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☆管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 17:14:12 ID:FbHP8oii.net
戦国時代の端緒を開いた東軍の将、細川勝元
そして管領職を独占し勝者になったにもかかわらず
一族合い抗争して権力を失っていく
こんなかわいい細川氏を語りましょう

細川藤孝・忠興や地下官人細川蔵人家の話題も可

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 17:27:15 ID:J+Q7XyNB.net
ちんぽ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 18:30:45 ID:9f7NjmDi.net
晴元専用スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150021673/

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 21:23:42 ID:FRMRgjXt.net
蔵人細川家ってたしか和泉半国の細川元常に、
元春という息子がいたって話になってるんだよな。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 00:48:44 ID:neRFsVDe.net
細川藤孝って文化人のイメージが強いけど
剣術や弓術にも秀でていたんだよね。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 12:10:48 ID:TJcd8Lp9.net
弟子にはくそ弱いって評価されてなかったか

藤孝は最強の戦国武将

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:36:24 ID:XrDqkzEf.net
勝元って早死ですよね。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:42:31 ID:2uOnfbpW.net
忠興は基地外

長男を追放し
次男を無理やり切腹させ
家を継いだ三男とは喧嘩別れをして争う始末

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 23:50:46 ID:XdQE+VGJ.net
三淵晴員とはどういう系譜の人物ですか?
細川家の同族?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 05:12:01 ID:5pS1qhFq.net
wikipediaの[[細川氏]]のとこの系図見れば?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 08:54:32 ID:BBXlBdvU.net
三淵家は足利氏の一門。
血筋からいうと足利尊氏以降、足利将軍家から分かれた家。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 15:48:30 ID:Fio7aWUO.net
>>9
>>11を補足すると、
三淵晴員は和泉半国守護(上守護)細川元有の子です

和泉上守護家は細川頼之の弟、頼有の流れ(元有は頼有の玄孫)

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 17:04:25 ID:Fio7aWUO.net
ついでにスレタイについて・・・

>応仁の乱の勝者
山名スレに書いたけど、山名は但馬、因幡(伯耆もあるけど)に籠もちゃったから
斯波は見る影もなく、せいぜい畿内に絡んだのは畠山
そういう意味では、細川は応仁の乱後も政権握ってるからね、勝者といえば勝者

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 00:18:59 ID:mTYSaF0n.net
興元はなんで別家したの?父、兄と仲悪かったとか?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 17:35:26 ID:zbrr7qcJ.net
昭元なら信長の蹴鞠の相手だけどね

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:09:58 ID:fWRWG4U6.net
没落後に細々生き延びたのに細川全隆がいる。
徳川から十五人扶持もらって仕えたらしい。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:12:39 ID:0knJuAEZ.net
細川藤孝って管領細川家と別系統なんですか?
その辺不勉強なんで詳しい方簡単に聞かせてプリーズ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:34:49 ID:fWRWG4U6.net
>>17

すぐ上>>12見ろ
晴員の子が藤孝
これでわかったろ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:38:23 ID:0knJuAEZ.net
>18
ごっつあんです

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 15:11:34 ID:9OYjOJEo.net
藤孝は和泉上守護家元有の養子となり、家督継いだ
これが出発点

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 16:25:05 ID:mhS6qpuH.net
なんで長岡に変わったの?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 16:33:35 ID:9OYjOJEo.net
天正元年(1573)信長から山城長岡を与えられ、
長岡と改姓したそうだ

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:22:53 ID:djycgZPs.net
細川に戻ったのは関ヶ原の頃かな

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:15:03 ID:mhS6qpuH.net
ということは、若い頃は「細川」というブランドには関心がなかったのですね。
細川に戻したのは、清和源氏を仮冒した徳川への対抗心でしょうか。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:21:38 ID:djycgZPs.net
信長がいないからだけだと思うけど
もともと細川なんだから
対抗はしないでしょ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:24:37 ID:QzIAry47.net
中央の細川の没落とほぼ時を同じくして西の大内、東の今川が没落・・・
きびしいでつな

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 13:07:10 ID:2ZFF2Zar.net
・大内 義隆自害 天文二十年(1551) 完全に滅亡 弘治三年(1557)
・細川 晴元逃亡 天文十八年(1549) 氏綱が死去 永禄六年(1563)
・今川 桶狭間戦 永禄 三年 (1560) 完全に滅亡 永禄十一年(1568)

若干今川が遅い程度ですね

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 15:18:11 ID:KOQGpQeX.net
今川は氏真が追われたのが最後じゃないか?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 00:36:22 ID:6JdwM7Ix.net
ああ、ちょっと読み違った。スマン

藤孝が元常の養子なら、元春なる人物も実子ではありえない。


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 01:08:37 ID:kQdqNJsh.net
元常の実子は、天文7年には和泉守護になっていた晴貞じゃないの?

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 14:58:58 ID:250M6HAG.net
元春って、
明治期に正六位で宮内省京都支庁殿掌などをした、常典のご先祖さまのことね
謎?だね

晴貞?
三淵晴貞ならわかるが・・・

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 20:47:12 ID:Mhg+Q8X1.net
>>31
「座中天文日記」に「和泉守護殿(元常)御弐息五郎殿」と元常次男の五郎が出てくる。
これが「細川家文書」の封紙上書に「刑部大輔晴貞」とある人物と
同一人物であると岡田謙一氏が明らかにされていた。

最近出た書籍にはこういう説もあるということで。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 21:53:10 ID:iBG40bvv.net
でも家督を嗣いだのは藤孝なんだよね

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 22:09:17 ID:Mhg+Q8X1.net
うん、藤孝だね。
ただ継嗣がいるのに、藤孝を養子にしなければ
ならなかった理由はまだ不明なんだよね。
晴貞が早い段階で死亡したりしたのかな。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 14:26:35 ID:JKIBdTxE.net
とりあえず謎ということで

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 09:54:08 ID:ppCn7quO.net
細川忠興ってガラシャの事すごく愛してたんだね
この時代の政略結婚にしては珍しいくらい妻に執着

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:28:01 ID:kNRI4itZ.net
>>36
というよりすごくアブナイ性格だったらしいぞ
妻と会話した自分の部下全員を殺してるし

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 18:31:59 ID:HaEqrI5O.net
幽閉から戻ったガラシャを城の奥に軟禁
父の藤孝と弟の興元以外は絶対男子禁制
(それも内心は嫌々)
重臣がやむを得ぬ話のある時は襖越し


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 18:32:58 ID:nli36Is5.net
細川真之はここ?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 12:00:25 ID:dLAkCeci.net
阿波の最後の傀儡的な主君ね、真之

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 12:14:21 ID:mkKEzRID.net
阿波守護の存在意義は一時的に高まってるな。真之が最後の当主という認識は間違いでは?

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 13:28:57 ID:dLAkCeci.net
阿波守護家最後の惣領じゃないの?真之

>阿波守護の存在意義は一時的に高まってるな
これは長治の件?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 22:45:33 ID:S1A+zzyG.net
細川忠興好きだなあ。なんとなくだけど。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 16:34:06 ID:CYl+4rJu.net
明応の政変で天皇も将軍も、掌中にした細川政元だったが、
禁裏と幕府を支える財政的負担に苦しんだ

それがもともとの端緒となって、後柏原天皇の即位の礼が遅れることとなる
ちなみに先帝(後土御門)の大礼のときは、三十ヶ国以上の国役で財源をつくったそうだから
京兆家だけの負担は、あまりに重すぎたようだ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 15:38:15 ID:nnFNLocG.net
政元がしっかり後継者決めてれば、畿内はその後あんなに混乱してないと思う

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 15:07:17 ID:yLGBMV4j.net
明応の政変を起した、着想と行動力はたいしたものだが、
修験道に凝って、政務をかえりみない、子もいないではね



47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 16:24:10 ID:w1uOV6Va.net
船岡山合戦はドラマになんないかな?


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 16:48:09 ID:yLGBMV4j.net
高国とか
澄元とか
義興とか

知名度がないからねえ

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 20:41:49 ID:8HDJdKlt.net
>>48
むしろ一般人が知っている方が異常

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 00:40:25 ID:/r5Sh1QW.net
そういえば明応の政変って、戦国時代突入の画期をなす事変だが
学校で習った記憶がない

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 16:21:36 ID:9JURzeVT.net
応仁の乱は細川勝元、山名宗全と出てくるけどね
斯波義敏とか畠山義就とかも出て来なかったかな?

>戦国時代突入の画期をなす事変
やっぱり政元が戦国の発端なのかな

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 00:02:41 ID:5a9CNw0e.net
明応の政変自体再評価されたのは近年だしな。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 14:58:18 ID:/ztd8l/G.net
政元による政権の実質的簒奪が、果たして戦乱の世のスタートといえるかどうか
畿内的には従来の応仁の乱が、しっくりくるような気はするけど
それとも戦乱云々じゃなくて、キーワードは下克上なのかな?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 02:02:28 ID:i6GANpEi.net
管領や守護などの幕府諸職の権威は、将軍家の権威あってのものだから、
明応の政変で将軍権威にとどめを刺したのは、長期的にはまずかったのでは

まぁ、お陰様で室町末期がめちゃめちゃ面白い時代になったので、
政元様と日野富子にはめっちゃ感謝してます

てか政変前後の権力闘争自体、かなり面白いから、
NHKあたりに一度ドラマ化してほしい

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 09:51:32 ID:MRXVb7eR.net
花の乱で出てこなかったっけ?
よく覚えてないけど

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 16:28:52 ID:ZsIQ2lOL.net
今井雅之って俳優が薄気味悪く、好演してた

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:30:12 ID:C22YygBO.net
一応1万5千の大軍を寡兵で凌いでるから藤孝の戦歴は立派なものだ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 10:59:02 ID:51G9Kn3i.net
余談だけど、今井雅之って陸上自衛隊出身者だよね


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 16:04:25 ID:n7caQM+F.net
>>58 そうなんだ


それはそうと、政元に唯一対抗出来たのは、畠山政長
政長は当然東軍なんだけど、義就の死後政元が掌返しちゃうんだよね
やはり邪魔だったのかな

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 21:22:59 ID:6n4uywvo.net
足利義材は畠山政長の意見を入れ、畠山義就の子基家を討伐する事を決定

危機に立った基家は、上原元秀を通じて足利義材を廃立するよう細川氏内衆を説得

細川政元は畠山政長を正覚寺に攻め自害させ、義材は元秀に捕らえられる

結果、幕府内のライバルが排除できた上に将軍も幽閉できて(゚Д゚)ウマー


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 23:48:43 ID:Z0Rh7tEE.net
誰か「政元」没後の細川管領家の勢力争いを分かりやすく説明してくれ。
澄元・高国らがボコボコと勢力争いしてた歴史を教えて。




62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 13:56:55 ID:MS85cFmB.net
簡略に(抜けてる人物・事象があったらごめんなさい)、政元没→三好長慶実権まで

・永正四年(1507)六月、政元が澄之派の香西元長らに殺される、七月澄之が家督を相続

・同年八月、澄之が澄元と結んだ高国に攻められ、香西元長、薬師寺長忠らとともに討死
・同年同月、義澄将軍のもと、澄元家督を相続、三好之長が補佐

・永正五年(1508)四月、高国入京、澄元・之長・義澄が近江に逃れる
・同年六月、大内義興が足利義材を伴い入京、義尹(義材)将軍、高国管領に

・永正六年(1509)八月、一時澄元が京を奪還するが、船岡山で高国、義興に敗退、摂津から阿波に逃れる

・永正十五年(1518)八月、大内義興帰国

・永正十六年(1520)三月、三好之長、高国らを近江に追い入京
・同年五月、高国、等持寺で三好之長を破る、之長捕らわれ処刑、六月、澄元が阿波で病没

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 13:58:13 ID:MS85cFmB.net
・大永元年(1521)三月、将軍義稙が高国と対立し堺から阿波へと落ちる、義晴将軍に

・大永七年(1527)二月、柳本賢治・波多野稙道ら、高国、義晴将軍を近江に追い入京
・同年三月、足利義維、晴元、三好元長ら堺に入る

・享禄三年(1530)六月、天王寺で高国、三好元長らに敗れ、討死
・翌年、六角定頼の仲介で、義晴将軍と晴元和睦、義維阿波へ

・天文元年(1532)六月、晴元の要請で木沢長政と一向一揆が三好元長を攻め、元長討死
(こののち一向一揆を抑えるため、晴元が法華衆を利用、延暦寺との対立で天文法華の乱に)
(この間に晴元と三好長慶和睦)

・天文十一年(1542)三月、木沢長政が三好政長らに討たれる

・天文十七年(1548)三好長慶が細川氏綱と結び、晴元と対立

・天正十八年(1549)六月、晴元方の三好政長が摂津江口で敗死、晴元、義輝将軍近江に落ちる
・同年七月、三好長慶入京(天文二十二年、義輝将軍と和解)

だいぶ抜けてるかな?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 18:46:56 ID:bA0iU9EK.net
61です。

>>62>>63サンクス!よく分かります。

いわゆる「大物崩れの戦い」とはどれのことでしょうか?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 10:08:54 ID:m1Tzt+JD.net
>>64
>>63で一年間違ってるけど、享禄四年(1531)六月に高国が天王寺で敗戦
逃れたが、尼崎の大物で捕らえられ、大物広徳寺で自刃させられた

天王寺合戦〜自刃までを、俗に大物崩れという




66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 12:06:08 ID:Ud4M6/ls.net
>>65のご指摘の通りです、>>63一部訂正します

・大永元年(1521)三月、将軍義稙が高国と対立し堺から阿波へと落ちる、義晴将軍に

・大永七年(1527)二月、柳本賢治・波多野稙道ら、高国、義晴将軍を近江に追い入京
・同年三月、足利義維、晴元、三好元長ら堺に入る

・享禄四年(1531)六月、天王寺で高国、三好元長らに敗れ、尼崎大物広徳寺で自刃

・天文元年(1532)六月、晴元の要請で木沢長政と一向一揆が三好元長を攻め、元長討死 、義維失脚
(こののち一向一揆を抑えるため、晴元が法華衆を利用、延暦寺との対立で天文法華の乱に)
(この間に義晴と晴元、晴元と三好長慶和睦)

・天文三年(1534)九月、義晴将軍が入洛、この年、義維阿波に入る

・天文十一年(1542)三月、木沢長政が三好政長らに討たれる

・天文十七年(1548)三好長慶が細川氏綱と結び、晴元と対立

・天正十八年(1549)六月、晴元方の三好政長が摂津江口で敗死、晴元、義輝将軍近江に落ちる
・同年七月、三好長慶入京(天文二十二年、義輝将軍と和解)

また間違いあれば指摘下さい

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:51:10 ID:WIELFPsJ.net
>>47
船岡山合戦は「毛利元就」以外で
取り上げられたことはないはず。

>>50>>52
明応の政変は今なお異常なほど知名度が低いね。
平禅門の乱、永享の乱、嘉吉の変などにも言えるけど、
NHKの「その時歴史が動いた」はこれらの大事件を
必死にスルーしてるようにしか思えない。
文字通り「歴史が動いた」歴史的大事件なのに。
どういう理由で無視し続けているのか分からないな。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 20:45:13 ID:QSwRcNdk.net
学校では「応仁の乱で室町幕府は有名無実化した」と習った気がする。
でも、明応、永正のふたつのクーデターで、将軍と管領が
弱体化したってことなんだな。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 21:26:23 ID:FVu+IWqw.net
政元って変な人だけど
事績はすごいね

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 10:25:08 ID:EnrgXjb+.net
怪しげな宗教に凝って、妻帯しなかったんだよね。
澄之の実父も変な人物だが。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:05:20 ID:jEQJyaxI.net
ああ、唐橋在数の件ですか
それを除いても九条政基はそうとう流浪してるね
まあ流浪自体は珍しくないけど

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 22:42:51 ID:TS8K7zvC.net
備中守護家って毛利の属将になちゃったの?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 01:55:55 ID:lAmEaMWO.net
>>67
単に視聴率が取れないから

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:11:18 ID:QNtEog/E.net
あんまり戦国時代の話をすると、細川晴元スレとかぶるかな。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:14:16 ID:Ugrr2300.net
明応の政変のスレも立ったようですよ

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:42:13 ID:e4cIN9gT.net
じゃあ京兆家以外の話題もだしてください。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 15:14:51 ID:0wDa9DoC.net
じゃ阿波守護家の持隆について

この人三好元長を庇ったり、義維を将軍に推戴しようとしたり
独自に活躍するが、三好義賢に殺されちゃう

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:47:08 ID:EqH9zBYM.net
>>52
そう言えば、昔ウィキペディアの「戦国時代」の項目で戦国時代の始まりを明応の政変から旧説の応仁の乱に直そうとして注意された奴が逆ギレして編集合戦になった挙句、保護になったんだよな。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:49:58 ID:/nKGfo4+.net
そんなにこだわりはないな
諸説あっていいんじゃないかな

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:31:44 ID:CZHuzgij.net
まあいずれにしても細川抜きに戦国時代は始まらないってコトだけは間違いなさそうだ
しかし幕府が崩壊状態になったのは、政元暗殺からだろう。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 01:58:20 ID:HGET73Ky.net
細川興秋は大阪の陣で豊臣方として戦ったんだな
この頃完全に徳川側だった忠興は怒り心頭だっただろうな
しかもちゃんと活躍しているし

忠興は何か信長に近い性格のような気がする

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 12:16:23 ID:nbYeIkBg.net
茶をやったり、すぐ手討にしたりするところは信長と似てはいるが・・

83 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/12(火) 12:31:43 ID:zffBPNKZ.net
明応二年前後という分け方は将軍を頂点とする幕府の統治機構が崩壊したか否かではなかったかな。例えば
官位授与の手続きでは官途奉行の摂津氏が将軍に裁可を仰ぎ続いて外記局に諮問のが行き天皇の勅許を取っ
た上で太政官から頭弁の口宣案という形で降りてくる。それを将軍か大納言の名で許可するが、将軍が逃亡
してたりすると官途奉行から最初の段階でつまずいてしまうためこれ以降直奏が増えたり管領が取り次いだ
りした。将軍権威の失墜ではなく政治機構の崩壊の観点からの分け方であったと思う。たしか三条西実隆の
日記には応仁の京都の騒乱を評して戦国の末世などと表現してたのが、戦国という語句の最初の記載だった
と思うが要はいつでもいいんじゃね?ということかと

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 13:28:59 ID:WuFp06o1.net
>>80
そうそう
勝元〜晴元までは細川中心で回ってるからね
(一方の雄って時期もあるけど)

>政元暗殺
これ+養子同士の争いで混迷は深まった


85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 13:34:41 ID:WuFp06o1.net
>>83
明応の政変って
・政元が義材を追放した、つまり将軍の首を管領が挿げ替えた
・三管領の時代が終わり、細川氏が管領職を独占した
ってこの二点が特徴で良いよね

義澄や義材、義晴や義輝が近江などに逃れるのは、政元暗殺後の混乱以降だね

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:07:37 ID:VJqV/xio.net
>>78
追加、確か切れたときに「(明応の政変=)そんな歴オタみたいなマニアックな事を書くんじゃねーよ」とか言ったんじゃなかったっけ?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:08:30 ID:x1yTqrCi.net
政元・晴元と大内義興は事績が大きいのに
一般の知名度があまりにも低すぎるな。
(この3人の諱は単語登録しないと一発変換できない)
政元や晴元より藤孝や忠興のほうが有名だなんて理不尽だよ。
(「忠興」はなぜか一発変換可能)

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:07:52 ID:CvN91WA7.net
まあ近代まで生き残った大名家で、子孫が首相にまでなったっていう
ことじゃない?藤考の流れは。晴元の直系の子孫は秋田で細々と
血脈をつないではいたらしいけど。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:29:45 ID:DAeammS/.net
細川氏綱

は一発変換した

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 16:17:30 ID:9bSNpwg2.net
将軍も傀儡
管領も傀儡
侍所頭人は空位
執事は?
蜷川さんは?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:24:18 ID:px6b99KY.net
伊勢さん

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 04:33:35 ID:U1qh1kEv.net
室町幕府は、将軍義尚が25歳で早死にしたのが痛い。酒ばっかり飲んでいた。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:48:20 ID:3/TNLlj2.net
316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:42:16 ID:1tG07OJg
【おれたちの嫌いな三成】お国言葉で七将襲撃

ピンポーン!(家康伏見屋敷)
清正(尾張)「武断派代表の加藤だけどよう、三成さん、みえなさる?」
正則(尾張)「三成ーっ!こんたぁーけ!
       おみゃぁ、首でも洗って待っときゃあ!」
長政(播磨)「三成ーっ!どこどいや!はよ出てこんかい、このダボケツ!」
忠興(山城)「三成はーん!どこにおらはりますのん?居留守はあきまへんって! 
       はよう出てきなはれー、このあほう!」
家政(尾張)「三成ーっ!おみゃぁ、人の言うこたぁええ加減に聞いとるでにゃぁ
       よ!」
輝政(尾張)「三成ーっ!おみゃぁ、そんなことしとったらだちゃかんがねー」
嘉明(三河)「三成ーっ!おしはこすい奴だなー」
清正(尾張)「三成ーっ!いい加減だがやしあらすか〜と、殺すぞー!」
正則(尾張)「三成ーっ!わしはおみゃあにどえりゃ〜頭だがやきたぞ!」
長政(播磨)「三成ーっ!このくそダボが!まだそこに居るのんは、
       わかっとーのんじゃー!」
忠興(山城)「三成はーん!いつまでうちら待たせるおつもりですのん?
       ええかげんにしておくれやす!あんたはんがそこにおらはるんは、
       うちらにはようわかってますのやー」

輝政(尾張)「あのよぉ。微妙なのが一人ほど混じっとるでにゃあか?」
嘉明(三河)「細川越中、おしはいせてやっとるだら?」
忠興(山城)「いややわぁ。うちは皆さんと違うて氏も育ちもええから、
       ついついこんな時でも優雅になってしまいましてなぁ」
家政(尾張)「長政の言葉、柄が悪すぎじゃあらすか〜か?」
忠興(山城)「黒田甲州はヤクザみたいで、ほんま、品があらへんなぁ…」
長政(播磨)「じゃかましいんじゃー!越中もいてまうどー!」

面白かった。皆お国言葉でww

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:40:34 ID:mmvkWj4Z.net
NHK細川ガラシャあげ

ガラシャを殺した家臣がどうなったかとか話がなかったな

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 21:40:33 ID:UTGpNRw/.net
忠興の変態

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 23:08:56 ID:UhQCZ0qW.net
京、兆って数字の単位だっけ?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 10:41:39 ID:CkQusO5r.net
義輝と藤孝との仲って良かったのか?
あとなんでこいつ義昭を裏切ったの?いくら義昭が馬鹿なマネをしたからって自分の
兄弟を見捨てるなんて最低なやつだな。和田は義昭についていたったのに

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 14:26:04 ID:POG+OmJ0.net
>>97
親父と嫡男を見限った武田信玄の立場はどうなる

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:26:10 ID:Z6I/qc8P.net
>>97
和田は信長と義昭が決裂する前に死んでるぞ。その息子のことか?

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:54:21 ID:+bN07+xa.net
>>96
元はね

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:53:57 ID:ke2Z418q.net
京兆尹だね、右(左もだけど)京大夫の漢名
漢代ぐらいからかな?この官名あるの
首都の長官っていうような意味ですね

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:01:00 ID:t6IAag6d.net
京職だったのですね
ありがとうごさいます
典廐は自分で調べます

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:43:25 ID:+audg/Zu.net
典廐は右(左もだけど)馬頭の漢名

104 : ◆Cry/RhdmAo :2006/11/24(金) 08:13:52 ID:Vl6oEPfN.net
tt

105 :つー`) ◆Cry/RhdmAo :2006/11/24(金) 08:16:29 ID:Vl6oEPfN.net
ll

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:22:10 ID:dnqP/aO3.net
頼之・勝元・政元より藤孝・忠興親子のほうが有名というのは理不尽すぎる。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:53:28 ID:QNIZ+pzv.net
有名人がいるだけでも斯波よりまし

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:25:23 ID:QTmNV2Pi.net
>>107
つ斯波義廉(元々は渋川家の人物だけど)

分家も含めれば、斯波(最上)義光も有名だよね

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:19:28 ID:sbqsgOeh.net
主筋より傍系のほうが台頭するのはよくあること
大概が室町時代に内紛続きで主筋が衰え、戦国時代に傍系にのっとられる構図
武田とかよく持ちこたえたよな

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 00:04:44 ID:sv9tbbw6.net
ちょっとだけ天下をとった子孫のことはスレ違い?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:45:33 ID:E0LMmsZO.net
幽斎や忠興が長岡と名乗ったのは他の細川家に遠慮したからでつか?

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:52:34 ID:PlUxe9DS.net
>>111

>>21-22

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 01:03:00 ID:hgri/mbn.net
>>110
別にかまわないっしょ。

護煕の首相就任当時、彼を勝元の子孫と勘違いしてた人はかなり多かったような・・・

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:28:20 ID:vc6S2CSW.net
勘違い以前に勝元じたい知らないと思うが。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:03:52 ID:Pd147PBG.net
勝元は有名だと思うんだけど、今では一般レベルだとマイナー?

息子の政元は残念ながらマイナーだよなぁ・・・
実際には勝元を上回る大物だったといえるのに。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 14:16:33 ID:/QmXfrGu.net
勝元は応仁の乱の原因なだけで、事績はそれほどでないよね
どちらかといえば京兆家にとってはプラスにはなっていない

政元は終わりは良くないが、斯波・畠山を排斥し、将軍も無力化したからね


117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:47:13 ID:1c6gzcLI.net
>>114
若干時期がずれるが、細川首相が在任中に大河ドラマ「花の乱」が放映されて
いたから、知っている人はいたかも。野村萬歳が演じていたっけ。まあ
史上最低の視聴率だったからそうでもないかな。それと政元は今井雅之だったな。

>>116
政元は2人の養子とって家中を混乱させた上、暗殺という絵に描いたような
凋落ぶりがまた面白い。評価は人それぞれだろうけど。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:48:27 ID:njL/D9xB.net
いや三人だろ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:41:33 ID:Dc5G1xqS.net
>>107
三管領家で一番格下なのに、なぜか有名人が多い細川。
足利分家の中で最も格上なのに、なぜか有名人がいない吉良。
(俺の中では、大河「太平記」の影響で貞義が有名人だけど)

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:16:43 ID:x7+MMuYC.net
吉良にはあれがいるだろ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:55:32 ID:4928vBMI.net
義央

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 14:59:15 ID:Ys0IIKjF.net
上とは言わないがあえて、斯波と吉良は同格といってみる
この両氏は義詮に禁じられるまで、足利を名乗っていたわけだし

吉良は義氏の庶長子長氏の流れ、
斯波は一代後の泰氏の庶長子家氏の流れと斯波の方が近いし、

畠山は吉良より一代古い、義兼の子義純の流れ
細川にいたっては初代義康の子義清の流れ

本筋に戻すとそんな傍系が台頭できたのは、ひとえに和氏、頼春らの大活躍による

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 02:16:30 ID:3HdLEIZU.net
室町時代なんてどの時期も戦国時代みたいなもんだろ
義満全盛期の頃でさえ応永の乱後の周防・長門守護を
入れ替えられなかったぐらいなんだから
九州も関東も慢性的な戦乱状態で、唯一義持時代に機
内近国で大きな戦乱はなかったというくらいだ
勉強してみると面白い時代なんだが、一般人にはわか
りづらすぎる時代だ。知ってるのはせいぜい金閣・銀
閣ぐらいのものだろう

124 :七資産1970:2006/12/03(日) 12:34:23 ID:zeP0fpXz.net
足利家内部での争い、南朝
拠って立つ名分はいくらでもあるしね

対して中央政府の力は弱いし


125 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 22:19:40 ID:eInnnDIS.net
>>94
小笠原少斎は切腹しました

126 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 11:09:17 ID:X4WfG2ps.net
まあ、ガラシャは死んだのに自分は逃げ延びたという理由で長男の嫁(前田利家の娘)と、彼女を庇った長男を
叩き出すようなことしているから、生きていたら酷い目にあったでしょうね。
(徳川氏の覇権が確立すると見越して、前田との関係を薄めて、徳川とコネ作らせた三男に家督譲るためという気はするけど)

127 :名無篠の戦い:2006/12/23(土) 21:54:52 ID:GoCkLTpt.net
備中家について語ろうぜ

ってなんにもしらないけど

128 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 01:19:19 ID:yzGClvym.net
>>88
秋田じゃなくて福島県の三春藩。
細川京兆家の細川昭元の娘が秋田実季に嫁入りした事から細川京兆家は江戸時代、代々秋田家の家老となった。
1645年から秋田家は福島県の三春藩主5万石となった。
先日福島県三春町の細川京兆家家の墓を見て来たよ。
さすがに立派な素晴らしい墓だった。
反対側にある三春藩家老の荒木家
(丹波の波多野家臣の細工所城主荒木山城守氏綱の子で明智光秀家臣となった荒木氏清の子孫。
荒木氏清の妹が細川昭元の娘の侍女となり、秋田家の側室となった事から、
荒木氏清の子孫は秋田家の家老となり、藩主の秋田家と代々密接な親戚となり、
秋田家に養子を出してついにその子が藩主となって、お家乗っ取りに成功したが、
幕府を巻き込んで大騒動になり、化け猫騒動まで起こった)
の巨大な墓が倒れたままだったのは大変残念だった。
貴重な史跡だから三春町か福島県で何とか保存して欲しいものです。

129 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 10:41:40 ID:LUW/bKTy.net
管領を欲しいままにした京兆家が、蝦夷の末裔を主君に仕えるというのも
なかなかおもしろい歴史の流れですね。

130 :後陽成天皇:2007/01/10(水) 22:10:00 ID:IGxVE+qt.net
幽斎を失うは朝家の嘆きである

131 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 20:33:48 ID:Sy01qxS2.net
晴元スレが落ちたな。ここに合流させるか?

132 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 20:36:48 ID:Sy01qxS2.net
ごめん、勘違いだった。

133 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 19:05:36 ID:nFr3hfUo.net
細川の分裂と三好の謀反で一番得したのって、摂津衆じゃね?

134 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 12:32:40 ID:n+UG/1At.net
う〜ん、まあ三好の謀反に加担して晴元政権を追い込んだのは他ならぬ摂津衆だし。
晴元VS氏綱でもあっちについたりこっちについたりと、好き放題だったな。

135 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 12:52:02 ID:pQ0ZIBqU.net
元長の死も晴元に阿波衆か摂津衆を選ばせた結果だったり
そう考えると恐ろしいな、摂津衆って

136 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 13:08:42 ID:iJTTEtUv.net
それでも結局三好長慶には屈服しなくてはいけなかったのだから、
基盤となる軍事力のない晴元についたほうが、自由にやれたのではないだろうか。

137 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 14:55:26 ID:0pmWZJA5.net
今谷氏の著書の受け売りで申し訳ないが、
晴元が荘園保護派だったのが摂津衆離反の原因って言うから
その辺の利害がからんで三好についたと
狡猾なイメージはあるね、摂津衆

138 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 22:18:03 ID:DFxy+Z+E.net
政元は自分が将軍になるつもりはなかったのだろうか?
細川自体が家臣格だから無理だと考えたのか

139 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 23:13:29 ID:0pmWZJA5.net
そういえば高国が藍甕に隠れてるのをちくったのも摂津の人

140 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 10:21:02 ID:qXEgJo7r.net
>>138
それなんてノブヤボ脳

141 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 15:26:49 ID:6kAF0Mqw.net
やっぱ管領>>>>>>>征夷大将軍だよな
このスレ的には

142 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 01:36:26 ID:q372am0t.net
オファがあったら喜んで将軍職引き受けそうな高国
いや根拠のないただの偏見だけど

143 :人間七七四年:2007/02/17(土) 20:08:57 ID:tz9k1+kv.net
幽斎は国語の教科書に紹介されてるね
さすが戦国一の風流人

144 :関連スレ:2007/02/18(日) 04:31:57 ID:zgNWr4HN.net
細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171715093/


145 :人間七七四年:2007/02/18(日) 10:00:09 ID:Dxt67s49.net
関連スレ増えてきたな。

146 :人間七七四年:2007/02/27(火) 12:08:14 ID:b1TJ6eN4.net
澄之・澄元・高国三兄弟のこと詳しく書いたサイトないですかね?

147 :人間七七四年:2007/03/02(金) 14:36:34 ID:O9un9dfl.net
>>146
知っているのでは

ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/hoso_2ke.html
とか
ttp://www.lit.kobe-u.ac.jp/~area-c/tomatu/background.html
とか

148 :人間七七四年:2007/03/05(月) 02:01:36 ID:ZzS5bHjs.net
>>147
d。読んでみます。

149 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:29:16 ID:NVDUmhrg.net
以前、細川晴元スレに間違って書き込んだ者です。

私の母の実家は、言い伝えでは、阿波守護細川家の末裔らしいのですが、
最後の阿波守護細川家は、実力者の三好家の傀儡と化しており、
それに叛旗をひるがえして、戦い、三好家が徳島から撤退した後の
1582年10月に、何故か細川真之が自害して絶えた事になっているようです。
(ここからは、歴史的に認められていない話です。)
真之には何人か男子が居り、そのうちの二人が生き残り、
兄は愛媛に落ち延び、弟は徳島の片田舎の土豪に預けられたそうで。
徳島に残された弟の方が、母の実家の先祖だそうです。

元守護家といっても、庶民同然の暮らしだったようで、
身分は武士でも実際は近隣の豪農より貧しく、
近所の人に読み書きを教えたり、医者のような仕事をして生活を支えて来たようです。





150 :人間七七四年:2007/04/01(日) 21:56:06 ID:NVDUmhrg.net
つづき、
母方の実家は分家なのですが、
本家の方にも、書き付けとか、系図などは全く残っておらず、
ただ、「細川家の子孫だ」という言い伝えが残るだけでした。

ところが、愛媛に逃げ延びた兄の家系には、
詳しい書き付けか何かが残っていたようで、
歴史好きな当主の方が、徳島の某所に弟の家系が残っている筈だと、
はるばる訪ねて来て、家を探し当ててくださり、
どうやら、言い伝えは本当なのかもなあという状態です。

いずれにせよ、お寺の過去帳しか、家系をたどる物がなく、
家は分家なので、7代しかさかのぼれません。

機会があれば、本家の方に過去帳を見せてもらおうと思います。




151 :人間七七四年:2007/04/01(日) 23:00:42 ID:Fb6wXIlM.net
こういうときDNA鑑定って使えるもんなんだろうか

152 :人間七七四年:2007/04/02(月) 00:06:46 ID:appg/RuR.net
>>.151
>こうい
うときDNA鑑定って使えるもんなんだろうか
無理。戦国時代の頃の先祖なら10世代くらいじゃ聞かないでしょ。
2乗で先祖の人数は増えていくんだから。

それに例えば、どの世代で兄弟だったかも特定できないはずから
先祖が同じという結果がでたとして、それが細川真之だと特定する証拠がでてこない。




153 :人間七七四年:2007/04/02(月) 03:10:01 ID:vybUi3hg.net
おいらは可能だと思う。2桁くらいの世代交代ではゲノムDNAはほとんど変わらん。

問題は、阿波系統と本家や他の系統の区別は、オリジナルDNA使っても、
たぶん違いはわからない(ほとんど同じ)だから、
DNA以外の手段で”言い伝え”以降他の細川家と血筋的に無関係と確認できた状況なら、、
現在の細川家本流と比較し似ている特徴が多ければ、断定できるかもしれない。

ただ現在の細川家の特徴を確定するところからはじめるから、現実的にはごっつい大変だと思う。

154 :人間七七四年:2007/04/03(火) 08:38:07 ID:QDaHQM0q.net
どうも、149です。
DNA鑑定、面白そうですね。
母の実家の本家と、愛媛の方がDNA一致すれば面白いのでしょうが、
なにせ、400年以上前のお話です。どうなんでしょうね?

母の実家も分家して一代目で当主、子供が相次いでなくなってしまい、
残った奥さんに新たに婿をとっています。
一応、本家の縁続きの者だったらしいのです。
(そうでないと、わざわざ家を残す意味も無いのですが。)
家の血統と本家の血統も、だいぶ離れてしまっていると思います。

祖父が詳しい話を知っていた筈ですが、
残念ながら、聞く前に亡くなってしまいました。
(私自身、あまり興味が無かったのです。今思うと残念です。)

大阪へ転出していた本家の方が、定年後、田舎に帰って来られたそうなので、
実家に行ったついでに、話を聞きに行ってみようと思います。







155 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/04/03(火) 11:23:58 ID:H6/N/u1v.net
世代を経ても継承されるある種のDNAのうち同一起源を特定するためにサンプリングされるものは
女系の直系にしか見いだせないと何かの本で読んだ気がする
日本の武家の場合、特に男系の一子相続が基本にあり
しかも血縁がなくとも頻繁に養子を入れて相続させるから(中には女系で繋がる場合もあるが)
仮に鑑定してみても思うような結果が得られない可能性は高い
逆に商家などは嫡子がいても継がせずにわざわざ娘に入り婿を取って家督を継がせることを
半ば慣例的にやってるから、DNA準拠で血統判定を行なう場合には
むしろ商家のほうが求める結果を得る確率は高いといえるかもな

156 :149:2007/04/16(月) 09:11:30 ID:7gfq+BV4.net
えらい底のほうに沈んでいるようなので、
保守上げさせていただきます。
新しい話題は有りません。すみませぬ。

157 :149:2007/04/16(月) 09:12:19 ID:7gfq+BV4.net
いや、上がってないって(w

158 :人間七七四年:2007/05/01(火) 00:10:39 ID:Xlf1UOoJ.net
>>138
細川家は足利の傍流だから義澄の養子になる手もあっただろうが、実子のいない政元にその気がなかったんだろ。

159 :人間七七四年:2007/05/04(金) 00:52:20 ID:iQPmeMdP.net
晴元はマジで人望低いな池田信正を自害に追い込み、

160 :人間七七四年:2007/05/04(金) 01:21:53 ID:ro6k8q/s.net
政元以降誰か人望厚かった人いた?

161 :人間七七四年:2007/05/04(金) 07:06:59 ID:3+cYPFEA.net
>>160
政元で直系が絶えて、求心力を失ったんだろ。
実質的には、政元暗殺で戦国時代が始まりだからな。

162 :人間七七四年:2007/05/11(金) 21:48:41 ID:2KSUs0AW.net
>>159
まあ父親の澄元はそんな話題もないから、
そういう点ではキャラ立っているんじゃね?

163 :人間七七四年:2007/05/19(土) 20:15:21 ID:WBH19p7I.net
1524年時点での細川家傘下の各地の国人衆の名前を探してるんですが、どこかにありませんか?

164 :人間七七四年:2007/05/21(月) 06:01:18 ID:XSa6ONRX.net
>>163
昔この板の近畿スレでいろいろ詳しく書いてあったサイトのリンクが貼ってあったと思う
そこならもしかしてあるかも

165 :人間七七四年:2007/05/24(木) 01:44:40 ID:3sLBgimF.net
肥後細川家は「細川」を名乗るな
今からでも長岡と名乗れ

166 :人間七七四年:2007/05/24(木) 12:38:57 ID:w2+j89IS.net
細川家や将軍が近江を逃亡先に選んだのはなぜですか?

167 :人間七七四年:2007/05/24(木) 20:09:27 ID:5dQ9OncB.net
>>166
そりゃ六角氏の支配が安定してるし、山道行かずにすむし、それにだいたい敵は大和か摂津から攻めて来るから。

168 :人間七七四年:2007/05/25(金) 23:52:58 ID:PnptqIvV.net
朽木谷は山間部にあって攻めにくい。朽木氏は幕府奉公衆で安心できる

169 :人間七七四年:2007/06/04(月) 21:58:19 ID:b/sQByyp.net
北条得宗家が牛耳ってた鎌倉幕府が一番だな
鎌倉攻め時に劣勢の幕府軍(北条一族)から寝返りが出てない
細川京兆家なによ…

170 :人間七七四年:2007/06/04(月) 22:29:12 ID:guTBnVzA.net
細川京兆家は、政元で滅亡だろ。家臣が裏切ったのは、得宗家も同じ。

171 :人間七七四年:2007/07/18(水) 14:08:11 ID:nxiKYl/E.net
>>170
それじゃ、澄元や晴元が可哀想だよ

172 :人間七七四年:2007/07/21(土) 16:12:36 ID:wGa8VO6P.net
岡崎の細川小学校出身の琴光喜が大関昇進!

173 :新参者:2007/08/03(金) 23:50:49 ID:IfKjOexE.net
2ちゃんねるの流儀が、まだよく分からないのですが、
よろしくお願い致しますm(__)m

久米義広の室が、細川持隆の妹であるというのを、よく見掛けるのですが、
県立図書館にある本で調べても、その出典というか、根拠が分かりません。

どなたか、ご存知の方、いらっしゃいませんか?



174 :人間七七四年:2007/08/04(土) 09:38:29 ID:eOg0sGOh.net
政元はなぜ養子を3人も取ったんだ?

175 :人間七七四年:2007/08/05(日) 01:42:52 ID:cSokRTGA.net
ホモだったから。

176 :人間七七四年:2007/08/05(日) 16:09:04 ID:bFj7RG0z.net
政元以降は、分家同士のあらそい。
せめて両刀使いだったら、細川京兆家も安泰だったし戦国もなかったろうに。

177 :人間七七四年:2007/08/31(金) 19:33:23 ID:XDS6iaSB.net
そりゃあ北条は鎌倉幕府初代から一族ぐるみで
頼朝の直系や他のライバル御家人一族を謀殺しまくって頂点を独占したことで
ず〜っと美味しい汁吸い続けてたんだから結束力は強いだろww

178 :人間七七四年:2007/09/28(金) 15:48:56 ID:u6OD5dkn.net
細川は斯波や畠山、山名や大内を始めとしてライバル多いから
北条の権勢見た、将軍家の策と思うんだけどね

179 :人間七七四年:2007/10/05(金) 22:50:06 ID:6KQg6phu.net
足利尊氏の時代は、身内でも簡単に南朝に寝返るから領土で繋ぎ止めるしかなかったんだろ。いざ鎌倉っていうような忠誠は、持てなかったんだろう。

180 :人間七七四年:2007/10/25(木) 13:45:25 ID:eD2MNq1T.net
細川で南朝に走ったのは清氏か
斯波も反抗してるしね
そもそも尊氏と直義が争ったあたりが問題なんだよなあ


181 :人間七七四年:2007/11/04(日) 08:21:18 ID:U1s/AA2N.net
よくわからないんだけど、青森県で津軽藩出身なんだけど
爺ちゃんの従兄弟が肥後細川家の出なのでいまだに殿様と呼んでいる。
津軽氏と細川氏の関係がわからない。俺にも忠興の血が流れてると聞いてる。
詳しい人頼みます。家紋は細川家九曜別姓です。


182 :人間七七四年:2007/11/04(日) 08:24:24 ID:U1s/AA2N.net
あげないと返答ないか。

183 :人間七七四年:2007/11/04(日) 10:04:13 ID:IJM7vKIx.net
>>181
幕末に細川氏から、津軽氏に養子が入っているからじゃないのかな?
最後の藩主の津軽承昭って人が細川氏からの養子です。

184 :本当にあった怖い名無し :2007/11/04(日) 10:38:23 ID:U1s/AA2N.net
>>183
ああっそうか。回答有り難うございます。
謎が解けた。でも本来なら津軽氏を名乗りますよね?
何で主家は細川なんでしょかね。津軽承昭じゃ無くて細川アヤチャンだそうです。
細川アヤチャンは誰ですか?
天皇青森御幸の際、案内役に任ぜられました。

ちなみに弘前藩を佐幕から官軍への変更を殿様へヒイヒイ爺さんが具申
従五位下を朝廷から賜ってます。

185 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/11/16(金) 01:21:30 ID:PrJHQ0+X.net
近衛・津軽・肥後細川

戦国期の系図下賜から始まってるのに、明治期に入ると物凄い近親になってるな。

186 :人間七七四年:2007/12/04(火) 15:52:22 ID:NdWa2UB2.net
政元については結構語られるけど 勝元はどう思います?

187 :人間七七四年:2007/12/10(月) 16:06:21 ID:BOmyVJiW.net
京兆家は今も存在するの?
つまり子孫がいて家を継いでいるのか?
前に京都に京兆家があるというカキコ見たんだが

188 :人間七七四年:2007/12/10(月) 18:56:40 ID:9nH8Ogoq.net
>>187
子孫だけならいくらでもいるだろ。

189 :人間七七四年:2007/12/11(火) 01:06:33 ID:Axaet7fO.net
徳島の小学校の先生やってた人が、もしかしたら阿波屋形家の子孫かも。


190 :人間七七四年:2007/12/12(水) 19:23:15 ID:B3K8Mndb.net
細川昭元の子孫は秋田藩士になってたから、家としては残ってるんじゃね?
いつ京都に戻ってきたのかは知らんけど。

191 :人間七七四年:2007/12/28(金) 16:05:28 ID:or8QQKaS.net
頼範の晩年はよくわからないんだよね

192 :人間七七四年:2007/12/29(土) 18:43:06 ID:ONCMisvv.net
細川昭元は名前がいいねえ
京兆家らしく足利義昭の名を貰ってて。

193 :人間七七四年:2007/12/30(日) 15:50:46 ID:HsfpKkBb.net
最初は満元だね。
その後持之−勝元−政元−澄元−晴元−昭元
勝元だけ違う〜そうだ義勝か。

194 :人間七七四年:2007/12/30(日) 18:07:05 ID:aBStunxS.net
足利義昭に鞆まで付き従った忠臣に細川昭賢っていう方がいるんだけど
名前からすると京兆家の一門でしょうか?
系図わかりますか?

195 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 :2007/12/30(日) 19:02:45 ID:omvzCBCi.net
晴賢の子くらいっぽいな。

196 :人間七七四年:2007/12/30(日) 20:56:47 ID:pFXCw/aX.net
>>194
○賢(○は将軍からの偏諱)なら、典厩家の出身(195さんがいっている一族)でしょうね。
一国の守護ではない(分郡守護)けど、京兆家と関係が深い有力な細川一族です。

ttp://kamigyo.doshisha.ac.jp/details/61_tenkyu.html

ttp://heartland.geocities.jp/fuumi1999/2-2-5.htm


197 :人間七七四年:2007/12/31(月) 12:21:32 ID:U/n+27iU.net
織田信長の義弟になった京兆家の細川昭元や
織田信長の家来になった細川藤孝よりは
比べられないくらい忠臣だね。

198 :人間七七四年:2008/01/01(火) 07:06:04 ID:M009ijN3.net
俺、細川なんだけど。先祖は出石藩士か豊岡藩士だとか親戚のおっさんが昔、語ってた。眉唾もんだけど

199 :人間七七四年:2008/01/04(金) 13:51:16 ID:8RM6+6wU.net
以前149で書き込んだ者です、
正月、母の実家に帰ったついでに本家に行って調べてきました。
いろいろな事実が分かりましたが、
どうも家と細川阿波守護家の関係を辿るのは、かなり難しそうです。

本家の伝承によると、家の先祖は、細川持隆が三好義賢に討たれた時に、
乳母の実家にかくまわれた者で、江戸時代は、ずっと別の名字
(乳母の家の姓)を名乗っていたようです。
明治になって、本家の当主が、うちは細川家の子孫で有るとして、細川姓にしたもので、
江戸時代の分家である母の実家も、同時に細川姓にしたもので、それ以前は、
やはり別姓であったようです。

江戸時代に細川姓にしていたのであれば、蜂須賀家の家臣の記録など、
公の記録にも残っているのでしょうが、明治新姓の時期に改姓したものなので、
裏の取りようが有りません。
先祖が嘘をついているとは思いませんが、
詳しい調査は非常に困難だと思います。
私がこれ以上調べるのは止めにします。

本家の御当主は、私と話して、逆に先祖調査に興味が湧いたようなので、
いずれ何かの進展があるかもしれません。

なにか情報が入りましたら書き込むかも知れません。
またよろしく。







200 :人間七七四年:2008/01/06(日) 02:20:12 ID:ZZrv9JzM.net
天下泰平の江戸時代に、没落していた三好氏を憚ってまで?、別姓を名乗る必要性があったのか?

201 :人間七七四年:2008/01/06(日) 13:11:17 ID:decrHlGu.net
阿波細川氏は下屋形とよばれる管領京兆家に次ぐ相伴衆の家格の名家です。
ただし乳母の実家の名字を名乗った時点で細川氏の子孫ではないです。


202 :人間七七四年:2008/01/06(日) 20:41:39 ID:umSSmEgF.net
つーか憚ったとすれば、熊本の細川氏を憚ったんでないかい?

203 :人間七七四年:2008/01/08(火) 02:23:18 ID:Xm0INfjR.net
蜂須賀家の足利(平島)家への扱い見ていたら、
わざわざ名乗りをあげる気にはならないでしょ。
他の名家好きの大名に仕官するにも、それこそ長岡さんに遠慮しなきゃいけないし。
難しい立場だったんじゃ無いの?


204 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:01:59 ID:WsM74kcd.net
細川持隆の子供ってことなら、兄弟が傀儡とはいえ三好氏に擁立されているから
ずっと隠れていたってのは眉つばな気がする。

武士として家を立てることは出来なくとも、坊主になるくらいで許してもらえそう。



205 :人間七七四年:2008/01/08(火) 23:25:17 ID:Xm0INfjR.net
細川真之と、三好義賢の息子、三好長治・十河存保は母親が同じ。

母親が、小少将以外の人物なら、身を隠す必要があった可能性は高いよ。
もっとも、同母の兄弟が結局殺し合いしてるのだから、結構無茶苦茶な家だよね。



206 :人間七七四年:2008/01/09(水) 00:24:28 ID:a4xbzgej.net
>>205
室町幕府の大大名家はそんなのばっかりだろ。

207 :人間七七四年:2008/01/09(水) 12:57:42 ID:r3qUyd5E.net
小少将の夫や子どもはみんなろくな死に方してないね。
「傾城の美女」とはまさに彼女のこと。

208 :人間七七四年:2008/01/11(金) 15:43:09 ID:if9hAiuW.net
義輝の子とかも表舞台に出てこなかったじゃん

209 :人間七七四年:2008/01/26(土) 10:18:41 ID:nT7PAxpB.net
>>194
藤賢の子ではなさそうですね、信長に従ったようですから

210 :人間七七四年:2008/02/12(火) 15:01:00 ID:CwDHHn1S.net
藤賢の流れは重賢ー乗賢とつづくようだけど、どこにいたのだろ?

211 :人間七七四年:2008/02/26(火) 14:51:47 ID:YsHSJ8Kd.net
系図もそこで切れてるね。

212 :人間七七四年:2008/03/02(日) 06:24:22 ID:WEN+Wl9p.net
>>194
ググってみると、細川晴元の次男じゃないかって推測してる人がいるな。

1.「細川両家記」に、晴元の次男が六角家に保護されているという記述がある。
2.足利義昭に従った人物に細川家臣の薬師寺弼長がいる。弼長の弼は六角義弼の弼らしい。
3.細川家と六角家の関係から、六角義賢の一字書き出しを受けた晴元の次男では?

ということらしい。

義昭としては昭元に信長方からの離反を期待しつづけたろうし、
自分の傍にいる昭賢を京兆家の家督にすると昭元の内通はありえないことになるから、
細川氏庶流の中でも随一の格式の高さを持つ典厩家を継がせたのかもね。

213 :人間七七四年:2008/03/17(月) 17:41:09 ID:9kzQoUwh.net
なるほど晴元次男説も面白いですね

214 :人間七七四年:2008/03/20(木) 14:18:01 ID:NZryYHJs.net
>>213

>>212の言ってるサイトって残念ながら佐々木哲だと思う

215 :人間七七四年:2008/03/23(日) 13:18:21 ID:9t+XaQTd.net
細川蔵人家

216 :人間七七四年:2008/04/07(月) 15:32:46 ID:55ZRQph1.net
元春が興味深いね。

217 :人間七七四年:2008/04/13(日) 03:25:12 ID:iZu7QRvp.net
>>214
佐々木哲って、六角家の系図にこだわってるアノ人かw
だが、実際に史料から読み取れる事実だけで推測されてるなら問題ないかと。
典拠史料が例によってアレだったり推測がアレだったりしたら、目も当てられないけどw

218 :人間七七四年:2008/04/15(火) 15:51:14 ID:PtSNXwzZ.net
>>214
戦国時代は六角氏を中心に回ってると言うスタンスだから推測がアレなんだろうな

219 :人間七七四年:2008/04/30(水) 16:07:31 ID:tocvD0PN.net
実際六角は義材〜義輝の時代 政局を左右する力持っていたけどね。

220 :人間七七四年:2008/05/08(木) 23:44:25 ID:vfVwDeeF.net
蔵人細川家は実際は典厩家あたりの子孫なんじゃね。
あの系統は信長臣従後の足取り不明だし

221 :人間七七四年:2008/05/15(木) 13:22:54 ID:9jr4u9t4.net
>>219
それはないw>六角
六角ごときは、所詮本格介入しても三好の優勢を覆せなかった程度の勢力。
かつての細川政元や大内義興クラスじゃないと、政局左右するとは言えんよ。

222 :人間七七四年:2008/05/15(木) 19:17:34 ID:+1EnLiaw.net
六角と言えば、秀吉が織田家につかえる前は六角家に仕えていたと言う説があるな。

223 :人間七七四年:2008/05/16(金) 07:56:26 ID:sU+XWkjm.net
なんかトンデモ六角に侵食されてるな

224 :人間七七四年:2008/05/16(金) 12:04:41 ID:hu2Prvuf.net
>>221
六角氏について言えば、定頼は明らかに幕政に参画しているぞ。
事案を内談衆(将軍義晴の側近グループ)が定頼に意見を求めたり、
逆に定頼が口入したりしている。細川晴元とも和睦してるしね。
また、朽木動座も定頼の進めによるものだしね。

六角義賢の代になると、また話は別だけどね

225 :人間七七四年:2008/05/17(土) 13:17:56 ID:Jl+BYBpk.net
>>224
幕閣に参与する≠政局を左右する

繰り返すが、六角は政局を左右するような大した勢力じゃない。

226 :人間七七四年:2008/05/18(日) 10:35:25 ID:k3OEBFua.net
細川・三好に勝てないまでも、対抗できる畿内勢力といえば六角くらいなんだから
(あとは法華とか一向宗門徒くらいかね)
六角の意向が政局を左右したとはいえるんじゃね?

政局を左右するってのは別に2大勢力とかじゃなくてもOKなんだし。
今の政治で公明党(創価学会)が勢力の割りに発言力が強いのと一緒。



227 :人間七七四年:2008/05/18(日) 11:30:37 ID:yqPKEYzI.net
だからといって六角がキャスティングボードを握った事例があるわけでなし。

228 :人間七七四年:2008/05/18(日) 19:18:45 ID:mdKl6fDz.net
政局が右や左に傾くのを、ちょっと左、ちょっと右に戻すぐらいの存在だろ>六角

近江に将軍が逃れた際にそれを立てて反将軍勢力と戦った、なら一勢力だろうが……
六角「将軍を京都に戻してやんなよ三好さん。かわいそーじゃん」
三好「もう、あんたがそこまで言うならしゃーないわな。戻るの許したる」
将軍「やったー! 六角さんサンキュー」
とか
六角「将軍さん、匿ってあげるからこっちおいで〜」
将軍「はーい」
細川「また近江逃亡かい! 出兵もめんどいからほっとくっつの」
とか、こういうのを幕政に参加とか政局を左右とは言わんだろ。

229 :219:2008/05/19(月) 15:20:04 ID:58MwdcDB.net
私が悪うございました。書き換えさせて頂きます。
政局を左右→畿内では存在感があった。

230 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 18:16:56 ID:cccVKFL4.net
ていうか六角は京都最近郊の大大名だから政局は左右できるだろう(笑)
足利に対して、あるていど節度ある行動を常にとったのは
六角くらいだろう。

231 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 19:49:18 ID:Xsm7lZ/r.net
なんだかんだで浅井氏を服属させて
事あるごとに将軍を庇護して
管領代として幕政に参画してたわけで
キーマンのひとりではあるだろう

232 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 20:08:28 ID:/INGsCLy.net
>>230
それは六角氏というより六角定頼だけなんじゃ?w

233 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 20:23:38 ID:Q6xXCBHn.net
その定頼すら江坂の合戦で最後まで出兵を渋り、細川京兆家(ひいては幕府)の最終的な没落を
見過ごしたっつー輝かしい実績をお持ちな訳だが。

積極的に中央の政治に関与する意思も、実際に反映させる力量も持たない勢力の事を
『政局を左右する大大名』と呼ぶのか、最近は?

234 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 03:10:10 ID:mhNdZ68l.net
>>233
呼んでいるのはごく少数で大多数は呼んでないと思うが。
江坂の戦い→江口の戦い


235 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:22:33 ID:2oBz+EC4.net
>>233
最近は呼ぶんだよーっ。
勉強になったか!。

236 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:17:42 ID:5zycE6vz.net
話しぶった切って申し訳ないが

ttp://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f68671153

ヤフオクで浮世絵検索してたら発見。
「和氏」じゃなくって「員氏」なのは、ただ単に当て字なだけだと思う

237 :人間七七四年:2008/06/19(木) 14:15:18 ID:1yOgfvFc.net
歌川芳員が書いたからとかは?

238 :人間七七四年:2008/06/28(土) 14:29:25 ID:dCiWEugv.net
和氏の子孫っていなかったんだっけ?

239 :人間七七四年:2008/06/29(日) 14:58:41 ID:gp0+vl3e.net
子の清氏までは主流
その子の正氏以降もつづいたみたいだけど・・・

240 :人間七七四年:2008/07/10(木) 15:14:35 ID:qrLcA8Ki.net
清氏は何で南朝に?頼之の策謀か?

241 :人間七七四年:2008/07/11(金) 01:16:49 ID:4QejQ3vU.net
>>240
幕府の内部抗争の結果
(佐々木道誉との対立の結果と太平記にはある)

室町幕府は有力守護の寄り合い所帯的な風があったので、
内部抗争に敗れた側が南朝に寝返るなんてのはよくあった
畠山国清のように寝返ろうとして拒否されて、結果路頭に迷って死んだのもいるけど

242 :人間七七四年:2008/07/11(金) 13:02:27 ID:nm+y5XnB.net
南北朝の時代は、南朝系の流れ、尊氏(師直)系の流れ、直義系の流れが中央から地方から入り乱れてて
わけわからん。

243 :人間七七四年:2008/07/16(水) 00:35:33 ID:dFk7t77k.net
家、潰さなかっただけ定頼はそれなりに器量人だろう。暗愚なら、三好家中の長頼あたりが山科越えて攻め潰しとるわ。

244 :人間七七四年:2008/07/30(水) 15:12:42 ID:s4/FgCmr.net
暗愚ではないでしょう、影響力を考えたら

245 :人間七七四年:2008/08/02(土) 09:30:51 ID:QwgH301c.net
むしろ良くやった方だろ

246 :人間七七四年:2008/08/13(水) 15:31:38 ID:nhJQeVqZ.net
最盛期とさえ言えるんじゃないかな

247 :人間七七四年:2008/08/13(水) 20:29:41 ID:/dcWMJOC.net
郭が多過ぎて主郭を中心とした求心的構造(縄張り)ではないとはいえ、観音寺城の規模は半端じゃないしなぁ。歴代の築城整備の蓄積ではあるとはいえ、あの城はすごい。

248 :人間七七四年:2008/08/25(月) 14:04:22 ID:pL1EHqzg.net
晴元には頼りにされたでしょ。

249 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:35:04 ID:bsPsh0kN.net
定頼が晴元を庇護したのは、官領家を支えるのは自分しかいないという自負、矜持だったのかな。三好との対抗・抗戦に必要だから?一方で、入洛した信長が昭元を保護したのは、やはり官領家を従えて抱え込む利、幕臣の懐柔、昭元は害なしと判断したからなのだろうか。

250 :人間七七四年:2008/08/25(月) 21:36:33 ID:bsPsh0kN.net
↑ 官領× 管領○ 変換ミスった

251 :人間七七四年:2008/08/31(日) 20:46:14 ID:4SiTeJ71.net
>>249-250
その変換ミスは読みを間違えてるから。
「管領」は「かんれい」な。

252 :人間七七四年:2008/09/09(火) 15:19:35 ID:VPmJKf/4.net
定頼の婿様だからね晴元

253 :人間七七四年:2008/09/11(木) 19:31:53 ID:jQjG1vbF.net
細川、山名は始めは仲良くしてたけど、結局争って戦国時代に突入した。
古い家系の名門は、足利幕府という安定した権力があってこそ権勢や富貴を維持できるけど、
下克上になってしまうといずれ没落する。

254 :人間七七四年:2008/09/22(月) 14:56:09 ID:0QdpwvVO.net
京兆はよそからみるともった方だけどね。

255 :人間七七四年:2008/09/22(月) 15:33:43 ID:hzc4SQH0.net
京兆家はむしろ戦国の最後のほうまで権威を保ったって感じだよな

256 :人間七七四年:2008/09/27(土) 13:42:56 ID:2rV+hiuN.net
そんな最後の方まで権威あったか?

257 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:13:55 ID:CN0lpo3W.net
山名は宗全死後、赤松に播磨を奪われて後に伯耆と但馬で一族分裂して争い、早々に中央政局とは無関係に。

斯波氏は応仁の乱で二つに別れて争ったが越前は朝倉氏、尾張は織田氏に実権を奪われて没落。東北の斯波御所は除く。

畠山も二つに分かれて争った揚句、家臣に実権を奪われた。

細川家はそれらの中では1549年まで実質的な管領として権力があった。


258 :人間七七四年:2008/10/03(金) 23:46:38 ID:pFcz+0GQ.net
なんのかんので晴元くらいまでは、強力な軍団持ってたんだよなあ。

259 :細川氏ってどお?:2008/10/10(金) 15:34:29 ID:wB4wK8J3.net
ご存知の方へ。1つ質問があるのですが…。
延徳3年(1491)管領細川政元が秘かに越後を訪問したとのことですが…、
それはどれくらいいたのでしょうか? また私の資料には3月3日に東国(越後?)を巡回したとの事ですが…
それは本当なのでしょうか? なんでもいいので情報待っています。一応「関東王 越後守護 上杉房定親子」スレにも書きました。恐々謹言。




260 :人間七七四年:2008/10/10(金) 19:26:32 ID:Gr+/n/0H.net
>>259
細川政元が北陸路から越後に入り、上杉房定、房能と会見したのが延徳3年3月20日。
その直前に足利義材から近江出陣命令が届いていて、予定の白川に向かうことが出来ず
越後国府を発ったのが4月10日、帰京したのが4月28日。

261 :細川氏ってどお?:2008/10/13(月) 15:36:15 ID:hEfmoIx9.net
>>260さんへ。突然の質問に対して答えていただき有難う御座います。
ありがたく参考にしますね。

>>258さんへ。細川晴元の軍事力の根源は…、私見ですが…、
阿波三好氏を頂点にして小笠原一族が結集していた事じゃないの?


262 :人間七七四年:2008/10/13(月) 15:48:49 ID:6VcM/R3p.net
晴元はむしろ畿内ひいき

263 :人間七七四年:2008/10/13(月) 21:15:44 ID:ziHm6GIl.net
>>261
晴元までの京兆家を支えたのは間違いなく内衆。
というか晴元は三好氏の軍事力にほとんど依存していないと思うが。
また三好氏が軍勢を率いて畿内に攻め上ることができたのも細川家あってのことで、
資金源は内衆を中心とする畿内の細川氏基盤に依存してるぞ。

264 :人間七七四年:2008/10/14(火) 00:55:27 ID:g34sVhLb.net
京兆家は三好に依存してるだろ。之長も元長も長慶も細川軍の主力だったし。
だから江口で長慶が氏綱に味方したら一気に崩壊。

265 :人間七七四年:2008/10/14(火) 05:46:36 ID:43pvUQIU.net
摂津池田あたりもお忘れなく

266 :人間七七四年:2008/10/14(火) 19:09:50 ID:g34sVhLb.net
本当は畿内衆に頼りたかったが三好に頼らざるえない状況だったのだろうな

267 :人間七七四年:2008/10/15(水) 01:40:08 ID:9gjTm4R+.net
細川氏の場合、大きくわけて摂津系(茨木長隆など)と阿波系(三好元長父子)の
被官といるからな。


268 :人間七七四年:2008/10/28(火) 14:28:52 ID:piN1Epug.net
この両者が仲が悪い。

269 :人間七七四年:2008/10/28(火) 14:36:42 ID:j+Fdfr9L.net
主導権争いはいつの時代も大変だ

270 :人間七七四年:2008/11/07(金) 15:34:45 ID:BlT3p0+N.net
阿波勢が威張っていた面もあるんだろうな

271 :人間七七四年:2008/11/07(金) 16:15:51 ID:MdlAUSIF.net
最終的には阿波衆が乗っ取った様な形だしね。

272 :人間七七四年:2008/11/08(土) 04:37:55 ID:qOkrVdaC.net
明応の政変の時点では政元ってまだ20代なのな

273 :人間七七四年:2008/11/08(土) 13:27:16 ID:w+XFgYBi.net
>>272
しかも義材とは同い年だしなあ。同い年って、お互いにお互いを見くびりやすいのが困りもの。

274 :人間七七四年:2008/11/08(土) 14:30:57 ID:9udSSOgx.net
復帰できて喜んだ義視がやりたい放題やって敵作りすぎたからな
義材も側近だけにいい顔する傾向があったみたいだし

275 :人間七七四年:2008/11/08(土) 15:54:58 ID:w+XFgYBi.net
>>274
義尚の奉公衆を排除して自分の奉公衆をばかり優遇したので、奉公衆自体がガタガタになったらしいね。

276 :人間七七四年:2008/11/18(火) 13:12:19 ID:94jHFNOo.net
義視と義尚の争いが 最後まで尾を引く訳だね。

277 :人間七七四年:2008/11/18(火) 15:57:27 ID:vu+4blV7.net
つーか応仁の乱で、義視は西幕府を構成して、独自の奉行衆、奉公衆を組織しちゃったからねえ。
それを受け継いだ義材が将軍になれば、その人材を使うのは経緯から行って当然なわけで。

これに関しては「自分の妹の子だから」って理由だけで、義材の将軍就任を後押しした
日野富子が一番悪い。日野富子もすぐそれに気がついて政元に接近するし。

政元は最初から清晃の擁立を主張してたようだし。尻拭いをさせられたって感じでいたかもね。

278 :人間七七四年:2008/11/20(木) 20:46:58 ID:I5O/HUb2.net
義尚の奉公衆なんて結城なにがしみたいなロクでもない奴だらけだから
排除しやすかったともいえる

279 :人間七七四年:2008/11/20(木) 22:41:00 ID:vXO40PFa.net
Wikpediaで、”崇徳天皇”引くと、

>室町幕府の管領であった細川頼之が四国の守護となった際に
>崇徳天皇の菩提を弔ってから四国平定に乗り出して成功して以後、
>細川氏代々の守護神として崇敬されたと言われている。

との記述あるんですけど、これの一次資料(出典)がわかりません。
細川繁氏が崇徳のたたりで亡くなったことの出典は「太平記」とか、
そのへんはすぐ調べがついたのですが、頼之が崇徳の菩提を弔った
なんて話は、見たことがなくて・・・・・。

 もしご存知の方、いらっしゃましたらご教授のほど、よろしく。


280 :279です:2008/11/21(金) 00:02:28 ID:wpfF5Xuz.net
”崇徳”2箇所は”崇徳天皇”の誤りです。訂正いたします。


281 :人間七七四年:2008/12/02(火) 11:19:42 ID:sdaMBEFQ.net
>四国平定
いつの話だろうね

282 :人間七七四年:2008/12/06(土) 20:50:41 ID:JRF8OqB2.net
四国は南朝が強いとこだったけど
それをあっという間に蹴散らしたのが細川
細川氏はある意味じゃ高氏よりも武功でのし上がった家

283 :人間七七四年:2008/12/19(金) 14:59:15 ID:erYZjTgf.net
四国平定に活躍したのは頼之か

284 :人間七七四年:2008/12/21(日) 23:42:15 ID:O6Xknuur.net
頼春流だけじゃなく、和氏や顕氏、定禅、皇海もいるぞ

285 :人間七七四年:2008/12/30(火) 14:54:20 ID:vBh6xJff.net
頼之が策士なのかな。

286 :人間七七四年:2009/01/07(水) 14:41:18 ID:Jrkira67.net
食えない人物ではある

287 :人間七七四年:2009/01/07(水) 22:47:08 ID:6E2KQ0Hx.net
へんな横槍がなければ間違いなく頼之が四国統一してたよな

288 :人間七七四年:2009/01/13(火) 21:35:50 ID:ct1p8eva.net
<詰め政局>
「反小泉純一郎・反野田聖子・親平沼赳夫・親高市早苗」以下、
国民新党・前原首相
副首相○○○○
非小沢グループ非菅グループ非鳩山グループ連立政権
13人目の晒し者が小沢一郎
の大どんでん返し

289 :人間七七四年:2009/01/24(土) 15:10:54 ID:wqS1tIyr.net
>>287
そうなると後の流れも相当変わる

290 :人間七七四年:2009/01/31(土) 02:20:43 ID:ecfXDZVo.net
>>288
細川護煕元首相殿

最初の4手が思い浮かびませんでした。

誠に申し訳ありません。

正解は、
「反小沢一郎・反菅直人・親鳩山由紀夫・親鳩山邦夫・反小泉純一郎・反野田聖子・親平沼赳夫・親高市早苗」以下、
改革クラブ・前原首相の9手詰め(前原誠司−亀井静香−小池百合子のライン)ですね。

291 :人間七七四年:2009/02/01(日) 09:07:45 ID:VNQYttQ1.net
>>290
小沢一郎さん、まさか特定郵便局長会に参加したのですか?

小泉元首相を超える最強の抵抗勢力。

小沢一郎こそ「自民党そのもの」だよ。

もう、「自民党そのもの」をぶっこわす。

すなわち、
 「反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎・反小沢一郎」
以下、・・・・・・・・・・・・・・・・

292 :人間七七四年:2009/02/04(水) 12:48:39 ID:3/3egALT.net
ttp://www.47news.jp/CN/200902/CN2009020401000070.html
寄付1万円で“熊本城主” 天守閣に家族や友人の名

熊本城の復元事業に1万円以上寄付した人を、熊本市が「1口城主」に認定する制度が人気だ。
1月の募集開始から問い合わせが殺到、1カ月間で全国から約4700件、約6500万円を集めた。
このペースが続けば、目標額の7億円を1年以内に達成する。

1口城主には「城主証」と、天守閣や本丸御殿にいつでも入場できる無料パスポート(額に応じて最長10年間)を贈呈。
天守閣内の「芳名板」に寄付者や本人以外の氏名を載せられる特典も好評で
「家族や友人の名前を載せてプレゼントする人もいる」(市の担当者)という。

ことし還暦を迎える熊本県大津町の公務員の女性(59)は2万円(2口)を寄付し、
フランスと栃木県に住むいずれも2歳の孫たちの名前で応募。
「将来、熊本城で自分の名前を見て、おばあちゃんを思い出してくれるかな」とほほ笑んだ。

問い合わせは熊本城総合事務所、電話096(359)6475。

2009/02/04 07:35 【共同通信】

ttp://www.47news.jp/PN/200902/PN2009020401000133.-.-.CI0003.jpg

天地人と場所も違うが「真の戦国好き」なら
これに限らず現存の城とかの補修事業とかにお金落としてあげてくれ
これは長く残る貴重な遺産

293 :人間七七四年:2009/02/05(木) 01:20:29 ID:QVqm3weh.net
熊本のお城は加藤清正公の城だよ。
細川家は後から国替えで入っただけ。

294 :人間七七四年:2009/02/12(木) 08:12:38 ID:Rr/qWB83.net
>>288 >>290
>反小泉純一郎・反野田聖子・親平沼赳夫・親高市早苗
>小沢は西松建設の件で逮捕も近いんじゃ?

これ見て、すぐ○○○○○に気付けば合格。

○○○○○あるだろ。
俗に「民主党の国民新党」と言われているもの。
そこ、既存政党ではないし、党議拘束もないから柔軟性がある。

「あにき」は前原グループ、野田グループ、民社グループを引き連れて○○○○○へ異動。
「おとうと」は○○○○○、高市早苗、二階堂俊博を引き連れて○○○○○へ異動。

そして、国民新党と公明党と連立政権を組む。
自民党はいらない。

○○○○は刑務所、○○○は民主党に隔離すれば良い。

大ゴマ2枚切って政権交代だ。

295 :人間七七四年:2009/02/21(土) 15:53:28 ID:QOhRosMt.net
>>289 もう少し細川に力があれば 変わったよね。

296 :人間七七四年:2009/03/02(月) 15:53:10 ID:6vtIMzNv.net
力というか欲かも

297 :人間七七四年:2009/03/02(月) 20:18:30 ID:TMf4bwM7.net
細川は既に偉すぎた。

298 :人間七七四年:2009/03/13(金) 14:24:53 ID:0HbHsY7u.net
斯波の方が偉そうではあるが

299 :人間七七四年:2009/03/24(火) 15:54:20 ID:BPq6wHiE.net
頼之のお陰で勢力は強かったか

300 :人間七七四年:2009/04/01(水) 14:43:19 ID:gMWKzyjV.net
持之が長命だと流れが変わる

301 :人間七七四年:2009/04/07(火) 00:10:26 ID:PqGHohK+.net
政元が暗殺されなかったら、執権政府のようなものを形成したんだろうか?
それとも京兆家が足利幕府を飲み込んだのだろうか?

302 :人間七七四年:2009/04/15(水) 15:42:02 ID:kYPH0vbc.net
たぶんどちらもないな

303 :人間七七四年:2009/04/24(金) 13:57:52 ID:jrv3UCYU.net
他氏の排除を望んでたんじゃないかな

304 :人間七七四年:2009/05/02(土) 11:58:41 ID:GbHIzcLr.net
満元の功績もある

305 :人間七七四年:2009/05/14(木) 16:09:17 ID:2xtTCKom.net
初期に傑物が揃っていた。

306 :人間七七四年:2009/05/21(木) 16:54:56 ID:XD1e1iio.net
勝元はどうでも政元は傑物ではある。

307 :人間七七四年:2009/05/22(金) 10:40:12 ID:1M/qbpsf.net
確かに政元は傑物としか言いようが無いな。良くも悪くも。

308 :人間七七四年:2009/05/30(土) 11:55:23 ID:hTyjFiRW.net
養子が争っちゃって 政元は先の事は考えてなさそう。

309 :人間七七四年:2009/05/30(土) 19:05:04 ID:rEqSiNFW.net
暗殺された人間に先のこととか言われても。



310 :人間七七四年:2009/06/11(木) 15:44:15 ID:Co2yUCT2.net
京兆家が牛耳る未来を描いたのでは。

311 :人間七七四年:2009/06/11(木) 16:11:27 ID:vHUDeOqg.net
未来も何も、暗殺前の段階で既に、現実に京兆家が牛耳っていたけどな。

312 :人間七七四年:2009/06/20(土) 15:18:10 ID:vwLYuZu3.net
牛耳るまで行っていたかどうか。

313 :人間七七四年:2009/06/29(月) 14:44:21 ID:DdRMrWCF.net
野望ほぼ達成ぐらいか

314 :人間七七四年:2009/07/06(月) 16:09:20 ID:GBzVtYqO.net
京兆家で管領独占 将軍を傀儡化くらいのとこ?

315 :人間七七四年:2009/07/06(月) 21:36:24 ID:f64YCn8L.net
当時の状況として、畿内さえ安定させてしまえば、そのまま天下も静まっただろうな。

316 :人間七七四年:2009/07/12(日) 21:31:08 ID:iI1DGX10.net
後継問題を考えればどのみち先は短そうだが

317 :人間七七四年:2009/07/12(日) 22:03:54 ID:1ncb5WAo.net
長く生きてりゃ後継問題も上手く収めた可能性もあるわな

318 :人間七七四年:2009/07/14(火) 01:51:28 ID:jr8Fd3ry.net
どうして高国は政元の養子になれたんだろう、本当に養子だったのかな。

319 :人間七七四年:2009/07/14(火) 02:07:34 ID:Prlc8XVo.net
理由としては野州家とのつながりを強くするため、だろうな。京兆家は勝元の時も
野州家から養子取ってるし。
高国が政元の養子になること事態には特に不自然さは無い。

320 :人間七七四年:2009/07/18(土) 15:23:29 ID:PdXYd7f8.net
備中・和泉半国守護か。

321 :人間七七四年:2009/07/25(土) 15:09:40 ID:1LN0DWEU.net
諸家いろいろあるもんだ

322 :人間七七四年:2009/08/01(土) 19:41:44 ID:1ZTiRfjT.net
細川家を大河にして欲しいなあ
ネタはすごくいっぱいあるんだから

323 :人間七七四年:2009/08/02(日) 12:00:05 ID:Q+Ef8t+H.net
>>322
ホームドラマ向きだしねw

324 :人間七七四年:2009/08/08(土) 15:10:16 ID:mT2SIFME.net
勝元より頼之のドラマが面白そう。政元は別格として。

325 :人間七七四年:2009/08/14(金) 15:53:41 ID:wX8/JXIl.net
政元のドラマがいいな。花の乱が若干それっぽかったが。

326 :人間七七四年:2009/08/18(火) 14:03:10 ID:fZhATktV.net
義満の大河面白いかも
きわどい部分もあるが

327 :人間七七四年:2009/08/29(土) 12:55:07 ID:Ynu8LcPG.net
細川の大河面白そう。

328 :人間七七四年:2009/09/04(金) 16:06:31 ID:LWXZlizS.net
勝元ー政元2代で。
そのあとはゴチャゴチャだから。

329 :人間七七四年:2009/09/09(水) 16:15:54 ID:WBeMf/eM.net
三好絡めると面白いよ。

330 :人間七七四年:2009/09/14(月) 15:40:42 ID:XC2Anjtq.net
花の乱で勝元どうっだ?

331 :人間七七四年:2009/09/18(金) 15:35:21 ID:1zIhVEFF.net
頼之が面白いよ

332 :人間七七四年:2009/09/24(木) 15:32:52 ID:feklRCbA.net
足利義満の野望が扱い微妙

333 :人間七七四年:2009/09/30(水) 15:34:57 ID:dYjTt+EG.net
一休さん登場か。

334 :人間七七四年:2009/10/09(金) 15:29:55 ID:SiAxJwNJ.net
冥土への一里塚だとしゃれこうべ

335 :人間七七四年:2009/10/14(水) 14:54:37 ID:S/sfC/vf.net
勝元の実力は実際どうだった?

336 :人間七七四年:2009/10/19(月) 16:15:23 ID:IGYyUApT.net
幕政を掌握はしたね

337 :人間七七四年:2009/10/21(水) 13:17:28 ID:16+ulZD6.net
それまで京都の政界を牛耳ってきた畠山持国の所でお家騒動がおこるや否や、
介入に成功して畠山氏を分裂に追い込んだのは見事な手腕だった。

ま、その事が関東では享徳の乱を、畿内では応仁の乱を巻き起こす事になるんだけどなw

338 :人間七七四年:2009/10/21(水) 22:18:23 ID:IxOfcG88.net
>>337
>ま、その事が関東では享徳の乱を、畿内では応仁の乱を巻き起こす事になるんだけどなw
応仁の乱はともかく享徳の乱は違うだろw

339 :人間七七四年:2009/10/22(木) 00:38:44 ID:vJVe2Yzv.net
>>338
享徳の乱は、鎌倉公方派だった畠山持国の後ろ盾を失った足利成氏が、
逆に細川勝元の後ろ盾を得て攻勢に入った関東管領派に追い詰められて
爆発したもの、ってのが今の定説だと思うが。

340 :人間七七四年:2009/10/22(木) 21:19:30 ID:taRyperE.net
>>339
享徳の乱勃発の主原因は旧持氏派(成氏派)と上杉派の対立だとするのが定説だと思うが?
その説は誰が提唱し、主に誰が支持しているのかぜひ教えていただきたい。
足利成氏の扱いについて畠山持国と細川勝元の思惑が錯綜したのはわかるが、
勝元(及び山名持豊)による畠山持国の後継者争いへの介入が原因になったとは思えない。
論文があるなら是非とも読んでみたい。


341 :人間七七四年:2009/10/23(金) 12:35:12 ID:YPabc/3b.net
>>340
> 享徳の乱勃発の主原因は旧持氏派(成氏派)と上杉派の対立
底流としてそれがあった上で、畠山持国の失脚が乱の引き金を引いたってことでしょ。

つーか、昨今の研究者ならみんな、享徳の乱にこの持国失脚が関係してるって言ってるぞ。
最近の書籍なら山田邦明氏の「室町の平和」とか。

342 :人間七七四年:2009/10/24(土) 01:26:02 ID:ZdQkmrsB.net
>>341
直接の引き金を引いたっていうより背中を押したって感じだな。
なるほど、享徳の乱勃発の原因の一つってことか。
数レスかけさせてスマンね、為になったよ。
ありがとう。

343 :人間七七四年:2009/10/30(金) 15:22:17 ID:VbNhB5qF.net
京の情勢と関連してんだね。

344 :人間七七四年:2009/10/31(土) 02:09:23 ID:4MECqVTj.net
関東の御家人にも鎌倉府の支配を受けない、幕府直結の「京御扶持衆」も多くいたしね。
なにより関東管領は鎌倉府の下部機関というより、幕府からの出張機関と言う性格が濃い。

どうしたって関東の情勢は京の政局とリンクしますわな。

345 :人間七七四年:2009/11/10(火) 15:11:37 ID:OEbZT7FW.net
最初から相当警戒されてたわけだ。

346 :人間七七四年:2009/11/10(火) 18:30:25 ID:JRW2rGsg.net
本格的に警戒されたのは足利義教、鎌倉公方義持の時代だな。
義持はあの時代の陰謀の、総元締めみたいな存在だった。

347 :人間七七四年:2009/11/14(土) 18:09:54 ID:CneAa8su.net
だな

348 :人間七七四年:2009/11/14(土) 19:18:13 ID:2mZHqGDm.net
鎌倉公方義持

349 :人間七七四年:2009/11/19(木) 14:44:24 ID:2kxYfH0i.net
持氏さん

350 :人間七七四年:2009/11/20(金) 13:59:22 ID:kqg105C/.net
本願寺門徒なんだけど、初カキコ。
最近、細川と本願寺がすごくつながってたと知ってビックリw。
一向一揆が三好元長を殺したのも、細川と本願寺の強いつながりからだったとは・・。

応仁の乱前の本願寺が弱い頃からの付き合いだったらしいけど、どういう手づるがあったんだろ?
知ってる人、情報キボン

351 :人間七七四年:2009/11/20(金) 14:20:24 ID:1l2mm3HS.net
>>350
富樫政親が加賀一向一揆に殺された時、将軍義尚周辺では本願寺討伐が本気で検討されたが
細川政元がかばった為、象徴的な処罰程度で済んだ。本願寺はそれ以降、京兆家との連携を
非常に重視した。

352 :人間七七四年:2009/11/20(金) 23:59:52 ID:EWuvlKJT.net
>>351
でも、三好長慶がでてくると本願寺は三好シンパになっちゃうんだよな。
おそるべし長慶の政治力。

353 :人間七七四年:2009/11/21(土) 00:57:35 ID:wRuCMhhg.net
>>351
そういえば富樫政親を滅ぼした一向一揆って、細川政元の被官が多く加わってたらしいね。
政元が後ろで糸引いてた可能性もあるな。


354 :人間七七四年:2009/11/21(土) 01:12:15 ID:VwH8VabO.net
>>352
長慶の親父は本願寺にぬっ殺されたのにな

355 :人間七七四年:2009/11/21(土) 23:15:05 ID:HNP7VXCk.net
でも一向門徒を利用したつもりの細川晴元が後で逆に一向宗から攻められて、
和睦の斡旋をしたのが長慶だろ。(当時、10代前半だったけど)

356 :人間七七四年:2009/11/21(土) 23:26:48 ID:dTxawj74.net
実質的に動いた木沢長政はぶち殺したからな

357 :人間七七四年:2009/11/21(土) 23:46:17 ID:wRuCMhhg.net
木沢くらい「悪党」ってタイプもいないな。松永なんかよりよっぽどたちが悪い。

358 :人間七七四年:2009/11/27(金) 22:49:08 ID:LPqIccZZ.net
土佐の支配って阿波や讃岐に比べると弱かったの?
内衆の中に土佐の国人っていた?

359 :人間七七四年:2009/12/31(木) 13:57:33 ID:ECVfeqJm.net
阿波は一族がいたから

360 :人間七七四年:2010/01/05(火) 11:53:32 ID:lAATvedX.net
徳島の丈六寺に有る細川家の墓所に行ってきたけど、
あまりの荒廃ぶりに悲しくなったよ。
丈六寺自体、お金がないのか、かなりぼろぼろなのだけど、
墓所はもっと酷かった、
折れた木の巨大な枝が墓石に覆い被さっていて、
正面から見られない、
折れた枝が他のお墓に引っかかって安定しているので、
墓石本体は、無事だが、花活けなどは倒れてしまっている。
何かの拍子で枝が動けば、墓石も倒れてしまいそうだった。
直系の子孫がおらず、祀る人がいないというのは寂しい話しだ。



361 :人間七七四年:2010/01/19(火) 16:29:53 ID:H2boKgas.net
手垢まみれの龍馬やるぐらいなら細川頼之でもやってほしいわ

362 :人間七七四年:2010/01/31(日) 07:55:21 ID:nz/xdC9j.net
義満が主役かな、簒奪とか厳しいが

363 :人間七七四年:2010/02/21(日) 02:33:51 ID:/ASh+aNd.net
細川元賢が、三浦兵庫頭に養育されて三浦氏を名乗った。
前田利常につかえた三浦乗賢は阿波から出てきたらしいが、細川乗賢のことだろうか。

364 :人間七七四年:2010/03/28(日) 10:57:01 ID:wHN/EDSJ.net
加賀に行ったんだ

365 :人間七七四年:2010/06/16(水) 19:31:46 ID:JeBDQGG/.net
政元暗殺には澄之の意思がはたらいたのか
部下が勝手にやったかどっちなんだ?

366 :人間七七四年:2010/06/17(木) 23:13:30 ID:+vyuxs9L.net
連絡は当然澄之に行っていたでしょうね。

それと言っても仕方ないんですが、澄之が公家からの養子ではなく
政元の実子だったら、政元暗殺も両細川家の乱もなかったのかな・・・
なんて思ったりもします。

367 :人間七七四年:2010/06/18(金) 22:12:23 ID:lspOCazd.net
>366
ありがとうございます
政元と一緒に澄元・三好之長も死んでたら高国の一人占めなんだろうか
んで義興が義稙と上洛してきて大内の天下
史実どおり義興が帰ったら庶流の尚春か政賢・尹賢
もしくは六角家が実権握るかだったんだろうな



368 :人間七七四年:2010/06/24(木) 19:04:22 ID:eL/YGJ3T.net
細川藤賢って人についてなのですが
足利義昭の追放後、信長に属して1581年の御馬揃えに参加している事と
1590年に没した事はわかったのですが
1581〜1590年の間はどこで何やってたんでしょうか?
特に本能寺の変の前後とか。何か動向がわかるような記述ってありますか?

369 :人間七七四年:2010/08/16(月) 11:50:30 ID:AsQqXUy8.net
>>366
史実でも高国が澄之、澄元、三好を撃破し京兆家家督を継いでしまいます。

しかし高国の場合は、相続ではなく、戦闘に次ぐ戦闘で言わば武力で強引に
京兆家家督をもぎ取った形になる為に、今まで京兆家の支配に服していた
丹波や摂津や山城の国人層は京兆家に対する帰属意識や一体感が希薄になって
しまった、と言われています。

内衆や国人達は、「高国は、所詮、野州家という京兆家の分家筋であり、
細川宗家の血は引いておらず分家筋が無理やり宗家を軍事力で乗っ取った」
という認識であり、政元暗殺から高国相続まで、京兆家親族や内衆、国人は
相互にテンデンバラバラに分かれて殺し合ったが為にすっかり京兆家に対して
嫌気が差してしまった、と言えます。

現在でもある大企業で重役のスキャンダルや派閥争いが激化し、
社員がすっかりヤル気を失い将来を期待されていた中堅管理職がセクハラ
パワハラで次々と更迭される事態となっていますが、それと似たようなものでしょう。

政元暗殺まで京兆家は畿内で一番の大名でした。将軍家を凌駕し、畠山家を
無力化し、畿内の公家や大寺院の経済的な基盤を奪い取り、事実上畿内を
京兆家が制圧しつつありました。内衆や国人層も京兆家に所属している事に
ある種の満足感が有ったのかも知れませんが、政元があのような事になり、
更にその後は、京兆家内乱で畠山家や六角氏、大内氏までも巻き込む大乱
となってしまい京兆家家督への期待と言うか求心力が希薄になったと思います。

こうなると政元に実子が居ない事が如何に京兆家の前途に悪い影響を与えているかが判ります。

370 :人間七七四年:2010/08/17(火) 07:51:01 ID:Ba0BmGPO.net
>政元暗殺まで京兆家は畿内で一番の大名でした。

畠山家も斯波家も足利将軍家も15世紀には内紛状態だったのに
細川京兆家は、16世紀まで大規模な内紛らしき事は発生しなかった。

371 :人間七七四年:2011/02/02(水) 12:46:55 ID:yeGHkGJa.net
政元って天狗になって空飛びたいとかいって修行してた人だっけ

372 :人間七七四年:2011/02/07(月) 17:45:43 ID:FKhvtxPM.net
>>371
麻原ぐらいには飛行能力があったらしいぞ

373 :人間七七四年:2011/02/07(月) 18:44:12 ID:+bRiLKXA.net
魔法に没頭しすぎて殺されるんだよね

374 :人間七七四年:2011/02/08(火) 00:30:14 ID:Iq978DIL.net
童貞修行でついに魔法使いになって怪力を得たから
試しに殺してみてもらっただけだよ。
思った通り凄い効果だったよ!

375 :人間七七四年:2011/02/08(火) 00:59:01 ID:Uobkgw+M.net
>>373
というかのちの軍記に「魔法で天下を支配した」とか書かれるような人。

376 :人間七七四年:2011/02/08(火) 14:54:32 ID:Iq978DIL.net
魔法使いになろうとした謙信…

377 :人間七七四年:2011/02/08(火) 15:25:53 ID:n9NHIwb6.net
政元なんかは前半キレキレで後半飽きて(辛抱できなくて)投げだし〜の典型だと思う
玄宗皇帝とか、大友宗麟とか、あのタイプ

378 :人間七七四年:2011/03/15(火) 12:44:30.33 ID:AB7/RFSU.net
もとは愛知のお百姓

379 :人間七七四年:2011/04/21(木) 10:01:54.40 ID:0x2iEEJm.net
.

380 :人間七七四年:2011/06/01(水) 11:08:42.12 ID:brekoMgL.net
政元が修験道にはまらず子供がいたら細川幕府が出来ていたんだろうか?

381 :人間七七四年:2011/06/05(日) 11:41:56.24 ID:NWWXIjRn.net
平成5年8月豪雨には、目的があった

http://s1.shard.jp/rabbit1/02/6/67_1.html

実は、鹿児島叩きに細川氏は利用され、用がすんだら捨てられていた。

382 :人間七七四年:2011/06/05(日) 11:44:36.03 ID:TWqEfrdQ.net
>>380
せいぜい足利将軍を立てた上での細川執権政権だろうな。
細川は足利一門なわけで。

383 :人間七七四年:2011/06/26(日) 23:13:13.42 ID:JIzPSwnv.net
真保の小説どう?

384 :人間七七四年:2011/06/27(月) 18:49:15.08 ID:SP6WZ+GQ.net
政元って本当に童貞なの?
若い頃は魔法こってないだろうし勝元が何かしてたんじゃないの

385 :人間七七四年:2011/06/27(月) 20:52:42.82 ID:xNvq8+vt.net
>>325
>>328
江戸時代まで大名として残った藤孝忠興親子がいいな
戦国初期だったら高国で

386 :人間七七四年:2011/06/28(火) 13:30:26.84 ID:VtQlxIZz.net
いまさらみたくないわそいつらなんか

387 :人間七七四年:2011/06/29(水) 13:31:15.85 ID:aiZRZNxZ.net
じゃあ細川高国で

388 :人間七七四年:2011/07/03(日) 14:07:41.50 ID:ZigRrlq1.net
典廐細川藤賢の末裔何処いった
和泉細川藤孝の末裔は大名
三淵藤英の末裔は旗本
一色藤長の末裔は旗本


389 :人間七七四年:2011/07/20(水) 20:00:39.67 ID:tnaTvlOP.net


390 :人間七七四年:2011/07/28(木) 01:49:40.48 ID:d8gAblxZ.net
もとは、愛知のただの土豪

391 :人間七七四年:2011/08/05(金) 00:39:37.46 ID:xSKSPye8.net
>>387
主役大内義興、脇役細川高国ぐらいだろな

392 :人間七七四年:2011/08/14(日) 03:25:10.57 ID:M5RDWn+B.net
細川蔵人家って信憑性あるの?

393 :人間七七四年:2011/08/14(日) 17:00:46.21 ID:iZr0np85.net
>>392
系譜の年代に、つじつまの合わない怪しいところあり。
元常の長男とされる、元春なる人物の出自も謎だな。
(実子とは思われないのだが)

とはいえ、「自称」で蔵人家という地位を、
大藩の熊本藩があるもとで獲得できるのか、
とういうことも疑問。

394 :人間七七四年:2011/08/14(日) 22:55:22.24 ID:/PgKs6h1.net
>>387
勝元っちゃんじゃダメなん?

395 :人間七七四年:2011/08/20(土) 01:38:54.44 ID:nGSUGsM4.net
勝元は、応仁の乱では、荘園押領しまくりで、恨まれているね。

396 :人間七七四年:2011/09/12(月) 17:20:49.59 ID:Bl9VvS2s.net
空も飛べるはず!

397 :人間七七四年:2011/09/13(火) 01:34:10.52 ID:fJ4YLXZt.net
半将軍様に関しては周りも「あの人ガチで魔法使いだよね」と思ってたフシすらある。

398 :人間七七四年:2011/09/13(火) 19:23:58.86 ID:ozFU8rXt.net
ぶっちゃけ忠興とか一夢理斎wwwwwwwwwwって稲富さんが言ってました

399 :人間七七四年:2011/09/17(土) 15:31:41.38 ID:iTcel8Y6.net
藤孝ってムキムキまっちょだったの?
細マッチョだったの?

400 :人間七七四年:2011/11/12(土) 21:27:51.44 ID:MqtbNFZl.net
香西氏末裔

401 :人間七七四年:2012/02/05(日) 11:59:20.52 ID:wcY0YJpI.net
典厩家が江戸時代に何してたか教えてください

402 :人間七七四年:2012/04/25(水) 00:35:28.65 ID:zgeUT0N1.net
頼之

403 :人間七七四年:2012/05/28(月) 03:45:39.88 ID:tQWwwDOw.net
足利義稙「やっときましたね。おめでとう!
このゲームを かちぬいたのは きみたちが はじめてです」
細川澄元「ゲーム?」
義稙「わたしが つくった そうだいな ストーリーの ゲームです!」
細川高国「どういうことだ?」
義稙「わたしは さいきんのばくふのけんりょくあらそいに あきあきしていました。そこで まさもとをよびだしたのです」
細川澄之 「なに かんがえてんだ!」
義稙「まさもとは かんれいしょくをどくせんするなどのばつぐんのせいじりょくで ばくせいをあんていさせてくれました
だが それもつかのまのこと かれはしゅげんどうにこってしまうような かわりものだったのです」
大内義興 「そこで ゲーム・・か?」
義稙「そう!そのとうり!!わたしは まさもとを うちたおす ヒーローが ほしかったのです!」
澄元「なにもかも あんたが かいたすじがきだったわけだ」
義稙 「なかなか りかいが はやい。 あなたたちはまさもとのこどもといってもしょせんはようしでした。 そのほかのいえからやってきた 
ちのつながらないようしすぎないそんざいが ひっしに たたかいぬいていく すがたは わたしさえも かんどうさせるものがありました わたしは このかんどうをあたえてくれた きみたちに おれいがしたい!
どんなのぞみでも かなえてあげましょう!」
高国 「おまえのために ここまできたんじゃねえ! よくも おれたちを みんなを おもちゃにしてくれたな!」
義稙「それが どうかしましたか? すべては わたしが つくった モノなのです」
澄元「おれたちは モノじゃない!」
義稙「かみに ケンカをうるとは・・・・ どこまでも たのしい ひとたちだ!どうしても やる つもりですね これも いきもののサガか・・・・
よろしい しぬまえに かみのちから とくと めに やきつけておけ!!」 




404 :人間七七四年:2012/05/28(月) 21:41:27.24 ID:OB+Xlrdy.net
政元がやってた、飯綱の法って一体どんなものなのかねー

405 :人間七七四年:2012/05/29(火) 18:33:11.51 ID:CVA7jbKS.net
飯綱使いだと、管狐という竹筒に入るほど小さな狐を飛ばして相手に祟らせたりする術なんだが、
これとは違うだろうしな。

406 :人間七七四年:2012/05/31(木) 00:40:22.16 ID:6dD4TST7.net
降霊法と聞いた。過去の偉人が降りてきて力を貸してくれる的な。

407 :人間七七四年:2012/05/31(木) 07:05:15.47 ID:VuDhoVpx.net
そういえば義経の神像に対して怪しげな儀式してたんだっっけ?

408 :人間七七四年:2012/06/17(日) 15:58:11.28 ID:2xLsUTNb.net
八犬伝か何かにも魔法使って空を飛ぶとかなんとか書いてあったしな

409 :人間七七四年:2012/07/05(木) 08:58:41.98 ID:wH4CqKkr.net
良スレ

410 :人間七七四年:2012/07/19(木) 11:41:52.56 ID:sm8ADkAM.net
 典厩家は元賢が三浦姓を名乗り、浅野、蜂須賀を経て乗賢の代に加賀前田家
に仕え幕末に至る。
 京兆家は三春藩家老。
 備中守護家は長府藩家老。
 阿波守護家は、末裔と称する貫心流の細家が広島藩指南役。
 地下官人では、和泉上守護家の子孫が六位蔵人、有栖川諸大夫、大覚寺侍に
も細川元雄なる者がいる。
 鳥取の佐川神社住田氏は細川氏綱の子、天竺二郎三郎元氏の弟住田久次の末
裔を称する。
 旗本の花木、細田、澤も細川氏族を称する。

411 :人間七七四年:2012/10/21(日) 16:50:35.35 ID:CzEmkJxO.net
源義兼の年表


1153年、父:源義康、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる
1155年、母方の祖父(血縁は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
母親(頼朝の母と姉妹)の所領(父親からの化粧料)である三河国額田郡乙見に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1167〜1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)
異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する
1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖)が生まれる(その所縁か、後に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母弟2人源義清(矢田義清)、源義長は水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1185年、上総介に推挙される
1187〜1190年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見内の真福寺に法華堂建立(母親を菩提)
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)誕生
1195年、東大寺で出家
1199年、死去

412 :人間七七四年:2012/11/28(水) 22:20:48.19 ID:4bdhGeHl.net
>>149 国五郎の一族ですか?私の先祖かも

413 :人間七七四年:2012/11/29(木) 15:53:45.25 ID:KiyiHhJb.net
>>142
祖谷にも末裔のかたがいらっしゃるんですね、阿南とうちの先祖だけかと思ってました。
この分だと、徳島各地に細川家の末裔がいるんじゃないでしょうかね?
まあ、うちの場合、調べても言い伝え以外には、何も出て来ませんし、
江戸期を通して別の姓を名乗っておりますしで(汗
まあ、一族だけのロマンにしてたほうがいいのだと思います。
レスありがとうございます。

414 :人間七七四年:2012/11/30(金) 01:28:12.70 ID:jaqdumIG.net
>>413 確証はないんですが、墓所の家紋とか名字を名乗るのが許されていた事など、調べていくと本家筋は繋がりがあると私は推測してます。伝手があるので一度コンタクトを取る予定ではおりますが。

415 :人間七七四年:2012/12/01(土) 00:26:10.48 ID:8Q/cexL8.net
九曜紋 桜紋 桐紋 他にバリエーション無いかな? 細川桜以外の桜紋とか使ったり

416 :人間七七四年:2012/12/01(土) 02:20:39.45 ID:CkE9tOfo.net
二引両と細川番い松。九曜は幽斎系だけのはずだよ。
なので、それを知らずに使っていたらけっこう恥ずかしい。

417 :人間七七四年:2012/12/05(水) 16:06:37.24 ID:9jHX7UCM.net
そっか熊本は幽斎系だったか

418 :人間七七四年:2012/12/05(水) 17:27:16.25 ID:9WAJJkj8.net
細川九曜
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=457
あとはこのへんがまあまあ詳しいかな。
http://www2.harimaya.com/sengoku/bukemon/bk_hosokawa.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hosoka_awa.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hosoka_i.html

419 :人間七七四年:2012/12/11(火) 17:23:24.17 ID:1cCiqJb+.net
鎌倉時代からの細川氏の氏神、村積神社(愛知県岡崎市)の神紋も九曜星だが

熊本とか忠興とかアホか

420 :人間七七四年:2012/12/11(火) 20:07:35.40 ID:4tRO4d6y.net
桜紋では細川桜以外のバリエーションは使ってないのかな?

421 :人間七七四年:2012/12/12(水) 20:51:31.17 ID:iSbzZdN2.net
>>419
神紋を後から変えた可能性もあるし、(例えば熊本の細川家が保護した等々の理由で。)
先祖の氏神の神紋が九曜なのを承知した上で、信長に拝領したっていうかたちにした可能性もあるわな。
肥後細川家ぐらい歴史のある家は、紋もそれぞれに歴史があるので、どれが正解とは決めがたい部分もあるが、
定紋として九曜を使用したのは、長岡家以降で間違い無いと思いますよ。

422 :人間七七四年:2012/12/14(金) 09:23:25.79 ID:uzl4qZRp.net
細川氏と三河の濃密な関係は、細川成之までだぜ
二つ引両を足利義満から与えられたのなら、それ以前の家紋があったはず、それは九曜紋
元々鎌倉時代もしくは室町時代から、九曜紋だったと言う事だ

ちなみに細川氏は、菩提寺が隣松寺、氏神が村積神社と何故か足利宗家・足利被官(菩提寺は滝山寺、高氏だけは満性寺)と一線を引いている
これは、初代細川義季は足利宗家に連れて来られて関東から移住して来たのではなく、祖父から引き続き三河にいたという事を暗示させる
関東に全く細川氏関係の記録がないのもこの為だ

祖父、足利義清(矢田判官代)←嫡男の義実と共に三河の矢田(矢田城)に本拠を置く、水島の戦いで戦士

父、足利義実(広沢義実)←父が戦死したあとも三河にとどまる、広沢は豊田市の広沢、豊橋市の広沢か?

戸賀崎義宗←細川義季の弟、戸ヶ崎(矢田のすぐ近く)城主、後に村積神社神官、細川義季と同じ隣松寺に墓あり

423 :人間七七四年:2012/12/14(金) 12:51:28.94 ID:ZuLZZj+S.net
>二つ引両を足利義満から与えられたのなら、それ以前の家紋があったはず、それは九曜紋
>元々鎌倉時代もしくは室町時代から、九曜紋だったと言う事だ

ここで論理的に飛躍してない?
前からの紋が有った可能性と、それが九曜であることを断定出来るだけの証拠が揃ってないじゃない。
細川家の氏神の村積神社の神紋が九曜なのは、後から肥後細川家が寄進したりして、
後から変えたものである可能性も有るのだから、簡単に断定するのはおかしいよ、
九曜の紋についいては、言い伝えレベルであるが、信長からもらったという話も残っているのに、
そこを無視してはダメでしょ。

424 :人間七七四年:2012/12/14(金) 22:30:22.27 ID:uzl4qZRp.net
三河に熊本の細川氏のゆかりは一切ありませんよ
可能性はゼロだと言ってんの
つーか村積神社の九曜紋は室町時代からなんだよw


俺の仮説が正しいだろうが

425 :人間七七四年:2012/12/14(金) 23:11:27.68 ID:8o11Lzw7.net
自分の田舎の阿波細川家の筋の家紋は九曜紋
細川藤孝とかは関係ないのに九曜紋なのはおかしいと思ってたらやっぱりそれ以前から九曜紋は使われていたんだね
納得

426 :人間七七四年:2012/12/15(土) 08:48:30.21 ID:CmX0aa1t.net
>>425
納得しちゃうのは早計じゃないかなあ。
うちは細川の子孫だ、細川といえば九曜紋、じゃあうちも九曜紋にしよう!ってご先祖様が早とちりした可能性もある。
現にうちのご本家がそうだ(w
丸の小さな細川九曜なので、どう見ても無理がある(泣

九曜紋自体は、メジャーな意匠なので、いくつも紋を持っていた古い家系なら、使っていても全く不思議では無いのだが、
武家で考えれば、どうも九曜には平氏系のイメージが付きまとうので、源氏の細川が九曜というのは、やや特殊な感じがするのよね。
信長にもらったというのも、わりと納得できるエピソードでは有るのだが、

足利家との決別を示すシンボルとして利用した可能性もあるからね。
本来は昔から使ってた(かも知れない)九曜に戻しただけなのかもしれないし、
先祖の氏神の神紋と同じだったから、信長からもらった形にして、信長への忠誠を示すパフォーマンスだったかも知れない。

427 :人間七七四年:2012/12/15(土) 09:45:37.70 ID:pUBdYlCb.net
>>426 その辺も含めて今度聞いてみようと思います

428 :人間七七四年:2012/12/15(土) 16:54:54.01 ID:pUBdYlCb.net
このスレはやっぱり細川氏の末裔が大半なんでしょうか?

429 :人間七七四年:2012/12/15(土) 19:10:57.89 ID:nV2YXOC3.net
織田信長とか関係なし
戦国馬鹿にはうんざりだ

430 :人間七七四年:2012/12/15(土) 19:21:47.54 ID:CmX0aa1t.net
「忠興公御譜中」に「或時忠興公信長公之腰物を持ツ小刀の柄に九曜之紋有を見て愛シ衣服之紋とし信長公御感ニ而自分家紋にすべき由被仰候よう忠興公九曜を用候なり」と書いてあるらしいんだが、
これをどう考えるかだな。
忠興公を細川幽斎系と書くと忠興さんに怒られそうなので、お詫びと訂正を致します。
こういう書物って、脚色の可能性もあるので、素直に信じる訳にはイカンだが・・・。

431 :人間七七四年:2012/12/15(土) 20:55:43.51 ID:tKlNOAoZ.net
政元は元から義視嫌ってたからずっと義材を排除する機会をうかがってたんだろうな

432 :人間七七四年:2012/12/17(月) 08:37:59.50 ID:bP7jvpZP.net
>>431
東軍ど真ん中の京兆家に西軍系の将軍は、そりゃあ感情抜きに共存は難しいわな

433 :人間七七四年:2012/12/26(水) 22:01:11.36 ID:bz3jwJ8F.net
君達は細川の誰が好きかね

434 :人間七七四年:2012/12/26(水) 22:02:25.51 ID:LSyBy1dk.net
>>433
恐ろしくキャラが立ってるのは政元。
人間的に良い人っぽいのは高国

435 :人間七七四年:2013/01/05(土) 21:07:43.62 ID:oL4nw9Hn.net
なんの!細川といえば頼之 

飛砲火槍の成之よッ!

436 :人間七七四年:2013/01/10(木) 01:44:02.49 ID:bqiIba8l.net
足利義満に尽くす頼之の生き様はかっこいい

勝元のしたたかさは流石だと思う

政元は自由に生きすぎたw
だがそれがいい

結論:みんな味があって非常によろしい

437 :幽斎 :2013/01/12(土) 22:06:39.01 ID:pdfKAOFP.net
細川じゃなくて太川ですな

438 :人間七七四年:2013/01/13(日) 19:33:12.99 ID:i6YKe17B.net
基本家格が低いので細く長くの生き残り戦術だったのに、おしまいの方は異様に広く太くなってしまったイメージ

439 :人間七七四年:2013/02/03(日) 13:35:07.44 ID:fIIT5fi7.net
細川って画数で見たら凶だった

440 :人間七七四年:2013/02/03(日) 13:39:37.09 ID:TZdT6oPj.net
近世以前は細河って書いてる史料のほうが多い気がする

441 :人間七七四年:2013/02/20(水) 21:24:48.75 ID:DXuMuWIH.net
細川の子孫って多いの?

442 :人間七七四年:2013/02/28(木) 12:47:10.48 ID:Htw4WSn9.net
>>441 呼んだ?

443 :人間七七四年:2013/04/04(木) 16:08:26.38 ID:f7xFjzBz.net
高国が養子入りしたのは何年のことでしょうか

444 :人間七七四年:2013/04/04(木) 16:13:14.01 ID:f7xFjzBz.net
下げ忘れたすまn

445 :人間七七四年:2013/04/04(木) 16:57:34.58 ID:In+/la0l.net
>>443
よく解らん。そもそも本当に養子入りしたのかという疑いもある

446 :人間七七四年:2013/04/04(木) 21:32:53.20 ID:f7xFjzBz.net
>>445
マジかいありがとう

447 :人間七七四年:2013/04/06(土) 17:07:30.65 ID:wzKfmsui.net
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

448 :人間七七四年:2013/04/07(日) 11:46:48.37 ID:LGR4+siQ.net
政界のウィザード 細川政元

449 :人間七七四年:2013/09/27(金) 16:11:04.49 ID:PxsEsj4T.net
室町の幕臣の細川高久って、細川氏のどの位置にいる人なの?
ウェキの細川氏の系図には載ってなかった
清和源氏足利氏族の細川の人じゃないのかなあ?

わかる人いたら教えてください
御ねがいたしますね

450 :人間七七四年:2013/10/09(水) 01:55:55.08 ID:p9ifhNTt.net
>>449
wikiによれば『近江佐々木氏の一門・大原氏の出身』とのこと
だとすると足利氏族の細川氏とは別だろうね

451 :人間七七四年:2013/10/20(日) 13:27:30.47 ID:G/Zvq82W.net
細川高国の勢力ってどの範囲かな。

高国の偏諱を受けた人物
長宗我部国親
安芸国虎
伊丹国扶
内藤国貞

これを信じると摂津、丹波、土佐は高国指示?

452 :人間七七四年:2013/11/10(日) 22:15:59.00 ID:K1sp9JQo.net
魔法将軍マジカル☆細川〜山伏☆天狗☆魔術でつかむよ!室町幕府♪〜
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1384056585/

魔法半将軍の暗殺(中) 山伏・天狗・魔術で権力つかんだ室町幕府細川マジカル大名≠フ天才的謀略センス
魔術に熱中する余りに家臣から見放され、ついには湯殿で行(ぎょう)に入る直前、
首を切られて殺された室町幕府管領、細川政元。子供のときから父・勝元も認める知略
を駆使して将軍以上の権力を持ち、「半将軍(はんしょうぐん)」と恐れられた存在だった。
そんな彼がどのように魔術に魅せられ、権力をつかんでいったのか。誕生から姿を追ってみた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131110/wlf13111007010000-n1.htm

453 :人間七七四年:2013/11/11(月) 19:47:11.26 ID:LMX4qqjm.net
>>451
高国の勢力圏は和泉と備中も含まれる
高国派の有力者に大内氏と畠山氏がいる

454 :人間七七四年:2013/11/30(土) 01:22:48.80 ID:eLfSHEAl.net
高国好きだー!
このひとが作庭した庭に惚れた
あと北畠宛ての辞世がカッコよすぎる

455 :人間七七四年:2013/12/06(金) 12:00:02.24 ID:BWH0Jk6D.net
政元が主役、もしくは登場する小説を何方かご存知ありませんか?
天魔ゆく空は読んだのですが…

456 :人間七七四年:2013/12/06(金) 18:38:48.07 ID:HIJhyBSL.net
>>455
魔法半将軍 十四歳の魔王 (コバルト文庫):

457 :人間七七四年:2014/01/11(土) 20:07:10.34 ID:8pgRJFfR.net
戦国都知事戦に、細川が決起か? 足軽をどうやったら集められるか。

458 :人間七七四年:2014/01/12(日) 09:04:12.66 ID:LoenlVqi.net
東京都民って日本で一番民度低いクズどもだからなー
蓮舫をトップ当選させたりキチガイ山本太郎も当選させるし、猪瀬に至っては都知事選において過去最高得票とかホント頭悪い連中だよw

459 :人間七七四年:2014/02/09(日) 23:01:51.84 ID:oqui96DH.net
足軽はそんなに集まらなかったみたいだな

460 :人間七七四年:2014/02/13(木) 12:16:45.07 ID:1RF3KRAj.net
チャイニーズ強制送還著作権オレオレ空気プレン  沖縄海マー君博多焼きそば

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チャイニーズ光金強制送還著作権オレオレ空気プレン  沖縄海マー君博多焼きそば

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461 :人間七七四年:2014/02/15(土) 11:33:48.77 ID:tNBWw+TN.net
細川忠興は奥州家輝経の養子として家を継承してるから
その子孫には関係ないことだけど
実父の細川藤孝の先祖は淡路細川氏の分流の細川らしいよ>>449>>450
その家は守護の格じゃなく将軍家の近習の細川らしい
分流とはいっても足利氏族であることには変わりがないけどね
和泉半国守護の細川家は江戸時代、朝廷の下級公家として存続してたらしいよ

462 :人間七七四年:2014/03/07(金) 06:06:52.21 ID:ql7rIRYv.net
>>461
お詳しいですね。
藤孝さんは名門の御曹司ってイメージだったけど
残念ですね。
成り上がりってイメージに変わりました。

463 :人間七七四年:2014/03/07(金) 09:53:30.24 ID:ZT/eK8g8.net
細川藤孝は三淵晴員の次男で、三淵氏は将軍近習の家系、おまけに将軍足利義晴のご落胤説もあるぐらいだから、
成り上がりってのは違うでしょ、ただの成り上がりなら古今伝授なんてされんだろ、だいたい。

細川氏の本流では無いが、細川氏は分家(スペア)をたくさん作っておくことで、
家系を存続させる作戦をとった、それが裏目に出て一族の内紛が起こってしまったが、
その時点で主流勢力で無かったから、逆に勢力を温存できたんでしょ。
消耗し尽くして消えてしまった阿波守護家とは対照的で面白いが、
細川家全体でみれば、家としてたくましい家系だなあとは思う。
本家がこけたら一緒にこけちゃうパターンのところも多いのにな。

464 :人間七七四年:2014/03/08(土) 03:32:41.83 ID:EA95XKrx.net
>>455
「天魔ゆく空」
この小説のタイトルをずっと「天狗空をゆく」だと思い込んでた
買って読んだくせに何なんなの
でもこっちの方がむしろ内容にあってる気もするし
きっと表紙に天狗のお面がのってるのが悪い

465 :人間七七四年:2014/04/09(水) 22:44:09.03 ID:Z7Ny6HoL.net
細川氏で桜(細川桜)の家紋をつかってるのは和泉上守護家だけなんですか?
あと、細川氏の桜は細川桜だけなんですか?

うちの親戚に細川がいて、家紋が桜って言ってましたので。

466 :人間七七四年:2014/09/24(水) 04:30:40.02 ID:ZAkBOjEu.net
忠興さんの新グラ来たぞーw
これは36人ぶった切る顔ですわw
http://www.nicovideo.jp/watch/1411381994

467 :人間七七四年:2015/03/10(火) 08:46:28.24 ID:pati5oKd.net
讃州家真之の子隆之て、親父がやられた後どんな生涯をおくったんだろ?
教えてくだされ

468 :人間七七四年:2015/12/11(金) 07:58:47.81 ID:X6n67xUH.net
つかさ、四国や摂津などに勢力があった細川氏は三好に乗っ取られたよね?

469 :人間七七四年:2016/01/11(月) 19:05:38.18 ID:DdmZaSE2.net
出羽の小国細川氏って系譜不明なんだっけ?
斯波氏家臣の細川(完草)氏の流れかな?

470 :人間七七四年:2016/02/10(水) 06:02:37.95 ID:ijhC9ro3.net
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費)

https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ファンド

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