られている技術だし
隠す方がよっぽど危険だと思う。

以前、マイクロトラクションやシンチでリードソロやってるバカが居て
話してみたら「グリグリは止まらないかもしれないけどコレならそんな心配もないですし」
と言われて唖然とした。

OwmiUoRb http://hissi.org/read.php/out/20170712/T3dtaVVvUmI.html


クライミングの経験や知識を持たない栗城ハンター(現ワイエディ)に書けるコメントではありません。
もちろん他人のレスをコピペしています。

オリジナル:http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496137290/63

必死チェッカーによるレス抽出を意識し自らを粉飾しようとする見栄でしょうか。
とても無理のある、幼稚で浅ましい行為に映ります。

「栗城ハンターブログ」もコメントや画像の盗用で構成されています。
盗用とその誇示、という一連の異常行動は
犯罪性や心の病を感じさせます。

 

14 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:14:13.68 ID:rEeHsfLBF.net
     

■ 栗城ハンターの重複スレ立てと自演 (2017/07/03)

・ワイエディ回線
51uNuVI0 10-19時台 34レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTA.html&;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;amp;;amp;#160;
51uNuVI0M 18-19時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NTF1TnVWSTBN.html

・回線2
XlmlZqd+  10-19時台 15レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/WGxtbFpxZCs.html
 
・回線3
mFRvju7b 11-21時台 19レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/bUZSdmp1N2I.html
 

15 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:14:40.40 ID:rEeHsfLBF.net
     

・回線4(IDコロコロ。回線2,3と思われる重複も含む)

DTBo97HQ  8-9時台 5レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/RFRCbzk3SFE.html
JPzYkDQb 10時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SlB6WWtEUWI.html
UC0GZCyA 10時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VUMwR1pDeUE.html
7wPRGe8C 10-11時台 3レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/N3dQUkdlOEM.htm
6mN2oaF7 10-11時台 14レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Nm1OMm9hRjc.html
pcY8vvB6 11時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/cGNZOHZ2QjY.html
JuRydlTK 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/SnVSeWRsVEs.html
foHPX4V8 15時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/Zm9IUFg0Vjg.html
VHrHqYvk 17時台 1レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/VkhySHFZdms.html
ymgJSG0y 17時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/eW1nSlNHMHk.html
kX3Fm+xV 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/a1gzRm0reFY.html
8lvGiGTc 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/OGx2R2lHVGM.html
4thbMqpI 18時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/NHRoYk1xcEk.html
1IYsrjMh 21時台 2レス
http://hissi.org/read.php/out/20170703/MUlZc3JqTWg.html

 

16 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:15:32.85 ID:rEeHsfLBF.net
    

推定4回線以上を使い、コピペで勢いをキープする様子がよくわかるサンプルです。
(以前からワイエディはスレの勢いに執着を見せています)

09:56:33.17
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499043393/ 
18:26:05.10
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1499073965/ 

これは上記2スレからの抽出、他スレでの書き込みは含みません。
書き込みの総数はさらに多いでしょう。
また、コピペの効率的な連投はPCからと推測できます。
このことから、一日中PCに張付きながらスマホ複数台で書き込む状況が浮かびます。


この日の南谷氏出演のTV番組放映に伴う2ちゃんねる閲覧を懸念して
本スレでも暴露されている栗城ハンターブログの詐欺的アフィ実態を隠し
あわよくばブログを踏ませようとでも考えたのでしょうか。

この幼稚な異常者は一日も休まず、これらの不毛な作業を続けています。

 

17 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:15:51.14 ID:rEeHsfLBF.net
    

■エーイモ(現ワイエディ)の捏造デマ
 
ID:uktp8ZK8
http://hissi.org/read.php/out/20161108/dWt0cDhaSzg.html


491から削除
『ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

493に付け足し
『エーイモ殺せ』

494に付け足し
『エーイモは殺すべき』

元レス
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464703702/491-595

 

18 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:16:09.85 ID:rEeHsfLBF.net
     

■ゲス書き込みの一例


ID:nVCPDFZ4
http://hissi.org/read.php/out/20160821/blZDUERGWjQ.html

ID:IkMyNjeD
http://hissi.org/read.php/out/20161106/SWtNeU5qZUQ.html


「真鈴のおまんこペロペロに舐め回してマンカス食いてえなw
谷口と真鈴の野グソ食いてえw
死ねよ谷グソってもう死んでるかw」

 

19 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:16:34.87 ID:rEeHsfLBF.net
       

栗木ハンターの荒らし業務
wifiミスったか端末間違えた模様


693 : 底名無し沼さん (エーイモ SE5f-FA7T [1.114.9.6])2016/09/02(金) 17:45:35.06 ID:5ICuLKjpE
金曜ギャランw

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1471825172/693

 

20 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:17:05.36 ID:rEeHsfLBF.net
    

■皆さまへ
 
「栗城ハンターブログ」は残念ながら、
ブログ主の嘘や2chでの自作自演、荒らしなどの奇行が指摘されています。

栗城ハンター7
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1462125712/
栗城ハンター8
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1473573617/
栗城ハンター9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/

公正な論評を心がける多くの批判者たちとは異なる便乗者として
栗城本スレにおいて早い段階でテンプレ入りを否決されました。

アフィ目的と思しき転載・盗用、幼稚な自演による自己宣伝を見ると
とてもみなさんにおすすめできるサイトとはいえません。

 

21 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:17:24.16 ID:rEeHsfLBF.net
    

オリジナルのおすすめサイトはこちら!


客観的なスタンスが信頼できます。
【栗城史多まとめ @ ウィキ】  
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]

経験による所見には説得力があります。
【海彦山彦 下山家栗城劇場】
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html

独自の切り口です。ぜひご一読を。
【オクサマファイル】
http://baby01.net/blog/364

栗城氏の問題について回答しています。
【Yahoo知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496

 

22 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:17:59.51 ID:rEeHsfLBF.net
     

虚言と自演

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-47

 

23 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:18:20.57 ID:rEeHsfLBF.net
   
 
恥ずかしいですね 
栗城商法そっくりなハンターさん

http://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/out/1487981921/42-n

http://hissi.org/read.php/out/20170413/VnY2SDdZN0U.html

24 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:18:38.65 ID:rEeHsfLBF.net
    

アホリエイト

http://hissi.org/read.php/out/20170418/WS9JUWhua3I.html

25 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:18:59.12 ID:rEeHsfLBF.net
    

おバカ

http://hissi.org/read.php/out/20170419/RFVpbzljMlc.html
 

26 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:19:15.93 ID:rEeHsfLBF.net
    

Page2Feed API
http://ic.edge.jp/page2feed/
URLを入力するとアフィブログを踏むことなくおおよその更新を把握できます。


現在マルチポストされているURLからRSS生成
http://ic.edge.jp/page2feed/preview/http://ameblo.jp/wi1d28jp/entry-12273807754.html

5月11日 21時59分30秒にアップされたページ
同日の栗城公式ブログの更新内容を転載し、栗城スレhttps://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1494113887/から拾ったコメントを切り貼りした記事。

誤字混じりの幼稚な文章と構成の転載日記はやはり踏む価値はありません。
読者数も20人→19人と減りました。
批判に足る見識もなく動機も不明、盗んだ言葉で野次るだけの不快なアフィブログです。


追記
(※Page2Feed API は現在サービスを終了しています。
RSS生成と閲覧は inoreader もおすすめです。)

 

27 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:19:39.09 ID:rEeHsfLBF.net
    

■悪質アフィが横行しています。
 「wi1d28jp 」は要注意!


栗城・南谷真鈴関連スレでマルチポストされているように、「エーイモ」はスレ立てしてまで煽りアフィを行います。

栗木ハンターを名乗りブログを立ち上げていますが、その内容は
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/folder/554467.html
http://baby01.net/blog/364
など他ブログや2chスレからのコピペと転載です。
ブログ立ち上げ当初はエベレストBCへの栗城スネークを謳っていましたが
うやむやにしてブログ宣伝と荒らしを連日続けています。

この虚言とタカリ性は、無名で真摯な登山家たちに紛れて売名と集金を行う似非登山家に似ていますね。

また、まだ評価の定まらない南谷氏に執着する「エーイモ」には性的関心と便乗の下心が透けて見えます。
該当スレでも幼稚な自演をしていますが、表面的な応援の裏では中傷スレを立て対立を煽ろうとしています。

南谷真鈴の滑落死を願うスレ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/out/1464246830/

さらに、山野井氏や故人登山家の中傷書き込みまでする傲慢さと悪質性は許されるものではありません。

今後も同様の手口でアフィ(またはネット工作)を行うでしょう。
煽りに乗らず冷静な対処を。

 

28 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:20:06.92 ID:rEeHsfLBF.net
    
追記

これは真っ当にアフィリエイトに取り組む多くの人は含みません。
ただ栗城ハンターという快楽犯の撒き散らした故人中傷が不快です。
アフィそのものや金額の多寡ではなく、異常者による小銭稼ぎを兼ねた荒らし行為へのカウンターです。

これらのお知らせは繰り返し貼りますので、目障りと感じる方はNG登録してくださいね。

 

29 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:20:26.14 ID:rEeHsfLBF.net
    

■栗木ハンター(エーイモ=ワイエディ)について


ブログ開設以前は栗城擁護の立場で荒らしていた来歴は今はとりあえず置いておくとして・・

現在はっきりしているのは悪質なアフィリエイト活動であるということ。
間違えて踏ませる・騙してでも踏ませようとする執拗なマルチポストとスレ立て、それは栗城スレ内良識派への嫌がらせと追い出しも兼ねながら、たまに2chを覗くようなROM層に向け、またログ化の後まで見据えて行われています。

栗城を材とし収入を得るアフィブログの目的は、つまるところ栗城との共存共栄でしかありません。
ハンターを名乗るこの異常者は、周知を口実にして理性的批判者を排しつつ工作員妄想(※後述)と思考停止を煽り
その野次馬にマウンティングしながら利己的な小銭稼ぎを拡大しようとしているのでしょう。

 

30 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:20:44.22 ID:rEeHsfLBF.net
     

※工作員妄想について

栗城関係者と思しきWikipedia改竄工作は過去、実際に発覚しています。
https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/sp/pages/133.html

同時に、誰でも書き込める2ch掲示板においては愉快犯が成りすますことも容易です。
ハンターを名乗る荒らしのこれまでの自演成りすましの多さから、コピペやAAによる荒らし・住人を煽る幼稚な書き込みの大半はこの異常者によるものと考えていいと思います。

(別の工作員がいるとしても特定は厄介になります。いずれにしても板荒らしやスレ荒らしに関して、この異常者と栗城サイドは利害が一致します)

 

31 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:21:00.42 ID:rEeHsfLBF.net
    

アフィカス - 2ちゃんねるwiki
http://info.2ch.net/index.php/アフィカス

人の嫌がることがだーいすきv(^o^)
金のためなら嫌われてもいいもんねー(^o-)-☆

概要
アフィブログ、まとめブログ、コピペブログ、剽窃ブログとも言う。(ここでの対象は2chの内容を転載するブログである)
人の書き込みを無断転載して金を稼ぐ人間の屑。アフィカスがレスをまとめたものは、アフィブログとして公開される。
基本的には管理人の主義主張に応じたレスをまとめることが多いため、大抵内容は偏向しており、ネトウヨの溜まり場になったり、厨房の巣窟になったりする。
転載される側の掲示板住民に対して、住民になりすまして対立煽りなどをしていることが発覚して以来、強烈に嫌われるようになった。
 
 

32 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:21:18.52 ID:rEeHsfLBF.net
    
■自己宣伝はうんざり


異常者ワイエディ(栗城ハンターブログ)がアメブロ順位を喧伝しながらマルチポストしていますが、もちろん実情とかけ離れたランキングです。
ちょっと検索すればこんな情報が。


『アメブロランキングを上げる簡単な方法。
アメブロランキングには、月間総合、デイリー総合、各ジャンルのランキングがあります。
ランキング集計方法は、前日のPV数で行われます。
PV数とは、単純にブログへの総アクセス数で同一人物が何度アクセスしてもアクセス数に反映されます。
では、PV数(総アクセス数)型のアメブロランキングを上げる方法はと言うと。。。

これは超簡単!
自分で何回アクセスしてもカウント数に反映されるのだから、自分自身でブログを何回も表示すれば良い。
一番手っ取り早い方法は、ブラウザに自分のブログを表示したらキーボードのF5(リ
ロード)を連打すれば良い。
これだけで翌日確実にランキングは上がっています。』


さらにトラフィックエクスチェンジやチートツールを使えばPVを好きなだけ盛れるのがアメブロの売り。
読者たった20人の支離滅裂なパクリ日記でも一夜でランカーになれる、とても虚栄心にコミットした仕組みです。
ランキングなど何の意味もありません。

 

33 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:21:36.63 ID:rEeHsfLBF.net
    

アメブロで常に上位にいる人たちって・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1454388374


栗城ハンターの5chでの病的な自己宣伝をみると、こういった小細工でブログを粉飾しているのは明らかですね。
栗城商法のSNSフォロワー・いいね水増しとなんら変わらない、見栄と欲得にまみれたデモンストレーションです。


嘘と自演で己を飾り、下賤な快楽とアフィのために故人や登山家を貶めてきた栗城ハンター。
5chコメントや他ブログ、マンガなど他人の著作物を盗用しあぶく銭を得ようとする小物ぶりには呆れ果てます。
正体を看破されアナウンスされた途端に上っ面の偽善を唱え始めましたが、もう騙される者もいないでしょう。


言葉を持たない故人への中傷は赦される事はありません。
ログは厳然と残っています。

 

34 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:21:57.16 ID:rEeHsfLBF.net
    

■参考情報


この異常者は数年前にも同アカウントで
転載ブログを運営していたようです。

http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1496330803/646


 
>栗城が発端だが、

これはちょっと違う。
過去ログ読めばわかるが以前はあいのりに出てた西村隼平に執心だった。

奴のブログをアーカイブでサルベージすると震災の義援金詐欺疑惑で騒がれていたころに
2chやしたらばの該当スレをコピペしてアクセス稼ぎをしていたブログだったことがわかる。 

http://web.archive.org/web/20111120032656/http://ameblo.jp/wild28jp/

 

35 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:22:16.32 ID:rEeHsfLBF.net
    

■「wi1d28jp」を専ブラでNG登録 ■


● Jane Style
【ツール】【設定】【あぼーん】【NGWord】→ wi1d28jp を追加

● 2chMate
【NG編集】【Word】→ wi1d28jp を追加

● twinkle
スレを開いた状態で【NG設定(下タブの一番左)】【NGワード】→ wi1d28jp を登録

● BB2C
NGワードを使用する:ON
対象レスで該当文字列を半長押し→NGワードに登録


※親切な方に「ワイエディの推奨NG方法」としてまとめていただいたものを、スレ共通で有効なURL文字列のNG方法に改めさせて頂きました。
※「NGネーム」では無効とのご指摘により改訂しました。補足訂正等ありましたらお寄せください。


オリジナルはこちら。
 ↓
登山キャンプ板 自治スレ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1464347504/22

 

36 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:22:34.40 ID:rEeHsfLBF.net
    

【重要】「wi1d28jp」NG登録について

「wi1d28jp」のNG登録によっていくつかのスレッドの>>1が見えなくなってしまう方へ

専ブラ毎の条件設定などでクリアできない場合は「ameblo.jp/」を加えてください。

【推奨NGワード】ameblo.jp/wi1d28jp

※上記は可視化のためアルファベットの「l」を数字「1」に置き換えています。
このままコピペせず、数字をアルファベットl(小文字のエル)に修正してください。

 

37 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:22:50.68 ID:rEeHsfLBF.net
    
 
異常者

PbupIfbr
http://hissi.org/read.php/out/20170811/UGJ1cElmYnI.html

8Ow3sckf
http://hissi.org/read.php/out/20170812/OE93M3Nja2Y.html

 

38 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:23:12.24 ID:rEeHsfLBF.net
    

現在、登山キャンプ板では何者かが無理やり炎上させているような不可解なスレッドがあります。

山で遭難したら助けに来た警官が説教しやがった。感じ悪い。何様なん?
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1504019629/


このスレにおいて
悪質アフィ周知のお知らせ文の一部をコピペして書き込み、そのままのIDで炎上関係者の住所を書き込んだ者がいます。
いつもの異常者(現ワイエディ・栗城ハンター)の手口に似た幼稚なイタズラです。

ZPQwlsGS
http://hissi.org/read.php/out/20170904/WlBRd2xzR1M.html
W1WVbnKr
http://hissi.org/read.php/out/20170904/VzFXVmJuS3I.html
Ld9tzNlh
http://hissi.org/read.php/out/20170904/TGQ5dHpObGg.html
JduMDZQP
http://hissi.org/read.php/out/20170904/SmR1TURaUVA.html

なぜかadblockを抜いていることから、2ちゃんねるに巣食うアフィカスであることは間違いなさそうです。

効いているのでしょうか。
周知を続けていきます。
(2017, 9/4)


 

39 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:23:29.66 ID:rEeHsfLBF.net
    

■ 異常な書き込み

7FvjsyaNM
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU5N.html
7FvjsyaN
http://hissi.org/read.php/out/20171130/N0Z2anN5YU4.html?thread=all


幼稚な成りすましとゲスな内容、そしてお約束のブログ宣伝。
切羽詰まったワイエディ(栗城ハンター)特有の荒らし書き込みです。

効いているのでしょう。周知を続けていきます。

 

40 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:23:45.89 ID:rEeHsfLBF.net
    
追加


■ 異常者(栗城ハンター=ワイエディ)
 
hFIBhp3FM
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0ZN.html
hFIBhp3F
http://hissi.org/read.php/out/20171204/aEZJQmhwM0Y.html?thread=all


ワイエディ回線でワイエディ連呼という呆れた荒らしです。
URLを入れるところもまたセコい。

この幼稚な異常者の現在の目的は
・アフィブログを踏ませること
・悪役を自演し自分(栗城ハンターブログ)age
・周知テンプレ排除と板荒らし
でしょう。


何をしようが周知は粛々と続きます。

 

41 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:24:06.14 ID:rEeHsfLBF.net
    

■ 埋立荒らし
 
核心を突いてしまったのでしょうか。
埋立荒らしが始まりました。


 ・Tnx6epSX0(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1gw.html
 (ワッチョイ 9b0c-oF0E [175.177.5.17])
  Tnx6epSXは富士山スレでも連投
  ↑
・Tnx6epSX(回線1)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/VG54NmVwU1g.html
 12/13(水) 15:55〜 78レス


・qQ7C0sQZa(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/cVE3QzBzUVph.html
 (アウアウカー Sa11-cUpN [182.251.242.15])
 12/13(水) 23:30〜 5レス
  ↓
・koSDLj0ha(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/a29TRExqMGhh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.15])
 12/14(木) 00:01〜 11レス
  ↓
・9gdrDp+Da(回線2)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/OWdkckRwK0Rh.html
 (アウアウカー Sa27-A0Ho [182.251.242.7])
 12/14(木) 04:05〜 現在継続中


・vbny93KSa(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171213/dmJueTkzS1Nh.html
 (アウアウウー Sa89-HfL4 [106.133.56.192])
 12/13(水) 23:31〜 5レス
  ↓
・FdgDSmA3a(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/RmRnRFNtQTNh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.192])
 12/14(木) 00:01〜01:09 12レス
  ↓
・RcU6+V3Ha(回線3)
http://hissi.org/read.php/out/20171214/UmNVNitWM0hh.html
 (アウアウウー Sa1b-006q [106.133.56.163])
 12/14(木) 01:21〜


【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【自演マルポ】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1500267844/48-n

 

42 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:24:24.95 ID:rEeHsfLBF.net
    
■ 使用された回線の一つ

【175.177.5.17】

'175.177.0.0 - 175.177.255.255'に対する不正行為の連絡先は'hostmaster@nic.ad.jp' です

inetnum:175.177.0.0 - 175.177.255.255 netname
:iTSCOM
descr:その通信会社
descr:541-1 Ichigao-tyou Aoba-ku横浜神奈川225-0024日本
国:JP
admin-c:JNIC1-AP
tech-c: JNIC1-AP
ステータス:ALLOCATED PORTABLE
発言:スパムや虐待の苦情のための電子メールアドレス:abuse@itscom.jp
MNT-IRT:IRT-JPNIC-JP
MNT-によって:MAINT-JPNIC
MNT-下:MAINT-JPNIC
最終更新:2011-02- 17T08:16:02Z

 

43 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:24:40.41 ID:rEeHsfLBF.net
    

追記

当初、富士山スレを言い訳にして始まった埋め立て荒らしですが
今やすっかりワイエディ丸出し。当スレの埋め立てが主目的のようです。

 

44 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:24:57.84 ID:rEeHsfLBF.net
    

■ 成りすまし(?)荒らし

SwhAnbsR
http://hissi.org/read.php/out/20171225/U3doQW5ic1I.html?thread=all
1Ves70DDp
http://hissi.org/read.php/out/20171225/MVZlczcwRERw.html
7w9fApf4p
http://hissi.org/read.php/out/20171225/N3c5ZkFwZjRw.html


去年に続き、お約束のクリスマス発狂です。
コピペ改変で周知人に成りすましたつもり…でしょうか。意味不明です。

その一方でお知らせ抜きのスレや重複スレ、荒らしスレなどを乱立しています。
ゲスな書き込みと自ブログへの直リンクを入れるセコさ。
IPスレを避けるあたりも姑息です。


周知の蓄積が異常者排除に効きます。
淡々と続けていきましょう。

 

45 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:25:17.31 ID:rEeHsfLBF.net
    

http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515990538/42-45

大阪在住の荒らし氏が
当スレのアドレスをコピペし周知を勝手にお手伝いしてくれています。
板全体での動きを通して眺めるとワイエディと連携した荒らし工作の一端にも見えますが、どこか的外れでもあります。

IP丸出しで私に成りすます気はなさそうなので放っておきます。

VcbD3rC90
http://hissi.org/read.php/out/20180115/VmNiRDNyQzkw.html
VcbD3rC9
http://hissi.org/read.php/out/20180115/VmNiRDNyQzk.html

(書き込みのテイスト、かつて栗城スレに粘着していた「人間の世界」氏にも似ていますね)

 

46 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:25:42.13 ID:rEeHsfLBF.net
     

■ 2018/01/14(日)の自演・回線


s8HoqQ7ZM
 ※(ワイエディ MMae-YmM0)
 ※(ワイエディ MMff-YmM0 [123.255.130.90])
http://hissi.org/read.php/out/20180114/czhIb3FRN1pN.html
s8HoqQ7Z ※同上
http://hissi.org/read.php/out/20180114/czhIb3FRN1o.html

wETXETL9H
 ※(JP 0Hbd-T56j)
http://hissi.org/read.php/out/20180114/d0VUWEVUTDlI.html

7JSo+/FBM
 ※(ラクッペ MM6d-ag2L)
http://hissi.org/read.php/out/20180114/N0pTbysvRkJN.html
7JSo+/FB ※同上
http://hissi.org/read.php/out/20180114/N0pTbysvRkI.html

dGrUD3FXp
 ※(ササクッテロラ Spbd-T56j)
http://hissi.org/read.php/out/20180114/ZEdyVUQzRlhw.html

797b12E7
http://hissi.org/read.php/out/20180114/Nzk3YjEyRTc.html

Lyrck09dM
 ※(ワントンキン MMe2-g7sh)
http://hissi.org/read.php/out/20180114/THlyY2swOWRN.html

 

47 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:26:02.03 ID:rEeHsfLBF.net
    

■ 2018/01/15(月)の自演・回線


wumNbH2aM
 ※(ワイエディ MMae-YmM0)
 ※(ワイエディ MMff-YmM0 [123.255.130.90])
http://hissi.org/read.php/out/20180115/d3VtTmJIMmFN.html
wumNbH2a ※同上
http://hissi.org/read.php/out/20180115/d3VtTmJIMmE.html

AsKYuJN6a
 ※(アウアウカー Sa7f-1Y3Y [182.251.56.53])
http://hissi.org/read.php/out/20180115/QXNLWXVKTjZh.html

mMK0Gh3KM
 ※(ワントンキン MM7a-g7sh)
http://hissi.org/read.php/out/20180115/bU1LMEdoM0tN.html

8i/I5B2Lp
 ※(ササクッテロラ Spbd-T56j)
 ※(ササクッテロラ Sp7f-T56j [126.199.0.82])
http://hissi.org/read.php/out/20180115/OGkvSTVCMkxw.html


まだ他にもありそうです。
2名程度が端末を共有し自演・板工作を行っている可能性もあります。

 

48 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:26:49.45 ID:rEeHsfLBF.net
 

発狂するワイエディ

2018/01/24(水)
eN4PyuQs
http://hissi.org/read.php/out/20180124/ZU40UHl1UXM.html

 

49 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 21:31:45.99 ID:rEeHsfLBF.net
 

■ ワイエディの主張


『谷口けい南谷マリンも糞尿で山を汚すので死んで詫びるべき!』

『谷口の肛門についたカピカピのウンコを誰が処理したと思ってるんだ?
お金で買ったピオレドール賞のおかげて日本人女性が世界から舐められる要因を作った張本人が南谷
山神様の天罰で糞尿大回転で死亡したのが谷口
栗城さんに逆らった奴らはみんな死ぬか落ち目になる
ウエリシュテクも滑落死wwww
ざまぁwwwwwwwwwwwwwwwwww 』


NRyc/jpe
http://hissi.org/read.php/out/20180125/TlJ5Yy9qcGU.html

 

50 :底名無し沼さん :2018/01/25(木) 23:18:14.87 ID:LUZJg0/k0.net
少しは努力しろよまぬけw

51 :底名無し沼さん :2018/01/28(日) 20:31:16.05 ID:V0rtzBPyF.net
              

ymh3Ee8AM
 ※(ラクッペ MM3b-dBL+)
http://hissi.org/read.php/out/20180128/eW1oM0VlOEFN.html

これも異境者ワイエディの複回線のひとつ。
>>47を参照)

 

52 :底名無し沼さん :2018/01/28(日) 20:31:53.08 ID:V0rtzBPyF.net
                  

■ ワイエディの虚勢

埋立て用回線でちょいちょい的外れの罵詈雑言を書き込むワイエディ。
何か言わずにはいられないあたり、この幼稚な異常者にとって本スレの圧力は想像以上のプレッシャーのようです。

http://hissi.org/read.php/out/20180128/c2N3Um9rSHUw.html
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517133864/50-53

そして、なぜか虐められていると感じているようですが…これはあくまで周知です。
淡々と続けていきましょう。

 

53 :底名無し沼さん :2018/02/01(木) 23:47:24.33 ID:GqEb5GQ7F.net
    
age
   

54 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 03:39:30.31 ID:e+tsvdfn0.net
る。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置した富士宮市教育
委員会や世界遺産推進室を設置した富エムゾネ士吉田市をはじめ、
各市や市町村教育委員会においても構成資産の保存管理を担当す
る専門の職員を定めている。これらの組織体制については、さら
なる充実化に努める予定である。なお、上記の体制については現
在登録準備のために設置され、実質的にエムゾネ機能している組織
を改変・名称変更・役割変更するものであり、その運営に関し

55 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 03:45:12.36 ID:e+tsvdfn0.net
問題は生じない。図「富士山」に係る保存管理の組織体制図(仮
案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺産両県協議会(構成
)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者エムゾネ等国関係機関(
文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林野庁)f)財源及び財
政的水準各構成資産の管理については、それぞれの所有者又は管
理団体が行っている。特に「記念工作物」、「建造物群」の修理
を行う場合には、小修理その他特別な場合をエムゾネ除いて国が必
要に応じて経費の50開発事業者、地域住民、関係者静岡県世界
遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)行政:静岡県、関係市
町(委員)行政:山梨県、関係市町村等民間:観光協会、登山組
合、神社関係者等民間:観光協会、山小屋組合エムゾネ、静岡県保
存管理協力者会議(委員)関係市町(企画・都市計画・文化財担
当)観光関係者、登山組合、神社関係者等神社、関係者等静岡県
庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委員)関係課等(委員)関係
課等山梨県保存管理協力者会議(委員)関係市町エムゾネ村(企画
、都市計画、文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社関係者
等65〜85%の補助金を交付している。「遺跡」である史跡、
特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物において発掘
調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国が必要エムゾネに応じ
て経費の50%の補助金を交付している。これらの国の補助金に
併せて、静岡県・山梨県は国の補助金相当額を控除した額の50
%に相当する額以内の補助金を交付し、構成資産所在の市町村が
同内容の補助金を交付する予定である。また、重要文エムゾネ化財
、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物にお
いて、それぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の比
率の下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金
とは別に、2006年より構成資産の整備活用及び保護エムゾネに
関する教育プログラムのための基金を設けており(「富士山基

56 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 03:51:41.10 ID:e+tsvdfn0.net
」)、基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行わ
れている。g)保全及び保存管理の技術における専門的知識及び
研修構成資産の保存管理については、所有者(宗教法人をエムゾネ
含む)をはじめ、静岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等の管理
団体に指定された各市町村教育委員会が実施している。静岡県・
山梨県教育委員会とその関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所及び山梨県埋蔵文化センターでは、それぞれのエムゾ
ネ組織内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員及び技
術者を配置し、管理団体である各市町村が行う保存管理に対して
適切な技術的支援を行っている。また、独立行政法人国立文化財
機構は、全国の史跡等における整備活用事業の円滑な推進と専エム
ゾネ門職員及び技術者の技術や能力の向上のために、地方公共団
体の専門職員を対象として定期的に研修を開催しており、静岡県
・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当該研修等に積極的に参
加して、資産の整備活用の技術向上に努める予定である。さらに
エムゾネ、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内の大
学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の
助言者及び両県協議会も含まれる予定である)の助言・指導に基
づいて行われている保存・管理技術は、高い水準を維持する予定
でエムゾネある。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然
記念物又は天然記念物を維持するための措置として簡単な修理又
は復旧を行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術
的指導を行っているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれ
ていエムゾネる。資産の見回りや清掃等の日常的な維持管理につい
ては、静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導
員(静岡県3名、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人
数)のほか、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に
行ってエムゾネいる。表技術者の資質向上のために行われている

57 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 03:57:50.32 ID:e+tsvdfn0.net
もな研修h)来訪者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展
開する景勝地とともに日本を代表する優れた名所として国内のみ
ならず海外に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季
折々の自エムゾネ然の姿を求めて来訪する観光客でにぎわい、現在
も国内有数の観光地となっている。図富士山への登山者数の推移
(各登山口推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口
県計吉田口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における
各登山口五エムゾネ合目への入れ込み数推計)66図主な構成資産
の来訪者数の推移(推計等)富士山では、山頂へ7〜8月の登山
期に約29万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動車
でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前の五
合目とは一致エムゾネしないため「新五合目」と呼ばれる)には、
同期間に約250万人(1999〜2009年平均)が訪れ、近
年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(外国人の数
に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明である)
。富士山体におエムゾネいては、国内外から来訪する観光客や登山
者等の利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好な
風致景観を維持及び形成することを目的として、「富士山におけ
る標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(
年間)富士吉田・エムゾネ河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三
保松原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイ
ドライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中
・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の主
として緩衝地帯にはエムゾネ駐車場・トイレ・資料館等の便益施設
が整備されている。今後とも、適切な計画の下に順次整備してい
くこととしており、「ビジターセンター」などのガイダンス施設
の充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理につい
ては、土日や休日等登エムゾネ山者が突出して増加する日に、仮

58 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:03:16.24 ID:e+tsvdfn0.net
トイレ・臨時駐車場等を設置するとともに、登山用の自動車道は
自家用車の通行(登山道ごとに異なる、最も利用数の多い吉田口
(富士スバルラインを利用)で最大12日間)を規制しシャトル
バスによる代替輸送を行エムゾネうことで環境への負荷と混雑を軽
減するようにしている。この日数は山麓の駐車場の整備に従い(
2011年に吉田口に1400台の駐車場を整備)今後拡大(吉
田口で15日)する予定である。登山者の安全管理については

59 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:09:33.85 ID:e+tsvdfn0.net
4箇所の案内施設(山頂、エムゾネ富士宮口、吉田口、富士スバル
ライン終点)と3箇所の救護センター(富士宮口に1箇所、吉田
口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県によって30
名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳業務を行
っており、北麓では富士吉田エムゾネ市条例によって、登山下山の
案内を行う約230名のガイドが「富士吉田市案内員組合」に登
録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と
連携し山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳
救助隊及び消防本部や市町村消エムゾネ防署が対応し、場合により
自衛隊の出動も要請する。また、気象条件が一般の登山を行うに
は危険となる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初
旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬)することにより十分
な装備と経験を有する者以外の登エムゾネ山は不可能である。冬山
登山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署・富士吉田署
)に登山計画書の提出を推奨されている(また、おおむね11月
末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉鎖され、山梨県側
も積雪・凍結等の状況に応じて段階エムゾネ的に閉鎖される。)山
体以外の構成資産については、おおむね来訪者数に応じた駐車場
・トイレ等を整備しており、今後、これらをさらに整備する予定
が立てられている。i)資産の整備・活用に関する方針・計画静
岡県・山梨県では、構成資産及びそのエムゾネ周辺を対象とした保
存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活用の取組をも
取り込んで計画的に実施している。こうした諸計画に基づき、富
士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉田市歴史民俗博物館」
「裾野市立富士山資料館」「富士市立博エムゾネ物館」の活用や、
富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニーズに適切に対応す
る拠点の整備を検討するなど富士山の適切な保全・管理・活用を
図っていく。加えて、富士山についての市民向け講座の開催を

60 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:16:09.17 ID:e+tsvdfn0.net
じめ、児童・生徒を対象とした体験学習なエムゾネどの情報発信施
策が定期的に実施されている。個別の資産については、「遺跡」
である特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作
物」・「建造物群」である重要文化財に指定されている建造物に
ついては、一部を除き所有者・管理団体が年エムゾネ間を通じて一
般に公開している。なお、登山については、登山期間(基本的に
7月1日〜8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登
山も禁止されてはいないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季
の気象条件などにより専門家以外の登山は困難エムゾネである。j
)専門分野・技術・管理に関する人的措置68静岡県・山梨県教
育委員会の委嘱を受けた文化財保護指導員(以下、「指導員」と
いう。)が定期的に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対
して保護に関する助言を行っている。静岡県・山エムゾネ梨県は、
指導員の調査報告に基づき、所有者や関係市町村に対して文化財
の保存管理に関する指導を行っている。このように、将来的に良
好な状態の下に資産を維持していくための体制についても万全を
期している。6.経過観察(モニタリング)の体制エムゾネa)保
存状況を計測するための主たる指標構成資産である「遺跡」・「
記念工作物」・「建造物群」をはじめ、それらの緩衝地帯につい
ては、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理
、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技術の向エムゾネ上を
目的として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与える影響に
対し、次に掲げる主な観点の下に適切な指標を設定し、定期的か
つ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定である。@
「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値とエムゾネ真
実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況と資産に
与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害・観
光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与えて

61 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:21:25.72 ID:e+tsvdfn0.net
るか/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に関連してエムゾネ
、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広い地域が、
相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する知識を発信す
る場として適切な発展を遂げているか。設定するおもな観察指標
については、以下の表に示すとおりである(予定)。表観察エムゾ
ネ指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(2010年度改定予定
)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)視点場におけ
る景観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎
年両県a)富士山環境教育開催数・参加者数毎年両県b)パンエム
ゾネフレット・HPによる情報提供数毎年両県c)主要地点での
観光客の入込み数毎年両県d)登山者数(5合目以上)毎年市町
村e)登山者数(8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の
保護f)森林伐採面積(森林の整備形態〜)毎年両県a)文化財
エムゾネ保護法における現状変更の数毎年両県b)自然公園法にお
ける許可行為の数毎年両県・環境省c)生活排水クリーン処理数
毎年両県(3)個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集
量毎年両県a)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境
省エムゾネb)ゴルフ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森
林伐採面積(森林の整備形態〜)毎年両県69d)廃棄物の不法
投棄量毎年両県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法
等に関する内容の詳細については、本推薦書参考資料である包括
的保エムゾネ存管理計画において具体的に記述している。b)資産
の経過観察(モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を
含む経過観察(モニタリング)については、以下の表に示すよう
に管理団体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教
育委員エムゾネ会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条
約履行のための作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度
ごとに情報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6

62 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:27:49.46 ID:e+tsvdfn0.net
ごとに保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通
じて世界エムゾネ遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モ
ニタリング体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資
産及び緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁
組織代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:記念物
課課長3.エムゾネ指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県教
育委員会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長:

63 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:34:12.01 ID:e+tsvdfn0.net
梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課
長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経
過観察(モニエムゾネタリング)に必要とされる諸事項に関し、現
時点及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・
及び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ
れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経過
観察のために実エムゾネ施した過去の資料・情報)番号編著者標題
対象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N
oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作権
者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文書な
どc)資産関連資エムゾネ料d)資産管理機関住所e)参考文献8
.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他
の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号
構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況
H21.10.30エムゾネ学術委員会評価分析結果備考富士山両
県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C
:富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年1
0月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著
な普遍的価値を有するエムゾネ資産B:顕著な普遍的価値について
さらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能
性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委
員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的
保存管理計画原案−1−エムゾネ世界文化遺産富士山包括的保存管
理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)
各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部
会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計
画の実施第2章構成資産のエムゾネ概要1構成資産の一覧2資産及
び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び登

64 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:40:36.69 ID:e+tsvdfn0.net
道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口
登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9エムゾネ本栖湖(2)信仰B1富士山
本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8
御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型−2−B13吉田胎内樹型エムゾネB14人穴富士講遺跡(人
穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸
要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び
登山道A信仰B眺望(2)顕著なエムゾネ普遍的価値を構成する諸
要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木B社寺の
境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工
作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自
然的要素A歴史的要素B人文的要素エムゾネ2保存管理の基本方針
(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的
な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)
保存管理体制の整備と運営第4章構成資産の保存管理1現状の把
握(1)富士山山体及び登山道(2)エムゾネ信仰(3)眺望2保
存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限についての考え方
(2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる諸法令に
ついて3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2種保護地
区(3)三保松原−3−第5章緩衝地帯エムゾネの保存管理1現状
の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩衝地帯の設定と行為
規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的な
施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与
える要素2負の影響を与える要因の観察第エムゾネ7章整備・公開
・活用1基本方針2整備と公開・活用第8章保存管理体制の整

65 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:47:02.31 ID:e+tsvdfn0.net
と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等との連携・
協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関する事
業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的エムゾネ富士山は、日
本を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に
独自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在
り方及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、エムゾネ一国の文化
の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の
傑出した類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持
つ山岳であり、世界文化遺産に値するものであるエムゾネ。富士山
は、有史以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形
の独立成層火山であり、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強く
秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代かエムゾネら現代
に至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成され、山体と一体となった
比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目以上の砂
礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分エムゾネ布す
る湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形などは、富
士信仰の霊地として重要な役割を果たしてきた。日本独自の山岳
民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命脈を保ち、特に
夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登山の特エムゾネ徴
を成している。このように、富士山は日本人の自然に対する信仰
の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表す物証及
び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型となっ
ている。また、富士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対エムゾネ
象となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの文学

66 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 04:53:40.02 ID:e+tsvdfn0.net
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみな
らず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作
品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形エムゾ
ネ成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて
強力な関連性であることを示している。このような価値をもつ「
富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布
している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」のエ

67 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:00:10.42 ID:e+tsvdfn0.net
ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた
めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ
のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に
関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「
富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画
保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)
整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山
包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基
礎とエムゾネし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理
及び整備に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示す
るため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学
識経験エムゾネ者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存
管理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原
案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を
得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー
ム」(表エムゾネ)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」
(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的か
つ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の
協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観
光関係者・エムゾネ神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計
画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設
置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した
「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、文化

68 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:05:32.14 ID:e+tsvdfn0.net
の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会
と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的
保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界
遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月
26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3
月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検
討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1
回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役
割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成2
1年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要に
ついて・構成資産、エムゾネ緩衝地帯、保存管理区域について20
10年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画
の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年
第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例200
7年12月9日現地調エムゾネ査2008年1月31日平成19年
度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月
21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存
管理計画検討部会の審議エムゾネ結果2008年4月16、17日
現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6
月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回エムゾネ山梨県保存管理計画検討部会・
構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方200
9年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定協力
者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨県保

69 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:12:00.74 ID:e+tsvdfn0.net
管理計画策定協力者会議につエムゾネいて2009年6月19日平
成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について200
9年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策定ワーキング
・富士山世界文化遺産登録へのエムゾネ取組状況について・山梨県
保存管理計画の策定について2010年3月16日平成21年度
第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方につい
て2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理計画
検討部会静岡県の経緯2007年エムゾネ7月5日平成19年度第
1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計画について−7−
2008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年
度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・静岡県保存管理計エムゾネ画について2008年
2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県
保存管理計画検討部会の審議結果2008年7月16日平成20
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検
討部会の報告・静岡県保存管理計画にエムゾネついて2008年9
月9日平成20年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡
会議・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静岡県保
存管理計画の策定について2009年2月12日現地調査200
9年6月1日平成21年度第1回静岡県エムゾネ保存管理計画策定
協力者部会・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静
岡県保存管理計画の策定について2009年6月17日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の
策定について・富士山の緩衝地帯に関するエムゾネ考え方2009
年7月13日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁
内連絡会議2009年10月29日平成21年度静岡県保存管理
計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平成

70 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:17:40.68 ID:e+tsvdfn0.net
1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者
部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日
平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計
画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成は

71 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:23:39.85 ID:e+tsvdfn0.net
〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して
いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日
常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に
関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す
る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する
方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後
の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自
然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基
本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平成18年4月策
定F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法
に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成2
1年2月策定市町村森林整備計画平成18年4月策定−エムゾネ1
8−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計
画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計画は、20年月か
ら既に実施され機能されているものである。−19−第2章構成
資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資エムゾネ
産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以
下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類
構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面
積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道エムゾ
ネ含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡
特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山
口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A
5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、エム
ゾネ御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、
富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡

72 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:30:09.47 ID:e+tsvdfn0.net
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺
跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然
記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡
市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価
値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における
富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成
資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
証すエムゾネるために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管
理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」
の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現
在特別エムゾネ名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その
周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に
おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指
定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森林
法で保護エムゾネされている。緩衝地帯との境については林班によ
り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減
するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の
山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを
連続して保エムゾネ護するための措置である。緩衝地帯の範囲につ
いては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山側を
計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本
宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘が
あり、市道をエムゾネ境に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本
宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山に向か

73 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:35:38.96 ID:e+tsvdfn0.net
て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ
れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から
富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が
流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい
ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に
ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理
区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体
の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい
ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地
帯同様に資産を緩衝エムゾネすることが可能な区域であると言える
。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については
、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書
本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、
構成資産毎に策定されエムゾネている個別の保存管理計画等におい
て、それぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p1
8,19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関
わるもの(1)富士山山エムゾネ体及び登山道A富士山標高377
6mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山である。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、
日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育
んだ名山でもある。富士山エムゾネは山岳に対する信仰の在り方や
芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人
間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし
て、世界的にも類例を見ないエムゾネ顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の内、標

74 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:40:47.62 ID:e+tsvdfn0.net
約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも
に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで
ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬
登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。
景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山
体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を描き、

75 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:46:33.58 ID:e+tsvdfn0.net
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21
−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で
ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な
るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以
上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ
一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す
るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿
された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また
、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15
〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷エムゾネ川角行によって開
かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、
富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理
・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
仮指定1936年国立公園法の下に(富士エムゾネ箱根)国立公園
に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指
定1969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)1
996年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手
(継続中)「御中道」は、標高2,300mエムゾネ付近から2,
800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周す
る約25kmの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされ
る役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築
いた長谷川角行が行ったことが記録されているエムゾネ。古くは定
まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後
期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西側の
大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされていた
。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師エムゾネに提出

76 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:51:50.42 ID:e+tsvdfn0.net
、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許
し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間
100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の
転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな
っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮
)富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施
設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験
道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。
登拝者は山頂周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される
噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝した。また、火口エムゾネ壁
にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して
巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なう
ことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、
修行僧末代により建立された大日寺(大日堂)が最初とさエムゾネ
れ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院
への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山
口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された
。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1エムゾ
ネ874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ
て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された
。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通エム
ゾネじて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の
写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文

77 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 05:58:25.26 ID:e+tsvdfn0.net
エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ
の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰
を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八
葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的
意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる
お鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富士講
講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。
内院にエムゾネ賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつか
の仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高
峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼した。写
真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社及びエムゾネ村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山
道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開削した
登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とその
活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測エムゾネできる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在
が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発
心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年
、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えて
いる。この権エムゾネ利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登
山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって
、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社には16世紀

78 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:04:38.60 ID:e+tsvdfn0.net
半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び
村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者
坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1
600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登
山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17
世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後半

79 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:11:07.31 ID:e+tsvdfn0.net
興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の
宝永噴火で登山道とエムゾネ共にことごとく破壊された。これらは
再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設
としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興
法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む
西日本の人々が多かっエムゾネた。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19
世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年
で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退しエムゾネていたとの記述もあるが、186
0年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大
宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡
坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以
降、女人登山の解禁もありエムゾネ、登山者は増加傾向を示すが、
1889年、東海道線の開通による御殿場口利用者の増加により
衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由せず4km
短縮された大宮新道(カケスバタ口)が建設されたため、大宮か
ら現六合目までの村山口登山エムゾネ道は登山道としての機能を失
い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建設に雨水による侵食も
加わり、一部を除き登山道跡の推定は困難な状態であり、道標、
地蔵・不動明王像、建物跡などをある程度たどることができるの
みである。写真大宮・村山口登エムゾネ山道の写真A3須山口登山
道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ
嶽)に至る登山道である。その起源は明確ではないが、1200
年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山(珠山)口以外には登
山道がないことが述べられているエムゾネ。1486年の京都の僧
による資料(廻国雑記)では、「すはま口」の名が確認できる。
登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12軒の御師を

80 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:17:22.70 ID:e+tsvdfn0.net
心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を
巡り、須走村と争いになった際は浅エムゾネ間大社の裁定を仰いで
いる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に
附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施
設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せエムゾネず、1780年によ
うやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅間神社、
中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確
認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場
としても使用された。登拝者についてはエムゾネ詳しい研究が進ん
でいないが、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、
宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当
たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均約
1,700人、続く1860年の御縁年にエムゾネは約3,600
人であった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883
年、須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿された。ま
た、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上
により須山口からの登拝者や登山者が減少すエムゾネることとなっ
た。1912年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可
能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っ
ている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一
部のみである。また、1999年、地元住民にエムゾネより須山口
下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興された。写真須山口
登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点
とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山
道である。その起源は明確ではないが、六合目かエムゾネらは13
84年の銘のある掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の
1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利

81 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:22:56.59 ID:e+tsvdfn0.net
すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山エムゾネ頂部ま
でを支配し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬
師堂の開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭
取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須
走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、エムゾネこれ
らの権利について八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い
、正式に権利を認められた。−25−登山道の施設は1683年
の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社
等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されエムゾネて
いる。1707年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神
社、須走村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援
を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集
めた。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料エムゾネ
があるが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセッ
トにされた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、1
800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は
関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見エムゾ
ネられる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した
須走口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部
に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19エム
ゾネ03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が
長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間
エムゾネ大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また
、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。

82 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:28:13.19 ID:e+tsvdfn0.net
959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合
目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができ
なエムゾネい区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山
道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である
。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一
般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣
の道エムゾネ者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るため

83 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:34:43.99 ID:e+tsvdfn0.net
設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が
吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎
を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山
本道をエムゾネこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が次
第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の
道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道路が開通し
た後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を起点として登
るようにエムゾネなったため、五合目以下の道を利用する登山者は
激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も
多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上っ
て山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登エムゾネれる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然
紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保
護法の下に名エムゾネ勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別
名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)
1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘
調査・整備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2
006年「特別エムゾネ名勝富士山保存管理計画」を改訂2011
年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富
士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」
を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登
山道の起点に位置エムゾネし、祭神として木花開花姫命、天津彦彦
火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀ら
れていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年
には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の
社殿が整っていたとエムゾネされる。当神社は領主からの崇敬が

84 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:40:14.74 ID:e+tsvdfn0.net
く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、1
615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講と
のつながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光
清の寄進によって境内エムゾネの建造物群の修復工事が行われ、現
在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の
支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神
社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の
背後に登山門があり、こエムゾネの神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1
907年古社寺保存法の下エムゾネに東宮本殿が特別保護建造物の
指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名
勝に指定1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文
化財保護法の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年
西宮本殿・解体修理工事を行エムゾネう(〜64年)1978年「
特別名勝富士山保存管理計画」を策定1973年本殿・部分解体
修理工事を行う(〜74年)1981年東宮本殿・部分修理工事
を行う(〜82年)1997年東宮本殿・部分修理工事を行う2
008年本殿・屋根の葺替え修エムゾネ理工事を行う(〜09年)
2010年「重要文化財北口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を
策定2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を
策定(予定)A7西湖富士山の火エムゾネ山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この西湖にも多くの富士講徒
が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(せのうみ)」と呼ば
れる一つの湖だったが、日本最古のエムゾネ歌集・万葉集で〜の

85 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:45:55.59 ID:e+tsvdfn0.net
が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西
湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−
行する内八海巡りが行われたが、このエムゾネ精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔
に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだっ
た。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山エムゾネの火山活動により
形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多く
の富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も
使用された写真の撮影地点であり、重要なエムゾネ展望地点(vi
ewpoint)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの
写真家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士
山を追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の
峠道から撮影された「湖畔の春」という写真エムゾネは有名である
。この写真は、1984年に採用された5千円札及び2004年
に採用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖ま
で広がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔
の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のままエムゾネ現在も残し
ている。写真本栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7
・A8・A9)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根
)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関
する条例」を制定2006年自然公園法の下に本エムゾネ栖湖の湖
面全域での動力船の使用が規制される2011年文化財保護法の
下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画
」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南
西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展エムゾネして

86 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:52:23.24 ID:e+tsvdfn0.net
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久
夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用さ
れた湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山にエムゾネより
近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとさ
れる。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮める
ことを信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも

87 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 06:58:39.52 ID:e+tsvdfn0.net
い神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半エムゾネご
ろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹であ
る「浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治
の実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世
紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間エムゾネ
神社とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建
設された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝
した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間エムゾ
ネ大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築さ
れていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年現在
の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得にエム
ゾネおける優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・
支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂上部
の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈以降、
村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由しない登
エムゾネ山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れ
た。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅
間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保
護エムゾネ、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下
に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1
929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年
楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化
財保エムゾネ護法制定に伴い重要文化財に名称変更1952年本殿
の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修理等が行わ
れた1988年本殿の屋根の修理等が行われた1996年富士

88 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:04:25.44 ID:e+tsvdfn0.net
市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市教育委員会が調
査を行エムゾネった2005年本殿の屋根の修理等が行われた20
08年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により境内の発掘調
査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管
理計画」を策定2010年文化財保護法の下に他の文化財ととも
に史跡富エムゾネ士山として指定湧玉池は富士山本宮浅間神社境内
に所在する面積約2,500uの池である。池は約1万年前に噴
出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均14万〜(200
8年)の水を源としている。湧水のメカニズムは、富士山の標高
1000mエムゾネ前後ないしそれ以上の高所の降水が地下にしみ
込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満し、それが押し出
されるようにして末端から湧出したものである。浅間大社の位置
は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる
水源の山としエムゾネて崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧
玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神と
しての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来
には、地底からエムゾネ玉が湧き出るように湧水しているためとい
う説や湧く霊たま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世
紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は167
0年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝
し、富士山をめざエムゾネす登拝者が身を清める場として使用され
た。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図
」、17世紀初頭の登山記で確認できる。この絵図では現在の形
状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やそのための施設が見
られる。登拝者の水エムゾネ垢離は1920〜30年代まで行われ
、現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承されている。また
、湧水は聖なる水として現在でも利用する人が多い。湧玉池お

89 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:10:51.00 ID:e+tsvdfn0.net
び周辺には様々な宗教に係わる施設があるが、特に池の南端にあ
る「神幸橋」は、御神エムゾネ幸道の基点であり、現在でも169
1年に作られた石碑がたもとに残されている。−29−写真沸玉
池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東約5kmに位置し、
木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である。その起源は「富
士本宮社記」によれば、エムゾネ山足の地に祀られていた浅間大神
を、神話上の英雄である日本武尊が大神の神威により難を逃れた
謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び遷され浅
間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文献上で
の初見は1551年であるエムゾネ。神社は神事の際に使用する籠
屋以外の建物施設を持たず、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異
な形態を示している。この形態は古代からの富士山祭祀の形を止
めていると推定されており、エムゾネ遥拝所の主軸は富士山方向を
向いている。発掘調査では12〜15世紀にかけての神事に使用
されたと推定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し
、当神社での宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577
年までには浅間大社との間で「エムゾネ山宮御神幸」といわれる儀
式が開始された。これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅
間大社から山宮浅間神社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅
間大社へ戻る行事である。行事の意味として、現時点では神が4
月に旧跡に戻るという解釈と、山エムゾネにいる神が4月に田の神
として里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで
行われていた。なお、「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸
道と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約600m東へ向かった
後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上エムゾネして山宮浅間神社に至
る。道の出発点及び途中には1691年に置かれた距離を示す石
碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮浅間神社の写真B

90 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:16:43.18 ID:e+tsvdfn0.net
村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士山南麓に張り出
した標高約500mのバルコニー状地エムゾネ形に位置し、木花開
花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範囲には、
現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在
している。これらは1868年の神仏分離令までは一体のもので
あり、富士山興法寺(村山興法寺)と呼エムゾネばれていた。なお
、周辺には興法寺の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三

91 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:23:01.56 ID:e+tsvdfn0.net
(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確
認されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末
代上人による富士山頂への大日寺の建立にエムゾネあるとされる。
末代上人が富士山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も
残されている。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺
において修験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測で
きる。1259年には、現存する大日如来がエムゾネ寄進されたこ
とを仏像の銘で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で
修行する人々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点とな
ったと考えられる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活
動を組織化し、興法寺を再興したとされる。1エムゾネ5世紀に入
ると興法寺とそれを支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(
1478)で確認できる。1482年には修験道本山派の本寺で
ある聖護院と関係を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十
数軒あった道者坊が村山三坊に統合され、その活エムゾネ動を資料
で確認できる。坊に所属する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及
び山頂で行った。また、富士山への一般の登拝者も増加し、夜間
に白装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目指す多くの人々の
様子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。エムゾネ村山の
山伏は、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回巡回し加持祈
祷等を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西日本の一
般登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織化を図
ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川エムゾネ辺で
垢離を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢
離」の手法を広めている。加えて富士山を航海の目印とする伊豆
半島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺
の勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた1エムゾネ6
世紀前半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力

92 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:28:33.48 ID:e+tsvdfn0.net
背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺を
支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復され
、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ばエムゾネ
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築さ
れたものを基本としている。1868年、神仏分離令により浅間
神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、1906年
の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富士峰エムゾ
ネ修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は197
0年代より活発になった地域住民による伝統復活のための活動が
見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅間神社の
影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊勢町等でエム
ゾネは現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村山浅間
神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口登山道の
入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である。その
起源は1598年作の社伝旧記によると110年、日本武尊が蝦
エムゾネ夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さらに55
2年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社の存在が
確認できるのは1524年で修築時の棟札による。また、市天然
記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されており、
遅エムゾネくともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在し
たと推測できる。現在の社殿は1823年の再建である。170
7年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を受けたが、17
80年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,40
0人エムゾネの登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とと
もに当時の須山村の中心的存在であり、村全体で須山口登山道と
山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得
たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする等して権威を高めて
いるがエムゾネ、山頂部で発生した問題については、浅間大社の

93 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:34:32.56 ID:e+tsvdfn0.net
断を仰いでいる。須山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1
940年頃まで境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われて
いた。1883年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東
海道本線エムゾネ開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの
登拝者や登山者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍演
習場となり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし
、その後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周
辺は日本的エムゾネ伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い
。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である
。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来、交通の要衝で
あった。社伝エムゾネでは802年、噴火の鎮火祈願のために祭事
を行い、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地で
あるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとされる。
その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年のもの
である。16世エムゾネ紀には地元支配者である武田氏の保護を受
け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走
浅間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し
、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び
山頂部の散銭取得エムゾネ権の一部を得ていた。これら山頂部の権
利については八合目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間大社
と争いになり、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に
裁定を求めている。この結果、これらの権利は幕府によって認め
られた。また、冨士エムゾネ浅間神社神主や御師は須山の場合と同
じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権威を高めている。社殿
は、記録の残っている範囲では1662年、地元領主である沼津
城主大久保氏や小田原藩主稲葉氏などの援助によって修造が行わ
れた。しかし1707エムゾネ年の宝永噴火では3m以上の降砂

94 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:41:02.17 ID:e+tsvdfn0.net
埋もれ崩壊したため、1718年に再建された。この後もこの際
の部材を使用し、2009年の修理も含め何回かの修理がおこな
われている。境内には水路があり、水垢離に利用された。18世
紀末から19世紀初頭にエムゾネかけて富士講が隆盛を迎えると須
走口にも関東からの登拝者が登山又は下山の際立ち寄った。その
数は1800年の御縁年の際に約27,300名であった。同時
期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山回数等の記念

95 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:46:15.48 ID:e+tsvdfn0.net
を約80基造営した。またエムゾネ、神社には神社神官や御師が発
行した木版印刷による神影や神符の版木が保管されている。写真
冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭
祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か〜)が執り行っていたが、
864年〜866年に北麓でエムゾネ起こった噴火を契機に、北麓
にも浅間神社が建てられることとなった。それが、富士山を望む
河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であると
される。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官
道の宿駅という役割に加え、富エムゾネ士登拝が大衆化した中世後
半から御師集落として発展を遂げた。しかし、江戸における富士
講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集
落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河
口浅間神社は、現在も富士山と密エムゾネ接に結びついた宗教行事
を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠
かすことができない資産である。写真河口浅間神社の写真表法的
保護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化
財とともに史跡富士山として指定(エムゾネ予定)2011年「史
跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間神社冨
士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と、
河口湖畔に建立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉
田口登山道二合目に祭場をしつらえたエムゾネのが最初とされ、富
士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。富士修験
の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社
が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備さ
れたようである。また、社記によると9エムゾネ58年、二合目は
冬季における参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里宮
が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない、吉
田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに

96 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 07:53:15.71 ID:e+tsvdfn0.net
すことになる。しかし、昭和に入ると富士エムゾネ信仰のありかた
の変化や、富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰
退する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、
富士御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管
理が困難となって、1973年から74年にエムゾネかけて、−3
2−本殿を里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった
様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土
地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社である
。写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修エムゾネ理・整備の
経緯1973年本宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備さ
れた(〜74年)1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要
文化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995年外部
の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年エムゾネ「重要文
化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化
財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定
)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8御
師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登拝のためのエムゾネ一切の
世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くはエムゾネ短冊
状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路
の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き
、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外川家
住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最エムゾネ盛
期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川家住宅
は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の
東側南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西

97 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:05:46.64 ID:e+tsvdfn0.net
参詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所エムゾネ有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅
には所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表法
的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重要文
化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年屋根の
葺替えを行エムゾネう1996年雨樋いの補修を行う1997年主
屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い2010

98 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:11:55.08 ID:e+tsvdfn0.net
「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画」を策定B9山中湖富士
山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士山の北東に位置
する。富士山エムゾネ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行わ
れたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝
地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられ
たほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある芸術家も多く
、山中湖を描いエムゾネた文学や絵画が散見する。富士山の頂上付
近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、多くの
写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖富士山の火山活
動により形成された堰止湖で、富士山の北に位置する。富士山周
辺の湖を巡って修エムゾネ行する内八海巡りが行われたが、この河
口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で
、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのあ
る芸術家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この
河口湖が最も多い。エムゾネ葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師
も、河口湖越しに見える富士山を描いている。写真河口湖の写真
表法的保護、修理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「
山梨県富士五湖の静穏エムゾネの保全に関する条例」を制定200
6年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制
される−34−2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定
)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B1
1忍野八海富士山の北東エムゾネ、忍野村忍草にある、富士山の伏
流水による八つの湧水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧
池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を
祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者た
ちはこの水で穢れを祓ったエムゾネ。長谷川角行が行った富士八海
修行になぞられ「富士御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられ

99 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:18:06.25 ID:e+tsvdfn0.net
古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者によって再興さ
れたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周
辺図表法的保護、修理・整備エムゾネの経緯1934年史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計
画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010年街
なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14
年)2011年「天然記念物忍エムゾネ野八海保存管理計画」を策
定(予定)B12船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされる
長谷川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津
胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考え
られる)を発見し、浅間明神を祀エムゾネった。1673年、富士
講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った
焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ
、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという
故事に倣い社号を無戸室浅間神社とエムゾネ名付けた。富士道者は
、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内
外の地形空間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富
士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られてい
る。写真船津胎内樹型の写真表法的保エムゾネ護、修理・整備の経
緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定
2010年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定天然記念物
溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉田胎内樹
型吉田胎内本穴は、1892年に富士道エムゾネ者により整備され
た「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士
講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、その
下段には、さらに横穴があり左右に分かれエムゾネている。右の穴
が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫

100 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:24:26.74 ID:e+tsvdfn0.net
祀る母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き、
夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。−35−本穴に
ついては、古くから冨士山北口御師団が管理エムゾネしている。写
真吉田胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929年
史跡名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「
天然記念物吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講
遺跡富士山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街エムゾネ道沿いに位
置する。木花開花姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間
神社と富士講の人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟であ
る人穴がある。長さ約83mの人穴は約11,000〜8,00
0年前に流出した犬涼山溶岩流中に生成したものエムゾネである。
1300年前後に成立した文書である吾妻鏡によれば人穴は霊的
な場所であり、地元では「浅間大菩薩の御在所」とみられていた
ことが記述されている。この内容は遅くとも1603年までに説
話化され、多くの人にその存在が知られていた。富エムゾネ士講関
連の文書では1558年、開祖とされる長谷川角行が役行者のお
告げにより人穴に至り、洞窟内で立行等を達成し、浅間大菩薩よ
りお告げを得たとしている。角行は人穴を浄土への入り口とし、
「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀以降、人穴エムゾネは富
士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけでなく修行を行
う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利用者と推定され
る。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあったと推定され
ている。人穴浅間神社の創建は明確ではないが、164エムゾネ8
年及び1665年、その前身である光〜寺が富士講二世日珀(正
しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興された記述があ
り、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再興された。1
868年の神仏分離令により20世紀までには大日堂が人エムゾネ
穴村の氏神としての浅間神社となった。1942年、付近が軍

101 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:30:34.98 ID:e+tsvdfn0.net
地となったため一時移転したが、1954年に現在地に復興され
た。境内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養
碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰によるものであエムゾ
ネる。そのほかに富士山に何回も登ったという登拝記念や大願成
就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の
講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推
定されている。碑塔で建立年代のわかる89基の内、富士講がエ

102 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:36:15.03 ID:e+tsvdfn0.net
ゾネ隆盛した18世紀末から19世紀前半(1781から185
0年)に建立されたものが半数(44基)、19世紀末より20
世紀前半(1871から1940年)のものが3分の1(29基
)を占める。写真B14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5k
エムゾネmにある落差約20〜25m・幅約120〜210mの数
百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に噴出した白糸溶岩流
の末端から湧き出す一日平均13万〜の水を源としている。滝の
名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため
名エムゾネづけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池と同様であり
、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界に降水・雪
解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間よ
り湧き出しているものである。このメカニズムが解明される前の
19エムゾネ世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を富
士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書では、
開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行った
地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人エムゾネ々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1
854年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼ
の中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」とし
ている。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に
描かれてエムゾネいる。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共
にその存在が長谷川角行との関わりを通して紹介されている。ま
た、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の
題材となっている。写真B15の写真表法的保護、修理・整備の
経緯193エムゾネ6年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国
立公園に指定1936年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及
び天然紀念物に指定1987年富士宮市により「白糸ノ滝」保存
管理計画が策定2010年富士宮市により保存管理計画が改定

103 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:42:05.95 ID:e+tsvdfn0.net
れ、これにとエムゾネもなった整備計画に基づき、滝周辺の景観整
備が行われた(3)眺望C三保松原富士山頂の南西約45kmに
位置する駿河湾に突き出した長さ約7kmの砂嘴をなす三保半島
上の松原である。現在、5万4千本の黒松が外海側海岸線4km
を中心に繁茂しエムゾネ、その中でも樹齢約650年といわれる「
羽衣の松」付近は、富士山と砂浜の松という日本で好まれた景観
を組み合わせて望むことができる景勝地として知られている。三
保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形となったと考
えられ、三保の名エムゾネ前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえた
という説が有力である。かつては半島一帯に松が繁茂し、8世紀
初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉集
」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央エムゾネの権力者に富士山と組み合わされた景
勝地として認識され、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満
と足利義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船
で渡り富士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保
半島内海側に富士見櫓エムゾネを建設した。文学では「万葉集」以
降も和歌等の詩の題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣
の松を舞台とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに
成立した。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話
の最終場面ではヒロインエムゾネの天女が富士山方向へ飛び去って
いく描写が見られる。これはすでに成立していた「竹取物語」で
示された富士山の噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えと
の関係が指摘されている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝
えられ、イェーツ、パウンエムゾネドといったモダニズムの作家に
影響を与えるとともに、伝統芸能である「能」が世界に広まるき
っかけを作った作品である。また、絵画でも15〜16世紀には
三保松原を右に富士山を左に配する構図が描かれ、この構図は

104 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:47:54.78 ID:e+tsvdfn0.net
野探幽により完成され、19エムゾネ世紀に至るまで日本画・浮世
絵において富士山を描く際の典型的構図とされた。また、20世
紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描い
た。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地となり松が守ら
れてきた。江戸幕府滅亡後は内エムゾネ海側の開発が進んだが、外
海側の景観は保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財
に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイム
シによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写エムゾネ真三保松原(現在の写真
・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存
法の下に名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策
定1977年名勝地内の一部が指定エムゾネ解除1989年名勝「
三保松原」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追
加指定及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書
を改定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環
境を構成する諸要素世界文化遺産「富エムゾネ士山」の顕著な普遍
的価値は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価
値富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m
)の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的
美しさと崇高さを基盤として日本人の自エムゾネ然に対する信仰の
在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕
著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育
んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術
活動などを通じ、時代を超えて一国の文化エムゾネの諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、
人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型と
して、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山であ

105 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:53:20.68 ID:e+tsvdfn0.net
。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資エムゾネ産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに
緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山エムゾネ道B信仰に
関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山
の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山本

106 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 08:59:15.89 ID:e+tsvdfn0.net
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰
、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、エムゾネ浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安河
原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須
走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道
・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八エムゾネ幡堂跡
(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・12号建
物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・
石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳神社・迎久須
志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・現登エムゾネ山道
・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨士浅間神社
−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大塚山・御鞍石
A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖水・中ノ倉峠か
らの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧玉池(上エムゾネ池
、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・楼門・手水
舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬場・禊所・神
幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)・随身像・
狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄干エムゾネ
橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・社叢・
籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所・
石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・エムゾ
ネ大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮守社
)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛
犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎
・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神エム
ゾネ社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上
がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛犬

107 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:04:29.46 ID:e+tsvdfn0.net
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
エムゾネ)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、
小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9
山中湖・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出
口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・
湧エムゾネ水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石
造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・
溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡
・道エムゾネ跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆
積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講
・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の巻狩の伝
承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制B地区・
第1種エムゾネ規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型
等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富士山原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本
栖風穴等エムゾネ)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社
・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢
林、境内林・富士山特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園富
士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展
示館、管理エムゾネ棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道
路とその他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素・富士山測候所・
NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要素(山並み、河川など
)A歴史的要エムゾネ素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成
する諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、道路

108 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:10:36.70 ID:e+tsvdfn0.net
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
景観的には山体の傾エムゾネ斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画
などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートに
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿
って、富士山体を一周エムゾネする。15〜16世紀ごろ富士講の
祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−
41−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺
跡の分布図・富士山本宮エムゾネ奥宮富士宮口登山道頂上に位置し
、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末
代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、
写経を埋納下した」とあるエムゾネ。江戸時代には、村山三坊所有
の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山
中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭っ
た。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ
139×幅64×厚さ18pエムゾネ)奥宮の裏手、浅間岳の麓に
所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られて

109 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:17:07.15 ID:e+tsvdfn0.net
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点にある

110 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:22:48.10 ID:e+tsvdfn0.net
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師
堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮エムゾネの写真・金明水雪解け
水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍
重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士
山頂の霊験あらたかな湧き水として珍エムゾネ重された。『富士の
歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(
高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年
」の2つの年代が確認できる。富士講のエムゾネ人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅6
3p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑B
(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑
群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳エムゾネ、久須志岳、成
就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径
約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住む
とされた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあエムゾネることから、
鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考
えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記』には「
ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカニカゾ
ヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉エムゾネを構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は、明
治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査
報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣エムゾネヶ峰か

111 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:29:03.47 ID:e+tsvdfn0.net
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[
久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼
ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜
はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ
ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が
欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の文字が確認エムゾネ
できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73
4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口
の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m
)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ
ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を
越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]
伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム
ゾネ頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,71

112 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:34:12.11 ID:e+tsvdfn0.net
エムゾネm)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰
全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]
−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「
三エムゾネ島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳
の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近
に、10体の石像が安置されている。これらは原位置を留めてお
らず、周辺にあったものが集められたと考えられる。いずれも頭
部をエムゾネ欠損している。・大内院山頂の火口中央に存在する穴
で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)
は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小
さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じられ、登山者は各
登山口エムゾネに設けられた拝所あるいは初穂打場から、噴火口に
向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されてい
る。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中
にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつ
ては噴火エムゾネ口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬の
背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整
地されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者
たちの多くエムゾネは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河
原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。か
つては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者た
ちが溶岩礫を積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ば
れ、火口に向エムゾネけて賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西
安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦
部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐
点に位置する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩

113 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:39:41.65 ID:e+tsvdfn0.net
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある

114 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:44:51.18 ID:e+tsvdfn0.net
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間
大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった
。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特
定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山
拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2
年(1913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手
の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・
村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮
拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の
鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490
)、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ
たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ
岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と
一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの

115 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:50:51.66 ID:e+tsvdfn0.net
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3
.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ
ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自
分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30
年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写
真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山
道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50
0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走
る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり
、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段
には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返
しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人
は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として使われ
た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が
東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写真

116 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 09:56:25.39 ID:e+tsvdfn0.net
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5
0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が
ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による
調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた
が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ
では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ
され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1
体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に
は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ
ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推
測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀
釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム
ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平
場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存している。

117 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:02:04.40 ID:e+tsvdfn0.net
う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸
約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の
縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」
として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図
」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ
る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『
駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往生寺

118 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:07:50.66 ID:e+tsvdfn0.net
あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12
号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位
置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地
点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石
組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ
ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ
る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と
刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧
須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m
余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西
側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ
の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延
長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現
在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字
型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ
の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10
30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083)
の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した
測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485
m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って
形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され
ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興
後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南
東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内
の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建てられ

119 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:13:08.45 ID:e+tsvdfn0.net
いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)
」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ
れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に
、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅
間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿
は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前
には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝
殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志
之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管
理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、
江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ
る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴
命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで
あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる
日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい
う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上
で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠
と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山
道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目
、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然
木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・狛犬

120 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:19:20.82 ID:e+tsvdfn0.net
山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の
登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場
所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって
いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。
日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉
田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口
登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要
素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小
屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな
り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か
ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな
る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格
的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい
ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合
目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん
ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等
がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として
役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋
については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信
玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時
代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最
盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の
写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネり、

121 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:24:33.36 ID:e+tsvdfn0.net
れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身
禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐
国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小
屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と
あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた
ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真
烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が

122 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:30:01.67 ID:e+tsvdfn0.net
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ
ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄
進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神
社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ
富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である
。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが
ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ
ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた
形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、
極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム
ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の
向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は
もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇
股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最
もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・
西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に
より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成
次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は
東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一
間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に
取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する過程

123 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:35:17.25 ID:e+tsvdfn0.net
、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49−写真西宮本
殿の写エムゾネ真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富
士山を遙拝した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所
と位置づけている。さらに、788年には新たに浅間明神を建て
、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられ
る。現在エムゾネこの地は、流山状の小高い丘をなしており、日本
武尊を祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図
・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日
にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読ま
れる祝詞のエムゾネ一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる
。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点
在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝
の対象としてエムゾネ数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を
巡って修行するエムゾネ内八海巡りが多くの富士講徒によって行わ
れたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真精進エムゾネ湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が
点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりエムゾネが深い。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがあ
る。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本

124 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:40:25.88 ID:e+tsvdfn0.net
浅間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の
北側にある丘陵地一帯エムゾネは神立山と称される。神立山及び富
士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩
流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため
指定地内の一部では溶岩エムゾネ礫が露出し、縄状溶岩も散見され
る。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(16
70)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物
が描かれ、発掘調査で石畳エムゾネや護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」
は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降
った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層
間を流れ、溶岩流末端で湧出エムゾネして池になったものである。
禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、
下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で
心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池
であった。現在も富士山山開きエムゾネの7月1日には、湧玉池で
禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山
表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生
育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の
生息に適した環境でもあり、「野エムゾネ鳥の森」碑が建てられて
いる。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社
伝によれば大同元年(806)に造営されたという。かつての駿
河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として
崇められている。現在の社殿は、慶エムゾネ長9〜11年(160
4〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写
真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財である。「浅

125 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:45:32.16 ID:e+tsvdfn0.net
造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。
1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟エムゾネ造、2階上層は桁行
3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40年(
1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定
され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿
全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平エムゾネ面図(幣殿・拝殿
含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3

126 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:50:47.96 ID:e+tsvdfn0.net
の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれて
いないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひ
はだぶき」と書き込まれており、本殿の全エムゾネ景がよく見える
ように描かれたと推測される。県指定文化財として保護されてい
る。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっ
ている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面
に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らエムゾネせ、背面は幣
殿に接続している。県指定文化財として保護されている。[透塀
]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七
之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延
長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護さエムゾネれている。
[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右
脇に扉がついている。楼門の左右には随身像が安置してある。静
岡県指定文化財として保護されている。写真楼門全体の写真図楼
門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭エムゾネ和9年(
1934)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、
参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすすぐ、手水舎があ
る。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置されている。・
石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてエムゾネいる。
昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の
馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・
桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに渡
って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩をエムゾネ行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期
にはすでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿
って両側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と
下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組エムゾネま
れている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口

127 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 10:56:17.99 ID:e+tsvdfn0.net
石造りの橋が架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山
宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵図で
は橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向エムゾネ
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵
図には既に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改
められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図
・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、護摩堂跡エムゾ
ネと考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。
石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、
石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認された。
桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えられるエム
ゾネ。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
エムゾネ月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住
番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井
三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写
真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
てエムゾネいる。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸
道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御
神幸道の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(16
91)未年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也
」とエムゾネ刻まれている。昭和59年(1984)に浅間大社境
内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西
側に、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てら
れている。・七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社
「七之エムゾネ宮浅間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前

128 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:01:33.87 ID:e+tsvdfn0.net
石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・
欄干橋(神路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けら
れているエムゾネ。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、
寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられている。
写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石
鳥居から参エムゾネ道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流
上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子
山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よ
って、山宮浅エムゾネ間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所
の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によ
って流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生エムゾネの回復は遅れていたと考えられる。そのた
めに、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていた
ため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超エムゾネえる巨木4本を含むスギ林が、約9,7
80uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されて
いる。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間
神社を往復する祭儀エムゾネ「山宮御神幸」において、これに同行
した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿
った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾で
あり、籠屋をくぐってエムゾネすぐの位置に1つ、石段の手前に

129 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:07:19.12 ID:e+tsvdfn0.net
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘
陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしく
は戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約4
5m四方が石塁により方エムゾネ形に区切られている。青沢溶岩流
の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む
土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと思われ
る土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀か

130 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:13:22.60 ID:e+tsvdfn0.net
15世紀、もしくは後の時エムゾネ代に築造されたものと推定され
る。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲
にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後
に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・エムゾネ遥拝所富士山を直接拝礼し、
祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設である
。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p
程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む
方向に祭壇が位置し、祭壇に向エムゾネかって左側に祭儀を行う際
の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供
僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(19
31)に建立されたものである。エムゾネ・参道石鳥居から籠屋ま
で参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩
の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で、両見付
から先は急傾斜地となっている。村エムゾネ山地区は標高が高く、
他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水
源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があ
り、水垢離や生活用水として利用されてきた。またこの湧水を水
源とする村山沢は南流して渓谷を刻みエムゾネ神社西側から大沢川
となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つで
ある。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和
43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定された。目通
り8m、根回り9.15m、樹高26mエムゾネ、枝張り東西19
m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が
数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳
の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以

131 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:19:53.32 ID:e+tsvdfn0.net
はウロの中に大日如来が祀られていたといエムゾネわれ、現在でも
祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然
記念物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木であ
る。境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張
り東西17.5m、南北31m、樹高47mエムゾネもある。中心
部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の
樹齢とされるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される
。・社叢境内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。ア
カガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見られエムゾネるが、裏山
の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹
林に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏
分離令によって境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に
木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火々出見命、エムゾネ瓊々杵命
、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ってい
る。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、
幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一
部木造に建替えられている。写真社殿の写真図社殿エムゾネの図面
・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)
に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えら
れている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、エムゾネ部材
の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられ
るが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7
間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図エムゾネ社
殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道者が
垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4m
の長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周

132 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:25:41.47 ID:e+tsvdfn0.net
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
エムゾネ堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富
士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮
守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年
五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。
現エムゾネ在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和2
8年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている
。平エムゾネ成15年の再建に合わせて建てられたものである。・
手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水
舎が設置されている。明治16年(1883)に設置されたもの
である。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くもの
と、大エムゾネ日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・
狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている
。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・

133 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:31:40.42 ID:e+tsvdfn0.net
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1

134 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:36:43.76 ID:e+tsvdfn0.net
23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面
・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西エムゾネ側に建てられている。・狛犬境内には、社殿
前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前
の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り口
のものは平成1エムゾネ3年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と
刻まれた水盤も置エムゾネかれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンク
リート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコ
ンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)
に奉納されたものでエムゾネある。・石碑鳥居の東側に、郷社とし
て奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社
八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境
内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。
B5冨士浅間神社図以エムゾネ下に示す要素が点在している平面図
・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がってい
る。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天
然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1
963)2月19日に静エムゾネ岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.
10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多
い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では
数本しか見当たらないが、エムゾネ境内には10本が生育している
。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物

135 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:42:39.02 ID:e+tsvdfn0.net
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
18年8月24日に小山町の文化エムゾネ財(建造物)に指定され
た。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部
材は享保年間(1716〜36)のものが今なお使用されている
。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結しエムゾネた権現造である。拝殿
は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残した流
造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間
の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁
間2間の両下造。本殿が三間社流造、エムゾネ向拝1間、屋根は全
て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面・楼門二
階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。
北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永
噴火により社殿とともに大破しており、エムゾネ現在のものは明和
4年(1767)随神が寄贈された当時に再建されたものと考え
られる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺
き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としてい
る。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩のエムゾネ石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」と刻まれている。明

136 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:49:00.56 ID:e+tsvdfn0.net
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、
その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた
宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの
建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の
噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69
7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第
一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図
社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい
る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に
祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現
在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ
も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝とい

137 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 11:55:09.92 ID:e+tsvdfn0.net
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とエ

138 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:00:16.23 ID:e+tsvdfn0.net
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真
図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士
講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼
宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住
宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入
り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ
れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型
」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、
富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ
るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な
御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の
写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背
面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は間

139 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:06:40.07 ID:e+tsvdfn0.net
11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建
つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋
をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら
れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、
屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家
の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現
状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士
山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒
によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形
(湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行
する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している
平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ
ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で
あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して
いる平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行
が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている
地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は

140 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:12:13.94 ID:e+tsvdfn0.net
承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に
所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ
ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、
そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した
あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの
であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見
され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神
誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無
事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名
付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し
ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整
備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価
値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空
間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴
火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本
穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の
胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と
して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本
穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である
木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流
人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5
,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置
している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴
出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる
溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴

141 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:18:29.35 ID:e+tsvdfn0.net
穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千
日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶
岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け
た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端
が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か
ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある

142 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:24:28.47 ID:e+tsvdfn0.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61
−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社
社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている
。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ
の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも
のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み
が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ
ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34
m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の
石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道
跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム
ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されてい

143 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:30:07.64 ID:e+tsvdfn0.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り馬蹄

144 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:35:21.66 ID:e+tsvdfn0.net
に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は
、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に
透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降
った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を
流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし
て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が
湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時
に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸
の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル
を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖
面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白
糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と
も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった
ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい
る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石
」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相
がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸
の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白
糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと
が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を
行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が
建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や
、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等
がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂らし

145 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:41:40.15 ID:e+tsvdfn0.net
ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音
止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写
真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景
とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻
狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行
ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前
は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に由来

146 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:48:02.44 ID:e+tsvdfn0.net
るもので、兄弟が仇討ちの相−63−談をしている間は水音を止
めたことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻
狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。
・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くかエムゾネら詩歌に詠まれてきて
おり、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑があ
る。・標識名勝及び天然記念物であることを明示する標識がある
。B眺望C三保松原図以下に示す要素が点在している平面図三保
松原は、静岡市清水区南東部に位置すエムゾネる三保半島にあり、
半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメートルに及
ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真崎から海
岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内
陸部の松林と松林の景観を維持しているエムゾネ背後地については
、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た老
木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図三保
松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界@特別規制A地区真
崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界エムゾネは、隣接する特
別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延
長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮
堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在においてエムゾネ松原を形成し
ている地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、
運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種規制地
区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都
市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制エムゾネ地区との境
界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区との
境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接
する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規
制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位エムゾネ置とす

147 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:53:48.63 ID:e+tsvdfn0.net
。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界は、市道本
村海岸58号線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境
界は、@ABを参照。D第3種規制地区各地区との境界はABC
を参照。(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムゾネと密接
に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には、山並み、湧水や
富士山及び側火山の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹
型などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素と
なって存在しているものもある。ア富士山山体及び登エムゾネ山道
A富士山−64−・テフラ噴火の際、山頂火口から粘性の小さい
玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付
近はテフラに覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる
多くの浸食谷の中で最も大きなもので、富士山西斜面のエムゾネ山
梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,200m付近ま
で延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡る
。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の岩石・土砂を流出し
、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩れの写エムゾネ
真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山口登山
道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中
宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物エムゾ
ネ跡と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する。2
,015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような
地形になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸
から右岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んエム
ゾネだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を
繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走
口登山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質の
テフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われ

148 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 12:59:21.63 ID:e+tsvdfn0.net
エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ
る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶
岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基
盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流
については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ
れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の
特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して
いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山
起源のエムゾネ火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。
参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167
0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる
。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘
陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な
要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成
立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B
4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している
ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地
の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで
流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊
する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河口湖

149 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:04:49.36 ID:e+tsvdfn0.net
11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的
形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の
表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ
め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B
14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の
土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B15白糸

150 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:11:02.79 ID:e+tsvdfn0.net
滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものが
ある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地に
は、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青木
ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢林
・境内林などが存在しエムゾネている。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が
生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり
、植物の垂直分布では、エムゾネ丘陵帯から山地帯にあたる。戦後
、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほとんどが
人工林であるが、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂
跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹
の自然林が残っている。林エムゾネの下にはササ(スズタケ)が視
界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付
近から新5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、
植物の垂直分布では、山地帯から亜高山帯にあたる。高所に上が
るにつれてブナ・カエデなどエムゾネの広葉樹からウラジロモミ・
シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹
とササがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,4
00m付近から上で、植物の垂直分布では高山帯にあたる。この
付近の植物は7月下旬から9月エムゾネ上旬にかけていっせいに花
を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂
直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹
林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類エムゾネ)にあたり、林床にはサ
サ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付近は
、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなどが

151 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:16:36.72 ID:e+tsvdfn0.net
くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近くな
るにつれて樹高が低くまばらになるエムゾネ。宝永噴火の際に噴出
したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付近の森林
限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口
登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物
の垂直分布で高山帯にあたる。オンタエムゾネデ、イタドリ、フジ
ハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目
(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オ
オシラビソ・コメツガなどが分布する。エムゾネ須走口登山道の森
林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分
の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田
口登山道標高1600m付近より下方の区エムゾネ域は、山地帯に
属する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジ
ロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原の
レンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在すエムゾネるのもこの地
域である。標高1600mから2500m付近までの区域が亜高
山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成し
ている。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカン
バが生えている。・焼山部分の植物標高250エムゾネ0m付近か
ら上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない。植物はほと
んどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼ばれ
た。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的
価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育エムゾネし、乾燥
に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ム
ラサキモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社

152 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:22:22.77 ID:e+tsvdfn0.net
7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社エムゾネ構成資
産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植栽された樹木等が存在している。−68−B2山宮
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在しエムゾネてい
る。B3村山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成す
る社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽されエムゾネた
樹木等が存在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八エムゾネ
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・
境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在して
いる。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林エムゾ
ネや植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及
び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造
物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在しエム
ゾネている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内
エムゾネ標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統

153 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:28:30.21 ID:e+tsvdfn0.net
された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山道な
しA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
っエムゾネたデザインで統一された案内標識等の整備が進められて
いる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドライン
に沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められてい
る。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・
20エムゾネ06年3月22日より、自然環境や適切な利用環境

154 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:33:50.90 ID:e+tsvdfn0.net
保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定
された。こうした規制内容を説明するための説明板や水上バイク
等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設置されてい
る。・エムゾネ中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千円札)
の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとな
った岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線沿いの中之
倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公園法の第2
種特別地エムゾネ域として、観光施設等も景観に配慮されている。
イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北
側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源
を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部をエムゾネ灌漑する用水路である。開削時期は不明である
が水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつ
れ生活用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質
悪化により生活用水としては利用されなくなっている。・社務所
−70−楼門エムゾネから続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社
の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続
く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て
られている。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(19
78)に建てらエムゾネれたもので、直会や各種会合に利用されて
いる。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大
社境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から
7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在エムゾネは、同時期に改修された神田川護岸も含
め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。
広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施
設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南
東側には、長さ7.エムゾネ3m、幅11.5mの御手洗橋が架

155 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:40:01.53 ID:e+tsvdfn0.net
られている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に架け
られたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整
備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1
方面隊第3分団の詰所エムゾネが、神立山南西の端に建てられてい
る。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に指定されて
いることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所
拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納エムゾネ所西側に、大金剛杖が置かれてい
る。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が
設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(
料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮
浅間神社・案内板・説明板エムゾネ籠屋の南側に、案内板等が建て
られている。山宮浅間神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の
概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社の
概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すもの
の3本である。・手すり籠屋エムゾネから遥拝所へ向かう石段の脇
に、手すりが設置されている。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参
道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている。・ト
イレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側
に、コンクリート製の水道施設エムゾネが設置されている。−71
−・水飲み場水道施設の南側に、コンクリート製の水飲み場が設
置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥
居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。
・燈篭コンクリート製の鳥居からエムゾネ籠屋へ至る参道の両側に
氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されている。また、籠屋北側
鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車場乗用車3台
程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿い
に設けられている。・石碑山宮浅間エムゾネ神社の由緒を記した

156 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 13:45:57.50 ID:e+tsvdfn0.net
碑が、駐車場の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、
道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3村山浅
間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられてエムゾネいる。・村山公会堂
社務所の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会
堂が建てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置され
ている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手
すりが設置されている。・御神木柵県指エムゾネ定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・御
神木指定証県天然記念物に指定されているイチョウと大スギが、
御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの
幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社エムゾネが、大正14年
(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側
に設置されている。また、昭和62年(1987)に寄贈された
「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に
設置されている。・児童公園六道坂入り口付エムゾネ近に、すべり
台等の遊具を備え、またプールを併設した児童公園が整備されて
いる。・駐車場境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい
る。−72−・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完
成を記念する碑が建てられている。昭和33年エムゾネに建立され
た。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登
山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地
図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山浅間神社・
御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説エムゾネ明版が、
富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・
洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に
設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブルエムゾネ須山

157 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:18:19.79 ID:e+tsvdfn0.net
古文献もある。エムゾネまた、『竹取物語』における伝説もある。
「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と
称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・
バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フ
ンチヌプリ」に由エムゾネ来するとの説を提示した。しかし、これ
は囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」から
きた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として、マ

158 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:23:27.30 ID:e+tsvdfn0.net
語説・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富士山
」と表記されるに至エムゾネるにおいては駿河国富士郡に由来する
とするものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を
富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。富士山に因む
命名富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に
「富士」の付く地名がエムゾネ多数存在している。富士山の麓とし
て静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・富
士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものとして富士山が
見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見市)、富士
山に似ている山(主に成エムゾネ層火山)に「富士」の名を冠する
例(信濃富士など)がある。日本国外に移住した日本人たちも、
居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富士
見」および「富士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、
321座を超える数の富士エムゾネと名の付く山があり、それらを
郷土富士と呼ぶ。詳細は「郷土富士」を参照なお、地名以外にも
「富士」を冠した名称は多く存在する。詳細は「フジ」を参照ま
た、異名として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上
の富士山富士山周辺の地形図エムゾネ富士山の構造図地質学上の富
士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線
を持つ。現在の富士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火
山活動によって形成されたものだと考えられている。先小御岳(
せんこみたけ)火山小御岳(こエムゾネみたけ)火山古富士(こふ
じ)火山新富士(しんふじ)火山この中で先小御岳が最古であり
、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所
が2004年4月に行ったボーリング調査によって、小御岳の下
にさらに古い山体があることが判エムゾネ明した。安山岩を主体と
するこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。古富士は8
万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した火山

159 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:29:54.06 ID:e+tsvdfn0.net
降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝
永火口の北側1〜2kmのところにエムゾネあったと考えられてい
る。2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動
が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのこ
とである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士
宮市−富士吉田市間で約2cm伸びたエムゾネ。これはマグマが蓄
積している(活火山である)現れとされている。プレートの観点
からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又は
オホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静
岡構造線)に南からフィリピン海プレーエムゾネトが沈み込む位置
であり(ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリ
アナ島弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三
重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでいる
フィリピン海プレートのさらに下に太平洋エムゾネプレートが沈み
込んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に
太平洋プレートに由来するものである。富士山の火山上の特徴は
、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること、日本
の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出エムゾネしているのに
対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山が非常
に多いことがある。富士山頂山頂火口を上空より山頂火口山頂に
は火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むよう
にして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火エムゾネ口の南西側
に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士山。標高37
75.51m2014年4月1日改算)、火口の北側には二等三
角点(点名は、富士白山。標高3756.23m2014年4月
1日改算)が設置されている。火口の構造は、国エムゾネ土地理院
によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約23
7m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は130m

160 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:35:02.67 ID:e+tsvdfn0.net
る。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅
間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確エムゾネ定であ
る。2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見で
も静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めな
いことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し
ている地形図では2013年10月から地図上の地点エムゾネを指
定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが
、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が
表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を
指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨エムゾネ県
などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については
非表示になるよう変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山
(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生
した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置しエムゾネ
標高は2,693mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開
いている。これらを間近で見ることができる登山コースも整備さ
れている。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴
火詳細は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1エムゾ
ネ万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量
に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富
士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,エム
ゾネ500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大
規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新
富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前〜約8
,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜約3,2
エムゾネ00年前の1,300年間と考えられている。山頂部から
の最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部か

161 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:40:25.58 ID:e+tsvdfn0.net
噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的
に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に
延エムゾネ暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し
た貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707
年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4c
mの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の
山体エムゾネに宝永山が形成された。その後も火山性の地震や

162 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:46:59.28 ID:e+tsvdfn0.net
が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。噴火の
年代が考証できる最も古い記録は、『続日本紀』に記述されてい
る、天応元年(781年)に富士山より降灰があったくだりであ
る。平エムゾネ安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富士山が
作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。平安
時代の歴史書『日本三代実録』には貞観大噴火の状況が迫力ある
文体で記載され、平安時代中期の『更級日記』には、富士山の噴
気や火映エムゾネ現象を表した描写がある。宝永大噴火についての
記録は、新井白石による『折りたく柴の記』をはじめとした文書
、絵図等により多数残されている。その後も、噴煙や鳴動の記録
は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で
終わったもエムゾネのと推測される。宝永大噴火以来300年にわ
たって噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで小学
校などでは富士山は休火山と教えられていた。しかし先述の通り
富士山にはいまだ活発な活動が観測されており、また気象庁が休
火山という区エムゾネ分を廃止したことも重なり、現在は活火山に
区分されている。2013年7月20日、産業技術総合研究所は
、1999年から約15年分の踏査データや地質調査データをま
とめ富士火山地質図第2版(Ver.1)として発表し、201
6年には修正加エムゾネ筆が終了した。同時に、溶岩が流れ出す規
模の噴火は過去2000年間に少なくとも43回あったとしてい
る。山体崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山体崩壊(岩
屑がんせつなだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に
5回、北東側に3エムゾネ回、東側に4回の計12回起きたとされ
ている。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動による
マグニチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている。主
な発生歴約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模(約1
8億立方メートル)エムゾネな山体崩壊が発生し、泥流が御殿

163 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:53:13.01 ID:e+tsvdfn0.net
辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下
、山体崩壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震に伴い発生
。1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴火予知連絡会
(気象庁)−富士山のエムゾネみを限定するものではないが、日本
の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表
するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年
3回実施されるが、噴火時には随時開催される。2000年10
月に富士山の低周波地震エムゾネが増加した際は、ワーキンググル
ープが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視
体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討された。富
士山ハザードマップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴火時の広
域避難のために必要なハザエムゾネードマップの作成が、検討委員
会を通じて進められている。富士直轄砂防事業(国土交通省)−
大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対
象を守る砂防事業を実施中。山梨県は2015年6月11日、「
富士山噴火時避難ルートマッエムゾネプ」を作成した。「静岡市市
長の田辺信宏は2016年1月22日の定例記者会見で、市消防
航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者を救助中にヘリコ
プターから落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防
止策として、市消防局がヘリでエムゾネ救助できる山の高さに32
00メートルと上限を設けたことを明らかにした。」。地殻変動
の観測国の機関(防災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産
業技術総合研究所)及び大学(東京大学地震研究所)などにより
観測が行われている。国土地理院エムゾネ:地磁気観測点が、鹿野
山測地観測所、水沢測地観測所および江刺観測場に設置されてい
る。また、山頂にはGPSの電子基準点。気象庁観測所:地震計
(山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)
、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎エムゾネ坊、上井出)、G

164 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 14:59:33.85 ID:e+tsvdfn0.net
(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動
可視情報化システム(VIsualizationsystem
forVolcanicActivity)噴出物災害などへの
対策国土交通省、富士砂防事務所:静エムゾネ岡県、山梨県と連携
し火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・
検討を実施しハザードマップが作成されている。しかし、山体崩
壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である。富
士山と気象気候山頂は最暖月の8月でもエムゾネ平均気温が6℃し
かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10
℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月
や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10
を占める。観測史上最低気温は−38.0エムゾネ℃で最高気温が
−30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃を上回る
ことがない1日というのは北海道でも例がない。富士山での気象
観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置してい
た気象官署が富士山測候所である。現在は富エムゾネ士山特別地域
気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行
っている。詳細は「富士山測候所」を参照気象現象山体に強風が
吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。20
10年12月15日には、神奈川県の西部からエムゾネ南部にかけ
て黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西
風に乗り降り積もったと考えられると報道された。富士山北麓の
一部農地(現在の山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2
600m付近に現れる農鳥(鳥の形に見える残雪エムゾネ)の出現
する時期によって、農作物が豊作になる・凶作となるという言い
伝えがある。富士山では山岳波が発生することもあり墜落事故も
起きている(英国海外航空機空中分解事故など)。富士山麓の自
然環境富士山麓の天然記念物として、「富士山原始エムゾネ林

165 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:04:37.52 ID:e+tsvdfn0.net
青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月24日指定、20
10年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」(天然記念
物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝
(静岡県)富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけエムゾネ伏流
水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出
す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合
目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。富士山

166 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:10:56.15 ID:e+tsvdfn0.net
おける湧水の総湧出量は1968年で1日あたり154エムゾネ万
立方メートル以上だという。しかし、近年湧出量の減少が確認さ
れている例がある。地域名称南東麓されてい柿田川(日本三大清
流)、小浜池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念
物)、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭エムゾネ
湧泉群北麓忍野八海(国指定の天然記念物)またの、一部で駿河
湾や富士五湖の西湖(水深25m付近)で湧出があるとされてい
る。富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬
関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士エムゾ
ネ山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネラルウ
ォーターとして瓶詰めされ販売されている。溶岩洞窟西湖コウモ
リ穴入口富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が形成され
ている。その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静岡県富士エム
ゾネ宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、山麓周
辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山梨県南都留郡
富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定されている。その
他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の天然記念物に指定
エムゾネされている。植生富士山は標高は高いが、日本の他の高山
に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富士山が最終
氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山
の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植
物エムゾネの進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではい
くらか高山植物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオ
ンタデ(御蓼)、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ(富士薊
)が自生している。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイ
マツエムゾネ帯が広がっているのが通例であるが、富士山にはハイ
マツ帯は欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。人間史
富士山本宮浅間大社古代古代より富士山は山岳信仰の対象と

167 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:16:06.84 ID:e+tsvdfn0.net
、富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなど
を指しエムゾネて富士信仰と言われるようになった。特に富士山の
神霊として考えられている浅間大神とコノハナノサクヤビメを主
祭神とするのが浅間神社であり全国に存在する。浅間神社の総本
宮が麓の富士宮市にある富士山本宮浅間大社(浅間大社)であり
、富士宮エムゾネ市街にある「本宮」と、富士山頂にある「奥宮」
にて富士山の神を祭っている。詳細は「富士信仰」を参照古代で
は富士山は駿河国のものであるとする考え方が普遍的であった。
これらは「高く貴き駿河なる富士の高嶺を」(山部赤人『万葉集
』)や「富エムゾネ士山は、駿河国に在り。」「富士山は駿河の国
の山で(省略)まっ白な砂の山である」(都良香『富士山記』)
、「駿河の国にあるなる山なむ」(『竹取物語』)など広く見ら
れるものである。しかし「なまよみの甲斐の国うち寄する駿河の
国とこちごちエムゾネの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)のように
駿河国・甲斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線で記された
貴重な例もある。それより後期の時代、イエズス会のジョアン・
ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「富士山は駿河国に帰属し
ている」としてエムゾネいるため、帰属は駿河国という関係は継続
されていたと考えられる。登山口は末代上人が開いた登山道を起
源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われる村山
口である。これにより富士修験が成立したとされる。次第に他の
登山道も開削されエムゾネてゆき、大宮・村山口、須山口、須走口
が存在してる。神仏習合は富士山も例外ではなかった。山頂部は
仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つようになっ
た。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木造坐
像が古いとされ、こエムゾネれは大日堂(村山)の旧本尊であった
。鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大
菩薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士

168 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:22:02.13 ID:e+tsvdfn0.net
の8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し
、文永年間(1264エムゾネ年−1275年)の『万葉集註釈』
には「いただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「
八葉」の記述が確認できる。江戸時代江戸時代になると、徳川家
康による庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先
権を得たことを基に江戸エムゾネ幕府より八合目以上を寄進された
経緯で、現在富士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候
所を除き浅間大社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山
修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰を発展させていっ
た。富士講の隆盛が見られエムゾネた18世紀後半以降、新興宗教
として旧来の登山道では発展できなかったために吉田口を利用す
る道者が目立つようになっていたと考えられ、18世紀後半以降
では、他の登山口の合計と同程度であったという。富士参詣の人
々を「道(導)者」といい、エムゾネ例えば『妙法寺記』の明応9
年(1500年)の記録に「此年六月富士導者参事無限、関東乱
ニヨリ須走へ皆導者付也」とある。また、登山における案内者・
先導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士
氏文書』、文中に「永禄6年」エムゾネとあり)などが確認されて
いる。明治以後慶応4年(1868年)に神仏分離令が出される
と、これら神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。富士山
中や村山における仏像の取り壊しなどが進んだ。富士山興法寺は
分離され、大日堂は人穴浅間神社エムゾネとなり大棟梁権現社は廃
されるなど改変が進んだ。北口本宮冨士浅間神社では仁王門や護
摩堂などが取り壊されることとなった。仏教的な名称なども改称
され、「八葉」の呼び名も変更された。1883年(明治16年
)に御殿場口登山道が、1906年エムゾネ(明治39年)に新大
宮口が開削された。富士山は平成23年(2011年)2月7日
に国指定文化財である「史跡」に指定された。史跡としての

169 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:28:52.74 ID:e+tsvdfn0.net
山は複数の資産から構成され「史跡富士山」として包括されてい
る。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾エムゾネ野市・駿東郡小山町
、山梨県は富士吉田市・南都留郡富士河口湖町・鳴沢村である。
このとき富士山八合目以上の山頂部や各社寺、登拝道(登山道)
が指定された。その後富士山本宮浅間大社社有地の一部、人穴富
士講遺跡、各登山道が追加指定された。エムゾネ登山史富士登山の
伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており、諸説

170 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:37:45.40 ID:e+tsvdfn0.net
山たつが女性として初登頂。女人禁制が敷かれていた時代である
。嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名として初
登頂。富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主エムゾネ
人が記した「袖日記」という古記録に宮津藩主松平宗秀が富士登
山を行った記録がある。袖日記の6番によると、宗秀は江戸と宮
津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと思い始めた
が、参勤交代の道程は幕府に指定されたルートであり、これエムゾ
ネを逸脱したコースを通ったり、たとえ社寺参詣であっても寄り
道することは許されないため、富士に登ることを幕府に願い出る
も中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれ
る地点までであった。(馬返しというのは一合目よりも下の場エム
ゾネ所であり、登山客はここで馬を下りて山に登るという所)そ
こで宗秀は嘉永6年(1852)6月21日、幕府に内緒で登山
を決意し、明け方から出発して山を登り始め、昼過ぎには頂上に
着いたという。宗秀の富士山登頂は、近世大名が富士登山を行っ
エムゾネた唯一の記録となった。万延元年1860年英国公使オー
ルコックが外国人として初登頂。『古事類苑』にオールコックの
登山についての記録(富士重本が寺社奉行所に提出した届出)が
あり、「英人富士山ヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二
日エムゾネ大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成り、廿
五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上いたし…」
とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り登山を
行い、26日に登頂した。明治4年1872年女人禁制が解かれ
る。エムゾネ明治時代になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代
わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代
登山技術が取り入れられることになる。明治25年1892年英
国人のウォルター・ウェストンが登頂。翌年にも登頂した。その
後本をエムゾネ出版し富士山などの日本の山々を世界に紹介し

171 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:43:17.82 ID:e+tsvdfn0.net
明治28年1895年野中到が冬季初登頂。2月16日に御殿場
口から単独で登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を
行った。大正12年1923年皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)
の登山7エムゾネ月26日の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬
にて登山後、8合目以上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝
し金剛棒に焼印などを行った後、御殿場口より下山された。大正
12年1923年秩父宮雍仁親王の登山8月20日の夜に御殿場
口から登山エムゾネし、翌朝頂上に到着。奥宮を参拝後、下山。昭
和2年1927年中村テルが冬季女性初登頂1月1日に御殿場口
から登頂、男性2人と共に。昭和63年1988年浩宮徳仁親王
(当時)の登山。8月1日−2日の登山で、須走口から八合目を
往復した。天エムゾネ候の悪化で登頂は断念される。平成20年2
008年皇太子徳仁親王が登頂。8月7日に富士宮口を出発後、
御殿場口登山道に入り登頂。富士山を巡る利権争い山役銭と内院
散銭『冨嶽三十六景諸人登山』山麓の各地域には各登山道があり
、特に村山口とエムゾネ大宮口、須走口、須山口が古来の登山道で
あり、その登山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を徴収して
いた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起こして
いる。特に内院散銭は相当額になるため、争いの火種になりやす
かった。例えば須エムゾネ走村への配分だけでも1年で76両を越
えたといい、一戸に約一両が配当される計算になるという。内院
散銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地域に
よって争われた。「村山」と「須走」と「大宮」である。村山に
おいては、1533エムゾネ年(天文2年)に村山三坊の「辻之坊
」が今川氏輝により内院散銭の取得権を与えられている。須走は
1577年(天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神
社)の開帳日の内院散銭の取得権が与えられている。大宮は16
09年(慶長14年)エムゾネに徳川家康が内院散銭を浅間大

172 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:49:43.77 ID:e+tsvdfn0.net
寄進し、内院散銭の取得の優位権を得ている。浅間大社の大宮司
が村山より登る際は山役銭を取られたので、村山を避け「須走」
から登拝する慣例などもあった。新規に出来た登山道である現富
士吉田口は、登山道を管エムゾネ理している「須走」に許可なく、
浅間大社の大宮司富士信安など富士氏が自分たちに山役銭を支払
えば、「須走」の登山道を利用するにも関わらず勝手に山がけ(
登山道を作り山小屋を建てる)の許可を与えたことで論争と

173 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 15:54:57.74 ID:e+tsvdfn0.net
、「河口」と「吉田」は1エムゾネ810年に登山ルートや山役銭
の徴収方法で論争を起こし、「大宮」と「吉田」では薬師堂にお
ける役銭の配分で争っている過去などがある。元禄の争論元禄1
6年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間
神社本宮(浅間大社)を訴えエムゾネた争論が元禄の争論である。
須走村側は東口本宮冨士浅間神社の神主や御師らが、浅間大社の
大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出た。訴
えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小
屋掛けを認めたことへの不服、エムゾネ2つ目は浅間大社側が造営
した薬師堂の棟札に「富士本宮が入仏を勤める」という旨の記述
があることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ
目は内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例
となっているとし、それを浅間大エムゾネ社が取得しているという
訴えである。これに対し訴えられた浅間大社側は江戸に赴き、薬
師嶽は須走村の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間
大社側が造営したものであるので権利は浅間大社にあること、散
銭の2番拾いの慣例は根拠がないとエムゾネいうことを主張した。
それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、その内済にて「
他の者に小屋掛けさせないこと」「薬師堂の入仏は須走村が行う
こと」「内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:4で分け、2番
拾いは須走が得るものとする」というエムゾネ決定となり、以後こ
れらは遵守された。安永の争論安永元年(1772年)に、須走
村が山頂の支配権は同村の支配にあるとして浅間大社を相手とし
て訴えた争論が安永の争論である。またこれをみた浅間大社側の
富士民済も反論を起こした。さらに吉田エムゾネ村と浅間大社とで
支配地域を確定する争論もあったため、ここに大宮・新規参入で
ある吉田と須走の争いの決着が望まれることとなり、勘定奉行な
ども関わる大論争となった。安永8年(1779年)に持ち

174 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:01:23.53 ID:e+tsvdfn0.net
れることとなった。結論は徳川家康が富士エムゾネ山本宮浅間大社
を信奉していたという幕府側の配慮があり、勘定奉行・町奉行・
寺社奉行のいわゆる三奉行による裁許で、最終的に富士山の8合
目より上は、富士山本宮浅間大社持ちとすることが決定された。
この2者の争論を起因とする裁判により、こエムゾネれまで曖昧で
あった山頂の支配権やその他権利の所在などが、江戸幕府により
明確に定められることとなった。富士山と眺望特別名勝としての
富士山富士山は昭和27年(1952年)10月7日に「名勝」
に指定され、同年11月22日に「特別名勝」エムゾネに指定され
た。山梨県側は富士吉田市・船津村(現・富士河口湖町)・鳴沢
村・中野村(現・山中湖村)の範囲が指定された。静岡県側は御
中道に囲まれる地域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御
殿場口登山道(御殿場市)を挟む標高1,500エムゾネm以上の
地域、またこれと重複しない一合目以上御中道に至る富士宮口登
山道および須走口登山道(小山町)が範囲となっている。富士山
の眺望ウィキメディア・コモンズには、各地点からの富士山の眺
望に関連するカテゴリがあります。富士山への良好エムゾネな眺望
が得られる128景233地点を、国土交通省関東地方整備局が
関東の富士見百景として、2005年(平成17年)に選定した
。羽田空港から西に向かう国内便などでは富士山の上空を通過す
る。その際、機長が富士山を案内するアナウンスをすエムゾネるこ
とが多い。また、新年のご来光を見るための遊覧飛行便も運行さ
れる。富士山の眺望の最遠は2013年現在、和歌山県那智勝浦
町である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは別)は、富士山
頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西にあエムゾネる
とされる。また、眺望の北限は2017年1月16日に福島県川
俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919m)と日本地図セン
ターにより認定された(富士山からは308kmの距離にあ

175 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:08:00.32 ID:e+tsvdfn0.net
。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山からも眺エムゾネ
望される。富士山の見える都道府県は、理論上可能とされていた
京都府から2014年に撮影に成功したことにより、20都道府
県となった。様々な表情の富士山富士山の表情は、見る場所・角
度・季節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、エムゾ
ネいくつかの姿がある。画像富士山の姿解説赤富士夏の朝、露出
した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。葛飾北斎をはじめとした
画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。紅富士雪化粧した富士
山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。「モルゲンロート」(ドイエム
ゾネツ語Morgenrot)が用いられる場合がある。逆さ富
士波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。D五千円券の
裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。竜ヶ岳(山梨県)
から望む日の出時のダイヤモンド富士(2015年12月5日撮
エムゾネ影)ダイヤモンド富士太陽が昇った時又は沈む時、太陽が
富士山の頂上と重なり、富士山の頂上付近がダイヤモンドのよう
に光る現象。富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見る
ことができる。影富士朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映
しエムゾネ出される風景。富士山登山時に山の上部から、雲海の上
に見られる場合がある。笠雲笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂
上に傘をかぶせた雲がある風景。その際は、次第に麓では曇りま
たは雨になることが多い。「表富士」と「裏富士」『不二三十六
景甲エムゾネ斐夢山裏富士』現在も富士山の山小屋や登山道の道標
として「表口」や「裏口」という表現がみられ、一般的に静岡県
から見た富士山を表富士、山梨県からの姿を裏富士として認知さ
れているが、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680年
)に作エムゾネ成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」と
いう表記がある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記述が
ある。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ

176 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:13:05.01 ID:e+tsvdfn0.net
ナリ、(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲
斐国志』エムゾネ他の資料にも共通した記述がみられ、このように
南麓を表、北麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言え
る。これとは別に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の『富
嶽百景裏不二』『冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重の『不
二三十六景エムゾネ甲斐夢山裏富士』など、作品名に採用されてい
る例がみられる。富士山の文化美術における富士山三峰型富

177 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:25:28.60 ID:e+tsvdfn0.net
白雨』、荒れ狂う大波と富士を描いた『神奈川沖浪裏』などが知
られる。また、歌川広重も北斎より後の1850年代に『不二三
十六景』『冨士三十六景』をエムゾネ出版した。広重は甲斐国をは
じめ諸国を旅して実地のスケッチを重ね作品に活かしている。『
東海道五十三次』でも、富士山を題材にした絵が多く見られる。
北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士見の好スポッ
トと認識されていなかった地点エムゾネや、甲斐国側からの裏富士
を画題として開拓していった。工芸品としては本阿弥光悦が自ら
制作した楽焼の茶碗に富士山の風情を見出し、「不二山」と銘打
っている。50銭政府紙幣(1938年発行)岡田紅陽が撮影し
た愛鷹山からの富士山がモデル。エムゾネ富士は日本画をはじめ絵
画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆる美術のモチーフとし
て扱われている。日本画においては近代に殖産興業などを通じて
富士が日本を象徴する意匠として位置づけられ美術をはじめ商業
デザインなどに幅広く用いられ、絵エムゾネ画においては伝統を引
き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制作された。また
、鉄道・道路網など交通機関の発達により数多くの文人・画家が
避暑地や保養地としての富士山麓に滞在し富士を題材とした作品
を製作しているが、富士を描いた風景エムゾネ画などを残している
画家として富岡鉄斎、洋画においては和田英作などがいる。富士
山をモチーフとした美術品は当時のヨーロッパでも多く流通して
おり、このことから富士山もヨーロッパで広く知られていた。1
893年(明治26年)、日本を旅行しエムゾネていたオーストリ
ア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大
公は、日記に次のように書いている。フジサン、フジノヤマ。い
ったい、この日本の象徴――ヨーロッパではふつうフジヤマと呼
ばれる――を知らない者などいるのだろうエムゾネか〜ヨーロッパ
でもっとも好まれる日本工芸のデザインとして漆器、陶磁器

178 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:31:10.55 ID:e+tsvdfn0.net
紙、金属などに描かれているから、もう、わたしたちにはお馴染
みだ。〜〜8月15日付戦時下には国家により富士は国体の象徴
として位置づけられ、富士は国家のシンボルエムゾネとして様々に
描かれた。戦後には国体のシンボルとしてのイメージから解放さ
れた「日本のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡球子
らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画
題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アエムゾネイコンとし
て富士を描く傾向も見られる。深田久弥は『日本百名山』の中で
富士山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富
士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずって
いる」という。日本画全般の題材として「富士見エムゾネ西行」が
あり、巨大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上
げるという構図で、水墨画や彫金でも描かれている。千円札、旧
五千円札のモデルとなった本栖湖からの富士山近代では紙幣や切
手のデザインにも用いられている。富士山が紙幣のエムゾネデザイ
ンに用いられる例は数多くある。古くは1913年発行の50銭
政府紙幣があり、愛鷹山からの富士山でる。その後の1951年
と1969年発行の旧五百円札は大月市の雁ヶ腹摺山からの富士
山を元にしている。1984年発行の旧五千円札と2エムゾネ00
4年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山である。富士山を
描写した切手が郵便局から発売された。河口湖、西湖、精進湖、
本栖湖、山中湖(1999年(平成11年))葛飾北斎(199
9年(平成11年))オオマツヨイグサ・山梨県(20エムゾネ0
5年(平成17年))文学における富士山富士山は和歌の歌枕と
してよく取り上げられる。また、『万葉集』の中には、富士山を
詠んだ歌がいくつも収められている。「田子の浦ゆうち出でてみ
れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(3.318)エムゾネ
は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。また、この反

179 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:36:38.77 ID:e+tsvdfn0.net
その次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火を雪
もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「(
噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降エムゾ
ネる雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火
山活動を行っていたことがうかがえる。『新古今和歌集』から。
富士の煙が歌われている。風になびく富士の煙の空にきえてゆく
へもしらぬ我が心かな西行(#1613)都人にとって富士は

180 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:42:40.11 ID:e+tsvdfn0.net
ゾネ遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士
日記』が富士の様子や伝承を記録している。『竹取物語』は物語
後半で富士が舞台となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老
不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山
エムゾネ頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の
士に因んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記
している。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採
塚」として言い伝えられている場所が現存している。ほか、『源
氏エムゾネ物語』や『伊勢物語』でも富士に言及される箇所がある
ものの、主要な舞台となるケースは少ない。富士は甲駿の国境に
位置することが正確に認識されており、古代においては駿河国に
帰属していたため古典文学においては駿河側の富士が題材となる
ことエムゾネが多いが、『堤中納言物語』では甲斐側の富士につい
て触れられている。また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から
生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を表して
いる。中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、江
戸期にエムゾネは地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には鉄
道など交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受けて、多
くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり、
新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした作品を書
き、山岳エムゾネ文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。富士
山麓に滞在した作家は数多くおり、武田泰淳は富士山麓の精神病
院を舞台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰
淳の死後に富士山荘での生活の記録を『富士日記』として記して
いる。津島エムゾネ佑子は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石
原家をモデルに、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物
語である『火の山―山猿記』を記した。また、北麓地域出身の文
学者として自然主義文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人文

181 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:47:44.82 ID:e+tsvdfn0.net
の李良枝がおエムゾネり、それぞれ作品の中で富士を描いており、
中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。太宰治が昭和14年
(1939年)に執筆した小説『富嶽百景』の一節である「富士
には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨県富士河口湖町の
御坂峠にはそのエムゾネ碑文が建っている。直木賞作家である新田
次郎は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、富士山の強
力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞受賞作『強力伝』や『富
士山頂』をはじめ数々の富士にまつわる作品を執筆している。高
浜虚子は静岡県富エムゾネ士宮市の沼久保駅で降りた際、美しい富
士山を見て歌を詠んだ。駅前にはその歌碑が建てられている。「
とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の
姥」富士山と地域振興富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登山を
目的とする観光客相エムゾネ手の観光業も活発に行われている。し
かし、富士山麓には温泉地として成立する規模の湯量は湧出して
いない。富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を
重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており
、山頂所有権問題、山エムゾネ小屋トイレ問題、マイカー規制問題
、世界遺産登録問題等、過去から現在に至るまでの折々で双方の
思惑の相違が表面化している。富士山と観光富士登山富士登山に
は登山の知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7
月1日の山開きから9月エムゾネ上旬の山じまいまでの期間、登山
が可能である。期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁
止されている。とくに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。
詳細は「富士登山」を参照その他の観光その優美な姿から、富士
山が見える場所は著名な観エムゾネ光地となっていることが多い。
箱根−箱根は富士山が望めるうえに、東京から近く温泉や歴史・
美術館や各種の乗り物が楽しめることもあり、年間を通じて内外
の観光客が絶えない。また、夏は避暑地としても有名である

182 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:53:10.72 ID:e+tsvdfn0.net
士五湖−富士五湖は富士山周エムゾネ辺の観光地として著名であり
、本栖湖の逆さ富士が日本銀行券に採用されている。白糸の滝−
白糸の滝は上流に川は存在せず、富士山の雪解け水が溶岩断層か
ら湧き出す非常に珍しい形成をしている滝である。また、音止め
の滝と共に日本の滝百選に指定エムゾネされている。朝霧高原−朝
霧高原は富士山を綺麗に臨むスポットとして著名であり、その自
然と広大な土地もあり過去に第13回世界ジャンボリーも開催さ
れている。ダイヤモンド富士−ダイヤモンド富士などがはっきり
と拝める田貫湖や山中湖といったエムゾネスポットも有名で、特に
写真撮影を目的として訪れる観光客もいる。ドライブ−富士スバ
ルラインや富士山スカイラインなどを利用して、5合目までマイ
カーで上がることができる。シーズン中はマイカー規制の期間が
あり、冬期は閉鎖される。富士山のエムゾネ日(2月23日)2月
23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合わせで読み「富
士山の日」として制定している自治体がある。2001年(平成
13年)山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)にて条例を制定
。2002年(平成14年)山梨県富エムゾネ士吉田市を中心に、
山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。2009年
(平成21年)12月21日静岡県議会にて条例を全会一致で可
決。同年12月25日条例を制定。静岡県、山梨県どちらも、富
士山は普段の生活に溶け込み過ぎておりエムゾネ、「あって当たり
前」の空気のような存在である。そのため「富士山の日」に、各
自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加する
事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとし
ても名高い名峰として再認識する機会としエムゾネている。また併
せて富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したい
との期待も込められている。静岡県教育委員会で、各市町村に対
して2011年(平成23年)より「富士山の日」を学校休

183 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 16:58:59.87 ID:e+tsvdfn0.net
とするよう要望した。休業日として組み込んエムゾネだ自治体があ
るなか、麓である富士市教育委員会では「特定日を学校休業日と
することはなじまない」という理由で、2011年以降休業日と
していない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提
供や、富士山こどもの国の無料開放、図書館やエムゾネ博物館など
の社会教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請してい
る。なお、富士山の日を最初に宣言したのは、パソコン通信

184 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:04:24.69 ID:e+tsvdfn0.net
IFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム(F
YAMAP)」で、1996年1月1日にネットエムゾネ上で発表
した。富士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸支
局管内の1市2町4村を対象とした、いわゆるご当地ナンバーと
して2008年11月4日から富士山ナンバーの交付が開始され
た。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートはエムゾネ珍しい
。富士山検定「富士山検定実行委員会」が主催する富士山検定が
、富士商工会議所、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送
、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士山検定協会の5者
により行われている。地域間交流富士山頂の湧水を琵エムゾネ琶湖
へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流が昭和三十二年以降静岡県
富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続けられている。これは「近
江の土を掘り富士山を作りその穴が琵琶湖になった」という伝説
からである。富士山頂の湧水を琵琶湖へ注ぐことを「おエムゾネ水
返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐことを「お水取り」
という。2014年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との
間で、富士山と玉山の友好山提携が締結されている。標高3,9
52メートルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばエムゾネ
れ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山(台湾)−日
本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3,9
52メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山と呼ばれ、
日本で2番目に高い山であった。標高3,886メートル。エムゾ
ネ北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル。日和
山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベレスト
−世界最高峰。標高8,844メートル。文字この節には、一部
のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unicoエム
ゾネde6.0の絵文字)が含まれています。和文通話表で、「
ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUni

185 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:10:13.07 ID:e+tsvdfn0.net
de6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加され
たが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて
エムゾネいる。続けられている。これは「近江の土を掘り富士山を
作りその穴が琵琶湖になった」という伝説からである。富士山頂
の湧水を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を
富士山頂へ注ぐことを「お水取り」という[82][83]。2
0エムゾネ14年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で
、富士山と玉山の友好山提携が締結されている[84]。標高3
,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばれ
、日本の最高峰であった。その他[編集]他山の標高[編集]玉
山(エムゾネ台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰
であった。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時
代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,
886メートル。北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193
メートエムゾネル。日和山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3
メートル。エベレスト−世界最高峰。標高8,844メートル。
文字[編集]この節には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表
示できない文字(Unicode6.0の絵文字)が含まれてい
ます(詳エムゾネ細)。和文通話表で、「ふ」を送る際に「富士山
のフ」という。文字コードのUnicode6.0では、携帯電
話などで使われていた絵文字も追加されたが、その中に「MOU
NTFUJI」として富士山も含まれている。富士山世界文化遺
産平成22エムゾネ年度第1回静岡県学術日本政府が世界遺産一覧
表への記載を推薦する「富士山」は、東アジアの東端に当たる日
本列島の本州島の中央部、日本の東海地方の東部及び関東地方の
西部に位置する。推薦する資産は17個の構成資産(26個の構
成要素(後述エムゾネ))から成り、現行の行政区分に基づく各構
成資産の所在地については以下に記すとおりである。構成資

186 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:16:15.62 ID:e+tsvdfn0.net
在地No.所在地座標計測位置緯度経度A静岡県(富士宮市・富
士市・裾野市・御殿場市・小山町)山梨県(富士吉田市・身延町
・鳴沢村・富士エムゾネ河口湖町)県境未確定地富士山(山頂剣ヶ
峰)資産範囲及び緩衝地帯の範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範
囲を示す図面、並びに資産近傍における法的保護区分を示す図面
は以下のとおりである。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成
資産の面積及びそエムゾネの緩衝地帯の面積、資産の総面積及びそ
の緩衝地帯の総面積については、以下に記すとおりである。構成
資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構成資産の面積(ha)
緩衝地帯の面積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の
説明富士山は、標高エムゾネ3776mと日本一の高さを誇る独立
峰である。高度を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲
線を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質
成層火山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面
からの実質的な高さはエムゾネ世界的にも有数である。富士山は、
日本列島のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシ
アプレート、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さ
らにその下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特
異な地点に存在する。富エムゾネ士山は、新生代第三紀中新世のお
もに海底火山噴出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げ
られた先小御岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古
富士、さらにそれを覆う新富士山の4層構造で構成されている。
山頂部の火口はおよそ22エムゾネ00年前を最後に噴火していな
いが、フィリピン海プレートが北進しユーラシアプレートを南南
東方向から押し続けているため割れ目が発生することによって、
山頂を通って北北西に向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、
有史以降も火山活動を行ってエムゾネきた。富士山が過去に流出し
た溶岩などの火山噴出物は、適度な粘度を持つために美しい

187 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:22:42.38 ID:e+tsvdfn0.net
ーデ型の山容を形成しながら、山頂を中心として約15〜20k
m(最大約30km)の範囲に広がった。山麓には数多くの風穴
・溶岩樹型等の地形が見られ、エムゾネ溶岩流の末端部では富士山
の中腹以上への降水を起源とする豊富な湧水(日量約450〜6
80万t、現在最大の湧水は日量約100万tの柿田川)が見ら
れる。富士山北麓ではこれらの湧水や降水を起源とする湖沼が点
在している。上記のような自然的エムゾネ環境を持つ富士山は

188 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:27:59.13 ID:e+tsvdfn0.net
来自然物、特に山岳に対する信仰の伝統を持っていた日本人に畏
敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した信仰の対象
とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所と考えら
れた山頂への登山という宗教行為がエムゾネ一般化するとともに、
山体及び山麓周辺に神社などの宗教施設や風穴・湧水といった自
然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた
めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた。
標高約2500m付近の森林限界よりエムゾネ上方は富士講(富士
山信仰の集団の一つ)信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域な
いし他界(死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに、
山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林
地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習エムゾネわし、俗界(「草
山」)と死の世界(「焼山」)を往復することでこの世の罪と穢
れを消すという富士登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は神
聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活のために
利用される地域でもあった。また、富士山エムゾネ山麓に見られる
湧水は登山前に身を清めるために必須のものであり、現代におい
ても柿田川をはじめ各所で「霊水」として取り扱われている。ま
た、富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた姿、周辺
の湖や海岸線などの展望地から眺めた景観なエムゾネどが時代を超
えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造
意欲を掻き立てた。富士山体のうち、標高約1500m以上の範
囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う
範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最もエムゾネ高い。各登
山道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(
乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点)の
標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とりわけこの
「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマエムゾネサマ

189 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:33:46.53 ID:e+tsvdfn0.net
呼び、富士山の範囲とみなす地域もあった。景観的には山体の傾
斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認
識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象とされることが
多い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、日本エムゾネ列島の
ほぼ中央に位置する富士山体と、周辺の浅間神社や御師住宅、霊
地・巡礼地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作品の視点場(又
は舞台)となった地点から構成される。富士山体の中には山頂信
仰遺跡や登山道などの重要な要素が含まれている。こエムゾネれら
の構成資産が一体となった推薦資産「富士山」は、山に対する固
有の文化的伝統を表す物証であり、山と人間との精神的な関係を
生み出した景観の見本であるとともに、芸術的作品との関連があ
る山岳である。表構成資産/構成要素の分類No.世界エムゾネ遺
産条約上の分類遺跡A1山頂信仰遺跡遺跡A2大宮・村山口登山
道遺跡A3須山口登山道遺跡A4須走口登山道遺跡A5吉田口登
山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神社遺跡、記念工作物、建造物A
7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖湖遺跡B1遺跡、記念エムゾネ
工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B5遺跡B6遺跡B7
遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9遺跡B10遺跡B11
遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15遺跡C遺跡A富士山
(富士山体)富士山本宮浅間大社山宮浅間神社河口湖村山浅エムゾ
ネ間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河口浅間神
社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津胎内樹型吉
田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山中湖67
3)構成資産の説明富士山(富士山体)・展望地点富士山にはエム
ゾネ、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施
設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の
証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅
間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸

190 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:39:28.63 ID:e+tsvdfn0.net
エムゾネ鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保松
原は、何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地や富士山を描
く典型的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展
望地点である。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つであ
るエムゾネ「馬返」以上に該当する標高1500m以上の区域でも
あり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より
上方、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を1
0区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約320
0〜エムゾネ3375m)以上と、山頂に近づくほどより強い神聖
性を持つと認識されてきた。A富士山(富士山体)A1山頂信仰
遺跡A9本栖湖C三保松原(写真複数、地図挿入)(改頁)登山
道富士山には、麓の浅間神社を起点として山頂に至る登山道が、
複数存エムゾネ在する。12世紀前半から中ごろにかけての修行僧
末代の活動がきっかけになったと考えられる大宮・村山口登山道
や、六合目から1384年の銘のある掛仏が出土した須走口登山
道などがある。吉田口登山道は、富士講信者の登山本道とされ、
18世紀エムゾネ後半以降、最も多くの道者(他の登山口の合計と
同程度)によって利用された。また、1200年の資料では、大
宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、それ以外に
は登山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要所に祠
や石碑が設エムゾネ置され、随所に小屋や石室が設けられており、
富士独特の登拝システムを語る上で、登山道は欠かすことのでき
ない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道
A4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改
頁)浅間神社エムゾネ・御師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間
神社が建造された。古くから富士山は遥拝の対象であり、山宮浅
間神社などは古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活
発化を受け、律令国家によって9世紀前半に富士山を神体と

191 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:44:59.40 ID:e+tsvdfn0.net
浅間神社(後のエムゾネ富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には
北麓にも噴火を鎮めるための神社が祭祀された。11世紀後半の
噴火を最後に火山活動が休止期に入ると、富士山を舞台とする修
験の活動が活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨
士御室浅間神社へエムゾネと発展していった。登拝の大衆化に伴っ
て、須山浅間神社や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、登山
口の起点にも浅間神社が建立されるようになる。なかでも、

192 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 17:57:35.66 ID:e+tsvdfn0.net
上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた
森林限界より上方、富士山本宮浅間エムゾネ大社の境内地とされた
八合目(登山道を10区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに
異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近づくほど
より強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、177
9年以降、富士山本宮浅間大社の境内エムゾネ地とされたが、この
理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と呼び宗教
的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰
に基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者(富士山信仰の集団の一つ)には「焼エムゾネ山」と呼ばれ、神
聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこの境
域に沿い、富士山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ
に富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(15
61年及び1580年とされる)、その後エムゾネ「大沢崩れ」と
いう危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用さ
れた。構成資産範囲内には、山頂信仰遺跡や登山道といった、富
士山の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、次のよう
な構成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡エムゾネ富士山山頂部
には、火口壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設が所在
する。富士山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け
山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるととも
に、山頂部での宗教行為が体系化されていったエムゾネ。道者は山
頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象
)」(のち「御来光(日の出)」)を拝み、内院(噴火口)に鎮
座するとされる神仏(大日如来が本地仏とされた浅間大神ないし
浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつかあるピーエムゾネクを仏教
の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉
めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった。

193 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:02:46.49 ID:e+tsvdfn0.net
の宗教的施設は、12世紀中ごろ修行僧末代により建立された施
設(後の大日堂)が最初とされ、その後、経典(1エムゾネ2世紀
末〜13世紀前半と推定されるものが最古)・懸仏(1482年
の銘のあるものが最古)・仏像等(1302年の銘があるものが
最古)の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。また
、遅くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部に大日エムゾネ堂(
現在は富士山本宮奥宮が所在)が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
(現在の久須志神社)が造営された。1874年、山頂の仏教的
施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称
も変更され、寺院は神社に改変された。しかし、山頂部エムゾネに
対する信仰自体は変化することなく、上記の行為は現代の登山者
の多くが行っており、これらを通じて富士信仰の核心が現代に受
け継がれている。A2.大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山エムゾネ
道である。12世紀前半から中ごろの、修行僧末代の活動により
、富士山南麓における登山が本格的に開始されたとされ、14世
紀初めには修験者による組織的登山が始まったとされる。15世
紀以降19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた3軒の有エムゾ
ネ力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行うととも
に所属の修験者が登山道等を利用して修行を行った。また、一般
人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も開始さ
れ、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図エム
ゾネ」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初
頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,000人前後
、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の外国人
登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した。1
エムゾネ01889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口利
用者の増加により衰退し、これへの対策として1906年、

194 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:08:12.43 ID:e+tsvdfn0.net
を経由しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標
高2600m)までは登山道としての機能を失った。この区間は
一エムゾネ部除き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は19
70年に標高2400m地点まで開通した自動車道を利用しての
登山が行われている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.
須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東
部にエムゾネ至る登山道である。その起源は明確ではないが、

195 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:14:24.86 ID:e+tsvdfn0.net
資料の中で1486年にその存在が確認できる。登山道および山
頂部銀明水は須山浅間神社及びその所在地の須山村(現裾野市須
山)により管理されていた。また、登山道のいくつかの宗教施設
は村山エムゾネの修験者の行場(参拝所)としても使用された。道
者については詳しい研究が進んでいないが、1800年(御縁年
:富士山出現伝説に由来する60年に1回の記念の年)に約5,
400人、1840年代前半は年平均約1,700人、1860
年(御縁エムゾネ年)は約3,600人であった。1883年、須
山口二合八勺(標高2050m)に接続する御殿場口登山道が開
削され、1889年、東海道本線開通による御殿場口利便性の向
上は須山口よりの道者を奪い、さらに1912年、一部が陸軍演
習場となりエムゾネ使用不可能となったため、須山口からの登拝(
登山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時
の道が確認できる部分は一部のみである。(資産範囲は現在「御
殿場口」の名称で使用されている二合八勺以上の部分及び遊歩道
として整備さエムゾネれた旧須山口の一部である)A4.須走口登
山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山
道と合流し山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではな
いが、六合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、
文字資料では1エムゾネ500年にその存在を確認できる。登山道
は遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走
村が登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得て
いた。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と争いになり
、須走村は18世エムゾネ紀(1703年と1772年)、幕府に
裁定を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の宝永
噴火の際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に覆わ
れ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了し、多
くの道者を集めた。エムゾネ18世紀後半、他の霊場とセット

196 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:25:27.83 ID:e+tsvdfn0.net
その後、1561年に現在の東宮本殿、1594年に西宮本殿、
1615年には本殿が建立された。富士講とのつながりが強く、
1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境
内の建造物群の修復工事が行われ、現エムゾネ在にみる境内の景観
の礎が形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の本殿に唐
破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組をもって
支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本殿・西宮
本殿はともに桧皮葺・一間社流造であるエムゾネ。3本殿とも、各
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して、それぞれ
の時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神社
の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、
神社の管理も御師団の中から選ばれた者にエムゾネ委ねられていた
。社殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂
まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係
を持ちながら発展した神社である。法的保護、修理・整備の経緯
1907年に東宮本殿が古社寺保存法の下にエムゾネ特別保護建造
物に指定された。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国
宝とされた。1950年の文化財保護法制定に伴い、東宮本殿は
重要文化財とされた。1953年に本殿及び西宮本殿が文化財保
護法の下に重要文化財に指定された。1952エムゾネ年に東宮本
殿の解体修理工事が行われた。1962〜63年に西宮本殿の解
体修理工事が行われた。1973〜74年に本殿、西宮本殿及び
幣殿の部分修理工事が行われた。1981〜82年に東宮本殿の
部分修理工事が行われた。1997年に本殿の部エムゾネ分修理工
事が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定される予定。A7.西湖A8.精進湖A9.本栖湖
説明富士山の火山活動によって形成された堰止湖である。富士山
周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士エムゾネ講

197 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:31:44.24 ID:e+tsvdfn0.net
よって行われたが、長谷川角行の水行からいつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられたのが、後述の山中湖及び河口湖とこ
の3湖である。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。12特に本栖湖は、日本の紙幣の図柄としエムゾネて何
度も使用された写真の撮影地点であり、重要な展望地点(vie
wpoint)である。富士山は、プロ・アマ問わず多くの写真
家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士

198 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:37:23.48 ID:e+tsvdfn0.net
追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西エムゾネ岸
の峠道から撮影された「湖畔の春」という写真は有名である。こ
の写真は、1984年に採用された五千円札及び2004年に採
用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広
がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖エムゾネ
畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残してい
る。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に名勝として
指定される予定。B1.富士山本宮浅間大社説明社記によれば8
06年に、富士山により近い遥拝所であった山宮浅間神社かエムゾ
ネら現在の地に移転されたことを起源とする神社で、古くから富
士山南麓地域の中心的神社であった。現在全国に約1300社あ
る浅間神社の総本宮であり、広く信仰されている。創建当初は遥
拝のための施設であったが、15世紀ごろ登拝が盛んになるにエム
ゾネつれて、富士山本宮浅間大社は村山浅間神社(興法寺)とと
もに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が周辺に建設された
。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築されていく中で
、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をおさめ統一政権
エムゾネである江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604年現
在の「浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造営され
るとともに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を得た
。これを基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり、
1エムゾネ779年、幕府による裁判によりこの八合目以上の支配
権が認められた。明治政府によりここは国有地とされたが、19
74年の最高裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還
)された。浅間大社境内には富士山の湧水を起源とする湧玉池が
あるエムゾネ。浅間大社は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考
えや、富士山を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な
湧水量(日平均14万〜)を持つ湧玉池のほとりに置かれた

199 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:42:27.94 ID:e+tsvdfn0.net
る説が有力である。なお湧玉池は、浅間大社内に所在する富士山
の湧水エムゾネを起源とする池である。16世紀前後、湧玉池は浅
間大社により道者が身を清める場と位置づけられたとされ、同時
期の絵図や旅行記でその様子が確認できる。この水垢離は192
0〜30年代まで行われた。現在でも湧水を聖なる水として利用
する人がエムゾネ多くいる。法的保護、修理・整備の経緯1907
年に本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定された。1
923〜26年に本殿・拝殿・楼門等の補修が行われた。192
9年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国宝とされた。1933〜
34年に楼エムゾネ門の修理を行った。1936年に袖廊・廻廊を
附した。1950年の文化財保護法制定に伴い、本殿は重要文化
財とされた。1951〜52年、1970年、1988年に本殿
の屋根の修理等が行われた。1969〜70年に本殿の屋根の修
理等が行われエムゾネた。1987〜88年に本殿の屋根の修理等
が行われた(部分補修)。2005年に本殿の屋根の修理等が行
われた。13文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山
として指定される予定。B2.山宮浅間神社説明富士山本宮浅間
大社の社伝によエムゾネれば、浅間大社の前身とされ、拝殿・本殿
等が位置すべき場所に石列でいくつかに区分された遥拝所が設置
されるのみという特異な形態は古代からの富士山祭祀の形を止め
ていると推定されている。この遥拝所の主軸は富士山方向を向い
ている。具体的なエムゾネ創建年代は不詳だが、発掘調査では神事
に使用されたと推定される12〜15世紀の土器が出土し、文献
上では1551年にその存在が確認できる。また、遅くとも15
77年までには浅間大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式
が開始された。これエムゾネは4月と11月に神の宿った鉾を持ち
、浅間大社と山宮浅間神社を往復する行事である。現時点では神
が4月に旧跡に戻るという解釈と、山にいる神が4月に田の

200 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:48:24.54 ID:e+tsvdfn0.net
して里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで行
われていた。なお、「エムゾネ山宮御神幸」に使用される経路を御
神幸道という。道には1691年に置かれた距離を示す石碑が少
なくとも四箇所残っているが、正確な道筋は現在確認されていな
い。法的保護、修理・整備の経緯1985年に富士宮市の史跡に
指定される。文化財保護エムゾネ法の下に他の文化財とともに史跡
富士山として指定される予定。B3.村山浅間神社説明12世紀
前半から中ごろの修行僧末代の活動が創建の起源とされており、
1868年の神仏分離令までは神仏習合の宗教施設として興法寺
(富士山興法寺または村山エムゾネ興法寺)と呼ばれていた(資産
範囲には浅間神社と寺院である大日堂が含まれる)。富士山にお
ける修験道の中心地であり、14世紀初めには、その活動が組織
化された。15〜16世紀には一般の道者の登拝も増加し、その
様子が16世紀の制作とされエムゾネる「絹本著色富士曼荼羅図」
に描かれている。1868年、神仏分離令により浅間神社と大日
堂は分離され、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微
した。ただし、修験者の活動は1940年代まで継続された。ま
た、村山の修験者の影響を受けエムゾネた地域では現在でもその宗
教行事が継続されている。法的保護、修理・整備の経緯2001
年から2003年にかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む
調査が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士山として指定される予定。B4エムゾネ.須山浅間神社説明須山
口登山道の起点として遅くとも1524年には存在していた神社
である。1707年、宝永噴火により社殿は登山道も含め大きな
被害を受け、現在の社殿は1823年に再建されたものである。
神社は村山浅間神社(興法寺)の修エムゾネ験者とも関わりを持ち
、1940年頃まで境内で修行の一環としての祈祷が行われてい
た。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に他の文

201 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 18:54:49.44 ID:e+tsvdfn0.net
とともに史跡富士山として指定される予定。14B5.富士浅間
神社(須走浅間神社)説明社伝では8エムゾネ07年に社殿を造営
したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。16世紀
には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部の散銭取得権の
一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩壊し1718
年に再建された。この後もこの際の部材エムゾネを使用し、200
9年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。神社に

202 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:01:26.36 ID:e+tsvdfn0.net
士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の達成
(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。法
的保護、修理・整備の経緯2006年に社エムゾネ殿が小山町の有
形文化財となる。2009年に本殿・参道の修理が行われた。文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定され
る予定。B6.河口浅間神社説明古くから富士山に関わる祭祀は
南麓の浅間神社が執り行っていたが、864エムゾネ〜866年に
北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられるこ
ととなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の
届かなかった河口浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心
とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿エムゾネ駅という役
割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として発
展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大流行と、それに伴
う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能は、19
世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神エムゾネ社は、現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背
景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に他の文
化財とともに史跡富士山として指定される予定。Bエムゾネ7.冨
士御室浅間神社説明冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登
山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀ら
れた最初の神社であるとする文献もある。富士修験の信仰拠点は
南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社がエムゾネ鎮座
する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたよ
うである。山中という厳しい条件の下に所在するためたびたび破
損し、1189、1275、1475、1525年と加修され、
1564には地元領主による大修理が行われている。現エムゾネ在
の本殿は1612年建立と認められ、その後も1698年、

203 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:07:23.07 ID:e+tsvdfn0.net
67年に修復が行われていた。1973−74年には里宮の地に
そのままの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみや)
が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとさエムゾネ
れる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけ
られる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となっ
て機能してきた神社である。法的保護、修理・整備の経緯197
3〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里宮の地にエムゾ
ネ移築された。151985年に移築された二合目本殿が文化財
保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保護法の下に他の
文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B8.御師住
宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世話エム
ゾネをするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状をな
エムゾネし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路
の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き
、最奥部には神殿が設けられている。1768年に建てられ最古
の部類に数えられる旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃
にエムゾネ建てられ富士講最盛期の御師住宅の典型例とされる小佐
野家住宅が代表的である。1861年に新築された小佐野家住宅
同様、富士講の流行に伴い増加する宿泊者に対応するため、旧外
川家住宅では1860年代に離座敷が増築された。法的保護、修
理・エムゾネ整備の経緯1976年に小佐野家住宅が文化財保護法
の下に重要文化財に指定された。1979年に小佐野家住宅の屋
根の修理等が行われた。1996〜98年に小佐野家住宅の腐敗
修理等が行われた。旧外川家住宅が文化財保護法の下に重要文化
財に指エムゾネ定される予定。B9.山中湖B10.河口湖説

204 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:13:46.62 ID:e+tsvdfn0.net
士山の火山活動によって形成された堰止湖である。富士山周辺の
湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われ
たが、長谷川角行の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えエムゾネられたのが前述の3つの湖とこの山中湖及び河口
湖である。この巡礼行為について、具体的に湖沼のどこで修行や
巡礼が執り行われたか、またどのルートを辿って各湖を巡ったか
は、定まっていなかった(少なくとも、明らかになっていない)
ものの、人エムゾネ々の信仰心を駆り立てた湖沼の水そのものを核
心として、周辺地域も含めた範囲が文化財とされている。また、
景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。法的保護、
修理・整備の経緯文化財保護法の下に名勝として指定される予定
。B11.忍エムゾネ野八海説明富士山の伏流水による八つの湧水
地で、それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であっ
た。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った。長谷川
角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし)
元八湖」と唱えエムゾネられた古跡の霊場と伝えられ、1843年
に富士講道者によって再興されたとされる。法的保護、修理・整
備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念
物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明1617年長谷
川角行が富士登拝エムゾネの際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範
囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見
し、浅間明神を祀った。1673年には富士講道者によって現船
津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の際に
、樹型に入って身をエムゾネ清める風習があり、洞穴内外の地形空
間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にとっ
ての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。法的保
護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の
下に天然紀念物に指定エムゾネされた。B13.吉田胎内樹型

205 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:19:08.58 ID:e+tsvdfn0.net
1892年に富士道者によって整備された「お胎内」である。富
士講講徒は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りをし、
翌朝富士山に登山した。本穴については、古くから冨士山北口御
師団が管理している。法エムゾネ的保護、修理・整備の経緯192
9年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定された
。B14.人穴富士講遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行
が修行したとされる溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約2

206 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:24:25.49 ID:e+tsvdfn0.net
基の碑塔群が残る遺跡であエムゾネる。「吾妻鏡」では人穴探検の
様子が描かれ、「浅間大菩薩の御在所」とみられていたとされて
いる。この内容は遅くとも1603年までに、浅間大菩薩の霊験
譚として説話化され、その存在が広く知られていた。富士講関連
の文書によれば人穴は16世エムゾネ紀から17世紀にかけ、長谷
川角行が修行により浅間大菩薩(富士講では仙元大日神とする)
の啓示を得た場であり、入滅した場だとしている。また、角行は
人穴を「浄土(浄土門)」と述べ、これらの結果人穴には熱心な
富士講信者が参詣し、修行を行エムゾネう者も見られた。また、信
者は人穴への分骨埋葬などを望み、墓碑、供養碑、記念碑などを
建立した。1942年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周
辺の住民は一時移転した。1954年神社は現在地に復興された
が、冨士講自体が衰退したことでエムゾネ参詣者はみられるものの
1964年以降碑塔の建設は行われていない。法的保護、修理・
整備の経緯1999年に富士宮市の史跡となる。文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B1
5.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起エムゾネ源とする数百の流れを
持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜16万〜)の噴出
が数百条の白糸が垂れているように見えることをその起源とする
。17白糸ノ滝は富士講関連の文書によれば長谷川角行が人穴で
の修行と合わせて水行を行った地とさエムゾネれ、富士講を中心と
した人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地としても有名
であり、和歌・絵画の題材にもなっている。法的保護、修理・整
備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及び
天然紀念物に指定された。C.三保松原エムゾネ説明三保松原は、
万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「羽衣」の舞台となった。1
5〜16世紀以降富士山を描く際の典型的な構図に含まれる景勝
地として数多く描かれ、歌川広重等の作品をはじめ海外にも

207 :底名無し沼さん :2018/02/06(火) 19:29:45.34 ID:e+tsvdfn0.net
知られている(又は海外に影響を与えた)エムゾネ芸術作品の視点
場、又は舞台となった場所のひとつである。法的保護、修理・整
備の経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指
定された。18b)歴史と発展山容の形成富士山の原型は、40
〜10万年前、周辺の火山とともに活動をはエムゾネじめ、先小御
岳火山が形成された。その後これを覆うように標高約2500m
の小御岳火山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに
古富士火山が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体
崩壊を繰り返し、小御岳火山をほぼ山体に納めエムゾネる形で30
00mを超える火山に成長した。約1万年前には大量の溶岩を噴
出する形で現在の富士山(新富士火山)が成長を始め、古富士山
を覆いつくし、約5600〜3500年前に現在の規模となった
。繰り返された溶岩の流出によって何層にもわたエムゾネる溶岩層
が形成され、その先端部には山体への降水を起源とする湧水が各
溶岩層の隙間より湧出する形で各所に形成された。富士山北麓に
おいてはこれらの湧水や降水が北側の山地との間の低地にたまり
、湖や湿地が形成された。また、溶岩層の中には数エムゾネ多くの
風穴、溶岩樹型が形成された。山頂からの噴火は2200年前の
噴火を最後に起こっていないが、歴史時代になっても北西〜南東
方向に連なる側火山からの噴火を続け、1200年前から後には
少なくとも800〜802年、864〜866年、9エムゾネ37
年、999年、1033年、1083年、1435〜1436年
、1511年、1707年の九つの時期の噴火が確認されている
。神々しい山容と「鎮爆」このような噴火や溶岩の流出を繰り返
す富士山は恐ろしくかつ神秘的な山と考えられたためにエムゾネ、
古くから遥拝の対象であったが、日本における古代国家の統治シ
ステムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰り返す噴火を鎮めるた
め、富士山そのものあるいは富士山に鎮座する神を浅間神と

208 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 00:40:13.89 ID:9nWTm38Q0.net
ハザードマップ検討委員会報告書(2004年)に基づき県及び
市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)など
を策定している。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上
の登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊をエムゾネ防いで
いる。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)については国が中心と
なり、源頭部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災
害防止を目的とした遊砂地の設置などを行っている。また、登山
道を管理する県では導流堤を設置し、落石の落下先をエムゾネコン
トロールしている。これらの災害は発生自体を防止することは困
難であるため、その被害を最小限にとどめることを対策の骨子と
している。50地震に関する対策としては、大規模地震対策特別
措置法(1978年)に基づき、予知を目的とした観測エムゾネ体
制、予知を前提とした非難・警戒体制、防災施設整備が行われる
とともに、東海地震対策大綱(2003)に基づき国・県・市町
村の防災計画が策定されている。また、今後各神社等の耐震化が
行われる計画となっている。台風は1996年9月に富士エムゾネ
山南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害(標高1100〜1
200m中心、計1125ha、富士山では約935haうち国
有林620ha)をもたらしたことがあるため、1997年より
静岡県が中心となり、被害地に対して自生種(ブナ・ミズナエムゾ
ネラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している。また、風
倒による被害を防ぐため人工林における下刈を実施している。大
雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河川の改修
などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じている。山火エム
ゾネ事に対しては、国、県、市町村の連絡・協力体制を確立し、
草原地帯においては防火帯を設け、大規模な火災に対して最大限
の対応を可能としている。建造物の火災に対しては自動火災報知
設備・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃などを設置してい

209 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 00:46:43.22 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネか、自主防火組織も整備するなど、万全を期しているので
問題ない。万一、上記の災害が発生した場合においても、速やか
に現状復旧の対策を講じるための制度及び体制を完備しており、
資産の価値が減じることはない。三保松原においては、高潮対策
事エムゾネ業として安倍川(土砂供給源)下流部での砂利採取を1
968年より海岸浸食の原因の一因と考え禁止するとともに、1
989年より34年計画(2034年まで)でヘッドランド・離
岸堤の設置や養浜による海岸保全対策を行い、現在、海岸と平行
したエムゾネ方向に年250mの割合で砂浜の回復が進行している
。現在ヘッドランドの一部が景観に影響を与えているが、砂浜の
回復後に撤去する計画が進んでいる。登山者の安全に関しては、
気候の急変に備え、「富士山登山指導センター(山頂と富士宮口
新五合エムゾネ目)」、「富士山安全指導センター(吉田口六合目
)」と「富士山衛生センター(富士宮口八合目)」が設けられて
いる。また、富士宮口のすべて、吉田口七合目以上のほとんどの
山小屋にはAEDが設置されている。(御殿場口はなし、須走口
は1軒・エムゾネ東富士山荘)4)来訪者及び観光の圧力富士山の
構成資産のうち私有財産である小佐野家住宅(御師住宅)を除い
た資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲については
登山道及び山頂部以外は土地所有者(国、県、富士山本宮浅間大
社)の了解エムゾネが必要であり、安全上の観点からも県が登山道
からの逸脱を好ましくない行為として事実上立入を制限している
。山体以外の資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建
造物等の構成資産を護るために、防犯警備施設を設置するととも
に巡視及び監エムゾネ視の体制を整備し(山宮・村山・人穴等では
防犯システムは採用されていない)、来訪者によるゴミの増加等
に対しても地域住民や関係市町村が適切な管理を行っていること
から、観光による圧力が資産の価値を著しく低下させるよう

210 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 00:52:01.15 ID:9nWTm38Q0.net
とは起こり得なエムゾネい。山体に関しては、観光客によるごみ及
びし尿、並びに自動車で訪れる来訪者(富士山スカイラインでは
4月〜11月の合計で年平均127,000台・1999〜20
09年、富士スバルラインで年平均410,000台・2006
〜2008年)にエムゾネよる環境への負荷及び混雑の軽減を目的
に以下の対策を行った。ごみに関しては国・県及びNPO法人(
富士山ネットワーク・富士山クラブ)、ボランティアによ5

211 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 00:57:13.16 ID:9nWTm38Q0.net
清掃作業が活発に実施されるとともに(平成20年実績・92回
、約64t、延べ参エムゾネ加人数約7000名)、外国人も含め
登山者に対してマナー向上を呼びかけ、登山道周辺のごみは減少
している。山頂部で発生するごみについては山小屋組合(富士山
吉田口旅館組合等)により、山麓に搬出し、適切に管理・処理さ
れている。し尿対策にエムゾネ関しては登山道及び山小屋のトイレ
48箇所を2006年までにバイオ処理式等に改良し、環境への
負荷を軽減した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に対応す
るため、環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検討し
ており、今後は業者と連エムゾネ携を密にしてメンテナンスをきち
んとしていくことが確認された。自動車に関しては、土日・休日
を中心に各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(
利用者の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない
御殿場口はなし)、山麓のエムゾネ臨時駐車場と五合目駐車場間の
シャトルバスによる輸送を行っている。吉田口においては201
1年夏には富士吉田IC付近に1400台の駐車場を整備し、自
家用車の利用規制を15日に拡大する予定である。5)資産と緩
衝地帯の居住者人口構成資産エムゾネ内人口:人緩衝地帯内人口:
人合計:人集計年:2010年No.構成資産の名称構成資産範
囲内人口(人)緩衝地帯内人口(人)合計(人)富士山A1山頂
信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登
山道A5吉田口登山道A6北口エムゾネ本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖AA9本栖湖B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神
社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5冨士浅間神社(須走浅
間神社)B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅5
2B9山中湖B10河口湖B11エムゾネ忍野八海B12船津胎内
樹型B13吉田胎内樹型B14人穴冨士講遺跡B15白糸ノ滝C
三保松原535.資産の保護の管理a)所有関係各構成資産

212 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:03:45.29 ID:9nWTm38Q0.net
在地及び所有者については、以下に記すとおりである。b)法に
基づく指定保護資産を構成する重要エムゾネ文化財に指定された「
記念工作物」「建造物群」、史跡、特別名勝又は名勝、54特別
天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」は、古社寺保存
法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存法(1919年
制定)、国宝保存法(1929年制定エムゾネ)などの下に適切な
保護が行われてきた。また、1950年には、それらの諸法を統
合・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在に至るま
で、個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が講じられ
てきた。富士山の山体及び北側の構成資エムゾネ産の範囲において
は、さらに国立公園法(1936年制定)、それを改定した自然
公園法(1957年制定)により、その優れた自然の風景地が保
護されてきた。17個の構成資産の指定保護の状況については、
以下に示すとおりである。(A)富士山1エムゾネ936年2月1
日:富士箱根国立公園の指定(1952年10月7日:名勝富士
山の指定1952年11月22日:特別名勝富士山の指定196
6年10月6日:特別名勝富士山の指定地域の変更(A1)山頂
信仰遺跡(特別名勝範囲内・Aに同じ)史跡エムゾネ富士山の指定
予定(A2)大宮・村山口登山道史跡富士山の指定予定(A3)
須山口登山道(一部のみ特別名勝範囲外・範囲内はAに同じ)史
跡富士山の指定予定(A4)須走口登山道史跡富士山の指定予定
(A5)吉田口登山道(特別名勝範囲内・Aにエムゾネ同じ)史跡
富士山の指定予定(A6)北口本宮冨士浅間神社1907年8月
28日:特別保護建造物(富士嶽神社境内東宮本殿)の指定19
53年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅間神社本殿の指定
1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士エムゾネ浅間神社
西宮本殿の指定史跡富士山の指定予定(A7)西湖1936年2
月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定

213 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:10:06.82 ID:9nWTm38Q0.net
(A8)精進湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(
名勝富士五湖の指定予定(A9)本栖湖※本栖湖かエムゾネらの展
望面含む1926年2月24日:天然紀念物富士山原始林の指定
1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(2010年3月
8日:天然記念物富士山原始林及び青木ヶ原樹海の指定名勝富士
五湖の指定予定(B1)富士山本宮浅間大社1907エムゾネ年5
月27日:特別保護建造物浅間神社本殿の指定1944年11月
7日:天然紀念物湧玉池の指定1952年3月29日:特別天然
記念物湧玉池の指定史跡富士山の指定予定(B2)山宮浅間神社
史跡富士山の指定予定(B3)村山浅間神社史跡富士山エムゾネの
指定予定(B4)須山浅間神社史跡富士山の指定予定(B5)冨
士浅間神社(須走浅間神社)史跡富士山の指定予定(B6)河口
浅間神社史跡富士山の指定予定(B7)冨士御室浅間神社198
5年5月18日:重要文化財冨士御室浅間神社本殿の指定エムゾネ
史跡富士山の指定予定(B8)御師住宅1976年5月20日:
重要文化財小佐野家住宅の指定重要文化財旧外川家住宅の指定予
定(B9)山中湖561936年2月1日:富士箱根国立公園の
指定(名勝富士五湖の指定予定(B10)河口湖1936年エムゾ
ネ2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定
(B11)忍野八海1934年5月1日:天然紀念物忍野八海の
指定(B12)船津胎内樹型1929年12月17日:天然紀念
物船津胎内樹型の指定(B13)吉田胎内樹型1929年12エム
ゾネ月17日:天然紀念物吉田胎内樹型の指定(B14)人穴富
士講遺跡史跡富士山の指定予定(B15)白糸ノ滝1936年2
月1日:富士箱根国立公園の指定(1936年3月6日:名勝及
天然紀念物白糸ノ滝の指定(C)三保松原1922年3月8日名
エムゾネ勝三保松原の指定1977年4月1日名勝三保松原の一部
指定解除1990年3月29日名勝三保松原の追加指定及び

214 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:16:03.36 ID:9nWTm38Q0.net
指定解除c)保護の実施手段1)資産各構成資産については、遺
跡、記念工作物、建築物群のみならず、それらと密接な関連を持
つエムゾネ展望線など、富士山の本質的価値を構成する諸要素を厳
格かつ的確に把握し、それらをすべて含む範囲について、価値の
中核をなす部分は文化財保護法の下に指定(特別名勝又は名勝、
特別天然記念物又は天然記念物、重要文化財、史跡)され、また
、価エムゾネ値の中核をなす部分を取り囲む地域の大部分は自

215 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:21:37.22 ID:9nWTm38Q0.net
園法の下に国立公園(国立公園、県立自然公園)に指定している
。これら範囲のうち、富士山の顕著な普遍的価値を証明するため
に必要不可欠な範囲を資産範囲とした。これらの範囲の大部分に
おいてエムゾネは、国の許可無くそれらの現状を変更することはで
きない。文化財保護法、自然公園法の及ばない地域は国有林であ
り、開発行為が行われることはない。また、森林法に基づき森林
の伐採に関しても適切な管理が行われている。文化財保護法の定
めるとこエムゾネろにより、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又
は天然記念物、重57要文化財、史跡の保存管理・修理・公開に
ついては、所有者又は管理団体が適切に行うことを原則としてい
る(法第31条・第32条の2、第113条・第115条・第1
19条)。エムゾネまた、自然公園法が定めるところにより、国立
公園の管理と保護については、国又は管理団体が適切に行うこと
を原則としている(法第9条、第37条、第38条、第39条)
。重要文化財に指定されている建造物の修理に関して、部材の痕
跡調査などかエムゾネら判明した原型への復元などの現状変更等を
行おうとするときや、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天
然記念物、史跡の指定地内において現状変更等を行おうとすると
きは、あらかじめ文化庁長官の許可を得なければならない(法第
43条・第12エムゾネ5条)。文化庁長官は国が設置し、イコモ
ス国内委員会委員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当
該現状変更等に関する諮問を行い、その答申を経て許可すること
としている。したがって、資産の現状を変更する場合には、学術
的かつ厳密な審査エムゾネに基づく許可を必要としている。また、
国立公園(特別保護地区及び特別地域)の現状変更については、
あらかじめ環境大臣の許可を得なければならない(法第13条、
第14条)。特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物
、重要文化財、史跡エムゾネの管理と修理に対しては、必要に

216 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:26:54.17 ID:9nWTm38Q0.net
て国が経費を補助し、技術的指導を行うこととしている(法第3
5条・第47条・第118条)。国立公園の管理と保護は国が費
用を負担する(法43条)。また、管理団体が管理と保護を行う
場合、国が必要な情報エムゾネの提供又は指導・助言を行う(法4
2条)。資産範囲の国有林については森林施業計画により皆伐は
年5haにとどめるなど景観への影響を最小限に留めるよう適切
に保護・管理されている。加えて国有林の大部分である保安林は
指定施行要件(保安林のエムゾネ種別ごとに異なる。)に合致しな
い伐採等には都道府県知事の許可が必要である(法34条)。2
)緩衝地帯緩衝地帯の全域においては、文化財保護法、自然公園
法、景観法(それに基づく景観条例及び景観計画)、森林法、砂
防法、海岸法、又は関係各エムゾネ県・市町村が定める条例等の下
に資産の周辺環境について万全な保全措置が講じられている。緩
衝地帯の範囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、
法律・条例等に基づく境界、地籍境界、行政界、道路等の明確な
境界などを考慮しつつ、資産エムゾネの保護に必要不可欠な範囲を
定めた。山体の緩衝地帯については富士山を周辺ないし構成資産
から展望した際、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を基
準としている。この範囲の中には演習場を挟んで、三保松原以外
のすべての構成資産が含まれるエムゾネ。緩衝地帯において行われ
る建築物及び工作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に係
る行為、木竹の伐採については、許可制や届出制に基づく規制を
設けており、これらの行為に関する重要な事項については、特に
関係各市町村の景観審議会等によエムゾネる調査、審議に基づき、
関係市町村が事前に適切な指導や助言を行うこととしている。な
お、緩衝地帯設定の考え方や、行為規制等の詳細については、本
推薦書の付属資料及び別添参考資料を参照されたい。緩衝地帯は
大きく3つの方法により保護措置がエムゾネ講じられている。

217 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:32:25.98 ID:9nWTm38Q0.net
目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に基づく
各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市・富士宮市ほ5
8か)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用事業指導要
綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県エムゾネ裾野市・御殿場市・
小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二番目の保護
措置に移行する予定である。なお、三保松原などいくつかの資産
においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く設定
されているため、緩衝地帯の一部は文化エムゾネ財保護法により保
護されている。これらの地域では適用する法令等に違いはあるが
、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築、増築、改築
、土地の形質変更等に係る行為については、許可制ないし承認制
・届出制に基づく規制が定められ、資産のエムゾネ周辺環境の万全
な保護措置が講じられている。緩衝地帯に適用される諸法令等の
概略法令名対象地区規制内容許認可文化財保護法三保松原(一部
)現状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立公園)山体・静岡
県・山梨県工作物の新築等、ごみ捨て又は放エムゾネ置、木竹の採
取、土石の採取、車馬の乗り入れ等環境大臣の許可(特別地域)
、届出(普通地域)自然公園法(県立自然公園)県立自然公園条
例三保松原(一部)工作物の新築等、ごみ捨て又は放置、木竹の
採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等県知事のエムゾネ許可(特別
地域)、命令景観条例及び景観計画(景観法に基づく)富士市・
富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村・富士河口湖町建築物の新築
等、工作物の新設等、開発行為、土石の採取・堆積等(高さ・色
彩・形状を規制)市町村長への届出勧告、指導・エムゾネ要請(問
題があった場合)景観条例(自主条例)富士吉田市建築の新築等
市長への届出勧告、助言・指導土地利用事業指導要綱裾野市・御
殿場市・小山町土地利用事業市長・町長の承認森林法(保安林指
定施業用件)保安林(土砂流出防備保安林)(保健エムゾネ保

218 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:38:34.52 ID:9nWTm38Q0.net
)(水源涵養保安林)立木の伐採(原則択抜※水源涵養保安林除
く)県知事の許可砂防法(静岡県砂防指定地管理条例)砂防指定
地(富士宮市等)施設又は工作物の新築等、竹木の伐採等、土地
の形状変更、土石の採取・集積又は投棄等県知事の許エムゾネ可海
岸法三保松原(海岸の水際線から50mの範囲)土石の採取、施
設等の新設、土地の掘削等海岸管理者(静岡県河川砂防管理室)
の許可県有林管理計画山梨県県有林なし(水土保全林)(森

219 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:44:52.05 ID:9nWTm38Q0.net
人との共生林)立木の伐採皆伐〜禁伐59(資源の循環エムゾネ利
用林)なお、緩衝地帯の外側に広がる市街地のうち富士山の主要
な眺望(北側では河口湖・山中湖北部から眺望した富士山、南側
では三保松原から眺望した富士山)に若干の影響を及ぼす範囲に
ついては、日本政府が自主的に保護する範囲として「保全エムゾネ
管理区域」を設定している。F資産に影響する可能性がある個別
の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静
岡県及び14市町)2009年2月策定市町村森林整備計画(富
士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)2006年4エムゾ
ネ月策定e)資産の保存管理計画又はその他の保存管理体制構成
資産のうち、史跡又は特別名勝・名勝、特別天然記念物・天然記
念物に指定されている土地及びその範囲に立つ建造物(重要文化
財含む)については、1919年に制定された史蹟名勝天然紀エム
ゾネ念物保存法及び1950年以降においては文化財保護法に基
づく段階的な指定により保護措置がとられ、史跡等の管理団体で
ある各市町村と静岡県・山梨県が個別に保存管理計画を策定して
適正な保存管理に当たっている。さらに、2011年には、資産
エムゾネを構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天
然記念物又は天然記念物について、静岡県・山梨県が文化庁、所
有者である宗教法人・個人、史跡等の管理団体である各市町村と
の調整の下に構成資産の全体を対象とする包括的保存管理計画を
策エムゾネ定し、保存管理全体の整合を図る予定である。上記した
各構成資産の保存管理計画の概要と資産全体を対象とする包括的
保存管理計画の全文については、本推薦書付属資料−として添付
している。1)保存管理計画各構成資産の保存計画の策定状況に
ついエムゾネては、本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存
管理計画書に示すとおりである。特に静岡県・山梨県教育委員会
は、文化庁及び関係各市町村の教育委員会との十分な調整の

220 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:51:19.82 ID:9nWTm38Q0.net
『世界遺産富士山包括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を
視野にエムゾネ入れた総括的な保存管理を行う予定である。包括的
保存管理計画に定める基本方針は、次の5点である(別添参考資
料)。(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた
一体的な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進
(5)保エムゾネ存管理体制の整備と運営包括的保存管理計画に定
めた上記の基本方針に基づき、管理団体である県・市町村が個々
の重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天
然記念物の保存管理計画を利用し、具体的で適切な保存管理に当
たる予定でエムゾネある。これらの保存管理計画を要約したものに
ついては、付属資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富
士山」を総体として保全するためには、構成資産のみならず緩衝
地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切に制御して
いく必要があエムゾネる。そのため、構成資産の本質的な価値に負
の影響を与える可能性のある人工物や開発については、たとえそ
れが緩衝地帯におけるものであってもできる限り抑制することと
し、やむを得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模と
するとともに、エムゾネ色彩等の観点から景観にも十分配慮するよ
う関係者への理解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱
・看板・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤
去または修景に努め、公益上必要と考えられる施設については、
現状の利用状況をエムゾネ尊重しつつ、将来的に撤去又は移転等に
ついて検討するとともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を
図ることとする予定である。図保存管理計画の構造図「富士山」
包括的保存管理計画62各構成資産の都市計画保存管理計画等観
光計画(山梨県・静エムゾネ岡県・各市町村)整備計画等632)
保存管理体制包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づ
き、静岡県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたる富士山

221 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 01:56:54.03 ID:9nWTm38Q0.net
成資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理
するため「富士山世界エムゾネ遺産両県協議会」(以下「両県協議
会」という。仮称)及びその支部組織である「静岡県世界遺産協
議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下両者をまとめて「各県
協議会」という。仮称)を設置し、各構成資産を成す重要文化財
、史跡、特別名勝又は名エムゾネ勝、特別天然記念物又は天然記念
物の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行する予定であ
る。両県協議会及び各県協議会は、資産及びその周辺地域におい
て、国・静岡県・山梨県・関係市町村等・民間団体等が実施する
予定の事業等についての情エムゾネ報を総合的に把握し、それぞれ
の事業が、資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切に
実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協議会・
各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係
市町村は、民間事業者等に対エムゾネして権限に基づく適切な指導
や助言を行うこととする予定である。また、両県協議会には国関
係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)、国内
の大学及びイコモス会員等の研究者・専門家が参加し、学術的な
観点からの助言を行う予定であエムゾネる。各県協議会の下には、
各県庁内の実務担当者レベルの調整組織として、静岡県(山梨県
)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担当者や民間業者
(観光協会、登山組合、神社関係者)などの代表者との調整組織
として静岡県(山梨県)保存管理エムゾネ協力者会議を設置し、十
分な連携を図る予定である。さらに、静岡県・山梨県文化財保護
審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会は指定文化財及び文化
財全体に関する事項を審議し、それぞれ、静岡県・山梨県教育委
員会及び直接的な構成資産の管理をエムゾネ行う各市町村教育委員
会に対して建議を行っている。これらの組織の運営は静岡県・山
梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職員名により業務が行

222 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:02:55.21 ID:9nWTm38Q0.net
る。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置した富士宮市教育
委員会や世界遺産推進室を設置した富エムゾネ士吉田市をはじめ、
各市や市町村教育委員会においても構成資産の保存管理を担当す
る専門の職員を定めている。これらの組織体制については、さら
なる充実化に努める予定である。なお、上記の体制については現
在登録準備のために設置され、実質的にエムゾネ機能している組織
を改変・名称変更・役割変更するものであり、その運営に関

223 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:08:12.29 ID:9nWTm38Q0.net
問題は生じない。図「富士山」に係る保存管理の組織体制図(仮
案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺産両県協議会(構成
)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者エムゾネ等国関係機関(
文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林野庁)f)財源及び財
政的水準各構成資産の管理については、それぞれの所有者又は管
理団体が行っている。特に「記念工作物」、「建造物群」の修理
を行う場合には、小修理その他特別な場合をエムゾネ除いて国が必
要に応じて経費の50開発事業者、地域住民、関係者静岡県世界
遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)行政:静岡県、関係市
町(委員)行政:山梨県、関係市町村等民間:観光協会、登山組
合、神社関係者等民間:観光協会、山小屋組合エムゾネ、静岡県保
存管理協力者会議(委員)関係市町(企画・都市計画・文化財担
当)観光関係者、登山組合、神社関係者等神社、関係者等静岡県
庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委員)関係課等(委員)関係
課等山梨県保存管理協力者会議(委員)関係市町エムゾネ村(企画
、都市計画、文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社関係者
等65〜85%の補助金を交付している。「遺跡」である史跡、
特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物において発掘
調査・修理・整備の事業を行う場合にも、国が必要エムゾネに応じ
て経費の50%の補助金を交付している。これらの国の補助金に
併せて、静岡県・山梨県は国の補助金相当額を控除した額の50
%に相当する額以内の補助金を交付し、構成資産所在の市町村が
同内容の補助金を交付する予定である。また、重要文エムゾネ化財
、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物にお
いて、それぞれ防災施設等を設置する事業についても、同様の比
率の下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金
とは別に、2006年より構成資産の整備活用及び保護エムゾネに
関する教育プログラムのための基金を設けており(「富士山

224 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:14:01.58 ID:9nWTm38Q0.net
」)、基金には国内の経済界を中心に民間からの資金提供も行わ
れている。g)保全及び保存管理の技術における専門的知識及び
研修構成資産の保存管理については、所有者(宗教法人をエムゾネ
含む)をはじめ、静岡県・山梨県教育委員会及び各史跡等の管理
団体に指定された各市町村教育委員会が実施している。静岡県・
山梨県教育委員会とその関連機関である財団法人静岡県埋蔵文化
財調査研究所及び山梨県埋蔵文化センターでは、それぞれのエムゾ
ネ組織内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員及び技
術者を配置し、管理団体である各市町村が行う保存管理に対して
適切な技術的支援を行っている。また、独立行政法人国立文化財
機構は、全国の史跡等における整備活用事業の円滑な推進と専エム
ゾネ門職員及び技術者の技術や能力の向上のために、地方公共団
体の専門職員を対象として定期的に研修を開催しており、静岡県
・山梨県をはじめ関係各市町村の職員も当該研修等に積極的に参
加して、資産の整備活用の技術向上に努める予定である。さらに
エムゾネ、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内の大
学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の
助言者及び両県協議会も含まれる予定である)の助言・指導に基
づいて行われている保存・管理技術は、高い水準を維持する予定
でエムゾネある。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然
記念物又は天然記念物を維持するための措置として簡単な修理又
は復旧を行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術
的指導を行っているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれ
ていエムゾネる。資産の見回りや清掃等の日常的な維持管理につい
ては、静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導
員(静岡県3名、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人
数)のほか、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に
行ってエムゾネいる。表技術者の資質向上のために行われてい

225 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:19:57.00 ID:9nWTm38Q0.net
もな研修h)来訪者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展
開する景勝地とともに日本を代表する優れた名所として国内のみ
ならず海外に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季
折々の自エムゾネ然の姿を求めて来訪する観光客でにぎわい、現在
も国内有数の観光地となっている。図富士山への登山者数の推移
(各登山口推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口
県計吉田口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における
各登山口五エムゾネ合目への入れ込み数推計)66図主な構成資産
の来訪者数の推移(推計等)富士山では、山頂へ7〜8月の登山
期に約29万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動車
でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前の五
合目とは一致エムゾネしないため「新五合目」と呼ばれる)には、
同期間に約250万人(1999〜2009年平均)が訪れ、近
年は外国人がかなりの数を占めるようになっている(外国人の数
に関する統計は取られていないため、正確な数値は不明である)
。富士山体におエムゾネいては、国内外から来訪する観光客や登山
者等の利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好な
風致景観を維持及び形成することを目的として、「富士山におけ
る標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(
年間)富士吉田・エムゾネ河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三
保松原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイ
ドライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中
・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の主
として緩衝地帯にはエムゾネ駐車場・トイレ・資料館等の便益施設
が整備されている。今後とも、適切な計画の下に順次整備してい
くこととしており、「ビジターセンター」などのガイダンス施設
の充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理につい
ては、土日や休日等登エムゾネ山者が突出して増加する日に、

226 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:25:13.23 ID:9nWTm38Q0.net
トイレ・臨時駐車場等を設置するとともに、登山用の自動車道は
自家用車の通行(登山道ごとに異なる、最も利用数の多い吉田口
(富士スバルラインを利用)で最大12日間)を規制しシャトル
バスによる代替輸送を行エムゾネうことで環境への負荷と混雑を軽
減するようにしている。この日数は山麓の駐車場の整備に従い(
2011年に吉田口に1400台の駐車場を整備)今後拡大(吉
田口で15日)する予定である。登山者の安全管理について

227 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:30:53.47 ID:9nWTm38Q0.net
4箇所の案内施設(山頂、エムゾネ富士宮口、吉田口、富士スバル
ライン終点)と3箇所の救護センター(富士宮口に1箇所、吉田
口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県によって30
名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳業務を行
っており、北麓では富士吉田エムゾネ市条例によって、登山下山の
案内を行う約230名のガイドが「富士吉田市案内員組合」に登
録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と
連携し山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳
救助隊及び消防本部や市町村消エムゾネ防署が対応し、場合により
自衛隊の出動も要請する。また、気象条件が一般の登山を行うに
は危険となる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初
旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬)することにより十分
な装備と経験を有する者以外の登エムゾネ山は不可能である。冬山
登山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署・富士吉田署
)に登山計画書の提出を推奨されている(また、おおむね11月
末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉鎖され、山梨県側
も積雪・凍結等の状況に応じて段階エムゾネ的に閉鎖される。)山
体以外の構成資産については、おおむね来訪者数に応じた駐車場
・トイレ等を整備しており、今後、これらをさらに整備する予定
が立てられている。i)資産の整備・活用に関する方針・計画静
岡県・山梨県では、構成資産及びそのエムゾネ周辺を対象とした保
存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活用の取組をも
取り込んで計画的に実施している。こうした諸計画に基づき、富
士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉田市歴史民俗博物館」
「裾野市立富士山資料館」「富士市立博エムゾネ物館」の活用や、
富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニーズに適切に対応す
る拠点の整備を検討するなど富士山の適切な保全・管理・活用を
図っていく。加えて、富士山についての市民向け講座の開催

228 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:36:10.15 ID:9nWTm38Q0.net
じめ、児童・生徒を対象とした体験学習なエムゾネどの情報発信施
策が定期的に実施されている。個別の資産については、「遺跡」
である特別名勝又は名勝、天然記念物、史跡をはじめ「記念工作
物」・「建造物群」である重要文化財に指定されている建造物に
ついては、一部を除き所有者・管理団体が年エムゾネ間を通じて一
般に公開している。なお、登山については、登山期間(基本的に
7月1日〜8月31日)が公開時期に当たる。この時期以外の登
山も禁止されてはいないが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季
の気象条件などにより専門家以外の登山は困難エムゾネである。j
)専門分野・技術・管理に関する人的措置68静岡県・山梨県教
育委員会の委嘱を受けた文化財保護指導員(以下、「指導員」と
いう。)が定期的に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対
して保護に関する助言を行っている。静岡県・山エムゾネ梨県は、
指導員の調査報告に基づき、所有者や関係市町村に対して文化財
の保存管理に関する指導を行っている。このように、将来的に良
好な状態の下に資産を維持していくための体制についても万全を
期している。6.経過観察(モニタリング)の体制エムゾネa)保
存状況を計測するための主たる指標構成資産である「遺跡」・「
記念工作物」・「建造物群」をはじめ、それらの緩衝地帯につい
ては、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理
、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技術の向エムゾネ上を
目的として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与える影響に
対し、次に掲げる主な観点の下に適切な指標を設定し、定期的か
つ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定である。@
「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値とエムゾネ真
実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況と資産に
与える影響」に記された諸要素(開発・環境問題・自然災害・観
光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影響を与え

229 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:41:50.26 ID:9nWTm38Q0.net
るか/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に関連してエムゾネ
、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広い地域が、
相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関する知識を発信す
る場として適切な発展を遂げているか。設定するおもな観察指標
については、以下の表に示すとおりである(予定)。表観察エムゾ
ネ指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(2010年度改定予定
)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)視点場におけ
る景観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎
年両県a)富士山環境教育開催数・参加者数毎年両県b)パンエム
ゾネフレット・HPによる情報提供数毎年両県c)主要地点での
観光客の入込み数毎年両県d)登山者数(5合目以上)毎年市町
村e)登山者数(8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の
保護f)森林伐採面積(森林の整備形態〜)毎年両県a)文化財
エムゾネ保護法における現状変更の数毎年両県b)自然公園法にお
ける許可行為の数毎年両県・環境省c)生活排水クリーン処理数
毎年両県(3)個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集
量毎年両県a)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境
省エムゾネb)ゴルフ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森
林伐採面積(森林の整備形態〜)毎年両県69d)廃棄物の不法
投棄量毎年両県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法
等に関する内容の詳細については、本推薦書参考資料である包括
的保エムゾネ存管理計画において具体的に記述している。b)資産
の経過観察(モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を
含む経過観察(モニタリング)については、以下の表に示すよう
に管理団体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教
育委員エムゾネ会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条
約履行のための作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度
ごとに情報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について

230 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:46:57.18 ID:9nWTm38Q0.net
ごとに保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通
じて世界エムゾネ遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モ
ニタリング体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資
産及び緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁
組織代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:記念物
課課長3.エムゾネ指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県教
育委員会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長

231 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:52:42.37 ID:9nWTm38Q0.net
梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課
長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経
過観察(モニエムゾネタリング)に必要とされる諸事項に関し、現
時点及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・
及び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ
れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経過
観察のために実エムゾネ施した過去の資料・情報)番号編著者標題
対象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N
oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作権
者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文書な
どc)資産関連資エムゾネ料d)資産管理機関住所e)参考文献8
.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その他
の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)番号
構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策定状況
H21.10.30エムゾネ学術委員会評価分析結果備考富士山両
県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資産C
:富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成21年1
0月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価A:顕著
な普遍的価値を有するエムゾネ資産B:顕著な普遍的価値について
さらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しない可能
性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委
員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的
保存管理計画原案−1−エムゾネ世界文化遺産富士山包括的保存管
理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)
各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部
会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計
画の実施第2章構成資産のエムゾネ概要1構成資産の一覧2資産及
び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び

232 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 02:58:51.90 ID:9nWTm38Q0.net
道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口
登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9エムゾネ本栖湖(2)信仰B1富士山
本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8
御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型−2−B13吉田胎内樹型エムゾネB14人穴富士講遺跡(人
穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保存
管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境等を構成する諸
要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び
登山道A信仰B眺望(2)顕著なエムゾネ普遍的価値を構成する諸
要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木B社寺の
境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等以外の建築物及び工
作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構成する諸要素@自
然的要素A歴史的要素B人文的要素エムゾネ2保存管理の基本方針
(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的
な保全(3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)
保存管理体制の整備と運営第4章構成資産の保存管理1現状の把
握(1)富士山山体及び登山道(2)エムゾネ信仰(3)眺望2保
存管理の基本的な考え方(1)現状変更の制限についての考え方
(2)地区区分についての考え方(3)指定地に関わる諸法令に
ついて3具体的な施策(1)第1種保護地区(2)第2種保護地
区(3)三保松原−3−第5章緩衝地帯エムゾネの保存管理1現状
の把握2保存管理の基本的な考え方(1)緩衝地帯の設定と行為
規制(2)都市計画との調整(3)住民生活との調和3具体的な
施策第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の影響を与
える要素2負の影響を与える要因の観察第エムゾネ7章整備・公開
・活用1基本方針2整備と公開・活用第8章保存管理体制の

233 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:05:11.52 ID:9nWTm38Q0.net
と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等との連携・
協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関する事
業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的エムゾネ富士山は、日
本を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に
独自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在
り方及び芸術活動などを通じ、時代を超えて、エムゾネ一国の文化
の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の
傑出した類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価値を持
つ山岳であり、世界文化遺産に値するものであるエムゾネ。富士山
は、有史以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形
の独立成層火山であり、その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強く
秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代かエムゾネら現代
に至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成され、山体と一体となった
比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目以上の砂
礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分エムゾネ布す
る湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形などは、富
士信仰の霊地として重要な役割を果たしてきた。日本独自の山岳
民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命脈を保ち、特に
夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士登山の特エムゾネ徴
を成している。このように、富士山は日本人の自然に対する信仰
の在り方に関連して、山に対する固有の文化的伝統を表す物証及
び人間の山に対する景観認知の在り方を示す傑出した類型となっ
ている。また、富士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対エムゾネ
象となり、その結果生み出された「万葉集」の和歌などの文

234 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:10:48.83 ID:9nWTm38Q0.net
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみな
らず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作
品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形エムゾ
ネ成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて
強力な関連性であることを示している。このような価値をもつ「
富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布
している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」の

235 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:17:14.51 ID:9nWTm38Q0.net
ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた
めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ
のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に
関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「
富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画
保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)
整備計画等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山
包括的保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基
礎とエムゾネし、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理
及び整備に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示す
るため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学
識経験エムゾネ者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存
管理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原
案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を
得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー
ム」(表エムゾネ)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」
(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的か
つ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の
協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観
光関係者・エムゾネ神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計
画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設
置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置した
「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、文

236 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:23:38.15 ID:9nWTm38Q0.net
の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会
と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的
保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界
遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月
26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3
月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検
討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1
回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役
割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20日平成2
1年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候補の概要に
ついて・構成資産、エムゾネ緩衝地帯、保存管理区域について20
10年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存管理計画
の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日平成19年
第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画の事例200
7年12月9日現地調エムゾネ査2008年1月31日平成19年
度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月
21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存
管理計画検討部会の審議エムゾネ結果2008年4月16、17日
現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定について2008年6
月10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回エムゾネ山梨県保存管理計画検討部会・
構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方200
9年4月24日平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定協力
者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨県

237 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:29:05.04 ID:9nWTm38Q0.net
管理計画策定協力者会議につエムゾネいて2009年6月19日平
成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補の概
要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域について200
9年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策定ワーキング
・富士山世界文化遺産登録へのエムゾネ取組状況について・山梨県
保存管理計画の策定について2010年3月16日平成21年度
第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の考え方につい
て2010年6月30日平成22年度第1回山梨県保存管理計画
検討部会静岡県の経緯2007年エムゾネ7月5日平成19年度第
1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計画について−7−
2008年1月23日現地調査2008年1月30日平成19年
度第2回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討
部会の審議結果・静岡県保存管理計エムゾネ画について2008年
2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県
保存管理計画検討部会の審議結果2008年7月16日平成20
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検
討部会の報告・静岡県保存管理計画にエムゾネついて2008年9
月9日平成20年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁内連絡
会議・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静岡県保
存管理計画の策定について2009年2月12日現地調査200
9年6月1日平成21年度第1回静岡県エムゾネ保存管理計画策定
協力者部会・富士山の世界文化遺産登録推進の取組について・静
岡県保存管理計画の策定について2009年6月17日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の
策定について・富士山の緩衝地帯に関するエムゾネ考え方2009
年7月13日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第1回庁
内連絡会議2009年10月29日平成21年度静岡県保存管理
計画検討部会第2回庁内連絡会議2009年11月25日平

238 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:34:35.46 ID:9nWTm38Q0.net
1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者
部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日
平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計
画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成

239 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:39:44.17 ID:9nWTm38Q0.net
〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して
いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日
常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に
関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す
る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する
方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後
の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自
然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基
本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平成18年4月策
定F資産に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法
に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成2
1年2月策定市町村森林整備計画平成18年4月策定−エムゾネ1
8−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計
画の実施今回提出する富士山包括的保存管理計画は、20年月か
ら既に実施され機能されているものである。−19−第2章構成
資産の概要1構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資エムゾネ
産の種別、位置、面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以
下の表に示すとおりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類
構成資産世界遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面
積(ha)緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道エムゾ
ネ含む)遺跡特別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡
特別名勝史跡A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山
口登山道遺跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A
5吉田口登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、エム
ゾネ御殿場市、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、
富士河口湖町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺

240 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:45:59.66 ID:9nWTm38Q0.net
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺
跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然
記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡
市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価
値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における
富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成
資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
証すエムゾネるために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管
理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」
の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、現
在特別エムゾネ名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その
周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に
おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝指
定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と森林
法で保護エムゾネされている。緩衝地帯との境については林班によ
り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽減
するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士山の
山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂までを
連続して保エムゾネ護するための措置である。緩衝地帯の範囲につ
いては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山側を
計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富士山本
宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだとの指摘が
あり、市道をエムゾネ境に緩衝地帯を設定した。その際、富士山本
宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山に向

241 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:52:13.77 ID:9nWTm38Q0.net
て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ
れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から
富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が
流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい
ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に
ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理
区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体
の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい
ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地
帯同様に資産を緩衝エムゾネすることが可能な区域であると言える
。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概要については
、以下に記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書
本文にて説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、
構成資産毎に策定されエムゾネている個別の保存管理計画等におい
て、それぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p1
8,19表のA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に関
わるもの(1)富士山山エムゾネ体及び登山道A富士山標高377
6mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山である。その自然的な美しさと崇高さを基盤として、
日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術文化を育
んだ名山でもある。富士山エムゾネは山岳に対する信仰の在り方や
芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、人
間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型とし
て、世界的にも類例を見ないエムゾネ顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。世界文化遺産としての富士山とは、富士山山体の内、

242 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 03:58:44.23 ID:9nWTm38Q0.net
約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも
に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで
ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬
登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。
景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山
体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を描き

243 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:04:37.81 ID:9nWTm38Q0.net
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21
−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で
ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な
るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以
上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ
一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す
るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿
された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また
、ほぼ森林限界に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15
〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷エムゾネ川角行によって開
かれたとされ、その後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、
富士講信者により修行の道として利用された。表法的保護、修理
・整備の経緯1924年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に
仮指定1936年国立公園法の下に(富士エムゾネ箱根)国立公園
に指定1952年文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指
定1969年国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)1
996年国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手
(継続中)「御中道」は、標高2,300mエムゾネ付近から2,
800m付近の山腹を通り、富士山の中腹部を時計回りに一周す
る約25kmの道である。「御中道巡り」は、修験道の祖とされ
る役行者が始めたと伝えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築
いた長谷川角行が行ったことが記録されているエムゾネ。古くは定
まった道もなく巡ったとされ、富士講が盛んになった江戸時代後
期には一定の道が整備された。富士山信仰の上では、山体西側の
大沢崩れを渡るという危険を伴う最大級の大行の道とされていた
。富士登山3回以上の経験を持ち、誓約書を御師エムゾネに提

244 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:10:16.87 ID:9nWTm38Q0.net
、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許
し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間
100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の
転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな
っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮
)富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施
設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験
道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。
登拝者は山頂周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される
噴火口に鎮座すると言われる神仏を拝した。また、火口エムゾネ壁
にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して
巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なう
ことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、
修行僧末代により建立された大日寺(大日堂)が最初とさエムゾネ
れ、その後、経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院
への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山
口山頂部に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された
。この様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1エムゾ
ネ874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ
て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された
。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通エム
ゾネじて富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の
写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が

245 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:16:49.98 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ
の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰
を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八
葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的
意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる
お鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富士講
講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡っていった。
内院にエムゾネ賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつか
の仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、最高
峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼した。写
真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社及びエムゾネ村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る登山
道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開削した
登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験者とその
活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行われていた
ことが推測エムゾネできる。15世紀に入ると村山での宿坊の存在
が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏により発
心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は1552年
、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴収権を与えて
いる。この権エムゾネ利は19世紀後半まで継続し、浅間大社が登
山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀ごろ、浅間
大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づけることによって
、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社には16世

246 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:22:22.01 ID:9nWTm38Q0.net
半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び
村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者
坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1
600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登
山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17
世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後

247 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:28:10.15 ID:9nWTm38Q0.net
興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の
宝永噴火で登山道とエムゾネ共にことごとく破壊された。これらは
再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設
としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興
法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む
西日本の人々が多かっエムゾネた。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19
世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年
で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退しエムゾネていたとの記述もあるが、186
0年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコックは大
宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざした。彼の記録では大鏡
坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以
降、女人登山の解禁もありエムゾネ、登山者は増加傾向を示すが、
1889年、東海道線の開通による御殿場口利用者の増加により
衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由せず4km
短縮された大宮新道(カケスバタ口)が建設されたため、大宮か
ら現六合目までの村山口登山エムゾネ道は登山道としての機能を失
い、その歴史を閉じた。現在は、林道の建設に雨水による侵食も
加わり、一部を除き登山道跡の推定は困難な状態であり、道標、
地蔵・不動明王像、建物跡などをある程度たどることができるの
みである。写真大宮・村山口登エムゾネ山道の写真A3須山口登山
道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ
嶽)に至る登山道である。その起源は明確ではないが、1200
年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山(珠山)口以外には登
山道がないことが述べられているエムゾネ。1486年の京都の僧
による資料(廻国雑記)では、「すはま口」の名が確認できる。
登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12軒の御師

248 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:34:33.85 ID:9nWTm38Q0.net
心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を
巡り、須走村と争いになった際は浅エムゾネ間大社の裁定を仰いで
いる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に
附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施
設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せエムゾネず、1780年によ
うやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅間神社、
中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確
認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場
としても使用された。登拝者についてはエムゾネ詳しい研究が進ん
でいないが、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、
宿帳及び案内立札の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当
たる1800年に約5,400人、1840年代前半は年平均約
1,700人、続く1860年の御縁年にエムゾネは約3,600
人であった。登拝者は神仏分離令後も継続していたが、1883
年、須山口二合八勺に接続する御殿場口登山道が開鑿された。ま
た、1889年に東海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上
により須山口からの登拝者や登山者が減少すエムゾネることとなっ
た。1912年には、登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可
能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っ
ている。二合八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一
部のみである。また、1999年、地元住民にエムゾネより須山口
下山歩道の名でかつての登山道の一部が復興された。写真須山口
登山道の写真A4須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点
とし、八合目で吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山
道である。その起源は明確ではないが、六合目かエムゾネらは13
84年の銘のある掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の
1500年6月の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を

249 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:40:19.10 ID:9nWTm38Q0.net
すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山エムゾネ頂部ま
でを支配し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬
師堂の開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭
取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須
走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、エムゾネこれ
らの権利について八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い
、正式に権利を認められた。−25−登山道の施設は1683年
の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社
等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されエムゾネて
いる。1707年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神
社、須走村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援
を受け、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集
めた。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料エムゾネ
があるが、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセッ
トにされた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、1
800年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は
関東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見エムゾ
ネられる。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した
須走口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部
に宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19エム
ゾネ03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が
長い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年に
は、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は浅間
エムゾネ大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また
、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている

250 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:46:25.58 ID:9nWTm38Q0.net
959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合
目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができ
なエムゾネい区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山
道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である
。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一
般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣
の道エムゾネ者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るた

251 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:52:31.06 ID:9nWTm38Q0.net
設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が
吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎
を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山
本道をエムゾネこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が次
第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の
道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道路が開通し
た後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を起点として登
るようにエムゾネなったため、五合目以下の道を利用する登山者は
激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も
多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上っ
て山頂を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登エムゾネれる重要な道である。写真吉田口登山道の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然
紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法
の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化財保
護法の下に名エムゾネ勝、ついで特別名勝に指定1978年「特別
名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂)
1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘
調査・整備1999年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2
006年「特別エムゾネ名勝富士山保存管理計画」を改訂2011
年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史跡富
士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」
を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登
山道の起点に位置エムゾネし、祭神として木花開花姫命、天津彦彦
火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝所に祀ら
れていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年
には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の
社殿が整っていたとエムゾネされる。当神社は領主からの崇敬

252 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 04:57:58.19 ID:9nWTm38Q0.net
く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、1
615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講と
のつながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光
清の寄進によって境内エムゾネの建造物群の修復工事が行われ、現
在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の
支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神
社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の
背後に登山門があり、こエムゾネの神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1
907年古社寺保存法の下エムゾネに東宮本殿が特別保護建造物の
指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名
勝に指定1952年東宮本殿・解体修理工事を行う1953年文
化財保護法の下に本殿、西宮本殿が重要文化財の指定1962年
西宮本殿・解体修理工事を行エムゾネう(〜64年)1978年「
特別名勝富士山保存管理計画」を策定1973年本殿・部分解体
修理工事を行う(〜74年)1981年東宮本殿・部分修理工事
を行う(〜82年)1997年東宮本殿・部分修理工事を行う2
008年本殿・屋根の葺替え修エムゾネ理工事を行う(〜09年)
2010年「重要文化財北口本宮冨士浅間神社保存活用計画」を
策定2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理計画」を
策定(予定)A7西湖富士山の火エムゾネ山活動により形成された
堰止湖で、富士山の北北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この西湖にも多くの富士講徒
が訪れた。西湖と精進湖はかつて「〜の海(せのうみ)」と呼ば
れる一つの湖だったが、日本最古のエムゾネ歌集・万葉集で〜

253 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:04:17.93 ID:9nWTm38Q0.net
が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西
湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−
行する内八海巡りが行われたが、このエムゾネ精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔
に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだっ
た。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山エムゾネの火山活動により
形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多く
の富士講徒が訪れた。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も
使用された写真の撮影地点であり、重要なエムゾネ展望地点(vi
ewpoint)である。富士山は、プロ・アマを問わず多くの
写真家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士
山を追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の
峠道から撮影された「湖畔の春」という写真エムゾネは有名である
。この写真は、1984年に採用された5千円札及び2004年
に採用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖ま
で広がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔
の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のままエムゾネ現在も残し
ている。写真本栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7
・A8・A9)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根
)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関
する条例」を制定2006年自然公園法の下に本エムゾネ栖湖の湖
面全域での動力船の使用が規制される2011年文化財保護法の
下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画
」を策定(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南
西麓に位置する神社であり、この神社とともに発展エムゾネし

254 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:10:29.55 ID:9nWTm38Q0.net
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久
夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用さ
れた湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山にエムゾネより
近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとさ
れる。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮める
ことを信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山より

255 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:16:54.53 ID:9nWTm38Q0.net
い神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半エムゾネご
ろには、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹であ
る「浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治
の実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世
紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間エムゾネ
神社とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建
設された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝
した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間エムゾ
ネ大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築さ
れていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年現在
の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得にエム
ゾネおける優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・
支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂上部
の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈以降、
村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由しない登
エムゾネ山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が訪れ
た。また、明治政府の政策により、一時国有地とされていた八合
目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、2004年浅
間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士山表法的保
護エムゾネ、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存法の下
に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等の補修1
929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更1934年
楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950年本殿は文化
財保エムゾネ護法制定に伴い重要文化財に名称変更1952年本殿
の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修理等が行わ
れた1988年本殿の屋根の修理等が行われた1996年富

256 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:22:02.45 ID:9nWTm38Q0.net
市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市教育委員会が調
査を行エムゾネった2005年本殿の屋根の修理等が行われた20
08年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により境内の発掘調
査が行われ、その成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管
理計画」を策定2010年文化財保護法の下に他の文化財ととも
に史跡富エムゾネ士山として指定湧玉池は富士山本宮浅間神社境内
に所在する面積約2,500uの池である。池は約1万年前に噴
出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均14万〜(200
8年)の水を源としている。湧水のメカニズムは、富士山の標高
1000mエムゾネ前後ないしそれ以上の高所の降水が地下にしみ
込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満し、それが押し出
されるようにして末端から湧出したものである。浅間大社の位置
は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる
水源の山としエムゾネて崇める考え方から、豊富な湧水量を持つ湧
玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水には灌漑用水として
の役割もあり、浅間大社境内の神田の宮では水徳の神・農業神と
しての浅間大神に感謝する祭礼が行われている。池の名前の由来
には、地底からエムゾネ玉が湧き出るように湧水しているためとい
う説や湧く霊たま(神霊)との説等があり、わく玉の名は10世
紀後半の地元支配者による和歌に見られ、湧玉池の名称は167
0年作成の「社頭古絵図」に見られる。湧玉池は浅間大社に参拝
し、富士山をめざエムゾネす登拝者が身を清める場として使用され
た。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図」や「富士浅間曼荼羅図
」、17世紀初頭の登山記で確認できる。この絵図では現在の形
状に近い湧玉池が描かれ、水垢離する人々やそのための施設が見
られる。登拝者の水エムゾネ垢離は1920〜30年代まで行われ
、現在では山開きの恒例行事に形を変えて継承されている。また
、湧水は聖なる水として現在でも利用する人が多い。湧玉池

257 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:28:13.94 ID:9nWTm38Q0.net
び周辺には様々な宗教に係わる施設があるが、特に池の南端にあ
る「神幸橋」は、御神エムゾネ幸道の基点であり、現在でも169
1年に作られた石碑がたもとに残されている。−29−写真沸玉
池の写真B2山宮浅間神社浅間大社の北北東約5kmに位置し、
木花之佐久夜毘売命を主祭神とする神社である。その起源は「富
士本宮社記」によれば、エムゾネ山足の地に祀られていた浅間大神
を、神話上の英雄である日本武尊が大神の神威により難を逃れた
謝礼に山宮に祀ったこととされ、これが802年に再び遷され浅
間大社となったとする。具体的な創建年代は不詳だが、文献上で
の初見は1551年であるエムゾネ。神社は神事の際に使用する籠
屋以外の建物施設を持たず、拝殿・本殿等が位置すべき場所には
石列でいくつかに区分された遥拝所が設置されるのみという特異
な形態を示している。この形態は古代からの富士山祭祀の形を止
めていると推定されており、エムゾネ遥拝所の主軸は富士山方向を
向いている。発掘調査では12〜15世紀にかけての神事に使用
されたと推定される破砕された土器が遥拝所北側から多数出土し
、当神社での宗教活動を裏付けている。また、遅くとも1577
年までには浅間大社との間で「エムゾネ山宮御神幸」といわれる儀
式が開始された。これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅
間大社から山宮浅間神社へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅
間大社へ戻る行事である。行事の意味として、現時点では神が4
月に旧跡に戻るという解釈と、山エムゾネにいる神が4月に田の神
として里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで
行われていた。なお、「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸
道と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約600m東へ向かった
後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上エムゾネして山宮浅間神社に至
る。道の出発点及び途中には1691年に置かれた距離を示す石
碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮浅間神社の写真

258 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:34:45.49 ID:9nWTm38Q0.net
村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士山南麓に張り出
した標高約500mのバルコニー状地エムゾネ形に位置し、木花開
花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範囲には、
現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在
している。これらは1868年の神仏分離令までは一体のもので
あり、富士山興法寺(村山興法寺)と呼エムゾネばれていた。なお
、周辺には興法寺の維持・運営にあたっていた道者坊の村山

259 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:40:08.49 ID:9nWTm38Q0.net
(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確
認されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末
代上人による富士山頂への大日寺の建立にエムゾネあるとされる。
末代上人が富士山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も
残されている。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺
において修験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測で
きる。1259年には、現存する大日如来がエムゾネ寄進されたこ
とを仏像の銘で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で
修行する人々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点とな
ったと考えられる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活
動を組織化し、興法寺を再興したとされる。1エムゾネ5世紀に入
ると興法寺とそれを支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(
1478)で確認できる。1482年には修験道本山派の本寺で
ある聖護院と関係を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十
数軒あった道者坊が村山三坊に統合され、その活エムゾネ動を資料
で確認できる。坊に所属する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及
び山頂で行った。また、富士山への一般の登拝者も増加し、夜間
に白装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目指す多くの人々の
様子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。エムゾネ村山の
山伏は、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回巡回し加持祈
祷等を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西日本の一
般登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織化を図
ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川エムゾネ辺で
垢離を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢
離」の手法を広めている。加えて富士山を航海の目印とする伊豆
半島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺
の勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた1エムゾネ6
世紀前半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の

260 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:46:21.98 ID:9nWTm38Q0.net
背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺を
支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復され
、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ばエムゾネ
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築さ
れたものを基本としている。1868年、神仏分離令により浅間
神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、1906年
の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富士峰エムゾ
ネ修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は197
0年代より活発になった地域住民による伝統復活のための活動が
見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅間神社の
影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊勢町等でエム
ゾネは現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村山浅間
神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口登山道の
入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である。その
起源は1598年作の社伝旧記によると110年、日本武尊が蝦
エムゾネ夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さらに55
2年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神社の存在が
確認できるのは1524年で修築時の棟札による。また、市天然
記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推定されており、
遅エムゾネくともこの時期までに須山浅間神社が現在の地に存在し
たと推測できる。現在の社殿は1823年の再建である。170
7年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を受けたが、17
80年に登山道が再興され、1800年の御縁年には約5,40
0人エムゾネの登拝者があった。須山浅間神社は12軒の御師とと
もに当時の須山村の中心的存在であり、村全体で須山口登山道と
山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田家より神道裁許状を得
たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする等して権威を高めて
いるがエムゾネ、山頂部で発生した問題については、浅間大社

261 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:51:59.21 ID:9nWTm38Q0.net
断を仰いでいる。須山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ち、1
940年頃まで境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われて
いた。1883年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東
海道本線エムゾネ開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの
登拝者や登山者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍演
習場となり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし
、その後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周
辺は日本的エムゾネ伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い
。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社である
。境内西側には鎌倉往還が通り、神社周辺は古来、交通の要衝で
あった。社伝エムゾネでは802年、噴火の鎮火祈願のために祭事
を行い、翌年噴火が収まったことから、807年に祭事の跡地で
あるとされる現在の地にお礼のために社殿を造営したとされる。
その他の文書で確実に存在が確認できるのは、1571年のもの
である。16世エムゾネ紀には地元支配者である武田氏の保護を受
け、山頂部の散銭取得権の一部を得ている。17世紀以降、須走
浅間神社は当時の須走村の御師などと共に須走口登山道を支配し
、山頂部薬師嶽(現−31−久須志岳)の薬師堂開帳の権利及び
山頂部の散銭取得エムゾネ権の一部を得ていた。これら山頂部の権
利については八合目以上の支配権を主張する富士山本宮浅間大社
と争いになり、須走村は1703年と1772年の2回、幕府に
裁定を求めている。この結果、これらの権利は幕府によって認め
られた。また、冨士エムゾネ浅間神社神主や御師は須山の場合と同
じく、京都吉田家より神道裁許状を得て権威を高めている。社殿
は、記録の残っている範囲では1662年、地元領主である沼津
城主大久保氏や小田原藩主稲葉氏などの援助によって修造が行わ
れた。しかし1707エムゾネ年の宝永噴火では3m以上の降

262 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 05:58:34.49 ID:9nWTm38Q0.net
埋もれ崩壊したため、1718年に再建された。この後もこの際
の部材を使用し、2009年の修理も含め何回かの修理がおこな
われている。境内には水路があり、水垢離に利用された。18世
紀末から19世紀初頭にエムゾネかけて富士講が隆盛を迎えると須
走口にも関東からの登拝者が登山又は下山の際立ち寄った。その
数は1800年の御縁年の際に約27,300名であった。同時
期から20世紀前半まで富士講信者は境内に登山回数等の記

263 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:05:15.39 ID:9nWTm38Q0.net
を約80基造営した。またエムゾネ、神社には神社神官や御師が発
行した木版印刷による神影や神符の版木が保管されている。写真
冨士浅間神社の写真B6河口浅間神社古くから富士山に関わる祭
祀は南麓の浅間神社(山宮浅間神社か〜)が執り行っていたが、
864年〜866年に北麓でエムゾネ起こった噴火を契機に、北麓
にも浅間神社が建てられることとなった。それが、富士山を望む
河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であると
される。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官
道の宿駅という役割に加え、富エムゾネ士登拝が大衆化した中世後
半から御師集落として発展を遂げた。しかし、江戸における富士
講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集
落としての機能は、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河
口浅間神社は、現在も富士山と密エムゾネ接に結びついた宗教行事
を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠
かすことができない資産である。写真河口浅間神社の写真表法的
保護、修理・整備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化
財とともに史跡富士山として指定(エムゾネ予定)2011年「史
跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間神社冨
士御室浅間神社は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と、
河口湖畔に建立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉
田口登山道二合目に祭場をしつらえたエムゾネのが最初とされ、富
士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある。富士修験
の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社
が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備さ
れたようである。また、社記によると9エムゾネ58年、二合目は
冬季における参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里宮
が建立されたという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない、吉
田口登山道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさら

264 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:11:37.08 ID:9nWTm38Q0.net
すことになる。しかし、昭和に入ると富士エムゾネ信仰のありかた
の変化や、富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰
退する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、
富士御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管
理が困難となって、1973年から74年にエムゾネかけて、−3
2−本殿を里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった
様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土
地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社である
。写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修エムゾネ理・整備の
経緯1973年本宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備さ
れた(〜74年)1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要
文化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995年外部
の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年エムゾネ「重要文
化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化
財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定
)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8御
師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登拝のためのエムゾネ一切の
世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くはエムゾネ短冊
状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路
の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き
、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外川家
住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最エムゾネ盛
期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外川家住宅
は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の
東側南端に位置する。1572年の町割によって成立した東

265 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:18:09.86 ID:9nWTm38Q0.net
向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てエムゾネ
られている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩廼屋(しお
のや)と号し、富士信仰における上吉田に居住し、下総地域を檀
家とした富士山御師である。1572年の「吉田宿屋敷割帳写」
には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」の屋敷が記されてエムゾ
ネおり、外川家ではこの人物を中興の初代としている。また、1
669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋敷として確認される
。御師としての活動は江戸末期頃隆盛期を迎えるが、1962年
に御師を廃業している。建物の老朽化に伴い、所有者が取り壊エム
ゾネす意向であったが、富士吉田市が寄贈を受け、2006年か
ら2007年にかけ大規模保存修理事業を行った上で、2008
年4月から富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開
されている。写真旧外川家住宅の写真表法的保護、修理・整備の
エムゾネ経緯2006年大規模保全修理を行う2008年富士吉田
市歴史民俗博物館の附属施設として一般公開を行う2010年「
山梨県指定有形文化財旧外川家住宅保存活用計画」を策定201
1年文化財保護法の下に重要文化財として指定小佐野家住宅は、
富エムゾネ士講によって大きく発展した御師集落である富士吉田市
上吉田地区にあって、富−33−士山に登拝する人々を宿泊させ
た宿坊として、代表的な御師住宅である。上吉田地区は、富士の
雪代の被害を避けるため、1572年に旧地である古吉田地区か
ら集エムゾネ落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神社の北西隅から北
東方向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行われたと伝えられてい
る。小佐野家住宅は、南北の間口が16m、東西方向の奥行きが
150mほどの長大な屋敷地に建てられている。小佐野家は、元
亀の集エムゾネ落移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられ
る。代々御師を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当主は
小佐野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊

266 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:23:31.16 ID:9nWTm38Q0.net
参詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所エムゾネ有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅
には所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表法
的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重要文
化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年屋根の
葺替えを行エムゾネう1996年雨樋いの補修を行う1997年主
屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い201

267 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:29:25.29 ID:9nWTm38Q0.net
「重要文化財小佐野家住宅保存活用計画」を策定B9山中湖富士
山の火山活動によって形成された堰止湖で、富士山の北東に位置
する。富士山エムゾネ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行わ
れたが、この山中湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝
地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられ
たほか、別荘地としても整備された。ゆかりのある芸術家も多く
、山中湖を描いエムゾネた文学や絵画が散見する。富士山の頂上付
近に日の入りが重なる様子はダイアモンド富士と呼ばれ、多くの
写真家を集める。写真山中湖の写真B10河口湖富士山の火山活
動により形成された堰止湖で、富士山の北に位置する。富士山周
辺の湖を巡って修エムゾネ行する内八海巡りが行われたが、この河
口湖にも多くの富士講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で
、20世紀前半には湖畔に洋式ホテルが建てられた。ゆかりのあ
る芸術家も多く、湖を題材にした文学や絵画は、富士五湖中この
河口湖が最も多い。エムゾネ葛飾北斎や歌川広重といった浮世絵師
も、河口湖越しに見える富士山を描いている。写真河口湖の写真
表法的保護、修理・整備の経緯(B9・B10)1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1988年「
山梨県富士五湖の静穏エムゾネの保全に関する条例」を制定200
6年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動力船の使用が規制
される−34−2011年文化財保護法の下に名勝に指定(予定
)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B1
1忍野八海富士山の北東エムゾネ、忍野村忍草にある、富士山の伏
流水による八つの湧水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧
池、濁池、鏡池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を
祀る富士信仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者た
ちはこの水で穢れを祓ったエムゾネ。長谷川角行が行った富士八海
修行になぞられ「富士御手洗(みてらし)元八湖」と唱えら

268 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:34:45.13 ID:9nWTm38Q0.net
古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講道者によって再興さ
れたとされる。写真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周
辺図表法的保護、修理・整備エムゾネの経緯1934年史蹟名勝天
然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計
画を策定、忍野八海周辺を景観形成重点区域に指定2010年街
なみ環境整備事業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14
年)2011年「天然記念物忍エムゾネ野八海保存管理計画」を策
定(予定)B12船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされる
長谷川角行が富士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津
胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考え
られる)を発見し、浅間明神を祀エムゾネった。1673年、富士
講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った
焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ
、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという
故事に倣い社号を無戸室浅間神社とエムゾネ名付けた。富士道者は
、富士登拝の際に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内
外の地形空間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富
士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られてい
る。写真船津胎内樹型の写真表法的保エムゾネ護、修理・整備の経
緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定
2010年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定天然記念物
溶岩洞穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉田胎内樹
型吉田胎内本穴は、1892年に富士道エムゾネ者により整備され
た「御胎内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士
講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、その
下段には、さらに横穴があり左右に分かれエムゾネている。右の穴
が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶

269 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:40:54.44 ID:9nWTm38Q0.net
祀る母の胎内である。富士講講徒は、昼までに御師の家に着き、
夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登山した。−35−本穴に
ついては、古くから冨士山北口御師団が管理エムゾネしている。写
真吉田胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929年
史跡名勝天然紀念物法の下に天然紀念物として指定2010年「
天然記念物吉田胎内樹型保存管理計画」を策定B14人穴富士講
遺跡富士山西麓、静岡県側と山梨県側を結ぶ街エムゾネ道沿いに位
置する。木花開花姫命・角行祖霊・徳川家康を主祭神とする浅間
神社と富士講の人々による約230基の碑塔群及び溶岩洞窟であ
る人穴がある。長さ約83mの人穴は約11,000〜8,00
0年前に流出した犬涼山溶岩流中に生成したものエムゾネである。
1300年前後に成立した文書である吾妻鏡によれば人穴は霊的
な場所であり、地元では「浅間大菩薩の御在所」とみられていた
ことが記述されている。この内容は遅くとも1603年までに説
話化され、多くの人にその存在が知られていた。富エムゾネ士講関
連の文書では1558年、開祖とされる長谷川角行が役行者のお
告げにより人穴に至り、洞窟内で立行等を達成し、浅間大菩薩よ
りお告げを得たとしている。角行は人穴を浄土への入り口とし、
「西の浄土」と呼んだため、主に19世紀以降、人穴エムゾネは富
士講の人々より聖地として信仰を集め、参詣だけでなく修行を行
う者も見られた。その大部分は吉田口登山道の利用者と推定され
る。また、塔頭の碑文から村山三坊との関係もあったと推定され
ている。人穴浅間神社の創建は明確ではないが、164エムゾネ8
年及び1665年、その前身である光〜寺が富士講二世日珀(正
しくは王へんに日)、三世珀心(同)により再興された記述があ
り、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎により再興された。1
868年の神仏分離令により20世紀までには大日堂が人エムゾネ
穴村の氏神としての浅間神社となった。1942年、付近が

270 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:46:44.55 ID:9nWTm38Q0.net
地となったため一時移転したが、1954年に現在地に復興され
た。境内の碑塔は、その4分の3(194基)が墓碑ないし供養
碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富士講の信仰によるものであエムゾ
ネる。そのほかに富士山に何回も登ったという登拝記念や大願成
就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。碑塔は富士講の
講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢力を誇るためと推
定されている。碑塔で建立年代のわかる89基の内、富士講が

271 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:52:13.66 ID:9nWTm38Q0.net
ゾネ隆盛した18世紀末から19世紀前半(1781から185
0年)に建立されたものが半数(44基)、19世紀末より20
世紀前半(1871から1940年)のものが3分の1(29基
)を占める。写真B14の写真B15白糸ノ滝人穴の北方約5k
エムゾネmにある落差約20〜25m・幅約120〜210mの数
百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に噴出した白糸溶岩流
の末端から湧き出す一日平均13万〜の水を源としている。滝の
名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えるため
名エムゾネづけられた。湧水のメカニズムは、湧玉池と同様であり
、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士泥流の境界に降水・雪
解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及び溶岩流と泥流層の間よ
り湧き出しているものである。このメカニズムが解明される前の
19エムゾネ世紀半ばの資料「不二山道知留邊」ではその起源を富
士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は富士講関連の文書では、
開祖とされる長谷川角行が人穴での立行と合わせて水行を行った
地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心と
した人エムゾネ々の巡礼の場となった。その様子は1845年と1
854年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝つぼ
の中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光」とし
ている。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書の挿画に
描かれてエムゾネいる。そのほかの19世紀の登山記でも人穴と共
にその存在が長谷川角行との関わりを通して紹介されている。ま
た、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの和歌・絵画の
題材となっている。写真B15の写真表法的保護、修理・整備の
経緯193エムゾネ6年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国
立公園に指定1936年史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝及
び天然紀念物に指定1987年富士宮市により「白糸ノ滝」保存
管理計画が策定2010年富士宮市により保存管理計画が改

272 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 06:58:29.10 ID:9nWTm38Q0.net
れ、これにとエムゾネもなった整備計画に基づき、滝周辺の景観整
備が行われた(3)眺望C三保松原富士山頂の南西約45kmに
位置する駿河湾に突き出した長さ約7kmの砂嘴をなす三保半島
上の松原である。現在、5万4千本の黒松が外海側海岸線4km
を中心に繁茂しエムゾネ、その中でも樹齢約650年といわれる「
羽衣の松」付近は、富士山と砂浜の松という日本で好まれた景観
を組み合わせて望むことができる景勝地として知られている。三
保松原のある三保半島は約6000年前に現在の形となったと考
えられ、三保の名エムゾネ前は内海側の三つの岬を稲穂にたとえた
という説が有力である。かつては半島一帯に松が繁茂し、8世紀
初頭には松原自体を景勝地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉集
」に掲載された。その後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は
後鳥羽上皇など中央エムゾネの権力者に富士山と組み合わされた景
勝地として認識され、14〜15世紀には室町幕府将軍足利義満
と足利義教が三保半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船
で渡り富士山を眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保
半島内海側に富士見櫓エムゾネを建設した。文学では「万葉集」以
降も和歌等の詩の題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣
の松を舞台とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに
成立した。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話
の最終場面ではヒロインエムゾネの天女が富士山方向へ飛び去って
いく描写が見られる。これはすでに成立していた「竹取物語」で
示された富士山の噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えと
の関係が指摘されている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝
えられ、イェーツ、パウンエムゾネドといったモダニズムの作家に
影響を与えるとともに、伝統芸能である「能」が世界に広まるき
っかけを作った作品である。また、絵画でも15〜16世紀には
三保松原を右に富士山を左に配する構図が描かれ、この構図

273 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:04:42.61 ID:9nWTm38Q0.net
野探幽により完成され、19エムゾネ世紀に至るまで日本画・浮世
絵において富士山を描く際の典型的構図とされた。また、20世
紀には和田英作が「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描い
た。三保松原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地となり松が守ら
れてきた。江戸幕府滅亡後は内エムゾネ海側の開発が進んだが、外
海側の景観は保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財
に指定された。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイム
シによる松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体に
よる保護活動が行われている。写エムゾネ真三保松原(現在の写真
・静岡市)写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存
法の下に名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策
定1977年名勝地内の一部が指定エムゾネ解除1989年名勝「
三保松原」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追
加指定及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書
を改定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環
境を構成する諸要素世界文化遺産「富エムゾネ士山」の顕著な普遍
的価値は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価
値富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m
)の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的
美しさと崇高さを基盤として日本人の自エムゾネ然に対する信仰の
在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕
著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育
んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸術
活動などを通じ、時代を超えて一国の文化エムゾネの諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、
人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型と
して、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山で

274 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:11:08.46 ID:9nWTm38Q0.net
。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資エムゾネ産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに
緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山エムゾネ道B信仰に
関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山
の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士山

275 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:16:22.55 ID:9nWTm38Q0.net
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰
、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、エムゾネ浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安河
原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須
走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道
・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八エムゾネ幡堂跡
(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・12号建
物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・
石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳神社・迎久須
志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・現登エムゾネ山道
・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨士浅間神社
−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大塚山・御鞍石
A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖水・中ノ倉峠か
らの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧玉池(上エムゾネ池
、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀・楼門・手水
舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の馬場・禊所・神
幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(推定)・随身像・
狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・鉾立石・欄干エムゾネ
橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩流地形・社叢・
籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁・玉垣・遥拝所・
石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ
池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・エムゾ
ネ大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神社(高嶺総鎮守社
)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)・石段(参道)・狛
犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿・狛犬・灯籠・手水舎
・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士浅間神社(須走浅間神エム
ゾネ社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エゾヤマザクラ・根上
がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参道鳥居・富士塚狛

276 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:21:50.22 ID:9nWTm38Q0.net
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
エムゾネ)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、
小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9
山中湖・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出
口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・
湧エムゾネ水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石
造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・
溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡
・道エムゾネ跡・炭焼窯跡・井戸跡B15白糸ノ滝・古富士泥流堆
積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止の滝・鬢撫水・植物・富士講
・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の巻狩の伝
承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規制B地区・
第1種エムゾネ規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区@自然
地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型
等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富士山原始林及び
青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本
栖風穴等エムゾネ)A森林、植栽樹木(山林を構成する森林、寺社
・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地、人工林・社叢
林、境内林・富士山特定地理等保護林・富士箱根伊豆国立公園富
士山管理計画区B保存管理又は公開活用を目的とした建造物(展
示館、管理エムゾネ棟、解説板など)・総合案内標識、解説板C道
路とその他の人工物(生活用道路、電柱、看板など)顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素・富士山測候所・
NTT富士山頂分室・便益施設@自然的要素(山並み、河川など
)A歴史的要エムゾネ素(埋蔵文化財、社寺境内、伝承地など)成
する諸要素周辺環境を構B人文的要素(農耕地、市街地、道

277 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:28:23.09 ID:9nWTm38Q0.net
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
景観的には山体の傾エムゾネ斜角の変化率が大きくなり「平野部」
と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画
などの対象となることが多い範囲である。御中道巡りのルートに
は、現在も石碑が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿
って、富士山体を一周エムゾネする。15〜16世紀ごろ富士講の
祖とされる長谷川角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−
41−を通るため富士講信者により修行の道として利用された。
写真標高約1500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺
跡の分布図・富士山本宮エムゾネ奥宮富士宮口登山道頂上に位置し
、7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末
代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、
写経を埋納下した」とあるエムゾネ。江戸時代には、村山三坊所有
の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山
中の仏像を取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭っ
た。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ
139×幅64×厚さ18pエムゾネ)奥宮の裏手、浅間岳の麓に
所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られ

278 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:33:39.05 ID:9nWTm38Q0.net
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点にあ

279 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:40:00.99 ID:9nWTm38Q0.net
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師
堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であ
った。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮エムゾネの写真・金明水雪解け
水が湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍
重された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富士
山頂の霊験あらたかな湧き水として珍エムゾネ重された。『富士の
歴史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@(
高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年
」の2つの年代が確認できる。富士講のエムゾネ人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅6
3p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石碑B
(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑
群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳エムゾネ、久須志岳、成
就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径
約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏が住む
とされた。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあエムゾネることから、
鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立てていたと考
えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記』には「
ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コマカニカゾ
ヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉エムゾネを構成する
峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名称は、明
治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更された。以
下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所による発掘調査
報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣エムゾネヶ峰

280 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:45:43.12 ID:9nWTm38Q0.net
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[
久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼
ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜
はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ
ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が
欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の文字が確認エムゾネ
できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73
4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口
の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m
)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ
ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を
越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。
頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]
伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム
ゾネ頂上に鳥居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である
。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3,
722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現
在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,7

281 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:51:58.71 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネm)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰
全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]
−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「
三エムゾネ島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳
の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近
に、10体の石像が安置されている。これらは原位置を留めてお
らず、周辺にあったものが集められたと考えられる。いずれも頭
部をエムゾネ欠損している。・大内院山頂の火口中央に存在する穴
で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)
は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小
さな火口を指す。神や仏の居る所であると信じられ、登山者は各
登山口エムゾネに設けられた拝所あるいは初穂打場から、噴火口に
向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立入は禁止されてい
る。写真大内院の写真・小内院西安河原から白山岳に向かう途中
にある大きな窪地で、大内院との対比で小内院と呼ばれる。かつ
ては噴火エムゾネ口だったと考えられる。写真小内院の写真・馬の
背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡り
の道中で最大の難所である。現在はブルドーザーが通れるよう整
地されている。火口に向けて傾斜しており、その険しさから道者
たちの多くエムゾネは剣ヶ峰に登らなかったといわれる。・東安河
原須山口拝所東側にあり、山頂部では稀な広い平坦部である。か
つては現世と来世の境である「賽の河原」になぞらえて、道者た
ちが溶岩礫を積み上げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ば
れ、火口に向エムゾネけて賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西
安河原東安河原と対をなす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦
部である。火口の外壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐
点に位置する。・虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大

282 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 07:57:09.32 ID:9nWTm38Q0.net
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にあ

283 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:02:20.03 ID:9nWTm38Q0.net
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間
大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった
。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特
定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山
拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2
年(1913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手
の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、
2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・
村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮
拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の
鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490
)、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ
たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ
岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と
一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片など

284 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:08:45.74 ID:9nWTm38Q0.net
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3
.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ
ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自
分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った。昭和30
年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写
真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山
道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50
0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走
る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり
、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段
には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返
しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人
は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女人堂として使われ
た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が
東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな
る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の写

285 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:14:06.74 ID:9nWTm38Q0.net
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5
0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が
ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による
調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた
が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ
では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ
され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1
体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に
は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ
ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推
測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀
釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム
ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位
置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の
中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西
部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残
エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平
場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存している

286 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:19:56.01 ID:9nWTm38Q0.net
う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸
約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の
縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」
として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図
」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ
る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『
駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往生

287 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:25:06.73 ID:9nWTm38Q0.net
あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12
号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位
置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地
点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石
組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ
ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ
る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と
刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧
須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m
余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西
側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ
の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延
長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現
在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字
型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ
の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10
30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083)
の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した
測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485
m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って
形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須
山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され
ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興
後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南
東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内
の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建てら

288 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:30:39.83 ID:9nWTm38Q0.net
いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)
」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ
れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に
、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅
間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿
は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前
には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝
殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志
之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師
と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管
理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、
江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ
る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴
命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで
あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる
日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい
う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上
で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠
と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山
道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目
、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然
木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・狛

289 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:36:38.42 ID:9nWTm38Q0.net
山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥
居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の
登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場
所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって
いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。
日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉
田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を
目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口
登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から
頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要
素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小
屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな
り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か
ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな
る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格
的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい
ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋
が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合
目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん
ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等
がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として
役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋
については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信
玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時
代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最
盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の
写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネり

290 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:41:54.15 ID:9nWTm38Q0.net
れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身
禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐
国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小
屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と
あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた
ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真
烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素

291 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:47:34.26 ID:9nWTm38Q0.net
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ
ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄
進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内
の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神
社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ
富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である
。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが
ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ
ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた
形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、
極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム
ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ
れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図
・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ
るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも
エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の
向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は
もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇
股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最
もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・
西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に
より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成
次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は
東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一
間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に
取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する過

292 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:53:44.56 ID:9nWTm38Q0.net
、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49−写真西宮本
殿の写エムゾネ真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富
士山を遙拝した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所
と位置づけている。さらに、788年には新たに浅間明神を建て
、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられ
る。現在エムゾネこの地は、流山状の小高い丘をなしており、日本
武尊を祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図
・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日
にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読ま
れる祝詞のエムゾネ一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる
。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点
在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝
の対象としてエムゾネ数えられている。また、景勝の地でもあり、
多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を
巡って修行するエムゾネ内八海巡りが多くの富士講徒によって行わ
れたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕
著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真精進エムゾネ湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が
点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り
が多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりエムゾネが深い。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがあ
る。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山

293 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 08:59:19.64 ID:9nWTm38Q0.net
浅間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の
北側にある丘陵地一帯エムゾネは神立山と称される。神立山及び富
士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩
流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため
指定地内の一部では溶岩エムゾネ礫が露出し、縄状溶岩も散見され
る。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(16
70)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物
が描かれ、発掘調査で石畳エムゾネや護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」
は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降
った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層
間を流れ、溶岩流末端で湧出エムゾネして池になったものである。
禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、
下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で
心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池
であった。現在も富士山山開きエムゾネの7月1日には、湧玉池で
禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山
表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生
育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の
生息に適した環境でもあり、「野エムゾネ鳥の森」碑が建てられて
いる。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社
伝によれば大同元年(806)に造営されたという。かつての駿
河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として
崇められている。現在の社殿は、慶エムゾネ長9〜11年(160
4〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写
真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財である。「

294 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:04:39.42 ID:9nWTm38Q0.net
造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。
1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟エムゾネ造、2階上層は桁行
3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40年(
1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定
され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿
全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平エムゾネ面図(幣殿・拝殿
含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間

295 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:10:18.62 ID:9nWTm38Q0.net
の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれて
いないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひ
はだぶき」と書き込まれており、本殿の全エムゾネ景がよく見える
ように描かれたと推測される。県指定文化財として保護されてい
る。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣殿より2段高くなっ
ている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面
に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らエムゾネせ、背面は幣
殿に接続している。県指定文化財として保護されている。[透塀
]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七
之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延
長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護さエムゾネれている。
[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右
脇に扉がついている。楼門の左右には随身像が安置してある。静
岡県指定文化財として保護されている。写真楼門全体の写真図楼
門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭エムゾネ和9年(
1934)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、
参拝者が参拝前に身を清めるために手や口をすすぐ、手水舎があ
る。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に設置されている。・
石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられてエムゾネいる。
昭和33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の
馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・
桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われる馬場が約200mに渡
って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩をエムゾネ行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期
にはすでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿
って両側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と
下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組エムゾネま
れている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出

296 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:15:33.63 ID:9nWTm38Q0.net
石造りの橋が架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山
宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵図で
は橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向エムゾネ
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵
図には既に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改
められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図
・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、護摩堂跡エムゾ
ネと考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。
石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、
石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認された。
桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えられるエム
ゾネ。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
エムゾネ月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住
番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井
三蔵作」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写
真随身像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられ
てエムゾネいる。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸
道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御
神幸道の首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(16
91)未年十一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也
」とエムゾネ刻まれている。昭和59年(1984)に浅間大社境
内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西
側に、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てら
れている。・七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社
「七之エムゾネ宮浅間神社」が建てられている。・鉾立石楼門

297 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:21:05.69 ID:9nWTm38Q0.net
石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・
欄干橋(神路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けら
れているエムゾネ。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、
寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられている。
写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石
鳥居から参エムゾネ道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流
上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子
山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よ
って、山宮浅エムゾネ間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所
の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によ
って流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区
域と比べて植生エムゾネの回復は遅れていたと考えられる。そのた
めに、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていた
ため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超エムゾネえる巨木4本を含むスギ林が、約9,7
80uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されて
いる。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間
神社を往復する祭儀エムゾネ「山宮御神幸」において、これに同行
した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿
った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾で
あり、籠屋をくぐってエムゾネすぐの位置に1つ、石段の手前

298 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:26:36.75 ID:9nWTm38Q0.net
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘
陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしく
は戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約4
5m四方が石塁により方エムゾネ形に区切られている。青沢溶岩流
の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む
土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと思われ
る土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀

299 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:33:01.49 ID:9nWTm38Q0.net
15世紀、もしくは後の時エムゾネ代に築造されたものと推定され
る。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲
にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後
に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・エムゾネ遥拝所富士山を直接拝礼し、
祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設である
。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p
程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む
方向に祭壇が位置し、祭壇に向エムゾネかって左側に祭儀を行う際
の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供
僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石
鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(19
31)に建立されたものである。エムゾネ・参道石鳥居から籠屋ま
で参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在
している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩
の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で、両見付
から先は急傾斜地となっている。村エムゾネ山地区は標高が高く、
他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水
源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があ
り、水垢離や生活用水として利用されてきた。またこの湧水を水
源とする村山沢は南流して渓谷を刻みエムゾネ神社西側から大沢川
となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つで
ある。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和
43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定された。目通
り8m、根回り9.15m、樹高26mエムゾネ、枝張り東西19
m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が
数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳
の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また

300 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:33:42.75 ID:uK+HUPFca.net
彼も地道に頑張るべきだろうな

301 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:39:14.22 ID:9nWTm38Q0.net
はウロの中に大日如来が祀られていたといエムゾネわれ、現在でも
祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然
記念物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木であ
る。境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張
り東西17.5m、南北31m、樹高47mエムゾネもある。中心
部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の
樹齢とされるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される
。・社叢境内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。ア
カガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見られエムゾネるが、裏山
の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹
林に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏
分離令によって境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に
木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火々出見命、エムゾネ瓊々杵命
、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ってい
る。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、
幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一
部木造に建替えられている。写真社殿の写真図社殿エムゾネの図面
・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)
に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えら
れている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山
の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、エムゾネ部材
の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられ
るが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7
間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側
面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図エムゾネ社
殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道者が
垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4m
の長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ

302 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:44:44.21 ID:9nWTm38Q0.net
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
エムゾネ堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富
士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮
守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年
五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。
現エムゾネ在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和2
8年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社
(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている
。平エムゾネ成15年の再建に合わせて建てられたものである。・
手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水
舎が設置されている。明治16年(1883)に設置されたもの
である。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くもの
と、大エムゾネ日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・
狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている
。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図

303 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:50:27.41 ID:9nWTm38Q0.net
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(

304 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 09:57:01.39 ID:9nWTm38Q0.net
23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面
・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西エムゾネ側に建てられている。・狛犬境内には、社殿
前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前
の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り口
のものは平成1エムゾネ3年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と
刻まれた水盤も置エムゾネかれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンク
リート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコ
ンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)
に奉納されたものでエムゾネある。・石碑鳥居の東側に、郷社とし
て奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社
八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境
内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。
B5冨士浅間神社図以エムゾネ下に示す要素が点在している平面図
・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がってい
る。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天
然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1
963)2月19日に静エムゾネ岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.
10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多
い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では
数本しか見当たらないが、エムゾネ境内には10本が生育している
。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念

305 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:02:37.43 ID:9nWTm38Q0.net
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
18年8月24日に小山町の文化エムゾネ財(建造物)に指定され
た。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部
材は享保年間(1716〜36)のものが今なお使用されている
。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結しエムゾネた権現造である。拝殿
は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残した流
造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間
の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁
間2間の両下造。本殿が三間社流造、エムゾネ向拝1間、屋根は全
て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面・楼門二
階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。
北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永
噴火により社殿とともに大破しており、エムゾネ現在のものは明和
4年(1767)随神が寄贈された当時に再建されたものと考え
られる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺
き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としてい
る。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩のエムゾネ石鳥居が建てら
れている。春日造で、額束には「不二山」と刻まれている。

306 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:08:33.49 ID:9nWTm38Q0.net
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、
その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた
宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語
る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの
建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は
、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の
噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69
7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第
一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図
社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい
る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田
口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に
祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと
みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現
在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ
も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝と

307 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:14:06.53 ID:9nWTm38Q0.net
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社と

308 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:20:13.96 ID:9nWTm38Q0.net
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真
図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士
講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼
宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住
宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入
り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ
れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型
」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、
富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ
るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な
御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の
写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背
面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は

309 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:25:52.18 ID:9nWTm38Q0.net
11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建
つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋
をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら
れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、
屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家
の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現
状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士
山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒
によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形
(湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行
する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時
代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写
真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している
平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ
ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で
あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(
湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して
いる平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である
村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行
が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている
地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型

310 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:32:13.80 ID:9nWTm38Q0.net
承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に
所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ
ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、
そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した
あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの
であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物
群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見
され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神
誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無
事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名
付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し
ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整
備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価
値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空
間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴
火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本
穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の
胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と
して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本
穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である
木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅
間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流
人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5
,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置
している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴
出し、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる
溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞

311 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:37:26.58 ID:9nWTm38Q0.net
穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千
日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す
る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶
岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け
た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端
が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か
ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱があ

312 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:43:40.32 ID:9nWTm38Q0.net
全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい
る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考
えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生
)人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため
、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭
和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建
材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等
は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者
が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が
刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文
4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分
類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑
供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人
の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3
種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61
−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社
社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている
。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ
の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも
のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み
が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ
ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34
m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の
石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道
跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム
ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されて

313 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:50:09.09 ID:9nWTm38Q0.net
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている
。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富
士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ
り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状
礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので
ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩
流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に
ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境
目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達
している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白
糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を
繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この
多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物
を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな
った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し
続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食
に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ
滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると
いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同
様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい
る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の
滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り馬

314 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 10:55:47.35 ID:9nWTm38Q0.net
に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした
ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は
、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に
透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降
った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を
流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし
て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が
湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時
に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸
の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル
を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖
面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白
糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と
も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった
ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい
る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石
」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。
・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指
定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相
がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆
盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸
の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白
糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと
が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を
行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が
建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や
、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等
がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂ら

315 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:01:31.57 ID:9nWTm38Q0.net
ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音
止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写
真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景
とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻
狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行
ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前
は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に由

316 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:06:53.66 ID:9nWTm38Q0.net
るもので、兄弟が仇討ちの相−63−談をしている間は水音を止
めたことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻
狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。
・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くかエムゾネら詩歌に詠まれてきて
おり、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑があ
る。・標識名勝及び天然記念物であることを明示する標識がある
。B眺望C三保松原図以下に示す要素が点在している平面図三保
松原は、静岡市清水区南東部に位置すエムゾネる三保半島にあり、
半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメートルに及
ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真崎から海
岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内
陸部の松林と松林の景観を維持しているエムゾネ背後地については
、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た老
木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図三保
松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界@特別規制A地区真
崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界エムゾネは、隣接する特
別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延
長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮
堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側
、それ以外は平成元年4月1日現在においてエムゾネ松原を形成し
ている地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、
運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種規制地
区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都
市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制エムゾネ地区との境
界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区との
境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接
する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規
制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位エムゾネ置と

317 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:11:59.51 ID:9nWTm38Q0.net
。C第2種規制地区真崎付近第3種規制地区との境界は、市道本
村海岸58号線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境
界は、@ABを参照。D第3種規制地区各地区との境界はABC
を参照。(2)顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムゾネと密接
に関わる諸要素@自然地形構成資産の土地には、山並み、湧水や
富士山及び側火山の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹
型などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素と
なって存在しているものもある。ア富士山山体及び登エムゾネ山道
A富士山−64−・テフラ噴火の際、山頂火口から粘性の小さい
玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付
近はテフラに覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる
多くの浸食谷の中で最も大きなもので、富士山西斜面のエムゾネ山
梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2,200m付近ま
で延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡る
。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の岩石・土砂を流出し
、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩れの写エムゾネ
真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山口登山
道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中
宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物エムゾ
ネ跡と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する。2
,015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような
地形になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸
から右岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んエム
ゾネだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を
繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走
口登山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質の
テフラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆わ

318 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:18:22.95 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ
る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶
岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基
盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流
については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ
れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の
特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して
いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山
起源のエムゾネ火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。
参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167
0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる
。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘
陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な
要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資
産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成
立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B
4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が
見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している
ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地
の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで
流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊
する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河口

319 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:24:29.55 ID:9nWTm38Q0.net
11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的
形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の
表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ
め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B
14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の
土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B15白

320 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:30:10.69 ID:9nWTm38Q0.net
滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成
資産を成立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものが
ある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地に
は、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青木
ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢林
・境内林などが存在しエムゾネている。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が
生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・
草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり
、植物の垂直分布では、エムゾネ丘陵帯から山地帯にあたる。戦後
、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほとんどが
人工林であるが、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂
跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹
の自然林が残っている。林エムゾネの下にはササ(スズタケ)が視
界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付
近から新5合目の森林限界(2,400m付近)までにあたり、
植物の垂直分布では、山地帯から亜高山帯にあたる。高所に上が
るにつれてブナ・カエデなどエムゾネの広葉樹からウラジロモミ・
シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,600m付近で落葉樹
とササがなくなる。・焼山部分の植物森林限界である標高2,4
00m付近から上で、植物の垂直分布では高山帯にあたる。この
付近の植物は7月下旬から9月エムゾネ上旬にかけていっせいに花
を咲かせる。オンタデ、ムラサキモメンヅル、ミヤマオトコヨモ
ギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分の植物植物の垂
直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近)付近は夏緑樹
林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類エムゾネ)にあたり、林床にはサ
サ類が密生している。幕岩上部(標高1,680m付近)付近は
、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど

321 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:35:14.21 ID:9nWTm38Q0.net
くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近くな
るにつれて樹高が低くまばらになるエムゾネ。宝永噴火の際に噴出
したスコリアが厚く堆積しているため、須山口登山道付近の森林
限界は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口
登山道2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物
の垂直分布で高山帯にあたる。オンタエムゾネデ、イタドリ、フジ
ハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目
(標高2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オ
オシラビソ・コメツガなどが分布する。エムゾネ須走口登山道の森
林限界は約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分
の植物森林限界を過ぎると高山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉田
口登山道標高1600m付近より下方の区エムゾネ域は、山地帯に
属する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジ
ロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「躑躅原の
レンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在すエムゾネるのもこの地
域である。標高1600mから2500m付近までの区域が亜高
山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成し
ている。火山礫の露出した日当たりの良いところには、ダケカン
バが生えている。・焼山部分の植物標高250エムゾネ0m付近か
ら上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない。植物はほと
んどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼ばれ
た。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術的
価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育エムゾネし、乾燥
に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ム
ラサキモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神

322 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:41:11.60 ID:9nWTm38Q0.net
7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ
特徴が挙げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社エムゾネ構成資
産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植栽された樹木等が存在している。−68−B2山宮
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在しエムゾネてい
る。B3村山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
している。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成す
る社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽されエムゾネた
樹木等が存在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽
された樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅
間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八エムゾネ
海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・
境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在して
いる。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林エムゾ
ネや植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及
び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造
物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在しエム
ゾネている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内
エムゾネ標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで

323 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:46:53.77 ID:9nWTm38Q0.net
された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山道な
しA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
っエムゾネたデザインで統一された案内標識等の整備が進められて
いる。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドライン
に沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められてい
る。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・
20エムゾネ06年3月22日より、自然環境や適切な利用環

324 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:53:12.72 ID:9nWTm38Q0.net
保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域に指定
された。こうした規制内容を説明するための説明板や水上バイク
等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設置されてい
る。・エムゾネ中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千円札)
の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモデルとな
った岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線沿いの中之
倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公園法の第2
種特別地エムゾネ域として、観光施設等も景観に配慮されている。
イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山の北
側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源
を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮
市中心部をエムゾネ灌漑する用水路である。開削時期は不明である
が水田開発を目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつ
れ生活用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質
悪化により生活用水としては利用されなくなっている。・社務所
−70−楼門エムゾネから続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社
の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続
く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て
られている。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(19
78)に建てらエムゾネれたもので、直会や各種会合に利用されて
いる。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大
社境内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から
7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在エムゾネは、同時期に改修された神田川護岸も含
め、中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。
広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等の施
設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広場の南
東側には、長さ7.エムゾネ3m、幅11.5mの御手洗橋が

325 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 11:59:34.39 ID:9nWTm38Q0.net
られている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に架け
られたとの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、弓道場が整
備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮市消防団第1
方面隊第3分団の詰所エムゾネが、神立山南西の端に建てられてい
る。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に指定されて
いることを案内・説明する高札が建てられている。・古神札納所
拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付きの箱が置かれてい
る。・大金剛杖古神札納エムゾネ所西側に、大金剛杖が置かれてい
る。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社の南側に、藤棚が
設けられている。・駐車場指定地の南西部分には、自動発券機(
料金収受機)を設置した第1駐車場が整備されている。B2山宮
浅間神社・案内板・説明板エムゾネ籠屋の南側に、案内板等が建て
られている。山宮浅間神社の由緒を記したもの、山宮浅間神社の
概要と、市指定文化財であることを記したもの、山宮浅間神社の
概要と、富士宮市「歩く博物館」のコースであることを示すもの
の3本である。・手すり籠屋エムゾネから遥拝所へ向かう石段の脇
に、手すりが設置されている。・鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参
道と石段の両脇に、祭祀で利用する鉄柱が設置されている。・ト
イレ籠屋西側に、水洗トイレが設置されている。・水道籠屋南側
に、コンクリート製の水道施設エムゾネが設置されている。−71
−・水飲み場水道施設の南側に、コンクリート製の水飲み場が設
置されている。・ベンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥
居駐車場横の参道に、コンクリート製の鳥居が建てられている。
・燈篭コンクリート製の鳥居からエムゾネ籠屋へ至る参道の両側に
氏子等が奉納した燈篭が並んで設置されている。また、籠屋北側
鉾立石の左右にも1基ずつ設置されている。・駐車場乗用車3台
程を駐車できる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿い
に設けられている。・石碑山宮浅間エムゾネ神社の由緒を記し

326 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 12:05:24.54 ID:9nWTm38Q0.net
碑が、駐車場の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、
道祖神、青面金剛、観音等の石造物が置かれている。B3村山浅
間神社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿
社殿の南西側に、宝物殿が建てられてエムゾネいる。・村山公会堂
社務所の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会
堂が建てられている。・トイレ社務所北側に、トイレが設置され
ている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手
すりが設置されている。・御神木柵県指エムゾネ定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・御
神木指定証県天然記念物に指定されているイチョウと大スギが、
御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの
幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社エムゾネが、大正14年
(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側
に設置されている。また、昭和62年(1987)に寄贈された
「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に
設置されている。・児童公園六道坂入り口付エムゾネ近に、すべり
台等の遊具を備え、またプールを併設した児童公園が整備されて
いる。・駐車場境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されてい
る。−72−・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完
成を記念する碑が建てられている。昭和33年エムゾネに建立され
た。・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登
山道と、途中のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地
図が、村山公会堂の北側に設置されている。B4須山浅間神社・
御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説エムゾネ明版が、
富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・
洞窟内説明板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に
設置されている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミ
ン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブルエムゾネ須

327 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 12:11:25.96 ID:9nWTm38Q0.net
胎内から登山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚と
テーブル1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入
口に、木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕
岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内をエムゾネ示す
標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口と
の合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一
された登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山

328 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 12:16:38.93 ID:9nWTm38Q0.net
ける標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザインエムゾネ案
で統一されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬
舎が建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭
で使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋エムゾネ
)県道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられ
ている。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられて
いる。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6エムゾ
ネ台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には、
散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれている。・社
務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取り扱うエム
ゾネ社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管す
る記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から太
平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6
河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は
エムゾネ、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を展示
し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関す
る理解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B
11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設
とエムゾネして河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型に関わ
る資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機
関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、
入洞者の安全確保に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内
樹型エムゾネに関する解説板が山梨県・富士吉田市教育委員会によ
り設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・説
明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文化財であ

329 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 12:22:23.87 ID:9nWTm38Q0.net
とを記した説明板、碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨
の案内エムゾネ板が4本建てられている。B15白糸ノ滝なしウ眺
望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の土地には、日
常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富士スバルライン
や富士山スカイラインなどの観光道路をはじめてとして、電柱、
看板、誘エムゾネ導標識などをはじめとする各種の建築物及び工作
物が存在している−74−ア富士山山体及び登山道A富士山・救
急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道
路等の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道と
の交差部にエムゾネは、進入禁止柵・注意表示板が設置されている
。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上では
、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設
置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山
道脇に、須山エムゾネ口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置さ
れている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より
上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総
合ガイドラインエムゾネに沿ったデザインで統一されている。A4
須走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色の帯が
入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置されている。
この標識は富士山エムゾネにおける標識類総合ガイドラインに沿っ
たデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八合目よ
り上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登山道富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進エムゾネめられている。A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置する水力発電用
取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場群に電力を供

330 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:10:04.36 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネ富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静
岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と
、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。
標高3776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、そ
のエムゾネ優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ
ている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与
えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与
えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され
、そエムゾネの山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特
に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴
火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信
仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人に
より修エムゾネ験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が
行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、
村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山
麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山が
盛んであエムゾネる。日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の
地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)に
は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年
(昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、
さらに20エムゾネ13年(平成25年)6月22日には関連する
文化財群とともに「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の名で世
界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目であ
る。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤
りであり、愛エムゾネ媛県大洲市柚木にある冨士山(とみすやま)
とは字も呼び方も異なる。富士山についての最も古い記録は『常
陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている
。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表

331 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:15:25.70 ID:9nWTm38Q0.net
古文献もある。エムゾネまた、『竹取物語』における伝説もある。
「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と
称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・
バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フ
ンチヌプリ」に由エムゾネ来するとの説を提示した。しかし、これ
は囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」から
きた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として、

332 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:27:23.89 ID:9nWTm38Q0.net
降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝
永火口の北側1〜2kmのところにエムゾネあったと考えられてい
る。2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動
が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのこ
とである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士
宮市−富士吉田市間で約2cm伸びたエムゾネ。これはマグマが蓄
積している(活火山である)現れとされている。プレートの観点
からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又は
オホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静
岡構造線)に南からフィリピン海プレーエムゾネトが沈み込む位置
であり(ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリ
アナ島弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三
重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでいる
フィリピン海プレートのさらに下に太平洋エムゾネプレートが沈み
込んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に
太平洋プレートに由来するものである。富士山の火山上の特徴は
、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること、日本
の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出エムゾネしているのに
対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山が非常
に多いことがある。富士山頂山頂火口を上空より山頂火口山頂に
は火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むよう
にして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火エムゾネ口の南西側
に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士山。標高37
75.51m2014年4月1日改算)、火口の北側には二等三
角点(点名は、富士白山。標高3756.23m2014年4月
1日改算)が設置されている。火口の構造は、国エムゾネ土地理院
によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約23
7m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は130

333 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:34:09.79 ID:9nWTm38Q0.net
る。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅
間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確エムゾネ定であ
る。2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見で
も静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めな
いことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し
ている地形図では2013年10月から地図上の地点エムゾネを指
定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが
、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が
表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を
指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨エムゾネ県
などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については
非表示になるよう変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山
(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生
した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置しエムゾネ
標高は2,693mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開
いている。これらを間近で見ることができる登山コースも整備さ
れている。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴
火詳細は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1エムゾ
ネ万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量
に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富
士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,エム
ゾネ500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大
規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新
富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前〜約8
,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜約3,2
エムゾネ00年前の1,300年間と考えられている。山頂部から
の最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部

334 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:40:20.54 ID:9nWTm38Q0.net
噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的
に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に
延エムゾネ暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し
た貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707
年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4c
mの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の
山体エムゾネに宝永山が形成された。その後も火山性の地震

335 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:45:48.62 ID:9nWTm38Q0.net
が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。噴火の
年代が考証できる最も古い記録は、『続日本紀』に記述されてい
る、天応元年(781年)に富士山より降灰があったくだりであ
る。平エムゾネ安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富士山が
作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。平安
時代の歴史書『日本三代実録』には貞観大噴火の状況が迫力ある
文体で記載され、平安時代中期の『更級日記』には、富士山の噴
気や火映エムゾネ現象を表した描写がある。宝永大噴火についての
記録は、新井白石による『折りたく柴の記』をはじめとした文書
、絵図等により多数残されている。その後も、噴煙や鳴動の記録
は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で
終わったもエムゾネのと推測される。宝永大噴火以来300年にわ
たって噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで小学
校などでは富士山は休火山と教えられていた。しかし先述の通り
富士山にはいまだ活発な活動が観測されており、また気象庁が休
火山という区エムゾネ分を廃止したことも重なり、現在は活火山に
区分されている。2013年7月20日、産業技術総合研究所は
、1999年から約15年分の踏査データや地質調査データをま
とめ富士火山地質図第2版(Ver.1)として発表し、201
6年には修正加エムゾネ筆が終了した。同時に、溶岩が流れ出す規
模の噴火は過去2000年間に少なくとも43回あったとしてい
る。山体崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山体崩壊(岩
屑がんせつなだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に
5回、北東側に3エムゾネ回、東側に4回の計12回起きたとされ
ている。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動による
マグニチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている。主
な発生歴約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模(約1
8億立方メートル)エムゾネな山体崩壊が発生し、泥流が御

336 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 13:58:09.75 ID:9nWTm38Q0.net
(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動
可視情報化システム(VIsualizationsystem
forVolcanicActivity)噴出物災害などへの
対策国土交通省、富士砂防事務所:静エムゾネ岡県、山梨県と連携
し火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・
検討を実施しハザードマップが作成されている。しかし、山体崩
壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である。富
士山と気象気候山頂は最暖月の8月でもエムゾネ平均気温が6℃し
かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10
℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月
や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10
を占める。観測史上最低気温は−38.0エムゾネ℃で最高気温が
−30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃を上回る
ことがない1日というのは北海道でも例がない。富士山での気象
観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置してい
た気象官署が富士山測候所である。現在は富エムゾネ士山特別地域
気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行
っている。詳細は「富士山測候所」を参照気象現象山体に強風が
吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。20
10年12月15日には、神奈川県の西部からエムゾネ南部にかけ
て黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西
風に乗り降り積もったと考えられると報道された。富士山北麓の
一部農地(現在の山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2
600m付近に現れる農鳥(鳥の形に見える残雪エムゾネ)の出現
する時期によって、農作物が豊作になる・凶作となるという言い
伝えがある。富士山では山岳波が発生することもあり墜落事故も
起きている(英国海外航空機空中分解事故など)。富士山麓の自
然環境富士山麓の天然記念物として、「富士山原始エムゾネ

337 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:03:27.87 ID:9nWTm38Q0.net
青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月24日指定、20
10年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」(天然記念
物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝
(静岡県)富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけエムゾネ伏流
水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出
す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合
目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。富士

338 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:11:37.84 ID:9nWTm38Q0.net
。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山からも眺エムゾネ
望される。富士山の見える都道府県は、理論上可能とされていた
京都府から2014年に撮影に成功したことにより、20都道府
県となった。様々な表情の富士山富士山の表情は、見る場所・角
度・季節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、エムゾ
ネいくつかの姿がある。画像富士山の姿解説赤富士夏の朝、露出
した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。葛飾北斎をはじめとした
画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。紅富士雪化粧した富士
山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。「モルゲンロート」(ドイエム
ゾネツ語Morgenrot)が用いられる場合がある。逆さ富
士波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。D五千円券の
裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。竜ヶ岳(山梨県)
から望む日の出時のダイヤモンド富士(2015年12月5日撮
エムゾネ影)ダイヤモンド富士太陽が昇った時又は沈む時、太陽が
富士山の頂上と重なり、富士山の頂上付近がダイヤモンドのよう
に光る現象。富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見る
ことができる。影富士朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映
しエムゾネ出される風景。富士山登山時に山の上部から、雲海の上
に見られる場合がある。笠雲笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂
上に傘をかぶせた雲がある風景。その際は、次第に麓では曇りま
たは雨になることが多い。「表富士」と「裏富士」『不二三十六
景甲エムゾネ斐夢山裏富士』現在も富士山の山小屋や登山道の道標
として「表口」や「裏口」という表現がみられ、一般的に静岡県
から見た富士山を表富士、山梨県からの姿を裏富士として認知さ
れているが、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680年
)に作エムゾネ成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」と
いう表記がある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記述が
ある。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口

339 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:17:34.25 ID:9nWTm38Q0.net
ナリ、(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲
斐国志』エムゾネ他の資料にも共通した記述がみられ、このように
南麓を表、北麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言え
る。これとは別に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の『富
嶽百景裏不二』『冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重の『不
二三十六景エムゾネ甲斐夢山裏富士』など、作品名に採用されてい
る例がみられる。富士山の文化美術における富士山三峰型

340 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:23:45.96 ID:9nWTm38Q0.net
例絹本着色富士曼荼羅図狩野元信(伝)峰型富士の例(上図)と
同じ構図の実写富士は、ギャラリーに掲載富士山絵画は平安時代
に歌枕としてエムゾネ詠まれた諸国の名所を描く名所絵の成立とと
もにはじまり、現存する作例はないものの、記録からこの頃には
富士を描いた名所絵屏風の画題として描かれていたと考えられて
いる。現存する最古の富士図は法隆寺献納宝物である延久元年(
1069年)のエムゾネ『聖徳太子絵伝』(東京国立博物館)で、
これは甲斐の黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖徳太子が富士を駆
け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の山岳図として描
かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二山(国宝)鎌倉時代には山
頂が三峰に分かれエムゾネた三峰型富士の描写法が確立し、『伊勢
物語絵巻』『曽我物語富士巻狩図』など物語文学の成立とともに
舞台となる富士が描かれ、富士信仰の成立に伴い礼拝画としての
『富士曼陀羅図』も描かれた。また絵地図などにおいては反弧状
で緑色に着色されたエムゾネ他の山に対して山頂が白く冠雪した状
態で描かれ、特別な存在として認識されていた。室町時代の作と
される『絹本著色富士曼荼羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵、重
要文化財)には富士山とその富士山に登る人々や、禊ぎの場であ
った浅間神社や湧玉池エムゾネが描かれており、当時の様子を思わ
せるものである。また、富士山は三峰型富士で描かれている。凱
風快晴、葛飾北斎作江戸時代には明和4年(1767年)に河村
岷雪が絵本『百富士』を出版し、富士図の連作というスタイルを
提示した。浮世絵のジャエムゾネンルとして名所絵が確立すると、
河村岷雪の影響を受けた葛飾北斎は晩年に錦絵(木版多色摺)に
よる富士図の連作版画『冨嶽三十六景』(天保元年1831年頃
)を出版した。多様な絵画技法を持つ北斎は大胆な構図や遠近法
に加え舶来顔料を活かしたエムゾネ藍摺や点描などの技法を駆使し
て中でも富士を描き、夏の赤富士を描いた『凱風快晴』や

341 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:29:50.35 ID:9nWTm38Q0.net
白雨』、荒れ狂う大波と富士を描いた『神奈川沖浪裏』などが知
られる。また、歌川広重も北斎より後の1850年代に『不二三
十六景』『冨士三十六景』をエムゾネ出版した。広重は甲斐国をは
じめ諸国を旅して実地のスケッチを重ね作品に活かしている。『
東海道五十三次』でも、富士山を題材にした絵が多く見られる。
北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士見の好スポッ
トと認識されていなかった地点エムゾネや、甲斐国側からの裏富士
を画題として開拓していった。工芸品としては本阿弥光悦が自ら
制作した楽焼の茶碗に富士山の風情を見出し、「不二山」と銘打
っている。50銭政府紙幣(1938年発行)岡田紅陽が撮影し
た愛鷹山からの富士山がモデル。エムゾネ富士は日本画をはじめ絵
画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆる美術のモチーフとし
て扱われている。日本画においては近代に殖産興業などを通じて
富士が日本を象徴する意匠として位置づけられ美術をはじめ商業
デザインなどに幅広く用いられ、絵エムゾネ画においては伝統を引
き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制作された。また
、鉄道・道路網など交通機関の発達により数多くの文人・画家が
避暑地や保養地としての富士山麓に滞在し富士を題材とした作品
を製作しているが、富士を描いた風景エムゾネ画などを残している
画家として富岡鉄斎、洋画においては和田英作などがいる。富士
山をモチーフとした美術品は当時のヨーロッパでも多く流通して
おり、このことから富士山もヨーロッパで広く知られていた。1
893年(明治26年)、日本を旅行しエムゾネていたオーストリ
ア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大
公は、日記に次のように書いている。フジサン、フジノヤマ。い
ったい、この日本の象徴――ヨーロッパではふつうフジヤマと呼
ばれる――を知らない者などいるのだろうエムゾネか〜ヨーロッパ
でもっとも好まれる日本工芸のデザインとして漆器、陶磁

342 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:36:14.00 ID:9nWTm38Q0.net
紙、金属などに描かれているから、もう、わたしたちにはお馴染
みだ。〜〜8月15日付戦時下には国家により富士は国体の象徴
として位置づけられ、富士は国家のシンボルエムゾネとして様々に
描かれた。戦後には国体のシンボルとしてのイメージから解放さ
れた「日本のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡球子
らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画
題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アエムゾネイコンとし
て富士を描く傾向も見られる。深田久弥は『日本百名山』の中で
富士山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富
士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずって
いる」という。日本画全般の題材として「富士見エムゾネ西行」が
あり、巨大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上
げるという構図で、水墨画や彫金でも描かれている。千円札、旧
五千円札のモデルとなった本栖湖からの富士山近代では紙幣や切
手のデザインにも用いられている。富士山が紙幣のエムゾネデザイ
ンに用いられる例は数多くある。古くは1913年発行の50銭
政府紙幣があり、愛鷹山からの富士山でる。その後の1951年
と1969年発行の旧五百円札は大月市の雁ヶ腹摺山からの富士
山を元にしている。1984年発行の旧五千円札と2エムゾネ00
4年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山である。富士山を
描写した切手が郵便局から発売された。河口湖、西湖、精進湖、
本栖湖、山中湖(1999年(平成11年))葛飾北斎(199
9年(平成11年))オオマツヨイグサ・山梨県(20エムゾネ0
5年(平成17年))文学における富士山富士山は和歌の歌枕と
してよく取り上げられる。また、『万葉集』の中には、富士山を
詠んだ歌がいくつも収められている。「田子の浦ゆうち出でてみ
れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(3.318)エムゾネ
は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。また、この

343 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:41:45.93 ID:9nWTm38Q0.net
その次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火を雪
もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「(
噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降エムゾ
ネる雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火
山活動を行っていたことがうかがえる。『新古今和歌集』から。
富士の煙が歌われている。風になびく富士の煙の空にきえてゆく
へもしらぬ我が心かな西行(#1613)都人にとって富士

344 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:48:15.56 ID:9nWTm38Q0.net
ゾネ遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士
日記』が富士の様子や伝承を記録している。『竹取物語』は物語
後半で富士が舞台となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老
不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山
エムゾネ頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の
士に因んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記
している。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採
塚」として言い伝えられている場所が現存している。ほか、『源
氏エムゾネ物語』や『伊勢物語』でも富士に言及される箇所がある
ものの、主要な舞台となるケースは少ない。富士は甲駿の国境に
位置することが正確に認識されており、古代においては駿河国に
帰属していたため古典文学においては駿河側の富士が題材となる
ことエムゾネが多いが、『堤中納言物語』では甲斐側の富士につい
て触れられている。また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から
生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を表して
いる。中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、江
戸期にエムゾネは地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には鉄
道など交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受けて、多
くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり、
新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした作品を書
き、山岳エムゾネ文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。富士
山麓に滞在した作家は数多くおり、武田泰淳は富士山麓の精神病
院を舞台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰
淳の死後に富士山荘での生活の記録を『富士日記』として記して
いる。津島エムゾネ佑子は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石
原家をモデルに、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物
語である『火の山―山猿記』を記した。また、北麓地域出身の文
学者として自然主義文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人

345 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 14:55:13.46 ID:9nWTm38Q0.net
の李良枝がおエムゾネり、それぞれ作品の中で富士を描いており、
中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。太宰治が昭和14年
(1939年)に執筆した小説『富嶽百景』の一節である「富士
には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨県富士河口湖町の
御坂峠にはそのエムゾネ碑文が建っている。直木賞作家である新田
次郎は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、富士山の強
力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞受賞作『強力伝』や『富
士山頂』をはじめ数々の富士にまつわる作品を執筆している。高
浜虚子は静岡県富エムゾネ士宮市の沼久保駅で降りた際、美しい富
士山を見て歌を詠んだ。駅前にはその歌碑が建てられている。「
とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の
姥」富士山と地域振興富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登山を
目的とする観光客相エムゾネ手の観光業も活発に行われている。し
かし、富士山麓には温泉地として成立する規模の湯量は湧出して
いない。富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を
重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており
、山頂所有権問題、山エムゾネ小屋トイレ問題、マイカー規制問題
、世界遺産登録問題等、過去から現在に至るまでの折々で双方の
思惑の相違が表面化している。富士山と観光富士登山富士登山に
は登山の知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7
月1日の山開きから9月エムゾネ上旬の山じまいまでの期間、登山
が可能である。期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁
止されている。とくに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。
詳細は「富士登山」を参照その他の観光その優美な姿から、富士
山が見える場所は著名な観エムゾネ光地となっていることが多い。
箱根−箱根は富士山が望めるうえに、東京から近く温泉や歴史・
美術館や各種の乗り物が楽しめることもあり、年間を通じて内外
の観光客が絶えない。また、夏は避暑地としても有名であ

346 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:01:04.54 ID:9nWTm38Q0.net
士五湖−富士五湖は富士山周エムゾネ辺の観光地として著名であり
、本栖湖の逆さ富士が日本銀行券に採用されている。白糸の滝−
白糸の滝は上流に川は存在せず、富士山の雪解け水が溶岩断層か
ら湧き出す非常に珍しい形成をしている滝である。また、音止め
の滝と共に日本の滝百選に指定エムゾネされている。朝霧高原−朝
霧高原は富士山を綺麗に臨むスポットとして著名であり、その自
然と広大な土地もあり過去に第13回世界ジャンボリーも開催さ
れている。ダイヤモンド富士−ダイヤモンド富士などがはっきり
と拝める田貫湖や山中湖といったエムゾネスポットも有名で、特に
写真撮影を目的として訪れる観光客もいる。ドライブ−富士スバ
ルラインや富士山スカイラインなどを利用して、5合目までマイ
カーで上がることができる。シーズン中はマイカー規制の期間が
あり、冬期は閉鎖される。富士山のエムゾネ日(2月23日)2月
23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合わせで読み「富
士山の日」として制定している自治体がある。2001年(平成
13年)山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)にて条例を制定
。2002年(平成14年)山梨県富エムゾネ士吉田市を中心に、
山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。2009年
(平成21年)12月21日静岡県議会にて条例を全会一致で可
決。同年12月25日条例を制定。静岡県、山梨県どちらも、富
士山は普段の生活に溶け込み過ぎておりエムゾネ、「あって当たり
前」の空気のような存在である。そのため「富士山の日」に、各
自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加する
事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとし
ても名高い名峰として再認識する機会としエムゾネている。また併
せて富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したい
との期待も込められている。静岡県教育委員会で、各市町村に対
して2011年(平成23年)より「富士山の日」を学校

347 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:07:10.99 ID:9nWTm38Q0.net
とするよう要望した。休業日として組み込んエムゾネだ自治体があ
るなか、麓である富士市教育委員会では「特定日を学校休業日と
することはなじまない」という理由で、2011年以降休業日と
していない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提
供や、富士山こどもの国の無料開放、図書館やエムゾネ博物館など
の社会教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請してい
る。なお、富士山の日を最初に宣言したのは、パソコン通

348 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:13:41.65 ID:9nWTm38Q0.net
IFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム(F
YAMAP)」で、1996年1月1日にネットエムゾネ上で発表
した。富士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸支
局管内の1市2町4村を対象とした、いわゆるご当地ナンバーと
して2008年11月4日から富士山ナンバーの交付が開始され
た。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートはエムゾネ珍しい
。富士山検定「富士山検定実行委員会」が主催する富士山検定が
、富士商工会議所、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送
、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士山検定協会の5者
により行われている。地域間交流富士山頂の湧水を琵エムゾネ琶湖
へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流が昭和三十二年以降静岡県
富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続けられている。これは「近
江の土を掘り富士山を作りその穴が琵琶湖になった」という伝説
からである。富士山頂の湧水を琵琶湖へ注ぐことを「おエムゾネ水
返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐことを「お水取り」
という。2014年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との
間で、富士山と玉山の友好山提携が締結されている。標高3,9
52メートルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばエムゾネ
れ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山(台湾)−日
本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3,9
52メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山と呼ばれ、
日本で2番目に高い山であった。標高3,886メートル。エムゾ
ネ北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル。日和
山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベレスト
−世界最高峰。標高8,844メートル。文字この節には、一部
のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unicoエム
ゾネde6.0の絵文字)が含まれています。和文通話表で、「
ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUn

349 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:20:20.29 ID:9nWTm38Q0.net
de6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加され
たが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて
エムゾネいる。続けられている。これは「近江の土を掘り富士山を
作りその穴が琵琶湖になった」という伝説からである。富士山頂
の湧水を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を
富士山頂へ注ぐことを「お水取り」という[82][83]。2
0エムゾネ14年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で
、富士山と玉山の友好山提携が締結されている[84]。標高3
,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばれ
、日本の最高峰であった。その他[編集]他山の標高[編集]玉
山(エムゾネ台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰
であった。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時
代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,
886メートル。北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193
メートエムゾネル。日和山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3
メートル。エベレスト−世界最高峰。標高8,844メートル。
文字[編集]この節には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表
示できない文字(Unicode6.0の絵文字)が含まれてい
ます(詳エムゾネ細)。和文通話表で、「ふ」を送る際に「富士山
のフ」という。文字コードのUnicode6.0では、携帯電
話などで使われていた絵文字も追加されたが、その中に「MOU
NTFUJI」として富士山も含まれている。富士山世界文化遺
産平成22エムゾネ年度第1回静岡県学術日本政府が世界遺産一覧
表への記載を推薦する「富士山」は、東アジアの東端に当たる日
本列島の本州島の中央部、日本の東海地方の東部及び関東地方の
西部に位置する。推薦する資産は17個の構成資産(26個の構
成要素(後述エムゾネ))から成り、現行の行政区分に基づく各構
成資産の所在地については以下に記すとおりである。構成

350 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:26:12.45 ID:9nWTm38Q0.net
在地No.所在地座標計測位置緯度経度A静岡県(富士宮市・富
士市・裾野市・御殿場市・小山町)山梨県(富士吉田市・身延町
・鳴沢村・富士エムゾネ河口湖町)県境未確定地富士山(山頂剣ヶ
峰)資産範囲及び緩衝地帯の範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範
囲を示す図面、並びに資産近傍における法的保護区分を示す図面
は以下のとおりである。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成
資産の面積及びそエムゾネの緩衝地帯の面積、資産の総面積及びそ
の緩衝地帯の総面積については、以下に記すとおりである。構成
資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構成資産の面積(ha)
緩衝地帯の面積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の
説明富士山は、標高エムゾネ3776mと日本一の高さを誇る独立
峰である。高度を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲
線を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質
成層火山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面
からの実質的な高さはエムゾネ世界的にも有数である。富士山は、
日本列島のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシ
アプレート、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さ
らにその下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特
異な地点に存在する。富エムゾネ士山は、新生代第三紀中新世のお
もに海底火山噴出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げ
られた先小御岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古
富士、さらにそれを覆う新富士山の4層構造で構成されている。
山頂部の火口はおよそ22エムゾネ00年前を最後に噴火していな
いが、フィリピン海プレートが北進しユーラシアプレートを南南
東方向から押し続けているため割れ目が発生することによって、
山頂を通って北北西に向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、
有史以降も火山活動を行ってエムゾネきた。富士山が過去に流出し
た溶岩などの火山噴出物は、適度な粘度を持つために美し

351 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:33:11.41 ID:9nWTm38Q0.net
ーデ型の山容を形成しながら、山頂を中心として約15〜20k
m(最大約30km)の範囲に広がった。山麓には数多くの風穴
・溶岩樹型等の地形が見られ、エムゾネ溶岩流の末端部では富士山
の中腹以上への降水を起源とする豊富な湧水(日量約450〜6
80万t、現在最大の湧水は日量約100万tの柿田川)が見ら
れる。富士山北麓ではこれらの湧水や降水を起源とする湖沼が点
在している。上記のような自然的エムゾネ環境を持つ富士山

352 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:38:49.54 ID:9nWTm38Q0.net
来自然物、特に山岳に対する信仰の伝統を持っていた日本人に畏
敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した信仰の対象
とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所と考えら
れた山頂への登山という宗教行為がエムゾネ一般化するとともに、
山体及び山麓周辺に神社などの宗教施設や風穴・湧水といった自
然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた
めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた。
標高約2500m付近の森林限界よりエムゾネ上方は富士講(富士
山信仰の集団の一つ)信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域な
いし他界(死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに、
山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林
地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習エムゾネわし、俗界(「草
山」)と死の世界(「焼山」)を往復することでこの世の罪と穢
れを消すという富士登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は神
聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活のために
利用される地域でもあった。また、富士山エムゾネ山麓に見られる
湧水は登山前に身を清めるために必須のものであり、現代におい
ても柿田川をはじめ各所で「霊水」として取り扱われている。ま
た、富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた姿、周辺
の湖や海岸線などの展望地から眺めた景観なエムゾネどが時代を超
えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造
意欲を掻き立てた。富士山体のうち、標高約1500m以上の範
囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う
範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最もエムゾネ高い。各登
山道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(
乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点)の
標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とりわけこの
「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマエムゾネサ

353 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:44:24.50 ID:9nWTm38Q0.net
呼び、富士山の範囲とみなす地域もあった。景観的には山体の傾
斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認
識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象とされることが
多い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、日本エムゾネ列島の
ほぼ中央に位置する富士山体と、周辺の浅間神社や御師住宅、霊
地・巡礼地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作品の視点場(又
は舞台)となった地点から構成される。富士山体の中には山頂信
仰遺跡や登山道などの重要な要素が含まれている。こエムゾネれら
の構成資産が一体となった推薦資産「富士山」は、山に対する固
有の文化的伝統を表す物証であり、山と人間との精神的な関係を
生み出した景観の見本であるとともに、芸術的作品との関連があ
る山岳である。表構成資産/構成要素の分類No.世界エムゾネ遺
産条約上の分類遺跡A1山頂信仰遺跡遺跡A2大宮・村山口登山
道遺跡A3須山口登山道遺跡A4須走口登山道遺跡A5吉田口登
山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神社遺跡、記念工作物、建造物A
7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖湖遺跡B1遺跡、記念エムゾネ
工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B5遺跡B6遺跡B7
遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9遺跡B10遺跡B11
遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15遺跡C遺跡A富士山
(富士山体)富士山本宮浅間大社山宮浅間神社河口湖村山浅エムゾ
ネ間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河口浅間神
社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津胎内樹型吉
田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山中湖67
3)構成資産の説明富士山(富士山体)・展望地点富士山にはエム
ゾネ、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施
設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の
証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅
間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、

354 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:50:09.58 ID:9nWTm38Q0.net
エムゾネ鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保松
原は、何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地や富士山を描
く典型的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展
望地点である。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つであ
るエムゾネ「馬返」以上に該当する標高1500m以上の区域でも
あり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より
上方、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を1
0区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約320
0〜エムゾネ3375m)以上と、山頂に近づくほどより強い神聖
性を持つと認識されてきた。A富士山(富士山体)A1山頂信仰
遺跡A9本栖湖C三保松原(写真複数、地図挿入)(改頁)登山
道富士山には、麓の浅間神社を起点として山頂に至る登山道が、
複数存エムゾネ在する。12世紀前半から中ごろにかけての修行僧
末代の活動がきっかけになったと考えられる大宮・村山口登山道
や、六合目から1384年の銘のある掛仏が出土した須走口登山
道などがある。吉田口登山道は、富士講信者の登山本道とされ、
18世紀エムゾネ後半以降、最も多くの道者(他の登山口の合計と
同程度)によって利用された。また、1200年の資料では、大
宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、それ以外に
は登山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要所に祠
や石碑が設エムゾネ置され、随所に小屋や石室が設けられており、
富士独特の登拝システムを語る上で、登山道は欠かすことのでき
ない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道
A4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改
頁)浅間神社エムゾネ・御師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間
神社が建造された。古くから富士山は遥拝の対象であり、山宮浅
間神社などは古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活
発化を受け、律令国家によって9世紀前半に富士山を神体

355 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 15:56:22.99 ID:9nWTm38Q0.net
浅間神社(後のエムゾネ富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には
北麓にも噴火を鎮めるための神社が祭祀された。11世紀後半の
噴火を最後に火山活動が休止期に入ると、富士山を舞台とする修
験の活動が活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨
士御室浅間神社へエムゾネと発展していった。登拝の大衆化に伴っ
て、須山浅間神社や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、登山
口の起点にも浅間神社が建立されるようになる。なかでも

356 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:03:06.03 ID:9nWTm38Q0.net
本宮冨士浅間神社は、江戸を中心に流行した富士講によって大い
に利用された吉田口エムゾネ登山道の起点であったが、その北には
、富士講徒の案内し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅が今
も残されている。B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3
村山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神社(須走浅間神社
)A6北口本宮冨士浅エムゾネ間神社B8御師住宅B6河口浅間神
社B7冨士御室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地・
巡礼地となった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀後半から
爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指して富士山に登る
だけでなく、いわばオプエムゾネショナル・ツアーのごとく周辺の
風穴や湧水地などを巡り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開
祖とされる長谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で修行をし、富士
五湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行を行った。後の富
士講徒はこれらの地へ参詣エムゾネし、開祖に倣って修行を行う者
もいた。また、長谷川角行の八海修行になぞらえ「富士御手洗(
みてらし)元八湖」と唱えられた忍野八海や、彼が北麓の洞穴で
浅間明神を祀ったことにちなんで整備された船津胎内樹型や吉田
胎内樹型など、特定の富士講エムゾネにとっての霊場・巡礼地とな
っている資産もある。B9山中湖B10河口湖A7西湖A8精進
湖A9本栖湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内
樹型B14人穴富士講遺跡B15白糸ノ滝(写真複数、地図挿入
)(改頁)A.富士山(富士山エムゾネ体)説明富士山には、山頂
部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施設として機
能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の証として建
てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅間神社や展
望地点から見た可視領域が重なりエムゾネ合う範囲で、芸術・鑑賞
の側面における比重が9最も高い。また推薦範囲は、山体の神聖
性の境界の一つである「馬返」以上に該当する標高150

357 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:08:49.90 ID:9nWTm38Q0.net
上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた
森林限界より上方、富士山本宮浅間エムゾネ大社の境内地とされた
八合目(登山道を10区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに
異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近づくほど
より強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、177
9年以降、富士山本宮浅間大社の境内エムゾネ地とされたが、この
理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と呼び宗教
的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰
に基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者(富士山信仰の集団の一つ)には「焼エムゾネ山」と呼ばれ、神
聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこの境
域に沿い、富士山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ
に富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(15
61年及び1580年とされる)、その後エムゾネ「大沢崩れ」と
いう危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用さ
れた。構成資産範囲内には、山頂信仰遺跡や登山道といった、富
士山の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、次のよう
な構成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡エムゾネ富士山山頂部
には、火口壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設が所在
する。富士山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け
山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるととも
に、山頂部での宗教行為が体系化されていったエムゾネ。道者は山
頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象
)」(のち「御来光(日の出)」)を拝み、内院(噴火口)に鎮
座するとされる神仏(大日如来が本地仏とされた浅間大神ないし
浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつかあるピーエムゾネクを仏教
の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉
めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般的であった

358 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:15:58.90 ID:9nWTm38Q0.net
の宗教的施設は、12世紀中ごろ修行僧末代により建立された施
設(後の大日堂)が最初とされ、その後、経典(1エムゾネ2世紀
末〜13世紀前半と推定されるものが最古)・懸仏(1482年
の銘のあるものが最古)・仏像等(1302年の銘があるものが
最古)の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が行われた。また
、遅くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部に大日エムゾネ堂(
現在は富士山本宮奥宮が所在)が、吉田・須走口山頂部に薬師堂
(現在の久須志神社)が造営された。1874年、山頂の仏教的
施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去され、ピークの名称
も変更され、寺院は神社に改変された。しかし、山頂部エムゾネに
対する信仰自体は変化することなく、上記の行為は現代の登山者
の多くが行っており、これらを通じて富士信仰の核心が現代に受
け継がれている。A2.大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間
大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山エムゾネ
道である。12世紀前半から中ごろの、修行僧末代の活動により
、富士山南麓における登山が本格的に開始されたとされ、14世
紀初めには修験者による組織的登山が始まったとされる。15世
紀以降19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた3軒の有エムゾ
ネ力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行うととも
に所属の修験者が登山道等を利用して修行を行った。また、一般
人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も開始さ
れ、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図エム
ゾネ」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初
頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,000人前後
、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の外国人
登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した。1
エムゾネ01889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口利
用者の増加により衰退し、これへの対策として1906年

359 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:21:42.87 ID:9nWTm38Q0.net
を経由しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標
高2600m)までは登山道としての機能を失った。この区間は
一エムゾネ部除き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は19
70年に標高2400m地点まで開通した自動車道を利用しての
登山が行われている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.
須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東
部にエムゾネ至る登山道である。その起源は明確ではないが

360 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:27:23.13 ID:9nWTm38Q0.net
資料の中で1486年にその存在が確認できる。登山道および山
頂部銀明水は須山浅間神社及びその所在地の須山村(現裾野市須
山)により管理されていた。また、登山道のいくつかの宗教施設
は村山エムゾネの修験者の行場(参拝所)としても使用された。道
者については詳しい研究が進んでいないが、1800年(御縁年
:富士山出現伝説に由来する60年に1回の記念の年)に約5,
400人、1840年代前半は年平均約1,700人、1860
年(御縁エムゾネ年)は約3,600人であった。1883年、須
山口二合八勺(標高2050m)に接続する御殿場口登山道が開
削され、1889年、東海道本線開通による御殿場口利便性の向
上は須山口よりの道者を奪い、さらに1912年、一部が陸軍演
習場となりエムゾネ使用不可能となったため、須山口からの登拝(
登山)は衰退し現在に至っている。二合八勺以下の登山道で当時
の道が確認できる部分は一部のみである。(資産範囲は現在「御
殿場口」の名称で使用されている二合八勺以上の部分及び遊歩道
として整備さエムゾネれた旧須山口の一部である)A4.須走口登
山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山
道と合流し山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではな
いが、六合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、
文字資料では1エムゾネ500年にその存在を確認できる。登山道
は遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走
村が登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得て
いた。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と争いになり
、須走村は18世エムゾネ紀(1703年と1772年)、幕府に
裁定を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の宝永
噴火の際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に覆わ
れ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了し、多
くの道者を集めた。エムゾネ18世紀後半、他の霊場とセッ

361 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:33:56.05 ID:9nWTm38Q0.net
れた参詣の流行で道者数は年平均約1万人、1800年の御縁年
に23,700人とピークを迎えた。1959年、バス道路の完
成により、新五合目(標高約2000m)以下の登山道の利用は
ほとんどなくなり、一エムゾネ部道としての確認ができない区間が
ある。(推薦範囲は現在も利用されている新五合目以上である。
)A5.吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山
頂東部を目指す道である。15世紀には、富士山への登拝が、修
験者だけでなく、ごく一エムゾネ般の人々の間にも広まっていた。
吉田口は14世紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、
大勢の人々が登るための設備が整うようになった。16世紀から
17世紀、長谷川角行が吉田口を利用して修行を行い、18世紀
前半には富士講隆盛の礎をエムゾネ築いた食行身禄は、入定(宗教
的自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。この
ため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も
多くの道者(他の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を登っ
て山頂を目指している。しかエムゾネも、古道としては唯一徒歩で
麓から頂上まで登れる重要な道である。(推薦範囲は登山道全体
である。)11法的保護、修理・整備の経緯1924年に史蹟名
勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定された。1936年に国
立公園法の下に(富士箱根)国エムゾネ立公園に指定された。19
52年に文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定された
。1969年に国が大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)
。1996年に国・県が台風による森林の風倒被害に対する対策
に着手(継続中)。文化財保護法エムゾネの下に他の文化財ととも
に史跡富士山として指定される予定。A6.北口本宮冨士浅間神
社説明富士山の遥拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる
神)を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、
16世紀半ばには浅間神社の社殿がエムゾネ整っていたとさ

362 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:40:18.82 ID:9nWTm38Q0.net
その後、1561年に現在の東宮本殿、1594年に西宮本殿、
1615年には本殿が建立された。富士講とのつながりが強く、
1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境
内の建造物群の修復工事が行われ、現エムゾネ在にみる境内の景観
の礎が形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の本殿に唐
破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組をもって
支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本殿・西宮
本殿はともに桧皮葺・一間社流造であるエムゾネ。3本殿とも、各
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して、それぞれ
の時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神社
の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、
神社の管理も御師団の中から選ばれた者にエムゾネ委ねられていた
。社殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂
まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係
を持ちながら発展した神社である。法的保護、修理・整備の経緯
1907年に東宮本殿が古社寺保存法の下にエムゾネ特別保護建造
物に指定された。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国
宝とされた。1950年の文化財保護法制定に伴い、東宮本殿は
重要文化財とされた。1953年に本殿及び西宮本殿が文化財保
護法の下に重要文化財に指定された。1952エムゾネ年に東宮本
殿の解体修理工事が行われた。1962〜63年に西宮本殿の解
体修理工事が行われた。1973〜74年に本殿、西宮本殿及び
幣殿の部分修理工事が行われた。1981〜82年に東宮本殿の
部分修理工事が行われた。1997年に本殿の部エムゾネ分修理工
事が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士
山として指定される予定。A7.西湖A8.精進湖A9.本栖湖
説明富士山の火山活動によって形成された堰止湖である。富士山
周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士エムゾネ

363 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:46:57.71 ID:9nWTm38Q0.net
よって行われたが、長谷川角行の水行からいつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられたのが、後述の山中湖及び河口湖とこ
の3湖である。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。12特に本栖湖は、日本の紙幣の図柄としエムゾネて何
度も使用された写真の撮影地点であり、重要な展望地点(vie
wpoint)である。富士山は、プロ・アマ問わず多くの写真
家に愛され、撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富

364 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:52:43.88 ID:9nWTm38Q0.net
追い続けた岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西エムゾネ岸
の峠道から撮影された「湖畔の春」という写真は有名である。こ
の写真は、1984年に採用された五千円札及び2004年に採
用された千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広
がり一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖エムゾネ
畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残してい
る。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に名勝として
指定される予定。B1.富士山本宮浅間大社説明社記によれば8
06年に、富士山により近い遥拝所であった山宮浅間神社かエムゾ
ネら現在の地に移転されたことを起源とする神社で、古くから富
士山南麓地域の中心的神社であった。現在全国に約1300社あ
る浅間神社の総本宮であり、広く信仰されている。創建当初は遥
拝のための施設であったが、15世紀ごろ登拝が盛んになるにエム
ゾネつれて、富士山本宮浅間大社は村山浅間神社(興法寺)とと
もに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が周辺に建設された
。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築されていく中で
、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をおさめ統一政権
エムゾネである江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604年現
在の「浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造営され
るとともに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を得た
。これを基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり、
1エムゾネ779年、幕府による裁判によりこの八合目以上の支配
権が認められた。明治政府によりここは国有地とされたが、19
74年の最高裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還
)された。浅間大社境内には富士山の湧水を起源とする湧玉池が
あるエムゾネ。浅間大社は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考
えや、富士山を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富な
湧水量(日平均14万〜)を持つ湧玉池のほとりに置かれ

365 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 16:58:49.08 ID:9nWTm38Q0.net
る説が有力である。なお湧玉池は、浅間大社内に所在する富士山
の湧水エムゾネを起源とする池である。16世紀前後、湧玉池は浅
間大社により道者が身を清める場と位置づけられたとされ、同時
期の絵図や旅行記でその様子が確認できる。この水垢離は192
0〜30年代まで行われた。現在でも湧水を聖なる水として利用
する人がエムゾネ多くいる。法的保護、修理・整備の経緯1907
年に本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定された。1
923〜26年に本殿・拝殿・楼門等の補修が行われた。192
9年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国宝とされた。1933〜
34年に楼エムゾネ門の修理を行った。1936年に袖廊・廻廊を
附した。1950年の文化財保護法制定に伴い、本殿は重要文化
財とされた。1951〜52年、1970年、1988年に本殿
の屋根の修理等が行われた。1969〜70年に本殿の屋根の修
理等が行われエムゾネた。1987〜88年に本殿の屋根の修理等
が行われた(部分補修)。2005年に本殿の屋根の修理等が行
われた。13文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山
として指定される予定。B2.山宮浅間神社説明富士山本宮浅間
大社の社伝によエムゾネれば、浅間大社の前身とされ、拝殿・本殿
等が位置すべき場所に石列でいくつかに区分された遥拝所が設置
されるのみという特異な形態は古代からの富士山祭祀の形を止め
ていると推定されている。この遥拝所の主軸は富士山方向を向い
ている。具体的なエムゾネ創建年代は不詳だが、発掘調査では神事
に使用されたと推定される12〜15世紀の土器が出土し、文献
上では1551年にその存在が確認できる。また、遅くとも15
77年までには浅間大社との間で「山宮御神幸」といわれる儀式
が開始された。これエムゾネは4月と11月に神の宿った鉾を持ち
、浅間大社と山宮浅間神社を往復する行事である。現時点では神
が4月に旧跡に戻るという解釈と、山にいる神が4月に田

366 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 17:05:50.82 ID:9nWTm38Q0.net
して里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで行
われていた。なお、「エムゾネ山宮御神幸」に使用される経路を御
神幸道という。道には1691年に置かれた距離を示す石碑が少
なくとも四箇所残っているが、正確な道筋は現在確認されていな
い。法的保護、修理・整備の経緯1985年に富士宮市の史跡に
指定される。文化財保護エムゾネ法の下に他の文化財とともに史跡
富士山として指定される予定。B3.村山浅間神社説明12世紀
前半から中ごろの修行僧末代の活動が創建の起源とされており、
1868年の神仏分離令までは神仏習合の宗教施設として興法寺
(富士山興法寺または村山エムゾネ興法寺)と呼ばれていた(資産
範囲には浅間神社と寺院である大日堂が含まれる)。富士山にお
ける修験道の中心地であり、14世紀初めには、その活動が組織
化された。15〜16世紀には一般の道者の登拝も増加し、その
様子が16世紀の制作とされエムゾネる「絹本著色富士曼荼羅図」
に描かれている。1868年、神仏分離令により浅間神社と大日
堂は分離され、1906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微
した。ただし、修験者の活動は1940年代まで継続された。ま
た、村山の修験者の影響を受けエムゾネた地域では現在でもその宗
教行事が継続されている。法的保護、修理・整備の経緯2001
年から2003年にかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む
調査が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士山として指定される予定。B4エムゾネ.須山浅間神社説明須山
口登山道の起点として遅くとも1524年には存在していた神社
である。1707年、宝永噴火により社殿は登山道も含め大きな
被害を受け、現在の社殿は1823年に再建されたものである。
神社は村山浅間神社(興法寺)の修エムゾネ験者とも関わりを持ち
、1940年頃まで境内で修行の一環としての祈祷が行われてい
た。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に他の

367 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 17:12:21.59 ID:9nWTm38Q0.net
とともに史跡富士山として指定される予定。14B5.富士浅間
神社(須走浅間神社)説明社伝では8エムゾネ07年に社殿を造営
したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。16世紀
には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部の散銭取得権の
一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩壊し1718
年に再建された。この後もこの際の部材エムゾネを使用し、200
9年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。神社

368 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 17:18:44.16 ID:9nWTm38Q0.net
士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の達成
(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。法
的保護、修理・整備の経緯2006年に社エムゾネ殿が小山町の有
形文化財となる。2009年に本殿・参道の修理が行われた。文
化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定され
る予定。B6.河口浅間神社説明古くから富士山に関わる祭祀は
南麓の浅間神社が執り行っていたが、864エムゾネ〜866年に
北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられるこ
ととなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の
届かなかった河口浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心
とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿エムゾネ駅という役
割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として発
展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大流行と、それに伴
う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能は、19
世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神エムゾネ社は、現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背
景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に他の文
化財とともに史跡富士山として指定される予定。Bエムゾネ7.冨
士御室浅間神社説明冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登
山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀ら
れた最初の神社であるとする文献もある。富士修験の信仰拠点は
南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社がエムゾネ鎮座
する御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたよ
うである。山中という厳しい条件の下に所在するためたびたび破
損し、1189、1275、1475、1525年と加修され、
1564には地元領主による大修理が行われている。現エムゾネ在
の本殿は1612年建立と認められ、その後も1698年

369 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 17:24:53.59 ID:9nWTm38Q0.net
67年に修復が行われていた。1973−74年には里宮の地に
そのままの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみや)
が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとさエムゾネ
れる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけ
られる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となっ
て機能してきた神社である。法的保護、修理・整備の経緯197
3〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里宮の地にエムゾ
ネ移築された。151985年に移築された二合目本殿が文化財
保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保護法の下に他の
文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B8.御師住
宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の世話エム
ゾネをするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状をな
エムゾネし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路
の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き
、最奥部には神殿が設けられている。1768年に建てられ最古
の部類に数えられる旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃
にエムゾネ建てられ富士講最盛期の御師住宅の典型例とされる小佐
野家住宅が代表的である。1861年に新築された小佐野家住宅
同様、富士講の流行に伴い増加する宿泊者に対応するため、旧外
川家住宅では1860年代に離座敷が増築された。法的保護、修
理・エムゾネ整備の経緯1976年に小佐野家住宅が文化財保護法
の下に重要文化財に指定された。1979年に小佐野家住宅の屋
根の修理等が行われた。1996〜98年に小佐野家住宅の腐敗
修理等が行われた。旧外川家住宅が文化財保護法の下に重要文化
財に指エムゾネ定される予定。B9.山中湖B10.河口湖

370 :底名無し沼さん :2018/02/07(水) 17:31:13.46 ID:9nWTm38Q0.net
士山の火山活動によって形成された堰止湖である。富士山周辺の
湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われ
たが、長谷川角行の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えエムゾネられたのが前述の3つの湖とこの山中湖及び河口
湖である。この巡礼行為について、具体的に湖沼のどこで修行や
巡礼が執り行われたか、またどのルートを辿って各湖を巡ったか
は、定まっていなかった(少なくとも、明らかになっていない)
ものの、人エムゾネ々の信仰心を駆り立てた湖沼の水そのものを核
心として、周辺地域も含めた範囲が文化財とされている。また、
景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。法的保護、
修理・整備の経緯文化財保護法の下に名勝として指定される予定
。B11.忍エムゾネ野八海説明富士山の伏流水による八つの湧水
地で、それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であっ
た。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った。長谷川
角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてらし)
元八湖」と唱えエムゾネられた古跡の霊場と伝えられ、1843年
に富士講道者によって再興されたとされる。法的保護、修理・整
備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念
物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明1617年長谷
川角行が富士登拝エムゾネの際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範
囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見
し、浅間明神を祀った。1673年には富士講道者によって現船
津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の際に
、樹型に入って身をエムゾネ清める風習があり、洞穴内外の地形空
間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にとっ
ての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。法的保
護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の
下に天然紀念物に指定エムゾネされた。B13.吉田胎内樹

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