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もし、本能寺の変がおきなかったら

1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 23:32:57 ID:tr3F6hhB.net
明智光秀が裏切らず、そのまま信長自ら中国地方に責めに入る
ことができれば、やはり信長の天下統一は成し遂げられたのだろうか?

418 :人間七七四年:2008/09/02(火) 23:50:49 ID:oPJLj7Au.net
信長が生き延びていても、今のスペインやポルトガルと南米の関係の様に、東南アジアに日本語を公用語とする国が何ヶ国かあり、昔の植民地帝国を懐かしむカキコミが2ちゃんねるに散見するくらいの変化しか起きないかもしれない。

419 :人間七七四年:2008/09/29(月) 13:49:33 ID:OA4fSxC2.net
例えば韓国併合時代を懐かしむカキコが2ちゃんねるに散見されているか?

420 :人間七七四年:2008/11/21(金) 01:19:21 ID:06ne8I+q.net
喫茶店か何かで歌ってたじいさんからも金を要求したってのはマスコミの捏造だな。
JASRACは正しい。

421 :人間七七四年:2008/11/21(金) 13:02:42 ID:8+uSrM+e.net
朝鮮は確実に支配下に置くな。
対明以降は正直予想できん。
しかし最終的には領土と野心を肥大化させすぎて崩壊しそうだ。
その前に信忠を中心とする政治システムを国内に作って、
最低でも日本支配だけは揺るがない体制にしておくと思う。

まあ、俺らですらある程度の合理的な予想が出来るんだから、
信長はもっと確実で革新的に世界を変えたんだと思うが…

422 :人間七七四年:2008/11/21(金) 13:16:32 ID:4iGMRqCc.net
朝鮮獲っても旨味がないだろ
痩せこけた大地……

423 :人間七七四年:2008/11/21(金) 13:56:23 ID:s7sHipfJ.net
>>417

ちゃんと出版社変えて最初から出してるから安心して突撃して良いよ
三州殿のように

424 :人間七七四年:2008/11/21(金) 15:15:57 ID:62hRYZRl.net
>>415
異・戦国志はどうだろう。本能寺が起きたが信長は生きていて、柴田勝家の元に落ち延びる。そのあいだに秀吉が異常な速さで事態を収拾するのを見て不信感を抱き、信長vs秀吉が始まる…ってやつ

425 :人間七七四年:2008/11/21(金) 15:53:13 ID:Jb/wGBmT.net
真田一族が異様に強いとか信長の先見性凄過ぎとか
そういう小説はちょっと・・・と言う人にも安心な本だよねそれ
昌幸は家康との乾坤一擲の勝負に敗れて死亡、幸村も家康殺せずに死亡、
信長は家康に謀られて死亡、秀吉も家康の仕込みで死亡

家康頑張りすぎだな
まあその家康の家系も結局は・・・と言う展開なので

426 :人間七七四年:2008/11/21(金) 15:56:58 ID:6vFUqtWf.net
イメージだけで信長は革新的って言ってる人も多いけど、実際は合理的なだけで
あれで結構旧来からの寺とか神社とか保護してるし、しきたりとかも重視してるよね。
朝廷だって信忠に上の位につかせようとしてたくらいだし、秀吉みたいに公家化しないにしても従来通りになるでしょ。
日本全体としてはそこまであっと驚くような変化は無いと思うよ。

もう滅亡寸前の毛利上杉は利用価値無いけど、北条島津あたりは徹底抗戦の構え見せたりしなければ
領土を少し分割して自分の親類を送り込んで取り込んだりしたかもしれない。勝長とか津田信澄とか。
少なくとも羽柴秀勝とか丹羽長重とかみたいに譜代家老の連中の跡継ぎは織田家の縁者送り込んで占めちゃう気がする。

あとさ、秀吉とか柴田とかが必死になって信長の側近連中の万見(死んだけど)とか堀とかと懇意になろうとしてたけど
その流れで若い官僚連中の権力が大きくなっていくと思うな。軍団長とかはその下におかれると思う。
その方が安定するんじゃないかな。豊臣政権の五大老みたいなデカイのに大きい権力持たせるメリットもないし。
官僚のトップ候補は堀、長谷川、蒲生、森兄弟、細川あたりかな。菅屋と村井って跡取りいたっけ。

んで日本統一したら後は信忠に任せたって、どっかに隠居して孫と戯れたり、茶の湯三昧でのんびり暮らしたり・・・しないか

427 :人間七七四年:2008/11/21(金) 16:00:46 ID:Jb/wGBmT.net
親族がすがす殺しまくったわりに息子たちに甘いからな
これで孫なんて出来たりしたらもう

428 :人間七七四年:2008/11/21(金) 17:05:37 ID:ba3mpai9.net
>>115

>光秀の丹波没収の上、毛利領切り取りの上の領地替え

これマユツバ

429 :人間七七四年:2008/11/21(金) 18:05:33 ID:6vFUqtWf.net
親族で殺したのなんて反抗して自分の命狙ってきた奴らだけでしょ。
それよりも一向一揆相手に投入してがすがす死んでったのが圧倒的に多いよ。

430 :人間七七四年:2008/11/21(金) 18:06:41 ID:8+uSrM+e.net
よく考えたら秀吉が倒した光秀や勝家、秀吉が敵対した家康、
何より秀吉自身を部下として使えるんだよな、信長が死ななかったら。
そう考えたら天下統一は1584年位で完了、
朝鮮出兵も楽々成功させられるか。

やはり問題はその後、どう動くかだな。
日本の外と内に対して。

431 :人間七七四年:2008/11/21(金) 23:08:42 ID:/Us/NDpV.net
本能寺の変が起きなかった場合の以後の出来事を年表にしてみた

1582年6月 本能寺の変起きず。明智光秀、細川藤孝隊が秀吉の与力として中国地方に進軍
1582年6月 備中高松城で城主、清水宗治切腹。抗戦派の吉川元春派は徹底抗戦の主張を断念
1582年7月 信長、かねてよりの秀吉の要請に応え中国地方へ出陣準備に取り掛かる 
1582年7月 織田方より出されていた周防石見2国のみ毛利家所領安堵の講和条件を毛利家は受諾する
1582年7月 四国に到着した織田信孝、丹羽長秀隊が三好軍と合流、長宗我部領に攻め入る
1582年8月 信長安芸に到着。毛利輝元以下、毛利家重臣に謁見を許す。その際、抗戦派であった吉川元春の切腹を申し渡す
1582年8月 吉川元春以下、抗戦派の主だった重臣は皆、切腹
1582年9月 総大将を羽柴秀吉とし、毛利家3万、宇喜多家1万に九州の島津征伐を命じる。
1582年9月 同年4月に貢物を拒絶し絶好関係にあった北条氏政に、伊豆相模を残して降伏するように勧告する
1582年10月 北条氏政は、これを拒絶。両家、抗戦の構えとなる
1582年10月 北陸の柴田軍が上杉家本領の越後に進軍を開始する。同国の新発田重家も呼応して春日山城へ進軍
1582年11月 織田信孝軍、阿波にある長宗我部方の城を全制圧。
1582年11月 羽柴秀吉を総大将に島津遠征軍10万が開門海峡を渡海
1582年12月 織田信忠、滝川一益、徳川家康、各隊が北条領に出陣
1582年12月 長宗我部元親が信長に降伏の使者を送る。
1582年12月 上杉景勝が春日山城に立て篭もり徹底抗戦の構えを示す
1582年12月 北条氏政、またしても貢物を信長に献上。拒絶され使者が切り捨てとなる

432 :人間七七四年:2008/11/21(金) 23:24:42 ID:4+0ZHDQ4.net
毛利降した一ヶ月後にはもう九州入りってそれは幾らなんでも速すぎだろ
織田家の誰かが九州に手をつけてたわけでもないのだし何の準備もない

433 :人間七七四年:2008/11/21(金) 23:52:28 ID:/Us/NDpV.net
大友はかねてから信長に助けてくれと泣き付いていた
四国における三好と似たようなもの。
そーいう足がかりがあり、何よりも降伏した毛利の力を削ぐ意味でも
信長は中国進軍の勢いのまま九州征伐に乗り出すのではないだろうかな?
普通に島津に対して降伏の使者を送る可能性が高いのも確かだが

434 :人間七七四年:2008/11/22(土) 02:50:56 ID:dtcjncUT.net
稀代の勤皇家明智光秀が信長を誅滅しなければ、宮家・公家は信長によって撲滅され、
軍事独裁の血生臭い織田王朝が誕生してしまうところでした。
また、光秀は民をいつくしむ人だったので、年貢も二公八民にしようとしたのに対し、
信長は民を搾り上げる暴君です。
山崎の戦で敗れなければ、300年近く早くに日本に夜明けが訪れていました。

435 :人間七七四年:2008/11/22(土) 19:07:09 ID:o3KQceym.net
周防石見2国で動員兵力3万はなかろう。
ただ毛利は詰みで、四国の半分程度の長宗我部の抵抗なんてタカが知れてる。
そうすると秀吉より早い段階で九州征伐が可能。
秀吉の時ほど大友の状況も絶望的じゃないし、鍋島が抵抗するはずもないし、
九州征伐も楽だな、さっさとかたづくんじゃないの。
上杉は毛利同様風前の灯だし、東北なんぞ問題外だしなびいてる連中も多い。
あとは関東をどうするかだけど・・・一応北条は同盟関係だったんだよね。
本当に潰しにかかったかな。北条はまだ無傷だし、利用価値ないわけでもないし。
あんまり無茶じゃない領土割譲を求める、あるいは北条に養子を送り込んで、北条もそれを飲んで、
反対に佐竹とか結城とか東北の一部の抵抗勢力討伐しておしまい、ってのはありえないかな。

ところで434の気持ち悪い電波は何を煽ってるの?

436 :人間七七四年:2008/11/22(土) 20:50:22 ID:DpYJYHUN.net
>>435
範馬勇次郎…?勇次郎じゃないかお前!

437 :人間七七四年:2008/11/22(土) 21:46:07 ID:GgI2JUlh.net
異・戦国志はノブナガがかなり過小評価されてる半面、
家康・真田・伊達が異様に過大評価されてるような…

438 :人間七七四年:2008/11/22(土) 22:04:19 ID:iip5Zpoj.net
>>435
ある。むしろ4,5万要請されても不思議じゃないくらい。
だって周防石見にされる前は、安芸でも長門でも毛利領だったんだから
目的は、その旧毛利軍の力を削ぐ意味もある。
第一中国地方全域をカバーしてた家臣団を僅か2ヶ国で養うのは毛利としても辛い
九州征伐で軍功挙げれば、さらなる加増とでも餌をばら撒けば必死になって戦うかも知れない

後、北条に対しては完全に切られる。
事実、氏政の貢物を拒絶し、同盟関係を解消しようとする動きを信長は取っているし
どちらかというと北条より佐竹や里見寄りのスタンスで関東を牛耳るんじゃないかな
存続できたとしても北条は、よくて相模伊豆。でも、多分何やかんや言われて改易されると思うけど

439 :人間七七四年:2008/11/22(土) 22:41:43 ID:U0xsI91V.net
譜代最大の諸侯は明智
外様最大の諸侯は北条

徳川は3ヶ国で70万石
毛利、上杉は30〜40万石
宇喜多と前田は
能登と備前一国止まり

羽柴は筑前に国替え

440 :人間七七四年:2008/11/23(日) 02:06:28 ID:a1WeZFAG.net
で、あるか

441 :人間七七四年:2008/11/23(日) 02:32:42 ID:kGsY1bqP.net
信長自身は太政大臣となって公武に君臨、信忠を征夷大将軍にして織田幕府かな?
でも自称平氏で自称源氏じゃないし、足利の恨みも買ってるから将軍は無理?
ただ、信忠を征夷大将軍にしようとしていたんだよね?

442 :人間七七四年:2008/11/23(日) 02:33:49 ID:kGsY1bqP.net
買ってる ×
かってる ○

443 :人間七七四年:2008/11/23(日) 11:02:43 ID:CsXAXdTn.net
別に源氏じゃなくても大将軍にはなれるだろ

444 :人間七七四年:2008/11/23(日) 15:28:34 ID:ZY7JsAXX.net
鍋島、津軽、真田、溝口
稲葉、堀田、石川、
小笠原は独立大名になれないだろう

445 :人間七七四年:2008/11/23(日) 22:13:30 ID:pI8v7H9b.net
信長の代で1585年頃には、天下統一は確実だろう。
信長は既に本能寺の変の頃には、織田家の家督を信忠に譲っている。
三職推任問題についても、実は信長ではなく信忠の官位を求めていたのではないか。
天下統一後に信長がどう考えるかだな。秀吉と違って、しっかりした後継者がいるので、徳川と同様、織田政権はまず安泰。
海外への進出にしても、武力から入るか、商売から入るか、で変わってくる。
武力から入ると、当時の航海技術の問題等から、やはり対朝鮮、明戦争になる可能性が高い。
商売から入ると、対朝鮮、明戦争は愚策。史実の朱印船貿易や南蛮貿易は、明との貿易が主軸だった。
最大の貿易相手国相手に戦争を起こすのは、商売的には大損で、平和が一番もうかる。
積極的に商人を保護し、海外貿易を奨励する政策をとるならば、日明間の中継貿易で儲けていたオランダ、スペインといった南蛮貿易国が敵になる。
東南アジアを舞台にした日西蘭の戦争がおこるな。


446 :人間七七四年:2008/11/24(月) 08:59:17 ID:szOUhptA.net
信長は信玄みたいに、勝ち目のない相手とは戦争を避け、融和策を図っていた。
海外進出の際にも、勝てる相手なら戦い、そうでないなら貿易等で様子を見て、機を伺うんじゃね?

447 :人間七七四年:2008/11/24(月) 12:34:22 ID:HD5e53mc.net
別に信長は信玄に勝ち目のない時代なんて殆どなかったろう?動員数的に
目が西に向いていたからケツを噛まれるのを嫌がっただけで

448 :人間七七四年:2008/11/24(月) 16:16:58 ID:szOUhptA.net
そうなのか?
信玄と剣心とは徹底して戦いを避けてたから、単純に戦っても勝てそうにないからなのかと思ってたが…


449 :人間七七四年:2008/11/24(月) 16:21:30 ID:lNp46nIJ.net
>>448
信長にとっては西こそが征服支配すべき目標なので、背後の勢力を敵に回して
二正面作戦などしたくない。だから武田との友好に努めた。長篠で武田の脅威が
薄れた後も、甲信を征服するより畿内を征服する方が有効と判断して守勢を
貫いただけ。

信玄は義元が死んで弱体化した今川ともしばらくは同盟を堅守した。それは
まだ北で上杉との闘争が続いていたから背後を安定にしておきたかったから。
別に「単純に戦っても勝てそうにないから」ではなかろ?

450 :人間七七四年:2008/11/24(月) 16:34:14 ID:YzailcT8.net
二正面作戦は基本的に愚策だから、信長は徹底的に避けた。
何しろ畿内には、本願寺という敵対勢力がいた。
宗教界の現実政治への介入を嫌う信長にとって、現実政治に介入してくる限り、本願寺は不倶戴天の仇敵だった。
そして、本願寺が石山を明け渡し、現実政治への介入を断念したので、武田や上杉と戦う体制を信長は作れた。
スレ違い失礼

451 :人間七七四年:2008/11/24(月) 18:31:23 ID:Ko7HVttx.net
別にそのことと武田への恐怖は両立するよね

452 :人間七七四年:2008/11/24(月) 18:42:55 ID:s9FqP4dV.net
本能寺の変が起きなかった場合の以後の出来事を年表にしてみた

1582年6月 本能寺の変起きず。明智光秀、細川藤孝隊が秀吉の与力として中国地方に進軍
1582年6月 備中高松城で城主、清水宗治切腹。抗戦派の吉川元春派は徹底抗戦の主張を断念
1582年7月 信長、かねてよりの秀吉の要請に応え中国地方へ出陣準備に取り掛かる 
1582年7月 織田方より出されていた周防石見2国のみ毛利家所領安堵の講和条件を毛利家は受諾する
1582年7月 四国に到着した織田信孝、丹羽長秀隊が三好軍と合流、長宗我部領に攻め入る
1582年8月 信長安芸に到着。毛利輝元以下、毛利家重臣に謁見を許す。その際、抗戦派であった吉川元春の切腹を申し渡す
1582年8月 吉川元春以下、抗戦派の主だった重臣は皆、切腹
1582年9月 総大将を羽柴秀吉とし、毛利家3万、宇喜多家1万に九州の島津征伐を命じる。
1582年9月 同年4月に貢物を拒絶し絶好関係にあった北条氏政に、伊豆相模を残して降伏するように勧告する
1582年10月 北条氏政は、これを拒絶。両家、抗戦の構えとなる
1582年10月 北陸の柴田軍が上杉家本領の越後に進軍を開始する。同国の新発田重家も呼応して春日山城へ進軍
1582年11月 織田信孝軍、阿波にある長宗我部方の城を全制圧。
1582年11月 羽柴秀吉を総大将に島津遠征軍10万が開門海峡を渡海
1582年12月 織田信忠、滝川一益、徳川家康、各隊が北条領に出陣
1582年12月 長宗我部元親が信長に降伏の使者を送る。
1582年12月 上杉景勝が春日山城に立て篭もり徹底抗戦の構えを示す
1582年12月 北条氏政、またしても貢物を信長に献上。拒絶され使者が切り捨てとなる

453 :人間七七四年:2008/11/24(月) 18:50:30 ID:Ko7HVttx.net
関東と九州同時に行っちゃうん?
そうすると完全に織田領に囲まれることになる家康はどうするん?
暴発?完全に臣下になる?これまでどうり?

454 :人間七七四年:2008/11/24(月) 19:13:23 ID:s9FqP4dV.net
家康は先兵隊として駿河から北条本国の相模に進軍することになるよ
史実通り、4男の氏規に降伏するように外交するだろうけど
小田原評定で、なかなか決まらないうちに
秀吉よりも短気な信長は、徹底的に滅ぼすことに決めるはず

455 :人間七七四年:2008/11/24(月) 19:33:06 ID:7z3E/aTF.net
>>452
431と同じですね。同じ方ですか。
毛利家への扱いですが、周防・石見2国といわれる根拠は、何でしょうか。
高松城明け渡しの際に、毛利家へ認めた所領の3分の1以下への削減ですが、あれは秀吉の独断だったのでしょうか。
秀吉にそこまでの専断権があったとは初耳です。
清水宗治の助命を認めるか、否かではもめていましたが、毛利家の所領については、現状追認が講和条件でした。
百歩譲って、もし、そこまで毛利家を削減されるのなら、石見は没収でしょう。
世界遺産にまでなった大銀山、石見銀山を毛利家に与えるはずがありません。

456 :人間七七四年:2008/11/24(月) 21:19:32 ID:s9FqP4dV.net
史実では5ヶ国割譲するという約束は毛利方から秀吉に持ちかけた講和内容だろ?
その清水宗治の処遇によって講和が揉めていたのは確かにそうだが
果たして信長が本当に納得してるとは思えないんだよね
宇喜多の投降すらも一度は拒絶してるほどなのに毛利に5ヶ国割譲だけで済ますとは到底考え難い
実際に対峙してる秀吉にすれば、それで講和を結んで一段落おきたいという気持ちもあるだろうし
安土にいる信長も一応は了承の形で認めるだろうけど
光秀や藤孝を与力として派遣し、自身も出陣のつもりなら
それは完全に滅ぼす気だよ。
で史実と違うのは、その宗治に切腹を勧めたのは秀吉と誼のある安国寺であって
それは秀吉が本能寺の変を知ったから安国寺に、そーいう働きかけをしてもらってるわけで
予定通り信長出陣なら、そんなことする必要もないということ。
つまりは講和は膠着したまま両軍決戦に至るんじゃないかと。
そうならなかったとしても信長自身の本音を考えれば2国安堵でも多いくらいじゃないかな?
後、石見銀山に関して言えば、豊臣時代の佐渡金山のように織田家直轄が当たり前かと。
ま、周防石見は適当だから、存続するとしたら徳川時代のように長州でもいいのだけど


457 :人間七七四年:2008/11/24(月) 22:00:40 ID:RFfPjdXb.net
宇喜多の投降を一度は拒絶しているが、結局は投降は認められている。
それに完全に滅ぼす気なら、秀吉がそもそも講和交渉をすること自体が越権行為で、毛利家の使者を信長に会わせる必要があるのでは。
秀吉に毛利家を油断させるために講和交渉をするふりだけさせたのだ、と言われたら、そこまでだが。
それにそこまで過酷な条件を突き付けるのなら、小田原征伐時の北条家と同様に、郡山城を攻囲しないと毛利家は降伏しないと思うが。
関ヶ原と違い、小早川隆景も吉川元春も健在なのに、毛利輝元が本国でもない備中に織田軍が集結したから、と言って無条件降伏するとは思えない。

458 :人間七七四年:2008/11/24(月) 22:14:14 ID:dlkNqhCq.net
石見銀山に関してだけど
元就の遺産として朝廷から毛利家の永久的所有権のお墨付きを得ている(形式的には朝廷の所有で毛利が代理)
秀吉が天下人になっても毛利から完全に石見銀山の所有権を奪えなかった理由もそれだし
徳川が所有権奪ったのも天下の趨勢が決まってから
毛利は他の大名と違い年始、年末、吉凶事には朝廷に進献を許されてる家
朝廷は必ず毛利の命ごいをするだろう(朝廷はあくまで自己優先なので強くは言わないかも知れないが)
統一したならともかく信長はまだ戦乱が収まってない段階で
朝廷と険悪になってまで毛利を潰すだろうか?
石見の所有権を奪うだろうか?(いずれ何らかの形を取るだろうが)

そうすると明智は…


459 :人間七七四年:2008/11/24(月) 22:18:26 ID:dlkNqhCq.net
…でも、やっぱり信長の事だから朝廷無視かなぁ(自己完結ww)

460 :人間七七四年:2008/11/24(月) 22:32:15 ID:s9FqP4dV.net
>>457
ただ毛利は前面の織田だけ相手してるわけではなく
南条や大友という敵にも囲まれているわけで、それほど虚勢を張れる状態でもない
で、北条家の例を見ても明らかだけど
決して一枚岩で織田家と対抗できる大名なんてまずいないわけで
必ず裏切りや降伏を申し出る家臣も出てくるんだよね
でも、そうなってから降伏では、やはり遅すぎるんだよ。
例え意地があっても生き残るためには全面戦争か全面降伏に近い服従か

>>458
天皇は安土城に移り住んだ時点で信長の操り人形でしょう
事実、天皇の寝室よりも、信長自身を現したとされる石の方が高い位置に設置されてる時点で
信長の今後の天皇の扱いが垣間見える


461 :人間七七四年:2008/11/24(月) 23:06:20 ID:szOUhptA.net
ここ良スレだけど、本能寺以降ってことでちょっと規模がでかすぎて収拾がつかなくなってないか?
斜め読みした感じ、とりあえず「数年以内の信長による天下統一」ってとこまでは確定らしいから、
統一のプロセスを話し合って、固まったらそれ以降の動向(EX.信長の朝鮮出兵)を集中して話し合ったほうが効率的じゃないかな?

462 :人間七七四年:2008/11/25(火) 01:08:45 ID:iSwd1INF.net
そうなんだよ。このスレ、いかにも厨臭いテーマをモチーフにしてるスレにも関わらず
上から読み返して行くと意外と良スレなんだよ

463 :人間七七四年:2008/11/25(火) 20:24:33 ID:qifykBR6.net
統一のプロセスの話をするならば。
信長は速やかに天皇制を廃絶し、自らが天皇、乃至皇帝になろうとしていたということでいいのかな。
宣教師の話を信ずるならば、自分は神だ、として自らを神格化して、家臣や領民に自らを崇拝するように命じていたようだし。
自分以外の神である現人神の天皇は存在してはならないとして、天皇以下の皇族を虐殺して根絶やしにしていたと思う。

464 :人間七七四年:2008/11/25(火) 23:28:09 ID:fxKEd1B9.net
>>463
一神教に毒された現代人的発想おつかれ

465 :人間七七四年:2008/11/27(木) 08:07:29 ID:qKhUAznm.net
>>463
そのパターン良く言われるけど、実際、天皇個人や公家衆を根絶やしにする可能性は低いよ〜。信長の本質は有る物は最大限利用するタイプで既存の権威を蔑ろにする事による影響を当然考えているよ。信長は奇行や虐殺行為を取り沙汰されるけど、基本的にリアリストだよ。

466 :人間七七四年:2008/11/27(木) 18:01:41 ID:PYlvhtur.net
>>461
そう。だからこそ、
まずは本能寺の変直後の起こりうるであろう事態から順を追って
>>452の年表にまとめて、皆の意見を求めてたんだよ。
どういった流れで信長が天下統一に進むのかさえ、まとまれば
後の海外侵略や統治の仕方の道標になるかと思ってね。


467 :人間七七四年:2008/11/27(木) 18:08:26 ID:PYlvhtur.net
>>463>>465
むしろ、俺は天皇を朝鮮出兵の口実に利用するんじゃないかと思うんだよ。
かつて朝鮮半島が百済、高句麗、新羅の三国時代だった頃
その半島の今の釜山周辺にもう1つ国があったんだよね。
その名が任耶日本府。そして、その地域を伽耶という。
文字通り、この国は日本固有の領土として当時は存在していた。
しかし三国が争い、劣勢だった新羅が唐に援軍を派遣したことから
高句麗がまず滅ぼされ、その後に伽耶と、その属国だった高句麗が唐、新羅連合軍と戦い滅ぼされたんだ
白村江の戦いとして歴史の授業でも学んだことがあると思うけど。


468 :人間七七四年:2008/11/27(木) 18:17:50 ID:PYlvhtur.net
で、問題は何故、天皇が関係あるのか?ということなんだけど

韓国人には皆「本貫」というものがあってね、
これは日本で言うところの本籍。その本籍の一族版みたいなものが本貫というんだね
自分の一族の誕生の地、本貫を韓国人は今でも大切にし、その故郷の地を大切に思うんだね。

で、問題は、天皇に取ってのその本貫とは、実はこの伽耶じゃなかったのか?という疑惑があるんだよ。

今でこそ伽耶地域は韓国領だが、当時は列記とした日本固有の領土
だから、天皇家は北方領土で誕生しました。という同じニュアンスで捉えてもらっていい。
その天皇の領地、出生の国を取り戻す

この大義名分を持って信長は朝鮮出兵に向かうんじゃないかと?
ま、旧日本軍とかなりダブる発想で危険視されるかも知れないけど
もし、信長が天皇を利用するとしたら、この辺を使ってくるんじゃないかと?


469 :人間七七四年:2008/11/27(木) 18:31:17 ID:KjZvgh28.net
その「本貫」考え方は韓国じゃなくて中国の方が元だよ……

470 :人間七七四年:2008/11/27(木) 18:36:03 ID:PYlvhtur.net
そりゃ韓国の歴史や文化なんて中国に影響ばかり受けているんだから
元は中国かも知れない。
でも、それは今、何も関係ないと思うが?

471 :人間七七四年:2008/11/28(金) 11:08:55 ID:CwVmyOsC.net
朝廷がどうのは別として、信長なら 日本にとどまらず、
朝鮮をかわきりに大陸に一気に侵攻!
積年の恨みモンゴルも軽く撃破!
大陸に大日本信長幕府を樹立する! さすれば、昭和の大陸侵攻もないから、
太平洋戦争もおこらない! だれも死なない!原爆も落ちない! アメリカの犬とも、呼ばれない!めでたし、めでたし、 秀吉の時とは違い、 皆、必死でやるから、信長ならできる! たぶん

472 :人間七七四年:2008/11/28(金) 11:10:36 ID:CwVmyOsC.net
いや、できるといいな…

473 :人間七七四年:2008/11/28(金) 19:49:17 ID:oxyuInMG.net
意外と冷静に「今の私では…世界は牛耳れん!」とか言って、
朝鮮・台湾・樺太あたりで海外進出はやめるかもなw

474 :人間七七四年:2008/11/28(金) 21:26:41 ID:EQ9Ok5SA.net
何で朝鮮に行くのかな。何か織田政権にメリットがあるわけ。
朝鮮へ出兵するということは、明と戦争するということ。朝鮮半島がいくら荒れても、明の国力には直接は影響しない。
長期戦になれば、どうみても史実の豊臣政権下における朝鮮出兵と同様、先に織田政権の方が国力が尽き果てる。
どうしても、明と戦争するというのなら、海軍力を整備し、遼東半島から広州までの明の沿岸部に対し、海賊行為を行った方がいい。
史実の鄭成功はこの方法で、清に対し、抗戦している。
明は海禁政策をとっており、強力な海上戦力を有していないことから考えても、海賊は有効な戦略だと思うのだが。

475 :人間七七四年:2008/11/28(金) 22:30:39 ID:CwVmyOsC.net
まあ、戦略は織田殿にまかせますが… 要は信長なら、秀吉、家康ら、だれよりも、大陸進出の夢を本気で考えそう、 と思うのだが…

476 :人間七七四年:2008/11/29(土) 00:48:48 ID:WkWSYf4e.net
信忠や蘭丸は(おそらく)名将になるだろうから、彼らも強力な戦力となるかな。

477 :人間七七四年:2008/11/29(土) 00:59:11 ID:bjxM8byk.net
天下統一の目前というところで信長の前に大きな壁が立ちはだかることになった
そう、東北の雄 伊達政宗である

478 :人間七七四年:2008/11/29(土) 01:01:53 ID:DeROvp+J.net
輝宗は信長と通じてなかったっけ?

479 :人間七七四年:2008/11/29(土) 01:10:11 ID:A0vjPTzO.net
天下統一目前なら、秀吉の時と同様に伊達など、大した壁じゃないっしょ!白装束着て、降参!

480 :人間七七四年:2008/11/29(土) 10:37:40 ID:4/19H3AC.net
大陸進出という巨大な悪夢を、信長なら全く考えないと思うのだが。
大陸に進出すれば儲かるわけ?どうみても赤字経営で日本の負担にしかならないでしょうに。
そんなに日本を破たんさせたいわけ。
夢がない、というのなら、大陸進出による利益を説明してほしい。
秀吉の朝鮮出兵が巨大な愚挙とされているのに、信長なら成功する根拠はどこにあるの。

481 :人間七七四年:2008/11/29(土) 13:32:59 ID:A0vjPTzO.net
ヨーロッパ人もアメリカって大陸に進出して、インディアンをぶち殺し、巨大な国をつくったじゃん! 三百何十年後には、日本軍が、大陸に進出してる、 領土とゆう利益があるから、 今も、どこかで、戦争してる、資源とゆう利益のために、
この時代なら、大名に与える領土を取るため、
信長なら、できる根拠はないが、 だれよりも大陸侵攻の夢をみそうて事

482 :人間七七四年:2008/11/29(土) 13:39:48 ID:XVPY5/PS.net
信長は天皇制を廃止して
皇帝みたいな存在になりそう

483 :人間七七四年:2008/11/29(土) 17:51:01 ID:txHTun9e.net
>>474
そんな戦線の伸びきった支配は現実的じゃないと上でも叩かれてたハズだが?

>>480
秀吉が現実に出兵したのは信長の構想を受け継いだからだよ。信長が生きていれば海外侵略したというのは現実
それ以外に具体的な理由として
100年以上にも及ぶ国内の内乱で増幅した兵士の雇用問題があげられる
国内が統一されると、それらの侍や足軽が一挙に失業者になる
その雇用対策、食い扶持のはけ口としての、さらなる領土の制服
これが秀吉(ヨーロッパの王様も皆同じ)の唐入りの理由だよ。
いわんや信長に至っては、専門の職業軍人を確率して戦っていたのだから
秀吉よりもさらに、その点は影響が大きいよね
戦争しないと職業軍人は仕事がなくなるからね。

484 :人間七七四年:2008/11/29(土) 18:02:20 ID:txHTun9e.net
それと、信長が海外侵略に注目しだしたのは
明らかにポルトガルなど西欧の宣教師や貿易商人の影響
天下統一前の頃になると重臣よりも宣教師や商人と相談することの方が増えていたとまで言われていて
いかに西欧の植民地政策や海外交易に興味を持っていたかが伺える

そんな観点から考えれば、信長にとっての海外侵略は
領土支配、雇用問題もさることながら、一番の目的はやはり海外交易

朝鮮には陶磁器があり、中国には絹があった
これらの商品を自国の輸出商品として西欧諸国と交易しようという狙いがあったように思う

485 :人間七七四年:2008/11/29(土) 18:04:16 ID:txHTun9e.net
>>482
むしろ天皇は残しといたまま、自分はさらに上の地位に立とうしていたと思うよ


486 :人間七七四年:2008/11/29(土) 20:40:59 ID:A0vjPTzO.net
なるほど…貿易か… それと、上で叩かれたの、しらなかったから…ごめんなさい

487 :人間七七四年:2008/11/29(土) 21:09:59 ID:pBxyDvw8.net
>>484
朝鮮の陶磁器や中国の絹が、西欧諸国に輸出されていたのですか。それも大幅な利益が見込めるほど買い手がいたのですか。
いなければ商売になりませんが。実際問題として、陶磁器も絹も西欧で生産されています。
海路はるばる運ぶ輸送費用からして、よほど中国産や朝鮮産は高品質でないと売れないと思います。

また、実際問題として、16世紀のスペインやポルトガルの植民地政策は、海外交易拠点を設けるのが主眼だったのでは。
具体的に国家を征服し、土地を開拓した実例として、どこがあるのでしょうか。
南米では、原住民が大量に伝染病により激減したことで国家が崩壊したことから征服していますが、アジアではスペインもポルトガルも拠点しか設けていません。

それに戦争が終わったら軍縮して、職業軍人を減らすのは当たり前。
それができずに戦争するのは、国土を荒廃させて、亡国へと導く破滅への道ですが。
兵士の雇用対策とおっしゃいますが、兵士は帰農させるか、海外へ傭兵として出稼ぎさせれば問題ないと思いますが。
実際に徳川幕府は、それで兵士を減らしましたが。

488 :人間七七四年:2008/11/29(土) 21:50:33 ID:txHTun9e.net
西欧における大航海時代とは、まさにそういうことです。
アフリカやインド、東南アジアの資源を求め
ペルシャや極東の交易品や資源を求め
かわりに自分たちの交易品を売りつけ多くの利益を儲ける
これは当時の日本の商人たちも行っています。
一度、シャムでもルソンでも船で乗り出し交易した者の利益は
孫の代まで遊んで暮らせると当時は言われていたようです。

また、日本や朝鮮、中国の陶磁器が、当時の西欧貴族から持て囃され
有名な伊万里焼なんかも海外輸出用に作られたものなんですね。
今もそうですが、陶磁器の世界最高レベルを有する国は日本、朝鮮、中国です。
それは当時からも認められている事実なんですよ。

また、ローマやギリシャ、フランスでも
国内を統一した王が兵士の雇用を生み出すため、他国を攻撃するのは常識的なことです
西欧諸国は別に宗教戦争だけをしていたわけではありませんよ。
国内を統一し不必要になった兵士や豪族の扱いに常に神経を尖らせていたのです。

あと、兵士を減らすと簡単に言っても、人は生きていく為には何かしらの生業を持ち食べていかなければなりません
長男が親の田んぼを継げば、その下の次男三男はどうやって食べて行けばいいというのでしょう?
それは戦国末期において滅亡した大名家の侍や足軽たちが東南アジアに移住した事実を見ても明らかです。
大量の失業者は社会や政権にとって恐るべき危険因子に映るのです
大塩平八郎の乱のように政権に牙をむく存在にならないように
為政者は常に何らかの対策を講じなければならないのです。



489 :人間七七四年:2008/11/29(土) 21:59:12 ID:A0vjPTzO.net
言われるとおり、軍縮せずに戦争、戦争と突き進むのは、 破滅への道に間違ない、 家康ならそりゃあやらない、 だからこそ、徳川幕府は、 二百年以上も続いたんだろうと思う、
だけど信長よ 比叡山焼き討ちするは、
将軍追放するは、 朝廷までないがしろにしそうになるわ
あげく自分家臣に殺されちゃた信長よ
家康とは違うしょ

490 :人間七七四年:2008/11/29(土) 21:59:54 ID:yehUS83U.net
>>487
アヘン戦争が起こったのは中国に対して輸入多可で再三が獲れなくてアヘンを売ったから
中華皇帝が「我が国で自給できないもの等何もない」と広言するのは伊達ではない
そこまでの生産爆発が起こったのは清に入ってからだけど、市場の雛形はもう既に明の段階で爛熟している
陶磁器、絹、茶葉、全部輸出してボロ儲けできる

491 :人間七七四年:2008/11/29(土) 22:06:48 ID:A0vjPTzO.net
御意

492 :人間七七四年:2008/11/29(土) 23:24:57 ID:txHTun9e.net
逆に言えば、なぜ徳川幕府が鎖国(管理貿易)政策を取ったかというと
海外からの利益を得るための輸出品が日本だけでは、まだ少なかったという理由があげられます
家康が存命の間は日本は鎖国などはしていませんし海外移住者も多く存在していました
それが死後、一転して鎖国政策に変わったのは海外からの輸入ばかり増え
日本が世界に誇る一番の天然資源である「金と銀」の流出が止まなかったからです。
しかし、もしそれが日本からも輸入に見合うだけの輸出品が存在していたとすれば
当然、幕府は利権を手放すわけありませんよね。

そのための海外侵略なのです。
その先駆者である南蛮人から多くの情報を得ていた信長が、これに目をつけないハズがありません。
彼ならばもっと徹底して、もっと現実的に、もっと成功するための海外侵略に着手していたことでしょう



493 :人間七七四年:2008/11/30(日) 00:33:41 ID:LNeYWk+w.net
それで、信長が海外進出して大陸一帯を 支配できた可能性は?どんなもんでしょ?
私てきには、結局負け戦で失敗するか、 明智じゃなくとも、やはり身内に足元すくわれそうだと、思うのですが、 朝鮮征服後あたりで、家康謀反とか…

494 :人間七七四年:2008/11/30(日) 01:02:45 ID:rKpAPlaa.net
朝鮮は貧しい荒野なんだよね、基本
開拓するのも大変だし(旧日本軍の例があるし)

一番のいいのは職人だけかっさらってくる事だな
実際に秀吉の朝鮮の役で西国大名がやってる

大怪我する前に人攫いして撤退するのが一番賢いかと
中国に対しても同じ作戦で海岸線を荒らせばいいと思う

495 :人間七七四年:2008/11/30(日) 01:21:04 ID:lV+a/xFh.net
>>487
>兵士は帰農させるか、海外へ傭兵として出稼ぎさせれば問題ないと思いますが
簡単に言うな。江戸幕府が四代家綱の頃まで、浪人対策で最も頭を悩ませていた
ことを知らないのか?

>>489
正確に言えば、家康はやらなかったのではなく、やれなかった。家康自身は海外
進出も考慮していたが、前代の失敗があるから総意が得られなかった。
そもそも、琉球征服は侵略ではなかったとでも?

496 :人間七七四年:2008/11/30(日) 08:25:50 ID:LNeYWk+w.net
なるほど…

497 :人間七七四年:2008/11/30(日) 08:44:24 ID:LNeYWk+w.net
たしかに家康が、小さくまとまったのは、海外進出にかぎらず、
信長、秀吉の短所、長所を見極め、手本にしたんだろーなー

498 :人間七七四年:2008/11/30(日) 19:56:39 ID:loh7zgBB.net
>>495
鎖国により、海外移民を規制したのが、浪人問題をこじらせた最大の要因ですが。
アンボイナ事件や鄭成功の鉄人隊の存在からしても、日本人傭兵の需要は当時かなりアジア地域にありました。

499 :人間七七四年:2008/11/30(日) 21:43:09 ID:nlM5Cxjz.net
東南アジア諸国での日本人部隊や傭兵の需要があったのは確かだが
それと浪人問題とはそんなに関係ない
移民した日本人の多くはキリシタンであり秀吉のキリスト教弾圧辺りから
その移民数をどっと増やしている。
浪人問題というより宗教問題で鎖国(海外に移住した者の帰還を禁じる)を行った一面の方が、まだ強い

500 :人間七七四年:2008/11/30(日) 21:50:07 ID:nlM5Cxjz.net
ただし、侍や足軽を海外移住させて中から崩すというやり方は俺もとても有効だと思う。
実際にシャムの山田長政などは
王宮警護、王の親衛隊、税関管理、最高貴族の位、リゴール地方の王
こんな目覚しい出世をシャムでしているし
その前後の日本本国の鎖国政策がなければ、もっとリゴール地方に日本からの移住者も増え
もしかしたら、今頃、タイのその地域は日本の領土だったかも知れない
フィリピンも台湾も、同じく日本人を多く移住させることによって
日本の国として統治するのも難しくなかったんじゃないかと俺は思っている

501 :人間七七四年:2008/11/30(日) 22:51:55 ID:LNeYWk+w.net
まったくタイムマシンがあったらそれを伝えたいぜ! せますぎる!この島国!

502 :人間七七四年:2008/12/01(月) 01:39:54 ID:/fSzki4W.net
明なんかに対して兵の貸し出しなんかをすることで、一部海岸地域を借りるという形で租借地域を作るとか考えてたらなぁ。


503 :人間七七四年:2008/12/04(木) 19:57:38 ID:hy5HsKtH.net
絵に書いた餅

パスポートもない時代に、何が傭兵だよ

504 :人間七七四年:2008/12/04(木) 21:10:13 ID:DLsNLPWW.net
>>503
同時代の欧州に限っても、スイス等をはじめ、大量に傭兵を輸出していますが。
傭兵の輸出は古代からいくらでもあること。

505 :人間七七四年:2008/12/04(木) 22:46:16 ID:hyGAu2k4.net
傭兵は当時からあったし、東南アジアなんかは
シャムとビルマ敵対する国同士がそれぞれ日本人侍を率いて戦ったりしてる

ただ明に関しては当時、国禁政策を取っていたし
ワザワザ租借地域を与えてまで日本の傭兵を雇うとも思えない。
それよりも、もう少し時代をまてば
ヌルハチの反乱が起きるのでそこに浸け込む方が得策かと

506 :人間七七四年:2008/12/05(金) 09:46:22 ID:sYvo+iMn.net
でもヌルハチが南下するかどうかは辛いところだろうな
やっぱり秀吉の朝鮮征伐は大きな出費だった訳だし
万暦帝が張居正の財産食いつぶして、更に放蕩と無関心を貫き明の寿命を縮めるのは間違いないけれども
ヌルハチが最初に名乗った国名が「金」である以上、最初の目標は満州の独立だよね
それだけなら切り捨てて放置しかねないのが中国の国家って奴だ

507 :人間七七四年:2008/12/05(金) 17:06:23 ID:smS+3+eO.net
むしろ早期にヌル8を叩いて尖兵にしては?

508 :人間七七四年:2008/12/05(金) 19:07:18 ID:Mu4y55Kq.net
俺の考えでは
琉球、蝦夷、朝鮮、高山国、呂宋、シャムのリゴール地方
さらにやる気があるのなら、パプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド
ここまでは、ぶっちゃけ支配化というか完全領土化できると思うんだよ。
ただ、中国だけは余りにデカイ。
これを下手に支配化すると逆に日本が中国の一部として喰われる恐れがあるんじゃないか?と
むしろ、中国は中国国内で荒れさせておいて、その内のどれかの勢力を傀儡として利用する方が安全かと。



509 :人間七七四年:2008/12/05(金) 20:01:56 ID:wim0A8wX.net
ぬ、ヌルポ8?

510 :人間七七四年:2008/12/05(金) 20:28:23 ID:tQzF+DRo.net
>>508
朝鮮を領土化する、というのが何回も出ているが、ハード、ソフト両面の難点がある。
最大の問題は、朝鮮に出兵するのは、明との激突につながるが、その兵站をどうするのか、ということ。

一番に考えつくのは、海上輸送に基本的に依存し、朝鮮半島の沿岸部の制海権を完全に握り、内陸部の輸送負担をできる限り軽くすること。
でも、そんなことができる海上輸送力があるなら、直接、明本土への上陸作戦すら可能になる。しかし、それほどの海上輸送力が日本にあったろうか。

次に考えられるのが、秀吉がやったように釜山橋頭堡を確保し、陸上輸送路に基本的に依存する方法。
しかし、日本の陸上輸送力は大陸と比較すると絶望的に悪い。なぜなら、馬に車をけん引させる、馬車の技術が完全に劣っている。
中国では10万単位の大軍を馬車による補給で古代からまかなっていた(現地調達に頼っていなかったとは言わない。いざとなれば現地調達も行っていた)。
しかし、朝鮮出兵時、秀吉軍は兵站面の困難等から、数万単位の軍勢しか1か所には長期的に集中できなかった。
何しろ、陸上輸送の方法は、日本は人力か、馬に駄載するしか方法がなかった。
最も馬車で物資を大量輸送するとなると、去勢技術が普及していないと、馬車を曳かせるんは難しいのだが。
日本では、去勢技術が普及したのは明治というより大正になってからのこと。
馬車を開発し、去勢技術も普及させ、と考えていくと、朝鮮征服は極めて困難ではないだろうか。

511 :人間七七四年:2008/12/05(金) 20:45:35 ID:wim0A8wX.net
馬車は坂道に弱いから、日本では直接馬に荷物を積んでいた。
馬一頭で米一石を運ぶ能力があった。
こりゃ技術上の問題というより、地形的な制約の問題だからなあ。

まあなんだかんだいっても、十分な数の荷馬を輸送できなきゃ、どちらにしろ大陸に
上陸後の兵站は確保できないわな。

512 :人間七七四年:2008/12/06(土) 18:58:16 ID:QOAWrWHd.net
>>510
普通に海陸両道で輸送するだろう。
・史実での秀吉の侵略失敗の原因は海軍力を軽視していたこと。
よって補給線を断ち切られ軍を維持できなくなった。
・後、朝鮮半島の冬の極寒さを全く考慮していなかったこと。
これは暖かい季節の短期間で制圧できると考えていたから考慮してなかったわけだが
そもそもが最初から風土の違いを度外視していたなど、戦う前から様々な驕りが伺える
・そして、朝鮮内部の権力闘争や民衆の不満を利用しなかったこと
当時の朝鮮という国は内部から味方を得ようと思えば、幾らでも容易く得ることができた
つまりは当時の朝鮮は国として末期も末期。いつ自滅してもおかしくないような要因を幾つもはらんでいたんだね
これらの敵国の内情もろくに探らずに力だけで支配しようとした点も、日本軍の驕り以外の何物でもないんだね
・そして朝鮮侵略をする口実が、唐入りの為の道を空けろという無意味な挑発
これでは、朝鮮から要請を乞われた明も兵を出さざる負えなくなるわけで、事前に明とは何らかの外交を施した上での
朝鮮単独への侵攻に切り替えるべきだったんだよ

史実での朝鮮侵略失敗は、明らかに秀吉と日本軍の敵に対する驕りが原因であり
これを改善しなくては、相手がどこであっても必ず負けていたと言えるね



513 :人間七七四年:2008/12/06(土) 19:01:57 ID:FoKjqvS6.net
西日本の兵を送り込んだら、確かに冬は寒くて・・・・

だが秀吉は、実際に明まで攻め込むつもりだったんジャマイカ

514 :人間七七四年:2008/12/06(土) 19:35:44 ID:jYkkn0KC.net
秀吉の朝鮮出兵自体が、信長の基本構想を受け継いだもの、というのが、どこまで信憑性があるのかだな。
もし、それが本当なら、明との平和外交の余地はほぼ無い。
何しろ、明を征服するのが目的の一つなのだから。
ヒトラーがやったように、朝鮮だけで明は目的ではない、とか欺瞞工作ができればいいのだが、余り出来そうに思えない。

515 :人間七七四年:2008/12/06(土) 19:47:58 ID:FoKjqvS6.net
まあ信長の遺志でなくとも、秀吉が自分で明に攻めるんだと言ってるんだからしょうがない。
本当に、朝鮮は通り道としか見てなかったんだろうなあ。
もしある程度驚異と見ていれば、遠交近攻を忠実にやるだろうに。

516 :人間七七四年:2008/12/07(日) 10:41:53 ID:gMxYx/B+.net
テストテスト

517 :人間七七四年:2008/12/07(日) 16:01:08 ID:WPNkuj1c.net
朝鮮自体はカスだが、朝鮮に利権を持つ明の援軍が脅威。

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